内閣委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 66 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1954/04/14
会議録
○稻村委員長 これより内閣委員会公聴会を開会いたします。 本日は昨日に引続きまして防衛庁設置法案及び自衛隊法案を議題といたし、公述人よりの御意見を聴取いたします。本日御出席なされた公述人は、遠藤三郎君、斎藤忠君、神崎清君の三君でありますが、午前の会議におきましては、遠藤三郎君より御意見を御開陳願います。 この際公述人に一言ごあいさつ申し上げます。本日御多用のところわざわざ本委員会のために御出席いただきまして、厚く御礼申し上げます。申すまでもなく、ただいま審議中の両法案は、国民に及ぼす影響大なるものがあると存ずる次第でありますが、公述人におかれましては、両案に対し十分忌揮のない御意見をお述べいただくことができますれば、本委員会といたしましても法案審査のため幸甚と存ずる次第であります。 それではこれより公述人に公述をお願いいたしたいと存じますが、念のために公述人に申し上げておきます。公述人は発言の最初に御氏名をお述べいただき、また発言の都度委員長の許可を求めてから御発言をお願いいたします。また委員は公述人に質疑ができますが、公述人は委員に質疑できないことになつておりますから、さよう御了承願います。 それでは遠藤三郎君より御意見の御開陳を願います。
○遠藤公述人 では、ただいまから私の意見を申し述べます。次のような順序に申し上げてみようかと存じます。第一は本法案と憲法との関係、第二には、憲法と離れまして、軍隊をつくるものとして本法案がどんなぐあいにできているか、つまり本法案のできばえについて第二番に申し上げます。第三番には、この法案が通過いたしまして軍隊をつくるものと仮定いたしました際に、そのでき上る軍隊がどんな軍隊になるであろうかという見通し、それが第三番目であります。第四番目には私の結論と申しますか、判断を申し上げます。 では、今の順序に従つて申し上げます。外国軍隊の直接侵略に対しまして防衛任務を有する武装団体は、国際通念上明確に軍隊であります。現在の保安庁法では保安隊や警備隊が直接侵略に対する防衛任務を持つておらないのでありますから、その編成装備がどうあろうとも、厳密な意味合いではあれは軍隊とは言い得ませんでしたが、本法案によりますと、明らかに自衛隊に直接侵略に対する防衛任務を与えておりますので、その名称や編成装備がどうあろうとも、軍隊であるということは否定することができないのであります。一方現憲法におきましては、軍隊の保持を禁止しておることは明らかであります。一部の者が自衛のための軍隊は禁止しておらないと解釈しておる向きもありますけれども、それは国民大衆の常識が許さぬものと思います。本憲法は日本文でできております。それをわれわれ日本の国民大衆が選出した日本の代議士諸君が、日本の議会において審議して定められたものでありますから、その初めのいきさつがどうあろうとも、われわれ国民大衆が祖先から受継いで来たところの日本語の力をもつて正直に文字通り解釈するのが正しい解釈でありまして、三百代言的に解釈する必要は毛頭ないものと私は思つております。従つて本法案は明確に憲法に抵触いたしておりますから、現憲法の存する限り本法案を認めるわけには行かぬのであります。これはきわめて重大なことでありまして、もし憲法に反する本法案を認めるようなことがありましたならば、政府並びに議会は国民の信を失うものと思います。また政府並びに議会におきまして、国の基本法である憲法を無視し、あるいは躁聴するようでありましては、あらゆる法律はその権威を失い、国民の遵法精神は消磨いたしまして、法治国家たるの実を失う重大な結果を招来するものと恐れるものであります。ゆえにこの点十分御考慮の上、もしどうしても本法案の制定が必要であるならば、まず憲法を改めてから実施せられなければならないものと思つております。憲法に抵触する点はほかにもありますけれども、時間がありましたらあとで申し上げることにいたしまして、第一点はこれで終ります。 第二の、憲法問題を離れてかりに軍隊をつくるものとして、本法案のできはえであります。本法案は、まことに失礼な言葉でありますけれども、外国の模倣型であり、かつ第一次欧州大戦型のきわめて陳腐なものと思つております。申すまでもなく軍隊の形というものは、その国の国情によつて違うここはもちろんでありますが、特に兵器の進歩によつて著しく変化するものであります。今きわめて簡単にその兵器り進歩と軍隊の変遷の歴史を申しますと、火薬の発明前、すなわち刀剣弓槍の時代は、その兵器の威力の及ぶ範囲がきわめて小さいので、陸軍が主体でありまして、海軍というものはありませんでした。またその勝敗は主として武芸、武技の練達の度によつて定まりましたので、特定の階層と申しますか、特定の職業の軍人、つまり武人もしくは騎士等が世襲でこれに当つておりました。ところで火薬の発明以後、すなわち銃砲の時代になりますと、その威力圏が増大いたしまして、船と船との間でも戦闘ができるようになりまして、海軍というものが陸軍から独立するようになりました。そうしてその刀剣時代、いかに武芸の達人でありましても、銃砲の飛道具にはかないません。また銃砲の方は刀ややりのように、必ずしも長い期間訓練せぬでもできるようになり、従つて特定の武士もしくは騎士が軍人になるのではなくて、般民衆から志願もしくは徴集によつて軍隊に入れる。また威力範囲が広くなりましたので、多数の者が戦場で戦うことができるようになりましたから、従つて陸軍、海軍というような大きなものになつて来たのであります。次いで航空機の発達によりまして、さらにその威力圏が拡大されまして、陸と海の戦線と銃後の区別がなくなりましたので、いわゆる国家総力戦というような形になりました。従つてこの時代になりますと、当然空軍を主体とせねばならぬようになつたのであります。大東亜戦争におきまして日本はそこまで行くことができず、旧態依然として、陸海軍が主体になつた軍隊をもつていくさをしたことは御承知の通りでありまして、これが敗戦の一つの大きな原因となつておると思つております。ところで今や原水爆弾時代になりました。しかも誘導弾やロケット弾等の進歩によつて、飛行機さえも兵器としては陳腐になりつつあるのであります。換言いたしますと、今後の真の戦力は従来の軍隊、はなくして、科学、工業力になりつつあるのであります。昔から軍隊を持つておる国はこれを鶏するといつことはなかなかむずかしいのでありますから、どこの国も徹底的にこの新しい形の軍隊にはなつておらぬのであります。日本のように今まで軍隊のない国が新たに軍隊をつくるならば、もつと新しいセンスによつてつくらるべきものであつて、何も苦しんで、この法案に書いてあるごとく、陸海空の三本建で行く必要はないものと思つております。 なお本法案においては非常な無理があると思います。それというのは、自衛隊の任務に明確に、外国軍隊の直接侵略に対する防衛任務を与えておられるということであります。しかも自衛隊法の五十一条でございますか、隊員一の使命として隊員は自衛隊の使命を自覚して服務するようにと、服務規定のところに書いてあるようでございます。これは重大なることであります。このでき上る軍隊の実力から見まして、外国軍隊の直接侵略に対する防衛任務はとうてい私はできないように思つております。そのできない任務を授けるということは、これは精神的に非常に重大な負担を感ずるのでありまして、ちようど大東亜戦争の末期にあの若人らに特攻をやらした。その特攻を再び強要するような結果になるのでありまして、私はその若人らに対してまことに気の毒に思うのであります。またかくのごとく実行のできない任務を授けるということは、一面責任観念を消磨させる結果になります。できないことを命令する、命令には限りがあるという考え方、これが責任観念を消磨する原因でありまして、そごに軍紀を破壊し、堕落させる第一歩があるものと思います。この点非常に無理がありますから注意せねばならぬことと思います。またその次に、本法案によりますと、やはり今度できます軍隊は間接侵略に対する防衛の目的を持つておるのであります。また国内の治安維持のためにつくる、このように書いてあります。これは私は非常な矛盾だと思うのであります。間接侵略に対する弱点、国内治安の乱れる根本原因は何であるかを考えねばなりません。それは申すまでもなく国民生活の貧困に伴う国民大衆の不平不満であります。ところでこの法案によつてできます軍隊にそれが防ぎ得るかどうか。むしろ助長するのではないか。すなわち再軍備はこの目的から見ますと、つまり間接侵略に対する防衛、あるいは治安維持に対する防衛という目的からいたしますと、むしろ有害であつて無益と申さねばならぬと思います。 第三には、かりにこの法案が通過いたしまして、これによつて軍隊ができた場合、その軍隊はどんな軍隊になるであろうかという見通しであります。基盤のない軍隊は砂上の楼閣と申しましようか、砂上の楼閣どころかむしろ危険な存在と私は思つております。ところが現在わが国におきまして、その基盤ができておるかどうか、これはよく考えねばならぬことと存じます。精神的、道義的基盤はどうであるか、まず第一にそれを申します。汚職問題、疑獄事件等、道義の廃頽目に余るものがあります。かくのごとき状態のもとでつくられる軍隊が健全であるはずはありません。昨年の秋北海道で実施されました保安隊の大演習のルポルタージュが中央公論の四月号に出ておりましたが、まさかあの全文が虚構だとは申し得ないだろうと思うのでございます。第二は、財政的、経済的基盤であります。これもまたきわめて貧弱であることは、私からるる申す必要はないと存じます。再軍備によりましてこの上民生をきゆうくつにいたしましたならば、赤色陣営の侵略がなくとも内部から崩壊いたしまして、軍隊はむしろ内乱や革命の具に使用される危険が多分にあるように思われます。次に科学技術的基盤であります。終戦以来約十年の空白は重大であります。これが回復には絶大なる努力と時間と経費とが必要であると思います。しかるに旧式軍隊と申しましても、これをつくる以上相当の経費を要することは当然でありまして、それだけ科学技術の振興に振り向ける経費が減少することもまた免れ得ないことでありますから、その進歩はいよいよ遅れるおそれがあります。その他の資源の点等から見ましても、特に油の現状から見まして、油のない軍隊はまつたく機動力がないのでありますから、いざりと申しましようか、かかし同然であります。アメリカからその油を仰がない限り、まつたく動けない軍隊になるのでありまして、そこに自主性はありません。強く申しましたならば、アメリカに生殺与奪の権を握られている軍隊しかできないといわねばならぬのであります。ところで国際情勢はどうか、そんなに急いで再軍備しなければならぬ状態であるかと申しますと、私は国際情勢はそう急迫しているようには思われません。むしろ緩和し、かつ軍縮の方向に向いつつある面もあるのであります。従つて再軍備するにいたしましても、まず基盤をつくることが先決でありまして、軍隊のごときはゆつくりと情勢を見きわめ、研究を積んだ後にされるのが賢明だろうと思つております。 最後に結論を申し上げます。人類社会の正しい歩みから見まして、また日本の進むべき道から見まして、日本は再軍備すべきじやないと確信しておるものであります。従つて本法案は廃棄されることを希望しております。人類社会の正しい歩みは、戦争を否定し、力の外交から話合の外交とならねばならぬ。国際連合からさらに進んで世界連邦へと進んで行くべきものと思つております。そうして日本の進むべき道は、万世のために太平を開くとお示しになつておるあの言葉の通りだと存ずるので、あります。一方人の知識、人知の発速は限りがありませんし、従つて科学の進歩も停止するところがないものと存じます。や原子力時代に人りつつあるのであります。そうして兵器は、その時代の科学の粋を集めてつくられるものでありまして、原、水爆が実現して来たのも当然のことと思つております。従つて、もし今日戦争が始まりましたならば、日本が参戦するといなとにかかわらず、人類社会の滅亡を来すおそれが多分にあるように思われます。原子力の国際管理や原水爆の製造並びに使用の禁止等が法律によつて定められるといたしましても、軍隊の存する限り、いざというどたんばになりますと、絶対にこれが使用されないとはだれも保障し得ぬところだろうと存ずるのであります。これが軍隊並びに戦争の本質と思つております。現にアメリカの原子力委員長のストローズさんですか、ビキニ付近における水爆の毒害方面からあの通りごうごうごうたる非難があつたにもかかわらず、傲然として、軍事上の要請はすべてに優先する、その要請を満たさぬ限りは、平和的利用のごときは考慮する余地なし、こう放言しております。また雑誌で見たのでありますが、ウイーン大学の物理学部長ハンステイリングという学者は、万一戦争が起つた場合に、原爆を禁止しても、将来原子力を平和的に動力源として使う際出て来るところの莫大なる核分裂生成物、俗に言う死の砂を使用することなしに無条件に屈服するようなことはおらないであろう、こう言つておるのであります。軍隊の存する限り、兵器の使用禁止等の法律は私は無意味のように思われるのであります。それはちようどかつえたねこの前に食うべからずという札をつけたかつおぶしを置くにひとしいように思われるのであります。でありますから、真に人類社会の永遠の幸福をこいねがうならば、まず軍隊をなくすべきものであろうと思います。現憲法によりまして戦争と軍隊とを否認しておる日本こそ率先してこれを実行し、米ソの間の抗争を緩和するよう奉力することがわれわれ日本人に与えられた崇高な使命と信じております。この意味におきまして私の希望は、本法案を廃棄いたしまして、現保安隊のごときも逐次勤労隊の性格に変更いたしまして、文化国家の建設に邁進されんことを切願しております。 簡単でございますが、私の申し上げたいのは大体このようなものでございます。非常に簡単に申しましたので御質一問もあることと存じますから、その御質問に応じてお答えいたしたいと思います。
○稻村委員長 以上をもつて遠藤公述人よりの公述は終了いたしました。御質疑はありませんか。――粟山委員。
○粟山委員 ただいま遠藤さんから理想の御意見を伺いまして、私一つお伺いしたいことは、かつて桂太郎という著名な陸軍大将がおりまして、軍人にしては非常に世故にたけた洗練された人であつたように私どもは記憶しております。総理大臣を四回も重ねられた人だつたと思いますが、桂さんが、かつて自分は軍人で戦争に終始したものだ、それゆえに平和ということが強く胸を刺すものがあるのだというようなことを言われたことがあります。また米国の南北戦争でリーという人は戦いに破れたけれども、教育のために終始された方であります。そうして南方の文化開発に大いなる貢献をされたことは著名なことであります。また日本においでになつたことのあるグラント将軍は、戦争に勝つた方の将軍であるが余生はアメリカの建国の精神方面に尽されて、かつまた日本に参りましても、日本のために日本の将来を考えて非常に親切な注意を払われたお方であります。軍人であつて戦争のために真剣にその使命を果された人ほどに、りつぱな人格を持たれ、強き信念のある人は、戦争の非常に悲惨なことから平和を念ぜられる気持は私どもよくわかるのでございます。ただいま遠藤さんのお話は理想だとおつしやるからそのように承つておるのでありますけれども、ただ私どもがここへあなたをお招きして、この議事堂で審議しておりまする二法案を取扱いにあたつて、私ともも理想はありますけれども、理想やイデオロギーはそれといたしまして、現実というものを離れることのできない重大な使命を私どもは持つておるのであります。義務、責任を持つておるのであります。そういう観点から、国会議員としてこの議席にあつて、国会にお招きして、あなたのお話を承ることは応理想として承りますが、現実の点から私ども考えますると、あなたのお考えのように軍隊廃すべし、この説も聞き得ることでありますけれども、もしそれをあなたのおつしやるがままに受入れるとするならば、日本は今MSAの協定をしたのも破棄せよ、サンフランシスコにおけるところの条約はこれを破棄せよ、また来年になつてあり得ることと考えるところの国連の一連の動きに対しても、いかなることがあつても日本は日本として国連に参加するようなことがあつてはならないういうようなことで、この日本を指導して行かねばならぬという、そこまであなたがお見通しがあり、国民としての御決心があつて、かような理想論をここで私どもにお示しくださるのであるか、その一点をお伺いしたいと思います。
○遠藤公述人 私が申し上げたことが理想と今申されましたが、もちろん理想を持つておりまするが、決して現実を離れておるつもりではおりません。国際連合の問題は、私はすみやかに国際連合に加盟すべきものと思つております。但し国際連合に入つたからというて、ただちに軍備を持たなければならぬ、軍隊を持たねばならぬとは考えておりませんのであつて、国際連合に警察部隊を持つように提案し、そD方向に進んでもらうように努力すべきだと存じております。それから今日本で軍隊がなければすぐ日米安全保障条約に抵触するかと申しますと、私は抵触するものと思つておりません。あの条約では自衛力の漸増を希望されております。自衛力は必ずしも軍隊をつくることのみが自衛力じやございませんので、さきも申しましたように、まず第に基盤がなくちやいかぬ。基盤をこしらえることがすでに自衛力の第一歩であります。軍隊をつくるとは日米安全保障条約にはうたつておりません。ただMSA協定は、これは確かに軍隊をつくることになるのでありまして、先般MSA協定の問題で公述人として来ましたときは、私はMSA協定は破棄すべきものだ、こう主張いたしました。私の申し上げることは決して現実から離れておるわけじやないと存じております。
○粟山委員 お説に対して私もお話申し上げたいことがありますが、そのお説はこににも防衛庁関係の当局者がおりまするから当局者にお話くださるものとして、私どもはさらに委員会において私どもの職責を果すときに、あなたのお話を参考としてまたお話する機会があろうと思います。これをもつて私の質問を打切ります。
○稻村委員長 大久保委員。
○大久保委員 遠藤さんにお尋ね申し上げます。ただいま国際連合に加盟をして警察部隊を持つことを提案したい、こういう御答弁がございましたが、お尋ね申し上げたいのは、国際連合か持つべきであると御想定になります警察部隊は、いかようなものを御想定になつておりますか。お示しを願たい。
○遠藤公述人 私はこの問題は今急に考えたのじやございませんので、昭和二年ジユネーヴで行われた海軍軍縮会議に出席したときから頭におぼろげながら浮びつつあつて研究を続けて来ておつたのであります。その後フランスに留学中、オーストリアのクーデンホーフェ氏が欧州連邦ということを唱え出しました。その説を聞いて、私は非常に感銘したのでありますが、越えて昭和六年ジユネーヅの国際連盟の全体軍縮会議のときも、私準備委員を仰せつかつてそういうような鰻をいろいろと考え、それから昭和六年秋、満州事変が勃発した際、満州をどういうふうに処理するかという問題に直面いたしまして、いろいろと讐の御覧なんか聞きましたとき、私の胸に非常に強く印象づけてくれたのは支那の哲学者です。子沖漢という人が、真に満州を理想の国にされるならば、軍備のない独立国家にしなさいというふうに教えてくれたので、私は非常に啓発されたわけです。そのときこれらのことで私が頭に構想を描いておつたのは、世界連邦までは考えておりませんが、東亜の連邦を考えた、そうして満州国を理想の国にし、それに見習つて近隣の国が第三、第三の満州国をつくつてくれるであろう、日本ももちろんその中に人づて東亜連邦をつくらぬことには、東亜は落伍するであろう、こう思つておつたわけであります。その際における防衛問題満州事変のときすでに満州に軍備のない独立国家をつくれというのだけれども、その国防はどうなるのかということに直面したときの構想は、日本軍こそ国際警察の任に当るのだ。私ども小さいときに、今から四十年ほど前、明治四十年に私は幼年学校に入つたのでありますが、ちようど日露戦争のあとでありまして、天にかわりて不義を討つのが日本軍であると歌わされた。神兵といい、皇軍といい、真にこれは正しい軍隊であつて凶器じやない、国際警察の任務は日本軍が受持つものと思つて、満州国は武力のない、軍隊のない独立国家で成り立つ、こう思つておつたのです。しかしこれは私の幼い考えの誤りでありました。その正しかるべき日本軍も残念ながら必ずしも神兵、皇軍としての価値がなかつたように思われます。そして覇道に陥つてこんなふうになつたのであります。 現在考えておる国際警察というのはこういうものなんです。今新たに国際警察をつくろうといつたつて、それは無理である。世界連邦主義者は新たにつくるように考えておられます。しかし私は新たにつくるのはとうていできぬというので、私の構想を賀川豊彦さんや下中弥三郎さん、世界連邦建設同盟の方から構想を書いてくれということで、本年の一月に世界国家というパンフレットにその構想を出しておいた。そのあらましを申しますと、現在各国の持つておる軍隊をそのまま一応国際警察という名称のもとに形の上で国際連合に提供する。しかしもちろんさしあたりそれを保育するところの経費はその提供した頃が一応担当するわけです。これは国際連合品に入つておる分担金のつもりで提供しなければならぬ。そして現在の安全保障理事会のかわりに、あれを改変しまして、治安理事会というようなものをつくりまして、そのもとに専用家を集めまして、総参謀本部というような形のものをつくるわけです。そこで各国家から行つた代表が寄り集まつて研究いたしまして、各国の提供したところの軍隊、今度性格をかえまして国際警察になつたものの地ならしをするわけです。不必要なものはなくす、必要なものは増加する。しかもそれが各国の国力に相応するように、芳、の分担が均等になるように地ならしをいたします。そして原則としては、出した国にその部隊を置くのです。そうしてそれは決していくさをするのが目的ではないのであります。警察でありますから、国際的ギャングを取締るものであつて、やむを得ぬ場合には行使して制裁をしなければならぬでございましようが、制裁するのが真の目的ではなくて、取締るのが目的である。つまり未然に国際的暴動を防げというわけなんです。それから、それが国内の治安維持にもし必要であるならば、これはその国の政府が国際連合の認可を得まして使うこともできる道を開く。緊急の場合には責任を持つて使つて事後の承諾を受けるところの道を開いておきます。もちろん国内に使つた場合における経費はその国で負担するのが当然であります。そういうような構想のもとにやればこれは頭の切りかえだけですぐできるの応あつて、決して不可能な問題じやない。しかしもちろんこれはそこまで各国の頭を切りかえることは非常にむずかしい問題でありまして、軽々にできるものとは私は思つておりませんが、そういう目標に向つて一歩々々進んで行く。そうしてこういうことを力強く提案して、どうしてもそれに入るのはいやにという国があるならば、二れは国際的ギャングをやる下心があるような国でありましようから、それは出てもらう。そうして志を同じゆうする国々によつてやるんだ、この目標に進むためには非常に難所はあるでありましようけれども、日本はあのほとんど全世界を相手にしていくさをやるくらいな気力のあつた国ですから、そのくらいの難所を切り抜けるだけの気力があつてもいいのではないか。またその気力を力強く発揮するためには、日本が軍隊をつくつたのではその発言が弱くなる。むしろ危険であつても軍隊でなく裸のままにおいて進むところに力強いところがあるじやないか、世界をその方向にひつぱつて行くだけの力が出て来るのじやないだろうかというようなわけでございまして、この構想はうぬぼれかもしれませんけれども、決して架空とは思つておりません。
○大久保委員 ちよつとお尋ね申し上げます。ただいまの御説明にありました警察部隊でありますが、これはただいまの御抱負によりましても国が相当な乱暴を働いた場合におきましてはこれを取締る力になる、こういう御趣旨でございますが、相当な乱暴を働くということはやはり一国が無謀なる侵略を行う、こういう場合に対処しなければならぬと思います。すなわちそれは直接侵略の場合が多い。そうしますれば、この警察部隊というのはいわゆる国際的な軍隊であると私は考えますが、この点はいかがでありますか。
○遠藤公述人 軍隊の定義はもとよりありません。国際的に軍隊の定義というものはありませんが、しかし先ほど申しましたように、通念として外国の軍隊の侵略に対する防衛任務を持つておる武装団体が軍隊であると言われて来たのであります。またさらにこの軍墜いうのはもともと戦争というのが基調になつておるのであります。ところがその戦争というのは何か、これまた国際的の定義があるわけじやありませんけれども、われわれ子供のときから軍政学で習つておる。これは私フランスに行つて向うの大学にも入つたのでありますが、同様であります。その戦争というのは対等の国と国との暴力をもつてする争いなのです。だれもそこに是非善悪を見て、法律によつてお前はいけないんだ、お前は正しいんだといつて、その采配を振つてくれる者もない。いわゆる近代国家時代における、つまり一国の主権が絶対であるという考えのもとにできておつた近代国家時代における国と国との争いであつて、それに対して是非善悪はだれも示してくれないというときの武力的抗争なのです。ところで現在は国際連合がございますし、国際司法裁判所があり、侵略であるか正しい防衛であるかということは、もう明確にわかるわけです。従つて私は正しい厳密な意味における戦争というものはなくなつた、どつちかが必ず悪いんだ、悪いやつはギャングである、どろぼうである、どろぼうを取締る行為はたとい形の上で戦闘行為が行われても、それは戦争にあらずして警察行為だ。警察という言葉も、これは必ずしも当つておりませんけれども、ほかにいい言葉がありませんから使うのです。どうも警察というと、警察国家のことを連想いたしまして非常にいやな味がするのであります。私はそういう意味でなしに、法に従つて正しいのを守るのを警察行為と解釈しておるわけです。従つて国際的ギャングを取締る行為は私は戦争と言いたくないのであります。それを警察行為と言うておるのであります。従つて軍隊という名前も、戦争を基調としておるところの軍隊というものは、名前においてすでに陳腐になつたものである。従つて私は国際警察を軍と言わすしてことさらに警察部隊という名前で一昨々年あたり、朝鮮動乱が勃発するとすぐこの提唱をしたわけです。
○大久保委員 ただいまの御説明によりまして、軍隊と言わずして一種の警察部隊である、防衛隊である、こう考えて行つた場合、国際的なそういう部隊ができた場合、日本が国際連合に入つて、日本が義務を負わなければいけない。各国が自分の国民の税金によつておのおの国際的に部隊を提供しておる場合、日本も入つておつて義務を負わなければいけない。日本も相当な侵略の脅威があるとすれば、日本もやはり日本の税金によつてあるいは国際的な部隊を編成せぬでいいか、こういう点でありますが、その点は全然日本はそういうことに参加せずに、そういう部隊を持たずに、パチンコをやつておつてよその国際部隊に日本を守つてもらう、そういうことではたして進むものであるか、この点をお尋ねしたいと思います。
○遠藤公述人 私はいやしくもこのちつぽけな地球に国をなすもの、仲間入りをせずに自分だけいい子になるという考えは毛頭持つておりません。国際連合に入つた以上、国際社会の一員といたしまして義務は当然負うべきであります。その際においては日本もやはり進んで、それこそ国力相応の国際警察部隊をつくつて、国際社会の一員としての義務をりつぱに果すべしと思うのであります。それまではつくらぬというわけであります。それまでは断してつくらぬ、それをつくらすためには、今軍隊をつくればかえつてじやまをするという考えで、苦しいのを歯を食いしばつてでもがまんしてもらつて、しかしこの点は長い時間かかるではございましようが、ここで申し上げるのはどうかと存じまするけれども、長い時間かかつても日本は困らない、はなはだずるいような考えで、ございまするけれども、その間つくらぬでおつてこそ、その分担金を出す時期が遅れるのでありますから、それによつていわゆる基盤を早くつくつて行く。そうしてりつばな文化国家にして世界から尊敬されるような国になつた方が賢明である。私は決して国際警察部隊をたくさんつくるようなことは目的としておるのではないのでありまして、理想としては国際警察部隊も将来はゼロにしたいのであります。遺憾ながら現在の社会情勢では国際的ギャングをやりそうな国もおるのでありますから、遺憾ながらやむを得ずつくるのであります。逐次そういうギャングをやるような国がなくなつたならば、国際警察部隊というものはゼロになつて行くわけであります。しかし必要なときは、そして日本が国際連合に入れていただいたならば、当然その義務を果すべきものと思つておりまして、決して税金を払わずにおつてといいますか、保険金をかけずにおつて保険をもらおうというようなさもしい心は持つておりません。
○大久保委員 先生が一番初めにお話になりました、直接侵略に対処すれば軍隊である、日本の防衛隊は持つ必要はない。これは時間的な問題のようにも承るのでありまして、結局防衛隊、こういう任務であれば持つべきである。それは軍隊ではない、そういうことになりますと、一応憲法とも両立するような論理的結論にもなるようでありますけれども、最初の先生の御意見と、あるいは現在の防衛隊であればそれは軍隊ではないのであつて、憲法に沿うのではないか、こういうふうにも返つて参りますが、その点はいかがでありますか。
○遠藤公述人 国の持つておる武力でございましたら、それは外国を取締る権限がないのであります。国際連合において国際警察部隊を認め、国際連合においてある法律をつくつて、そうして侵略者と烙印を押してくれぬ限りにおいては、向うから入つて来るものも堂々たる一国の軍隊である。日本でこしらえるのは軍隊という名前はついておりませんけれども国のものであつて、そこに何ら警察的権限はない、法的権限はないわけでありますから、これはどつちも軍隊であつて、そこに起るものはいくさであつて、決して警察行為とは言えない。警察行為であるならば向うから入つて来るものに対して軍隊としてでなしに、不法入国者として、そうして警察的性格において、法律に基いて取締るならけつこうだと思う。それならばいい。しかしこれは決して武力をこちらから行使してはいかぬ。警察であるなら、自己の防衛上武器を使うことはありますけれども、警察行為たるもの、こちらから鉄砲を撃つてはいかぬ。ところが今度の法案によりますと、自衛隊法案にしても、防衛庁設置法案にいたしましても、直接防衛の任務を与えておられまするが、これは向うから来た場合に不法入国者として法によつて取締るのではなくて、指揮官の命令によつて撃つわけです。戦闘行為が起るのです。ことに先ほど時間かあつたら申しますと言いましたのは、飛行機のことなんです。これは非常に危険だと思つております。自衛隊法案の八十四条に「上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる。」こうなつている。飛行機が空を飛んで来た、それを退去させるため必要な措置、高射砲で撃つか、飛行機で追いかけるかしなくちやいかぬのであつて、警察行為ではちよつとこれはできません。これは必ず戦闘が起るわけなんです。またこちらのものもなかなか境界というものはわかるものではありませんから、境を接しておる両国において飛行機にこういう任務を与えますと、こちらのものも向う案ん存く。これはしばく私も体験しておりますが、そういうことが書いてあることは危険だ。日本でつくつておるものがたとい保安隊であつても、あるいは自衛隊でありましても、外国の軍隊が来た際に、それを取締るという行為は警察でない限りはできないわけです。こちらから積極的にたまを撃つて撃ち落す、あるいは撃退するというような行為は決してこれは警察行為と言えないと思つておりますので、やはり国際連合のものでなしに、日本のものとしてつくれば、これは軍隊であると言わざるを得ないのであります。
○大久保委員 先生のお説は一国でつくれば、直接侵略に対抗する場合には軍隊である。国際的につくれば、それは警察部隊である、こういうふうに了承いたしました。 次にお尋ねいたしたいことは、先ほど軍隊をなくせ、そうして米ソ間の対立を緩和せよという御意見でありますが、これは中立を守れという意味でございますか、お尋ねいたしたいと思います。
○遠藤公述人 私は日本がアメリカの友邦であるということは、まことにけつこうだと存じております。しかしアメリカの友邦であるからというて、ただちにソ連、中共を敵にする必要はないと思つております。やはりお隣りの国でありますから、できる限り友好関係を早く結ぶべきものだと思つておるのであります。そうして日本はどこまでもこれは是々非々主義で行くべきでありまして国に辺倒をしてはいかぬ。ことに今日本が軍隊をつくりますと、先ほど申しましたように、油の問題一つから見ましても、どうしてもこれはアメリカに生殺与奪の権を握られておる。さらに悪口を言えば、アメリカの傭兵的性格しか持てない。そうなつて来ますと、そういうことはもう中共もソ連もよくわかつておるのですから、今日本が軍隊をつくれば、これは中ソを仮想敵国にしているくらいは明確にわかるのでございます。そこに軍備拡張の糸口がまた開かれる。アメリカ陣営の兵力が多くなれば、中ソもまたそれに対応するように軍拡しなければならぬということになりまして、米ソの抗争に油を注ぐ結果になりはせぬか、だから少しでもそういう結果にならぬように、日本は軍隊をつくらず、裸のまま、けんかはやめろというふうに持つて行くべきじやないか、また歴史的に考えてみましても、日本は東西文明のいわゆる融合点になつて来薫るのでございますので、われわれいくさに負けたからといつてそう卑下する必要はない、そういう使命と力があるのではなかろうか。うぬぼれてはいけませんけれども、こういう平和方面には自分の力を少しくらい過信してもいいじやないか。武力を持つて、その武力を過信してこの前のような大東亜戦争をおつぱじめたのではいかぬのでありますが、平和の戦士として行くことならば、少しうぬぼれても、力を過信しても、それが誤つても害はない、こう思つておりますから、私は断々固として、平和方面に向つては力強く進みたい、こう思つております。
○大久保委員 先生は作戦家でありますから、お尋ねいたしたいと思いますが、ただいまのお説のように、日本の油はどうしても海外にたよらなければやつて行けない。もう戦車も軍艦も動くものでない。この日本の置かれておる戦略的、地理的な地位というものは、海を持つておりましても、きわめて弱い。一方またいずれの面からしましても、前進基地としてはきわめて重要なる地点であります。また日本の工業力というものはきわめて優秀である。日本の人的動員力というものは、きわめて豊富であり、かつ有力である。そうなりますと、これはいずれの陣営から見ましてもきわめて重要なポイントであろうと思う。そうしますと、これは平時におきましては、私は通商上からいいましても、日本の立国の上から申し言しても、あまり片寄そ外交というものはどうかと思いますけれども、事戦時になりました場合、そういうことは避けたいのですけれども、一体日本が全然の裸であつてよく中立を保ち得るかどうか。すべての国がきわめて倫理性が高ければ別でありますけれども、ロンドン条約における潜水艦条約すら守られないで無警告撃沈をやる。大東亜戦争におきましては、幾多の戦時国際法違反が連続しておる。日本が無条件降伏しても数年間占領される、あるいは無条件降伏しても、日本の漁船が拿捕、撃沈される。こういうような一つの国際戦時倫理というものを無視しておる慣例が横行しておる際に、全然素裸で米ソという二人の横綱のまん中に入つて、どつこい、待つた、こういうことをやれるかどうか、押しつぶされてしまいはせぬか。こういう例は、大東亜戦争の終末においても、日ソ不可侵条約を結んでおつたにもかかわらず、ソ連に和平の仲介をたのんでおるのに、ソ連から、先生のおられました満州に進撃される、こういうことになるわけであります。はたして先生が言われるように、軍隊なくして、裸で両横綱の間にあつて、どつこい待つたができるかどうか、押しつぶされはせぬか、私はこの点が、戦時中に限りますと、先生のお説が若干疑問になつて参りますが、もう一ぺん作戦家としての先生の御意見を伺つてみたい。
○遠藤公述人 米ソが熱戦を始めるという前提のもとには、今あなたがおつしやる通りです。日本はどうしても戦場になると私は思つております。そうして日本がどつちにつこうが、やはり日本は非常な大打撃をこうむるものと思つております。でありますから、ついても、つかぬでも同じであります。中立も成り立たぬかわり、片一方についたところで、米ソ戦うという前提のもとには、日本は戦場になることを覚悟しなければならぬ。従つて日本の国民大衆というものは非常な痛手をこうむるということになるのであります。ですから私は戦争をさせてはいかぬ。戦争があるという前提のもとに準備を進めて行くのじやなくて、戦争をなくすることに全力を尽す。それでもいくさが起つたとしたならば――これは神ならぬ身の何とも言えぬことですが、いくさが起つたとしたら、日本が軍隊を持つておつても、決して幸福になり得ない。同じことでありますから、むしろ軍隊を持たずに行つた方が――再軍備をいたしますと、精神的に、あるいは言論の自由を束縛されたり、経済的に圧迫されたり、非常に不愉快な思いをするのですから、いくさが起るという前提のもとならば、私は軍隊をつくつても、つくらぬでも同じだ、つくつて苦労するだけ損だ、さように思つている。私の考えは、その前提を置きたくない。全力を尽して戦争を未然に防ごう。未然に防ぐためには、国際連合に警察部隊を置くようにしなければいかぬ。それに努力して行こう。よそ見をせず、二兎を追わずに意専心そこに向つて努力をする。それでできなかつたならば、それは天命であります。しかたがありません。しかし天命ではありますけれども、私は武力をもつて抵抗するよりは、いいか悪いか私は判断するわけには行かぬと思いますが、私は赤はきらいです。赤がきらいなら、いわゆる威武に屈せず、富貴に淫せずという心を持ちきえすればよろしい。匹夫といえどもその志は動かすべからず。私は明らかに申しておきます。赤はきらいですから、赤には絶対なりません。赤が来ても赤になりません。その心を国民が持つておつたら、国際連合に入り国際連合が警察部隊をもつて国際的ギャングを取締る時期が来ぬ前に米ソ戦つた場合においては、私はどつちにも武力をもつては協力いたしません。国民もまたその気持を持つておられたならば、むしろその方が幸福だろうと思う。なまじつか武力をもつて抵抗して、そこにソビエト軍あるいは中共軍が上つて来た場合における国内の混雑あるいは虐殺の起る状態、これを戦史的に見ますと実にむごたらしいものであるということは、私は戦場においても体験しております。日本を戦場にしたくありません。もちろん戦場にしなくても爆弾が落ちて来るでございましようが、せめて国民は心の抵抗のみをもつてやつても価値のない大東亜戦争の末期に、婦人にまで竹やりを持たしたあんな気違いじみた抵抗をやらせれば、それこそ連帯責任を問われまして、抵抗もしない、あるいは抵抗もできない婦女子も老人も皆殺しになるおそれが多分にあるものと思いますから、私はむしろそういうことはさせない方がよろしい、こう思つております。
○大久保委員 ただいま、戦時において米ソ間の中立は困難である、こういう先生の御意見で、私はしこく同感でございます。 そこでこれは国の例はあげませんが、裸の場合に、国内に外国の部隊が上陸して来た場合に日本の民生が非常に痛められるだろう、これは私も漂然とするものであります。きわめて非人情であることは、これは大東亜戦争後においてわれわれはなまくしく体験したところでありまして、今後に想定されることはそれどころの騒ぎでないと私は考えるのであります。日本に外国部隊が上つて来るということは、これはどうしても海を越えて来る、こういう面からいたしまして、日本が一つの海上に対する適当な力を持つということは、これは日本の民生の維持から申しましても、日本のほんとうの警察的な立場からいたしましても大事なことであろう。これは先生が先ほど申されました、三軍均衡の必要はない、もう少し重点でやれという御意見とも合つて来るんじやないかと思いますが、私の意見は海空を重点としてやれという意見でございます。イギリスがダンケルクを前にしてイギリスを守り得たのは、イギリスの海上部隊と、イギリスのスピツトフアイヤーである。かくのごとく日本の一つの防衛航空部隊、それから日本の補給を完全にする海上防衛部隊、日本の沿岸哨戒隊、これだけは、先生のさつき言われる直接侵略に対抗する軍隊であるということではなく、すなわち日本の民生を守る必要な防衛部隊ということに入りはせぬかと思いますが、この点はいかがでございましよう、最後に先生の御意見を伺いたいと思います。
○遠藤公述人 お説まことにごもつとものようでございますけれども、古来河川防禦というものは成り立つた先例がございません。海洋防禦におきましても同様であります。つまり上陸して来る敵をこちらにとどまつて防禦しようと思つても茂り立つものではございません。イギリスが成り立つたのは、攻撃して行かなかつたから成り立つたのでありまして、攻撃して行つたら、どうなつたか予断を許さなかつたと思うのです。現に今度はあべこべに向うに攻撃した際、コタンタン半島の上陸、あの世界一といわれた精鋭なドイツ軍が、あのちつぽけなコタンタン半島――これは伊豆半島よりちよつと大きいが、房総半島より小さい。しかもその海岸は、大部分と言わぬまでも、かなりのところは絶壁でございまして、上陸のできないところです。そこをあの進歩したドイツの科学をもつて要塞化し、精鋭なドイツ軍をもつて守つておつたにもかかわらず、やはり上陸を許してしまつた。そしてドイツ敗退の因をなしたわけです。日本の例をとりましても、私から申すまでもなく、あの硫黄島です。わずかに一方里半、それ」私の同期生ですが、栗林中将が二方五千の陸兵をもつて、また海軍も数千行つておつた。たつた一方里半を、あれほど長い期間をかけて全島くもの巣のように地下に交通網を掘つて守つたけれども、全員白骨です。何も硫黄島だけの話ではありません。マキン、タラワ、サイパン、それから沖繩島においても、もうことごとく、太平洋というあんな広い海を渡つて来る敵に対してさえも、守りおおせないのが上陸防禦の困難な点なんです。いわんや今度はもう一衣帯水のところに敵がおる。しかもたくさん展開しておる。しかも攻撃兵器はどうなつておるかというと、何も飛行機に載せて爆弾を日本まで持つて来なくても、向うから発射するところの誘導弾にしても、ロケット弾にしても、日本まで打込める。しかもそれが精密に落ちないとしても、原子爆弾のような広範囲に効力を及ぼすものならば、必ずしも精密射撃はいらない。そのたま数も知れたもので、日本の戦闘力は全部なくし得るわけなんです。ですからこういうものに対して日本でつくるような軍隊で守れるなんということは、私は戦術常識は許さぬのです。真に守ろうということならば、未然にその本挺を覆滅しなければならぬ。それには非常に優勢な航空部隊を持たなければならない。それは日本の国力の許すところではなし、また一国がそんな旛大な軍備を持つということは、たとい財政が許しても、これは国際的に許すべきものではない。これは国際的に罪悪であります。だからこういうような大きなギャングがあるものとして、これを未然に防こうと思うならば、やはり国際的のものにしなければいかぬ。一国の専有物にしたならば、必ずこれは国際的に罪悪を犯す。兵は凶器なのであります。一国に持たせてはいかぬ。国際警察部隊として持たすべきだ。これは相手次第によつて大きくもなるでございましよう、小さくもなるでございましようが、決して一国で持つべきものではない、こう思つております。
○大久保委員 最後に一点だけ。ただいま先生のお示しの硫黄島、沖繩上陸作戦は、あの当時はすでに日本は制海権なく、また制空権も持つていなかつたと私は判断いたします。こちらはほとんど何らの海上、空中において防衛する能力なく敵の上陸を許したものである、かように判断をいたしております。先ほど先生は原子爆弾と仰せになりました原子爆弾、誘導弾、これはもちろん非常な最高兵器であります。かようなことが行われることは極力避けなければなりませんし、また重大な影響が来るわけでありますけれども、日本の周辺の海面は、原子爆弾、誘導弾以外にしばく日本人の生命財産対する脅威が行われておるのであります。先生御承知のように日本の漁船が拿捕されている。こういつたように、原子爆弾、誘導弾以外に、日本人の生命財産に対する脅威が全然ないという保障もとり得ないのでありますが、そういう点に対して、もうとられつぱなしでいい、こういうふうにお考えになりますかどうか、最後に承つておきたいと思います。
○遠藤公述人 私は李承晩ライン問題あるいは漁船拿捕問題に対して、はなはだ遺憾に存じておりまするが、これが日本に軍隊がなかつたために起つたとか、あるいは日本に軍隊があつたならばもつと強硬な外交によつて解決し得るだろうという意見には、遺憾ながら賛成できません。もしあの際に日本の軍隊があつたならば、必ずそこに戦闘行為が起つたろうと思います。そしておそらく漁船を守り得たかもしれません。朝鮮のような新興国、しかも大して実力がないのでありますから、それは私は可能と思います。しかしもしそれをやつたら、私は日本は世界の笑いものになると思います。同じことはソビエトにもあります。中共にもあります。その際に、弱い朝鮮に対して威たけ高になつて武力をもつて圧迫してしまつたとしても、同じようなことがソビエトにもあり、中共の方にもある。これをやはむ武力をもつて解決せんとしてやるとしたら、日本はまた大東亜戦争の二の舞をやることでありまして、戦争によつて破局に陥ります。もしそうでなしにほおかむりしておつたならば、弱い者には強がりを言い、強い者にはほおかむりするいくじなし、一道義的には笑わるべき風上には置けない国ということになりまするので、これはむしろそういうことをせぬ方がよかつた、なかつたのが幸したのである。そうしてこれはやはり外交の常道によりまして、話合いによつてこれを解決すべきでないか。そのためには国際司法裁判もあることですし、また第三国の仲介を頼んでも、ちつともそれは不名誉じやない、むしろその方が正しいものと思つております。また朝鮮問題の解決は私は非常に困難だと思つております。李承晩さんが大統領をやつている間は、これはなかなか解決ができないと存ずるのでございますが面私はこういうふうにその問題に対して話しておるのです。日本からやんちやな次男坊が分家したのだ、その分家したやんちやな次男坊が、分家してからも本家に向つて何だかんだと難癖を言うて来る。その際に本家におるところのおやじなり長男なりが、今の憲法で言いますと、長男とか次男とか言うのはおかしいのです。分家もおかしいかもしれませんが、まあ例としてあげるわけです。怒つてこぶしをあげておつたのではしようがない。やはり肉親の愛情を持つて、分家が成り立つようにめんどうを見てやるべきじやないか。また言うこ乏を聞かないで難癖を言うて来るならば、おやじの言うことがわからぬなら、お前の平素尊敬しておる先生の議を聞いてくれ、あるいは仲のいい友達の意見を聞いたらよかろう、あるいは煙たがつているおじさんの意見でも聞いたらどうかというようなぐあいで、やはり話合いで解決するのが本筋じやなかろうか。武力をもつてやつたのでは、これは必ず破局を一招くものと私は思つております。この一問題のために軍隊をつくるという意見には、私は遺憾ながら同意いたせないのであります。申すまでもなく孫子の第一巻の冒頭に「兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり」と示してあるのであります。軍隊をつくるというようなことはほんとう歯の蚕だと私は思います。決してこのような目の先の事件や、あるいは第三国の御都合や、あるいはまた国内の一部特権階級の利益のために軍隊をつくるべきじやない。さきにも申しましたように、人類社会の正しい歩み、国の進むべき道というようなことを深く考えまして、将来を思つて洞察してやりませんとぺんつくりますと、これを改編するということは非常に困難であります。これは御承知でもございましようが、日本の陸軍は旧式軍隊だつた。それを新しい軍隊に直そうと思つて、時の陸軍大臣宇垣一成大将が非常に努力されましたけれども、あの通り勢力のある陸軍大臣にして遂にそれができなかつた。そういうふうにぺんつくつた軍隊を直すということは非常に困難だ。先ほど申しましたように、攻撃兵器の進歩によりまして軍隊の形というものがかわつて行かねばならぬにもかかわらず、アメリカにしても、フランスにしても、イギリスにしても、旧態依然たる軍隊をなかなかかえ舞い。理論としてはちやんとわかつておるけれども、さて陸軍を減して空軍の方に多く持つて行こうとすると、陸軍の方のリッジウエイ長官が、それはよろしくないといつて、そつぽを向く、アイゼンハウアー大統領にしてそれを押え切らぬそういうのが、軍人の、軍隊の特質だと思う。それを無理にやりますと、縁起の悪い話でありますけれども、やはりサーベルをつけた軍人は乱暴もいたしますですから、革命が起らぬとも言えない。また二二六事件が起らぬとも言えないと思う。五一五事件、十月事件、三月事件等、あの正しくなくてはならなかつた、無色透明であるべきはずの天皇の軍隊にして、すでにそういうあやまちを犯そうとした実例があるのであります。これからつくる軍隊、基盤のないところにつくるような軍隊、その中には政党色も必ずあると思う。そうして内乱でも起つた際、必ず軍隊というものが、この防衛庁設置法案や自衛隊法案に書いてあるごとく、あの条文通りりつぱに行動するなんて思われると、とんでもない失敗を招きやせぬかとおそれるものであります。もつと、ごゆつくりと考えられて、もつと情勢が安定してからおつくりになつてもおそ、くはない、国際情勢はそれほど急迫しておらないと思うわけです。決して私の再軍備の反対をここで強要するわけではありません。大いに研究されてけつこうだと思います。しかし私のこの考えは私の信念になつております。これは四十年近くの軍人生活の体験に基く信念でございまするから、ほかの人から批判されようが、攻撃されようが、なかなか動きそうもないということだけはここで明言しておきます。
○大久保委員 ちよつと私もついでながら申し上げますが、ただいまの漁船の拿捕状況は、これは特権階級とかいうことでなくて、現在までに七百隻、抑留されました人員は一万人に達しております。これは日本国土から七百隻に相当する数十億の財貨万人の人間が拉致されたということが、もし陸上で起されていたならば大問題です。この点は先生も御記憶におとめくださいますようにお願いいたしまして、私の質問を終ることにいたします。
○稻村委員長 鈴木君。
○鈴木(義)委員 私の聞こうと思つたことは、大久保君との問答の間にほとんど答えられたようでありますから省略いたしますが、昨日野村吉三郎さんにもお尋ねをいたしたのでありますけれども、明快なお答えは得られなかつた。日本が米ソのどちらかに好んで巻き込まれるというのでなければ、国際情勢はしかく緊迫しておらないのではないかということ、それから巻き込まれるとすれば、日本は非常な破滅に陥るというようなことについて、ただいま遠藤さんから明快なお答えがありましたから略しますが、そういう状態において、原水爆などが発達をし、日本独自の立場で今日本を侵略する国があるとはちよつと考えられない。米ソのどちらかに巻ぎ込まれてやられる場合を考えて、原水爆というものを目標に置くと、今つくろうとしておる自衛隊というものは、侮辱する意味はありませんが、言葉をわかりやすく言うと、おもちやの兵隊に近いものではないか、そんなものをつくることは国費の浪費になりはせぬか、こういうことについてお尋ねをしたが、野村さんのお答えは、ないよりあつた方がいいのだ、不完全なものでも何かの役には立つというようなお答えで、私は非常に意外に思つたのですが、ひとつ遠藤さんからその点についてお答えを願いたいと思います。
○遠藤公述人 野村吉三郎元大将がそうお答えになつているとすれば、私はそれに反対てあります。ないよりはあつた方がいいじやなくて、こういうものをたくさんつくりますと、むしろ内乱なり革命なりを起す原因になりますから、私はない方がいいと思う。むしろない方がいい、あるのが害である。しかしさればというて、国内治安維持のために、全然警察力を持たぬでいいということを私は言うのでありませんで、警察力は国内治安維持のために必要であります。国内治安を確保する根本は、先ほども申しましたが、もとより国民生活の安定によつて不平不満のないようにすることであります。しかしどろぼうは浜の真砂とひとしくやはり尽きるところはないのでありますから、警察は必要であります。また共産主義者諸君がいろいろ画策もしておるようでありますから、個々の地方警察だけで十分とは思つておりません。従つてその警察の予備隊式のものは若干必要だと思います。しかしそれも、元の保安隊あるいは警察予備隊のように、ただ自動車だけにたよつて、そして大きな暴動でもあつたら、そこに派遣してやるというような考えでは、これは日本の地勢から見まして、そういう事件の突発性から見ましてもいかぬのでありまして、私はむしろその警察予備隊は、元の警察予備隊よりも少くてもいいから、二、三千程度のグループあるいは一、二千でもよろしゆうございますが、これを交通の要衝と申しましようか、飛行場のあるようなところに置きまして、飛行機をもつて輸送する、いわゆる空挺部隊式の警察予備隊を、部隊訓練をさせつつ置くわけです。そして何か暴動的なものが突発いたしまして、地方警察をもつて取締ることができない、鎮圧することができないというときには、立ちどころにそこにやれるような態勢を整えておきますれば治安維持には十分であると思つております。現在持つている十万の保安隊、あるいはこれを本法案によつて自衛隊にせられるようなものは、ないよりはあつた方がいいじやない、こういうものをおつくりになるとかえつて悪いと思つております。 それからもう一つちよつと申し上げたいのです。これは新聞で見たので正しいかどうか存じませんけれども、予備隊であるのが軍隊だというようなふうにお話になつたように新聞で見ましたが、これは非常に陳腐な考え方であると私は思います。予備隊であるなしが、軍隊であるか軍隊でないかの境目だと考えておつたらとんでもないことであつて、もしも武力戦があるとか、国際ギャングがあるとかいたします場合、昔のように動員して、編成して、それにあてがおうという考えでこれができておるものといたしましたならば、これはまた非常に陳腐なものであると思う。もしもこれからほんとうにいくさをしようと思うならば、これは先制、急襲でやらなければ勝てません。攻撃兵器が進歩すればするほど、先手を打つたものが勝つことになるのですから、そんなゆうちような、ここに書いてあるような予備隊を集めて、動員して、そして編成し直して、戦闘部隊にしてやろうという考え方があつたとするならば、これはよほど頭を切りかえなくてはいけないと思つております。ついでながら申し上げます。
○稻村委員長 辻政信君。
○辻(政)委員 遠藤さんとは私はマレーの戦場でおわかれしてから初めてお会いするのでありまして、シンガポール作戦のときに遠藤さんは飛行兵団長とされまして、あの作戦の終始を通じて最も積極的に、最も勇敢に、常に部下の先頭に立たれ、われわれが地上で占領した飛行場にまつ先に着陸されまして、シンガポール攻略にちよつと戦史に例のないような勇敢なお働きをなさつた閣下であります。それが終つてから軍需省にお帰りになつて、陸軍の飛行機をつくるために国内を歩かれまして、至るところで全力をもつて飛行機をつくれということを国民に説かれ、また国民の零細な航空献金を集めるために最も活動なさつた閣下が、ただいま承りますと、敵が入つて来てもまる裸の方がよろしいというように承つたのであります。しかもそれが四十年間の軍人生活の結論であり信念であつてかわらない、こういうふうに拝聴いたしましたが、あのマレー戦場における軍人としてのあのお働きも、おそらく私は信念の上に立つたお働きであると、今日まで非常な敬意を持つて参つた次第でありますが、ただいまのお話を承りますと、あなたの信念が百八十度大転換をしておる。その転換されました動機について後輩として承りたいと思います。
○遠藤公述人 私自分では転換していないつもりなんでございますけれども、力のない者に武力抵抗を与えるということは非常に残酷な結果を来すということは、戦場の体験から見ているわけなんです。そしてまた内地に帰つて来まして、あのマレー付近のように、人口が粗ではなくて日本は非常に稠密である。そしてあの爆撃の様相を直接見たわけであります。敵が一兵も上陸しておらぬ日本に、ただ爆撃されただけであの混乱状態を来す。あなたはごらんになつたかどうか存じませんけれども、東京を爆撃されると日本海の方が安全だろうというわけで向うに疎開する者が絡縄として出て来るわけであります。日本海方面があぶないぞいうと日本海方面からこつちの方に出て来る。またそういう引越しすることできない連中は、もうほんとうにお気の毒な混乱状態を爆撃下でさらしたわけであります。それがもし敵が上陸するというときに、かまやくわをもつて抵抗し、またはある人が言われる石を投げても抵抗するというけれども、そんなことをしたならば層上陸した者が凶暴性を発揮いたしまして、日本国民大衆はどうなるかわからぬ。それが私はもう耐え切らぬのです。だから力があるならばもちろん上陸させないように防禦することは、決して私は不同意じやございません。しかしどう考えてもそれだけの力は持ち得ないのだ、そうすればその力のないものに防禦させるということでは、直接任務につく青年たちは特攻精神を持たなければならず、非常な過重である。一般国民は敵にますます凶暴性を発揮させて残酷な目にあわすということは申訳ない。それならばむしろ心の抵抗で行くべきじやないか。しかし心の抵抗というのは最後の最後でありまして、私の念願するところはそういう侵略、国際的ギャングのないように日も早く国際連合に警察部隊をつくりまして、ギャングをやることができないようにしたいというのが考えの根本なのであります。その点先ほどたいへんほめられて恐縮したのですが、辻君こそ非常に勇敢で私なんかもう足下にも寄りつかぬほどで、勇敢さにおいてはほんとうに私は敬意を表しておるわけなんです。その点私とあべこべなので、私はむしろ臆病でひつばられて行つた方ですから訂正しておきます。
○稻村委員長 田中稔男君。
○田中(稔)委員 遠藤さんが今軍隊を持つておる国は、その軍隊を近代的に改良することはなかなか容易でないとおつしやつたのですが、最近アメリカでは、ニュールック戦略とか、ニュールック防衛体制という言葉が行われております。私はその方面の専門家ではありませんけれども、何でも従来の三軍均衡方式でなく、空軍を中心にいたしまして、陸海両軍に補助的な役割を持たせる。そうしてまた原子力兵器を主たるものとして利用する。しかもその原子兵器を超音速の爆撃機に搭載いたしまして、敵国の中心部に向つて攻撃を加える。さらにまた現在アメリカがヨーロッパ、アジア各地に出して、おりますところの軍隊はむしろこれを撤収して、国内に戦略予備軍として保有する。そうして戦争が起りました場合適時適所にこれを動員して出動させる。大体こういうふうな内容を持つた軍備計画であると聞いております。今日防衛関係二法案がここに問題になつ薫りまして、いよいよここで自衛隊ができようというのでありますが、自衛隊はMSA再軍備と一般にいわれておりますように、これはアメリカの軍事援助のもとに行われておる再軍備であつて、日本の軍隊が結局アメリカの軍隊の一部分として、まあわれわれの言葉でいいますと傭兵的な役割を担当する軍隊になるのであります。だから日本の再軍備は、再軍備一般としてでなく、要するにアメリカ軍の傭兵としての再軍備だという点をまずはつきりして、それから議論をしなければならぬと思う。そこでそういうアメリカの新しい軍事計画との関連において、日本の再軍備を考えました場合、米ソ戦争が起りましたときに、日本の新しい軍隊は一体どういう役割を果すものであるか、まず陸軍というか、地上部隊といいますか、これはおそらくできるだけたくさんつくらせて、そして日本の本土と、近接したアジア大陸をとにかく地域的に押えさせるように、アメリカは希望するでありましよう。それから海軍はどうかと申しますと、ウラジオあたりに相当来ておるという優秀なソ連の潜水艦、これらの日本海及び太平洋における活動をできるだけ封鎖するために働くようにアメリカから要請されて来る。駆逐艦を日本に何隻かやろうという話もあるようです。もちろんその駆逐艦は大して優秀な性能のものでなく、古いものであろうと思いますが、とにかくアメリカが駆逐艦を日本にやろうと考えるのには、すでにそういう意図が現われて、おるのではないかと私は思う。それから、いよいよ空軍でありますが、今度できます航空自衛隊は、もちろん大したものではありません。しかしながらこれは将来はやはり相当強力なものに育成しようというのがアメリカの考えではないかと思う。アメリカが戦略空軍をもつてソ連の中心部に原子攻撃を加えようとします場合、近距離である北極を通つて、ソ連に飛んで行くということになりますと、ソ連の方でもレーター網や何かがあつて、なかなかその防衛は固い。そこでどうしても相当長距離を飛んで行つて攻撃を加えなければなりませんが、そういう場合、やはり極東、近東の各地に何か一つの空軍の基地を置く、そうして一応そこを中継地として燃料その他の補給をして、いよいよそこから飛び出すというようなことになるのじやないかと思うのであります。最近アメリカが、中東、近東あたりにいろいろ軍議助をいたしまして、軍事基地をつくろうとしておる意図もそこにあるのでございます。ここからソ連の腹部を攻撃するということは、距離的にも非常に近い。同様の考えがあるいは沖繩であるとか、日本などについても考えられるということは、十分あり得ることだろうと思う。そうするとアメリカの戦略空軍の前進基地となる日本において、日本の空を守る、そのための戦術空軍というようなものが、日本に強力にでき上ることが、アメリカとしては軍備計画の一環として必要ではないか、こう思うのであります。これは私どものしろうと考えであり、私の感想でありますが、こういうふうなことについて、専門家である遠藤さんの御所見を伺いたい。
○遠藤公述人 私はアメリカの国防計画を研究したわけではございません。新聞その他に現われたことから判断した私の私見でございますが、アメリカといえどもやはり戦術戦略家がおるでございましようから、現在アメリカの地上軍がいかなる比重を持つて来たかということは、十分わかつておると思うのでございます。従つてアメリカの予算から見ましても、空軍の方に重点を置きつつあるということはわかりますし、また外地におる地上軍を、だんだん引揚げておる様子から見ましても、またソビエト陣営を包囲するごとく空軍基地を設けようとしておる状態から見ましても、そ、のニュールックなるものがほぼ想像できるのであります。やはり空軍力をもつてソビエト陣営の中心部をやつつける国防態勢にかわりつつあるものと存ずるのであります。その際に、日本になぜ三十数万の地上軍隊を要求するかという点になりますと、いろいろ考覆る存なのでございます。あまりこういう席上でうがつたことを言うと、さしさわりがあるように思いますが、アメリカとしては、日本に若干地上部隊は必要だと思つておると考えます。彼は日本における空軍基地は、当分というか長い将来にわたつても放さぬと思います。その空軍基地を擁護するためには、やはり地上の部隊は必要になつて来ると思います。 それからアイゼンハゥアーが大統領になつたとき明確に言いましたが、東洋のいくさは東洋人にというような意味言葉は忘れましたが、もう朝鮮で懲り合しているわけなんですね、白人の血を流すことは。しかし今度は仏印にあの通り――今度はと言いましたが、前からやつてるわけなんですが、ときに、らた、兵を出さなければならぬのじやないかというようなこともアメリカは考えているのじやなかろうか。その際に白人の血を流すことはいやだ、でき得るならば日本の地上軍は非常に勇敢だから、あそこにも注ぎ込もうということを考えているのじやなかろうか。また一面、アメリカの経濱面から見まして、軍需生産が頭打ちしつつある、古兵器をだれか使つてくれぬことには、アメリカそのものが困つて来るわけなのです。ですから日本に地上軍隊をつくらして、日本だけでなくそのほかにも地上軍隊をつくらして、古兵器を盛んにとつてくれ、MSA援助といつても、ただではありません。たいへんもうかるわけです。そういうことを考えますと、ありがたいと思つて、すぐだぼはぜのように食いついては誤りであると私は思つております。 それから御質問が非常に広汎でございましたが、ここで私ぜひもう一度繰返して申し上げたいことは、私は米ソが戦つた場合にはどうするかという考えを基礎に置きたくないのです。米ソがほんとうに熱戦をやつた日には、人類社会の破滅を来すおそれがありますから、全力を尽してあくまでこれを阻止するごとに努力するのだ、わき目もふらずにそれを未然に防ぐことに努力するのだ、それもできなかつた場合には、日本が軍隊を持つておつたところで何にもならぬ。むしろ害をなすから、軍隊の抵抗をやらずに、抵抗しようと思えば、悪い方に対しては、心の抵抗で行くのだ、そういう最後の背水の陣というか、最後の腹構えをそこに持つて、あとはわれわれの施策、われわれの努力をことごとく米ソ戦を未然に防ごうというところに持つて行きたい、二兎を追つておつたら、必ず悪い方に行くのじやないか。私どもあまり勉強もせずに試験場へ行つて、時間がなくなり、試験問題を見てもどうもわからぬ、どつちだかわからぬから、鉛筆を倒すと、たいてい悪い方へ倒れるようなもので、戦争はあるかもしれぬ、ないようにも思える。両てんびんで行きますと、戦争が起る方へ鉛筆が倒れそうなのです。だから日本はほんとうに全力を尽してわき目もふらずに、いくさをなくするためにはどうしたらいいかというところに全能力を集中すべきだと思つております。
○田中(稔)委員 これもやはり米ソ戦中が起つた場合を想定してでありますか、その場合において、日本の戦略的の価値の問題、もつともいよいよ戦争が進行して、両方から原子爆弾を投げ合うということならば、日本の戦略的価値は低下すると思うが、少くとも緒戦における日本の戦略的価値、この点について御所見を承りたいと思うのでありますが、私はこう考える。ソ連の方から見て、太平洋というものがありますから、まさかソ連が日本を陸軍の基地として利用したり、空軍の作戦の基地として利用するということはあり得ないと思う。かりに考えられることはソ連が潜水艦の基地として日本を利用することだと思う。よくそういうことがいわれる。芦田均氏あたりもそういうことをよく申しておる。しかし私はそれも大したことはなかろうと思う。潜水艦の基地は何も日本につくらぬでも、それより中国のああいう広い国土があれば、十分できると思います。一方アメリカから見れば、どうかというと、アメリカが日本を基地として、軍事的に利用するという段になりますと、当然空軍基地としてはたいへんなものです。ソ連に近接する点におきまして、太平洋の八千キロの距離を短縮する、しかもまた近代戦というか、現代戦において、空軍作戦というものは、決定的なものだと思う。だから日本の戦略的価値は、ソ連側にはあまり見るべきものはないが、アメリカの方には大いに見るべきものがあるのじやないか、こう考えるが、その点についての御所見を伺います。
○遠藤公述人 私は日本の戦略的価値は、どつちにとつても非常に重大だと思います。今田中さんがおつしやつたように、アメリカが日本を航空基地に利用することによりまして、東亜の空を征服し得るわけです。またソビエト陣営の中心部にも近くなるわけでありますから、ソビエトにも非常に痛いのです。消極的意味におきまして、日本の戦略的価値はソビエトにとつても重大だと言い得るわけです。また積極的意味におきまして、ソビエトの持つている潜水艦は、日本列島がアメリカ陣営に入つておりますれば、海峡を通過せぬ限り太平洋に出て来れないのであります。そういう意味におきまして、せつかく持つておるあの優秀な潜水艦も十分その威力を発揮し得えませんから、日本がソビエト陣営につけばソビエトにとつては非常に有利である。またアメリカ陣営につきますれば、ソビエトがそれだけ痛いのです。消極的意味におきまして、日本の戦略的価値というものは非常に大きい。アメリカがこれを利用することによりまして、さきにも言いましたように戦略的価値値はいわゆる地理的価値からいうただけでも非常に大きいわけです。そのほかに潜在的戦力、工業力や大勢の人間の力を加えたならば非常な大きな力をどちらかにやるわけなんです。それは私から言うまでもなく、ダレスさんが去年の春ですか、就任した第一回のテレビ放送で言うたということは、新聞か何かで読んだのですが、その当時まだスターリンは生きておつたわけです。スターリンいわく、もしも日本がソビエト陣営につくならば、ソビエト陣営は絶対不敗の態勢になる、こういうふうに言うているぞということをダレスさんの口から言うたのであります。スターリンがほんとうに言うたかどうかしりませんけれども、ダレスさんはスターリンはそう言つたと言うておるのです。これは言う言わぬにかかわらず、いやしくも戦略眼のある人はそれに同感だと思うわけであります。これは非常に日本の価値というものが大きいのでございまして、米ソ抗争の間に立つて、日本は米ソの戦う場合における山崎合戦の天王山に値いするものであると見ております。ですからどつちに使われてもいかぬ。米ソ戦があるものとすれば必ず使われる。従つて争奪戦になる。だから戦争はやらせちやいけないのだ。なまじつか軍隊を持つておつたつてそれはだめなんで、軍隊を持つておつたベルギーといえどもとにかく中立は守れないのです。いくさのあるものという前提のもとには、必ず必要なものはそこに入つて行くのですから、日本で軍隊を持つておつたところで、自力をもつてアメリカ軍に対しても勝てる、ソビエト軍に対しても勝てるというような軍隊を持てるならは軍隊を持つた中立は成り立つのですけれども、それはとうていでき得るはずはありませんから、なまじつか軍隊を持つてもだめだ、いくさがあるという前提のもとにはもうめちやくちやなんだ、だから戦争が、ないように全力を尽すのだ、それであつたならば先に言つた無抵抗の抵抗ということなんです。
○田中(稔)委員 戦争が起らないように努力するということはまつたく賛成で、われわれも努力しておるのですが、ただ戦争が起つた場合の仮定としての質問であるのであります。今遠藤さんのお話では、日本の純軍事的な戦略的な価値、これはアメリカの場合には積極的であるが、ソ連の場合には消極的である。つまりアメリカが日本の戦略的価値を利用することがソ連にとつて非常に不利であるから、それを防止するという意味において、やはりソ連も日本を占領する必要があるという考えを起すのではないかという意味であつたと思しますが、それに引続してむしろ日本の工業なり、あるいは日本の労働力というような潜在的な戦略的な価値が両国にとつて非常に重要性を持つておるということを御指摘になつた。これは平時においては日本の工業力は非常に大きな価値があると思いますが、原子力兵器を伴うような戦争がいよいよ起りました場合には、私は大して意味がないのではないかと思う。第一去年の日本の鉄鋼業の実績は七百万トン近くになつておるようですが、この製鉄工業を維持いたしますためには、御承知の通り数百万トンの鉄鉱石と数百万トンの粘結炭を海外から輸入しなければならない。ところがこれらのものは戦時中はなかなか輸送することができない。また日本は食糧も数百万トンどうしても買わなければならない。日本の繊維工業に必要な綿及び羊毛も、これは今数字は正確に記憶しておりませんが、たいへんな量を輸入しなければならない。大体日本の工業の主たる原料及び材料は、海外から輸入しなければ成り立たない。もしこれらがとだえますと切の紡績工業切の毛織物工業は、その日から操業停止をしなければならない。国民は餓死を免れない。鉄鋼業だつて七百万トンはがた落ちにならなければならない。こういう実情に日本の工業は置かれておるのですから、私は戦争になつた場合、これが両国にとつて非常に大きな戦略的な価値になるとは実は考えないのです。だからむしろ日本は純軍事的に戦略的価値があるかどうかを考えればいいのではないかと思う。なおアメリカは日本については一週間作戦を考えておる、あるいは六週間の基地として日本を保持することを考えておるというようなことをよく聞かされる。これはアメリカとしましても戦時になつて日本を基地として保持するということになりますと、数百万トンの食糧を太平洋のあの広い海を渡つて送るという義務が伴う。日本の工業原料及び材料を継続的に供給するという義務が生ずるので、そういう重い任務と、それからまた日本を最初は軍事基地として利用しましても、ソ連から必ず反撃があるわけでありまして、苛烈な戦争になる。その場合に苛烈な戦争状態において、日本を軍事的に利用する。いろいろ比較考量いたしまして、アメリカは緒戦の間は日本を利用するが、ソ連が先制攻撃を加えて来るということになると、いつまでもこれを保持する、つまり日本国民の生活あるいは日本の工業をあくまで自分の国同様に保護してやる、防衛してやるというような熱意はないのではないかと思うのであります。いい加減なところでアメリカは日本を放棄するという可能性が非常に大きいと考えられますが、この点はどのようにお考えになりますか。
○遠藤公述人 たいへんいい御意見を私教えていただきました。その通りだと思います。潜在戦力はぶちこわされない場合においてのみ期待できるのであつて、ぶちこわされたら何もならない。結局穀つぶしが多くなつて負担が重くなる。日本の八千七百万人の人口を食わすために、アメリカか日本を守るということになりますと、非常に負担になると思いますから、いくさがうまく行かない。とても日本の基地持ちこたえ得ないというようにアメリカが考えたならば、日本を放棄するということは当然戦略上考え得られることだと思います。しかしこれは実際はアメリカがソビエト陣営に負けたことを意味するのではないかと思います。日本を放棄したアメリカの戦略上の力というものは非常に薄くなる。一面ソビエトの陣営の戦力は非常に増す。先ほどのダレスさんの放送したというあの言葉通りになるのではないかと思つております。従つて潜在的戦力のことは、私の言つたのは取消します。
○田中(稔)委員 最後に一問。今、世界に中ソ両国が日本を侵略するという危険について、いろいろ言われております、仮想敵国は、現在日本としては中ソ両国である。これは常識です。遠藤さんは一体中ソ両国が日本を侵略しようとして常にうかがつておるというふうにほんとうにお考えになるかどうか。私はそうでないと思いますが、この点について御所見を伺います。 それともう一つは、朝鮮戦争でとにかくアメリカが近代兵器の粋を尽し、そして莫大な物量を投じまして、大体三十八度線でとうとう休戦になつた。これは私どもとしましては、どうも北鮮や中国の軍隊の装備というものは、アメリカ軍あるいは国連軍に比べてぐつと落ちておると思いますのに、あれだけの戦争をやりましたが、あれを軍事専門家として見て、一体どういうわけでああなつたのか、これはやはり聞いておいて今後参考になると思いますので、その点についての御所見と、二つお尋ねいたします。
○遠藤公述人 私はソ連がいわゆる間接侵略と申しますか、日本を武力を使わずに赤くしてやろうという考えを持つていることは否定し得ないと思つております。しかし武力をもつて侵略するかと申しますと、私はノーという返事であります。これは必ずしも私が第六感で言うわけではございませんので、ソビエトのことは私も相当研究したつもりでございます。彼らの今までやつて来たやり方、日本並びにソビエトの歴史、それから現在における武力戦の能力等から考えましてそう結論するのであります。 まずソビエトのやつて来た侵略の方法です。もちろん兵は動かしたことはあります。ポーランドにも入れました、満州にも兵力を入れましたけれども、その入れる時期を考えてみますと、赤軍を傷つけないで済む時期でなければ入れておりません。赤軍をもつてほんとうにバチバチ戦闘をやつ血を流すような場合には入れておらぬのであります。それはなぜかならば、私は必ずしもソビエトの政権はほんとうに安定しているとは思いません。あの政権を持つためには、どうしても赤軍が完全に手元になくちやならぬ。赤軍がくずれたならばソビエトの政権はくずれるものと思うのであります。またソビエトの政権を握つている連中もそう思つているのじやなかろうか。その証拠にはヤルタ協定、あれほど米英が、ことにアメリカが――当時ルーズベルト大統領ですかが、利をもつて招いたのです。賛成してくれとあれほど招いたにもかかわらず、なかなかぐずぐずして来なかつた。それは何も日ソ友好条約のためとは私は思いません。まだ関東軍が力があるのじやないかということを考慮して、そこに入つて行つて赤軍を傷つけることをおそれたからと思うのであります。従つて先生が入つて来た時期は、沖繩もなくなつてしまう、日本の敗戦はもう明確になつた、それでさえも入つて来ずに、広島に原爆を落され、二進も三進も動きがとれない、今出なければほんとうにバスに乗り遅れるというときになつてほんとうに入つたのであります。それから見ても彼らは決して一か八かの戦争、アメリカを相手に本格的の熱戦をやつてまで日本をとろうなんということは思わぬものと思うのであります。その証拠には朝鮮動乱、あれは入ろうと思えば幾らでも入り得る口実はあつたと思う。にもかかわらず私見たわけじゃないですけれども、今までお聞きしたり本で読んだりしたところから見ると、ソビエト軍は一兵も入つておりません。ただ武器や何かは出したかもしれませんが、とにかくそれほど遠慮しておる。それだのに、日本にソビエトが軍隊をもつて堂々とやつて来るということは、これはとりもなおさず米ソの熱戦を意味する、世界大戦を意味するのでありまして、そういう危険なことはソビエトはやるものとは思えぬのであります。実力から見ても、これは少し古い年鑑でありますから恐縮でありますが、何といつたつてソビエトはまだ原子力をもつて飛行機を飛ばし、原子力をもつて戦車、自動車を動かす程度にはなつておりません。どうしても油をもつて動かす以外には大作戦はできないのであります。その油はソビエトは一割くらいしか持つておらぬはずです。アメリカは四九%持つておるはずです。イランが三〇%持つておるはずでありますから、イランの石油がことごとくソビエト陣営に流れぬ限りにおいては、この石油の面から見ても本格的に熱戦は私できないものと見ております。これは決して私の判断だけじやありません。リーダーズ・ダイジェストの二月号をごらんになればわかりますが、アメリカの新聞記者のフイッシヤーという人が十四年間ソビエトにおつて、最近ヨーロッパをまわつてアメリカに帰つて本を書いております。それによりますと、私の言うことと同じことを言つております。ゾビエトは熱戦をやる意思もなければ能力もない、こう言うております。それからこの間国賓として日本にやつて来たサン・ローラン・カナダ首相、これも同様なことを言うておらます。第三次戦争の起る危険はない、こう言うておるようであります。それからオーストラリアの政治家の大家であつたマクマホン・ポール、あの人も同じように言うております。世界の具眼の士はみなそう言うておるのであります。ソビエトが武力をもつて直接日本を侵略するということはほんとうに考えられない。また日本の、歴史から見ましても、私寡分にして外国の軍隊が直接日本に侵略したというのは元寇以外には私は知らぬのであります。幕末時代あれほど日本は危険な状態にさらされ、日本には国防軍はございませんでした、各藩がそれぞれ独立の藩兵を持つておつたにすぎない。ところが諸外国はどうであつたかといえば、黒船を持つておる、軍隊を持つておる、そうして各方面において植民地の獲得に狂奔しておつた。日本にも北からはロシア、東からはアメリカ、南からは英仏が来ておつた。それにもかかわらずその当時国際条約において植民地を獲得することを別に禁じておらない、そういう時代においてさえ日本は侵略されなかつた。歴史家はもちろん各国の勢力均衡のためだと言うておつたのでございますけれども、私は必ずしも彼らの勢力均衡のために遠慮したとは思えぬのであります。分割すればいいわけであります。それをやらなかつたというのはやはりここに日本の武力にあらざる力、二千数百年の歴史、数千万の人口を持つて、自分からちよつかいもかけておらぬ、そのときでさえなかなか侵略できなかつた。いわんや今日国際連合もあり国際司法裁判所もある、国際条約はちやんとできておる、侵略ということはもう罪悪としての国力なるものは軍隊こそなくなつたけれども、とにかく人口も八千数百万になつておる、それが無人島や内乱をしよつちうやつておるような野蛮国ならいざ知らず、この歴史を持つておる日本が平和な国を営んでおつて、こちらからちよつかいをかけぬ限り、彼らもまた文明国をもつて自認しております、平和を口にしておるのであります。そうやすやすと白昼世界監視のもとに強盗にひとしい武力侵略するなんということはできるものとは私は思えぬのであります。そういうわけで武力侵略はないと思います。 次に朝鮮の動乱であります。私は朝鮮動乱を戦争とは見ておりません。あれは内乱の起つたところに中共軍が入つて来た。従つてこれは明確に侵略行為であるから国際連合において制裁的な警察行為をやつた、こう見ておりますから、厳格な意味の戦争とは思つておりません。しかしあれは連合国といいましてもアメリカ軍が主体でありますが一生懸命やつたけれども、勝ち切れぬ、三十八度線に収まつてしまつた、これは決してほんとうの意味の戦争でないからであります。いわば制限戦争であります。飛行機は十分にその能力を発揮しておりません。B二九はありましたけれども、B二九をどう使つたか、その本拠を撲滅するために使つたか、本格的戦争の起ることをおそれて非常に遠慮して鴨緑江を越えやせぬ、敵の本拠は鴨緑江の北にある、満州にあるにもかかわらず、満州に入り切れぬ、本格的戦争が起るといかぬぞということでびくびくもので、あのB二九というような戦略的爆撃機をまるで直攻機のように戦場に使つておる、鴨緑江のダムをやつたのは最後のどたん場に近くなつておつかなびつくりやつたわけであります、それがせいぜいであります、本格的の戦争をやつておらぬのであります。せつかく近代的の兵器を持つておりながら、地上部隊における近代兵器は使つたでしようが、最近における戦争の花形役者である飛行機なるものはほんとうに使つておらぬのであります。あれをもつて現在の戦争の形と思つたら誤りだと思います。しかしあれがないとは私は言いませんよ。あるいは全面戦争は恐れておるが、ああいうような制限的戦争と申しますか、紛争というものは、現に仏印でやつておるごとくあるものと思います。しかしあれは決して戦争の模範のケースじやない、こう存じております。
○稻村委員長 他に御質疑がなければ、午前の会議はこの程度にいたし、午後一時まで休憩いたします。 午後零時四十一分休憩 ――――◇――――― 午後一時五十三分開議
○稻村委員長 休憩前に引続きまして会議を開きます。 午後はまず斎藤忠君より公述願いますが言ごあいさつ申し上げます。御繁忙のところ、わざわざ本委員会のために公述に出席してくださいまして、まことにありがとうございます。 それでは斎藤忠君に公述をお願いいたします。斎藤忠君。
○斎藤公述人 斎藤でございます。私ども考えますのに、自衛という問題は国家民族存立の原理であり、防衛ということをまつたく必要としないような世界ができますれば、それは理想でございましよう。だが現在の段階ではまだその理想にははるかこ遠いのでございまして、侵略の可能性はなお至るところにあります。こういう侵略の可能性のある世界に処して、国家なり民族なりが、自分の生命を維持し、あるいは安全を保つて参りますには、これに対してみずから守るということは当然な話であります。自衛とか武装とか申しますと、よく国家主義者の一群の専売特許であるような議論をなさる方がございます。だが私はそれは大きな誤りであると思います。一九一六年の十二月に公布されましたソ連の憲法、いわゆるスターリン憲法と申しますが、この編纂は約一年を要しまして、慎重の上にも慎重を期して起草したものでございます。六月に草案を発表しましてからあとも、約半年ぐらい、五箇月の間はこれを一般の討議に付して、十分に民間の意見を尽さしめて、初めてこれの効果を発生さした、ロシヤでほとんど政府、民間のあらゆる論議を尽した憲法でございます。だがその百三十二条には全国民的に、国民皆兵の義務を、これは法律の定める義務であると規定しております。労農赤軍における軍事勤労、軍事勤務はソ連邦人民の名誉ある義務であると、はつきり憲法に明言しております。さらに百三十三条に至つては、祖国の防衛――祖国といつています。祖国の防衛はソ連邦各人民の神聖な義務である。祖国に対する反逆あるいは宣誓違反、敵国への内応、国家兵力の毀損、間諜行為、これらは最も重大な罪悪として、法律の峻厳をもつてこれを罰するということを申しておるのであります。共産主義の国家においてすらも、祖国の防衛ということは人民が負うべき神聖な義務でもり、憲法が明文においておごそかに規定しておる神聖なる義務であります。人類の共栄、世界の平和ということも、民族の自立があり国家の平和があつて初めてこれを望み得べきものであります。民族の自立なく国家の安全がなくて、世界の平和ということはあり得ないと私は信じます。平和というものは、われわれが営々の努力を重ねてこれを地上に創造すべきものであつて、かりそめにも他人のあわれみにすがり、あるいは他人の慈悲にたよつて、喪家の犬のように投げ与えられるのを待つべきものでない、そう信じます。 最近にはまた原子爆弾あるいは水素爆弾の破壊力が非常に大きいので、あまりに大きい威力に眩惑されましたあまり、もはや今日の兵備は全部不要である、原爆の大威力の前においては軍艦も大砲も戦車も航空機も、これはおもちやだというような御主張もあるようであります。私が平素最も親しくおつきあいを願つております、最も敬愛する友人先輩の間にも、この主張を支持され、あるいは主張される方がたくさんあります。ではございますが、いかに小さいものであるにせよ、自衛の機構を保持するか保持せぬかという問題は、国家百年の運命に関する大問題であります。私どものような民間の論客、野人の論客が何を考えているかということも、一応はお聞取り願いたいと思うのであります。 兵器の恐ろしい進歩は、これは確かに戦争の形式、形態をまつたくかえました。これはおつしやる通りであります。従つて防衛の方式というものも、また防衛の観念というものも、根底からかわらなければならない、これも仰せの通りであります。私ども始終この点を主張しておるのでございまして、それは確かに真理でございますが、なお問題が一つある。それは原子兵器の出現というものは、はたして他の一切の兵備を不要にしたか、無価値にしたか、おもちやにしたかという点は、なお慎重に御考慮願いたいと思うのでございます。原子爆弾というものは、本来それ自身運動の能力を持つているものじやないのであります。翼を持つて、自身空をかけ海を走つて敵国の頭上に至つて炸裂するというような性質のものではない。これを敵の頭上に運ぶものは航空機であり、潜水艦であり、航空母艦であります。あるいはまた誘導弾の中にこれを仕込んで敵国に向つて、発射する。その運搬の手段があるかないか、あるいは運搬の手段がまさつておるか劣つておるかということが原子戦争の勝敗を決定するのであります。攻撃する側から申します。ならば、いかにして原子兵器を敵国の頭上に運搬するか、防禦する側から申しますれば、いかにしてこの運んで来る原子爆弾を途中で食いとめ、撃ち落すか、これが原子兵器の勝敗を決定する最大な要因であります。このようにして原子兵器が出現しましてから当然航空機あるいは艦艇の性質が非常な飛躍を遂げまして、このようにして空では戦略空軍、海上では恐るべき機動部隊、これが今日の花形になつております。防禦の側では電子管兵器と申しますか、誘導弾を含みまして、自分自身の中に精密な電子の頭脳を持つて、敵を自身で求めて、敵に向つて殺到する電子管兵器、あるいは防空戦闘機の驚くベき発達を見るようになつた。このようにして艦船であるとか、飛行機であるとか、ロケット砲とか誘導弾とかいうものは、こういう原子戦争の時代に入つたからこそ恐ろしい飛躍を遂げ、以前のものとは全然比べものにならない重大な値価を持つようになつたこれは将来においてはなおさらであります。現在合衆国海軍の機動部隊の中核となろうとしておりますものは、五万九千トンの大型航空母艦であります。すなわちジェームズ・フオレスタルで、本年には竣工するはずであります。第二艦のサラトガも一両年中にはでき上ります。第三艦はおそらく原子力の機関を持つた原子力航空母艦になるのではないかと思います。そううなりますと時速も五十ノット内外で、およそ想像を絶した行動能力と破壊力とを持つものになるのであります。戦艦もその通りでありまして、今日の戦艦はもはや大砲の戦艦ではないのであります。誘導弾の発射装置を持つた戦艦が現われて来るであろう、あるいは現われております。たとえばソビエト連邦が最近製作しました三万五千トン級の戦艦が二そうあります。それはトリエーテイーインテルナチオナール、ソ、ヴイェツキーソユースで、どちらも誘導弾を主要な武器にしております。アメリカの方でも同じくノートンサウンドと申します水上母艦を誘導、弾軍艦に改装して試験しております。一九四〇年の計画で六そうの戦艦を建造するようになつて、いましたが、そのうち四そうできて二そうでき上つていない、二そうはなお七分通りでき上つて船台の上にさらされております。第六艦ケンタツキーは、おそらく最初の誘導弾戦艦となつて現われるのじやないかと考えられる。飛行機もその通りであります。今日の飛行機はもう人を乗せない。速力もこれまでのように一時間何百キロというようなはかり方ではもう時代遅れと申せましよう。音速の何倍――マツハ二、マツハ三、音速を基準にしてはかるような時代になつております。第二次大戦の一九四四、五年ごろの時代は、ロンドンはドイツの恐ろしいロケット砲撃にさらされておつた。その基地はオランダであります。この間の海上の距離が約二百マイル、この二百マイルを隔てて凄烈なるロケツト攻撃を受けた。今日はすでに大西洋を横断する無人飛行機があります。御承知の通り、B六一マタドーと申します人の乗らないレーダーのビームによつて操縦される恐ろしい無人機も一箇中隊はすでに一九五〇年から現実に存在しております。防禦の方でも同じことであります。誘導弾の発達はおそらく想像を絶するものがあるように思います。これに最も熱心なのは英国でございます。オーストラリアの中部にウーメラという広漠たる砂漠がありますか、この砂漠に国家の費用をもつて巨大な兵器研究所を建てております。そこでもつばら力を入れて研究しておりますのは、誘導弾あるいは誘導魚雷で、最近のものは時速三千二百キロ、音速の約三倍の速度であります。到達する有効距離も一万五千メートル強で、世界の最高峰といわれるエヴエレストの二倍近い高度より敵の飛行機を追い詰め、どこへ逃げても必ず自分の頭脳、自分の感覚でもつて追いかけて行く。命中率は今日約二分の一とされております、つまり二発撃てば一発は当るという精度を持つておるようであります。アメリカにも、これに対抗するものとして例のナイク、スパロウ、マイテイーマウス、いろいろなものがあります。また防空戦闘機が進歩しており、レーダーで先導する高射砲が進歩しております。われわれが第二次大戦中に知つておりました高射砲の威力は、今日はもはや博物館的の存在でありまして、口径も七五センチくらいの小さいものであります。到達する距離も、五、六千メートルくらいでしかない。たまも人間が込めていた。今日のものは威力においても性能においてもこれとはまつたく比較にならないものがあります。朝鮮の戦争で、一九五〇年六月二十五日から一九五二年一月の半ばまで一二年近い間に米軍の射落された飛行機は、ジエツト機が百七十、プロペラ機が二百四十五、その中で共産軍の高射砲で撃墜されたものが、ジエツト機では百七十の中で百三十三、プロペラ機の中では二百四十五の中で二百三十というように、ほとんど地上砲火でもつて射落されておるのであります。これはすべて原子戦争の時代に入つたからこそこういう大飛躍をしたのであります。原子兵器の破壊力が惨烈をきわめたからこそ、これを避難し、阻止し、破壊するあらゆる兵器の重要さは、もはやきのうとは比較にならない。原子戦の恐怖から日本の生存を守る道、再びわれわれの子孫の上に原爆の惨禍を受けしめないただ一つの方法は、これ以外にはないのであります。そのためには、われわれは民族の叡智を尽くし、あらゆる方法を尽して、これを食いとめる方法が今日研究せられなければならぬと存じます。まして日本列島の場合には、原子攻撃といえども必ず海洋を通過し、空中を通過して加えられるのであります。従つて今日の戦争の勝敗を決定するものは、依然として制海権、あるいは制空権の問題であります。原子戦争の時代に入つたからこそなお一層制海権、制空権は重要になる。戦争の形態はかわりました。だが戦争を支配する大原則は今日といえども少しもかわつておらない、依然として不動であります。 第二の問題は、原爆戦争というものはどういうふうにして戦われるか、原爆戦争の戦われる形、これを考えなければなりません。原爆、水爆の威力というものは言語に絶するものがあります。だがこの大威力を行使する戦争は必ず全力を敵の唯一の、致命の目標に集中しなければならぬ。ほかのところへさいている力はないのであります。最初の一撃で勝敗を決定しなければならぬ。最初の一撃がもし失敗するならば、今度は自分が原子弾を食う番であります。いわゆるリタリエーシヨンと申します。報復であります。報復戦の恐怖は、ただ一個の原爆といえども目標以外のところに使うことを許さない。これが原子戦争の普通の形であります。 その上に原爆というもの数の上にも非常な制限があります。第一に、ウラニウムの原鉱を入手することが非常に困難にある事情。第二に、これを製作するには想像を絶する大電力がいるということ。第三に、相当の時間がかかる、長時間をかけなければこれは製造できない。こういう意味で、数はきわめて少いのであります。しかももつと悪いことは、一旦この製作の設備を敵によつて破壊されるならば、もはや原爆はつくり得ない。ところがこの原子爆弾工場くらい所在の場所を探りやすく、爆撃しやすいものはないのであります。先ほど申しましたように、恐ろしい大電力がいる、原子工場のある所は、必ず大発電所の近くであります。従つて大河の流域であります。たとえば今日ソ連の原爆製造工場のあります場所、イリ河のほとり、カマ河の近所あるいはアンカラ河のそば、すべてこれ大河の沿岸であり、大発電所のある所であります。これは非常に爆撃を食いやすいのであります。 もう一つの問題がある。これを運ぶ高速の、巨大な爆撃機が非常に少い。特に水素爆弾のような巨大なものになりますと、これを運ぶ飛行機というものはそうあるものではないのであります。この数少い飛行機を、そういたずらに致命の目標以外の地域にさくことができるかどうかということであります。その上に、この飛行機は敵国に侵入する途中で必ず撃墜されます。侵入の途中でもつて、落される率、これは普通に考えましても約三割、いわんや誘導弾の趣撃を受けました場合には、七割以上は落されるものと思わなければならない。かりに二百機の飛行機が二百個の爆弾を抱いて敵国に侵入した場合、百四十機は撃墜されて、わずかに六十機が国境を惨透できる、そういう公算しかないのであります。まして今日の戦争の方法は、敵の手足は撃たない。手足はほつといてまず頭脳に一撃を加える、あるいは心臓にとどめを刺す、これが当然の戦争の方法であります。こういうときに、日本列島に対してこの貴重な原子爆弾をたやすく行使し得るかどうかということには、私は大きな疑問を持つのであります。 ソ連には、最近ゴロヴアロフと申します大将を指揮官としまして戦略爆撃隊ができました。ADDと申します。戦略爆撃機の分野は、ソ連が今日まで最も不得意としたところでありまして、これは非常に劣つておつたのであります。ところが最近初めて巨大な戦略爆撃機がどんどん登場しおります。たとえばトウポレフのつくつた二〇〇型あるいはイリユーシンの三八型、これらははつきりはわかりませんが、今日すでに四百機くらいになつておるのではないかと推定されます。それが一体どこに展開しておるかということをごらん願いたいのであります。大体コラ半島からチユコツト半島へかけて北極海に向かつておる。北に向つておる。太平洋の真北であります。向うところは北極であります。これはカムチャツカからまつしぐらにアラスカを通過して米州をつかまえる、あるいは北極圏を翔破してただちにアラスカに至る構え。現に昨年の秋九月にも、ソ連の国防相代理ジユーコフ元帥がこの一帯の地域を視察しております。こういうふうに第二次の大戦では、戦争の伸びて行く形が横に長く伸びまして、たとえばハワイに行き、ミツドゥエーに行き、フィリピンに行き、沖繩に行く。あるいはフランスに行き、スペインに行きました。だが、可能なこの次の戦いは、横には伸びずして南北に伸びるのではないか。北極を中心に北に、あるいは南に伸びるのではないかと思う。まして日本列島を制握するには、そんなにも貴重な原爆を使う必要があるだろうか。日本列島の地形ぱ英国とほとんど同じ地形であります。海上に孤立した孤島であります。これを制握しますには、原爆を使わなくても、今日の日本ならば、わずか数十隻の潜水艦があれば、これを屈服に追い込むことはたやすかろうと思います。前大戦の終りに日本に対して原爆を投じたじやないかと言われるかもしれません。しかしあのときは八千万の国民の結束はなお鉄のようであつた。滅びかけてはおつたが、なお巨大な海上の武力があつた。陸上の大兵力があつた。一万機に近い航空部隊も温存されておつた。アメリカが特に神風攻撃に対してどんなに苦しんだかは、今日いろいろな文献を見れば見るほど明らかになるところであります。だが、今日は全然事情を異にしておる。潜水艦だけでけつこう。あるいはソ連が最も得意とする機雷の最も巧妙な使用によつても、日本列島を分断することはたやすいことであります。 イギリスは、これまで両度の大戦に幾たびか存亡の渕へ追い詰められました。ドイツの潜水艦隊に追われた。それと同じように、通商破壊戦こそは日本にとつて最大の恐怖であります。今日日本にとつておそらくこれ以上の現実の恐怖はあるまいと思う。ところがソ連の海軍、空軍の構成を見ますと、通商破壊戦に全力を集中しておるように私は見受けます。ドイツが戦争中に建造して戦争に十分に使用し得なかつた二一型の潜水艦、シュノーケル型といつておりますが、これの設計をとつて来て接収し、ドイツ人の技師を連れて来てどんどん製作しておるようであります。あるいは巡洋艦もその通りであります。これまでソ連の持つておりました軍艦は、内海にこびりついた軍艦であります。黒海の艦隊もそうであります。あるいはバルト海の艦隊にしても内海の艦隊で、航続力が非常に短かい、足が短かいのであります。ところが昨年の夏六月、イギリス女王の戴冠式の観艦式に列席いたしました新しい巡洋艦スヴエルドロフの、これら旧式の巡洋艦の性能とまつたく違つておるところは、ただ一つおそるべき航続力、おそるべき足であります。これはもはやソ連が湖水の艦隊に甘んじていない証拠であります。目ざすところは太平洋、インド洋の通商を破壊するにあるとわれわれは考えておる。しかも今日ソビエト連邦は航空母艦を持つておる。クラスナヤズナーヤ、この建造が伝えられております。あるいはドイツが持つておりましたグラーフツエペリン、これも通商破壊戦用の航空母艦であります。これを接収して、改装して持つておるのではないかと推定しております。もし日本列島がこの潜水艦の封鎖を受けますならば、あるいは機雷の封鎖を受けますならば、国民の食糧はどういたしますか。もう国民は飢餓に瀕するほかはない。工業の原料は来ない。工業は崩壊するでしよう。これに乗ずる内乱が起り得ましよう。こうなつた場合、ほとんど収拾する方法はないのです。空爆もその通りであります。これも可能であります。原子爆弾によらない空爆、たとえばイリユーシン二八型、これは双発のジエツト軽爆機でありますが、最近どんどんつくつております。中共空軍にすら与えておる。こういうふうに日本が今日最も必要としますものは、潜水艦に対する戦闘部隊、通商保護の艦隊、国土を防衛する防衛空軍であります。あるいは誘導弾の要塞であります。ないしは国土の上に張りめぐらすレーダー網、日本列島というのはほんとうの一条の線であります。国土の上だけでは足りない、海上にも防空レーダー船を出して守らなければならない。これが日本の安全のためには最大の現実にいる武装であります。あるいは原子爆弾から見ますならば、とるに足らないおもちやに相違ない。おもちやには相違ないが、これは日本民族の安全と平和を託するには必要不可欠のおもちやであります。しかも場合によつては当分の間は十分なおもちやであります。これでもつて足ります。日本列島は先ほどから申し上げますように、地形的には非常に特殊な国土であります。周囲を全部海洋が囲縛しておる。海であります。あらゆる攻撃は必ず海洋を通過して来るということは、ドイツの場合とはまるで違うのであります。もう一つは全列島が最近にはほとんど要塞化して来ておるという点、第三には自由諸国との間の相互安全保障があるという点、ソ連、中共に数百万の大軍があるとしても、必ずしもこれに対応して自分の一身の安全を守るためには同じような数百万の大軍を必要としない。ソ連に原爆があり、アメリカに原爆があつても、必ずしも原爆を必要としない。これが日本の特殊な条件であろうと私は思います。その上にさらにソ連あるいはアメリカ、自分たちの周囲にあります強国を見ましても、たとえばソ連の例をとつてみましても、上陸戦に必要とするような船の数は足りません。大上陸戦を敢行するに足るだけの船舶は持つておりません。その上に上陸用の舟艇、小型の船の用意も非常に欠乏しております。それからソ連の陸軍、海軍は上陸戦の経験がほとんどないのであります。第二次大戦にクリミア半島の近くでわずかにまねごとをしたにすぎない、アンフイビアスウオーと申しますか、海陸協同の作戦の経験がない。ましてスラヴ民族ば非海洋民族であります。海上においてはあまり能力を発揮し得ないのであります。空挺作戦も同じであります。空輸機が足りない。空挺作戦をしますには必ず補給をせぬければならない。落しても補給が続かなければ、これは何らの威力も発揮できないのであります。この補給は海上を通過しなければできない。さらに制空権の問題がある。それから敵国の内部において内応する部隊がいる。ドイツの落下傘部隊あるいは空挺作戦の成功は、敵国の内部にこれに内応する部隊があつたからであります。たとえばオランダではアントン・ムツセルトが指揮するオランダナチ、これの内応があつて初めてあれだけの疾風迅雷の作戦ができ、しかも成功した。日本の全列島が今基地化しておるということも大きな条件でありまして、今日基地の価値は非常に大きいのであります。昔の戦艦の一戦隊、航空母艦の一戦隊にも当るかと思います。これはもう迅速に日本全土を通じて航空部隊を移動することは可能になる、あるいはもし空輸機さえあるならば、日本全土に陸上部隊を自由に動かすこともむずかしくない、その上に相互安全保障体制なり戦略空軍機動部隊と結んでこれと協同して作戦するという形になる場合に、何もわれわれ自身の手に急いでそのような大破壊力を持つ必要はないのであります。こういうふうに、おもちやの兵備といえども、日本列島の防衛には、こういう条件を考えますならば、千鈞の重みを加えるのでありまして、十分にしてかつ必要であると言つた理由はここであります。 だがこのようないろいろな条件も、日本に相当の数の兵備があつて、相当の装備を持つていて初めてこれは意義をなすものでありまして、裸でおるならば、今日の日本に対してはおそらく一隻の潜水艦でも恐るべき威力を発揮するのじやないかと思います。一握の空挺部隊でも十分でございます。海洋というものも、これに武力を配してこそ初めて海上の天然の要塞にもなろう、武力の守りのない海洋は侵略のための短路であります。進撃のための好道であります。これほどたやすい進撃はない、ましてもう一つ原爆軍備競争がしきりに行われ、これはあらゆる大戦の危険を内包するけれども、先ほど申しましたように、報復戦がこわい、破壊力があまりにすさまじい、この恐怖が今日世間で言うような大戦をなかなか起させない原因だろうと思います。大戦は起きないだろう、だが局所的な局地戦争、あるいは制限戦争は起き得るのであります。現に仏印に起きております。朝鮮に起きております。あるいはユーゴに起きないとも限らない。これに対処する心構えがなくては、とうてい民族の生存ということは保障できません。今日機銃をもつて武装した暴徒、手榴弾をもつて武装した暴徒は現実に起き得る可能性であります。これに比べまして警棒一本持つた警察というものはおもちやではないか、すべからく警察を廃止せよとおつしやいます。戸締りもいらぬ、屋外燈もいらぬことだ、警戒ベルもいらない、すべてこれは破壊してしまえ、そうしてあき巣、こそどろ、かつぱらい、ゆすり、強盗、これらの横行をお許しになりますか。これは私は不合理であると思う。また姑息の小さな軍備、そんなものなら持たぬでもいいじやないか、こういう御議論があります。だが、どのように強大な防衛の力であつても、それは決して一朝一夕に成るものではありません。ことに武備というものはなおさらそういうものである。どんなに天文学的な数字の予算を与えて、さあ今軍備をつくれといつても、決してできるものじやありません。大砲を積み、軍艦を山と積み、飛行機を与えて、さあ軍備をやれといつてもできるものじやありません。長い年月の歴史をかけ、基礎の上に基礎を、軍ね、石の上に石を積んで何らかの精神のバツクボーンを通して初めて軍備はできるものである。もし今日そういうことを言つて、小さい軍備ならいらぬというような態度をとつておりますならば、われわれは未来永劫自主自衛の独立国家となる可能性はもうなかろう、何年国際社会のやつかいものとなり終るか、あるいは永久に他の強国の奴隷となつてその頤使に甘んずるか。 第三には、原子兵器というものは一体に言われるように、ほんとうに絶対兵器かという問題であります。これはもう最後の兵器であつて、これに対抗はできないかという問題があります。これについては、もうイギリス、アメリカではげしい論議が尽されております。英国の著名な原子学者ブラケットは、あらゆる論拠をあげて原子兵器が絶対兵器ではないと言つておる。私どももこれは当然の議論であると思います。一体兵器の歴史というものをよく読んでこらんになりますとつの新兵器が現われました場合には、必ず、時間の差はあれ、これに対抗する対抗兵器が現われるのであります。これは兵器の歴史の原則であります。新兵器というものが、最初現われましたときには、あまりにも恐ろしい破壊力がある、これはたいがいの人がこれこそ絶対兵器ではないかという錯覚を持つものであります。だがいつの日か必ずこれに対する対抗兵器が現われて来てこれを屈服する。刀ややりを持つて戦いました時代には、火薬は絶対の兵器のように思われた。あるいは第一次大戦の場合でも西部戦線に初めてタンクが現われました。このときにはドイツ軍は色を失つて敗走しました。潜水艦が現われたときもそうである、飛行機がそうである、毒ガスがそうである。すべてそのときには絶対兵器のごとく思われたものでありますが、やがて対抗兵器によつて屈服されるのが兵器史の上の鉄則であります。今日もその通りであります。私どもが考えますのに、先ほど申しました電子管兵器、誘導弾などはその芽ばえでなかろうかと思う。まして民族の防衛ということは、これは民族の知能の限りを傾けて、努力の限りを傾けてあらゆる危険に対して自分の身を守る努力をすることである、くふうをすることである。原子爆弾に対しても同じであります。タスク一切を断念して、両手を上げてしまつたり、裸になつてあぐらをかくのは防衛の本義ではないのです。なるほど原子兵器の偉力は前代未聞であります。前代未聞あるがゆえにこそわれわれは民族の全知能を集中し、全努力を集中いたしまして、この脅威から生き抜き、生き延びる方法を考えなければならぬ。私は防衛というものの本質はそこにあるのだ、こう信じます。こういうふうにしよせん自衛ということは平和の基礎であり、平和のためのただ一つの有効な方法であります。日本の上に再び原爆の惨禍あらしめないということは、われわれことごとく望むところでありますが、どうやつて原爆の惨禍を浴びずに済むか、かの恐怖に対して百万べんの哀訴を繰返して原爆の惨禍からのがれることができるか、武器を捨ててあぐらをかいておれば原爆の惨禍からのがれられるか、これをのがれる方法はただ一つ、でき得る限り完全な自衛の措置を急速に施すほかにはあるまいと私は信じます。もし戦争の悲惨を説いて、戦争が悲惨であるからといつて防衛の措置を否定するというならば、これは死の恐怖を説いて、死は恐ろしいから医者もいらぬだろう、医薬もいらぬだろうというにひとしい議論であります。はなはだこれはこつけいであります。 私ども今日ここでちようだいしました時間は約一時間しかございません。理由をあげておる時間はありませんが、今日の世界を見まして判断しますとき、第一にこの両勢力のはげしい争いの間に立つて中立を維持するということは、これは白昼夢であります、不可能であります。 第二には、累積して行く世界大戦の条件は増しつつあるとも減つてはいないということてあります。第一次大戦、第二次大戦は世界の歴史上最大の大戦でありました。これはなぜ起きたかと申しますと、結局一言で申しますならば近代資本主義の行き詰まりであります。レーニンが申しますように、世界の領土的の分配、資源の分配が一応終つてしまつて、もう食い込むすきがない、後進国はもはや自分自身の力をもつて先進国がわけとつた、かつてに先にとつてしまつた領分の中に食い込む以外に生きる方法はない、窒息するか、発展するか、この状態が第一次大戦を起し、引続いて第二次大戦を起したわけであります。この第一の原因は、資源の分配の不公平、領土分配の不公平、近代資本主義の発展の結果であります。 このようにして大戦はニへんにわたつて戦われ、しかもただいま申し上げました大戦の原因であるところの条件は、大戦のおかげでもつてなくなつたかと申しますと、反対であります、なおある。今日世界のほとんど大部分の領土、資源は、アングロサクソンの壟断ずるところであります。敗戦国は植民地を取上げられ、発展すべき市場を失い、資源、領土の不均衡、今日のごとくはなはだしい時期はないのであります。しかも資本主義発展の結果、技術的発展の結果は、アメリカ一国の生産力をもつてほとんど全世界の需要をまかない得るというような状態になつている。その上にさらにこれに加える不幸は、世界は画然と氷炭相いれない異質の世界に分裂して、しまつたのであります。その上にもう一つ不幸がある。第二次大戦の結果、至るところに国際的な真空ができた。この真空のところにイギリスもアメリカも相争つて突入する、ソ連も入つて来る、これがわれわれが現に見ております冷戦の原因であります。 こういう幾十もの不幸をさらに決定的にしたものは、われわれが現覧ております原爆軍備競争であります。恐ろしい原爆の競争が始まつております。原子爆弾というものがアメリカ一国の手にある間は、これによつて世界の戦争を絶滅することができるかもしれぬ、こうわれわれは希望を持つおりました。ところが一九四九年以来はソ連が原爆を持つております、水素爆弾を持つております。しかもお互いに相手が原爆を持つておるという恐怖感に襲われ、危険感に襲われて、両方が一生懸命に原爆をつくり出した。一体国際政治史の上で、軍備競争が起きますときは、必ず大戦に導くものであります。これまた国際政治史の鉄則であります。今日もし人間の叡知がこの原爆競争を食いとめることができなかつたばらば、完全な国際管理ができなければ、これは当然世界大戦に突入するのは火を見るよりも明らかである。それならばこの原子力の国際管理はできるかと申しますと、私は非常に困難だと思う。米ソお互いに持つております原子兵器に非常な差がある場合は、これはできるかもしれぬ。一方が他方を屈伏させることができるかもしれぬ。今日ソ連の持つております原爆の数は約百五十であります。アメリカは千五百くらいであろうと思う。だが原爆に関する限りはこの開きは決して一対十を意味しないのであります。われわれ戦略関係、兵術関係の原則に二乗方式というものがございます。二つの力が相対立しておる。この兵力の比が兵力の二方が有利になる。この開きは兵力の二乗になる、ずつと差ができるのであります。ところがこの二乗方式というものは原爆に関する限りは当てはまらぬのであります。原爆攻撃というものは最初の第一回に相手のほとんど全部を覆滅するものであります。従つてソ連側から申しますならば、アメリカの致命的な目標の幾つかを選んでこれを一挙に爆砕する数があつたならばそれでいい。それ以上あればあるほどよろしいが、なければならぬことはない。その最小限度の数が大体二百と計算されるのが一般の常識のようでありますが、この二百の原子爆弾をソ連が持つのは今年か来年であります。つまり本年か来年を境として、ソ連とアメリカとの間には原子兵器に関する限り開きはないという状態になる。しかもお互いに生死存亡をかけて争うという状態になつておるときに、たやすくこれが禁止できるかどうか、その上万一人間の叡知が、政治家の叡知が、少数の賢明な人々の努力が原爆競争を禁止できたとしても、先ほど申しました世界大戦の原因は除かれておるかと申しますと、除かれていない、かえつて増大しております。こうなれば、人間の知恵というものは必ず禁止されました原爆にかわつてもつと恐ろしい兵器、もつと有効な兵器を考案するに違いない。現にこれを考案しておるものもあります。これは神経ガスであります。この大戦の最後にドイツが使おうとして使わなかつた。百五ミリ砲弾の中にこのガスを込めておびただしく積上げて持つておつた。これは神経の刺激が筋肉に与える効果、あるいはいろいろなからだの機関に与える効果をコントロールする抗素がありますが、この抗素を破壊してしまつて神経系統を混乱させ、麻痺させ狂わせる猛毒であります。これはごくわずかの分量を皮膚に受けましても、食物と一緒に食べてしまいましても、もう全身の筋肉と全身の機関が猛烈な痙攣を起してやがて悶死する。まずまつ先にひとみが開いて、次に収斂して小さくなつて物が見えなくなる。その次は呼吸器が押えられて呼吸ができなくなる、全身からおびただしい粘液を出す、口には一ぱい唾液がたまる、全身から汗が出る、それから次は腸に移る、横隔膜が痙攣して、最後にはおびただしい粘液のために肺臓の機能が破壊されて悶死するという恐しいガスであります。これを七トン空中から落しますと、五十里四方生きたものは跡を絶つといういわゆる猛毒であります。こういうものができ得るのであります。またたといこれを全部法律的に禁止することができたにしても、それがはたして戦争の場合に行われるかどうか、私どもは行われていない無数の例を知つております。たとえば潜水艦であります。潜水艦の無警告撃沈というのは人類のためにも非常な非道であります。警告もせず知らぬ間に魚雷を食わせて海底に沈めてしまう、これは明らかにロンドン条約のときに、ロンドン条約潜水艦規程というのをつくつて禁止しております。禁止したのだが、第二次大戦でもこの禁止条項にかかわらず無警告撃沈をした。この無制限潜水艦戦はドイツも行つた、米国もアメリカ合衆国は前々大戦の場合のドイツの潜水艦を攻撃した張本人でありますが、その米国の海軍はわが国の真珠湾攻撃の日に無制限潜水艦戦を命令しております。こういうふうにあらゆる条件は戦争に向つて指さしておるように思われる。その上に基地の奪取戦であります。今日の戦争は基地の取合いでございます。これを見ておりますと、これは北極を中心にして書いた地図をごらんになつて上から見おろしますとよくわかるのであります。ソ連を中心に四方から基地の網でもつて封鎖をする形になつておるのであります。こういうのを周辺戦争といいますが、まわりを、ぐるぐるまわりながら破壊して行く、これはある意味では、見方によるならば、第三次大戦は始まつておると言えないこともない。とにかく一九四七年以来世界は有史以来の最大の危機にあるのであります。こういう危機に立つて列国の愛情に依存し、列国の信義にたよつてまるはだかになつてあぐらをかいていられるだろうか。私はこういうときに日本にとつて最も必要なものは、民族みずからの力をもつて自分を守る措置である、こう信ずるのであります。その意味でこの法案に対しましては私は賛成、むしろおそかつたと思うのであります。 ただ少し希望を申し述べることを許していただきますならば、この法案によりますと、陸上、海上、航空の自衛墜おのおの別であります。幕僚監部も別であります。これはもう一応御検討願いたいという希望を持つております。今日アメリカ合衆国の国軍の間に三軍の相剋と対立があるということは、もう合衆国の積弊であります。これには歴代の大統集がほとほと手を焼いております。予算のぶんどりをやる、材料のとりつこをやる、今合衆国の戦略態勢がかわつて、戦略態勢のニユールックというようなことを申しますのも、この三軍の相剋と対立を少しゆるめるということを意味するものであります。私はもちろん日本の今日できます自衛隊につきましては、日本自体の自衛隊でありまして、日本独自の構想になるものと信じます。決して合衆国のまねをしておるとは思いません。しかし前者の例がある。万一にも合衆国軍の機能、制度を模してこの致命の病弊までも受継ぐようなことがあつてはこれは一大事であります。できるならば一個の自衛隊に統一して、一つの幕僚監部にしていただきたい。日本列島の防衛などということは、これは空海陸にわけ得ることではないのであります。海上における一本の線であります。細長い弧線であります。これは、海上の防衛ということはつまり空中の防衛であります。空中の防衛ということは陸上の防衛であります。一つ一つにわけられるものではありません。その上にただ助けられ合う、協力するというのではなしにつの生命の通つた軍隊にしていただきたい。 もう一つは、経費の点であります。国防費の総額が限定される、これだけの国防費がある、この中でもつて三軍が自分の予算を分取りするということは、その結果は恐ろしいものになるであろう、その意味で、この法案は兵站の重複を避けております。技術建設本部、調達実施本部というものを一つにして、陸海空みな一本にしておるのは、私はたいへんに賢明な措置であると思います。願わくは、さらに技術の一本化、教育の一本化をお考え願つたならばたいへんありがたいと思います。 第二は、国防会議であります。国防会議は、この法案によりますと、総理大臣の諮問機関になつております。私どもひそかに希望しますのは、この国防会議が最も重大なものでありたい。今日の国防は総力国防であります。単なる自衛隊の武力機構というようなものは、この総力的防衛機構の一つの点にすぎないつの頂点にすぎない。もつと大きな意味で日本の国の全能力をあげての防衛を考えるというのならば、国防会議をもう少し重大なものにしていただきたい。これは総理大臣自身がこの国防会議の議長として、これには防衛関係の各省の大臣、衆参両院の国防委員長、副委員長あるいは幕僚長、これを委員としまして、国軍の編制に関すること、武装に関するごと、国軍の秩序を保つ制度に関すること、徴集の制度に関すること、あるいは国防国策の根幹、これを議して、議決をして国会の承認を得るという精度にして、これに重点を置かれたならばもつとよろしかろうと考えるのでございます。 もう一つ統帥の問題があります。これは私いろいろ考えておることもございますが、憲法と連関して参ります今日の段階ではまだ申し上ぐべき段階でもありますまいし、また私自身もまだ十分考えがまとまつておりません。もう少し考える余裕もほしいと思いますが、とにかく統帥の形態は、これは非常に重大な問題になるのではないかと思います。こういうふうに防衛ということは、先ほど申しましたように、国の総力を、組織を集中する行為であります。自衛隊あるいは保安庁、防衛庁といつたようなものもこのほんの一点にすぎな一、あるいは一つの頂点にすぎないりありますから、自衛隊は国民の自衛意識と離れては存在し得るものではないということ、国の総力をあげての防衛態勢と別個に動いては何ら効力を持ち得ないものであるということを十分お考えいただいて、さらに進んでもう少し大きな防衛構想にお移り願いたいと思うのであります。 なおもう少し時間が残つておるようでありますから、一、二簡単に申し上げます。軍備反対の論拠として、今日若い人たちの間に、われわれ青年は戦場に血を流すのである。いざ戦争になつた場合に、お前たち老人は戦場に出ぬではないか、囲内にあつて暖衣飽食するではないかというお説もあるようであります。これは今日の戦争の形を御存じないか、あるいはしいて御存じないふりをなさるかの議論であろうと思います。今日の戦線には前線もありませんし、銃後もない。むしろ最もさんたんたる害をこうむるものは圏内にいる老幼であり、婦女子であります。原爆の攻撃を食うのも国内の婦女子であります。封鎖による飢餓に直面するのも国内の老幼男女であります。砲弾の雨を浴びるのも、内乱にあつて家を失うのも、兵火によつて財産を焼かれるのも、ことごとくこれは国内において暖衣飽食するはずの老幼男女であります。ことに先ほど申しましたように、今日の戦争のやり方は手足を撃つのではない、敵の頭脳を撃ち、心臓をとめるのが今日の戦争の法則であります。こういう意味でこの議論は私ははなはだ幼稚な議論であると思います。あるいは経済力の立場からも御反対がある。国防は金がかかるとおつしやる。だが国防というものは国の富を消耗するものでは実はないのであります。国家民族の繁栄と安全の基礎をつくるものであります。生産力を養うことこそは国防の本義であります。生産力が伸張して初めて国防は全きを得るのであります。また国防計画の整然たる樹立があつて、国防計画が整然と行われて、初めて国の生産が伸びるのであります。あるいは平和産業を破壊するという議論がありますが、平和産業とは一体何であるか。日常のわれわれの消耗品をつくることが平和産業であるか。私はそうは考えません。国の財政を維持する輸出産業こそは平和産業であります。ところがその輸出産業は、各国の例に見ましても、ほとんどその根幹を養つておるものは国防計画、国防産業であります。ドイツの科学工業はこれは言うまでもない。英国の今日最大の平和産業は航空機工業であります。御承知のように日本にコメット機などを出しております航空工業であります。これはもちろん軍需産業として起つたものであります。わが国の例をごらんになりましても、日本で一番大きな平和産業は鉄鋼業であります。輸出の第一位にある。あるいは第二位に、綿布工業の下になりましても、資源、原料費の関係から考えてみましても、依然として第一位であります。この根底をつくりましたものももちろんこれは国防計画であります。まして今日の国防計画の中心は精密機械工業であります。あるいは重化学工業であります。精密機械工業と申しますものは、大量生産ができないものであります。アメリカあるいはその他。先進資本主義諸国の大量生産競争を避けて、しかも世界の市場を制覇し得る唯一の工業の種類は精密機械工業であります。今ごの精密機械工業を一国の根幹にしなければ、おそらく日本のあすの繁栄ということは期しにくいのではないかと思います。というのは綿布工業であるとか、そのほかの軽工業はすでにアジアの諸国からはげしい競争をしかけられております。しかも中共の例に見ましても、労働力は無際限、しかも整然たる計画経済によつて強行されておる。これは恐るべき経済力、生産力であります。これと対抗するということは、今日おそらくむずかしかろう。ただ日本がこの世界の工業競争の中に立つて独自の面目を発揮し得る分野は、今申しました精密機械工業あるいは重化学工業のほかにはあるまい。それを開発し得るただ一つの方法は、これを国防計画と綿密に結んで国家の計画によつてこれを助ける以外に方法はあるまいと思います。資源の不足というよう大ごともしきりに言われます。だが資源というものは、これは開発する努力をしなければならないのであります。しかも資源の性質は刻一刻かわるのであります。数十年前の世界では石炭は最大の資源であつた。イギリスは全島石炭であつたがゆえに勃興した。さらに下つては石油は最大な資源である。ロシア、アメリカは国内の地底を掘ればどこからでも石油が出る。これが世界に覇を唱える。今日以後の最大の資源はおそらく電力でありましよう。日本はこの電力の可能性を無尽蔵に持つているではないか、何も川の水力電気のみを言う必要もない。海の底もその根元であろう、火山もその根元であろう。あるいは鉄、今日はもはや鉄の時代ではありません。軽金属の時代であります。あるいは日本に無尽蔵にある例をあげましても、チタンであるとか、あるいはマグネシウムであるとか、こういうものは海からとれるのであります。あるいは日本で長い間鉄鋼業のじやまになつてもてあましていたものであります。これが新しく最大の質源として生れて来ようとしております。こういうときこそ民族の知能の限りを尽してこの新しい資源を開発し、新しい分野を開いて、ここに新しい他国のまねのできない地位を確保するのが日本の生きる唯一の方法ではあるまいかと私どもはひそかに考えるのであります。そういう意味で経済力の不足、あるいは非常に費用がかかるというようなことを言われる方があります。特にそれがはなはだしいのは、軍備費を計算する場合にアメリカ流の計算方法をよくやつております。たとえばジエツト飛行機をつくると、おそろしく金がかかる、こう言つてその数字をおあげになりますが、これはアメリカの会社であげた数字をそのまま換算するからであります。米国の会社は御存じのように軍需工場をつくります、ときには、非常な施設費がいります。この施設費は国家が負担するのではありません。民間の会社が莫大な施設費をことごとく出して施設をつくつて、製品を政府に納める。これが二年なり三年なりたちまして、他の式が登場して来ると、この設備が全部無用になる。従つて政府に納入します飛行機なりには、当然おびただしい自己調弁の施設費を全部繰込んで計算するのであります。一利盃もこの山にませ計算する。その結果は恐るべき厖大な数字になつて現われますが、これはアメリカの特殊な工業形態、あるいは兵器発注の方式によつてそうなるのであります。それをそのまま日本に移して、そのおそろしい数字に驚嘆することは当らぬことであると思うのであります。ちようど時間になりましたから、私の公述を終ります。(拍手)
○稻村委員長 以上をもつて斎藤公述人の公述は終了いたしました。これより質疑に入りますが、公述人にあつては御発言の都度委員長の許可を求めてから御発言くださるようお願いします。御質疑はありませんか――平井君。
○平井委員 ただいまの斎藤さんのお話を聞きまして、私ども初めて新しい話を伺つたように思うのでありまして、午前中に来られました遠藤元中将はどはごく古い話で、斎藤さんのお話は非常に関心を深くしたものであります。そこで自衛力が国家存亡の原則であるということもはつきりわかつたのでありますが、ただわれわれが法案審議する上においてこれが憲法違反であるかないか、これが非常に議論になつているわけでありますが、今日の新憲法にこれが抵触するかどうか、どうお考えになるか、お尋ねいたします。
○斎藤公述人 非常にむずかしい問題でございます、私は忌憚なく申し上げますが、今日の憲法には抵触すると思います。ただ一言これには註釈がいります。今日の憲法の戦力拒否の規定――戦力否定の規定戦力と訳しております点にすでに私は疑問を持つておる。英語の場合はウオーポテンシャル、戦力とは意義が違います。ウオーポテンシャルと申しますのは、戦争遂行の力の要素になり得る可能性があるあらゆるものを包含する。これを英文によりますと日本国憲法は否定しておるのであります、と申しますことは、たとえば商船隊、これは今日だれが考えましても予備海軍です。戦争遂行能力、むしろ日本語の意味における戦力、あるいは工業、これもその通りであります。ひいては国民結合の権利もウオーポテンシャル、教育もウオーポテンシャル、言論もウオーポテンシャル、交通の機関通信の機関、ことごとくこれウオーポテンシャルであります。もしほんとうに憲法に忠誠ならんと欲するならば、われわれは商船隊を持つてはなりません。鉄道、通信の設備を持つてはならぬ。教育をしてもならぬだろうこれは不可能を今日の憲法は規定しておるものと信ずるのであります。憲法制定の事情から考えましても明らかな通り、憲法制定当時の意図は、例のポツダム宣言の精神を根底としているものであります。日本抹殺にあつた。そういう意味で明らかに憲法違反でありますけれども、しかし生きるためには憲法に違反せざるを得ない。もしこれをしも憲法違反だと言うならば、もう一ぺん商船隊を捨て、漁船隊も捨て、生産の方式も捨て裸になりましよう、こう申すよりほかはない。
○平井委員 しからば占領下でつくられた新憲法は、やはり日本の憲法としていずれかえなければならぬ、こういうお考えでございますか、その点ちよつとお尋ねいたします。
○斎藤公述人 これは私個人の私見でございますが、かえるほかはいたし方ございますまい。生き得ない憲法、一言で極端な言辞で言いますれば、日本民族の存在を抹殺しようという意図を制定の当時には内に持つていた憲法、これが制定されました以上いたし方がございません。だから何とかしてかえなければならぬと信じます。
○稻村委員長 他にありませんか。田中君。
○田中(稔)委員 最近の兵器の発達等についての非常に専門的な御意見は、私ども非常に興味深く承つたのでありま旧すが、日本の自衛隊がおもちやの軍隊であつてそれで安心できるというようなお話があつた。それは単にソ連を仮想敵国として考えた場合に、これは日本に対しては貴重な原子爆弾あるいは水素爆弾というふうなものは投下しないだろう、こういうふうな理由によつてそういうお話があつたと思うのでありますが、斎藤公述人のお話にちよつと矛盾した点があると私は思います。それはその後にお述べになつた言葉の中に、戦争が今度起つたならば前線銃後の区別はない、銃後にあつても原子爆弾の被害は受けるであろう、だから年とつた者がもう前線へ出なくていいから安心して、そうして再軍備を盛んに主張するというようなことは考えられないというお話だつたのですが、そうすると前後矛盾したお話だと思うのです。原子爆弾だつて水素爆弾だつて、やはり戦争が起つた場合日本に落ちて来ないとも言えぬと私は思う。なるほどソ連の現在における原子爆弾の保有個数はお話のように百十何発程度かもしれない。しかしこれは半年年とたつならば二百発、三百発になる可能性は十分ある。現在貴重でありましても一年先、二年先ではそれほど貴重でなくなり、日本にだつて落してもいいかもしれない。さらにまた原子爆弾、水素爆弾というものでなくても、小型の原子爆弾というものもあるそうであります。また各種の原子力兵器がある。そういうわけでありますから、大小さまざまの原子兵器の攻撃が日本に対してあり得るのじやないか。またお話のように特殊なガスによつてたいへんな大衆的な殺戮が行われるということであれば、とにかく戦争があれば何かこの新しい種類の兵器の攻撃を受ける。今考えられておる自衛隊程度のいわゆるおもちやの軍隊ではとても国を守れるものではない。その点につきましてもう一度御見解をお聞きしたいと思います。
○斎藤公述人 仰せの通りでございます。日本に対して原爆攻撃をやらないという意味ではないのでございまして、ただその第一次の可能性は非常に少なかろう、またもし相手を最初の攻撃でもつて完全に破壊し終りまして、余裕を生じた場合には、それは他に向けることは当然あり得ることでありましよう。あるいはまた誘導弾のうちに仕込んで、シベリアの基地から発射するということもあり得るのであります。そのほかに、そこまでの必要はなかろうという問題で、それを投ぜずとも封鎖によつて屈服せしめ得よう、焼夷攻撃によつて焼き払い得よう、毒ガスによつてもう簡単に攻撃でき得よう、こういう攻撃があり得ればこそ、まず今後の防衛の基礎を今日において発足しなければ間に合うまいと主張するのであります。また現にこれは私はよ、存じませんから専門の方にお聞き願わなければなりませんが、日本の自衛隊でもおそらく誘導弾の研究はなさるものと思います。あるいは講義をなさるものだと思います。そういう原子弾攻撃に対してこれを趣撃し、阻止し得る今の有効な方法は誘導弾である、電子管兵器である。もちろん自衛隊が発足されることは、何も旧式な名前の兵隊をお並べになるだけのお考えではございますまい。必ずそれを基礎にして電子管兵器なり何なり、国家の力を新兵器、新防備の方向にお進めになることは私は疑いないと思います。そういう意味で賛成を申し上げたのであります。
○田中(稔)委員 斎藤公述人は北極に立つてずつと地球を見る、するとソ連の周辺にずつとすでに作戦が展開されておるような状態である、第三次世界大戦はすでに始まつておると言つてもいいというお話があつた。私はその通りだと思う。その場合にその周辺作戦をソ連に対して行つておるのはだれであるか。これははつきり言えばアメリカでありますが、このアメリカが中心になりまして今日自由諸国の陣営をつくつておるわけであります。斎藤公述人はさつき国際的な対立についてお述べになりまして、帝国主義相互間の対立とか、帝国主義と植民地間との対立であるとかいろいろなお話があつた、その中にアングロサクソンの世界的制覇という言葉もあつたようであります。これは最近ちよつと耳にしない言葉で、よく戦時中使われた言葉でありますが、このアメリカを中心とする自由諸国の陣営というものは、少し乱暴な言葉でありますけれどもアングロ・サクソンの世界制覇、アングロ・サクソンの世界的な陣営というものと、大体同義語だと考えてもいいものだと思うのであります。斎藤公述人は日本がこのアングロサクソンの世界陣営の中に入つて、その力によつて日本の国土を守つてもらう、そしてそれに対する周辺作戦の一翼をになう、そういう形で今行われようとするこのMSA再軍備、これに対しまして御賛成のようでありますが、御意見をひとつ承りたい。
○斎藤公述人 アメリカがソ連の周辺に周辺作戦を展開し出しましたのは、第二次大戦の後ソ連が沿バルト三国を征服しまして、あるいは中央に猛烈な勢いで進出しまして、あるいはアジア大陸を制し、アジアという巨大な大陸界がほとんどソ連の勢力のもとに入つてしまつた。こういう新しい事態に対して驚愕しまして、それに対処する手段として、これを押え込む方法をとつた。いわゆる巻返しと申しますが、言葉が示しますように巻き返す、アクテイヴな立場をとつたものがソ連の側であつたと断ぜざるを得ないと私は考えるのでございますが、どうでございましよう。 それから今のMSA協定の問題、これは兵器の進歩が非常な勢いで進みました結果、今、われわれの方で申しますと、縦深を持つていない国家は、自己防衛をすることはできなくなつた。第二次大戦前の日本は非常な縦深を持つておりました。満州の大興安嶺は日本の外側の城壁であつた。あるいは海拉爾草原、海の方では西太平洋全部包含して、マーシャル群島、この内南洋列島の線までが日本の平時的な国土であつた。たいへんな縦深を持つておつた。しかるに今の日本は、日本海に浮かぶほんの一条の細い線で、縦深は絶無です。こういう国土は今日の兵器の威力をもつてすれば、たとえば機動部隊あるいは爆撃機でもつて一瞬に浸透できる。防衛ということは非常に困難だ。そこで今日の兵術の原則は、広地域防衛と申しまして、広い地域にわたつてお互いに縦深を保ち合い、多くの民族国家が互いに力を合せて一つになつて相互の防衛をするというのが、今日あり得る唯一の防衛方式であります。日本は米国との間に講和が成立し、これに引続いて相互援助協定によつて、ここに互いに一つの太平洋空間という広い空間を、相互の力を合せて守ろうというのでありまして、今日の兵器の進歩では、これはいかんともしがたく、これなしに完全に自分の国は自国民で守れるんだ、どこにもお世話にならぬというような議論をもしするといたしますならば、今日の国際社会ではおそらく一日も生存はむずかしかろうと考えております。これは今日の国際社会に生きるために、ただ一つ残された、やむを得ない方法でございます。
○稻村委員長 粟山博君。
○粟山委員 一点お伺いしたい。ただいまのお話の中に、国防会議の議長は総理大臣がよいということをおつしやいましたが、その点私どもよく了承いたします。なお統帥権の問題について、結論を得てないというような御意見でありました。私はせつかくあなたの御高説によつて、大体の概念はつかみ得たように思いますが、最も大切な統帥やや画龍点睛を添い得ないようなうらみを持つのであります。今までのお考えの御構想でも承れれば、私は審議の上にたいへん参考になると存じますが、いかがでございましようか。
○斎藤公述人 これは先ほど申し上げましたように、憲法に重大な関係がありますので、憲法とともにその対策を論じなければならぬと思いますが、こく荒つぽい構想を申しますと、平素の場合は別でございますが、戦時に入つて、すでに国軍が戦闘行動を開始しました場合、それを最高の段階において指揮督励する統帥の機関、これがやはりあるべきではなかろうか。しかもそれは先ほど申しました国軍一本の最高指揮に任ずる司令官は、内閣総理大臣の推挙によつて任命するということはできないものであろうか。特に希望するならば、これを普通の統治の機関の外に置く、たとえば最高裁判所の長官のような特殊の地位を持たせることは不可能であろうか、そういう点をいろいろ希望もし、考えてもおります、その点をお許し願えればたいへん仕合せに存じます。
○粟山委員 もう一点伺つておきたい。先ほどの委員に対するお答えの間に、かつては西太平洋を守るというだけの大きな線を持つておつた。それが日本の国防上においても強みであつた。そのお言葉によつて思い起すことは、日本はロンドン条約によつて海軍兵力量を関係列国間において規制した。いわゆる対米英五五三であります。そこで太平洋においては西太平洋を守れば足る、東太平洋には一歩も足を入れぬという方針を堅持しておつた。これは私は悲しむべきさきの大東亜戦争のその直前まで、海軍では守られておつたと思います。この点においては海軍は国際信義に対して非常に忠実な態度もいろいろと困難な状況にありながらも、上下予後備役を通じて一致しておつた。この態度はまことに今でもこれを思うだに私は敬意を払わざるを得ないのであります。そこで今あなたのお話を承りますと、強い国における兵備、兵器、新兵器というものは恐るべき発達をして、これを聞くだに、この財政の困難な、資源の不足しておる――実はこの国会においてもいろいろの数多き問題のうち、困難な点はまつたく国民の生活の問題であります。二千幾カロリーの栄養を保つことも容易でないような国情にあつて、実は自衛隊の今盛られておるところの予算を審議するについても、心中悩みがないではないのであります。しかしこれは私どもの見地といたしましては、これを必要としてこの審議に当つておる。けれどもない財政をしぼつてつくつたものは、あなたがお話になるようにおもちゃのような兵備であり、設備である。日に日に見えざるところで進歩発達しておる強国の兵器から見ると、私は寒心にたえません。もしそれ他国の進歩発達に比例してわが国もこれに追随せんとするならば、これは容易ならざる問題であります。 そこで私思うに、この程度の自衛隊を設置することを決意するにあたつては、よるところがなくちやならぬ。もちろんこれはわが国のいろいろの条件から考えまして国においてみずからの安全を保障することは不可能であります。それゆえにサンフランシスコ条約があり、MS協定も提案になつておるのでありますが、国連に加入せざる間においては、日本自体が守るべき範囲というものをしかるべき国々との間に定めこれを忠実に守つて、わが国の国力において守り得る限度における義務を果し、しこうして権利を主張する、つまり限られたりといえども、国際信義の上において世界の信用を博する公明正大な態度をもつて自主的分限を守ることが必要であろうとわれわれは思つております。それにつきましては、兵器の恐るべき発達の中にあつて、日本はいかなる範囲において自衛隊の内容と外郭とを整備すればよいかということに関して、われわれはまだ現在のいわゆる衛星国と友好的な話合いができないのであるから、少くともわれわれが話し合いができる国々との間において太い、はつきりした線を引くべきものではないかと思いますが、御所見を伺いたいと思います。
○斎藤公述人 まことにおつしやる通りで、非常に重大な御意見と存じます。私が今日もう一つ言い漏らしましたことは、実はその点でございます。その点をこそ、政治家の叡知を集めて御決定していただきたいのであります。 よく申しますセキュリテイー、つまり自分の国のどこまでを侵されたならば安全でないか、どこまでが自分の国にとつて安全か、どこまでが自衛の限界であるかということは、今のお説の自衛の限界と微妙に関連して来るのでございまして、たとえば英国のごときは、明らかにベルギーの侵されたるときをもつて自分の国の安全を侵されたときと見なすというはつきりした態度を中外に宣明しておるのであります。私は武士の直接攻撃ということを定めるにつきましては、どの地点に武力の直接攻撃を加えられた場合が直接攻撃なのであるか、これも大きな議論にならなければなるまいと思います。それを今申しましたセキュリテイーの原則と関連して考えますと、日本は自分のセキュリティーの限界をどこに置くか。この問題はどうか議会で、政治家の叡知を尽して御検討願いたい。それには非常に高い叡知がいりますがそれこそ百千の国際紛争はそこから起きて来るのでありますから、どうかこの態度をはつきりしていただきたい。自衛の問題を決定するにあたつては、まずそれが重大な一つの要件になると思います もう一つは日本の分担すべき役割、それも重大なことてございます。言うまでもなく日本は、たとえばMSA協定におきましても決して他の大国に隷従しておるのではありません。屈服しておるのじやないのであります。対等の立場において、相互に相補つておるのであります。たとえば日本列島を防禦する場合、この日本列島は日本の領土であると同時に、自由世界の最大の防衛線であり、最大の要塞であります。これを日本自身がどこの力をも借りずに防衛する、防禦するということは重大な寄与になります。同時にまた日本を中心にする西太平洋、あるいはその近辺の海上交通の安全を保持する、これは日本ができるはずであります。先ほど申しました、日本の生命を保つための最大の仕事であつて、同時に自由諸国家の利益にこれ以上合致する仕事はない。こういうふうに互いに分担を決定して自分たちの寄与を明らかにするということも、もちろん外交上重大なここなければならぬ。何をしておるかわからぬようなことでは、重大な寄与をしておりながら、たいへんな役目を果しながら、日本国自身が自分の寄与に心づかなくては困るから、そういう点もどうか十分な御論議をお尽し願いたいと希望いたします。
○稻村委員長 大久保武雄君。
○大久保委員 斎藤さんに一点だけお尋ねいたします。先ほどから日本の置かれておる戦略的な地理的条件等について、非常に詳細な御意見の御開陳をいただきましたが、特に日本の陸海空の三幕僚、あるいは三部隊の編成は、もしもこれを一部隊にして行つたらどうか、こういう御意見も承つた。そこで同じ一部隊であつても、やはり部隊というものは職能がわかれておりますから、いずれの点に重点を置くか。イギリスにいたしましても、アメリカにいたしましてもーアメリカは大陸国であり、海洋国でありますから別でありますが、イギリスは日本と同じように海洋国であつて、海上に重点を置いておる、ソ連は大陸国でありますから、空軍に。日本のような海洋国におきましては、大体イギリスのように行くべきではないか。日本の国の財政から申しましても、どれにも同じような力を入れるというわけには参りませんから、日本の防衛に最も必要な点に力点を置いてしかるべきではないかと思いますが、この点をいかにお考えになりますか。また陸上部隊は非常な機動力を持つた精鋭部隊として行くことが必要ではないかと思いますが、この点についての重点をどこに置くか。これらの点についてのお考えを承りたい。
○斎藤公述人 非常に重大な御意見であります。まことにその通りであると思います。日本列島を防衛するというのが、今度できます自衛隊の重大な目標であろうと思います。その場合に先ほど申しましたように、日本列島の特殊条件は海上に孤立した孤島であり、列島であることであります。これに加えられる攻撃は、必ず海洋の空間を通過するということは、だれが見ても疑いない。そうすればやはり最も重大な防禦の重点がおのずから空中と海上に置かれるのはやむを得ないことではないだろうかと存ずるのでございます。特に先ほどから申しましたように、日本の最大の苦痛とするところは海上封鎖でありましよう。あるいは通商船を失うことであります。これに対する対策は一刻を争う重大問題であります。その意味で海上の部隊、あるいは空中の防衛部隊、これにおのずから重心が傾きますことはやむを得ぬ仕儀ではないかと私はひそかに考えております。それから陸上部隊、これはなくていいという乱暴なことは決して申しません。陸上部隊がなければ、それこそ先ほど申しましたように一握の空挺部隊でも威力を発揮し得るのであります。これは重大な要素でありますが、ただ経済力の関係、あるいは人力の関係――重大な人口の部分をそこにとつてしまうようなこともおそれられます。そこで当然少数の精鋭ということでやむを得ないのではないか。ことに日本列島の場合は横に長いのであります。特にこれは四個の島であります。津軽海峡だけを分断されましても、たとえば北海道におります部隊は本州の危機を救い得ない、また本州の部隊は北海道の危機を救い得ないというような状態になるのは当然であります。この津軽海峡の分断はたやすいことであります。本州と北海道の間を三ノットで西から東に流れておる潮流がある。この潮流に乗つて機雷を流すということはたやすいことじやないかと思います。こういう地形にある日本列島を守るのには、もちろん敏速な行動が何よりの条件であります。鉄道に依存するなどということを考えておりましても、今日の潜水艦は水中に沈んだままで強力なる口ヶツト砲、誘導弾を発射することができるのでありますから、おそらく日本列島の全島、山中の発電所も、いわんや陸上に暴露しておる鉄道路線のごときは、口ヶツト攻撃によらずとも、艦砲の射撃でも十分に破壊し得ると思う。そういうものに依存しておつたならば、何百万の隊員を擁するとも効果なきにひとしいのであります。何よりの先決条件は、現在日本がすでに所有しております無数の基地を利用して、いかに迅速にこの部隊を列島の前面に展開できるか、これに集中せぬければならぬと思います。その意味でも、陸上部隊の問題で第一に考えなければならぬことは、空中の輸送力、これが実に重大な問題になつて来るかと考えます。ただいまの御所説に満腔の賛意を表する次第であります。
○稻村委員長 下川君。
○下川委員 二点ほど簡単にお伺いしておきます。 はなはだ常識的のことでありますが、防衛の限界について御説明願いたいのであります。ということは、これは非常に論議の中心にもなつておりますけれども、たとえば敵が攻撃して来るのを迎え撃つという場合、あるいはまたその防衛の場合、かつて日本には攻撃は最大の防備だという言葉すらあるくらいで、そういう場合敵の攻撃して来る情勢を察知して、敵の拠点を空襲するとか、あるいはまた攻撃をこちらから加えるというような場合も、考え方によるとこれは防衛にもなり得る。そういう点に対する御見解はどのようですか、それをお伺いいたします。 もう一点は、今日問題になつておる自衛隊の問題、これは陸、海、空、この三つが主点として自衛隊がつくられつつある。この場合、国会におきましては、警察ではない、あるいは軍隊ではない、これは自衛隊だというような、まことにふかしぎな論議が展開されておりますが、このつくられようとする自衛隊が、そういうもうろうとした、いわゆる軍隊ではない、警察ではないというはなはだ不鮮明な立場で言われておりますが、これを軍隊、あるいは簑、あるいはその他いろいろな観点からこれを批判するときに、先生はどのような見解をお持ちですか。それをひとつ先生の口からお聞きしたいと思います。
○斎藤公述人 防衛の限界というお話でありますが、これは御存じでございましようが、国際連合憲章の第五十一条に明瞭な規定がございます。これをひとつ御参照いただきたい。それからまた今日の場合、これはやはりあの国連憲章第五十一条の規定と、加えられる攻撃の性質と照応して、おのずから常識で、判断し得べきものじやないかと思います。たとえばこの攻撃の限界は、たとえば原子兵器による攻撃の場合もありましよう。あるいは封鎖の場合もありましよう。あるいは今度は全然形をかえた誘導弾による攻撃もありましよう。空爆もありましよう。その全部を一律にひつくるめて、ここからは防衛であつて、ここからは防衛を越えるということを、文法の法則のように断定することは非常に、むずかしいことであります。やはり大体の大綱は、国連憲章第五十一条のような、あるいはあれに費された論議の過程を御参照になれば、あの程度以外にはきめ得ないのじやないかと思う。そしてその後のことは、おのおのの攻撃に際して、政治家の良識がこれを断定する、そのためにこそ国防会議もあり、あるいは防衛出動の場合に国会の承認を経るという措置をとつているのもそこにある。国民代表の良識をもつてその限界を論議せられるのがあなた方の御任務であります。私はそう存じます。 それから自衛隊が軍隊であるか。これは実は先ほど来こまごま申し上げました。性質としましては、もとよりこれはみずから守るところの一つの機構でありますから、軍というものをそういう意味におとりになればそれは軍隊であります。但しそれが憲法に違反するかということになりますれば、その意味では現行憲法に違反します。但しそれは現行憲法というものが、明確な国民の意思を代表し、国家が完全な自由の状態にあつて定められたものであるかどうか、この点から先決しなければならぬ問題である。占領下にあつて、十万の軍隊の監視下で、統治の権力によつて、とにかく他に押えられておつた。しかも国民の中にははなはだしく多数の不自由の人種があり、最後に占領軍の承認を経で、しかも草案は占領軍によつてつくられた憲法、その意図も内容も、先ほど申しましたように、はなはだもうろうたるものであります。このもうろうたる憲法のもとで、もうろうたる軍隊がつくられたのでありますから、これは後世の史家が見ましたら、まことにどうもこつけいなことであるかもしれません。
○稻村委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ、斎藤さん、どうもありがとうございました。 次に神崎清君より公述を願います。
○神崎公述人 防衛二法案と、それに関しまする国務大臣の提案理由、政府委員の方々の説明文書を拝見いたしましたが、この大眼目は、要するに、現在の国際及び国内の諸情勢にかんがみ、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、この際さらに自衛力を増強することを適当と認めるに至つた、この点だろうと思います。特に一番大切なことは、この法案が説明しているように、新しく生れて来る防衛庁、自衛隊が、はたして日本の安全と平和を守ることに実際的に貢献し得るかどうかという点だろうと思います。私は法律家でも、また軍事専門家でもございませんが、納税者である国民の人として、また子供を持つ親の立場からいささか所見を申し上げたいと思います。 この二法案に関する国会の質疑応答を新聞で拝見いたしておりますと、理論的に海外派兵をする場合もあり得る、敵基地を防衛のために攻撃する場合もあり得るとか、また自衛権と交戦権は別個のものだというような答弁が出て参りまして、何となく私どもは不安な印象を受けております、この調子で行けばまた戦争が再発し、防衛と侵略とその理由のいかんを問わず、実際において日本が再び戦場化する危険が起りはしないか、そういう心配でございます。米軍の基地があり、また海上警備隊1この法律では海上自衛隊というふうにかわるようでありますが、その基地のある横須賀におきましてときどき防空演習がある。また間違つて空襲警報などのごときものが発せられる場合もあるようでありますが、米軍の基地の内部にはりつぱな原爆の投下に耐え得るといわれている防空壕が完備しております。それからキリスト教のミツシヨンスクールの生徒のためには、これは僧侶であるそうでありますが、防空壕が与えられておる。しかし一般の横須賀の市民、横須賀の学校へ行つている子供のためには何の施設もない。そういう状態において海外派兵、敵基地攻撃というような理論が出て参りますことは、私どもの国民感情と申しますか、非常に刺激をいたすのでございます。特に最近はビキニの灰が降つて参りまして、日本中大騒ぎをいたしております。またソ連の灰も降つているのだということで、今日本の国民は天の下にも隠れ家もなしというような不安な状態に置かれているわけであります。この戦争不安、原爆不安というものは、戦争の発生する原因を除去し、原爆兵器の使用を禁止するのでなければ、この法律をどういじつてみたところで、また自衛隊を現在の十二万から十八万にふやす、さらにアメリカの注文している三十二万五千でありますか、その線までふやしてみたところで、この不安は解消いたさないのであります、建軍の由来といえば大げさになりますが、警察予備隊の発足以来の足跡をたどつてみましても、占領の落し子、混血児という感じがいたして、おりましたが、安全保障条約、それから行政協定、MSA協定などを通してひしく私どもが感じますことは、アメリカの軍事支配、アメリカの軍事権力というものが日本の国に深く食い込んでいる。その条件のもとに、はたしてこの自衛隊が独立国の軍隊としての自由な活動ができるかどうか、疑いなきを得ないのであります。 まず第一に、この軍隊自衛隊は朝鮮戦争の勃発に伴つてアメリカ側の要請によつて生れたもので、留守部隊の形で生れて来ているということ、第二に、主要な武器はアメリカから貸与されているということ、第三に、アメリカの将校がこの武器を管理している、自由にならないという一点であります。それから現在の保安隊の号令などを聞いておりましても、通信バツクと品か、ターン急げというように、大分英語が入つて来ている。言葉だけで申しますと、どうも混血児のような感じがいたすのであります。午前六時になりますと、保安隊においては起床ラツパが鳴り響きます。そのラッパの音は「起きろ起きろ起きろはとぽつぽ、アメ公起きる前に起きないとしかられるう」というふうに聞えるの、だそうでありますが、この保安隊の諸君は何となく米軍将校の威圧を受けているようであります。それに対して反発もあるようでありますが、とにかく首の根つごを押えられているという感じであります。MSA協定によつて今度参りまする軍事顧問団、これは共同作戦の場合必然的に保安隊が米軍の指揮下に入る、そういう運命を約束しているように思団は、カントリーチームという名前で呼ばれている。カントリーチームというのは、芝居で申せばどさまわりの劇団ということでありまして、アメリカの兵隊は保安隊を見てカントリー・アーミー、と言つているようであります。つまりこれは植民地の土民軍だという観察のようであります。もう一つ言いかえれば、旧日本軍における高砂部隊のようなもんじやないかと思われるのであります。 その次に来るものは何か。PATOであります。これはNATOに対して太平洋安全機構と申しますか、日本、フィリピン、韓国、台湾、その他アジア人の兵隊を集めてアメリカがお山の大将になつて号令をかける、このPATOがすでに議事日程に上されて来ております。この防衛二法案によつて発展しました自衛隊が日本軍になり、このPATOの一部ということになつて婆りますと、結局これはアメリカの戦争政策、アジアにおいてアメリカの青年の貴重な血を流すのはあまりにももつたいない、アジア人をしてアジア人と戦わしめよという、有名なアイゼンハゥアー大統領の方針の通りに事が運ばれるということになるわけであります。 このように検討して参りますと、自衛隊あるいはそれから発展して参ります日本軍というものは、結局アメリカの安全保障に奉仕する軍隊であつても、日本の国民の利益、民族の独立に奉仕し得る軍隊にはなり得ないように思われるのであります。日本の国民としては、私どもの莫大な税金をこうしたみじめな軍隊につぎ込むことを欲しないのであります。また私どもの愛する子弟をこのような劣悪な軍隊に投入することは欲しないのであります。中には、現在アメリカの援助を受けるのはやむを得ない、しかし日本の国力が充実し、自衛隊が自衛軍と言い得るよりなころになれば、アメリカの意思に反しても独立の行動、自由な活動をすればいいではないかという説を立てる方もおありですが、しかしこれはたいへん甘い考えである。空想でしかばい。現在保安隊及び海上警備隊の戦早、トラック、ジープ、飛行機、フリクート、ヘリコプター、こういうものに使われているガソリン、重油というものはアメリカの供給によるものであります。このガソリン、重油をとめられたならばまつたく身動きができない、アメリカによつて死命を制せられた軍隊である。米軍の付属品、消耗品すぎないという気がいたして参ります。自衛隊はまた国内の平和と秩序の維持に当る、はたしてそうでありましようか。中央公論の五月号に保安隊に関するレポートが出ております。筆者は木村俊夫という人でありますが、北海道にある千歳のキヤンプの中を視察した。そのときに調査課の部屋をのぞいたところが、机の上には部外秘、平和分子居住地一覧だの、思想戦要領だの、隊内の思想悪化についての報告だのという文書が散乱していたと、目撃したことが書いてございますが、平和分子という分子はどういう分子であるのかよく存じませんし、また思想戦という場合体だれを相手に戦争するのであるか、これもよくわかりませんが、戦争を通つて来ました私どもの直感といたしましては、何となく昔の憲兵政治が復活して来るのじやないか、そのにおいがぶうんと聞えて参るのであり専。この調査室にあるいろいろな調査活動というものが、MSAに伴う機密保持法と結びついたときに、何か重苦しい言論の圧迫が生じて来るのではないか、日本は再び昔の軍事国家になるのではないが、そういう懸念がわいて参ります。いや日本は文化国家である、平和国家であるとおつしやる方があるかもしれませんが、日本の国家の予算の一覧表を見て私は驚いた。戦争前におきましては、いの一番に書き出してあるのは皇室費でありました。戦後の国家予算の冒頭にあるのは防衛分担金で、アメリカに納める防衛分担金がでかんとすわつておるのであります。この防衛分担金に保安庁費、さらに軍人恩給費、その他いろいろ計算してみますと軍事費と目されるものが二千億を越えておる。そのために子供の教育費が圧迫されている、社会保障費が圧迫される、児童福祉のための費用が削られている、すでにそういう現象が起つて来ておる。 それでは保安隊の内部はどうであるか。たいへん民主化されて、きわめて明朗であるということが伝えられておりますけれども、この中央公論のレポートによると決してそうとは限らないようであります。これは演習中の状況を目撃した場面であります。雪の中で発射訓練をしているところ、「「射て、」グワン、「射て、」グワン、「何てざまだ、一分十秒かかつとる。減俸だぞ。」そして私は、」私というのはルポルタージユの記者です。「「そんなことを言つたつて無理だよ。」と答えたまだ十八、九の二査の顔を、三十がらみの分隊長が「なめるか。」とわめいてこぶしでパンチを食らわせたのをすぐ目の前で見た。二査はうツと言つて両手で顔を押えてよろめき、ひどい音を立てて砲の掩板に体をぶつつけた。雪の上に鼻血がぽたく落ちた。隊員たちは一瞬きッ人間的な表情をとりもどして、分隊長を囲むけはいを示したが、すぐまた目を伏せ、無関心な表情にもどつた。だれもその二査をささえてやる者はなかつた。」そういう場面を描写いたしております。もしこれが事実であるとすれば、旧軍隊における体罰というものがまた復活して来ておる。小説で名高いあの真空地帯がまたできかけておるのじやないか、そういう不安を私どもに与えるのであります。 しかしながら子供を持つ親として最も気にかかるのは徴兵の問題であります。今のところ徴兵制度はしかないということを繰返し声明されているようでありますが、現在保安隊費が一人、ざつと百万円かかる、財政は決して楽ではない、それを十八万にふやした、さらにアメリカの要請する三十二万五千というふうに拡張し、さらに整備して行きますならば、現在の国家財政では、私どもの税金ではまかないきれないという状態が出て参ります。どうしてもこれは徴兵ということになりそうです。一銭五厘、現在は値上げして五円になりましたけれども、この五円のはがき一枚で青年を徴集するということが、楽屋裏では考えられているようであります。当局はしきりにこの徴兵については不安を与えないように繰返し否定はされておりますけれども、これもこの中央公論のレポートによりますと、保安隊の内部では徴兵受入れの気構えができかけているようであります。「「現在の訓練はすべて将来の幹部を養成するための幹部教育である。お前らは将来、徴兵でひつばられてきた何もわからない奴等の指導ができるように一生けんめいやらねばならん。徴兵制になれば、お前ら志願の者はすばらしいハクがつくぞ」とはつきり言いきる将校もたくさんいる」そういう文字になつて来ております。この通りの事実があるかどうか知りませんが、とにかく何か政府はふところに次のカードを隠しておるのではないか、そういうふうに思われます。 一昨年でありますか、富士宮高校の石川皐月君という少女が、村の不正投票に憤慨して投書した有名な村八分の事件がございますが、それを富士宮高校の生徒がほとんど全部支持した。なぜああした動きが出て参つたかと申しますと、学校新聞を見ますと、ああした不正投票、かえ玉投票、いいかげんな投票によつて出て来た議員の人たちが、法律をいろいろつくつて徴兵へ持つて行く、そういうことをされてはたまらぬから、われわれは今抗議するのである、騒ぐのである、そういうことを申しておりましたが、ちようどその段階が今日の前に近づいて来たように思われるのであります。その点この徴兵の問題は、子供を持つ親、国民一般の心配しているところで、十分御審議いただきたいと思います。 それから保安隊の風紀の問題に触れてみたいと思います。私は子供の環境の問題についていささか力を尽しておるのでありますが、札幌に保安隊ができたとき、すぐ売春業者がはとの町をつくろうとした。福岡に保安隊ができましたときには、あれはたしか雑餉隈と申しましたか、そこに赤線地域をつくろうとした。札幌の方は学芸大学、PTA、婦人会の人たちが反対して、これはとりつぶしたようでありますが、福岡の方はでき上つております。米軍基地における赤線区域風紀問題がやはり保安隊の基地にも発生しておるのであります。この場合は業者が当て込んで、もくろんでかつてにやつたことで、保安隊に責任がないわけであります。しかし広島に参りましたときに驚いたのは、あの特飲街でありますが、その軒下に、はとと、赤十字と、三本川のマークを入れた立看板がしてある。聞いてみますと、そのはとは保安隊なんです。赤十字は性病の心配がないということだそうです。それから三本川は広島のマークです。結局その看板は保安隊員指定の店であるという、保安隊歓迎の看板で、業者の話によりますと、保安隊と協定をいたしまして、保安隊のために割引を実施しておる。(笑声)確か二百円の料金を二百円くらいに割引いておる。昔の兵隊割引というものが復活して来ておるのであります。呉にも参りました。呉にも朝日町という大きな赤線区域がありますが、そこでも、また広でも、保安隊のキヤンプと協定をして、やはり割引を実施しておる。こういうことになりますと、」保安隊の首脳部、幹部が赤線地域と協定して、隊員をしてこれを利用させる。これは一種の公娼制度のようなものだと思うのであります。現在赤線区域の廃止がなかなか困難であるということの理由の一つには、保安隊の需要というもの、その御用達を勤めておるということも関係しているんじやないかと思います。 しかし保安隊が相手にするのは商売女ばかりではなく一般の少女もその対象になつて来ておるようであります。たびたび引用をするようでありますが、中央公論のレポートによりますと、「わたしは恵庭町で見た。」恵庭町というのは札幌の近くにある保安隊の基地であります。「恵庭町で見た。ある土曜日の午後、保安隊専用の飲み屋兼。パンパンハウスから酔つばらつてでてきた三人の査長が、中学二、三年と思われる五人の少年少女とすれちがいざま、愛らしいひとりの少女のスカートをさつとまくりあげ、もうひとりの少女を乱暴に抱きしめて、ゲラゲラ笑いながらその髪に酒くさい口を押しつけたのだ。怒つた少年たちが力づくで少女を奪いかえし、「バカヤロー、アメ公の真似なんかすんな税金ドロボー!」と叫ぶと、三人の隊員はロレツのまわらない言集でこうどなりかえした。「なにイ、しやれた口きくな。てめえらだつて今に鉄砲かつがなきやならねえんだゾ!」「オレたちはもうすぐ将校だつてことを知らねえか!」「おぼえてろよ、そのときは可愛いがつてやるゾ!」こういう乱暴な場面が記されております。その話はテープレコーダーに今とつておる。ここへ出て来ておる問題がもしこれが事実であるとすれば、実に許しがたいことだと思うのであります。この東京の板橋にも、練馬にも、保安隊の基地がございます。せんだつての話でありますが、中学校出たばかりの四人の若い娘が家出をいたしました。そうして放浪をしたあげて富士山麓の米英相手のパンパン・ハウスに売られていた。それを発見して助け出したという児童福祉法の違反事件があつたのであります。それを調べてみますと、娘たちのうち二人の娘は保安隊の隊員に誘惑されて――しかし保安隊の方からいえば、おそらく娘の方から誘惑して来たということになるのかもしれませんが、とにかく誘い出して、学校の建築工事場かんなくずや板切れが散らばつている建築工事場で関係をつけておる。それ以来ぐれ出してそういう不幸な目にあつたわけなんでありますが、その保安隊が少女に対する態度は、最初に物をくれてやる、何か買つてやる。そうして手なづけておいて、関係してからは何もやらない。その手品までアメリカの兵隊に似て来ておるのであります。夏場になりますと、あの辺は田や畑や森の多い所でありますが、森の陰、あるいは肥だめがありますが、肥だめのコンタリートのたたきの上などを利用いたしまして種の野外戦が行われておる。その様子は米兵以上に盛んなものがある。これは土地の人が言つております。もちろん私は一部の隊員のあやまつた性行動をもつて全部の隊員を律しようとするものではないのでありますが、しかしこういう傾向が増大いたして参りまするならば、保安隊はやがて国民の軽蔑の的になり、怨嗟の的になるだろうと思うのであります。しかしながらこの法案の中でただ一つだけとり得があるとするならば、それは天災地変の災害救助のための活動だろうと思います。しかしながらこの災害救助の活動は、ある程度赤十字だとか国家警察の機関を整えて行けばできることであつて、そのために自衛隊を必要とはしないだろうと思います。 最後に子供は保安隊をどう見ているかという問題であります。先ほど触れました練馬の保安隊の近くにあるある中学の三年生の作文があります。 僕たちは基地の子だ。なぜかというに、日本全体が基地であるからだ。僕の家から見える保安隊も種の基地であると考えていいだろう。 その金網の中では、いつも演習をやつている。ヤーツとか、オーツとかいいながら、石ころを投げているときもある。バズーカを持ち出して、角度何々と、四、五人がかりでやつているのもある。バズーカの口径は大きい。まさに大砲である。こんなので一発ぶつばなされたら、僕の家なんか、ひとたまりもなくすつ飛んでしまう。装甲車もある。全部、まわりは鋼鉄でできている。窓も二つあるが小さい。無限軌道が黄色くさびていて、いやな感じだ。 冬にならない前は、よく隊員が、電話器などを持つて歩いて、「ハツ、本部でありますか。」とか、「異常ナシ。」とかやつていた。僕たちにも聞かしてくれた。予備隊ができたころ、なかを見学したこともあつたし、運動会とかそんなことで、なかに入つたことが三度ぐらいある。こんな開放的な態度をとつている保安隊だが、僕はこれに疑問をもつ。 いうまでもなく、これは軍隊じやないのかということだ。政府の人たちは、軍隊じやないというけれど、だれが見ても軍隊だと思う。うそだと思うのなら、金網の外から一日中、その行動をみてくればよい。 保安隊とは、今まで親しくなつてきたのだが、これからだんだんと、また、はなれて行くのじやないかと思う。孤立して、昔の軍隊と同じようになるのではないのかと心配する。映画「真空地帯」で見たような、人間性を失うところにならないでもらいたい。 僕たちが学校を出たころ、ちようど戦争をしていて、ひつぱり出されて死ぬなんていうことも、考えられないことはない。もし、そうなつたとしたら、僕たちがそれまでした勉強は、なんの役にもたたなくなるのだ。戦争がどんなものであるか、その苦しみを忘れてしまつている親たちが、たくさんいる。 こういうつづり方を書いている中学生があります。「子供たちは見ている」という映画がありますが、まさしく子供は見ているわけであります。子供なりに真実を見破つている。王様の耳は馬の耳だと言つておるわけであります。この批判力は一体どこから出て来たものか。これは私考えますのに、戦後の憲法、教育基本法などに基く民主教育の中で育てられて来たものでありまするが、再軍備計画、あるいはその奥にひそんでいる徴兵制の大きな障害にこれがなりかけて来ているということであります。MSA協定の際、池田・ロバートソン会談でとりかわされた議事録草案を見てみますと、これまでの日本の青少年が自衛思想について教育を受けなかつたことはたいへん残念なことであつた。日本の政府は広報及び教育を通じて自衛思想の普及に責任を持つと書いてあるようで二ざ’ますが、どこの国を見ましても、自分の国の教育方針を外国と相談してきめる国はないようであります。強い言葉を使えば、この池田・ロバートソン会談において結局日本の子供の魂をアメリカに売つたような形になつておるのであります。でありまするから、今世上で大きな問題になつておりまする教育二法案の問題も、この防衛二法案と切り離しては考えられない。政府や一部の政党の方々は、この子供の批判力は教師がそそのかしたのではないか、扇動しているんだというふうに考えて教育二法案を持ち出して来られたのでありますが、この圧迫は単に教師に対する圧迫でなくて子供を圧迫するものである子供の批判力の成長を妨げるものである。結局権威への盲従という恐ろしいおりの中へ子供を押し込んで行く、そういう危険が感じられるのであります。 仙台から一時間半ばかり離れた松島の近くに矢本という小さい基地がございます。現在は米軍の基地でありますが、将来これが保安隊の基地にかわつても事情は同じだと思うのでありますが、ここの中学校で軍事的な圧迫を受けている基地の子供の心理状態、精神状態を調査したことがございます。まず、物事をきめる場合に君はどうするかという質問――これは何でもない質問でございます。か、これに対して基地の矢本と、基地のないほかの地区の子供と比較したのです、物事をきめるときにどうするかと聞かれて、ほかの地区の、基地のないところの子供は、自分で考えてきめる、それから親や先生に相談してきめる、自主的に決定しておる。しかし基地の矢本の子供は、成行きにまかせると答えております。中学の二年生でございますが、そういうふうに自主性がくずれて来ておる。また不正や不公平に対してどうするかという質問に対して、他地区の子供は、不正に対してはあくまでも闘うという積極性、それから不公平に対してはどこまでも相手を説得するという努力を示しておるのでありますが、基地の子供は、心の中で反抗しても表には出さないとか、そんなことは考えないようにするとか、そういう情ない答えをした者が多かつたのであります。要するに軍事的な圧力が加わつて参りますと、子供の背骨が曲つて来る、自主性かくずれて来る、子供が腐つて来る。これは将来アメリカの極東政策が進展いたしまして、米軍が一部撤退して、日本軍に肩がわりしたときでも、この事情はかわらない。そのときふたをあてみたら、子供たちが腐つていたということのないように、こうした目に応えない損害、償いようがない損害を計算に入れて、日本の国の将来をになう子供の問題を十分頭に入れて、この二法案を御審議いただければ幸いと存じます。
○稻村委員長 以上をもつて神崎公述人の公述は終了いたしました。 御質疑はありませんか。他に御質疑がなければ、公聴会はこの程度にいたします。 公述人におかれましてはまことに御苦労様でございました。 次会は明日午後一時より開会いたすことにし、本日はこれにて散会いたします。 午後四時二十三分散会