海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号
- 発言数
- 19 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1953/12/04
会議録
○山下委員長 これより会議を開きます。 お諮りいたします。去る二日ソ連地区残留同胞の第一次引揚げが無事行われましたことは喜びにたえないところでありますとともに、日本赤十字社の御努力に対して感謝の意を表するものであります。これにつきまして、本日日本赤十字社副社長葛西嘉資君に御出席していただき、ソ連地区残留同胞引揚げについての経緯、並びに今後の中共地区残留同胞引揚げについての方策を御説明願うことといたしたいと存じますが、葛西副社長を本委員会の参考人として説明を聴取することに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○山下委員長 御異議がなければ、さよう決定いたします。葛西参考人。
○葛西参考人 ただいま日本赤十字社につきまして感謝のお言葉をいただきまして、ありがとうございました。ソ連地区の引揚げの大体について、ただいまから御説明申し上げます。もう大部分は御承知のことと思いますので、省略させていただいて、ごく大ざつぱに申し上げさせていただきたいと思います。 御承知のように、今次の引揚げの前には、ソ連地区の同胞の引揚げのことは、赤十字社の建前から言つても当然のことでありますので、機会あるごとにソ連側に対してはいろいろ要求をし、またお願いをしておつたのですが、今年の七月になりましてから、ちようど大山教授がモスクワに行つた機会に、このきつかけができまして、同教授のあつせんによつて、日本赤十字の代表がモスクワに行くことができるようになつたのでございます。 代表団は、御承知のように十月の二十八日モスクワに着きまして、三十一日に第一回の会談を開いております。今回の場合は、中共の引揚げの交渉が北京で行われましたのと違いまして、三十一日の第一回の公式会談から向うの方からすでに具体的な提案を出して来ておるようなことが非常な特色だと思うのでございますが、すでに第一回に具体的な数などをあげて、一番最初は千三百二十名くらいの人が帰るであろうということが第一回の会談ですでに明らかになつたのであります。ことに、その中には、タス通信で含まれていなかつた者約九百名ばかり、これは約でございますが、その後数字がかわつております。そういう者も今次の引揚げに入るのだというようなことが明らかになつて、たいへん私ども喜んでおつたわけでありますが、その後十一月二日に第二回、十一月の十四日に第三回の公式会談が開かれたのであります。第三回の会談には、これも御承知のように、戦犯四百二十名、それから一般人九百名と言つておつたのが八百五十四名、合計千二百七十四人の人を送り帰すであろうということが言われたのであります。その第一回として、ナホトカに集結をしておる関係から、戦犯四百二十名、一般人三百九十名、合計八百十人の人がまず第一に帰るであろう、そしてその船の手配というようなことまでもすでにそのときに言われたのでございます。そうして第一回に八百十人、それからその残りの者として四百六十四人の一般人がおる、これが第一回が済んでから十五日ないし三十日の間に帰るであろうというようなことでございました。私どもの想像するところによりますと、今月の半ば以降末までの間に電報が来ることを期待いたしております。そしてまた、さらに千四十七名が戦犯として残るということも明らかになりまして、これは最終の会談のときにその名簿も代表団に手渡されるとい、りようなことでありました。 なお、そのときに、今回の引揚げ交渉についての共同コミユニケ、これは新聞で御承知だと思いますが、向うからその草案を示されまして、そうして、どうするかということがあつたのであります。すぐに代表団の方から本国の方に、これでいいかどうかというような問い合せが参りまして、御承知の十一月十六日に、大体においてこのコミユニケ原案でよかろうということを打電いたしたのでございます。大体においてと申しますのは、そのほかに実は若干希望的なことも申しつけて送つたのでございます。それは、若干文字の点を訂正するとか、あるいはまた、コミユニケはそれでいいけれども、調印に先だつて、今後残る俘虜及び一般人の調査について人道的な立場から協力してもらうというようなことがコミユニケに入ればいい、帰る者だけのことを言つて、あとに残つた者のことは考えないのはいけないから、そういうことがコミユニケに入れば入れてもらいたい、しかしどうしてもコミユニケ挿入が困難であるというようなことならば相互了解をつけておいてもらいたいというようなことも言つてやつたのであります。また、その後の会談の空気によつてはこういう希望も消えるかもしれないと思つたのでありますが、大分会談の空気もいいようでありますので、できればいろいろこまかい、たとえば一九五〇年にタス通信によつて、中共へ引渡したというようなことがあつたのでありますが、そういうふうな者の氏名並びに引渡しの時期も聞いてもらえないか、あるいはまた、今度残留するほかの者はどのくらいあるのか、その氏名がわかれば知らせてもらいたい、あるいは、ソ連側で判明している、今日まで死んだ者の名前なども、わかれば知らせてもらいたいというようなことを、実は申し送つたのでありますが、これは代表団の方からすぐに返電が参りまして、それは十分わかつている、そのほかに、まだこつちから言わないことであるけれども、いろいろな項目についても書面をもつてソ連に要求しているというようなことを言つて参りました。特に、内地服役の問題であるとか、あるいはまた北鮮にいる日本人の安否なんかもわかれば知らせてもらいたいというふうなことも、自分たちは聞いてあるのだ、安心してくれというような意味の電報が参つております。なお、その電報のあとには、ソ連及び日本双方における好ましからざる反応を懸念して代表団はこれらの諸点を通報することを差控えておりましたというようなことで、ずいぶん会談ではいろいろなことが聞かれ、そして向うも相当それについては約束をしてくれたようであります。それで、そのコミュニケに対するオーケーという電報を打つたものでありますから、十一月十九日、モスクワ時間の午前零時三十分に、ソ連赤十字社本部において共同コミユニケに署名をするということが行われたのでございます。そうして、今月の初めでありますが、委員長を初め衆議院の代表の方もおいでいただきましたが、すでに第一回に八百十一人が舞鶴に帰るというようなことがあつたわけでございます。 その後、代表団は、十一月二十三日にイワノヴオ市の郊外にあるチエルンの収容所を訪問することを許されました。山田乙三元大将外三十七名の収容されている人を坊間して、相当時間話をする機会があつたのでございます。私どもも、行きますときに、できれば、まだ残る人があるならつ、ば、ひとつどういう状態にあるかということをこの目で見て来てもらうということが一番いいおみやげになるのだから、ぜひそういう機会を持つてもらいたいということで、使節団もそのつもりで行つたのでありますが、これも目的を果すことができました。一箇所でありましたが、訪問することができたというようなことでございます。それが済みましてから、ソ連の赤十字の方では、こちらから要求してあるいろいろな項目について最後にひとつ回答いたしますというようなことがあつた模様でございまして、十一月二十八日に最終の会談が行われたようでございます。その最終の会談の際に、私どもが心配をしておりましたいろいろな問題について実はソ連の方から回答があつた次第でございます。 その二十八日の会談の要旨でありますが、これはあとに関係がありますから、若干申し上げてみたいと思いますが、項目は八つばかりになつております。 第一は、残る者が——犯罪人であるといなとを問わず残留する同胞が一体どのくらいいるのかという点でありますが、この点については、そういう一般人がおるやいなやについてはソ連赤十字としては何らの資料を持つていない、こういう返事であつたのでございます。おらないとは言つておらぬ。その辺が私どもが今後のことについて希望を持てる点だと思います。ないとは言わない。赤十字としては資料がない、こういう言い万であります。 第二が、中共への引渡しの問題でございますが、タス通信にある九百七十一名の戦犯中、二名は死んだ、それで九百六十九名が一九五〇年に中国に引渡されたということを言つております。これは、中国にこれだけの戦犯がまだ抑留をされておるということがはつきりして来たわけでございます。 第三は、消息不明者並びに死んだ者が一体どれくらいおるのか、その名前も聞きたいということを言つておつたのですが、それは、タス通信の発表の通り一万二百六十七名であり、名簿の作成は困難だ。——これは非常に残念なことでありますが、そういうことを言われたのであります。 それから第四が、戦犯者と留守家族との間の通信ば現在国際法上の原則によつておるのでこれ以上拡張は困難である。——これは条約にある月に何通というあれだと思いますが、そういうことを言つて来ております。 第五が、消息不明者の調査については赤十字の安否調査方式によつて引受けるということを言つております。これは非常にありがたいことであるのでありまして、今後われわれの方といたしましては、相当数の者がまだソ連におるのじやないかというふうに考えられるのであります。使節団が持つて行つた資料等を見ましても、一万何千人というような生存確実な者がおるというような資料もあるのでありましてそういうことになれば、この消息不明者の安否調査の方式によつて向うに交渉する余地がある。現に赤十字社におきましてはこういう様式の安否調査の紙があるのですが、これをソ連の方にも出しておりますけれども、今まで一切わからない。着いたということも言わないし、一切わからなかつたのでありますが、こういうふうな形でやることになれば、またさらにはつきりして来るのじやないか、かように恩つておるわけであります。この様式なんかも、実はアメリカなんかの場合には、名前だとかいろいうことを書いてやりますと、この裏の方に向うが安否を書いて来まして、何の何がしはいつどこで死んだというようなことをちやんと書いて来ておる。今はどこにおるというようなことを裏に書いて、これを送り返して来ております。そういうことで今後安否調査の方式によつて明らかにされるのじやないか、こう期持しております。なお詳細は代表団等が帰つた上でよくわかると思います。 第六は、残留者の一千四十七名の名簿はここにお渡しするというわけで、それを渡されております。これは向うから名前を電報で言つて参りましたので、過般新聞に出ておつた通りであります。 それから第七といたしまして、北鮮並びに外蒙にいる日本人の消息はそれぞれの赤十字と連絡をされたいというわけで、これも入れたわけですが、そういうふうなことで、そつちの方に連絡をされなければならぬというようなことでございます。 それから第八に、内地服役の問題については、これは司法機関の権限に属して、ソ連赤十字としては回答の限りでないというようなことで、これもやむを得ないことだと思います。 そんなようなことで、これもつつ込めばもつとつつ込めるというふうに思うのでありますが、代表団の方は、滞在中いろいろ誠意をもつて向うが調べてくれた結果であろうと思うし、その好意を了とし、これ以上の質問をすることを不適当と認めて、これで会談を打切つて、三十日にモスクワを立つという電報が来たのであります。これは実際は二日に向うを出発しておりますが、そういうふうなことであつたのであります。欲を言えば、これはもちろんきりがないことでありますが、先ほど申し上げましたように、これは今後全然打切られたわけでもありませんし、安否というようなものも調査の方法もまだあるわけでありますので、これくらいのことでやるよりしかたがないのじやないか。全体的に見て、私どもの受けた大ざつばな感じといたしましては、相当好意をもつてやつてくれた、こう申し上げてさしつかえないのじやなかろうか、こういうふうに存じておるような次第でございます。 なお、代表団からさきに三十日に電報が参りまして、慰問品を送ることについて言つて参つたのでございます。最終会議の際に、今回の第二次の送還船でどうせ迎えに行くのだが、そのときに慰問品をひとつ特別に引受けてもらいたいということを申したところが、それはよろしい、各個人別に収容所の郵便番号をつけてあればソ連赤十字の代表が現地で引受けて渡す、だからあらかじめ慰問品の個数を通知してもらいたい、こういうことで、代表団としては、行つてみた結果、収容所の中におる人たちが待つておつたことがわかつたものですから、これはぜひ実行してもらいたいということを言うて参りました。従いまして、赤十字といたしましては、先月の三十日に各都道府県にあります支部に依頼をいたしまして、ソ連残留者に対して慰問品を送ることを通牒いたしたのでございます。こまかいことを申しては何ですが、大体船が二十日ごろまでには出るであろうというようなことで、明日から二十日までの間にひとつ小包を出す、内容等はこんなふうに注意してやつてくれれば持つて行きますということを言いまして、そうして第二次の興安丸でナホトカに届ける、そうして残つた人たちにこれが着くのじやないか、こういうふうに思つております。 代表団は、先ほど申し上げましたように、本月二日の朝モスクワを立ちまして、東京には八日の夕方SASで着く、こういうような電報が昨日人づております。非常にばらばらになつて不充分でありましたが、なお御質問によつてお答えをすることにいたしたいと思います。
○山下委員長 次に、去る二日ソ連地区引揚者受入れ援護状況実地調査のため舞鶴に参りました派遣委員より、その報告を聴取することといたします。高橋委員。
○高橋(等)委員 ただいまから、舞鶴に参りましてソ連地区帰還者の受入れ援護状況を調査いたしました結果を簡単に御報告申し上げます。 昭和二十五年春以来中絶しておりましたソ連地区残留同胞の引揚げが三年ぶりに行われ、去る十二月一日午前七時に引揚船興安丸が無事舞鶴に到着いたし、シベリヤにて苦難の収容所生活を送つて来られた同胞八百十一名を目のあたり迎え得ましたことは、まことに御同慶に堪えないところであります。 私たち派遣団は、この興安丸を迎えるべく十一月三十日の夜東京を出発、十二月一日の朝東舞鶴に着きましてただらに援護局のさん橋より舟で興安丸に行き、最初のランチが出ますまでの間長谷川梯団長と懇談いたした後、ランチでさん橋へ参り、引揚者の諸君をお迎えいたしたのでありますが、過般の中共地区引揚げ、または昭和二十五年のソ連地区引揚げの場合と異なりまして、今回の引揚げはまことに穏やかでありまして、迎える者も迎えられます者も一丸となつて感激の渦に埋まつたのであります。 今回のソ連地区よりの引揚げは、ソ連において戦犯として収容されておりました軍人、軍属、一般邦人八百十一名、内訳は、軍人、軍属四百二十名、一般邦人三百九十一名、そのうち婦人九名、子供二名、入院患者八名で、大多数は終戦時にソ連に抑留され、ソ連の国内法によつて戦犯として刑を受け、八年の間転々として収容所をまわされまして、重労働に、あるいは飢餓に、あるいはきびしい風土にさいなまれまして、生死の間を生き抜いて来た方々でありまして、その困苦を刻まれた顔を見ましたときに、よくぞ生きて帰られたという感が強く強く胸を打つたのであります。 今回の引揚者を概括してわけてみますと、約半数はハバロフスクの収容所に収容されておつた者でありましてほとんど軍人、軍属で占められ、約四百名くらいでありまして、七月の二日集結し、十三日にナホトカへ来ており、また樺太で刑を受け刑務所に収容せられていた者は、豊原第一収容所に集結し、七月上旬大泊を経てナホトカへ来ており、約百四十名で、大多数が一般邦人であります。次に、六月末に収容所長より釈放を受けてナホトカへ移動させられた者、その他各収容所から一名、二名と帰つて来ておる例があり、同じ収容所に三名が服役しておつて、そのうちから一名だけ呼び出されて帰つて来たという者もあり、一律に帰されたのではないのであります。刑期も三年から二十五年にわたつておりまして、刑の重い者が帰り、軽い者が残されたという例もありますそうで、第一次の帰還者がいかなる理由で先に帰されたかということは、帰された当人にもわからないこと申しております点から見ましても、刑期が長いからといつて残留させられたというのではないのではなかろうかと思われるのであります。 なお、午後三時四十分から、私たちと引揚者の代表四名とが懇談いたしたのでありますが、引揚者より、今回こうして八年ぶりに故国へ引揚げて来たのであるが、八年間の空白期間があり、ギャップがあつて十分に力を尽すことはできないと思うが、なおいまだ残留しておる同胞を思うとき、一日も早く帰還できるよう促進運動に挺身して行きたいが、その方法がわからないからよろしく指導していただきたいというあいさつがあつて、残留同胞に対する帰還促進の決意を示され、そうして、残留者の消息を集め、名簿作成等に惜しみなく努力をせられるということでありました。よつて、残留者に対しまする調査の一層の進展が思われるのであります。しかし、広い地域から集結させられたが、抜けておる地区等もありますので、全般にわたつてははつきりわからないとも言われておりますが、第二次の帰還も近くあると思われ、それを待つて相当各地域の消息が明らかにせられるのではないかと思うのでありまして、これら引揚者の協力によつて、すみやかに残留者の全貌が調査の上明らかにされるのを期待するものであります。 その後、午後四時過ぎより、引揚者による在ソ同胞帰還促進大会が開催せられたのでありまして、その趣旨は、こうして舞鶴に出迎えに来られたが、まだ残留されて再会できない留守家族に対しまして、残留者の帰還促進の決意を示し、残留者を残して帰ることが忍び得なかつた気持と、残留者に対し、せめてもこの力を引揚げ促進に尽して行きたいという願いが盛り上つたものでありまして、列席していて感慨にたえないものがあつたのであります。 思うに、今回の引揚げほど感激深いものはありませんでした。しかし、いまだ多数の同胞が異境に残留しておるのを思いまするとき、この感激と喜びを一日も早くわかつべく、本問題の完全解決のため、すみやかにその対策樹立に努力すべきであると考えるのであります。 簡単でありますが、以上をもつて調査の報告といたしまして、なお他の派遣委員の方から補足説明をお願いしたいと思うのであります。
○山下委員長 この際、政府当局より今回のソ連地区よりの引揚げに関する援護状況について報告を聴取いたしたいと思います。田辺次長。
○田辺政府委員 去る一日興安丸がソ連から引揚げて来まして舞鶴に入港いたしました際には、本委員会の委員長初め五人の万々が正式にお迎えくださいまして、かつ引揚者を激励賜わりまして、引揚者も深く感銘いたしたことと思います。この点、本店を借りまして厚くお礼を申し上げます。 ただいま派遣委員からの御報告の通りで概況は尽きていると思いますが、補足的に私から申し上げますと、引揚げて来ました総人員が八百十一名であります。その内訳を申しますと、ナホトカでソ連赤十字のシヤロノフ副社長から日赤の高木団長に渡されました引渡書によりますと、引渡人員は八百九名と相なつております。その内訳は、軍事俘虜が四百二十名、地方人が三百八十九名ということに相なつております。子供二人は正式の引渡人員の数には入つていないのであります。この軍事俘虜と地方人のわけ方につきましては、当方におきます軍事俘虜と一般邦人とは必ずしも一致していないのでありまして、軍事俘虜四百二十名の中にも一般邦人が入つております。そこで、八百九名の日本側による調査、すなわち元軍人、軍属であつた者と一般邦人との区別はどうなつているかと申しますと、軍人軍属の総数が四百三十四名でございます。一般邦人が三百七十七名と相なつております。婦人が十名——婦人十名というのは、正式には九名でございましたが、一人多くなつております。それから女の子が二人一般邦人に入つております。 今回の引揚者の状況は、先ほど御報告がありました通り、実に穏やかでございまして、援護業務も調査業務も順調に進捗いたしております。引揚者名簿の交付、あるいは物資の交付、援護金の交付等順調に行われております。今回のソ連引揚者に対しましては、中共の場合より若干時期その他を考慮いたしまして手厚くいたしております。セーターを一枚ずつ増配いたしておりますほか、毛布も従来より二枚よけい差上げております。乏しい生活の中に過され、また物資等もほとんど持つて来れなかつた方々でございますから、みんな喜んでおるような状況でございます。 こういう援護に並びまして、舞鶴援護局として重点を置いてやつておりまする仕事は、いわゆる残留者に関する調査でございます。先ほどもその重要性を御報告に相なりましたが、舞鶴援護局といたしましては、できる限り情報をとりまして、残留者の状況を明らかにしたい、また今後明らかにする基礎資料をとりたいという方針で進んでおります。帰つて来られた方々も、先ほどもお話があつたような結果でありますので、非常によく役所側に協力してくれておりまして、この点は中共引揚げの場合とまつたく違つております。非常に張合いをもつてやつております。そこで、政府のやり方といたしましては、舞鶴に滞在する期間も短かいものでありますので、身上調査表または移動経路票というものを書いてもらいまして、これによつて各都道府県を中心とした未帰還者の消息を明らかにするというやり方を根本としておりますが、同時に、舞鶴援護局におきまして、各人から、各人が確認いたしました生存残留者または死亡者の個々の氏名を覚書として聴取するようにいたしております。船内におきまして、いわゆる梯団長の方々がおつくりくださいました残留者の名簿も、個々の覚書という形において、より正確なものが入手できると考えております。残留者の中には、すでに日本赤十字社の代表団に先方から渡されましたいわゆる軍事俘虜の範疇に属する人のほかに、一般人、いわゆる地方人として残留している者もあるように考えられますので、その点につきましては、できる限り念を入れて調査するようにいたしたいと思つております。中には、すでに刑期が満了して、いわゆる町の方に釈放になつている方があるわけであります。帰つて来た人の話によりますと、自分たちよりも先にすでに釈放になつている人が、帰つておるかと思つたら、そういう人が帰つて来ておらないということも生じておりますので、いまだに強制収容所の中に入つておられる一般人はもとよりのこと、すでに釈放となつておられる方々の名前もできるだけ詳しく調べるようにいたしたいと思つております。 これらの方々が帰つて来た地点別はと申しますと、またこれは正確な数は把握しておりませんが、先ほどお話申し上げましたように、ハバロフスク、樺太、タイセット、クラスノヤルスクというところがおもでありますが、そのほかナリンスクとか、その他各地の小さい収容所から数人ないし一名が帰つて来ております。各地に散在しておりますので、こういう方面に力を入れまして、できるだけ詳しく資料をとりたいと思つております。これらの人々がナホトカに集結いたしましたのは、ソ連本土は七月十一日、樺太は七月一十日、それぞれ大部分がナホトカに集結し、今回引揚げて来られたたのでございます。 それから、病人でございますが、電報によりますと、三十七名の入院患者ということになつておりましたが、軽症患者も入院をさせまして、できるだけ手厚く治療してあげたいという関係から、現在ふえまして四十三名が舞鶴国立病院に入院いたしております。なお、今回は全員についてレントゲンの撮影をいたしまして、今後の医療方面の援護に万全を期したいと考えておる次第であります。 大体概況は以上の通りでございますが、なお詳細な点につきましては、御質問に応じて御説明申し上げたいと思います。
○山下委員長 これより本件についての質疑を許します。高橋等委員。
○高橋(等)委員 レントゲンで集団検診されたそうですが、参考のために、その結果はいかがですか、伺いたい。
○田辺政府委員 結果はまだ出ておらまないのです。
○高橋(等)委員 結果が出ましたら、ひとつ本委員会に御報告願いたいと思います。
○山下委員長 他に御質疑はございませんか。速記中止。 〔速記中止〕 —————————————
○山下委員長 速記を始めて。この際お諮りいたします。本委員会といたしましては、ソ連地区残留同胞の実情調査のため、今回ソ連地区より引揚げて参りました元関東軍情報部長長谷川宇一君、元ハルビン駐在武官前田直君、元満州電業本社調査役斎藤保君、元樺太在住者杉村富作君の四君を参考人として本委員会に招致して、ソ連地区残留者の実情を聴取し、今後の引揚げ促進及び留守家族援護に資したいと思いますが、これに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決します。 なお、招致の日時等については委員長に御一任を願います。
○大石委員 男の人ばかり呼ばないで、御婦人の方の中からだれか一人ここへ来てもらつてください。婦人の声としてお願いします。
○山下委員長 調査してもらいまして、御趣旨に沿うようにとりはからいます。 —————————————
○長谷川(峻)委員 ソ連からの引揚げは、これはもう国民待望の的であつたのですが、それが、政府と政府の正式な国交ができていないために、赤十字の手を借りて悲願の一部が達成したこと、しかもその間において、わが代表団がモスクワに行つても、ソ連の赤十字の諸君が赤十字はお互いのものであるという気持から、政治的あるいは平和攻勢というふうな思想的なものなくしてスムーズに話が進んだこと、非常に私、けつこうなことだと思うのです。ここに第一陣を迎え、第二、第三陣を迎えなければならぬのですが、何さま政府が直接タッチしないので、結局するところ赤十字の御苦労をお願いしなければならぬ。舞鶴に私お伺いができませんでしたが、ラジオ、新聞などずつと注目しておりますと、ただいま委員諸君の御報告もあつたように、「ああ感激の日まで」とか、あるいは「吹雪の塚」などという歌まで歌われながら非常に感激的に帰つて來られた。その気持を察すると非常に涙ぐましいものがあるのです。そこで、今から先のソ連関係の引揚げは陰な中にどうしても長期にわたると思うのですが、これに直接関係し、国民的な信頼と、ほとんど責任まで負わされておるような形になつておる赤十字の立場は、非常に苦しいし、またそれだけ心強い信頼を受けるものと思うのですが、こういう意味において、今から先政府関係の赤十字に対する連絡、また赤十字の非常な御努力を、この際本委員会を通じてお願いしたいと思います。
○葛西参考人 ただいま過分なお言葉をいただきまして、まことに感激にたえません。今後また今のお言葉の通り最善を尽したいと思います。ことに政府との連絡ということにつきましては、私ども力が足りないものでありますから、大事なところはぜひ政府の御援助を願わなければならぬ。しかし、ただいまお説のように、たいへんデリケートな立場にあるものですから、表面に立つようなところは赤十字が立たなければならぬことは心得えております。たいへんありがたいお言葉をいただきまして、厚くお礼を申し上げますとともに、なお、御趣旨に対しては最善を尽したいと思つております。
○山下委員長 他に御質疑がなければ、本日はこの程度にいたします。 萬西さんには御多忙中のところ御出席くださいまして、委員長より厚くお礼を申し上げます。 次会は七日午前十時より開会することにいたしまして、本日はこれにて散会いたします。 午後二時四十六分散会