文部委員会 第8号
- 発言数
- 108 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1953/07/07
会議録
○辻委員長 これより会議を開きます。 理事の補欠選挙を行います。伊藤郷一君は病気のため理事辞任の申出がありましたので、理事が一名欠員になつております。理事の選挙は、先例により委員長において指名するに御異議ありまんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認め、私より天野公義君を理事に指名いたします。 —————————————
○辻委員長 次に文部行政に関する件を議題といたします。前会に引続いて文部大臣に対する質疑を行います。辻原弘市君。
○辻原委員 若干の点につきまして大臣に質問いたします。最初に施設方針の教育方針の中で、非常に問題になつております、特に愛国心の涵養、道徳教育、これらの問題と非常に密接な関連を持つて大臣が発言されました教育勅語の問題につきまして、私は端的に大臣にお伺いをいたします。今までずつとこの問題につきまして質疑応答がかわされました速記録を、私は読んでみたのでありますが、まだ釈然といたしませんので、この点を明らかにしていただきたい。 第一は、教育勅語は、これが制定公布されました当時に、個々の徳目に重点が置かれてあつたのか、あるいはこの勅語を通じて流れている一貫した精神、その精神作用と申しますか、それに重点が置かれてあつたのか、いずれであるか、大臣はどうお考えになるか、この点をお伺いしたいのであります。
○大達国務大臣 これは当時どういうつもりであつたかといえば、私の私見になるかと思うのでありますが、教育勅語は、その根本となつておる道徳的な精神と申しますか、これは大体この前も申し上げましたような、わが民族の伝統的な道徳精神というものにのつとつて勅語が出たと思うのでありますが、その精神の現われとしての徳目は、勅語の発布せられたその当時の社会事情、あるいは当時の国家の形態、こういう環境に即応した徳目として選ばれたものと思つておるのであります。そうしていずれに重点があるかということは、根本の精神と、その現われである徳目というものは、一体不離のものであると思うのであります。いずれをもつて従とするという性質のものではないのであります。これは各徳目の中に根本の精神がうかがわれ、そうして根本の精神が発露して各徳目となつた。この両者は一体不離の関係に立つものであつて、いずれが主であり、いずれが従であるというものではないと思うのであります。
○辻原委員 個々の徳目は並列的ではなくて、根本的な精神、それと共同作用のもとにこの勅語が形成されている、こういうふうに御答弁になつたと思うのでありますが、そうすると前回からずつと、ここに速記録がありますが、大臣がお話なさつておりますように、時代の変遷に従つて個々の徳目を取捨選択して行くという考え方は、ただいまのお話とは非常に考え方が異なつているというふうに私は受取るのでありますか、その点はどうでございますか。
○大達国務大臣 私が今申し上げましたように、民族には伝統した長い間実践し来つた道徳、また長い間かくなければならぬと考えられて来た道徳、これはおのずからいずれの民族にもあると思うのであります。そうしてそれがいかなる徳目として現われるかということは、その時代、その社会において必要な形をとるものである、こう思つておるのであります。従つて教育勅語の中に掲げられた徳目が、今日政治の形態においても、あるいは社会の環境においても、あるいはわが新憲法の目ざすところの理想においても、教育勅語の発布せられた当時と異なつて来た環境である以上は、その徳目が今日の新時代にふさわしい形をとるべきである、かように私は前にも申し上げておつたと思うのであります。ただいま申し上げたのも、教育勅語に現われている徳目は、わが国伝統の道徳的精神が明治の時代を背景として徳目として現われて来た、今日は同じ精神が今日の時代環境を基礎にして、それにふさわしい形で現われるべきものである、こう思うのでありまして、ただいま申し上げた答弁と先日来申し上げた点は、私の考えとしてはその間矛盾したところはないつもりであります。
○辻原委員 そうした徳目が、新しい時代の息吹きの中に、時代の背景をになつて生れて来るものだ、こういうふうに言われておるわけですが、今日の時代にかりに徳目が形をかえて、そうして新しい基調にのつとつて生れて来ておるものは、具体的に教育の指針としてはどこにそれが現われて来ておるのか。この点についていま一度申し上げますと、そうした徳目が大臣のお話では新しい時代にふさわしいような形で生れるのだとおつしやつておるわけですが、そうすると今日そういう新しい、いわゆる国民道徳と申しますか、社会道徳と申しますか、こういう教育の指針になるものはないのではなくして、すでにあるわけなのです。それをどこに大臣は求められておるのか、具体的にそういう指針というものが今ないのかどうか、その点どうお考えになつておりますか。
○大達国務大臣 これはわが国の新憲法におきましても、それから教育の基本法におきましても、新しく再出発したわが国の目ざす社会というものは、そこに規定をしておられるのであります。これは必ずしも法律が規定したからどうこうと言うのではないと思うのでありますが、しかしこれらの規定が端的に今日の新しい日本の行く道を示しておると思うのであります。それにふさわしい、それに要求せられる、いわば平和な高度な文化国家を育成し、健全な民主社会を建設する、それがために要求される道徳、徳目というものが、今日高揚せらるべきものであると思うのであります。それならそういうものを、一々羅列せよと言われましても、これは私は文部当局がこれを細大漏らさず教育勅語式に一方的にきめて、国民にかくあるべしと示す筋合いのものではないと思うのであります。これはそれぞれの今までそうであつたごとく、国民の良識によつておのずから取捨さるべきものである、かように考えております。
○辻原委員 そうすると大臣が言われた考え方は、今日の時代では新憲法がこれにとつてかわる基本的なものである、それに対するこれを背景として個個の徳目については、これは一つ一つを国民に示すものではない、そういう必要はない、こう言われることは、これは先般もどなたかの質問にありましたが、裏を返せば、かつて天野文相が口にされておりましたような、いわゆる徳目を中心にした道徳実践要綱といつたようなもの、これが道徳の一つの基本であるといつたような、与え方はしない、そういう考えであるのか、どうか、この点を承つておきたい。
○大達国務大臣 あるいは私の言葉が不十分でありましたために、御納得行かなかつた点があつたかと思うのでありますが、私は文部省というものが文教の責任者である、こういう立場から今日社会において要求せられる徳目は、かくかくのものである。これをきめて天くだり式に国民に押しつけるべき筋合いのものではないと思うのであります。しかしながら今日の文化国家ないし民主社会として要求せられる道徳というものは国民の良識としておのずからあるのでありまして、これが一つ一つ議論の種になるようなものではないと思うのであります。従つてそれは一般の社会観念あるいは国民の良識というにものよつておのずからきまつておるものでありまして、それを学校においての道徳教育において取上げて、人間は寛容でなければならぬとか、あるいはお互いに助け合わなければならぬとか、友達は仲よくしなければいかぬとか、夫婦は仲よくしなければいかぬとか、こういうような国民の良識の上から異論のない徳目というものはおのずからあるわけでありまして、これを学校の教育において取上げるということはむろんしなければならぬし、さしつかえのないことである。しかし徳目はこの種類のものに限定せられる。またこれを文教の責任者であるという立場において断定、決定して国民に押しつける、こういう筋合いのものではないと思うのであります。
○辻原委員 だんだんと承れば、教育勅語については、これは個々の徳目と精神は不即一体のものである。従つて今日の時代背景においては、少くともこの種のものは国民の基本的な教育の指針としては不適当である、こういうふうに私は承つておる。従つて今日の新しい教育の指針はあくまでも憲法に盛られたその精神に基くものである。ここまで来ますれば、私はいま少しはつきりしておきたいのでありますが、憲法に基く新しい教育の指針ということは、これは今まで教育勅語の問題を中心にして、いろいろ論争がかわされて来まして、何も事新しく今日の時代に教育の指針を別に求めるということをしなくとも、これは教育基本法を見れば明らかであります。私は今大臣が少くとも新憲法に基いて教育の基本をやるのだというお話がありましたので、この基本をやるのだというお話がありましたので、この基本法に基く教育の根本精神と、それから教育勅語による教育の根本精神というものを対比して考えてみたい。まずこれは先般来からも述べられましたが、教育勅語における根本精神、これは「教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」、いわゆるその前にあるところの朕惟フニ」から始まつて忠孝の道徳という縦の道徳、これが「世々厥ノ美」をなして来て、これがいわゆる「教育ノ淵源」である、根本精神である、こう教育勅語は明らかに規定をしておるこの忠孝の、いわゆる国体の精華と申しますか、この教育の根本精神、これを中心にして「爾臣民」以下の徳目が現われて来ている。これらの徳目によつて教育勅語はいかなる目的を国民に果させようとしているかは、一番最後の、これは先般も、高津委員から御指摘のありました、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というのが教育の根本理念になつているのでありまして、それとこの基本法とを対比してみますと、もちろんこの基本法の前文を熟読含味すれば教育勅語の精神とは非常にほど遠い、いわゆる新しい教育理念というものがうかがえるわけなのです。特にその第一条の教育の目的をいかに規定しているかを見ますと、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」ということがありまして、ここに私は教育勅語の精神と、新しい憲法に基く新しい教育理念、いわゆる個々の人格を完成し、それがよりよき社会の形成者となる教育の目的との間に非常に大きな差異を見出すのであります。しかもその教育の根本的な方法としては「その自主的精神に充ちた」という言葉の中に現われておりますように、あくまでも自己意識に目ざめたそういう個人主義あるいは民主主義、これを基調として教育が進められなければならぬということが、この目的の第一条にははつきり明示されてあるでありまして、従つて私は、大臣か今教育勅語は今日の教育の指針にはならないと申されたことは、大臣の真意であるとするならば、これは当然しごくであると思う。但し今まで世耕委員の御発言に始まつた当時の大臣の御見解によるならば、これは世上誤解を招いておりますように、教育勅語それ自体の形式あるいは世耕委員の指摘されましたように「朕惟フニ」という「朕」がいけない、あるいはその文体それ自体がいわゆる国家主義当時のああいう一つの方法にのつとつておる、この文がいけないのであつて、その中に盛り込まれておる内容自体は、これは民族の伝統であるから、その考え方はいいのであるといつたような受取り方をされていると思うのであります。大臣が先ほどからお話のように、新憲法に基くのだというお考えを採用されるならば、この勅語の精神、それから基本法に示されている精神との間に大きな差異があることを大臣もお認めになつておつて、教育勅語というものは指針として採用すべきものではないというお考えに立たれておると、私は大臣の御答弁を考えているわけでありますが、そういうふうに了解してさしつかえないかどうか、いま一度はつきりしておいていただきたい。
○大達国務大臣 私はきよう申し上げることと、先日来申し上げておりますことは、一貫した同じ考え方で申し上げておるのであります。教育勅語に盛られておるわが国民族の伝統的な教育的精神、これは新憲法を中心として新しい国家社会をつくり上げんとしておる今日の社会に、その基調となるべき道徳精神とちつとも背馳するものではないと私は思うのであります。ただ具体的の徳目としては時代々々によつて形がかわつて行くだけだ、こういうことを申し上げておるのであつて、教育勅語が新憲法下における道徳精神と矛盾して相いれないものである、かようには考えておらぬのであります。御指摘の通り、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」、私は教育勅語に盛られてある道徳的精神は、やはりわが国民族の伝統として、教育基本法に掲げられておるその目的と背馳するものでないのみならず、これが基礎になるべきものである、かように考えておるのであります。
○辻原委員 わが国伝統の道徳精神ということをよく言われるわけでありますが、このわが国伝統の道徳精神が新憲法の精神に盛り込まれておる、こういうふうに言われるのですが、これは事実間違いございませんか。教育勅語はわが国伝統の道徳精神を盛り込まれて来たものである、それが現在新憲法の中においても盛り込まれておるから、教育勅語は必ずしも排斥すべきではないというふうな三段論法的なお話をなさつておるのでありますが、その通りでございますか。
○大達国務大臣 民族の道徳というものが、法律がかわつたからといつてきのうまでの道徳が一挙にして不道徳になり、またそれは今新しい憲法あるいは教育基本法が変更されることを予想する理由も必要もありません。しかしながら法律がきまつたからといつて、昨日までの道徳が一挙に粛正され、新しい道徳が出発する。国民の道徳というものはさような法律の規定によつてただちに捨てられたり、興されたりするような簡単なものではないと思うのであります。私は先ほどもるる申し上げます通り、教育勅語の形を固執するのではありません。教育勅語に示されたわが民族伝統の道徳精神というものは、これは保存さるべきものである、というよりも、むしろ保存せざるを得ない、そういう性質のものであると思うのであります。憲法がかわつた、教育基本法が制定されたといつて、その法律の規定によつて、きのうまでの道徳が一挙に粛正され、新しい道徳ができなければならぬ、そういう性質のものではない、これを申し上げておるのであります。
○辻原委員 よきにつけあしきにつけ、民族の伝統の道徳というものは、一朝一夕にこれがなくなつたり、あるいはかわつて来たりするものではない、このことはわかります。それだからこそ、ここに捨て去るべき道徳があるならば、それを捨て去るような方法を教育の上において講じたのが、これが新憲法の精神であり、教育基本法ではないですか。しかもさきに大臣からお話のありましたように、個々の徳目は、これは切り離して、いわゆる単語のように、一つ一つが並列的に並べられると、それは価値あるものでないことは、これは常識論であります。個々の徳目は、あるいは「朋友相信シ」友達は仲よくし、「夫婦相和シ」、こういう一つのことがそれぞれ切り離されて存在しているところに一この眼目の道徳価値というものが存在するのではなくして、それらが一貫されて、そこにある種の国民道徳というものが建設されておる。それが重要な眼目である。従つてこの徳目は今日の時代においてふさわしくないから、これをさらに単語カードのように並べて、いらなくなつたから捨ててしまいましようという考え方で、国民道徳なり、国民教育というものに対してあずからさせようとするならば、これはとんでもない間違い。そうではなしに、それらがつながつた根本精神が重要なものである。だから私が申し上げているのであつて、そういう一貫したものが——これは大臣が言われました通り、精神と徳目は不離一体である。それならばそれを捨てさらないで、この精神がやはり新しい今日の新憲法の中にも生かされておる、こうおつしやるわけでありますが、私はそういう点について、はなはだ私は頭のまわりが悪うございますので、新憲法のどこにこれが生かされておるのか、その点について非常に疑問であります。これは私一人が申し上げておるのではなしに、先般から大臣がおつしやつているその言葉を、いろいろ世論がとらえまして、いろいろな批判をいたしておりますが、まだ十分大臣の真意がよくわかつた、これでわかつたといつて、そうしてここに眼目があるのだというふうに指摘され、大臣の真意を解明されたものを私は残念ながらまだ発見できないのでございまして、ただどうも大臣のおつしやられた言葉は、これはまるまる教育勅語的考え方によつて教育方針をやるのではなかろうかというような、非常に危惧の念、揣摩臆測が今日なされておるということだけを私受取つておりますので、この点に対してもう少し常識的に平易に、だれにもわかるように、ひとつ大臣から御解明を願いたい。もしこの教育勅語に盛られた道徳精神というものは民族の伝統である。従つてこれは一朝一夕に捨てがたいということで、新憲法の中に盛り込まれたとしたら、どういう精神がこの新憲法の中に生かされておるのか。またはその一部分でもけつこうでありますが、この新憲法のどこにそういうことが現われておるのか。またさらに新憲法からこの教育基本に移されたどこに教育勅語と相似通つた精神が生まれておるのか、この点について私は少しく具体的に承つておかなければ、この点は承服いたしかねるのでありまして、重要問題でありますから、いま少しお話を願いたい。
○大達国務大臣 私は新しい憲法、あるいは教育基本法に書かれてある道徳教育の指標というものが、教育勅語を基礎としてできたものだというふうには申し上げていないつもりであります。私が先ほど申し上げたのは、新しい制度に考えられていることと、教育勅語を貫く精神というものは、背馳するものでない、こういうことを申し上げているつもりであります。教育勅語はどういうふうに読み取るべきものであるか、その根本精神がどうか。要するに教育勅語の解釈については、それぞれ人によつて意見がありましよう。今日の民主社会において個々の人格、個々の人格ということがありますが、その尊厳であるべき個々の人格というものがりつぱな陶冶された人格でなければならぬ。これが大切なことであると思うのでありますが、これも教育勅語において「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ」以下のいわゆる徳目として現われている内容は、要するに個人の人格の完成ということで代表し得ると思うのであります、勤労の精神にいたしましても、決してこれを教育勅語が否定してはいない、「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」何も否定してはいない、だから背馳するものでないということを申し上げておるのであります。まだ立憲君主制下における、それを背景とした教育勅語でありますから、たとえば「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」これは読みようによつては、今の時代とは合わぬ、少くとも主権在民ということであれば、「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」ということは、そのままには、はまらぬだろうと思う。しかしながらこれは民族愛、祖国愛ということを、さような形で言い表わされているものである、かように私は考えております。これは徳目の外に現われる形は、その時代に合うようにできている。しかしながらその底を貫く精神は、国土を愛し民族を愛する精神を強調されているものと私は思うのであります。また「克ク忠ニ克ク孝ニ」——「克ク忠ニ」こということだけでは、よくわからぬのでありますが、これを天皇専制とか、あるいは主権が君主にあるとか、そういうことと結びつけて考えれば、その表現が、そのまま今日の時代では受取りにくいということはありましよう。しかしながら私はやはり、その底に流れる道徳精神は、国土を愛し民族を愛する精神を強調されたものと思う、今日の時代でも、天皇は国民の象徴であります。これを中心として、これに親しみ、国民の象徴、国家の象徴として立つて行く、そういう形における、これは忠と申しますか、何と申すか知りませんが、それはわが国の国民道徳の一つの大きな大切な点であると私は思う。この忠という字があるから、教育勅語は新時代には背馳してとる。あるいは「皇運ヲ扶翼スヘシ」という字があるからこれはいけない——これはるる先日来申し上げますように、国民の道徳的精神はそのときどきの社会環境、国家の形態に従つて形式的の徳目としては改つて行かなければならぬが、底を流れるところの精神は、これは貫いていると思う。もし教育勅語の中に新時代ととうてい相いれないことがあれば、これは排除せらるべきものであります。御指摘を願いたい。
○辻原委員 私は大臣の見解とは反対であります。それは大臣の見解は時代に適応したように、個々の徳目は、それは改変するのだ——どうもいろいろお話を聞いて参りますと、私は部分部分をとらえるわけでありませんが、どうも私は了解が行きにくい。むしろ私は徳目の形式的な表現というものは問題がない、その徳目を貫いている精神の基調に問題がある。これが少くとも私は時代に応じて変遷するとは考えない。私は事教育という問題は、時代に応じて変遷すべきものではないか、それは人類が窮極の目的としているところの一つの理想に向つて教育の方向が引かれているのであつて、それにいろいろな時代の変遷、社会環境の変化、こういうものを教育の目的に従つて、教育の力によつて排除して行くということは、これが教育の根本的精神です。従つて、大臣のお考えの、時代の変遷に従つて徳目は変化する。しかしその底を流れる考え方はかわらないというふうなことは、どうしても肯定できない。従つて私の考え方をもつてすれば、今日教育勅語のいわゆる個々の徳目あるいは底を流れる一つの精神が、新憲法の中に特筆大書すべきような要素として憲法の中に盛り込まれておるとは考えないのでありまして、それは形式的なながめ方をすれば、いわゆる羅列的な個々の道徳徳目と申しますか、それはいつの時代になろうと、変遷しないものがあるでしようが、この間も松平委員からも指摘されておりましたように、これは必ずしも別に時代の変遷とかあるいは民族の伝統とかいうような問題でなくして、人間が社会生活を営む上に必要とする一つの道徳であつて、必ずしもそれは民族と結びつけたり、あるは日本の一つの国家形態あるいは社会の変遷と結びつけたりするようなものではない、それだけの価値があるものではない、こう私は思うのでありまして、そこに対する考え方として、大臣の考え方はどうも了解が行きがたいのであります。従つていま一つ私が大臣にお尋ねをしておきたいのは、先般も御指摘のありましたように、これがかつて二十三年でありましたか、衆参両院におきまして教育勅語排除に関する決議案が当時あげられました。もし大臣のお考えのようにこの教育勅語を考えて扱うとするならば、私はこの教育勅語を排除する、新しい憲法、新しく定められた教育の指針である基本法、これと合致しないがゆえに排除するというのでありますが、ここに現在大臣の考えられている考え方と衆参両院があげた当時の決議案の考え方とは非常にギヤツプがある、こういうふうに私は考えるのであります。もし大臣のようにとるべき点があるならば、これはその当時においても一応そうしたことが考えられねばならなかつたのじやないか。しかしながらそうとは考えられなかつたのは、少くともこの教育勅語を扱う上において大臣のような考えがそこに立つていなかつたということが明瞭ではないかと考えるのでありますが、その点について大臣はどうお考えになつておりますか。
○大達国務大臣 教育勅語の根本となつておる道徳精神というもののうちに、全部とは言わぬまでも、その一部として新しい憲法、新しい教育基本法の趣旨と抵触する、相いれないものがあるというお話でありますが、私は具体的にその点お示しいただければ仕合せだと思います。 それから前に教育勅語排除の決議が行われた、私は当時のその詳しいことは知りません。しかしながら教育勅語は従来の学校における道徳教育の中心として、事あるごとに校長さんが生徒を集めて話をする、常にこれを中心として行われた、この形式は新憲法下においては私は排除さるべきものであると思います。当時の事情は私は存じませんが、教育勅語排除の決議があつたとすれば、それはその形を排除したものであつて、現に今日学校において道徳教育の中心であるという地位を、教育勅語は失墜しておると思う。現に今日はそうなつておる。しかしながらその当時の決議が、教育勅語の基本としておるところの道徳精神を形の上でなしに内容的にこれを一挙に排除して、かくのごときものがわが国の道徳としては採用しがたい、捨て去るべきものであると決議されたということは、私には了解ができないのでありまして、当時のことは知りませんから何とも申し上げられませんが、私はさような意味で、まさかそんな決議が行われたとは思いません。
○辻原委員 決議案があげられた趣旨について了解できないというお話ですが、私はいま少し当時の決議案を調べましてから、大臣の所信をただしたいと思う。 それから具体的に指摘せよということでありますが、私が先ほどからずつと申し上げておりますのは、大臣もお認めになりましたように、個々の徳目というのと教育勅語の精神というものは不即一体であるということを言われておる。だから不即一体であるならば、個々の徳目だけをとりはずして、今日の憲法の上においても背反するものでないという論理はいささかおかしいではないかということを申し上げた。私が教育勅語を考えます場合に、再三申し上げましたように、それは「皇運ヲ扶翼スヘシ」といういわゆるその当時の時代背景の国家主義的な考え方に基いて、これが行われた、皇室中心主義、しかも忠孝の縦の道徳を中心にして、それから発せられた考え方に基いて、この徳目というものがその中の細目として載せられておる、こういうふうに了解しておる。だからこの精神を抜いて徳目を考えるわけには行かぬ、こういうことを申し上げた。しかも大臣はそのことに対して不即一体であるということをお認めになつておる。それならばその一体のものをもつて憲法のどこにこれを当てはめられておるのか、この点については了解しがたいと申し上げたのであります。だから私は指摘せよというならば、まずこの教育の淵源はここに存すという考え方は新憲法にあるのかどうか。これらの徳目に基いて皇運を扶翼せよという考え方が新憲法のどこにあるかということを大臣にお伺いしたいのでありまして、不即一体であるということをお認めなさつた大臣としては、今さら徳目だけはという論拠は、私はいささか了解しがたい、その点をいま一度御答弁願いたい。
○大達国務大臣 私が不即一体であると申し上げたのは、元になつておる道徳的精神が、その時代々々に適応して、そういう徳目として現われるのである、その意味において徳目は徳目、精神は精神と切り離して考えるべき筋合いのものではないか、こういうふうに申し上げたのでありまして、それと同時にその精神は精神として貫くものであるが、その現われ方はその時代時代によつて違い得る、これも申し上げておるはずであります。徳目と精神が不即不離、一体であるということは、そのときに示された徳目の形式そのものがその精神とどうしても一緒におらなければならぬという意味を申し上げたのではなしに、むしろその逆を申し上げておるのでありまして、またただいまお示しになりました点についても、私が先日来申し上げておるように、これはわが国土を愛し、民族を愛する精神、そして何者かが来つてわれわれの愛する祖国を脅かすことがあれば、われわれは立つて守らなければならぬ、こういう精神をうたつておるものと解釈しておるのであります。何も皇運という字にこだわつて——皇運という字は、その当時の時代を背景として、そういう形でうたわれたのである。その底を流れておる精神は愛国の精神をうたわれたものである、かように考えておる。だからそれを今日の時代に当てはめれば、もつて国運を維持すべしとかえたらどうですか、そう読めぬことはないと思います。
○辻原委員 これはこじつけなくても私はいいと思うのですが、時間も食いますので、いずれ大臣の速記録を見まして、今少しく考えてみたいと思いおす。 最後に私は大臣がるる述べられておりますこの中で私が探究したいのは、一体どういう人間道を大臣の考えられておる教育方針によつておつくりになろうとしておるか、この点を具体的にお伺いしたい。まことに失礼な言い分ですが、大臣が過去から現在を通じて最も尊敬している人物というのはどういう人であるのか、その点について参考に承つておきたい。
○大達国務大臣 学校教育の範囲に限定いたしますれば、今日あらためて国際社会に再出発をしたわが国のめざすところは、平和な幸福な生活の営まれる国家である。民主的な社会である。また文化の高い、文化の充実した社会である。これをつくり上げるためには、どうしてもその社会を構成する個々の人間の人格というものが基礎でありますから、そこでかような社会をつくり上げるための人格を、学校において完成するとは私は申しませんが、少くともさような人格の基礎になります芽だけは児童、生徒に与えることができる。これが私の少くとも学校教育における道徳、学校における道徳教育を充実したい、振興したいという考え方の基礎であります。 次にどういう人間が偉いと思うかということでありますが、私ははなはだ不幸にして全面的に欠点のない人というものを知りません。
○辻原委員 いろいろ申し上げたいのでありますが、時間もございませんので、この問題はまた後日機会がありましたならばいま少し大臣からお教え願うことにいたします。 次に具体的に述べられました教育方針につきまして若干御質問をいたしたいと思います。まず述べられました四つの項のうち、教育の機会均等というのを第四番目に申されたわけでありますが、しかも成文されたのを見ましても、四番目に載つているわけでありまして、その内容を見ますと、育英資金等の増額あるいは勤労青少年に対する青年学級の構成、こういう二つのものをあげられているのでありますが、私は、教育の機会均等というものは少くとも現在はこの種のものだけであろうか。いま一つはこういうふうに他の問題と並列的に教育の機会均等というものを教育政策として打出すべきことが正しいのかどうか。この点に若干の疑問があります。どういうふうに教育の機会均等というものをお考えになつているのか、これをまず承りたい。
○大達国務大臣 先日私が申し上げましたのは、育英事業と勤労青少年に対する教育、これは教育の機会均等の上からもこういうことに力を入れて行きたいという意味で申し上げたのでありまして、教育の機会均等がこの二つに尽きているかように考えているわけではないのでありますから、その点はひとつ誤解のないようにお願いをしたいのであります。教育の機会均等、いわゆる無償であるべき義務教育制、これが教育の機会均等の一番の大本であります。ただ先日申し上げましたのは、今日家が貧しいために学校に行けない人、あるいは勤労に従事しておつて十分に教育を受ける機会に恵まれていない人、こういう人々に対して育英事業を強化し、またそういう勤労青年の研学、向学の意欲に沿うような施設をする。これは機会均等の上から行つても望ましい、こういう意味で申し上げたのであります。
○辻原委員 義務教育の無償、これを基本としてあらゆる機会にこの教育の機会均等というものをはかるのが建前であるが、今回はこの二つのものを出された、こういうお話に受取つたわけですが、私はかりにそういたしましようとも、ただいま当面しているこの種のものを考えてみましても、こんなものをあげるならばまだ他にあげなければならぬものがあるのじやないか。その点について若干大臣のお考えをお伺いいたしたい。特にただいまの地方教育の中で重要な問題は、僻地農山村等におけるこの教育の機会均等だと考えております。この問題は教育の機会均等の立場から現今非常に問題化しております。これに対してどういうお考えをお持ちになつているのか。この振興策をいかにはかられようとしているのか。この点を具体的に承りたい。これが一つであります。 次にこれはやはり教育の機会均等の広義の中に入ると私は思うのでありますが、やはり一昨年来から問題になつておりますところの学校給食の問題につきましては、昨今いわゆる食生活改善といつたやや教育的観点をそらしたところの取扱いに惰している空気があるのでありますが、私は育英資金の増額その他と同じように、このことが実に農山村または都市における勤労者の教育に非常に重要なウエイトを持つていると思いますので、これらについては教育の機会均等の立場からどう処理されようとしているのか。これを早急に解決されるお心組みがないためにここに載せられなかつたのかどうか。この点について承つておきたい。
○大達国務大臣 先日申し上げましたことは当面こういう問題に重点を置くということを申し上げたのでありますが、むろん教育行政がこの間申し上げました四つの点に尽きるという意味では毛頭ないのであります。その以外におきましても重要な問題はたくさんあるのであります。ただいま仰せになりました僻地教育の問題につきましても、あるいは学校給食の充実の問題につきましてもきわめて緊要な問題と考えております。これらについても将来十分努力いたしましてその拡充につめたい、かように考えます。
○辻原委員 ただいまの機会均等の問題でいま一点でありますが、勤労青少年の教育振興のために青年学級というものを今後育成されて、ただいまも法案が提示されておりますので、具体的問題につきましてはその際にお尋ねいたしたいのでありますが、この種のように、特に勤労青少年なんかの教育に直接これを法制化をして、その運営等に一つのある尺度をはめられるということは、これははたして自由に均等を与えるということになるかどうか、ということについて若干の疑問を持つているのでありますが、この点に対して大臣のお考えはどうでありますか。
○大達国務大臣 このたびの議会に青年学級振興に関する法律案を提出しているのでありますが、この法律の趣旨につきましては、一定のわくをはめて、何といいましようか、青年の自主的な点を押えるというような意味は全然ない。今日御承知のように勤労青少年のためには、学校教育としていわゆる定時制教育の制度があります。これは法律に基礎を得ている。また通信教育というものもある。これまた法律にその基礎があるのであります。ただ青年学級は、御承知の通り勤労青少年の向学の意欲によつて自然発生的に今日行われているのでありまして、これが運営その他につきまして、まことに経費も少いし、実情はもつと伸びるべきものがいろいろな点で十分に行つておらない。それに少くとも国家として手をかして補助金を出す、その他の方法によつて援助と申しますか育成をして行きたい。従つてその教育の内容等につきましては役所の方からどうこうということじやないのであつて、これを受けたい青少年の側でこれを企画いたしまして、市町村がその要望に応じて世話をしてやる、そういうものに対して補助金を出す、こういうつもりのものであります。なおこれは法律案についてまたとくと御説明を申し上げたいと存じます。趣旨はさような趣旨であります。
○辻原委員 次に述べられております教育の充実という基本方針でありまするが、これをよく読んでみますると、いわゆる形式的な部面についてはある程度の内容を持つております。もちろん私はその内容について賛成をしているわけではありませんけれども、一応形式面には触れている。しかしながらこの教育制度が実施されてからこの方、絶えず問題となつているいわゆる教育財政の問題については、何らの構想もこの点について触れられておらないわけです。従つて私はその点について少しく大臣の御所見をただしておきたいと思います。 まず現在義務教育国庫負担法が施行されておりまして、これは教育財政の確立ということでつくられたものでありまするが、この法律が存在しながら、最近は国、地方を通じてこの教育に対する支出額が年々減少している。減少しているということを私は数字的に発見しているわけなのでありまするが、こういう減額した教育費の確保について、現行法だけで十分であると考えられているのか、あるいは少くとも大臣が最もの基本方針とされている新教育の精神を貫くということのためには、文家国家ということが結びついて来るわけでありまして、それには現在のような教育費の支出額では足りないということはだれしも肯定するところであります。だからこれを積極的に確立して行くための方策について、大臣は何か御抱負がおありになるのか。一例を申し上げてみますると、過般からいろんな経費が検討されておりまして、あるいは教育目的の設定であるとか、あるいは全額国庫負担の方式であるとか、平衡交付金的な形によつて確保して行くとか、いろいろな方法が考究されているようでありましたが、これらの問題については一体どう考えられているのか、当分の間はそうしたいわゆる教育費の確保については、現行法で一応十分であるとお考えなさつているのか。 さらに私はこの点についていま一つのことを申し上げたいのであります。それは昨今の傾向といたしまして、私は一面この点は非常に賛成でありまするが、一面反対をしたい部面があります。というのは、各種のいわゆる補助法案なるものが陸続と現われて来まして、考えようによつては、こういう形で将来行くならば、はたして全般的な一つの教育政策なり全般的な教育費の総合的な、効率的な活用というものが行えるのかどうかという点について若干疑問を抱いている一人でありまするが、これらについて大臣はどう考えるか、総合化したところの教育費の確保ということが喫緊の問題ではなかろうか、それには一体どういうふうな抱負を現在お持ちになつておるのか、あるいはそういうことを関係当局にお示しになつて、研究をお命じになつておるのか、それらの経緯がありましたならばお聞かせを願いたい。
○大達国務大臣 現在の教育費の問題でありますが、ことに義務教育の面だけを取上げてみましても、経費の支出がきわめて不十分でありますために、制度の完成が非常に遅れておる、これはただいま仰せの通りであると思うのであります。むろん国並びに地方の財政と緊密に関連する問題でありまして、われわれが考えておりますように、一挙にしてこれを完成充実するということは、事実問題としてなかなか困難であるのでありますが、これにつきましては、文部省といたしましては、たとえば老朽校舎の復旧について、あるいは六・三制校舎の充実について、それぞれ一定の年次計画のもとに大蔵省に折衝をいたしまして、できるだけ拡充を急いで参りたい、かように考えまして、せつかく努力しておる次第であります。 それから義務教育費の問題でありますが、これはいろいろ御承知の通りの経緯がありまして、今日は法律の規定によりまして、二分の一国庫負担ということでありますが、これが将来このままでいいものか、どういうものかということはむろん今後の問題でありまして、これは十分研究をいたしたい。ただ、教育は国が責任を持つ大切な国の事務でありまするけれども、国の事務であるということが、ただちにその経費の全額を国庫が負担しなければならぬというところにまでも参りかねるかと思うのであります。これは要するに中央、地方の財政事情を勘案をいたしまして、できるだけ教育そのものが拡充され、進展して行くことを目安にして決定せらるべき筋合いのものであると存じております。この点は今後なお研究をして参りたい、かように考えております。
○辻原委員 次に述べられております教育内容の刷新でありますが、地歴については基本的、系統的知識に欠くることのないよう改善する、こういうふうに言われておるわけであります。このことの意味は、現在の社会科関係から地歴を独立したものに持つて行く、こういう考え方であるのか、その点をお聞きしたいのであります。 第二点は、やはりその中で職業教育、技術教育の問題に触れられておるのでありますが、ここで職業教育と言われておる言葉の内容はどういうふうに考えられておるのか、産業教育という言葉がありまするが、このことと相違があるのか、または一緒か、この点をお伺いをいたしておきます。 それから次の点は、やはり職業教育、技術教育の問題について、最近の職業教育、技術教育の社会の要請にかんがみ学校教育の充実を期する、こういうふうに述べられておるわけですが、一体社会の要請とは何であるか、この点を承つておきたい。 時間がありませんから、この点について若干私の意見をさしはさみます。私の職業教育という考え方からいつて、これは少くとも小、中、高等学校あるいは大学を通じて、いわゆる一般教育の部面として従来まで考えて来た職業教育の概念とは、若干趣きを異にするような受取方をいたしておりますので、この点ひとつ明らかにしていただきたい。社会の要請とは何なのか、職業教育というものの概念はどうなのか、この点をお伺いしておきたい。
○大達国務大臣 初めのお尋ねであります地理、歴史の問題でありますが、これは今ここでただちに従来の社会科というものと離して、地理科、歴史科というものを独立させるというところまで申し上げたつもりではないのでありまして、要するに今日の学校における歴史、地理の教育というものが、とかく分断されたような、何といいますか、こま切れ式になつておるようなところがあつて、系統的な歴史の知識、あるいは地理に関する知識を子供に教える上において不十分な点がありはしないか、であるからしてこれは系統的な知識を与えるようにしたい、こういう意味であります。ただこれを社会科の一つの科目として教えた方がいいのか、あるいは別に取出して、別個な独立した科目として置く方がいいのか、この点につきましては、要するに教育の目的とする歴史教育、地理教育というものを、どうしたらば一番効率的に児童、生徒に与えることができるかという問題でありまして、これはいわゆる教育の方法、技術の問題に関連をいたしますので、専門家の手でとくと考究をしてもらいたい。御承知の通り、文部省には教育課程審議会というものが設置してありまして、その方面の専門家の人々が審議される仕組みになつております。これもすでにこの審議会でも取上げられて、その答申も遠からず出て来る運びになつております。その上でこれらの専門的な立場から考えられた点をよく勘案いたしまして、具体的には決定をいたしたい、こういうふうに考えます。 それから職業教育の問題でありますが、職業教育という意味は非常に広い意味でありまして、お話の産業教育というようなものも包含せられておるのであります。社会的要請と申しますのは、御承知の通り今日は一面においてはわが国の人口が非常に過剰である。従つて学校を出ましてもなかなかその職を得て、青年が安定するという状態になつておらぬ。また他の一面におきましては、わが国の経済の自立を達成する上から行きましても、つまりかような人々をそれぞれの地位、立場において社会的に経済的に働いてもらうということは、やはり非常に大切な時期であると考えますので、特に学校を出ればすぐ何らかの職について、自分としては所を得、また社会としてはわが国の経済自立の上に役に立つような方法にして行きたい。それほどの意味で社会的の要請という言葉を使つたのであります。
○辻原委員 ちよつと今の点で二点ただしてみたいと思います。まず基本的、系統的知識を与えるという考え方に立つならば、社会科の単元から地歴を切り離そうとも、あるいは社会科の単元の中に置こうとも、従来の社会科というものの本質はもうすでになくなつておる、こういうふうに考えるのであります。ということは、大体常識的に、社会科は、公民的なもの、あるいは郷土地史的なもの、あるいは従来の地理あるいは歴史的なものが包括されて大体置かれておる。それが一つの社会道徳といつたようなものをその中にまた織りなしておるというところに、社会科の一つの眼目がある。それならば、地理、歴史というものをどういう形にしようと、それなりの系統的知識を与えて行くならば、それから分離されるということになるのであります。これは専門的立場の人々の検討をまつまでもなく、すでに社会科という従来の本質を失つて行くものである、こういうふうに私は推察的に考えるのでありますが、それはそう了解しておいてさしつかえないものかどうか、この点をお伺いしておきたいのであります。 それからその次に職業教育は産業教育を含むのだ、こうお答えになりましたが、そうすると、こう了解してさしつかえないか。私は具体的な一例をあげて申し上げますが、現在産業教育振興法というのがありまして、これに対する補助は主として高等学校に与えられている。そうすると、産業教育を含んで社会の要請にかんがみて、中、高等学校の職業教育の振興を期するという考え方は、広く中学校にも産業教育振興法の補助を高等学校と同じような形態によつて与えることを裏書きするものであるかどうか、この点をただしておきたい。
○大達国務大臣 今のあとで仰せになりました職業教育の問題でありますが、職業教育と申しますと生徒、児童の年齢その他の関係から申しましても、どちらかというと、やはり高等学校の方に重点が置かるべきものじやないかと思うのであります。従つて高等学校における職業教育と申しますか、産業教育といいますか、これを樹立して行きたい。また中学校の高学年等におきましては、やはり同様の問題があるのであります。これも産業教育振興法による補助も、その必要に応じてそちらへも向けて参りたい。
○辻原委員 与えるとおつしやるのですか。
○大達国務大臣 与える方に持つて行きたい、かように思つております。 それから今の地歴の問題でありますが、これはどうも教育の専門的部面でありますから、あるいは見当違いのことをお答えするかもしれません。もしそうでありましたならば、別に政府委員に訂正させますが、理科と申しますか、あの方では物理、化学、数学というようなものがみなあるわけであります。それで社会科の方は、やはり社会科学と申しますか、そういう面のものを集めておるのじやないかと思つておりますが、そういう意味から行けば、どういうふうに扱うか知りませんが、社会科のうちに、それを社会科の一つのものとして、単元と申しますか、そういうものとして扱うということも、必ずしも不合理であるということにはならぬかと存じますが、この辺は、私実は専門的な知識を持ちませんから、もし間違つておりましたら、補足説明させることにいたします。
○辻原委員 補足説明はけつこうです。この社会科の問題は、専門家ではないからその点ははつきりしないということでは——これは重要な教育方針の基本をなしておる問題であつて、大臣としていわゆる社会科という現在の内容を御検討なさらぬで、このしろものを出して来たということになれば、私は非常にうかつではないかと思いますし、これはきわめて重要な問題であつて、私が指摘いたしました点は、これまたおそらく事務当局でも検討している問題だと思いますので、いずれ大臣からもう少し具体的にお考えを承らなければいけない、こういうふうに考えておりますので、時間がございませんから、この問題は留保いたします。 最後に一、二点。細部は伺つておりませんのでいろいろ問題はありますが、学術の振興について、これは後日も私はお伺いしたいのでありますが、大臣に見解を承りたいのは、前国会並びにその前の国会から大学管理の問題につきまして、いろいろ問題になつておりますが、この大学管理について、大臣が就任以前に、いわゆる大学管理法案というものが文部省から提案されまして、これが前国会で廃案になつております。前国会の国立学校設置法の審議の際に、私からも御質問をいたしましたし、当時の委員からも質問を申し上げておりましたが、廃案になつたものを今後どうするのかと御尋ねをいたしましたときに、確かにそのときのお答えは、中央教育審議会がございますので、その審議を待つて国会の議にはかりたい、こういうふうにお答えになつたことを私は記憶いたしております。ところが先般これに類する政令が公布されていることを私は発見したのでありますが、この内容を見ますと、確かに一応の筋道は立てておるようであります。ところがこの大学管理法の審議の経過等を見ますならば明らかなように、いわゆる大学管理機関というものの本質をどうするか、どういう形態に持つて行くのかということがこれまできまらなかつたために、国会の審議は非常に論議沸騰したのであります。そういう経過から行きますると、ここにそれを簡単に政令でもつてすでに交付してしまつたということになれば、何で従来何回かにわたつてこれを国会の審議にかけたか。そういうことならば、国会の審議にこれをかけなくてもいいじやないか。かけておきながら、これが廃案となつて、国会では通らなかつた。また大学が改選年度で、ことしは一応何かの形を踏まなければならぬ、学長の選任に困る、こういつたような便宜的な問題から、この問題は省令によつてこの種の取扱いをやつているということは、これは非常に私はふに落ちないのでありますが、大臣としては、これは私に言わしむればきわめて国会を軽視した形である。何で何回かにわたつて国会の慎重審議を要求したのか。大臣はどういうふうにお考えであるか。
○大達国務大臣 大学の管理運営につきまして、大学管理法が当然制定せられなければならぬ。それは相当重要な問題でありますから、ただいま中央教育審議会において審議を願つております。その審議の結果をまつて、あらためてこれを法案として議会の御協賛をお願いをする、こういう点はただいま仰せになりました通りの筋でございます。ただ大学につきましては、大学の管理運営上どうしても評議員をもつて構成する評議会というものがいることになつておるのであります。これは教育公務員の特例法の中にも、それを前提とした規定があるのであります。でありますから、大学管理法が制定せられますまでの間、少くとも評議会というものについて一定の規定がなければ、さしあたり大学の管理運営の上に支障を来す、こういう実情があるのであります。そうしてその評議会については、法律によつて、省令できめてもよろしい、こういう委任の規定があるのでありますが、その委任の規定に基きまして、大学管理法が成立しますまでの間、暫定的に大学における評議員、評議会に関する事務を省令できめておるのであります。もちろん大学管理法はこの評議会だけの問題ではありませんので、広く大学の管理運営に関する規定を網羅包含すべきものでありますが、さしあたりその点だけにつきまして、法律の委任で省令が設けられておる。これは管理法が成立するまでの暫定的な措置であります。そうしてこの法律の委任を利用すると言つてはおかしいのですが、委任に基いて大学管理法において規定せらるべき内容を次から次へと制定して行く、こういう気持は毛頭ありません。とりあえず大学の管理運営の面に最小限度必要であるものにつきまして、暫定的に省令をもつて規定した、それは法律による委任の根拠がある、かようなことであります。
○辻原委員 具体的には法案審議にあたつてもう少しただしたいと思いますが、次にやはり大学教育の問題で、特にこれはどなたも御異論のないところでありますが、大学における教授あるいは助教授等の身分の保障、それから同時に学問思想の自由の確保ということは、きわめて重要な問題であると思います。私は前委員会におきましても、福井次官にただしたのでありますが、大学におけるいわゆる思想の調査といつたようなことが、現在行われている事実がないかどうか、こういうお尋ねをいたしましたところ、そういう事実なしという御回答であつたのでありますが、これらの点について大臣は御記憶がないかどうか。あるいはこの点については事務当局からお伺いをしてもいいのでありますが、それはただいま山口大学におきまして、経済学部長の柴田教授の書簡なるものが、山口大学の経済学部において非常に紛糾を来しておる事実があるのでありますが、この事実を知つておられますか。また知つておるとするならば、これに対してどういうふうな対処の方法を指導せられておるか。これを承つておきたいのと、同時にいま一つただしておきたいのは、最近文部省からこういう調査をされた事実があるかどうか。文部省の科学者調査カードというものを六月に出した事実があるかどうか。その内容は姓名、住所、その他論文であるとか、著書、研究書、その他万般のものにわたつて調査をして、同時にそれはインフオメーシヨン・オブ・サイエンテイフイツクというような英文がうしろについておる。こういうものを文部省が調査された事実があるのか。またこの調査の目的は何であるか。同時に英文がついておることは、いかなる理由に基くのか。この点を明らかにしていただきたい。
○稲田政府委員 前段の御質疑でありますが、山口大学経済学部の問題でございます。これはもともとわれわれ文部省におります者としては、全然知らなかつたのであります。ところが先般教員組合の山口県の御関係の方が地方新聞の記事を持つてお見えになりまして、こういう事実があるかということをお尋ねがありました。私どもといたしましては、もとよりそういう点につきましては万事大学にまかしているわけでありますけれども、一応その事実の有無は承知いたしたいと思つておりましたが、山口大学の方から経済学部の問題については追つて報告をしたいという申入れがありました。まだ具体的の報告には接しておりません。申し上げましたように、かくのごとき点につきましては、何ら文部省といたしましては関知いたしてないところでございます。 それから第二の科学者の調査の問題は、これは学術情報という問題で、終戦後すでに文部省ばかりではありません。研究機関を持つております各省関係において調査をいたしまして、その結果どこにどういう技術者、科学者があつて、どういう研究をやつているかということは、これは学術振興のために学界においてこれを知る便宜が必要でございます。そのような点でまとめましたものをすでに印刷もいたしております。本年度におきましても、おそらく他の省でもやつておられると思いますけれども、文部省におきましては、文部省所管の調査をいたしまして、集まりましたものはこれを国内及び国外に情報として提供いたしたいというふうに考えております。
○辻原委員 最後に一点。それは先般大臣の御答弁の中にありました山口県に関する小学生日記の問題でありますが、大臣のこの前のお話では、教材として使用せしめていることはけしからぬ、こういうふうにお取上げになつておつたのでありますが、これは大臣のこの事情を調査された範囲においては、教材として使われておつた事実があつたのでありますか、また大臣は教材というものをどういうふうに把握されているか、これを一つお伺いしたいと思います。
○大達国務大臣 これは先般申し上げましたかと思いますが、山口県の教育長が直接私に面会を求めまして、教育長から大体話を聞いたのであります。それに基きますと、小学生、中学生に教材として使用せられたということでございます。それを岩国市の教育委員会で問題にいたしまして、これは教材として使つちやいかぬというふうに指示した、こういうふうに聞いております。教材とはもちろん教育上に使用する材料、かように考えております。
○辻原委員 山口県のある市の教育長から事実を聞かれた、こういう話でありますが、これは速記録に残つております大臣の発言として非常に重要な問題でありますので、私も先般調べてみました。ところがこれを教材として使用しておつた事実はないのであります。ただこれを推薦したり、推奨したりする、こういう範囲にとどまつておる。この点は、その後において教育委員会とのいろいろの問題が起つておりまするけれども、大臣が言われたような、いわゆる教材としてこれを扱つておるという事実は、調査の結果私はないと判定いたしたのでありますが、この点あるいは事務当局等において、教材としてやはり使つておつた、その教材というのは、ともかくかりに推奨、推薦するといつたような場合においてもこれは一々教材であるというふうに文部省が考えておるならばいざ知らず、教材というのは普通一般常識でいわれるように、教科書あるいは副読本といつたような、これは授業単元の中において、その教員がその教室の中において使用するものであるという普通の考え方からしますならば、これは教材として扱つておるという大臣の御答弁は、あるいは教育長がそう申したかもしれませんが、これは事実と相反しておる点があると思いますので、事務当局におきましてもどうお考えになつておるか、間達いであるならば、御釈明を願つておきたいと思います。
○大達国務大臣 教材として使用しておる、こういうふうに私は聞いております。しかしこれは事実問題でありますから、なおその点はよく調べてみたいと思いますが、しかし教材として使つたか使わぬかということよりも、私のこの問題を相当重く考えまする点は、その内容に現在の政治的な問題をとらえて、そうして特定政党が主張する、つまり政治的な主張を、そのまま写して生徒、児童の脳裡に印せんとしておることが、その小学生日記というものを見るとはつきりわかるのであります。要するに教材であるとか資料であるとかいうことは別といたしまして、いわゆる最も大切である教育の中立性というものがもし脅やかされるということがあれば、これはきわめて重大な問題である。かように考えておるのでありまして、形式的にこれが教材として使用されたかされぬかという点は、これは事実を調べた上のことであります。問題の私の考える要点は、教育の中立性は厳に保持せられるべきものである、この点を考えたのであります。
○辻原委員 多くを申し上げる時間がありませんが、私は大臣の、教材としてこれを使つておるということはけしからぬ、この言葉は事実と違うということと、それから事実と違うならば、これはその取扱う範囲ということが問題になるのであつて、かりに個人がそれを推奨したといつたような場合においても、これはけしからぬというふうな形で取締りの対象、あるいはいかなる法律的根拠をもつて臨まれるかは知りませんが、これをおやりになるとすれば、これは非常に根本的な問題に触れて来ると思います。そういうことが一一云々されて来るならば、これは逆に教育の中立性というものについてもいま少し論議を重ねてみなければなりませんし、また大臣が考えられる考え方も、これがはたして、私が先ほどから論議申し上げておりまするような形の教育理念に立脚した中立性の範囲に、大臣の施政方針なりお考えが存在するのかどうかということも、一点問題になるわけであります。従つて私は、教育長から聞かれた範囲において大臣が申されたので、あるいは誤りがあつたのではないかと思つて御質問申し上げたのでありますが、この種の問題は慎重を期して扱つてもらわないと、一々こうしたものが何か思想統制的な意味で干与されて来るというふうな印象を与え、それだけにとどまるならばいいけれども、それを利用して、これにさらに輪をかけたような思想弾圧というような方向に向つて行く可能性もなきにしもあらず、私はかように考えますので、これは事実をいま一度よく調べられた上で、そうして慎重な取扱いをやつていただきたい。個人が申されて来た範囲内でこれを取扱われるということはいかがと私は考えますので、これを最後に要望いたしておきます。
○高津委員 関連して。
○辻委員長 時間の関係上十分程度でひとつお願いしたいと思います。
○高津委員 辻原委員の質問に対して文部大臣はこういう意味の言葉を述べられたのであります。私は教育勅語に流れておる精神と、憲法及び教育基本法の精神とは背馳するものではないと思う、衆参両院で決議をもつて教育勅語を排除したいというのは、形を排除したのであつて、教育勅語の基本精神としている内容を排除したものだとは思わない、もし背馳した点があるならば御指摘願いたいと、辻原委員に逆襲されたのであります。逆襲なんという言葉が強過ぎれば、それはどうでもいいんです。それはイエスかノーか、それだけお答え願いたい。そういう意味のことを御発言になつたと私はお聞きしたのでありますが、そういう御発言をなさつたかどうか、確認しておくためにイエスかノーだけお答え願いたい。
○大達国務大臣 大体その通りと記憶しております。
○高津委員 さらに次の御発言の中で、教育勅語の徳目と精神とは不即不離である、一旦緩急あれば皇運を扶翼すべし云々の言葉は、国家と民族を愛する精神である、もし侵す国があれば立つて守らねばならぬという意味を教育勅語では言われたんだ、そうであるならば皇運を扶翼すべしというのは国運を守るべし、国運を扶翼すべし、こう読みかえてもよかろう、そう読めばいいじやないか、すなわち教育勅語の一旦緩急云々の言葉でさえも憲法とは相背馳するものではない、こういうことを大臣はさらに重ねてお答えになつたが、そういうふうに解していいですか。これもイエス、ノーだけでいいです。
○大達国務大臣 その通りであります。
○高津委員 われわれの理解では、憲法は基本的人権をうたつており、教育勅語は服従道徳を、新しい人から言うばもちろん奴隷道徳であつて、基本的人権は全然認めない、そうしてまた教育勅語は主権在君、皇室中心主義であつて、そうしてまた博愛衆に及ぼすという言葉はあるが、それはわれわれの言ういわゆる世界平和ではないのであります。中国で言えば、修身、斎家、治国、平天下——北令吉氏もよく言う言葉でありますが、修身は個人道徳、斎家は家庭道徳、治国は国民道徳、平天下がその上にさらについておるので、中国の道徳は日本のよりもさらに大きい。教育勅語は国民道徳の、しかも戦争道徳が最後の結びになつておるのでありますから、そのあとで世界平和も、世界の文化に貢献するも、何もくつついてはいないのであります。そのように教育勅語の精神や内容と新憲法とは相背馳しておるんだ、それゆえにこそ衆議院や参議院において、教育勅語の謄本が各学校にあるのさえ、それをそこに保存することをも許さないで、そうしてそれを全部文部省に回収して処分したというような、そのくらいわれわれは民主主義の精神革命、思想革命をやつておるのでありまして、それが正しいとわれわれは思つて今日まで来ておるのでありますが、今この席で大臣から、教育勅語と新憲法及び教育基本法とは相背馳するものではないというようなことを承ることは、驚くべきことであつて、こういう精神で文部行政を担当されることは、過去の民主化というものを台なしにするおそれがあるので、私は確かめておきたいのでありますが、教育勅語には民主主義や主権在民ということはあるのですか、ないのですか。
○大達国務大臣 教育勅語は政治のあり方を述べておるものとは思いません。従つて主権在民であるとか、何とかいうことを、直接その中にうたつておるわけではありません。しかし教育勅語は君主に主権がある君主政体というものを背景とし、基礎として述べられておる。これは間違いないと思います。
○高津委員 そこが民主主義に反するところであつて、教育勅語は主権はなんじ臣民などにはないのだ。なんじ臣民は身を鴻毛の軽きに比して、みな皇運の扶翼のために死なねばならぬ。こういうことを一生懸命強調したのであつて、民主主義に反することを一生懸命言つておるのだとわれわれは理解しておるのでありますが、文部大臣はそれでも教育勅語と憲法というものは一致するのだということを言い張るのですか。この失言をお取消しになる意思はありませんか。
○大達国務大臣 私は教育勅語が当時の立憲君主政体というものを基礎とし、当時の日本の社会情勢というものを前提として述べられてある。従つてその形において今日は通用のできない点があるということは、前にも申し上げておるのであります。ただ教育勅語の底を流れておるいわゆる道徳精神というものは、これは今日といえども、今日の事態に処して行く精神には、何にも背馳するところがない、こう思うということを申しております。
○高津委員 親に孝に兄弟に友に、夫婦相和し、それらの徳目はちよつと常識的に考えれば、今も昔もかわらないように見えるわけです。われわれとしてはあすこに並べられてあることの底に流れる精神が問題なんです。その精神は憲法と何ら背馳しないと言われるが、精神こそそれが問題なんです。自然にある道徳がそのまま現われたの所はなしに、皇室中心主義という、何というかセメントをもりて全部こしらえ上げた服従道徳、そういうものなんです。だからその精神が大間違いなのです。あなたの今の言葉を使えば、立憲君主制であつたし、当時の社会情勢からはああいう形で現われておつたけれども、底を流れる精神は今日といえども改める必要のないものだ、こう言われるのでありますが、そこをもう一ぺん確かめておきましよう。そうですか。
○大達国務大臣 その通りです。
○高津委員 教育勅語の精神がわれわれば一番問題なのである。その精神は新憲法及び教育基本法と合致するのだ、こう言われるが、それでは新憲法をこしらえたのは意味がないことになるし、教育基本法をこしらえたのも意味がないことになつてしまう。教育基本法を出したのは教育勅語にかわるものとして教育基本法を立てたのだということが、あの当時の立法の記録を読めば非常に明らかになつているので、これを捨ててこれをもつてかえるのだということになつているのだが、新しく文部大臣になられたあなたは、そうは御理解にならないのですかどうか。それをまず聞いておきましよう。
○大達国務大臣 しばしば申し上げておりますように、教育勅語という形で、その形で今日わが国の学校における道徳教育の中心たる地位を保つべきものではない。これは高津先生の言われる通りに私考えております。これもしばしば申し上げているのであります。
○高津委員 形として形をそのままで生きるのだというのではない、こう言われるが、それはそうにきまつておりますよ。だが、教育勅語にかわるものとして教育基本法ができたのだ、この事実を認められるかどうか。
○大達国務大臣 私は基本法というものが教育勅語にかわるものとしてできたとは思つていない。教育勅語はわが国の政体がかわつたのでありますから、従つてこれは基本法ができる、できないにかかわらず形の上においてわが国学校教育の中心たる地位は失墜すべきものだ、かように考えているのであります。何も教育基本法ができたから教育勅語というものがいらない、こういうものではない。わが国があらためて主権在民の民主的国家として出発した、それによつて教育勅語は形式的にその地位を失うものである、かように考えております。
○世耕委員 今日は時間がないので十五分以内という委員長からの御注文がありましたので、十五分以内にお話を申し上げたいと思いますが、残余の質問はたつぷり時間をいただくことを御子承願いたいと思います。 まず第一にお尋ねいたしたいのは、文部大臣は現在施行されている教育委員会の功績をどう思うかということであります。教育委員会が能率をあげているかどうか、教育委員会が文教に対する指導その他の功績をどの程度あげているかどうか。なぜそういうことをお尋ねするかと申しますと、最近における関東一部六県か七県かの議長会議において教育委員会は廃止すべし、あるいは存置の価値なしというような議論が出ているのであります。そこでこれに対して文部大臣はどういう御見解をお持ちになつているか、改革するの必要ありとするか、あるいはこのまま存置していいと思われるか、簡単でよろしゆうございますから御回答願いたい。
○大達国務大臣 私の承知しているところでは、都道府県の教育委員会について廃止せよという声はあまり私は聞かないのでありますが、いわゆる地教委と申しますか、市町村の教育委員についてはやめてもらつた方がいいという声があることは私も承知をしております。しかし教育委員制度というものは、申すまでもないことでありますが、要するに教育の地方分権といいますか、民主的な運営と申しますか、それぞれ地方々々の事情に即応するように教育が運営されて行くことが望ましい、こういう意味でそういう制度がわが国における、基本的な教育制度の線としてできているものであると思つております。ことに市町村教育委員につきましては、実施されて間もないことでありますし、またそれの整備が十分でない点もあります。また従来のやり方と非常に違つて来たのでありますから、その間にいろいろの摩擦募ることだろうと思うのです。しかしながらとにかくこれは実施の運びに至りましてからまだ幾らも時日を経過しておりませんので、ただちにその功罪を論じて廃止すべきものであるというふうには私は考えておらないのであります。私のただいま考えておりましことは、せつかくできたこの制度を、制度の本来の趣旨に沿うて運営されて行くように助成をして指導してもらいたい、かように考えております。
○世耕委員 今大臣は廃止しないとおつしやつたが、関東三都七県県会議長会議は、教育委員会は根本的に廃止されたい、こういう決議をされたことが新聞に出ておる。これはこれとしていいといたしまして、教育委員会制度そのものはけつこうなんだが、財政が伴わない。これが結局効果をあげないというふうにわれわれは考えておるのでありますが、この点に対して御見解はどうでありますか。
○大達国務大臣 ただいま御指摘になりましたような点は、確かにあると思います。これは財政の問題と一緒になるものですから、それから派生していろいろ不十分な点もでき、またいろいろ地方の問題としても摩擦も起る、こういうふうに考えております。
○世耕委員 それから先ほど来、私の教育勅語礼讃から大分話題が発展し、あるところでは飛躍しているように私は拝聴いたしましたのですが、私、教育勅語がなぜ悪いのだ、こう申し上げたい。勅語をよく読んでごらんなさい。ただ朕という言葉が気に食わぬとおつしやるなら直してもいい。言葉には変遷があります。一旦緩急というのはけしからぬ。非常の場合と訳したらいい。現在の教育者のある部分の中には、教育勅語をさかしまにしてやつて行こうという根性の者が多い。それだからこういう議論をするのだ。私は、教育勅語非常にけつこうである。五箇条の御誓文読んでごらんなさい。どこが悪い。夫婦相和しを夫婦けんかしろといつたらそれこそたいへんなことだ。そういう議論をしているのです、実際、私はこれの実例としてこの際お尋ねしておきたいと思うことは、文部大臣の室へあぐらをかいてすわり込んだ教員、ああいうような先生がかりに自分らの学校に行つて生徒に教えるのに、どんなかつこうをして教えるのか。生徒が机の上にあぐらをかいて講義を聞いたら、それを何として教えることができるか。教育の根本は平和ということであり、同時に人格の向上であり、行儀作法だ。あの行政の悪い組合の先生が、しかもそれが全国で五十万も組合員を持つておるということは驚かざるを得ない。まだそればかりではありません。一地方だと思つたら、各地にあるそうだが、日の丸の国旗を掲揚してはいかぬ。君が代を歌つてはいかぬ。さたの限りじやない。気がどうかしているのじやないかと私は申し上げたい。こういう点について文部省はこれを黙視するのですか。教育委員会はこういうことも黙つているのが教育委員会の使命でありましようか。話は飛びますけれども、そういう連中に中共から大分金が来ているといううわさも飛んでおる。訴訟も起つておるということを聞いて言い訳をしておるということも聞いたのだが、今時間がございませんから、それをお聞きしようとは思いません。文部省の存在いずれにありやと私は嘆きたい。時間がないから、私は今記録に残つているだけ読み上げて御参考に供します。伊勢新聞の昭和二十八年六月十五日の記事に、「日教組第十回定期大会最終日は十四日午前九時半宇治山田市厚生小学校講堂で続会。中略。本年度運動方針並びに大会スローガン、条案を承認、さらに内灘接収反対対策として各府県から一名ずつ現地へ調査団を派遣すること、浅間山山麓演習地初め全国軍事基地撤廃闘争資金獲得運動を起し、一人十円以上の寄付金を七月中に集めることを決定、「内灘など再軍備計画の進められている現在、日教組はあくまで戦争勢力と対決し、向米一辺倒の政治態勢を打破し、同時に中国初め、全世界の労働者、農民、学生と手をとり合い、平和と自由を獲得せん」との声明書を発表」こう書いてある。これが教育者を中心とした組合のあり方でございましようか。これがすなわち先ほど来やかましくいういわゆる教育基本法とどういうところで合致するのでございましようか。御説明があればいただきたい。なお大事なことだから一日くらい間をおいて御返答をいただいても、私は急ぐわけでありませんから……。これは教育のあり方として憲法の精神を逸脱していると私は思う。いわゆる教育基本法すら無視した行動ではないか。内灘の問題に十円出すのは教育に何の関係がありますか。 なお私はこの間、日教組は金があるということを申し上げたら、あれは通う、二千五百万円出したのは教員ばかりではない、生徒や何かにも寄付さしたんだと言つているが、あの記録を見ますると、二千五百万円の内訳の中に、水害対策委員会で全国の児童から一人一円、組合員から十円と出ているじやありませんか。組合員から十円というと、すなわち五十万人だと、五百万円出すということになる。ずいぶんあつさり金が出せる。ここで問題なのは、各自が任意的に出すのか、この十円を。上の方できめて十円出せと命令したんじやないか。天くだりじやないか。大臣は天くだりだというが、近ごろの組合はみな天くだりだ。だから教育新聞なり雑誌は、評していわく、これ丹頂のつるなりという。頭が赤いという。頭が赤いということは、幹部に共産党員がいるということの皮肉です。こういう連中にわれわれの大事な子弟をあずけて教育できますか。内灘へ行くひまがあつたら、もう少し教材を研究したらどうか。私はこの点において大臣はもつと大胆に施策を行つてもらいたい。私は決してちつぽけな日教組を目のかたきにするのではございません。大事な仕事をあずかつてもらつているから、特に指摘する。この点についてはもう少し詳しく私は論議したいと思いますが、きようは時間がございませんから……。御抱負経倫等について御説明が願えれば……。材料は幾らでもございます。この点だけ……。
○大達国務大臣 簡単にお答え申し上げます。日教組の組合としてのあり方については、これは世間それぞれ批判があるところであります。私は、教員諸君がその政治的な意見を持ち、また政治活動をせられることが、少くとも法を逸脱しない範囲においてそれをせられることは、別にこれについて批評を差控えます。ただ私の一番懸念いたしますことは、かようなことが自然、先ほども話の出ました教育の中立性というものにどういう関係を持つか。これを実は非常に心配するのであります。御指摘の通り、もし特定の政党あるいは特殊の政派の現在の政治的主張をそのまま純真な生徒、子供の脳裡に移されるということであれば、これは私はゆゆしき事態であると思うのであります。学校の先生が政治的意見を持つことに別にどうこう申しませんが、子供にそれを移してもらうということはたいへんなことである、かように考えまして、この意味におきまして今後文部省としてはできるだけの指導をして参りたい、かように考えております。先ほど地方教育委員の問題もありましたが、お話のように、どうも行儀の悪い先生が子供に接するということは、決して子供の行儀をよくするゆえんではありません。私は各地域々々で純真な子供を相手として行われる教育が、その中立性を冒涜されることのないように、また学校の先生のその服務上の態度、勤堕その他について遺憾のないように一地方教育委員がこれを見張つておつてもらいたいと思うのであります。その意味において文部省は今後活発な指導をして行きたい、かように考えております。
○世耕委員 ついでにお尋ねいたしますが、教員の自主性ということが非常に問題になつている。近ごろは上の方できめたものをそのまま押しつけている。きわめて非民主的な行動が日教組の組合活動の中にあるということは、日教組の部内からも私は聞いている。教員の自主性ということは、平和教育確立の上に非常に大切なのです。その自主性を守るのにはいかなる方法がいいかということを、文部省としてお考えになつていなければならぬと思う、たとえば某候補を立候補させるのに、お前たちは三百円ほど月給から差引けといつて、天引で差引かれている事例がある。そしてぶつぶつ言いながら実は出さなくちやならぬということは、すでに自主性を欠いているということだ。これは教育者としてあり得ることではないかと思いながらも、上の圧迫を恐れてぶつぶつ言いながら十円出す、二十円出す、百円出すというようなことは、すでに経済的にすら自主性を失つている。その地位並びに教育の方針に対して自主性が持てないということが、今日の最も大きな問題となつている。あるいは日教組自体が右に行こうが左に行こうが、われわれの関することではない。むしろ教育の自主性がいかに今日確保されているかというところに非常に疑点がある。この点についてちよつとお尋ねしておきたいと思います。
○大達国務大臣 教育の自主性ということでありますが、むしろ今日の新しい制度の上においては、これが一番強調されておると思うのであります。いわゆる地方教育委員制度というものもこの趣旨の上に立ち、いわゆる民主的教育制度であるというゆえんがそこにあると思うのであります。ただ教職員が戦争前には——戦争前というと誤弊があるかもしれませんが、わが国の秩序の整つた以前の時代におきましては、教育者のとうとき天職や使命というものに誇りを持つて、教育の仕事に、菲薄な待遇を受けながら当つて来たということは顕著なる事実であると思うのであります。ただ今日ややもすればそういう点が欠けておりはしないか——これは決して断定はできないことでありますが、そういう点は考えられるのでありまして、この点は教職員諸君がそのとうとい使命、天職に目ざめて、誇りを持つて大切な子供を預かつているということを自覚せられるように、私は強く希望しておるのであります。
○世耕委員 教育委員会法第一条には「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行う」ということが出ておるが、これに反した行動が各所に行われておる。ゆえにこの機会に大臣といたしましては、今後こういう誤つた事柄が発生しないように、訓令なり訓示なりを発する御意思ありやいなや、この点だけ一点伺つておきたい。
○大達国務大臣 教育の中立性を維持するために、文部大臣として何らかの形において、指示と申しますか、指導と申しますか、さように処置をとりたいと思つております。
○辻委員長 文部行政に関する質疑はこの程度にとどめ、次の日程に移ります。 —————————————
○辻委員長 国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。質疑があればこれを許します。
○前田(榮)委員 国立学校設置法の一部を改正する法律案の条項に関することではないのでありますが、この際当局にお尋ね申し上げておきたいことがあります。今衆議院の地方行政委員会にかかつておる自治大学校設置法、これは警察関係の警察大学とかあるいは保安庁の中におる保安大学とかいうよ、うなものと同じような意味で、自治庁管理のもとに自治大学校を置くということでありますが、私は地方自治の問題は、今日の民主主義政治の上において非常に重要な点ではないかと思います。こういう学校教育制度を文部省が統一する上からいつても、文部省の管理下に置くのが妥当ではないかと思います。従つて今の大学の中へ地方自治学科とかあるいは学部とか、——これはどういうことでもいいのでありますが、そういうものを置かれるのが適当ではないかと思うのです。これはアメリカ等にも置かれておるのでありますが、そういうことで地方自治に関するところの自治庁の行政面をも十分研究する機会を与えるような考えを持つておられるかどうか、この点が第一点。 それから地方自治庁が計画いたしました地方自治大学校設置法についての相談を受けられたかどうか、これについてどういうお考えを持つておるか、この点をまず第一にお尋ねいたします。
○稲田政府委員 御指摘になりました自治大学校は、大学校と申しております点で御了承いただき得ると存しますが、これはいわゆる大学ではないのであります。内容を見ますると、これは現職の地方公務員の再教育機関であるようでございます。かくのごとき再教育機関であるとか、あるいはもうすでに公務員としながら養成をするような教育機関は、文部省が所管いたしまする一般教育の学校体系とは別に、従来とも各省で所管せられることになつております。 この件について相談があつたかという点につきましては、直接事務的にこの法案の会議はないのでございますが、もちろん次官会議その他におきまして、文部省といたしましても内容を知る機会は持ち得たのでございます。 それからさらに、一般の大学教育においての地方自治という点につきましては、われわれといたしましても、そういう自治問題及び国家社会の今後の緊要な課題につきましては、なるべくそういう方面の講座あるいは教育施設を充実して参りたい考えでございます。それが充実いたしましたあかつきにおきましては、公開議座その他におきまして、また一般の現職教育等に用い得られるとは思いますが、さしあたり自治庁の念願といたすところは、そうした再教育施設でありますので、われわれといたしましては、直接関与いたさないことにいたしております。
○前田(榮)委員 簡単にお尋ね申し上げますが、地方行政委員の中にも、これは今申された通りに、学校ということで今の行政官の再教育をするということは、これは意義があるとしており、私もそう思うのであります。ただ今の地方自治教育というものが、もう少し今の大学等において、実際行政面に携わるのに役立つ教育が行われておるといたしまするならば、そう別に学校等というようなものを置かなくても、そこへ聴講生を出すとか、いろいろなことで間に合うのではないかと思うのであります。これは警察大学、保安大学とは全然性質が違うのであつて、そういうものは別な性格を持つておりますから、私はこれを今の大学の中へ置くことを希望するような御議論はいたしませんが、もつと進んで地方自治教育というもの、あるいは地方自治学というものの発展をするように、今の大学の教科内容、あるいは設備等を改善して行けば、自然自治庁あたり、こういうものを置かなくても済むような状態になるんじやないかと思うのです。この点十分御研究をお願いいたしておきます。
○辻委員長 ほかに御質疑はありませんか。
○野原委員 この設置法の一部を改正する法律案をずつと説明を聞いたわけでございますけれども、なお私が釈然としない点が一つあるのでございます。それは、新制大学が設置せられてかなりの年月を経ておるわけでございますが、しかしながら新制大学は、必ずしも充実されておるとは私は考えない。その新制大学の充実という点は、実はこの外に置かれてしまつて、そうして短期大学を五つ新設せられるところの文部省の趣旨、この点について明確にひとつ御答弁が願いたいと思います。どういうわけで短期大学を新設するかということです。
○稲田政府委員 新制大学の施設あるいは定員等につきましても、御承知のごとく年々逐次充実を心がけて予算にも実現いたしておるわけでございます。御指摘の短期大学設置につきましては、これはやはり教育の機会均等の一助とも申しますか、地方における昼間勤労青年で、大学程度の教育を受けたいと希望せられる方に対する教育施設がないという点が、ずいぶん地方で指摘もあり、地方から要望もございます。昼間の大学教育施設がございますれば、それを元といたしまして、これを利用することによつて、夜間の短期大学を設置して、そうした勤労青年の修学に便宜を得しめたい、こういう意味で過去三箇年間地域的にまた学部の種類を考慮しつつ、三つあるいは四つ五つ短期大学を増設して参つたような次第でございます。
○野原委員 私の意見を申し述べますと、短期大学を五つつくる予算があるならば、これを新制大学の充実にまわしてもらいたいという見解を私は持つのであります。ところが五つの短期大学をつくつて、教育の機会均等云々といわれますけれども、しかしながら私は新制大学は、夜間であつてはいけないという何か法的根拠でもあるのでございますか、お尋ねいたします。夜間の新制大学というものはできないというようなことにでもなつておるのでしようか、お尋ねしたい。
○稲田政府委員 私立においてもたくさんございますが、国立においても、たとえば横浜国立大学のごときは、夜間の工学部を持つております。
○野原委員 従つて夜間新制大学ということを、私の意見としては考えておるわけですけれども、ことさらにこの短期大学に持つて行つたというその点の御説明が私にはどうもピンと来ないのです。もう少しはつきりおつしやつていただきたい。
○稲田政府委員 もちろん横浜あるいは神戸等の夜間の大学、これも充実いたしますし、また将来方々に設置することも考え得られると思いますけれども、さしあたりこれらの短期大学をつくりますにつきましては、地方の議会あるいは地方の理事者その他、地方に非常に要望がありまして、勤労青少年としてぜひ短期大学程度の専門技術教育を受けたい、こういう者が多いからつくつてくれというお話で、われわれといたしましても、その御要望に従つて努力いたして参つた次第でございます。
○辻委員長 ほかに御質疑はありませんか——なければ本案に対する質疑はこれにて終了いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認めます。それでは本案を討論に付します——討論の通告も別にないようでありますので、討論を省略してただちに採決を行いたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認めます。よつて討論は省略いたします。 採決を行います。国立学校設置法の一部を改正する法律案に賛成の諸君の御起立を願います。 〔総員起立〕
○辻委員長 起立総員。よつて本案は原案の通り可決いたしました。なお報告書の提出等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認め、さように決します。 —————————————
○辻委員長 次に大日本育英会法の一部を改正する法律案を議題とし質疑を行います。御質疑はありませんか。
○小林(信)委員 簡単なところを聞くのですが、第十六条の三項に「日本育英会ハ学資ノ貸与ヲ受ケタル者が左ノ各号ノ丁一該当スル場合ニ於テハ政令ノ定ムル所ニ依リ其ノ貸与金ノ全部又ハ一部ノ返還ヲ免除スルコトヲ得」とあるのです。政令で定めるというのでありまして、これは今後問題にもなると思いますが、当局としては、大体一部とかあるいはその全部とかという限定の内容というものについてあらかじめ御承知になつておるかどうか、できましたらそういう点を率直にお話願いたいと思うのです。
○稲田政府委員 政令の内容といたしましては、どういう職についた場合に免除するかという点を主として規定いたしたいと考えております。その職の範囲といたしましては、大学の教授であるとかあるいは助成金を受ける民間研究機関の職員であるとか、そういう職についた場合に免除するという予定でございます。
○小林(信)委員 実は一部というふうな場合は特殊なことで、大よそ全部が免除をされるというような傾向にしてほしいと私は思うのでございますが、そういう御意思であるかどうか。
○稲田政府委員 前条もこの条もそうでございますが、義務教育職員になつた場合とか、あるいは研究機関の研究員になりました場合は全部を免除する建前でございます。特殊な事情がありますれば一部を償還せしむる、こういう考えであります。
○世耕委員 その点でありますが、たとえば研究所員になりたい、とつてもらえれば同時に借金は棒引きにしてもらえる。ところが定員外はとつてもらえぬ、希望するけれども採用してもらえぬばかりじやなしに、また借金も取立てられることは二重の負担になると思うが、そういうふうな場合にどう公平に取扱うか。実際問題として私は陳情を受けたのでありますが、どう処理なさるつもりか、公平な取扱いが必要ではないかと思う。
○稲田政府委員 大体この特別の研究機関に要員を養成いたします意味の、いわゆる特別研究生と申します者に奨学金を与える範囲でございます。これは各大学その他大学院で非常に厳選いたします。非常に優秀な成績の者に金を貸すわけであります。従いまして当該大学に残るとか、あるいは民間における優秀な研究所に行き得る見込みのある者に貸すわけでございます。お話のように、たとえば就職が遅れるとか何とかということにつきましては、多少の期間猶予いたしたいと考えております。
○世耕委員 そういう点に何か適当な親心を施してやらないと、非常に不公平なものがあると思う。むろん文部省なり大学が採用するのだから縁故関係じやなくて、優秀な成績の者のみとるだろうとは思うけれども、必ずしもそうでもないように思われる節がある。さような場合に公平な処置をとる——場合によれば、せつかく優秀でありながら定員が満ちておるためにとれないという場合に、特別な事情を勘案して、むしろ借金は棒引きにしてやる、あるいは償還の期間を長くして好条件を与えるとか、何かそこに便法があつてしかるべきだと思う。この点もう一ぺんお伺いします。
○稲田政府委員 その場合の事情をよく検討しなければならぬと思いますが、お説のような点については、実施の上に十分努力するようにいたしたいと思います。
○野原委員 第二十八条の第一項でございますが、「毎年度予算ノ範囲内ニ於テ補助金ヲ交付スルコトヲ得」とあつて、従来は金額を限定して記載されておつたと思いますが、これがこういうふうに改正を見ておるのでございます。この点に関しまして、予算の範囲内ということになるとその年度のいろいろな予算の関係上、これが減額されるというおそれがないとも限らない。そういたしますと、育英制度の趣旨にこれは逆行するようなことになるかもわからないのでございまするが、この点に対する文部省としての御配慮があれば承りたいと思います。
○稲田政府委員 御承知のように、もともと育英会に対しまする貸付金は預金部運用の資金から貸付いたしておつたのでございますが、資金運用の最近の方針によりまして、こうした方面に向けることが適当でないということで、政府貸付金になつたわけでございます。事務費に対しましても政府が金額を補助するということで、年々ずつと参つております。減額という御心配ではございまするけれども、もちろん継続貸付けておりますものの単価及び人員、これはもう継続の貸付けでございまするから減額すべきいわれもない。これをいかに拡張するかという点については問題でございますけれども、それは予算を獲得する場合に十分御審議を願い、御考慮を願います。政府貸付金であります以上、やはり予算の範囲内という字はどうしても置かざるを得ないと思つております。
○野原委員 そういたしますと、年度によつて補助金が予算上縮小される危険性はない、局長がはつきりこのように申されたと私は受取つてよろしゆうございますか。
○稲田政府委員 政府支出の補助金であります以上、予算の範囲内という点がございますけれども、育英会運用のスケールはきまつておりますから、いわれのない減額ということは、私どもは予想もいたしておりません。
○辻委員長 他に御質疑はございませんか。 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 なければ、本案に対する質疑はこれにて終了いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認めます。 それでは本案を討論に付します。討論の通告もないようでございますから、討論を省略してただちに採決を行いたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認めます。よつて討論は省略されました。 採決いたします。大日本育英会法の一部を改正する法律案に賛成の諸君の御起立を望みます。 〔総員起立〕
○辻委員長 起立総員。よつて本案は原案の通り可決せられました。 なお報告書の提出等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認め、さように決します。 本日はこれにて散会し、次会は公報をもつてお知らせいたします。 午後零時五十八分散会