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15回国会参議院1952/12/06

厚生委員会母子福祉に関する小委員会 第1号

発言数
61
登壇者
6
会派数
4
開催日
1952/12/06

会議録

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) これから母子福祉小委員会を開会いたします。  本日は委員のかたの御要望もございまして、混血児の児童施設をやつておいでになりまする沢田みきさんが最近アメリカから帰られましたので、沢田さんに御足労願いまして、アメリカにおいでになりました模様なり、いろいろこの混血児の問題につきまして御意見を伺うことにいたしましたのでございます。  厚生委員会は御承知のごとくすでに混血児の問題を取上げまして検討を加えて参つておつたのでございますが、当小委員会におき」ましてもこの問題を本日御検討願うと、こういう次第で、参考人として沢田さんに御出席を願つたのでございます。で、これから沢田さんのお話を伺うのでございますが、最近沢田さんにはアメリカにおいでになりましたので、訪米の目的、或いはその御旅行の結果等につきまして一応お話を、お土産話を承わりまして、又沢田さんの持つておいでになりまする混血児の育成の御方針等につきましても御開陳を願いたいと存ずるのでございます。お話を伺いましたあとで各委員のかたから又御質問をお願いいたしましてお答えも願いたいと存じます。それではそういうことから一つお話を承わりたいと存じます。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 何か大変嚴めしいように思いますけれども、要するに旅行の日記のような工合にお話いたしたいと思います。  私が今度アメリカのほうに参る決心をいたしました一番大きな原因は、過去四年半の間、二百三十一名の子供を私ども扱つておりました。その二百三十一名のうち四十名がこのアメリカの家族の日本に進駐している家庭にもらわれておりまして、これが両親が両方がアメリカに帰ることになりまして、向うの入国の手続が、議会を経て大統領の最後のサインを頂いた紙が来て、無事に入れましたのが約十六人しかおりません。で四十名のうちの十六人を除くほかはまだ日本で待つておる。一期任期を延しますのは六カ月で、一番長いのは三回まで延しまして、十八カ月延している。アメリカのほうでは早く帰つて来いと言うし、帰るだけの資格もできておりますけれども……、殊に又アメリカなんかに家族が、病人がある、早く帰りたいけれども、この子供を置いて行くのは嫌だというようなことで延しているというようなかわいそうな事情の家庭もありました。それからそのうちの六名はとうとう最後にシックス・マンス・エクステンシヨンが取れないものですから戻されて来ております。これはいずれも一年半以上アメリカ人の家庭におりましたので英語もでき、言葉の習慣もすつかり馴れて参つております。それが又もとの孤児に戻つて、その六名の孤児を成るべく英語を忘れないように向うの習慣を思い出すように一ところにまとめて置きました。それでお互いに英語でも話合えるかと思つておりました。そのうちに初めは揺籃の中から最初に目を醒ますと、ダディ、ママと英語で呼ぶ、それから日本食を出しますと捨ててしまつて、まずいと、ノー・テーストと言いますし、風呂に入れると、シャワーを浴びると大騒ぎで、しかたなしにお湯を如雨露に入れて頭からかけてやつていた。だんだん英語を忘れてしまいまして、もとの孤児のタイプに戻つて参りました。で両親のほうはまだ一生懸命手続を踏んで、あらゆる方面に運動して、最後のビルが取れる準備まで未だにいたしておるようでございます。今度その努力している親に二、三会つて参りましたし、そのほうの係の法律家のかたにも一緒に行つて話合つたのでございますけれども、やつぱりむずかしいというので、それでこうしたことが……、同時に又八十五通の手紙が私がアメリカへ参ります前にホームに参りまして、いずれもアメリカで早く子供をもらいたい、子供があるのですけれども、やつぱり自分たちの責任として、東洋に残した混血児、自分たちの家族の混血児をもらいたいという、非常に動機も嬉しいわけでございます。そうしてそういうのが八十五通来ていました。それがどんなに調べましても、私どものほうのホームの顧問弁護士のロイ・モーガンと相談いたしましても、両親が向うに行つて、太平洋を隔てて日本に子供がいるときは、それは連れて来られないということがわかりました。こうしたことが私が今度行く一つの原因です。  それからもう一つの原因は一人々々を見ておりますと、日本人と違つた個性を持つております。で、智能指数……、昨日も実は講演のときにお話したのですが、知能指数は一番高いのは日本の子供以上にずつと高い指数を示しております。それは全体から見ますと低いのが多いのかも知れませんけれども、高いほうになりますと、一三九から一四一、これはスタンブード・ピネースケールで測つたわけであります。ですから一人々々の子供を見ておりますと、何かまとまつて特殊の智能のほうを伸ばして行けるのじやないかという気持がする。同時に日本政府は満十八才のときに援助が断たれてしまつておるわけです。それから同時にそこから施設を出なければならない。満十八才から一日たちますと、翌日から自給自足で外北出なければならない。それにはやはりその個性の特殊のあれを活かしたパンの道を見付けてやるということが、長い計画を持つた孤兒院としての使命じやないかと思う。それにはやはり私は今まで、小学校に行くまで、本格的の教育に至るまでは、何とか頑張つてやる、赤ん坊として扱つて行かれたのですけれども、来年就学期を迎える、ここに参りますと、今度は共同で何かの協力が必要です。それにはやはり父親の国から、父親の責任の半ばを分担する。全部押付けるという意味じやなくて、私のほうの責任もとる、向うからも責任をとつて頂く。教育期に入つたところで一つお父さんの国に帰す。これが第二の大きな渡米いたします原因でございます。  で、最初に向うに参りまして、ニユーヨークにちよつといたのですが、丁度グルー大使がヨーロツパから戻つていらつしやいまして、直ぐ来るようにおつしやつてれワシントンに出かけました。ワシントンでいろいろなつてを求めて、国務省極東課長が、横浜にこの間までいられた総領事のジヨンスンだつたものですから、大変顏見知りで、うちのホームにもたびたび来て頂いたことがあるものですから、話しよくて、そこから又紹介状を頂いて、ユナイテッド・ステーツ・デパートメント・オブ・ジャスティス、日本語で何と言いますか、エミグレーシヨン・アンド・ナシヨナリゼーシヨン・サービス、これは別な建物でございましたけれども、国務省の中にある。そこに参りまして、そこに七人ほどの弁護士たちが集つて、この移民法というものの解釈だの、私のほうのこういうふうに変えて頂きたいというようなことをそこで提案して、まあ二日ほどそこで話合つたのでございます。  それは私のお願いしたわけ、これはまあ過去四年半の間この養子問題を取扱つて、いつでもいろんな隘路にぶつかつたり固い扉に当つたりすることから割出したことでございますから、法律的に或いは幼稚だつたかも知れませんが、これはもらいたいという親達とも話合つた点で、一つのコングレスのプライベート・ビルは、或る一つの州から選出された、自分のレジストしてあるところの州から選出された代議士が取扱うプライベート。ビルは一人しかとれない、一つのビルで一人移して、それが八カ月から長いのは二年二カ月までかかつてとつております。それですから若しできればこのプライベート・ビルの一つというので五人、十人というものを入れて、一度に同じステートから来たのを取扱つて頂きたい。それからこの別のコーター、百八十二の日本の、今度新しくできたコーターというのは、最初に二世の年取つた両親を迎い入れるというのに優先権がある。それからその家族、日本籍を持つている結婚した妻というのがその次にあるので、結局この子供たちに来るというのは何年か待たなくちやならないというような様子でございましたものですから、特別な別の枠を作つて頂きました。で、進駐軍の進駐中にアメリカ人を父親として生まれた子供は日本ばかりでなくヨーロツパでもこれが養子を望まれて、その望まれた家庭がクオリフアイド、資格のある家庭と認められたときに、証明されたときにはこれを入れて頂くという途を、別なコーターで入るということを開いて頂きたいというのが、それが私の大体のお願いしたことです。それはいろんな書類に書いて下さいまして、今日は持つて参りませんでしたけれども、お届けしたほうがいいと思います。それでそれを持つてまあ向うへ出かけたわけです。ユナイテッド・ネーシヨンズにも参りましたし、それから国務省あたりにも当つてみたのでございますけれども、結局政府側は輿論が動かすので、小さな声の集つた大きな声というものによつて動かされるのだから、それを作つて来ることが一番大事だと、で又この子供たちを受入られるのは移民法を改正する以外にはないということをはつきり私にも知らされたし、又そこで討議をした結果そうだということに帰着いたしました。  それからこのマツカラン・ローがアダプテイブ・チャイルドということが入つておりません。そこでこの子供たちは養子である場合は、今度の新しい、一月から施行されるあの新らしいアクトでも加えられていないということがわかつたわけなんです。それと同時に今進駐軍がしきりに日本のほうの手続を先に済めばそのマツカラン・ローで入れるというふうに皆錯覚を起しておりまして、私が立つ前後からもうつて行つた子供は、皆先に日本籍を抜いていらつしやつているのです。ですから向うへ行つても翼に入国許可で一年か二年たつてから漸く、住んでから市民権を頂けるのですから、その間にはステートレスという国籍のない者になつている。これは直接に関係のないことかも知れませんけれども、私どものほうのホームでできた結果で、体験したことで、国籍のない、籍のない子供が死亡したときに、埋葬許可もそれから火葬の許可もできない。それでまあこのもらわれた子供たち、そうして日本籍を抜いてもう向うに、日本側の手続がすでに済んでいて書類も向うへ持つていらつしやるのは皆元気でございますけれども、万一日本にいて死んだ場合に、これをどうするのだろうということを考えて、その特別に日本籍を拔かずに、それから又アメリカの籍がすぐ頂けるというようなそういう何が、そこで若し死亡した場合に、これを処置することのできないようなことにならないことができないでしようかということもお話したのです。これはやはり経験のないかたはすぐぴんと来ないのでございますけれども、私どもは受取つて約三日間くらいで死んでしまつた子供があるのです。そのとき親が籍を入れない、私どもも病気で弱つておりまとたので、すぐ籍の手続はしたのでございますけれども、その籍のできる前に亡くなつてしまつて、実は大騒ぎしたことがあつたのでございますが、これも何かこの改正のときにはつきりとして、どつちかの国籍をすぐ持つというようなことのできるという前堤の下に何か規則をきめて頂かないと、若し死んだ場合にどうなるかということも考えなくちやならないと思うのです。それからこのユーナイテツド・ネーシヨンズのほうも、国連のほうも国務省のほうも、ほかのこうした移民局も、帰化のほうの関係のかたとも話合つて、結局この私のお願いしたことは、或いは大きな輿論になつたら変えられることができるだろうというので、じやその輿論を作るためにというので、シカゴ、シテイからずつとキヤンサス・シティに参りまして、それからダラス、エルパソ、サンアントニオ、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ハワイと通つて来たわけです。それで大体今度は、十八才になつて一人立ちが子供たちでできるような特殊技能の教育、孤兒として何かこう誇りを持たしてやりたい、すぐパンの途を見付けることができるようなことにしたいという教育をするための教育」資材、或いは学校の建設、建てるための賞金をということをもう一つの目的として、それからできるだけ移民法も変えろという輿論を起すということ、こり考え、この二つだけでずつと参つたりでございます。結局私に一番力強くての運動を、新らしい大統領ができ次第、始めようと言つてくれたかたが、そうして向うの、アメリカのほうの委員となつて、いつでも連絡して行こうという約束をして下さつたかたがたは、これはまあ單にエリザベス・サンタース、ホームとしてもお願いしたし、又同時に日本全体の混血児の福祉のためにということで承諾して下すつたのでございますが、これはナシヨナル・アドヴアンスメント・オブ・カラードリースというので、有色人種前進運動と申しますが、これは非常にアメリカに力がある運動で、非常なインテリな、カレツジを出たような黒人たちのグループでございますが、それのロイ・ウイルキンソンスというニユーヨークにいる人です。どこへ行つてもこの人には皆感心して、非常に信望のあるかたです。それからウィリアム・ルーズという、これはちよつと青年団のような、ナチスみたいなああいうものじやないのですが、青年団の黒人の運動者のグループです。それのウィリアム・ルーズ、それからこれはもう一人は婦人で弁護士で法学博士で、何か博士の肩書を三つ持つておる婦人でございますが、カロリン・サイモンス、これは今ニューヨークで、ステートとしては、アメリカとしては最初にできた差別撤廃法と言うのですか、ニューヨークで初めて施行された、今度このコミッシヨナーとなつたかたでございますが、アンチ・デイスクリミネイシヨン・ローと言うのですが、そのニユーヨーク・ステートのコミツシヨナーで、この頃は黒人も教養のある、そして少しちやんとした財産のあるのは、今まで住んでいたハレム以外に住むことが許される、それを拒絶したほうが訴えられるというような今度新らしい法律ができたものですから そのほうのコミッシヨナーとなつている。それからもう一つこの家庭裁判所のジヤツジ・デラニー、デラニー判事は、殊にこの黒人の子供の犯罪を非常に取扱つているかたでございます。これも、このかたは別に更に黒人の大学のバイス・チエアマンを二つしていらつしやる。それと同時にハーワード・ユニバーシティ、これはワシントンにございますが、ここにドクター・ジヨンソンという総長がいる。この二人が、将来日本籍のある黒人の子供の優秀な者にこれから十年たつて試験の通つた資格のある者は残らずスカラーシツプを下さるということを約束している。これは日本人として引取つて、日本人として教育を受けさせ、日本に帰す。或いはその間に若し問題が起つたときは努力しましようということでございます。それからパール・バツクが御承知の通り東洋で育つて、東洋にはアメリカ以上の執着を持つて、理解もあるのでございます。自分自身が三十五名のアメリカで生れた混血児、片親を東洋人としているところの混血児の私生児ばかりを三十五人養つている。やはり混血児であること、私生児であることは、アメリカでも一部に容れられないので、殊に東洋人の混血児、これはアメリカに籍を持つておりますが、日本人とアメリカ人のが七人、みんなアメリカの家庭の養子にされたということで、パール・バツクも何か委員会ができたときに、自分も顧問なり委員なり、何でもなつてやるということを約束しております。それからアメリカン・リージヨン、これは何と訳しますか、在郷軍人協会ですか、在郷軍人のグループ、アメリカン・リージヨンと言つておりますが、このほうへも呼びかけて、混血児に関する限り、この子供たちは自分たちのほうで何とか考えよう、資金のことも考えようというので、一応全米のチェアマンのミスタージヨンスンというのにお目にかかりまして、これを私は東京のほうの、日本のほうの報告を出すお約束して、出した上でこれは資金的にも援助しようということを約束して頂きました。それから今アメリカで一週間に三側以上ラジオ或いはテレビジヨンで放送しているドクター・シアーキーという、これはワシントンのメソジストの一番大きい教会で、アメリカ全国で、集る大衆がいつでも一度に一万人を欠けたことがないというような、これはメソジストの牧師さんでございます。それからもう一人は、これはワシントンでございますが、ロスアンゼルスのドクター・パルマーというのはテレビジヨンなりラジオなりで殆んど毎晩やつておる。そこから呼びかけて、混血児の問題を何とか援助したい、このかたがた、今申上げた名前は全部私どもワシントンで討議したイミグレーシヨン・ローを変えるという運動を約束して下すつたかたがたで、同時に資金面のこともそれからスカラーシップ……。もう一つは黒人の大学が三つ、白人の大学の総長ドクター・キープラー、去年日本に見えたかたですが、ヴィスコンシンのリツポンのカレッジ、そこでも資格のある白い日本人混血児は、今後十年から十五年の間に数を制限しないで見て下さるということでございました。  それから財団のほうはペスタロッチ財団というのがニューヨークにございます。フォード財団はロスアンゼルスからちよつと離れたパサデーナにございます。ドクター・ハッテンス氏、カッツ氏というのは、一月の中頃に視察に日本に来るので、プログラムを見たのでございますが、その中に、私が参りましたときに初めて混血児の問題で、混血児のほうのことも見てくれ、視察し、それによつて何かしようということをプログラムに、すぐそこで委員会を開いて入れて加えられた。来月中頃には全員、ぼつぼつ二、三人日本には見えているようでございますが、正式に混血児問題を視察したいということで、その上でこれは財政的の援助を約しております。それからもう一つ、ミスター・フリンと申しますのは、これはケアの全米のチェアマン、このかたも物質的に何かしら財政的にこの混血児に対してしよう。  結局今までお話いたしました場所では、殆んど混血児が日本に生れているということを知らなかつたところでございます。それから多少生れているかも知れないけれども、そのどれだけが問題化されているかということを知らない婦人会が随分多かつた。で、これはアメリカのほうで極力カバーしていたわけでございまして、成るべく耳に入らないように、私もそれはたびたび直接経験したことでございますが、声を挙げることはできず、囁くくらいで混血児問題は話していた時代が進駐中にはあつたわけでございます。私どもテキサス、カンサス州の中部に参りますと、混血児の存在などというものは殆んど知つてない町が随分多い。私も今度は僅かな時間で、たつた三カ月、一所に長くてニューヨークには一月おりましたが、あとは一週間から十日の間で、ずつと駈け廻つておりまして、思つた通りのことはできませんでしたけれども、ラジオとかテレビジヨンとか、或いは各団体を訪問したり、それから海軍と陸軍の基地で、将校婦人会にありのまま話していいという許可で話した。そこも全国の将校婦人会に対して呼びかけようということになつた。時間が許せばもう少し具体的なまとまつたこともできたのでございますが、大体或る種を播いて来たと思います。そしてアイゼンハワーが大統領になつた暁は、アイゼンハワー自身も東洋にいて、この問題は目で見ていらしたことですし、又ヨーロッパあたりでもいろいろ問題になつたことを見て来たのですから、その運動を約して下さり、移民法に対して何とかしようという約束をして下すつたかたが新らしい大統領に出られるのを待つて、この問題はアメリカの恥だから、どこまでもアメリカが半ばは責任を持ちたいということ、持とうということは、殆んどそれに反対をした人は二、三の石油成金か何かの奥さんとその問題で言い育つたことはありますが、それ以外は全部が責任ということをはつきり考え過ぎるほど考えていらつしやいました。大体こんなようなことで……詳しいこり名前とか番地とか、団体の場所とか地位とかいうものは全部パンフレットや何か持つておりますからいつでも……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 有難うございました。委員のかたから一つ何でも御質疑下さい。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 非常に不幸な子供たちのために、御熱心なる先生はアメリカに交渉においで下さつたことを誠に有難いと存じますけれども、例えば移民法を改正してもらうことにつきましても、或いはその父のはつきりいたしております子供に、その父に養育料なり教育費を分担させる義務を法的に認めてもらう手続にいたしましても、その他いろいろなことにいたしましても、結局は最後はやはりアメリカの政府が認めないことには仕方がございません。法律で通過いたさなければ仕方がないことだと存じますので、先生のように世論を喚起されるお働きも勿論大切でございますけれども、直接日本の政府からアメリカの政府のほうに交渉してもらうようなお手続は只今までおとりになつたことがございますのでしようか。若しおありだつたといたしますと、その経過がどういうふうになつておるでございましようか。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) その今の深川委員にお答え下さいますのに関連しまして、私も直接承わりたいと思うのですが、あなたのお考えでは、結局日本政府におきまして、外務省におきまして何らかとるべき手段といいますか、何かあなたの御要望のことがございましたら……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) これは非常にデリケートなサイコロジイーの問題でございまして、理窟があるからと言つて正面から斬り込んで行くと却つて成功しない場合が多いのであります。この問題は非常に向うに痛いところなのでして、むしろアメリカ側の輿論によつて動かすことが一番いい問題じやないかと思いまするで日本政府のほうから責任を半ばとれということ、それはもう勿論立派なことでございましようけれども、そうすると向うにいやと言われたらそれつきりの話なんです。敗けたじやないか……これは私も今度たびたびやり損つて苦い経験をしたのです。ああこう言うんじやなかつたというので、やはりそういう、パール・バツクなり、ああいうかたがたに、やり方とか向うのサイコロジイーなんか御説明して頂いたんです。私がユナイテッド・ネーシヨンで失敗したわけは、最初に混血児達の養育は父親に責任をとつてもらいたい、十八才まではパンの途を切り開かれることはお父さんの国から半ば手伝つてもらいたい、例えば特殊学校の資金なども……初めからお金から切り出したのであります。半分は父親の責任である。ところが立ちどころにやり損つてしまう。二度と言つても取りつぐ島もないのです。結局私どもは軟弱外交の中で教育された時代のものでございますので、或いは軟弱かも知れませんけれども、持つて行き方によつては向うが引つかかると言つては悪いですけれども、それで私はニューヨークで弁護士達に、とかく戦争中も進駐軍のいる間も、或いは財閥整理委員会とか、私の家も二、三軍のほうに取られたりしているろいろここまで不平が募つておるのを、マッカーサー政策に爆発させたいことがたびたびあつたのでありますが、そんなことでやはりやり方を相談をしに参りましたときに、できるだけあなたは日本人が一人で重荷を負つているようにして持ちかけなさい。向うから自分達の責任だというふうに仕向けなさい。事が面子の問題で、あなたが大見得を切つてしまうということは問題だということを言われたのであります。若しこの子供連の長い将来のことを考えるのでしたら、やはりやさしく持つて行つて、向うの心に思い当ることが十分あるのですから、そこへ持つて行くのが一番いい。ルーズベルトにしてもパール・バツクにしても、檄文が日本婦人団体から飛んで行くそうですが、殆んど秘書に持つて行かせてしまつて、現に私が行つているところにもどこかの団体から来ておりましたが、目も通さないし、文句すら一つも覚えていないという。私は昔の軟弱外交がついているのかも知れませんけれども……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) わかりました。その点は私も同感です。実は私もアメリカに参りましたときに、私は広島の原爆の孤児をあずかつているのですけれども、一口も言わなかつたです。そういうことに対して援助についてはもう半品も言わずに帰りました。その点は私も同感です。御質疑ございませんか……。今沢田さんのところのホームですね、御費用は児童福祉法の措置費で、それはあなたのほうの費用の何パーセントぐらいになつておりましようか、つまりどのくらい足りませんでしようか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 半分ちよつと欠けるぐらいじやないかと思います。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) この問題になつておりましたのは、あの子供たちを学校に入れるについて別の学校がいいか、一般の子供と一緒に入れたほうがいいかということが大変問題になりまして、何か神奈川県のほうで県庁のほうで、一般のほうへ入れるというふうにきめたようなことですが、どうなつておりますか。又それについての御意見ですね、簡単に一つ……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 私の留守にあつたことでございましたので報告だけ見たのでございます。カトリックと私どものほうの施設だけは、中に特殊の施設を作つてもいい、理解して頂いて了解して頂いたように覚えておりますけれども、これはかく育とている者が責任をとつて、いいと思つたことをするのが一番いいので、皆同じやり方をする必要はないと思うのであります。母親が子供を育てているのは、母親の考えでいいと思つた学校に入れればいいので、私どもが集団に取扱つているときは、結局こうした教育がいいと思つたことが、道理に適つていると認めて頂けば、させて頂きたいと思うし、これは一様に同じように混血児はこう育てるというようなことでないほうがいいのじやないかと思うのであります。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) その点は児童局はどういう見解ですか。

竹下清紀厚生省児童局養護課長

○説明員(竹下清紀君) 混血児の教育につきましては、児童福祉審議会を開きまして諮問をいたしているわけでございます。今まで三回聞きまして、第三回に文部省のかたにもに来、頂きましてお話を聞きましたのですが、その前第二回に文部省の大島初等中等教育課長がおいでになつたときの発言によりますと、混血児も日本人でありますから憲法、それから教育基本法、そういつた立場で無差別、平等の取扱をする。従いまして一般の学校に入れるのを原則とするというような発言がありました。併しながら実際の場合に当りますといろいろ問題もあると思いますから、具体的に考慮しなければならないということを言われたわけでございます。その第三回の審議会におきましても、文部省のほうでは大体同じような意見がありまして、審議会の中で結論は出ませんでしたけれども、無差別平等に取扱うという原則だけは確認されたような恰好でございまして、奥に教育の問題につきましては、これは発言がありましたけれども、神奈川県で施設の所在地の学校などで受入れを、自分のところに入れては困る。或いはいろいろな問題が起きて困るというような先生がたの意向があるということを話されましたので、それにつきましては、やはり学校側としてそういう難点があればその難点を打開して、やはり公けの施設に、一般学校に入れるように審議会としては努力すべきであるというような意見であります。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 大体一般の学校に入れるべきだとい主思見のほうが強いわけですね、卒直に言つて……沢田さんのところで、自分の施設の中で、たくさんいるのだから、自分のところだけで学校を別に一つ作りたい、こういう御意見のようですね。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 外からも私のところではとるのであります。中だけではなくて、外の希望者も入れるわけなんであります。人数が足りなければ外からもとろうということを考えております。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 もう三つ、四つ、簡単なことですけれども、今、日本で生まれました混血児の中で、四十人ぐらいはすでにアメリカに引取られているというお話でございましたが、それは直接その子供の父親の手許に引取られたのでございましようか、それとも父親とは他人でございますか。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) その引取りたいと言つているのが四十人……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) もうやつてしまつておるのであります。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) そうですが。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 全部それは養父母になつているのでございます。父親は全部逃げたのでございます。父親か逃げたからこそ私のところへ連れて来ておるわけであります。親があれば私のほうへ来るあれじやない……。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 わかりました。次に今日本におります日米混血児の中では、全体に見ますと非常に能力の低い子供が多いとおつしやいましたね、何か思い当るお節がございましようか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 私は堕胎が原因であると思います。堕胎のやりそこないの何が十一名おります。失敗したのが……インチキな闇医者にかかるものでございますから、死んで生まれるべき子供が生きて来る、又早産児の場合にもそういうことの原因です。早産児でございますと、視覚とか聴覚とか完金にでき上つていない、完全にならないうちに生まれて来るのでどうしても足りない、といのうが今十三名ぐらいおります。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 今の御質疑に関連してですがね、母親の、つまり卒直に言いまして商買女のような母親の人が多くて、そういう人は非常に智能の低い人が多いということを言つているのですが、母親のほうの低い智能を引継いでいるというような……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 両方が低いのじやないでしようか。父親が大体十九ぐらいの子供です、十八、九ぐらいの兵隊ですから。それから母親は小学校を出た程度の田舎の娘なんか、そういうのが、そういう中から連れて来るのでございましようから。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 父親が低いのですか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) ええ、父親が低いんです。母親も……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 父親が低いんですか。私どもは無条件にアメリカのほうが高いと思つて、日本の母親のほうが低いのかと思つて……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) もう一つ申上げますと、アメリカに参りまして、日本の街を四時過ぎに歩いているようなアメリカ人は向うで一度もいませんでした。まるで違つた人種かと思うような……。ですから日本に来ているアメリカ人を以てアメリカをジャッジすることはできない。幸か不幸か、幸いだつたのでしようが、一度も四時過ぎに歩いているようなアメリカ人は向うにはいませんでした。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 今のお言葉でちよつと気が付いたのでございますけれども、堕胎のやり損いの結果生まれます子供に能力の低い子供が多いとなりますと、日本で今度優生保護法の一部を改正する法律というものを通しまして、非常に貧しい家庭の子供でございますと、姙娩中絶してもいいような法律を作つたのですけれども、これは堕胎のやり損いがございますと、そういう智能の低い子供が生まれるということは……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) それはこちらですよ。谷口先生、そういうことがございましようか。

谷口弥三郎民主クラブ

○谷口弥三郎君 横からですが、僅かの統計の中には堕胎のやり損いでとか、早産のためにという例があつたかも知れませんが、全体といたしましては、堕胎のやり損いで生まれた子供が低能見だとか、或いは早産児が低能児とかいうのは全然認められておりません。ただ先刻委員長がおつしやつたようなふうに、パンパンさんには低能見が非常に多いのでございます。精神薄弱者が多いのです。従つてむずかしい仕事はしたくなくて、安易な仕事のほうにというので行つている者が多いものですから、それの遺伝的に薄弱者が多いということはあると思います。けれども堕胎のやり損いで低能というのま……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 一人の女は二回注射をして頂いて、品川のお医者さんですが、名前も聞きませんでしたが、二回注射して一万円取られた。それで生まれた。死んで生まれるはずの子が生きて生まれた。それで一週間ほとして連れて来たのですが、四才近くなんですけれども殆んど人語を解さない、立つて歩くこともできない……。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 それから私生兒、殊にアメリカでは東洋人の私生児ですか、それに対しては軽視するというお言葉でございましたが、若しアメリカの風俗がそういうものであるといたしますと、今後日本におります日米混血児を将来国家の方針といたしましては成るべく余り差別扱いをいたさない、日本の内地において育てまして、その養育料のほうをできるだうアメリカから取つてもらうという方針をとるほうが、子供の将来のためによくはないかと思うのでございますが、細かくなりますと、それがよかろうが悪かろうが、当事者の都合もございまして、その通りも行かないでございましようけれども、国策といたしましては、さような軽視されるようなアメリカに透り込むよりは日本で育てるほうが子供のためにもいいとお考えになりませんか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 今度も私ほうぼうで弁解したのでございますが、私が養子問題を持つて来ると、全部日本の混血児を向うべ持つて行つて売り込むようにとつた団体が大分あるのでございます。それでは日本は責任をとらないつもりか、こういうふうに出るのでございます。ですから望まれた者だけを入れるというので……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 今の深川委員のお尋ねは、アメリカのほうの責任を追及して、養育料その他のことでそういう責任を持つような交渉をしたほうがいいと考えますかというような御趣旨のお尋ねなんですが、あなたの御意見は如何ですか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 政府からですか。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) いや親から。子供に代つて父親に養育料や責任を追及するような方針をおとりですか、こういうお尋ねです。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 私どものほうで今までいたしたのは、みんな逃げてしまつておるのです。前にパール・バツクが、私が立つまでに施設外の母親から父親を探してくれといつて頼んで来た手紙が十一通来たがそれをパール・バツクに見せたら、私自身が書いてやる、それはその父親に対してアメリカ人ならば本当のことを言うが、日本人は面子の手前、本当のことを言わないということで書いて下さつた。それが一通だけわかつて、お金を送つてよこしましたが、あとは全部逃げてしまいました。これは一人々々つかまえておくということは……、あの広い所で逃げられてしまうのです。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 こちらからあちらのアメリカの軍人さんに連れ添うて日本の婦人が大分行くようでありますけれども、アメリカはやはり文明国でありますから……。一時日本の婦人が中国に参つたら正妻が、本当の奥さんが向うに待つておつたというような例が多いのですけれども、アメリカはそういう場合に入国を許可するような何はしていませんが。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) それはありません。  それからあとの結果が、私は領事館にずつと泊らせて頂いておりましたが、みんな領事館に泣込んで来て、日本に帰りたいという婦人が随分多い。それで軍隊と半分は日本政府の援助を得て進駐していたときと向うへ帰つての生活がすつかり違う。それは舅、姑が一つの部屋に何人も同居していて、二組の夫婦がナイフとフォークを廻して使つておるというような生活をしておるのがいやになつて、領事館に逃げて来た者がおりました。それと反対に、御主人のほうが神経衰弱になつて自殺して、子供と二人になつた或る日本人の女が帰りたいと言つて来ておるとか、大抵一週間に五六名来ては日本に帰りたいと言う、そういうケースがとても多い。これは帰るとき初めて聞いたことですが……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 私どもの考えは、私も話の中に入れて頂きたいのですが、私の考えは、父親の責任は当然、これは個人的にわかつている父親、父親がわかつておればそのまま責任をあなたが、又その子供の世話人としてこれは責任を追及して、できるだけの義務を果させるようになさる、そう追及すべきだと思うのですが、併しその子供の育英の費用そのものについて父親の国の援助を求めるということは、これは私どもは一考を要すると思う。で、個人的にわかつている父親の責任を追及することは、これはもう人道上当然の母親に代つての権利の主張というか、これはやるべきであるけれどもその子供自体は国の責任においてこれは私は児童福祉の日本の建前の上で最善の努力を盡すのがいいのじやないかという気がするのです。これを一つ私は藤原さんにも話の中に入つてもらわなければなりませんが、若しその国の責任を追及するということになると、インドネシア等々に残した、日本人が作つた混血児を先ず日本人が責任を以て片付けなければ、日本に置かれた混血児はアメリカに言う資格は日本人にないという気がするのです。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 私もう一つ申落しましたが、ニューヨークでこのドレクターのミスター・ウィリアム・T・カークという、これはインターナシヨナル・ソシアル・サービス、あの団体はドイツのほうからのドイツ人の要求でアメリカへ逃げて帰つて来た子供の父親に非常に家庭争議を起させないように責任をとる、或いはいろいろ連絡をする団体、これは来年日本にこのブランチを作りたいという意向のようで……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) それは結構ですね。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) これはこの町の牧師さんを通したり何かして家庭を作つておる者の中和を乱さないように連絡したい。今でもおよそ父親に関する限り自分に知らせて来れば問合せてやるということを約束して下さつた。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 藤原さんの御意見は如何ですか。

藤原道子日本社会党(第四控室・左)

○藤原道子君 私おとなしくしておりましたが、実はこの沢田さんとのお話合したように、私の気持としましては、アメリカに対して責任を追及する、公式な立場から追及するということは私はできないと思つております。今度南方へ参りまして、日本の混血児が如何に多く残されておるかということを考えるときに、これに対して何ら日本は責任を果しておりません。殊に日本の男の場合にも、日本の石川であるとか日本の江藤であるとかいうようなことより女に話してない。必ず帰つて来るから待つててくれと言つて逃げて帰つております。どうこの問題について私の子供はこんなに大きくなつていますから、日本に帰つたら父親に話して下さい。独立したら必ず帰つて来ると信じて待つている婦人がたくさんある。ただ単に日本の石川、日本の江藤では探しようがない。これに対して何ら責任を負つてないといということを考えると、やはりこれはあなたが最初に言われたように輿論の喚起によつて道義的責任を感じて、向うから解決を申出て来るということが結構なことだ、望ましいことでございますけれども、これを政府と政府の権利と主張というふうなことは、到底なし得るものでもなし、又なすべきものではないというふうに考えております。  それからいま一つは、日本の婦人には、幸い戦争未亡人のかたも見えておりますけれども、私は日本の婦人が恥かしいと思つております。インドネシア等においても、インドネシアのマリヤ・サントソンというかたは、前厚生大臣で今内閣書記官長をしておられます。オール・インドネシア婦人協会の議長であります。この人がいろいろ混血児問題について私二、三話合つたのですけれども、そのときに御安心下さい、終戦後はいろいろ日本の混血児だというので迫害されましたけれども、大体にして子供を愛する国でありますから、殆んど差別をいたしておりませんことが一つと、インドネシアの婦人は自分でしたことには自分で責任を持つということが徹底いたしておりますので、日本の男と恋愛をして子供を生んだという、この生んだ以上、日本の男が帰つても、この子供は私は生んだことに違いないのだから私が育てなければならないという気持で今育てております。ただこの混血児が生まれる原因をお互いが考えようじやありませんか。勝者が弱者を支配するという、この原因を考えるときに、ドイツにも二十万からの混血児を抱えて苦労しているのが女である。インドネシアもビルマも日本もやはり混血児によつて一番苦労しているのは女だ。戦争の未亡人が出るのも、それから子供が殺されるのも、結局女の上に戰争の犠牲というものが覆いかぶさつて来る。結局この不幸を取り除くのには、ひとり混血児の問題ではない。こういう不幸が起る原因をお互いが協力して取り除くということに盡きるのじやないでしようかということをまあ言われたのです。これは非常に私は恥かしいことだと思います。又道義的な責任は別といたしまして、国と国との責任追及ということはできない。これに対してはいろいろ国と国との友好関係、親善関係と申しましようか、こういうことを考えるときしに、私はできまするならば、南方諸国、殊に生活程度の低い、遅れた南方諸国に対しては何らかの方法で償いをしたいと思つております。民間の手でもいいから児童福祉の面或いは医療の面等においてでも将来償いをしなければならない。先ず自分たちがそれを実行しなければならないというふうに考えております。  併しここで一言私がやはりしておきたいと思うことは、日本の男が現在でそうした問題を起した態度と、アメリカが今日本に行なつている態度とは違う。少くとも日本の場合には最初から弄ぶ、或いはおもちやにするというような態度ではなかつたようにも思える。慾目かはわかりませんけれども……、ところがアメリカが今日本になしている態度は全然玩弄物以外の何物でもない、侮辱の限りを私はしているのだと思う。これは民主国家であるアメリカそのものに対して、今のアメリカ駐留軍のやつている態度に対しては私は反省を求め、輿論をもつと喚起していいのじやないかというふうに考えます。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 私も同感です。それで私はもう時間もないと思いますから、しまいに伺うのですが、実際に混血児が、私のこれは勘ですけれども、そう心配されるほど社会から差別的な目で見られたり、殊にいわんや軽蔑的な目で見る者は、大体においてその程度は極めて少いのじやないかという気がするのです。個々のケースでは、これは子供同士の場合においては、やあい、あいの子と言つたりするようなことは、これは貧乏人の子に向つて貧乏たれ、それから片輪の不具な子供に同つて、私どもの広島の方言で言うとちんぱとか片輪というようなことは、お互い子供同士の悪口の言い合つこです。これはもう日本人の子供同士のやることですけれども、私は混血児がこんなにいろいろな目で社会から見られる慮れが非常にあつて、育成の上にそういう点が非常に障害になることが、実は想像ほど程度がひどくないのではないかという気持がするのですが、沢田さんどうですか、その心配は……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) 私のところに連れて来るケースは、その母親がそれに直面して、どうしてもできなくなつて、逃げ道を探しに来るわけですから、一般の……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) ひどいですか。いつかラジオで数日前にやつておりまのたし、どこかの週間雑誌にも出ておりましたが……。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) マーケットなんかで野菜なんかを買いに、独立後混血児を連れて行くと、売つてくれないと言つて連れて来たのがあります。私のところには最悪の場合ばかりが集まつて来るのですから、私のところのケースだけを以て想像することはできません。それだから私のところにばかり来るのだと思います。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) このあいの子を生んだ娘や婦人が近所隣から指さしを指されるということは私どもも思われますが、子供自体がそういうケースがありますか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) もう一つは茅ケ崎の歯医者が私のところに子供を連れて来て、これは妻の妹の子です、それで小さいうちは何とか育てておつたけれども、この頃はちよこよこ歩き出して町を駆け廻るので、人の目につくようになつてからお得意が減りました。それでこれは要らないと言う。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 委員のかた御質問ございませんでしようか。

藤原道子日本社会党(第四控室・左)

○藤原道子君 私は確かにそれがあると思います。殊に婦人の場合にそれがありますことは、やはり私ども女性自身がもう少し家庭教育をして、そういうことのないように努力する以外にないと思います。確かに山下先生の言われたようなことはあると思います。それが一つと、それからもう一つは、学校教育の問題ですけれども、沢山さんのところで特殊の学校をお持ちになる場合には、私は成るべくほかの子供も迎え入れて混合した社会で私は教育してもらいたい。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) それは初めからその方針で……。

藤原道子日本社会党(第四控室・左)

○藤原道子君 それは児童福祉審議会の方針が、普通学校へ入れて訓練するということには私も賛成でございます。その学校で別個の教育をしても、学校の期間だけですから、やはり社会に出たときにどうするか、どうせ厳しい、その子にとつては非常な不幸なように見えても、それが一つの訓練だろうと思いますので、私はそういう教育方針に賛成いたしたい。従つて沢出さんのところでは学校をお始めになりましたら、成るべくそういうことを理解してくれる、周囲の生徒をここに受入れて頂くということを私はお願いしておきます。特にお願いしておきます。

深川タマヱ改進党

○深川タマヱ君 沢田さん、政府のかたに最後にもう一つだけですけれども、先に藤原先生がおつしやつたように、何分戦争中のことでございましたので、貧乏とも関連いたしまして、南方にたくさん日本の男の人の子孫を残しておるらしいのですけれども、それに対しまして男の身許がわかつておりませんので、将来日本はそういう貧乏の子供たちに対しまして一括して或いは社会保障の意味で医療費とか或いは教育費を寄附ずるというような方法もあつてよいと思いますけれども、それはそれといたしまして、別に今後日本に何年間アメリカの軍隊が駐留するかもわかりませんし、それから国連軍もおりますような関係で、今後このあたりでちやんと国際的な方針をきめておかなければいけないと思いますけれども、親の身許がはつきりしている、親の身許をちやんと調査して、然る後に生まれた子供で、その父親が自分の子供であると認知いたしました場合には、やはりその本国なりその個人に養育料なり教育料を取つてもらうように、どうしてもそういう法律の取極めに向わなければいけないと思うのですが、それが一つ。  それから国際公法で、アメリカばかりでなく、例えばイギリスとかフランスその他の国との間にこういう先例はどうなつておるのでございましようか。父親がちやんと自分の子供であると認知いたしております場合には、国際的にその父親に対してその子供の養育料を請求することがでできるようになつておりますかどうか。

竹下清紀厚生省児童局養護課長

○説明員(竹下清紀君) 養育料の問題につきましては、認知いたしました場合には養育料は当然出て来ると思うのでありますが、なお外国の例等につきましてはまだ研究いたしておりませんので、外務省と連絡いたして研究いたしたいと思います。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) ここでは父親が認めた場合にアメリカの籍をもらえるのですけれども、それには父親がステートメントを書いて、今度それがあつちに行つてわかつたのですが、そうすると、その父親が自分の子供と認めた場合には、それをアメリカの法廷に提出して、その母親が出頭しなければならない、結局旅費の問題とか、言葉の問題ででき」ないようにできている法律なんです。  それからもう一つは六つか七つ新らしくできますアメリカの飛行基地に百姓の土地を買上げて、百姓が喰べられないときに娘を基地に送る、そうして娘たちが銀行に対して預金ができたということで百姓の親たちも喜んで、そうすることによつて子供が殖えるということと、それから港に着いてたつた五日間、朝鮮に行きがけの船の着いた間の五日ぐらいに父親となつて子供を  残して行くということは、そういうような我々は責任は負いたくない……。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) まだあなたのほうへだんだんと頼みに来る件数は相当殖える傾向なんでございますか。

沢田みき

○参考人(沢田みき君) はあございます。

山下義信日本社会党(第二控室・右)

○委員長(山下義信君) 大変な御事業をして頂きますので感謝しておるのでありますが、私ども国会も非常に関心を持つておりますので、そごに見えておられます藤森厚生委員長も十分関心を持つておられますので、又御事業につきましては直接、間接に御援助申上げることのできる範囲内におきまして御援助させて頂きたいと思いますが、どうぞ一つよろしくお願いいたしたいと存じます。  それでは沢田さんから聞くことはこの程度で終りたいと思います。有難うございました。  それでは本日はこれで散会いたします。    午前十一時三十五分散会

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