文部委員会 第7号
- 発言数
- 58 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1953/07/04
会議録
○辻委員長 これより会議を開きます。 危険校舎改築促進臨時措置法案を議題といたします。提案理由の説明を聴取いたします。大達文部大臣。 —————————————
○大達国務大臣 今回政府から提出いたしました危険校舎改築促進臨時措置法案につきまして、その提案の趣旨並びに内容の概要を御説明申し上げます。 公立の義務制学校で、緊急に改築しなければならないものは今日百数十五坪にも達し、これらの校舎で勉学している児童生徒は約二百万人の多数に院つております。従来義務制学校の建築といえども、その市町村の自己財源によつてまかなわれてきたのでありますが、戦後新制中学校の建築等のため、今日の地方財政ではこれらの危険校舎を独力で改築することはきわめて困難な事情にあるのであります。以上の事情にかんがみましてここに臨時に特に国が補助を行うことを法制化し、もつて危険校舎の改築を促進して、義務教育の円滑な実施を確保しようといたしたのであります。これがこの法律案を提出する理由であります。 以下法律案の大要を申し上げますと、第一に、危険校舎改築の国庫補助の対象は、義務教育諸学校の校舎で、その構造上危険な状態にあるものでありまして、その校舎の危険度その他国が補助を行うことができる危険校舎の範囲の決定について必要な事項は、政令で定めることになつております。第二は、国の補助率でありますが、予算の範囲内で、三分の一以内ということにいたしております。その他に補助の申請、補助金の交付の取消し、停止及び指示監督等所要の規定を設けている次第でございます。 以上申し述べましたように、この法律は、地方財政及び公立の義務教育諸学校の危険校舎の現状にかんがみ、その改築を促進するため、その改築に要する経費を臨時に、特に国が補助して、義務教育の円滑な実施を確保しようとするものでありまして、予算案にも本年度においてとりあえず十二億円を計上いたしている次第であります。何とぞ慎重に御審議の上すみやかに御可決賜わらんことをお願い申し上げます。
○辻委員長 続いて補足説明を聴取いたします。近藤政府委員。
○近藤政府委員 ただいま文部大臣から御説明申し上げました危険校舎改築促進臨時措置法案の提案理由について補足説明をいたします。 本法案の目的は、第一条に規定する通り、地方財政困窮の実情にかんがみ、戦時戦後の国の施策に起因して増大累積した公立の義務教育諸学校の危険校舎の改築を促進するため、その改築費について臨時に国が補助を行い、もつて義務教育の円滑な実施を確保しようとするものであります。 第二条は国が補助を行う危険校舎の対象でありますが、これは義務教育の重要性にかんがみ、小、中学校及び盲、聾学校の小学部及び中学部の校舎で老朽あるいは若朽によりその構造上危険な状態にあるものとしており、それら校舎の危険度その他国が補助を行うことができる危険校舎の範囲の決定について必要な事項は、政令で定めることになつております。第三条の補助率は、予算の範囲内で三分の一以内となつております。以上は現行の予算の通りであります。第四条は補助の申請でありまして、危険校舎改築の国庫補助金を受けようとする場合は、文部省令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付の申請をすることにいたしております。第五条は補助金の交付の取消し、停止等でありますが、文部大臣は、地方公共団体に対して補助金を交付する場合において、正当な理由がなくて、改築の全部又は一部を行わなかつたとき、また補助金を補助の目的以外に使用したとき、あるいは文部大臣の指示に違反したと認められるときは、当該地方公共団体に対して、補助金の全部もしくは一部を取消し、または停止し、その補助金の全部もしくは一部を返還させることができることになつております。第六条は指示監督でありますが、文部大臣は、補助金の交付の目的を最もよく達成するため、必要があると認めるときは、その目的を達成するのに必要な限度において、補助金の交付を受ける地方公共団体に対して、危険校舎の改築について必要な指示を行い、報告書の提出を命じ、季たは部下の職員をして当該補助にかかる危険校舎を実地検査させることができることにしております。第七条は政令への委任でありまして、危険校舎改築の事業費の範囲、成功認定及び監督等を政令へ譲つております。 以上がこの法律案の内容の概要であります。
○辻委員長 次に、公立学校施設費国庫負担法案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。大達文部大臣。 ————————————— —————————————
○大達国務大臣 今回政府から提出いたしました公立学校施設費国庫負担法案につきまして、その提案の趣旨と内容の概要を御説明申し上げます。 地方公共団体は、公立学校の施設の災害復旧及び戦災復旧並びに義務教育年限の延長に伴う公立学校の施設の整備すなわち新制中学校の建設につきまして、年女多額の費用を支出しておりまして、これに対しまして、国も従来から予算措置によつてその一部を負担して参つたのであります。 しかるに災害によつて公立学校の施設は年々平均して約二十億円の被害をこうむつており、また戦災復旧も戦後七年余を経過した今日その復旧率はまだ五割にも達しておらぬ状態であります。さらに新制中学校の整備につきましては生徒一人当り〇・七坪という応急最低基準にも達しない学校が相当数ありまして、その総不足坪数は約二十万坪にも上つておるのであります。 このように公立学校の施設につきましては今後なお整備すべき必要が多々あるのでありますが、これらの経費の国庫負担につきましては現在まで明確な法的根拠がないのでありまして、わずかに地方財政法におきまして、その経費の一部または全部を国が負担すること、そしてその経費の種目、算定其準及び国と地方公共団体とが負担すべき割合は法律または政令で定めることと規定されているにすぎなかつたのであります。 地方財政も窮乏をきわめている今日、地方公共団体が毎年公立学校の災害復旧や戦災復旧あるいは中学校の整備に多額の費用を支出することは非常に困難な状態にありますので、これらの経費につきまして国庫負担の内容を明確にして、公立学校の施設の整備を促進し、もつて学校教育の円滑な実施を確保することが現下の急務であるのであります。しかもこれらの経費は予算額からいたしましても一相当の額に上りますし、現在の国家財政の実情をも勘案して、種々慎重検討を加える必要がありますので、法律をもつて規定することが適当であると認められまして、ここに法律案として御審議を煩わすことになつた次第であります。 以下この法律案の大要を申し上げますと、第一に、国の負担率は、災害復旧はすべて二分の一、戦災復旧は小学校及び中学校が二分の一、高等学校及び大学が三分の一、義務教育年限の延長に伴う施設の建設は二分の一ということにいたしております。これは従来の予算措置の通りであります。第二は、これらの経費の算定基準でありますが、災害復旧または戦災復旧に要する経費は、政令で定める基準に従い、その原形復旧に要する費用を基準とすることになつており、また義務教育年限の延長に伴う公立学校の施設の建設は、政令で定める児童生徒一人当りの基準坪数及び一坪当りの建築単価を基準として算定することになつております。第三に、経費の種目は、それぞれの事業の本工事費及び附帯工事費並びに事務費といたしております。その他に各事業費の決定、成功認定、負担会の還付及び監督等所要の規定を設けてありますが、これらの事務につきましては大学に関するものを除き、都道区県の教育委員会が行うことにいたしておるのであります。 以上申し述べましたような理由によりこの法律案を提出いたすことになつたのでありますが、何とぞ本法案につきましても慎重に御審議の上すみや九に御可決賜わらんことをお願い申し上げます。
○辻委員長 続いて補足説明を聴取いたします。近藤政府委員。
○近藤政府委員 ただいま文部大臣から御説明申し上げました公立学校施設費国庫負担法案の提案理由について補足説明をいたします。 本法律案の目的は、第一条に規定するように、公立学校の施設の整備を促進ずるため公立学校の施設の災害復旧及び戦災復旧並びに義務教育年限の延長に伴う公立学校の施設の建設に要する経費について、国の負担する割合等を定め、もつて学校教育の円滑な実施を確保することであります。地方財政法第十条の三におきましては公立学校の災害復旧、第三十四条におきましては戦災復旧及び義務教育年限の延長に伴う施設の建設について、それぞれ国がその経費の一部または全部を負担すること、そしてその経費の種目、算定基準及び国と地方公共団体とが負担すべき割合は、法律または政令で定めなければならないと規定されております。これらの規定は災害復旧については恒久的であり、戦災復旧と義務教育年限の延長に伴う施設の建設については臨時的なものであつて両者の性格は多少異なるのでありますが、同じく学校の施設に関するものでありますから、一本の法律案にまとめたわけでございます。第二条は用語の意義でありまして、この法律において公立学校とは、公立の学校で学校教育法第一条に規定する幼稚園から大学まででございます。災害とは暴風、洪水、地震等の天然災害及び大火となつております。第三条の国庫負担率は、災害復旧は二分の一、戦災復旧は小学校及び中学校が二分の一、高等学校及び大学が三分の一、義務教育年限の延長に伴う施設の建設は二分の一でありまして、これは従来の予算措置の通りであります。なお同条第二項で国庫負担の対象となる施設の範囲は政令で定めることになつておりますか、その政令におきましては、戦災復旧及び義務教育年限の延長に伴う施設の建設については従来通り建物のみとし、災害復旧につきましては建物のほかに校地をも含めたいと考えております。第四条は経費の種目でありますか、それは当該建物の主体の建築費たる本工事費と給水、排水、電燈等の附帯工事費並びに工事施行者の事務費であります。また義務教育年限の延長に伴う施設の建設につきましては、従来買収もありましたので本法案でも買収その他これに準ずる方法による取得も認め、さらに今年度の予算案に計上されている義務教育年限の延長のため中学校、盲学校及び、聾学校に転用された小学校の建築で同一の設置者にかかる場合、すなわち転用小学校の建築も、国庫負担の対象としております。第五条におきましては経費の算定基準として、災害復旧及び戦災復旧は、政令で定める基準により原形復旧を原則とし、原形に復旧することが不可能な場合において、当該施設の従前の効用を復旧するための施設をすること、及び原形に復旧することが著しく困難であるかまたは不適当である場合において当該施設にかわるべき必要な施設をすることも認めております。現行の予算では災害復旧は各学校種別ごとの最低基準まで、戦災復旧の小学校は応急最低基準である〇・七坪まで国庫補助している状況であります。また義務教育年限の延長に伴う施設の建設は、政令で定める児童及び生徒一人当りの坪数及び一人当りの建築単価を基準として算定することになつております。これも現行の予算では御承知のごとく生徒一人当り〇・七坪の応急最低基準までを国庫補助の対象としておりますが、この取扱いは当分の暫定的措置であると考えております。第六条から第九条までは事業費の決定、成功認定、負担金の還付及び剰余金の処分等を規定しており、第十条におきまして、これらの事務は大学に関するものを除き、政令で定めるところにより、都道府県の教育委員会が行うことにいたしております。第十一条は監督でありますが、文部大臣は各事業を適正に実施させるため必要な限度において実地検査を行い、報告書を提出させ、また必要な指示をすることができることとし、なお文部大臣は、政令で定めるところにより、都道府県の教育委員会をして、当該都道府県内の市町村に対して、その権限を行わせることができることといたしております。第十二条は災害復旧の場合の適用除外の規定でありますが、災害による被害が、建築基準法に基定する建築物の主要構造部が破損した場合の大破の程度に達しないものは、国庫負担の対象としないことになつております。 第十三条は政令への委任でありますが、残存物件の算定、災害報告、国庫負担の申請等を政令へ委任しております。なお附則におきまして、この法律は公布の日から施行することといたしておりますが、昭和二十八年度の予算執行から適用いたしたいと考えております。 以上がこの法律案の内容の概要であります。
○辻委員長 文部行政に関する件を議題といたします。前会に引続いて文部大臣に対する質疑を行います。前田榮之助君。
○前田(榮)委員 前会に引続きまして、文部大臣にお尋ね申し上げたいのであります。すなわち先般世耕委員から述べられた教育勅語の問題について、大連大臣から教育勅語は全面的に妥当なりという意味の御答弁があつたようでありますが、このことはきわめて重要な問題であるまして、日本の教育を推進して行く行政庁の長官である大臣が、古い思想をもつて教育を進めて行くことになりますと、たいへんなことになると思うのであります。先般高津委員から憲法に違反抵触するという言葉も出たようでありますが、少くとも教育勅語は憲法違反と言われないといたしましても、日本の憲法の精神には反するものであります。これを私は強く反省をしなければならぬと思うのであります。大臣は教育勅語の中の徳目については現在においても大いにとるべきところが多いと言われておる。しかし先般も私が申しました通り、この教育勅語の徳目云々というように、あなたが徳目に重点を置かれるところに問題があるのである。ごらんの通り、教育勅語には「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」とあります。すなわち古い国家主義による、いわゆる主権在民の新しい憲法の精神とは並行しないところの「我カ臣民克ク忠二克ク孝」というこの精神が教育の淵源である、教育の淵源はここから出るのだ、これが教育勅語の中心をなしておるといわれている。そうしてしかもこの教育勅語は「義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」こういうように進められてあるのでありまして、あなたが徳目と言われるものは、すなわち兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ」こういうことがあるじやないか、これがいいんだ、こうおつしやるのだろうと思うのでありますが、このこと自体は教育勅語の中心ではないのであります。この教育勅語というものは、これは何も日本の天皇陛下がそういうことを言われなくても、世界の各国においても夫婦はけんかしてもよろしい、兄弟は和してはならぬということにはならぬのであります。これは当然世界のだれでも言うことであつて、特にこういう国柄であるからこういうことに注意しろとおつしやつておる。だからこの教育勅語というものをあなたが全面的に考えられる思想というものが、いわゆる古い国家主義、あるいは主権が天皇の大権に属しておるという古い国家の形態において考えられる点があるのでありまして、この点をあなたが明確にしなければ、どうもわれわれ文部委員もこのまま見通すわけには行かぬのであります。この点のあなたの意見を率直に明確にしてもらいたいことが第一点であります。
○大達国務大臣 この前の委員会のときも申し上げましたように、私は教育勅語というものが、今日これを学校教育の範囲に限定をいたしまして、そのままの形において今日学校における道徳教育の中心になることはできない、その地位はすでに失つたものであるということを申し上げたのであります。それは今日の新憲法下の政治体制その他と相いれない点がありますから、その意味において今日その形式そのままにおいて、学校における道徳教育の中心としては、すでにその地位を失墜したのであるというふうなことは、先日の委員会の席上においても申し述べたものであります。ただ教育勅語に盛られておりまする内容、その道徳的精神、これは「爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」という言葉があります通り、わが民族の伝統的な道徳精神が盛り込まれておるものであると思うのであります。伝統の精神という意味は、私は決してほかの国にはない、わが国特有なものだけをさしておるとは思つておらぬのであります。伝統の道徳というものは、その民族が数百年、数十年の間実践し、行い来つた道徳の道でありまして、よその国にないものだけが伝統的のものである、かようには思つておらぬ。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」これわが民族が長い間実践し来つた伝統的な道徳であると思うのであります。そこでこれもこの前申し上げたのでありますが、私は教育勅語のうちに含まれておる各徳目が、その徳目の形式そのままで今日通用するものであるとは思つておらぬのであります。高津先生その他の御質問に対しましてお答えをした点をよくお調べくださればおわかりになつていただける、こう思つておるのでありまして、ただ時代の違いは別といたしまして、その教育勅語の底に流れておるところの道徳的精神というものは、これはあらためて新時代に即応ずるように、新時代の今日の主権在民の民主社会にふさわしい形において、その道徳的精神は依然としてわが民族の道徳的基調であると考える、かように申し上げたのであります。その徳目自体をそのまま今日通用するものであると言い張つておつたわけではないのでありますから、その点御了承を得たいと思います。
○前田(榮)委員 どうも私の質問に対してそれようよくとされる傾向があると思うのでありますが、あなたのおつしやるのはまず教育勅語の中に民族の伝統、それからその中に含まれておる人間として尊重しなければならない徳目があるから、従つてこれはつまり民族の伝統から出ておるのだから、これは大いに推奨して行きたい、こういうようなところへそれられる。しかしながら教育勅語全体として、前にも申し上げましたように、「此レ我方国体ノ精革ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」といわれておるこの言葉は、「克ク忠ニ克ク孝ニ」といういわゆる古い君主主義あるいは国家主義に基いておるのだ、この点をあなたはもつと率直にこれが憲法の精神に反し、あるいは現代の国家に即応しない、そういうような勅語の中心をなすものはいけない、しかし中には少しいいところがある、こう認められるのが、私はあなたのためにもいいと思うのですが、しかしそこはどうなんですか。そこを率直に、どうも教育勅語というものは、その中に少しばかりいいのがあるからといつて、教育勅語、教育勅語と言われると非常に問題がある。あなたもすでにお気づきだろうと思うのでありますが、日本の国民の中には、戦争に負けて、新しい憲法ができて、主権が在民になつた今日において、天皇制擁護だとかあるいは天皇制復活だとか、この運動がすでに国民の中に起りつつあることはお気づきだろうと思う。こういうこととこつちやに大臣の腹の底にあるのじやなかろうかと誤解されるだけでも、あなたもいいことではなし、また日本の文部大臣の中にそういうものがあるとわれわれ国民が考えたきには非常に遺憾なことだ。そういう誤解のないように、ここで率直に、この勅語の中に、憲法の主権在民の精神に反する、この勅語の中心をなす教育の淵源というものをここに置いた、このことをわれわれは否定しなければならぬと思う。これを否定されるのかどうか、こういう点を率直に述べてもらいたいと旧ふう。
○大達国務大臣 私は今日の主権市民の国家組織並びに政治形態といいますか、それをかえるとか、元の主権在君といいますか、君主制度にもどすのだとか、さような気持は毛頭ありません。またさようなことはここでも言つた覚えもないのであります。申し上げますように、教育勅語は当時の政治形態において、当時の国家事情においてあの形で出たのでありますから、今日の時世から見て少くとも形の上で合わない点はある、それは私は認めておるのであります。このままこれが今日大手を振つて濶歩すべきものであるということは毛頭考えておらぬのであります。ただ、たとえば「克ク忠ニ克ク孝ニ」、この「克ク忠二」という字を非常に問題にされておるようであります。この「克ク忠」ということは、これはその中にただちに主権が天皇にあるとか、天皇制とかいうものまで含むものか、どうかは私は知りませんが、ただ従来わが国におきましては愛国心——国土を愛し、民族を愛する、その感情が忠という表現を借りて鼓舞せられておつた、これは疑いのない事実であると思うのであります。私は日本の古い書いたものの中に、愛国という字はあまり見ないのでありまして、愛国心というものは、忠という形をもつて鼓舞せられて来ておると思うのであります従つて今日この教育勅語の精神を、その道徳的精神を生かして読むならば、「克ク忠ニ」ということは、国土を愛し民族を愛するという精神に読めると私は思うのであります。私は形にとらわれずに、この教育勅語の底に流れておる国民の伝統的な道徳精神というものを、時勢に合せて行きたい、かように考えておるのであります。
○前田(榮)委員 私はこの問題で、そう水かけ論みたいな議論はあまりしたくありませんか、ただ形にとらわれる、とらわれぬということは、あなたがとらわれておる。今「克ク忠ニ克ク孝こということを盛んに力強く主張されますが、その主張されることが私らにはおかしいのです。この勅語をよくごらんなさい。「克ク忠」は忠実だ、これは天皇に対する忠君愛国というものじやない、国家に忠実なとかいうような意味にもとれると、あなたはおつしやるのだろうが、そうではなくて、これには「我ヵ臣民」と書いてある。その次に、「克ク忠」と書いてあるのです。はたして今のわれわれ国民が臣と民とにわけられると思うかどうか、そうじやないでしよう。そういうような、あなたが「克ク忠ニ克ク孝ニ」ということがあるじやないか、これはこうだと言われることこそが、いわゆる古い国家観にこだわつておるから、そこを言われるのです。それをわれわれは心配するのです。忠実であるとか、あるいは今おつしやるような、幾多の博愛衆に及ぼすところの観念、こういうものはりつぱなものですよ。こういうものでなければならぬと私は思う。ところがそういうことが淵源がどこから来ておるかという問題で、この勅語が問題になるのです。それをただ徳目々々というようなことに目がくらんでおるところに古い国家観かあるのです。そういうことじやない、いいところはいいのだ。いいところを、われわれ国民は、よく今後の情勢にも考えなければならぬが、しかしこの勅語に教育の淵源ここにありということで教育勅語が出された、それが少くとも今の日本憲法の精神である——日本憲法というものは、憲法の前文にもございますが、すなわち「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書いてある。それとここに教育勅語が相対立しておるのです。そこで問題になつて高津君が力強く主張されたのであつて、それをあなたがただ徳目々々などということを主張されるから、われわれもついこんなことをしやべらなければならぬことになるのです。それがどうもあなたが形にとらわれているのであつて、もう少し考えられんことを、これはもう議論せぬで希望いたしておきます。 その次に大臣にお尋ねを申し上げたいのは、少くとも大臣は、日本の文部行政について絶対責任を持つてやらなければならぬ立場だと思う。もちろんそういう覚悟で大臣に御就任になつたことであろうと思うのであります。そういたしますと、いろいろこの予算全体の問題についても、たとえば六・三制の校舎の整備の問題、あるいは危険校舎の問題等では、こういうことでやつておる——何年先に日本の教育設備がどうなるかということについてわれわれは心配するのでありますが、あなたに一番考えてもらいたたいのは、本日もここに御陳情になりましたが、どうも今の政府は文教政策というものを軽視するきらいがあると思うのであります。しかも歴代の文部大臣は、あなたはそうでないと思いますから、言葉づかいについては御了承願いたいと思うのでありますが、どうも伴食大臣だ、こういうように考えられておる。今義務教育国庫負担法によるところの問題で、富裕県はこの負担法を適用しない、こういう内閣の方針をきめられて出されておる。もし富裕県と富裕県ならざる府県とに取扱い上の不平等がありといたしますならば、これは義務教育国庫負担をもつてやるべきものでなくて、税制改革あるいはその他の方法でやるべきものなりとわれわれは確信いたしておる。それを大事な教育の面へしわ寄せされたことについては、私は閣僚の中の文部大臣に重大な責任があると思う。もし文部大臣が骨があるならば、おれのところへしわ寄せすることはけしからぬしからぬ、こんなばかなことをするのはおれが承知することはできないと、けつをまくらねばならぬのではないかと私は思う。内田さんは麦価の問題からおやめになりました。私は内田さんの農林行政の責任を重んずる点に敬意を表する。これを正しいと考えられたのか、なぜこれを甘んじて受けられたか、この点についてあなたの御見解をお伺いいたしたいと思います。
○大達国務大臣 義務教育費の二分の一国庫負担につきまして、一部富裕府県に対しまして不交付または減額交付する法律案は、いずれ当委員会の御審議を願わなければならぬことと思いますから、詳細なことはその節御説明申し上げますが、ただいま御指摘になりましたように、現在の各府県の財政の事情というものは、非常にアンバランスな点があります。でありますから、二分の一の国庫負担をいたしますにつきましても、そういう財源の偏在と申しますか、そういう不均衡な点が是正せられて、その上で行われる、こういうことが最も望ましいのであります。ところが今日まださような地方の税財政を通ずる根本的な改革というものができておりません。従つてその間暫定的な措置として、従来平衡交付金を受けていなかつた——富裕県という言葉はあるいは語弊があるかもしれませんが。少くとも他の府県に比べて比較的に余裕があると認められる県につきまして、この負担法の結果といたしまして、東京について申しますと、年額にして三十億、あるいはそれ以上に上る巨額な金、従来交付されていなかつた金が行くということは、地方団体相互の間における財政上の不均衡、財源の偏在ということをますます激成することになります。そこでいずれこれは地方の税財政の改革整備ということが行われるのでありますが、それまでの間、暫定的に一定の基準を定めまして、不交付または減額交付という道を開いて、公平と申しましては何でありますが、公平を期して行きたい、こういう次第でありまして、この点は、いろいろ御議論のあることはよく承知しておりますが、提案せんとする趣旨は右様の次第であります。これについて、私にただちに責任をとるかどうかというようなお言葉でありましたが、それは御意見として承つておきたいと思います。
○前田(榮)委員 私はこのことでただちに責任をとれとか何とかいうのじやないので、ただ責任が重大であることを特に申し上げておるだけなのであります。今大臣がお答えになつたことは、文部大臣でなしに、大蔵大臣が答えればちようどいいような答えであります。文部大臣は、まことに残念でありますが、というぐらいのことを言われた方が、私は正しいと思う。少くとも義務教育費の国庫負担というものが憲法にも定められ、日本の立国の精神なんです。ところが、その教育に日本の国家財政の弱点がしわ寄せされようとするところの傾向については、極力あなたはこれを阻止する責任を持たなければならぬので、きわめて重大だと思うのであります。どうもあなたに大臣をやめてもらつていいというようなことまで、私は考えているのではないから、その点ひとつお考えを願いたい。ただこういう重大な問題であるから、大臣として義務教育費国庫負担というものを真に生かすか生かさないかということについての決意を聞きたいわけなのであります。これが第一点。 それから第二点は、文教の予算の個個の問題については、後ほどまた議論される時間もあろうと思いますから、省略いたしますが、はなはだ残念なことはきようの議題になりましたところの危険校舎の問題であります。少くとも各都道府県知事が、危険校舎の問題について増額の要請をいたしておることは御承知の通りであります。しかるにもかかわらず、本年の危険校舎の改築助成費が昨年とそう大差のない十二億というようなきわめて貧弱な、(「それはことし初めて出したのだ」「自由党が出したのだ」と呼ぶ者あり)これはほかの形で出ておつたものが、ここへ明確になつたと思う。(「今度初めて出たんだ」と呼ぶ者あり)十二億かそこらの金で危険校舎の問題が解消されるとは、われわれは想像もつかぬのであります。それについては大臣は、今後の日本の文教予算について、前に、これは三箇年か四箇年の計画のように説明があつたと記憶しておるのでありますが、少くともこの危険校舎について、大蔵省が考えておる五十箇年以上とかあるいは十五箇年に暫定的に建てた建物とかいうわくでなしに、ほんとうの危険校舎を解消するのに、年次計画をもつと明確に立てて、これを解消するようにしようという御決意がありますか。この点をお伺いするわけであります。
○大達国務大臣 初めの御質問、国庫負担の趣旨を貫くようにするつもりかどうか。これはただいま申し上げましたように、今回の特例法は、一定の期間、時期を画一しての暫定的立法でありまして、いつまでもこれで不交付または減額交付という態勢を将来まで続けて行くということにはなつておりません。 それから、危険校舎の問題でありますが、これは従来はある程度起債のわくが認められまして、起債によつて改築をされておつたのでありますが、この二十八年度予算案において、初めて国庫で三分の一の補助をする、そしてそれに十二億円程度の予算が組まれた、こういうことになつております。またこれに伴つて、三分の一補助でありますから、それに見合うところの起債のわくも設定せられておる次第であります。ただ、この十二億円という金額は、一応五箇年計画ということになつておりますが、むろん五年たてば、今の目標になつておる老朽校舎以外に、また危険校舎もできて来るのでありますから、むろんこれでは非常に不十分であります。今度法律案としてあらためてその基礎が立法化されまするゆえんのものも、できるだけ、これによつて危険校舎改築を促進して参りたい。一口に言うと、起債のわくなり予算の金額も、今後ますますふやして参りたい、こういう気持で法案を提出した次第であります。むろん今日十二億円という数字は非常に不十分でありますけれども、今後一日も早く危険校舎が解消しますように努力して参りたい、かように考えております。
○前田(榮)委員 最後に、今回の水害で、相当校舎等のいたんでおるものがある。これは本予算の中でやるわけにはもちろん行かないのであつて、これについては補正予算等を出すお考えがあるかどうか、そういうことを閣議でいろいろ御検討なされておるかどうか。それから、今の水害校舎の復旧についてはどういうお考えを持つておるか、この点、ちよつとお尋ねいたしたい。
○大達国務大臣 今度の水害につきまして、過日大野国務大臣が現地に急行せられましたときに、文部省からも施設部長をお伴させまして、学校関係についての災害の状況を調査しております。一部その報告か参つておるのでありますが、相当な被害であることは申し上げるまでもありません。これを災害復旧として、どういうふうに処置するか、補正予算によるかとかいう類のことは、これは一般の災害復旧とあわせて、政府として処置を講ぜられることと考えております。むろんしかるべき措置が講ぜられなければならぬ、かように思います。なお文部省といたしましては教科書とかあるいは教材、そういうようなものを今極力用意いたしまして現地の必要に応じまして急速にそれが現地の方面に送り得るように準備はしております。ただ何分にも非常な災害でおりまして、まだなかなか学校を開くというところに行かぬどころか、まだ交通も杜絶しておるというところもたくさんあるやに聞いております。政府といたしましては、一応とにかく急速に現場に保安隊等を出動させまして、たとえば仮場所をつくるとか、とにかくそういう急速な仮復旧といいますか、そういうことに全力をあげておるのであります。それをやらないと交通も杜絶しておりますし、救済物資を送るにしてもどうにもなりませんし、また鉄道輸送機関の復旧の上にも支障がありますから、当面はそれを中心として現地で非常に努力しておるようであります。いずれこの災害の被害、これの復旧につきましては調査をいたしまして、それについての必要の措置を講じたいと存じます。
○辻委員長 次に野原覺君。
○野原委員 文部委員会が開かれましてから、大臣から四つの項目にわたる文部行政としての重点というものが説明されまして、その説明事項について私どもは質疑を繰返しておるのでございますが、この質疑の過程で明らかになつて参りました大臣の教育に対する考え方ということは、実は今日の日本の教育、今後の日本の教育というものについて、きわめて重大なものがあると私どもは考えるのであります。従つて前田委員がただいま質問されましたけれども、私としても重要な二、三の点について究明いたしておかなければならない必要を感じますので、率直にひとつ御答弁をお願い申し上げたいと思います。 大臣も御承知のように、日本の憲法というものは、申し上げるまでもなく、二つの筋金からできておると私は思います。一つの筋金は平和主義ということでございましよう。もう一つの筋金は民主主義ということでございます。この平和主義と民主主義の二つの筋金の上からできておる日本の憲法の上に立つて、今日の日本の教育方針というものが打出されておるのでございますが、この日本憲法の上に立つた今日ただいまの日本の教育方針というものは間違つておるのか、いけない箇所があるのかどうか、これに対する大臣の御見解をお聞かせ願いたいと思います。
○大達国務大臣 新憲法が平和並びに民主、この二つのことを支柱にしてできておるということでありますが、私同感であります。そうしてこれはあらためて国際社会に再出発をしたわが国の今後のあり方として、堅持せらるべきものであると考えます。
○野原委員 率直に申し上げますと、間違つていない、こういう御見解だと私は承つたのでございます。そこでもう一度お尋ねしたいことは、この前の世耕さんの質問に対する御答弁、それから高津さんの質問に対する御答弁、ただいまはまた前田さんの質問に対する御答弁等を総括して、あなたの教育勅語に対するものの考え方というものがはつきりいたしたと私は思います。その私の把握しているはつきりしている点と申しますのは、教育勅語というものは形式がよろしくない、天くだりの形式をとつておるからいけないのである、内容は決して間違つてはいない、新しい時代に即応したものとしてわれわれがこれをつかんで行つたらよいのだ、こういうようなお考えのように思うのでございますが、この点についてどうも私は納得ができない。私がただいま申し上げましたその主権在民という日本国憲法の精神と教育勅語の理念、その内容、思想的な背景というか、実践的な立場というか、理念との間に矛盾がないとあなたははつきりと仰せられるかどうか。主権在民の日本憲法と教育勅語の理念との間に矛盾はないのか、これをお聞きいたします。
○大達国務大臣 私は、教育勅語が主権在君といいますか、君主政治そのものを教育勅語によつて主張しているものとは思いません。しかしながらいわゆる立憲君主制下におけるさような状態を前提として、ものの言い方がそれを前提とした言い方になつている。これはその通りだと思います。ただ教育勅語それ自体は、いわゆる主権は君主にあるのだという政治的な考え方を主張しておるとは思いません。
○野原委員 その点が実は私の了解に苦しむところでありますので、その点はいずれ私が述べて行く過程の中で十分質問もいたしたいと思います。そこでもう一つお聞きしたいことは、教育勅語はこの「教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」つまり国体の精華ということを第一段に述べております。「国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」とずつとあつて、そうして国体の精華であつて、ここに教育の淵源は存する、こういうように述べている。これが戦争前の日本の教育であつたと思います。これがほんとうのそのときの日本の教育の実際であつたと思いますが、さつき申しました今日の日本憲法のああいつた考え方によつて打出された今日の日本の教育というものは、一体何に淵源があるのか、今日の教育の淵源は何にあるのか、この点についてひとつあなたの見解をお聞かせ願いたい。
○大達国務大臣 教育勅語にいうところの教育ということは、道徳教育に限定された意味と私は解釈しておるのであります。さような意味におきまして、ただいま仰せになりましたような新憲法の趣旨にのつとつた、平和的な民主的な社会か建設されるために必要なる道徳、これが今日道徳教育の根本だろうと思います。
○野原委員 そういたしますと、先ほど申し上げました教育勅語と、今日の教育のあり方というものとの間には、大きな食い違いがあるということを、あなた自身ただいま肯定されたと受取つてよろしゆうございますか。
○大達国務大臣 私が先日来しばしば申し上げている通り、教育勅語は、今申し上げましたような、その当時の国情、その当時の国家組織というものを前提にして述べられておつて、その点は、形の上からいうと、今日の社会事情あるいは国の形の上には合わない、これははつきり申し上げておるのであります。ただ教育勅語の内容につきましては、わが国の伝統的な道徳精神が盛り込まれておる点については、それは今日の事情にふさわしき新しい形をとらなければならぬことは申し上げるまでもないのでありますけれども、ただ教育勅語が、天くだり式の当時の国家組織というものを前提にして述べられたという一事をもつて、これをことごとく排斥し去るべきものではない、かように存じておるのであります。
○野原委員 教育勅語に盛られておるところの内客というものは、今日の新しい時代にふさわしいものとして受取ると申されますけれども、そもそも教育勅語の持つておる根底的な物の考え方というものは、これは君主国家としての、天皇絶対至上主義の上に立つた考え方でございます。これをあなたが否定されるということになると、これはよほど重大なことになるわけでありますが、教育勅語はそういう考え方の上に立つてあの徳目ができておる。これはつまり「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあるところから考えても、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」それから「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というところを何でくくつたかというと、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とくくつてあるのであります。従つてあの中に盛られておるところの道徳、たとえば「夫婦相和シ」ということは、これは今日もなるほど必要でございましよう。しかしながらあの中に盛られておる夫婦相和するというその考え方の根底は、皇運を扶翼出するためということにあるのであります。このことは今日の日本の憲法が主権在民ということになつた今日、明らかにこれは矛盾をいたすのでございます。これをなおあなたが矛盾をしないというようなりくつをこねまわしておられるのでありますが、この点はまことに納得できません。従つてこれはあらためてまた御質問を申し上げたいと思います。 そこで次の質問は、かつて参議院の本会議におきまして、前の前の文部大臣でありました天野さんが、天皇は国家の道徳的中心である、こういうことを申されたのでございますが、一体今日の道徳の中心というものは天皇にあるのでございましようか、それとも国民にあるのでございましようか、お伺いいたします。
○大達国務大臣 天野さんがどういう意味で道徳の中心とおつしやつたか、その点私はよくわかりませんが、道徳が国民を中心として盛り上らなければならぬ。その内容なり徳目は別といたしまして、国民の道徳というものは、国民によつて高揚され、国民によつて盛り上つて行くものである。その意味において、国民が道徳の中心である、かように考えております。
○野原委員 その点はまつたく同感でございます。従つてそういう考え方の上に立つ限り、教育勅語というものの内容を肯定されるということは、ますますおかしくなるのであります。従つて大臣は、この辺のところをいま少しく御検討あらんことを私は御要望申し上げます そこでもう一点質問いたしますが、この文部委員会を通じて、教育に対するあなたの考え方というものが世間に漸次浸透されるにつれて、実は非常な論議が学界あるいは教育に対して関心を持たれる人々の間に巻き起されているのであります。その論議の一つはこうでございます。まことに失礼な言い方でございますけれども、私は文部委員として率直に、遠慮なしにあなたに申し上げますが、大達文部大臣はかつて地方行政官でございました。そしてなお小磯戦争内閣の内務大臣を勤められたと私は記憶いたします。しこうして戦争中は、シンガポールの市長も勤められた方でございます。そのあなたが今日文部大臣につかれて、教育勅語に対するあのようなお考えが述べられるにつれて、一体大達文部大臣は、過去における日本の戦争政治を指導して来た責任者の一人として、どのような反省をもつて今日文部大臣に就任されたのであるか。あなたが過去にシンガポールの市長として、あるいは小磯内閣の内務大臣としてのあなたのその行動なり業績なりについて、今日どのような御反省をなさつているものかどうかという点について、疑つている人々がございますから、この機会にあなたの反省なされておる点を、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
○大達国務大臣 私の教育に関する考え方は、すでに御質問によつて申し上げましたし、また今後も明らかにして行きたいと思うのでありますが、しかし私の過去における経歴をもつてそれを大達の教育に関する考え方、あるいは道徳に関する見方は、そういうふうに違いないと即断されることは、非常に迷惑であります。いかなる反省をしておるかというお尋ねでありますが、過去の私のどの点を今日反省するのかということを、具体的におつしやられないと、ただ漠然たる質問では答えかねるのであります。私が教育、道徳に関してどういう考えを持つているかということは、これはお尋ねに応じてお答え申し上げます。ただ過去戦時内閣の大臣をしたとか、占領地の行政官をしたとかいう形だけで、私の考え方を即断されることは困ることであります。
○野原委員 その点は、前の委員によつても質問し、要請もしたことでございますが、日本が民主国家として立つて行くためには、教育の民主化というものを推進する以外に道はないのでございます。従つて民主教育に対するあなたの情熱、あなたの御努力、積極性というものが、実はそういう疑いを晴らすことでございますから、率直に教育の民主化ということについて、一体どうお考えなのか、御所見を承りたいと思います。
○大達国務大臣 私はしばしば申し上げておりますように、終戦前の、わが国の相貌が全然違つておつた当時の徳目あるいは教育勅語のようなものを、今日そのまま通用させるということはできないことであるということは、申し上げおるのであります。今日はお話のごとく、民主国家としてあらためて再出発をしておるのでありますから、その意味におきまして、教育の面におきしましても、政治の面倒におきましても、健全なる民主国家としてわが国が今後再建せられるようにということは、かたくその通り信じておるのであります。教育の民主化、これはすでに今日の教育制度というものが、教育の民主化ということを基本的な態度として出発しておるのであります。従つて私の教育方針の中に、あらためて民主化とか民主という字はなかつたのでありますけれども、私の申し述べました四つの項目というもの、少くとも教育内容の改善刷新、あるいは社会教育の充実、あるいは教育の機会均等を拡充する、あるいはまた六・三制義務教育を拡充する、これことごとく教育の民主化に資するゆえんであると思つておるのであります。
○野原委員 そこで道徳教育についてもう一点だけお尋ねいたします。あなたは教育内容の刷新充実という項目の中で、愛国心を養うものとなる道徳教育ということを述べられたのでございますが、この道徳教育について、かつての自由党の文部大臣の中には、修身科の復活、倫理科の復活ということを考えた人もあるやに聞いておるのでございますが、大臣はこういう教科を復活するということについてはどのよう一なお考えを持つておられますか。
○大達国務大臣 修身科あるいは倫理科は、むろん学校における道徳教育ときわめて密接な関係を持つておるのであります。私は今日の学校教育、ことに義務教育の面におきまして、道徳教育がさらに浸透充実せらるる必要があるということを痛感いたしておるのでありますが、それをいかなる方法で教育の実際に合わして行くか、これはよく論議をされております。今日の社会科の一つとして、内容の一部として取上げて行くか、あるいは社会科を別にして、修身科なりあるいは地理、歴史の科目を設けて行くか、それから小学校の低学年の児童に対しては、これは知識をもつて注入するよりも、まず実践の面において、一口に言つてしつけと申しますか、行儀をよくさせる、いい習慣をつけさせる、こういうことでやつて行つた方がいいとか、あるいは子供の知悩の発育する程度に順応いたしまして、道徳知識というものを与えて行く方がいいとか、こういういろいろの問題があろうと思うのであります。これはいわばどういうふうに子供、生徒、児童に、これを授けて行くことが最も効率的であるかという問題でありまして、いわば教育技術、教育方法の問題であろうかと思うのであります。私はこの点道徳教育を充実浸透させるということは考えるのでありますが、それをどういうふうにするかということになると、これはよほど専門的な分野でありまして、御承知の通り、教育課程審議会というものが文部省の中にありまして、これ円の教育方法なり教育技術の面については、ここで専門家が研究しておるのであります。近くこの問題に対する答申があることになつております。その答申にまちまして、これらの専門家の検討を十分経て、そしてそのやり方については社会科というもののうちから地歴の方ははずすとか、あるいは社会科学といいますか、ちようど理科のうちに物理も化学も生物も並んでいるように、社会科学ということのうちに地理、歴史も並んで行くのか、それらの点については、実は私は今考究中だということをはつきり申し上げておるのでありまして、御了承いただきたいと思います。
○野原委員 日米行政協定に基きまして、アメリカの軍事基地、演習地というものが相当たくさん日本に置かれておることは御承知の通りでございますが、この軍事基地、演習地における風紀問題、それから子供の教育に関する問題が至るところで起つておるのであります。文部省は一体この実態をどういうように把握されておるのか、並びにその対策について御意見があれば、一応お聞かせ願いたいと思います。
○大達国務大臣 軍事基地を提供使用させることは、行政協定に定める国の義務となつておるのでありますから、これはどうしても国の義務としてしなければならぬわけです。しかしながらわが国のごとき、まことに国土が狭少であり、人口の密度が非常に高い国柄におきましては、軍事基地が提供されることに伴つて、いろいろ民生の上にもあらゆる面に関係して来るので、影響なしには軍事基地の提供ということはなかなかむずかしいと私は思うのであります。そこで教育の方面におきましても、現在問題となつておりますものは、いわゆる風紀問題と、それから騒音というか、やかましくて授業ができぬという、この二つの問題に大体帰着するかに思つております。風紀の問題につきましては、これはひとり教育だけの問題でもありませんけれども、日米お互いが連絡協議をいたしまして、できるだけそういう点に影響の少ないようにする。学校でいいますと、できるだけ教育環境を阻害しないようにする。全然基地にならぬ場合と同じようにということは、事実上なかなかむずかしいと思うのでありますが、これはどうも国の義務でありますから、その義務を果すことを前提として、できるだけ教育環境をこわさないようにする、こういうことよりしかたがないと思うのであります。そこで現地におきましても、中央におきましても、これらの点につきましては、密接な連絡をし、また各省相互の間におきましても、密接な連絡をして方法を講ずる。それから騒音につきましても、特に著しいところでは、たとえば防音装置をするとかなんとかしなければならぬと思うのでありまして、そういう点につきましては、せつかく各省とも、あるいはまたアメリカ側とも連絡をいたしまして、できるだけ教育の上に及ぼす影響を少からしめるように善処いたしたいと存じます。
○野原委員 ただいま申されました点につきましては、実は文部省としてどれだけの御努力を今日まで払つて来られたかについて、私は疑いなきを得ません。しかしながら本日はこの点についてはおきます。いずれあらためて、文部省がこの軍事基地、演習地における子供の教育上の問題と今日まで一体真剣に取組んで来たかということについては、適当な機会に御質問を申し上げたいと思うのでございます。 そこでもう一点でございますが、義務教育の充実というところで、教員の構成をかえることによりその素質の向上を期する、大臣はこういう努力をしたいと述べておられるのでございますが、このことは現在行われておる教員の養成制度の根本的な改造というようなものを意味しておられるのかどうか承りたいと思います。
○大達国務大臣 構成をかえるというふうには申し上げていなかつたと思う。あるいは速記録がそういうふうになつておりますれば、おそらく私の申し違いであろうと思います。構成をかえるというのでになしに、御承知の通り、六・三制教育というものが、戦後の窮乏、混乱のうちに、施設の面におきましても、あるいは教員の方面におきましても、準備が整わないうちに制度の方ができて来た。そこで今日では、できるだけその制度にふさわしい内容に充実するために、実際の方が制度に追いつくように努力をしているのが現状であります。そこで教員の方におきましても、法律においてかような資格が必要であると一応きめておりましても、実際はなかなかそれだけの資格のある先生方をそろえることができない現状であることは、御承知の通りであります。そこで現職教育とかいうことを現在せられております。なるべくすみやかに教員の素質を向上するということを、この後も鋭意進めて参りたい。これは今老朽校舎とか、二部教授の解消とか、そういう施設の面においてもおつつかぬ点もありますから、これも鋭意やつて行きたい。それから教員の素質の向上につきましても、鋭意それを進めて参りたい、こういうわけでありまして、現在のやり方を根本的にかえるとかなんとか、そういう意味ではありません。
○野原委員 これをもつて最後にいたします。大臣が教育内容の刷新充実なり、義務教育の充実なり、あるいは学術の振興なり、社会教育の拡充なり、こういう点について努力をして参りたいと述べられていらつしやるのでございますが、一体あなたが文部大臣としてこれらの点について、ほんとうに自分が理想的にやつて行くためには、どれだけの国家予算を必要とするのかということについて、御検討されているかどうか。一体どれだけの金があれば、この四つの点の実現が、あなたの考えている通りに、できるとお考えなのか、承りたい。
○大達国務大臣 どれだけ金があれば思う通りできるかということでありますが、さような精密な計画に基いた、どれだけ金があればいいということについては、まだ計算したものはありません。
○野原委員 打切ろうと思いましたが、きわめて遺憾でございますので、もう一点申し上げます。少くとも私どもが抱負なり理想なりを樹立するにあたつては、特に一国の文教の責任者である文部大臣がこういう点を国民の前に明示する限りは、一体予算としてはこれくらいのものがいるということを十分御検討されなければならないと思う。そういう点がないために、実は文部大臣というものが、予算についての何らの確信も御決意もないのだ、こういう批判が生れることになろうかと思うのであります。私は野党の文部委員ではございますけれども、申し添えておきますが、事文教予算に関する限りは、あなたを中心に当局を鞭撻いたしまして、日本の教育政策が一日も早くその効果をあげるよう努力するに私どもはやぶさかでないのでございますから、今後予算を獲得することについて大きな御決意を持たれて御行動されるように御要望申し上げまして、質問を終ります。
○辻委員長 次に原田憲君に許します。
○原田委員 私は文部大臣にまずお尋ねいたしたいことがございます。それは先ほど前田さんもちよつと触れられたのでありますが、文教政策について、文部大臣は先ごろ就任早々のあいさつともいうべき、文部行政の方針をここで説明されたのでございます。まことにけつこうでございますが、どの大臣も常に最初に申されることは、多分に儀礼的な面が含まれている。たとえば私たち最初に出て来ました国会で、片山内閣の文部大臣であられた森戸さんは、日本の予算の半額ぐらいを文部予算で占めなければならないということを言われた、私は非常に共鳴しまして、野党でありますが、拍手をいたしたのであります。そのあとの最後の締めくくりは、しかし現在の日本の国ではこれはできませんというふうに締めくくられたのであります。森戸さんはその後広島の大学長に納まられて、私から言うと、政治の中心から去られて、身分は保障されて、まことにいい御身分になつておると思いますが、歴代の内閣——これはわが自由党も含まれておりますが、常に大臣がかわるごとに、こういうことをやりたいと言われるのだけれども、なかなかそれが実現しておらないのです。政党人の中にあつては、文部委員というものは、これはじようだんでなしに、ジンクスで、文部委員になつたら選挙で落選するということをいわれておる。事実ずつと見渡してみたら、文部委員にこれまでなつて相当な地位を占めた人が落選して出て来ておらない。だから各政党とも文部委員というものを敬遠しがちである。農林委員のごときは取合いしておるけれども、文部委員に進んでなる人が少いというような状態であつたということを、私は常に残念に思つておつたのであります。今回私は出て来たのでありますけれども、求めて文部委員に入つてみると、わが党では精鋭がそろつておるし、野党の諸君も非常に熱心な方々がそろつておられる。文部委員会というものが非常に熱を持つておられるということは、私は喜びにたえないのでございますが、この前の義務教育費半額国庫負担法、これは今ここにおられる竹尾さんが委員長当時に議員立法で通つておりますけれども、そのときの速記録を見ますと、非常に熱心にやつておられる。そうしてこの方々がまだ文部委員に残つておられるということに、私は非常に敬意を払つておるのでありますが、この委員を前にして大臣は文部大臣に就任されておるのでございます。先ほども質問がありましたが、ほんとうに命がけで、教育と心中するというくらいの覚悟を持つてやつておられるか。大臣の中には自分の意見が通らなかつたといつて大臣を辞職しておられる方は、あに内田さんのみではございません。前にも例はございます。大臣はほんとうにそれだけの意気込みを持つて就任されておるかどうかということをお聞きいたしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 私は今日のような時勢におきまして、文部大臣に就任いたしましたことに、非常に責任の重大なることを感じております。ただいまお話になりましたように一生懸命でやるつもりでありますから、どうぞよろしくお願いいたします。
○原田委員 それでは種々質問がございますのですが、まだあとに質問者もございます。時間の関係もございますので、一つお聞きしたいと思うのでございますが、大臣は道義の高揚、愛国心の振起を特に強く申されておるのでありますが、先般来の質問中に、戦前日本の教育指針ともいうべき教育勅語については、その本質が軍国主義あるいは国家主義につながるものである、これはそれがゆえに廃止されたものである。しかるに文部大臣の答弁を聞いておると、これの内容の復活に賛成されるごとき口吻があると盛んに問いただされておるのでありますが、私は大臣の答弁を聞いてかかる心配は毛頭ないと感じたのであります。それのみか、その徳目をあげてこれを高揚するという御意見も、私は賛成でございます。戦後の占領行政の行き過ぎと申しますか、初めて日本の国が敗れたというために、国民がまことに卑屈感に襲われたためか、親に孝ということを一つ取上げてみましても、親に孝行するということが新時代の思想でないというように、間違つた考えを持つ子供まで現われて来るというようなことが、相当問題になつておるのであります。自由を奔放とはき違えた人たちが多くなつておることを私は憂えるのであります。この際お尋ねいたしたいことは、旧教育勅語の中に「我カ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、」とわが国の歴史に関することがあるのでありますが、この国の歴史について、終戦後には歴史、地理の教育については相当の制約がございまして、わずかに社会科の中で教えておる程度にすぎないのでありますが、独立国において、自分の国の歴史を知らぬというようなばかげたことがあつてはならないのであります。この点について、大臣は歴史を必須科目に加えるというような御意思がおありかどうかということを、私はお伺いいたします。
○大達国務大臣 お答えいたします。今お言葉の中にありました——これも誤解を避けます意味で一言申し上げておきますが、教育勅語は立憲君主制というものを前提にして述べられておる。その意味におきまして今日の国の状態、社会の状態と、形式においていれない点がある、私はそう思つております。ただ教育勅語は軍国主義を鼓吹し、あるいは国家主義というものがどういうことであるかよくわからぬが、先日来軍国主義、国家主義と並べておつしやいますが、少くも軍国主義を鼓吹しておるものでないということは、私はその通り思つております。 それから歴史教育の問題でありますが、これもお言葉通り、日本人に限らぬ、どこの民族、どこの人間でも、歴史、地理によつて自分の過去を知り、現在を知る、これがそもそも出発点であります。これがなくて一体立つて行くものでないことは、個人にしても、民族にしても、また一つの社会にしても、私が申し上げるまでもないことであると思います。終戦後の歴史教育というものは、全然なくされたわけではありませんが、系統的に教えられておらぬ。そこで歴史というものが何かこま切れのように分断されてしまつて、そうしてことに年のごく弱い生徒、児童の頭には入らぬという傾向は確かにあると思うのであります。そこで私がただいま申し上げますように、民族がみずからの過去を知り、現在を知るために、歴史、地理の教育がもつと徹底されなければならぬ。これは国民が自立して行く基礎であると思うのであります。そこで先ほど申し上げましたように、これを独立の必須科目にするかどうかという点につきましては、これはいわゆる教育技術の問題であろうと思いまして、これも小学校、中学校、高等学校によつて、それぞれ子供の知能の発育程度に適応させて行かなければならぬのでありましようから、初めから必須科目にするかどうかは今何とも申し上げられませんが、しかし高学年においては、必須科目たらしめてよいものであると考えております。
○原田委員 私は大臣が歴史を必須科目として教える御意思のあることを知つて欣快に存ずるのでありますけれども、歴史にはうそがあつてはならない、政治的含みや当時の学者の感情が歴史に加えられないと思うのでございますが、大臣はいかがお考えになりますか。
○大達国務大臣 まつたくその通り、同感であります。
○原田委員 そうすると過去の日本の、戦前において教えた歴史が、正確に間違いない歴史であると大臣は考えておられますか。
○大達国務大臣 それは私は歴史の専門家でありませんから、その点私見を申し上げることは差控えたいのでありますが、わが国がいわゆる「国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」ということは、一体何千年前から始まつたか、こういう点についてはいろいろ学者の間に議論があるようです。そこで私は少くとも議論のない、間違いのない史実、こういうことに限定をして、いわゆる歴史教育の内容とした方がいいのじやないか、こういうふうに考えております。
○原田委員 戦前われわれが義務教育学校教育を通じて受けたところの歴史教育というものは、私は学者でないから詳しいことはよくわからないのでありますが、日本書紀を中心とした神話伝説に発するところの日本歴史であると思います。今日この戦前の日本歴史をもつて、その伝説という事実があるということは認めても、それがすべて事実であつたと考えておる者は私は少いと思うのです。そこで私が言いたいのは、最初に政治的な含みが歴史に入つてはならぬという質問に対して、大体大臣も御同意をいただいておるのでありますが、たとえば日本書紀というものがあつて、それ自体が確かに権威のあるところの歴史書でありますけれども、これが書かれておるのは日本の天皇制のようやく確立して来た時代であつて、それ以前の日本の天皇一家ではいろいろな事柄が起きておる。たとえば天皇の位の争奪のために兄弟が争う、あるいは臣下が皇族を殺戮するというようなことが起つております。天皇制確立というところの政治的含みが多分に、私はこの史記の中には入つておると考えます。そうすると、日本書紀のみによつて日本の歴史が正確であるという考えに基いて歴史を教えでということは間違いである。しかも近世に入つてからは、水戸光陽とか本居宣長というような者が出て来て朱子学、儒教の影響の強いことを、日本古来の日本書紀を貫いておる精神からこれを憂えて、勤皇の思想から、大日本史や古事記伝等を著わして、日本をたたえておるのでありますが、これは私はあまりにも独断に過ぎておると思う。日本の史実の中にまことにいいところもあるのですけれども、それを強調したいがために、あまりにも独断に陥り過ぎておる。そうして外国にあるところの日本に関する権威のある史記などを故意に排撃するというような態度をとつたと思うのでございます。たとえば日本書紀よりもさらに古い歴史を持つておつて、そうして世界的に相当権威のある——相当じやない、権威のある三国志の中に魏志倭人伝というようなものが書かれて、古代の日本の歴史を書いておるのであります。そういうものを全然排撃するような形をとつて来ておる。こういうことであつてはならないと私は考えるのでございますけれども、大臣はどうお考えになりますか。
○大達国務大臣 私は日本書紀あるいは大日本史、こういう歴史に関する著作は、史実に忠実に合致しておるものか、あるいは特殊の政治目的というものをもとに書かれたものであるか、この点について、むろん歴史学者でもありませんし、私は文部大臣として断定をすることはできませんことですからこれは差控えますが、私見を申し上げますと、御指摘の点があるんじやないか、こういうふうに思つております。私は歴史に、ただいまも申し上げますように、これはもう専門家のところで十分検討してもらつて、だれが見ても間違いのないごく率直の、淡々たる、すなおな歴史を子供に教えたい、こういうふうに考えております。
○原田委員 大臣の御答弁で、私は、まことにけつこうであると思うのでありますが、貧弱な知識で恐れ入りますが、魏志倭人伝の中に女王卑弥呼という存在がある。それが当時魏の国に使いをして金印紫援の位をもらつた。それが隣国大国の隷属的な位に立たされておるから三国志は取上げてはならないのだという面があつたと思うのであります。ところが今私が考えるのに、邪馬台国というのが、九州にあつたか、大和にあつたかということは、両説にわかれておりますから、私は正確にこれを論断することはできないのでありますけれども、これが日本の土地であろうということは間違いない事実であろうと思います。その女王卑弥呼の時代から、正確な歴史であるといわれておる日本書紀の時代になつて、そのときに聖徳太子が出て、そして日出ずるところの天子、日没するところの天子に書をいたす、つつがなきやということで、対等の交際をやつておる。向うではそのときには三国が滅んで随の時代になつておる。この時代の変遷に伴つて、日本の国の発端と思われるところの小さい国が、やがて聖徳太子の御代になつては堂々と一等国の交際をしておるという歴史は、私は決して隠すべきものではないと思う。そういうことを隠そう隠そうとするから今日明らかになつて来ると、何か悪いことをしておるというように解されがちになるのである。歴史に政治的な含みや、またその当時の感情というものを入れてはならないというのは、そういう歴史の教え方をしておるから、大東亜戦争当時も、日本は最後になつたら神風が吹くんだということを、相当な人が信じようとしていた。そして最後には神風も吹かないで、日本の国は戦争に負けてしまつた。ところがこれが最初の日本の敗北でございますけれども、元冠の役にすでに九州の一部は元軍に占領されておるということは、歴史教育の上から隠そうそうとしておる。だから今日の青少年は、日本が戦争に負けた、歴史始まつて以来の敗戦だ、初めて占領軍が来た、日本の歴史はみなうそだということで、まことに無気力に陥つておる。目を欧州に転ずれば、ドイツ、フランスあるいはイギリス、それぞれをながめてみても、自分の風の歴史はずいぶん正確に伝えられておる。イギリスでは臣下が王を殺しておることがある。こういうことはいまわしいことであるから、ほかから言われると国民はいやだろうが、それを隠そうとしておらない。国の敗戦も率直に伝えられておる。だから一度や二度の敗戦でへこたれないで再び復興しておる。だから、私はこういう意味から、正確な歴史を大臣が教えなければならないとお考えになるならば、正確な歴史を教える必要がある。再び過去のような間違いをなしてはならないと考えるのでございますが、大臣はこれについてどうお考えでございますか。
○大達国務大臣 御意見まつたく同感です。
○原田委員 まことに大臣は賛成をしていただいたので、私は、願わくは賛成をしていただいた大臣の在任中にでも、歴史教育ということを実際に現ししていただいて、そうして日本に正しい意味の愛国心を振起する根底を与えていただきたいということを、最後に要望いたしまして、私のきようの質問を終ります。
○辻委員長 本日はこの程度で散会し、次会は公報をもつてお知らせいたします。 午後零時三十五分散会