決算委員会 第54号
- 発言数
- 21 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1954/10/12
会議録
○田中委員長 これより決算委員会を開会いたします。 前会に引続いて、政府関係機関の収支のうち造船融資に関する件を議題として調査を進めます。 まず昨日決定いたしました通り、本日は参考人として日本弁護士協会理事長戸倉嘉市君、法政大学法学部長中村哲君、キリスト教新聞主幹武藤富男君の御出席を願いましたので、その御意見を承ることにいたします。 この際参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。すでに御承知とは存じますが、本委員会はさきに検事総長佐藤藤佐君、東京地検検事正馬場義続君を証人に指定して、ただいま問題になつております造船融資に関して国政調査権に基き種々証言を求めたのでありますが、大半の事項については職務上の秘密といつて証言を拒否されました。そこで本委員会は法務大臣に証言及び書類提出の承認を求めたのでありますが、再びこれを拒否し、同時に証人拒否の理由の疏明をされたのであります。本委員会は拒否の理由が納得できないのみならず、証言することが国家の重大な利益に悪影響を及ぼすものとも考えられません。むしろ公益のために進んで証言をなすべきではなかろうかと思うのであります。それからいま一つ証人、特に吉田総理が公務のために出頭できない場合における正当な理由としての公務の範囲という問題、これらの事例は初めてのことでもあり、先例にもなることでありますから、審査の慎重を期するため学識経験を有せられる参考人各位の御意見を承り、あわせて今後の証人喚問の参考にもいたしたいと考えまして、御足労願つた次第でありますから、これらの点をお含みの上、忌憚のない御意見を開陳いたされますよう、特にお願いいたす次第であります参考人各位にも御多忙の折からでもありますので、時間の点も考慮いたしまして、御一人大体三、四十分くらいにお願いいたし、そのあとで委員各位の質疑において応答いたされますよう進めて行きたいと考えますから、さよう御了承願います。 それではまず戸倉嘉市君にお願いいたします。
○戸倉参考人 私は戸倉嘉市であります。ただいま委員長より御注意並びに註釈がありましたが、私が求められました内容は、十月七日付の書面の範囲、すなわちこの書面に書いてありますのは、まず概括して二点にわかれます。その一つは、証言拒否の理由の疏明に対する意見、その二つは、公務のためということにおいて不出頭の理由としてあるが、これに対する意見、この二つの問題が、この書面に書いてあるのであります。そしてその参考といたしまして、ここにガリ版のものが二通来ております。これだけを資料といたしまして、私は自分の見解を述べさせていただきたいと思います。 まず第一の問題でありますところの、検察官が証言拒否をした、その拒否については理由が必要である。その理由の疏明として出ているものがどうかという点でありますが、その疏明の中に大体三点あると思います。その三点の第一は、証言をすることにおいて公訴の維持が困難になる、あるいは支障を来す。その二は、証言をすることにおいて、裁判に予断を抱かしめる憂いがある。その三は、現在及び将来の検察事務の運営に非常に支障を来すというのでありますから、おそらくこれが悪例になる。悪という語は語弊があるかもしれませんが、一つの新例になる。ですからこれは、いけないという理由のように考えております。そうしてこの三つの理由を主張する前提としてあるのが、私はただちに理解いたしかねていますけれども、国会が裁判権に介入するのではないかというように感じられると書いてある。というのは、御承知の通り、国政は、三権分立の建前でやつておる。司法権というものは大いに尊重されなくてはならない。司法権に対する国会の介入は許されないのが原則である。同時に検察事務というものは準司法的性格を持つておるものである。従つて検察事務は準司法的に取扱わねばならない。この準司法的事務について国会が、国政調査の名のもとにいろいろの要求をすることはどうであろうかというようなことが、この三つの要点の大前提になつておるように私は考えておりますが、この大前提が何となく納得が行かない。これが納得が行けば私は三つの問題も解決できるのではないかと考えますが、いわばこれはりつぱな邸宅の標札になつている。標札のあとに三つの座敷がある。その座敷に入るには標札のある玄関を通つて行かなければならないが、実はほかの方から行く道ができておる。その大前提は何かと申しますれば、大体検察事務というものは行政事務の一部ではないか、準司法事務であつて準司法的に扱わねばならないというその考え自体が、私は間違つておりはしないかと思うのであります。こういう考え方はどういうわけで出たのか知りませんが、本来検察官そのものは持つていないはずであると思う。例の指揮権が発動せられた当時における検察当局の考え方は、あくまでも検察事務は行政事務であるという考え方でおられたように思う。そういたしますと、そのときの検察官の検察権自体の性格に対する考え方と、今回における検察権の性格に対する考え方はどういうわけでかわつておるか、そこに考え方の自家撞着がありはしないかというように考えます。これはその大前提において私どもは理解できない点でありますから、この点を持つて来るところの拒否の理由、その疏明そのものがどうも受諾できないものであるように思うのであります。 まずその前提に対する私の考えがさようでありますから、ここに公訴権の維持ということが次に考えられるのであります。私は検察官の拒否せられる最も重大なる点は、この公訴権の維持は困るという点にあるのではないかと実際上の経験から考えておるのであります。おそらく理論でなくして、ほんとうの意味は公訴権の維持に困る、これをやられたのでは公訴権の維持ができなくなる、場合によると起訴したところの三十五名に対する事件があるいは無罪になるかもわからない。これは検察官として実務に当つておられる方としては一番苦痛とせられておるところではないかと思うのであります。しかしながら国会がその権能をもつて行動するために、国政調査権に基いて国政万端の調査をする、検察官が取扱つた事務を調査するということは、もとより私は国政調査権の範囲内にあると考えております。もちろんその調査の目的はおのずから国政調査権の目的によつて違います。あるいは法務委員会における国政調査権の場合とか、運輸委員会における国政調査権の場合とかいろいろ違いましよう。決算委員会における国政調査権の場合は、むろん国家が使用したところの予算に関する範囲において調査なさることであると考えますが、その国政調査権の範囲内において調査した結果、たまたま検察官の取締りの方法においてあるいは詐欺、詐術が用いられておつた、被告人をだましておつた、トリツクを用いておつた、あるいは拷問、脅迫があつた、強制的の尋問を受けたためにやむを得ずかくかくの供述をした、あるいはいろいろの誘導的な尋問を加えていろいろの推理の結果本心にない陳述をした、あるいは病気その他で必身耗弱の状態におつたために本心にあらざる供述をした、こういうようなことが国政調査の結果派生的に現われたために、また一面公判においてそれに対応する証拠が現われるとか、あるいは起訴事実を否定するような証拠が現われた結果において事件がかりに無罪になりましても、それはやむを得ないことじやないかと思う。そのこと自体が審理の結果絶対に真実であつた限りはやむを得ないことじやないか。しかしながら検察官というものもやはり私どもと同じ人間である。自分が十分な確信を持つて、ほんとうに私利私欲を離れて熱誠にやつたところの起訴事件というものが公判の結果無罪になつたことは、これは人間としてたえられない、不愉快である。その心情には十分同情できると思う。起訴を維持しなくてはならぬ。しかしながらそういう熱誠の余りに、鹿を追う者山を見ずでいろいろの弊害があつたという例も過去にはあつた。しかし真の検察官の検察事務のあり方というものは、人事を尽して刑事訴訟法の範囲内におけるあらゆろ挙証方法を尽す。ただいまのような場合に、国政調査権に基きまして検察官が証人として出る、もし出たならば釈放中の被告人が証拠隠滅をはかるかもわからない、いろいろな関係者となれ合いになつて証拠隠滅をはかつた場合は困るという、心配、疑念があるならば、しばらくの間保釈を取消して、再び適当な方法において証拠収集の続行をはかつてもいいのではないかと思います。それも検察官の事務のあり方ではないかと思う。そういうことをしてまでなおかつ無罪になつたからといつて、何もくやしがることもなければ、人事を尽した者として平々坦々としてこの職に甘んずることがほんとうの検察事務ではないかと考えまするので、公訴維持ということに困難を来すからといつて証言させることはできないという監督官庁の理由の疏明というものは、やはりそれ自体が理由のないものであるように考えられます。 次は裁判に予断を抱かしめるという憂いはないか。これも非常に重大なる問題でありまするが、はたしてこういうことが裁判に予断を抱かしめることであるかどうか、訴訟法上それが認められるかどうかということを考えますると、実際面においても、法律面においても、手続上においても、現在の公判審理というものは起訴状一本主義だ。裁判官は起訴状だけを基本にして裁判の審理を続けている。もしも起訴状以外に検事が何か変な付属物をつけた場合には、これは予断を抱かしめるものだからやめてくださいと言えばすぐやめなくてはならない。たまたまそういう過誤を犯す者はほかの者よりは検察側に従来あつた。公判で身分調書とか変なものをつけて判事に変な感じを持たせることをやつたのは弁護士側でもなければ被告人側でもない。多くの場合は検察官にあつた。すなわち予断を抱かしめるような態度はそういう場合にあつた。起訴状一本主義でやる限りは予断を抱かしめるということはないはずであります。この国政調査権に基きまして証人を喚問し、その証言事実をとるということは裁判事務にはないと思う。これは裁判所の立場から見れば社会現象の一つであります。たとえば現在の状態においては報道機関というものは十分な表現の自由を持つておる。新聞、ラジオ、雑誌、いろいろのものにおいて本件の事件の内容というものは大体報道せられておるのじやないかと思います。検察官は調査の内容は秘密に属すると言つておられますけれども、その秘密に属すると言つておられるところの内容、事実というものは、実際上においては各種の報道機関においてあるいは出ておるのであるかもしれない、さように国民は想像し得るのであります。でありまするから、これがその裁判官の独立の心証に影響して予断を抱かしめるということは断じてないものと私は思います。また同時にそれでもあるという心配をするのは、裁判官そのものの職能、技能といいますか、それに対してちよつと心配をされる。裁判官は無能でもないだろうが、どうもいやだ、何かそこに裁判官を忌避しておる、その人自体に対する能力を批判する以外には、これをもつて裁判に予断を抱かしめるものであるということはできないと思う。私は日本の裁判官については非常に敬意を表しておる。そういうような社会現象が裁判に影響しなかつた、予断を抱かしめなかつたという実例の一つといたしまして、御承知の松川事件を考えてみたいと思う。あの松川事件というものは、日本国全体において事実を報道されておる、あらゆる報道機関において批判された。日本の文壇の有名な人も判決前にすでに判決文をつくつて、自分はこう思う、判決はこうだというように、裁判官の書くような判決文までつくつて社会に発表せられた文壇人もあられたと思う。同時に日本以外に外国による関係者からも、裁判関係者に激励文を出すとか、非難、攻撃文を出すとかいろいろなことをせられた、その事実はもう公知の事実であります。さようなことは、裁判官たるべき人に相当の心理的影響を与えたと思います。心理作用の一部影響を与えたということは認められます。あたかも国政調査権に基きまして、検察官が証人台に立つて、良心に従つて陳述した場合に、その記事内容が報道せられた場合に、これを読んだ裁判官にも多少の心理的影響のあることは事実であります。その心理的に影響することと、予断を抱くということとは断然、截然と区別しなければならぬと思う。心理的に影響するからそういうものにタツチしないといつたならば、裁判官というものは、報道機関のない、人と隔絶したところにおいてやる以外にはない、それは現在の法制下においてはあり得ないことであります。松川事件のごときもそうであります。あれほどの外部の宣伝というか刺激といいますか、いろいろの意味において裁判官の心理作用に影響を与えたようなことがあつたにかかわららず、あの判決の結果を見ました場合において、あの刺激がはたして裁判官にいかなる予断を与えたかということを考えますと、私は予断にならなかつた。裁判官は自由なる心証において、自由なる良心的立場において判決せられたものである。この実例を見ましても、日本の裁判官は、その社会現象のために自分の心証をけがして予断を抱くものでないということを確信いたしますので、本件のごときものが、裁判に予断を抱かしめるのではないかという理由をもつて、拒否の疏明理由にすることは受諾いたしかねるところであると思います。 この二つによつて考えられますことは、第三のこれが悪例になるのではないか。こういうことがあると、そういう国家のいわゆる高層の地位にある者が、再びこういう状態になつて、またこういうことのために非常に有利な立場になる、それはいけないじやないか、悪例ではないか。従つてそういう悪例になるようなことをしてはいかぬというのが第三の疏明でありますが、これはすでに前二段において是認せられる限りは当然の話であります。これは一向さしつかえないのみならず、こういうことは国民全体が受けられるような道にしてもらいたいと思う。本件のごときものは、国家における非常に権力のあるものとか、あるいは富める者であるとか、われわれ庶民より一段高いところにある者がこういうものを派生的結果において公判において有利な待遇を受ける。ところが貧しい者、いじめられたる者、援助の手の届かない者はこれを受けられないのではないか。これを受けることにおいて公平になる。現在国家の部面において、裁判というものは貧乏人にはあまり都合がよくない。弁護士を頼んだつて国家はたくさんやつてくれない、こういうことを言われますが、そういう意味から考えますと、むしろこれは悪例になるという考え方はしたくない。これはいい例だ。従つていい例であるから、さらに今度こういうような立場ができれば、一般庶民階級にも及ぶような立法をしてもらいたい、そういう例を私は考えております。これが前段に対する意見であります。 第二の点はこういうことが書いてある。証人の不出頭理由としての公務のためについての意見を聞く、これを読んだのではさつぱり何が何だかわからぬのですけれども、これを読んでただちに感ずるのは、何も一般的なことではなくして、吉田首相の問題ではないかということをただちにこの文字だけで考えたのでありますが、またほかのことを考えたところでしようがないと思う。これは実に重大なることであります。しかしながらこれは本質から考えますれば、やはり国政調査権の行動のもとに国会を代表する国会の議長、その権能のもとにその必要に応じて諸般の情勢を了解のもとになさつたことであると思う。すなわち対象になつておる吉田総理が当時外遊せられる情勢にあつたということ、同時に外遊の時期もすでに確定しておつたということ、それから総理が国の行政権の最高位にある、これは当然の話、こういう諸般の情勢を熟知しておられるところの国会の代表である議長が証人として喚問を要求するのに、外遊の期日前を指定せられたということ、外遊の期日はすでに技術的に確定しておるにもかかわらず、その前に指定されたということはここに非常な重大なる意義があるように私は思うのです。そこに国政調査の重要性と緊迫性がある。これは議長が認めている、同時に国会も認めている。こういうように考えている。そういたしますと国権の最高の地位にある国会の要請に対して、やはり行政権の最高位にある人といえども、これは尊重してそれに応じられるべきものと私は思います。しかしながらその行政権というものも、総理の権限というものも、やはりその範囲においては最高であるから、この事務のうちにそれに応じ得ないほどの重要なる事務があるかもわからぬということも考えなくちやならぬと思います。ほんとうにやむを得ない事情かあるいは公務、すなわち事情というよりは公務、この際においては公務があることもわれわれは考えなくちやならぬと思う。そしていわばピラミツドとピラミツドの最高がこうなつた場合において一体どうしたらいいか、これは私ども弁護士といたしましてこんな大政治のことはわかりませんが、弁護士としてこういう場合がある。証人を喚問しても証人が遠隔の地にいてはどうしようもない、出られない、あるいは貧乏人で旅費がない。それから病気で出られないというときがある。しかしながら事件は非常に重大である。こういうときに一体どういう例をとつておりますかといえば、裁判所におきましては、それではあなたの方へ私ども出張して尋問しましようということもある。また向うの家が狭くて間口九尺二間とかなんとかで大勢入れない。そういう客観的な事情、あるいはその他の事情がある場合には、五人か三人の判事のうちだれか一人を受命判事として一人だけ行つて来い、嘱託尋問の形においてやつてもらうような方法もある。それでこの証人に対する証言要求の目的の達せられる場合もあります。決算委員会における吉田総理を証人として要請して、その証言を求むるその内容というものが、そういう方法においても達せられるものであつたならばそれをすべきものではないか。そういう方法ではとうてい達せられないならばこれは別です。その判断はわれわれにはわかりません。これはそういう方法でも達せられるならばその方法も私はとるべきものであると思う。同時に、もしもやむを得ない事情、何月何日に都合が悪いといつたら、その次の何月何日というふうに、二回とか三回とかその期日の折衝をする道もあるでしようと思います。あらゆる方法を尽してもなおかつ出席せられない場合におきましては、その出席不能の理由、出席せざる理由などいろいろ公務が羅列せられてありましたならば、その公務の内容の判断というものは、それは要求する方が判断すればいい。かくかくの公務というものは、これは厳粛なる調査委員会に出席できない理由とは認められない。すなわち正当なる理由ではないと判断せられるならばこれもまたやむを得ない。それは一にかかつて委員会の判断にあるでしよう。その認め方は……。しかしながらそれは委員会がそう認めた場合に、一体どうしたらいいか、委員会が認めたからといつて認めつぱなしではこれもどうかと思う。かくかくの理由はこれは正当なる理由と認めない。そうすれば委員会においては何らかのそこに手続をしなくてはならない義務があるだろうと思う。そこまでも大事件を起しておきながら、それをほうりつぱなしというのはどうかと思う。それに対する適当なる義務を遂行するということが一つ。いずれにいたしましてもさような場合における正当な理由であるやいなやのこの最終的の判断というものは、これは私は裁判所がすべきものだと思う。最終的にこれは正当の理由でない、これは正当な理由である。この判断は裁判所がするというように私は考えております。一私人の見解でございまして、御参考になつたかいなかはわかりませんが、これをもつて私の陳述を終ります。
○田中委員長 次に武藤参考人にお願いいたします。
○武藤参考人 私の資格はキリスト教新聞主幹となつておりますが、これはキリスト新聞主筆と改めていただきます。後に御質問があると思いますから私の前歴を明らかにしておきませんと、キリスト教がこういうとんでもないところに飛び込んで来たという御感想をお持ちでありましよう。私は初めは司法官、東京地方裁判所判事で、満州国に招聘されまして、満州国の司法部へ参り、後法制局に転じ、満州国の立法事業に四年間従事いたしました。その後情報宣伝の仕事に携わりまして、戦時中は日本の情報局にも勤務いたしました。ただいまはキリスト教会の牧師、かつキリスト新聞の主筆兼専務をいたしております。そういう立場から、まず第一にはやや法律的な、また司法行政に関する私の経験から意見を述べさせていただきます。 次に一般大衆の一人として、この問題について、どういう感じを持ち、またどういうことを望んでおるかということについて意見を述べさせていただきたいと思います。 まず第一にお求めになりました疏明に関する意見を述べたいと存じます。いただきましたこの書類によりますと、第一は法務大臣は三権分立論を一番先に主張しておられる。しかしながら国政調査権と検察権との間において、ことに今回起つたような問題について、それほどしかづめらしく三権分立を主張しなくてもよさそうなものだと私は感じます。三権は互いに相干犯することがないというのが原則でありますが、お互い協力をしてはならぬということではない。三権はなるべく協力をして、国政の運用を円滑にして行くのが最も望ましいことなのであります。不当なる抑圧があつたときにおいてこそ、初めて三権分立の原則というものが頭をもたげて来る。抑圧のないにもかかわらず、たとえば立法権が司法権を抑圧するとか、行政権が司法権を抑圧するとかいう圧迫、抑圧がないにもかかわらず、三権分立論をやたらに出すのは、これは政治運用の妙を得たものではない。今回の場合は私は、むしろ検察当局が国政調査権に協力して、そしてこの腐敗堕落しつつある現在の政治の粛正にもつと協力すべきものである、こういうふうに感じます。従つてこの書類の一番初めに書いてある三権分立の主張は、何か自己弁護をするために、序文において法律論を越えたという感じがいたすのであります。その次に、裁判権に国政調査権が介入し、具体的争訟事件の内容について調査することは国政調査権の範囲を逸脱するものであるという意見をここに述べてありますが、これについても問題があります。たとえば官吏が公金の横領をしたと仮定いたします。これは横領罪として訴訟になる。一方において、決算委員会は、この事実を調べなければならぬ責務がある。判決の確定を待つておつたのでは間に合わない。訴訟関係人をここへ呼ぶか、あるいは調査した検察官を呼ぶかいたしまして、その事実を調査しなければならない。そうしますと裁判権というものは国家刑罰権を行使するところのものであり、国政調査権は立法権のために必要なもので、一つの事件をお互いに調べましても、その目的を異にしておる。むずかしくいえば座標が違つておる。だからしてこの決算委員会が検察官を証人として呼んである刑事事件について調査をしたからというて、それは決して裁判権の介入じやないのです。目的が違う。その点について第二項目も少しまずいと思うのです。文章の書き方がまずいと私は感ずるのです。第三の検察事務は司法権なりやいなやの問題、これはただいまも参考人の御意見もありましたが、これは昔から問題なんです。検察事務を司法権として裁判権に準ずるものと見ようとする考え方と、これを行政権と見る考え方とは司法部内にも対立がある。考え方がまちまちであります。傾向から申しますと、検察権というものが次第に司法権の方に寄つて来ておる、行政権から離れて司法権の方へ寄つて来ておるというのが、私はその傾向だと思うのです。指揮権の問題は戦争前には裁判所構成法の中にあつた。そして指揮権の規定は抽象的であつた。裁判所構成法における司法大臣指揮権というものは、今日の規定よりも抽象的であつた。検察事務について司法大臣は検察官を指揮することができる旨の規定が抽象的にしるされておつた。このたびの検察庁法によりますと、その第十四条に、法務大臣は個々の事件については検事総長のみを指揮することができると、非常にこれを限定して規定しておる。そういうところから、一歩司法権の方へ近づいて、検察権の独立というものを前よりもやや強く条文上は認めようとした傾向がある。満州国の立法のときには、この条文を廃止して、完全なる検察権の独立を来すべしという意見が参議府から起つた。日本人の田辺治通氏がこれを強く主張したことがある。そこで具体的に、一体今の日本の検察権がこの造船疑獄を契機としてどつちへ寄りつつあるか、独立性の方を強くしつつあるか、司法権の方に片寄りつつあるか、それとも行政権の方へ寄りつつあるかというと、どうも行政権の方に寄つて来ている感じが強い。ところがこの文章には、司法が公正に行われるためには、まずもつてその前提をなす検察権が適正公平に行使せられることが強く要請せられると書いてあつて、あたかも検察権は、他の干渉を絶対に排して、適正公平に行われなければならぬということを強く主張しておるのでありますが、実際はやや矛盾がある。昨日私はここで傍聴しておりましたが、どなたか滝川先生に、指揮権発動とこの法務大臣の意見との間には矛盾がないかという御質問があつたようですが、滝川先生は問いをおそらしになつたようであります。私は矛盾があると感じます。と申しますのは、指揮権を発動されて事件を押えられた場合においては、もし日本の検察官に骨があるならば、あの際に政治的反発が起つたはずなんです。光栄ある日本司法の歴史から言いますと、ああいうような事件には必ず司法官は司法権の独立を守るために立ち上つたものだ。ところが指揮権発動のときの日本の検察官の態度というものは、まことに弱腰だつた。泣寝入りの形なんだ。検事総長も検事正も検事たちも、これに対して堂々たる声明書も出さなければ、もちろん辞表を出すような骨のある検察官は一人もいなかつた。私はこれを見て、日本の法制史において、日本検察官の腰抜けになつたことこれよりはなはだしきはなしという感じだつた。犬養法相は自由党の出身であるから、これは言うことを聞いてもしかたがない。しかし今度の法務大臣は自由党の出身じやない。これは純粋の検察官出身。検察権をどつちへ寄せて行くか、司法権的性格を強くして行くか、行政的性格を強くして行くか、行政の方にもつと寄るか、司法の方にもつと寄るかという岐路に今日本の検察権は立つている。これを司法の方へ寄せて行くのが法務総裁の任務だ、私はそう思う。司法部出身の法務総裁の責務だ。これは法律論でなくて政治論だ。この回答を見ると、全体として司法権の方へ寄せて行くよりも、実際においてむしろ行政権の方へ近からしめている。いうていることは検察権が適正公平に行使せられることが強く要請せられると書いてある。けれどもこれ全体から見まして、実際のやり方においては逆の方向をとつている。だから私は昨日傍聴しておりまして、ここに書いてある文章と指揮権の行使との間には矛盾がないかという御質問はごもつともな御質問だと思うておるのです。 その次に捜査の秘密の問題でありますが、秘密については大網をおつかぶせて一切を秘密にしてしまうやり方と、事項を限定して、ある程度のものは表に出し、どうしてもここはかくさなければならないというものを秘密にするのと二つの行き方がある。これは検閲の場合に起る問題でありまして、実は私も役人をしておりますときに検閲の仕事に携わつたのですが、刑事訴訟法に基く検閲は大網をひつかぶせて来る。これこれの事件は一切書いてはいかぬという命令を出し、行政上の検閲はそれをもつとこまかく砕いて、この程度は書いていいが、この程度は書いてくれるなというてこまかくわける。それが新聞報道を統制しておつても、なおかつ新聞報道機関に対する思いやりのあるやり方だつた。ところが大網をかぶせて、この事件については一切書いてはいかぬ、こういわれるとまことに困る。その時分に新聞放送等は困つた。あまり司法当局が大網をひつかぶせて事件の報道を禁止してしまうと、これは司法権の行政権に対する干犯であると私は言うたことがある。ちようどたとえて言えば、アラビアの国では女をハレムの中に入れておいて見せない。外に出すときにはかぶりものをかぶつて歩かせる。これに反してアメリカ人はやたらに露出する。どうしてもかくさなければならぬところはかくすけれども、出してさしつかえないところはどうかと思うところまで出しておるような状態だ。ちようど物事の秘密はこの二つの対立がある。捜査の秘密というけれども、ほんとうに親切心があり、ほんとうに国政調査権に協力しようという親切心があるならば、さしつかえないところはまだ出せるのです。ここのところはどうしても見せることができないところだというところだけ隠せばいい。その他のところは親切心があればここへ持つて来て出してもさしつかえないと思う。その親切心において欠けるものがあると思うのであります。 その次に、前参考人もおつしやいましたように、裁判の公平と予断の問題。これは私は日本の判事のために、裁判官のために一言弁護したい。私の同僚は多く判事をしておりますが、ここで検事総長あるいは検事正が証言したからというて、それで予断を受けて裁判に影響を受けるような司法官は私は日本にはないと思う。むしろ裁判の公正を害するとか予断であるというのは、私は日本の判事に対する侮辱だと思う。私は自分の同僚のために義憤を感ずる。一体検事総長及び検事正がここへ証言をすれば裁判官が予断を受けるというようなことを言われて、むしろ判事がだまつているのがおかしい。私は裁判官がこの文書に対しては一言文句を言うて行くべきものだと思う。 以上が大体この文章を見まして私の感じた意見であります。 〔発言する者多し〕
○田中委員長 御静粛に願います。参考人の意見をちやんと聞きなさい。
○武藤参考人 そこで議会における証言及び宣誓に関する法律を見ますと、結局証言の拓否は、内閣声明まで行く可能性を持つておる。おそらく法務大臣はこの文書を決算委員会へ出すにあたつては内閣声明を予想しておるに違いないのです。そうするとここでなすところの証言及び書類の提出が国家の重大なる利益に悪影響を及ぼすという声明をなす事態をわれわれは考えることができる。だからしてこの文書に基いて私どもが考えなきやならぬのはその点であります。国政に重大なる影響を及ぼすのでなくて、国家の重大なる利益に悪影響を及ぼすとある。国政と書いてあるならば、現在の政権が自己を維持するためにあるいは証言拒否をすることはあるかもしれない。 〔「国政なんという言葉はない」と呼び、その他発言する者あり〕
○田中委員長 そういうことは質疑でおつしやい。御静粛に願います。
○武藤参考人 その通り俗語で書いてあればよろしいのですが、俗語が書いてなくて、国家の重大なる利益に悪影響を及ぼすと書いてある。そこで私は国家の重大なる利益に悪影響を及ぼすやいなやということを、慎重にお考え願いたいと思うのであります。 その次に吉田首相の公務について所感を申し上げます。大体私どもが呼ばれた場合に、そこへ行かないのは重んじないことだ。決算委員会に証人として呼ばれてそこへ行かないということは、ほかのことを重んじて決算委員会を重んじないということだ。(「その通り」そう感ずる。 〔「そんなことはない」と呼び、その他発言する者あり〕
○田中委員長 御静粛に願います。
○武藤参考人 私は先ほど申し上げました通り、一人の大衆としての感じを申し上げる。ただしかし、あの外遊の直前に決算委員会に証人として呼ぶという、この決算委員会のやり方に対しては、私どもは何かそこに政略的のものを感ずる。これは大衆の一人としての偽らざる告白です。手とり足とり外遊を妨害せんとする政略的なものを感ずる。(「その通り」「それはうまいことを言う」と呼ぶ者あり、笑声)その点は大衆の一人として遺憾に思う。但し一国の総理大臣というものは、政治家としてはゼントルマンシツプを持たなければならぬ。これはこの委員会の諸公のごとき野人であつてはならない。従つて私は衆議院議長の名において、証人の喚問があつたときには、これに応ずるのが政治家としてのゼントルマンシツプであると思う。公務とこの決算委員会の証人としての出頭と比べたときに、どちらが重いかというと、これはいろいろとりくつがつくでありましよう。またこれを告発なさつた以上は、その判断は検察官がなすべきもので、またかりに検察官が起訴したとすれば、その判断は裁判所がなすべきものでありましよう。私にはそれを今軽々に判断することはできませんが、ただ国民大衆の一人として感ずることは、吉田首相が決算委員会を軽んじているという態度は、これはおおうべくもない。もう一つは、あとからかかり合いになると問題が起る。外遊ができなくなつちやぐあいが悪いから、逃げを打つたという感じを抱く。(「その通り」「感じじやない」と呼び、その他発言する者あり)でありますから、そういう感じを国民に抱かせてはよろしくない。もう一つは、衆議院議長が議長の名において証人の召喚をしたのであります。議会を重んずる、立法府を重んずるという意味において、吉田首相は証人として出頭すべきものであつたと思う。従つて法律論としては、はたして公務であるかどうかということは問題になるでありましようが、またどちらが重大であつたかということは問題になるでありましようが、国会を軽んじた、それを重要視しなかつたという吉田首相の法律的及び政治的責任というものは、免れ得ないだろうと思う。 〔「君の政談演説を聞きに来ているのじやない」と呼ぶ者あり〕
○田中委員長 委員長が許しております以上はさしつかえない。(「政談演説を聞かされてたまるかい」と呼び、その他発言する者多し)あなたにそんな権利はない。委員長が許している。(「参考人らしい意見を言え」と呼びその他発言する者あり)そんなことは言わぬでもよろしい。鍛冶委員御静粛に願いたい。(「何の資格でこんな者を呼んだか」「なつちやおらぬじやないか」「聞きたくなかつたら出ればいい」と呼び、その他発言する者多し)委員会は委員長がやるからよろしい。(「決算委員会を侮辱している」と呼ぶ者あり)何を侮辱しているか。参考人の意見ですから、どうぞ遠慮なく言いなさい。
○武藤参考人 従つて、私は冒頭において自分の資格を述べた。私はキリスト教会の牧師でありまたキリスト新聞の主筆である。だからして宗教家でありまたジヤーナリストである。宗教家及びジヤーナリストがここに参考人として呼ばれた以上は、宗教家としてあるいはジヤーナリストとしての意見を述べたのが何が悪いか。私は拘束されることはないと思う。
○田中委員長 委員長が許したから、それでよろしい。(「そんなばかなことを言う者を参考人にすることが問題だ」と呼ぶ者あり)君はどんなことを質問しているか、自分のことを考えろ。気に食わぬことを言つたからといつて、文句を言うやつがあるか。どうぞ参考人…。
○武藤参考人 これでけつこうです。
○田中委員長 次に中村君にお願いします。
○中村参考人 私は参考人としての意見を申し上げます。ここに与えられました疏明文書を見まして、まず最初に問題として感じましたのは、三権分立と国会の権限の問題であります。この問題から疏明が入つておりますので、その点についての私の所感を申します。現在の憲法では、三権分立という建前と、それから国会が最高であるという議会主義の建前とが複合しておりまして、これを矛盾であると解釈することも可能かもしれませんが、要するにこの三権分立主義と議会主義というものを調和させて考えるべきものと思うわけです。ここでは、どちらかといえば三権分立をたてにとつて論旨が進められておりますが、旧憲法の解釈の場合にも、憲法の解釈として大きな流れが二つありまして、一つは、穗積八束、上杉慎吉という、どちらかといえば保守的な見解の憲法論がありまして、この穗積説では、旧憲法の解釈の場合にも、三権分立というものを強くたてにとつて主張したわけです。これを立憲の精神というふうに穗積八束博士は言つておられるわけです。これに対して、どちらかといえば自由を尊重する立場から憲法を解釈されました美濃部達吉博士の場合には、むしろ議会主義というものを尊重して、これを憲政の原理というような表現をとつておられるわけです。旧法の解釈の場合でも、穗積説に対して美濃部説の方が、より議会を中心に考えるという考え方をとつておりまして、まして現在の憲法の解釈としては、私は国会が国権の最高機関であるという、憲法四十一条の建前というものを、やはり憲法全体の構造からいえば重視しなければならない、こういうふうに考えます。従つて国政調査権というものも、ただ立法に関してのみでなく、国権の最高機関としての国会の権限として、相当広く解釈するのが当然であろうと考えるわけであります。ことに憲法の四十一条が国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関であると言つて、立法機関であるということだけを言つているのではないということ、つまり国権の最高機関だということを前面から打出しているという点から言いましても、国会の調査権を相当広範囲に一ただ立法に関するもののみと考えない方がいいのではないかと思います。しかしそう言つたからといつて、現在ここで問題となつているような問題について、国会の調査権がおのずからある制限を受けるということは、その言われておる論旨に反するものではないのです。しかしそれでは、具体的な問題としてどの程度の制約を受けるかということが、まさにここで問題になつていることと感じます。第二に、公判係属中の具体的訴訟事件の内容調査については、やはり制約があるというふうに書いてありますが、この点については、国会の性質、議会の性質から、裁判とは別個の観点から、同じ問題を裁判に干渉するではなく取上げるということも、当然あり得ることだと考えるわけです。これはあとの方でも問題になりますが、裁判は公訴された事項について審理するわけで、それ以外の範囲の問題について裁判をするわけではない。この点は、法律上不告不理の原則というふうにいわれておりますけれども、現実に公訴されている問題の範囲内の問題だけでなく、一般の新聞や国民がいろいろな問題があるということを感じているにもかかわらず、現実に公訴されている事項が非常に制限されているような場合には、その公訴の事項がどの程度の範囲のものであるかということについて、国民の要望にこたえて国会が国政調査権を発動するということは、当然あつてもいいことだと思うのです。またその第三点ですが、検察事務は行政権の一部であり、同時に準司法的性格を有する。これは検察側としましては準司法的な性格を要請し、そうしてそうであることを期すると思いますが、しかし現実にはやはり検察事務が政治的な性格を帯びているということは否定できない事実であるので、そういう客観的な判断からいつて、行政権の一部であるとここにいわれているような点が相当強いということは、また否定できないと思います。ですから現実には検察事務が相当政治的な性格も帯びているということは否定できない、にもかかわらず検察側としてはこれを公正にしたいという希望は、確かに二ページの中ごろのところでわかるのです。しかし今申しましたように、客観的には行政権の性質が強いということは否定できない。それから取調べの内容などについて秘匿することが必要であるといわれておりまして、その点が特にここでは証言を拒否した理由になつておりますけれども、しかしこれは先ほども問題にされておりましたように、一般の新聞やまた国民が現実にこれらのことについては疑いを持ち、そうして事実であると信ぜられるような報道が広範囲に行われておる、こういうときにこの内容の秘密ということを持出すのは、むしろ検察庁がそういうことを名として国民の監視を避けようとするように感ぜられるわけです。現実には国民がこれについて疑惑を持つている問題でありますから、国会が国権の最高機関として、この問題について国政調査権を発動するというのは当然ではないかと思います。 また証人出頭を公務のためという理由をもつて首相が出て来なかつたという問題も、それをもしそのまま承認するならば、これは国会みずからが自己の職責を放棄していることであるとさえ考えられるわけです。憲法の七十五条には国務大臣の訴追については総理大臣の同意を要するとありまして、総理大臣そのものに対する訴追のことは書いてありませんがこれは多くの学者も言つておりますように、この条文では首相の訴追のことを予想していませんけれども、これは政治問題となるということを前提としていることだと解せられます。従つてそのことは、まさに憲法の六十二条でいう証人という形で首相が出頭するというようなことを意味するのであつて、訴訟の形では訴追されない、であるからこそ政治的には非常に大きな意味を持つ委員会に出頭して、そしてその所信を述べるというようなことが特に総理大臣には要望されていることだと考えます。 前の方の述べられた点と重複することもありますので、私は簡単にこの程度にいたしておきます。(拍手)
○田中委員長 それでは午後一時から委員の質疑を許すこととし、暫時休憩いたします。 午後零時一分休憩 ————————————— 午後一時十六分開議
○田中委員長 休憩前に引続き再開いたします。 質疑に入るに先立ち、参考人の一人からやむを得ない事情によりおひまをいただきたい旨の申出がありました。これを承認いたしたいと思いますが、この点についてお諮りいたします。
○山田(長)委員 動議を提出いたします。この委員会におきまして、造船融資の問題をめぐり、昨日は佐藤さんや団藤さん、これらの人々の意見につきましてはかなり傾聴して伺うべきものがありましたが、滝川さんの場合におきましてはどうも全体的に了解しにくい点も多少あつたわけでありますが、本日の戸倉、中村、武藤三人の参考人の方々の意見を先ほどから伺つておりますと、非常に参考になることがたくさんにあつたわけです。これらの御意見を伺いまして、私たち国民の血税をたくさんごまかされた、国民は憤激おくあたわざるものを非常に感じておるのが、多少溜飲が下つたような感じを深くするわけです。そういう点でただいまの委員長の御発言がありましたように、非常にお忙がしい方ばかりでありますし、われわれは非常に参考になつたと思いますので、本日はこれで質疑を省略いたしまして散会したいと思いますが、どうかおとりはからいを願います。
○田中委員長 ただいまの山田君の動議についてただちに採決いたします。すなわち山田君提案の通りに決するに賛成の諸君の起立を願います。 〔賛成者起立〕 〔「じようだんじやないよ、委員長、そんなことあるか、恥を知れ」と呼ぶ者あり〕
○田中委員長 起立多数。よつて質疑を打切るに決しました。 参考人の皆様にはどうもありがとうございました。 本日はこれにて散会いたします。 午後一時十九分散会