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15回国会参議院1952/11/27

文部委員会 第3号

発言数
91
登壇者
12
会派数
3
開催日
1952/11/27

会議録

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) これより委員会を開会いたします。  先ず第一に先般矢嶋委員からの要請があつた、前委員長から引継のあつた教育、文化一般調査の問題について私から概要御報告を申上げたいと思います。  先ず第一は東京学芸大学附属豊島小中学校敷地問題についてでありますが、この内容につきましては皆さんすでに御承知の通りでありまするが、初めてのおかたもありますから簡単に申上げましようか。これは前述の学校の敷地の減歩、敷地を減らすことにつきまして、東京都と文部省との間に食違いが生じて、その後関係の首脳者が集りまして打開策を考えたのでありますが、その打開策と申しますのは、豊島附属校の敷地はそのままにする、二番目には国鉄の用地一千五百坪を都に提供する、三番目には国鉄に代替地を文部省が購入の上提供する、四番目には国鉄所属の建物移築費は移転するところの費用は都が負担する、こういうことで方針が決定したのであります。そこで文部省は国鉄の希望するところの第一候補地であるところの北区滝野川町で約二千坪を入手する方針を進めたのでありますが、その間にはいろいろないきさつがありましたけれども、現在では関東財務局、国鉄、それから土地所有者、これは山本というんでありますが、それとの間に緊密な連繋がつきまして解決の方向に進んでおるのであります。併し価格の点におきまして、いささかここに一致しない点があるので、今その折衝中である、こういうふうになつております。これは引継いだ当時でありまするが、その後やはりこの価格の問題で折衝が続いておりますけれども、これは解決の見通しがついておるようであります。  第二番目は、水産大学の施設に関するところの件でありまするが、これは昭和二十年の九月江東区の深川越中島にあつたところの旧水産講習所の全施設が進駐軍のために接収されたことに始まつた問題であります。丁度今陳情のあつた商船大学と同じような運命にあつたのでありますが、その後昭和二十二年の五月に久里浜に所在するところの旧海軍通信学校の施設を使用することになつたのでありますが、警察予備隊に校舎の重要な部面を使用されてしまつて、極端に施設を需要に向けなければならなかつた。で、今日に至つておるのであります。そこで現在米軍の東京補給本部として使用されているところの旧海軍経理学校、これは港区の芝海岸通りにあるのでありますが、この施設の接収解除を受けまして、水産大学の施設として使用するように外務省並びに調達庁に対しては早急接収が解除されるよう要求すると共に、大蔵省並びに財務局に対しましては、解除後は水産大学の施設として使用することができるよう公文書を以て依頼しておつたのであります。ところが現況では、解除後は水産大学の施設として使用することについてほぼ大蔵省の了解済みである。更に接収解除については外務省に対しましては目下極力折衝中である、こういうふうなのが私の引継いだところの当時の状況であつたのであります。ところがその後の現状につきましては、大体今この米軍が群馬県の小泉に移る、こういうふうなことになりまして、先ずここが空くような恰好になつておるのであります。大体現在では土地が確定いたしましておるのでありますが、工事が未着手である、そういうことで、今のところまだはつきりしたところの線が出ておらないのであります。  大体そういうふうな事情にありますことを御報告申上げます。

矢嶋三義日本社会党(第四控室・左)

○矢嶋三義君 簡単に委員長にお伺いいたしますが、この水産大学の件について、工事未着手云々という御発言でございましたが、委員長の引継がれ或いはその後委員長の関係した範囲内においては、水産大学がそこに移転できるのはいつ頃というような見通しを立てていらつしやいますか。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) この見通しは、私もなかなかつきかねるのでありますが、私はこの問題についてはどういうふうに取扱うかということについては、委員会にいろいろお諮りしてやるというような考えから、その後どういう状態にあるかという現状を調査した程度になつております。今後皆さんにお諮りして、これをどういうふうにするということになれば、その方針によつて進んだらいい、こういう見解を持つております。

矢嶋三義日本社会党(第四控室・左)

○矢嶋三義君 水産大学の件については報告はわかりました。豊島のほうについては、これはあの候補地に若干の建物もあつたかと記憶しておるのでありますが、それらの処理を含んで、この解決に対して学校当局としてはすでに十分満足しておるわけですね。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) それにつきましては、私前の学校当局のいきさつのことを十分わからないのであります。ただ現段階ではどういうふうになつているかということについては調査しただけであります。専門員のほうのかたがたからでもその点を説明してもらつたらはつきりするかと思います。

矢嶋三義日本社会党(第四控室・左)

○矢嶋三義君 お伺いいたしたい点は、専門員のかたで結構ですが、豊島の当時の問題については当委員会において完全に終止符を打つていい段階になつておるかどうかということを伺いたいと思います。

竹内敏夫常任委員会専門員

○専門員(竹内敏夫君) 今の解決策に対して、学校が満足しておるかどうかというふうなお尋ねでございましたけれども、学校のPTAの会長が中川議員、この中川議員は今の解決策で結構であるといつておいでになりますが、同時にそれは学校側の意思であろうと我々も思つております。従つて学校側も大体その線でやつて欲しいという意向であろうと我々は思つております。  その次に終止符の問題でございますが、これは中川議員が今度大蔵委員長になられまして、それで大蔵省の関係のほうは私が引受けてやる。それから現実の問題は、これは文部省の会計課長が全部責任を以てやる。そこで前委員長も、じや一つ文部委員会としてはこれ以上現実の交渉にはタッチしないから、それで若しもその交渉過程において我々が必要ならばいつでも助力するからと、こういうふうな話になつております。従つて或る意味においては終止符であり、それから或る意味においては向うのほうから更に援助を求められればいつでも乗り出すというふうな、そういう約束であります。

矢嶋三義日本社会党(第四控室・左)

○矢嶋三義君 この種類の問題で、前からの懸案事項として御報告がなかつたわけでありますが、従つてお尋ねするわけでありますけれども、本委員会で相当問題にしました新発田ですね、新発田の新潟大学の分校校舎の問題は、本委員会で一応の結論を出して、文部省に要望書として提出して以来そのままになつておるわけでありますが、これらについては、大体当委員会でまとまつた意見の方向に解決したのでございましようか、それともそういう方向に進みつつあるのでございましようか。委員長が引継を受けていなければ専門員でもいいですから、これも又終止符を打つていい段階かどうか、更に我々が検討しなくてはならん問題が残つているのかどうかという立場において承わりたいと思います。

竹内敏夫常任委員会専門員

○専門員(竹内敏夫君) この新発田事件につきましては、当委員会において決議事項を作りまして、そうして文部省に出してあるわけであります。そこで我々はその通り、大体その線に沿つて行くべきものと思つていたのでございますが、最近現実の移転問題になりましてから、又問題が大分再燃しているようでありまして、現地の新聞紙によりましても、学生が大分動いているというふうな話を聞いております。それから文部省のほうでもその後調査を進めておいでになりますが、我々としましては、一応その後の経過を今回文部省から報告を願うほうが適当ではないかというふうに我々は考えております。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 他にこの問題で御発言がなければ、次のほうに移りたいと思いますが、如何でしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 御異議ないと認めます。   ━━━━━━━━━━━━━

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) それでは次には京都奈良方面の調査報告の件を議題といたします。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 先般当文部委員会より文化財保護の現地調査のために京都奈良のほうに出張を命ぜらました木内、木村並びに不肖三委員と専門委員室より吉田調査員、なお現地におきましては堀越儀郎、高橋道男の両氏がこれに参加して下さいまして、十七日より二十一日に至る五日間ほぼ所要の目的を達し得る調査ができたと存じているものであります。その詳しいことに関しましては文化財保護の一般状況並びにその視察によつて今後文化財保護のために法改正に俟たなければならない面及びこれを取扱う人的の面についての考慮並びにこれが財政的な援助、そのような問題につきましては報告書を以て委員長の下に提出し、これを速記に載せて頂く処置をおとり願いたいと存ずるので、この点につきましては各委員の御了承を給わりたいと思うのであります。  ただここで一つ問題になつておりまするいわゆる大和の薬師寺の月光菩薩に関する調査の結果を御報告いたしまして、各位の御了解を給わりたいと存じます。  この月光菩薩のいわゆる首切り問題につきましては、先般文化財保護委員会の本間順治氏よりもその報告書が本委員会に提出され、大体本委員会におきましては専門員、調査員が現地に調査されておりましたので、我々三名はそれらの調査の大体の結果を聴取りまして、現地に赴いてこれを見たのであります。ただ私は理窟でなしにその寺に入つて非常に胸を強く打たれたことは、白木の箱から見るも傷ましき月光菩薩が鉄心を切断されてその光が寺の静かな暗さの中に私たちの目を鋭くついた。木内委員も木村委員も私もちよつと声が出ないような、又堀越委員も何と言つていいかわからんような感じがいたした。この印象は四委員とも同じであつたろうと思うので、そのことを先ず前段に申上げる次第であります。  先ず問題になつたのは新聞で首切りと言われますと、何かこう仏像を鋸で挽いたように御了解のかたもあるかと存じますが、これは拙ない写真ですが、私が自分で撮影した写真も持つておりますので後ほど見て頂きたいと思いますが、切断したのは鉄心なのでございます。即ち胴体と仏像のお首とを繋いである鉄心なのであります。この鉄心は、のちに我々が学び得たところによりますと、鋳型を作る場合には当然中に製作過程として入れなければならないものだそうでございます。従つてその鉄心が国宝の一部でもありまするが、どれだけ重要な意味を持つているかという判断は、後にこの問題に対して回答を与える場合に、非常に重要な意味をなすと、こう存ずるのであります。  それからもう一つの問題は、その切られた鉄心に対しまして現に仏像を前にいたしまして、技官と寺側とは泥試合という言葉を申して差支えのない程度に、この意味が分れたということでございます。併しこれで附言いたしたいことは、全くこのタッチした技官も尊敬に価いすべき人物であるということであります。非常に自信を持つて非常にこの月光菩薩を愛する熱意が、それらの論争を通じても終始現われて、みずからの非を庇うというような態度は我々には見られなかつたことであります。寺側におきましては、肝心の管長が故意か偶然か知りませんけれども当日欠席いたしまして、そのお寺の中で最も雄弁家ではないかというような若い坊さんが出て参りまして、その技官の言うことを一々揚足をとつて論争を繰返したというようなわけであります。何が問題であるかと申しますれば、その鉄心を切つたことが現状変更であるとするならば、文化財保護法二十一条の第二項第三号によりまして、当然といたしまして寺田審議会に諮るべきであろうと存じます。そういう角度から見るならば、明らかに文化財保護委員会のとつた態度というものは慎重を欠くと断ぜざるを得ないと思うのであります。併しながら現実に現地において調査した結果によつて見ますると、俄かに文化財保護委員会を責められない事情を我々は発見したのであります、と申しまするのは、その鉄心が果してあるかどうかということを、寺側もそれから技官も知つていなかつたということであります。それで大体そういう鉄心がこういうものにはあるからあるであろうということで、その月光菩薩の修理のためにチェーン・ブロツクをかけて、そうしてお首に縄をかけて、そうしてチエーン・ブロックをかけましたところが、がつくという音がしまして僅かについていたところが離れて、胴体と首とががんと離れて、そうして、そこにあらわに鉄心が現われた。そうしてそのときはもうすでに夕刻である。寺側としては、そのときに切つてもらいたくないような意見を言うたそうです。積極的に言わなかつたそうでありますが、切つてもらいたくないような意味のことを言つたそうであります。併し技官が考えたのに、そのとき信仰の対象でもある重要なものを、一晩チエーン・ブロツクにかけてお首を吊し上げてそのまま部屋に帰つて寝るわけには絶対に行かなかつた。そこで今晩にも天災地変等があるならばこれはえらいことになるから、ひと思いにと言おうか、応急措置として自信を持つて鉄心を切離したと、こういうのであります。ところがその日は管長、副管長も寺にはいないのです。而もその前の晩に、これは倉田技官を含めて一切の措置を、寺は技官に任すということを言つておるのであります。ところが論争の中心となりましたことは、一切の措置を任されたというのは、技官のほうとしは技術屋ですから、最もいいと思う結果を生むための一切の措置である。ところがお寺側として見るとさよな重大な鉄心を切離すというようなことまでは含めていない、まるで水掛論なんであります。従つてこれは明らかに文化財保護委員会が悪いのだ、慎重を欠いているのだ、こういう態度を以てこれに対峙している。技官のほうでは聊かも、この問題については自分たちとしては自信を以て、こうする以外に手はなかつた、こういうことでございました。こうする以外に手がなかつたかどうかは、これは専門家の意見に俟たなければなりませんが、問題は、そういうふうにして寺側と了解があつたかなかつたかということに問題の一点があるということと、それから第二には、そのような措置をする場合に法的に見て、一体専門審議会なんかはどういう態度に出なくちやならないか。この問題は法改正にまで及ぶべき問題であろうかどうか。第三の問題は、一体こういう修理の措置が、こういう措置が果して技術的に見て妥当であるかどうか。こういうふうに問題は三つに、実際問題としては要約されると思うのです。ただ我々がこれを、委員としてこの問題に対峙した場合に、それに附随しまして某新聞は文化財保護委員会に味方し、偶然になつたのかも知れませんが、ともかくその翌日行われた奈良における懇談会においては、両新聞者の記者が口角泡を飛ばしてこれ又議論をやつて、我々三人の委員並びに堀越先生、高橋先生らがやつと手を挙げて議論をやめさせるといつたような状態であります。このことは何を意味しているかと言いますと、この首切り問題ということを中心といたしまして、好機逸すべからずとして、文化財保護委員会を何かやつつけようというような勢力も或いはあるでありましよう。或いは又それと反対に寺院側がこれに対しまして、何とか自分たちの態度を守ろうとする、こういう態度、これらが明らかに了解されたのでありまして、要するにこの問題につきましては非常にデリケートなものを含んでおるというふうに考えるのであります。これを要約して、先ほどからのことを申しまするというと、先ず問題の第一点の一切の処置を依頼したということは、寺側ではその後新聞において否定しております。さようなることは言わないと……。而も又一切の措置というものに対してさようなものまでは含んでいない、こういうふうに新聞社等を通じて言つているようでありまするが、調査した委員の一致した意見として、寺院側は確かに両技官に対して了解を与えていると断定いたしました。次にそういう了解に成立つてはおるけれども、この現状変更であるかないかということは論争の又的になると思いますが、この現状変更であるかないかは別といたしまして、この重大なる取扱に対しまして、技官側としても一曹に今後この種のものに対しては慎重なる態度をとるべきではないか、これも又我々委員の一致した意見でございます。  次にはこの問題の本質的な分れ目は、先ほど申しました通り、技官は自信を持つてこの仕事をやつておる。而もみずからを庇うというような態度で抗弁しておるのではなくて、明らかにみずからの職責に忠実で、而も又この重要なるところの国宝を守らんとするところの意図が明らかに我々には見られた。併しながらこういう一つのものの考え方に対して、寺側では飽くまで一切のことを頼むと言いながらも、我々はこれを単なる美術品じやないのだ、我々は信仰の対象としてこれを見るのだ、こういうことを今日申しております。そしてそれを理由として鋭くこの技官を責めておるのであります。従いましてこれらの点につきましては、改正の必要にまで及ぶべきところの現在の法規の不十分というものもあるでありましよう。又現実の問題を中心といたしまして、一つこれを建設的に、啓蒙的な立場から学び取つて今後考えて行かなくちやならん問題がある、こういうふうに存ずるのであります。従つてあとは文書を以て報告したいし、同時に非常にデリケートな問題でございますので、御質問によつてお答えをしたいと存じますが、政治的に見て了解したかしないかということに対しては、先ほど申上げた通り、管長は不在でありまして、最後的にこれを断定することは極めて無理であろうと我々は考えたのでありますけれども、前後の事情その他を総合いたしまして、この点に関しては、寺院側は技官に了解を与えたものである、こういうふうに我々としては断定した次第でございます。  他の点につきましては一つ質問を頂いて答えたいと思います。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 今日の質問は当然文化財保護委員会のほうに質問するつもりりでおりますのですが、併し今現地に参議院のほうからの正式の調査班として行かれた相馬君の今のお話の中に、ちよつと事実の問題で疑問に思うことがあります。ただそれはやはり話の土台になつて行くといかんと思われるものでございますから、ちよつと二点だけ僕は相馬さんにお伺いしたいと思います。  あなたのお話の中に、首切りというような言葉を新聞で使つております。これはみんな使つておるようですが、私は首切り事件ということは非常にいやな、のみならず又解雇のような場合にも首切りということを、こういうようなことをジヤーナリズムが使うが、首切りということはいやだと思うので、これもそういう言葉を使うことはしないようにしたいと思いますが、とにかく今度はお首をはずさなければならんというあのときに、只今のお話だと鉄心だけが問題であつて、首は付いていなかつたのだというようなふうに今御報告があつたように思うのですけれども、事実これは前からひびが入つておつて、そうして又地震の結果そのひびが大きくなつたということはありますが、幾部分かまだ残つておつたのであつて、全部この鉄心だけの問題ではないのだと私は思うので、その点はこの文部省から出している吉野地震によつて薬師寺月光菩薩の被害についてという中にも、とにかく辛うじて付いておるというようなお話があるから、鉄心だけじやないのだということは僕は明らかにしておきたいような気がする。  第二に、鉄心を切る場合、上げて初めて鉄心がそのときにわかつたのだという御報告のようでありましたけれども、鉄心があつたということはすでに私はわかつておるんだと思います。これは技官のかたがおいでだから御返事願えると思います。脇本君の書いたものを見ても、すでにわかつておるように言つておりますし、或いは当日おいでになつたその調査のかたが、幸いにして中の土が落ちていたために、この底に鏡を当ててそうして光を当てて、それで鉄心があるということは承知してやられたと、こういうことも私も現地に行つて見て来ておりますから、そういうことを聞いておるのですが、これは鉄心があるということを知らないでやつたのではなしに、知つていてやつたと思うのですが、その二点はこれからの事実の上で大事だと思いますから、その点を僕は明らかにしておきたいと思います。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 山本先生のお示しの通りに、この首切り問題云々という、この首切りという用語は非常に、感じのいい悪いは別として、事実に即しても聞違いであることは御承知の通りです。従いましてこの点に関する正式の文書による報告の口上を読上げます。一、切断したのは鉄心である。像の頭部は大部分遊離していたものと認められる。遊離個所に現われておる創痕は、相当古いものであつて、たまたま微細な新らしい傷のように見受けられる点についても、果して頭部取下し作業の際生じたものか、或いはすでに吉野地震によつて加えられていたものであるかをつまびらかにいたすことはかなり問題が存する。従つて紙上往々報道されるがごとき、いわゆる首切りということは妥当ではない。これは首切りにあらずして頭部取下し作業に際し、内部にあつた鉄心を切断したのであることを、この際本問題について我々は明確にする必要がある。こういうふうに我々は形式的には報告しております。  それから鉄心はわからなかつたかわかつたかという問題は、そのチェーン・ブロックをかけて引上げる直前においてはわかつていた。そのわかつていたというのは、技官はゼンマイを持つて行つて入れてやつたときに、明らかに粘土でなくて金属性のようなものがあつた。従つてこれは鉄心がどのくらい深いかわからないけれども、あつたことはわかつたという。私たちは橋本管長がいればそこで対決してもらつてはつきりしたいことは、この鉄心をどうするこうするということが、寺院側と技官の打合せの中に明確に出て来ないのです。技官のほうとしては鉄心があるということの意味をそこで言うたが、当然鉄心を切ることを含んでの一切の措置であると主張するのです。お寺のほうではさようなものがあるか、ないか、我々専門家でないからよく知らんし、そのようなことまで任かしたのではない、こういうことでございました。従つて、最初は鉄心があるかないかわからなかつたが、技官は後に調査の結果あることを発見していた。併し寺側はチエーン・ブロックがかかつて、それが上げられまで鉄心があるかないかを明確には知つていなかつた。こういう非常にむずかしい実情ではなかつたかというふうに我々は調査いたしました。

堀越儀郎緑風会

○堀越儀郎君 ちよつと私も正式の派遣員ではありませんが、地元の関係上三人の委員のかたに参加して参りました。只今の御報告で鉄心があつたかなかつたかという問題でありますが、これはあとで文化保護委員会の専門のかたからお聞きせにやならんのでありますが、あの鉄心を切る前の晩に、松原技官が橋本管長と一緒に夕食をされたときに、松原技官は鉄心のあることもはつきりとすでにわかつてあるのだと、だからその意味をこめて話をしたと、了解を得たと、こういうお話でありました。ところが、それは倉田技官から話をされたので、松原さんはそこにおられて直接話をされなかつたらしいのですが、いずれも、これは橋本管長がおられなかつたので、そのときに居合した若い執事の人が、あとで言うていることで、その場合に話がなかつたろうという推測だけのことで、管長がおられればわかると思うのです。ただそこに、首を抜いたときに立会うていた若い執事のかたの話では、倉田技官はあるだろうか、ないだろうかということを、多少疑問を持つておられたということを直感した。松原技官ははつきりありことを確信しておられた。そのことは極く偶然に首が取れたときに二人が発せられた言葉によつて推察される。それは松原技官はすでに鉄心のあることを認められておられ、すでに前からそういう調査研究されたことも文献も出ているわけですから、その鉄心が胴について下へ下りるか、或いは首について上へ上るかわからなかつたが、首が大きな音をして抜けたのは、恐らくこれは土が周囲についておつたために土の音だろうと我々は考えられるのであります。そうして首は殆んど僅かしかついてなかつたということは、実際調査の結果、私らも素人ながらわかるのであります。そのときに発せられた音は、松原技官は首はやはり上についておつた、鉄心のことであります。やはり上についておつた。倉田技官は、やはり鉄心があつたと、こう言われた。そのときのまあ偶然のなにからこれは想像してその若い執事が言うのに、倉田技官は鉄心の或いはなくなつていたんじやないかというようなお考えであるし、松原技官はこのことを確かめておられた、こうじやないだろうか、こういうような話振りであつた、これはまあ若い執事が言うことであつて、偶然にこの場合に咄嗟に出たお二人の言葉から察しているんであります。併しいずれにしても二人の中一人は確信を持つておられたのだから、前日の夕刻に一緒に食事をされたときに話があつたんじやないかと思うのであります。併しまあいずれにしても、今大体のことは相馬さんが御報告されました。我々の希望としては、非常に大きな問題になつており、又将来文化財を扱つて頂く上においても慎重を期して頂かなければならんと思うんです。できれば関係された専門のかたの御意見を承わつた後に或いは更に又お聞きしたい。又我々の意見も述べたい。そういうような運びに進んで頂きたいと思うのであります。(「無論そうだ」と呼ぶ者あり)

梅津錦一日本社会党(第四控室・左)

○梅津錦一君 私行かないので、その写真ではわかりませんが、その鉄心は落ちる場合何で切つたか……。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 それは向うから説明を聞いてから……。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 我々わかつています。

梅津錦一日本社会党(第四控室・左)

○梅津錦一君 それから鉄心の長さとその他……。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 すべて向うが説明してから……。

梅津錦一日本社会党(第四控室・左)

○梅津錦一君 それは調査に行つたときわからなかちつたのですか。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 今の梅津さんがおつしやつていることについては、我々は我々の返事はできるんですが、そういうことはやはり堀越先生が言われたように、委員長に取扱つてもらうほうがよろしいのではないか。その技官の非常に専断的な考え方というものが報告された場合には、我々の別の考え方ということも附加えてやれると思うんですが、一つそういうふうに、堀越先生が動議として出されたようにお取計らい願いたい。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) それでは相馬君の報告の件は一旦これで打切りまして、関連いたしまして今の動議もありましたから、丁度文化財保護委員会のほうから見ておりますから、一応そのほうの御説明を聞くことにしては如何かと思います。    〔「賛成」呼ぶ者あり〕

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) それではそのように計らいます。それでは倉田技官から…。

梅津錦一日本社会党(第四控室・左)

○梅津錦一君 倉田技官の今までの経歴を知つておかないと工合が悪いので、専門的な知識並びにそうした問題に対しては芸術的なお立場もありましようし、技術的な立場もありましようし、そういうような点から、成るべく経歴をお話頂ければ、一層技官のお話に対して認識を深めることができると思いますので、技官の経歴並びに今まで扱つた事項等ございましたら、その点もお話願えれば非常に結構だと思います。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) それでは本間課長さんが見えておりますから、そのほうのかたから紹介かたがた説明して頂くことにいたします。

本間順治文化財保護委員会美術工芸品課長

○説明員(本間順治君) 御指名に基きまして、両技官の経歴を申上げたいといます。  倉田君は、青山学院から早稲田に入りまして、文部省のほうには昭和十九年から関係いたしておりまして、専ら彫刻の調査或いは修理の設計ということを担当しておるわけであります。殊に文化財保護委員会ができましてからは、彫刻部の修理の主任といたしまして、殆んど国宝の文化財の修理設計をやつておる立場にあるものであります。私の口から申上げると如何かとも存じますが、まあ中堅の専門の学者として、これは誰も認めておる人であろうと、思います。  それから松原技官のほうは、これは少し変つた経歴の人でありまして、学歴といたしましては中学校を中途でやめたといつただけの学歴でありますけれども、その後木彫の製作のほうに入りまして、このほうでは日本美術院のほうに十何回も連続出品いたしまして入選しておる。遂にいわゆる日本美術院の院友となつた人であります。それから文展がありましたときには、文展の無鑑査であつた人であります。その後博物館に大正三年から入りまして、製作をやめまして、殆んど列品の修理係として今日に至つている人であます。これは木彫の修理だけでなく、金工品或いはその他の工芸品万般に亘つて、実際自分で手掛けて修理をやつたり、数限りない実績を持つておる人であります。国宝の、或いは国宝的のものの修理といたしましては、元法隆寺にありまして、その後宮内省に献上いたしまして、法隆寺御物という名前で謳われておりますところの四十八体仏という有名な仏像がありますが、これは古さにおきましても、今の問題の国宝物よりもなお古いというものなんですね。その四十八体仏の首が切断されてありますのを修理したという閲歴も持つております。それから又伯耆の大山という有名なお寺がありますが、あそこの大山寺の銅像のやはり非常にむずかしい修理を、誰もできなかつたといつていいような修理を見事にやつたというそういう閲歴を持つております。そういうわけでこの修理とということにかけましては、私どもの文化財委員会の修理係としても実技のわかる人でありますので、そういう点も考慮いたしまして、今度の調査には倉田君と松原君と両技官を派遣したような次第であります。簡単に申上げておきます。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 倉田技官。

倉田文作文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(倉田文作君) 倉田でございます。私は今度の吉野の地震被害の前に、六月に実は命を受けまして薬師寺に参りまして、国宝物の主として台座の調査をいたしました際に、頸部の損傷も同時に調査をいたしたわけでございます。その際の六月における地震後の実情というものが非常に問題になると思いますので、その間の比較をちよつと申上げたいと思います。私どもといたしましては、前回の調査の際にこの頸部の三道部と申しますか、ここに三本の筋が設けてございます。その三道部に沿うて、又肩からこの三道部にかけての亀裂が非常に大きいので、前回の調査の際に私どもは実は首の保安力というものに不安を持つたわけなんであります。それに加えまして、中世台座が損傷したために、全体が花崗岩でできていて、花崗岩の石に足納を梯形に掘り、更にその中に梯形の組石を入れておる組柄を作つておる、その足納の辺なり花崗岩の質なり、廻りの蓮華座との間には積石を行なつておりますが、そういうところに私どもは非常に不安を持つたのでありまして、これだけの推定千貫以上の仏像がこういう台座なり、積石の状態で立つておられるかということに非常に心配したわけでございます。私どもは調査報告を提出したわけでございますが、私が丁度信州に出張しておりまして、その際文化財から電報が参りまして、薬師寺の被害が非常にひどいから直ちに奈良へ行くようにというような電報を頂いたわけなんでありますが、それで一番先に考えましたのは、あれだけ頸の損傷がある仏像が今度の地震でどれだけ傷んだかひよとすると頸がもう落ちるような状態にあるのではないかということを行く前に心配したわけなんでありますが、先ほど御質問にもございましたように、鉄心があつたかなかつたか、私が知つていたか知つていなかつたかというようなお話が問題になつておりますが、これは鋳鋼仏の場合ですと、必ず中型の土を支えるための鉄心というものがなければできないのでありまして、従つてそれが問題は抜いてあつたか抜いてなかつたか、普通は小さなものでありますと中型の鋳成をし終つた後にこれを抜きとることがあります。非常に小さなもので抜いてあるものも抜いてないものも、これは四十八体仏というようなものを調査しますといろいろに分れておりますが、従つて抜きよい場合にこれを抜きとる。更に像容が非常に複雑で鉄心が彎曲しているような場合はこれを抜き去らないのが普通になつております。従つて薬師寺の場合にはこれは鉄心があるということは実は前に山本先生も御指摘になりましたので、かなり前からわかつていることでございまして、私どもは首の右側から背中にかけての亀裂とうものが、地震の前に比べて非常に開きが増大していると思うのでありますが、約一分程度でございましたのが三分強に及んで開いておりました。それから左肩の上面の所に亀裂が殊にひどうございまして、この亀裂の部分から中の中型の土が吹き出しまして、丁度木彫の像に見られる虫蝕の糞のように中型の土が肩にふりかかつておる。更にこれについて見ますと、上下動で以て非常に揺れて、その次に揺れた左右動で以て頸の損傷が非常に大きかつたということはこれは私が見ると歴然とわかるのであります。で、これは御参考までのお話でございますが、上下動が非常にひどかつたということは、博物館にございました東大寺の灌仏盤が、この真中は誕生仏という約一尺四、五寸の像が立つておりますが、これが上下動で飛び上りまして、そうして灌仏盤の大きなのような盤から外に飛び出してしまつて、地震のときに博物館に調査に参りましたところが、像がなくなたと思つたほど、それほど上下動、左右動というものがひどかつたということがわかります。この首の三道部の咽喉の所でございますが、ここの所で亀裂に噛み合つております。これがジグザクに鋸の歯のように噛んでおるのでありますが、この部分で地震の左右動のためでございましようか、頭部と胴部が離れまして左右二ヵ所に亘つて断片がめくり上り、八厘ほどの断片が胴部に辛うじて付いておるのであります。これが実は私どもが報告を出しました際に、文章が不明瞭であつたと今考えると思います。この断片で辛うじて胴部に付いていたというふうに私どもが書いたのは断片のことでございます。ここに現物の拓本がありますが、これは問題になつておる断片なのであります。この赤くしるしがちよつと付いておる所が今まで付いていた部分であります。この外郭線はこの土を通つてこうあるのであります。その上の亀裂というものはすでに完全に切れ切つていて、つまり現在傷を調べて頂きますと、この断面というものはこれはすべて古傷で、今回の措置の途中で傷が付いたなんということは全然ないのであります。首と胴とははつきり離れていたのでありまして、私どもが手で動かすとこれは簡単に動くのであります。従つてこれは亡失する虞れがあるというふうに考えまして、これを取りはずして別の袋に入れて寺側に保管を依頼したわけであります。従つて現在御覧になりますと、その八厘の傷というのは確かに新しい傷で、これが首と胴とが付いていたというふうに或いは誤解される虞れがあるわけであります。私どもは報告にも、非常に舌足らずの報告を書いたような気がいたしますが、それは例えば部内の高橋委員長に申し上げました場合にもやはり不明瞭であつたと見えまして、高橋委員長もこの点を実は首と胴とが八厘の厚味で付いていたというように考えておられたようであります。同様のことが橋本凝胤官長との間にも起つておると思います。従つて寺側のほうでは私どもの説明が行き届かないために首と胴とが付いていたというようにお考えになつておるかも知れませんが、その点は私どもは改めてこれを訂正いたしたいと思います。従つて現在の破片を元のごとく当てて断面の相というものを御覧頂きますと、これはすべて中世損傷した際に完全に切れ切つたものでありまして、現在までに、吉野の地震の前に今までに首と胴とが付いていたという部分はないのであります。それからこの丁度めくり上りました断片と胴と噛み合つておりますものがかなりの目違いを生じまして、これはあとでわかつたのでありますが、八厘で実は断片が付いていたのでありますが、この断片のようなものがめくれ上つてここの二つの部分が剥離してここがとれたわけであります。こういうめくり上りというものは、私が六月に調べたときには全然存在いたしません。ここの首の前の部分というものはむしろ亀裂というよりは筋が走つていたというような状態で切れ切つておりました。今度の地震のために頭部全体がつまり胴部から浮き上りまして、これは上下動のためでございましようか、そうして首の表面に目違いを作つて、多少左のほうに傾いて、右側のほうが一部から三分ぐらい開いておりますから、従つて頭部全体が左側に傾いて、そうして左のほうに押したということが言えるわけであります。そうしてその結果私が左側の脚立の上に立ちまして、私は右のほうに押してみたのであります。これは押して動くかというような試みをしたわけではないのでありますけれども、その際頭部全体がゆらりと左右にこうゆらいで押した私も非常にびつくりいたしましたし、その際に橋本管長が現場におられて御覧になつていたわけでありますが、松原さんにしろ、私にしろ、それから橋本管長にしろ、砦が実はあつと言つたのであります。あれだけの頭部が左右からぐらぐらとゆらぐということに非常に私ども驚愕いたしまして、前回の調査のことは私聞いたのでありますが、首は微動だにせず、非常にまあ大磐石のような恰好でしつかり置いてありました。これは恐らくまああれだけの重みのものだから、重量自身から保安力もあり、又鉄心と中型の土がかなりついて何か詰め物をぎゆつと詰めた形になつておるということも想像したわけなんであります。併し中世に鋳掛という修理をやつております。ここのところ今実物を御覧頂きますとわかりますが、お首のここに切つた口を作りまして、そこから銅を流し込んでいがらくりという一時修理をいたしております。この修理というものは非常に不徹底で、実際には首を上下に繋ぐ役を果していなかつたのでありますが、その際にもやはり中の焼土というようなものをかなり多く損傷していたというようなことも考えられるのであります。それからこれを支えております台座のほうを見ますと、造像当初の蓮華座は、これは只今日光菩薩のほうに完全に残つておりますが、その当初の蓮華座がございまして、その蓮華座の天板と申しますか、台座の天井でございますが、その天井の部分が今は殆んど全くなくなりまして、蓮華部のほうも大きく二ヵ所も欠失してしまつて、つまり台座の一番上は全然ないのでございます。そのうち、その中に先ほど申上げましたように、花崗岩の据え石を入れまして、その据え石の中に梯形に穴を作りまして、その中に更に梯形の石をはめ込んでおります。従つてそのはめ込み、つまり組み石のために非常に保安力が弱いというものなんでありますが、これは先ほど申上げましたように、上下動のために像全体が恐らく飛び上つて、前に少々出たのだろうと思われますのは、それはその納穴の中に踵のほうを押し込みまして、そうしてその石の表面にもともと踵がついている緑青がちやんと残つております。従つてその踵のかかつておりました穴に、これがまあ穴の上辺だといたしますと、元来はこういうふうにかかつておりましたものが、こう前に出まして、従つてこれが中へ食い込んで、台座の納穴の中に入つてしまつたわけなんであります。ここに踵型の緑青の型がついて残つていたわけなんであります。従つてこの踵が納穴の中に沈むということは、当然足が浮き上つた、爪先が浮き上つたということなんでありますが、これは最初胴の中に入つたときに見てわかりましたように、かなりの程度うしろに傾斜が来ております。従つて私は真先に爪先を調べたのでありますが、爪先が浮き上つておる。而もその中の納穴が浮き上つて拡大されておる。その結果今度のように遊んでおりましたために、足納が動きまして、踵が納穴の中に落ち込むというようなことができ上つたわけなんであります。そうしてこのように見ますと、首は先低ど申上げましたよう罪非常にぐらぐらになつておりまして、断面が完全に切れ切つておるということが一目瞭然にわかります。それから台座のほうを見ますと、この組み石というものがゆがんで、そうして足納の中に踵がすでに入つておる。而も像身全体がうしろに後傾しておるといつたような実情でございました。これは私どもは特に六月に地震の前の状態というものを精査しておりましたために、そういつたことがまあ余計に、非常に重大なことだというふうに痛感されたわけなんであります。この場合我々としましては、先ほどもちよつと御指摘がございましたように、この鉄心が頭部のほうに食つついて上つて来るだろうということを先ず考えたのであります。それは日光菩薩のほうの一番頭のほうが、幸か不幸か、これぐらいの埋め金がございますけれども、その埋め金が取れて、その像の中味が見えるようになつております。その中を観察いたしますと、非常に焼成度が強くて、そうしてその焼が強いために、鉄心の噛み方が非常に強いというふうに私どもは見たわけなんであります。そうして下のほうを見ますると、鏡を用いて中に電気を入れまして見ますと、鉄心の約下、裳先の五尺八寸程度の中の士を掻き出しております。これは現在御覧頂きましたも9と同じ状態でございます。これが落ち込みまして、空になつた円筒の中に、いわば鉄心がぶら下つておるという状態なんであります。従つて胴のほうについておる分というものは非常に弱い。そのぶら下つておる鉄心を固定する方法は何もないのでありますから、こういう円筒の中に長い鉄心がぶら下つて、ぶらぶら動いておるといつたような状態なのであります。従つてこの首のほうの焼成度が非常に固いために、これはひよつとすると、首のほうについて上に上つて来るかも知れないと私どもは考えました。そうなりますと、質と胴を先ず第一に離して、ジグザグに噛み合つておるものをはずさないと、修理の際の噛み合せが非常にひどくなります。従つてこの保存のために、今のぐらぐらになつておるものをはずさなければ、とにかく安全な状態にしなければということを、私どもは非常に考えまして、実は首が落ちるまでにとにかく私どもは間に合つてよかつたということを非常に痛切に感じたわけであります。而もこの断面というものは、鋳物でございますために非常に弱いでございましようけれども、どうも又月光菩薩像も中世火に会つておりますために、非常に金質が脆くなつております。この脆い証拠は、こういうふうに断面二つがすでにまくり上りを簡単に作つたということでもわかるわけでありますが、従つてこれを移動する際に、どうしても首と胴を少し離しませんと、何ともこのままでは、それだけでは、あれだけの重みのものを動かすということは困難でございます。従つてチエーン・ブロックで動かす際に、三台かけるということは私どもには危険に見えまして、殊に現場の連中も実際に三台かけてやるということは非常に困難であるという意見でございました。私どもとしましては、とにかく首と胴とを離して、別々に置こうということが一番安全な、又私どもの現在までの考えからすれば、一番慎重なことだというふうに考えたわけなんでございます。従つてその際に、その鉄心が、首のほうから鉄心が抜けてくれるか、そうすれば首のほうが非常に短くて簡単に取れるわけでありましようけれども、恐らく胴体から鉄心が抜き出されて、つまり首が鉄心をくわえた恰好になつて上つて来やしないか。その際に下から明らかにわかりますように、鉄心がこういうふうに像の彎曲に合わせて曲つております。従つてその彎曲がつかえてしまつて、鉄心を抜き取るということが非常にむずかしかろうと私どもは考えたわけであります。その鉄心の首を上げました際に、先ほど御指摘になりました、私が鉄心を知らなかつたような声を発したというような御指摘がございましたけれども、これは実は昼も橋本管長なり、皆さんにも私は念のために鉄心の状態、それから中型の士を抜いた状態というものを全部見て頂きまして、管長自身も鉄心があつたということは、晩に私どもはその処置について御相談を申上げたのでございますけれども、すでにその午後において、一時から四時ぐらいまでの間において、ああいうことは全部あすこにおりました者が皆見ております。従つて又鉄心の状態なり、抜き方なり、土の抜き方なりということは、これは全部あすこにおりました者が確認しておるわけなんであります。従つて私があとから、その次の日になつてから、鉄心があつて驚いたというようなことは、これはあり得ないわけでございますが、従つて引上げました際に、私どもはその鉄心が、結局抜き取れないということを確認しまして、そうしてこれは鉄心を切断するよりほかない。この前の晩に、管長に御相談申上げました際にも、実はこの鉄心のことを申上げまして、そうして昼間も鉄心の状態なり、何なりを管長は御覧になつていらしつたわけでありますから、私がその際に用いた言葉では、場合によつてはこの鉄心を切断するということも止むを得ないかも知れないということ申上げまして、そうしてその上でこの首を下すということは如何でございましようか、私のつもりとしましては、橋本管長の御意見をお聞きになるというようなこともあるのではないかというふうに考えたのでありますが、管長は大きくうなずかれて、とにかく万事お任せる、しつかりやつて欲しいというお言葉でございました。従つて私どもといたしましては非常に管長の信頼を受けたというような喜びと、それから責任が非常に重大であるというような、何と言いますか、非常に感激したわけなんでありますが、従つて首と胴とを無事に降して、とにかく現在の危険な状態から逃れさせる。あれだけの高貴なものになりますと、私どももほかの場合よりは一段と慎重になります。従つてあらゆることをあそこにおりました松原さん、私、更にほかの人たちにもいろいろ相談をいたしまして、そうして例えばチエーン・ブロツクを吊り上げる際のワイヤーでございますが、そのワイヤーの太さなどにつきましても、建築の事務所に大浦という建築技師がおられますが、その現場の主任技師などを呼んで相談をいたしました。そういう意味では、他人の意見を排除したというような私どもについてデマが実はございますものですから、そういう点は全然なかつた、その場の意見を伺えるだけのあらゆる人たちに私どもは意見を聞きたいというつもりでおりました。そうしてこれから鉄心を切り取りまして首を無事に降すというまでが約一日かかりましたわけで、それから更にその胴体を……その日に私どもは薬師寺の管長が広島に行つておられましたために、広島宛に電報を打ちまして、「頭部無事取り降した」という意味の電報を打つたのであります。そうすると次の日に管長から返電が来まして、「安心した、後報を待つ」という電報を頂いたわけであります。そのあとはチエーン・ブロツクを使いまして像を胴体のほうを更に営内の西の隅のほうに片付けまして、それを非常に不満足でございましたけれども、下に厚板を置き、そうして布団を敷き、像を養生しました上で横たえて、その上で広島の管長宛並びに文化財に「胴部無事横たえた」という電報を又打つたわけなんであります。私どもといたしましては、とにかく間に合つてよかつた、首が落ちるまでにかけつけられてよかつたというのが第一の印象でございましたし、又非常に現場ではチエーン・ブロツクを使つてのああいう作業というのは非常に困難を極めておりましたので、殊に須彌壇の上が脆弱で、あまつさえ向つて右側のほうに本体の台座がかなりでつぱつておりますためにチエーン・ブロツクなり何なりを立てるということも非常に不安定な状態でございました。併し頭部と胴部を吊り上げたままでチエーン・ブロツクにそのままかけるというようなことは如何にも忍びませんで、とにかく一刻も早く安全な状態に置きたいというのが私どもの念願でございましたために、今度の措置が或いは後にお考えになりますとこれ以外の方法はなかつたかというようなふうにお考えになられるかたが多いわけでございますけれども、私どもといたしましては最大限の努力を尽して安全な措置をその場でやつたというふうに考えるわけなんであります。大体切断するまでの現状なり状態というようなものは只今申上げました通りでございます。そのほか何か質問がございましたらお答えさして頂きたいと思います。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 今の倉田技官の報告によりますと、お首と胴体は完全に離れていたと、そういう御報告ですか。

倉田文作文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(倉田文作君) はあ、さようでございます。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 それは我々の調査といささか違う。完全ということは全部ということですね。

倉田文作文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(倉田文作君) はあ。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 ほんの僅かですけれども、三ヵ所に亘つて私たちは新らしい光つた部分を認めたわけなんです。いわば概括的に言えばお首と胴体は離れていたと言つて差支ないでしよう、常識的に言えば。併し技官の責任ある、ここで速記をつけて報告しておるところで完全に離れていたというのは、我々は首肯できない。ほんの僅かですが、三ヵ所に亘つて光つていた部分があつた。

倉田文作文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(倉田文作君) 御覧頂きました光つております部分は、ここの部分なんでございます。ここに赤く私しるしをつけましたもので、これは確かに光つております。ところが実際の首の、つまりこれは胴体の一部でございますが、胴体の外郭線というものはこの外郭に沿うてこうあるわけであります。この破片がこういうふうに地震のためにまくれ上りまして、従つてこれがなくなるといかんと思つて私どもはこれを取外したわけなんであります。その取外した際に、ここが八厘ほどついておりましたものが今のきずあとになつたわけであります。首というものはこの上につまりあるわけでして、首の断面というものはここなんです。ですからこの断片をここに合せましてそうして全体御覧頂きますと、その断面というものは全部ひびなんです。つまり首と胴とが完全についていなかつたというわけなんです。御覧頂きました光つた所というのは、私の赤線をつけましたつまり破片の中でございます。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 大変細かい問題で、実はそういう細かい問題は我々は余り論じたいとは思わないのですけれども、私が行つて聞いたところによりますと、毎日新聞の記者が最初からおりまして、写真をその場合々々撮つておつて、そうしてその首の離れるときの状態を見ておる。それが何度も何度もやつて長い時間がかかつた、而も彼が指を折つて数えていたら十二回かかつたということを私は聞いて来ておりますが、離れるのに随分の時間がかかつておつたのではないですか。それですから、あなたが完全に離れておるというのと、今の私が聞いたその現場におつた毎日新聞の写真部の人の話とちよつとそこが私も食い違うような気がするのです。

倉田文作文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(倉田文作君) お答えいたします。鋳造する際に中へ鉄心を立てるのでございます。その鉄心を立てまして、それに粘土の士をつけまして、そうしてそれを或る程度軽く焼いて、いわば余り形をなさない像ができるわけです。そこにろうをずつと上に施しましてその外に外型をつける、その外型の部分に湯口を設けて、鋳鋼の溶けました湯と申しますが、その湯を注ぎ込みます。そうするとそこだけが鋳鋼の層ができ上るわけです。従つて中に士と鉄心とが残るわけです。今の月光菩薩の首の場合には、首の中に鉄心とその周りに焼土がついていたわけです。そうして或る程度は、その中にいわば土を丁度あとから詰めましたのと同じで、鉄心を支えていたわけです。ところが現在は、裳先から五尺八寸ありますが、ここで胴が曲つておりますけれども、曲りの丁度彎曲線のてつぺんまでの五尺八寸までも士を抜いてしまつております。従つてその上だけは抜きにくいわけなんでありまして、下から棒が届きませんために、つつついて落せないために、上の士が残つておる。従つて士と鉄心とがかなりくつついておる部分があるわけなんでありますが、それが完全に残つておりますと、地震の被害がございませんと、つまりこういう円筒の中に鉄心がありまして、この周りを士でもつてすつかり詰めた恰好になつております。ところが地震のために丁度三道部のお首の部分だけがすつかり士が崩れまして、そのために押すと百が動いたわけでありますが、つまりこういう円筒の中に鉄心が空になつてぐらぐら動く状態にあつたわけであります。その下にある土から鉄心が出る場合に音がしたということがあるわけなんでありますが、これを私どもは繰り返ししたのは、その点松原技官からちよつと説明をして頂きます。

松原正業文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(松原正業君) 倉田さんから詳細に御説明がありましたから、私から申上げることがなくなつたような感があるのでございますけれども、補足的に御質問が出ましたなかなか首が抜けなかつたということについてちよつと御了解を得て御説明を申上げたいと思います。なかなかぬけなかつたという感じは周りの人は確かにお持ちになつたろうと思うのですけれども、このことは重心の、何と申しますか、移動によつて説明することができると思うのであります。丁度胴がこういうふうに立つておりまして、その上に三本の支柱を立てまして、チエーン・ブロツクをかけて頭部を吊し上げるのであります。頭部の重量は推定六十貫というのであります。その頭部の中心にチエーン・ブロツクの鈎がかかつておりますと、水平にずつと首が上つて行くのです。これは相当、こういう状態で首を吊し上げますと、短時間に、極く僅かな時間で軽く上つたと僕は信じるのでありますが、さつきかけたチエーン・ブロツクの鈎が、頭部の前方に寄つていたと思うのであります。中心から吊し上げる力が、六十貫の中心から前にかかつておりますと、こういう状態で首を吊し上げますと、首全体の重量が、垂直線に平行しようとして前へかしいで行くという運動を起すのであります。おわかりでございますか。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 とにかく非常に長い時間がかかつて、それは今の毎日新聞の記者ばかりでなしに、ほかの立会つていた人も同様のことを言つておりました。

松原正業文部技官(文化財保護委員会美術工芸品課勤務)

○説明員(松原正業君) 恐らく周囲の人も、私自身もそう思つておつたのでありますが、最後には強く捲いてくれということを私は申したのであります。それは抜けるという自信があつたのであります。なぜかと言いますと、前に吊し上げますと、首全体の重量が垂直線のほうに移動する運動を起すのであります。そういたしますと、丁度肩のほうの背面の方は、逆に重量がこういふうにかかりますから、かんでしまうのであります。前のほうが幾らか五厘くらいはあいて来るのでありますから、逆にこういうになりますから、うしろのほうに県の吉川という人に廻つてもらつたのでありますが、絶対に抜けないというようなことを言つたことがあるのであります。と申しますのは、逆にうしろのほうがかんで行つて、絶対に抜けないという形になるのであります。ところが前のほうは、僕は向つて左のほうにおりましたのですが、五厘ずつ、少しずつ上つて行く。ですから全部切れておるということを確認しておりますので、首が抜けるというふうな自信を持つておつたものでありますから、かまわず強く捲いてくれということを最後に命令したわけであります。そのときに大きな音を立てたというお話でありますが、これも倉田さんと僕が聞いたくらいでありまして、中ごろの士がずれて行くときに発した音で、亀裂が全部廻りまして、頭部の中に粘土が殆んどなくなつておりますから、空気が爆発するというような、そんな大きな音でなかつた。そういうような状態で首がなかなか抜けなかつたのでございますが、そんなふうなことでその問題は御説明尽きたのじやないかと思います。  それから倉田さんから細かく御説明がありましたから、私から申上げることはダブるような感じがありましてどうかと思いますが、ただ問題になつております鉄心のことについてちよつと一応鋳造の順序を申上げて御了解を得たいと思うのであります。あれだけの巨像を造りますときに、こういうように鉄心を立てるのでございます。真ん中に細く見えておるのが現在残つておる鉄心であります。こういうように鉄心を立てるのでございます。鉄心を立てるために、これの鉄心の何倍かの大きい鉄材を以て二本の支柱を立てるのであります。これが月光菩薩像はろう型でできておりますから、ろうの原型を空間に立たせるためには、中の型を持たせるための支柱がなければ、できないわけであります。どうしてもこういう支柱がこの鉄心のほかにあつたと推定するのは、恐らく間違いがないと思うのでございます。これができますと、この上に現在の月光菩薩の中の型でございますね、粘土で以て形を作るのでございます。これによつて最初の心棒が全部隠れてしまう。中の形を粘土でこういうものを作るのでございますが、これを中型と言つております。中型を造ると同時に、左右に丁度胴の脇から、笄と言つておりますが、これを何本も貫通させるのであります。こちらからこちらへ突き抜けておるのであります。笄と言つております。御婦人の笄と同じような役目をなしておりますから笄と言つておりますが、こういうものを何本も立てるのであります。これはこちらからこちらへ突き抜けておるのであります。これができますと、この中型に対してろうで以て現在の月光菩薩と同じ状態のものが、白く見えておるのがろうでありますが、こういうようにろうを添附して立派なお姿を造つたのでございます。これは大体調査した結果の想定図みたいなものでありますが、下がこういうように厚く造つてあります。足は全部むくであります。ろうで造られておるところは現在ブロンズ、青銅になつておるわけであります。これで御覧になりましてもおわかりになりますように、下へ参りますと、こんなに厚いのですが、それが上へ参りますと薄いのです。重量が、千百五十貫の重量があるのです。それに対して首は六十貫ですから、首のほうは薄く造つております。このことはろうのバランスをとるためであります。絶対に倒れないというようなことで、ろうを以て原型を造るときに、作者自身は熟知していたということが言えると思うのです。こういうようなろうの原型ができ上りますと、これに向つて「まるごめ」と言つておりますが、外から粘土ですつかり包んでしまうのであります。このろうの原型に向つて全部周りから粘土をかけまして、山のような大きなものができるのでありますが、それの中に笄が若干外に出ておるのでありますが、こういうようにして粘土で全部包むわけであります。詳しく御説明いたしますと、前面と背面のほうで、横のほうは笄がこういうように通つておりまして、前と後には「おきがた」と言われておるのですが、四角な型をろうの中に置いておくのであります。それによつて中型の目的は、中の型と外の型ですね、中型が前後左右に移動することを防ぐための役目をしておるわけであります。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 松原君の説明は、折角ですけれども結構だと思うのです。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 技術者としての両技官のお話は承わりましたが、文化財保護委員会としてどういうようにお考えになつているのか、又正式に委員会として、これだけ大きい問題になつているのですから、さぞ御調査になつていると思いますが、文化財保護委員会としてこの御調査の顛末を一応お伺いしたいと思います。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 月光菩薩の問題につきまして、事の如何を問わず、世間を騒がしまして誠に遺憾に堪えないことでございます。私最初吉野地震のことを聞きましたのは、丁度北海道におつた際でございまして、道庁に問合せましたところが、比較的損害が軽微であるということで一先ず安心いたしまして帰りました。事務局に問合せまするというと、事務局でも早速奈良県に電報を打ちまして間合せたようでありますが、その返事は極めて軽微であるということだという報告を得ましたので、一先ず安心しておりました。この問題につきまして、即ち鉄心を切つたという問題につきまして、私どもが注意を払うに至りましたのは、甚だおそまきであつたのでございまするが、私が奈良に参りました際、薬師寺に参りまして、橋本凝胤師に案内されまして、この仏体を見ましたときであります。その前に八代委員が八月の末であつたかと存じまするが、こちらに展覧会の用件で参りましたオーナー博士その他を案内して奈良に参られまして、月光菩薩の損害を見て帰られまして、私に話をされましたので、その際月光菩薩は実にみじめな状態にあるということを聞いたのであります。併しその際には鉄心が切られたということは伺いませんでございまして、地震のために非常に大きな損害を受けたというふうに私は伺つておつたのでありますが、鉄心を切つたということを知りましたのは九月の十七日かと存じまするが、薬師寺に私みずからが参りましたときであります、その際には先ほどこちらで問題のありましたように、極めて僅かな部分、橋本氏はやはり光つております部分を私に示しまして、これだけが附いておつたのだ、こういうふうに申されておられましたのであります。併しながら技官のとりました態度に対しましていささかも不満の意を表明するというようなことはございませんでした。どうせ附いておつたにしたところで、これだけのものであるので、更に地震でもあれば当然これは落ちる虞れがあるとか、或いは又傾く虞れがあるというようなことは橋本氏も承認しておられたと存じます。で、その際私どもは如何にもみじめな状態に仏様が置いてある、こう考えました。即ち床の上に首が胴から離れた仏が、横たわつておりまして、その上に汚い布団がかけてあるのであります。橋本氏に伺いまして、何とか方法はないものであろうかというようなことを申したのでありまするが、いやこれはやがて箱に納めるつもりである、こういうようなことでまあその点も安心いたしまして帰りまして、早速本間課長、並びに技官たちの意見を本間氏を通じて聞いてもらつたのでありまするが、その報告を聞きますることがいささか、出張そのほかの理由によりまして遅れておりましたのでありまするが、やがて先ほど説明がありましたように、この僅かに胴に附いておつたということは、これはただ破片であつて、すでに切れてしまつた部分が、離れてしまつておつた部分が胴になお接触しておつたということであつて、そうしてこれが摩擦のために光つたのだという報告を聞いたのであります。なお私は全くの素人でありまするが、素人考えで何とかああいう処置に出ないで、ほかにとるべき手段がなかつたろうかということを考えまして、素人考えではありまするがおよそ三つほどのことを申しまして回答を求めたのでありまするが、只今技官たちのお話のございましたように、到底そういう方法はとることができないとか、或いは又それは危険の甚だ多いことであるとかというような話を伺いまして、我々といたしましてはやはりこれを承認しなければならなくなつたのであります。併しながらかくのごとき問題をただ内部だけの意見を聞いただけで、そのままにしておくことがどうかと思いまして、本間課長に向いまして外部の諸君の意見を聞いたらばどうか、その道の専門家がどういう考えを持つておるのであるか、それを一つ徴して見たらばどうであるかということを申したのであります。本間課長も全然同様の考えでございまして、これは外部と申しまするかどうか、専門審議会の委員の一人でありまして、専門審議会では金工に関します唯一の人でありますが、香取秀眞さんの意見を聞いたということで報告を受けたのであります。香取氏はそのときの話では、その鉄心というものは、全く鋳造のためのものであり、これを切りましても仏の外観には何の影響もないものである、応急の処置として止むを得ないものとみなすと、こういうような御意見であつたと伺いました。で、私としましてはなおそのほかにその道の権威者の意見を問うべきではなかろうかという注意をいたしておいたのでございまするが、その後におきまして更に又二、三の専門家の意見を課長は徴したという報告を聞いております。専門審議会が開かれましたときに、やはりこれが問題になりまして、いろいろ議せられたのでありまするが、その際香取氏が立たれまして、特に自分の見解を表明せられたのであります。その説はちよつと私が本間氏を通じて伺つておりましたところと違いがあるように伺いました。この鉄心は二つの仕事をしているというように言われたように聞いております。一つは支えるという目的である、単に鋳造のためだけではないというように申されたように記憶いたしておるのでありまするが、たしか二回ほども、先ほど委員長の言われましたところの応急の措置としてこれを認めなければならんということは、私も同様に感ずると、こういう意見を述べられたのであります。そのほかの諸君の意見もいろいろございましたが、併しながらこれは他の専門家の意見でありまして、この席にありましたのは、この専門審議委員に列しておられました金工の専門家は同氏一人でありましたので、その意見を伺つていささか安心いたしたのであります。その後になりまして委員会におきましてたびたびこの問題を論じ合いました。殊に上野氏の私に対しまする書簡がございまするので、これを席上において読み上げまして、委員諸君の意見を聞きましたのであります。いろいろここでも議論が出たのでありまするが、その結果といたしまして、結局今回両技官のとつた措置は緊急止むを得ないものとして行なつたものであつて、これを承認しなければならんという結論に到達いたしたのであります。これは専門審議会以前から問題になつており、更に専門審議会以後におきまして又問題にせられたわけでありまして、この点は認めたのでありまするが、併しながら何と申しましても上司の指揮を仰ぐ時間がなかつたかどうか、この点が我々としては問題であつて、或いは緊急であるといいながらも、上司の指揮を受けて、そうして鉄心を切るなら切るという態度をとるべきではなかつたか、その措置を欠いておつた、その手続を怠つておつたという怠慢は、これを見逃すことができないのである、その点において慎重の注意を欠いておつたということは、将来のためにも、戒めなければならん、こう考えまして、委員会におきましては訓告に処すと、こういう態度をとつたのでありまして、直ちに両技官に対しまして将来を戒める。この両技官はその点につきましては、委員会のとりました態度を十分尤もなことだと認めたようでありまして、何の紛議もなく承服されたのであります。今日に至りまするまで委員会のとりました態度は、大体かくのごときものでございます。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 今の高橋委員長の御説明によるというと、両技官は一応そういう一種の行政処分に付せられたわけですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 行政処分とは言えないと解釈されると思うのでございまするが、将来を戒めるというだけのものだと考えられます。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 従つてこれは課長さんからでもどなたからでもいいのです、どういう手続で、どういう方法で戒めたのですか。

森田孝文化財保護委員会事務局長

○説明員(森田孝君) この問題につきましては、実は人事関係その他と事務的に協議をいたしました上で、委員会に対して事実と、それからそれに対しての国家公務員法及び官吏としての普通の戒め方、或いは懲戒の仕方の方法を協議しまして、そうして委員会を開かれまして何度も協議がありました。強硬論もありましたし、まあいわば何と言いますか、寛大的な意見もあつたのでありますが、結局多数によつて只今委員長が説明せられたような結果をとるべきだという決定になりましたので、従つてこの決定を文書にいたしまして、そうして委員長から両技官に対して口頭で申述べると同時に、説明すると同時に、その文書を渡して頂きました。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 そのことはわかりました。そうすると今の高橋委員長の報告では、その報告があつたときに、両技官はこれを肯定されたと、こういうことがございましたね。まあ止むを得ませんというような、抗議はなされなかつたのですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) ええ。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 いや、私はこういう訓告を受けるというような筋合のものではないというような抗議はございませんでしたか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 抗議と申しますか、私はたびたび両技と会いまして、他の方法はなかつたかということを申したのでありまするが、それに対する抗議は飽くまで受けたのでありますが、併しながらこれらのものを……。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 違うんです。私が申しますのは、その訓告を与えた場合に松原君並びに倉田君は、これは私はこういう訓告を受ける覚えはない、こういうふうにおつしやつたか、おつしやらないかということを聞けばいいんです。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) これはもう全然申されませんで、この訓告を承認されました。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 わかりました。そういたしますと、私ども調査員は非常に新たな問題をここで提起しなければならない。と申しまするのは、寺側と技官とが論争した場合においても、私どもはこの専門家の技官に対してなまはんかの素人流を以てこれを痛めつけるというようなことを言つたならば、今後こういう仕事をする場合に自信を持つてやらないだろう、それが一点、それから日本のいろいろな官僚機構におきましては、例えば具体的に申しますと、倉田君、松原君というような、そういう地味な仕事をしている人は普通の場合課長になるでなく、局長になるでなく、特殊な立場に甘んじて非常に犠牲的な仕事をなさつている。私はこれを知つている。そういう意味で私どもこの二人の、この松原技官の言うことを専門家の言うこととしてそのまま受取つて私どもはこの調査に当つたんです。その場合においても松原君は飽くまで自信を持つて、これは切るほかはないのだ、こういうことをおつしやつている。私どもはその技官が訓告を受けたなどということはたつた今まで知らなかつた。その松原君が訓告を受けて、委員会において何らこれに抗議しなかつたということになるならば、それは委員長を恐れて、そこで委員長に妥協して虚偽の態度をとつたか、乃至は調査に当つて説明する場合に虚偽の態度をとつたか、その二つの立場の一方において虚偽の態度をとつたとしか我々には思えない。従つてそういうことになつて参りまするというと、これは委員長がここへおいでになる前に、私はこの報告書の冒頭に申したことは、私は素人だからわからないけれども、とにかくあの生々しく切断された仏像を見たときに、我々調査員はもう言い知れぬ一つの妙な戦慓めいた気持で痛々しさで一ぱいであつたということを私は報告している。従つてそういうことになると、この問題はかなり私どもは違う角度からこれを見なくちやならないということをここで附加えておくんですが、これに関しましては後で結構ですから私は課長の本間さんからこれらについてのやはり見解を尋ねておきたいと思うのであります。前後は逆になりますけれども、この措置が妥当であつたかなかつたかということを上司に報告する、報告しないという問題で訓告をしたと委員長はおつしやつていますが、その問題が、その問題が一つとこういう措置が妥当であつたか、妥当でなかつたか、この問題を後に委員長の次に私は答弁を求めますが、話の筋上委員長に対する質問があつたら続けて下さい。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 今委員長に質問ですか。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 念を押したのです。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) ちよつとお答えいたしたい。両技官が私の与えました訓告に対しまして承服したと申したのでございますが、この訓告は先ほど申上げましたように、上司の指揮を仰ぐべきではなかつたか。これを怠つたという点において訓告をした。その点を両技官は認められたのであります。何の抗弁もなされなかつたのでありまして、応急の措置としてこれをとつた。止むを得ない措置であつたということは、その際は申されませんでしたが、私に対しまして何度となく申されたところであります。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 委員長はこの応急措置はもう止むを得なかつたと現在はお認めですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) これは私の意見と申しますより、委員会多数の意見によりまして、さよう認めた次第でございます。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 お尋ねいたしますが、今あなたの御説明を承わりましたのですが、この問題はあなたが御承知になつたのは九月の十三日だということを先ほどおつしやいましたが、そうなんでございますか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) そこの日時は後に調べますが、十七日ではなかつたかと思います。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 ところが、たまたま今日の芸術新潮を見ますと、上野君が書いておりますが、上野君はたまたま法隆寺に行つて、それが九月の六日に法隆寺でこのことを聞いて、自分ですぐに薬師寺に行つて知つた。こういうことがある。だから外の人の上野さんはあなたよりも先にそれを知つているわけであります。ところがあなたはこの文化財保護委員会の委員長であり、而もこの委員長はこの間の法律の改正によつて、あなただけはもう常任のかたであつて、ほかの委員は非常勤であるけれども、あなたは常勤のかたなので、この問題を聞かれたのはいつであるかというと、八月の四日なんです。八月の四日から九月の十七日まで常勤の委員長がどうしてそれを知らないのか。それは下のかたがこういう処置をしたのだということは、委員長に報告してなかつたのですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 鉄心を切りましたことにつきましては、先ほども申上げましたように、報告を実際受けておらなかつたのでありまして、私が奈良へ参りまして、薬師寺を訪いましたのは、はつきり記憶はありませんが、たしか只今申上げましたように九月十何日のことであつたと存じまして、それまでは私ども全く存じませんでございます。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 あなた御存じにならなかつたのは、下から御報告がなかつたから仕方がなかつたとしますが、そうすると、一体課長なり局長なりは、どういうわけでそれだけのことをやつたのに対して、一番大事な中心である委員会、これは局長や課長がやる仕事ではなくて委員会がやる仕事なんです。その委員会の委員長のところに、どうしてそういう報告をしていないのか。それを一つ伺いたいと思うのです。課長、局長の説明を伺いましよう。

本間順治文化財保護委員会美術工芸品課長

○説明員(本間順治君) 私がこの薬師寺の報告を受けましたのは、たしか八月の十二、三日のことであつたと思います。それで丁度その当時、補正予算を出すという全般的のこともありましたので、早速これを補正予算に組みまして提出をいたす準備をいたしたのであります。八月十五日に予算の説明を文部省の会計課のほうにいたしております。それで実は私もさつき倉田技官から報告がありましたように、首を下ろしたという電報をもらいまして、十分に私もその知識がありませんものですから、どういうふうにして下ろしたのかということは存じませんで、まあ普通に首を抜取つたものと実は心得ておつたのであります。それで倉田技官が帰つてから報告を聞きまして、私も素人でありますので、ほかに方法はなかつたものかどうかという疑問を持ちまして、いろいろ説明を聞きますと、先ほど申上げましたようなわけで、これは万止むを得ない措置であろうというふうに私は思つたのであります。それで日は忘れましたが、その後の委員会におきまして、或いは委員長御不在であつたかどうか、はつきり記憶いたしませんが、築師寺の首を下ろしたという御報告をしたと記憶いたしております。先ほど御質問がありました、この両技官に対して、課長がどう思うかという御発言がありましたのに対しまして申上げたいと思います。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 それは又別になるのです。局長はどうですか。

森田孝文化財保護委員会事務局長

○説明員(森田孝君) 私はその前の八月の確か二十七日だつたと思いましたですが、現場に参つて、八代委員の行かれる一日前だつたと思いましたが、薬師寺に行きまして、これは実は先ほど文化財保護委員会のほうのどなたかから御説明があつたように、私のほうは何遍も奈良に電報で県に問合せましたところが、被害僅少の見込という電報ばかりなんです。従いまして、私のほうとしては安心をいたしておりました。ところが橋本管長が来られまして、こうこういう被害があつたという報告かあつたということを本間課長から受取りまして、それで関西に出かけたついでに、薬師寺に行こうというので、私も行つて現場を見て帰りまして、その修理についての管長の希望も伺つて参つたのでありますが、私の帰りましてからのあれは、今問題になつております鉄心の切つてあるのもその場で見て参りまして、私ども御承知の通りそういう点については素人でありますので、これがいいとか悪いとかということは、実はわからなかつたのでございますが、只今相馬委員その他が感ぜられたと同じように、非常にいたわしい状態だから、あの状態に置くことは、信仰の対象であるものに対して非常に失礼じやないかというので、箱を作ることを急いだらどうかと、なお大蔵大臣に秘書官を通じて会いまして、とにかく修理復旧が先だ、従つて予算を予備金ですぐに出してもらいたいという折衝をいたしておりまして、私としては、むしろ復旧修理のほうに中心がありまして、鉄心を切ることそのことは、従来の私どもの聞き及ぶところでは、調査なり、或いは又その修理のために必要な指定物件の、例えば建造物の全部解体修理だとか、或いは仏像などにおきましては、虫の食つたもの、或いは又腐つた程度というものを調べる場合に、相当仏体そのものを破損と言いますか、傷めておる例もたくさん私ども見聞きいたしておりまして、それにつきましても、一、二もう少し傷めないほうがいいじやないかという問題あたりも、ずつと前にはあつたわけでありますが、今回もその程度の……、実は鉄心を切るという問題は、仏体そのものは非常に重要な信仰の対象であるけれども、鉄心というものはその指定したものではないわけであつて、台帳には載つていないわけでありまして、私としては鉄心を切るということが非常に重要ではあつても、それほどに…、修理の一つの過程として或る程度、重要さのあるものだというように実は考えておつたわけでございます。従いまして、何と申しますか、その問題について特別な措置を講じなかつた。私は現場に八月二十七、八日に行つた場合に鉄心が切られておることは知つておつたわけでありますが、委員会その他、上司に対してその問題を特に取上げて御報告するということはいたさなかつたわけであります。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 どうもそういう点、事務局と一番大事な委員長との連絡が十分でないような点が遺憾に私は思いますけれども、今日はそれ以上は追及いたしません。それからなほここで僕ははつきり申上げておきますけれども、私たちがここでこの問題について質問いたしておりますのは、寺側がどうだとかあなたがたがどうだとか言つて、どちら側の味方をしてやるというようなことは微塵もないので、この参議院の文部委員会は、この法案を作るのに当つては非常に熱心にやつた立場でありますし、こういう文化財に対しては十分な保護が加えられ、又地震等で傷んだような場合には、それができるだけよく復旧するようにと、そういう念願の下にやつておるのでありまして、我々の質問がどつか一方に偏るようなことは絶対にありませんから、どうかその点は誤解のないように一つして頂きたいと思います。併しながら、今のような問題が起つておる以上、様々な点で、どうもお尋ねをせざるを得ないと思うのでありまするが、先ほどの委員長のお答えでありますと、応急の措置として、これは認めざるを得ないという多数意見だということでありますが、そうすると、委員会の内部においても、これに対してまあ反対だかなんか知らんけれども、異論があつたということもあるのでございますか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 反対と申しますか、これにつ要して、いろいろな意見が交換せられましたことは事実でございます。そして只今申上げましたような点で決定いたしたのでございます。  それから附加えて申上ることをお許し願いたいのでありますが、私が鉄心を切られたのを知りましたのは、只今帳面をみまするというと、たしか九月十七日のことと存じますので、首を下したことを聞きましたのはその以前のことでございます。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 引続いてお尋ねいたしますが、この応急の措置として、委員会は多数意見によつてこれを認める、併しながら一方でもつて両技官のやたことは軽卒であつたから、これには戒告を加えるというと、何か先ほどの相馬君の質問と僕は関連するのですが、矛盾しておるような気がしますが、その点如何ですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) この委員会のとりました態度は、両技官が止むを得ざる処置としてとりましたその処置は、これを承認するのであるが、併しながらかくのごとき処置をとるに先だちまして、時間の余裕がありまするならば、委員会の承認を得なければならんものではないか、その点において慎重な注意を欠いておるのではないかというので、この点を戒しめる。そういうことでございます。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 そうすると、重ねてお尋ねをいたしたいのですが、これは応急の処置として止むを得ないというふうな、まあ多数意見だと言いますが、この地震がありましたのが七月十七日でありますか、そうしてあなたのほうから電報を出されたそうですが、軽微であつたという返電だつたと今局長のお話しですが、ところでこの薬師寺の管長があなたのほうにやつてきたのは、七月二十三日に保護委員会にやつてきて、至急あれについての修理をお願いしたい、或いは調査をしてくれというのだか、どちらか知りませんが、二十三日に来ておる。そうすると、本来先ほど技官が言つたように首がぐらぐらするほどであるならば、一体そこの管長が、十七日に地震があつたとすれば、もうその翌日にでも飛んで来なければならんと私は思うのですが、とにかく管長がやつてきたのは約一週間後の七月二十三日、そうして技官の人たちが出掛けて行つたのが八月の二日の晩かなんかで、向うについたのが八月三日の晩ではないかと思う。あなたのほうから専門員室のほうにお出しになつたいわゆる月光菩薩の被害についてという文章を読みますと、倉田さんはすでに六月のときに行つておつて、非常に地震のあつたことでもつて愕然とした、これは前にお出でになつて、すでに筋がついておつたというのを見ておつたあなたとして、さぞかし御心配になつたのだと思います。そういうあれからしますと、早速にこれはやらなければならんはずだと思うのであります。あなたは旅行中だつたそうですけれども、委員会としてはとにかく二十三日に管長が来てあれしたとすれば、できるだけ早くこの調査に出さなければならんのじやないかと思うのでありますが、それが出て行つたのは又かなりあとになつて、翌月の三日に向うに到着したというと、この問題に関しては、管長が出て来たのも、それから保護委員会のほうから出て行つたのも、これはいろいろ準備がありましようけれども、かなりゆつたりしたものだ。そうして向うに着いたのが三日であつて、今度首をお下しするということは、着いた翌日の四日にはこのお首を下すという作業をしている。それは応急の処置だと皆さんはおつしやるのでありますが、果して応急の処置かどうか、私はそこに疑問がある。で、七月十七日に地震があつたとして、その後余震がしばしばあるというふうな場合だつたら、これはもう本当に行つたら、すぐ翌日そういう作業をしなければならんでしよう。ところが出て行くのはかなり遅い。報らせるのも遅い。出て行くのも遅い、併しながら行つたら、もう忽ちにしてその翌日に首をお下しするということは、本当にそういう応急の処理が、地震が盛んにあついたというならば仕方ないでしようが、私はあちらに行つて聞いてみると、あの当時余震があつたということは聞いておりません。それを翌日にはすぐ首をお下しするということは、一体どういうことか。それは本当に応急の処置なのかどうか。技官のお話だと大分首がぐらぐらしている或いはもう前から離れているという話だから、動くということもありましようが、併しながら鉄心が入つているのであつて、その鉄心を抜出すには、先ほど話したように、中のこめ物がしかりついておつて、容易に上らなかつたものと私たちは聞いている。あなたがたの言うように簡単でないように私は少くとも聞いている。それからこの間、二十日の日でしたか、専門審議会において高橋さんが同じような答弁をされたに対して、村田さんというのですか、京都大学の建築のほうの教授のかたが、それは子供騙しのようなあれじやありませんかというようなことを、委員長に対して言つていることを、私は仄かにその席におつた人から聞いております。専門家の人でも、あの鉄心があれば、多少それは動いておつたかも知れんけれども、あそこで以てどうしても切断しなければならなかつたかということは、相当に私は問題になると思う。それから又倉田さんの意見によりますというと、大分皆さんに相談をかけられたという先ほど答弁がありましたが、果してその通りであつたか。あそこには五重塔やなんかの建築のほうのことで、建築部門の人もいたはずだし、あなたがたのほうで、どれだけのそれに対するあれをしたか。どうも協力しなかつたようなことを聞いているのでありますが、少なくとも首を切断する前に、これはこの首は揺らぐけれども、何らかの養生を加えて、これを横にお寝かせする方法をどうして考えられなかつたか。余りにも修繕というほうに力を入れられて、そうしてほかの方法を考えることをしなかつたのじやないか。さつき委員長は素人考えとしては、ほかに方法があつたのじやないかということを言われるのですが、私も素人考えとして、いろいろほかに方法があつたのじやないかと思うのでありますが、そういう点についてもう少し考える余地があつたのじやないか。それから又地方の人たちの意見を聞きますと、あちらにはこれに関係の深い博物館もあるし、文化財保護課も県庁にあるし、そういうものにも余り御相談はなかつた。むしろ何にもされてないということに対して、恨みというか、不平を僕らは聞いておりますが、さつぱり、これだけの大事をやるのに対して、あなたがたは専門家だから、一つの自信はお持ちだろうと思いますが、併しながらその自信が少し強過ぎて、よく言われる官僚独善みたいな、あなたは官僚というか、技官というか知りませんが、一つのそういう、これはこれが一番いいんだというふうな考えが先にあつて、そうしてほかの場合をもう少し考慮されなかつたのじやないか。そういうような点で僕は今度やつた処置が本当に緊急止むを得ないことであつたかどうかということについて、私は疑問を持つております。その意味で委員長はそれを本当に是認されるのか、今のような疑問に対してあなたはやつぱり是認されますかどうか。その点を伺つておきます。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 只今のお話のありました点で、最初村田氏が専門審議会の総会におきまして私に質問されました点、これはそののちも他に列席しておられました諸君に伺つたのでありますが、どういう意味の質問であつたか私ちよつと掴まえかねたのでございまするが、私は大体、この地震と建築物、今の彫刻そのほかのものとの関係につきましては委員の中に内田祥三氏のような建築の専門家がおられるのであるから、建築の専門家からの答弁を希望する、こういうふうに聞いておつたのでありまするが、内田氏は答えられませんのでございまして、そのままになつてしまいまして、村田氏も深く追及することなくして終つたのであります。大体そんなふうに考えております。  それから只今最後にお聞きになりました点でありまするが、先ほど来、申しておりまするように、委員会におきましてもいろいろないい意見が出まして、これが交換せられましたのでありますが、かくのごとき決定をみました以上、やはり両技官のとりましたものは、この決定の文章を読みまするが「両技官が止むを得ざる措置としてとつた措置は、これを認める。」こういうところに到達いたしましたので、やはりかくのごとくお答えいたさなければならんと存じます。ただかような措置をとるにつきましては、事前に当委員会の指揮を仰ぐべきではなかつたか、その点において将来を戒めた、こういうようなことに決定をみました次第であります。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 それじやちつとも答弁にならないでしよう。私が聞いているのは、そうきめられたとこういうのですけれども、余震がどんどんあつて、したというようなら仕方がないが、余震はあのときないのじやないでしようか。それにもかかわらず、そういうふうなことをやつて行くのをどうして委員会は適当だと認めて行くのですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) この点、余震がもうなくなつておつたということは事実でございます。併しながら両技官が参られまして、そして、事の重大性を調べまして、一刻もこのままにしておくことはできない、こう考えまして、応急の措置として、ああいう態度をとつたものであります。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 だから応急の処置は、あれ以外にないということは言えないでしよう。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) あれ以外にない。これは止むを得ない処置であるということは、委員会の認めたところなんです。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 それなら譴責する理由がなくなつて来るのじやないですか。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) 委員会に対して、止むを得ざるものとしてかくのごとき措置をとるからしてという、この指揮を仰ぐべきではなかつたか、その点において……。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 勿論それも当然仰ぐべきなんですよ。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) その点において注意が欠けておるからして、この点を、戒める、こういうことなんです。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 指揮を仰ぐべきだつたと認めるならば、もつとそういう点はそれで済むのかどうか、もう少しあなたのほうとして考えなければならん問題じやないんでしようか。矛盾しておるというのはそこなんです。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) もつと何と申しますか、厳重な刑罰と申しますか、に処すべきである、こういうふうに……。

山本勇造緑風会

○山本勇造君 私は刑罰をしろとか何とかいうのじやなくて、こういう問題が一度あつて、これは応急止むを得ない処置であるといつて、そうして現場のことはもうあとからじやわからないのですから、そうすると、現場で応急止むを得ない処置だといつて現場の人がしばしばやるようなことがあると、これが一つの前例になつたら、とんでもない話だ。この点非常に我々は心配する。

高橋誠一郎文化財保護委員会委員長

○説明員(高橋誠一郎君) かようなことのないように訓告するということなんですが、又事情によつては重く処分するようなことが将来ないとは申せないのでありますが、この場合においては先ず訓告程度にとどむべきものではなかつたか、かように考えた次第であります。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 私はその問題は非常に重要だと思うのです。それで私は倉田君や松原君をそういうふうにして訓告したということを予想していなかつた。又これは委員会がこれらの技官をこういうふうにして訓告するならば、するだけの委員会の反省の上に立たなくちやならんと思うのです。こういうのを読んでいいかどうかわかりませんが、而もこれは山本先生から今お借りしたのですが、この「芸術新潮」の中に、上野さんの申しておられることの中に、こういうことを申しておる。委員会のことを述べて、「稀れに会合して、各自の責任があるやうなないやうな、お互に人任せにすることになり、しかも多くが其の道の素人なのだから、結局は事務局の専制になり、委員長の盲判といふことになり易い。」その次ですね。「今回の月光の首切りの如きも、委員会の責任において欠くるところがあつたからだと私は思ふ。委員会がのんきにやつてみるために、事務当局や技官達の方で、勝手に仕事する習慣ができてしまつたのであらふとおもふ。」こういうふうにやつて来るというと、私は松原君や倉田君がやつたことが妥当であるかないかは、先ほど言う通りにわかに断定できないと私思つておるのですが、お二人の気持から言うと、この程度の訓告だからまあ盾ついても仕方がないから黙つて聞いたが、肚の中では意外に思つておるのじやないかと思う。又、側から見ると、それが軽過ぎるという意見が出て来る。いわば、私がここでお聞きしたいのは、委員会において、委員長はこの問題に対してどこかの筋に何らかの責任をおとりになる考えはございますでしようか、それを一点伺つて置きたい……今の質問ちよつとやめて、それと同じことを局長にお聞きします。局長はこの問題であなたの下僚の二人のものが懲罰されて、一種の軽いけれども……。これに対して妥当であるというふうにお考えですか。それともこの問題についてあなた個人として現に何かこの問題に連関してお考えの点がございますか。なお、委員長に対するどういうふうに責任を考えるか、ということは撤回いたします。局長にお聞きいたします。

森田孝文化財保護委員会事務局長

○説明員(森田孝君) 私は今回のこのことは、だんだんと外部なり内部なりの専門の人々から聞けば聞くほど、非常に問題であるということはだんだんわかつて来たわけであります。それで鉄心を切るということ、そのことは私は当初においては我々のほうの技官が調査をし、或いは修理する場合において、これを非常に何と申しますか、許可とか或いは協議とかいうことで縛つて、事務の能率を落すということは、これはよくないことだ、併しながら技官が多年同じような仕事をやつて慣れる結果、これは慎重さを欠いて来るということも、他面においてよくないことじやないかというふうに考えたわけでして、今回の鉄心を切つたという件に関しては、両技官は、文化財保護委員会においては、先ずこの仕事において携り得るという最も適当な人であると同時に、華意この人々が責任を以て処理しなければならんものであると考えておりまして、従つてこの出張についても、そういう意味で私も同意を与えたわけでありますが、その現場におけるところの処置が、私も又両技官の報告書なり或いは、説明を聞き、そして又現場を見せて頂、いた結果において、両技官のやつた措置というものが、あの場合において両技官が現場における人々で、とにかく応急と申しますか何らかの処置をしなければ東京には帰れないという気持になるということは、担当の責任を自分で負つているというその責任感で現場に行つておる技官は、この両技官でなくとも、来た以上、ともかくこれだけの処置をして帰らなければ、我々の責任を果せないという気持で、あれを処置したということは、私は各技官が現場に行つたときの責任感を持つている人々の責任感から言つて、先ず考えられるだろう、こういうふうに考えたのであります。併しながらこのような事の重大なものについては、将来ともやはり成るべく他の最善の方法を、よりよきいい方法があるがどうかを、一応自分としてはこういう以外にないと確信しておつたとしても、電報なり何なりで指示を仰ぐというような、将来ともそういう習慣をつけるのが、事を慎重に運ぶという点においていいのではないかと考えまして、私どもは勿論委員会に対して、処分については、これは事実でありますが、一言半句も口には出しておりません。従いまして、それについて私は事務当局として批判をする立場にないのでありますけれども、先ず適当な結果であるというふうに、これは個人的な感じでありますけれども、一応考えておつた次第でございます。

相馬助治日本社会党(第二控室・右)

○相馬助治君 ちよつと速記をとめて下さい……。

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 速記をとめて下さい。    午後五時二分速記中止    —————・—————    午後五時二十五分速記開始

若木勝藏日本社会党(第四控室・左)

○委員長(若木勝藏君) 速記をつけて下さい。  本日の委員会はこれで散会いたします。    午後五時二十六分散会    —————・—————

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