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19回国会衆議院1954/09/29

運輸委員会 第40号

発言数
67
登壇者
11
会派数
5
開催日
1954/09/29

会議録

關内正一自由党

○關内委員長 これより開会いたします。  台風第十五号による洞爺丸遭難事件に関する件について調査を進めます。

竹谷源太郎日本社会党(右)

○竹谷委員 昨日本委員会において私は洞爺丸沈没遭難事件に関しまして、本委員会として政府並びに日本国有鉄道に対しまして、これが善後措置並びに対策について万全の方策を講ずるよ要望するところの決議案について、審議すべきことを動議として提出したのでありまするが、留保となりまして、本日審議したいということでございましたが、冒頭においてこの決議案について御審議願いたい。またその文案は委員長に御一任申し上げるということにいたしたいと思うのでありますが、どうぞよろしくおとりはからいを願います。

關内正一自由党

○關内委員長 ただいま竹谷委員よりお述べになりました件につきまして御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

關内正一自由党

○關内委員長 御異議がなければさよう決します。    国鉄青函連絡船洞爺丸沈没事件に関する決議   本委員会は、過日函館港外において突発せる国鉄青函連絡船洞爺丸その他の沈没事件により不幸遭難せられたる各位に対し深甚なる哀悼の意を表すると共に、本件の重大性にかんがみ、政府及び国鉄は其の責任を痛感し遭難者に対する弔慰、補償並びに事後の措置につき万全を期するよう強く要望する。   なお、今回の如き惨事を再び惹起せざる為、速かにあらゆる角度よりこれが原因を究明して対策を確立し、気象業務施設の整備拡充、特に南方定点観測の整備、北方定点観測の復活について、本委員会が再度に亘り決議せる趣旨に基き、必要且つ適切なる措置を講ずべきである。   右決議する。  以上の決議をいたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

關内正一自由党

○關内委員長 御異議なければさよう決します。     ―――――――――――――

關内正一自由党

○關内委員長 本件の調査に関し、現地に委員派遣をいたしたいと存じますか、その氏名及び時日等に関しましては委員長に一任されたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

關内正一自由党

○關内委員長 御異議なければさよう決します。     ―――――――――――――

關内正一自由党

○關内委員長 なお本件に関し、参考人を本委員会に招致いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

關内正一自由党

○關内委員長 御異議なければさよう決します。  なお時日、人選等については、委員長に一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

關内正一自由党

○關内委員長 御異議なければさよう決します。     ―――――――――――――

關内正一自由党

○關内委員長 本件に関し質疑の通告ありますので、順次これを許します。臼井莊一君。

臼井莊一改進党

○臼井委員 すでに本件に関しての一応の御質疑はあつたように思うのでありますが、まだ大臣も、お帰りになりませんし、現地の模様も十分おわかりないようでありますので、この際こまかくお伺いすることを差控えますが、ただ新聞等で見ますと、いろいろその当時の模様において非常に食い違いがあるように拝見するのであります。そこで率直に事態をよくひとつ調べて、そうして御発表願つて、将来こういうことのないようにお願いしたいと思うのであります。  ことに一番私がふしぎに思うのは――これは私はかりではないと思うのでありますが、十一青函丸あたりはその前に出航して、そうして途中から引返して来た。そういうくらいな状況であつたにもかかわらず、洞爺丸だけが、しかもその引返して来た乗客まで収容して出かけたということ、もちろん洞爺丸は優秀な船である、こういう自信があり、船長も優秀であるという自信があつたのたろうと思うのでありますが、これがむしろゆだんであつたというふうにも考えられるのであります。そこでその当時青森からも函館の方に向う連絡船も当然あつたはずで、これがどの程度にやはり欠航の決定をしておつたものかどうか、また十一青函丸以外にもやはり欠航を決定したものがあつたのですかどうですか、その点をちよつとお伺いしたいと思います。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 その当時十一青函丸が欠航ときまりましたあとにも、船は勅いておるのでございます。青森から出ました第八青函丸並びに、石狩丸が函館の港内に到着いたしましたのが、第八か十七時四十五分、石狩丸か十八億四十分でございます。しかしながらこの船は岸壁がふさがつておりましたので、岸壁に到着することはできませんでした。

臼井莊一改進党

○臼井委員 その後に、十八時以後に出る予定になつておつた船で、欠航したのはございませんでしたか。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 十八吟以後に出る予定になつておりますのは、六便という船がございまして、客便でございますか、これが大雪丸でございます。大雪丸は函館を十六時五十五分に出る予定でありましたが、これはとりやめになつております。

臼井莊一改進党

○臼井委員 今ここでそれを詳しく問答しておることもどうかと思いますので、他の委員の御参考にもなろうと思いますから、そのときの各予定船の欠航したものを表にでもおつくりいただいて、資料として適当なときにお出しをいただきたいということをお願いいたします。  それから洞爺丸には北海道の浅井総支配人初め、各局長が三人ばかり乗つておられるのですが、それは東京に会議があるというので上京される、こういう予定であられたようでありますが、それはいつ会議を開く御予定であつたのですか、その点をちよつとお伺いいたしたい。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 二十八日と二十九日、両日でございます。

臼井莊一改進党

○臼井委員 そういたしますと、二十八日の朝までに着けば、別に会議にはさしつかえなかつたようでありますが、二十八日の何時からでございますか。その点をちよつとお伺いいたしたい。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 あの便に必ず乗らなければ間に合わないということではございません。現に高見局長はやはり出席するわけでありますが、二十七日に乗る予定になつておりまして、その便に乗つておりません。また大体九時ないし十時ごろから始める予定でありますので、かりに一時間か半日遅れましても、そう大した支障はないのでありまして、特に是が非でもなければならぬという状況ではなかつたと私は存じます。

臼井莊一改進党

○臼井委員 その点がわれわれ常識から考えると、船長が無理に出港した、天気予報の観測を誤つたというばかりでなく、何といいますか、無理に出て、ことに船長さんあたりだと、なかなか北海道の総支配人さんあたりが乗つていて、各局上長も乗つている、こうなると船長の意思そのものを相当に拘束するようにも考えられるので、従つてその点を非常に疑問に思つておりましたが、ただいまのお話のように二十八日の午前中に会議を開くということであれば、遅れてもさしつかえないというふうにも考えるので、その点はある程度わかりました。またその船の出る前後に、しきりに会議をやつたということを聞いております。これにはやはり支配人とか管理局長あたりが加わつておられたのじやないかと思います。か、そういう点についてわかりましたら、後ほどひとつ御報告いただきたいと思うのであります。  私の質問より先に楯先生の通告があつたようですから、私はこれで終ることにいたします。

關内正一自由党

○關内委員長 楯兼次郎君。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 二、三質問をいたしたいと思います。現地調査もここで決定をいたしましたので、現地調査をいたしまして、全般にわたつて、詳細なる資料に基いて質問をするのが至当だと思いまするか、われわれ国民の一人といたしまして、どうも新聞の報道等を聞きましても、疑惑に思われる点が二、三あるわけであります。これは私一人だけではないと思いまするので、今後関係者の発表その他においても、この疑惑の起きるよりな発表の仕方をしないように、ひとつ率直に発表をしていただきまして、この原因が那辺にあつたか、今後どう処置すべきであるかということを、今後の対策を確立するために、われわれは審議をいたしたい、かように考えて、次のような質問を申し上げたいと思います。  この洞爺丸の遭難の原因につきましては、いろいろなことがいわれております。あるいは貨車を縛つておるチエーンが弱かつた、あるいはいかりの綱が弱かつた、その他貨車を積み込む開口部というものがあつたからいけなかつた――船体の構造についてもいろいろなことが言われておりますが、それらは今後海難審判庁等が専門的な立場からいろいろ検討をいたしまして、判定をするだろうと思います。先ほど申し上げましたように、私どもが疑問に思いまするのは、遭難をいたしました当時の気象関係であります。それからただいま臼井委員が質問をいたしておりましたように、この船がなぜ港を離れたか――これは港におりましても、他の船舶が転覆をいたしておりますので、あるいは同様事態が起つたかはわかりませんけれども、そのこと以外に、もし港を離れなかつたならば、ああいう事態が起らなかつたのではないか、こういうことが盛んにいわれておりまするので、この二点の疑惑について質問をいたしたいと思います。  まず第一に気象台関係でありますが、十五号台風のときには、十二号あるいは十四号の台風のときと違つて、報道陣が半数以下であつた、こういうことが新聞あたりで報道をされておりまするか、その原因はどこにあるのか、この点を御質問申し上げたいと思います。

肥沼寛一運輸技官(中央気象台予報部長)

○肥沼説明員 気象台で台風を警戒いたしますやり方は、三段階にわかれてやつておりします。第三――第三と申しますが、第三の警戒が一番軽いのでありますが、これは台風が出ましたときに海上の状態を主として警戒いたします。そのために情報などがたくさんふえますので、私どもの方の職員を臨時に招集してやります。その次のが第二の段階でございますがこれは日本のどこかに台風が接近して、上陸して被害が起りそうだというときの段階でございまして、これは全国を指導いたします中央気象台といたしましては、一番資料を持つておりますので、台風の位置、強さ、速度、方向、そういうものを台風の進路に当ります気象台、測候所に指示いたします。進路に当ります現地の気象台、測候所はこれをもとにいたしまして、さらに気象台で放送いたしております気象の資料で、みずから天気図をつくりまして、自分の担当の区域に対して警報を出す、こういうことをやつております。先般の十五号はこの第二の段階をとりました。第一の段階と申しますのは、気象台の警報の出し方が、全国を十の予報区にわけて、そこの中の中心の気象台をきめて責任を分担しております。中央気象台はその十の中の一つ、関東地方を主としたところを担当しておりますが、この場合は中央気象台自身が、気象台を指導するだけでなく、海上保安庁、建設省、農林省、その他民間団体に直接情報を流す義務がございますので、これは警戒の段階としては先ほどの第二とかわりないのでありますが、直接仕事をするという意味で、一番人をよけい招集して編成をいたします。先般の十二号と十四号につきましては、十二号は南方の海上にありましたときに非常に強力なものであつたということから、東京で全国の管理権を持つております官庁あるいは会社その他を気象台に招集いたしまして、あらかじめ説明会をいたしました。十四号につきましては、東京の方へ向いて来そうだというので、先ほどの第一段階の処置をとつたのでありますが、このときは東京を中心とした官署あるいは団体、会社を召集して説明会をいたしました。この説明会の結果と思いますが、報道の方々が非常に協力をされて、報道に努力していただきました。これは私どもの方からそういうことをやるような建前には元来なつていないのでありますが、向うから自発的にされたのであります。十五号につきましては、東京よりは遠いところを通るという意味で、ほかの気象台、測候所を指導するという処置だけをとりました。なおその説明会は、これは東京に関係なさそうだというので、開催いたしませんでした。以上であります。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 大体当時の模様の概略がわかつたのでありますが、次にお伺いしたいのは、われわれ新聞を唯一のたよりとして当時の模様を検討いたしておるのでありますが、新聞の報道では、函館海洋気象台と鉄道との気象に対するところの連絡といいまするか、打合せというものがまちまちであつて、はつきりした情報がつかめないわけであります。私は当時連絡についての欠陥かあつたならばあつた、どこに欠陥があつたかということをひとつ率直に公表していただいて、今後の対策にしなければならない、かように考えておるわけでありまするが、まあ悪く言いますると、どうも自分のところの責任を任になすりつけるといいまするか、そういう傾向が非常に多い、私はこういうふうにとつておるわけでありまするが、もしおわかりならば、当時函館海洋気象台と国鉄の関係者との連絡について、どういうような状態であつたかという点を、はつきりひとつ国民に納得の行くように御発表を願いたいと思います。特に私がこういうことを申し上げまするのは、新聞によりますると、この洞爺丸が出港をいたしましたことについて、海洋気象台長は、こんなときに出港するということは無謀である、そういうことを新聞に発表いたしておりまするので、特にお伺いをするわけであります。

肥沼寛一運輸技官(中央気象台予報部長)

○肥沼説明員 気象台と国鉄の間には鉄道気象通報という、これは国鉄総裁と中央気象台長との協定がございまして、その連絡をふだんやつております。中央気象台は国鉄本庁に対しまして全般的のことをお知らせし、各地ではその土地の国鉄の当局と気象台との問に連絡がとれるようになつております。函館に関しましては、昨日二十六日の午前七時と申し上げたかと思いますが、これは八時のようでございます。八時に風雨注意報というのを出しております。十一時に暴風警報をお知らせしてございます。そのあとのことでございますが、これは状況がかわれはできるだけ密接に連絡をとるという規程になつております。どの程度のことをやつたかという非常に詳しいところまでは、私どもの気象専用線があの当時切れてしまいましたので、わからなかつたのでありますが、大体今つかんでおりますところでは、十六時に放送局から気象の情報として発表しております。情報と申しますのは、前に発表した警報を説明し、あるいは多少修正するという意味のものを出すわけであります。次に二十一時、これは事件のあとだと思いますが、これも放送局から出しております。それから青函局指令室あてのは、最初のは午前八時でありまして、そのときの情報を知らせております。それから十一時三十分、これは一般の警報を出した二十分後でありますが、連絡をいたしております。  それからなお海洋気象台は、あの付近の海上一般、これは津軽海峡を含めて、東の方は釧路の沖まで含んでいるわけでありますが、海上に対して警戒をいたします。これは海上保安庁の通信系から出すわけでございますが、これが二十六日の午前六時と十一時と十五時に出してございます。このほかには電話の連絡応答などがあつたはずでありますが、この件につきましては詳細の点は私どもまだつかんでおらない状況でございます。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 詳細なる連絡状態をつかんでおられないということでありますので、これ以上質問することはできませんが、この気象関係の連絡としては万全とは行かなかつたけれども、いわゆる気象通報の打合せということが所定通り行われたかどうか、慣例通り行われたかどうかという点を、ひとつ気象台の方にわかつておつたらお伺いしたい。それから国鉄にもお伺いしたい。

肥沼寛一運輸技官(中央気象台予報部長)

○肥沼説明員 国鉄当局と気象台とは、たいてい年一回一番災害の多いよりな――北海道に関しましては冬季が多いのでありますが、それ以前の夏か秋に連絡会を持つて、ことしは特にどういうことを注意しようという連絡はやつているはずであります。私は二年ばかり前まで札幌の台長をやつていたのでありますが、私のおりました当時もそれはやつておりましたので、現在も多分続いておるかと存じます。規程のことは実施されていただろうと存じます。ただ新聞その他の報道によりますと、函館ではいろいろの通信がかなり混乱をしたというようなことが報じられておりますので、実際面としてそれか行われたかどうかは、よくまだ私存じないのでございます。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 たいへん調査が手間取つておりまして申訳ない次第でありますが、昨日も申しましたように、私どもといたしましてはまず第一に遭難者の収容、救護、弔慰という面に、全心全力を傾けておるような次第でございまして、昨日あたりからようやく御質問のような詳細な点についての調査を始めたのでございます。それはやつぱり現地で把握することが一番大事でありまして、東京等においていろいろな憶測をすることは、むしろ害があつてもいけないというふうに考えます。昨日の御質問の趣旨もあり、現地に行つております副総裁にもよく連絡をいたしまして、順次取調べをいたして行きたいと思つております。ただいまの御質問に対しましては、今予報部長さんからお話がありましたように、規程にきまつておりますものは的確に行つておつたと私は考えます。しかしそれが通信の障害その他によつてどういうふうに混乱されておつたか、あるいはそれ以外にどういう連絡があつたかということについては、実はここでまだお答えできないような状態でありますことを、はなはだ遺憾に存じます。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 被災者の救済について当面万全の措置を講ずるという点については、私もまつたく同感でございますが、昨日、今日の新聞、ラジオ等の伝えるところによりますと、これは私ばかりでない、国民が一番疑問に思つてておるのが、気象関係では私が質問をしたよりなことであろうと私は考えるわけです。これがいいにしろ悪いにしろ、連絡ができなかつた、あるいは連絡をした、こういうことがはつきりと報道されなければ、国民の疑惑が解けない、こういう観点に立つて質問をいたしておりますから、今後の調査においてもそういう面を十分考慮して、ひとつ検討をしていただきたい、こういうふうにお願いを申し上げます。  次に私どもが疑問に思つておりますのは、冒頭に申し上、げましたように、船がなぜ港を離れたかということであります。離れなければあるいはまた違つた場面から災害をこうむる、こういうようなことも私はあるいはあり得るとは思いますが、国民が今疑惑に思つておりますのは、なぜあんな状態のときに出港をしたのか、この点が私は非常に疑問に思つておる点だと思いますし、また生き残つた方たちのお話を聞きましても、これが両論にわかれて対立しておるような状態でありますから、この点について私質問をしたいと思いますが、まずこの事件が起きましてから新聞等を読みますと、出港をする権限といいますか、責任が全部船長にある、こういうような印象を私どもは受けるわけであります。これは二十八日の新聞でありますが、私の持つておるのは時事新報でありますが、ほとんどの新聞が篠田船舶課長の参議院の運輸委員会で説明をいたしました要旨を発表いたしております。それによりますと、「欠航するか巡航するかの判断は長い経験いを積んだ船長に判断にまかすことにしている」こういうことです。ところが私どもしろうとでありますが、国鉄の行政政機構を考えました場合には、どうもこの文句を読んで納得が行かない。私のしろうと考えで申し上げますと、船を運航する最終的な権限といいますか、そうしたものは、これは管理局にある、こういうように私ども考えておるわけでありますが、管理局においては船の運航について何ら指令をする権限がないのか、この点をまず第一にお聞きしたいと思います。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 それは少し言葉の足りなかつた点もありますので、なお御説明を申し上げます。船を動かす以上は、ある一つの一般の会社でもスケジユールを組まなければならないのでありますが、特に鉄道の場合においては、御承知のように陸上の列車との接続その他がありますので、一応ダイヤを作成いたしまして、この船はこの便を受けろという、一応の指令は出ておるわけであります、ただこういつた天候、気象、航路障害その他のことによりまして、出るか出ないかとこう問題は、これは法規にもきめられておりますし、また私の方の規程にも船長の権限になつておるのでございますが、実際の運用面につきましては、その場合船長の判断によりまして、それをただ黙つてやつてしまつたのでは陸上のダイヤとの連絡もつきませんものですから、目下の状態はこういう状態であるから自分はこうするということを、一応管理局に連絡をいたしまして、それでそういう措置をとるということになつております。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 船舶課長のお話を聞きますと、出港の権限が船長にあるということを非常に強調されておりますが、航海中ならば、私はこれは当然だと思います。しかし今港を出帆するかどうかという点については、船長の進言というものは大きな要素をなすであろうことは考えられますけれども、やはり最終の決定は海務課の進航指令にある、こういうふうに考えなければ、今日の国鉄の機構の面からいつても論理が成り立たぬではないか、こう考えますが、その点はどうですか。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 陸上の列車とその点は違いまして、船舶には一応一般の法規でそういうふうにきめられておりますので、私の方としても直接そういつた場合の進航を指令するということは一応いたしておりません、

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 ただいま船舶級長が言われたように、その船の航行については全責任が船長にあるということを職制上、服務規程というか内規というか知りませんが、そういうことがはつきりとあなた方の規程にうたつてあるかどうか、こういうことをお聞きしたい。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 それは一般の法規でもうたつてありますし、国鉄の服務規程でも先ほど申し上げたようなことがうたつてあるわけであります。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 そうしますと、船が何分に来て何時の接続であるという報告の収集といいますか、そういうことのみをやつておるのが海務課の仕事であるかどうか、この点をお聞きしたい。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 これはこういう台風であるとか、特殊な危険状帳にある場合は別でありまして、平常においては、あれだけの船を使いますと、船が非常に遅れたりしますと、そのかわりを出さなければならないので、船繰りをかえましたり、あるいはその場合に接続の列車を遅らしたり、何か調整をしなけれがならぬ、その調整が最も輸送を円滑にやる方法なのです。そのために特に完全なる一貫した輸送をやるということが主たる任務になつております。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 それでは、そのことについてはわれわれ調査に参りまして今後よく調べたいと思いますが、常識的に考えまして、あなたの発表と当時の模様とで何か抜けておるところがないか、こういうふうに私は考えます。といいますのは、大体常時二十五メートルから二十七メートルのときには船は就航をしておる、こういうことを発表になつておられます。ところが、あの転覆の原因の第三にどういうことを言つておられるかといいますと、暴風警報で二十五―三十メートルの強風が吹くことはわかつていたが、五十メートルを越える予想以上の突風に襲われたことが、この悲劇を生んだ原因ではないだろうか、こういうことをあなたはおつしやつております。ところが最高三十メートルの風が吹くということは、あなた自身ここで発表になつておるように予測をしておつた。従つて、出航の権限が船長にあると仮定をいたしましても、上司間において船を出すべきか欠航さすべきか、こういうことが相当論議をされておつたと私は考えておるわけでございます。ところが今日までその間の消息というものは、ほかのことは新聞紙等に発表になりますが、全然発表になつておりません、ようよう今日、会談をやつたとか、あるいはそういうような打合せが行われたのじやないかということが、この被害からのがれました方たちの意見として発表になつておる程度であります。こういう国民が一番疑惑に思つておるところの出すべきか欠航すべきかとというような点について、あなた方は積極的に当時の模様を発表する責任があるし、また発表しなければ国民が疑惑を持つ。こういうことは常識として当然考えなければならぬことでありますが、今日までその間の消息についてなぜ御発表にならなかつたかという点をお伺いしたいと思います。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 まことにごもつともな御質疑であり、また国民各位並びに遭難せられました方々の御家族、御友人の最も関心を持たれる点の一つだろうと思います。しかしながら、これにつきましてはやはり相当慎重なるいろいろな調査が必要でありますし、関連するところも国鉄だけじやない、国鉄だけの考えではできないのでありまして、いろいろな点を十分にしかも迅速に正確に把握しなければいかぬということを私は考えております。現在現地に副総裁その他行つておりますし、運輸大臣も政府の代表者として行つておられますので、それと十分に連絡をとつておりますが、いまだ確信のある見解を発表することのできるような状態になつていないということは、返す返すも遺憾でございますが、もう少しお待ち願いたいと思います。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 今総裁の答弁を聞いたのでございますが、他を顧みる必要はないと思います。運航すべきかあるいは欠航すべきかということについて、こういう打合せが行われた、あるいはこういうことがあつたということを、素直に国民の前に発表していただかなければ、ますます疑惑を深めて行く、私はこういうことを言つておるわけであります。長崎総裁のように、他の関係が深いから慎重考慮をしておるということでは、国民が納得をしない。ほかの問題どんどんと発表になりますが、このことについては他を顧みて考慮されておるということでは、どうしても納得が行かない。しかし今それを申し上げましても過ぎ去つたことでありまするから、そういう疑惑を解くように今後は調査を進めて行つてもらいたい、私はこういうことをお願い申上げておきます。  それからわれわれの常識で行きますると、人命、財産を預かつておりまする――これは陸でも海でも同じでありまするが、仕事の状態というものは陸でありますると保安設備に故障が起きた、小さい故障であつてもとにかく安全第一の立場をとろうといたしますれば、列車をそこで運休にする、あるいは海においても私はこの考え方は同じだろうと思います。非常に危険だ、なるほど二十五メートルならば運航したかもしれないけれども、すでに三十メートルの風が吹くということが予測されておる。私は船長としてここで当然欠航すべきである、こういう考え方であつたということは推察することができますし、また鉄道の幹部といたしましてもそういう危険な場合には列車を動かしてはいけない、船を動かしてはいけないというような指導方針で、今日まで進んで来られたというふうに聞いております。またこれは当然常識であります。従つて当時の模様を推察いたしまして、これはあくまでも予想でありまするが、おそらく船長はこれではいけないから欠航をしたい、心中こう思つておつたであろうというふうに私ども推察をいたしておるわけであります。ところが先ほど臼井委員からも指摘をされたのでございまするが、他からの要請があつたのか、あるいは自発的であつたのかは知りませんけれども、とにかく危険を冒して出航をしておる。私はその原因は先ほども言われましたように、どうしても二十八日の局長会議に参加するために、いわゆる国鉄の地方幹部が乗船をした。これは私はいやがらせで言つておるわけではございません。自発的であろうと、他から要請されたかわかりませんけれども、とにかく船長が心に危惧を持ちながら、あえて出帆をしたという原因は、やはり地方幹部が乗船をしておつたというところに一つの原因がある、こういうふうに私は想像でありまするが考えておるわけでございます。それを裏づけるようにきようの新聞を見ますると、たとえば生き残つた水夫談というので、幹部乗船で強行出港ということも出ております。それから船上長に出航の圧力がかかつたのではないか、こういうことも新聞に出ております。こういうように水夫の話、あるいはボーイの話、あるいは一等船客等の談を総合いたしますると、私が今申し上げておることもまんざら架空ではないというふうに思えるわけでございます。従つて国民の疑惑を解くために、私は責任の所在がどこにあるかということは海難審判庁でやつていただくことでありまするが、とにかくその経緯というものを疑惑の起らないように、今後はひとつ素直に発表をしていただきたい、こういうふうに考えます。  それからわれわれも経験があるのでございまするが、なるほど幹部は強制をしたのではないといたしましても、やはりこういう場合に部かとしては危険を冒しても、出航しなければならないというような気分になることは、長崎総裁と私の関係ではちよつと考えられないのでございますが、普通の今日現場で働いておりまする人たちの考え方から行きますると、このことについては笑いごとで済ませないところの要素が含んでおると思います。従つてこういう面についても行政上ひとつ今後十分考えていただかなくてはならない、こういうふうに考えるわけでございます。それから船長の権限でございますが、職制上どういうような権限がうたわれておるかは知りませんけれども、とにかく他の権力といいますか、他の力に制肘をされないように、船長がほんとうに運行するのか欠航するのかという自主権を、今後は行政上はつきりと打出して行く必要があるというふうにも考えますので、この点も今後の対策としてひとつ十分検討していただきたい、かように申し上げるわけでございます。  次に被災者の弔慰と救済についてお伺いしたいと思います。新聞等によりますると、国鉄の対策本部はとりあえず生存者に二万円、死亡者に六万五千円の見舞金を出すといつておりまするが、どの新聞を見ましてもとりあえずという言葉が使つてあります。国鉄としてはその後の処置についてどのような構想を抱かれておるのか。この点長崎総裁のこれらの遭難者に対しまする救済の構想をお聞かせ願いたいと思います。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 非常に適切なる御注意でありますが、船長の出航あるいは出航しないというようなことにつきましては、一般船舶の場合とわれわれのところと異なるものではないのでありまして、法律によつて明白に船長に自主権が認めてあると存じます。この点は法律ございますから、われわれの方の規程でもつて曲げることはできません。でありますからその間にいかなることがあつたかというような想像はいろいろできるかもしれませんが、法規上は明らかに自主権があると私は考えます。また先ほど臼井委員にもお答えいたしましたように、風説と申しますか、そういうようなことを申すこともありますが、さつき申し上げたように、二十八日の午前に会議が開かれるのでありまして、それまでには十分間に合う。現に青函管理局長の高見君も来るわけでありますが、あの船に乗船いたしておりません。さようなわけでまだ間に合う公算が十分にあるのであります。またあの会議の内容そのものも事前に通知してありまするので、そう緊急な、緊要欠くべからずというほどのものでもない。ただ事務上の繁忙期に入りまして、国鉄の当面するいろいろな問題、あるいは現在まで経過して来ました成果などについて、今後の心組みというようなことを相談しようということでございまして、一刻を争つて、ぜひその時間までに間に合わせなければならぬという性質のものでないことは、局長たちも十分承知しておりまするし、半日やそこら遅れて来ましても、二十八、九日とありまして、さらに北海道の人たちが遅れて来れば、あとで半日くらい延ばしてもさしつかえないことは十分承知しておりますから、そういうことは私は万ないと確信いたしておる次第であります。  遭難者を今後どうするかということにつきましては、今夜石井運輸大臣がお帰りになりますので、追つかけてまた天坊副総裁も大体の用を済ませて帰つて来ますので、その上でいろいろな点を勘案して、前例等をも参酌し、いろいろな観点から十分な考慮を払い、同時にまたその前例等に必ずしも拘泥することなく、政府と十分な連絡をとつて処置して行きたい、大きな構想としてはそういうふうに考えております。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 その点について二点ばかり……。今夜運輸大臣が帰つてから、この問題について政府の態度を決定をされるそうでありますから、ここで運輸政務次官並びに総裁に強く希望を申し上げたいことがあるわけでございます。それは遭難者の中には外国人、それから一般の公衆、職員、こういうように三段あるわけでありますが、これらの人たちに対する救済についての取扱いであります。私はこれは当然同一取扱いで行かなくてはならない、こういうように考えます。区別というようなことはあり得ないと思いますが、この辺のあなた方の御覚悟をひとつお伺いしたいと思います。

岡田信次自由党運輸政務次官

○岡田説明員 ただいまの楯委員のお話でございますが、先ほど来お話がございましたように、運輸大臣が今晩帰つて参りますので、政府といたしましてもそれから具体的のことにとりかかることに相なつておりますので、ただいまの御意見につきましては十分運輸大臣に伝えて普処いたしたい、かように考えます。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 それからいま一点は、新聞によりますと福永官房長官は、国家補償を十分に研究する、こういうことを発表いたしております。それから昨日の新聞では愛知通産相は、国鉄に十分にまかなわせるというようなことを発表いたしております。私は長いこと言う必要はないと思いますが、今次のこの悲惨なる問題は、政府全体の問題として当然政府が補償すべきものである、こういうふうに考えておるわけでありますが、次官並びに総裁としてはどういうふうにお考えになつておるか、この点もあわせてお聞きしたいと思います。

岡田信次自由党運輸政務次官

○岡田説明員 昨日この委員会の御要果もございましたので、当委員会の散会後、私官房長官と会談いたしまして、当委員会の御要望並びに私の見解を伝えた次第でございます。内閣といたしましても昨日午前この問題につきまして非常に論議をされたのでございますが、もつて政府全体の問題としてこれを処理して行こうということに想見の一致を見たのでありますが、何分主管大臣が帰つて来ないので、これが具体的の方策は、主管大臣が帰つて急速きめたいというふうに相なつておりまして、ただいまお話の官房長官談の国家補償の問題、あるいは愛知大蔵大臣代理の国鉄自体でまかなえるということもお話はございましたが、私はまだそういう点は聞いておりませんが、おそらく今回の問題は国鉄自体だけで解決することは非常に困難であろうと考えますし、またこの点について、私といたしましても、すでに愛知大蔵大臣代理等にも一応の申入れはいたしてございます。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 ただいま政務次官からお述べになつたこととまつたく同じような考えを持つておりますが、現在の国鉄の財政状態、収入の状態その他から見まして、この未曽有の大きな惨害についての負担というような点になりますと、これはどうも何らかの措置を講じてもらわぬことには、たいへんなことになると考えております。これはひとり遭難者に対する御処置の問題だけではございません。何しろ連絡船の約三割以上、四割近いものがああいう損傷を受けたのでございまして、北海道と内地との連絡というものも今後どう処置して行くかという点について、これは早急に策をとらなくてはならぬのでありまして、それに対する船舶の新造、補修というようないろいろな問題について、これは国鉄だけの力では早急に行かないのではないかというような大きな見通しをいたしております。しからばどのくらいどうなるかということはまだ計算はいたしておりませんが、どうも私の見るところでは、仰せのように国に何か助け舟を出していただかないことには、国鉄だけでは早急には回復できないのじやないか、はなはだ遺憾でありますが、そういう実情であろうと想像いたしております。今後ともよろしく皆さんの御協力御援助をお願いいたしたい次第であります。

楯兼次郎日本社会党(左)

○楯委員 いろいろこまかい質疑に要望については、調査のあとになると思いますが、この際私は二点ばかり政府に要望しておきたいと思いますのは、国鉄は世帯が大きいので、昨年の水害でもそうでありますが、まあ自分のところでまかなつて行け、あらゆる災害に対しまして、そういうようなあいまいな態度がとられて来たと記憶いたしております。しかし国鉄の企業というものは、陸であれ海であれ、とにかく一歩誤れば人命、財産に重大な影響を与えるという企業でありますから、これを契機といたしまして国鉄の企業は相当違う、こういう点を再認識していただかなければならぬと思います。話はそれますけれども、たとえばレールでも、この前の委員会等にもお話があつたのでありますが、寿命の切れたような、規約の年限を越えたようなレールの上に乗つてわれわれは旅行をしておる、そういうようなお話も聞いたのでありますが、それではいつどういう事故が今後起らないとも限らない。従つて今後はこれらの老朽荒廃施設については、政府に十分ひとつめんどうを見ていただいて、今後こうした人命、財産に損傷を与えるような事故が起らないように、万全の措置をとつていただきたいと思います。そのためには財政措置も必要であるわけでございますが、なかなかこの点がいろいろな問題が起るごとに解決されておらないので、本問題を契機といたしまして、そういう面の改善についての財政措置ということも十分考慮していただきたい。  それからいま一つは、新聞等にもやかましくいわれておりますが、この問題を契機といたしましていわゆる青函トンネルの問題が上つて来ております。遭難直後でありますので、今ここで本問題の詳細につきましては質疑はいたしませんけれども、ただこうした問題が起きたから、青函トンネルというものを考えなくてはいけないのではないだろうかというような考え方では、これは国民を欺瞞し、本問題の責任をそらすというような点になつていけないと思います。従つて今後は青函トンネルが完成するように、具体的に真剣にひとつ本問題を検討していただきたい、このことだけを要望いたしまして、私の質問を終りたいと思います。

臼井莊一改進党

○臼井委員 ちよつと一、二点お伺いしたいのですが、楯委員の質問に対して総裁のお答えの中で――決して私は何もあげ足をとるのではないのですが、船長に出港を余儀なくせしめるような、何か他から圧力というか、そういう事情があつたのじやないかという点が、一般に非常に疑惑に思われているのです。ところがこれに対して法律上では明瞭に、船の運航は船長の責任である、こうなつておるから、そういうことはあり得ないというようなお答えのように聞いたのですが、法律上はそうあつても、実際上はたとえば先ほど申し上げたように、北海道の総支配人その他幹部の人が乗つておる。そして当然ブリツジにも来るでしようし、いろいろ相談にもあずかるでしよう。そうなると船長は多年老練な人であつても、やはり格から言うと部長、課長の間だということを聞いております。そうするとやはり発言力の強さというのは、非常に違うのじやないかという点が考えられるのであります。従つてそういう圧力があつたと私は申し上げるのではありませんが、当時のことをあらゆる面から検討して、事実の有無等について、今後のこともございますので、ひとつよく御調査をいただきたいということを特に申し上げておきます。  それから私もちようどつばめであの二十六日に舞鶴に引揚げの援護の調査に行くことになつたのですが、台風が来る、そうするとつばめも途中で危険なこともあるのじやないかというようにふと思つた。できれば延ばしたいと思つた。ところが入港の都合もあろうし、また不通にでもなると行けなくなつてしまうというので、多少無理して行つて、そこは国鉄だからと思つて信頼して乗つたのです。危険なら途中でとまるだろう、こういうふうに感じたくらいの台風であつた。そうするとことにあそこの津軽海峡は特殊の気象状況で、非常に突風が起りやすいために、渦巻の風が起りやすいという状況にあるということを聞いたのですが、そういう点であれば、船長として当然これは人命を大事にする方が正確ということよりはむしろ大事じやないかと号ので、どうもその点がわれわれは納得が行かないのです。  もう一つお伺いしたいのは、もちろん青森まで行くつもりで出たのだと思いますが、かりに外に仮泊するつもりで出たとすれば、乗客を乗せたのはおかしい。ところがあの設備が、千名からの人を函館駅でもつて収容する施設に大分欠けているというようなことを聞いたのですが、この点青森の駅もやはり同断たと思うのですが、その点は千人から二千人程度収容する余裕は十分あるのでございましようか。その点をひとつお伺いしたいと思います。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 在来も船が欠航その他をいたしまして泊つた場合があるのですが、大体一便ぐらいの人は駅の本屋とさん橋の待合室、非常に狭いながらも入れるという状況にありました。青森側は現存工事をしておりますので、現在では無理かと思われます。

臼井莊一改進党

○臼井委員 どうも私たちがあそこを通りまして、あれはやはり非常に手狭である、またそういう仮泊を構内でするという場合には、施設に足りないように思うのです。これは将来のためにはやはりそういう点を十分、もし足りなければやはり整える必要が将来あると思うのです。その点をひとつ申し上げておきます。  それから私どもしろうとから見ると、特に危険らしく感じたのは、ちようどこの夏中居委員と竹谷委員と私とがあそこを通つたときに貨車を積んでおりましたが、あのつなぎチエーンが切れるというようなことがあつたらたいへんだと思うがどうだと聞いたところが、それは切れたらもうたいへんですとこう言う。しかしそれがために少し荒れて来たら――そういう場合も予想せなければならぬけれども、たとえば切れたときにはどうするかと言つたときに、それに対しては答えがありませんでしたが、切れないために絶えず人が貨車のまわりをまわつていて、ゆるめば締める、こういうことをしていると聞いたのですが、われわれが見てもそれほど船そのものの構造が非常に危険なように感じたのです。従つて今後こういう点をただちに十分研究されて、船の経済からいえば、あの方がいいのでしようが、はたしてあとああいう貨車を一緒に積むような構造の船をそのまま続けて行くことがいいか悪いかということも、これは私大きな問題だろうと思うのです。その点も十分御研究いただきたいと思います。その他のことについてはいずれデータが出てからにいたします。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 私は青森市に住んでいる者でありまして、対岸函館港とは唇歯輔車の関係にあります。従いまして今度の遭難事件に対しましては、言葉もなき状態でございます。ちようど私は本委員会から九州地帯の災害と国鉄並びに港湾等の災害状況調査のために派遣を命ぜられまして、その調査の途中であつたのでありまするけれども、事件がまことに重大な事件でございまするので、予定を変更いたしまして昨夜帰つて来たようなわけでございます。まことに遭難された方々に対しましては哀悼の言葉もない次第でございます。この際つつしんで私は敬弔のまことを捧げたいと存じます。  つきましてはただいま臼井委員から御質問がございましたただいまの航送船でありますが、私は何といたしましても今度の災害というものは、あの客船と貨物船とが一緒であるということに欠陥があるという点を、常々あの連絡船と生活をともにしておる私どもであるがゆえに、痛感せざるを得ないのでございます。ちようど沈没原因の概況を見ましても、船尾から大波が浸入して来て、次には貨車の甲板に浸水して来た、浸水のために発電機が使用不能になつた、船内が全部消燈して通信不能になつた、そうしているうちに貨車の緊締具が切断した、貨車が転覆してその次には船体が転覆しておる。こういう原因を探求いたしますと、私は審判庁の審判をまつまでもなく、船の一つの欠陥がこういうところにあるのじやなかろうかということを痛感せざるを得ないのでございます。船のちようどまん中の重点といいますか、その重点のちようどころ合いのところに貨車を積んでおるのでありますから、船の復元力というものはこの貨車のために減殺されておる。従いまして一旦倒れるというような状況になりますと、復元力を失いまして、船が転覆するのでなかろうかということは、常々私が考えておつたことなのでございます。そこで私ちよつとお尋ね申し上げたいのでございますが、戦争終結のちようど一年ばかり前でございますが、青森港におきまして貨車船が一隻非常な暴風雪のまつただ中に沈没したことがございます。乗り組んでおつた人のうち、助かりました人はたつた三名、あとは全部沈没の船と運命をともにしたのでございます。この事情について研究を遂げておられたならば、この津軽海峡というものがいかに魔の海であるかという点について、国鉄当局も運輸省当局も判断がつこうかと思うのであります。あの当時沈没した船はどういう原因によつて沈没したのであるか、ただいまの政務次官やあるいは国鉄総裁も、その当時におきましてはいわゆる鉄道省の幹部であられたはずでございますので、この当時沈没しました原因は戦争のまつただ中でありましたために、これは世間に知られずにしまつたのであります。この点について御存じでありましたならば、この際ちよつとお漏らし願いたいと思います。

篠田寅太郎日本国有鉄道参事(営業局船舶課長)

○篠田説明員 今山崎委員からお話がありました戦争中に沈みました船は、おそらく第五青函丸のお話ではないかと思うのでありますが、当時は相当の吹雪でありまして、風よりもむしろ非常に吹雪が強かつた。それから風もまた相当あつたのです。それで実は青森の港内へ入りましても、船を着けることかたしかできなかつた。詳細の点は記録を調べないとわかりませんが、船を着けることが小可能なので、港外へ出た方が安全であるというわけで、かじをとりまして港外へ脱出すべく努力したのであります。そのときに東方に圧流されまして、港内の捨石に横腹をすりまして大きく亀裂を生じまして、そこから浸水いたしまして、吹雪の中で、視界のきかないところで沈没してあの惨事を起したというのがこの事故でございます。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 第五青函丸の遭難というものは岩礁に乗り上げたためであつて、船底に亀裂を生じたということでありますと、今度の沈没の原因とは異なるのでございますから、あえて私は取上げませんけれども、今度のこの五隻の船というものは、全部が航送船であるというところに疑問がありはせぬかと考えるのでございます。あの貨車を積むところから水が入りやすい、水が入つたら遂に復元力を失つてしまい、機関もとまり、火を消してし、まう、電燈を消してしまう、SOSをすら発することができないような状況にあつたのではないかと私は考えるのでございます。この点について私は思い起したことがあるのでありますが、時も日もちようど同じ十九年前だと思います。読売新聞は報道しておりますか、十勝沖でもつて海軍の大艦隊が大演習をやつた。その時分に初雪というのと夕霧というのと二そういたんでおります。そのころ私は大湊の町長をやつておりまして、この大艦隊の様子を町長としてよく知つておつた。船が傷ついて入港して参りました。ただいまの初雪と夕霧であつたのであります。それはどこから折れたかと申しますと、艦橋からへさきの方がぼつきり折れた。しかもその船は特型駆逐艦でありまして、千七百トン級の船でございます。そのころの駆逐艦というものは千三百トンくらいのものでございますが、この船は特型駆逐艦で特別に海軍が力こぶを入れてこしらえた船であります。その船が艦橋からへさきの方がぽつきり折れてしまつた。五十七名の人が犠牲になつたのであります。この船がまことに奇態なことに、そのへさきがないままにその他の僚艦に引きずられて参りまして、大湊に入港して来た。私どもはまことに驚いたのでございますが、あとで聞きましたところが、この十勝沖の大台風にあつて三角波というものにぶつかつて、そうしてへさきが折れた。へさきが折れるほどの大台風にぶつかつて、そうしてあの津軽海峡を越えて大湊に入港するためには、非常な大波を越えて来たのに違いない。にもかかわらずこの傷ついた船がへさきを失つておりながら、ちやんと入港して来たのであります。なぜ入港して来たか、それはちやんと部屋と部屋との問にはりつぱなとびらがついておつて、水が浸水して来ないようになつておる。そのためにこれほど傷ついた、へさきを失つた、人間で言うならは頭を全然もぎとられた船が二そうとも入港して参りました。その後において海軍がこれではいかぬ、駆逐艦はただスピードさえ出せればいいのだという考えでもつてこしらえるのは欠陥であるというので、今度は造艦の計画をかえまして、船べりに相当分厚いところの鉄板を使うことになつたということを私は聞いております。ちようどそのことが読売新聞のきようの朝刊に出ておるのでありまして、私は十九年前この目で大湊町長として、その場に立ち会つておるのであります。入港当時救難の措置を講ずるために、人夫をかり学というようなことでいろいろ働いたことがあつたのでありますが、船はこのように沈没しないようにできておるのであります。それが沈没するというところに欠陥がある。その欠陥は何だというと、私はただたいまこの貨車の航送船であるということにありはせぬかとしろうと目に考える。これは海難審判庁においてあらゆる角度から研究されることであろうけれども、私はそのように思うのでございますが、その点について総裁は何とお考えでございましよう。

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 航送船というものはどういう形であればはいいか、またいかなるところに欠陥があり、いかなる次第で事故を起したのであるかということにつきましても、もとより今後十分な調査研究をいたしまして、あらゆる良知良能を集め、また前例等も参酌いたしまして万全を期して、今後かくのごとき事故の起らないように、われわれの力を傾けて行きたいと考えております。御指摘のような点は十分考慮に値することではないかと思います。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 先ほど楯委員からもいろいろ御質問があつたわけでありますが、船が岸壁におればはたして危険性がなかつたかどうかという点でございます。私は岸壁におつてもやはりこれは大波のために岸壁に、ぶつつけられて沈没すると思います。というのは、私はこの間九州地方を見て参りまして、九州の油津港というところでもつて海上保安庁の船が一そう沈没しておりました。どうしたのだと言いましたところ、これは岩壁についておつた、それが大波のためにたたきつけられて、そうして沈没してしまつておるのであります。従いまして私は大しけの時分に連絡船程度の大きな船は、沖の方に出るというのが常識だと考えております。青森に住いをし、大湊に生活をして来た私は、外へ出るのか当然の常識だと思つております。外に出るのはよいが、なぜお客さんをおろさなかつたかというところに、今度の責任問題かあると思います。お客さんをおろすのがほんとうだ。それをおろさないで沖に出たところに、今度の大きな責任問題があると思うのでありますが、その点について総裁はいかがお考えでしようか

長崎惣之助日本国有鉄道総裁

○長崎説明員 昨日来その点について、他の委員の方からも御質問をいただいたのでありますが、その点についての当時の状況というようなもの、また仮泊に出て行つたのはなぜであるかというふうな、まだいろいろ調車要する点がございますので、早急によく調べまして後刻お答えをいたしたいと存じます。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 関連質問でありますからなるべく簡単に終りたいと思いますけれども、気象関係についてもちよつとお尋ねを申し上げたいのでございます。それは私九州に参りまして、今度の十五号台風は宮崎でもつて受けたのであります。午前三時に台風が参りまして、たいへんな家鳴り、動揺を生じまして、私も生れて初めてあれだけの大きな台風にぶつかつた。ところが一時間ぐらいでその台風がなぎまして、問もなく、三十分か四十分を経て、また台風が来ておる。これが新聞等の報ずるところのいわゆる台風の目であるかと私は考えたのでありますが、そういう危険のまつただ中に、私ども五時に起床いたしまして、五時四十分の汽車に乗り込んだのです。それからずつと行を起しまして日向市、延岡市等に参つたのでございます。ところが私どももこの台風の進路がどういう状態になつているのか。これだけの台風が、私どもの県の青森県や北海道方面、あるいは東北地方にも影響を与えないのかどうかという点を何としても知りたいと考えまして、行く駅々で駅長さんに聞いても、駅長さんは不明なんです。市長さんも不明なんです。何だと聞いてみたところが、それは電話やあるいは電線の故障のために、全然連絡がつきませんということなんです。これは一体どういうことになるのかと考えておりましたところが、別府市で、朝まだき、午前六時でありましたが、スピーカーを積みましたところの自動車が飛んで参りまして、ただいまのようなことを市民に報じたのでありまして、これを聞いて愕然としたような次第です。それまではなかなか情報をつかむことができなかつたのです。これは一体どうしたことなんでしよう。電信やあるいは電話が破損したことのために、九州におるものが青森や北海道地方のことを全然知ることを得なかつた。沈没さえ知らなかつたということはどういうことなんでしようか。それを肥沼予報部長さんにお尋ね申し上げたいと存じます。

肥沼寛一運輸技官(中央気象台予報部長)

○肥沼説明員 先ほど私どもの台風の取扱いについて、他の委員の方の御質問にお答えしたのでありますが、私どもの方では九州を通りますときには、九州の方の気象官署に対しまして、台風の状況を指示報で知らせておりますと同時に、こういう場合には往々にして通信が杜絶いたしますので、一番重点をおきますのがNHKの放送でございますが、十五号台風については前の十二号、四号ほどに、報道関係が十分でなかつたという御指摘もあつたようでございますが、大体三時間ごとには、放送局に資料を流しまして、ニユース報道の時間、それから気象の時間には必ず放送しているわけでございます。それから現地の方の事情は、南九州で申しますと、鹿児島の地方気象台が宮崎と鹿児島を管轄しております。そしてその下では鹿児島県は鹿児島の気象台自身、宮崎県では、宮崎の測候所がその県内の警報を出す責任の官署になつております。ただいまのお話ですと、汽車に乗る場合のお話でございますが、先ほども申しましたように、国鉄と気象台の間には鉄道気象通報の連絡があるはずでございますから、連絡は多分とつていたはずだと存じます。気象台の一般的の放送は、ラジオに主としてたよつております。そのほか新聞その他にたよる。それからこういう場合には気象台の出す警報、注意報というものはぜひ知らせてくれというような要望のあるところは名簿ができておりまして、測候所から直接お知らせするようになつております。関係官庁にはこちらから直接的にお知らせするような態勢をとつております。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 そこでお尋ね申し上げるのでございます。これは私独自の考え方であまりにもへんぱな考え方になるかもしれませんが、私は例の十二号台風の時分に気象台でとりました処置というものは、まことに妥当、適切であつたと思うのです。しかしながらまことに幸いなことには、気象台の予報と全然違つた結果になつたことは、まことに慶祝にたえない次第なんです。しかしながらお役所の方の関係から見るならば、自分らの予報というものはことごとく裏切られているというような関係から考えてみて、今度の十五号台風についてはもつと緊密なる手を打つべきであつたにもかかわらず、十二号台風に懲りて、つまりあつものに懲りてなますを吹くとでも申しましようか、非常にそのために適切なる処置を講じることに手心を加えたのでなかろうかということをつくづく私は考えたのですが、そういうことはございませんか。

肥沼寛一運輸技官(中央気象台予報部長)

○肥沼説明員 この十五号台風は前の十二号、十四号といろいろの点で違つておるということを申しましたが、もう少し説明をいたしますと、十二号、十四号は夏型の台風でございます。速度が非常におそいのでございます。陸にぶつかると衰えてしまう性格を持つておりまして、私どもの技術が不完全で、経路については予想はずれになつてしまいましたが、性格はそういうものでございます。十五号につきましてはこれは秋型の台風で、シベリアの方の冷たい空気と太平洋の方の暖かい空気の境、つまり不連線、あるいは気圧の谷などと申しておりますが、それに沿つて進行いたしますために非常に速度が早い。そういう性質を持つております。そうして今回は進行の途上にむしろ発達した気味がございましたが、大体衰えにくいのか性格でございます。そういうような状況で進行が早いということは、経路が案外曲らないという性格を持つておりますので、二十五日朝台湾の辺から北東に曲りましたあとでは、大体気象台でこまかいところは、これは多少の問題もございますが、大体予想のところを進んでいる。そういうわけでこちらとしましては、前の台風に比べてこれを甘く見たということはないのでございます。ただこれはうわさでございますが、前の十二号、十四号のような処置をとるのはもつとあとでもいいと思つていたのに、案外早く行つてしまつたということを新聞記者の方が申していたのを聞いたのでございますが、そういう点ではあまりに早過ぎて、あつという間に行つてしまつたという問題が残つていたかもしれません。そこまでの処置はとれなかつたことは多少私ども遺憾に存じます。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 新聞等の報道するところは、あるいはザトペツク台風とか何とか名前をつけて呼んでいるようなわけでありますが、気象台としてこの際考えてみなければならぬことは、あまりに他に依存し過ぎております。たとえばNHKに頼んでNHKでもつて放送する。これも放送機関ですからあたりまえのことです。しかしながらそれのみ頼んで、当分自体の機関を持たないということがあるならば、これは当然この際是正してもらわなければならぬはずである。電信や電話といつたようなものも自分自身の機関を持たねばならない。またそれが故障を起した場合には、他のたとえば短波の受信機を使うとか、あるいは電話機を使うとかいうような方法も考えて行かなければならないと考えます。ただいままでの国の費用の点から考えてみれば、あまりにそういう点につきましては厖大な予算を必要とするために、手心を加えて今日までなつたと思いますが、私はこの際気象台に対して申し上げたいことは、当委員会において気象台の問題が取上げられたのは、南点の観測と北点の観測において船が足りなくなつた場合であります。その前まではどうしていたか。これはアメリカの船に依存しておつた。アメリカの船に依存しておりましたために、気象台自体の独自の働きというものは全然アメリカにのみデペンド・アツプしてしまつて、少しも独自で働きをしていなかつたということに私は原因があると思います。そうでなかつたならば、予算措置の点につきましても、それまで当委員会において昨年のごとく当然論議されなければならないはずのものであります。実は私は従来から引続き運輸委員をやつております。第一回国会から第十九回国会の今日まで、ばかの一つ覚えのように運輸委員をやつておるのは、おそらく私一人くらいでありましようが、その私自身がふしぎに思うのであります。あまりにもアメリカに依存し過ぎた結果が、今度のように自分で一人歩きができないような状態になつてしまつたのではないかと思いますので、この際心を入れかえてもらわければならない。それで新聞、ラジオ等にあなた方が依存するという考え方をやめて、新聞、ラジオばかりでなく、自分自身の独自の機関をも持つということに邁進してもらわなければならない、こういう点をひとつ御注意申し上げたいと思うのであります。  今日は関連質問でありますので、はなはだどうもよけいなことを申し上げて済まない次第でありますが、もう一点だけ海上保安庁の長官にお尋ね申し上げます。これだけの避難があつた場合に、函館港にありました海上保安庁本部はどういう活動をしたか、その点についてお尋ね申し上げます。

山口伝海上保安庁長官

○山口説明員 函館には海上保宏庁の出先機関として、函館海上保安部がございます。この担当海面は、主として津軽海峡まで伸びておるのですが、所属船艇といたしましては、七百トン型のだいおう、四百五十トン型のおくじり、りしり、その他に港内艇二隻が配置してあるわけであります。今回の連絡船の事故がありました二十六日の状況でありますが、たまたまこの連絡船の大惨事が起ります前に、すでにこのおくじり、りしりは津軽海峡の方に遭難船救助に出動いたしておつたのでありまして、連絡船の大事故が起りましたので、途中からそれを引返させたのであります。これが現場に到達いたしましたのが夜半の零時三十分であります。そして暗夜に風浪を冒して、できるだけの生存者の救助、死体の収容等をやつたのであります。なおおくじりも相前後して帰つております。それから港内艇の二隻は、ちようど事故の起きました十時から十一時ころでございますが、その時分には事態を知つたのですが、その港内艇の性能では、あの波浪中ではどうすることもできませんでしたので、これが実際現地で収容作業を始めましたのは、たしか三時か四時かで、幾らか風が納まりかけてから出ております。これらも生存者あるいは死体等を収容しております。なおだいおうはたまたま当時小樽の海上管区本部の方に派遣してあつたのであります。これはたしか翌日帰つて、その後の救援作業に参加いたしております。かような状況であります。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 聞きますると、青森港からパトロール船が一隻救難のため出向いて来まして、これが行方不明になつたという話を聞いたのですが、その詳細はわかりませんか。

山口伝海上保安庁長官

○山口説明員 青森の海上保安部には、港内艇、二十三メートル型うらなみ、いそなみというのが所属いたしております。ただいま申しましたおくじり、りしりがすでに二十六日の午後出動しておりましたのは、実は青森の保安部のうらなみが、その前に第三明神丸が下比半島の焼山沖で漂流中でSOSが出て参りましたので、まだ台風の前駆時代でありましたが、すでに午後青森を出て、それの救援に向つたのであります。現場に到達しまして、風は二メートルを越しておるような状態でありましたが、その風浪の中で一旦第三明神丸を曳行すべく綱索をとつたわけでありますが、操縦意のごとくならず、綱索が切断した。そういうことをやつているうちにうらなみ自体の機関が、これはニつございますが、たしか左舷だと思いますが、左舷のエンジンが故障いたしまして、とうていこれは救助作業もできないというので、一旦退避すべく第三明神丸と離れたわけでありまして、両方が漂流を始めて、なおそのうらなみは片舷で動いておりましたが、その後片舷も間もなく故障で、両舷ストツプになつたわけです。両方が漂流を開始しましたので、実はこの二隻を求めて函館からおくじり、りしりが出動したのでありますが、第三明神丸の方はその後漂流中を発見いたしましたが、うらなみにつきましては二十六日の夜はむろんのこと、翌日も夜明け待つて飛行機も出、私の方の巡視船も一ぱい、みくらという四百五十トン型がこのために下北半島の周辺びに海峡内を捜索に出ましたが、午後三時ごろの連絡では、何らの船影並びに排煙等を認めずということで、実は私どももうらなみはやられたのではないかという悲壮な気持になつておりましたが、その後午後三時三十分ころ、ちようど焼山沖のすぐ近くでございますが、石崎という部落がございましてその絶壁の下の岩の上にすつかり百八十度転覆いたしまして、船体の破損しておるのを見つけまして、なお捜索しましたら、その付近のがけの下に乗組員九名がいるらしく思えたので、それと連絡たところ、そのときの状態ではなお岡に上ることもできないし、救援する手も延べられないので、沖合いから信号して連絡しましたら、セイラーの渡辺君が足を負傷しておる、その他は全員無事で岡に上つておるのだということがわかりました。そのことがわかりましても二十七日中は収容ができませんで、まる一昼夜かかつて、昨日のたしか午後の三時ごろになつて、ようやく乗組員の元気な七名をみくらに収容し、渡辺君ともう一人わかつたのでありますが、打撲傷の方があるわけでありまして、函館のヘリコプターが石崎の部落の付近におりましたので、この一人をとりあえず収容して青森の病院の方へ運びました。そしてなお私どもか特に乗組員に感心しておりますことは、かような状態で、風浪の中で作業中に自分も危険に瀕して避難したわけでありまするが、船体がかような大破を受けておるのにかかわらず、重要書類あるいは拳銃等その他は、全部陸へ持つて上つておるのでございます。大体以上でございます。

山崎岩男自由党

○山崎(岩)委員 人命に損傷のなかつたことは、まことに慶祝にたえません。御苦労さんに存じます。私は長崎総裁に今を去る五年前、青森管理部が廃止になりました際にとつた処置というものは誤りだ、津軽海峡というものは魔の海だ、この海の実相というものに触れずして、いたずらに計画のみをもてあそぶということは、必ずやこれは大事態を起す原因になるぞということを断言しておいたのであります。思い合せてまことに一涙なきを得ません。私は十分に津軽海峡に対して御研究を遂げていただきたいと思うのであります。しかしながら幸いにして長崎総裁が、例の津軽海底トンネルにつきましては計画を発表されて、今年におきましても調査をどんどん進められておるというこの一事によつて、私はただいまのよう災害防止に役立つということに対して、非常に期待をかけておるような次第でございます。ありがとうございました。

關内正一自由党

○關内委員長 館俊三君

館俊三小会派クラブ

○館委員 私が発言を求めましたのは、現地におつて二十七日朝から夜おそくまでかけまわつておつたときの状況を聞いてもらいたい、そういう意味で発言を求めたわけであります。その中でなお当局の人から御返事いただくことがありましたら御返事いたぎたい。なお私がこういうことを申しますのは、前歴として函館のさん橋助役として非常に長く勤務いたしておりましたので、船の出帆の状況あるいは旅客の乗せ方その他について、非常に長い経験を持つておるのであります。従つて今度の事故についても、いろいろの経験から船長の態度あるいは運行指令の状態その他をいろいろ見ております。と、自分の経験から推してどう判断していいのか、実は経験が多いだけに非常に困つている状態なんです。そういうことから、この委員会が終りましたらすぐ函館に帰つて、もう一ぺん十分に調査してみたいと思つておりますけれども、経験があるだけにどう見ていいかということが非常に困難で、弱つておるわけなんです。ですから現地報告みたいた形で聞いていただいて、参考にしていただきたいという気持ちなんです、そして見て来たことについての整理も、けさまだ着いたばかりでやつておりませんから、簡単なことですけれども、お話したいと思つております。実は二十六日の内地の五〇六列車に乗るために、木村禧八郎先年と二人ですでに前から予定して特二をとつておいたのです。二十六日の朝は、松前という停車場がありますが、そこで目をさましたところが、非常な暴風雨なんです。そのために最初の汽車に乗れないで、第二番目の汽車に乗つて函館に着いたのが午後の一時半ごろでしたが、しつかり記憶はありませんが、そのころです。私は船のことですから、家内にすでに言うておいて、渡るつもりでワイシヤツその他を取寄せて、そしてそこで家内を帰して二時半ごろになりましたけれども、どうも風が治まらない。そこで疲れておることでもありますので、その晩運よくとまつたのですが、もう午後三時、四時ごろの情勢は非常な暴風雨でありまして、電話も電線もみなだめになつてしまつた。市内は電車がとまる、電話がきかないという状態でございました。     〔委員長退席、關谷委員長代理着席〕 それで湯川の方へ行つてとまつたのですが、ちようど晩方の、五時半ごろと思いますが、そのころにちよつと暴風がやんだので、その機会に宿から自宅に帰ろうと思つて外に出たのですが、風はちよつと静かでありました。夕焼け雲が非常にきれいに輝いておりました。この夕焼け雲は、子供の時分から風か出るときにそういう夕焼けが光るということを聞いておりましたので、腹の中では私はそう思つて帰つたのですが、湯川から電車に乗つて競馬場というところで電車をおりて、それから私の家までバスで行くのですが、そのバスを待つておるころでしたから、おそらく六時ちよつと過ぎぐらいに、あまり感じなかつた風が念にまた吹き出しまして、行つておる間風に押されるというかつこうです。吹き倒されるほどの風ではありませんでしたけれども、風に吹かれて五、六歩後に下らなければならないような風が吹いておつた。そして私はバスに乗つて家に帰つたのですが、そのまま市内は全部電話話も不通ですし、電燈もつかない。もちろん電車も動かない、非常にものすごい状況で、相当被害も市内に出たわけなのです、そういう状態で、私の家のラジオもとまつておるものですから、二十七日の朝になつて、近所で騒ぎ出したので、私飛び出してみたけれども、こういう洞爺がひつくり返つてみたり、四そうの貨物船がひつくり返るような事故が起つておるとは考えなかつた。  あとから聞きましたら、ちようど私か湯川を出て家に帰る間の時間、いわゆる新聞は台風の目といつておりますが、そうかどうか知りませんが、これは聞いた話ですけれども、そのころ合いに、洞爺が十八時三十七分に出帆をしておるのであります。そうして洞爺が、これは四便という船ですから、四列車四便で午後二時四十分青森に渡るべき船なのですが、どうもその先に出て行つた十一青函が一二〇二便という形で出て行つて、港外に行つてしけがひどいので折り返して来て、岸壁に着いて、これを四便に出る洞爺に乗せかえておる。これが二時四十分に出られないものですから、そのあとに五〇六列車、二〇〇六列車が入つて来て、これが六便として別の船で行かなければならないものも積み込んだために、さん橋助役の人員計算で言いますと、千四十二名という旅客になつております。もちろんこれは十一青函から乗りかえておるものも入れておるのですが、正確な数字であるかどうか知りません。混雑の最中ですから、乗船名簿の数が正確であるかどうかわかりません。しかしこの表では千百二十七名となつております。おそらくいろいろの方法で乗る人間がおつたり、あるいは改札の人たちが混雑であるから取り漏れておりますから、千百は越しておることは確かだろうと思います。そういう状態であつたのですが、十八時三十七分に岸壁を離れて行つたのが、その先に沖がかりをしておつて、沖から出帆したのが、十八時二十七分かということについて、私は現場の人から正確に話を聞くことができなかつた。これは岸壁についておると非常にあぶないことがあるので、風向きによつては沖に待機しておつて出すこともあるという長年の経験から、両方聞いてみたのですが、何分混雑しておるものですから、正確につかむことができませんでした。そういうときに出たのが非常にどうかなという感じを持つておつたのであります、  気象の方については、北海道新聞が二十六日の夕刊ですから、三時か四時ごろですが、それに書いておるのが出ております。これは今後の進路は速度を時速百十キロに早め、能登半島西部から北東に進み、夕刻奥羽地方北部から本道南部に近接、場合によつては上陸の公算も大になつたので、函館海洋気象台では二十六日正午、次の暴風雨警報を発令した。台風十五号は三十六日正午現在新潟県西方沖にあり、中心示度九百六八ミリバール、時速百キロで北東に進んでいるので、今日夕刻ころ道南に近接する。このため渡鳥、日高地方で東後北西の風が強まり、最大風速は陸上二十メートルから二十九メートル、海上二十五メートルから三十メートルになる見込みで、驟雨量は三十ミリから五十ミリになる模様である。なお該台風は今夜半から明朝にかけて、本道の東方海上に抜ける見込みなので、天候は明日から回復する、こう出ておる。この新聞が出たときは、まだ事故が起きていないときなのです。こういう台風が来ておる時分に、ちよつと五時、六時、七時の間に静かになつたからといつて出て行つたのは、どうも軽率であつたと私は思うわけなのです。それは海峡は、台風が一過してしまつたあとでも、海上のうねりというものはしばらくの間続くはずなのです。それもそういうときには、今まで大したことはありませんでしたけれども、そういう情勢ですし、今夜夜半から明朝にかけてという、台風通過のことがあとに示してあるので、もう一日待機ができなかつたのかという気がしてなりません。  そこでこれは上京する自分に、さん橋からいろいろ聞いて見たのですが、その当時ちようど青森のさん橋に羊蹄丸がおつたわけなのです、これはまだ整理してありませんからわかりませんが、午前八時十五分に出帆して、午後十二時十五分ごろ函館に着くという便をとる船であつたと思われる。これが五百四十九名の客を乗せ、それからあとから足し前の八百名の客を乗せてあるのですが、これが青森で三十六口は出帆しない。二十七日も出帆しないで、二十八日の朝出帆をして、函館に五時ごろ着いて、それから私こつちに来たのです。二十七日に出帆しなかつたということは、これはダイヤが混乱しおつたり、いろいろな船繰りの関係で出なかつたのだろうと思う。しかし二十六日客を積んでいて、一日中岸壁につけたまま待機をして動かなかつた状態と、洞爺が動いたという状況、これを私正確に調べたいと思つたのですが、どうもうまくないのじやないか。これも時間がないので飛んで行つて聞いたのですから、正確につかんでおりませんけれども、羊蹄が青森を出なかつたという風速は、たしか十五メートルから二十メートル前後のものであつたように思われる。これは青森のさん橋長から聞いたのですが、そういうくらいなのです。それならば洞爺の例にとれば、出帆してもいい風速でなかつたかと思われる。もう一つは渡島丸という貨物船がありまして、これが青森へその日の十六時に着いておるわけです。この渡島丸が函館を出て非常に難航し、コースを変更して、山の陰に津軽ですか、北上ですか、進路を変更して、ようよう青森に着いておるわけなのです、その状態を青森のさん橋長はよくつかんで、これをも参考にしたと言つておるわけです。そこで連絡のことですが、函館のさん橋長と青森のさん橋長は、両方の風の模様、あるいは海の模様、岸壁の模様を絶えず交換をして知らせ合う状態なのでありますから、渡島丸の難航しておる状態、それが青森のさん橋長の参考にもなつておる状態、そういうことが函館のさん橋長にどう考えられておつたか。たとえば函館の運航司令部でどう考えられ、おつたか、洞爺丸の船長あるいは洞爺丸当事者の方でどう考えられておつたか、この点が疑問のままここへやつて来た。いろいろの何がありますが、そういうことが私としては今もつと吟味しなければならぬ点ではないかと思つている。測候所の通知のぐあい、あるいはそれをキヤツチしたぐあい、その他も問題でありますが、そういう両方のさん橋長あるいは運行司令部というもののもつと緊密な情報の交換、これは現地の仕事をしておつた私たちの経験からすると、非常に大事な情報の交換なのであります。洞爺丸がああいうときに台風の目を知らないで出たというようなことがありましても、現場にいた者にとつては、たまさかそういうことは海でも経験するのですから、私はとやこう言いませんが、青森ではそのくらいな風速で一日待機して動かなかつたのに、函館は動いた。もちろんこういうことについては青森の港がどつちを向いているか、あるいは函館はどつちを向いているか、港の位置もいろいろ勘案しなければなりませんから、めんどうですけれども、ともかく情報の交換が両方でどう咀嚼されておつたかという点が、非常に今疑念のあるところでございます。  それからいろいろの救難作業ですが、洞爺が横倒しになつたのが十時か十一時ころには正確にはわからなかつたのじやないかと思つておる。ちようどそのときに函館乗合バスの組合の書記長の古田君が七重浜の方に家があるので、自分の車で夜の十一時半ごろに家までか行つて帰りしなに、七重浜へ打上げられて生還した十八人の人――頭に穴が明いて悩み子の出た者もあつたのですが、道路の方に上つて来た。それを見つけて、そのバスに乗せて、函館の中央病院へ運んだ。それと同時に別の人が函館の亀田町の交番にこれを急報した。これが見つけた初めではないかと思つております。洞爺から無線が行つたか行かないかということについては、私は吟味をしておりません。それでバスがその後集中して来て拾つたのですけれども、まつ暗だから、バスのヘツドライトでなければ死骸が見つからない。だんだん夜が明けて来たら、七重浜の砂浜は死人で一ぱいになつておつたわけなんです。夜みなかけつけたには違いないけれども、夜のうちの遺骸の始末その他はできなかつたのじやないか。それから応急処置ができないために、人工呼吸もできない。そういうかつこうで大分なくなつた者もあつたということを聞いております。  そういう状態で、二十七日の朝早くから夜十二時、一時ころまで、私と木村さんがかけまわつたのですけれども、正確な調査はできませんでした。そのことは残念ですけれども、まずとりあえず運輸委員会で調査中ですから、こちらへ情報が来ておるでしようと思つてかけつけたわけなんです。国鉄の営業局長にも、二十七日の夜十時ころに管理局で会いましたが、石井さんと天坊副総裁は、十八日の朝六時半で札幌から着いて、これにも会つて、とりあえずここへ行つて来るからということで、参つたわけなんです。  私一番お願い――お願いではおかしいのですが、楯君からお話がありました遭難者の遺骸を早急に引揚げていただく、最大速力で引揚げてもらう。二十七日の朝はもぐりが洞爺丸に行つたそうですけれども、どろで潤つておつて、一時間ばかりやつたけれども、どうしても収容できない。二十八日は、きのうですけれども、朝から徹底的にやると言つておりました。もちろん旅客の方が主でございましようが、十勝、北見、第十一青函、それからもう一つ何でしたか、これがほとんど放擲されているのではないかと思つております。ことに洞爺丸は横倒しになつて見えますし、十勝は船首だけが浮んでいるけれども、あとの三つの船は、私の出るまでは所在不明ということです。連絡船から見たのですけれども、船影は見えません。ただ重油が流れているので、これを当てに探すという状態でございますので、ここに残つている船員たちはどうなるか、早く引揚げることを現実にやつてもらいたいと思つております。船員は、この表にも出ておりますけれども、大体四百二十五名乗つている。弘済会の人が十二人、そのほか荷扱いが二人、その助手が二人、鉄道郵便屋が四人くらい乗つていたと思われる。このうち二十七日の晩、私の出る前の日のおそくでは、職員としては七十九名という説もあり、八十三名という説もありますが、そういうところが生還をしておつたわけであります。あとは、二十七日の晩ですから、見込みがたいということになつておりますから、ほとんど三百五、六十名、もつと多い人がああいう悲惨な状態になつております。乗客は千百二十七名、乗船名簿では千四十二名ですが、このうち、私の出るまでは、百二十九名生還ということになつておりますから、これもほとんど千名くらいはいつているのではないか。  こういうことで、現地では局も国鉄の労働組合も徹宵してやつておりますけれども、遺族が殺到して来る。その遺族を遺骸の安置してある七重浜の国鉄の養成所とあそこの慰霊堂と西別院に、夜でも連れて行かなければならぬという状態、病院にもおるという状態で、手が足りないわけなんです。     〔關谷委員長代理退席、委員長着席〕 そういう状態になつておることをお知らせしておきします。  それからさしあたつては原因の究明、これが大事で、正確にそれこそ国鉄が悪かつたら悪いということをあげてもらいたいし、気象台が悪いなら悪いといつてあげてもらいたいが、お互いにほんとうのことを発表していただくことをお願いする、私はそう思つております。  それからさしあたつて救出の問題を徹底的にやつてもらいたい。死骸はどんどん上りますが、あれだけの市では火葬能力が、六十くらいしかないということですから、市会がどういう態度をとりますか、弱つておるということであります。函館の大火のときと違いまして、大分引取られてはおりますけれども、引取りのできない遺体をどうするか。防腐をするか、防臭をするかということも協議されておりましたが、結論は聞いておらないわけなんです。そういうようなさんたんたる情勢になつておりますので、今度この委員会から視察に派遣される方々も十分見ていただくとわかりますけれども、運輸省あるいは鉄道本庁の調査もおありでしようが、青森のさん橋関係、函館のさん橋関係、その他無線の関係、いろいろ詳細に調べていただくようにお願いしたいと思つております。私のまわるところはわかつておるのでありますけれども、どうも火急の場合ですからまわることができませんでしたし、いろいろ私たち二人の身柄についても心配があつたそうで、顔見せだけに出て来ました、こういうわけです。  それからさつきいろいろ話が出ましたが、局長会議の問題なのです。局長さんが、三人、それから総支配人が一人、まことにお気の毒なことなのですが、どの列車で函館までおいでになつておつたのか、もしその間に時間があるとすれば、その間何をしていらつしやつたか、こういうことも非常に凝問になるわけなのです。二十七日の朝は今皆さんこらの方からいろいろ質問があつた。局長会議のために非常に出港を強制せられたのじやないかということが、だれ言うとなく市内一般の空気になつているのです。こういう不幸なときですから、私はそこまで考えてはいけないと思いますけれども、何時の汽車で函館へお着きになつて、そうして定時ならば、二時四十分の船にお乗りになるわけであつたが、もちろんその時間には出ませんでしたけれども、その間何をしていらつしやつたのか、こういうことも気にならないわけでは私はないのであります。船長の出たのが悪い、出ない方がよかつたというようなこと、それから船長の処置、投錨したのが悪いとか、いいとかいり処置、そういうことについては長年あそこにおつてそういう例がたくさんありますので、これについては私としてはどう判断してよいかわからない次第なのです。とにもかくにも青森の羊蹄丸が動かなかつた。一日貨等を積んだまま動かなかつた。函館が動いた。この点が非常に私ども今のところ気になつておるところなのです。こういうことも参考のために申しておきます。  ここでいただいた資料がありますが、これに似通つたものだし、こつちか連絡がついておりますから言いませんが、これは労働組合がこしらえました、五つの船の乗船職員の名簿です。家族が非常に押しかけて来ておりまして、ここに丸じるしを書いたのが生還した者、三角のはもう死体の上つた者、何も書いてないのはまだ死体の上らない者、もう絶望でしようけれども、そういうことになつておる。このうち一番ひどいのは十一青函丸で、死体を確認したのばかりでありまして、生還は一人もないというような状態になつております。この遺族、家族の人たちと応接しておるのですが、見ていられないような状態になつております。これは局でこしらえた乗船名簿によつてこしらえた名簿なのですが、これも、別のところで受付をして応接をしておりますが、これはもう言語に絶するような見ていられないような状態が、函館埠頭から、七重浜から、死体の置場、病院に繰返されておるということを報告しておきます。  何にしてもそういうことで、ここで万全の策を講ぜられるということを私は言う必要はありませんが、事故の原因をほんとうに正直にあからさまに発表してもらうこと、それから応急の対策として死体収容なり、その辺のことを十分にやつていただくこと、それからその後におけるいろいろの弔慰その他に、後顧の憂いのないようにしていただかなければなりません。  それからまた輸送の方も聞いて参りましたが、残つた船で十三運行をやる。そうすると三千五百人ぐらいの輸送力があるということを申しております。しかしこの輸送力が一日片道三千五百人の輸送力があるということですけれども、列車の接続を全然考えたものではない。とにかく両方へ渡せばいいのですから、青森のさん橋と函館のさん橋は非常に混雑することになる。これは経験上からも、実際上からも考えられます。そこで話の通りならば徳寿丸をごく最近のうちに函館へ回航するそうですが、それが一千名くらいの乗客定員があるということも聞いております。もう一つそういうような応急の輸送をとられるにしても、十八運航をやるということになつておつて、それが片道八千五百トンの貨物を渡すことになつておるのが、こうなつたのですから、このままの形で行きますと、五千トンくらいしか輸送ができない。三千トンが行き詰まる。この問題も早急に解決してもらいたいと思うのです。ことに秋作のばれいしよその他の出まわり期でありますので、これは何としても船の増強を急速に十月、十一月、十二月にやつていただく必要がある。そこで当局としてもあそこに道南海運という機帆船ですが、会社がありますから、これを動員して――北海道のものが押しかけるのですから、できるだけ青森で貨車積みできるような手配も速急にとつていただきたい。海上運賃も鉄道並のように、政府あるいは本庁であんばいしてやつていただけないかと思つております。そういう話も営業局長にお話をして来たわけなんですが、そういう現実の輸送態勢を強化するというようなことについても考えておられるだろうと思いますが、やつていただきたいと思つております。  鉄道職員はこれで二回非常な目にあつておりまして、二十年の七月の十五日と十六日のグラマンの空襲で、連絡船が大半やられてしまつた。そうして職員が三百五十数名あの海底に沈んでおる。その後今山崎さんからお話のあつた避難などを入れまして、たしか四百十九名の遭難者が現在までにあの海峡において出ている。函館の労働組合が中心になつて、八ツ頭に沈んだ記念日に石碑を立てて何したのが二十八年の八月十五日でしたか、四百十九名、今またここでほとんど七十九名か八十名しか上つておらないとなると、そういう状態になつて来ます。その青函連絡船が空襲を受けたときの遺家族の処置も非常にスピードが遅れたのです。いまもつて函館の母子寮へ三十軒ぐらいの人が入つておる状態で、遺家族の救済が非常に遅れ、現地には非常な非難の声も上り、御病人たちの難儀は言葉で尽せないような状態であります。現在でもそれを考えますと、とにかくそういう問題についても政府――これは一般の旅客も同じでありますが、一般の旅客も含めて政府が絶対的にこれを処置しなければならないと思つておる。国鉄の経済ではとても満足させるものはできないと思う。福永官房長官その他が新聞で言明しておられることを聞いておりますので、いずれまた向うへ帰りますが、福永官房長官とも会いたいと思つております。長崎さんの責任も非常に大きいことでありますが、これは鉄道のわくを抜けて考えていただかなければならぬと私は考えております。それだけのことを申し上げておきまして、なお帰つて現地において十分なる調査をして入たいと思つております。

關内正一自由党

○關内委員長 本日はこの程度にとどめまして、次会は明三十日、午後一時から開会いたすことにいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時十一分散会

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