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19回国会衆議院1954/04/06

大蔵委員会 第35号

発言数
29
登壇者
10
会派数
3
開催日
1954/04/06

会議録

千葉三郎改進党

○千葉委員長 これより会議を開きます。  出資の受入、預り金及び金利等の取締に関する法律案及び証券取引法の一部を一改正する法律案の両案を一括議題として審議を進めます。  本日は特に両法案につきまして、学識並びに経験を有せられておる方々に参考人として御出席をお願いしたのであります。ただいまから参考人各位よる御意見を拝聴することといたしますが、その前に一言参考人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。当委員会におきまして、本問題について特に参考人各位の御出席を求めて、御意見を拝聴することといたしましたのは、両法案は御承知の通り庶民金融の将来のあり方について特に重大な関係を有する重要法案でありまして、過去における庶民金融政策の放逸が、最近の保全経済会、日本殖産金庫その他の庶民利殖機関の休業倒産等に現われたといつても過言ではなく、このため出資者である一般庶民のこうむつた不測の損失は莫大なものがあると思われるのであります。当委員会といたしましても、本問題につきましては従来からつとに検討を重ねて参りましたが、政府におきましても、今回両法案を提出して、本問題打開の一途といたそうという意向を示されたものと思われます。本日参考人各位の御出席を願つたのも、かかる意味合いにおきまして、当委員会の法案審査に遺憾なきを期さんがためでありますので、参考人各位におかせられましても、十分忌憚のない御意見の御開陳を願いたいと存じます。  それではただいまから順次参考人各位より御意見を拝聴いたしますが、発言時間はお一人大体二十分程度でお願いいたし、委員各位の参考人に対する質疑は、参考人の発言が全部終了いたしましてから一括して行いたいと存じますので、御了承を願います。  それではまず東京大学教授川島武宜さんにお願いいたします。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 川島でございます。私にこの法律案につきまして意見を述べよというお話を伺いまして、やつときのう初めて法案を拝見しましたようなわけで、はなはだ不勉強でありますし、実はゆうべからちよつとおなかをこわしまして、どうも少しからだのぐあいが悪いので、頭が少しぼんやりしておりまして、十分に皆様の御参考に供するようなことを申し上げることができないことをおそれるのでございますが、まあ一通り簡単に意見を述べさしていただきます。  この庶民金融につきましては、いろいろな問題がございまして、これを法律でもつて解決をするということに非常に困難な事情がございます。そういうような点からして最近における不祥事件も起つたようなわけでございますことは、皆さんも御承知の通りでございます。いろいろなことがこの法律の中にございますが、とにかく出資の受入れ、預かり金等々に関する取締り法規が従来とても私は必ずしも不完全であつたとは思わないのでございまして、おそらく大蔵省あるいは検察当局は、法律の解釈でもつて、従来の法律のもとにおいてもあの保全経済会とか、殖産金庫のようなものを未然に防ぐことはできたのではないかと思つておるのでございます。しかしいわゆる解釈でもつてやらなければならないというようなことでは、多少の問題も残りますからして、このような法律でもつてはつきりと問題を解決するということはたいへんけつこうなことだと思います。従つてこの出資の受入れ、預かり金等の取締りの法律の中で、たとえば出資金受入れ制限とか、あるいは浮貸し禁止、預かり金の禁止とか、こういうふうな問題は、私はまつたく異論のないところでございます。ただここで問題になりますのは罰則でございます。出資金受入れ制限、預かり金禁上等についての罰則が第八条にございますが、この間の保全経済会とか、殖産金庫とか、ああいうふうな詐欺的な行為でもつて大衆に迷惑をかけた人が、一体わずか三年以下の懲役、三十万円以下の罰金くらいでもつて免れることができるとすると、これはむしろたいへんに甘いのではないか、一般大衆のいわば血と汗でできたお金を巻き上げておいて三年以下の懲役で免れるという、どうもこれは刑罰が均衡を失しておるのではないかという気がします。これはもつと重い刑罰でもつて断固として罰しなければ、これでもうかるということになれば、三年くらい懲役に行きましても、一千万円、一億円の金が残るならば、その気になればだれでもやるのじやないか。それは現に御承知の通り、お金というものは隠すことができるものでありまして、今つかまつている人がどういうことをしているか知りませんけれども、過去におきましても破産法というものがありまして、破産手続をしますと、その人の財産を全部差押えて債権者にわけることになつている。ところが実際問題としまして、その人の財産を全部取上げることができない。どうも財産というものは隠すことができやすい。ことに有価証券とか金銭とか、いわゆる無名の財産形態が現代においては支配的な財産形態でありますから、こういうものを使えば脱税もできますし、債権者に対して財産を隠すこともきわめて容易であります。法律はそれを何とかしてつかまえようということはいつも考えておりますけれども、実際問題としてはつかまりません。破産になつた人があとになつても豪勢な生活を続けておるという例は決してまれではないのであります。これは皆さんもよく御承知の通りであります。でありますから、三年くらい暗いところで飯を食つて来れば、それであと何千万円、何億の金が残るなれば、これはたいへん大きな誘惑になる。しかもこういう悪質のやり方というものは、非常に多くの一般大衆に迷惑をかけるものであるということを考えますときには、これは絶対にこういうことをやつては損だ、どんなに財産を隠して天びんにかけてもこれは損だというくらいな厳罰を科するのでなければ、跡を絶つことができなかろうと思うのであります。大体インフレのようなときにこういう商売がはやることは、外国の例でもたくさんあるようでございます。私はそういう金融論の専門家でございませんから、詳しいことは存じませんが、外国の判例を見ておりますと、どうもインフレのようなときにはこういうものが起つて来て金を巻き上げる、つまりインフレのときになりますと、今まで持つておつた大衆の貯蓄は値打がなくなりますから、こういうものについつられて巻き上げられるわけであります。結局最後は巻き上げた人は大きな財産をふところにして、少しばかり暗いところで飯を食つて、あとは非常にけつこうにやつて行けるというのでは、これははなはだ困る。そういう考慮のもとに、私はこの罰則が少し軽きに失するのではないかというふうに考えております。  それからもう一つ大きな問題と思いますのは、第五条の高利禁止の規定でございますが、この高利の問題も、これは法律問題と、政策問題といいますか、金融政策の問題と両方ございまして、金融政策の問題は私は専門外でございますが、法律家の立場から考えまして、一体この利息というものにこういう固定的な利率をもつてきめるということは、はたして法律政策としてみて適当であろうかという点に多少の疑問を持つのであります。もつとも従来の物価統制令のように、ただ暴利をとつちやいかぬということだけ言いつぱなしでは困りますし、さればといつてそれに基いて何分というふうに言うと、この法律と同じになるわけですが、どうも日歩何銭とか年何割とか同定することは、利息というものの実情に合わないのではないかという気がするのであります。と申しますのは、たとえば古代ローマとか中世のような社会でございますと、原則としては貨幣は子供を生まないという前提の上に立つて、つまり社会の組織の上で貨幣が子供を生まないということが前提になつておるのでありますが、現代としては、お金は利潤を生むものであるという前提に立つておる、そういう資本主義経済のもとにおきまして、この利率というものはいろいろな経済条件によつて動いて行くわけです。この利息に関する考え方というものの中にいろいろな要素がございまして、金色夜叉にあるように、高利貸しは非常な悪徳行為であるという一つの思想的ケースがございますけれども、しかし資本主義社会におきましては、金を使つた人がそこから利潤をとる、その利潤を分配するという限りにおいては、必ずしもそれは不法ではない、不道徳ではないという考えがある。ですから近世に至りまして、一般的な利息禁止というものは解除されまして、利息をとつてもいい、特に利息制限法というものが太政官布告で明治初年にできましたけれども、たとえばドイツあたりでは、利息制限法というようなものはなかつた。ごく最近のことは存じませんが、おそらくないと存じます。一般的な意味での禁止というものはないと思います。これは資本主義社会になりまして、一般に高利を禁止するという原則が解除された。ことにインフレのようなときになりますと、相当高利をとつても貸した方が損するのであります。ですからして利息を一定のところに固定する、特に国会を通らなければならない法律でもつて固定するということは、どうも実情に合わないのではないか、しかもこのような一般的な形で禁止することは実情に合わないのではないかと思うのであります。私は別に高利を一般にけつこうだ、奨励しようという気持はないのです。高利は好ましくありませんけれども、その好ましくないというのは、実は民法九十条の規定がございまして、これによれば公序良俗に反する契約は無効になる。ところがドイツの民法では、日本の民法九十条にあたる規定は、他人の窮迫あるいは無経験等に乗じてある不当な利益をむさぼるような契約をした場合には、その契約は無効になるという規定があるわけであります。この高利というものも、そういう性格を帯びた場合には、これはやはり法の取締りの対象になつてよろしいかと思います。従つてそれは、一般的なおよそ金を貸す人間はという形でこういうふうに規定をすることは、ちよつと問題ではなかろうか。つまり今申しましたようなものだけを取締るというような形にすればよいのではないかということが一つでございます。今申しましたことをもう少し具体的な言葉で申しますと、どうも国会を通る法律でもつて利率を固定することに少し問題があるのではないか、これけ臨機応変にできない。たとえば今ただちにそういう危険はございませんが、たとえばある程度インフレが進行するというふうになりますと、おそらく利息の事情は非常にかわつて参るでしよう。でありますから、私はこの利率というものを国会を通してきめる法律できめないで、何かもしも利率をきめたければ、これを大臣の指定か何かによつて政令によつてきめるというような道を考えるべきではないかと思います。  それからもう一つ、こういう形で罰則を設けたからといつて、一体高利をほんとうに禁止できるものかどうかと申しますと、これはたいへん私は疑問だと思うのです。と申しますのは、つまりこれは、客観的にそういう高利をつくり出すような経済事情があるから高利が起るわけでありますから、どうもその根本の事情がある限り、高利というものをなくすことができない。だから私は高利がいいと言つているわけではないのでありまして、たとえばドイツにはないのに日本に利息制限法ができたというのは、資本主義的な金融、つまりキヤピタルを借りるという性格をおびないような金融、消費信用というようなもの、あるいは経済上生産者であつても、非常に困つた場合に一時しのぎに金を借りるというような窮迫無経験に乗じて金を貸すという者が非常に多い。ことに庶民に対するそういう窮迫信用が圧倒的に多かつたという日本の特殊な経済事情によるものでありまして、わが国におきましては、やはりそういう庶民の生活を脅すような高利金融をコントロールすることは絶対に必要だと思います。特に、たとえば御承知の通り農民が非常に困りました昭和の恐慌時代に、農民が借金を負つて非常に困つたことがございますが、あのときも大体高利金融が多かつたといわれている。ところがそういうことは、あの当時皆様御承知の通り、農村の思想悪化、いわば農村における革命的な思想が起る大きな地盤をなしておつたわけでございまして、やはりこの高利金融というものがまつたくコントロールなしにのさばつては、わが国における社会思想の悪化を来すことは疑いのないところでございますから、少くともそういうことを避けたいとお思いになるならば、どうしても高利金融をまつたく野放しにすることはできません。これは何らかの形で法律でコントロールしなければならないと思います。ですから、私は根本的には何らかの形で高利金融のコントロールをしなければならぬということは認めるのであります。ただしかしこういう一般的な形では、今申しました窮迫に乗ずるような高利金融だけでなくて経済的に必要な高利金融すらもコントロールすることになつてしまつてははなはだ困る。それを罰則をもつて強行するというのでははなはだ困る。しかもその罰則でやつたくらいで実際高利を押えられるものではないと思います。私はよくわかりませんけれども、ほかのいろいろな法律のことを参照して考えますと、金貸しというものは、やはり銀行と同様に許可営業か何かにいたしましてそうしてその以外のものには絶対に金融業を業として行うことを許さない。それをやつたら罰則をもつて押える。そうして許可営業にしておいて、許可を受けたものは一定の監督を受ける。そうしてその場合に利息なども、何か実情に応じたようにもつと政策が打てるのじやないか。つまり政府の方では、金貸しというものは全国にどれだけあつて、どこにだれとだれがいるということがはつきりわかつておりますれば、監督もしやすいわけでありますから、必ずしも年何割というこういう固定したことにする必要はない。一方では庶民に対する非常な窮迫に乗じたような暴利的な高利は押えるとともに、経済の必要から起つて来たようなものに対しては、もつと実情に応じた金利をそのときどき定めてやつて行くというような手も打てるのではなかろうか。従来までの高利貸しというものは、非常にそういう意味では野放しになつておりまして、政府としても実際手が打てない。コントロールする方法がないわけです。何かそういうふうなことを私はむしろ考えていただいた方がいいのではないかと考えております。  もう時間がございませんから、ごく簡単に一言触れておきますが、許可営業にするということは、別に営業の自由という問題に矛盾するものではない。現に銀行、相互銀行、無尽その他たくさんの許可営業があるのでございまして、これは一定の条件さえあれば許可営業にするということは、何ら憲法違反にはなりません。従つてそういう立場でひとつ問題をお考えいただけたらどうかというふうに考えております。  はなはだどうも意を尽しませんが、これで一応終ることにいたします。

千葉三郎改進党

○千葉委員長 次に、日本大学教授井関孝雄君にお願いいたします。

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 私も、大体結論としては川島先生と同じような結論になると思います。この両案に対し、及び利息制限法は別に法務委員会に出ましたので、関連いたしまして一言考えている点を一応申し述べたいと思います。  第一に金利の問題ですが、金利を決定する場合には二つの標準がある。その一つは道徳的倫理的の観念、もう一つは経済的のビジネス・ベースに立つた考え方でございます。前者の道徳的な標準から申しますれば、零細企業に対しては安い金利で貸す方がむろんいいのでございます。しかし現在の資本主義の金融がビジネス・ベースに立つている世の中では、これを無視しては金融というものは成り立たない。従つて小さい信用組合の安くあるべき金利でさえ、これは相互的の金融機関でありますから安くならなければならぬはずでありますが、これがやはりビジネス・ベースに支配されて、資本主義の金融機関に追随して行かなければならぬ、そういう標準を保たねばいかぬ、こういう状態にあります。従つて現在問題になつております零細金融をこれらの既成の金融機関でやれるかと申しますと、おそらくやれない。日がけでやつている零細金融は相互銀行、元の無尽会社でもやつておりましたが、引合わないのでだんだんこれをやめるという傾向になつて来ております。そういうところから考えましても、零細金融の日がけなんかのものは、別の金利の水準で定めなければいかぬということに私はなると思います。この原則の上に立つて、臨時金利調整法も金利の最高標準をきめる場合には、金融機関別に、また地域別にきめることができるという明文があるのは、このビジネス・ベースを認めた例証だと思う。それからさらに一般金利からいつて非常に高い今回の三十銭というものを法律で認めるというのは、これは一進歩だと私は確信いたしておりまするが、また加えて利息制限法が、元の太政官布告では千円以上が一割となつておりましたが、これは現在の経済事実で、既成の法律によつたりつぱな金融機関でさえ千円以下一割ということを守れない、公証役場で公証ができないという矛盾した現象が起つて参りまして、利息制限法を今回改正いたしまして、年利二割まで認めるという事実に合うようになつたことも、これも利息に関する一つの観念の進歩だと私は考えております。  一応この法律はそういうことにおいて進歩したのでありまするが、しかし現在のこの法律を三十銭一本ということで強行いたしまするとどういう結果が生ずるかと申しますると、金貸し、個人金融業者と申しましてもいろいろ種類がありまして、大資本の大品の貸付で、手形割引で何百万、何千万を貸す森脇将光氏みたいな金融機関がある、下は零細な五万円から三万円を日がけで貸す金融機関がある。こういう種類を一概に三十銭で縛るということははたしてできるであろうか、営業として成り立つだろうかということを私考えるのでありますが、相当な資金量を持つておれば三十銭でできますが、こく零細な関西地方の質屋のことき、三、四十万の資金、それから個人金融業者の場合は全国で一万数千の金融業者がありますが、その七、八割までが零細な資本で、零細な日がけの日賦貸付をやつておる業者は三十銭では営業が成り立たないのであります。かように考えております。そうするとかえつて逆な結果が生じまして、こういうものは設備は必要ありませんから、もうけにならないとなると、ほかへ資金が流れて行つて、かえつて利用者の不便を来し、利用者を圧迫するという結果になるのじやないかと考えます。  それから川島先生も申されましたが、法律でこういうものを取締つてもはたしてこれができるかどうか、根絶するかどうかということに私は疑問を持つております。現に法務省の刑事局の高橋参事官は財政経済弘報なんかで書かれておりまするが、モーリス・プランに次ぐ別な形のものが続々として現われかけておるわけであります。つまり保全会、それから保全会に次ぐものという題で、保全会もしくは株主相互に次ぐ、モーリス・プランの形に次ぐ別な形のものが続々現われておるということを書かれていることを見ましても、この法律でそういう形のものを根絶するということは私は不可能だ一と思うのです。それからもう一つ申しますると、高橋参事官はこのモーリス・プラン、株主相互の事業の形そのものが悪いのでなく、結局はその経営する人の問題だということを申されておるのであります。それから今回検挙された保全会、株主相互のある種類のもの、これを見ましても、これらのものは詐欺的行為によつて金を集めることに専念しておりまして、零細金融とか金融というものをやつていない。今回検挙された多くのものは、ほかの事業に投資するとか、自分の事業をこしらえてそれに投資するとか、あるいは株式を買う、雑穀の思惑をするということで、金融業自体をやつていない。この法律が出ましても、まじめな業者は二十社でありますか三十社でありますか、数は限定されませんが、おそらく残り得ると思う。そうすると、これだけ大あらしの中で弾圧されても、普通の金融機関であつたらまるきりつぶれてしまうというのが残るという事実は、経済的に必要だという事実を認め得る、こういうふうに考えます。従つて私は、今回起つた不祥事は、届出制度や何かにいたしまして人物を選定せず、金融に経験のない者も何も一もうけすればいいという連中がやつた届出主義に、監督が不行届きなところから起つて来ておると思う。これを認可制とか許可制にして取締つてやれば、悪い人もそう出ませんし、高橋参事官の言うように、人の問題の選定もできるのです。これを今度の法律によつてそのまま野放しにして自由にいたしますと、さらにこういう結果がなお一層起りはしないかということを私は憂えるのであります。従つてもし大蔵省の方で、こういうものは金融機関ではないので、自分たちは人手も少いし、いやだと言うなれば、質屋と同じように、また信用組合と同じように、府県の許可にしてもいいと負う。また府県の許可に地域を限定することの中規模の方が、現在の株主相互の問題のときにでも残る場合が私は多いと思う。大規模に、全国に官庁の局のように大支店をこしらえたのは、ランニング・コストがたくさんかかるし、経費がかさむ。中ぐらいのものにして、そうして監督を厳重にすれば、これは経営ができ、また一般庶民階級にも役に立つのではないかということを考えておるのであります。  それから各国の立法例を見てみましても、利息制限法は、さきに川島先生も言われたように、中世期時代からすでに高金利を取締れという観念はあるので、今ごろ高金利の取締りをやつてそれでいいという、建設的な考えなしにただ高金利だけを取締ればいいという考え方は私はどうかと思う。むろんそれ以後に自由放任の制度も起るし、それから慈善主義や国家主義の金融機関であればいいということも起つておりますが、国家資本では、国民金融公庫にやらしましても、とても今の店で今の人員で日がけの零細なもののすみずみまでをやるということは、人員を非常にたくさんふやすか、もしくは店をたくさんふやす以外にはできない。これも国家事業では不可能だ。やはり個人の業者に、監督しながらこれをまかして行くという方法以外に私はないと思う。さような意味合いにおきまして、結論としては私は川島先生と同じ結論に到達するのであります。  逐条で申しますると、今の高金利の第五条の一日二十銭の問題、これはさき申しましたように、事業にヴアライエテイがあるので、これを固定的に三十銭ときめて行くことは、しかも法律できめることはどうかと思う。これは他のスライデイングにして、時にあつて適宜にかえられるように、法律できめないで行く方がいいではないかという感じがいたすのであります。それから罰則の問題でありますが、第一条の罰則、預かり金及び受入金、出資金というものの罰則がやはり懲役三年以下、罰金三十万円以下になつておる。これは川島先生のお説によれば軽いというお話でありますが、あるいはそうかもわかりませんが、この高金利の取締りの罰則がやはり同じように懲役三年以下、罰金三十万円以下になつております。これは個々の契約者の個々の違反でありまして、これは無効にするか営業停止にすればいいのでありまして、高金利だからというので、高金利ということだけで、しかも第一条と同じ罰則をきめるというのはあまりに苛酷に失しやしないかというきらいがあるのであります。その例といたしまして、現に大きい金融機関では、金利調整法による金利以外の預金金利の罰則を犯しておる。これは先般半月ほど前に、朝日新聞の投書欄に、農林中央金庫の江沢副理事長が書かれておりましたように、農協の預金が系統機関である農林中央金庫に行かないで、そうして市中の金融機関に預金が何百億も流れて行くという結果を生んでおるのです。これは明らかに市中銀行でやみ金利を出してそれを募集しておるということを、前の銀行局長であり、しかも日銀の理事であり、農中の副理事長の江沢氏が現に書いておる。だから、既成の金融機関でさえそういうふうな金利調整法にもとつたやみの金利をやつておる。貸付に対しても、私はおそらく両建その他においてやつておると思う。これには罰則がなくて、零細な金融機関をやる人にだけこの重い罰則をやるということは、いかにも片手落ちの法律だ、私はこういうふうに考えておる。もしこれを強行するならば、銀行のこの金利違反には、一般の金融機関、法律のある金融機関にも重い金利の罰則を科すべきだと思う。しかし片一方は金利が安いから、片一方は金利が高いから、こういうことでありますが、これはその機関々々によつて経済事情が違うし、資金のコストが違い経費が違う、またそれぞれのビジネス・レースのスタンドに立つておるのでありますから、一般金融機関にも金利違反に対して重い罰則を科すべきである、零細金融だけにこの重い罰則を科するということは、私は無意義だと思うし、また不公平だと思う。従つてこの罰則は私は全然反対であります。それから質屋のごときは、質屋取締法という法律が別にあるのです。しかもこの罰則を適用するのですが、そんなことをしなくても、質屋取締法による行政処分で、営業停止をさせればそれ以上は悪いことはできないのだから、質屋までもこの適用に入るということは、私はちよつとうなずけないのであります。  それから申し落しましたが、金利の関係ですが、今の形態の株主相互の一千万か一億ぐらいの資金量を持つておるところでは、この三十銭で優に経営できるそうです。ところがそれ以下の、下の方の大部分の金貸し業者の個人の日がけをやつておる零細な資金の業者、及び質屋の関西地方の零細な資金の業者は、三割ではできないという結果を生んでおるようです。これは何かと申しますると、安い資金を比較的導入できるようなものは金利は下げられる。しかし安い資金の導入ができないような手持ちのわずかな金だけでやる零細業者は、高い金利でなければ金利のマージンが上る、ボリユームも少いし、だからしてその利ざやが高くなければならぬという結果を招来いたしておるのであります。だから何か合法的に資金の導入ができる方法を考えれば、私は金利は安く経営できるのじやないか、かように考えたので、この解決を何らかの形でやつたらどうか、こういうふうに考えておるのであります。  それからこの法律全体を見まして、金融業者及び質屋が、こういう預かり金、出資の法律の重い刑罰を科せる法律がありながら、さらに別な法務省で出しておる利息制限法の監督を受けることは、二重に受けるということになるのであります。これは私は必要ない、少くとも業者であれば、預かり金、出資の別な法律で取締ればよいので、利息制限法までも質屋あたりもしくは金融業者に二重に適用することはどうかと思う。それは三十銭と二割との金利の競合もありますし、罰則のあるなしもあります。これを二重に科すことはどうかという考えを私は持つておるのであります。  それからよけいなことでありますが、つけ加えて申しますると、第三条の浮貸しの問題です。これは、銀行、信用組合、相互銀行、そういう正規の金融機関には浮貸しはありましようけれども、この法律によつて個人金融業者を野放しにして自由にさしておいて、個人金融業者に一体浮貸しということがあり得るのか。浮貸しがあるとすれば、私はその全部が浮貸しだと思う。法律によつてない貸付、野放しの貸付ですから、この法の体裁から申しましても、これは附則の第四項の前にこの浮貸しの規定があるが、正規な金融機関の法律を別に設けて、浮貸し、出資、それから預かり金の受入れという個人金融業者の悪い罰則の中に何でも入れておいたらよいという考え方はどうかと思う。もし立法当局で個人金融業というものを金融機関と認めないならば、この浮貸しなどの正規の金融機関の罰則などは、別な法律できめるべきものであつて、これを一緒にやるのは、法の体裁としてもいかがかと思います。  以上私は簡単に自分の所見を申し上げましたが、あとで御質問がございましたらまたお答えすることにいたしまして、一応これで終ります。

千葉三郎改進党

○千葉委員長 次に、中小企業研究所長の中島英信さんにお願いいたします。

中島英信中小企業研究所長

○中島参考人 ただいま御紹介をいただきました中島でございます。初めにちよつとお断り申し上げておきたいと思いますが、私のきよう申し上げる意見は、まつたく個人としての意見でございます。中小企業研究所の意見というわけではないのであります。研究所の方は、会員組織の共同研究機関でございまして、特殊の政策の問題に対しては、従来からも特別に結論を出すということはいたさないことにして来ておるのでありますから、そういう意味で、これは研究所の結論でなしに、私個人の意見を申し上げる次第であります。その点は特に御了承をお願いしたいと思います。  総括的な意見を申し上げる前に、個々の条文についての意見を申し上げたいと思います。出資の受入、預り金及び金利等の取締に関する法律案と、もう一つ関連して証券取引法の一部を改正する法律案、この両方が出ておりますが、前の法律の第一条とあとの百九十一条の三の改正とは大分関連をいたしておるというふうに考えます。この両方とも、実際的には株主相互金融に対する取締りが目的になつておるとは思いますけれども、法律そのものはもつと一般的に適用されることになると思うのであります。そういう意味から、最初一般の中小企業との関係からこれがどういう問題を生ずるかということで、ちよつと疑問に思う点がありますので、その点を申し上げたいと思います。といいますのは、この第一条に書いてある、「これをこえる金額に相当する金銭を支払うべき旨を明示し、若しくは暗黙のうちに示し、」とかいうような文字がありますが、これはおそらく株を買つた者に対して、あとでその株を買いとつてやる、あるいはその株の売買をあつせんしてやるということを禁止しよう、こういう意味であろうと解釈できるのであります。この点で、私はそういう行為自体がただちに罪悪であるということにはならぬじやないかと思うのであります。といいますのは、一般の中小企業の場合には、大企業と違つて、株式取引所を通じて資金を募集することはできないのであります。大体は少数の縁故者から募集することが多いのでありますが、しかしそれだけでも困難なのであります。従つてある程度やはり広く株を募集するわけです。そのときに、今日の株主というのは、必ずしも経営の主体的な立場に立つために株を持つのではなしに、あるいは事業を援助するために、あるいは投資の目的をもつて株を持つわけであります。そのときに市場性のない株を持つ場合に、一番考えることは、もし何か必要があつてこれを金にかえなければならぬというときにどうしたらいいかという問題が出て来るわけであります。それに対して、やはり何らかの措置がなければ、なこれは投資自体が非常に困難になる。今次日本の経済状況から見て、中小企業でも自己資本を充実して行くということが今非常に大切な時期になつて来ていると私は思うのであります。そういう意味で、やはりできるだけ広く資金を吸収して行く必要は、中小企業といえどもあるわけであります。この場合に、そういつた面からこれがもし制限されるということになつた場合にどういうことになるかというと、やはりここに私は立法された方の全然考えていないいろいろな問題が出て来るのではなかろうかと思うのであります。この点に私は非常な難問を持つわけであります。だからこの点は、その意味で検討を要すると考えるわけであります。またこの株主相互金融を目的といたしました場合においても、はたしてこの行為自体が悪いのかどうかということは、これも私はやはり別の問題であるような気がするのであります。つまりこういうような形によつて株を募集することによつて、経営自体が非常に困難な状況に立つとか、金を出す者に非常な不利益を与え、あるいは金を借りる人間に非常な不利益を与える、この三つの場合でも、あまり不利益を与えない形で行うことももちろんあり得るし、またそういうことも可能であろうと思う。またそういうことは株主相互金融の弊害がいろいろあるわけでありますけれども、この行為自体が一番大きな原因であるということがいえるかどうかは別だと思うのであります。その意味でも、ここに多少検討の余地があると思うのであります。少し状況は違いますけれども、たとえばアメリカでも例のキユーナという略称で呼ばれております全国信用組合協会などでやつておりますところの保険制度などは、やはり金を持つていない庶民階級が株を買うときに、金を持つていないから株を買う金というものを貸してもらうわけであります。事故が起つて保険金をもらうときには、その二倍を払つてもらえるということになつておるようであります。エステート・プランということもあるようでありますが、そういうことが行われている。単にこういう行為自体がいいか悪いかということになれば、私は別な問題であるというふうに考えざるを得ないのであります。  株主相互金融のいろいろな弊害の第一は、やはり私はその中に多分に詐欺的な行為を含む場合が多いことだと思うのであります。これはやはり私は、詐欺は詐欺として処罰をして行くべきではないかと思うのであります。もう一つの弊害は、私は、やはり非常な誇大広告で釣るというところにあると思うのであります。つまり今申し上げたこの行為というものは、それ自体は必ずしも悪くないとしても、これを非常に奨励すべきであるかどうかというと、これはまた奨励すべきことであるというふうにも申し上げかねるかと思うのであります。そういう意味で、特に弊害の伴いやすいような点について、非常に誇大な広告をして株を募集することについては、これはやはり社会的に与える害悪というものは非常に多いと思うのであります。その意味で、私はむしろ誇大広告を禁止するということの方が直接的に非常に重要なことであると考えるわけです。さらに害の一つとしては、やはりこれは悪用されることが非常に多いと思うのでありますが、その場合には、この第二条における不特定多数者からの預かり金の禁止というような面を実質的に適用することによつて、それを避けたらどうかというふうに考えるわけであります。ですから、実際に起り得る弊害はむしろ他の手段によつてこれを是正し、そのこと自体が必ずしもいいか悪いかわからぬという問題について強く禁止する場合には、いろいろ関連した問題ができて来るのじやないかということを考えるわけです。特に最初申し上げましたように一般中小企業の立場、つまり株主相互金融とかなんとか、そういうものとまつたく関係のない一般中小企業者が今後自己資本を充実して行こうという場合に、これに対して非常に障害となるような法律がここにでき上つて来るということになりますると、これは非常に大きな問題となりますので、その意味で、私は十分に検討していただきたいと考えるわけであります。  それから第二条の不特定多数の人間から預かり金をしていかぬということは、今日の貸金業を営んでいる実態から見まして、この趣旨については私はやはり当然のことであると考えます。ただここで多少問題になりますのは、この株主というのはどれに入るかということであります。その解釈の点について私ははつきりいたしませんが、固定株主からの借入金といつたようなものはある程度やはり認めるべきであると思うのであります。その点で、これを適用される場合には、あまり不当に資金源の充実という面についてこれを禁止するということは、私は行き過ぎであると考えるわけであります。そういう内容については、私は検討を要する点が若干あると考えております。しかし趣旨としては、もちろんこれは当然こうなければならぬことであるというふうに考えております。  それから社債の問題でありますが「主として金銭の貸付の業務を営む株式会社(銀行を除く。)が、社債の発行により、不特定且つ多数の者から貸付資金を受け入れるときは、業として預り金をするものとみなす。」という項があつて、社債という面を利用して逃道をつくるということを防ごうとしておられるようでありますけれども、社債は今日でも許可がなければ発行できないことになつているようでありますから、その面においてこれは当然に制限をすることができる。つまり現在の法律あるいはその施行の上において制限ができる。この場合に、単にその社債を募集しようとする会社が特定の会社であるとか、規模が小さいとか、そういう理由だけでもつて特殊の制限をすることが一般的な観念からいつて公正であるかどうかという点について、これは今日やはり多少の問題点があるかと思います。  それから金利の問題は、先ほど川島さん、井関さんからいろいろ御意見がありました。いずれにしても金利の問題は、私は大体井関さんのおつしやつた最初の御意見には賛成なのでありまして、根本的には、金利はできるだけ少い方がいい、かつ高金利というものはやはりこれは制限し、場合によつたら禁止して行くくらいの措置は必要であると考えます。ただ今日の実情において、実際上貸金業を認める以上は、これは営業上ある程度の金利をとらなければやつて行けないわけでありますから、その意味においては、普通の金融機関以上の金利をとるということについては、やむを得ない点があると考えます。ただこの額を三十銭にすることがいいかどうかということについては、もちろん若干検討の要があるかと考えるわけであります。この法律をつくられた大体のねらいは、私は株主相互金融を規制するというよりも、形式の上で一応合法的であるけれども、実質的にはこれを禁じて行こうというくらいのねらいがあるのではないかと考えられるわけであります。  それからもう一つは、この機会に貸金業法をこれに吸収して、貸金業を原則として自由営業にするという問題、この二つの点がこれに関律して非常に大きな問題点であると考えます。それで、この貸金業を自由営業にすることは非常に弊害があるという点は、もちろん考えられます。ただ今日貸金業法によつて届出をしているもの以外に、実際に貸金業をやつているものの数が非常に多いと私は見ているわけであります。それでこれをただ形式上届出さしていたからといつて、それによつてはたして十分な監督ができるかというと、これはおそらくかなり困難な問題でないかと思います。たとえば現在の信用組合を見ましても、あれなども地方公共団体の監督下にありますけれども、中には実際かなりひどいものもあるようであります。だからそういう制度をとつても、おそらく効果を上げることは困難であると考える。そういう点において、将来は別といたしまして、現在のところはむしろ制限すべきものは制限するけれども、原則的には貸金業は自由営業でもいいのじやないかというふうに考えているわけであります。大体保全経済会であるとか、株主相互金融などの問題が非常に大きな問題となつて参りました。これについては先ほど川島先生からもお話がありましたが、この大きな理由は、やはり一般の経済情勢の変動が原因であると思います。日本でも明治十年代ごろには、この種のものが相当盛んに行われて非常な弊害を生じた。その後保険関係の立法を生じておる。あるいはまた昭和の初めにおいてもそういつた問題ができている。そして無尽業法、市街地信用組合法に関する問題ができておる。ここ数年来またこういうような問題ができて来ておる。日本だけを見ても周期的にこういつた問題を繰返して来ている。今後もこういうことがないとは予測できない。こういう状況のもとで、ただ単に弊害のあるものに対して禁止的な法律をつくるということだけで問題が解決することを望むことは、非常に困難であると考えるわけであります。  こういつたいろいろな弊害のある問題を生じた場合に、そういう一般の経済情勢ということが一つの原因でありますし、またそういう場合に、非常に力の弱い、新陳代謝のはげしい零細企業の面に金融上の困難がしわ寄せされて来るということも、もちろん問題の一つであります。また日本人の国民性的なことも多少関連するのではないかと思うのであります。つまりああいう問題が起ると、すぐに政府が何らかの措置をしなかつたということでもつて政府を攻撃する声が起るわけであります。しかしいろいろ考えてみますと、とにかく政府なり、あるいは指導者が右を向けと言えばすぐ右を向き、左を向けと言えば左を向く、いいか悪いかの判断を全部政府にまかせるといつたようなことでは、おそらく日本の国民生活はいつまでたつても健全にはならぬのではないかと思います。ですから、政府の施策の貧困ということももちろんあるかと思いますが、同時に、根本的には国民の一人々々が独立した判断力を持つて行くという方向が当然あわせて考えられなければならぬと思うのであります。ことに迷惑をこうむつた人たちを私は二つにわけて考えなければならぬと思つておるのであります。一つは、金に非常に困つて金を借りようとする場合、その場合には、ある意味では好まないけれども株を持たされて借りて行く、こうして株を持つて、それに対して一種の払込みをして行く。払込み最中につぶれたということになると、ここに生じて来る零細利用者の困難というものははなはだしいものであつて、あらゆる面から見て非常に気の毒な状況であると考えます。しかし一方には、これに投資をすれば、非常に利まわりがいいという意味で、やはり金を出すという人たちもあるわけです。これらの人たちの中にも、個々の実情を見ますると、非常に気の毒な人のたくさんあることを私はいろいろ見聞きして知つております。しかし一般的に見ますと、多少なりとも投資をする余裕のある、資金を持つている、しかも考えようによつては高利貸しの上前をはねようという強い欲望を持つている。こういう人たちが、一つの危険を冒してやつたが失敗したというような場合に、その責任がどこにあるかということを考えなければならぬ点があると私は思います。もしこれを知らずに行つたとしても、そのくらいの余裕のある人たちは、経済的の問題についてももう少し勉強すべきものである。特に大都会ではいくらでも相談する機関があるのです。もしも知つていてやつたとするならば、それはあらかじめその危険を知つてやつたわけでありますから、その危険の損害は、やはり本人が当然負うべきであると考えます。そういう意味で、すべて法律だけによつて問題を解決する、特に禁止的な法律だけによつて問題を解決するということは、非常に困難であると考えておるわけであります。従つて、むしろそういう点では基本的な対策と応急的な対策、もつと建設的な対策というものが一方になければならぬというふうに考えるわけであります。  その次の点といたしましては、こういう株主相互金融のような問題が非常に起つた理由の一つは、他の金融機関との関係がどうであるかということが問題であろうと思います。他にたくさんの金融機関がありますが、これらの金融機関が、そういう零細資金の需要者に対して資金を供給することができなかつたということが一つの理由であると考えます。相互銀行あるいは全国一信用金庫等の貸金の内容を見てみますと、もちろん五万円以下のものが相当にあります。件数にしては両方とも四〇%から五0%くらいのものがありますし、金額にしてもやはり八%から一〇%以上のものがあるようであります。ですから、そういうような金融機関で零細金融をやつているわけであります。従つてここで見方が二つあると思うのであります。そういう金融機関の活動が改善され、強化されて行けば、ある程度一つの対策になつて来るということが一つ、それからもう一つの点は、それに若干限界があるのではないかという点であります。つまり一つはそれに要するコストの面からいつて、現在押えられているような金利では営業上とうてい引合わぬという問題であります。こういう点について、考え方といたしましては、大きな金融機関は大企業その他へ貸していた利益をもつて、一方で多少の損失があつても零細企業へ金を貸して行くというくらいのことが望ましい。但しこれは望ましいということであつて、銀行なりその他の金融機関の立場からすれば、やはりある程度営利を追求し、経営の健全性を追求するという意味から行けば、実際上それは行いがたい。そういうものは、勢い無理をしてまでやるという気は起らぬというようなことがあるのではないかと考えるわけであります。従つてその意味において、現在ある他の金融機関では、なかなか零細金融のすべての問題が解決できない状況にあると見てさしつかえないと思うのであります。そういうような点からいいまして、私はこれに対する方向としては、一方では相互銀行、信用金庫、信用組合、そういつた面における難点となつておるような点を解決するような措置をやはりあわせてやらなければならない、そのほかにある一定の程度において、貸金業というものを認めざるを得ないということになるのではないかと思うのであります。それでありますから、この株主相互金融の問題については、こういつた観点からもこれを眺める必要があると考えるわけであります。但しこの業者の人たちは、これに対して特殊の立法が必要であるという意見を相当持つておられるようであります。しかし私は、その点は多少問題があると思うのでありまして、現在日本の中小金融あるいは零細金融に対する機構というものは、非常に複雑になつておる、おそらく世界中で一番複雑になつておるのではないかと思うのであります。その上さらに新しい形のものをつくる必要があるかどうかということになりますと、かなり疑問がありますが、特にそういう株主相互金融をやつておられる人たちの言うことを伺つておると、本来これは相互金融だということを非常に強調しておられる、つまり協同組合金融あるいは相互金融というものに対しては、やはり信用金庫なり信用組合のような制度がある、従つてもしそういうような観点から考えて行つた場合には、当然方向はやはりそこべ向くべきであると思うのであります。ただこれを妨げておるものは何であるかというと、やはり私は金利体系の問題であると思う。従つて金利の面において、信用組合その他に対してやはり若干弾力性のある措置が必要である。そういう零細企業に対して金融をしても、一応経営上収支相償うというところに方向をとるならば、その方面の金融機関がもつと発展し、あるいは現在あるものでもその方面に転じて行くこともできるということで、これは一つの方向であると考えるわけであります。しかしながらすべてが協同組合的な金融だけでもつて零細企業の金融が片づくかというと、これは現状ではやはり十分には行かぬと私は思うわけであります。将来の問題は別といたしまして、現在は十分には行かない。そこでやはりそこに一般の貸金業の問題が残つて来る。ですから、その点では一般貸金業のあり方をここで若干是正して行きながら、そのあり方を認めて行くということがすべきことだと思うのであります。従つて株主相互金融の場合においても、非常に弊害となつて、社会的に害悪を生ずるような面については、やはりこの際禁止もしくは制限する。しかしそれが協同純合金融の方向か、あるいは残された貸金業の部面かにおいて生きて行けるような方式、これはやはり私は考えて行かなければならぬと思うわけであります。特に保全会の問題以来、非常に大きなあらしにこの業界は見舞われたようであります。それにもかかわらず、なおかなりの業者が残つておるということ、それだけ一つの社会的な必要に応じている面もあるということは、そこに考えられる点があるわけであります。従つてそういうものをただ禁止してしまつても、これはどこか別なところに無理が来て、同じような問題をまた繰返して行くわけでありますから、そういつたようにある程度健全に、かつ堅実にやつて来た、あるいは現在やつている、今後やつて行こうとする意思のあるものに対しては、一定の調整のもとにやはりこれに方向を与えてやることが必要ではないかと考えるわけであります。大体これが私の考えの大要でございます。  要するに、結論的に申し上げますと、一応こういつた当面問題になつたような事柄は、確かにいろいろ弊害を生じたわけでありますけれども、一面においては、ある一つの必要に応じてできて来たという点も持つております。かつ現在なお残つているものは、そういつた性格をかなり残している面もある。こういうわけでありますから、これに対して制限的な措置をする場合には、かなり慎重に検討されることが肝要であるというわけであります。  それからそのあり方を検討するにしても、新しい金融機関をここで考えて、そこでまた特殊の立法をするという必要があるかどうかということについては、私は非常に疑問を持つておるのであります。結局それではどういう対策をとるかということについては、基本的には零細企業自体に対する零細企業対策というものを確立することが根本的に必要であると考えます。それはきようの問題の焦点からはずれますから、その内容の具体的な点については申し上げませんけれども、ここにとり得る幾つかの方策があると私は考えておるわけであります。一般的な零細企業対策のほかに、零細企業金融対策をさらに考える、この場合には、先ほど申し上げましたように、現在ある零細金融に対する協同組合的な金融機関の制度というものをさらに改善するということであります。現在信用金庫と信用組合がありますけれども、たとえば員外預金を認めないとか、あるいは内国為替取引ができるとかできないとか、そういつたごくわずかの問題を除いては、大体同じようなものになつております。ところがあれは、最初中小企業等協同組合法によつて信用協同組合ができ、そのときあわせて協同組合による金融事一業に関する法律ができて、その場合に、信用協同組合のつくり方に対してかなり強い制限ができておる。その後信用金庫法をつくるときに、その中から大きいものだけを分離して、信用金庫法に吸収された。この際も私は、信用協同組合に対する措置が改正さるべきであつたと思うのであります。それが改正されずに、そのまま上つて来たために、どこに信用金庫と信用協同組合の差があるか、非常にわけのわからないものになつている。この点は、日本は日本の特殊な事情によつて政策を立つべきであると思いますけれども、しかし信用協同組合のようなものは、ある意味において世界共通の制度であり、原則的には幾つかの基本的な考え方があると思うのであります。つまり一つは、非常に大規模の、ある意味において、その性格において、業務の運営において銀行と同様なものである。ただ根本の精神において相互金融である。こういう形のもの。もう一つは、非常に小さいけれども、もつぱら自己の資金によつてやる、もつぱら小規模でやるけれども、非常に健全に運営して相互金融の実を実際的な対人関係の上に生かして行くことのできるような信用組合、これはやはりある意味において信用組合の一つの型であると思うのであります。今日の状況を見ますと、三百人以上の組合員であるとか、あるいは一定の資金を要求するために、むしろ協同組合でなしに、一種の中小企業を考えるように、無理に人数を集めたりするところから、実質は協同組合金融ではなくなつてしまつている。むしろこれは非常に小さな規模であれば、そこに経営に破綻を生ずべき危険性もないわけであります。たとえばスイスならスイスを見ましても、農村にある信用組合などはもちろん住所も持つていない。役員の一部は奉仕的に帳簿その他を見ている。こういうところでは経費がかからぬから、赤字になつて経営が倒れるという心配は全然ないわけであります。しかも組合員がお互いによく知つておるから、不良貸付があつたり、その他貸付の面における危険性も少い、つまり赤字になる心配もなければ、破綻下る心配もない、実際に相互金融の実をあげて行くことができる。こういつたようなものがあるわけでありますが、これはやはり信用組合の一つの方向であると考えるのであります。こういう点については何ら制度的に道が開かれていない。特にこの株主相互金融などを見ました場合に、高利の金を貸しておるのにもかかわらず、貸倒れが非常に少いということであります。ということは、実際には日がけで金を返しておる。すなわち高利の金を借りても、なおこれを完全に返済して行くことができる。零細企業者というものが株主相互金融の対象になつておるとすれば、こういうような人たちは、低利の金を借りても当然に完全に返すことができるわけであります。こういうものが普通の金融機関のベースに乗らないことは絶対に私はあり得ないと思うのであります。若干危険性が残るとしても、高利の金を借りてもはとんど全部が完全に返して行くというのが、これが普通の金融機関の貸出しに対するあり方であると心いますが、ここに非常に大きな失陥があると思います。ここで私は普通の金融機関の活動をもつと改善し、強化して行くと同時に、また制度的にも改善をして行くという政策が立てられなければならぬと考えるのであります。  時間も過ぎましたからこれで終りたいと思いますが、株主相互金融に関連したこの法律については、十分慎重に検討されて、どうしても禁止する必要のある面、制限する必要のある面についてはもちろん制限する。しかし一般的に建設的な対策なしに、全面的に、ただ実質的にはこれを禁止して行こうということになつて来ると、新しい弊害を生ずる危険性もありますので、その点については、何らかの形において正しい方向に持つて行くような政策とあわせて実行しなければならないのではないか。こういうふうに考えるわけであります。少し時間をとり過ぎたようでありますけれども、私の意見の開陳はこれで終りたいと思います。

千葉三郎改進党

○千葉委員長 以上をもつて御三人の参考人の御意見の開陳は終りました。これから順次質疑に移りたいと思います。まず第一に藤枝君。

藤枝泉介自由党

○藤枝委員 川島先生に三つほどお伺いしたいと思うのであります。ただいま中島さんからお話がありましたように、第二条の預かり金の禁止に関連いたしまして、株式会社の貸金業の社債を禁止しておるのでありますが、預かり金の禁止というのは、預金者の保護が十分でない。一般の正規の金融機関のような十分な規定がない、そこでこういう禁止しようというのが趣旨だと思うのでありますが、そうなりますと、社債につきましては、社債を持つた社債権者というか、その保護は帳簿その他で相当保護されておるように考えるのでありまして、特に貸金業を営む株式会社の社債だけを禁止するということは、何かちよつと行き過ぎのような気がするのでありますが、その点の均衡というような考えからいかがなものでございますか。  第二点は、先ほど井関先生からもお触れになりましたが、利息制限法で、たとえば十万円未満のものは年二割以上のものの契約は無効だ。もちろん任意に支払つたら返還を請求できないというような但書がございますが、要するに十万円未満で二割以上を越せばその契約は無効だ、いわば国家的保護を与えないのだということを一方でやりながら、一方でたとえば五条の高金利の制限で三十銭、年にすれば十一割くらいになりますが、三十銭まではよろしいのだということ。言いかえれば国家的に制限するということになるわけでありますが、その辺の観点がどういう考え方を持ちましたらよろしいのでございますか。一方で国家的な保護を与えないといいながら、一方ではそこまではよろしいのだというような法律の書き方が一体どうなるものでございましようかということでございます。   〔委員長退席、内藤(友)委員長代理着席〕  それからもう一つは、先ほどもお触れになりました確かに窮迫、無知、無経験というようなものに乗じた高金利というものは、私どもも一つの社会悪として取締るべきものだと思うのでありますが、もしも先生方の御意見のように、高金利の制限を法律でフィツクスしない、他の方法によるといたしましても、そうした窮迫、無知、無経験というようなものに乗じた高金利を取締る何か他の方法が考えられるでございましようかどうかということでございます。  最後に第五条の第五項によりますと、礼金だとか割引料だとか手数料、調査料その他何らの名義をもつてするを問わず、利息とみなすということになつておるのでありますが、私どもはあまり金を貸したことがないのでよくわからないのでありますが、たとえば不動産抵当の場合には、不動産の抵当権の登記料、あるいは公正証審の作成の手数料、そういう公の手数料が当然伴うと思うのでありますが、そうしたものは第五項の「何らの名義をもつてするを問わず」というものには入らないと考えるのでございますが、この点いかがでございますか。四つの点だけお教えを願いたい。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 私もよくわからないことが多いのでございますけれども、今の社債の問題でございますが、私はどうもこれはむしろ法務省の方に伺つていただいた方がよくわかるのじやないかと思いますが、私の想像では、要するに金銭の貸付業務というもの、つまり金を受入れる、要するに人の預金で金貸業をやる。これはつまり銀行業務になるわけであります。ですからそういうものは金融業の取締り法規というものがありまして、つまり大衆の金を預かつて、それをもつて貸して行くという場合には十分に監督をして行かなければならない。そういう建前があるわけですから、そういう監督ができない業態については、人から金を預かることを一般的に禁止しようという趣旨だろうと思います。要するに今まで日本のいろいろな金融業の歴史を見て参りましても、いつでも人の金を預かつている人間が、ほんとうは金を貸すわけですけれども、ほしいままにかどうか知りませんが、相当乱暴なことをやつて迷惑をかけている例が非常に多いわけでございます。これは例の信託業法ができるときも同じようなことが非常にあつた。そういう意味から、ただ社債を集めるのじやなく、人に金を貸すということは、やはり預かる金を受入れるということと関連して、これはやはり一種の許可営業であり、非常に大蔵省の監督を受けている業態なんです。これが一種の脱法になるわけですから、その監督を完全にやつて行こうとすれば、どうもこの点のコントロールも必要ではないかという気がするのであります。  それから利息制限法の御質問でしたが、この利息制限法で禁止しておるにもかかわらず十一割までは罰せられないという考え方ですが、これもどうも法務省にお開きいただいた方がいいと思います。実は私もよくわからないのです。それで大いに考えたのですが、どうも利息制限の二割以上はいけない、二割を越した場合でも任意に払つたら有効であるという考え方の中には、一応二割で押えるのだ。これは一応のことであつて、越しても払つたものは大目に見て行こうという考え。これはおそらくはんとうに利息のコントロールはできないという一種の妥協の考えがあるのではないか。しかしここで十一割を越しては断固いかんという段階がおそらく政策約にあるのではないか。それがつまりそういう形で現われたのではないかと考えます。御承知のように従来の利息制限法、これは昔の千円ですが、昔の千円で一割以上はいかんというああいう規定のもとで、一たん払つたものは返還請求できないのだという、これは従来の大審院以来の判例なんですが、この判例に対しては相当法律上の異論があるわけです。一たん払つてしまつたらだめだということは、実際問題として何にもならない。つまり今後のことだけしか押えられないというのでは実益がないのではないかといろことですが、今度の利息制限法案はそれを踏襲しておるわけですが、これは一律に固定的なレートをきめておいて、それを越したらいかぬということは、どうも経済上から見てできないのではないかという、先ほど私が申し上げましたような考慮が働いておるのではないかという気がするのであります。それで従来の利息制限法のもとにおきましても、民法の第九十条には、公序良俗に反したものは完全に無効だということがございますし、おそらく民法第九十条で行きます場合には、搾取された側には不法性がない。民法第七百八条で返還請求は認めることになるだろうというのが私の考えでございます。先ほどの第三の質問にも関連いたしますが、私個人の考えといたしましては、民法論から行けば、そういう形で返還請求を認めるここによつて解決することになるのではないかと思うのであります。しかし先ほど申し上げましたように、貸金業というものは許可営業にしまして、大蔵省が監督しまして、窮迫に乗ずることがないよう行政的な監督を加えることを考えなければ、単に民法の措置だけではできない。民法というのは訴訟を起してとるわけですが、貧乏で高利貸しから医者代を借りるというような人は、訴訟を起して返還請求をするということはできません。私、法律家でありますが、訴訟を起すということはたいへんおつくうで、とても訴訟を起す気にはならない。いわんや一般大衆はそういうことはできませんから、これはどうしても行政監督で予防的措置がいるのではないかと思います。  それから第五条の第五項でございますが、これは先ほどおつしやいました通りだと思います。つまりそういうものは含まれておらない。従来高利貸しが金を貸しますときには、手数料、調査料云々ということで天引きをやるわけですが、そろいう名義でもつて利息天引きという形で利息制限法を免れるというようなことでは困る。しかも従来の大審院の判例では、どうも利息天引きに関する考え方がすつきりしておらないのです。私はかねがねその点は疑問を持つておつたのですが、この第三項以下の規定は、われわれ学者が大審院の判例について疑問を持つておつた点を非常にはつきり書いておりますので、私はこれには全面的に賛成なんです。そういう趣旨でありますから、客観的にほんとうにかかつた手数料はこれに入らない。つまり手数料の名義でもつて制限利息をくぐるという脱法行為を禁止する規定だと思います。これは立法当局に御質問いただきたいと思いますが、私はそういうふうに解釈しております。ですから裁判所に行きますれば、そういう解釈になることは疑いないと思います。

藤枝泉介自由党

○藤枝委員 もう一つ井関先生にお伺したいのです。ただいまお話があつたのですけれども、例の零細な金融は正規の金融機関でやり切れぬだろうということが先生方のお話なのであります。そういたしますと、先ほどもお話のありました非常に零細な金融のためには、いわばコストが相当高くなる。今川島先生に御質問した公的な手数料じやないかもしれませんけれども、たとえば日がけを集めて行くとかいうことで、ほんとうに実際にかかる手数料が相当ありまして、おそらく相当の金利にならないとやつて行けないのではないかというふうに考えるのでございますが、そういうのは、貸金業そのものが罪悪だと考えてしまえば別問題ですが、必要なものとすれば、たとえば日歩三十銭というようなことば、そういう零細金融には相当きついような気がいたすのでございますが、その点について先生の御経験からの御意見を承りたいと思うのでございます。  それからもう一つ、両先生とも貸金業というものを一つの許可制度にした方がいいのではないかと言われました。今度この法律の附則で、貸金業等の取締に関する法律を廃止する趣旨は、おそらくなかなか目が届かぬ、届出なんという 中途半端なものより、いつそ自由営業にした方がいいのではないかという考え方が含まれておるのではないかと私は考えるのでございますが、許可制度にするということになりますと、先ほど府県庁でもいいじやないかというお話もありましたが、官庁の人員その他が相当に充実しないといけないように思うのでございますが、その点につきましてどのようなお考えでございますか。その点をもう一度お伺いしたいと思います。

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 金利の点でございますが、先ほど申し上げましたように、つまり一定の経営規模といいますか、自己資金にしろ他人資金にしろ、最低の資金を集められるような制度にしておいた方がコストが安くなると思います。そうすればマージンが少くても経営できますし、先ほど申しましたように、残る株式相互の中で三十銭で優にやつて行けるというのは、資金量が相当あるわけでございます。自己資金を三分の一もしくは二分の一持つているところはこれでやつて行ける。ところが零細なものになると、三十銭ではきついのでございます。これは理想的に申しますれば私は、以前から最低の自己資金を持つたものに許可した方がいいと思つております。それ以外の犯則者はできるでしようけれども、これは質屋の場合もそうですが、お互いに業者が摘発いたして行きますから、割合許可営業の場合にはないと思います。それから許可営業でもう一つ必要なのは、人物の判定です。刑事局の参事官の高橋さんは、制度の問題ではなくて、経営する人の問題だと言つておられるのですが、人の問題になると許可常業にする以外に人物の判定はできない。人物の履歴を出させ、調査して信用組合の場合も相互銀行の場合も重役たんかを許しているようですが、やはりそういうことが必要なのじやないか。そういう点からも私は許可制度にした方がいいのじやないか、こういうように考えております。でありますから、理想的に言えば、一定の資本金を持つた者に対して、しかも許可制度にしたら、コストが安くなるし、監督もできるのじやないか、こういうように考えております。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 ただいまの藤枝さんの御質問に関連して、私ちよつとつけ加えさせていただきたいと思います。  許可営業にする問題ですが、私行政のことはあまり存じませんので、どのくらい金がかかりますかよくわかりませんが、それはひとつ皆さんで御研究いただきたいと思います。ただ私がちよつと許可営業にしたいということを申しましたのは、窮迫に乗じて高利をむさぼるというようなことは、完全な自由営業にしておいたのでは、その都度罰したくらいではなかなかとまらないので、むしろ営業を許しておく限りは、かりにそれが全般的に絶えず完全に目が届かなくても、いやしくもそういうことをやつて営業許可を取消されたらもう商売ができないのだということをはつきりさせ、かつ罰則をつくつておくということを考えないと、どうも暴利金融というものをコントロールできないのじやないかという気がするものですから、そういうことを申し上げたのでございますが、行政上のいろいろなことは私わかりませんから、御研究願います。  それから私は、現在こういういろいろな問題が起りますのは、要するに庶民あるいは中小企業金融が戦後極度にきゆうくつになつたということがやはり根本原因だろうと思うのでございます。そのためにどうしてもそつちの方の金融を考えなければならぬということは、先ほども中島さんからお話があつた通りでございまして、私もまつたく異論がございませんが、私最近あることを調べてみたのですが、私は専門家でないものですからわかりませんが、公益質屋のようなものが、営業質屋に比べますとずいぶん安い金利で大きな役割を果しているように私どもは見受けたのです。それで私は、府県あるいは市町村、あるいは国家の資金によるそういう低利の金融を、やはり国家は考えるべきではなかろうかというふうに考えるわけです。これは井関先生のお話と私はそういう意味ではちよつと違うわけですが、どうもそういうことをいたしませんと、現在日本全体に貧乏人が非常に多くなつておりますので、これは社会思想といいますか、社会秩序を維持して行く上におきましても、貧乏人を野放しにして貧乏なままにしておくことは、これはたいへん危険ないろいろな問題を起すわけであります。これはやはり一種の社会保障的な考え方でもつて、やはりそういう金融を公共団体が考えるべきじやないかというふうに思います。これは政策問題になりますのでわかりませんが、ひとつお考えいただきたいと思います。

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 申し落しましたが、官庁の人員の問題でございます。今これを野放しにするというのは、大蔵当局の考えなんかも、やはり手がまわらぬから、検査がそこまで行かぬということが一つであつたと思うのです。しかしこれは資本金で制限し、人物で制限すれば相当数が減つて来はせぬか。それから私の考えているのは、大蔵省で監督しなくても、経済的知識は少し不十分で、監督も十分でないかもしれぬけれども、質屋は御承知のように国警の監督になつております。むしろそういうところへ経済的知識のある人を入れてやらせてはどうかという点は、私は川島先生と同じような意見なんです。現在の程度ではそういう考え方で行くのですが、理想的に言えば、むしろ社会保障やなんかの制度に行くべきものですけれども、財政力の薄い日本では、私企業として認める以外にしかたがないと思う。そういうふうになれば、そういうふうな地方官庁の取締りでも、すつきりしたものにしてやつた方がいい。地方官庁であれば、質屋でもそうですし、それから信用組合あたりも府県の監督になつておりますから、単に犯罪だけでなしに、少し経済的に知識のある人を増せばうまく行けるのではないか。かゆいところに手の届くようなことも多うございますから、むしろその方がいいのではないか、こういうふうに考えます。

大平正芳自由党

○大平委員 株主相互金融の問題につきましては、われわれも慎重にいろいろ苦心して考えてみたのです。ところが去年の三月に銀行局長が声明をしまして、大蔵当局といたしましては、株式会社というのは自由設立になつておりまして、要件さえ整えばいいわけで、それが何をしようといいのだから、たとえば貸金業を目的とする株式会社ができてもいい、従つて現行商法の規定を厳格に遵守してやればさしつかえないのだ、こういうような意味の公の見解が表明されたのでございます。従つてその線に沿つて今度のこの法律ができておるようでございますが、これは見方によつては、中島さんもおつしやるように、自主的な禁止をする法律のようにも思います。特に先ほど藤枝君が触れましたが、金銭の貸付の業務を営む株式会社については、社債の発行を禁止するという条項が入つておりますが、これは、銀行局長が言われておつた声明に少し背馳するような規定ではないかと思うのであります。ともかくこういうことで一体株主相互金融がやつて行けるか行けないかという問題は、やつてみなければわかりませんけれども、おそらくわれわれの想像では非常に困難ではないか、非常にむずかしい綱渡りをやらなければできない商売に相なるのではなかろうかということを心配するのです。こういう株主相互金融というような制度ができたゆえんのものも、先ほど藤枝さんからもお話になりましたが、正規の金融機関で金融がまかないかねる、質屋とかあるいは個人の貸金業者の資金にも限界があるし、資金の需要が非常に旺勢なときに、こういうものができる温床がともかく戦後にはあつたからできたのだろうと思うのであります。従つてそういう社会的な必要を全部抹殺してしまつて、禁止するようなことをやつていいのか悪いのかということになると、これは社会政策的にも非常に問題が起きると思うのであります。  私のいろいろ考えておりますのは、この銀行局の言う見解によつてやるにいたしましても、株式会社で増資の手続、あるいは社債発行の手続を普通商法の規定の手続によつてやると、非常に手数がかかるし、同時に経費もかかる。簡便に資金の調達ができないということになるわけでございますが、そこに何か簡便な増資の方法、あるいは社債発行の手続についてもう少しシンプルなやり方を考えてやれば、大体政府の考えておるような線に沿つて、非常な努力はいるでしようけれども、ともかくまじめなものが商売をやつて行けるのではないだろうか、こういう感じがするのです。特に許可制にしたらいいのではないかというような御意見もありましたが、そうなると、もう少し進んだ行き方になりまするが、そこまで参らなくても、現行商法の一部の非常にめんどうな規定を排除してやつて、もう少し簡便に増資と社債の手続によつて資金が調達できるようなぐあいに考えてやることができはしまいかというようなことを、しろうとながら考えておるのでございます。  そこで川島先生にお伺いいたしますが、今の法律の中に、特定の業種を営む株式会社について――これは一つの特別会社ではございませんで、貸金業を営む株式会社という業種につきまして、社債とか増資等の手続に特例を設けるようなことをやりましても、日本の現在の法律の主義からいつて許されるものだとか、そういうようなことをやりますとこういう弊害が起るのだとか、いや、そういうことはやりようによつてはできるのだとか、そういつた御見解をお漏らし願えれば、非常に仕合せだと思います。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 まず銀行局長のお話でございますが、これもたいへん申訳ないんですが、銀行局長に聞いていただかないと、私もよくわかりません。つまり金を貸す会社というよりは、商法の規定さえふんでおれはいいわけなんでございましよう。ただ金を貸す会社が、金を大衆から集めるということになりますと、銀行取締りの法規に触れるわけでございます。つまりその脱法行為になる。例の保全経済会は匿名組合という形をとりましたけれども、実質的には大衆から金を集めるという行為をやつた一種の信託業です。元来ああいう大衆から金を集めるものをコントロールしようというつもりで法律体系ができております。ですから、とにかく社債を出すということになりますと――これが金を貸すということになると、ちようど銀行と同じようなことになりますので、社債という形で不特定かつ多数の者からとるということになれば、これは要するに一般大衆から金を集めて金融に使うということになりますので、現在の法律体系からいえば、それをコントロールしないと、大きな抜け穴ができるということになるのではないかと私は考えるのであります。銀行局長はどういう趣旨で言われたかわかりませんが、ただ金を貸すということだけを考えれば、株式会社でいいわけですけれども、大衆から金を集めるということが伴うと、そこに問題が起つて来るのではないか。それはまさに第三項が考えていることではないかと思います。  それからもう一つの、社債発行を簡単にするという御質問はちよつと別でございますね。これは一般商法の相当大きな問題になりまして、ちよつと簡単には行きかねるかと思います。ある業態についてのみ簡単にするということを、ちようど有限会社が株式会社に似ておつて非常に簡単なことになつておりますが、それと同じようなことをつまり考える必要があれば、これはまた考えられるかもわかりませんが、それはおそらく業態とも関係いたしましよう。業態といいますか、資本構成として株式会社という形をとりますれば、やはり必要に応じて厳格になるというふうなことになるのではございませんでしようか。おそらく技術上は相当困難になるのではないかと思います。

春日一幸日本社会党(右)

○春日委員 一、二お伺いいたします。この法案の第二条第二項に禁止さるべき預かり金の定義がここに明記されてあると思うのでありますが、それ  よりますと「預金、貯金又は定期積金の受入及び、借入金その他何らの名義をもつてするを問わず、これらと同様の経済的性質を有するもの」は金銭の受入れを禁止する。しかしこれは不特定、多数でありますから、特定少数、すなわち株主から預金を受入れたり、あるいは定期積金、借入金その他のことをやることは、株主からやることは一向さしつかえない。不特定多数からはいかぬが、特定少数ならばいいという形になるわけです。今まで相互金融が問題になつており、なお法的にも疑義があるということが伝えられておりましたが、株主からの預金の受入れその他いろいろありますが、こういう金を受入れることは、今後はこの法律によつていいという形になるのではないかと考えられますが、川島先生並びに井関先生は、これについてどういう専門家的な御見解をお持ちになつておるか、ちよつと御所見を承りたいのであります。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 私はちよつとその問題は……。これは、終局的にはもちろん現在ではすべて最高裁判所の判決で法律解釈がきまるわけでございますが、私個人の考えとしましてはこういうふうに考えます。つまり従来の株主相互金融の形態は一応別にいたしまして抽象的にこれを考えますと、株式というものは譲渡性がございますので、従つて不特定多数――株式組織であるから、それだけでは少数特定とはちよつと言いかねるのではなかろうか、つまり株式というものは譲渡性がございまして、甲の人間を株主にして、そうしてそれが切れたからまた株主をかえて別の者にやる、現に従来の株主相互金融というのはそういう形態をとつて、不特定多数の人から借りておるわけでございますから、おそらく株主ということだけで少数特定という解釈をすることは困難ではなかろうかと思います。従来の株主相互金融でやつていたのは、実際のやり方は確かに不特定多数でございますね。ですからこの法律でもつて預かり金でないということになつたというふうに思えるかどうか、大蔵省はどういうつもりでつくつたか知りませんが、ちよつと困難ではなかろうかと私は思います。

春日一幸日本社会党(右)

○春日委員 井関先生はどういうふうに……。なるたけ反対の意見を……。(笑声)

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 大体同様な意見です。前の株主相互をやつたのは、株主だから特定だということは言えないので、やはり株式の譲渡移転をやつていますから……。それから一般の株式の場合も、毎日売り買いをやつて譲渡移転をやつているのですから……。だからこれは、固定した株主で譲渡移転をしないで、移転を禁止するなら特定少数ということが言えるが、譲渡移転を許す以上は、やはり不特定ということになりはしないか、ということは私は川島先生と同じ意見であります。ただこの法律のねらいは、自己資金でやるならいい、それから株主組織でやるのもいい、固定の株主でやるならいいけれども、それ以外の形で資金の受入れというものを何らかの方法で――社債であろうが、どういう名目であろうが、禁止しようという目的であると思います。私は何らかの形で取締る、これはやつかいでしようけれども、ある種類の制限を付するか何かしてやはり資金の導入をやつてやつた方が、貸付資金のコストを下げるためにはいいと思いますが、技術的には非常にむずかしいと思います。私は前回にもここで同じ問題を――一体預金や何かを許してやつたらどうかという御質問があつたのですが、今の金融情勢のもとでは、大資本の金融機関が相当反対の意見があるでしようから、預金の形の受入れはどうもむずかしいだろうということを申し上げた記憶があるのですが、そういうふうに考えておるので、ただ技術的に非常にむずかしいけれども、たとえば信用組合の場合は員内貯金、組合員の貯金を認めておる、これも不特定多数になりはせぬかと思うのですが、特別法で、員外貯金は信用金庫には許してあるけれども、信用組合には許してない員外貯金を、株主と同じ加入者の預金もしくは家族の預金、それから家族でなしに親戚だとかなんとかいうので、実際は不特定多数の株主以外の員外貯金も預かつておるところもあるようであります。そういうふうな預金受入れを、資本に対する金額の制限かもしくは何らかの形でそれができれば、資金のコストの面も非常に下ると思います。しかしこれは取締りとしては非常に技術的にやつかいな問題になつて来ます。

春日一幸日本社会党(右)

○春日委員 ただいま両先生の御見解では、株式というものは株主に対して譲渡禁止の何か決議によつて、そういう制限があれば特定少数になるのだ、こういう井関先生の御見解であり、そうであつたとすれば預金の受入れをしても、この法律の面から見ればさしつかえないものと思われる、こういう御答弁だつたと思いますが、しかしこれは法律論争をしても、先生の方はくろうとで、私はしろうとなんだから……。(笑声)しかしその株式というものは、譲渡を前提としてみんなが応募していないだろうと私は思う。一応その事業を対象として応募した人は、これはいずれにしても特定少数の人なんだ、だからこれが譲渡されるということは異例中の異例であつて、それを一つの普遍的な不特定多数の中にこじつけて行くということは、せつかく両先生方の御意見でも了承いたしかねるのです。(笑声)これを今問題にしたいと思うわけであります。  さらにこの機会に私がお伺いをいたしておきたいのは、この第二項の制限列挙の末尾には「同様の経済的性質を有するもの」、こういう文字でここに表現してあるわけでありますが、同様の経済的性質という言葉の中に、出資金が含まれはしないであろうか、これを専門的にいかに分析しておられますか、お伺いをしたいと思うのであります。そこでこれと同様の経済的性質を有するものというのは、たとえば、おれはひとつ貸金業を営もうと思う、従つて諸君応募しろ、こういうことでどんどん応募して行く。それによつて資本金ができ、その金によつて貸付を行うのであるから、貸金のための経済的効果の性質も持つておることと思うのだが、この場合、そういうような出資金を、経済的性質を有するものの中に含まれるような心配はありはしないであろうか。大蔵省の見解がどうあろうとも、これを見た裁判所がこれをどんなふうに考えるであろうか、この点もひとつお伺いしたい。  それからもしこの出資金がこの第二項の制限列挙の禁止の中に含まれるものとするならば、今度は新規募株もいけないことになる。むろん増資もいけないことになる。そうすれば株式会社によつて貸金業を営むということは絶対できないというように考えざるを得なくなるような気がするのだが、この問題は川島、井関両先生はどういうふうに解釈しておられますか。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 どうもたいへんむずかしい御質問で、私はあまり貸金業の専門家でないので、どうもよくわからぬのですけれども――これは私個人の希望を言うのじやなくて、この法律を読みました感じです。この法律の立法趣旨というのは、従来の金融法の体系、つまり銀行法とか無尽業法とか信託法とかいろいろございますが、要するに大衆から金を預かつて運営するという場合に、それが金を預かつて何か事業をやる、何か生産のようなことをやるとか、商売をするという場合には、普通の株式会社法でよろしい。しかしそれが金融業というふうな性格を帯びるときには、これを原則としてコントロールしようという考えが日本の金融業取締りの一般的なシステムとしてあるわけです。ところがその盲点をついて従来のようなああいういろいろな経営形態が出て来たわけです。これが盲点であつたから、ひとつこの穴の明いておるところをふさごうというのが、おそらくこの法律案の趣旨ではないかと思われるのです。もしそうだとしますと、名義のいかんを問わず、そういう性質を持つているものはいかぬというふうな解釈になる可能性は相当多いのではなかろうかと思います。これはおそらく実際の運営は、最後は検察庁がどう考え、それから最高裁判所でどう考えるかによるわけで、具体的なその限界がどこに引かれるかということは、最後はそこまで行かなければわからぬわけでございますが、私これはかなり広く解釈されるであろうということが言えると思います。これは私の希望を言うのじやありませんですよ。日本の法律体系のもとにおいて、こういう法律がこういう言葉づかいでできる場合には、そう解釈されるであろうということを、ただ法律家として申し上げるわけです。私の個人の希望とか、どんなのがよろしいかということではないわけです。こういう言葉づかいがしてあれば、おそらくそういうふうになると思います。

春日一幸日本社会党(右)

○春日委員 井関先生、ちよつと御見解を伺います。

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 この点は、私も承つたことがありますが、お隣の中島先生の御意見があると思います。つまり株式相互のやつている出資総額もしくはそれ以上の貸付をするとか、払いもどしをするとか、支払いをするとかいうことを明示し、もしくは暗黙のうちに示すことなく、おれは純粋な貸金業に投資するのだという目的の株式は、これはもう私はこの法律ではおそらく禁止できないと思います。これは商法の根本原則からいつて、それでは会社の成立というものはできないのです。会社で個人金融業をやつてはいかぬということになりますから、今までの商法の規定による純粋な固定の株主、ほかの約束なしの、明示もしくは暗黙のうちの契約なしにやるところの株は私は禁止できないと思います。条件のついた株の募集はいろいろ形でも――ここの「経済的性質を有するもの」というのはそれを意味すると思います。だから固有な純粋な株主の商法の投資の場合はできるけれども、それ以外のものは一切いかぬというきゆうくつな取締りだと思います。これはその国の経済状態や法律によつて違うのですけれども、アメリカあたりでは、小口貸付会社及びモーリス・プランというものは、株式も社債も保有を許しておる実例がありますから、その国の立法の方針によるものであります。ですから日本の現在のこの法律を見ただけではいかぬと私は思います。ただこういう場合はどらかということを考えてみたのですが、株式を持つて、あとで金がいつたから貸してやる、これは一体金銭の支払いになるかどらか、五万円の株を持つた、あとで五万円貸してやつたというのは暗黙のうちにこれを示したことになるかどうか、これは外交員も何も言わないで、営業案内も何も書かないという場合、これはどうなるか。これは株主に対する貸金を禁止したということになりますと、株式会社の成立ができないし、貸金業の成立が不可能になるのじやないかということを考えるのですが、そこらの限界が私は非常にむずかしいのではないかと思います。但しこれもいかぬというのは、証券法のところで供与ということを書いてあつて、支払いと書いてない、供与ということになると、貸付もその供与の中に含みはせぬか。だから株主にはあとで命を貸し付けてもいかぬじやないかというふうにも解釈できるわけです。この点、私は立法上この明文から見て疑問を持つておるので、一ぺん立法者の意見をただしてみたいと思いますが、まだ疑問になつております。

春日一幸日本社会党(右)

○春日委員 両権威の御意見を聞いてみますと、もちろんこの法律案はまだ依然として一つの案であつて、何も権威を持つていないものだが、結局はこの法律の文字そのものからいろいろ解釈して行けば、なかなかわからない。特に川島教授のごときは、最高裁判所の判決を見なければ結果について断定的な意見を述べることは躊躇されるというような御意見も述べられております。これはまさしく法律に盲点があつたり、解釈によつてどうでもできるという、そういうばかげた法律は出すべきものではないのです。私は両先生の御意見をもし河野銀行局長が来られたら、一ぺんちよつと聞かしてあげたいくらいに思うわけなんだが、いずれにしましてもこの両法律案は、保全経済会並びに殖産金庫の問題で立法しろという国会の意見にもかかわらず、大蔵省が等閑に付して一年三箇月、大きな弊害をもたらすことによつて周章狼狽して、はとんど錯乱、狂乱状態になつて、そして思いついて出して来たのがこの法律案ではないかと思われるのでありますが、両先生からいろいろ御高見を拝聴いたしまして、さらにこの法律案がきわめてずさんなものであるということに対するわれわれの考え方に対して、一つの裏づけを得たようなもので、まことにありがとうございました。

山本勝市自由党

○山本(勝)委員 簡単に一、二点お伺いを申し上げたいと思います。川島先生の御陳述で、こういう一般的な法律でで幾ら幾らというふうに金利をきめることは適当でないという御意見はまことに傾聴いたしたのでありますが、これについて川島先生並びに井関、中島両先生から、私の考えに対するお考えを伺いたいと思うのです。それは今はつまり金利が高過ぎるということが問題になつて法律ができておりますが、金利が安過ぎるということもやはり問題になるのではないか、こういうことなのです。特にこれは井関先生に伺いたいと思うのです。もちろん借りる方からいいますと安い方がよいわけです。金を借りたくて借りた人から申しますと、安いに越したことはない。しかしどこか適当の金利というものは、やはり一定の状況のもとにおいてはあるものだと思います。その適当の金利というものは、私の考えでは、要するに資金の供給と需要が大体バランスをとるところだと思うのです。もしバランスのとれるところが適当な金利であるという私の考えが立つとしますと、このバランス以下に貸すということになれば、ある特定の人だけが非常に安く借りることになる。つまり需要者がたくさんあつて、これに対して供給が及ばないというアンバランスになるのですから、従つて少数の人だけが安く借りる特典を持つたことになつて、他の人は高くも安くも全然借りられない。無理に借りようと思えば、内緒で非常に高い金利で借りなければならぬという事態が結果において生じて来る。ですからある一定の適当な金利、つまり資金の需給関係から見て適当な金利を課そうという――これは現に政府もそういう政策をとつておりますけれども、そういうことをいたしますと、結局借りた人だけが安く借りられる。借りたい人の中で借りられなかつた人は、まつたく借りられないか、それとも今度はその適当な金利より以上の、非常な高金利で借りなければならぬという事態が必ず生じて来る。こういうことから、私は高過ぎる金利もいけないが、安過ぎる金利もいけないと思う。その高過ぎる安過ぎるということはどこできまるかというと、資金の供給と需要がバランスをとるところでありますから、その資金の供給状況、需要状況というものは、時期的にも、また場合々々の担保等いろいろな事情によつてもかわつて参りますので、千変万化というか、不断にかわつて参ります。そのバランスする点は一定のものとして固定させるわけには行かない。もし固定したら必ず安過ぎる金利になるか、あるいは高過ぎる金利になるか、どつちかであります。そこでこれ以上高くなつてはいけないという最高の金利というものをきめた場合、これが形の上でも守られておるというときは、実は需給の均衡点よりもはるかに高くきめておるために守られておるのです。たとえて申しますと、われわれがさわろうとしてもさわれぬような高い天井のところに、この天井にさわるべからずという立札を立てておるようなもので、立札があるからさわらぬのでなく、高過ぎてさわれないのである。この法律が行われておるのではなく、あつてもなくても同じなんです。しかし、もしそのバランスをとる点よりも低く法律できめられたら、必ずそれは守られないでこれを犯すものができて来る。昔の実例で申しますと、幕府がそれをきめて大名がきめると、きめた大名、幕府がまつ先に自分のきめた金利制限を突破した実例もあると私は思つておる。そういう意味で、私は実際の需要状況、供給状況というものは千変万化するということを考えてこれをこういう法律で縛ることはやみを起して法律の違反者とトラブルを起すか、そうでなければ金利を高くきめて、まるで実情から見て触れるおそれのないところへきめて空文に終らせるか、どちらかに終つてしまう、ない方がいい、こういうふうに思うのですけれども、大体伺つておりまして結論としては同じように伺つたのであります。これが一点。  もう一つは、これは川島先生から貸金業を許可制にという御意見がありました。ただいままでは貸金業は届出制になつておるわけでありまして、私どもも許可制がいいと思いますけれども、許可制にすると必ずこれは監督が伴う。もしその許可になつた者が不都合を生じたときには、許可をした大蔵省は責任をとらなけばならぬという場面が生ずるので、おそらく大蔵省としてもその責任はとてもとり切れぬというところから、許可制でなしに届出制ということにしていると思います。まあ届出でも、どういう人がどういうところでやつているということがわかるし、届出を怠つてやるわけには行かぬからある程度の取締りはできる、しかしあまり責任を追究されるところまで行かない、こういうことで届出になつておると思うのでありますが、許可でなければいけないのか、届出程度ではいけないのか、この点を第二にお伺いいたします。  それから第三点でありますが、これも川島先生から、ドイツの場合には窮迫とか無知とかいうものに乗じてやつた場合はいかぬということがある、日本は公序良俗という民法九十条の規定があるが、ドイツの場合には無知というようなことでやつてはいかぬというふうになつているというお話がありましたが、私はそれは非常にけつこうなことじやないかと思うのです。未成年者とか、あるいはあまり普通の判断力を持たない者を一種の詐欺というか、だましてやるようなものですから、そういうものは保護する必要があると思う。どうして日本の場合にドイツのようなぐあいに法律がなつていないのか、何かそれをかえるようなことはむずかしいものでしようか。その点簡単でけつこうですから伺つておきたいと思います。

川島武宜東京大学教授

○川島参考人 三点御質問がありましたが、第一点はどうも私専門外で、低金利がいけないというお話でございますが、どうも私は経済の方は知らないのでよくわかりません。ただ法律家の観点から申しますと、つまり別に低い金利で借りたら罰しなければならぬとか、特に低い金利を禁止して無効にするということは法律上全然必要ないのでございます。それでむしろいわゆる自由経済的な考え方で行けば、絶えず競争してウンタービーテンして行くことによつて、常に時計の振子がどこかにおちつくように、そのときのレートがきまつて行くと思います。そのレートがきまるという場合には、上ろうとする力、下ろうとする力、いわばその均衡によつてきまるわけであります。ただ普通の低かつたり高かつたりする場合、これを無効としたり処罰したりすることは原則としてないわけで、ただ高金利を押えるのは、それが特に高金利で、非常にキヤピタリズムのロジツクからいつて是認されないような場合、つまり金を借りてその金から生む利潤をわけるという以上に窮迫に乗じてとるというような、今おつしやいましたそういうことがある場合には、これを何とかしなければならぬというので、これを無効にしたり処罰したりするということになるわけですが、どうも低金利だからただちに無効にしたり処罰したりするということは、ちよつと私には法律的にはわからないのです。それでこれはそれくらいでごめんこうむります。  次に許可制という問題でございますが、これも行政上のことで私はよくわかりません。従来届出をやつておつたことを今度野放しにするようですが、許可制にして大蔵省が責任をとらなければならぬことももちろんございましようが、銀行を許可営業にして監督して、そうして銀行が取付騒ぎにあつたら助けてやるというのとはちよつと違うのではなかろうか。つまり大衆から金を預かる、不特定多数の者から金を預かつて金融業をやるということは、これは大蔵省としても相当責任がございます。だからこういうものは何とか業法、何とか業法でもつて非常に厳格な条件をつけて許可にする。そのかわりに十二分に監督し、コントロールするということになると思いますが、しかし大衆から、不特定多数の人間から金を集めるのではなく、自分の金だけでやるという場合には、これは別に保護する必要はない。もつぱらここで監督するのは、暴利を伴わないか、窮迫に乗じて貧乏人から搾取するかしないかの監督ですから、まあ責任をとるといつても、そのときには学業許可の取消しをするということで、いわばその責任を果すということになるのではなかろうか。むしろとても数が多いので、大蔵省としても実際監督ができにくいというような気持があるのではなかろうかと存じます。そういうことは行政の実際のことになそので、私よくわかりません。  三番目の窮迫、軽率、無経験というものでございますけれども、これはドイツ民法には具体的に書いてございますが、日本民法でもそれを除外する趣旨ではないのです。日本民法の九十条の公序良俗に反する法律行為という中に、こういうものがみな入るわけであります。だから結果的には全然同じでございますから、わかりやすくそういう規定を書いてよいわけでありますけれども、なくてもドイツ民法と全然かわりはないわけであります。

井上良二日本社会党(右)

○井上委員 山本さんの今の質問と多少関連するのですが、川島さん及び井関さんは、一つは第五条の金利を制限することがおかしい、おかしいというよりも、固定的に法文化することは、経済事情の変動する事態から妥当でない、こういう御意見と、こういうことを規定するといなとにかかわらず、こういう庶民金融、零細金融は許可制にしたらどうか、こういう御者見のようでございます。大体この法律でねらつております重点は、現在の銀行、信託等の法律に基く不特定多数の者から出資を受入れたり預かり金をしてはならぬということが一つと、一つは金利を取締る、この二つが大体この法案の中心でございますが、これをやつた場合に、非常に零細金融が困難になるという御意見のようでございます。その場合の一般に及ぼす影響と、従来のままのような盲点だらけで放任しておいた場合の一般への影響をどうお考えになつておるかということが第一点。  第二点は、この法律では別に貸金業を禁止しておるわけじやありません。貸金業は自由自在に自己の信用する人に自己の資本で必要なものを貸して行けばいいので、何もそのようなことを一々制限しておるわけじやありませんから、貸金業者としては自由濶達に営業し、何ぼでも努力をされることは許されておりますから、その面で一向問題はないと考えるのですが、問題は貸金をやります場合に、いろいろな名目で資金を集める行為において、預金者、出資者に迷惑をかけるということを何とかせなければいかぬということでこれをつくつておりますが、その場合、貸金業者を許可制、認可制にした方がいいという根拠は、今山本さんの質問によると、金利の点で許可制にしたらいいというのでありますが、金利を法的に制限をしさえすれば、許可制の必要はないと考えます。ただ金利の点が三十銭が妥当か、五十銭が妥当か、あるいは十銭か二十銭が妥当かということは、これは議論があります。どこが妥当であるかということは、その資金需要のコストいかんによつてかわつて参りますから、これはいろいろ議論がございましよう。議論がございましようが、金利を制限するということによつて、あるいは金利を取締る云々ということによつて許可制にしたらいい、しなくてもいいという議論は私どもにはわかりません。貸金業者は自己の資本でやるのですから、危険なものには貸しません。従つてそんなものには許可する必要もなければ認可する必要もないと思います。普通の営業者においても損するものには品物を売りませんし、そんなものに一々許可しているものはありませんから、そういうものに一々許可、認可をする必要はありません。自己の営業に不利益なものには金を貸しません。そうすれば結局許可制なんというものは意義がなくなるのじやないか。これをまた別に中島さんがおつしやいますように、何かここに庶民金融といいますか、零細金融としてひとつここに新しい制度をつくるという場合において、預金の受入れなり、出資の受入れを法的に認めるというときになつて来ますと、初めて許可、認可という問題が非常に重要になつて参ります。しかし一般金融業の場合は、許可、認可の必要はない、私はそう思いますが、その点に対するお考えはどうか。  それから第三の問題は、経済的に非常に窮迫した場合に、資金需要が必要になつてくるということはわれわれも了解するところであり、またそういう機関が完備することの必要性を私どもも考えて、たとえば政府機関であります国民金融公庫においても、できるだけ小口のものを多数に、短期間に貸し付けるようにということをやかましく言い、それに必要な資金的な措置も、政府にいろいろやかましく要求しておるようなわけてごさいますが、そういう経済的に窮迫した場合の零細金融において、普通資金コストの場合、一体どのくらいの金利が妥当と考えられるか、これは井関さんに伺います。たとえば五万円なり三万円なり二万円なりというものを、日がけでかりに集金をして行くような業態の場合、どのくらいの金利を普通妥当とお考えになるかということであります。これは質屋営業の方の意見を聞きますと、どうしても日歩五十銭以上でないと、小品の場合は採算が合わぬというようなことを申されておるのであります。そういういろいろな点から考えて、どういう点が一体妥当であるかということをお伺いしたい。以上三点についてお尋ねいたします。

井関孝雄日本大学教授

○井関参考人 山本さんの御質問と両方ひつくるめて一緒にお答えいたします。川島先生が言われたように、従来のままでも資金の受入れや、それから預かり金の禁止というものは銀行法その他のやかましい法律でできたと私は思います。それから法文の解釈でできたのではないか、それを解釈で行かぬので、手ぬるいからこういう制限の方法をやつた、こういうふうに解釈しております。むろんこれは従来の弊害があつたということは、私も認める。しかし弊害があつたからといつても、弊害だけでいいところはなかつたかと申しますと、さつきにも申しましたように、このくらい新聞でじやんじやん書かれて断圧されても、いいものはやはり残る。そうすると経済的の需要というものが一応あるのではないかということを私は認めなければいかぬと思う。  それから自由放任がいいか、認可制がいいか、許可制がいいか、これは議論のあるところで、いろいろ見方があると思います。外国の立法例を見ると、初めは大体高金利制限法、利息禁止、これは一番つまらない話で、中世紀からそういう法律があるのです。中世の教会学者のトーマス・ダキノなんかは、公平な金利はとつてもいいと言つておるくらいです。だから正当な金利でやることはさしつかえないと思う。それから許可制、認可制と自由放任とどちらがいいかと言うと、現在の英国とか米国とかの立法例は、だんだん法律規則の禁止、それから自由放任からこういう許可制度の特別法の制定に向つておる。そういう意味から私はこの高金利の制限だけでは、昔の中世期の法律と同じようで、法の進歩がない。むずかしいことでありますが、やはりネセサリー・イーヴルと申しますか、必要なる悪で、悪の方を制限して必要なものを監督し、それから大衆が迷惑しないように監督をして行くという方法が必要だと思う。金融というものは御承知のように社会性のあるものです。金を集めるということだけでなくて、貸し付けること自体でも社会性があり大衆性がある。その意味からも、質屋なんかも質屋営業法という別なものがあるから、零細金貸しだけを自由放任していいという論拠はちよつと私はうなずけない。それから先ほども例に申しましたが、法務省の刑事局の高橋参事官あたりも、制度が悪いのではない、制度そのものは欠陥がないのだ、やはりこれを運用する人の問題だということを言つておる。どうやつていい人を認定するかということになると、許可制にする以外には人の認定はつかないという考え方から、届出主義よりは認可制、許可制の方がいい。それは行政上むろん人たちもいつたり、いろいろやつかいな事務は起りましようが、一応これであれば統制がつき、悪い人は許可を与えないし、現に今度あがつておる連中なんかでも、いかがわしい者、すでに定評のある人か、届出制によつてやつたためにひつかかつているという例あたりから見ても、人柄を選定して、この人間ならやらしてもさしつかえないだろうというためには、やはり許可制の方がいいのではないか、質屋と同じような法律を持つた方がいいのではないかというこごを考えております。  それから、それなら利子は一体幾らでやつたらいいかという問題は、これはむずかしい問題で、山本さんのお話に関連するのですが、資金の供給が多くて需要が少いところは金利が安い、需要が多くて資金の供給が少いところは金利が高い、これは自由主義の原則、資本主義の原則です。一般の金融業が、長期の金融とか不動産金融というものを避けて、そうしてまた小口金融、零細金融を避けてやらないというのは、やはりそこなんです。根本の問題は、さらに社会主義的につつ込めば、これはそういう金利でなしに、社会保障か、ほかの問題で、零細金融なんかなくても済むような世の中にした方が私はいいと思う。しかし資本主義や独占資本主義がこれだけ跋巵して、金融というものが資本主義の独占下にのり、また一般の資本主義を是認している現在においては、どうしてもある程度引合うベースにしてやらなければ、その方に資金が流れて行かない。だから資金が流れて行くようにするのには、許可制にするとか、法律にするとか、その他一方弊害を取締る。それから資金が流れて行くことをこの法律みたいに全然せきとめて、何でもかでも一切いかぬ、自分の金だけでやれというのなら、高い金利でも安い金利でも構わぬと思う。そう不当な金利でなければ、私は罰則なんか、三十銭なら懲役三箇年という必要はないと思う。銀行のごときは、現に預かつた金以外、銀行の信用操作と申しまして、帳簿の上で小切手を発行いたしまして、預金以上の何倍かの無利子の金を使つている。だから金利が安くとも行ける。手銭を貸して高い金利で行けば、そう社会的弊害がなければ、金融の資金の流入を一切防ぐのならば、相当の高い金利を許さなければならない。世間の常識で考えて、窮迫に乗じて不正に下のものを苦しめるという考え方でなしに、経済的に支障ないだろうということにしてやつた方がいいと思う。金利は安いことがいい。安くて皆が困るということはないのですけれども、借りる方では、むしろ高くても間に合つてほしいという場合もあり得るのですから、そういうところで私は相当の高い金利を認めてやつてもいいんじやないか。但し具体的にそれじや幾らがよいかということになると、これはその経営の規模、資金を持つている規模、資金が多ければ、先ほど申しましたマージンが少くても経営がして行けるのであるから安くてもいいけれども、資金が全然枯渇して行くならば、相当高い金利でなければいかぬというので、各資本金の経営の規模によつてこの金利の水準というものはきまることで、ここで幾らがいいということはきめられないと思う。ここに三十銭という規定がありますけれども、三十銭で経営できるかという経済的根拠はないと思う。同様にここで二十銭でいいとか、四十銭がいいという経済的根拠はない。これは克明な調査をやつて、そのデータをとつて、現在の業態を勘案して調査をやつた後でなければ、具体的に幾らでいいという金利の決定はむずかしいと思う。大体の趣旨はそれだけでございます。

内藤友明改進党

○内藤委員長代理 この際参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中にもかかわりませず御出席をいただき、長い時間にわたりまして両法案について忌憚のない御意見をお述べいだだきましたことは、当委員会の審査のためたいへん参考になりましたことを、ここに厚く御礼を申し上げます。  次会は公報でお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時五分散会

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