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16回国会参議院1953/07/24

労働委員会 第17号

発言数
162
登壇者
20
会派数
4
開催日
1953/07/24

会議録

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 只今から労働委員会公聴会を開会いたします。  初めに公述人の方々に御挨拶を申上げます。本日は御多用中のところにかかわらず御出店下さいまして、スト規制法案について御意見をお述べ下さいますることを心から感謝を申上げます。なお、すでに御連絡済みのことと存じますが、時間等の都合もございますので、公述は大体二十分程度にお願いをいたしたい存じます。なお、公述が終りましてから議員諸君から御質疑があろうかと存じまするので、若し御退席の場合にはあらかじめ委員長に御連絡を頂きたいと存じます。又当委員会より公述の便宜のために、参考として問題点を呈示いたしてございますが、公述人の御供述は自由でありますから、これに捉われることなく、十分に御趣意を御公述願いたいと思います。  それではこれより順次発言を願いたいと存じますが、本日出席を予定せられておりました成蹊大学教授野田信夫君が都合が悪く出席ができなくなりまして、文書を以て意見を当委員会に寄せられております。委員の方々にお諮りをいたしますが、本文書を専門員に代読させることにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 異議ないものと認め、専門員をして朗読させます。    〔専門員朗読〕   小生は時日の関係で当日出席いたしかねますので、甚だ残念であります。それで左に御質問の点に対し意見を書面でお答え申上げます。   結論を先に言えば賛成である。   問一 昨年の電産、炭労争議が長期且つ深刻化したことにつき、政府、事業者、労組のうちいずれが主たる役割を演じたと思われるか。   答 三者にいずれも責任がある。  併し主たる責任は事業者と労組とにあると思う。   問二 昨年の電産、炭労の争議の解決について、政府、中労委、会社、労組等のとつた措置についての御意見。   答一、争議の解決につき政府が介入するのは、公安を害すると認めたとき、その段階に至つて初めて措置すべきである。   二、中労委というものの限界に達した観がある。   三、会社の態度もよいとは思わないが、争議となれば社会道義に反しない限り第三者は苦情を言い得ない。   四、労組についても同様、ただ保安要員の引揚げは社会道義に反する。又電産の対世間の態度は甚だ遺憾であつた。   問三 政府の説明によれば、昨年の電産、炭労ストが「公共の福祉」に反したことが本法案提案の直接原因であると述べられているが、「公共の福祉」とは、具体的にはどのような内容を持つものとお考えになるか。また、両ストが行き過ぎであるということを理由としてストライキの方法を規制し、ストライキ権を大きく制限することは妥当と考えられるかどうか。   答 保安要員の引揚げや、永きに亘る停電は「公共の福祉」に反すると考える。「公共の福祉」が空漠な内容ではあるが、これらの事実も公共の福祉に反しないというならば、この言葉は如何なる場合に当てはまるかを反問したい。「公共」とは組織労働者のみを指すのではない。小商売も未組織労働大衆も皆公共である。   ストライキ権を大きく制限すべきでない。故に保安要員の引揚げをとめるに過ぎない。ただ電産については慎重の考慮を要する。小生は一切の公益事業に対し真に消費者と事業とのためを思う立場で公益事業を監督する機関を設けるべきであると考える。又新らしい争議方法を認むべきであると考える。   問四 本法を制定せずとも、現行労働法による調整制度、特に緊急調整制度によつて「公共の福祉」を擁護できるという説がありますが、どのようにお考えになりますか。   答 公共の立場から見れば、緊急調整は、その場限りの調整に終るから十分と言えない。公共の立場を守るならば、平常から公益事業を監視している必要がある。   問五 仲裁制度の強化により本法制定に代えよという説もありますが、どう思われますが。   答 前と同じ理由でその場限りの結果に終つて、公共の真の福利は守られない虞れがある。   問六 憲法第二十八条に保障されている労働者の団体行動権とは如何なるものとお考えになるか。   答 憲法二十八条の保障を与えている者は国民である。その国民の福利と感情を度外視して、組織労働者のみが自己の利益の擁護のためなら何をやつても文句を言うなという権利は与えていない。これは民主主義の理法上当然のことである。   問七 本法成立の場合、電気産業労働者にとつて他に残された効果的な争議手段があると考えられるかどうか。   答 本法だけが成立すると電産労働者の争議権が無視される。故に本法と並行して、争議中の料金は事業主に請求権なきものとする立法を必要と考える。これは電気事業のみでなく、公益事業一般にかかる争議方法を認めることが「公共の福祉」と争議権とを調和させる唯一の方法である。   問八 「鉱物資源の滅失若しくは重大な損壊」「鉱山の重要施設」を保護することと、労働者の生活権と、どちらがより重要と考えられるか。   答 両者共に重要である。鉱物資源の滅失のごときは、永久の滅失を招来する危険が多いから、労働者の生活権そのものを脅かすものであることを労働者自身が知らなければならない。これくらいのことが問題となる程度の幼稚な現状であることが立法を必要とするゆえんである。   問九 国の基礎産業若しくは公益的事業として私鉄、ガス、水道、肥料、鉄鋼その他についても同様の措置が必要と思われるかどうか。   答 この問題は、(一)、労働組合の社会的責任の自覚程度、(二)、労働組合の思想的傾向によつてきまる。暴力政治に接近する方向に進むような場合は特に考慮を要する。併し前に述べたような争議方法が認められれば、公共サービスを停止することなく争議が行われるから、公共の福祉は害せられないで済む。   問十 三年の時限立法とすることにより、違法性の問題はどうなるとお考えになるか。   答 違法性は、単に法理的に考えるべきでない。現実の事業者と労組との精神年齢の段階と併せて考えなければ答えは出ない。成熟し、社会責任の自覚が十分であれば、かかる立法はもともと不要である。労使方共に幼稚である現状ではかかる立法も止むを得ない。故に成熟段階によつて判断さるべきで、単なる法理上の問題ではない。小生は公益事業法を新たに作つて、事業の監督と新らしい争議方法とを盛り込む措置を講ずれば、三年待つ必要もないと考える。但し鉱山保安だけは組合の成熟を待たなければ撤回は危険である。   問十一 本法に類する外国立法例について。   答 詳しく研究していないからお答えする能力なし。   以上で質問条項に対するお答は終るが、なお附加えたい点は、   一、今回の立法は公共の福祉から見て、現在の労働組合の思想態度では遺憾ながら必要である。先般の争議以後も、組合の指導者は徒らに政府と事業者とに責任を落せるに汲々として、自身の負う負任については何ら反省の色がない。この事実が立法の止むを得ないゆえんである。   二、然るに現在の組合を導くのに法律を以てするのは不適当で国民又は社会がこれを育てて行くべきだという意見もあるが、現在の組合がそのような可能性を持つかどうか、誰がそれを保証し得るか。以上。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 続きまして、立命館大学教授淺井清信君の御意見をお願いいたします。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) 質問の要項を頂きましたのですが、私はその質問の要項順にお話しないで、私が重要だと思われる点から順次お話したいと思います。そしてその話すうちにおきまして大体質問要項の全部につきまして私の意見を述べることになると思います。  最初に政府の提案理由によりますと、政府はこの法案を提出するに至つた直接の動機は昨年末、遂行されました電産及び炭労のストであります。この二つのストが二カ月余りに亘つて行われまして、そのために産業界に莫大な損害を与えたことは事実であり、又炭労では保安要員の引揚げ準備命令なども出したことも事実であります。政府与党側ではこうしたストライキを馬鹿げたストライキなどと一蹴しております。衆議院の議事録を見ますとそういうような言葉が見られるのでありますが、かように考えて、ストライキの責任を一方的に労働者側に転嫁しようとするということが果して妥当であるか、疑問であります。冷静に考えてみますと、労働者側もストによつて賃金の喪失という危険を冒しまして、必死の覚悟で物心両面の苦闘を続けなければなりませんからして、よくよくの止むに止まれない事情がなければこうした長期のストは実行できないものである。このようなストに追い込んだ根本的原因は、電産と炭労の経営者が日経連をバツクとしまして、戦後稀に見る強硬な態度を持しまして、かなり譲歩した組合側の要求をも容易に容れようとしなかつた。こういうところにやはりああいうストに追いやつた原因があるのではないか、かように考えます。あのようなストライキが気楽に鼻唄を歌いながらできるなんと考えるのは非常に大きな誤りでありまして、そういうような考え方をするところからしてこのようなスト規制法案が提案されたのではないか、もう少し経営者側の態度というものをこの際じつくり考えてみなければならない、先ず第一にかように考えるものであります。  それから電気スト、停電ストというものは従来ともに不当であつて禁止されておつた。これをこのスト規制法案によつて明確にするに過ぎないのだ、又争議行為の方法の規制をするのであつて、争議行為を禁止するものではない、このように政府は提案理由で言つておりますが、国鉄のストライキはこれは列車をとめる、私鉄のストライキは電車をとめる、船舶会社のストライキは船舶の運航をとめる、これによつて行われる。同じように電産のストライキは発電や送電の停止をする、これによつて行われる。これが常識であり社会通念であると私は考えます。スイツチを切る場合に、積極的な行為を行うから生産管理であり違法であるというようなことが述べられておりまするが、かような理論は、生産管理の何だるやを知らない理論である、かように考えます。又公益事業令よりも労働組合法のほうが優先いたしますから、公益事業令で送電の停止を禁止している、こういたしましても、組合法が保障する争議権によつて適法に送電の停止をなし得る、かように考えます。それから次に電源停電ストを禁止することは、ただに電源送電従業員の争議行為を禁止するのではなくして、電産労働者全員の争議行為を無力化するものであつて、全電産労働者の争議行為を禁止するにひとしい。たからこの法案は電産労働者の争議行為の禁止を意図するものである、こう私は考えまして、かような見地からこの是非を判断しなければならないと思うのであります。それから労働関係調整法の第三十六条におきまして、保安要員の争議行為を禁止しておりますが、この法案が石炭鉱業について禁止する保安要員は更に広範囲なものであるから、炭鉱労働者について新たなやはり規制をするものである。こういう見地から考えて行かなければならないと思うのであります。  それから次に政府の提案理由によりますと、かように争議行為の方法を規制するのは、公共の福祉との調整をとるためだと言つておりますが、すでに冒頭で述べましたように、昨年の電産と炭労のストを目当としてかようなストを禁止することが目的であるとするならば、私は全くその必要はないと考えるものであります。ストライキによつて利益を受ける労働者の数と、ストライキによつて損害をこうむる人たちの数を比較し、或いはストライキによつて失われる賃金の額とストライキによつて生ずる損害額とを比較しまして、その差が莫大なときはそのストは公共の福祉を害する。かように考え、かような見地から公共の福祉を擁護するためにストを禁止する理由がある。これが民主主義に合する。こういつた理論が衆議院の議事録などにも見えておりますが、かような意味においてスト数や損害額を比較、考量するときにストライキを禁止する範囲は無限に拡大されて行くと思います。  元来スト権は約一世紀に亘つて労使闘争の結果、而も労働者の幾多の犠牲によつて漸く二十世紀になつて獲得された労働者の基本権でありまして、生存権の性格を持つております。資本家たる使用者は生産手段たる資本の所有権の強固な保障を受けましてその生存権を保障されております。無産者たる労働者は無産者なるが故に所有権の保障規定によつてはその生存権を保障されません。いわば賃金に依存し、賃金を中心とする労働条件の如何と、身分保障が直接に労働者の生存に関係を持つております。かような労働条件と身分保障というものは、労働者の団結権と団体行動権によつてのみ得られるものでありますからして、そこで憲法は労働者の基本権を保障をしているのであります。だからかような労働基本権を奪うということは、労働者の生存を脅かし、資本家の専制的経営を許容するということを意味するのであります。さればといつてかようなストライキ権が無制限なものであると私は考えておるのではありません。即ち争議権は労使の妥協の下に憲法の中に取入れられたものでありますからして、社会主義革命のみを目的とするような争議行為は勿論違法と断じなければなりません。又労使の階級を超越した形である人格の損傷、こういつたようなことも争議行為としては許されないのであります。だから労働組合法の一条二項が争議行為に伴う暴力行為を禁止し、或いは労調法の三十六条が人格の損傷を来たすような争議行為を禁止しているのであります。争議行為の結果生ずる損害が莫大であつても、使用者の生命を奪うということにはならない、莫大な損害を伴うストライキがなお労働者の権利として許容されるというのはこのためであります。これは十九世紀から二十世紀に亘つて確立された理論であります。元来争議権は労使の闘争のまにまに形成された権利でありますから、その内容は極めて動揺的であつて、労使の闘争のまにまにその限界が規定されて行くものであります。かようなものでありますから、国家の法によつて一般的に争議行為を禁示することは争議権の歴史的性格に反すると考えます。それから財産権は公共の福祉のために制限されるということが憲法二十九条に規定されておりますが、これを例にとつて、争議権も公共の福祉によつて制限されなければならないというようなことが言われますが、これは全く二十九条の趣旨を誤解するものであると考えるのであります。というのは憲法二十九条で財産権が公共の福祉のために制限ざれるということを規定するに至つたのは、財産権の社会化のためでありまして、あたかもその公共の福祉によつて財産権が制限されるという理論は、労働者の争議権を認める理論になるのでありまして、従つてそれを理由として争議権が公共の福祉によつて制限されるというのは全く誤つた理論であると私は考えるのであります。  元来公共の福祉というのは、全体の利益、公の秩序、善良の風俗というものを指すものでありますから、それ自身非常に空虚なものでありまして、時と所と、社会的経済的諸情勢によつて歴史的にその内容は規定されて行くものであります。殊に利害相対立しているこの労使関係においては、労使に共通な公共の福祉というものは求められる範囲が非常に限定される。例えば国鉄の従業員の側から言うならば、スト権を与えることが公共の福祉に合する。経営者の立場から言うならばその反対である。或いは終戦後暫らく国鉄従業員はスト権を与えられておつたのですが、昭和二十三年七月三十一日の政令二百一号によりまして、公共の福祉の立場からスト権を禁止した。これによつて公共の福祉の内容が変つた。なぜかように変つたかと言えば、全官公労を中心とする労働攻勢に対する資本家の地位を擁護する、こういう必要に迫まられたからであります。かように公共の福祉は歴史的にその内容が変つて行きまして、労使対立する社会では共通の内容が認められないで、現実にはむしろ支配的地位にある資本家の利益が公共の福祉の内容となることは見逃すことはできません。この法案の提案の理由において言うところの公共の福祉もこうしたものでありまして、かような資本家側の一方的利益を内容とする公共の福祉によつてスト権を禁止することは、労働法を根本的に破壊し憲法に反する。勿論、十九世紀以来公共の福祉が基本的人権の擁護に大きな貢献をなして参りました。併しこれは民主革命を完成する途上においてこうした役割が果されたものでありまして、民主化を巻き返えそうとする段階においてはむしろ逆な作用を営むものであることを見逃してはなりません。公共の福祉の名の下に争議権を禁止するのは、大規模なストライキの弊害よりも、それによつて要求されることが怖いからであるとしか思われないのであります。勢力均衡論というものがよく主張されますが、かような理論はこうしたところから生まれて来る理論であります。  それから現在の労働法が資本主義社会を基盤としておるということは言うまでもありません。資本主義社会は自由主義的個人主義的法権利を基礎といたしまして、いわゆるレッセフェールをモットーとしております。労働法もこうしたものでありまして、労使の自主的交渉を基本原理としております。だから労働争議も労使が自主的に調整するのが労働法の原理になつておりまして、労働組合法と労働関係調整法の原理はここにあると考えます。国家はこれに干渉すべきではない、労働争議の自主的調整を側面から援助する制度といたしまして労働委員会の制度が設けられ、曾つては大きな役割を果して参りましたが、その後一方においてはすべての公務員の手からストライキ権を奪い、緊急調整によりスト禁止の制度を設けて、国家権力による労使関係の干渉を行うと共に他方においては元来官民の中間の制度であつた労働委員会を行政組織内へ完全に包摂しまして、政府の御用委員会に化してしまつた。即ち職権委嘱の制度によつて、政府当局のお眼鏡に適わない者は委員に任命しない、こういうようなことにして参りましたがために、労働委員会は無力化し、信頼を失つて参つたのであります。昨年の電産、炭労のストにおきまして、中労委が大した役割を果し得なかつたのも、これだけじやないですが、こういうところに一つの原因があつたのではないか、かように考えます。  このようにいたしまして、本来国家は中立的立場に置かるべきはずであつたのに、資本家と結び附いて労使関係に干渉しまして、労働者の組織と団体行動力の減殺を図り出したのであります。これこそまさにフアシズムに転化する典型的な徴表でありまして、誠に警戒すべき現象であり、この法案はこうした過程に更に拍車をかけるものである。この意味におきまして、この法案は民主憲法下における労働立法を根本的に破壊する違憲立法であると考えます。有効期間を一年にするということによつてかような違憲性は少しも除外されるものではない。若しかような法案が認められ、法律となるといたしますと、漸次ガスや私鉄や鉄鋼等、その他重要産業にもこれが及んで行きまして、日本の労働者の労働運動というものは全面的に否定される、実質的には否定されるということになるのではないか、かように考えます。結局私はかような法案が生れ出たのは、労働大衆を政府が信頼しない、国を亡ぼすものは労働大衆であるというような一方的な偏見、これによつておるのじやないか。保安要員の引揚というものも、これは山を愛する炭鉱の労働者、山で働いて山に育つた労働者たちがそんなことをめつたにするものじやない。昨年もその準備命令は出したのですが、それをやらなかつた。若しそのようなことが行われる段階に至つたときは、これはもう非常事態であつて、或いは革命の前夜になるかもわからないというそういう非常事態になると思うのです。そのようなことをいつでも容易に炭鉱の労働者たちが行うであろうということは、これは全く誤つておる。それよりももつと労働大衆を信頼して生産の基礎たる労働者を信頼して、労働者の信頼の下に政治を行なつて行くべきである。若しこのような政治を行わなかつた場合においては、やはり大衆が政治の基礎になつておりますからして、大衆から離反した政治が行われ、或いは再び東条内閣時代のような誤つた政治に導かれるのではないかということを私は心配いたしまして、速かにかような法案の提案は撤回いたしまして、民主憲法本来の姿に帰すべきであると、私はかように考えております。  以上を以て私の公述を終らせて頂きます。     ―――――――――――――

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 引続きまして、国学院大学教授北岡壽逸君の御意見を求めます。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 私はこの法案に賛成するものであります。  停電ストというものが如何に国民生活を脅威するか、日本の産業を麻痺させるかということは、我々はつぶさに経験したのでありまして、今ここに呶呶を要しない。十万余りの電産労働者の取引の手段として八千万の国民が苦しめられるということは、公益の公害と法律で保護する利益のバランスがとれない、こういうものは許さるべきものではないのであります。更に又炭鉱の保安要員引揚なんというものは、炭鉱を水浸しにするので、石炭というこの国民の最も大事な資源を半永久的に破壊しようという、それによつて第一に炭鉱の労働者が職場を失う、労働条件の向上のために取引しておる労働者が、その手段として自分の職場を壊しちやうなんということは、全く自殺的行為と言うほかない。のみならず、これは全産業を長い間に亘つて麻痺する点においては停電争議以上のものでありまして、一体こういう争議はどこの国にもない。私は昭和二十一年の秋から昭和二十二年にかけまして経済安定本部におりましたときに、電産の停電スト、炭労のストにかなり憂慮いたしまして、一体こんなものが外国ではどうなつているのかということをその当時も調べたことがあるのですが、どこの国にもない。尤もこれを禁止する法律は断片的にはあります。あちらこちらにあります。アメリカにもたしか二つの州にはこれを禁ずるような法律はあるのですけれども、禁止する法律があるからそんな馬鹿げた争議をやらないのじやない。全くこれは国民の常識、労働組合の常識がこういうことを禁止しておる。いわば相撲の封じ手というようなもので、小学校の生徒に相撲をやらしても、相手の髪を引張つたり、相手の急所を蹴るというようなことはしない。若しすればそれだけでその人は負けになる。こういうことは国民の常識でありまして、法律を一体持つのがおかしいので、その点におきまして、私はこういう法律を今日この国会に出さなきやならんということを非常に残念に思うのでありまするけれども、我が国におきましてはまあいろんな事情でこういう争議が行われ、若しくは行われんとした、又今後もやると言つておるのですから、これは禁止しなければならんと思う。現在日本の労働組合はこのスト規制法反対を標榜してストをやつておるそうでございますが、これこそ最も私は民主政治を紊るものだと思う。若しこういう労働組合の脅迫に応じて国会がこの法案を阻止しようものなら、これは実に八千万の国民が選んだ国会が労働組合という一部の階級のために左右される、更に又国会が労働組合の幹部に負けるということであります。これは私は甚だ憂うべきことでありまして、ちよつと例が悪いかも知れませんが、曾つて日本に陸海軍大臣は現役の大将、中将でなければならんという官制があつたために、軍部というものは内閣を作つたり破壊したりする権利を持ちまして、遂にああいう大東亜戦争なんという馬鹿げた運命に導かれたのでありますけれども、今日こういう電気を止めるとか、炭鉱を水浸しにするといつたような、国民経済を麻痺するような争議権というものを労働組合若しくはその少数の幹部に与えるということは、少し言葉は矯激かも知れませんが、労働組合を軍部のようなものにする、若し国会がこの法律を……これが合法的であるというならば、これは実に言葉は悪いかも知れませんが、暴力革命を合法化する、共産革命の途を開くようなものであると私は思う。是非これは通過して頂きたいと思うのであります。  この法案に関しまして、法律上若しくは経済上少し問題になる点がありまするから、その点につきまして少し卑見を申上げたいと思うのでございますが、第一は、よく日本の労働法の学者が憲法二十八条を持ち出しまして、憲法二十八条には憲法二十九条と違つて特に制限的の規定がないから、これを制限することはすべて違憲であるというようなことを言うのでございまするが、この種労働法学者の言に従いますというと、現在労働組合法におきまして、警察や消防に対しまして、労働組合若しくはストの権利を禁じてあるのでございまするが、これも違憲である、憲法違反である。従つて少し極端な言葉でございまするが、火事の場合に消防車が並んだ、さあ賃金を上げなければ我々はこの火事を消さないということを言つても、これは合法であつて、そういうことを禁じても憲法違反であるとこういうことになる。又いずれの国におきましても、船員法におきましては、船舶が外国におりまする場合にストライキをやるということはこれは禁じてある。これは世界共通のストライキに対する制限でございますが、これも憲法二十八条の違反である、そんな馬鹿なことはないのです。憲法というものは国家の利益のためにあるものですから、公共の福利のためにどんな権利でも制限されることは当然でありまして、憲法二十八条も又憲法十二条、十三条の趣旨に従つてこれは公共の利益のために制限すべきものであります。現在の憲法は成るほど如何にも言葉が杜撰で欠点の多いものでございまするが、まあ憲法改正が容易にできないならば、我々は解釈によつてこの憲法の不備を補つて行かなければ仕方がないと思うのであります。  第二に、この法律によつて労働組合からスト権を奪つて、そうして代るべき生活保障の保護を講じなければ片手落ちじやないかという議論があるのでございますけれども、元来電気をとめるとか、炭鉱を水浸しにするとか、そういう権利はないのであります。こういうものに権利があると思うのがそもそもの間違いと私は思う。これは警察官はストライキを起せない、消防夫はストライキを起せない、船員は海外、外国においてストライキはやれない、これは当然なんであります。炭鉱を水浸しにしたり、電気をとめて八千万の国民を困らせるというようなことはできない。私はこの今度の法案に関する限りにおきましては、別にこれは片手落ちというのじやない。常識上禁じていることを少し言葉は悪いが、常識のない労働組合の幹部たちがこういうことをやられる、これを常識に任せておけないので、遺憾ながら法律を以て禁止するに過ぎないものだと思う。  第三に問題になりまするのは、今日国民がストのために困つているのは、停電、炭鉱保安要員の問題だけでなく、私鉄ストとかバスのストなんかにつきましても一般の生活は撹乱されまするし、又今日までは実際問題はありませんが、水道とかガスとか病院とかいつたようなものは、ストをやる場合においては国民経済が、国民生活が非常に困りはせんか。或いは又製鉄業の熔鉱炉がとめられれば、これを回復するのには一年以上もかかるのですから、そういうこともこれは制限しなければならんのじやないかといつたいろいろな問題がある。私はこの問題につきましては、ここで簡単に十分の意見を述べる時間もございませんが、一言結論だけ申上げますというと、私は二つの結論を申上げたい。一つは若し広くその公益事業の故を以てストライキを制限しまするならば、私はやはりこれは片手落ちにならんように、調停、仲裁の制度を作らなければならん。若しこれが任意仲裁で行かれないならば、強制仲裁もやむなしと私は思うものであります。もう一つの点は、私一体今申しましたようにこんな停電スト、それから炭鉱の水浸し、その他非常な不権衡に釣合いを外して国民経済を脅威するようなストというようなものは、労働組合が本当に労働者だけの、労働者の利益のための団体であるならば、そういう馬鹿な争議というのは私はやるものじやないと思う。こういうふうな非常識な争議が行われるというのは、私は労働組合が本来の労働組合が本来の労働組合の職責を逸脱しまして、この労働組合の労働争議というものを政治的手段に利用しようというところの政治家若しくは革命主義者というものが背後において、これが糸を引張つておるためではないか。こういつたような非常に国民経済を困らせるような争議というものは、いわば政治的色彩を持つておるものが非常に多いかと思いますので、私はむしろ政治ストというものに対しまして、政府は制限の立法をすべきものではなかろうかと思うのであります。一体我が国の戦後の労働法は、占領軍が日本の持つ経済組織を根本的に改革しようといつたような、非常に焦つた気持で、性急な気持で作つたものでございますから、非常に不備な点が多い。占領軍もそれは気が付きまして、先ず二、一ストにびつくりして国鉄のストを禁止するとか、又官吏のストは禁止するとか、又レツド・パージをやつて共産党を重要事業から追つ払うとかいうことをやつて、幾らかよくなつておるのですけれども、なお不備な点が非常に多い。是非これは政府はもう一ペン慎重に考えてバランスのとれた法制にする必要があると思う。この法律に三年の期限がついておりますのは、私は理由をよく知らないのでございますけれども、私はこれを意義あらしめるためには、日本の終戦後、倉皇としまして外国の、而も素人が作られたこの法律を三年間に本当によく検討して直すというように使われたならば、この三年の時限立法というものが意義があるのではないかと思うのであります。  なお、ちよつと一言委員長から廻されましたクエスチヨネヤーでありますが、私はあれはお答えする必要がないかと思いましたが、大部分は御答えしましたが、一点はつきり答えなかつたのは、去年の争議につきまして、どちらが悪かつたかといつたような御質問かございましたが、どうもそういうことは私は軽々に言うべきものじやない、労働争議というのは双方のそれぞれの立場からそれぞれの考え方があつてやつておることですから、それを軽軽に第三者かどちらが悪い、どちらがいいということは言い得るものではないと思いますけれども、ただこの点につきまして一言はつきりと理解しておいて頂きたいことは、電産争議におきまして、労働組合の要求の労働条件の中に、労働時間の問題があるのでございますが、電産のような、電気産業のような継続的な労働事業の労働時間につきましては、国際労働条約におきましては、普通の労働時間よりは長くしおてる、普通の労働時間は御存じのように一週四十八時間でありますが、継続作業につきましては、一週五十六時間、七日で七八、五十六時間という五十六時間労働を認めておる。然るに我が国の電産におきましては、何でもあの当時労働者の固執したのは三十八時間、事業主の要求したのは四十二時間、いずれも国際労働の標準よりは二割も三割も少い。私は戦後疲弊困憊いたしたこの今日の日本において、どうしてこの電気の料金を下げるかということにつきまして日夜苦労しておるところの電気事業におきまして、外国の標準労働時間よりは二割も三割も少い労働時間で生活の安定を図ろうというふうなことは、少し日本としては無理ではないか。この一点から申しまして、私は電産のほうに少し無理があるように思うのであります。  その他いろいろ意見もございまするが、所定の時間も尽きましたから、これを以て私の発言を終ります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 続きまして、東京大学助教授磯田進君の御意見をお願いいたします。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 私はこの法案に反対の意見を持つております。  先ず電気の問題、法案第二条関係について考えたいと思いますが、電源ストをやる、或いは電気がとまると社会が迷惑をする、だからストライキを禁止してもよろしいと、こういうふうに簡単に考えられちや困るのであつて、そういうように考えることは、新憲法以前的な考え方であろうと考えております。私、こういうふうに暑くなりますと思いだたすのですが、終戦近い時分、私、兵隊に取られて上海におりましたが、上海で段々電力が少なくなつて参ります。そこで町に電気が来ないということになりまして、昭和二十年のぼつぼつ暑くなる頃です。その時分、上海のパレス・ホテルと言いましたか、カセイ・ホテルと言いましたか、或るホテルに行きましたら、電気が来てないはずなのに、扇風機が動いておるのであります。不思議に思つてよく見ますと、これはそのホテルの食堂で二階に大きな扇の羽をつけまして、それをこう紐でつなぎまして、それを両端に二人の中国人が、人間がこう両端から引張つて、羽を動かしておる。それで、つまり人聞扇風機でありまして、まあお蔭で涼しく食事をすることができるということでありまして、話を聞きますと、なんか映画にそういうものが出ておるということですし、南米ですが、アフリカですか、どこかで、これはもう今申しましたものよりも、もつと素朴であつて、金持が飯を食つておりますと、そこの部屋の天井から、何かアンペラのようなものを吊しまして、そこに黒人が乗つておる。そこで黒人がアンペラの上に寝まして、そしてあの扇でもつて下の御主人たちを煽いでおる。これ又、人間扇風機であります。そこで、そういう場合、成るほど扇風機がないと暑苦しくて困る。だからお前は賃金は安いかも知れんが、又労働条件が気にいらんかも知れんが、ストライキをやつちやいかんお前がストライキをやつたら俺が迷惑をする。こういうことは勿論言えないわけですね。お前がストライキをやると自分が迷惑をする、だからストライキを禁止するという考え方は、これは若しそういうことができるならば、結局のところ奴隷労働であると考えるのです。ところで、今日の日本の状態を、勿論それほど素朴ではない。この人間が扇風機をやるわけではありませんけれども、併し電気扇風機というものも、考えてみれば、結局は発電所の労働者の労働によつて動いておるものであります。同じことであるわけなんです。人間の労働によつて社会に便益を供給しておる。同じであると思います。扇風機に限らないのであつて、例えばエレベーターが動く、電車が走る、ラジオが聴える、電燈がついているということも、皆同様であると考えます。一般に社会の便益に支障を来す、社会が大変迷惑をする、それだからストライキを禁止できる、こういふうに考えることは、まあ突き詰めて言えば、中間を省略して考えると、上海における、或いは南米あたりにおける人間扇風機労働者、これについて先ほど申したことと同じであろう。結局そういう考え方は、電気労働者は社会に便益を供給するための奴隷に等しいものだという、こういう考え方に通ずるわけで、これは現在の憲法、或いは法律の建前からすれば、成立ち得ない考え方である、こう考えます。  で、以上申しましたことを、幾らか法律的な言葉遣いで申してみますと、これはよく言われる公共の福祉という問題ですが、併し公共の福祉を理由として、法律上こういうことができるかという問題を考える場合には、その前提として、奴隷制度の社会におけるところとは考え方の基礎が違うのだということを明らかにしておく必要がある。労働者がひとしく一個の自由な人格者としての尊厳を認められておるような、憲法十三条の言葉で申しますと、労働者もすべて国民として、「す         べて国民は、個人として尊重される」という、そういう考え方が基礎になつておるところの、そういう社会である。そういう社会においては、公共の福祉ということを考えるにしても、その前提の上で考える必要があるのだと思います。  そこで、この場合に、何と何が計り比べられるであろうかと申しますと、片一方では結局は便益です。社会の便益、電気がとまることによつて不便である。まあ要は便益というものであり、他方では何かと言えば、労働者の直接な生存そのものであります。又一面から言えば、労働者が奴隷的なその意に反する労働を強制されることがない。労働強制からの解放という、そういう要請が片一方にある。で、結局一方の要請、即ち便益という要請は、これは相対的な要請である。それに反して、生産そのもの、それからいわゆる奴隷的な労働強制からの解放ということ、この要請は絶対的な要請であります。そこで、このあとのほうの要請、絶対的の要請を充たすという、その前提において考慮すべきものであつて、その逆であるわけには行かないと考える次第です。  以上申述べましたことに二つ註釈を加えたいと思いますが、一つは人の生命、健康、安全のための必要な不可欠の限度において電気の供給を命令する、この限度において、労務の提供友命令する、ストライキを禁ずるということ、これは別問題であります。例えば病院、或いはは熔鉱炉なら熔鉱炉が、一定の保温をしないと爆発する虐れがある。そこで熔鉱炉保温のための必要な限度において、この電気の供給をストップさせない。或いは街路における安全燈、これを消さない程度の電気の供給を確保する等々、いわゆる人の生命とか、健康、安全等のために必要不可欠の限りにおいて、電気の供給を確保する、そういう方策を法律上考えるということは、これは別の問題であります。私が以上申しましたこととは別であります。併しながら、本法案の第二条は、今、私が申しましたような、そういう考え方とは全然根拠を異にしている。建前が違つておるわけでありまして、それでありますから、私は別問題だと申上げる次第です。  なお今申しました点については、現行法においても、すでに労調法第三十六条がありまして、労調法三十六条の安全保持、これは人命の安全を保持することだというのが通説でありますけれども、この安全保持施設の停廃を禁止しておるということは、これは必ずしもそのストライキが行われたその企業内において安全保持ということだけに限定されないのじやないか。もう少し広く、この、今、私が若干例を挙げましたような、そういうようなところまで労調法の三十六条ですでにカバーしておのじやないか。というふうに考える余地があるということだけ申し添えておきます。  要は、この今申しましたような考え方でこの法案ができているのではない。その限りにおいて、これは別個の問題だ、こういうことを申し添えておきます。  それから注釈第二は、若しも電源労務者の生存権を守り、且つ又それらの人たちが強制労働にならない、不任意の労働を強制されることにならない。そういうことを保証される方策がほかにあるならば又別の問題であります。併しながらこの法案を見ますと、そのような方策が全然講じられていない。若しこの法案が成立いたしますと、電気産業の労働者にとつては、電源ストもできない。私は仮にこの法案が成立しても、私は全体として憲法違反だと考えますから有効性を争いたいと思いますけれども、仮に全然無効でないとしても、この法案の第二条で、一体、発電所の労務不提供そのものを禁止したと読めるかどうか、これは甚だ疑問である。憲法の建前から言つて疑問であると考えるのですけれども、併しまあ提案理由等々から判断いたしますと、第二条で以ていわゆる電源スト、電源における労務不提供そのものをも禁止するというようなこと、こういう考え方のようであります。然らば一体、電気産業の労働者としては何ができるか。事務スト、事務ストはこれは実は殆んどストライキとしてこたえないのであつて、結局、電気産業の労働者は実質上ストができないということに等しいと思います。そうしておいて、即ち争議権を事実上剥奪しておいて、それに代るべき代償を何ものも与えていない。国家公務員法、公共企業体等労働関係法等々、これらはいずれも、もとより批判の多い法律でありますけれども、併し公務員法の場合であれば、人事院を設けて、ストライキを禁止された代りに、公務員に、生活権について何らかの、結果においては非常に力が弱いわけでありますが、併し法律の建前としては、争議権を引揚げた代償は与えよう、そういう考え方であります。それから公共企業体等につきましては仲裁制度、仲裁裁定を以て争議権剥奪の代償としようという考え方が法律に現われておるわけであります。これと比べても、今回の電気産業の労働者から事実上ストライキ権を剥奪しながら、何らの代償も与えていないということは、これは非常に驚くべき考え方であると思うわけであります。結局のところ、代償を与えられずして争議権を奪うという点で、以上私が申しました立論となる次第であります。以上二個の点の注釈を先ほど申しましたことに対して付け加えておきます。  それからなお注意いたしたいと思いますことは、常識的には労働者の賃上げ要求のストライキとそれと社会の便益とがぶつかるのだと、こう考えられておるのでありますけれども、果してそう断定できるだろうか。常にそれのみであると断定できるだろうか。その断定は一方的ではないだろうか。そう考える理由は、電力会社は少からぬ利益を上げており、少からぬ配当を維持しております。電力事業としては労働力をより高く買うということは可能であります。法律上可能であると考えるほかはない。然らばもう少し賃金を出してやれば発電所労働者はストライキをやるわけじやない。然るに賃金を出さない。喜んで働きましようと労働者が言うだけの賃金を出さないからストライキになるのだ。そうであれば、そこで、ぶつかつているものは、つまりストライキの結果、社会の便益は支障を来たす、而もそこでぶつかつているものは、むしろ電力資本家の利潤と社会の便益とではないか。そう考えることも可能なのでありまして、それを一方的に、ストライキをやるのは労働者の責任である、従つて社会の便益とぶつかるのは労働者の賃上げ要求ストライキだ、こういうふうに持つて来ることは、今日の労働法の考え方からいたしまして成り立たない一方的な独断であると考えます。そこで、社会の迷惑ということを名前にして、ストライキを禁止或いは制限するということは、一面においては、好むと好まざるとを問わず、法律の力によつて資本のために利潤を確保してやるということも意味しないわけにはいかないということを注意いたしたいと思います。結論としましては、法案第二条、これは憲法二十八条に違反する。憲法二十五条に違反する。憲法二十五条というのは、御承知のように生存権を規定した条項でございますが、憲法二十五条にも違反しておる。特に憲法二十五条に違反するという理由は、先ほど申しました何らの代償を設けておらないという点、代償を設けないで争議権を剥奪するという点、それから且つ憲法十八条に違反する。憲法十八条というのは国民は何人も奴隷的拘束を受けない。且つ不任意の労働を、憲法の条文によりますと「その意に反する苦役に服させられない」。こう書いてあります。これは御承知のように、アメリカ憲法でインボランタリー・サーヴイテユードというのは、文字通り訳せば不任意の労役ということになると思いますが、アメリカ憲法における今のインボランタリー・サーヴイテユードの禁止、それに相当するのでありまして、憲法十八条のその条項にも違反する不任意の労役を、少くとも発電所労働者に対して課することになるから、その理屈は、卑近に言えば、先ほど例を挙げました人間扇風機の場合と同様である。憲法のこの三つの条項に違反する途方もない悪法であると私は考えます。憲法違反ということについて、私、今日のこの公述の最後にちよつと申上げたいことがありますが、第二条について結論として私はそういうふうに考えておるのであります。  その次に炭鉱の問題、第三条の問題、第三条では、いろいろのことが謳われておりますけれども、人に対する危害を防止する、これは御承知のように労調法第三十六条にすでに規定があるのでありまして、この法律を待つわけではない。鉱害を防止する。これは付け足りであると思います。今日までストライキが鉱害を惹起したという何らの問題が起つたことを聞いておりません。又鉱害防止ということだけを単独に取上げる、そのために、単独に立法を考えるというならば、これは問題は別であります。併しながらそういう建前になつておる。結局のところ、第三条本法案における石炭産業関係の規定、これの中心は、資本を守るということに帰着する、そう考えざるを得ません。それならば資本に重大な支障を与えるというようなストライキは禁止されてよいか、ここで又一つの例について考えたいと思いますが、今ここに或る工場がある。で機械があり労働者が働いておりますが、この工場はその建物に屋根がありますけれどもその屋根は柱によつて支えられていない、人間が柱の代りに屋根を支えておる、仮にこういう事態を考えます。どういう理由ですか、人間が屋根を支えていなければその屋根が保たない。そこでそういうこの事業場がありまして、そこでこの場合に雇い主のほうがこういうことが言えるであろうか。屋根を支えておるそういう労働者に対して、そりや君は賃金は安いかも知れない、労働条件に不満があるかも知れないが、併しお前が手を離してくれては困る。お前が手を離しては屋根が落つこちる。そして下にいる労働者が死ぬかも知れない。下にいる労働者が死傷する。併しこれは先ほど申しましたように、労調法第三十六条ですでに禁止されていることなのですから、その観点はここでは問題にならない。それでここで問題になりますのは、お前が手を離せば屋根が落つこつて来て下の機械が傷つくかも知れない。そして又もう一回屋根を上げなければならない。そしておれが非常な損失をこうむる。それでおれはストライキをやつては困る。一体こういうことが今日の憲法の建前の下で成立つだろうか。一般の労働者はそういうストライキ行為はやらないと思います。屋根の下で働いておる普通の機械について仕事をしておる労働者はストライキをやつたとしても、屋根を支えておる労働者は手を離して屋根をぶつこわすということは通常しないと思いますが、併し通常やらないだろうということと、法律上やつちやいかんという禁止をするということとは全然別のことがらであります。資本に重大な損失を与えるからストライキを禁止する、お前が手を離せばおれが大変な損失をこうむるからお前は手を離してはならんということは、社会に迷惑を与えるからストライキを禁止するということを先ほど電気の関係で批評いたしましたけれども、その考え方よりも更にひどい強制労働、憲法十八条で禁止しております「その意に反する苦役」に服せしめるところの雄なるものであろうと考えるものであります。  以上申しましたことに対してここでも二つの註釈を加えたいと思いますが、それはこういう法案を待たずしても現行の法制によつても、すでに第一点としてそういう資本に損失を与えそうな争議行為、与えそうなストライキ行為に対しては、使用者側では代替労働力、そのストライキ労働者の代りになる労働力を充当して、ほかから雇つて来て、そうしてこれによつてストライキ労働者に代らせるという方法が開かれておるわけであり、これはまあいわゆるストライキ破りの一つでありますけれども、通常のストライキ破りに対してストライキ労働者はピケツチングしますれば阻止できますが、併し普通の通常のピケツチングに比べますれば、この場合のピケツチングは非常に制約されたものにならざるを得ない。これは学者の通説であると考えますが、つまりこういうことであります。屋根を支えておる労働者にお前が手を離したら屋根が落つこちるから困るということになれば、労働者としてはいよいよ明日から私もストライキをやるという予告をいたします。そうすると資本家のほうでは屋根のつぶれるのを黙つて見ている、そこまでの損害を自認する、そこまでの法律上の義務は今日ないんでありまして、それならば、ああそうか、それじやほかから人を雇つて来てお前に代つて屋根を支えてもらう、代替労働力を充用する。そういう権利はもとより使用者の権利であります。その場合に労働者側が代替労働力、屋根を支えておる労働者がほかから来る、これに対して強硬なピケツチングをやりスクラムを組んでこれを阻止する。これは普通の場合のピケツチングと違つて、現行法上そこまでやることは正当の範囲を逸脱している。そこまでのピケツチングは合法とされないだろう。それが大体学者の通説であるというように考えるわけであります。なぜならばその場合の代替労働力の充用、平たく言えばスキヤツプの充用ということは、これは資本家が利潤を取ることではなくて自己の損失を防ぐためである、使用者として自衛のためのスキヤツブの充用、代替労働力を流用するのでありまして、そこでその場合のピケツチングは制約がある。現行法を以てしてもすでにそれだけの資本の損失の防止ということについての保護の途はあるということが註釈の一一つであります。  それから第二は、ストライキ権の濫用という場合は又別の問題であつて、資本に損失を加えるということ以外に何も目的がない、労働者として自己の生活権を守るためにやむを得ないストライキ行為だはなくて、ただただ資本に対する損失だけを狙つたそのような保安放棄のストライキ行為、これはストライキ権の濫用ということでございまして、一般の権利濫用についての一般原則に従つて判断するわけであります。権利の濫用は権利にあらずという考え方がこの場合にも適用される。で、結局この現在の法制によつても、すでは今申しました二つの点において使用者に対しては保護がある、或いは対抗手段がある。で、法律上これだけの資本に対する保護手段があるにもかかわらず、なおそのようなストライキ行為を禁止する、つまり労務不提供ということそのものを禁止するそれ以上に、労務不提供という以上に積極的に何か施設をこわすとか何とかいうことは問題が別であります。問題になるのは労務不提供というそのようなストライキ行為、いわゆるウオーク・アウトそのもの、それを禁止するということは、先ほど申したのと同様に憲法十八条に違反する。インヴオランタリ・サーヴイテユードの禁止に違反し、憲法十八条に違反するのみならず、憲法二十八条に違反するこれ又途方もない悪法であると私は思います。  私、先日の衆議院労働委員会における公聴会、ここで多くの労働法学者がこの法案についての意見を述べておられます、それをつぶさに拝読いたしましたけれども、結論は皆さん反対だ。併しその反対の仕方はいろいろな程度の差がございます。ある方は、この法案は賢明でない、だから反対する。或いはこの法案の考え方は疑問である、だから反対する等々、いろんなニユアンスがございますが、私は、或いは他の学者のかたがたよりも更に強く反対するという気持であるかと、この速記録を読みながら考えたのでありますが、私はこれは憲法に違反する途方もない悪法だ、だから反対だ、こういうのが私の意見でございます。国会においてあんまり激しい言葉を使わないのはエチケツトであるかと存じますけれども、併し又学者は自己が信ずるところを言う義務があると思いますので、私がこの法案について考えますことを正直に以上のごとく申上げた次第です。  なお一つ注意いたしたいと思いますことは、第三条石炭関係、これが若し仮に成立いたしますと、非常な濫用の危険があるのであります。これはつとに法律家によつて指摘されております。戒能教授などもそのことを指摘しておられましたけれども、極く最近七月二十二日、一昨日の朝日新聞の朝刊を見ますと、常磐炭鉱地帯を見に行つた記者の視察記が出ております。それによりますと、常磐炭鉱の鉱業所の次長という方が、この法律ができれば排水通風の保安要員は勿論ストライキができない、そればかりでなく、カツペ採炭をやつている場合には採炭しなくても地盤が崩れるから保安のために採炭が必要である。採炭そのものも保安のために命令され、且つ石炭の自然発火を防ぐためには運搬も必要である、こういう意見を述べておられるそうであります。然らば炭鉱労働者において保安の放棄が禁止される名目はいいようでありますけれども、こういう法律ができれば恐ろしく広範に解釈されるという危険性は、もうすでにそう言つている人もあるのですから顕著であります。採炭も保安である、運搬も保安である。そうなると一体炭坑労働者としてはストライキは何にもできないということになるわけでありまして、仮にこういう法律ができたとしても今のような解釈はもとより行き過ぎである、として、裁判所あたりに行つたら恐らく通りますまいけれども、併し少くとも使用者側はそういうことを言つて来るだろう。且つ又検察、警察等々がそのような解釈に動かされてそこでいたずらに紛争を起すということが憂慮されるということを付け加えて申上げます。  以上で私の意見は大体終りましたのですが、なお立法技術的なものとして申しますと、罰則が付いていないということに関連していろいろ問題がございます。ちよつと時間がございませんから極く簡単に結論だけを申上げたいと思いますが、この法律が仮にできたといたしましても、刑事制裁は何ら伴わないだろう、この法律に違反する行為をやつても刑罰を課せられることはないであろう。これは大体先般の衆議院の公聴会における労働法学者の諸氏の御意見を読んでみましても、この点については大体これが通説であろうと考えるのであります。それでは民事的な制裁はどうか。この法律に違反すれば損害賠償をとられる、労働組合或いは当該労働者が損害賠償をとられるだろうか。これは私は民事的な制裁もあり得ないと考えるものであります。但しこの点については恐らく異説がございましよう。私の説は少数説になるのではないかと思いますが、私によれば民事的な制裁も課せられない。民事的な制裁を以て縛つて労働させるということは、刑事的な制裁で縛つて労働させるということと同様にやはりインヴオランタリー・サーヴイテユードということになる。そういう点から私はこの法律が仮にできてそれに違反があつても民事制裁はあり得ない、こう考えるものであります。けれどもこの法律ができ、そしてそれが更に検察庁、警察を含む今日の政府、或いは今日の使用者側によつて運営されるということになりますと、そのようには解釈されないという虞れがあるのであります。刑事制裁も伴う、民事制裁は言うまでもない。このように解釈される虞れが多分にあると思うのでありまして、そのことによつて或いは労働者の人権の蹂躪、或いはいたずらに事端が繁からしめられる。そういうことが起るであろうことと憂慮するものでございます。  最後に私、以上の法律上の意見の中で、憲法に違反する、私の考えによればそうだということを申上げました。人あつて私にこう申すのであります。国会の公聴会に行つたときには憲法違反だなんということを言つたつて通じない。憲法違反はなれつこになつておられるから国会議員の諸氏は憲法違反なんということは言つてもだめですよ、こう言つて忠告なり助言をして呉れた方々がございます。併しながら私はそれは真実でないことを望むものでございます。真実であると信じたくありませんが、併しまあそう心配してくれる人もありますので、一言蛇足でありますけれども申しそえたいという気になつたのでございます。仮にストライキの禁止、憲法違反ということについての感覚の問題であると思いますが、私の考えによれば憲法は革命に対する防波堤である、或いはむしろ革命に対する安全弁であるといつたほうがいいかも知れません。憲法というものはさようなものだと考えております。ストライキの禁止ということについて考えてみましても、憲法の規定乃至精神に違反してストライキ権をぎうぎうに圧縮して参ります、どんどんストライキ権を締め上げて行つてそれで納まるものではないと私は考えるのでありまして、ストライキ権をとことんまで圧縮してしまうということになれば労働者階級全体としてみれば労働者は生活もできない、人格もふみにじられどうにもしかたがないということになれば、そこで法律の枠をふみ破らなければ生きる途がない、ふみ破るほか助かる方法がない、こういう気持に労働者がならないだろうか。私はならないという保障はないと思います。それが即ち革命ということではなかろうか。人の首をじわじわ締めて行つてそうしてお前は抵抗するな、こう言つてもこれは無理であると思う。そういう意味で私は一般に憲法というものは革命が起ることを防ぐための安全弁であり、或いは防波堤である、かようなものとして十分尊重されなければ事態は危険であろう、こう考えるのであります。  立法における良識ということと関連することでありますけれども、私先ほども申しましたが、衆議院の公聴会における記録を詳細に読んでみましたけれども、衆議院では五人の労働法学者が公聴会で意見を述べておられます。東京大学の石井教授、有泉教授、一橋大学の吾妻教授、早稲田大学の野村教授、和歌山大学の後藤教授、これらは今日の日本の労働法学界におけるオールスター・キャストであります。この五人の労働法学者がことごとく本法案に反対の意見を述べておられます。およそ労働法学者の何もことさら反対の方だけを選んで公述を求められたのではなかろうと思うのでありますが、私ほかの関係の学者について存じませんけれども、労働法学者に関する限りは事実上この法案に反対の意見を持たないような学者が、私の知るところでは一人もいないのであります。そのような労働法学者がことごとく反対しているような、それにもかかわらずこの法案が成立するということであれば、これは容易ならざる事態ではなかろうかと私は思うのです。今日の政治或いは今日の立法の状態に対する危険信号ではないだろうかと考えます。たしか古い言葉に、人盛んなるときは天に勝ち天定まつて人を制すというような言葉があつたかと記憶するのでありますが、立法における良識を代表するものは実に参議院である、こう言われております。私はそれでありますから以上のようなことをことさら時間を取つて申しそえたくなつたわけでございますので、どうか申すまでもないことでありますけれども、お考えを頂きたいものである。憲法を尊重するということの意味について厳粛にお考えを頂きたいものである。  以上を以て私の公述を終ります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 以上を以ちまして午前中に予定をいたしました公述人の公述は全部終了いたしました。御質疑のある委員諸君は意見を求められる公述人を指名せられまして御発言を頂きたいと存じます。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 北岡さんにちよつとお尋ねしたいのでありますが、北岡さんは相当お品が悪いのかとも思うのでありますが、私どもにも関連いたしますことでございましたので、重ねてお尋ねをいたしたいと思います。  電気をとどめ或いは坑内を水浸しにするようなことを合法というなら、それは暴力革命を合法化するものである、そしてこういうことを禁止するのは曾つての軍部のようなものであるというようなお言葉がございましたが、その前に、この法案に反対をするものは、反対ストをやつておるやつらは、それは民主政治を紊るものだ、いわば脅迫だという言葉ののちに、問題は八千万国民に対するそれが脅迫であるといつたような意味のお言葉があつたと思うのでありますが、国会が若しこの法案に反対をし或いはそういう労働組合の幹部に動かされるならば、国会が労働組合の幹部に負けるものだ、或いは一部の階級のために左右されるものだ、こういう御意見であつたと思います。私ども参議院として公聴会を開いて御意見を承わりますのも、法案について今日は第三者、学者でございますから、まじめな科学的な御意見を承わりたいと考えておるのでありますが、そしてそれを法案審議に役立てたいと考えておるのでありますが、若しこの法案に反対をするものは、一部の階級のために左右され或いは国会が幹部に負けるというのは、どういう意味でありまするか。これは議院或いは国会の審議にも影響を及ぼそうという御意図だとも思いますけれども、或いはお言葉を逆にお返しいたしまするけれども、私どもに対する多少の脅迫ではないかと考えるのでございますが、一つ重ねてその点を伺いたいと思います。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 私は現在国会のこの法案の審議に対しまして、これに反対するのだといつてやつておる人というものは、これは甚だ不穏当なものである。これは私は民主政治に合わないものであると思う。これはもう私だけの意見でなくて、多くの学者がそういうことを言つている。一体労働者が与えられているストというものは、労働者の生活権の擁護のためであつて、このストという大きな権利、殊に石炭とか電気といつたようなものをとある、いわば国民の息の根をとめるような、こういうような力を以て政治に影響するということ不穏当だと思う。これに屈して、私は条件付きですよ、これに屈して国会がこの審議を思いとどまるならば、これは民主政治を毒する。こういう条件付きで言つたのですからお聞き違えのないようにお願いします。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 そういたしますと、反対ストに屈するならばと、こういうお話で、国会の自由な審議に対して自分のストに対する所見を言つたので、或いはこの法案に反対するる或いは賛成する等については別に御意見をそこで述べられたわけではないと、こう了承してよろしうございますか。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) もとよりそうであります。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 重ねてもう一度お伺いしたいのでありますが、公述が教授、学者の御意見でございますので、そういうように私ども拝聴いたしておつたのでありますが、冒頭に停電スト等によつて僅か十万程度の人によつて八千万の国民が苦しめられた、こういうお言葉でございましたが、もう少しその点学者的に、科学的に八千万国民がどのように苦しめられたか、数字は要望いたすわけではございませんが、もう少し具体的に御説明頂きたいと思います。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 私の言つたことは、十万余りの電産労働者の取引の手段のために八千万の国民に目もくれぬということは、法律が保護するところの利益のバランスを失する。法律は十余万の電産労働者を保護しなければならん、これはもとよりでありますけれども、その保護のために八千万の国民に迷惑をかけるということは権衡が取れないということを申上げるのであります。その数字につきましてはいろいろな説がありまして、これによつて何百億の損害をこうむつたとか、如何に病院で困つたとか、我々の家でも蝋燭を灯さなければならんとか、それから工場が止つて労働者が賃金を失つたとか、私は一々八千万の人が具体的にどんな損害をこうむつたかと言うことはできませんけれども、八千万国民ということは全国民、国民一般がこれによつて迷惑をこうむつたというところの普通よく言う日本語であります。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 私どもは停電スト、或いは最大限の場合二五%云々と言わつておりますが、具体的にどのような影響を与えたかということは、私どもも現地等に参りまして、実ば調査をいたしたのでありますが、八千万、或いはすべてでないかも知れないけれども、八千万という数字はこれは権衡の問題を言つたので、数字そのものは、いわば日本語でということでしたが、白髪三千丈式の表現としてなすつたと、こういうふうに承つてよろしゆうございますか、その点重ねて承りたいと思います。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) そうじやありません。そういう白髪三千丈式の答えじやない。国民一般という言葉なんです。私は国民一般がこの停電ストで迷惑をこうむつたということは、これはどうも私は国民一般の常識であろうと思う。その点は水掛論をするより、これは一般に聞けばわかるだろうと思います。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 その先は意見の食い違いになりますから御質問をやめたいと思いますが、浅井、磯田両先生、公共の福祉とそれから団体行動権ということで、憲法上の問題としてお二人とも述べられたのでありまするが、その公共の福祉についてはお二人の表現が違つておりまして、憲法に相反するという点をいずれも述べておられましたが、浅井先生は公共の福祉は動くものであるというような御意見でございました。それから磯田先生からは奴隷的労働或いは拘束をもたらす結果になる、そういう公共の福祉というものはないはずだと言い、或いは公益事業令と憲法等との法上の比較等もあつたかと聞いたのでございますが、公共の福祉というのは他の法律等を見ましても、非常に概念が不明確でございます。磯田先生の場合に便益という言葉で表現されましたが、或いは公益という言葉で呼ばれておるときもありますし、或いは公共の福祉の中に別な法によつて内容が与えられておる、規定されておることもございます。ただ私どもは公共の福祉が曾のつての公益概念のように、だんだん広汎になつて、これが一つの指導的な法律を貫きますいわば指導理念となるならば、これはフアツシヨン法になる危険性があると考えておるものでありますが、公共の福祉どいう概念につきまして、もう少し具体的に御説明を頂きたいと思うのであります。例えば具体的な点として、私は最近気がつきましたのでは、鉱業法等においても、或いは保健衛生、或いは林業、農業、その他産業云々という言葉が使つてあるわけでございます。これは鉱業権と他の法益の比較の場合に上つて来た言葉でありますけれども、それが単なる所有権、或いは法益であるのか。或いは法益という言葉も別なところに使つてございますが、法益の中に入るか。或いは政府の説明等によれば、それらも公共の福祉の中に入るような説明もなされておるわけです。従つて、実体法上においても、或はその解釈においても、非常に動いておるということはまあわかるのでありますが、そこで公共の福祉概念を、或いは憲法制定当時の概念、或いはその後の変化、或いは最近の実体法上の概念等から考えまして、もう少し承わることができれば、大変仕合せに存じます。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) 公共の福祉というのは、先にもお話しましたように、従来日本で公の秩序、善良の風俗、こう言つて参りましたのと私は同じようなものではないかと思つております。かようなものが、先にもお話しましたように、内容空虚な一つの形式であつて、これが時代と共に内容が変つて行く、つまり時代と共に社会的、経済的な事情の変化がありまして、かような変化に応じて、いろいろな社会意識というようなものも変つて参りまして、それに応じてその空虚な形式を埋める内容というものが変つて来ると、かように思うのでありますが、本来かような公共の福祉とか、或いは公の秩序、善良の風俗というようなものは、私的所有権、こういうものは絶対な不可侵的なものであるというふうに考えておりまして、こういう権利をそのまま放任しておいた場合にはいろいろな弊害を生ずる。そこでこういうような弊害を除去するために公序良俗というような概念が強調されて参りまして、そうしてかような概念によつて私的所有権の不可侵性というものから生ずる弊害が除去されて来たものであると思います。そういう意味におきまして、こういうような公共の福祉とか、或いは公の秩序、善良の風俗というよな法形式は、国民の基本的人権を守るという役割を果して来たものであると思います。そういう段階があつたのでありますが、併しながら、だんだんだんだん安定した社会というものが崩れて参りまして、そうして持てる者と持たざる者というようなものが相対立していろいろ抗争し出した、そうして持てる者が社会を支配し、そうして政治をも支配し、政治をやつて行くと、こういう段階になりますと、そういうふうな公共の福祉とか、或いは公の秩序、善良の風俗というような法形式が今度逆にそういう持たざる者を支配するための契機として機能を打出して来る。というのは、例えば戦後一般公務員は、労調法によりまして、非現業公務員はストライキを禁止されたのですが、現業公務員はストライキ権を与えられ、国鉄や全逓なんかがストライキ権を持つてストライキをやつて来ておつた。こういう場合に、一向それが公共の福祉に反するというようなことは言われなかつたのであります。ところが、その後いろいろな世界情勢、或いは政治情勢の変化と共に、公共の福祉という観点からいたしまして、昭和二十三年の七月三十一日の政令二百一号によつてこのストライキ権が奪われた。つまりその昭和二十三年七月三十一日前においては、公共の福祉というものは、そこでは問題にならなかつたのでありますが、そのときを機といたしましてそれが公共の福祉に反するのだと、若しそういう現業公務員にストライキ権を与えるということが初めから公共の福祉に反するというならば、初めからそれを禁止したらよいのですが、それを禁止しなくて、昭和二十三年七月三十一日を機としまして、これは公共の福祉に反すると、こういうので禁止し出したと、ここであります。だからその場合に、その公共の福祉の内容となつておるものは何かというと、これは国鉄や全逓なんかがストライキをやると一般の人に迷惑をかける、日常の平穏な生活を脅かすものである。そこで、かような日常の平穏な生活というものが公共の福祉だというように説明して、そういう公共の福祉を擁護するというところから、国鉄や全逓なんかのストライキ権が奪われたのであります。併しながら、この七月三十一日の前と後においてそう俄かに、そういう公共の福祉の内容というものが、変るものじやない。だから、表面そういうふうな一般日常の平常の生活を安穏に維持するということが、公共の福祉であるとするならば、その前もやはり禁止すべきであつた。禁止しなかつたのは、結局は公共の福祉というものが言われておるようなものじやなかつた。というのは、昭和二十三年七月三十一日の頃の全官公を中心とした賃上げの労働攻勢が盛んに打ち出されまして、或いは八月労働攻勢が強化するかもわからないということが恐れられておつたのです。と同時に、その頃から漸時インフレが収束して参りまして、企業の合理化をやらなければならない。企業の合理化は必然的に、大量の人員整理を伴う。これは資本主義社会における企業の合理化は、そういう形で行われる。その場合に強い労働攻勢が起つては、それができない。まあ、いわばそういう予想される労働攻勢に対処するために、ああいうふうなスト禁止という政令が出たのであると思うのであります。となればここにいう公共の福祉というものは、実はそういう国民一般の日常生活の安穏というものじやなくつて、資本攻勢を強化とる、それによつて、そういう資本家を結ぶ政治を安泰に行う。即ち政権を維持するということ、まあそれが公共の福祉の実態であつたのではないかと思うのであります。それから先についでにお話しておきたい思いますのは、そのスト規制法案に反対する者は、何か意図を持つて、労働者の手先になつて危険思想を持つて何かやろうとしておるというような発言がありましたのでありますが、そうして八千万の国民が迷惑をする、それを知りながらこういうようなスト規制法案に反対するというのは、何か意図があるというような発言がございましたのでありますがこれは非常に学者を侮辱するものであると思うのです。というのはストライキ権というのは、これは労働者にとつてみたら唯一のこれは生存権でありましてこれを奪われた場合においては、奴隷化される、奴隷と同じような状態になる。そのストライキ権を奪われた多くの従業員が別に餓死しておるというわけじやないわけで、ストライキ権を奪つたところで、一向生存に関係ないではないかというようなことを資本家側の人が言うのでありますが、併しながらその場合の生存権というのは憲法二十五条が言てつおるような健康にして文化的な最低生活でありまして、犬や猫のような生活じやない。生きて行くだけならば、残飯を食つて、橋の下に寝ておつても生きて行かれるのですが、これじや人間の生活じやない、動物の生活なんだ。だから健康な而も文化的な生活を享受できる人間としての生活なんです。果してかような生活をストライキ権が奪われた場合において保障できるかと言つたらば、これはできない。こういう生活か保障されていないが故に、ああいうようなストライキを以て労働者がいろんな闘争をやつておる。だからその生存権というのは、ただ生きて行くだけの権利、犬や猫と同じように生きて行くという権利じやない点であります。それから八千万人が迷惑をこうむつたというのですが、これは私は少くとも、迷惑をこうむらなかつた。私の家族も同様であります。私の友人も迷惑をこうむつたと言つて泣言を言つたものはいないのです。だから八千万というのは、ちよつとこれは全部の国民になるのですからして、言い過ぎだと思います。それからここにいう迷惑というのは、例えば蝋燭をつけなきやならないというのですが、蝋燭をつけるというのは、年百年中蝋燭をつけておつたらば、これは人間の生活、文化生活と言えないのですが一日や二日蝋燭をつけたところで、文化生活が阻害されるわけでもないし、生存権が脅威にさらされるというわけでもない。八千万人の人がその生存権を脅されるというのならば、これは問題であります。そうじやない。ところがこのストライキ権を以て争う労働者にとつてみれば、これはまさに生存権を獲得しようというものであります。だからそういうような迷惑をこうむる、たくさんの人が迷惑をこうむる、その人の数と迷惑というものとをストライキによつて争うものと比較した場合に、これはもう殆んどストライキというものは許されない。単に電産炭労だけじやなくて、ほかにも幾らも出て来ます。そういうふうな損害があるにもかかわらずストライキ権を認めるに至らしめたのは、これは外国におきます多年の闘争、労働者が多年の聞苦しい闘争をして来たということのみならず、学者も非常に論争したのであります。十九世紀から二十世紀に亘りまして、かようなストライキ権が権利として認められるかどうかということを論争しました。その結果かような相手方のみならず一般公衆に対しても迷惑をこうむらす、それが正しいかどうか非常に論争された。一九〇七年のドイツの法曹大会におきましてもロージンがこの点を強調いたしまして、その大会においてドイツにおいてはそのような一般の第三者がこうむる損害というものも、これは第三者は辛抱しなきやならない。そういうものの損害賠償の請求はできないのだということを述べて、それがその法曹大会において認められたということもある。これはそういう労働者の闘争と学者のいろいろな理論闘争の結果、ストライキ権というものが正当な権利と認められなければならない。それで又民主化のためにこれは必要なる権利であるということになつたのでありまして、単に単純に一般の人が迷惑をこうむるというような非科学的な言葉で以てかようなストライキ権を否定するということは、学者として私は適当ではないと思うのであります。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 速記を始めて下さい。

田中啓一自由党

○田中啓一君 磯田先生にお伺いしたいのでありますが、労働関係調整法の第三十六条、それから鉱山保安法の第三条、四条このあたりの規定は、別に憲法違反ではございませんか。今御引用になりました条文であります。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 労調法三十六条は憲法違反ではないと思います。その理由まで必要でございますか。

田中啓一自由党

○田中啓一君 よろしうございます、その理由は……。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 鉱山保安法はちよつと私条文を調べますから……。

田中啓一自由党

○田中啓一君 「保安」とは、」という定義が書いてあるのですね。それから更にその内容を少し詳しく書いておる、第四条でございます。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 鉱山保安法三条乃至四条、これは使用者と申しますか、事業に対する、ほかの言葉で言いますと、鉱業権者に対する義務でありまして……。

田中啓一自由党

○田中啓一君 両方でございます。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) それは五条の関係であります。

田中啓一自由党

○田中啓一君 悪うございました。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 五条の関係で問題になるのは、鉱山保安法第五条に基いて、石炭鉱山保安規則第四十七条第三項というのにございます「鉱山労働者は、坑内排水用ポンプ、扇風機、巻揚機その他の保安上特に必要な施設の維持および運転を妨げ、または停廃してはならない。」恐らくこれでございましよう。

田中啓一自由党

○田中啓一君 そうでございます。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) これは、この規定自体は若し特別の立法がなければ、労働組合法第一条、第二項と併せて考えらるべき問題でありまして、従つてこの規定がある、だからストライキのときにも無条件でこういうものをとめちやいかん、こういうことにはならんと思います。若しも人命の安全の問題であれば労調法三十六条でとめられるわけであります。労調法三十六条は、これは憲法違反でない、こう私は考えておりますが……。

田中啓一自由党

○田中啓一君 わかりました。  そこでもう一つお伺いしたいのは、国家公務員法、地方公務員法或いはいわゆる公労法、地方公労法というような法律も憲法違反とはお考えになりませんか。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 国家公務員法の場合には、国家公務員がストライキをやれば、刑事制裁が来るのではないかということは、学者の間に説が分かれておるのであります。併しながら私はストライキが処罰されると、こういうのでないにしろ、共謀する、それから煽るとかいつたようなことが処罰されるということから、事実上ストライキは処罰を免れないだろう。法律上そう考えますので、そこで国家公務員法のその点に関する限りはこれは明らかに憲法違反だとこう考えます。  それから公労法の場合には、憲法の精神に違反するということは、私はもう信じておりますけれども、併しながら憲法の条文に違反するかどうか、そういう意味で違憲であり無効であるかという点については、私はちよつと所定を躊躇いたします。その理由は、国家公務員法の場合と違つて、ストライキをやつても刑事制裁を受けることになつていない。ただ解雇されるということでありますから、そこで解雇と言つても同じじやないかと、何も刑事制裁で強制するだけが憲法上のいわゆる憲法違反でない。首切りで強制するのも同じじやないか、こういう考え方に立てば、これは同じ憲法違反であると、こういうことでありますけれども、併し少くとも国家公務員法の直接刑事制裁が来るのではないという点で、いわゆる憲法違反であると主張することは私は多少躊躇いたしております。

田中啓一自由党

○田中啓一君 先ほど伺つておりますと、今の公務員法或いは公労法の場合にあつては、それぞれ憲法で保障しておりますところの、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する機関が置いてある。これはまあ非常に少くとも違反を緩和しておるというような心持のお話であつたように思うのであります。従つて、今度のこのいわゆるストライキ規制法もそういうような機関を置けば、よほど緩和されるようなふうにお考えでございましようか。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 理論的にはそうであります。併しながら果してそのような、おつしやるように憲法違反を避けるために……私はちよつと申添えますと、公労法については憲法違反であるということを断定するのに躊躇するのにもかかわらず、なぜにこの法案には躊躇することなく断定するのかと申しますと、それは一方では、今御指摘になりましたように、即ち争議権の剥奪の代償が与えられていない。公労法は一応与えられておる。決して十分とは言われないが、一応与えられておる。その点が一つ。それからもう一つは、法益権衡というようなことが先ほど出ましたけれども、その場合に、一方はこのストライキ権というものにかかつているのは生産権であるのですが、それと比べられるこちら側の破壊の他方にあるのは何かということになれば、公労法の場合と、それから例えばこの法案第三条資本の損失というような場合と、これはやはり破壊の大きさが違うのであろうと思います。そういう二点から以上申上げましたような公労法に対する場合と、それから本法案に対する場合と私の了簡が違つて来るということであります。それをちよつと申上げます。ところで今の御質問の何かの然るべき代償と申しますか、そういうものがあればいいのだということでありますが、理論的にはそうであります。併しながら代償というものは事実上むずかしいのではないか。例えば強制仲裁制度、私は強制仲裁というものは、私個人反対でありますが、私の反対することにかかわりなく、第一労働組合が反対である。のみならず使用者側が反対である。先日日経連が何故に我々は強制仲裁制度に反対するかという詳細な書き物を頂きましたが、かくのごとき状態では代償はむずかしいのではないか。それで理論的にはおつしやることは御尤もでございますけれども、プラクテイカルにはそういう代償は提供し得ないのではないかということを心配いたします。

田中啓一自由党

○田中啓一君 そこで二つの問題のお答えを願いまして、その結果から私が考えますのは、今回のこのスト規制法の二条、三条あたりに含んでおるところは、又一条、二条、三条と言つていいかと思いますが、まあ労調法三十六条に含む範囲内のことなら、それはまあ憲法違反とは言われまいが、もうちよつと広く含む部分が自分はいかんのだと思う、こういうふうにまあお話が伺えたのでございますが、従つて一部分はよろしいが一部分はいかんと、こういう御意見と考えてよろしいのですか。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) まあそういうふうに解して頂いても結構でありますが、但しもう少し正確に申しますれば、労調法三十六条ですでに含まれておる、すでに禁止されておるものに屋上屋を架して禁止法を作ることは、意味がないと私は思うのでありますが、その点をちよつと留保すればおつしやる通りでございます。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 淺井先生に一言だけお伺いしておきたいと思いますが、先生のお話で、労働者側も賃金の喪失という被害を覚悟してやむにやまれん立場からストライキに入るのだから、それを鼻唄でも歌いながらできると考えるのは大きな誤りであるという、御尤もなことと思うのですが、ただ一般の産業の労働争議については、そのことが一つの留保もなく当てはまりますけれども、電産の場合には多少違う事情があるのじやないかとお考えになりませんか。と申しますのは、特に電産のこの水力発電の場合の電源ストのごとき場合には、極く僅かの電産側労働者の、電気関係の労働者の一割に足らん人がストライキをやれば、九割何分の人が賃金をもらいながらストライキがやれるのである。経営者のほうも定額料金はちやんととれる。ストライキをやつてもとれる。メートル制の場合でも大体まあ検針などをやらずにそのまま前月分をとつちまうというような例が行われておるようです。従つて電産の場合には、電源ストの場合には労使双方とも余り被害をこうむらずに争議が行われて、それで第三者が被害をこうむる。こういうような場合がありますので、先生の先ほどお話になりました一般論がそのまま当てはまるがごとき特殊性があるのじやないか。この法の提案理由を見ますと、どうも電気事業の特殊性ということを頻りに書いてあるけれども、特殊性があるのはむしろ事業自体より争議手段にあるのじやないか、こう思われます。その点についての先生の御所見をお伺いしたい。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) 電源ストの場合、僅かの労働者のストによつて莫大な損害をこうむらすようなストができる……。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 いや、そうでない。つまり問題の焦点は、損害との関係でなく、大部分の労働者が賃金をとりながらストライキがやれる。経営者のほうも利益を失うことなくしてストライキをやれる、そういう点で特殊性があるのじやないか。一般論ではその点ができないのじやないかということをお尋ねしているのです。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) それは非常に強過ぎるストライキ権を電気事業の場合に与えることになるかという御質問ですか。ストライキの均衡から行きまして……。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 先生のお話は、ストライキの一般論でこの法律の御批判をなさつたようですが、電源の場合には、その一般論では行かんものがあるのじやないか。争議手段にそういう特殊性があるのじやないか。この特殊性をお認めになるかどうかということを伺つている。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) そういう僅かな人数のストライキでできるのだから、危険が非常に少いという特殊性ですか。その特殊性はそういう形で行われておるとすればございます。それはございますね。事実そういうようなことが行われておれば……。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 私はその特殊性をお認め頂ければ、それでいいのです。

淺井清信立命館大学教授

○公述人(淺井清信君) 特殊性故にそういうストライキ、送電スト、電源ストを全部禁止することは正当であるかどうかということは別問題なんです。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 磯田先生に一つ。これは先生の御真意が大分間違つて世の中に伝わるのじやないかと思いますので、特に確めておきたいのは、先生がさつきから、白髪二千丈式の話が他のところで盛んにありますが、先生のお説きになりましたのが、上海の軍人クラブの将校とか、アフリカの土工とかいう例をお挙げになりましたが、昨年の停電ストでろうそくをつけるという程度で済んだ人もありましようし、中小企業者で電気をとめられて、納期が遅れて相当損失をこうむつた中小企業者もあると思います。先生のお話では生存権は絶対的なものであつて、社会の便益はまあ相対的なものであるという意味のお話がありましたが、中小企業者のこうむつた損失には、必ずしも相対的とは言われん生存権を脅やかされた部分もあると思うのです。そうして見ますと、今日本で現実に行われた停電ストでそういう生存権を脅かされた人もある場合にはですね、そういう人が上海の軍人クラブの将校や、アフリカの土工になぞらえられるということは、相当先生の真意を誤まり伝えられる危険性があるのじやないか。こう思うのですが、その点。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) ちよつと御質問の趣旨がよくわかりませんでしたが、上海の苦力とか、南米等の土人、この例を挙げましたのは、これは単に道理を理解して頂くための糸口として挙げただけでありまして、それと日本の発電所労働者と同じである、そう申したつもりではございません。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 私の話を、表のほうから聞いておるのを、裏のほうからお答え頂いておるかと思いますが、発電労働者と上海苦力、アフリカの土人と日本の電産労働者を同じふうにしているのではなくて、それによつてこうむる第三者と言いますか、それの立場が上海の将校クラブの軍人と日本の中小の企業者と、それは全然別個のものではないか。上海の場合には将校がその暑いのを我慢すれば済んだ。日本の場合には中小企業者が納期が遅れて倒産に至るというような場合には、単なるそういう譬喩では済まされんものではないか。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 中小企業者が納期が遅れて、非常な損失をこうむられた。その責任は一体ストライキをやつた労働者にあるのか、ストライキをやらせた会社側にあるのかという問題は、私は先ほど公述で触れたつもりであります。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 私は北岡さんにちよつと二、三点について御質問いたしたいものですが、先生は先ほど一番最初に、国民に迷惑のかかるようなストライキをやつちやいかんということをお話しなされましたけれども、それに関連して、労働組合がこの法案に反対のためのストライキをやるということは、これは脅迫である。これは吉田さんからも御質問されたのですが、こういうお話でありますが、私はその点に関連して、ストライキというものの性格と、それから労働組合、民主的な社会における労働組合のあり方について、簡単でよろしうございますから、御所見をお伺いしたい、かように思うのであります。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 私は民主主義というのは、すべての人が銘々の意見及び利害を主張する主義であると思うのです。但しストライキといつたような、非常に強い権利なんですね、更に電気や石炭なんかのストライキというのは非常に強い権利なんで、これは軽軽に発動してはいかん。殊に電産の威力は余りないので、そんなにあの通りのストライキにいかないけれども、若し電産の命令一下三百万の労働者が全部ストライキをすれば、これは大変なことだと思うのです。これはストライキ権の濫用であると私はう思。これは私だけの意見じやなくて、一般の通説であると考えております。ストライキというのは、労働者の生存の確保のために与えられてあります。これによつて立法府を動かそうということは私は行き過ぎであると思う。これはいわゆる政治ストであつて、これは認められてはならないものであると考える。政府がこういうことをしてはいかんと言つておるにかかわらず、行われるならば、私はストライキを禁止するという法律を考慮せられていいのだろうと思います。これが私の所見であります。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 只今の御所見ですと、政治ストはいかん。法案に反対するストライキは政治ストである、こういう御所見のようでありますが、私がお尋ねしたのは、労働組合というものが一体民主社会における法案或いは国会に対してどういう態度をとるべきか、あなたは私などよりは外国の事例をたくさん御存じなので、私お教えを受けたいと思うのですが、例えば私どもがプレシユア・グループの一つとしてアメリカで労働組合をあげておる。ヨーロツパでも勿論、そのプレシユア・グループというものは、例えば立法や政治に対してどういう態度をとつているかということは、これは私よりあなたのほうが非常に詳しく御存じなんです。それらの点を併せて、日本において労働組合というものは一体国会とか或いは立法制度に対して、どういう態度をとるのがいいか、こういう御意見を伺いたい。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 今申しましたように、労働組合もですね、一つの意見の集団若しくは利害関係者の集団と思います。立法府に対して意見を述べるということはもとより差支えない。私が申しましたのは、ストライキというもの、同盟罷業、これらの影響というものは、労働者自身も困りますが、国民が非常にこれは困るのです。殊に今言つた電気ストといつたような、こういう国民の、併し又言葉が過ぎてお叱るを受けるかも知れませんが、国民の息の根をとめるようなこういうストライキ権の行使を以つて立法府を動かすことは、これはいかん。ストライキの権限の濫用に反対するのでありまして、そのストライキを行使しない限度におきまして、労働組合が如何なる政治運動、立法運動、啓蒙運動、宣伝報道をやろうと、それはかまわないと思います。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 例えば四十七年の六月か七月かでしたか、あのタフト・ハートレー法に対する反対闘争がストライキでもつて闘われましたね、アメリカで。ああいう場合とか、或いはフランスは別としまして、イギリスでも一九〇〇年前から、或いは一九〇〇年になつてから、殊に第一次大戦後においては、いろいろな政治的目的を掲げた闘争が行われているわけです。あれに対してあなたはどのようにお考えになりますか。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) あれはいけないというのが一般の通論であります。(笑声)だからイギリスなどにおきましても、あの一九二六年のストライキが不当であるというので、二七年には非常に強い政治スト禁止法ができているのです。アメリカなんかにおきましてもああいうふうなことで、トルーマンがあの中に捲き込まれたわけですが、それに対して議会は一層反撥して、トルーマン派を乗越えるような圧倒的な大多数を以てあの法案を通過させておる。これは私は健全な政治良識であると思う。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 それから問題点として第一に挙げられたのは、憲法二十八条には制限規定がない。併し如何なる権利についても公共の福祉ということで以つて制限があるということは当然認められなければならん、こういうお話でありますが、これは憲法の十二条乃至十三条を引用されてのお話でありますが、私は公共の福祉ということについて、あなたにちよつとお考えを承わりたいと思うのですが、というのは、一体公共という言葉はどういうことか、福祉ということはどういうことか、それからあなたは公益という言葉をお使いになつておるわけですが、公益という言葉と、それから公共の福祉という言葉とは同じなのかどうなのか、実は私はあなたのお考えを伺つて、それに浅井さんのお話も伺いながら、例えば公共とはどういうことかとか、福祉ということはどういうことかということを、ほんの少しだけの、私は学者でもないのですから、あなたのように全然専門的な知識を持つておりませんが、(笑声)単なる議員に過ぎませんから、その点をもう少し学問的にお教えを願いたいと思うのです。例えばリツチーのナチュラル・ライツ等は若干読んだことがあるのです。それらを私は今思い浮べているのですが、あなたの公共の福祉というものの概念、それをお伺いしたい。それからもう一つ、それと公共の福祉という概念が今日まで果して来た役割ですね。これはリツチーの本などにも良く出ているのですが、ああいうものを私は思い浮べながらあなたにその歴史的な役割というようなことをお教えを願いたい。このように思うのです。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 公共の福祉といつたような言葉は、私は趣く率直に意見を申しますというと、非常にイラスチツクな、弾力性のある言葉であつて、その時々によつて便宜変えていいと思います。又変えなければならん。憲法の二十八条、憲法全体を見ますると、あの憲法というのは、それは余り憲法を批評してもどうかと思いますが、そんなに学者が十分に考えた憲法ではない。専門家でない者が作つた。而もその動機もどうかと思われるのです。ああいうふうな憲法を国民に実際に甚だしい害を与えないように円滑にやつて行くためには、やはり各条文の意味を適当に解釈して運用しなければならんと思うのです。余りリジツドに、ノーマルに言葉にとらわれたのでは、余り巧妙ならざる憲法が一層円滑に行かないのじやないかと思いますので、私はお尋ねの言葉なんかは、そう厳格な定義というものがあるべきではない。国民生活の実際に即して解釈すべきものである、こう私は答えたいのであります。あなたからはそんなことは学者らしくないと叱られるかも知れませんが、私はそう思います。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 只今のお話ですと、どうも歴史的な役割等についてのお話がないのでありますが、私の乏しい知識で考えましても、公共の福祉という言葉が初めて公けの文書に現われたのはヴアージニアの権利宣言じやないかと思いますが、その後いろいろ文献には出て来るわけであります。そのヴアージニアの権利宣言や、或いはフランスの人権宣言等に現われた当時の公共の福祉ということが持つていた意味ですね。それからその後十九世紀から二十世紀にかけてどういう意味を持つて来たかというようなことについて、私は何かあなたのお話からはまだ十分納得できないのですが、もう少し具体的にお話を願いたいと思います。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) これは福祉ということはヴアージニア憲法が初めではなくて、或いはちよつと記憶が薄弱ではありますが、ローマ法にもあつたように思われます。これは法律と共にあるので、その辺からも大体私は時間がございますれば謹しんでお教えを受けたいのでございますけれども、私は立法府の皆さまとしてはこの憲法十二条といつたような言葉、それを日本の実際の国民生活に即して解釈下さるのがあなたがたの職務であつて、憲法の定義でこうだからといつて、本当に国民全体がそんな電産ストなんかやられてはたまらんというのに、それが憲法に規定があるからどうもできないというのでは、私は立法府の職責は困るのじやないかと思うのです。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 大変お叱りを受けましたが、もう一言、先ほど日本の憲法というものは学者が十分検討して作つたものじやないというお話をちよつと承つたのでありますが、今の憲法は、これはいわゆる民主憲法としては極めて不完全なものだ、こういうお話ですが、民主的な憲法として不完全だとすれば、どういう方向に改められるのが一番いいかということを一言最後にお伺いしたいと思います。

北岡壽逸国学院大学教授

○公述人(北岡壽逸君) 余り失言をするかも知れませんけれども、私は極く虚心坦懐に考えまして、日本の国民が選んだ議会が発案したものじやないのです。議会は発言権もなければ、修正権もない。国民の選んだ政府も発案権もない、修正権もない、こういうものです。どうもこれを民主憲法と言うには私は不適当だと思う。これをどうして改正して行くかということは、幸いにあの憲法も憲法の改正を禁ずるような、そんな無茶な憲法ではないのですから、ちやんと憲法の改正の途が講じてあるのですから、あれは改正なさつたらいいと思います。

井上清一自由党

○井上清一君 磯田教授に一つ伺いたいと思います。先はど磯田先生のお話の中に、どうも国会が余り憲法を尊重しないというようなお話があつたのです。これは私は決してそうは思いませんが、私どもは国会は憲法の条章によつて憲法の精神を尊重してこれまで立法もして来て参りましたし、又憲法の解釈におきましても、憲法の精神に沿つて私どもは解釈して来ていると思いますが、解釈の相違は或いはこれは学者とされましていろいろ御意見のある点は、これはあると思います。併し私どもは私どもなりに憲法を正しく解釈して立法し、又法規の改正すべきものは改正して来ておる積りでおるわけであります。その中で先ほど憲法二十五条、二十八条の解釈につきまして、これは私ども先生と違つた考え方を持つております。先ほど憲法十八条の解釈に関しまして、これはちよつと私先生にお伺いしたいと思いますが、このスト規制法、これは憲法十八条にも反するのだという御意見だつたと私は拝承いたしました。それで今度の規制法はストライキの方法を規制するという法案です。この法律の効果として、憲法十八条を御引用になつて「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない。」これに違反をするのだというふうな御見解、私どもはどうもこの解釈は御無理じやないかというふうに私は思います。それと同時に、「犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない。」ということですが、この苦役というのはインヴオランタリー・サーヴチユードという意味でお話になりましたが、私はストライキの方法を規制されることが即ち苦役であるというふうには、私どもは考えちやいけないじやないか。少くともインヴオランタリー・サーヴチユードということは、転職の自由もない場合を私は意味するのであつて、例えば曾つて監獄部屋というものがあつたとすれば、それがまあ該当する。或いは又強制労働というようなものがそれに該当するのであつて、ストライキの権利を全部奪つてもない、団体交渉権もある、団結権もあるという労働者を目して、インヴオランタリー・サーヴチユードだというふうにおつしやることは、これは私は憲法の解釈として非常に行き過ぎじやないかと私は思いますが、この点に対する御見解を承わりたい。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 初めの点でありますが、私先ほど申しましたのは、今日の国会、ましてや参議院が憲法を尊重しておられないと、そう私は判断していると申上げたのでは決してありません。そうであれば私はわざわざ公述したつて何の益かあらんでありまして、そうではないのでありますが、ただ私にわざわざそういうふうなアドバイスを与えてくれた人がある。世の中はそういうふうに見ているむきもあるのだということは私は憂うべきだと思つて、それですからそういうことがないことを信ずるが、又ないことを願う、こう言つたので、決して私はそう考えている意味ではないのであります。御了承下さい。  それから第三点、憲法十八条に関連いたしまして、御質問の趣旨は、退場職の自由があるじやないか、それからストライキできなくても強制労働とは言えないじやないかと、こういうことであろうと思いましたが、その点については私、昨晩衆議院の労働委員会における公聴会の記録を見て、東京大学の有泉教授が言つておられたことは、丁度、これがお答えになると思いますから、私だけの意見ではないのだと、多くの労働学者の意見であるということを例証する意味でここに引用させて頂きたいと思います。七月六日の衆議院労働委員会の記録でありますが、有泉教授はこういうふうに言つておるのであります。「そういう議論をすると、いつも末廣先生のお話を思い出すのでありますが、末廣先生は、」……これは民法に永小作人の規定があるのですが、ちよつと本題から離れて恐縮ですが、非常に適切なあれですから引用さして頂きます。」永小作人が長年収入絶無なような状態が続くと、永小作人は権利を放棄することができるという規定がある。」収入絶無で、収入が保障されていない、そういう場合には永小作人は小作権を放棄できる。「これをある学者が、これは永小作人を保護したのだ、」と言つた。それに対して末弘先生は、これを攻撃しまして、「それは死せよ、然らば病苦より解放されんというのに似ている、それとまつたく同じだという議論をしました。」そこでこれからが有泉先生の議論なんですが、「だから、労働者に退職の自由があるからスト権は制限してもいいじやないかというのは、まさに退職して死せよ、しからばスト権制限というような拘束から免れるであろうという議論と似ているのではないか、」こう有泉教授は言つているのであります。大体労働法学者の間では、退職の自由ということの考え方については、こういうふうに考えるのが多数の見解であるように思います。

井上清一自由党

○井上清一君 只今の御説明は私がいろんな例を挙げた中の退職の自由についてだけ御言及になつたわけで、私はストライキの方法が規制されるだけで苦役であるということは言えないということを私は申上げたのです。つまり団結権も持つている、団体交渉権もある、又或いは制限はされているけれども、罷業権も持つている。それを苦役であるというふうに御解釈なさることは、少し拡張過ぎる。ちよつと甚だ失礼かも知れませんが、大げさな私は解釈じやないかと、こうまあ私の意見を申上げる。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) そうでありますと、私は先ほどの御質問の点を或いは誤解しておりましたと思いますから改めてお答えいたします。私は先ほど御質問の中心点がそこにあると思つたのです。ストライキ権抜きの団体交渉権、これで一体労働者の生活権或いは生存権の保護が、保障が期待できるか、こう申しますと、遺憾ながら期待できないというのが客観的の真実であると思うのです。そこで例えば先ほどからも話が出ましたが、公労法の場合は、これは私は公労法における争議禁止、これは不適当であると思いますけれども、併しただあの場合にストライキ権の剥奪、それに代るものとして一応仲裁制度というものをあれして、これで労働者の、国鉄なら国鉄の労働者の生活権を何とか守るようにしよう。争議権剥奪に代る代償を一応あれで与えておりますね。然るに例えば本法案第二条、これを見ますと、実質上これは殆んどストライキ権を行うことができない、殆んど相手方に打撃を与えるようなストライキができない。ですから実質上争議権の剥奪に極めて近い、こう思うのでございます。そこでそういうことをやつておいて、その代償に何も与えていない、そこで仲裁制度はないわけですから、これをやることはこれはやはり争議権の剥奪に極めて近いものであり、そうすれば争議権を殆んど剥奪されたところの団結権或いは団体交渉権というものでは、労働者の生活権が守れない、そういうことを申上げたわけです。それから「その意に反する苦役」、憲法十八条では「その意に反する苦役」と、如何にも監獄で服役させられるようなああいう字を使つておりますが、これは日本憲法の英文はインヴオランタリー・サーヴチユードという言葉を使つてある。それ以後に亘つてインヴオランタリー・サーヴチユードというのはアメリカ憲法の概念でありまして、インヴランタリー・サーヴチユードの内容がずつと判例、学説等の上ででき上つて来ておりまして、そうしてこれはかなり広汎にそれが適用されております。従つてストライキを禁止することをインヴオランタリー・サーヴチユードと言うことが何か大げさだというお叱りを受けましたが、私ども労働法をやつておる人間は、それはさほど大げさなことではないのです。こう考えております。

井上清一自由党

○井上清一君 只今いろいろお話を承わりましたのですが、その一番あれにになります今度のストライキの規制というものが、例えば電産の場合に例をとりますと、致命的な争議権剥奪であるかどうかというところに相当認識の相違があるんじやないかと、こう私は思うのです。例えば電源ストとか停電ストはやれないという、じや事務ストというものはどの程度の力強さを持つておるものかという点について、私はもう一度やはりお考えを願つたほうがどうかと、こういうふうに私も思うのでございます。それで、事務ストというものは、これは会社にとつては非常に致命的な大きい痛手を受けるわけです。と同時に、昨日の公聴会におきましても、労働者側も相当の犠牲を払わなければできないと言う。それで、極めて電源ストなり休電ストというものは簡単にやれる、併しながらその電気会社は余り迷惑しない。労働組合のほうもそれほど大きな犠牲を払わなくてもおれる。併しならが対社会的に一般国民は非常な迷惑をする。ところがそれ以外の方法として事務ストなどは会社も非常に困る、組合も相当の犠牲を払わなければできない、こういうストライキの問題もあるわけなんですね。電源ストなり給電ストなり発電ストなりを制限することだけが、電産労働者に対して致命的なストライキの制限をやるのだという基礎に立つて私は憲法違反であるというふうに御立論になつているような感じがするのでございますが、この点に関して一つ御意見を承わりたい。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 残された手段として事務ストがあるじやないか、この事務ストというのがストライキの手段として致命的な打撃を与え得るのではないか、こういう問題だと思いましたが、これは私たちに、つまり事実問題としては私たちの意見を徴されるよりは、直接電気産業の労働者諸君の意見を徴されるのが適当であろうと思います。その理由は、お前の持つているこれを取上げる際、これを取上げられたら、これはお前どのくらい痛いかというと、これは端で見るよりも御本人が一番よくわかる。そこでその点については事実問題の認識という点については、或いは昨日お済みになりましたか、私よりは組合関係のかたからお聞きになつたほうが適当だろうと思うのですが、ただ私たちの第三者としての理解からいたしますと、只今おつしやたように、楽観的にそれは事務ストでも同様に致命的な武器である、こういうふうには私は遺憾ながら考えられない。私の事実認識が誤つているかどうか、これは当事者ではないからわかりませんが、私たちにはそう思われる。例えば私鉄のストライキ権を制限しよう、そこで電車そのものは停めちやいけない、電車は走らせなければいかんけれども、例えば下級の事務スト、これはよろしい、こういうふうにやることが、それで私鉄の労働組合によつてやはり致命的な武器をなお保存しているということが言えるかどうか、これは私は言えないのじやないかと思うのですね。そこで私の認識によりますと、事務ストだけが残されているということだけでは、実はストライキ権の、それは百パーセント剥奪であるとは決して申しませんが併し剥奪に極めて近いであろう。二〇%残るか三〇%残るか知りませんけれども、併し取上げられる部分が非常に大きいであろう、こういう意味で申上げたわけであります。

伊能芳雄自由党

○伊能芳雄君 磯田さんに憲法の十八条の問題に関連しまして、二つだけお伺いしたい。第一点は現在の緊急調整の制度は、憲法第十八条に違反しないかどうか。それから強制仲裁制度というのはしばしば論議されておりますが先ほどもお触れになりましたけれども、これに賛否をお聞きするのでなくて、現在の憲法下において、十八条に強制仲裁制度は違反するかどうか、これを伺いたい。

磯田進東京大学助教授

○公述人(磯田進君) 第一点の緊急調整制度は、私は憲法の条章に違反するとは考えません。私は緊急調整制度に反対でありますが、併しながら憲法違反であり、従つて無効である、ここまで強くは私としては言い切れないのであります。  第二点、強制仲裁制度が憲法に違反するかどうかということでありますが、これも大体同様であろうと考えます。強制仲裁制度を、私、制度は決して賛成はいたしませんけれども、併しそのような制度を設けることが憲法違反である。例えば電気のことについて、ほかの何でもない産業においては別でありますが、電気の場合について考えまして、強制仲裁制度が憲法の条章に違反するとは私は考えません。併しながら私の理解するところによれば、憲法の精神には適しないだろう、こういうふうには考えております。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 御質問も一応途切れたようでありまするから、甚だ恐縮でありますが、二時半に再会をすることにして休憩に入つてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 公述人のかたがたに一応御挨拶申上げます。長時間に亘りまして貴重な意見をお寄せ下さいまして、本法律案の審査に御協力を頂きましたことを厚く御礼申上げます。  それでは暫く休憩いたします。    午後一時四十五分休憩    ―――――・―――――    午後三時一分開会

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 休憩前に引続き公聴会を再開いたします。  初めに公述人のかたに御挨拶を申上げます。本日は御多忙中にもかかわらず御出席頂きましたことを心から感謝申上げますと共に、午前中の会議が熱心な質疑応答のため長引きまして再開時刻が遅れましたことについてお詫びを申上げます。なお先に当委員会よりお手許に問題点を提示いたしましたが、これは公述の便宜上御参考までに差上げたものでございますから、これにとらわれずに自由に御発言を頂いて結構でございます。それから時間等の都合もございますので、公述人の発言は二十分程度にお願いをいたしたいと存じます。又すべての公述人の発言が終了いたしましてから質疑に入りたいと存じますので、他の用務等のため御退席なさる場合には委員長まで御連絡をお願い申上げます。なお石垣綾子公述人は四時から御所用がありまして、どうしても御退席をされたいとのお申出がございましたので、委員各位の御了承をお願い申上げます。  それでは順次御発言を承わることにいたします。弁護士長野国助君の御意見を伺います。

長野國助弁護士

○公述人(長野國助君) 委員長から只今何を喋べつてもよろしいというお話がございましたが、大体かねて十一項目について御指定がございましたので、それを主として申上げることにいたしたいと思います。なお私は近年弁護士会の役員などをいたしておる関係上、かような席へおじやまいたしますけれども、労働法規について特別に研究したわけでございませんので、まあ弁護士といたしましては素人に近いほうでございますから、私が特にさような在野法曹の労働法規に関する知識を持つておるとか、権威とかいう意味ではございませんから、どうぞその点悪しからず。そこで順序について申上げますが、大体お示しのような一から十一について申上げます。  最初の第一問の、昨年の電産労働争議が長期に亘り、深刻化したことについて、政府、事業者、労組のうちいずれが主たる役割を演じたと思うかという問題でございます。これはむずかしい問題でございますが、簡単に申上げますと、この問題については今も申上げました三者のいずれも相当な役割を演じておられたと思いますが、それでは誰が主役であつたかということは、これはなかなか判定することが困難でございますけれども、いずれも昨年のストが長引いたり、深刻化したことについては、その責任論というようなことは別といたしましても、それぞれ相当の原因を与えておいでになつたんじやないかと思うのでございます。  それで、二の御質問についてでございますが、結局政府のとつた緊急調整の措置は、あの際といたしましてはやむを得なかつたものでないかと思うのであります。併し当事者がへとへとになり、世論が沸騰するのを待つてああいう手を打つたということは、何か少しずるいように考えておるのでありますが、結局これは当局とすれば、あの時期にでもならなければ早期には手が打てなかつたかも知れませんが、私どもから考えれば政府も少しずるいように考える。それから中労委の態度はどうかということでありますが、これも非常に努力はして下さつたのであろうと思いますけれども、併し余りよいお手際であつたとは考えられません。それから会社にしたところが、ただ世論が自分に都合よく熟するのを待つという以外にこれという誠意を示されたということも認められません。まあ私に申させますと、少し無責任だというふうにも考えられるのであります。それから最後にこの労組の幹部のほうの態度について申上げますというと、どうもいささか思慮に欠けた点があるんじやないかと思われるのでありまして、例えば中立の多数の第三者は非常に初め同情もしたし、理解もしておつたのでありますが、しまいにはとうとう相手方に廻してしまつたというような、頗るまずい結果になつたというようなことは、御同様に民主的労働組合の育成を望んでおるものといたしましては甚だ遺憾に思うのでございます。  それから第三の問題でございますが、この公共の福祉ということを多少詮索いたして見ましたが、私なんぞよくわかりませんが併しこの公共の福祉という文字自体は新憲法に初めて現われたのではありません。御承知の通り旧憲法の第八条や、九条などにも出ておるのであります。即ち旧憲法の第八条には「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為」云々、第九条には「天皇ハ法律ヲ執行スル為二又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ」云々とありまして、その公共の観念自体は、これは私の卑見でございますが、現在も旧憲法時代もその観念は大して変つていないじやないかと思うのであります。即ち旧憲法の第八条や九条に出て来るところの公共の安全乃至公共の安寧秩序というのは、結局公共という意味は社会の安全とか、国家の安寧秩序というのど同義語ではないかと思うのであります。臣民の幸福というのは、やはり国民の幸福ということと大して違わないと解釈されるのでございます。そうだとしまするというと、新憲法における公共の福祉はやはり国家若しくは社会又は国民の幸福という意味に解してもよいのではないかと私どもは思うのでございます。そこでお尋ねの新憲法の公共の福祉とはどういう意味かと申しますと、社会全体の幸福とか、国民多数の利益とかいうように解してもよいと存じております。そして私はこの漠然とした、又古めかしい公共の福祉という言葉の偶像を設定して、個人の人権や労働者の労働権の限界をきめようとして、何かと言えば、現在も将来もでありましようが、公共の福祉に反するなどど言つて国民大衆を抑えようとする傾向が生じはしないかと憂慮もされ、警戒もせなければならんと存ずるのであります。  次に、私はストのごとき労働大衆の生存権と直結しておる基本人権はよほどの事情がなければ制限すべきではないと考えておる一人ではございますが、さればと言つて、労働権も一種の権利である以上、権利の濫用ということも、行過ぎということも考えられないでもありません。そのため他の国民の基本人権や大衆の幸福を著しく侵害する場合がないとは限らないのであります。でありまする以上は、やはり労働権にも或る限界を設けることは公平の観念上必要ではないかと考えております。憲法第十二条、十三条はそれ自体非常に問題になる規定であり、殊に労働権との関係上非常に議論があつて、浅学な私どもには御参考になるほどのことは申上げられませんが、とにかくかような規定の見地から申しましても、すべての権利は濫用してはならない。それは常に公共の福祉に反しないことを強く要請しているのでございます。この点まだ申上ぐべきでございますが、時間もございませんのでこの次にいたします。  次に第四問であります。これは双方とも公共の福祉を擁護しようとする点においては同じでございますが、緊急調整は適法な争議行為が継続されて、公共の福祉を阻害する虞れがある場合に発動ずるものでありますが、本法案の対象になつておる停電スト、電源スト乃至は鉱山における保安要員の総引揚というようなものは、初めから行為自体が許されない争議の手段となつておるのでありまして、さようなことから考えましても同一に論ずるわけには行かないのではないかと存ずるのであります。  次に第五問でございますが、仲裁制度を強化するということは、結局強制仲裁制度を設けることを意味すると思われますが、かような制度を設けますと、初めから当事者がこれに依存いたしまして、争議の理想であるところの当事者自身が自主的に解決するというほうへ進まない。どうもこれを閑却するような虞れがありますし、又このため争議が予想外に長引く心配もあるように思われますので、余り賛成はいたしがたいのであります。なお強制仲裁制度は争議行為が全面的に禁止されている場合に設けられる制度であると思つておりますが、争議行為を行う余地のある場合にはこの制度を設くべきものではないと考えておりますので、これも一つ賛成しない理由に数えたいと思つておるのでございます。  それから第六問でございますが、この団体行動権とは何かという問題でございますが、これもなかなか私どもがいい説明ができないのでございますが、併しながら、これは労働者が団体交渉によつて達成しようとする一切の集団行為であつて、すべての争議行為を含んでおると思うのであります。一言にして尽しますれば、労働者がその目的を貫徹するための武器であると申してもよいと思うのであります。それでは普通どういう手段で選ばれているかと申しますと、御承知の通り同盟罷業、怠業、ピケツチング、それから罷業示威運動等でありますが、決して併しこれに限つた手段ではありません。この団体行動権の限界についてもなかなかむずかしい問題であり、いろいろ議論がありますばかりでなく、裁判所の判例などもいろいろになつておるようでございます。それではこれをよほど広く無制限に近く認めようとの主張もありますが、私はやはりこの行動権の行使についても或る限界があり、権利の濫用や行過ぎは勿論、大衆の利益を著しく侵害するような行動は適法な団体行動権と認めないと信じておる次第でございます。  七の問題でございますが、これは詳しいことは存じませんが、一般に事務ストと集金ストなどが挙げられておりますが、併し他にも考えられないわけでもございません。即ち最近聞くと、集金ストというようなものは経営者側にとつてはなかなか手痛い手段であつて、消費者が一旦長期に亘る集金を怠るというと容易に回収ができないようなことも聞いておりますが、実際問題については余り知識がありませんので、このくらいにいたします。  それから次の八の問題でありますが、これはこのお尋ねはちよつとだけ考えますというと、人間の命と品物とはどつちが大事かというふうにも聞えないでもございませんが、そうしますと、それではちよつと余り素朴な質問のようにも存じますので、私は勝手なことでございますが、この「生活権」という下に「保護」という二字を加えて解釈さして頂きたいと思うのであります。そこで労働者の生活権を尊重すべきことは勿論でありますが、前に申上げましたように、国民一般の基本権についても限界があり、権利の濫用は禁じられており、公共の福祉に反してはいけないのでありますから、労働者の生活権にしても或る場合或る程度の制限を受けるということは私はやむを得ないところでありまして、本問題は生活権にどの程度の制限を受けるかということは、実際の場合に具体的に検討しなければ、単に抽象的に生活権は人間の生存権であり、生命と繋つておるものである。だから私どもが物質的に過ぎない鉱物資源などと一緒にならん、これに優先するのは当然であるというふうに断じてしまうのはどうかと思うのであります。そればかりでなく、労働者が自分の職場を破壊するようなことはそれ自体自殺行為となるようなこともあるのでありますから、その点をやはり深く考えなければならんと考えておる次第でございます。  次の問題でございますが、理論上はいずれも公共の福祉に関する公共性を持つた事業ということはできようかと存じますが、併しながら、さればといつて必ずしもこれらの場合を十把一からげに論じ張ることは頗る考えのない話だと思うのであります。要は具体的に実際の事情に即して考うべき問題であると信じておる次第でございます。  それから十の問題は三年の期限でありますが、立法技術としては異例だし、技術的にいろいろ論議できるのでありまするが、併しこの点は過日政府のかたでありますか、或いは党のかたでありますか、こういう説明をしておりました。三年の間に労使双方の間に適当な輿論慣習が育成されるのを期待しておるのだ、そうなればこの法律も必要ないというような説明もありましたが、私ども大体こういう実情を呈し得ることも考えられますので、必ずしもその説明を非難すべきものだとは考えておりません。  それから十一、本法に類する外国立法令についてはどうかというお話でありますが、私は先ほど申上げました通り、労働法に精通しておるわけではございませんし、それほど外国のことを調べておりませんのでわかりませんが、私の知る範囲においては、これと同じようなもの、若しくは類似のものは見当りませんでした。甚だいたりませんが、以上を以ちまして終ります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 続きまして愛知大学教授戒能通孝君の御意見を伺います。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 石垣公述人が四時までにとおつしやつておりますが、お譲りしてよろしければお譲りして、その次に廻して頂きます。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) それでは戒能通孝君の御了解を得まして評論家石垣綾子君の御意見を伺います。

石垣綾子評論家

○公述人(石垣綾子君) それでは私の意見を述べさして頂きます。私も只今長野さんがおつしやいましたように、ここに頂きました資料を大体本にいたしまして、私の意見をここに述べてみようと存じております。  第一の問題でございます。これは一口繰返す必要はないと思いますから、私はただ番号を申上げることにいたします。去年の電産及び炭労争議の際におきまして、誰が一番大きな役割をしたかと申しますと、私は事業家が一番大きな役割をしたと思うのでございます。勿論労働組合も大きな役割をしたと思うのですが、とにかく事業家があのときに労働組合をしてどうしてもああいう争議をしなければならないように、やらせるような方向をとつたのではないかという意味におきまして私は事業家が大きな役割をしたと考えるのでございます。あのときの事業家の金の儲け高などによりますと、相当に儲ける事業になつておりました。赤字であつたものがあの頃には五十四億の黒字になつたというようなことが新聞に出ておりました。そういうことがありましたから、労働者のほうでも賃金値上げの争議が電産のほうで起つたのだろうと存じますが、事業家のほうはこういうことを知つております。国民の考えから申しますと、大低労働者はストライキを起す責任者であつて、事業家のほうは全然責任がないというふうに一般の国民は考えておる。だからストライキを長びかせておけば、これは輿論が労働者のほうに向つて行くだろうということをどうも見ておつてああいうふうな政策をとつたのではないか、というふうに考えられるのでございます。  第二の問題、あのときのおのおのの関係者のとつた措置についてでございます。勿論私は今長野さんがおつしやいましたように、労働組合のほうにも行き過ぎたことかあつたとは存じます。これはお互いに事業家も、労働者も国民の利益ということを考えて慎重な態度をとらなければならないと思うのでございますけれども、私はこのときに最も残念に思いましたことは、中労委員会がもつと早く対策に出て欲しかつたということでございます。こういうような大きなストライキがございますときに、一番困るのは国民でございます。ですから国民を困らさないためにはやはり中労委員などがもつと早く動いて双方の利益を図り、国民のために行動して欲しかつたと思うのでございます。本当の取るべき交渉を早くやらなかつたということが非常に遺憾であつたと思います。  その次の第三の質問でございます。それは公共の福祉ということに触れておりますが、私はこの公共の福祉ということをただ申すことは非常に抽象的であると考えるのであります。本当の公共の福祉ということは人民の権利、労働組合の権利を守り、国民の生活が安定すればそれこそ本当の公共の福祉であるだろうと考えるのでございます。ストライキなどが起りますれば、勿論一時的な不便もございます。特に私は主婦といたしまして電気が切れ、停電になればいろいろな不便を感じます。そういうような大勢のかたがいらしたと思いますけれども、そういう一時的な不便に比べれば労働者の権利とか、又国民の生活の安定が破れるというようなことのほうがよほど大きな害を及ぼすだろうと思うのでございます。あのときの二つのストライキの大きな責任は事業家のほうにより多くあつたのではないかと思います。なぜと申しますに、あのときの労働組合の交渉に事業家のほうはなかなか応じませんでした。そこがあのような深刻なストライキに発展する原因になつたのではないかと思うのでございます。ストライキをするほうの人の立場からいいますと、決して好き好んでストライキをしたくてするというものは私は世の中にそういないと思うのであります。ですからああいう場合には、やはり両方が折れる必要があり、特に事業家のほうが労働者のほうのことを最初から耳を傾けるという態度をとつて下すつたらああいうふうな大きなストライキにならなかつたのじやないかと思うのであります。なおあのときのストライキが行過ぎであつたということを理由にして、今度のストライキ制限法が通ることについての意見ということでございますが、私は電産とか炭鉱とかのストライキを制限すれば、その他の産業も必らずそういうような枠にはめられるだろうと思うのでございます。労働者が働くのはつまり公共のためにサービスをしていることになります。それは直接的であろうが、間接的であろうが、労働者が働くということは必らず公共の福祉に関係しないものはないと思うのであります。その場合に公共の福祉に関係するからというので、一部の産業がストライキをすることをとめられますと、それが延いては全部の産業の労働者がストライキをする権利というものをなくすることだろうと存ずるから、私はそれに反対するのでございます。  それから又このストライキ制限法などを読みますと、法文の条律では資本家にも、労働者にも同じように公平に書いてございますけれども、これが実際に運営されますときには、これまでの例によりますと、大低労働組合のほうに不利になるように運営される場合が多くあると私は考えるのでございます。  その次の第四番の質問は、私は現行の労働法による調整制度並びに緊急調整制度によつて公共の福祉を擁護できると考えておりますが、これも専門家のかたに詳しいお答えをして頂きたいと存じます。  それから第五の仲裁制度は、私はスト制限の法律をこしらえるようなものだと存じますから、これには反対いたしております。  その次に第六番でございます。これは憲法による問題でございますが、私は労働者の団体行動権というものは、これは人権の基本的な権利の一つだろうと存じます。ストライキをする権利を持つておる国民は、これは私は文化的にも非常に高い又生活程度の高い国であると存じます。なぜかと申しますと、例えばアメリカの例を見ましても、あの比較的生活程度の高い労働者の生活、一般民衆の生活は、やはり労働組合というものがあり、ストライキをする権利がありまして、だんだんに労働者の賃金が上り、それにつれまして国民の収入も殖えて来たことにあると存じます。でありますから、日本も労働者がストライキをする権利を持つことによつて、やはりより一層高い文化的な国に向つて進んでおると存ずるのであります。只今それを一部分でも抑えることにすればそれは逆のほうに向かつて日本が進むことになるのじやないかと存じます。このストライキというような権利を抑えつけますと、必ず暴力というものとか又戦争というような、そういう恐ろしい破壊的な行動が予想されることもあり得るので、私はこの人権の根本的問題であります労働者の団体行動権を認むべきであると考えるのでございます。  第七番、本法成立の場合のことについてでございますが、私はこういうような法律が成立いたしますときに、合法的である労働者のストライキというようなものが全部非合法になるので、こういうものは悪法であると考えるのでございます。  その次に第八番でございますが、労働者の生活権と鉱山などの資源の滅失などという問題がここに掲げ出されておりますが、私は働く人々の生活権を擁護することが即ち資源を擁護することになるものであると考えるものであります。それが一時的に矛盾するようなことがこれまで起つたのでございますけれども、若しこれがうまく行つていれば、私はそれは一つのものでなければならず、又そういうふうにあらしめなければならないものであると考えております。労働者にいたしましても決してそうした資源を破壊することを喜ぶ者はないと存じます。それによつて自分たちが生活を得ておるのでございますから、大切な資源を破壊して喜ぶ労働者というものは私は根本的にあり得ないことではないかと思うのでございます。  第九の質問、これは先ほど私が申上げました通り、一部の労働者に対してストを制限するようなことになりますれば、ほかでもみんなそういうことが始まりますから、私はそのような措置を私鉄、ガス、鉄道、肥料、鋼鉄その他において行うことには反対でございます。  第十番の問題は、私はスト制限法に反対でございますから、勿論そのような立法には反対しております。  最後に、外国における立法例でございます。私は特別に労働法を研究したものではございませんから私は申上げられませんけれども、ただアメリカに長く住んでおりましたから、アメリカの労働運動がどういうふうになつて来たかということを一言申上げたいと思います。アメリカには只今タフト・ハートレー法というものがございます。これができましたがために、労働者の権利というものは大分抑えつけられて来ていると存じます。併しながらこの労働法をこしらえましたタフトはこのために労働組合から非常に反感を買いまして、タフトが大統領になれないのも労働組合の強い反対があるからだと言われておるくらいこのタフト・ハートレーの法律は労働組合及び知識階級から反対を受けておるものでございます。このタフト・ハートレー労働法ができます前に、ワグナー労働法というものがございました。これは労働者の生活を守り、生活権を擁護いたした非常にいい労働法であつたと私は考えております。その時代アメリカの生活程度は、そうした労働法がありましたために非常に生活程度も高く、又労働争議、ストライキなども決して行過ぎになるようなことがなく非常にうまく行つていたと考えるのでございます。  では、私の意見はこれだけで終ります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) それではここで又ちよつと順序を変更いたしまして、母を守る会理事長小笠原嘉子君の御意見を拝聴いたします。

小笠原嘉子母を守る会理事長

○公述人(小笠原嘉子君) 私は御質問の箇条によりませんで、家庭の主婦の立場で実際生活に面しての方面をお話させて頂きたいと思うのでございます。  人間は健忘症でございます。昨年のあの長いストがございましてから今日まで大分時間もたちましたし、又議会の解散があつたりいたしまして、そのためにこの法案に対しましての雲行きは前のときとは大分変つて来たように私は考えるのでございます。併し私ども家庭の主婦は、昨年のあの三カ月に亘る苦しかつた、不愉快であつた当時のことが脳裏に焼付けられて忘れられないのでございます。再び民衆にあのような迷惑をかけないという気運ができれば別のこと、この規制法案を出して頂くよりほか、現在のところでは途がないのではないかと私は思うのでございます。多数の者の幸福のために法案提出止むを得ずということが私の考えであり、それは昨年のあの騒ぎのあつた当時から今日も変らない私の考え方でございます。その当時思つたことでございますけれども、折角新憲法で認められました労働者に与えられた基本的権利が法律で轡をはめられるようになつたことは如何にも残念でございます。併しこれは労働運動の行過ぎの結果で万止むを得ない処置だつたと私は信ずるものであります。先だつて来学者の方々の御意見を大分伺いまして、私も嫁も感じたことでございますけれども、その方々の大かたの意見は、日本の労働運動は今育ちつつある時だ、順調に育つためには労働組合に多少の行過ぎがあつても我慢をして見守つて欲しいのだという御意見がございました。国家百年の計としては教育は大事でございます。勿論労働組合が健全な発達をするために教育を続けて頂かなければならないのでございますが、今日この際、私どもの生活が脅かされているあのような行過ぎたストに対して、これを規制する法案を出されることは政府の政策としてとつてもらわなければならない処置だつたと私は思うのでございます。当時主婦の中からは「吉田内閣は一体何をしていらつしやるのだ、これだけの騒ぎがあるのに何の手も打つてもらえない」という非常な不平があつたのでございます。私はただ自分のそういつた感じだけでなくして、その当時読売新聞で統計をとられたのを見たのでございますが、「電産ストライキは是か非か」という七百八十の統計の中で、非とされるものが六頁ございました。是とするものが百七、中間が七十三でございました。それから毎日新聞での世論調査で「お宅では最近の電気や石炭関係のストのときに何で一番困りましたか」という問に対して、停電が二六・三%、二が仕事の差支えというのが九・四%、炊事、食事に困るというのが八・三、ガスのストップというのが三・二%、五が代焼燃料費が嵩むというのが二・一と、六が夜業ができないというのが一・五、月給の遅くなつたというのが〇・六、その他が三でございます。それで結局、その電産ストで困らないというのが五・九%、これは大都会では一・六%でございます。それで答えのなかつたのが三三・八になつております。それから続きまして読売新聞の調査部の部員の調査によりますのでは「炭労、電産ストはどれだけの損害を与えたか」ということで、一般家庭で基本家庭として一家四人、夫婦と子供二人で一カ月の損害が二千四百円となつております。全国の市部の総世帯数六百七十九万三千世帯として約百六十三億円の損害を一般家庭がこうむつておるのでございます。それから消費面におきまして主要食糧が正月用の糯米が十二月十日現在で、六大都市の需要量の六〇%を確保したに過ぎなかつたこと、パン加工業者の九割が電気であるため損害を受けている。味噌は、六大都市貨車入荷量が、十二月は正常月の約三割減、特に水産物生鮮食料品は、六大都市の入荷量が十二月前年同期との比較は約二割減でございます。蔬菜は正常月の約一割減、果実は十二月が正常入荷の約五割減青森リンゴは三万箱を凍結さしております。木炭、薪それは約二割の需要を増しております。小売値段は約一割の値上げになつております。こういう統計が出ておりますのでございます。  私は自分の仕事の立場から最低の生活をしております母子を守る、そういう仕事をしておりますので、そういう面のお母さんたちの泣きごと、相談事を随分聞いたのでございます。本当に、各母子寮へ参りましても生活保護法にかかつておる母子はそういうことがございましても、何とか政府の補助でやつて行けますけれども、そういうものを持たない母子、母は今日何とかして生活扶助にかからないで自力でやつて行こうとする母親たちの憾みは非常なのでございまして、内職いたしまして女のそういつた人たちの袋張りをしても、洋裁をしても、本当の僅かなものでございます。それがたくさんのろうそくを使わなければならないような状態になります時に、ろうそく代のほうが内職の金より嵩むのでございます。それで結局何もできないような状態が続いて本当にお米が食べられなくなつて、お粥にして過した母子も幾家族もあります。その状態を私は現に知つておりますのでございます。中にはお母さんが遅くまで働いて、家へ帰つて子供に御飯を炊いてやるのでございますが、ガスならすぐ御飯ができるのでございますけれども、ガスが使えないためにいろいろ薪や炭でいたしますので、時間がかかつて子供が御飯を待ちきれなくつて眼るというような状態さえあつたのでございます、それから又、これは私の大変身近な話でございますけれども、私は十数年来学生の世話をして来ております。で、只今三十人ばかりの寮を持つておりますが、その寮におります学生たちは、生活もアリバイトをしなければやつて行けない子供たちでございます。それがその子供たちは本当にお風呂に行く金、散髪に行く金、それを計算をして出すような状態の学生がろうそくを買わなければならないことは非常な負担でございます。それから又昼間働いて夜学に行つております子供たちは、夜ポケットの中にろうそくを持つて学校に行く、又学校に行きましてもその子供たちは今日は電気がつかないから勉強ができないと言つて帰つて来る子供さえあるのでございます。昼間働いて、夜勉強する子供たちは本当に真剣なのでございます。その学生たちに対してこういう苦労をさせるということはどんなもかと非常に私は考えたのでございます。又私のほうの寮では、ただガスでその三十人の食事をするのでございますが、その問いつも五時に起きて食事の仕度をしておりました寮母が、ガスの量が少いために朝五時に起きるのを三時半或いは四時に起きてやつと朝の御飯はできます。併し夕方の御飯はどうしてもできないのでございます。時間を長くかけてもできない。それからそれからそれだけの大勢でございますので、なかなかすぐに薪で炊く設備をするということは私どものほうでできかねまして、結局学生たちはなかごめ御飯を食べてお腹のいつも悪いような状態でその間を過したのでございます。  私は長い間のあの騒ぎを見て一番感じましたことは、まだ労働組合の方々は組合を持つてそういうことをして御自分の権利を確保するために運動なさることができますけれども、その力さえ持つていない一般大衆のために私はこのスト制限法を出されることを切望するものでございます。むしろこの出されることが遅かつたぐらいに思うものでございます。以上でございます。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 続きまして愛知大学教授戒能通孝君の御意見をお願いいたします。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 私は労働組合、労働争議というものは大体夫婦喧嘩みたいなものだと感じております。というのは、一方が相手を倒さなくちややめないというのではありませんので、ただ騒ぎが収まりますと、一方は他方を帰す、一方は他方に帰るというのが前提になつているわけでございます。ですから労働争議につきましてどつちがいい、悪いということは、問題にすることはできないのだと感じておりましたけれども、只今小笠原さんのお話を伺つているうちに、この前のストライキというものは、これは明らかに事業主の責任であることをしみそれ感じたわけでございます。というのは、電気でございますが、私たちの家庭に配給されておる電気は、一キロワット時につきまして大体十二、三円取られているようでございます。ところが、大口工場に配給されている電気は一円六十銭ぐらいで参つております。更に特殊電力というものがございまして、これはたしか五十八銭だか六十銭だかで出していると思うのであります。大口電力及び特殊電力は合算いたしまして、関東地方では七七%以上を占めておるはずでございます。言い換えれば、我々が出している電力代というものが結局大口電力や特殊電力の作つている赤字を埋めているのであります。つまり大口工場や特殊電力の場合におきましては、原価を割つて売つているはずでございますが、割つたやつは誰が負担しているかと申しますと、私たちが負担しているわけでございます。だからストライキのような場合におきましては、これは当然高いお金を出して電気を買つている私たちに廻すべきだつたと信ずるのであります。つまり、私たちは同じ一キロワット時の電気を買うのに特殊電力の十何倍というような、二十倍近くの非常に高い値段を払つているのでありますから、同じものを大体二十倍もの値段を払つているやつと、それから二十分の一の値段を払つているのとを扱うような場合におきましては、どうしても値段の高いほうを上等に扱つてもらわなくちや困るのであります。現に私たちが京都に行こうという場合におきましても、切符を買いまして一等に乗りますというと、三等よりも確かに優遇されるのであります。だからしてストライキの場合であろうと、渇水停電の場合であろうと、私たちとしては当然支払つたけのだ対価を返えせという権利があると思うのであります。ところが実際のやつはどうかと言いますと、ストライキによる負担は平等でなくてはならないというので、各家庭の分までみんな削つてしまつたわけであります。そしてこの一般の確かに小笠原さんのような最も庶民的な人を一番強く組合に向つてかき立てたという点、この点におきましてやつぱり私は事業主側の責任が電産についてはあつたと信じておるわけであります。  つまりこれは電産そのもの、電産労組そのものの宣伝力の不足、その他は十分咎められるべきでありますけれども、併しながら一番大きな問題というものは、ストによる被害を平等に分散した結果といたしまして、一番弱いものが一番苦しめられた。言い換れば一等の代金を払つて汽車に乗つた人が、無蓋貨車の代金を払つた人よりももつと苦しめられたというのが実情であつたと思うのであります。このような状態というものを作り出したところから申しますと、私としてはどうしても只今の小笠原さんのお話を聞いているうちにしみじみあれは事業主の責任であつたというふうに感じないわけには行きませんでした。私はむしろ責任はどちらにもなかつた、お互いさまだ、と言いたかつたのでありますけれども、今の話を聞いているうちに反対の考えに変つて参りました。  更に石炭の場合におきましても、同じでござました。石炭の場合におきまして、ストライキが始まる前までに七百万のンの貯炭があつたと言われていたのでありますが、その七百万トンの貯炭がなくなるまでというものは、何をしていたかと申しますと、あの事業者側は賃金の値下げを要求していたのではないか、途中で少し変つて参りましたけれども、基本的には賃金の値下げを要求していたんじやないか。更に輿論が反対に、スト反対というものを巻き起して行くまでの間、電気事業家のほうは労働時間の延長を要求していたわけであります。事業者側におきましては労働時間の延長を要求し、賃金の値下げを要求し、そして輿論をできるだけ反対に追込んで行つた。而も電気の場合には特に我々から特殊電力の十数倍、二十倍の電力代をとつている。同じ電気であります。而もそれをやつたという点から申しますと、私としてはどうしても事業者側に責任があつたと言わざるを得ないと思うのであります。で、更に中労委や政府というものにおきましても、これはもう少し努力して解決すべきであつた。殊に中労委の場合におきましてはそのことは言えると思うのでありまして、併しよく起る現象は、アメリカなんかでこういう問題が起りますというと、よく起る現象は一時的にストライキをストップさせる。その代償といたしまして組合側の要求を五〇%なり或いは六〇%なり仮に認める。三カ月間だけ認めるというように法律を作るのであります。そしてその三カ月間はストライキをしてはいけない。そしてこの三カ月間の間にこの事業内容を、経理内容を調査いたしまして、そして合理的な支払い得る賃金というものを支払わせるというふうな報告書を提出する。ただこれを受入れるか受入れないかは更に又別の問題でござまして、とにかく取りあえず三カ月前後を限りましてストライキの停止を命じまして、その間は組合側の主張の一部を受入れて、そしてその三カ月内に事業内容を調査しまして、それによつて報告書を提出させるというふうなそういう法律を作つてございますが、こういつた法律というものを成る場合において考える余地はあつたろうと思うのでありまして、併しそこまで至らなかつたことは或る意味におきまして非常に幸いだつたと思うのであります。それは明らかに緊急調整以上のものでございますので、そうならないことは私としては勿論望むわけであります。そしてこの前の電産、炭労のストとも先ず最終的に落ちつくべきところに落ちついたということは、これは非常によかつた現象だと思つているわけであります。  第三に昨年の電産、炭労ストが公共の福祉に反したから本法案の提案があるんだというふうに言つておられました。公共の福祉とは何だということが、これは非常に大きな問題だと思うのであります。公共の福祉という概念につきましては考え方が二つございます。一つは先ほど述べられました北岡さんの意見に代表されているわけでありますが、これは専ら絶対主義と申しますか、専制主義、フアツシストの公共の福祉論でございます。フアツシストの公共の福祉論は、これは全体のためならば個人を犠牲にしてもかまわないということでございまして、全体のためであるかどうかということを判定するのはそのときの政府の支配者であるというのが、それがフアツシストの公共の福祉論でございます。従つて先ほどローマ法にも公共の福祉という概念があると言つておられましたけれども、これは全く違うのであります。ローマ法のサーヴイス・ポピユルカと申しますのは、公共の福祉と申しますのは、これは皇帝の利益という意味でございます。皇帝のためならば何をしてもいいと、公共の福祉というのは国家の福祉と訳すべきだと思いますけれども、国家の福祉ならばこれは法に拘束されないという言葉がございますけれども、これは皇帝ならば何をしてもいいという考え方でございます。勿論ローマ法学者の間におきましてもかくのごとく述べる思想に対しましては大いに反対意見もございます。皇帝は法の下にありや、法の上にありやということがローマ法学の上におきましても相矛盾した文献がございます。併しともかくローマ法の法源というものは絶対主義、専制主義というものの中に取入れられまして、そしておよそ政治家、現在の政権担当というものがすべて公共の福祉を代表するという考え方をヨーロツパでも日本でも持込んで来たわけでございまして、これこそが公共の福祉というものの反人権的な歴史だつたのでございます。もう一つは、これは先ほど堀議員がおつしやいましたバージニア憲法、それからアメリカ憲法で言うところのジエネラル・ウエルフエアと申しますか、つまり一般的福祉という概念でございます。これは基本的人権の充実ということを一般的福祉という言葉で呼んでおります。アメリカ憲法の下におきましてはジエネラル・ウエルフエアを増進する機能はポリス・パワーでのある警察権であるという判例がございまして、警察権の中で、この多くの事柄が解決されたのでありまして、この中では主として労働立法、工場立法は一体合憲であるかどうかという問題だつたのであります。多くの学者は、例えば一日八時間労働するとか、特に婦人の十時間労働制度というものは、これは契約の自由に反するという意見が強かつたのでありますが、そのとき裁判所は十時間立法の労働制度を作るのはポリス・パワーの問題だ、警察権の問題だ、一般的な福祉を増進するための警察権の問題であるというふうに判決したわけでございます。だからアメリカ憲法で言うところの公共の福祉というのは警察権の行使としまして個人的な労働者の生活状態を増進するとか、或いは強制予防接種を作るとかいうときに使われた言葉であつたわけでございます。強制予防のような場合におきましては、これは一般的福祉というものが明らかにすべての人の福祉に関係いたします。例えば伝染病がはやるという場合に予防注射を強制するということは、伝染病を防ぐという点から申しましてすべての人の福祉に合致いたすのであります。このような場合におきまして公共の福祉というものを使つております。従つて公共という意味が二通りございます。一つは国実権力の持主、権力担当者の利益が公共の福祉であるという考え方、もう一つは一般公衆、すべての公衆の利益が公共である。すべての公衆という意味におきましてパブリツクという言葉を使う。二つあるわけでございます。先ほど北岡さんは明らかに公共の福祉という概念は、これはナチが申しました、ヒツトラーが申しましたデイ・ゲマイヌツツリヒカイト・フオランゲーエン・デイー・アイゲンヌツツ、公益は私益に先立つというあの公共の福祉を指しておられたと思うのであります。従つて北岡さんの御意見のような形で若し万一にもスト規制法が作られるということになりますと、これこそまさにフアシスト、フアツシズムというものへの一歩前進であるということになつて参ります。従つて北岡さんの御意見のような御意見がなかつたら別でございますが、すでにこの席において述べられ、そうして皆様もそれをお聞きになつたわけでございますから、ああいう形でこの意見が述べられ、而もそれに御賛同になつたということになりますと、結局日本憲法を無視するという御決議になるというふうに解釈しなくてはならない、ちよつと乱暴ですが、甚だそういうふうな感じが強くいたしまして実に悲しい思いがしたわけでございます。而もこの公共の福祉ということを理由にいたしまして、この法案が労働者の団体行動権の一部を制限するんだと言われておりますけれども、果してこれが制限であろうかということが問題になつて来るわけでございます。これは同じ法律につきましてこの公労法の三十六条につきましては、まだ私は先例をよく知りませんけれども、ほぼ同種規定になつております。殊に殆んど第三条と同種の規定になつております。船員法の第三十条というものにこういう条文がございまして、この三十条に関連する解釈は、これは本件にも及ぶと信じておりますので少し申上げさせて頂きたいと思います。船員法の第三十条はこれは「労働関係に関する争議行為は、船舶が外国の港にあるとき、又はその争議行為に因り人命若しくは船舶に危険が及ぶようなときは、これをしてはならない」という規定でございます。これをいたしますと船長から懲戒を受けるということになつておるわけでございます。ところがこの船員法の解釈につきまして私の知つている限りすでに三つ問題が起つております。一つはこの船員が争議の際に船舶の保安をやるときに報酬がとれるかとれないかという問題であります。日給がとれるかとれないかという問題でございます。ところがこれは私は直接にその事件にタッチしておりませんけれども、前に特審局長をやつており、現在弁護士をやつておられる竹内礼作弁護士から伺つた事件でございますが、現在船主協会から船員組合を相手にいたしまして、その保安中の賃金というものは支払う必要がないのだ、支払う義務がないということを確認せよ、という訴訟を起しているという話を伺つたわけでございます。船主協会の言つている理由は保安中の労働というものは、これは船員法第三十条によつて行う労務であります。従つてこれは契約の履行として行われる労務ではないのだ、雇傭契約の履行として行われる労務ではないのでありまして、船員法第三十条によつて行われておるところの公法上の義務の履行に過ぎないのでありますから、それに対しては賃金を払う義務がないのだ、こんなふうに船主協会は主張しておるのであります。これは現在訴訟中でございます。この訴訟というものが、どうなつて行くかは私には予想できませんけれども、現在の最高裁判所の傾向から申しますと、ひよつとしたら船主協会側の言分を認めはしないかと思つて私は心配しております。つまり保安要員の賃金は只だということになるわけであります。働くのは只で働け、これは飽くまでもこの船員法第三十条の義務として働いておるのだからして、雇傭契約上の義務として働いているのではないからして只であるということを判例として確認されますというと、これは炭鉱の場合におきましても同じ問題が出て参ります。現在においてすでに炭鉱の保安要員が休日に働いた場合におきまして、超過勤務手当は払わんでもいいというそういう回答が昭和二十七年の十月二十七日、労働省労働基準局長から都道府県各労働基準局長に宛てた回答として出ております。つまり休日労働に対しましても、超過勤務手当は払わんでもいいと言つておりまして、今後このスト規制法が若し通過するようなことになりますと、スト規制法上の義務として労務に従事しているのだからして、従つて保安要員に対する給料は支払わなくてもいいというあの思想が生れて来る可能性がございます。これは現在の慣行と全く相反しますけれども、併しそういう主張が一応成立つ可能性があるわけでございます。  第二番に問題になつて来るのは、これは昭和二十八年六月一日の法制局第一部長から運輸省船員局長宛の回答に出て来るわけであります。保安の義務は先ず第一次的には組合にあるけれども、第二次的には船長にあるという回答でございます。この組合のほうはこれは明らかに保安の義務でございます。併し船長のほうになつて参りますと、「お前保安やれ、お前保安やれ。」という指名する権利を含んでいるのであります。保安維持権は結局船長にあるということを意味しているわけであります。つまり法制局第一部長の意見によりますと、船員につきましては保安というのは船長が命令したらその命令に必ず服しなければならない。若し命令に服しませんというと、懲戒、その他が行われることになります。ただ法制局の慶谷事務官というものがそれに対して解説を書いておられますが、それによりますると、船員法には百二十二条という条文があります。船長がその職権を濫用して、船内にある者に対しては義務のないことを行わせ、又行うべき権利を妨害したときには、二年以下の懲役に処するという規定がございますが、これによつて船長の職権濫用を防止できるであろう。だから余り心配しないでもいいのだという解説が付いておりました。この点は或いはそうかも知れません。今度のスト規制法案につきましては船員法第百二十二条のような条文はございません。だから特に炭鉱事業者は任意に「お前保安に従事せよ」と言つて、そして任意に他人を指名することができるということになるわけであります。これは結局組合の切り崩し、その他に利用されることが非常に起るわけです。それから又もう一つ船員法について問題になつて来るのは昭和二十八年の二月二十八日付で運輸省船員局長からM協会宛回答というものでございます。これは私市販のものを読みましたので、M協会というものは何か存じませんけれどもそれに対しまして運輸省船員局長は次のようなことを言つておるわけであります。はつきりわかりませんけれども、趣旨がはつきりわかりませんけれども、要するにこの船主は保安要員だけ残して船員をロツク・アウトすることができる、職場を閉め出すことができるということであります。ロツク・アウトされた人間はこれは仮処分されて船から降りなければなりません。併しそれにもかかわらず嵐があつたり何かしたような場合にはいつでも呼返せるというわけでございます。そういう回答でございます。ですからつまり任意に追払つて、そして君は保安要員だからやつて来いと言つて指命して、又仕事をさせるというわけでございます。これはちよつと感情的に考えて如何でございましようか。つまり追払つておいて保安に必要だからやつて来い、そして只で使うというわけでございます。こうなればどうしたつてこの憲法第十八条のいわゆる苦役というものになる虞れはございませんでしようか。この点におきまして我々としては少くとも保安の問題というものを考えるような場合におきましては、保安が客観的に確保されるという条件を作らなければならないと思う。で、本法案におきましては何にもございません。要するに事業者が命令すれば事業者であるか、それともこの鉱山保安法によるところの保安責任、管理者であるか、その点はつきりいたしませんけれども、保安管理者であつても事業者の雇人でございますから、従つて任意に指命したらいつでも働かなきやならない。而も一旦閉め出したやつまでいつでも働かせられるということになつて来る。それに対する報酬はどうかと言いますと報酬は払わんかも知れんというのでございます。こうなると先ほど御意見がございましたけれども、やつぱり苦役になつて来る虞れはございませんかという問題が出て来るわけでございます。この点におきまして私としてはどうしてもこの法案というようなものはこれは明らかにこの憲法第二十八条にも反しているし、又十八条にも違反する疑い濃厚ということにならざるを得ないと思うのでございます。若しどうしてもこの十八条違反というものを避けようとすれば十八条に違反しないような技術的な工夫がもつと明らかに必要だと思うのであります。従つて十八条違反に該当しないような工夫が十分できていないこの法案というものはこれはどう考えてもヒツトラー・ゲゼツツじやないかいう感じがするのでございます。勿論仲裁制度の強化によつて、本法制定に代えよという説もあるが、どう思うかという御質問でございますが、私としては成るべく仲裁制度というものはとりたくない、とらないほうがいいと思うのでございます。併し万止むを得ない場合におきましては、先ほど申上げましたような意味におきまして、アメリカの極く臨時的な立法、或る特定の条件を解決する立法というふうなもの、妥協によつて解決する立法というふうなものによつて十分に労働者の地位も保護し、それから又雇主の立場も保障するということをやつて行くべきではないかと思うのでございます。本法案ができた結果として停電ストができなくなつたら、ほかにストライキ、効果的争議手段があるかという御質問でございますけれども、これにつきましては、丁度目がつぶれたけれども歩けるかという御質問と非常に類似していると思うのでございます。目がつぶれても歩けないことはございません。併し少くとも歩くのには非常に不便であると思うのでございます。ところが目がつぶれた人は国が何とか心配して杖くらい与えております。ところが本法案におきましては杖を与える努力をしていないのじやないか。停電ストをやつちやいけないというだけであります。それから先に停電をしなかつたらどれだけの保障をするかというその保障の規定が全然ございません。だから目はつぶしたけれども杖を与えないということになるのじやないか。公務員法ですら公務員はストライキをしちやいけないと言つておりますが、併し他面におきまして、人事院の勧告、公平手続というふうな方式によりまして、或る程度まで公務員の利益を保護しようとしております。それにもかかわらず、公務員の利益はなかなか保護されないものですから、坐り込みだの、煙突に上つたりなんかするようなことをしなくちやならないということになつておると思うのであります。今のところともかくこの法案におきましては、少くとも目はつぶしたけれども、杖を与える努力はないという感じがするわけでございます。これは多少ともほかに変だという御批評もあるかも知れませんが、一応例として申上げておきます。更に、鉱物資源の滅失、若しくは、重大な損壊が労働者の生活権とどう比較せらるべきかという問題がございます。鉱物資源が全面的に崩壊するという場合というものにおきましては、私としては、先ほど申上げました通り、特別の緊急立法をする権限というものは、私は、国会にもあると思う。又、これは憲法違反にならないと思つております。併し今のこの規定でございますと、法案によりますというと、全く小さな常磐とか九州とかいうような、全く小さな、月産数百トンの炭鉱が壊れた場合におきましても、なお且つ、やつちやいけない。で、ストライキの制限がされておるということなのでございます。こうなつて来るというと、どうもこの法案というのは、少し、書き過ぎだということになると思います。現に、政府側の説明でも、小さな、全く小さな、ほんの、けちな一つの山においての問題としても、なお且つ、本法の適用があると言つております。これは少し書き過ぎであるということになろうかと思つております。従つて全面的な鉱物資源の損壊というような現象が起つて来たような場合においては、個別的な全く小さな山の場合と区別して頂くことが望ましいと思うのでございます。勿論、併し、労働者の生存権というものも、これは言うまでもなく大事なものでございます。そして、一寸の虫を生かすためには、五分の虫を、殺してもいいという考え方は、最終的には一番自分に都合の悪いやつは、殺してもいいという考え方にも通じて来ますので、こういう考え方には賛成できない。ルソーも曾つて「一寸の虫を生かすために、五分の虫を殺してもいいという考え方は、絶対制度の発案した最も嫌悪すべき言葉だ」と申しております。私もそれが、やつぱり正しいのではないか。みずから犠牲を払つてこそ、これは感心すべきことであります。併しながらそうではなしに、犠牲を強要するということになつて、参りますと、やはりこれは行過ぎになると存じます。そうして公共の福祉という概念をむしろフアツシヨ的に理解するという結論になる虞れがあると感ずるわけでございます。なお、この電産、それから炭労につきまして、この法案と類似した法案が制定されれば、勿論、私鉄、ガス、水道というようなものについても、どんどん制定されるでありましよう。又、制定されませんでも、労調法の第三十六条がそういう解釈だつたんだということで適用されて行く虞れがあると思います。従つてこの法案ができるかできないかというのは、結局、私鉄、ガスなんかに、勿論関係して参ると思うのであります。併しおよそ考えて見ますというと、すべての産業で、公共の福祉というものに関係しない、公共の生活に関係しないものは全然ございません。で、あの三越であろうと松坂屋であろうと、やつぱり公共の生活というものに何らかの関係を持つということは、これは言うまでもございません。で、競輪でさえも公共と関係していると言われているわけでございまして、すべてストライキというものは制限されるという可能性が出て来ると思うのでございます。従つて、何が公共産業か公益的事業かということをあまりにも拡大する形になることは、勿論望ましくないと思うのでございます。そして私としてはあまり好まないのでございますが、労調法第三十六条の解釈問題を、これを裁判所に任すのが正しいのではないかと思うわけでございます。勿論この三年の時限立法にするということは非常におかしなことでございまして、違法なのに持つて来て、三年たつたら合法になるということもないのでありまして、その間にいろいろ慣習ができるのだという説明があつても、慣習というのは法律があつて作られだ慣習でありますからして、自然な慣習とは申せないわけでございます。この点はちよつと私としては納得できない点でございます。で、これを要しまするにこの法案というのは、全体的に申しますと、労働組合に対する絶対的な不信の上に立つているという感じがいたして仕方がありません。然らば、果して労働組合は実際不信なものであるかと申しますと、これはどうもそうは申せないと思うのであります。この前の炭労のストライキのような場合を考えましても、組合はすでに六十日以上に亘つてストライキを継続いたしまして、組合員自身あした食べるお米がないというところまで追い詰められて来たのであります。それにもかかわらず、じつとその間、保安要員を引揚げないで堪えて来たわけです。この日本の炭労の性格というものがどれほど穏健で、そして信頼できるに足るものであるかということが、あれだけでも証明できると思うのであります。更に、炭労電産の基本的権利といつてもいいようなストライキ規制の制限が行われる。この現在の下におきまして、若し気の早い組合でございましたら、今のうちにそれでは最後だとばかりに停電をぶん流してしまえ、或いは又保安要員を全部引揚げるということをやるであろうと思うのであります。無責任な組合なり、それから気の早い組合だつたら、それをやるだろうと思う。併しそれをやらないで、じつとこらえているところに、組合の健全さと良識さというものをお認めになると思います。私は別に組合員でもございませんけれども、一般的にはやはりそうなんじやないだろうか。労働者にとつてストライキというものがどれほどつらいものであるか、これは私たちも十分わかります。で、一日五百数十円というような基準賃金をもらつておりますが、その五百何十円、六百円足らずの賃金を失うということは、これは非常につらい、これは当然でございます。又自分の職場に対する愛着心も非常に強い、これも当然でございます。それに対しまして、このような法律ができまして、そして、その結果、雇主のほうでロツク・アウトをしたり、そして又ストライキをやる場合に切崩しをやつたり、或いは又この保安要員の報酬を払わないと言出したりすると、労働者というものが、自分の敵は何だということを、やつぱりその場合におきまして身近において見るようになつて来るのではないか。言い換えれば保安要員という名目であるストライキ破りを入坑せしめる、それをピケツトを張つてとめるということになりますと、これはスト規制法第三条違反ということで、警察が出てピケット隊員を殴り倒すということになりますと、結局、最後には、炭鉱労働者と、それから警察官とのぶち合いというものにならざるを得なくなつて来るという虞れを私としては感じるわけです。併しそれによりまして、折角穏当に又穏健に進んでいたところのストライキが、争議が、最後に血を見ないと納まらないという段階になつて来る慣れを感じるのでございます。現にアメリカの労働法というものを日本でよく参考にすると申されるのでありますが、アメリカの労働法というものは余り参考にすべきものではございません。これは非常に乱暴なストライキが前提になつております。ストライキ破りの会社なんかございまして、そうして雇主側の要求によりましてスト破りを供給する、或いは組合の幹部の後ろから自動車を走らして行つてぶつつけるというようなことをやる会社なんかあつたのでございまして、ストライキというと、殴り合い、鉄砲の打ち合いというものが起るわけでございます。又、交通ストライキのような場合におきましては、街の真中に釘をまくというようなことをよくやるのであります。釘をまきますと自動車のタイヤに触れますと、ポツンと上に上りましてみんな破れてしまう。従つて釘をまいたストライキなんかよくやります。それからホテルのボーイのストライキなんかの場合におきましても、これはみんな何か特殊な塩酸か何かを材料にした薬がございまして、そいつを持つて行つて、そうして廊下のあつちこつちに唾をつけて靴でなすりつける、そうしますと嫌な臭いがいつまでも消えないという薬がございます。こういうものを、あつちこつちになすりつけたということがあるわけです。殊に一九〇〇年前後のこの前のつまりルースヴエルトのニユー・デイール以前のストライキは、機関銃まで持ち出したようなストライキが多いわけでございまして、アメリカの労働法というものは正直に申しますと余り学ぶべきものかどうかは疑問なんでございます。私は本法に類似するものが外国に果してあるかどうか存じませんが、ひよつとしたらアメリカの州なんかにあるのじやないかと思いますが、若しあつたとしても、こういうふうなものは余り紊りに学ぶべきものではない。それよりも、如何にして国家権力がストライキから自由で、そうして労働者と雇主の、本来夫婦喧嘩であるべきものが、だんだんだんだん成長して、どうしても組合と、労働者と警察官或いは労働者と国家というものの激烈な衝突というものに発展しないことを、私としては祈るわけでございます。そのほうがむしろ経営者の立場から申しましても、非常に常識的な、そうして又現在炭労なんかがとつている態度にいたしましても、態度に応える十分な道ではないかと信じるわけでございます。要するに、私の意見というものは、只今小笠原さんのおつしやつたことを中心にいたしまして、やはりしみじみこの前のストライキというものが会社側の責任になつているのじやないか、会社側がより大きな役割を演じておつた、そうして一般の俗論を煽りまして、組合を圧倒しようと、もつと進めば組合を分裂させようというような政策が、この場合強く働いているのじやないかという感じが強くするのであります。その点を中心にいたしまして、あの事実は本法案の基礎にならないということを信ずる旨を申上げたいのであります。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) ちよつと委員諸君にお諮りしますが、弁護士の長野公述人は五時から御所用があるそうでございます。従いまして、若し御質問があれば、この際お聞きをするか、なければお帰りを願いたいと思いますが、よろしゆうございますか。

田中啓一自由党

○田中啓一君 結論をおつしやれるならばおつしやつておいて頂きたい。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 長野君にちよつとお願いを申上げますが、あなたの御陳述は本法律案に対しまして賛否が明かになつていなかつたようでございますので、若し明らかにすることができまするならば、お引きとりのときまでで結構でございますから、明かにして頂きたいと思います。

長野國助弁護士

○公述人(長野國助君) 御指定の項目だけについて申上げたのですが、その中に賛否が出ておると思いましたが、要するに私は、今年の二月か三月かに労働省で申上げた通り、これは止むを得ない立法として賛成しておる。なお私は、この項目別に掲げる前に、別に私の考えを申上げたいのは、これは、この前の労働省で申上げたのには多少出ておつたと思いますが、若しこれを、この前、昨年のあのストを緊急調整でやらんで、そのまま放つといたらどうなるか、これは私は非常に恐るべき結果を生じたと思うのです。これは東京よりも大阪のほうがその徴候が現われておりましたが、こういうことについては、当事者同志の、つまり労使両方の争いとして放つておけない。つまり先ほど小笠原さんですか、ああいう素朴な自分が困つたということだけで非常に争議を恨み、自分の不満を爆発するというような国民が相当たくさんおるのですね。早くいえば、労働争議というようなものは、これは世界の大勢であるし、この組合というものを認めなくちやならない。例えば日本においても、労働大衆、それから組合の政治、経済に占める地位と勢力というもの、これは無視できないのでありますから、それを育て上げてよいものにしようというものは、余ほど都会の人です。田舎なんぞはなかなかそういうふうに考えない。都会の人でも、中小商工業の人なんか自分の利害のほうが切実です。それ以外の人でも、恐らく、組織を持つていない人、そういう人の大部分というものは、非常に迷惑だということだけ頭が働く。そういうようなことでありますから、あれがまだ遙かに長く続いた上には社会が大混乱に陥ると思う。それは経営者と政府と混乱に陥るならよろしいが、そうじやない。無筆の第三者的消費者あたりと非常な大混乱を生じると私は信じておる。かようなことは、私どもは、今の日本のおかれてある国際的、国内的事情から言つても、非常に秩序というものを失う。秩序を保つということに非常に影響があると考える。さような点から考えましても、若しあのときにああいう措置を政府がとらなかつたならば、到るところに非常な混乱が起つたと、私はそのときに固く信じた。これはどうしたつて政府というものは、今の政府がいいか悪いかなんという問題じやない。これは高い立場にあつて国民のために何かするのが政府の役目なんでありますから、これは先ほど小笠原さんが言つたように、ああいうことが起つたときにはもう少し早期に何かの手を打たなくちやならない。それは緊急調整という方法でやるかどうかは別であります。併し何かやらなければならん。それを放つておいてもいいというのは無責任だ。さようなことから考えましてやはりあれを放つておくべきではない、放つておくならば非常に混乱が起るというようなことから考えましても、これはやむを得ない措置である。併しながら一つの争議というものは必ず一般大衆に損害を与えて犠牲を払わすということが建前だ、それが前提になつておるのでありますから、この点は広く社会民衆は関心を持たなければなりませんが、今の程度においてはやむを得ない措置と存ずるのであります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 引続きまして東京都電力協会副会長飯田務君の御意見をお伺いいたします。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 私は東京電力協会の副会長でありますと同時に、全国電力スト禁止立法期成協議会の副会長であります。全国一都二府四十三県を一都三十六単位に区分して、昨年の二十七年の十二月十二日に結成いたしました。この会の決議と、昭和二十三年の八月結成以来、電気事業の各般に亘りましてあらゆる努力をいたして参りました電力協会の決議に則りまして、本日の公聴会に公述をいたしたいと存じております。昨日の本公聴会を拝聴いたしました、我々消費者団体の立場については余り関心を払われておらないというような気がいたします。少し蛇足であると思いますが、一言私たち消費者たちの立場をお話申上げて今日委員会の質問にお答え申上げたいと存じております。その点どうぞ御了承願いたいと思います。  私たち電力協会は全国的に組織がございます。いずれの会もが電気事業の健全な民主的発達助長することを一つの目的といたしております。昭和二十三年頃のあの夜ごとに消える電力事情は、私が喋々するまでもなく、皆様骨身にこたえて御承知のことと思います。そのときフイーダー単位の需要を構成しているものを統制いたしまして、この混乱を乗り切つたのは、僣越ながら私たちの協会であります。その当時、このフイーダー単位の需要構成が、配電会社で配電図が一つあつたでありましようか。お気の毒ながら、失礼ながら、その図面さえもなかつた。これを私たちは今日の姿に築き上げて来るには、涙の物語りが多々あるのでございますが、(笑声)時間を要しますので割愛いたします。少し和やかにやらんと、どうもさつきから殺気だつておりますから、皆様方、本当に和やかなうちに御相談申上げたいと、こう私は考えておりますが、今回は電気のことに関しましては、あらゆる聴聞会、あらゆる公聴会、或いは電気料金の値上げの問題、或いは電気事業再編成の問題、或るときは電源開発関係、或いは法規関係に関しまして、皆様方の質問に答えておりますが、電気の場合は発生即消費であつて、消費者の協力なくしては一日も満足な状態に置かれぬというのが今日の電力事情でございます。敗戦後に残されましたただ一つの資源はこの電力であると申上げても、過言ではないと思いますが、独立国が主権と国民と領土から成り立つがごとく、企業体というのも経営者と資本と従業員とから成り立つていると私は考えております。従つて私が相手にするものはこの企業体であります。一経営者、一従業員、こういうふうには私は考えておりません。私たちは、従つて電気事業の最もよき理解者であり、最もよき世論の指導者であることを努力してやつております。従つて、申上げますことは極めて現実的であり、極めて、言葉に飾りがないと思いますが、お聞き苦しいところはどうか御容赦願いたいと思います。  さて本論になりますが、木魚じやどうも都々逸は唱いにくいのでありまして、ストライキやるときには何かこう伴奏を入れておかんとストライキはやりにくいなんというのが、どこかの学者が黒だと言えばそれは白じやないのだとか、色の構成からいうと、黒だということと黒じやないということとは大変違うのだとか、どうもそういうような論議ばかりやつておられたので私たはち需用者の立場は成立たない。めだかの境涯をうらやんで春の海に入水する者を後からつつころばしたらこれはどうなるであろうかと(笑声)私はこう考えておるのであります。そのことの是非善悪よりも、そのときの社会のあり方がお互いの人生に問題ではないだろうかと私はこう考えております。理窟と膏薬はどこにでもくつ付く。くつ付かない膏薬は効かない、値打がない。こんにやくにもどうも裏表があるそうです(笑声)。表じやないほうが裏であつて、裏でないほうが表である。これが学者談義ではなかろうかと私はこう考えております。どうもそういうことでなしに本当に国民のためを思つて論じてもらいたい。満足に電気の供給もできないくせに電気を送らないストをするとはこれいかに。(笑声)どうでしようか、こう考えておる。口が横に裂けておるとは言いながら甚だ不都合なことを言うとおつしやる方があれば私は後ほど伺いたいと思います。私たちは法律には暗い。六法全書をそらんじてはいないが良識で生きていることは事実である。それで生きておられない世の中であるとすれば、これは大変な世の中ではなかろうか。私は公共の福祉ということについて字引をひいて見ました。法律的にどう解釈なさろうと字引にはこう書いてあります。「社会一般公衆の幸福」とこう書いてある。そこで私は幸福とは何ぞや、字引をひいて見ました。こう私たちは字引の世話にならなければならないほど国民は低調な感覚を持つておるとお叱りを受けるならば甘んじて受けます。即ち「人生の根本要求が満足されて不足感のない心の状態」これが幸福とこう書いてある。そうするとこれはちよつとむずかしく言うと、人権だ、こういうことになる。これを侵しておるか、侵しておらないかということは、これはもう私がここで喋々申上げるまでもなく、あのストライキでは私たちはこの法則にのつとつて人権を侵されたと、こう考えております。生きるために食うか、食うために生きるかというような論議を私はしておるわけではない。(笑声)私は生きるために食う。(笑声)食うために生きておるというようなことよりも、生きている現実のために栄養をとるために食わなければならない。この食つておるおかげで生きておるという現実を曲げることはできないと思う。かく観じて来ますときに、天下の公器である電気を私に悪用をする、即ち電源スト、停電ストをなすということは、公共の福祉をその根本からくつがえす、こう平つたく通俗的に申上げることのほうが真理じやなかろうかと、こう考えております。これらのこういう公器をストに用いてよろしいと言われる方があるならば、そのストライキをやるときにそういう人たちだけの電気をお消しなさつたらどうだろうか。これだつたら誰も文句は申上げん。先ほど学者がおれはちつとも困らなかつたとおつしやるが、困らない人の電気をとめられたらどうですか。それじや意味がない、我々の目的を達成せぬとおつしやる。そこで若しそうだとするならば、これは社会不安を起し、世論を欄乱してひそかに私の利益をかちとろう、こうなさるのが目的じやなかろうかと、こう考える。そう考えることが今社会一般の通念のように私受取つておる。どうかこのことについてそうじやないというお教えがありまするならばどうか私に教えてもらいたい。  由来ストライキはその企業体内部の問題であつて、第三者に直接の被害をかけるところのこういう方法に訴えられるということは問題いではなかろうかと思います。昨日も労組のかたからストライキをやれば大なり小なり世間に迷惑をかける、それは仕方がないじやないかと、こうおつしやいますが、電気の場合は大分違う。直接これは需用者に行く。而も争議当事者には非常に軽微な被害でしかない。例を申上げますと、昨秋の争議期間中に労組側は停電スト、電源スト併せて二百十円なりの損害でしかない。会社側の発表しておる中国電力の例を挙げて申上げますと、一億五千万円の営業収入が減つただけ。これはその電力会社の営業収益の五%にしか当らん。どれほど絶大な被害をそれでは国民にかけておられるという証拠を挙げましよう。私たちが千八百四十四工場について調べました結果がございます。総停止電力が五千二百八十四万四千八百八KWHこれで約五十三億円に相当する損害を調査の上では挙げております。これは総停止電力約三億KWHが現在の日本の需用の上から考えてみまして三日分に相当するという世論と一致しております。大体正確な報告が千八百有余工場から出て来たものと私は考えております。これを以て類推することは甚だ乱暴であるかも知れませんが、鉱工業の一部門の、いわゆる第二次産業部門の国民所得が一兆六千一百億円あるということに比べてみまして、これは異に厖大なる損害ではなかろうか、私はこう考えております。  昨日の質問の中に、それではお前たちは損害を受けたと言うが、損害の賠償要求を出したか、こういうような質問が出たように記憶しておりますが、私たちは電産にも、電力会社にも、この損害を請求しますぞということは口頭で申上げてある。法律的措置はとつておりません。併し当参議院の議員であられる奥むめおさんも大分主婦連合会の人を引連れて電力会社にこの問題で食い下がられたと私は記憶しておる。このような被害を電力会社からでも労働組合からでも払えという議決を国会でして下さいますならば、私たちはたちどころに要求を出したいと、こう考えておる。併しひるがつて考えてみますと、これらの損害から類推して行きますと、あの三カ月間の損害は数億円に達すると思うが支払能力があるやろうか。そういう支払能力のない所に、私たちは電気事業の健全なる発達を助長する意味において、損害の要求をしておらんのであります。このことはどうか皆さま方よくお聞き取り願いたいと、私はこう考えております。  こう考えて来ますと、労働組合がふり上げた伝家の宝刀はなまくらであつたのだ。併し国民の懐を切る鋭利なナイフであつたことについては事実であるだろうと、私はこう考える。これが主権者である国民の懐を切る鋭利なナイフであつたということについては、私は声を大きくしてこのストはやめてもらわなければならん、こう断ずる者でございます。即ちストの目的者であるところの企業者を切ることができなくて、第三人者である而も敗戦後権主君としてこの労働争議権を與えた主人公を切るとは何たる感覚を失したる行動であろうか。子が親を切るという罪は制せられなくても道義上は捨ててはおけない問題だろうと、こう私は考えております。社会一般が、法治国家でそんなことが許されるということは恐らく考えておらんと思います。それでそれを若し許すと、こうおつしやるなら、そういう学者があり、そういう支持者があるならば、その第一手段として本法案の要求を私たちは支持しておりますが、この法案に代つて国民を守つてもらうだけのことをやつてもらいたい。昨秋のストが非常に事態が悪化するであろうということは、私たちはこのストライキに突入された当時から考えておりました。従つて私たちの協会は十月の二十三日にストの解決要請文を持つて電産の本部をたずね、電力会社をたずねております。  その前後かと思いますが、東京駅の八重洲口の前でNHKの街頭録音がございました。そのとき私はこのことを申上げてある。若し、今度のストは今までのストと相当様相を異にしておるが、このままに事態が推移するとするならばえらい問題を抱え込まなきやならんぞ、外国にこういうストライキの例を自分は知らんが、当時の総評議長であり電産の委員長であつた藤田君に、どうか考えてもらいたい。そうしたら藤田君は何と言つたか。諸外国においてこういう争議は例がたくさんある、君は知らんのだからもう少し勉強せいと、こう言われた。(笑声)それは録音の中に確かにはつきり残つておる。その後そういう例があつたという反証は私のところに一つも出て来ない。どうです。私は今でもないと、こう考えておる。それはその国の民主化形態が日本の民主化形態と非常に形を異にしておる。ここに問題があるのであつて、私たちも共に手を握つて日本の国民であることを願つております。だから私は一概に労組を弾圧しようということは考えておらんが、身にふりかかる火の粉だけは払わなきやならん。労働組合も身にふりかかる火の粉を払うべく立上つてスト権を行使しておられると思う。このことは第三人者である国民にとつても同じことが言えると思う。  私は今まで議論に上らなかつた消費者の立場を代表しますので、一方的に議論を申上げます。私が聞いている今までの議論も中立の方々も一方的な議論をなさるようですが、併し私といえども良識を持つておるので、後ほどの各条項の回答につきまして私の良識を御判断願いたいと思います。あまつさえ私は当時の電産におられた坂本さんにも、あんたこういう争議の仕方をしておるとこれは必ず今度は国民が立法規制をやろうじやないかという声を出すが、あんたどう思う、それでももう少し積極的に解決の方法を見付けることはできんのか。私は十数名を引連れて雨の晩築地の本部に乗込んだ。そのときに彼は私たちの言うことを一蹴してしまつた。我々は資本主義と対決をやつておるんだ。ここにおいて私は一言も申上げる術も知らなかつた。若しそうだとするならば、あの争議は経済闘争ではなかつた、賃金闘争ではなかつた。その当時総評で議決されたスローガンの中にもこのことが謳われており、繰返し賃金闘争をして資本家に重大なる打撃を与えるということが決議されておるにおいておやだ。而も私たちは避尖頭時に産業動力をとめて家庭の電燈を守つておる。このことは昭和二十三年以来今日まで営々としてやつておることだと言われた。それにもかかわらず遂にあの争議期間中二日に亘つて夜間電燈を切つたじやないか。これは労組が切つたにしても、電力会社の配電措置がまずかつたにしろ、企業体としての責任は同等に負わなきやならん。私はこれを強く主張する。こういう意味におきまして私はこのスト規制法を当時の労働省に願い出た。この願出たことの嚆矢は私たち協会が勤めたと私は考えておる。その後昨日も問題に出た日経連も時を遅らしてこの問題を取上げて大分論争したように記憶しておりますが、私たちは国民の立場を守るべくこの要請を申上げたのであつて、資本擁護のためにやつておるのじやないということをはつきり申上げておきます。  こういうような観点から一昨々日も議員の皆様方のお手許には私が代表いたしました要請陳情を出しております。きつとお手許に届いておると思いますが、こういうような立場から考えて来ますと、この電産の争議に端を発しました電力スト、いわゆる電源スト、停電スト、はては給電ストまで突入せんとしたこのことを考えてみますと、電気は今や生産上最も重要なる原動力でありまして、国民経済、公共の福祉に必要不可欠のものであり、より以上の代替物がございません、これが一点。自流の放水により失われた電力は永久にいかなる手段によるといえども取戻すことはできない、これが二点。電源スト、停電ストは極めて少人数をもつて行い得、而も争議当事者の損害は僅少で、国民に甚大なる直接被害をかける、これが三点。電気事業経営者は公共の利益の損壊なしに法認された防衛手段を対抗手段として行い得ない、これが第四点。こういうような立場から本スト規制法案を一日も早く御審議下さいまして通過させて頂くことを念願するものでございます。  次にごく簡単に借間の条々につきましてお答えを申上げます。こういうような私たちの立場からいたしますと、これは電気事業者も甚だけしからん。この法案の通過を電気事業者が率先して願い、国民にその不明を謝すべきだと、私はこう考える。それと同時に、再びこういうようなストはやらんから、そういう法律はあつてもなくてもよろしい、皆様方の気体めならそいう法律を作つて下さいと、こう組合の連中が言うべきだと、私はこう考える。そういうようなことをよう言わんようでは、あのときの争議の長期化の原因は、これはどつちかというと、比重が組合のほうに多かつたのじやなかろうかと、私はこう考える。こういう解決の態度としては、政府がああいうような事態に追込まれるというようなことは甚だお気の毒な状態であるが、自主的解決に任すというようなことはややよかろうと私は考えるが、併し中労委のとつた態度については私は中労委の中山会長に面談して文句を言つた。君たちは調停をするならもう小し何とか手際よくやらんか、どうも君たちは国民の信頼をつないでおる中労委とは言えんぞということを言うておきました。併し組合のとられた態度につきましてはあれがただ単なる賃上げ斗争でなかつたということについては、私は非常に遺憾だと思う。政治運動をおやりになるなら別の角度からおやりになつたらよいのであつて、私は国民の一人々々が中立だとか、私は無所属だとかおつしやられるが、政治感覚をもつておられるということについては私は一言半句もない。どういう政党を御支持なさろうと私は大いに御表明なさるがいいだろうが、そういう機会をとらえて火事泥をやるということは私は賛成できない。  第三、公共の福祉。私が先ほど申述べましたような意味合から、どうも組合のかたの労働争識のやり方が下手くそである。私は筑豊炭田の真中に生れて真中に育ちまして、坑内の中にも入りました。而も私は今日機会あるごとに方々の坑道に入つております。切羽にも入つておる、カツペの状況もよく知つておるが、併しどうもストライキのやり方が下手だ、いかにも。私たちが意気盛んな頃、例の熔鉱炉の火は消えたりという時代があつたが、あの頃から考えると今の労働組合のやり方は子供だ、問題にならん。機会あるならば私は教えてやりたいと、こう考えておるような次第です。  調整制度や緊急調整につきましては、これは私たち専門家でない者がいろいろ申上げる必要はないと思います。併し緊急調整が出るときには、すでに国民が被害を受けたあとであるということは御記憶願いたい。強制仲裁制度においては、もうこれは論外の沙汰でございます。  団体の行動権と公共の福祉という問題につきましては、どちらが優先するかということは、これは組合の良識に譲るよりほかに私は何も言うすべがない。  次に争議行為として残された方法の中には、私は停電ストと電源ストよりもつといい方法があると考えておる。これは組合自身よく御承知のはずなんです。私をして言わせるならばこれは少し過酷だろうと思うと私はあえて申上げる。併し自己の利益を滅失しても勝ちたいということが労働運動の鉄則でなければならんということをよく御記憶願いたい。自分だけは権力の上にあぐらをかいて給料をとつて争議に勝とうというのは、これは私をして言わしむるならば考えられんことである。その点については炭労の争議について大いに敬意を表さなければならないと、私はこう考えている。従つて炭労の争議と電産の争議とは目を同じくして語れるものではないと私は考えるが、併し自分の職場をこわすほど良識を持たないわけではないということを昨日炭労の委員長が言つておられた。私はこれですべてが解決すると思います。併し企業者といえども背に腹は変えられない。保安設備の手が届かないという所を法律で縛つてやるということは職場を守つてやるということに相通ずるのではないかと、私はこう考えておる。その他の公共事業に拡大適用するであろうということは、それはあつものにこりてなますを吹くたぐいではないかと思います。三年の時限立法、三年たつたらこれが合法になるというようなことは、これは子供が考えても違法は違法なんだ。併し良識ある慣行を樹立するためにこの期限が欲しいとおつしやるならつけてお上げになつた方がよかろうと思う。併しこの悲惨なる立法、この不名誉なる立法が要らぬということは、あの昨秋の悲惨なる被害の事実の上に組立てられたこの立法に対し、事実を以てお答え願いたい。事実を以て一日も早くこの立法が法案の上からなくなるべく御努力願いたい。  諸外国の例につきましては、私が申上げるまでもなく賢明なる議員諸公御存じのことと思います。  甚だ駄弁を弄しましたが、一言会を代表いたしまして公述いたします。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 引続きまして、朝日新聞論説委員江幡清君の御意見を伺います。

江幡清朝日新聞論説委員

○公述人(江幡清君) どうもこの席を見ますと、賛成、反対、賛成、反対というふうに初めから並ばされているように思いますが、別にそういうつもりではありませんけれども、いささかこの法案について私の感ずることを二、三申上げてみたいと思います。  その前にここに十項目ほど皆様に求められた問題につきまして皆様方が御意見を申上げておるようでありますから私も簡単に申してみたいのであります。  第一の昨年の電産、炭労争議が長期且つ深刻化したことにつき政府、事業者、労組のいずれが主たる役割を演じたと思われるかということでありますが、実はもう半年ほども前のことでありますし、非常に記憶も不正確になつております。従つて相当あいまいな点があると思いますが、政府、事業者、労働組合と三つ並べますと、やはり政府の責任と言いまするものは要するに政治、政策面と言いまするか或いは電気政策と言いますか、労働政策と言いますか、そういうふうな政策でありまして、直接事業者と、労組の役割とはやや違つているようであります。それで若し直接どちらが主たる役割を演じたと思われるかと申しますと、やはり事業者と労組と考えるよりほかにありません。それで事業者と労組のうちいずれが主たる役割を演じたか、これは非常にむずかしい問題でありますが、率直に申しますれば、私は両方がそれぞれ役割を演じているとは思いますけれども、やはり事業者のほうにも相当無理があつたように思われます。で、その根本的な原因は、結局昨年のストライキが占領から初めて解放されてそうして一応独立という形になつた、そうしてその独立後の労使関係について事業者も労組もやはり見方があまかつたのではないか。つまり労組は事業者のほうを相当あまく見ておりますし、それから事業者のほうも労働組合をあまく見ておつた。そういうあまさというものが結局ずるずるとあすこまで持つて行つた、そういうことが一つ考えられます。  それからいま一つ事業者のほうといたしましては、やはり占領下において相当労組助成政策をとられましたし、或いはストライキにつきましては直ぐに総司令部のお声が入つたり、それからそのお声を受けた中労委の斡旋で半ば強制的にいろいろな解決を呑まされた、そのために非常に不利な立場に陥つている。それでこれを何とかして一挙に取返さなければならない、そういう考えが相当強かつたのでございます。そういうふうな事業者の攻勢と申上げたほうが適当と思いまするが、そういうものがやはり相当強かつたのじやないか。それが長期化された原因にあるのではないかと思います。  それから第二の昨年の電産、炭労の争議の解決について政府、中労委、会社のとつた措置について御意見でありますが、政府のとつた態度は私は立派だと思います。政府はあの争議に対しましては不介入の方針をとりました。これは政府としては私は当然だと思います。恐らく政府がその不介入の方針をとつたのは、結局独立後の新らしい労使関係において正常な労使の関係、労働争議の起つた場合に正常な解決の慣行を作ろう、その慣行というのは結局労使が自主的に交渉して、そうして解決がつかなければ中央労働委員会なりその他の斡旋調停委員会に持込む、そこで解決していく、そういうふうな正常な慣行を作つていこうじやないかというところであつたろうと思います。そういう意味で政府が直接介入に乗出さなかつたことは私は立派であつた。ただ最後に若干動揺したようでありますが、とにかく政府については直接にはそう大した責任はないと思います。  併しただそれならばどうしてこういう制限法をお出しになるのか、その点との関連が少し疑問になるわけであります。と言いますのは、若し政府がしばしばあの当時申しておりましたように、双方が自主的に交渉して解決しなければ中労委に持込んでいく、そうしていろいろな世論或いは中労委の努力によつて解決するのだということを申しまするならば、こういうスト制限法というものは出て来る余地はないわけであります。従つて若し邪推をすれば、その後において政府の考えが変つたのであるか、或いは政府は表面そう言つておりながら、事実法律からみると、どうも労働争議に介入したかつたけれども介入する方法がなかつたから、そういうことを言つておつたのた、そういうふうな疑いも出るのでありまするが、併しそうでないことを私は信じたいのであります。  中労委のとつた態度でありまするが、これについてはいろいろ批判があると思いまするが、私も非常によく努力したと思つております。  会社の態度でありまするが、先ほど会社が占領中に失つた失地を一挙に取戻そうとしたということを私申上げましたが、具体的に申しますれば、あの電産の場合を申上げますと、争議が非常に過烈だつたときに、例えば三十八時間の労働時間を四十二時間に延長する、そういうふうな問題を新らたに出じております。それから又あの調停案につきましても、恐らくあのときに会社側は労組と経営者団体と統一交渉で問題を解決するという前提であの調停委員会に臨みましたし、又調停案を受けたと思いまするが、ところが調停案が一度発表されますると、直ちに電気産業労働組合との交渉はいやだ、各電力会社別に交渉したい、そういうことを申しておつたのでありまするが、そのために、これは相当組織上の問題でありまするから、やはり解決が長期化した。若し私の記憶にして間違いがなければ、あの調停案が九月に出ておりまするが、直ちに会社側がそういう主張をいたしまして、十一月の初めの頃までその主張でがん張つたのであります。そうして中央労働委員会中山会長が斡旋に乗出そうとしたにもかかわらず、やはり電産との統一交渉では困る、企業別の交渉でなければ応じられないと、そういうことで非常に延びた原因があります。  それから石炭の場合でありまするが、私はどうしてああいうことになつたかわからないのでありまするが、明らかに組合の要求も確かに過大でありまするが、同時に会社の態度も賃金を若干引下げるような対案を出しております。そうしてそのままずつと突張つて十一月の中ばまで団交を持とうとしなかつた。恐らく正常な労使関係というものを考える場合にはどうも理解しかねることであります。  それから労組のとつた措置についての意見でありまするが、労組としてはどうしてあの中労委の斡旋案が出た場合にあれを飽くまで拒否したのか。そうして最後には相当電気にいたしましても或いは石炭の場合にいたしましても、かなり保安放棄或いは給電指令所のストライキとか、大規模なストライキ手段を考えておりまするし、やはり何かそこに見通しの誤りと言いまするか、或いは自分の力に対する過信と言いまするか、或いは闘争心と言いまするか、そういうものがあつたのではないか。勿論そういうことは、要するにあの争議があすこまで長期化したがら且つ深刻化したからできたのでありまして、初めからそういうことはないのでありまするが、とにかくそういうふうな感じを起します。  第三の公共の福祉でありまするが、私これは専門家でありませんから申上げませんが、ただ考えておりますのは一体去年電気のストでも或いは石炭のストでも、あの争議をやつておる当事者が初めから公共の福祉を阻害するつもりでやつたのだろうか。そのことには私ちよつと疑問を感じます。と申しますのは、あの場合でも電産がやつたストライキは多分一割から二割五分ぐらいの電源ストであつたと思うのです。そうしてなお且つあれだけの損害を及ぼすのでありまするが、併し若し問題を一挙に解決しようと思うならば、これはああいう一割のようなだらだらしたストライキをやるのでなくて、初めから本当に公共の福祉を阻害するようなストライキを打つたであろうと思うのです。それをああいう形のストライキをやつて来たというのは初めから破壊的である、そういうことを目的としてやつたのじやない、私はそう思います。  それから行き過ぎであるということを理由にしてストライキ権を大きく制限するのは妥当かというのありまするが、この問題について私若干考えておりますることは、やはり労働組合の組合員からばストライキ権は奪つてはならないということであります。それでこの法律によりまするとストライキの方法を規制するのでありまするが、併し例えば電気産業労働組合或いは東電労組の発電所或いは変電所、給電指令所等に従事する従業員にとりまして、これは実質的に争議の手段を奪うことであります。全体の労働組合としてはとにかくあの職種に従事しておる諸君については恐らくはかには争議の手段はございませんでしよう。大体労働者が組合を作つて権利を守るというのは、これは団結しなければならないからでありまするが、なお団結によつて利益が守れるのはいつでも職場放棄ができる、そういうふうな権利があるからその組合の団結の威力を発するのであります。ところが実質上そういう行為ができない。争議の方法が奪われておる。そういうことになりますると組合を作つても無駄であります。先ず現在の労使関係においては殆んど効果がない、そう考えざるを得ないのであります。勿論そういうことを申しますると、併し発電所、或いは変電所等に従事しておる諸君は、ほかの従業員と一緒になつてそうして電産労組や、それぞれのいろんな組合を作つておるのであるから、決しておかしくはないのじやないか。そのほかに事務ストとか何とかいろいろの方法がある、そういうのを一緒にやつたらいいじやないか。そういうふうな考えが出るかも知れませんが、ただ私そこで一つ疑問を感じますは、それならば要するに自分たちは争議行為をする力がない。従つてほかの人たちと一緒になつて組合を作ることを強制されるということであります。労働者が組合を作る、或いは作らない、そういう権利というものは、作ることの自由というものは、私は失われてはならないと思いまするが、ところがこの法律によりますと、発電所、変電所、そういうところの従業員は結局ほかの全然他人に依然しなければ、つまり自分では会費を払うだけの能力しかなくて、そうして他人の行動力に依存しなければ利益が守られないという結果になるのであります。これは屍理窟と思われるかも知はません。事実屍理窟でありましようが、私はやはり若干の疑問があります。勿論これに対しましては、現在そういう発電所、変電所の諸君は電産労組を作つている、それから或いは東電労組を作つている、従つて現実にそういう問題は起らないじやないか、そう申されるのでありましよう。併しこれらは彼らが法律によつて、その組合を作ることを強制されておるから入つておるのではなくて、自由な意思によつて、つまりその人たちが一緒にならなければ権利が守られない、それだから作つているのであります。然るにこれによると、自由な意思でなくて、法律で縛られるからそれに入つているのだ、結果は同じかも知れませんが、そういうところに考え方の違いはあるようであります。それで私考えるのでありますが、やはりそういうことはよいことだ、而もこういうことをやつて来ますと、ことに今日のような時勢ですと、簡単にストライキの権利、或いはその他の自由な権利というものが、だんだん失われて行くようなことがないでもないような情勢でありますから、こういうことがきつかけとなつて、ますます世の中が片苦しくなつてくる、自由が狭まつて行く、そうして我々の民主主義というものが育たないようになつてくる、そういうきつかけを与えるのであります。現にこの最後の、ほかの産業に適用することについての御意見ということがありますが、恐らくやはり電気なら電気或いはは石炭について、自由に職場放棄をする権利というものを制限いたしますと、これはやはりほかの仕事について、或いはは産業についても、若し組合がむちやをすれば、これはもうすぐ縛つて行く、そういう権利はすぐ取上げる、そういう一つのきつかけになるのでありましよう。そういう点で私非常に疑問を感じております。やはり問題はストライキ権を制限しなで、そうしてどうすれば労働者の権利が守れるか、或いは争議が起つたならば、どうして解決したらいいか、そういうことを考えるのが正道でありまして、逆に被害が大きいからこれを制限して行こう、法律で縛つて行こう、これは考え方がやはり逆立ちじやないか、そういう疑問を感ずるのであります。  それから第四に、本法を制定せずとも現行労働法による調整制度によつて公共の福祉を擁護できるというのはどうか、緊急調整制度というのは私余り好きではありませんが、といいますのは、やはりああいう制度がありますと、争議行為は法律に従つて動いて行く、緊急調整があるから、どうせ幾らやつたつて組合のほうに実力がある限りは、緊急調整で止めてくれる、緊急調整に従うか従わないかは別として、無責任でやつても最後はどつかで止めてくれる、そういう考え方がやはり一つ出ます。そういう意味で法律というものが新しくできますと、やはり制度というものができますと、それに伴つていろいろの争議の解決が動いて行く、そういう点で私好きではありませんけれども、併し我々はこれがあれば、やはり相当むずかしい争議でも、とに角一応解決のあれはあるのじやないか。これで公共の福祉が或る程度擁護できるじやないか、私はそういうふうに思います。  それから仲裁制度を強化により、本法制定に代えよという説もあるが、どう思われますか仲裁制度といいますのは、結局先ほど申しましたように、やはり緊急調整と同じような意味を持ちます。仲裁があるために争議が解決しない、どうせ最後まで行けば仲裁制度があつて、そこで解決してくれるのでありますから、これは労使双方の自主的な責任というものがなければ、争議の解決のための自主的な努力というものが失われます。そういう意味で私は、この制度はあまり好ましくありません。殊に今後自主的に労使関係というものを、何とかして育て上げなければならない、そういう立場から考えまして決して好ましい制度ではございません。併しながら若しこういうスト制限法みたいなものができるとすれば、やはりこういうものを考える必要が或いはありはしないか、ここまで行かなくても、任意仲裁制度ぐらいなものをとつて見ても、そういう一つの抜道を考えることも、若し制限法をお作りになるならば何か必要であろう、そういう感じはいたします。  六は、僕は法律家ではありませんから省略いたします。  七は、本法成立の場合、電気産業労働者にとつて、他に残された効果的な争議手段があると考えられるかどうかこれは要まるに、現在の状況をどう判断するかでございます。大体普通の経済ストライキというものは、その労使相方の教養なり文化なりが高くなつて行けば、だんだん減るはずであります。併し現在の組合或いは使用者を、あの態度で持つて行きますると、恐らくやはりこの停電或いは電源ストという手段が失われますると、非常に労使の力は、やはり形式的な言い方でありまするけれども、天秤が非常に使用者のほうに重くなり、組合のほうが非常に不利になる、これも免れないところであろうと思います。  八については法律の問題であるから、省略します。  九番でありますが、その他の産業についても同様の措置が必要と思われるかどうかでありまするが、これは私先ほど、電気、石炭の場合について、この制限は疑問だと申上げた点から、やはり必要でない、そう思います。  三年の時限立法により違法性の問題はどうなるとお考えになるかということでありますが、法律の問題は抜きにいたしまして、恐らくこの時限立法といいますのは、三年間にとかく何か労使の安定方策を考えよう、恐らくこういうストをしなくても済むような制度を考えたり、或いはそういうふうな労使の相方の慣行を作り上げて行く、そういうことによつて、三年後には、こんな法律がなくても済むようにしたい、私善意にそう解釈したいのでありまするが、併しそう申しますならば私はやはり制限法はないほうがいいと思います。と申しますのは、制限法といいますのは要求するに、労働組合のほうの手と足を縛ることであります。手と足を縛つておいて、使用者と組合の間の正常な慣行を維持しよう、そう思つたところで、これはやはり無理じやないか、初めから天秤がどちらかに傾いておるのでありますから、その間に正常な慣行が生まれるような余地があるかどうかと申しますと、むしろそれよりも逆の正常ならざる慣行が生まれる懸念もあるのじやないか、現にこの法案が国会に提出されている、そのことによつて労使の間はやはり緊張の度を増している、政府と組合の間も緊張の度を増している、そういう状態であります。従つて若し三年の間に正常なる慣行を維持しようと思いますならば、やはりこういう法律を一方で作つておいて、手と足を縛つておいてから作ろうというのじやなくて、フリーな状態で、そうしてその間に自由な双方の交渉によつてそういうものを育てる、そういうふうでなければ私はやはり正常なものはまとまらない、そういう感じを持つのであります。  それで本法に類する外国立法例でありまするが、これは私専門家でありませんから省略いたします。  それで問題は、これはいつも使用者の側からも、或いは政府の側からも出ると思いまするが、併し今、とにかく昨年度ああいう電気と石炭が大争議をやつた。そして相当多くの被害を一般に与えた。そういうことが今後ないと保証できるかどうか。恐らくこの法案に賛成する人が一番大きな論点とするのはその点であろうと思います。その点になりますると、これは確かに見る人によつて問題があろうと思います。併しこれは先ほど申上げましたけれども、あの昨年の電気と炭労の争議を見ましても、やはりあの過程において労働争議の解決にはやり中央労働委員会において、ああいう調停機関というものをもう少し効果的に利用しなければならない。そういう意識が労使の双方に出ておると思います。それから又中労委といたしましても、昨年度の経験に鑑みまして、斡旋或いは調停についてはもう少し効果的なやり方を考えねばならない。そういう経験を、反省を持たれておると思います。そういう意味で私はやはり正常な労使慣行というものに対しては、希望は捨ててはならない、そういうふうに思うのであります。  それからいま一つ、最近の組合の傾向を見ておると、そういう希望とは逆に左に左にと行くのじやないか、闘争主義になるのじやないか、そういうふうな御心配があると思います。その点につきましては、これは判断の違うところでありましよう、いろいろ。併しただ、まあ私申上げることは、やはり労働組合も、或いは使用者のほうも、とにかく一つの事件が起り、或いは一つの争議が起る、その経験を積んで、そして成長して行くのだ、そういうことであります。例えば使用者のほうを申しますれば、私は日本の使用者というものは、相当に封建的であると思います。少くとも従業員を見る場合には、やはり戦前と余り変らないような見方が強いように思われます。併しそういうことではやはりいけない。新らしい情勢に対応して、労働組合に対する見方というものも少し変えねばならない、そしてその上に立つて、労使の関係というものを合理化する方法を考えなければならない、そういう反省が全然出てないと、そうは申されません。やはり出ております。それから又組合のほうでも、それじや使用者はああいう調子なんだから、とにかく俺たちは闘争々々で、それで階級闘争でやつて行かねばならないのだ、そこまで私は考えておる、全体の組合員が考えておるとは私も又思われません。而も先ほど経験を通じてということを申上げましたが、今の電気産業労働組合を見ますると、半分に分裂しております。ということは、電産労組のいろいろな内部事情もありまするけれども、やはり昨年度のあの争議が一つの大きな原因になつている。これは見逃し得ない事実であります。そういう点からして、やはり組合としても一つの自己批判というものを求められておる。そして又求められた批判については、これを生かして行く、そういう余地は私は失われてない。それから又、事実上の問題を見ましても、現在の電産労組が、それじや昨年度のようなああいう大きな大争議をやれる余地があるかと申しますと、先ほど申しました昨年の争議の自己判ということもありまするが、現在の組織の実情から見ては、やはり困難ではなかろうか。これは私の独断的な判断であるかも知れませんが、やはりむずかしい面がある、そういうふうに私思うのであります。そういたしまするならば、もはや今日においては労使関係に正常な慣行というものはどうしてもできないのだ、そういうことを双方に委しておいては、百年河清を待つようなものだ、そういうふうに即断されるのじやなくて、やはり双方の経験を通じて成長して行く。その希望は失われてない。そういう面に立ちまして、そしてこういう一方的にストライキの方法を抑えるのでなく、やはり双方の間に何らかの慣行ができるような方策を考えて行く、そういう努力を先ず第一に払われたほうが賢明ではなかろうか。そういう意味ではこの法案は非常に軽卒であると、そういうふうに私考えます。  以上で終ります。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 次に会社員若染一雄君の御意見を伺います。

若染一雄会社員

○公述人(若染一雄君) 私若染でございます。当委員会のほうから公述人に対する、質問書を頂いておるのでございますが、私は学識経験も何も持たない者でありまして、且つ先ほど来。学者経験者たちから十二分に検討されておりますから省かして頂きまして、先ほどの小笠原さんと同じような立場、即ち実際に働く者の立場から思いついたこと、申したいことを二三申上げたいと思います。  私が申上げることは勿論これは法理論でも学理論でも、純理論でも何でもありません。本当に下積みになつておりまする大衆が見ました、或いは聞いたり考えたりしたことでありまして、私は現在小都市におきまして住いしており、且つ私の広報会の所属の人口は四百二十四人おりまして、その中の世帯数は百一でございます。そして又私の勤めておる鉄工所は従業員三十人ほどのほんのちつぽけな会社でありまして、私の申上げることはどこまでも小市民の叫びとしてお聞きおきを願いたいと思います。で、私の住みます一町内の戸数は、先ほど申しました通りでありますが、その内訳はどうかと申しますと、男子が二百三人、女子が二百二十一人でありまして、この職業の内訳から申しますと屋外労働者が一番多くて三十八世帯、二番目が商業従業者の十六、その次が三番目が雑で、無職を含めまして十四世帯、四番目か会社員、そこの中には工員も含まれております。それが十三、五番目が官公吏の十、六番目が工業の五、七番が僧侶の五という内訳になつております。  それで昨年の電産スト並びに炭労ストの当初におきましては、私たちも働く君の一人といたしまして、憲法に保障されております労働者の基本的労働権の確立というモツトーのために、これは当然の争議であると同情もしており又その成功も蔭ながら願つておつたのでありますが、余りにもそれが長期に亘つており、且つ又その最後にはその職場を全員が抛棄するようになつた姿を見まして、町の者、或いは小さな工場の従業員たちは義憤と驚きとを感じて、非常に寂しい感情とで満ち満ちたのであります。労働者の基本権が財産権に優先し、労働者の生存権の主張も資本家の財産権の主張よりも優先することなども、私はあの当時の労働者がスローガンとして力説されていなくても、働く者としては、或いは町の大衆としては、おぼろげながら知つておつたのであります。が併し、それが余りにも長期になつたために、或いはこれは言い過ぎかもわかりませんが、政治ストのような形にもなりつつあつたために、私たちはあの争議の持つ内容と、要するに私たち大衆とは非常に離反したということが、偽らない事実であります。実際に、あの争議のために影響を受けたのは、小笠原さんも申されて、或いは視野が狭いというようなお叱りを受けるかとは存じますが、私たちの町の者が大半被害を受けたのであります。そして又私の働く工場におきましても、大きな損害を受けました。その損害はどんなものであるかと端的に申せというお説が出ると思いますから、ちよつと申上げますが、私の町内には或いは豆腐屋があります、或いは又印刷屋などもあります。電産ストのために豆腐ができないわけであります。そのお豆腐屋さんは、非常に貧乏者の子だくさんと言いまして、子供は八人もあり、おじいさんもおばあさんもあり、当主は若い夫婦で何しておるわけでありまして、十二人の生活を漸く豆腐を作ることによつて、糊口をしのいでおる現状だつたのでありますが、あの電気ストのためにそれができなくなつた。或いは又私の町内に印刷屋があります。これは御当主と、細君と子供と三人が印刷によつて漸くにこれもその日の糧を得ているわけなんでありますが、これも電気の来ないために、モーターの廻らないために印刷のできないような現状であります。そうして又私の働いている工場におきましては、親工場より品物の支給を受けまして、そうして漸く加工賃において工場を経営しているわけであります。とても自分の力で以て資材を購入するというような工場ではありません。それで電気がとまつたために、納期はむやみに過ぎる。そうして過ぎれば支払いの請求を求めるわけには行かないわけであります。納期というものは、支払条件の中に大きく加味されているのでありまするから、納期の過ぎたものに対しては、支払いを求めるほうが無理なんであります。それと同時にストのために折角作りつつありました品物が「おしやか」になることは、「おしやか」と言ちやあ甚だなんでありますが、「おしやか」というのは、これは私たちの業者が申します言葉で、品物が不良になることを「おしやか」と申しますが、「おしやか」のために今度は反対に工賃がもらえるのじやなくて、その資材の損害を持たなければならないわけであります。それと同時に工具が傷み、ドリルが傷み、カツターが傷むのは、ときどき休まれるために、カツターの、或いはドリルに伝わる熱が急激にさめたり、こわばつたりなんかするために工具が傷むと同時によく、それが飛散しまして、そうして私たち労働者に負傷を与える機会が多分にあるわけであります。で、そういうような点からみましてもただ争議する人たちばかりのみに生存権があるのじやなくて、争議行為のできない私たちのような一般大衆も当然やつぱり生存権があると確信しているのであります。そして又私の工場では、従業員が僅か三十人ばかりであつて、労組の結成もしておりません。しておらないから或いは、悪いのじやないかというようなお叱りも受けるということは承知しているのでございますが、結成するほどの力を持つていない工場であります。そして又その経営方法はおこがましいようですが、田舎には珍らしいようなガラス張りの経営方法が続けられておるというのは、一従業員としまして、私たちは喜んでいるものでありますが、現在は給料の未払いも一カ月半あるわけなんでございますが、給料の支払いがないと言いまして、私たちはストをやれば、その日からすぐもう食うということができなくなるのであります。それよりも先ず黙々として生きるために、その日の生活をするために、食糧を得るために働くということを第一にしておるのであります。どうぞこういうような生活グループのものが、東京ばかりじやなくて、田舎のほうにもおるということを十二分に御勘考になつて、この法案を御審議と同時に通して頂ければ、私たちの生活は脅かされずに済むのじやないかと思います。  あの電産ストの様子を見ておりますると、丁度相撲場に上がられて、相撲をとつておられるような感じがします。というのは相撲はとつておられますが、その勝負のつかない前に後足で土俵の砂をひつかぶつておるのは御当人たちではなくて、何も関係のない観ている私たちのほうにその砂がかぶつてくるのである。じやあ電産ストはどうしたら一番お前たちの思うようになるか、或いは一番合理的であるかというような御質問もあるだろうと思いますが、先ほども誰かお話のように、電産ストは、電力をとめるのじやなくて、先ず集金人のストをやつて頂きたいと思います。そうすれば、集金人のストは第二次としまして、事務ストに持つて行くことができると思います。そうすれば私たち小さな工場におきましても、工場のモーターは終日吟りを立てておることもできます。そうすれば私たちも働くこともできるのであります。私たちの町のお豆腐屋さんもなんの苦労もなくてお豆腐もできます。印刷することもできるのであります。是非そういうような方法でストの方法を構成されて頂きたいと思うのであります。実際に大会社に勤めておられ、大企業に働いておる従業員たちの人たちは、恵まれた生活をしておるということが言えます。争議権を持つておられると同時に、大きな組合のバツクの裏付も持つておられるのであります。私たちのようなものは、裏付もない本当にみじめなものであります。その争議権を持つておられる労組のかたがたばかりのお説を聞かれないように、小さな工場の者、町の小市民が申す言葉も是非聞いて頂いて、この法案の達成と、条文化されることをひたすらお願いするのでもります。  午前中に大学教授の或る方が申されましたが、電産ストによつて僕たちは、或いは僕たちのグループの者は一人として損害を受けた者はないということを力説されましたが、これについて私は大きな疑問を持つているのであります。私たちの住む町、勤める工場におきまして、電気が来なかつたために受けた損害は、先ほど申したようでありまするが、もう一歩、家庭に帰へりまして電気がないために蝋燭を買わなければならない。蝋燭の金は僅少だということも、これも申されましたが、決してそうではありません。蝋燭の一本も大金で、労働者の一食分のパンは買えるはずであります。事実買えているのであります。そのようにあの大学の先生は恵まれた生活をしておられるのでありまするが、又大学の教授では食つて行けないと言つて野に下つたかたもあるようでありますから、世の中はさまざまだと思いまするから、一方的に損害はないということを断言されるということは、甚だ私は寂しい次第だと思います。  それからこれも午前中に拝聴したのでございまするが、何だか上海の労働者だとか、或いはエジプトの例なんかをおとりになりましたのですが、そういうような遠いところの例じやなくて、私が申上げましたように、或いは小笠原さんが申されましたように、この市内にはごろごろと転がつている実例をよく御覧になりまして、そうして本法案が納得の行くように成立されることをお願いしまして、時間ももう五時四十分になつておるようでありますから、私のつまらない話はこれでやめさせて頂きます。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 最後に日本婦人有権者同盟役員伊藤輝子君の御意見をお願いいたします。

伊藤輝子日本婦人有権者同盟役員

○公述人(伊藤輝子君) 私は主婦の立場から言わせて頂きます。  昨年の電産、炭労のストライキは、本当に私たちにとつては長期に亘りまして、大変迷惑をいたしたことは事実なんでございます。特に毎日の新聞の報道を見ておりまして、私どもは非常に不安を感じまして、特に私たちの団体では衆議院の労働委員長並びに石炭鉱業者、電産、炭労等、労働者が歩み寄つてお互いに解決をしてくれるようにという要望書を出しております。そしてそれから間もなく解決になつたのでございますけれども、実は私は今さつきから電産のストが非常に国民が迷惑をしているということを聞いておりますけれども、敗戦後私どもは非常に渇水期の停電によつて非常に迷惑をしていたわけなんでございます。そうして昨年の実はストライキのときにも、渇水期の停電と、それからストのほうのと、こつちやになつてしまうようた状態だつたわけなんでございます。なんだかあのときには私どもは渇水期の停電のほうが少し多かつたんじやないかしらんと考えるくらいなんでございます。それでこの停電ストというものを非常にやかましく申されておりますけれども、それでしたら私はこの渇水期の停電というものが全然なくなつてから、停電のストということを問題にされてもいいのじやないかしらんと当えるわけなんです。  それから炭労のほうは、私どもが考えますのには、炭鉱に従事していらつしやるかたは、去年のストのときの要求の金額を見ましても、決して無理な金額ではないと思うのでございます。私どもも生活をしておりますのに非常に今はもう苦しいときでありまして、あのかたたちがお出しになる要求というものは、私どもが見ますと、まあこれでも間に合うのか知らんという納得の行く要求をしていらつしやるのでございます。そうすると私のほうとしましては、やはり石炭の鉱業主のかたたちは非常にまあ長者番付なんかの十番目なんかに連なつていらつしやるかたがただということを伺つておりますので、ああいうふうな要求に応じてあげたらどんなものかしらんということを、私どもは昨年の秋のストライキのときに感じたわけなんでございます。特にああいうかたたち炭鉱のかたたちは、死を賭して而も日本の国の丁度縁の下の力持ちのようなことをしていらつしやるかただつたら、もつともつと優遇されてもいいんじやないかしらんと考えるのでございますけれども、そういうことが常識上できなければ、せめて与えられた権利だけは私どもが守つてあげるのが人情ではないかしらんと私は考えたものでございます。  それから公共の福祉というようなことで、この法案はそれが直接の原因になつて出されたということをこちらで述べてございますけれども、公共の福祉というような言葉は、私もよくわかりませんけれども、国民の多数を占めるやはり労働者を除いて公共の福祉というようなことはちよつとおかしいのじやないか知らんと思うのでございます。とにかく私どもは本当にストライキというものは迷惑だと思うし、又そうしてストライキができるだけない時代になつて欲しいと望んでおりますけれども、併し私どもが迷惑をするからといつて、このたくさんの労働者のかたたちの権利を奪つてしまうということは、私は非常に間違つているのじやないかと思うのでございます。特に昨年のストライキのあの長引き方を、こう今考えて見ますと、而もただ一回、ああいうふうにストライキは行われましても、あれほど国民が迷惑をしたストライキというものが、たつた一回だつたということを考えますときに、その一回のストライキですぐにこの法案を作つて、そうして労働者の人権というものを縛りつけてしまうというようなことは、実は私は余りにもむごいことではないかと思うのでございます。特にこの民主主義が逆行している今日、私どもはこういうふうな法案を通されるということは、非常に悲しいことだと考えております。それに特に私どもは主婦の立場としまして、新聞でいろいろな知識を得ているようなわけなんでございます。そうしてこのストの規制法については、労働法の専門の学者のかたたちが、殆んど全部反対をしていらつしやるのでございます。これを見ますときに、私どもは自分たちの不自由とか自分たちの厭だというようなことを考えている場合じやないんじやないか。やはりこの規制法は通すべきじやないというようなことを深く考えさせられたのでございます。勿論これは私が申上げるまでもない、政府の専門のかたたちはおわかりになつてらつしやることだろうと思うのでございますけれども、私はこの仲裁制度という言葉がございますけれども、この制度という言葉はちよつとどういうふうになつているかわかりませんけれども、ストライキがなくして、仲裁によつてそうして本当に民主的に解決ができるのでしたら、私ども主婦の立場としては非常にいいことじやないか知らんと考えているのでございます。  それから電気産業労働者にとつて、ほかに残された効果的な争議手段があるかというようなお問いがございまして、今集金のストがどうであろうかというようなことを伺つたのでございますが、この集金のストにつきましても、集金をなさらないで二カ月も三カ月も溜めて取りにいらしつて頂きましても、私どもの今の生活は非常に窮迫しているような生活でございまして、なかなか予定を組んでおりましても思うようにならないものですから、そういうふうに溜められて取られてしまうということは、これは本当に国民が迷惑してしまうことだろうと思うのでございます。で私どもはその期間でございますね、私どもの電気料を全然無料にでもして下さるとおつしやるのでしたら、これは非常にまあ有難いことだと考えているのでございます。  それから八の問題でございますが、これはどつちが大事かというような問題なんでございますけれども、私は人なくして重要な施設も何も存在し得ないんじやないかと思うのでございます。勿論両方とも重要であることはよくわかつておりますけれども、やはり働く人の生活権というものをより重要に考えるべきものじやないか知らんと考えるのでございます。  それから九の問題でございますけれども、これは皆さんがおつしやつていらつしやいますけれども、私もこのスト規制法に反対をいたします立場として絶対にこれは反対いたします。  それから三年間の時限立法というようなことを書いてございますけれども、私は何だかこの三年間というようなことを聞きますと、とても不思議な気がするのでございます。なぜ三年間なんて区切るのか知らんと思うのでございます。本当にいいということがお考えになるのでしたら、三年間なんてお区切りになる必要はないと思うのでございます。これで、これは私なんかが考えますには、今非常に反対の輿論のほうが多いのじやないか知らんと思つておりますので、むしろ生年間をお延ばしになつてみたらどうか知らんというようなことも考えておるのでございます。で、特に国民の政府に対する考え方なんかが非常に最近は険悪になつていると思うのでございます。で、私はそういう意味におきましてももう少し輿論というものにお耳をおかし下さいまして、そうしてこの法案をもう少し御延期下さいましたら非常に有難いと思うのでございます。  で、勿論先ほどから皆さんが申されましたように、ストライキをするということ、自分の職場というものに対して最も大切だと考えている人たちが、その職場を放棄してストライキをするということは、よくよくの生活権の擁護でなければ私はできないことだろうと考えております。そういう意味におきまして、今後そんなに御心配にならなくてもいいのじやないか知らんと思うのでございます。とにかく与えられた権利というものを守つて上げるということにして頂きたいと私は切にお願いするわけなのでございます。それに、特にもうすでにこれは衆議院を通過してこちらに来ているのでございますけれども、参議院は衆議院を批判し、又行過ぎを是正する機関であると私どもは信じておりますので、飽くまでも政党化することなく、是々非々の立場で、この逆コースを辿りつつある今日、どうぞこの問題の輿論を十分にお汲み取り下さいまして、今暫らくこれを御延期になるというふうなことにおきめ頂きまして、改めて私は参議院の重要性というようなものを国民に認識させて頂きたいと思うものでございます。   ━━━━━━━━━━━━━

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 以上を以ちまして、公聴会における公述人の御意見の開陳は全部終了いたしました。途中退席をされた方がございますが、お残りを願つておりまする公述人に対しまして御質疑のある方は公述人を御指名願いまして御発言を頂きたいと思います。

寺本廣作改進党

○寺本広作君 私、戒能先生に一つお伺いしたいのです。先ほど船員法三十条の解釈に関する船主協会の主張と列べて、昨年の十月に労働省の労働基準局長から、争議中の保安業務に従事した労働者の休日労働に対して超過勤務を払わんでもいいという通牒が出ているというお話がございました。そうしてそれを法制局第一部長の船員法に関する回答書と列べられまして、保安要員をかような状態で職場に縛りつけておくということが憲法第十八条の規定にも違反するものであるし、それはヒツトラー・ゲゼツツに通ずるものであるという論旨の進め方があつたように思います。実は労働省からそういう通牒が出ているということを私も承知しなかつたものですから、ここへ取寄せてみたのですが、成るほど文章が誤解を招くように書いてあると思います。併し文章をよく読んでみますと、労働省に対する東京労働基準局長の伺いは、「相当長期に亘る争議に際し労働組合と協定して少数の保安要員のみが輪番式に出勤することとする場合は、罷業期間中の出勤者の勤務計画は平常とは別箇に定められ、保安要員たる個々の労働者はあらかじめ自己の輪番出勤の日時を悉知し得る状態におかれる。右のごとき事例でその勤務計画に基いて就業規則所定の休日に該当した日に出勤した労働者には労働基準法上の割増賃金を支払うべきか否かの質疑に対しては、支払わなくとも労働基準法第三十七条の違反にはならないものと考えるが、なおいささか疑義があるので何分の御指示を得たい、」こういうことであります。これに対しまして労働省の基準局長の回答は、「相当長期間に亘る罷業の場合、労働組合と協定して保安要員の輪番出勤の勤務計画を定め、これが労働者に通知され、労働者の承知し得る状態にあり、且つその勤務が法第三十五条、」これは基準法の週給制に関する規定でありますが、「第三十五条に抵触しない限り貴見の通りと解する。」如何にもお役所式の文章のやり取りで、誤解を招いたのも当然だと思いますが、この文章を見てみますと、平時の就業規則による休日を争議中に別個の臨時協約で変更した場合、その場合についてはその臨時協約に基いて休日を与えればよろしい。平時の協約なり平時の規則による休日に当る日に働かせても割増賃金は払わなくてもよい、これだけの意味であろうと思います。これを裏から申しますと、今度新しくできた臨時の協約による休日に働かされた場合には当然割増賃金を払うべきものだという意味であろうと思います。お役所式の文章で、それだけの意味で、この該当者の勤務が法第三十五条に抵触しない限りというところできかせてある文章だと思いますが、労働省の政府委員のほうでも恐らくこれは認められると思いますが、労働省では争議中休日に保安要員を働かして超勤は払わんでいいという解釈はとつておらないと思いますので、非常に大事な点であると思いますので、御訂正を願いたいのであります。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 若しその通りの御解釈であれば訂正いたします。併しもう一つの問題は、私直接事件を関知しておりませんので存じませんけれども、これはできたら竹内禮作弁護士をお呼びになつて御調査願いたいと思います。私は竹内弁護士から伺つたことでございますから……。これは船員のスト中の保安要員に対する給料は払わないでいいのだという不存在確認の訴えを提起中である、こういうことであります。この点は是非御調査願いたいと思います。これは非常に重大な問題でございまして、万一今後そういう判例でもできますと、保安要員に対する給料は払わないでもいいのだという判例でもできますと、これは保安要員という問題が喧嘩のもとになつて参りますと思いますので、この点は是非とも確認というか、むしろ法規で若しお出しになるにしても、法規でぴちつとおきめになる、それから更に保安の条件についても正確にお取極を願いたい。私はこの法案にちつとも賛成してないのですけれども、若しこれをお通しになる場合につきましても、後々問題の起らないように是非して頂きたいと思います。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 実は小笠原さんからもそういう意見が述べられたと思うのですが、先ほど若染さんからも同様なことを発言されましたが、小笠原さんはおいでになりませんので、若染さんにちよつとお尋ねいたしたいと思います。それはストの影響というものは、これはあとで伊藤さんから、渇水期の停電と、停電ストによる影響とがごつちやになつている、こういうお話でございましたが、私ども多少そういうことを考えまして調査等もやつて参り、それから昨日も、これは労使双方からおいでになつて公述を頂いたのですが、堀越さんでありましたか、はつきり覚えておりませんが確かに会社側からも二日何時間ずつと、こういうお話でありました。それで蝋燭代も問題になつているのですけれども、若しストによる一般家庭の停電というものが二日、それも一日二時間程度のものとするならば、ストによる蝋燭代というものはそう大きくなかつたのではないかと、かように考えられるわけなんでありますが、そういう点はどういう工合にお考えになつておりますのか。或いは先ほどいろいろ工場の例についてもおつしやいましたけれども、その中にはやつぱりストによる停電ばかりでなしに、或いは渇水停電等の影響もあつたのじやないかという疑問を持つわけなんでありますが、その点を恐れ入りますが、御説明を願いたいと思います。

若染一雄会社員

○公述人(若染一雄君) お答えを申します。私が先ほど申しましたのは、渇水期の問題ではなくてストにおける停電を主体としてお話したわけであります。ということは、ストは要するにスト権を行使しておられる労働者によつて発生した送電中止でございまして、端的に申しますると、大衆が下積みにさせられて作業ができない、そこにあるわけでございます。それから渇水期におけるものはこれは天然現象で、これに対しては政府当局ももう少し水力電気事業にお力を注いで頂いて、これは又別個の問題でございまして、もつと潤沢に電力が供給されるようにして頂きたい、こういうような問題でありまして、別の問題でございます。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 別な問題だということは私も承知いたしておるのです。でまあ御公述はストによる影響だけを述べられようとしていることは私も了承するのですが、どの程度にそれじやそのストによる停電の影響がお宅の工場にあつたのか、或いは一般に中小企業者にあつたのかという点をお尋ねをすれば、もう少し明らかになつて来ると思うのですが、東京においても非常にたくさんの停電がストを原因にして行われておるように言われておつたけれども、昨日のお話等では二日合計しても数時間程度だというお話でもございましたし、その点ははつきりこれはストの影響だとして工場に影響しました時間、影響等はどういう工合にお考えになつておるかということをお尋ねしているのです。

若染一雄会社員

○公述人(若染一雄君) 時間から割出しました金額は或いは僅少であるかも知れません。が併しストによりまして納期が遅延するわけであります。まあ大体東京でも同じだろうと思いますが、品物を納品いたしますのは毎月二十日が限度になつておりまして、二十日に納めたものを翌月の十日乃至十五日に支払われるのが現状でございます。それがストのために二十日に納めらるべきものが二十二日になり二十三日になりますと、金の支払いはまるまる一カ月先きに延びることになるわけです。これは金額じやなくて、甚だこれはまずい表現なんでございますが、小さな工場におきましては加工賃が即ち給料になるわけでございます。加工賃が一月延びますれば、自然に給料は一月棚上げされることになるわけであります。ただ一時間送電がなかつたから、一時間に対する損失は幾らというデータは出ることは出るのでございますが、そうじやなくて、もう一つ大きな支払面を御考慮に入れて頂くとよくわかるだろうと思います。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 重ねて恐れ入りますが、たしか昨日の御答弁は、東京電力の常務取締役の堀越さんであつたと思うのですが、東京においてできるだけ電燈、或いは小口、大口平等に取扱つたというお話でございますけれども、それでストのために送電を削るということはできるだけ避けて来た、そうして合計して二日で何時間、こういうお話であります。そうしますと、まあ二十日の納期が二十二日、二十三日に延びるというお話ですが、若し岐阜のほうが東京と同じであつたかどうかわかりませんが、仮に東京の堀越さんのお話のようであるならば、二十二日になり二十三日になるということは想像されないような事態じやなかつたか、こういう感じもいたします。或いは納期が丁度二十日になつておるのに、十九日、二十日と丸々停電ストがあつたとすれば、そういうことになるかと思うのですが、昨日のお話のようではそういうことになりそうになかつたのですから、そこでまあお宅の場合にどういう具体的な影響があつたかということをお尋ねしたわけです。

若染一雄会社員

○公述人(若染一雄君) 今はつきりした日にちの点は資料を持ち合わせないものですからお答えできないのですが、事実そういうことは昨年ありましたのでございます。それと同時に電力の送電される状態でございまするが、大きな工場はA級に属しまして、A、B、CのAでございますが、A級のところはストの場合も相当にそれが手心が加えられるわけでありまして、私たちのような町工場におきましては、これはCクラスに入つておるためにそういうような手心は全然ないわけなんです。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 昨日のお話をもう一度……、Cクラスの点について手心を加えなかつたというお話でありますが、昨日のお話では日にちを変え時間を変えて送電をいたしましたので、そう大して迷惑をかけておらんはずだ、こういうお話であつたわけです。これは話と実際の影響とは調べて見なければわからんことですが、これからもう先は事実の認定の相違になると思いますので、ただまあ昨日受けました印象では、ストのためにそう大した影響は中小企業にも与えておらんと、こういう電力会社のほうのお話であつたのです。それを工場のほうから実は具体的の事例について伺うことができればと、こういう工合に考えたわけです。あとははつきりしない問題でありますからやめます。  恐れ入りますが、あと戒能先生に二点ほどお尋ねしたいと思います。この法律と鉱山保安法、それから公益事業令というものが関係があるとも言われております。鉱山保安法のほうは私どもよく知つておりますが、公益事業令については取扱い等そう詳しく知つているわけではございませんけれども。昨日今日公述を頂いたところでは、鉱山保安法或いは公益事業令等の両法令では違法でないものもこの法律によつて違法になる、こういう公述があつたように思うのです。政府のほうではこの法律を待つまでもなく、公益事業令、或いは鉱山保安法で違法なんだから、そこでこの法律で当然のことを規定するのだ、まあ、こういう説明なんです。そうしますと、法が発動になつて、仮にこの法律が適用せられるということになりますと、そこに大きな食い違いが出て来ると思います。それは例えばどなたかもおつしやいましたように、拡大解釈等の危険性も、政府の言いますように、それは違法であつたものを当り前のことだけれども規定するということになりますると、拡大解釈の危険性はほかの産業にも及んで参ります。それから鉱山保安法或いは公益事業令関係においてもそういうことが言えると思うのでありますが、そういう点についてどういう工合にお考えになりますか。中には当然この違法であつたものを規定するのだということになれば、或いは私鉄、ガス等についても別な法令関係で、これは当然違法なんだから、この法令を待つまでもなく、拡大解釈として、こういう法律の建前からするならば、この法令自身で以て、法令の改正を待たずして、或いは私鉄、ガスその他の公益事業にもこの法令が適用されるという危険性も起つて来るのではないかと考えるのですが、その点について御所見を伺いたい。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 電気の問題につきましては、公益事業令違反というので、二件ほどたしか起訴された事件があつたと思つております。東京高裁の判決では、スイツチ・オフは違法ではないという判決になつていたと記憶いたしますが、併しスイツチ・オフの事情によりまして非常に違うことだと思いますので、具体的な事件について申上げないとはつきりわかりませんが、スイツチ・オフというふうな程度のことだつたらば非常な穏当な方法であるという判決があつたと私記憶しておるわけでございます。ところがこの法案が制定されますと、そうするとスイツチ・オフなんというものは全部違法になつて参りますから、従来に関する限りにおきましては、やはり新規の制度を作るということになると信じております。ただ併しそれと労働関係調整法の第三十六条との関係が実に厄介な問題になると思うのでございます。で、この法案は、要するに労調法第三十六条の解釈立法みたいな感じがするわけでございますけれども、それにしますと、電気の問題は労調法第三十六条には入りませんので、全然新規な法規になると私は思つております。で、スイツチ・オフは労調法三十六条で禁止されておる行為にはなりません。これは新規に新らしく入れた規定になると思います。それから第三条の炭労関係の問題につきましては、鉱山保安法第五条によりますというと、「鉱山労働者は、鉱山においては、保安のため必要な事項を守らなければならない。」という規定がございます。必要な事項ということと、それからこの第三条の規定というのと、やはり違つていると思うのでございます。正常な運営を云々というふうな形になつて参ります。第三条は「正常な運営を停廃する行為であつて、」という「正常な」という文句が入つて参ります。ずつと広くなつておるという感じを私は持つわけであります。ただスト中の問題として、一体鉱山保安法の第五条の適用があるかないか、争議行為に対して第五条の適用があるかないかということはなお問題がございます。そうして労働法学者の通説のほうは、たしか鉱山保安法の規定はスト中は適用がなくなるのだということになるのじやないかというふうにも思つておりますが、これは私は労働法学の専門家でないので、余り確信を持つておりませんが、併しスト中の問題としてはあるかないか問題がございますが、併しどちらにしても鉱山保安法の規定よりも確かにスト規制法の第三条のほうがずつと広くなるということは言えるわけです。これは余りはつきりしたことをお答えすることができないわけであります。なお先ほどストライキの停電による非常な迷惑というお話がございましたが、確かに私も迷惑はしております。私も仕事ができなくなり迷惑しておつたことは事実でございます。あの当時渇水停電がまざつて来て、渇水停電とストライキによる停電とどちらがより多かつたかと申しますと、私の記憶しておるところでは、たしか渇水停電のほうがずつと多かつたと思うのでありまして、つまり渇水停電による被害のほうが非常に多かつたと信じております。それから渇水停電ではありませんけれども、現在私どものところに上げてあるトランスが非常に不完全でございまして、殆んど電圧が上つておらないので、私の書斎で使つておる螢光燈がときどきつかないことがございます。こういう迷惑さというものは毎日受けておることでございます。それから更に私は昨年冨士山の下の西湖というところに行つておりました。西湖の部落で上げてあるトランスもやはり小さいものであります。部落の人たちが養蚕を始めるとき、トランスの中の油の温度が上つて来て自動的に停電するということになつておるわけであります。養蚕が始まつて参りますと、毎日八時から九時近くまで停電が行われる。その理由というのは、要するに設備の不完全から来る停電だつたのであります。いずれも私たち電力会社から迷惑を受けておるわけでありまして、あえてストライキの迷惑だけではございません。而も電力会社においては私たちと契約をしておるわけでありますから、同じ電力でも高い金をとつておるものに対しては優先的に電力を出す義務があるのじやないかと思います。これは法律論としては少し無理なことになりますけれども、少くともモラルな意味ではそういう義務があるのじやないかと思うのであります。つまり私たちから一キロワット十何円かとつておるわけでありますが、そういう人たちを先ず優遇して、然るのちに大口の安いほうに廻して行くというふうにしてもらわないと非常に困ると思います。そこでこの点だけ一つ追加さして頂きたいと思います。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 先ほどお尋ねいたしました中に、一点御答弁を頂かなかつたように思うのですが、それは今お話の中にございました鉱山保安法とスト、或いは公益事業令とスイツチ・オフというように、従来考えておられました。それぞれの産業について規律しております法律の中で問題のありました点等については、すべてそれを違法だとしてこの法律は禁止されております。そうしますと、政府の説明によると、それは例えば保安要員の引揚等は全部人の保護だけではなしに、或いは施設についても資源についても全部これは違法であつたのだ、そこでその違法であつたものを当然のこととこの法律に規定してあるのだ、こういう御説明、そうすると、恐らく公益事業令についてもそういうことが言えると思います。そうなると、皆様のお尋ねしたことにも関連いたしますが、例えばガスとか、私鉄とかいうものにおいても、そのような規制の対象になつております問題について、それは当然違法であるとしてこの法律を被せる危険性があるのではないか、成るほど条文の点から言いますと、二条は電気関係、三条は石炭関係、こういうことになりますが、本来違法であつたものをここに上げたまでだ、こういう法の建前をとると、ほかのほうにもこの法律の一条或いはこの法律全体を貫きますこの立法の精神というものが、他の産業にも相当及ぶのじやないかという点について御覧を承わりたいと思います。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 私もそういうふうに感じております。殊にこの法律は、とかくしますると、労調法三十六条の規定の解釈法規だというふうに見られる可能性がございます。そうして労調法三十六条の解釈法規だということになりますと、これは単なる例示に過ぎない。従つて私鉄のストライキ或いはガスのストライキその他についても、どんどん労調法の三十六条を拡大適用して行く途が開かれて行くだろうと思つております。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○吉田法晴君 私一人で余り時間をとるのもどうかと思いますが、最後に一点だけお伺いします。それは午前中ほかの先生方にも伺つたのでありますが、この法律が違憲の法律である、或いは違憲の疑いが十分ある法律である、或いはこれは自分の断定ではないけれども、最近国会に来て、これを違憲だと言つても大して反響を呼ばんから云々というお話もございましたが、そこでこの日本の違憲の法律をどう取扱うかという問題は重大な問題だと思いますが、九条違反の問題について、昨年提起せられました違憲訴訟は全然判決の権限がないということで大審院はこれを却下しております。破防法の際に、それでは破防法というような違憲立法の提案権の制約をとたかどうかという意見も出たわけであります。実際問題として違憲の法律がどんどん出るとしても、それを阻止する方法がない。国会は、まあ自由党の絶対多数というものは衆議院において崩れましたが、事実においてはこれはなお違憲の法律であつたとしても、それが通り得るような実情にあるということは、これは残念ながら事実だと思うのです。そこでそれでは日本の場合にどういう阻止の方法であるかということについて、政治の問題は別でありますが、法理論を一つ御教示頂きたいと思います。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 現在の通説によりますというと、違憲立法があつても、違憲立法によつて権利侵害を受けない限りそれは争う途はないのだというふうに言われておるわけでございます。従つて仮にスト規制法が違憲であるということになりますと、スト規制法によつて起訴されて見ないというと違憲という議論ができないことになつておるわけであります。だから労働者のほうが一応危険を負担しなければならんわけでございます。つまり仮にスト規制法案の第二条が違憲だと確信いたしまして争議行為をやつて見たということになりますと、一遍捕まります。捕まりますというと、初めてそこで違憲立法であるという議論ができるわけでございます。一遍とにかく殴られて見なければ何ともならないというような実情になつておるわけでございます。この考え方というものは果して私いいのかどうか。西ドイツではたしかまだ権利侵害がなくても法規の違法という問題は争い得るという場合があるそうでございます。アメリカでも事実上は、行政官庁でわざと事件をこしらえて、そうして馴れ合いの上で訴訟を起して違憲判決なり何なりをとるということを聞いておりますが、日本ではそれだけのことをやつていない。行政官庁が違憲立法であると見たときにおきましては、できるだけ有利な条件を作つておいて、馴れ合いの訴訟をやつておるということであります。そういうことを日本ではやつたという話は聞いておりません。結局違憲立法であるということになりますと、当面この場合においては労働者のほうがぶたれて見なければならないということになります。事業主のほうはこれはぶたれる心配はありません。恐らくないだろうと思います。従つて労働者のほうが少くとも九九%まで危険を負担しなければならないというのがこの違憲立法の現状だろうと思うのでございます。

田中啓一自由党

○田中啓一君 戒能先生にお伺いしたいと思うのですが、公益事業令の第八十五条、今の問題の条文でございます。この条文そのものは憲法違反とはお考えになりませんか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) ちよつと私として今判断できかねるわけでございますけれども、つまり直接に憲法に抵触する規定ではないというふうに感じております。

田中啓一自由党

○田中啓一君 有難うございました。そこでこの八十五条に、「公益事業に従事する者が電気又はガスの供給を、正当な事由がないのに取り扱わず、又は不当な取扱をしたときは、三年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。」と、こういう条文でございます。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) この八十五条の書き方を以てすれば、これは面接的な意味で違憲立法になるという今のところ積極的な論拠はございません。

田中啓一自由党

○田中啓一君 そこで、そうなりますと、今の電産のストライキの手段として電気の供給を取扱わない、まあ発電なり或いは変電所なりの労務提供の拒否をして扱わない、こういうことがあつた場合に、それは争議のためであるならば正当な事由なりと、こう御解釈になるのですか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 恐らくそうではないかと思うのでございます。つまり労働組合法によりまして、争議行為の正当性というものは是認されておりまするので、そうなるのだろうと思つております。それからもう一つは、渇水停電なんかについてどうなるかということが出て参ります。つまり渇水の場合において電気の供給をしないのは正当な行為なりや否やという問題が出て来るわけでありますが、両者は大体同一に解釈すべきだと考えます。

田中啓一自由党

○田中啓一君 そこでまあ労働組合法の第一条で違法が阻却をされておるから、争議として電気の供給をしなくとも公益事業令の違反にならないと、こういう御解釈でありますが、今度の改正法は争議としてやつてはいけないと、こういう規定を作るわけでございます。そうして来ますと、やはりその作ること自体が憲法違反になるのでありますか、別段それはならないことになるのでありますか、どうですか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) そこまで私憲法違反とまではこの点については申上げておりません。私自身としては、現在の船員法の解釈から申しますと、船員が保安要員を出さないという場合、これは無料でよいのです。出しておけば、船員が保安要員を出した場合には無料でいいとか、ロツク・アウト中の船員を呼び戻してもいいということが重なつて参りますると、やはり不利益になると、こういうことになると思います。それから先ほど江幡さんからおつしやいました問題がございます。つまり発電所に勤務する職員というものは、事実上自分の職場を中心とした労働組合を結成することができなくなる、全然労働組合がこしらえられないことになります。これはストライキではありませんから、労働組合の結成をやつても無意味になつてしまう。事実上労働組合の設立ができないという事実が起つて参りますと、この点はやはり団結権保障の点と衝突しやしないかと思います。

田中啓一自由党

○田中啓一君 そうしますると、先ほどの船員の保安業務についての労賃、賃金を払わないなんというのは、私は誠に非常識な話で、そんなことを言い出したのはおかしな話だと、実はよく訳がわからんでおるのですが、私は実はそれは払うのが当り前だと思つております、従つてこの八十五条の場合でも、或いは又鉱山保安法関係の鉱山保安の業務の場合においても、その仕事をやつておる限り、スト中であろうが、なかろうが賃金を払うのが当然と私は考えております。結局先生の憲法違反になる疑いがあるとおつしやるのは、労働組合を事実上結成しても効果のないようなものしか結成できないような状態に置くということは、どうも憲法の団結権というものを正面から否定することになつて憲法違反になる、ここが一番要点になるわけですか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) そうです。それからもう一つは、何と申しましても、現在保安要員の差出しが誰の権限に属するか。つまり現在の状態でございますと、組合が自発的に保安要員を出しております。これはいろいろな解釈があろうと思いますけれども、併しこれは法律上の義務ではなくして、債務の履行として自発的に保安要員を出しておるのでございます。それから事業主もこれを受入れておるわけでございます。これは飽くまでも契約上の関係になると私は思います。ところがスト規制法第三条というものが出て参りますると、今度は債務の履行として保安要員を出しておるのか、それともスト規制法第三条によつて正当な組合の争議行為を守るために出しておるのか。少し語弊がございますけれども、第三条によるつまり公法上の義務として保安要員を出すのかどうかという問題が出て来るわけです。若し保安要員を公法上の義務として出すに過ぎないとしますと、事業者はこれは雇用契約上の債務事項とみなさないという権利がありそうであります。若しそうでないということを示すためには、民法上かなり困難な、そして高度な議論をしなければならないように思います。不当とか何とか非常にむずかしい議論をしなければならないように思いますが、その点はちつともこの法案ではすつきりしておりません。飽くまでもただで働けというふうな法案になりかねない、なるとは申しませんけれども、なりかねない法律であるというふうに言わざるを得なさそうであります。  それからもう一つは、事業者が保安の指揮権を持つのか、それとも鉱山保安法に言うところの保安管理者が保安の指揮権を持つのかはつきりわかりません。多分保安管理者が保安指揮権を持つと思いますが、保安一管理者は事業者の使用人でございますから、事実上は事業者が保安の指揮権を持つということになると思います。そのときに例えばスト破りを鉱山に入れるということが起りますと、ストライキの最中においては当然激しておりますから忽ちピケツトが張られる、殴合が起るという問題が起ります。そのときに警察官が出て参りまして、スト規制法第三条違反と見て、その辺による鉱夫全部をつかまえてしまうというような可能性が起るわけであります。ともかく事業主のほうに保安の指揮権があるという立場をとつて参りますと、それはやはり客観的にこれは保安行為であるということを認定する正確でそうして迅速な機関がないというと、この場合非常に危険だというふうに私は感じております。

田中啓一自由党

○田中啓一君 結局このスト規制法はそうやつてだんだん先生の御議論を伺いますると、表面からは憲法違反にはならないが、どうも運用によつては何やら非常にむずかしい問題が出て来るぞ、こういうようなふうに大体承知したらよろしうございますか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) その運用がつまりこの法案の中に入つておりますので、運用の危険ということが入つておるというやつが、少くとも私としては憲法違反の虞れがあるとまで申上げなくちやならない。運用を切離して法文を読むわけには参らないのであります。而も私が申上げていることは、全く抽象論じやなくして、船員法につきまして事実そういうような問題が起りかけているわけです。船員法第三条だけを見ますと、非常に正当だという感じがするんです。航海中に船員にストライキをやられて漂流したらたまつたものじやないという意味において非常に正当だと思いますが、現に船員法の解釈を通して、私としてはどうしても承知できないような問題が、而も数点に亘つて出ているという点がございますので、スト規制法の解釈としてもそれが入ると思うのでございます。従つてそれが入つたものとして私たちとしては取扱わなくちやいけない。そうして一度はともかくこのスト破りに対してピケツトを張つた鉱夫さんたちが警察官から殴られて、そうして豚箱に入らなくちやならん、起訴されなくちやならんということを意味しているんだと思うんです。そこで初めて最高裁まで行つて違憲であるとかないとかということが確定するわけですから、恐らく十年かかるんで、十年間はこの法案としてはやはり一旦制定されれば生きている。而も解釈はずつと拡められるということになりますと、私としては、この法案は反対なんですけれども、万一御制定になるとしても、厳密に制限を付けて頂かないと困るということでございます。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 飯田さん、遅くなつて恐入りますが、ちよつとお尋ねしたいと思いますが、私飯田さんの御意見今日まで三回ほど聞いたと思うんですが、私の聞き誤りだつたら取消しますけれども、街頭録音でお聞きしたときは、本問題についてたしか仲裁制度を強調されておつたように私記憶しておりますが、その点只今の御意見では仲裁制度は全く問題にならんというようなお話を聞いたんですが、どつちでしようか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) そのときは私は賃金査定委員会をお作りになつて、交渉なさつたらどうかと、こういうふうに申上げた。併しこういうような争議を継続なさいますと、これは国民としてはえらい考え方を起さなければならんと、こういうふうに申上げたと記憶しております。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 そういうふうにお聞きしたのですが、それではストライキが長くなつたから、長くならなかつたならば、そういうような話合いができておつたならば、仲裁制度を主張しておつたけれども、長くなつたから非常に公共の福祉を害したと、大衆に迷惑をかけたから、又極端に言えば懲罰的な法律を……その法律を懲罰的に考えられて、二度とそういうことができないようにしてやる、こういうお考えですか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 私は従来電産の争議につきましては、むしろ輿論の防破堤であつたと思う、私自身、私の解釈そのものが。併しそれにもかかわらずああいうふうな、而も私たちは要請をし、勧告をし続けて来たにもかかわらず、ああいうふうなことを、而も先ほど申上げましたように、総資本に対決するのだ、それはたびたび賃上げ闘争をやつて、産業に重大なる打撃を与えるのだと、こういうふうな考えを盛込んでおやりになるとすると、私たちの、先ほど御質問がありましたが、成るほど夜間の電燈はあの争議期間中は二回しか消えなかつたと思います。併し三級線は頻々と切られまして、これは昼間電燈でありまするが故に群小工場の被害が甚大であつた。そこで私はそういうふうなことはなさらなくても、ほかに重大なる争議方法がある。そういうふうに転換されて、而もこの苦境に立つている零細工業をそういうところに追込まない、そういうような意図を以て争議をなさらないようにと、そういうようなことで、而もああいうふうな形で争議をなさるというならば、電源スト、停電ストは、私たちはこれは天下の公器であると考えている電力を、そういうようにお使いなさることはやめて頂きたい。何も制裁的に或いは罰則的ということは考えておりません。併しあのときに恐らく短時日の間に、従来の争議のように、あの争議が短時日に片付けられておつたら、恐らく輿論もここまでは激昂しなかつたであろうと、私は申上げて憚からんと思う。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 そうすると罰則的じやないかということになりますと、飯田さんの言葉を聞いておりますと、九州弁のようですから、私も地金が出ますから、これは一つこらえてもらつて、そうなるとこの法律ではこれはどちらを罰する、どちらを縛つてあるかということになれば、これは労働者を縛つてある、こう思わざるを得ないと思うのですが、それについてはどのようにお考えになりますか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) それは先ほどの公述の中に申上げましたのです。これは私たちはこういうふうに考えております。大体この電気事業そのものが、対抗手段としてあらゆる手段を持つておらん、而も国民もこれに対する対抗策を何も持つておらん、それなのに一方的に遂行ができる、停電ストができるということは、これはむしろ争議の当初からアンバランスがとれていないじやないか、こういうふうに考えているわけです。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 停電の問題につきましても、渇水による停電であつたか、ストによる停電であつたかということは非常にまちまちであるし、意見もわかつておらないようでありますが、停電したという現実は、これは結果論から見れば非常には怨嗟の声になつている。それだけで、表面に現れたものだけでこういう法案が出ている、こういうことになるのですが、先ほど炭礦にも非常に詳しいようにお聞きいたしましたので、カツペ採炭等も御存じのようですから、相当炭礦は詳しいと思いますから、炭礦のほうに例をとりますと、それでは炭礦の労働者はあの場合どうすればいいのか。例えばストライキ、この保安放棄という問題では迷惑はかけておらないのです。やつておらないです、現実は。ところが六十三日にもストライキが及んだために非常に御迷惑をかけたんですね。ところが四十数日間というのは賃金切下げであつた。そうして四十数日たつて賃金は元に復するというような返事が来ている。こういう実態から考える場合に、私はこの結果だけみるのでなくて、すべてこういう法律を作る場合には根本を探らねばできない、こういうように思うわけですが、公共のためには炭鉱労働者が犠牲になつてもこれは忍ばねばならない、こういう考えでございましようか、ちよつとお聞きしたい。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 炭鉱の問題につきまして、私は炭鉱のことは、成るほどおつしやるようにかなり人とは違つた角度から知つております。併し炭鉱、鉱山を中心にしました石炭鉱業の争議行為のことにつきまして私は詳しい研究をしておりませんので、これはむしろ素人談義になりますので、御答弁を避けたいと思います。  それから先ほどお話のございました渇水停電と争議行為による停電とがごつちやになつていやしなかつたかということは、昨秋の渇水停電はむしろ争議期間中にはなくして争議後に起きた問題だ、私は大半このように了解して可なり、こう考えております。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 この法律が制定されるとすれば、例えば炭鉱では拡大解釈をされたならば非常に大きな問題になるということを反論を挙げられたように考えておりますが、私たちはこの法律をきめるためには、ただ出て来た現象のみを見るべきでなくて、実態を見るべきだということで坑内まで下つたわけです。そこでカツペ採炭を現場までもぐつて行つて見に来られた官庁の責任のあるかたも、私の質問に対して、こういうところに一分間もいたくありません、こういうことを言つておられるわけなんですね。ところがそういう人たちの実態もよく知らずに、ストライキを禁止するような法律が出されたとするならば、これは責任は一方的に組合だけに押付けられて弾圧された、こういうように組合員は感ずるのではないか。そうした場合に、皆さんが考えられておる以上の災厄が来わしないか、こういうような考えを持つのだと、恐らく飯田さんのお考えとしましても、労働者だけを圧迫するような法律でなくして、そうして第三者に迷惑をかけないような方法があるならばそれを講じろ、こういうようにおつしやつておるのではないかと思いますが、そういうふうに理解してよろしうございますか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) カツペ採炭のことにつきましては、あれは御承知のように従来ありました木柱、支柱によつて支えておる状態と、カツペ採炭しております状態とは非常に違うのです。あれは圧力採炭によりますと横から割れて来ることをやるのですから、而もキヤンテイ・レバーまで支えておるのです。これは非常に危険を伴う天盤の弱い所は危険を伴う虞れがこれはあるでしよう。そのために先ほどから問題になつておりますように、カツペ採炭は出炭保安を要するというようなお話もある。これはむべなるかなと思いますが、併しこういうようなことになりますと、非常に問題が複雑になつて参ります。むしろ現場を知つておる私たちが、法規を研究しておらないでそれにお答えするということはなかなかむずかしい。併し炭労の場合は電産の場合と違つて非常にストライキには同情する点があるということは、先ほどの公述で私が申上げたそういう点で御判断を願いたい。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 それはわかりますが、それで結論から申上げると、先ほど申上げましたように、こういつたことはこの法律でなくして、大衆にも迷惑をかけない、労働者のみを規制するのでもない、こういうような方法があればそれが一番いいとおつしやるのか。この法律でなければできない、こういうような考えかということを聞いておるわけです。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) お説のような方法が若しとられるとするならば、誠に結構だと思います。併し現実に目をおおうことはできませんので、私は現実の問題として早急に一応解決をして頂きたい。そのためには本法案をお通し願いたい。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 それでは現実に眼をおおうておるわけには行かないから、一応この法律が完全ではないけれども通せ、こういうお考えのようですが、御承知と思いますが、ドイツでは七十万からの炭鉱労働者がおりますね、一回もストライキやつておらないわけなんです。例えば公共の福祉にそれだけ関連しておるならば、公共の福祉のために君たちは犠牲になれというのでなくて、公共の福祉のためにこの人たちに対しては温い手で迎えてやれという言葉があるわけなんです。ところが今のこの法律で反対側のかたの意見を聞いておれば、公共の福祉のために鞭で叩けというように聞えるのでありますが、その点どうでしようか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 公共の福祉を労働者を含めて私たちは享受したいのでございます。併し労働者の権利のみを主張するために、一般国民大衆の生活権を一部侵害するということは甚だこれも情に忍びない。そこで事実を以て構成された現実は事実を以て打消してもらいたいということは、先ほど私が公述の中に申上げました。

阿具根登日本社会党(第四控室・左)

○阿具根登君 どうも懲罰的な意味に聞えてしようがないのです。懲罰ではないとおつしやいましたので、そうじやないというようにお聞きしたいのです。いわゆる六十三日或いは八十日のストライキをやつたために非常に眼に見えん御迷惑をかけた、これは公共の福祉を害した、こういうふうに言つておられると思うのです。ところが今度逆にそのやられた方々から見れば、今度は公共の福祉を害しておるのは誰であるか。自分たちがいつまでも犠牲になつておつて、片一方は実に利潤もたくさんあるのではないか。あのときのことをお考えになれば、それで公共の福祉のために闘つたのではないかというような反論もできると思うのですが、これはどうでしようか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) それは議論の裏表じやないかと思います。私たち消費者の立場で一方的に申上げますとそういうことになるので、一方的に申上げることは、すべての議論が一方的に傾いておるから一方的に申上げるということを私は陳述の冒頭に申上げておる、それで御承知願いたい。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) ほかに御質疑ございませんか。

吉野信次自由党

○吉野信次君 大変遅くなつて済みませんが、非常に簡単な純法律の解釈を聞くのです、戒能さんに。私条文を持つておりませんが、憲法によく人が言うように認めてありますね、労働者の団結をする権利、それから団体交渉その他団体行動をする権利とありますね、それでいわゆるこの争議権というのは、まあ権というのも何ですけれども、俗な言葉で争議権と申しましよう、この争議権というのは、その他団体行動をする権利という意味に入りますか、入りませんか、その点をお伺いしたい。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 争議権でございますか。

吉野信次自由党

○吉野信次君 争議権というか、私は権というのは、これは法律的に言えばいろんな問題がありましようが、法学通論的な議論は今日はやめましよう。いわゆる争議権というものが、団体行動する権利という中に入りますか入りませんか。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 歴史上の概念から申しますると、ストライキというものが結局団体交渉だつたわけです。

吉野信次自由党

○吉野信次君 私の言うのは解釈です。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 従つて少くとも今までの労働法の歴史から申しますと、ストライキをすることは、当然団体行動の中に入つておるというのが今までの歴史でございます。

吉野信次自由党

○吉野信次君 ちよつと私の頭は少し古いかも知れませんが、私はこの条文をこういうふうにとつたのです。議論じやないのです。教科書、殊に英米独、そういつたような教科書を、労働法の教科書などを読みますと、その基本的な権利というのは、まあ英語で言えばサーバイバル・オブ・ユニオン、いわゆる組合というものそのものを認める団結権、それから今度は労働条件のコレクテイヴ・バーゲニング、団体交渉権、これがプライマリー、第一義的な権利である。それを実行する手段で、ウイーポン、武器として争議をする行為というものがあつた。法律的に言えば、それは第一義、第二義という規定がいいかどうか知りませんけれども、仮にそういうきざな言葉を使つて恐れ入りますけれども、あなた専門家のようですからお許しを願いたいのですが、プライマリーの権利、セコンダリーの権利というものは区別して教科書に書いてあるのです。それで私はよく存じませんけれども、財産権の問題でもこれもやはり一つの資本主義がいいかどうか知りませんけれども、資本主義制度の下においてはやはりこれは一つの基本権なんですね。ただ昔はそれについて財産権を認めないから、昔の憲法には財産権の不可侵ということは非常に大きくあつて、我々が学校で習つた明治憲法にはそれは書いてあつた。ところがその後社会情勢が加味しまして、その財産権というものは絶対的のものじやないぞ、そこに制限をするぞという第二項の意味があるから、これは一体憲法にも書いてあると思うのですね。そこで財産権というものから、そのプライマリーの権利から、やはり資本家といいますか、雇主のロツク・アウトの権利が出て来ると思います。これがセコンダリーの権利だと思う。そうしてそこで今の労働法はいろいろの新らしい理念もあるようですけれども、アダム・スミス以来の労働法であると仮にいたしましてこれは五分々々なんです。若し争議権が絶対ならやはりあとの権利も絶対だと言わなければならない。絶対の意味はプライマリーの権利とセコンダリーの権利は少し違うというような気持がするものですから、私がこの条文を読むときには手段の行為、従つて争議権といいますけれども、もつと詳しく私の疑問を申しますと、その権利の内容は、これは普通ならば、或いは不法行為なり或いは刑法に触れる虞れがあるのだけれども、それは違法性は除却するのだ、法学通論的に言えばレクス・ネガティフの内容を持つているほうの権利は、その第一義的のレクス・アクティフの内容を持つている権利とは少し違うのではないか。こういう疑問を持つているものですから、この機会に先生のような専門のかたにお教えを乞えれば大変仕合せだと思い伺つた次第なのであります。その点だけを……。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 団結権や団体交渉権を保障した憲法というものは第二次戦争前においては殆んどございません。あらゆる国の憲法は財産権というものは保障しておりませんでした。そういうところから団結をするということは違法行為だ、犯罪行為だと思います。併し団結をする目的というものは抽象的の団結をしておるのではないのでございます。いずれも何かの目的があつて団結したわけでございます。団結の基本というのは飽くまでも団体行動、団体交渉をするための団結であつたわけでございます。団体交渉をする裏付けとしましては、当然ストライキをやるということも裏付けになつていたわけでございます。だから団結と団体交渉と、それから争議行為ということはこれは三位一体と申しますか、どれが先、どれがあとということはちよつと申せないと思います。ただこれの発展の歴史から申しますと一番初めには団結をしてもいいけれども、併しストライキをしてはいけないということになり、それから団結をしてもいいが、ストライキをしてもいいが、カツト・インをやつてはいけないということになります。そしてカツト・インの範囲を拡張するという恰好になつて来ておるわけです。だから何がプライマリーの権利かと申しますと、ただ形式的に申しますと団結権のほうが、プライマリーの権利で、ストライキというものはセコンダリーだという疑問が出て参りますけれども、実際におきましてはプライマリーもセコンダリーもないのでございます。要するに団結があるということは、結局うしろに争議権がある、争議をするかも知れないということを前提にしておるわけなんでございます。だから今の争議というものが全然できないということは団結のほうはただ空廻りなのであります。実はそれでは団結権がないのだということになるわけであります。

吉野信次自由党

○吉野信次君 大体大概そこらでわかりましたが、併し私の言うことも御説明になつているけれども、やはり精細な法律論をやるということになると、やはり私はそこにプライマリーとセコンダリーというものを区別しませんと。争議権だけといいますけれども、私は資本家でも何でもないけれども、資本家のロツク・アウトの権利が薄くなる、権利がなくなつて来る。これはやはり対等でないと労働法の基本観念が私は壊れると思う。それでそこが疑問なんです。議論じやないのですけれども、ふだんから疑問を持つているのでこの際労働法のほうで今の日本の学問ではそういつたようなことをどういうふうに説明をしているものだろうかと、こういう意味でちよつとお尋ねしたわけです。ほかに何も他意がない……。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) 財産権の問題から来るのはロツク・アウトの権利ではなくて、解雇の権利ではないかと思つております。解雇ができるというような強い権利だろうと思つております。ところで現在の労働基準法でございますが、一定の条件の下に解雇できることになつているのであります。この点は団結権も団体交渉権もなくて、むしろ団体権のほうが強く保障されているように思います。

吉野信次自由党

○吉野信次君 そこは議論になりますが、やはり教科書に書いてある通りに、両方の五分五分の争いのときに、片方は解雇権もあるけれども、ロツク・アウトもあつたとき、こういうものは財産権の処分というものの内容であるということは、私は法律的に言えばこれは何も議論がない。その点はただどちらに重きを置くかということを言つているのじやなく、私の言うのはただそういつたふうに憲法に保障してあるこのいわゆるプライマリーの権利というもの、そこから派生としておる権利というものには、精細な議論をすると、まあ社会的の事実を何とかということは、事実問題は別問題として、法律としてはそういつたような区別をしてもよかりそうなものだ、という議論をしても、別にヒツトレリツシユワイゼンにはなるまいという意味でお伺いしたのです。

戒能通孝愛知大学教授

○公述人(戒能通孝君) そういう話は学説としての問題になりますが、議論はそのくらいにしておきまして、先ほど私はヒツトラー・ゲゼツツだと申しましたのは、北岡さんの御意見が入つていたわけであります。北岡さんの御意見はあとで速記録を見て頂けば明確になると思いますが、北岡さんの御意見は、公益のためなら何をしてもいいというお話ですが、公益というものも北岡さんのお話を伺つておりますと、現在政権を担当している者が利益といいますか、それが公益とみなすものがすべて公益だという立場で御論じになつていらつしやいます。若しこのスト規制法が北岡さんの立場でこちらで賛成されますというと、私はヒツトラー・ゲゼツツだと申上げたわけです。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 ちよつと飯田さんにお伺いいたしたいのですが、先ほどあなたは、電気は天下の公器だと、こういうお話をなすつた。確かにこれは天下の公器に違いないと思います。ところが電気事業、電力事業というものは御承知のように私的企業になつているわけですね。天下の公器が私的企業に委ねられるということはちよつとどうかと思うのです。お答えのほうからお伺いしたのは、ソーシヤリーなことが一方考えられるのじやないかと思います。が、この点についてどうか、どうぞ……。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 大体それはあなたがたに言わせると、国家管理にしたらよかろうと……。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 国家管理ということじやない。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) そういう意味じやないなら、私はこれは仮に人をしてその公器を使わせる、根本はこう考えたらいいと、私たちは現実にそういうふうに考えております。そういう事業会社へこの発電をさせ、そうしてこれを普遍的に使わせる、恐らく日本ほど電気の隅々にまで行渡つている国はないと私は聞いております。それほど日本に行渡つておる電気が、今日なお且つこういう不自由な時代である。そこで国の力を貸して電源の開発をやれ、こういうふうにしておられますが、併し従業員の利益、福利厚生のためにも、利益を挙げて耐乏しろ、こういうふうに考えられたのではなかろうかと私は考えておるのですが、若し考えが間違つておるとすれば、又御高説を承わりたいと思います。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 私はいろいろ疑問を持つ点だけをお伺いするだけで、あなたとここで議論しようと思つているのじやないのです。私は天下の公器とおつしやることについて反対しているわけじやない。若し電気が天下の公器とするならば、私的独占に委ねて利潤の追求の手段として使うことは、あなたの御意見から言えば不当だという結論が生れて来るのじやないか。  それからもう一つ、あなたは経営者とか資本家とかいうことを特に強調されておりますが、どんな事業にしろ、生産にしろ、労働というものの占める地位というものは相当大きなものだと私は思うのです。その点について労働の占める地位、従つてこれに対しては国民として、あなたの立場の消費者としてどのような態度を以て臨むべきかというようなことについで御意見を承わりたい。その二点です。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) 前段の問題の、電気は天下の公器であるということは、これは私がそういうふうに感じております。従つてこの公器を私的利潤追求の道具にされるという事業者があるとすれば、次の国会にかかるであろう電気事業法の改正問題で大いに闘かつてもらわなければならない。私どもも闘うつもりでおります。或いは公共事業の問題にしても無茶な話で、一方的につまらない考えを押しつけて、消費者とこれで契約しろ、こういうことなんです。併しこの企業形態のあり方につきましては、これは私は意見を申上げると、私は相当意見を持つております。併し国民が考えておる電気のあり方というものについては、天下の公器的な考えを持つておる。こういうことを申上げたのです。  それから次の労働者の立場、これは資本が大事なように、やはり労働力も大事なので、なくては成立たん。だから両々相待つて夫婦和合できるような争議をなすつたらいいのであつて、民主主義は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、こうおつしやるのです。縦に或いは上になり下になりばかりなさらんで、たまには横になつて手を取り合つて顔を眺めて見られたら、もうちつと良い智恵が出やせんかと、こう思つているのです。(笑声)

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 大変立派な御高説を伺つてなんですが、それから先ほど私が昨日実は現実に損害があつた、こういうお話でしたから、一体現実に損害があつたならば、それを証明するような、例えば損害賠償等の請求があつたか、こうお尋ねした、ところが炭鉱のほう並びに電気のほうの経営者の側からは、そういうことはなかつた、あなたのお話に、よるというと、何千億かの国民の損害があつた、我々はいつでも損害賠償を請求しようと思えばできるのだ、但しそれをしたのでは電気事業は成立つていかんからやらないのだ、こういうお話なんですね。何千億だか何十億だか知りませんが、それほどの莫大なる損害を受けられて、どうしてあなたは電気事業の育成ということだけのために損害賠償をなさらないのか、その点をちよつと御説明願いたいと思います。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) これは曾つて渇水停電を含めて大阪で損害賠償を請求した事例がございます。そのときの判例は、天災としてこれは責任の存在を明らかにしないという理由で棄却になつた。恐らく私たちが度重なる渇水停電にこのことを申出ましたが、ところがそういう判例もあるし、又それをやると、これは八千万の同胞が幾らかずつの損害を持ち寄つても数千万の損害になるので、これを一人々々に分けると、或いは先ほどお話がありました一家庭ずつで二千数百円かも知れない、或いは私が受けた損害は数万円であるかも知れん、そういうものを個々に数万或いは十数万、多くて何千万でしよう、そういうような大企業のかたがたといえどもこれを請求するというようなことをまでして、この事態を昏迷に導こうということは考えておられないと思う。昨日特にそういうようなあなた様からお話がございましたので、特にリフアインする意味でこれを出しておきました。御了承願いたいと思います。

堀眞琴無所属クラブ

○堀眞琴君 その点についてもう一度重ねてお伺いしますが、あなたの先ほどのお話の中に、中小企業等においては電気が来なかつたがために、納期等が遅れて非常に損害をこうむつた場合があつた、こういうお話なんです。そうすると、その中小企業のかたはそのために恐らく作つた品物の代金をもらえなかつたとか何とかいうことが起つて来ておるのじやないかと思います。そうなりますと、その中小企業者としては電力会社との間に電力の契約がありますから、その契約不履行について電力会社に対して当然契約不履行によるところの損害の賠償の請求をなすべきではないか、それが当然ではないかと思いますが、その点はどういうことなんですか。

飯田務東京都電力協会副会長

○公述人(飯田務君) それはお説の通り、私たちの会員業界の中にも非常にその説を強くする者がございます。現におのおのの電力会社の接客機関につきまして非常な厳重なる交渉をし、署名をとり、運動を展開したところがございます。併しいろいろ電力会社を呼び、或いは組合の諸君にお目にかかりして、まあまあそう言わんで、一つそういうような事態を起して甚だ御迷惑をかけた、併し現実にあなたの家が潰れてしまつていないという形においては御了承願いたい。なお且つ停電スト或いは電源ストによつて一部集金ストをなさつた面がある。そういう面について重ねて、取りに来られては困る、ただ現に電気料金不払同盟が東京都にございました。これにはどういう折衝をされたかというと、それでは向う三カ月間を切つて年度内にお支払い下さいますならばよろしうございますので、そういうような情状酌量して、事実そのために支払困難になつたということであればそういうような方法を認めます。こういうようなことで、奥むめおさんの会もたしかそういうことをなさつたと思う。そういうようなことがございましたので、私たちとしてはまあまあ事を荒げてそう賠償要求をなさるというようなことよりも、この事態が円満に推移し、組合の要求ももう少し円満に通つて行くというような事態になるようにお互いに力を貸そうじやないか、こういうようなことから損害賠償は私どもは極力まあやりなさんな、こういうような立場でおります。

栗山良夫日本社会党(第四控室・左)

○委員長(栗山良夫君) 御質疑がございませんか。御質疑もないようでございますから散会いたしたいと思いますが、その前に公述人の各位にお礼を申上げます。  本日は非常に長時間に亘りまして貴重なる御意見を寄せられまして、只今提案になつておりまする法律案の審査に寄與せられましたことにつきまして敬意と感謝をいたします。有難うございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時六分散会

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