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16回国会衆議院1953/06/17

海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

発言数
43
登壇者
13
会派数
4
開催日
1953/06/17

会議録

山下春江改進党

○山下委員長 それでは、これより会議を開きます。  本日は、外地における戦犯抑留同胞に関する件について議事を進めます。  この際お諮りいたします。外地における戦犯抑留同胞に関する件については、本月九日に二十二名の戦犯服役者が、マヌス島より刑期を満了され、あるいは内地移管となつて帰還されて参りました。本委員会といたしまして、この異境の地に戦犯として服役されている同胞の内地送還等の問題の解決をはかるべく努力いたしておるところでありますので、最近マヌス島より刑期満了して帰られた方より、同地の状況等を聴取いたしたいと思いますが、本月九日にマヌス島より帰還された金子増美君、松本寅太郎君、南郷弘君の三名を本日委員会の参考人として事情を聴取することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下春江改進党

○山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  では、これより参考人の方々から事情を聴取することにいたします。ただいまお見えの参考人の方々を御紹介いたしますと、金子増美君、松本寅太郎君、南郷弘君であります。  お話を伺う前に、委員長より二言ごあいさつ申し上げます。参考人の皆様には、御多忙中のところ御出席くださいまして、厚くお礼を申し上げる次第であります。  それでは松本参考人より、現在までの事情について概略お話願います。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 私は埼玉県出身の松本寅太郎であります。ニューブリテン島のラバウルにおきまして、第六野戦憲兵隊の分遣隊長として服務いたしておりました。本日ここに山下先生を委員長とするところの本委員会に参考人として御召喚を受けましたことに対しまして、深甚なる謝意を表するものであります。  マヌス島の状況を申し上げます。現在マヌス島には百七十三名の残留者が残つております。この者は、全員がすでに精神的に、あるいは肉体的に、疲労困礪まつたくその極に達し、内地帰還を最後のたよりとして、唯一の希望として服役いたしておる状態であります。  患者の点につきまして、多いときには三十名、少いときでも二十名ぐらい出ております。その状況は、結核、胃潰瘍、腎臓結石、関節炎、精神病その他の状態になつております。  食事情につきまして、過去七年半の間、少しもかわることなく、玄米食をもつて、しかも、もみの多い玄米食でありまして、副食といたしましては、コーンビーフ、グリンピース程度のもので、これが三度々々七年半という間何らかわりなく現在に立ち至つて続けられておる状態であります。  通信の状態を申し上げますと、大体三箇月を要する文通の状態でありまして、これは早い方でありまして、ちよつと遅れますと、四箇月ないし半年、あるいは十箇月を要するというような傾向になつております。  作業の状況を申し上げますと、毎日朝の八時から十二時まで、午後の一時から四時半までの間、七時間半の労働を強要されております。労働の内容は、主としてマヌス島の建築作業であります。申し上げますれば、大工あるいはコンクリート練り、そういう重労働でありまして、しかもこれらはみな、百度を越えるところの炎天下におきまして、銃剣を持つた土人の監視により、あるいは濠州の兵隊の監視によつて仕事が続けられております。内地還送するいろいろな話が出まして、その都度現地におきましては喜び、あるいはその話が消えると意気消沈しては、いつ祖国の土が踏めるかと、はかない望みを抱きながら毎日を過しておる状態であります。  マヌス昂の戦犯者を管理しておりますところの濠州海軍の収容所の編成は、所長が一名、これは現在ヘンリー少佐と称する現役の方がやつておりまして、その下に看守長、これは下士官であります。それから看守四名、タイピストが一名、それから作業監督として現場の指揮監督をなすところの下士官が五名、それにさらに土人兵約百名を配置して、われわれ戦犯者の運営をはかつておる状態であります。  さらに、救恤品といたしまして、昨年五月ごろ日赤で準備したところのもの、あるいはその他の団体でいろいろとマヌス島に向け送られました救恤品の中には、到着したものもあるし、ホるいはどこかで行方不明になつてしホつて現地には到着しないというものもあるような状態でありました。但し、私どもがこちらに参ります六月一日、日赤からまとめて送られました四トンの品物は、私どもの乗船と同時に、その場で収容所長みずから手渡されて去りました。  以上、簡単でありましたが、マヌスの私ども同胞の生活状況と、彼らの監視の状態を申し上げました。なお詳しくは、お手元に配付されましたとこるの「マヌス島の状況」をごらんになつていただきたいと思います。これをもちまして私の御報告を終ります。

山下春江改進党

○山下委員長 次に、金子参考人から御説明を願います。

金子増美マヌス島帰還者

○金子参考人 私は金子増美でございます。このたび参考人としてこの席上に御招待いただきましたことを厚くね礼申し上げます。マヌス島の状況につきましては、ただいま松本さんから御報告がありましたことと大体同じでございますから、あと詳細なことは、御質問によりまして御報告申し上げ申す。

山下春江改進党

○山下委員長 次に、南郷弘さんから、いろいろな点でお話もあろうかと思いますので、御説明を願います。

南郷弘マヌス島帰還者

○南郷参考人 私は台湾出身の元灘九八〇一部隊ボルネオ捕虜収容所陸軍雇員南郷弘であります。本日、本委員会に参考人として呼ばれましたことを厚く感謝いたします。マヌス島におきます日本人戦犯者の一応の状況は、先ほど松本さんから申されました通りでありまして、後刻、細部の御質問を受けましたならば、またお答え申し上げたいと思います。

山下春江改進党

○山下委員長 委員長よりちよつと御報告申し上げます。この前の理事会におきまして、英国女王の戴冠式にあたりまして、今お聞取りのような状態にありますマヌス島の戦犯者に何とか一日も早くこちらへ帰つていただけるようにということから、請願書を提出するお約束をいたまして、その取扱い方法は委員長に一任されてわかれたのでありましたが、ちようど戴冠式の六月二日に英国大使にお目にかかりまして、その趣をお願いいたしましたところが、これは濠州大使が取次がれることが正しい取次の方法だということでありまして、英国大使から特に濠州大使にお口添えを願いまして、五日の日に濠州大使ウオーカーさんにその請願書を手渡しました。いずれこのことは国会で決定するであろうし、この請願書は間違いなく英国女王に伝達することをお約束するというごあいさつでございました。そこで、濠州の国会におられます上院、下院おのおの一名の婦人議員に対しても同様の請願書を提出いたしておきましたので、このことを皆様に御報告申し上げます。  これより質疑を許します。援護庁復員局の法務調査課長、外務省の戦犯室長、欧米局第三課長がおいででございますから、それらに関連した御質問は御自由にお願いいたします。

受田新吉日本社会党(右)

○受田委員 マヌス鳥で長い間御苦労いただいてお帰りになつたお三人の方に、われわれ国民として尽すことの足りなかつたおわびと、御健康なからだでお帰りになつたことを心からお喜びしたいと思います。  ちようど祖国は一応独立の形になつたのでありますが、今お話のように、われわれの同胞数百名の方がなお皆さんのおられたマヌス島とモンテンルパで御苦労いただいておるということは、ほんとうに悲しい現実であります。そこで私たちとしても、無実の罪でこのような御苦労をいただくということは人道的にも許されないことであるし、できれば即時釈放、なおその段階として内地にお帰りいただいて服務される、そういうことを強く願つて参りましたし、国会でもそういう点ですでに昨年その決議案も通つておる次第であります。私たちも、諸外国へ旅行しても、皆さんのことは常に関係筋へ訴えて参つております。私も、昨年アメリカでバークレー副大統領やダレス氏に、皆さんの問題を善処していただくようにお願いして来た一人であります。ところが、皆さんの御苦労していただいておる現地の状況を、今ごく簡単に伺つたのでありますが、あちらで皆さんを法的に縛つておられる人々、その命令系統というようなものが、収容された最初のときから今日に至る過程において、漸次緩和されたような、取締りの方向に来ているか、同じ形が今日まで続いておるか、それが第一と、もう一つは、死刑の宣告を受けた方々の取扱いはどういうふうにされておるか、その死刑の宣告を受けた人々の免除の見通し等について、現地におられた皆様のいろいろな角度からの判定をお願いしたいと思うのです。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 お答え申し上げます。  第一問の、取扱いに関しましては、現在マヌス等におりますところの戦犯者は、御承知のごとく、最初はラバウルで取扱われました。終戦の年の十二月五日に戦犯者は摘発されまして、臨時に設けられましたところのバラックの家に入れられ、鉄条網をまわりに引かれまして、厳重な警戒のもとに収容されて、裁判の始まりましたのが十二月の十一日でありました。私がその第一番にあげられましてラバウル裁判の幕が切つて落されたのであります。私は、その裁判では、拷問というところの罪名であげられておりました。これは、ラバウルにおりましたところの華僑の取調べをやつたのでありますけれども、それが拷問であつたというようなところから、最初無期の刑を言い渡されましたが、翌年の二十一年三月の十九日に初めて減刑という言葉が出まして、十年にされたのであります。その戦犯者に対する進駐しました濠州人の態度は、実にここで申し上げる言葉もないほどひどいものでありました。と申し上げますのは、その例を一、二拾い上げますと、たとえば、室内におつて整頓が悪い、——その整頓が、寝台の下に置いたところのくつの中にくつ下が入れてある、そのくつ下がくつの外にわずか、五分か一寸ぐらい伸びておつた、それがために整頓が悪い、こういうふうに指摘されて、重労働一週間に処せられる。あるいは、ベッドの下に紙一枚が置かれてあつた、これがために収容所規則に違反するものであるとして、これまた重労働一週間。こういう例がたびたび続けられておりました。いや毎日続けられておつたのであります。これをもつても、いかに毎日の濠州人のわれわれに対する態度がひどいものであつたか、凄惨をきわめたものであつたかということを御推測願いたいのであります。しからば、その重労働とはどういうことをさせたかと申しますと、あるいは収容所付近の山をくずして、その山の石まじりの土を一輪車に乗せて、うしろから土人が銃剣を持つて追い立て、かけ足をさせて、ある一地点まで運ばせる。帰りにまた再びかけ足でその場に帰つて、一ぱいに盛り上げてその一輪車を運ばせる。それを一週間間断なく続けさせられたのであります。もちろん食事も、普通の者とは異つて、きわめて小さなビスケットを五枚か六枚与えられて、作業を続けさせられました。それがために、予定の一週間の重労働を遂行することができなくて、その場に倒れ、とうとう入院のやむなきに至つたというようなこともありました。あるいはまた、収容所に必要とするところの材木を、ジャングル地帯にわけ入つて伐採をさせられました。その伐採は、直径三フィートあるいは四フイートもあるところの材木を切り出しまして、長さ十五フィートから二十フィートの束にいたしまして、もろ手でそれをかつぎ上げさせられたのであります。もちろん五人や十人でかつぎ上げられるしろものではありません。それを、彼らの怒声と罵声によつて、しやにむにかつがされて、山を登り、谷を下り、そしてある一地点——自動車の到着するところまでかついだ。それも毎日続けられておつたのであります。これがために倒木による死者二名を出し、重傷者数名を出すほど悲惨な状態が繰返されておりました。ラバウル時代はそうした明け暮れでありましたが、マヌスの海軍基地に移りましてからは、そうした悪虐な報復的な行動が比較的少かつたのであります。現在、海軍に移りましてからの三代目の所長ヘンリー少佐になつてからは、そうしたことはほとんど見受けられなくなつております。ヘンリー少佐の開口一番私どもに申渡された言葉は、これだけ数百件にも及ぶところの規則によつて収容所を取締るということは、私としては——これは収容所長の言葉であります。私としてはとうていこれは不可能なことである、この規定通りに行つたならば、これはとても人間として生きて行かれないではないか、私はこの通りにはやることはできない、でき得る限り、あまりこの規則に反則しない限り、緩和な措置をとつて、なるべくほがらかに、日本人戦犯者の気持をゆるやかにするよう努力するつもりであるというようなことを申して、ただいまの状況では、昔のラバウル時代の悲惨な状況はほとんど見受けられないような状態になりました。  次に、死刑囚について申し上げます。ラバウルにおきまして死刑がほとんど実施されたのでありますが、死刑を言い渡されました者は、まつたく私どもをして目をおおわざるを得なくなるほど悲惨なものでありました。と申し上げますのは、一旦死刑の判決が下りまするや、尻をけり、背中をたたいて独房に入れそして、もちろん毛布も一枚だけ支給し、蚊帳も与えられず、あれだけマラリアの蚊の多い、あるいはその他いろいろな病気があるところの熱地において、蚊帳も与えられず、お前は死刑だからと言うて、たつた一枚の毛布を与えただけで、死刑場に連れて行く。その死刑場に連れて行くときに、私どもがまのあたりにそれを眺めて、ああお気の毒にというので、わかれの言葉をささげようとする、それさえも許されなかつたのであります。まして、私どもが、さよなら元気で、と言う言葉を聞きとがめられまして、収容所長の耳に入り、それがために裁判に付されて、重労働に服した例が間々あつたのであります。百三十名近くのラバウルにおける死刑になつた方々は、いずれもそうした待遇によつて南冥の地にその身を埋めて行つたのであります。もちろんその埋めた墓所も、私どもの戦友愛によつて掃除やその他の手向けをなすべくいろいろと嘆願したのでありますけれども、それすらも許されなかつたのであります。かてて加えて、所長の態度たるや、刑場に連れて行くや、死刑になつて行く人の身につけた衣服をはぎとつて、自分の家に持ち帰つた、こういう実例もあるのであります。現に私は、その死刑になつた人の衣服を、所長の家の掃除に参りましたときに、彼の衣類箱の中から発見して、ただただ驚かされた事実がございます。第二回目のマヌス島におきますところの裁判によつて死刑に付された方は、その処置は私どもの目には触れることができませんでした。これは、ただそのときに現場に行かれました浅井教講師と弁護団の代表が一名立会つたのみで、何ら知る余地もございませんでした。以上で死刑に関する報告を終ります。

受田新吉日本社会党(右)

○受田委員 現地の皆さんに対する取扱いの実情をお伺いしたわけですが、現在、皆様方御苦労していただいている方々のために、こちら側からいろいろな救恤品を送り、御慰問しようという空気は非常に濃化しているこのときに、この現状を見ると、救恤品について、二回ほどこちらから送られたものが、日赤から出されたものが届いただけで、健青会などが出したものが届いていないということでありますが、これ以外に、皆様のところへ、そのほかの団体とか、あるいは政府筋からの慰問、皆様に対する国民の激励の便りというようなものが、国民の美しい真情を吐露したものが出されておりませんか。それが一つ。  それから、このマヌス島という島は、この地図をうかがうと大体の形はわかるのですが、どういうわけでこのような島を皆様を収容するところに選んだのか。  それからもう一つは、士人はどうして皆様に対してそうした冷たいやり方をしているのか。この点、現在の司令官の命令で土人が自由に動くようなやり方になつているのか、個人的には皆様に対する多少のあたたかい気持が流れてはおらないのか、こういう実情についてお伺いを申し上げたいと思います。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 お答え申し上げます。慰問品について、これはいろいろと日赤を通じて送つていただきまして、私ども一同、まことに感謝の意をささぐるものであります。この席を拝借いたしまして御礼申し上げます。帰つて参りましていろいろと、こういうものは届いたか、ああいうものは届いたかという御質問を受けまして、それらがすべて届いていないのにただ驚いてしまいました。中には、書類のみ送られて、現物がまつたく届かなかつたということもございました。それによりますと、梅ぼしのごとき、送られて受取つたという話はなるほど聞いたのでありますが、それが収容所に入れられなかつた。ところが、収容所の附近で作業しておりまする私どもが、日本のしようゆだるが海岸ばたにころがつたのを目撃したという事実もありまして、そこに何か妙なものがあつたんじやないかというふうにも推測されて、私どもとしては不愉快な気持が低迷いたしております。  島の状態を申し上げます。現在おりまする、いわゆるマヌス島と申しますのは、あれは隣りの島でありまして、ここのお手元にありますところの図にありますこれは、ロスネグロス島と申しまして、マヌス島に隣接しておるところの小さな島であります。マヌス島はもつと大きな島でありまして、その詳しい数的な状態は、私、失念しまして、申し上げられません。このロスネグロス島というのは、この図の通り、こんなへんてこれんに曲つた小さな島であります。位置は赤道の南大体二度半ぐらいで、東経百五十度と百四十度の中間付近だそうであります。島の状態は、主として珊瑚礁によつてできておりまして、やしの木が大分ありますけれども、島はだはまつたくの赤土でありまして、べとべとのものであります。ただいま収容所で、ほんのわずかばかりの農園を開いて、その農園で私どもの食べる野菜をつくつておりますけれども、きわめて微々たるものでありまして、内地で見られるところのああしたりつぱな野菜はとうてい手に入れることはでき零せん。島には戦前は相当数土人がおつたそうでありますが、アメリカの進駐によつて、その土人どもは島の端つぽの方へ押し寄せられて一括されて、私どものおるところには一般の土人は近寄つて参りませんでした。ただそこに、土人の態度に関連しますが、ロスネグロス島の濠州海軍基地建設のために土人を相当使用しておりますが、これは地元の土人を使わずして、ニューギニア、ニューブリテン島、あるいはニューアイルランド島、あるいはブーゲンヴイル島というような、よその島からその土人どもを引連れまして、労力として充てているようであります。それらがやはり一括されて一つの収容所に収容されて、もちろん私どものような、鉄条網等によつて一部に囲われてはおりませんけれども、一括されて、そこに起き伏しして、その建設の補助をなしておる状態であります。収容所に直接関係するところの土人は、大体百名ほどでありまして、日本人二名に対して土人一名を付する。これは警戒兵であります。黒い腰巻をいたしまして、帯剣をつり、小銃をになつております。常に日本人の行動を監視しておるのであります。その態度は、昔は、と申しますと、ラバウル時代におきましては、土人が日本人の行動に一々くちばしをいれまして、こうやるんだ、ああやるんだと言つて、すべてが土人の指揮によつて動かされておりました。もちろんその場に来会せた濠州の兵隊、下士宮、あるいは士官、そういつた者のさしずを受けまして行うのでありますが、夫のそのときどきの気持によつて、私どもはまつたく風のように動かされておりました。ところが、マヌス島に移りましてから——いわゆるロスネグロス島に移りましてからは、そうした土人の容喙は一切許されないような状態になりました。と申しますのは、いろいろなトラブルができました場合に、土人の申立てと日本人の申立てが、その裁判において非常な開きが常に生じましたので、土人の言は比較的信の置けないものというような結果を見出したがために、土人の日本人に対する容喙は一切許されなくなりました。ただいまでは、単に日本人のあとをついて歩くというような現状であります。ですから、私どもの行動につふましては、ほとんど土人は介入いたしておりません。だがしかし、その土人も、ときとして、やはり感情の問題で、日本人があえて悪いこともしないのに、お前は悪いことをしたんだというようなことから、それを彼らの上司に報告され、しばしば、裁判が行われて、それがために、きわめて不当な結果になり、重労働に服するというような状態も続いております。中には非常に好意的に出る土人もありました。これは土人の巡査でありますが、好意的に出まして、なるべく濠州人の目に触れないように、たとい反則な行為があつても、その土人がかばつてやるというように、好意的に出る土人もありまして、一様にここでこうだ、ああだと、はつきり断定し得られるものでもありません。そういつたゆとりのあるものでありました。

受田新吉日本社会党(右)

○受田委員 内地送還に対する見通しをここに書いておられるのですが、これに対しては、関係者が三十数名年末までに出るというようなことになつておるようですが、祖国日本の情勢が、新聞の到達などであるいはおよそ見当がつくか——あるいは日本が独立国になつた後の濠州の態度が多少緩和されおるというようなことをいろいろ想像されて、戦犯釈放運動が、向うで御苦労されておられる方々にも徹底をしかけておるのじやないか。それで、この内地送還が実現するのではないかという見通しをどういうふうに持つておられるかということ、それを最後にお聞きして終りたいと思います。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 申し上げます。内地帰還に関する問題といたしまして、いろいろな掃摩臆測が現地では行われております。と申しますのは、かつての、今の所長の前の所長、ベル少佐と申しておりましたが、この人が昨年の六月ごろ漏らした言によりますと、ことしのクリスマスまでには、諸君——日本人はクリスマスを日本の内地で迎えることであろうというようなことを申しております。それではクリスマスには私どもは内地の土を踏めるのだといつて、非常に喜んでおつたところが、クリスマスになつても一向それが実現しなかつた。それで、帰してくれないじやないかということを申込みに行つたところが、実はぐあいが悪く、来年の正月を過ぎるころになるだろうということを申しておりました。やむなく、正月過ぎたころを見はからつていたところが、一向にそれが実現されませんので、所長に、この前言うたところの正月過ぎの帰還の話が一向出て来ないが、どうしたわけかと聞きましたところが、いや、それは帰すような話はあつたのだけれども、濠州一般の輿論が、対日感情が悪くて、どうも帰すようにならないらしい、おそらくことしの四月ごろは帰られるのではないだろうかというようなことを申しておりました。まあまあというわけで、その四月を待つたのでありますが、その四月にも、やはり帰還の実現が見られなかつた。それはわれわれの帰還ではなくして、所長自身が濠州に四月に帰れる話ではなかつたかというような妙な結果を招きまして、きわめて意気消沈した、さびしい気持に落されている状態であります。私どもがこちらに参りますときには、西ドイツでもつてこの七月、八月に講和が成立するような話向きであるが、アデナウアー首相の意向では戦犯者と講和というものを引きかえにするような話を漏らしておるから、おそらくそうなるであろう、さすればわれわれ濠州戦犯も、連合国としてドイツにそれを実現したならば、われわれをこのままの状態で置くことはあり得ないであろう、だから七月か八月ごろにはわれわれも何とかして帰れるようになるのではないかというような臆測を含めたところの希望を抱いて生きて来ております。

受田新吉日本社会党(右)

○受田委員 政府の方に最後にお尋ね申し上げます。今マヌス島からお帰りになられた皆さんの参考意見が出たのですが、政府として、戦犯釈放、ことにBC級の無実の罪で御苦労をかけておりますこの人々に対しての努力はどういうふうにされつつあるのか。外交折衝の上で、昨年以来どういう手を打つて来られたか。独立国として認めてくれた米、比、濠州等の国々に対して、少くとも独立国の面目にかけても政府が努力しておられるはずですが、戦犯釈放に対する政府の努力のあとをお聞かせ願い、ことにマヌス島及びモンテンルパの、われわれが歌にも歌つてその御苦労をおしのびしている、最も国民の人道的な関心事であるこの二つの島の監房の中で御苦労しておられる皆様に対する内地服役の問題等についての見通しというようなものをお伺いしたいと思います。

広瀬節男参事官(外務大臣官房戦犯室長)

○広瀬説明員 私、この事務を引受けましたのはごく最近で、目下鋭意勉強中でありますが、当初戦犯裁判が発足しました当時、私ロシヤから引揚げまして、最初の戦犯事務室長として市ケ谷裁判の終りまで皆様方のごめんどうを見て来た関係ではしなくもこのたびこのお仕事をお引受けすることになりました。  御質問の、今までの経過を申し上げますと、昨年来数回にわたりまして、東京におきましては、各大使、公使、駐日代表に、外地におきましては、各使臣が、先方の外務大臣に、文書をもつて正式に、一般釈放並びに減刑、仮出所、あるいはマヌス島、比島モンテンルパに関する内地還送、こういう点を非常に熱心に頼みました。その後も折あるごとに口頭をもつて頼んでおります。講和前非常に仮釈放が盛んになりましたが、講和後一時とだえたような状況になりました。米国側におきましても、また英国等にも、おのおの減刑審査委員会というものができまして、これに呼応して、わが方においても、中央更生保護審査会、こういう制度ができまして、おのおの法律的に、いわゆる減刑の恩典、仮出所の制度を行つております。現在アメリカ側が、講和発効後、昨日二名通知が来ましたのを合せまして、六十五名ばかりになりました。それからオランダは、まだ一件も仮出所がないのであります。これは厳重にこちらから申し込みまして、オランダ側では、この五月の下旬ころに委員会が発足した、最初のことであるから非常に愼重を期してやつておるが、動き出したらば円滑に行くものと思うから、そう御承知願いたいということでありまして、昨日私のところにたずねて参りました毎日の英語版の方が、ようやく約束がかなつてオランダ大使に会われた結果が、きよう報道されておりますように、大体近日中に徐々に釈放して行くという朗報が出ております。それからフランスは、戦犯三十一名が減刑釈放になりまして、残り四名の人は、これは無期から減刑になり、さらに仮出所の恩典になるのでありますが、これはフランス側から、大統領あて日本政府から文書を出してもらいたいということで、こちらからさつそく文書を出しまして一向うになるべく大至急大統領の許可をもらつて来るようにということを頼んでおります。フランス大使も快く引受けておりますので、遠からず結果が出て来ると思いますが、そうなればフランスは、四名は仮釈放の形でありますが、全部済むことになります。英国は、目下戦犯の動きと申しますのは、減刑をしまして、減刑の結果さらにそれに対して仮出所というのではなく、減刑になれば何年で済むという通告が、全般にわたつて参りました。わが方としましては、これに対して、さらに減刑の基準をもつて仮出所の恩典に浴させてもらうように交渉しております。それから濠州の方は、今お帰りのお方が六月九日に二十名帰られまして釈放、あと二名の方は量刑をもつておのおの巣鴨に入つております。まだ満期になりませんので、入つております。それから比島の方は、現在百十一名でございますが、これはきのう大臣も演説されましたように、七月四日の独立記念日に五名の人を釈放することをキリノ大統領がその申請書にサインしたということが報告になりました。さらに目下有力者が二十名近くの人を何とか七月四日に釈放してもらうように努力しておりますが、七月四日がいけなければ、九月二日の日本降伏記念日にでも、とにかく釈放してもらうようにと、あちらこちらで非常に努力しております。私たちとしては、五名のみならず、二十名近くの人がぜひ何らかの形で釈放されることを切望しておる次第でございます。それからマヌス島ないし比島からの内地還送の問題は、これも絶えず文書あるいは口頭をもつてやつておりますが、今のお話にもありましたように、濠州側の旧軍人及び家族連の対日感情というものは、確かにまだまだ根強い悪質なものがありまして、濠州の官憲自体が驚いているほどの悪感情をいまだに持つておる。そういうような点で、濠州政府としても、輿論の手前、議会における反対党からの攻撃を顧慮して、なかなか戦犯の還送問題が片づけられないというのが真相らしいのでございます。これも濠州と日本との間の漁業交渉もありますし、ああいうものが一つ一つ解決されて行きまして、全面的に彼らの反対派を納得させるような空気が出て来ますれば、これも決して望みなきにあらずで、われわれは近いうちにそういう状態が来るものと考えております。フイリツピンの方も、あらゆる機関を通じまして、内地還送の件を頼んだのでございますが、その件に関しての答えは一切ございませんが、今申しましたように着々として減刑釈放してくれておりますし、目下十一月の大統領選挙を控えて非常に政局機微で、大統領も思い切つた全面的内地還送というような手段がとれないような状態であるという報告もあります。これも、大統領選挙という政局に関しますし、また日本との賠償問題、平和条約の批准問題とからみまして、こういうものが徐々にほどけますれば、やがてわれわれの望みも実現できるのではないか。——ただ望んでおるわけでありませんで、これに対して何らかの方策をとりたいと考えて、鋭意努力しておる次第でございます。

柳田秀一日本社会党(左)

○柳田委員 ただいまの受田君の質問に関連して外務当局にお尋ねしますが、マヌスからお帰りになつた方のお話を聞きましても、マヌスにおけるところの一般の給与、あるいは作業状況というようなものが、われわれが想像しておつた以上に苛酷であり、さらに患者発生状況から見ましても、今帰られた方が八年間のこの苦しみを棒大針小にすら表現することができぬほどひどいものであることがわかつて、われわれはむしろ唖然としたのでありますが、外務省当局にお尋ねいたしますが、こういうような実情は、従来から外務当局としては把握されておりましたかどうか、まずもつてそれをお尋ねしたい。

山中俊夫外務事務官(欧米局第三課長)

○山中説明員 この点につきましては、マヌスから内地に帰られた人から御報告をいただきまして、実情は伺つております。この点につきましては、濠州側に対しても申入れはやつておりますけれども、松本参考人も触れられましたように、また広瀬参事官も触れられましたように、濠州における対日感情というものの好転がまだ望まれませんので、問題は、やはり一般的な関係が緩和されない限りは、少しずつこれを改善するほかは道がないのではないかと思われます。

柳田秀一日本社会党(左)

○柳田委員 はなはだ奇怪なる御答弁を承つたのでありますが、もとより濠州の対日感情の悪いことはよく知つております。たとえば古橋選手が参りましても、そのエクシビシヨン・ゲームすら拒否する。その感情はよくわかるのでありますが、こういう服役者に対して基本人権を尊重して、そしてこれを人道的な立場において扱うことは、その国の対日感情と別個な問題である。そういう対日感情が悪いがゆえにその国の待遇が悪いというようなことに相ならぬと思う。それとこれとはおのずと別個な問題であつて、これは人道的な問題からも、また国際赤十字の精神から見ても、当然これはわれわれは要求してしかるべきものだ。そういう点に関して、外務当局は——占領治下における間のことは今ここに触れぬといたしましても、名ばかりでありましても、一応こういう形の独立をとつた後において、こういう実情を外務省がすでに把握されておるとするならば、厳重に抗議されるなり、また国際赤十字を通じて抗議するのが当然である。そういうような処置をとつて来られたかどうかを、もう一度重ねてお尋ねいたしたいのであります。  なお、さらにこの問題に関連して、われわれはフィリピンのモンテンルパにおけるところの服役者がどういうような待遇を受けておるかというような点に関して、外務当局においておわかりの点をお示し願いたいと思います。

山中俊夫外務事務官(欧米局第三課長)

○山中説明員 第一点の濠州に対する申入れにつきましては、私たちとしてはやつております。やつておりますが、ただいまお帰りになつた方々の御報告にあります通り、まだ改善が見られないのは、私たちとして非常に遺憾に思つております。今後ともこれは濠州側に対して厳重申入れをいたしたいと思います。

広瀬節男参事官(外務大臣官房戦犯室長)

○広瀬説明員 モンテンルパにおける戦犯に対する待遇問題は、詳しいことは、私はまだ人から話を聞いたりした程度で、自分自身存じませんが、少くとも私が今まで聞きました限りでは、非常によくなつております。むしろ報告によりますと、ほんとうの獄卒といつたものに類する人が、上の看守長、所長その他が日本人の戦犯に対して態度がよ過ぎるというので、ときどきそいつらがじやまをして事を起すことがあるという報告もございます。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 ただいま問題になりましたところの内地還送の問題で、マヌスにおきまして、きわめてエピソードを持つた問題ができ上りました。と申しますのけ、シドニー・サン紙の新聞記者がマヌスに参りまして、われわれ日本人戦犯者のその日その日の生活状態を次のように報導されました。マヌスにおるところの日本人戦犯者は毎日曜にフイツシング・パーテイ、つまり魚とりをやつておる、それは海岸付近でもつて網を引いてとるのであるが、収容所から漁撈場まで自動車で運ばれ、きわめて愉快に、おもしろく漁撈をなしておる、または、日曜はもちろん、作業終了後の一ときを、収容所前広場においてバレーボールやあるいは野球等に打興じて、きわめて明朗に、愉快に過しておる、これらは濠州の一般国民と比較して見て、濠州の中流家庭でもできないところの慰安を与えられておる、であるからして、マヌス島におる戦犯者は日本に帰ることをだれ一人として望んでいないというような意味の新聞記事を書き上げまして、濠州本国に電報するところを所長のヘンリー少佐に見つかつて、それを没収されたとか、いやそうじやない、すでにそれはシドニーに送つてしまつたとかいうような結果を生みまして、私どもその声を聞いて非常に不愉快に思つておつた次第であります。

庄司一郎自由党

○庄司委員 参考人の御報告によりますと、気の毒な境涯に呻吟されておる皆様に日本より時折お慰めのための救恤品等が発送されております。にもかかわりませず、確実に受領されたのは、日赤関係の二件だけである。内地に帰つて来られてからお聞きとりになられたような件数のものは現実にお渡りしておらないというような意味のお話があられたようでありまするが、真心をこめてせつかく送つてあげた慰問品等が正確に適正に受領されておらないということは、不幸なる受刑者のためにお気の毒なばかりじやなく、濠州の大きな意味における、文化のためにも、これは驚くべきことであると思うのであります。ついては、外務当局は、ただいまあなた方のお耳にお聞きとりの通りであるが、せつかく真心こめた救恤品等が正確に到着することができるような最善の措置をとられるために、この後どういう対策をとられるのであるか、また今までの不到着分に対する調査等は、適当な方法をもつて調査の方法がないものであろうか。何とかこれは明朗にしたいものでございますが、外務省として何らかの手がございませんか、これを伺つておきたい。

井上忠男厚生事務官(引揚援護庁復員局経理部法務調査課長)

○井上説明員 今までマヌス島に救恤品を送ることにつきまして努力して参りましたので、その様子を申し上げます。  濠州マヌス島で裁判が行われました昭和二十五年から二十六年にかけまして、二回ほど弁護団あてに救恤品を送りまして、皆様におわけをいたしましたが、その後濠州政府からは許可をして参りません。現状におきましては、一昨年の暮れに、たまたまYMCAの総主事をしておられる、斎藤惣一氏がオーストラリアに行かれまして、向うの赤十字と交渉された結果、それでは赤十字からリストを送れということで、送りましたが、これがお手元に配付しました記事の最初にあります昨年の十月ごろやつと着きました救恤品であります。かくのごとく、一々濠州大使館に日赤が申し出ますと、これを濠州本国に報告をいたしまして、品目、数量の許可を得なければ送れない状況になつております。  それで、今までその他の慰問品として許されておりますものは、各人に一箇月一部の新聞と雑誌、書籍であります。これだけが許されておる。従つて、現在おられる方が百七十数名でございますと、日本赤十字から送つておりまするが、大きな新聞は、一箇月置きますればどうしても三十部いるわけでありますから、三種類くらいしか送れないわけでまります。そのほかに地方新聞を入れまして、それらのものと、そのほかの雑誌類各人一冊あて、これだけを送つております。  以上のような状況でありまして、六月に大阪丸によりましてマヌス島に揚陸されましたこの救恤品につきましては、今年の一月半ばごろ、赤十字を通じまして、オーストラリアの大使館に申し出たものを、三月五日ごろになりまして、濠州側から許可が参りまして、大急ぎでととのえまして、四月の七日ごろに大阪丸に積み込んで持つて行つたものであります。  かくのごとく、救恤品を送ることにつきまして非常な制約を受けております。一々許可を得なければなりませんために、その期間もたいへんにあくわけであります。非常な困難をいたしておる状況であります。今まで御家族からお送りになつたものが、どんなものであるか、わかりませんが、あるいは書籍でございましたならば、一般向けの救恤品の中に入れて日本赤十字の方から送られることになつたために、御本人のお手元に届かないというのではないかと思うのです。  それから、現に健青会から送りました米、これはまだ到着しておらないのでありまして、この所在につきましては、健青会自身も濠州大使館について調査をいたしております。必ずしも濠州側が現場におきまして没収をするとかいうようなことはないと思うのでありますが、そのかわり、送りますものにつきましては、品目、数量ことごとく向うの許可したものでなければ送り出せないという現況で、非常に困つておる状況であります。  以上であります。

庄司一郎自由党

○庄司委員 ただいまのお答えのようでございますが、種目によつて許可、認可が制約されるものであるならば、何らかの方法で、この後の慰問品等について、あるいは留守家族の諸君あるいはその他の団体等に対しても適当な通報をされて、間違いのないように善処方を要望しておきます。  なお、日本健青会のお米二俵というものは、やみ米を買つたものでも、何でもない。健青会の会員の青年諸君が、自分たちの少量なる配給のお米のうち、一握りずつ預けたものである。まことに涙ぐましい感激のお米であります。私はさように伺つておりまして、はなはだ遺憾に考えますけれども、その心持だけはマヌス島の在監者諸君に届くと思います。  さて、参考人の方々に一間だけお伺いしておきたい。食糧の問題に関して、たとい一般受刑者であろうと、戦犯の受刑者であろうと、万国の刑務所とか監獄の連盟、協会等の会議において、十分体力を維持保全し、あとうだけのカロリーを与えることになつておることは御承知の通りであります。しかるに、ただいま伺いますと、食糧の事情等も、重労働等にはまことに不足しておるところの食糧が供給されておるようであります。ことに、おしるが一日一合ということで、われわれ日本人は古来みそしるを愛好しまして、私は東北の者でございますが、どうしても一日五合ぐらいのみそしるを吸つておりますが、かような食糧の状態では、頑健な体格の所有者も衰弱の余儀なきはめに陥ることはわかり切つております。いわんや、野菜の供給等がきわめて少いようでありますが、野菜の不足の場合には壊血病というような特殊な病にかかることは当然のことでございます。今残つておる在監者諸君の一般の健康状態、ここにABCDよりFまでの調査があるようでございますが、残つておる在監者の大部分の健康状態はどんな状態にあるか、参考のために伺つておきたい。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 ただいまの質問にお答え申し上げます。  カロリーの問題がここで出ましたが、なるほどカロリーは、私どもマヌス島におります間受けておつたのは二千五、六百カロリーあるそうでございます。これは同収容所におります日本のかつての軍医さんもそのように申されておりまして、カロリーの点については、まつたくこれは十分とは言えないけれども、何とか維持して行く上にはさしつかえはないであろう。だが、しかし、ここでさらにこのカロリーを検討していただきたいのは、明けても暮れても同じ食事で、もみのたくさん入つた玄米とコーンビーフだけでもつて、なるほどそれだけでも人間のからだを維持して行くためのカロリーはあるかもしれません。しかし、それだけの単調な食事を七年半という長い間、何のかわりもなしに食べるということをよくお考えになつていただきますれば、どれだけそれが食べた人のからだに吸収されるか、——なるほど栄養価値は十分でありますけれども、それを十分に吸収するところの体力が衰えてしまうのでありまして、ましてや熱地において——四季を通じてこの暖かい祖国で育つたわれわれとしまして、明けても暮れても百度を越えるところの熱地では、胃の方がたまつたものではありません。すつかり参つてしまつておるのであります。それを、カロリーは十分だからといつて、それのみを食わされたのでは、それが十分に吸収でき得ないということは御了解がつくことだと存じます。  なお、体力の問題につきまして、なるほどそれだけのカロリーによつて、たといそれが得られたとしましても、輪転機のように、明けても暮れてもまわされる。たとい輪転機でも、油をさしても、機械でありますから、それはいたむのです。ましてや私どものごとき生身のからだでありまして、いつまでもそれが保持でき得るものでもありません。しかも戦争中から引続き現在に至るまで、短かくて十年あるいは十数年の長きにわたつて、かわつた気候、風土の中に生活して参りましては、老坂に向う人のごときは、とうていいつまでも同じ健康のレベルを保持して行くということは成り立ち得ないのであります。四十にして召集を受けた者、戦争に参加した者が、現在はすでに五十数才の老齢に達しております。五十にして召集を受けた者は六十数才になつているのであります。これを見まするときに、体力ももちろん衰えて下り坂にありますことは、あえて私が御説明申し上げるほどのこともございません。御推察の通りであります。まして、しからば体力だけで維持して行けるかという問題でありますが、体力はいくら強くても、祖国を離れて十年、十数年間、自分の家庭のことを顧みることもなくどうして生活し得られましようか。精神的な打撃に甚大なるものがあるのでありまして、その精神的な面におきましては、まつたく夢遊病者と言つても過言ではないほどの状態になつているのであります。いわゆるピンぼけと申しますか、そういつた状態でありまして、明けても暮れても私どもがマヌスでかわすところの言葉は、内地の皆様方がお聞きになつたならば、気違いがものを言つているのではないかというふうに解釈されるのではないかと思われるほど妙な話題ができ上つております。皮肉を申し上げるわけではございませんが、先ほどの御慰問の言葉をここに持ち出すのもはなはだ失礼ですが、よそのモンテンルパや何かに比較して、マヌスは非常に国民の認識程度が薄くなつておる。最近高まつたとはいえ、どうもマヌスはやしのカーテンの陰に置かれているんじやないか、いわゆる鉄のカーテンの同義語として、やしのカーテンのかなたにわれわれは置かれているんじやないかというような、さびしい気持の状態に置かれております。  以上終ります。

山下春江改進党

○山下委員長 この際細迫さんから発言を求められております。細迫委員。

細迫兼光日本社会党(左)

○細迫委員 私は法務委員会に籍を置いておる者でございますが、政府委員に御答弁をお願いいたしたいと思うのです。それは、法務委員会におきましては、この戦犯者釈放の問題について、それ専門の国民使節団を送りたいという考えが浮んで、本委員会と御相談を申し上げてこれを進捗したいという考えが実は進んでおる。このことについての政府の御所見を承りたい。  この問題は、本委員においてもかねて論議せられておることがあるやに聞くのでありますが、かえつて諸外国を刺激していけないのではないかという御議論があつたそうでありますが、われわれ法務委員会におきましては別な考えを実は持つておる。元来B、C級の戦犯問題につきましては、基本的に国際法上の疑問がありますのみならず、個々の事案につきまして、専門家から見れば一日瞭然これは裁判の誤りであると思われる案件が非常に多いのであります。今戦犯者釈放の問題が各国において行き悩んでおるということは、その各国における国民感情がまだよくなつていないということ、これに基因するところ大であると思うのでありますが、われわれ考えております使節団は、国会議員を中心といたしまして、法律家、ことに戦犯事件の弁護に当つた弁護士、あるいは宗教家などを含めて、この問題専門の使節団を送りたいという考えなのであります。いろいろ諸外国に参りまして嘆願いたされた例もありますが、それは、いわばつけたり、ついでのことでありまして、諸外国当局におきましても、聞き置くという程度に聞き流されておる。あるいは文書においての交渉などは、役人の手にただしまわれておるというようなことで、一般国民の輿論、国民感情を好転するということにあまり役に立つていないのではないかと考える。一々資料が豊富にあるのでありまして、一、二の例をとりますれば、その案件につきまして、たとえばその犯行が行われた現場を確認したという証人、それがAについてもBについても、CDEF数人の証人に同一人が出頭して来ておるというような事実、常識的に見てもこれは不可能な状態にある。その証言が取上げられておる。あるいはまた、午後七時ごろ百五十メートル離れた所からその現場を確認したというような証言、それらも現象上不可能なことである。これは一、二の例にすぎませんが、専門的に見ますれば、その裁判がいかに虚偽な証拠に基いてなされておるかということが、諸外国のその専門家に見せれば一目瞭然理解していただけるような事案がたくさんにあるのであります。そういう方面に事実を具体的に訴えまして、少くとも各国の弁護士会の輿論を動かし、通じては各国の大衆的な疑問を呼び起し、輿論を起して行くというようなことに相なれば、この戦犯者釈放の問題に一大進捗を見るのではないかという考えを持つておるのでございます。この点についての政府当局の御所見はいかがでありましようか、お伺いしたいと思います。

広瀬節男参事官(外務大臣官房戦犯室長)

○広瀬説明員 私はまだ今の御所見に対して私としてお答えできる立場でございません。先日弁護士会からお出しになつた書類は、官房長の方から拝見させていただきましたが、まだ私個人の意見も今のところございませんし、いわんや外務省としての意見もまだ固まつていないと思います。私は、この点はきようの御発言の機会によく上司に相談しまして、別の機会にあるいは大臣が御回答になりますかどうなりますか、そのことについてはただいま申し上げられません。

大石ヨシエ日本社会党(右)

○大石委員 山下委員長にお諮りいたすのでありますが、私は、ただいま参考人の皆様から御報告を拝聴いたしまして、敗戦国のいかにみじめであるかということをいまさら感じておるような次第です。そこで、ただいま細迫先生から、直接現地に行つて視察をし、そうして御意見があつた通り、それもたいへんけつこうです。しかしこの際に、やはりアメリカ、オランダ、英国、フィリピン等に、この委員会の名において、委員長の名において、皆さんにお諮りくださいまして、再度釈放方の書類を出す、——この書類をたびたび出しても私はいいと思うのです。それを皆さんにお諮りくださいまして、この委員会の名において書類を出すこと、これが第一点。それから第二点は、われわれこの海外同胞の委員会で、アメリカ、オランダ、フイリピン、英国の大使館に、手わけしてこの釈放方を懇請することについて、あなたはいかにお考えでございますか。満場の委員の方々にお諮りになりまして、こうしてほうつておいてはどうにもなりませんから、さつそく手わけして、皆で行つたらどうですか。そして大公使に面会して、われわれ委員はかくのごとく望んでおるという希望を述べたらどうでしようか。皆さんに一度諮つてください。     〔「賛成」と呼ぶ者あり〕

山下春江改進党

○山下委員長 ただいまの大石委員の御発議についてお諮りいたします。御提案のごとくとりはからいますことに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下春江改進党

○山下委員長 では、さようはからうようにいたします。ただいまの問題は、後ほど理事会をもう一度開きたいと思いますので、なお詳細は理事会においてお諮りをいたしたいと思います。

中川源一郎自由党

○中川(源)委員 私は参考人の方に少しお尋ね申し上げたいと思うのです。何分、敗戦ということで、戦犯者の裁判が戦勝国の一方的な裁判であつたために、われわれ日本人から見る場合には、すこぶる苛酷な刑を申し渡されたというふうに私どもは聞き及んでおります。私も巣鴨にたびたび戦犯者の慰問に参りましたが、それらの方々も異口同音に、その節を述べられておるのであります。ラバウルとかマヌスあるいはモンテンルパ各島において受刑の方法は異なつておつたかもしれませんが、たとえば死刑というのは、どういう犯罪をした者を死刑にしたのか、また終身刑にはどういう方々をしたか、三十年、二十年、十年といろいろわけられておりますが、この刑の種類、あるいは刑の重い軽いという点は、どういうわけ方をしたかということを、参考に承りたいのです。巣鴨におる人の言うのには、たとえば、ある飛行士が、飛行機からおりて来て、ピストルで子供を射殺したので、死刑に処された、私はその処刑を見物に行つただけなのだが、見物人を代表して終身刑に処されたのだと、元少将のある人が私に言いました。また中には、捕虜が命に服さないからというので頭を四つたたいた、それで私は八年間の刑に処せられた、一つ頭をたたくと二年間、こういうふうになつております、というようなことを申す人も巣鴨にはあつたわけであります。ラバウルとかあるいはマヌス島ではどういうふうな刑の処し方がされたかということを伺いたい。それから、死刑された人あるいは病没者、また獄屋でお気の毒な死を遂げられました方々に対する取扱い、つまりその遺骨は一体どういうふうに埋葬されたか、現在家族に渡つておるかどうか、今後渡るような手配ができておるかどうか、あるいはその慰霊方法がどういうふうに行われたかということであります。  さらに、政府委員にお尋ねいたしますが、今後のこれらに対する慰霊方法、また諸手当の支給方法について具体的な案がどざいましたら承りたいと思います。

井上忠男厚生事務官(引揚援護庁復員局経理部法務調査課長)

○井上説明員 最初の御質問の処刑の内容につきましては、参考人の方から御答弁をお願いいたしまして私は、今の遺族及び家族に対する援護の問題につきましてお答えいたします。  留守家族に対して特別未帰還者給与法に基いて援護されておりますことは御存じの通りでございまして、これが最近未帰還者留守家族等援護法という法案によりまして一本に——一本と申しますのは、未復員者給与法、特別未帰還者給与法及び政府職員未帰還者給与法、この三つが一本になつて援護される法案が準備されておることも御承知の通りと思います。問題は、新しくこの法律が施行されるとしましたならば、留守家族を本邦に持つておらない者、あるいは日本の国籍を有しておらない者、つまりマヌス島におられる五十数名と巣鴨におられる二十八名の方々に対する援護が打切られるということであります。この点につきましては、今の本邦に留守家族を持ち、あるいは日本の国籍を有するという留守家族等援護法の根本精神を曲げることはできませんので、一応その方の管理をされております法務省の方において御研究を願うように、また現に研究されつつあります。  次は、遺族に対する援護でございますが、これは何ら手当ができておらないのでございまして、まことに微々たるものでございますが、戦争受刑者世話会というのがございまして、この問題については国会方面にもいろいろお願いを申しており、また政府にもお願い申しておるようであります。あるいは恩給法によつて何とか援護されるとか、遺族等援護法にひつかかるようにというお話のようでございますけれども、まだ政府といたしまして公務死と認める段階にまで一致した意見に参つておらぬために、援護法の対象外となつておるのでございます。援護庁においてもいろいろ研究はいたしておりますが、恩給法との関係におきまして、同じように公務死という立場で取扱いたいために、ぐずぐずいたしておるような現況であります。  以上お答え申し上げます。

松本寅太郎マヌス島帰還者

○松本参考人 前段の、いわゆる罪科の不均衡ということにつきまして申し上げます。ここに特別にその資料の持合せがないのを残念といたしますが、私の記憶いたしておりますその一つ二つを申し上げますれば、死刑の事件そのものが、日本の軍律に照し、軍法に照して、当然これは死刑に処すべき行為であつたと断定され、銃殺刑に処せられた。その銃殺刑に処するのに、敵の空襲下にあるので、刑場において対空監視をしておつたというだけでもつて、お前は死刑の現場におつたのであるからという理由のもとに、戦争裁判に付されて、実に十五年の刑を受けた者もマヌス島にございます。あるいはまた、もちろん軍律によつて死刑に処された者を埋める穴を掘りに行つた。ただ穴を掘つたがために二年の刑に処されたというような例がございます。記録をあげますれば、たくさんのそういう矛盾した苛酷な罪科が摘発され得ますけれども、私の記憶いたします一、二の例を申し上げました。こうした罪科の不均衡であつたことは、私ども戦犯の刻印を押された者として、いずれもが憤慨おくあたわざるところであります。  なおまた、こうした問題を諸先生方に御下問いただいて感謝にたえない次第でありますが、マヌスにおります私どもの同胞は、そうした問題を取上げるのもよいが、一にまず内地の巣鴨におります同胞と同じように、いつときも早く——先ほど大石先生のおつしやられましたように、とにかく少しでも早く内地の土を踏ませてやつていただきたい、これが私ども戦犯者としての切なるお願いであります。

中川源一郎自由党

○中川(源)委員 銃殺者のうちで、自分が罪を否認して刑を受けた者がありますか。もしありますならば、何名ほどあつたか。罪を認めて銃殺された者でなしに、否認しながら銃殺された者は何名ですか。

金子増美マヌス島帰還者

○金子参考人 ここに書類がありませんから、はつきりしたことは申し上げられませんが、そういう自分が否認されて処刑になつた方は、私の記憶では五名ほどあります。書類を見ればまた数名出るかと思います。

南郷弘マヌス島帰還者

○南郷参考人 処刑問題は、先ほど申された中にありましたように、現地に調査団が参りまして、現地でマヌスの皆々様と会われ、その実情をお聞きくだされば、非常に明瞭になることと思います。われわれ帰る者に、いろいろ書類を託されることは許されておりません。厳重なる検査を受けまして、かなりむずかしいのでありまして、そういう資料の手持ちがありません。これはまことに遺憾でございます。しかし、私の知つている事件で、こういう事件がございます。というのは、上海から第八方面軍、いわゆる今村軍の貨物廠に移された中国の俘虜が、労務者として宣誓してラバウルに連れて行かれたのであります。この労務者の監視には台湾の労務義勇奉公隊が約二百名行つておりました。この労務隊の作業は、当時軍糧秣の輸送でありまして、これをときどき中国労務者が横流しするのであります。それを手きびしく打つたことはありましたが、そういうことがもともとの感情になつておりましたが、この労務者の中に相当悪質のマラリヤあるいは赤痢がはやつて、十二名ほどかかりまして、これを相沢という軍曹が兵隊を指揮して処置したのであります。そのあとへ台湾の労務者が監視に参つたわけであります。それでこの事件は兵隊がやつた事件でありまして、兵隊はすでに戦線へまた出かけたのであります。ところが、この労務者は、台湾の者をとつつかまえて、その殺した兵隊の名前を出せと言う。ところが、あとからその勤務に参りました台湾の監視員は、おれたちはそういう者は知らないということを答えたのでありますが、よし、知らなければお前たちを告訴するということで、おどかしたのであります。しかし、知らないのはどこまでも知らないのでありますから、あくまで知らぬと答えたのであります。その法廷は、原告が中国労務者であり、検事が中国労務者であり、陪審判事が中国労務者であつたのであります。これはさばかずしてすでに刑がきまつたようなものであります。そしてこれら台湾の者は一律に死刑を宣告されたのであります。これには元貨物撤の上官ないし中隊長など、みんなが法廷に出て、あの人たちは虐殺当時にはみんな加わつていなかつたのだとはつきり証言したのであります。そして七名とも全部死刑になつたのであります。この台湾青年七名のうち二名は先に処刑されました。残りの五名は、明日何時何分という時間まではつきりきまつて、独房に入れられたのであります。時あたかもその晩であります。監視のシヨーテツという准尉が参りまして、お前たちは何か言い残したいことはないかと言われました。残り五名は、私たちはそういう事件には全然関係がないのだ、全然知らない、あしたいよいよ処刑されるが、死んでもなおオーストラリアを恨んでやまないということを申したのであります。それによりまして、シヨーテツ准尉は非常に驚き、有期刑コンパウンドに飛んで来て、この事件に関係ある者で、はつきりこの人たちが殺さなかつたということを証明できる者があるかと言つた。そのとき、貨物廠の人たちはみんな手をあげたのであります。そうしてその晩すぐにシヨーテツ准尉が法廷へ電話をかけまして、刑の執行延期を願つたわけであります。すぐ法務官が来まして、五名の者はすぐ呼び出されて調査されたのであります。それによつて刑の無期執行延期を許されたわけであります。この五名は、後ほどセメント・ハウスのうしろに置かれまして、約三百日の後に無期刑になつたのであります。この人たちは当然無罪であります。もしやつたとすれば死刑であり、さもなければ無罪であります。二人を処刑したばかりに、あとの五名を無罪にすることができない立場にあつたものだろうと私は思つているのであります。もう一件、当初のラバウル裁判では、毎日死刑か無罪かの二つであります。全然これを否定しても、口述書だけでもつて死刑であります。それで、ある弁護士が、せんだつて否定したのが全部死刑になつているから、お前は否定するな、むしろ肯定して同情を求めよ、こう言うたので、台湾の者が一名、弁護士の言のままにやつた。事実やつていない者がやつたと言つた。これもまた処刑されたのであります。中にはやつたとはつきり言つて助かつた者もありました。終ります。

中川源一郎自由党

○中川(源)委員 先ほど私のお尋ねいたしました中の、遺骨の受渡し、家族の手に渡るような手配ができておるかどうかということ。それから埋葬とか、そういうふうな行事が行われておるかどうかということと。それから先ほど説明員から御答弁がありましたが、ただいま遺家族等援護法が施行されておりますが、兵役に服して、その結果こういうふうな戦犯になられた方が多いのでございまして、まことにその内容は千差万別でありますけれども、当然公務死亡として取扱うべき性質のものである、かように考えるのでございます。いろいろこの問題について論議いたしますと長くなりまするが、かつてに私死したものではない。公務死亡には間違いないと私どもは観測いたしまするので、われわれ委員会は公務死亡としての取扱いをするようにという希望を申し述べたいと思うのでございます。幸いに他の委員の方々の御同意を得られまするならば、委員会でそういうふうな希望決議のようなことをしていただきましたならばけつこうかと存じますので、私はその動議を提出させていただきます。

山下春江改進党

○山下委員長 お諮りいたします。先ほどの大石委員の御提案もございますし、ただいまの中川委員の御提案と大石委員の御提案とは後刻委員会において処理いたしたいと存じますので、暫時お待ちを願いたいと思います。  それでは、本日はこれにて参考人よりの事情聴取を終ります。参考人の方方には、御多忙のところ長時間をさいて現地の事情をお話くださいまして、本委員会といたしまして調査の上に多大の参考になりましたことを厚く御礼を申し上げます。     —————————————

山下春江改進党

○山下委員長 この際委員の派遣についてお諮りいたします。中共地区よりの第四次帰還船が今月二十八日、あるいは二十七日の場合がございますが、舞鶴に入港する予定でありますので、当委員会といたしましては、この際に引揚げの状況並びに引揚者受入れ援護の状況を調査するために委員を現地に派遣いたしたいと思うのでありますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下春江改進党

○山下委員長 御異議なきものと認め、さように決定いたします。  つきましては、委員派遣については、衆議院規則第五十五条によりまして、衆議院議長に委員派遣の承認申請書を提出いたしまして、その承認を求めなければなりませんので、この手続をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下春江改進党

○山下委員長 御異議なしと認め、さよう手続をいたします。  なお、派遣委員の人選、派遣日時等、その他の手続については、委員長に御一任を願いたいと存じます。  本日はこれにて散会いたします。次回は公報をもつてお知らせいたします。     午後零時三十五分散会

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