文部委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 97 件
- 登壇者
- 19 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1953/03/11
会議録
○伊藤委員長 これより義務教育学校職員法案、同法の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案につきまして、公聴会を開会いたします。 開会にあたりまして一言申し上げます。本日御出席の公述人各位にごあいさつ申し上げます。申すまでもなく目下本文部委員会において審査中の義務教育学校職員法案は、本国会中におけるきわめて重要な案件であります。よつて委員会におきましては、広く各界の学識経験者各位の御意見を聞きまして、本案の審査を一層権威あらしめようとするものでございます。各位の豊富なる御意見を承ることができますれば、本委員会の今後の審査にきわめて多大の参考となるものと期待いたす次第でございます。各位におかれましては、その立場々々より腹蔵なき御意見の開陳をお願いいたします。本日は御多忙中のところ貴重なる時間をおさきになり、御出席をいただきまして、この点私より厚く御礼申し上げます。 なお議事につきまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は大体二十分見当にお願いいたして、御一名ずつ順次御意見の開陳及びその質疑を済ませて行くことにいたしたいと存じます。 なお念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は私の許可を得ることになつております。また発言の内容は意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならぬことになつております。なお委員は公述人に質疑をすることはできますが、公述人は委員に質疑をすることができませんから、さよう御了承を願います。 なお本日御出席をお願いいたしておりました全国町村会代表の白鳥義三郎君は、御病気のため御出席できない旨ただいま御連絡がございました。あらかじめ御了承をお願いいたします。 それではまず学界代表慶応大学の山本敏夫君より御意見をお聞きすることにいたします。山本敏夫君。
○山本公述人 私は本法案に反対の意見を表明いたします。その理由は八つあります。理由の一は、憲法第九十二条の趣旨、精神に反するからであります。理由の二、憲法九十三条並びに憲法の根本精神にのつとつて定められた公職選挙法の第一条の趣旨に反するからであります。理由の三、この法案が成立いたしましても、存続するはずの教育委員会制度とまつたく矛盾するからであります。理由の四、法案の理論構成にきわめて無理が多いからであります。理由の五、純然たる財政技術の面から見ましてきわめて無理な方策であり、教員の待遇の改善、教員厚生の改善に資することなく、教育の現場をかえつて阻害するおそれが明白であるからであります。理由の六、これによつて教員に指導を与えることはできませんし、教員の自由、主体性の束縛、拘束はできる限りこれを避けるべきであると思うからであります。理由の七、欧米諸外国の義務教育保障の理念とその実際の方策に比較対照して考察いたしました場合に、この法案の構想及び方式があまりにも逆行的なものでありまして、時勢の進歩にまつたく沿わないものであるからであります。理由の八、わが国の民主主義教育を破壊し、国民の生活感情、民主的な考え方に悪影響を深刻に及ぼすおそれがあるからであります。 理由の第一でありますが、憲法第九十二条には、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」とありますが、義務教育学校職員の人事に関することは、現行法によつて教育委員会の所管のことであり、地方公共団体の機関としての教育委員会の執行に関することでありまして、従つて地方公共団体の組織及び運営に関する事項の中に当然に含まれるのであります。従つて義務教育学校職員の人事管理に関することは、これを広い意味にとりまして、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定めるべきことが憲法できめられております。地方自治の本旨に基かないような法律は、これを定めることができないのであります。地方自治の本旨とは、条理と通念によつて解釈すべきものでありましようが、要するに一方的な国の管理、中央集権的な反動化を防止する障壁を設けるものとして、地方自治の本旨に基いてという言葉が用いられておると解釈するのが普通の解釈であります。要するに、義務教育学校職員に関することは、地方公共団体の機関たる教育委員会の機能に関することであり、地方公共団体の組織及び運営に関する事項の中に当然に含まれますから、地方自治の本旨すなわち地方自治の条理と通念に基いて定むべきものであります。しかるに本法案におきましては、義務教育学校職員の人事管理の事務は、当然にこれを国の事務と断定いたしまして、機関委任の方式をもつて教育委員会に委任し、これを指揮監督しようとするのでありますが、こういうふうな考え方、義務教育学校の人事の管理を国の事務と定めるというこういうきめ方は、地方自治の本旨に基くとは決して申せません。非常な齟齬があります。義務教育について国が保障の責任を明らかにいたすためと称しましても、ただちに国の事務として教育関係学校職員の人事を扱い、教育委員会をこの指揮監督下に置くということは憲法九十二条の趣旨に反するものと思います。 理由の二、憲法九十三条の第二項並びに憲法の根本精神にのつとつた公職選挙法の第一条の趣旨に反するということでありまするが、これは憲法九十三条の第二項には「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」とありますが、教育委員は法律の定める吏員で、地方の住民によつて直接選挙されたる唯一のものであります。また公職選挙法第一条には「この法律は、日本国憲法の精神に則り、」云々とありまして、教育委員会の委員を公選するということを書き、さらに「もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」とありますが、要するに主権在民、直接選挙に基く代表者の権威、その機能を最も尊重すべきことを強調したものでありますが、教育委員会は、この九十三条と公職選挙法の第一条に基きまして非常に尊重すべき行政執行機関であります。わずかに四箇月前に、教育行政につきましては非常に広汎なる権能を託する委員会制度の建前のもとに、一般国民をして直接に教育委員を公選せしめまして、すぐそのあとでこの憲法上きわめて尊重すべき委員会から、義務教育学校職員の人事という重要なる職能をほとんど奪い去つてしまうがごときことは、主権在民、直接選挙、国民の代表者による政治の神聖を冒涜するものでありまして、まして一方的に義務教育の職員の人事管理が国の事務とみなし得る根拠がきわめて薄弱でありますだけに、いよいよ深刻なる問題があると思うのであります。 第三の理由でありますが、教育委員会制度との矛盾であります。この法案の成立いたしました場合には、委員会の学校職員につきましての人事権は、義務教育の場合におきましては事実上骨抜きになつてしまいます。これでは市町村教育委員会が人事を運営することはほとんど不可能であります。実質的には三等郵便局よりも独立性のないものになつてしまうのであります。 第四の理由でありますが、法案の理論構成においてきわめて無理があることであります。理論構成の出発点は、最初は国が給与の全額を負担するから当然に国家公務員にするという説明でありましたが、二十八年度におきましては、法案に明らかに記載されているごとく、都道府県の負担でありまして、時期的にも正確に説明が合いません。また国が給与の全額を保障または負担いたしましても、ただちに国家公務員にいたさなくてはならない、それ以外に方法がないとは申せません。現に給与及び事業費の全額を国が負担いたしましても、地方公務員の身分であるものが種々あります。国の指定統計の事務、解散団体の調査事務、外国人登録事務などを扱つておるものはそれであります。また憲法上の保障についての国の責任を明らかにすると称しましても、国が責任を持つ仕方は財政上いくらでもほかに方法があるのでありまして、憲法には国が直接に義務教育費を負担しなければならぬという言い方はもちろんしていないのでありまして、実績、定率、教育単独平衡交付金制度など、いくらも最終的に国が保障の責任を持ちまして、しかも地方の自治の本旨にもとらない保障の方式は考えられるのであります。憲法の保障の責任ということを二言目に申しますが、国のみが地方を排除して、すべて直接に給与しなくてはならぬということは言えないのでありまして、国が責任を持つ以上は、またその全額を直接に出さなければならぬとも言えない、国の財源を地方に委譲する、または別の方式をとることがいくらでも考えられる。それによつて国の責任を果し得るのであります。またその方が合理的であります。ゆえに国が責任を感ずるに至つたから、または国が全額を負担するからというがごとき理由をもちまして、ただちに教員を国家公務員にいたさなくてはならぬという理論構成は、その出発点におきましてはなはだ非民主的な独断的な集権的なものであります。ゆえに法案の理論構成の出発点にはなはだ無理、飛躍があると申すのであります。 第五は、財政技術の面からの考察でありますが、定員定額及び全額国庫負担が財政技術的にはなはだ不合理であることは、教育財政の専門家の間においてはほとんど一致した常識でありまして、文部省官吏の書きましたところの最近の著述でも、よくこれを認めるところであります。また定員定額による場合の教育委員会がいかなる苦境に立つたかは、すでに経験済み、実証済みであります。しかもかつて経験しましたる定員定額は、単なる経費の算定方式でありまして、そのままの定員定額が地方の施策でなくてはならないという、そういう定員定額ではなかつたのであります。すなわち都道府県のレベルで定員定額に基いて算定された金額を交付されましても、都道府県がそれ以上に支出することは一向さしつかえがなく、それによつて安全弁としての調節がされ、地方の実情に即する行政が行われて来たのでありまするが、このたびの定員定額はそういうなまやさしい定員定額ではなく、すなわち予算の算定方式ではないのでありまして、一種の行政措置として上から下へ押しつけるようなものであります。このような伸縮性をまつたく持たないものであります。国家公務員としての定員を法律で定めまして、定員と給与のわくを都道府県を通して市町村におろして行くというやり方、これはまつたく官吏の配給制度であります。物の配給よりも始末が悪いものを地方の現場に対して押しつけようとしておるのであります。教育委員会法の精神たる地方の実情に即する教育というこの委員会法第一条に定められておる教育行政などは、とてもこれではできないのであります。それゆえに教育委員会制度の存立とまつたく相入れない。地方の教育についての自発性、努力、関心、これがわが国の義務教育を育てて来たのでありまするが、これをまつたく殺すことになり、結局は地方の現場の教育を萎靡沈滞させるおそれが多分にあります。要するに、定員定額制は現状または実績を化石化するにとどまるものであります。また従来の文部予算の実績に徴しまして、現在すでに委員会及び教育長はきわめて深刻なる不安と動揺を持つておることは事実であります。全額負担を看板にしました現内閣の閣議においてきめられて、与党の重要なる法案とされておりましても、しかもただ平衡交付金のわくからはずしただけで、それ以上の予算措置がほとんどない。ましてこの実施が他の内閣に引継がれましたような場合におきまして、従来の文部予算の実績を考えた場合におきまして、教育関係者は実に前途暗澹たるものになるのであります。そんなに義務教育について国が責任を持ちたければ、建築施設、物件費に対してなぜ責任を明らかにしないか。六・三建築のできましたのも、地方の熱意と犠牲によることでありまして、教員の待遇の改善も地方の努力によるところが多いことは事実であります。現に国立大学の附属の小中学校の教員の給与は、普通の義務教育学校の職員の給与に比較いたしまして、格段の差があります。地方の努力、熱意を殺してしまうことは義務教育の実質的な水準の維持、向上になりません。本法案の意図することとまつたく相反する結果になります。それだけの財源が国家にあるのなら、地方に委譲すればよろしい。またこれによつて支配をただちにしない保障の仕方をすればよろしい。 理由の六。この法案によつて教員の身分を国家公務員に変更することによつて政治活動の拘束をはかるというやり方は、結局非常に弊害が多い。強圧による拘束はいたすべきでなく、ことに教員の場合は、教員の主体性、知性、人間性を伸び伸びと展開できるような方法で指導、助成をはかるべきであります。 第七の理由。欧米諸国の義務教育保障の趨勢についてでありますが、私は前後五回の視察研究の結果から見まして、一口で申せば、諸外国は義務教育経費につきまして保障の幅を広め、項目を増しまして、国が多くの負担をするようになつておりまするが、しかも他方におきまして国による地方への支配―コントロールは極力これを避けるようにいたしておるのが各国の趨勢と申してよろしいのであります。すなわち保障は増大するが、国の地方への支配はこれを縮減する傾向にある。しかるにこの法案はほとんど保障の実は乏しく、単に平衡交付金からはずして、ひもつきで出しただけで、保障の実質はほとんど増大せず、ただ中央の地方に対する支配のみを拡大いたそうとするものでありまして、はなはだ不合理であります。結局これによつて導き出されるものは恐るべきプロシヤ式の統治方式の樹立であります。せつかくの民主主義の新しい芽生えを蹂躙するおそれあるものであります。 理由の八。要するに、中央集権、官僚独占、官僚の悪意による教育行政と教育財政とが招来されることを信じて疑いません。一例を申し上げれば、都道府県の教育委員会におきまして教育長を任命するのに、文部大臣の意見を聞かねばならぬとありまするし、さらに市町村教委が人事管理の面におきまして、まつたく他の機関に隷属する仕組みとなりまして、国家公務員の割当を上からもらいまして、一つの行政措置的な定員定額が下に及ぶというようなやり方であります。これでは地方住民は教育に対する関心、努力を欠き、教育はお上の仕事であるという考えを持つに至るおそれがあります。私はきわめて恐るべき害毒を残すものといたしまして、衷心から憂えるものでありまして、本法案の不成立を望んでやみません。
○伊藤委員長 山本さんに対して御質疑はございませんか。
○松本(七)委員 質問したいことはたくさんあるのですが、あとの公述人がたくさんおられるので、一応全部の御意見を伺つてからにしたらどうでしよう。
○伊藤委員長 いかがでしよう。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○伊藤委員長 それではさようにいたします。 次は婦人代表、神奈川県社会教育委員徳永アサさん。
○徳永公述人 徳永でございます。私は婦人代表という意味でなく、一婦人として、またPTAの一会員としての意見を申し上げたいと思います。 私の考えといたしましては、義務教育のことは国の財政の立場からばかりでなく、現実に教育費を負担しておるPTAの立場としては、義務教育は無償とするという憲法の精神を実現されたいという考えで行きたいと思います。今日この問題は是々非々の立場から論議されなくなつておりまして、政治的な闘争の中に巻き込まれているのではないかという疑義が持たれるのでございます。教育が政争の具に供されるような感じを受けるということは非常に残念でございますので、PTAはそうしたうずの中に巻き込まれることなくこれを判断して行きたいと思います。今日いろいろな新聞のいろいろな宣伝を聞きますのに、単なる反対のための反対という感じを受けることが非常に多いのでございます。今朝の新聞紙上にも神奈川県その他で十二日には一斉休校ということがございますが、こういう問題について、その趣旨を国民に明らかに知らせる方法は別にないものかと考えるのでございまして、このために必要以上に縛られるような法律ができなければならないということを非常に残念に思うのでございます。この反対のための反対と申しますのは、このために教育費が非常に減じられ、先生が首になる、または給与が下るということでございますが、このことはもう少しその根拠を研究していただけたらありがたいと思います。この法案によりますと、私どもの察知いたしますとこちでは、首にもなりませんし、また給与も下らないというようにうかがい知られるのでございます。またこのためにPTAの負担が多くなるということにつきましても、私はその意味がよくわからないのでございまして、私のこの法案からくみとりますところによりますと、これによつてPTAの会費がふえるということはないと思います。また先生が国からコントロールされるという心配に対しましては、私は先生が国からコントロールされる必要はないと思います。義務教育が国庫負担になることは私どもが長年望んで来たことでございまして、国庫負担になるから国から先生がコントロールされるということは考えたくないと思います。これは五条の趣旨を善意に解釈したいと思います。またこの法案からくみとれますもの、これは、すでに昨年半額負担が一年延期になつておりますが、その延期が終ろうとする場合にこの法案ができまして、義務教育費国庫負担の線に乗せられたということは、その熱意と誠意をくみとりたいと思います。これは、義務教育に対して国が責任をとろうとする積極的な一つの現われとしてくみとりたいと思います。また国民全体への奉仕者である先生が、国から保障されるということは間違つたことではないと思います。しかし私どもが多年願つておりましたところの義務教育費国庫負担という線は、今日のこの法案から実施されるであろうと思われることとはまだほど遠いのでございます。でございますから、これはまず第一段と考えまして、今日の状態にくぎづけされることなく、第二段、第三段へのステップを踏み出していただきたいと思います。たとえば教員の給与だけでなく、現在PTAが負担しております教材費、または需用費、建築費、これらが憲法の精神に対して、千五百万の会員の気持に疑いを持たせるような現状でございます。もつと国への信頼の持てますように、義務教育を受けております子供たちの親、PTAの会員たちの非常に苦しい今日の負担に対して、もう少しはつきりした態度をとつていただきたいと思います。私はこの法案に対しまして満足をしているわけではございませんが、これが一つのステップとなりまして、よりよい状態に教育が保障され、そうしてPTAの会員たちの持つておりますところの疑いも晴らしていただいと思いまして、これに希望をかけて、またお願いを込めて私の気持を披瀝いたします。 次にただいま申し上げましたような教材費、需用費または建築費、それらの負担を軽減していただき、全額国及び地方公共団体においてこれがまかなわれますことを願いますと同時に、すでに皆様方で御心配いただいておりますところの給食費に対しましても、一層の御理解、御助力を願いたいと思います。またこの法案によりまして、貧弱な県が救われるということは非常に仕合せなことだと喜んでおります。しかしながら状態のよい府県がこれによつて悪くなるということは私は不賛成でございますので、よい状態のところを基準にして、悪い状態を高めていただけるようにお願いいたします。 次にこの法案が教育委員会と矛盾する点が多いということにところどころ気がつきます。この教育委員会法との矛盾というものを解決していただける研究をしていただきたいと思います。せつかく私どもが昨秋教育委員を地域地域において信頼をかけて選挙いたしました。その方々は、地方自治の精神にもまた教育委員会法の精神にものつとつて、自主的に責任を持つて教育行政を行おうとしております。この自主的な、民主的な意気込みに対して、せつかく全国にスタートいたしました教育委員たちの自信と抱負をそこなわないように、妨げないように、一層伸ばしていただきたいと思うのでございます。 国家公務員の問題につきましては、なお釈然としないものがございます。これによりまして地方々々の中均衡が緩和されるということはよろしいかと思います。また別にこの国家公務員という問題が出ます必要を生じさせるようなことがなくて、現在のままの地方公務員でこの国庫負担ができますものならば、そうしてそれが一層上手に運営されるようになればよろしいのではないかという考えを私は持つております。 各条文に対しましてまだ研究の足りないところがたくさんございますけれども、純然たるしろうとの私、母親としての考え、婦人の一人としての考えとしてお聞取り願いたいと思います。ありがとうございました。
○田中(久)委員 各界の各位の非常に貴重な御意見を拝聴するのでありますが、文部当局からは田中局長お一人のようであります。文部大臣は今どこへ行つておられますか。こういう委員外の貴重な声を大臣みずから生でお聞きになることは、本問題に対して非常に必要だと思います。至急にどうぞ出席を願いたいと思います。
○伊藤委員長 あと数分の後に文部大臣を出席いたさせます。 次は現職教員として長野県中部中学校校長田中忠吉君。
○田中公述人 私は信州の田舎町の中学校長であります。今回政府の提案されております義務教育学校職員法案に関係いたしまして、主としてその法案の条々を吟味いたしますときに、第一条に述べられておりますこの法律の目的は非常にけつこうであります。しかしながら以下これの内容と、この目的に沿う内容となりますものについては、幾多憂慮にたえないものがあるわけでありまして、結論的に申し上げれば、この法案に賛成できないのであります。 その理由は、まず第一に身分についての問題でありますが、第三条に掲げられております「義務教育学校職員は、一般職の国家公務員とする。」という件並びに第四条の「教職員の任免、給与、分限その他人事に関する事項については、この法律に定めるものを除く外、国家公務員法その他国家公務員の人事に関して規定する法令の定めるところによる。」以下条文は省略いたしますが、教職員に対する国家公務員法の適用並びに教育委員会が管理執行する事務の指揮監督、この点の状況を検討いたしますときに、まず第一に、何ゆえにわれわれ地方の地域の教育を地域に則して推進しようとして、その教育を担当しているものが、この際国家公務員というふうに銘打たれねばならないのか、そのことによつてはたしてわれわれの身分がどれだけ確保できるのか、このことは現場におりますわれわれ教職員のきわめて不明朗な、むしろ疑惑の念を起させる問題に事実現在なつているのであります。この事柄は、せつかく終戦後新しい教育の推進にと、あの教育委員会法の精神にのつとつて、教育基本法の精神を生かすために、国家統制から離れて教育の民主化にと、懸命に努力しておりましたわれわれにとつては、再びこのことによつて中央集権化し、国家統制への逆行ではないか、この心配が非常に多いのであります。もつとこのことの意味を強めて申しますならば、われわれ地方公務員の教職員の身分を国家公務員ということに縛つて、中央集権的な文教政策が今後行われて参るのではないか、こういう憂慮があるのであります。理論的にながめましても、昨年地方教育委員会を市町村に強引に設置した。そうしてそのときの理由としては、教育の地方分権化、教育の自主性の発揮、教育の民主化、これを叫んだ政府が、すぐにそれと相反するようなわれわれの国家公務員化をはかろうとする理由はどこにあるのか、はたしてわれわれの身分は、地方公務員あつてそれほど安定しておらないのか、絶対に私は今日さようには思いません。地域社会の中に地域の教育にわれわれが推進をして行くところに身分の不安定があり、国家公務員になる方がいいというような意識は毛頭ないのであります。 このことを別の角度からながめますときに、国家公務員になることによつて、文部大臣がその任免権を握るというような結果から推しましても、教員がいわゆる官僚化するところのおそれがなしとはしないのであります。文部大臣が任免権を握ることは、ややもすれば一政府のかわるごとに、一政党の支配に教育が左右されるという危惧も生ずるのであります。教職員は決して官僚であつてはならない。あくまでも教師は自由人でなければならない。この教職員の自由が基盤になつて、個性ゆたかな児童の教育に当ることができるのである、かように確信をいたすものであります。かくしてこそ文化の創造は期せられる。かかる教師に接することによつて、今後の日本を背負つて立つところの生徒がすくすくと私は成長するものであると確信いたすのであります。 またこれを財政の面から見ましても、いわゆる国家公務員と地方公務員との給与の差額はどうなるのか。現に長野県等で実施しております新制大学教育学部の新卒の初任給は、国家公務員より二号優遇している。これらの問題、あるいは恩給法の問題、いろいろ思いをいたしますときに、まことに国家公務員になることに憂慮にたえないものが多々あるわけでありまして、納得できないのであります。 その次には二章に述べられております定員の問題でありますが、あらためて私が申し上げるまでもなく、定員というものはどういうふうにして定められるものかということの御検討を、あらためて願いたい、かように思うものであります。これは文部省案とも言われますし、また文部省のある方に聞けば、それは文部省の案ではないというふうにも申されておりまして、そのよりどころは判然といたしませんが、教員の定数算定は、長野県にいたしますと、長野県の小学校の全児童数を五十で割りまして、それで学級数を決定するのであります。その学級数に対して一・五なりあるいは中学は一・八なりということを申しておりますが、この文部省でお出しになられたというABC案によりますと、いろいろ複雑をしておりますが、その学級数決定の基礎は、全小学校の生徒数を五十で割つたものが一学級になるわけであります。例をわが長野県のような状態の県にとつてみますと、山間の学校あるいは分校等において、はたして五十人の生徒で一学級が構成できましようか、できない町村があるのであります。また分校等においては、その半分さえも下まわるような地域があるのであります。それらの全体の生徒の数を五十で割つたとしますならば、そこへ出て来る学級数というものは実際に構成して行かなければならない学級数とは相当の開きがあるのであります。その学級によつて定員というものを決定して行くとすれば、定員の数が相当に減つてしまうのであります。言いかえれば、学校運営ができないという状況になるのであります。今日直面しております問題としては、この問題が長野県の教育委員会にも流れて参りまして、いろいろ教育委員会で予算を検討しております。われわれの手元に定員の通知をいただきました。その一つの例を申し上げますと、南佐久のある村から約三里ほど離れた一分教場があります。この分教場には小学校と中学校とが併置されておりますが、その中学校は一年から三年まで、先生を二人配置しております。ところが生徒数が二十五人にならないから、その二人いる先生を一人に減らせ、こういう実際の問題が起きております。いかに有能な教師でありましても、中学の三学年を、教科にいたしますと、一学年八教科をどうして一人の先生でやつて行けましようか、これは一つの例にすぎないのでありますが、さような定員というもので縛ることによつては、現場の実情とまつたく離れた結果がここに生じて来るということであります。その都度文部省等にもこれらの状況を申し上げまして、定員制がとられないということのお願いを切にいたしております。配分のときに考慮するといつておられますが、どれだけ考慮していただけましたか、教育委員会には何らの通知もないと私は今日承知をいたしております。まことに定員の決定にあたつては教育の向上どころか、これは教育をむしろ低下するものである。現場を混乱に陥れて教育を低下するものであると私は思うのであります。 次に定額の問題でありますが、定額の問題から推しますと、長野県の現状などはことにはなはだしいのであります。数字的に詳細に申し上げればいいのでありますが、それも省きますが、長野県は幸いにして地域の教育に対する関心と熱意、特に義務教育を尊重する、こういう精神に由来つちかわれて参りました。その結果長野県の教員の質も、いわゆる勤務年数も学歴もそろつていると思うのであります。従つて給与の面から申しましても、文部省の基準とされております一人当りの小学校の先生の給与は、一万一千九百七十一円、それに対して長野県の現在の給与支給額は、一万二千六百八十六円になつております。これを文部省の基準に当てはめて参りますと、小学校においてはその給与の差額によりまして、六百三十二人の減員をしなければならないという結果が起るのであります。従つて長野県の実情をおくみとりいただき、教育のために県民が献身の努力をしていることをお察しいただくならば、現在支給している給与を下まわらないというはつきりした御回答をいただかない限り、はつきりした財政措置をお願いしない限りにおいて、いくら文部大臣が議会等において、教員の首切りはしない、給与の引下げはしないとおつしやつても、そうならざるを得ない現実の事実があるのであります。かような観点からいたしまして、定員についてのこのところに盛られております法案の条章には、はなはだ賛成できない問題があるのでありまして、定員、定額の点からいたしましても、この法案に対しては反対せざるを得ないのであります。 なお次に、特に申し上げたいと思いますことは、第四章の任用の問題でありますが、「市町村の教育委員会は、教職員を任命しようとするときは、あらかじめ、当該市町村長に協議しなければならない。」なお「前項の協議がととのわないときは、文部大臣の裁定するところによるものとする。」「前項の裁定の手続は、政令で定める。」かように申されております。このことは地方教育委員会が市町村に設置されます際に、現場の私どもといたしましては、最もこの点についての心配があつたのであります。ところが教育委員会の設置のみか、むしろその教育委員会に対して、さらに教育干渉を行うような具体的な例として、われわれの任用に関して市町村長に協議しなければならないとうたつている点であります。このことは直接教員人事等に当つております者と申し上げますよりも、現場におります私どもにとりまして、最も心配する点であります。不当な干渉に屈することなく、あくまでも中正に教育が行われなければならない。これが市町村長に協議することによつてどういう結果が招来されましようか。私ども現場におる職員は、少くともこれらのことのために、まつたく身分についての安定どころか、不安定感を抱くのであります。御承知のように、地方の状況といたしましては、民主化の度合いというものはまことにいまだしであります。町村によりましては、まだ封建性の相当に強いねばりがあるのであります。これは私が申し上げるまでもなく、賢明なる各位は、十分御出身の土地において御察知の通りでありまして、これらの事柄が、われわれの身分が町村長に協議される結果は、今日の状態におきましては、決してよい結果を招来するものでない、このことを信念を持つて申し上げます。どうかかようなことのないように、あくまでも教育委員会法の精神を十分に生かして行くように、地方の教育も推し進められなければならない、かように思うものであります。 以上がおもに申し上げたい点でありますが、日本の教育行政と申しますか、文教政策と申しますか、これが今日ほど混迷、不安定を続けている時代は、おそらくないのではないかと思います。私も三十一年の教員生活を続けておりますが、まことにその感が深いのであります。そうして長野県におきましても、今日まだ教員組織が完了しておりません。そのことの責任はどこにあるのか、卒業期を控えて教職員が非常に不安定な状況にあるということ、このこと一つだけをもちましても、私は義務教育の推進にはならない、向上にはならない、かように思うのであります。 なおこの法案に帰つてながめますとき、いろいろな点から申しまして、これらの重大問題を決定いたしますのに、非常に私は準備が欠けておる、研究が欠けておる、こういう感を深くするのであります。率直に申し上げれば、むしろこの法案は、教職員の身分を国家公務員ということにして縛り、教育の中央集権を復活させる意図があるのではないかとさえ思わせられるのであります。教職員は中正不備なる思想を持ち、一党一派に偏することなく、ほんとうに愛する子弟育成のために、献身の努力をいたすことが、日本の教育者の使命である。かように私は確信いたしております。同様に政府は、政党は、少くとも教育の問題は政争の具にこれを供すべきでは絶対にない。政党政派を越えて、ほんとうに日本の教育を建設していただくことを、私は心からお願いするものであります。かりに日教組等の問題が俎上に上るようでありますが、これは先ほども御意見がありましたように、これを解消、弾圧するというような、そういう行き方でなく、ほんとうに教育者の知性に訴え、良識に訴えて、どうあらねばならないかという反省の上に立つて、誤りなき行動を期せられることこそ、さような配慮こそ、私は最もよき政治ではないか、かように思うものであります。 まことにつたない公述でありますが、ほんとうに国を愛する、日本の再建を思う気持から申し上げた次第であります。どうぞ日本再建の基盤となる教育のためには、いたずらにこれを政争の具にすることなく―私はあえて申します。さような疑いやさような条項の見えますこの法案は、この目的に盛られました精神がほんとうに生きますように、この法案を撤回していただきたい。百年の大計の前には、何も私は急ぐ必要はないと思うので、十分なる御審議を、重ねてお願いいたしまして私の公述を終ります。
○伊藤委員長 文部大臣は、皇太子殿下御渡英につき、宮中において午餐会がございますので、それに出席のためしばらく退席いたしまして、終りましてからまた出席いたしますので、さよう御了承を願います。
○坂本委員 文部大臣は退席されるそうですが、時間はどれくらいですか。
○伊藤委員長 大体一時ごろ終了の見込みだそうでございます。 全国知事会代表茨城県知事友末洋治君。
○友末公述人 今回政府が国会に提案されております義務教育学校職員法案は、御承知のように短期間に、しかも名称も内容も修正に修正を重ねられつつ、無理やりに組成せられました感じが強く、従つて行政並びに財政の両面にわたつて、きわめて不合理、不完全な点が多いと考えられます。 まずこれを行政面から検討いたしまするに、第一に政府は、普通教育に関しまする国民の義務と、これに伴う義務教育の民主化とを基本といたしまする現行憲法、及び、いわゆる教育三法の根本精神に反しまするばかりでなく、さらに義務教育行政の能率化にも逆行するものといわざるを得ません。この法案の骨子につきまして、政府は、義務教育の責任は国と地方公共団体とが分担すべきであり、その範囲は、学校の設置、経営は地方公共団体、学校におきまする教育活動は国とすべきである、かように考えられまして、との見地に立つて、ただちに教職員を国家公務員となし、これによつて教職員の地位及び待遇を保障し、義務教育の機会均等とその水準の維持向上をはからんといたしておられるのでございます。もとより義務教育の振興という問題は、国と地方公共団体とが相協力いたしまして、その実現を期すべきでありますることは言うまでもないところでありますが、その責任をいかに分担いたしまするかは、教育そのものの本質、及び中央地方を通じまする行政財政の本筋から、大局的見地に立つて慎重に考究を要すべききわめて重要な問題でございます。私は次に述べまするところの理由によつて、義務教育というものはあくまでも地方自治の基本的なものであり、従つて第一次的な責任を地方公共団体に一任すべきであり、この見地に立つて教育制度を考察すべきであると考えます。 すなわち義務教育行政は、地方一般住民の日々の生活に直結いたしまするものであり、歴史的に見てみましても、地方自治と密接不可分のものでございます。従つてこれは公正な民意を基礎にいたしまして、それぞれの地方の実情に即して行われますることが当然でございます。地方住民の熱意と関心、あるいは総意と協力とをまつて初めて義務教育運営の公正とその能率の向上とが期待できますることは申し上げるまでもないところでございます。まさに民主教育の確立というのと大問題は、新日本の国政におきますところの確固不動の基本方針でなければならぬと考えます。従つて義務教育活動に対しますところの指揮監督権を国に取上げようとされますることは、地方自治の総合性と均衡性とを破壊いたしますことはもちろん、地方自治の伸張を阻害する結果となるのであります。かかる中央集権化は絶対に排除すべきであると考えます。国家百年の大計をなしまするところの義務教育は、あくまでも中立性を保持されなければなりません。教職員を国家公務員とし、その給与費等を国が握ろうとされまするならば、勢い教育に対しましても国が不当に干渉圧迫を加えまする危険があるのでございます。 人事というものと財政というものを握る者がすべてを支配するに至りますことは、過去幾多の事実が明らかに証明しておるところでございまして、義務教育におきましてもその例外たり得ないものと考えます。これは必ず教育を政治の渦中に巻き込んで、党利党略に悪用されまする傾向に導くことは明らかでございます。教育が政党に左右されまする以上、政府がかわりまするたびごとに動揺いたしまするのは当然でございます。このことは教育が安定するどころか、かえつて絶えざる不安を招来するものであり、教育の中立性は絶対に保障できないものと考えます。 もとより義務教育の中立性を保障すべき教育委員会制度には、根本的な欠陥を包蔵しておるものと思つております。これこそまず第一に取上げて改革さるべき緊急事中の緊急事であることは言うまでもありません。また一面教職員の政治活動の行き過ぎは当然是正さるべきでありまするが、これは教職員の良識と自己反省並びに地方住民の輿論と政治意識の高揚に期待いたしますることが賢明な策と考えておるのでございます。また義務教育に関する人事権を教育委員会からしいて取上げ、これをさらにあらためてまた委任いたしまするがごときはまつたく無意味と言わざるを得ません。 さらに行政責任と財政責任とを分離しないで、これを一致せしめますることは、現代におけるところの行政の民主化と行政の能率化との基本的な原理でありまするのにもかかわらず、義務教育行政に限つてその施設とその活動との責任をしいて国、府県、市町村にそれぞれ分離せんといたしまするところの真意が那辺にあるか、まつたく常識をもつては了解できないところでございます。もとより義務教育行政の責任をすべて地方公共団体に属せしめるべきである、かように主張をいたすのではございません。その機会均等と水準の維持向上とをはかるためには、国の第二次的な最終責任を認むべきではございまするが、それは地方公共団体の行政、財政に対する調整補完の作用をもつて十分でございます。この限界を越えて、義務教育職員を国家公務員とするがごときは有害無益のことと言わざるを得ません。 次に、これを財政の面から考察いたしまするのに、まず第一に、半年前国会で論議の末成立いたしましたところの義務教育費半額国庫負担法を何らかの経験をも経ずしてやみに葬つて、さらにこれ以上にまずい法律に飛びつきますることは、国会というものと法律というものの権威に関することでございまして、国民の信頼をみずから失わしめるものであることを強く反省さるべきであると考えます。この半額国庫負担法ですら、国の財政の責任者でございまする大蔵省は、予算編成当時、その実施を一箇年延期して慎重に考究しなければならぬという能度をとられたのでございまするが、それほどに地方財政に占めておりまするところの義務教育費の地位はきわめて重要でありますると同時に、またきわめて複雑多岐であり、この解決はきわめて困難でありまするのにもかかわらず、無準備のまま短期間につくり上げられましたところの義務教育全額国庫負担の財政計画は、まつたく支離滅裂でございまして、これを強行せられんといたしますることは、無謀もはなはだしいことと申さねばなりません。 さらにこの案を明年度からかりに実施されました場合、義務教育の実施に要しまするところの、実際必要とする経費に著しい不足を生じまするばかりでなく、府県財政の窮乏を一層激化せしめるおそれがあることであります。すなわちまず政府案によりまするところの昭和二十八年度の一般の地方財政計画におきましては、府県分についてすでに二百六十四億円の無理があるとわれわれは考えるのでございます。従つて地方財政平衡交付金は二百六十四億円だけ過小に見積られておるのでございます。次にこの過小に見積られておりますところの平衡交付金が決定いたしました後、義務教育費全額国庫負担のごの大方針が政治的にきめられまして、そこでこの平衡交付金の中から何らの合理的基準もなく、義務教育費全額国庫交付金として九百一億、この九百一億は地方自治庁と文部省とがそれぞれ主張されまして、その中間を政治的におきめになつたと、かように承つておるのでございますが、かようにして分離されたことは事実でございます。もともと平衡交付金というものは、教育費が幾ら、土木費が幾ら、かように中身がはつきりいたしておるものでないことはすでに御承知の通りでございます。従つてこれを分離すべきものではない、分離すべからざるものを分離いたしまするところに結果において無理の生じますることは当然のことと申さなければなりません。すなわち実際の義務教育所要額にははなはだしく不足を生じますることはもちろん、分離後におきまするところの教育以外の府県一般財政にも従来以上の窮乏を惹起せしめるものと存じます。地方行政の基本的な重要事項に属しまするところの義育のこの大変革が、かくのごとく財政措置きわめて不合理、不十分のまま実施せられまするにおきましては、必ず義育教育と地方行政一般との両者のそれぞれにはなはだしい不安と混乱とを生ぜしめますことは明らかであり、これは地方行政を担当するものにとりましてとうてい耐えがたく、地方団体がこぞつてこの案に反対いたしておるゆえんもここにあるかと考えます。 昭和二十八年度義務教育の実施に要しまするところの最小の総計費を昭和二十七年度の実績を基礎として調査権計いたしますると、まず第一に給与費の実支出見込額千百四十六億円、公済組合負担金五十一億円、恩給費、これは納付金を除きまして五十四億円、旅費は二十七億円、認定講習に要しまする経費は三億円、さらに人事の調整、給与の支払い等に要しまする事務に要する経費は十一億円、合計いたしまして千二百九十二億円に相なるのでございます。なお府県別の定員定額は目下未定でございまするが、これが判明して各府県ごとに実所要額と比較いたしまする場合におきましては、この額をさらに上まわるものと考えます。右の額はいかなる制度を実施いたしましても絶対に必要な最小限度の額でございますが、これに対する政府の所要見込額は千百五十五億円にすぎないのであります。最小限度百三十七億円は不足を生ずるのでございます。以上の不足額百三十七億円は政府案の地方財政計画の財政需要に見込まれておりません。とれに見合う財源措置が何らなされておりません以上、府県においてはこれを補填する能力はもちろんあるべきはずもなく、また支出を調整いたしまする権能も与えらるべき筋合いでもないし、与えられてもおりません。そこでこの不足額を政府案のように二十八年当分の間といたしましても、府県をしてその財政負担の責めに任ぜしめますことは、まつたく不合理きわまることであり、また実際上も不可能のことであります。二十八年度義務教育費を各府県編成をいたしておりまするが、大体各府県とも特別会計で実は組む傾向でございまして、中央から定員定額によりまするところの交付金が示されますれば、それにただちに切りかわる。それ以上の負担はとうてい能力がないから、負担の責めに任ずることはできないという方向をただつておりますことを見ても明らかでございます。 そこでまず義務教育職員の給与の取扱いでございまするが、これは義務教育学校職員法案の附則にございまするように、現に属しまするところの職務の級及び受けておりまするところの号俸に相当する職務の級及び号俸をもつて国家公務員に任用され、引続き現にありますところの職に相当する官職につく、かように決定されているのでございますが、ここに大きな問題がありまするのは、実は給与費の財源措置につきまして、政府は昭和二十六年十月に地方公務員は国家公務員よりも高いというので、三百四十九円だけ不当に切り下げて財源措置を講ぜられております。この三百四十九円はその後のベース・アップによりまして現在は七百九十四円という二倍以上の差額に相なつております。これに相当いたしまするところの額は、地方財政法第十三条によりまして、今回の法の改正によつて府県の新たなる義務費ということになるので、従来は各府県がそれぞれ自主的に継ぎ足しておつたわけでございますが、今回は明瞭に法律によりますところの新たなるところの義務費と相なるわけでございます。従つて国はこの地方財政法第十三条によりまして、当然二十八年度の地方財政計画にはこれに必要な財源措置をなすべき義務が法律上講ぜられておるにもかかわらず、何らの措置を講ぜられないことは明らかでありまするので、国は目下提案されておりまするところの一方の地方財政計画を義務として追加し、修正されますることが法律上当然のことと考えます。 次に、義務教育職員の免許講習につきましては、従来通り旅費三分の一だけを府県に対し補助するの方式を続けようとされておりますが、これは義務教育職員の重要な教養事項でございまするから、国家公務員とされまする以上、補助方式はただちに廃止して、国庫負担金によつて処理されなければ、首尾の一貫性が失われ、理論的にも矛盾を生ずることに相なるのでございます。また義務教育職員の身分を国家公務員に転換されまする以上、府県の人事の調整、給与の支払い等は国の委任事務に属するものでございますから、これらに要しまするところの経費は、国庫負担金に包含さるべきは当然のことである、にもかかわらず、これも財源未措置のまま都道府県に押しつけようとされておるのでございます。なお恩給費につきましては、将来はもちろん、過去にさかのぼつてその納付金とともに、支給責任は国に一元化さるべきでございますが、これについての財政措置もまだ明らかにされておりません。もしこれを地方財政平衡交付金の中から使うことによつて、移用されようとするのでありますならば、これこそ不当な措置ではないかと考えます。 以上申し上げましたように国においてこれらの絶対不足額に対する財源措置を講ぜられずして、これが制度の改正につき立案されますことすら無責任の所為といわざるを得ません。国が真に義務教育について積極的に責任を有することを明確にされんといたすのでございますれば、まずもつて当然この絶対不足額の負担の責任を明らかにされてしかるべきことと考えます。これを要しますのに、義務教育学校職員法案はいずれの面から考察いたしましても、不合理不完全なものであり、義務教育に関するほんの一部の責任を国において形式的に負担されまして、残余のすべてを不当に地方に押しつけんとするものでありまして、結論におきましては無責任のことと考えます。これは十数指にわたります関係法の改正法案が容易に具体化しなかつた状況を見ても明らかでございます。この重要な義務教育の一大改革にあたつて、かかる疎漏な準備をもつてこれに対処されんといたしますことは、軽率な所為でございます。義務教育のごとき地方自治の基本をなす制度、しかして国家将来の運命にも重大なる影響のございます制度につきましては、せつかく政府が設置されました地方制度調査会があるのでございますから、この調査会の慎重な審議をまち、その答申を得て、総合的な地方制度改革の重要な一環として対処されますことが当を得ておると考えます。 以上義務教育学校職員法案につき、率直に所見を申し述べた次第でございます。
○伊藤委員長 公述人の方の御都合もございますので、以上四人の方に対する質疑があればこれを行いまして、午前の部を終ろうと思いますが、いかがでございましようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○伊藤委員長 質疑を許します。
○坂田(道)委員 私簡単にお三人の方に御質問を申し上げたいと存じますが、まず山本先生にお尋ねいたしたいのは、イギリスあるいはフランス、西ドイツ等の教育制度、その中でたとえば西ドイツでは教職員の方々を国家公務員にしておるように聞いております。またフランスにおきましても国家公務員のようでございます。この点を御質問いたしたい。それからイギリスにおきまして御承知の通り一九四四年にバトラー・エデュケーション・アクトが制定されたのでございますが、その際やはり地方教育委員会の水準の満たないところをある程度水準を引上げるような意味合いから、中央集権的と申されるか申されないかは別といたしまして、文部大臣の権限がかなり強化されておるように伺つておりますが、その点につきまして先生の御意見をお伺いしたい、これが第一点でございます。 それから徳永さんにお伺いいたしたいことは、PTAの会員とし、また子供の母親として、最近日教組が指令をいたしておりまする三月十二日一斉休暇という問題、あるいはこの法案の正邪は別といたしましても、学校の先生方が父兄の方々をまわつて署名運動をやつておられる、あるいはまたはなはなだしきは学校の子供さんにもビラ等を配つておるというようなことを聞きますが、この点についてどういう御意見を持つておられるか。 第三に田中先生にお伺いいたしたいことは、文部省の説明を聞きますと、定員につきまして大体現員が五十万強である、そしてこの法案を出すにあたつてその積算の基礎となつた定員は五十三万ばかりあつて、三万以上余裕がある、従つてたとえばお話のような二十人、三十人というようなところに一人や二人の先生がおられるその現状がかわる、あるいはそういうところに先生が行かなくなる、あるいは減らされるということはないのだ、また現在各県におきまして先生が足りないところがあつても、二万有余の定員が実際上あり得るのだから、それを充てるならば決して首切り等のことは起らないのだ、こういう御説明を承つておりますが、この点についてお伺いをいたしたいと思います。また定額につきましても、一万一千円が文部省が定めた積算の基礎であるが、長野県としては一万二千円を払つておるのだ、その差額の一千円というものが足りないのだ、しかしながら二十九年度においてはこれはまるまる国が負担して行くと説明をしておるようでございますし、二十八年度限りにおいてはこの一千円の負担はやはり府県に負担をしていただくのだ、こういう説明をしております。その説明から考えると、私は減給になることはないと考えるのでございますが、この点についての御意見を伺いたいのでございます。また従来平衡交付金の中で給与費に対しまして織り込まれておる金は、基準財政需要に対しまして八四%くらいであつたのが、今回の法律によりますと九十四、五パーセントまでこの保障率が高まる、こういう説明をわれわれは聞いておるのであります。そうすると、少くとも給与費に関する限りにおいては、それだけひもつきの保障率というものが高まつたと私たちは考えるのでありますが、この点はいかがでございますか、御説明をいただきたいと思うわけでございます。
○山本公述人 御質問の第一の、イギリスの教育行財政についてでありますが、これは教育のことはいわゆるカウンテイ・カウンシルといいます地方の非常に自治的な機関にまかせてあります。国は基準はきめますが、実施運営はカウンテイ・カウンシルという地方自治体にまかせてある。それからこの財政は地方の教育費のすべての項目であります。人件費だけではありません。すべての項目、物件費、給食費、教科書費、教材費、医療衛生、厚生まで含めました六〇%を国が持ちます。さらに生徒一人当り六ポンドを国が負担いたします。しかしこの二つの項目を足しましたものから、平衡作用をいたしまするために、すなわち財政収入の薄いところには厚く交付しますために、財産税の評価額一ポンドに対して一ペンスを引きます。すなわちAプラスBからマイナスのCという方式で補償をしております。従つて実質的な補償は非常に大きい。人件費くらいじやない。すべてのものにわたつて六〇%を持ち、しかも生徒一人当り六ポンドの補償をする。そして平衡作用を一方では考えておる。平衡作用を考えておるのは、地方自治を重んずるからであります。バトラー法による文部大臣の権限が重んじられるように見えるではないかと言いますが、これは日本の場合と事情が違う、どう事情が違うかと申せば、四四年以来現在におきましても、学校校舎の建築材料すら配給がある。日本では配給がないのです。物の配給がない。イギリスでは物の配給をやつておる。さらに校舎を建てるところの労働力の配給もやつておるのであります。従つて地方において指揮監督がいるのは当然であります。日本の場合においては、そういう資材や労働力の配給はないのであります。教員の定員定額の配給だけやろうとするのであります。それでありますから、世界の情勢にそぐわないと言つておるのであります。補償は薄くして支配だけやろうとしておりますことは、イギリスの例から見ましても明らかであります。 西ドイツでありますが、西ドイツは御承知のように一つの連邦でありまして、現在十のランド、連邦からなつておる。それぞれの連邦は憲法を持ち、文部大臣を持つておる。中央政府の所在地のボンにおきまして、十人の文部大臣が定期的に集まりまして、各ランドにおける教育行財政の不均衡を免がれることをやつておるのであります。日本とまつたく組織が違うのでありまして、連邦という非常な徹底したところの分権制をしいておる。これはスイスのカントンのやり方と同様であります。しかも教育財政に対する補償の方式におきましても、一種の平衡交付金、単独的な教育のための平衡交付金制度をしいておるのであります。これはすなわちひもつきにしない経費を支出することによりまして、財政を補償することによつて行政的な支配を排除する方式として考えておる。日本のやり方とまるで違うのであります。フランスでありますが、フランスはこれは有名な中央集権の国である。現在でも中央集権的でありますが、そのフランスにおきましても、大戦後における趨勢を見れば、教授法におきましても、カリキュラムの伸縮性におきましても、ことに教科書の自由選択制を大幅にとつておるという点から考えましても、非常に地方の自治を重んずるところの建前をとつております。そうして教員に対するすべての施策も、地方の自治的な考慮を払うようにしております。 スエーデン、デンマークなどにおきましても同様でありまして、ことにスエーデン、デンマークなどにおきましては、小さな国でありますから、国が人事管理をいたしておるようには見えまするが、手当その他は地方で十分にこれをつける余地を与えておる。そういう財政措置を十分にいたしておる。財源処置もいたしておるのであります。
○坂田(道)委員 よくわかつたのでございまするが、イギリスの場合におきまして、やはり文部大臣の直轄と思うのでございまするが、視学官の制度があつて、絶えず指導助言を行つておると思うのでございます。この点いかがでございますか。 またバトラー法におきましては、たしか私立学校に対しましても、学級の定員について四十人より以上にしてはならないとかいうようなわくをはめた、これは私は、イギリスとして教育を振興させる上において眼目となつておること、非常に尊敬を持つておるのでございまするが、そういう権限はどこにあるのか、やはり文部大臣にあるのか、この点をお伺いしたいと思います。 それからフランスの場合は、これはまつたく中央集権的である。しかしながらその運営あるいは教科内容、そういうものからするならば、これは決して住民の意思を曲げたり、あるいはいわゆる中央集権による教育の弊害は起らないのだ、こういうお話でございまするが、私どもから言わせまするならば、こういう国家公務員にいたしましても、ある程度中央集権的なかつこうになりましても、たとえば昨年一万の市町村に地方教育委員会を設置したのでございますから、もしこの地方教育委員会というものを育成指導して、これがほんとうに日本の教育の基盤になるというようなことが実現されるならば、決して日本の教育が誤つたりあるいは弊害の伴う中央集権的なものにはならないという考えを持つのでございまするが、この点についてどういうお考えであるか、お伺いしたい。
○山本公述人 第一のイギリスにおけるいわゆるインスペクター、一種の視学官あるいは督学官的な制度でありますが、これは地方とそれから中央とに存在しております。しかしこのインスペクターの指導あるいは助言というようなものに対し、現場の教員がどういう受入れ方をしておるかということが一番の問題であります。ただ中央にインスペクターがあり、地方にもインスペクターがあるから、督学官があるのじやないかといいましても、実際にはそうじやない。私は昨年の夏から秋にかけまして、約三箇月イギリスの各地の学校をまわりました。実際にインスペクターの人にも会い、また教員にも会つたのでありますが、そのインスぺクターの二、三の人が、絶えず申しておりますのは、イギリスにおいて何か上から押しつけるような指導をしたならば、教員は絶対にこれをはねつける、そういう国民性がイギリスにはあるのであります。恐縮でありますが、彼の言つた言葉をそのまま申すならば、インポーズされたと思えば、断然教員はタフになる、私はこの言葉を忘れられないのであります。日本の教員にはたしてそれがありますか。イギリスにあるから日本にあつていいとは言えない。それを受入れるところの国民の、ことに教員の意識、背景というものを見て制度を考えるべきであります。総体的にものを見るべきであります。定員を私学においてもしいておるじやないか、それは一つの基準であつて、そういう基準を設けるということは、これはいろいろの国において往々認められておることであります。基準を置くことは、いろいろの点において必要があるのであります。これをもつてただちに中央集権とは言えないのであります。しかしそういうことでなくて、私学も官庁の抑制のもとにあるかと申せば、決してそうじやありません。オックスフォード、ケンブリッジあるいは種々のパブリツク・スクールといわれておる私学、これらの私学に対して、ことにオックスフォード、ケンブリッジ、そのほかに対して―現在オックスフォード、ケンブリッジは私学でありながら、その経営費の半分以上は国が支弁しております。文部省を通さないで大蔵省から行つておる。何ら国のコントロールを受けないのであります。これがイギリスの行政である。日本の行政は何だ。金を出さないで支配だけしようというのだからいかぬということを、先ほどから申しておるのであります。もつともつと外国のことを聞いてもらいたい。時間を与えられれば幾らでもしやべる。フランスはどうだ。フランスくらいいい意味の個人主義が発達している国はない。ルソーを生んだ国じやないですか。フランスくらいいい意味においてインテリジェンスの発達している国はないのであります。(北委員「ルソーはスイスだ」と呼ぶ)北先生のおつしやる通り、これはスイスで生れたのでありますが、御承知のように、フランスにおいては非常な影響を持ち、フランス革命のもとになつた。従つて……。
○坂田(道)委員 大体わかりました。
○山本公述人 よろしゆうございますか。これはぜひやらせてもらいたい。もつともつとこれをやらせていただければ、きよう一日でもやります。手放しでやる。これでしたら、ほんとうに一年間やつておるのでありますから、やらせていただきたい。
○徳永公述人 ただいまの御質問は、PTAの会員として先生方の十二日の一斉休暇に対してどう考えるかという御質問であつたと思います。これについて私の考えを申し上げます。 PTAは子供の問題を中心にして、先生と父母が語り合う、そうして子供のためのよい運動をする団体でございます。私はほんとうの民主主義はよい話合いから生れて来るものだと思います。積極的に―積極的と申しましようか、実際行動に出て行きます前に、もつともつと話合いをする余裕を持つことが私としては望ましいと思います。私どもはしろうとでございますので、一斉休暇と申しましても、ああ、先生がストをなさると、子供も親たちも簡単に考えてしまいます。でございますから、先生のおつしやる趣旨について納得の行くところも私どもにはございますけれども、子供たちに一日の空白を与えないで、あとからそれを埋めてくださるならば、日曜日を使つて埋めたりすることをなさらないで、話合いを進めながら、子供への責任はとつて続けていただきたい。幾ら趣旨が筋の通るものでございましても、プラス・マイナス、その効果においてはかえつてマイナスであつては、私は子供に対して相済まないのではないかと思うのでございます。私どもが簡単にストと解釈していると申し上げましたけれども、ストは非合法ではございませんので、ストをなさることに対しては何ら圧迫を加えてはいけないと思います。しかしながら私どもの家庭で、具体的に話がとりかわされますことをひとつ取り上げましても、今朝新聞が配達されまして、それを朝の食卓で私ども開いて見ておりました。高等学校の生徒でございます子供が、こういうことはあつてもいいのかなあということを申し出しまして、経済的な面においていろいろと主張なさるということについては、こういう行動は理解できるけれども、政治的な含みを持つてなさる―政治的に教育が中立性を持たなきやならないと私どもは教えられて、学校でもそう教育されて来たが、どうもこれでは了解できないということを子供が申します。これは子供自身の頭に浮び上つた疑問でございます。私は教育の場を持つ人だけが、神聖な職場であるからしてはいけないということを申したくはありません。私は商工業あらゆる面の仕事―どんな仕事であつても、仕事は神聖な仕事であると思います。でございますが、教育のことは子供によい効果が上らなければならないのでございますから、こうした行動に出られることをもう少し自重してもらいたいというのが私の願いでございます。
○田中公述人 先ほどの御質問の、定員定額においてそれらの不足した給与については、文部省においてすでに予算的に五十三万というものを見ているので、全国の教員数を五十万とすれば、三万人の余剰を見込んでおるから、それらについての心配はないではないか、こういうことを聞いておられる、こういうお話でありますが、私もそういうことについては聞いております。しかしそれは心配はないではないかということだけでは納得が行かないのでありまして、この三万人の余剰人員によるところの財力はどのくらいになるのか、そうして全国的に見てこれがどういうふうに配分されるのか、こういうことを私も知りたいのであります。従つてその三万人の余剰分がはつきりと確保されて、不足する府県に、あるいは長野県にこれがはつきりとおろされて来るとするならば、それはけつこうであります。何の心配もないわけであります。昨日も私は県の委員会に参りまして、これらの点についてただしたのであります。文部省からこれらの定員定額等の問題についてそういう正式な文書はまだ受取つておらない、こう申しております。特にこの財政的の問題は、単に文部省ばかりでなく、あるいは自治庁関係もございましようし、大蔵省関係もおありだと思います。それらの点がはつきりいたしまして、計数的にそういう心配がない、こういうことを保証していただくならば、私はこの問題はまことにありがたい問題だと思つております。二十九年度においても同様であります。
○松本(七)委員 まず四人の方に共通した問題をお伺いしておきたいと思います。どなたも共通して地方自治ということから教育委員会制度との関係を述べられているわけでございます。徳永さんは、教育委員会との矛盾があるというお言葉で指摘されております。それから田中さんは、昨年できました地方教育委員会の当時の模様を、強引に設置したというようなことも言われております。それから友末さんは、教育委員会制度には根本的な欠陥を持つている。教育委員会制度全般にわたつての欠陥を指摘されておるようであります。そこで特に基本的な点を皆さんからお伺いしておきたいのは、昨年全国一律にできたところの市町村の教育委員会が、―これは抽象的に制度として考えるのでなしに、今日の日本の実情に立つて考えた場合にどうあるべきか。それからこの法律案との関連においても、市町村の教育委員会というものはどうあるべきかということについての御意見を伺いたいと思います。 それからこれは個々の方に対する御質問でありまするが、山本さんにお伺いしておきたいのは、国の負担、国の責任ということから、財政上の負担をいろいろな方法でする必要があるというお言葉でしたが、基本的に国庫の負担をなるべくふやすがいいか、あるいは地方の財政が確立すれば、国の直接の負担というものはなるべくその面を少くして、地方が負担する方が教育制度としては望ましいか、この点をお伺いしたいのであります。地方財政が充実して来ても、やはり財政上の負担だけはできるだけ広範囲に国庫がやる方がいいかどうかという点でございます。 それから徳永さんにお伺いしたいのは、教員は国から支配される必要はない、こういうお言葉でございましたが、徳永さんの結論は、この法案は不満足であるが、いろいろな希望条件がだんだん充実して来ることを希望して、第一段階としては結局賛成だという結論のようでございます。それならば、教員が国から支配される必要はないというお考えに基く場合に、この法案から教員を国家公務員にするということを取除くこと自体には御賛成なのか、やはり国家公務員であつてもいいというお考えなのか、その点をはつきりさせていただきたいと思います。 それから友末さんに特にお聞きしたいのは、先ほど教育委員会が―ただ市町村の教育委員会ばかりでなしに、教育委員会制度そのものの根本的な欠陥をどういうところに考えておられるか、この点を少しお伺いいたしたいのと、それから今度最小額百三十七億円どうしても不足するという点について、政府の方では、平衡交付金の中であろうが、あるいは地方の自己財源であろうが、要するに二十八年度は二十七年度の実績そのままをやる方針であるし、いよいよ足りなければ、教育というものは地方にとつても大切なんだから、地方自治体も負担してもらえるだろう、こういう期待のもとにこれをやつておるわけでございます。そこで地方自治団体の方から申すならば、いくら期待されても実際に能力がないんだからやれないじやないか、こういうことになるわけでございます。そこでたとえば中国、四国ブロックの知事会あたりでは、給与費では地方財源というものは一切計上しない、こういう申合せをされたということも聞いております。そういうふうな意思表示をすでに府県当局でして、一切国で負担しなければ、あとのものは自分たちは予算に計上しないというようなはつきりした申合せまであるのかどうか、その点もお知らせ願いたい。以上であります。
○友末公述人 御質問の第一点でございます。教育委員会制度の持つておりまする根本的な欠陥でございますが、申すまでもなく教育はあくまでも民主的に、また公共性を強めて、しかも中立性というものが、制度の上におきましても、実際の面におきましても、保障されるように持つて行かなければならぬと考えます。そこで現在の教育委員会は、御承知のように都道府県教育委員会と、それから市町村の教育委員会がございます。市町村の教育委員会は発足したばかりでございまして、これについての活動自体の中立性があるかどうかということを判断いたしまするのは、時期が少し早いのではないかと思いますが、おそらく今後もやはり都道府県教育委員会と同じような方向をたどつて行くのではないか、かように考えます。さような点から、都道府県教育委員会の実際の状況を率直に申しますると、完全に中立性が保持されているようには、私は考えておりません。その根本原因は、住民の直接選挙に委員がゆだねられておるというところにあるのではなかろうか、かように考えます。民主的な方法で住民が教育委員を選任いたしまするこの姿は決して悪いことではないのでございまするが、日本の政治意識のレベルから申しますると、全県的な選挙でこれを選任いたしますることは行き過ぎであつたのではなかろうか、かように考えております。そこで将来は別問題といたしまして、わが国の現実の文化水準と申しますか、政治水準というものがその高い程度にない以上は、直接選挙というものは、むしろ理論に走つて、実際において弊害が生じているというのが現実の偽らざる実情ではないかと思う。そこで知事会におきましては、この問題について相当長い間検討を加えました結果、直接選挙制度はむしろ廃止すべきである。そこで地方自治の民主的な方法といたしましては、市長がすでに直接選挙になつている、議会というものが直接選挙で選ばれておりますので、これをまず中心にして、民主化の線を守つて行くという方向が好ましい。そこで教育委員会につきましては、諮問機関にするとか、あるいは運営機関にするとか、あるいは審議機関にするとか、いろいろ意見が出たのでございますが、相当中立性を与えまするためには、やはり権限といたしましては、教育上重要な事項につきましては審議権を持たすべきであるというふうな結論になつております。ただ選任の方法につきましては、それぞれの市長が最も中立的な立場にある、色のついていない人というものを選定いたしまして、これが議会の同意を得て任命することが日本の現状では最も能率的であり、効果的であるという結論に相なつておるのでございます。これによつて御了承をいただきたいと存じます。 次に文部省が平衡交付金から分離されました九百一億、これではたして適正であるかどうかという御質問でございますが、私どもの二十七年度の実績から考えますれば、先ほど申し上げましたように、約百三十七億不足するという数字が全般的に出ております。なお二十八年度におきまするところの府県分の地方財政計画を検討いたしてみますると、二百六十四億不足するということが、今日はつきりわかつておるわけであります。もちろんこの二百六十四億の中には、百三十七億の義務教育分が含まれております。従いまして、一般財源といたしましては百三十億足らずのものが不足するのでございます。ただ、ここに問題のございますることは、二十七年度におきまして、現実に約三百億各府県の赤字が出ております。赤字融資でわずか五十億程度措置されましても、なお生じまするところの赤字であります。これは各府県がだらしのない財政をやつておるからという意味ではございません。中央が義務的に措置されなければならぬものが、措置されておらない結果に基くところの赤字でございます。そこで今日各府県とも、二十七年度の財政の締めくくりに非常に頭を悩ませておりまして、二十八年度の財源を繰上げ充当いたしまして、二十七年度は過すほかなかろうというふうに、先般の会議におきましても一応結論的なものが出たわけでございます。そこで、すでに地方財政計画に出ておりまする二十八年度の二百六十四億、二十八年度から参ります繰上げ充用によりまするところの三百億の赤字、これらを合算いたしますると、二十八年度は、各府県が、おそらく五百億以上の赤字に悩むということに相なるわけでございます。従いまして、かような窮乏のどん底、危機の一歩手前にありまするところの各府県といたしましては、いかに義務を命ぜられましても、実際の能力がなかろうと思うのであります。そこでブロック的には、お話の通り頭を悩まして、いろいろな申合せもできておるようでありまするが、全国知事会議といたしましては、国家から義務教育について交付されまするところの額を越えて、負担いたします能力がない。また政府が義務として措置されておりません以上、その負担の責めに任ずることはできないだろうという結論に相なつておりまして、負担をしないという固い申合せまでをいたしておるのではございません。その点誤解のないようにひとつ御了承を願いたいと思います。 なお、文部省といたしましては、知事会議からいろいろ質問書を提出し、それに回答されたのでございますが、これによりますると、二十八年度におきまする基本給―これは基本給だけでございます―基本給についての試算をされておるようでございますが、これは不交付団体を除きまして八百七億でよろしい。この八百七億に対して、国が負担するものは九八%と一応推計されております。そうすると、不交付団体をも含めて計算をいたしてみますると、この基本給だけでも千三十三億になります。それに家族手当、あるいは勤務地手当を入れますると、おそらく千二百億近くになるのではなかろうか、かように考えられます。そこで知事会で実際の実支出額を見込んでおりまする数字は、先ほどもちよつと申し上げましたが、千百四十六億円でございます。千百四十六億円しか見込んでおりません。これは基本給も家族手当も勤務地手当も、一切合財含めた実給与の支出額でございます。文部省は基本給だけで八百七億だ。不交付団体を入れれば千三十三億になる。この数字はだれでもすぐ出る数字でございます。それに勤務地手当、家族手当などを入れますと、知事会が見込んでおるよりも上まわつたものが、文部省の数字では出ざるを得ない。さような実情でございまして、その九百一億で実際の支出額がまかなえるということは、私ども実際家として考え得られない。むしろ各府県に定員定額の交付金をお示しになりますれば、各府県ごとに実際の不足額が明瞭に出て来ると思います。 そこで問題は、能力がない以上、各府県といたしましては、年度の中途において継ぎ足すこともできない。また人員を整理したり、あるいは給与を引下げたり、あるいはまたその他の費用を切下げるという権限もございません。まつたくそういう面では、財政の責めに任ずる府県としては無能力でございます。そこで問題はどうなるかといいますと、年度の途中で俸給が支払いができない、あるいはまた市町村教育委員会で払つてもらえなければ、行政整理をやるか、あるいは俸給を二割も三割も引下げるか、それも地方として実際上できることではございません。それはどうしてもこの制度を設けられましたお国の方で、責任を持つていただかなければ、どこにも責任を持つものはない、私はさように考えておるのでございます。
○山本公述人 義務教育経費につきまして、国と地方の負担区分をいかにいたしたらよろしいのかという御質問でありますが、これももちろんその国々の各般の背景に即応して考えなければならないことであります。日本の場合におきまして、教育委員会制度が設けられており、またその存続は、文部大臣もこれを今後も存続せしめるというふうに申しておりますが、この教育委員会制度があることを建前として考えました場合、どうあるべきかということにまず限つて、考察するのが妥当だと思いますが、これにつきましては、すでに政令諮問委員会の答申と教育委員・会制度協議会、この二つの答申が非常に慎重に検討されまして提出されてあります。両者も共通性がありまして、教育委員会制度を置く以上は、この基本的な教育経費をまかない得るだけの経費の出せる財源を地方に移すべきであるという点において共通性があります。政令諮問委の場合におきましては、義務教育費についてはその費用が出せるだけの財源を地方に委譲すべしとあります。教育委員会制度協議会、これは文部省で設けまして、非常に長い時間をかけて研究したものであります。それによれば平衡交付金をもらう率をもつと切り下げろ、すなわち別の言葉でいえば、地方に財源を委譲すべしということに相なる。しかして理論的に経費の負担区分そのほかの行財政の面を考えまする場合に、二つの価値基準があると思います。一つは社会的ないわゆる民主化のために価値があるかという一つのソーシャルな能率―エフイシエンシーであります。第二は事務的、経営学的に見てどういうものかという問題であります。しかし日本のような場合は、この民主的な価値をな重んじなければならない。これはイギリスその他欧米の国と比べて、市民社会の形成も日が浅く種々の点から考えてそういうふうに言えると思うのであります。また根本的に考えましてことに日本の場合は、民主的な価値というものは目的価値でありまして経済は手段価値であります。従つて目的価値の方が高次の価値であると見なければならない。そういうふうに考えました場合に、委員会制度が種々の面で多少経済的、能率的にはロスがあるように見えても、やはりこれを存続せしめなければならない。またそれを存続せしめた以上は、その機能、いわゆる地方の実情に即する行財政を行い得るだけの財源の処置をいたさなければならない。しかしてその財源の処置はそれじやどういう方法があるかと申せば、先ほど来申し上げました地方財源の増強ということを考える。地方で出せないから国が出してやるといいましても、役人が出すのではありません。国民が税金で出しておるものに、相違ない。地方財政の増強ということを考える。 第二に保障はしましても、支配管理の伴わないやり方があります。一般の平衡交付金制度もそうでありますし、教育単独平衡交付金制度というものも考えられる。現に各国においてそれが行われております。それから現在わが国において生きておる法律―負担法にいたしましても、給与費については実支出の二分の一、いわゆる実績定率ということになつておつて、地方が奮発をすれば、その奮発したことに応じて国が見るという、地方の関心、努力、熱意というものを殺さないようになつておる。今度のはそうじやない。定員定額で融通のきかない、もうまつたくの割当で役人を配当するのであります。これは最もまずい。どう考えましても比較考察の上から考えまして、今度のやり方が一番まずい制度であります。 それから大体平衡交付金制度と、教育委員会制度の関連につきましては、アメリカの教育財政の学者たちの中にすでに定説があるのであります。それは教育委員会というものを設ける設置単位というものを考えるときに、日本のようにむぞうさにこれを考えておりません。はたして義務教育のような、あるいは基本的な教育の財政をどの程度に見合うだけの財源がその設置単位においてあるだろうか、非常に小さく限ればなくなるわけであります。委員会制度というものは、基本的な最低限の政策を行うに足るだけの財源を、その自己の地域において地方財源として保留しておることを教育委員会設置の場合の一つの条件と見なすのが、アメリカなどにおける一つの定説となつており、基準になつておるのでありますが、日本の場合には、それを無視して町村にまでおろして、委員会法をそのままにしておる。そのままにおろして地方財源は見ない。そして言うことには金はない。金がないから見合うことができない。地方に財源がないから国で見てやろう、国で見てやるから国家公務員になるのがあたりまえだ、国家公務員にするから文部大臣の支配下に属するのはあたりまえだと言つておるのは、はなはだ不都合でありまして、はなはだこれはよろしくない。これは教育委員会制度を置くときからすでに間違つておりまするが、置いた以上は、その委員会制度のいわゆる第一条の精神が発揮できるだけの、少くも最低限のことができるだけの地方財源の委譲をするのが当然であります。そうしなければ前後ふぞろい、前後矛盾することに相なる。すなわち平衡交付金というものを考えましても、最低限の水準を維持するに足るだけの標準税収入がない場合に国が出すといつておきながら、それをもらうことができない、それをもらわなければやつて行けないようなものが大半で、それをもらわないのを例外にしておくのは間違いであります。いまだに財政においては中央集権がちつともかわつておりません。こんな地方財政はこれを改める必要があると思います。 結論的に申せば、わが国の場合におきましては、教育委員会制度を存続させる必要があるということを文部大臣も言つておるのでありますから、それの基本的な経費、ことに義務教育経費というものと見合うだけの財源をなるべくは地方でまかなえるようにする。しかしながら日本のようにああいうふうに小さくしてしまつたのではそれができないのであります。そこにすでに間違いがあるのでありますけれども、そこへ今度は補償をする場合におきましては、先ほど申し上げましたように、なるべく補償はするが支配は避けられるような仕方をする、これは先ほど申し上げたように幾つかあります。現行法の実績定率も幾らかはそれに近い、あるいは単独の平衡交付金法でもよろしいのでありますが、根本は地方財源の委譲というものをもつと真剣に考えなければ、教育委員会制度をああいうふうに置いた責任というものと、まつたく論理的に矛盾をいたします。
○徳永公述人 ただいま教育委員会法との矛盾があるからこれを解決してほしいということを私が申し上げました。もう一つ、先生は国にコントロールされる必要はないということも、この法案によつてはコントロールされるとは限らないという考え方から少しそれを強く出したのでございますが、コントロールされる必要はないということを申しました。それに対しての御質問でございました。これはただいまも前の公述者の方がおつしやいましたけれども、地方自治の精神―地方々々の実情に即して自主性をもつて各委員会が教育行政を行つて行くというその精神に対して、この法律がよく実施され、よく活用されました場合には、その危険はないかと存じますけれども、法の解釈は幅が非常に広うございますので、その広い幅のうちで、感心しない非民主的な方向に向つて活用される場合には、非常に矛盾があり、心配があるということを私は憂うるのでございます。一つの例としまして、私が昨年の秋島根県のいなかに参りましたときに、文理大を出られて、高等学校の先生もされた相当経験の多い方が、ある小さい村の小学校の校長をしておられましたが、今度教育長からの相談もあり、自分の意思でもあるので、市内のある中学校にかわりたいと思つた、ところが自分の村の村長並びに教育委員の方々が非常に運動されて、自分の意思通りに行かなかつたし、また教育長も、いろいろ義務教育について財政的に村に助けてもらつている現状から、村長の意思にそむくわけにも行かないし、何とかそのままおちついてくれないかというので、私は泣寝入りでございますということを聞いたのでございます。もし現在の教育委員会の自主権がこういうような方法で行使された場合には、少し心配になるのではないかと思います。私は賛成できないのでございます。この意味からいたしますと、不幸な村と、よい村との調整がとられる、またその先生自体の意思を尊重したよい活用がされるということならばけつこうでございますが、この活用が困つた方向に使われて行くということを私は心配いたしますので、国家公務員の項につきましては、まだ釈然としないということを申し上げたいのでございます。この点はよい、この点は心配だとまだ頭の中で錯綜しております現在におきまして、ここで私が結論を申し上げるということはできないのでございますが、私が申し上げたいと思いますのは、まず国が責任を持つてくれるという、その善意をまず第一段階として取上げたいと思つたのでございます。 ではこの辺で失礼いたします。
○伊藤委員長 簡潔にお願いします。
○田中公述人 私が、この法案が教育委員会法と背馳するものがあると申し上げましたのは、教職員の任命に関して町村長と協議するという項もその一つであります。これは明らかに教育委員会そのものの権限を侵すものであるというように思います。従つて教育委員会が教職員の任命にあたつて、町村長から圧力がかけられるという心配も多分に持つものであります。これは人事の実に機微な問題でありまして、特に町村長におきましては、これらの点について十分の警戒をしなければならない、従つてこれは適当でない、かように申し上げたのであります。 次に教育の地方分権、ことに教育の民主化を叫んで教育委員会が設置されながら、そこに勤務する教職員の身分が国家公務員でなければならないということは、どうしても私は納得できないのであります。この点は先ほど詳細に説明いたしましたから省略いたします。 次に市町村教育委員会について、今日の日本の実情からどういう考えを持つかという点でありますが、財政的の問題については私は繰返すつもりはありません。とにかく一斉に日本の各町村に教育委員会が設置されたということは、私は明らかに設置基準の検討を誤つておつたということをはつきり思うものであります。財政的の問題にしても、また小地域における教育委員会の持つ権限についても、おそらく小地域の教育委員会の権限を十分に発揮するだけの条件が、どの地域にも必ずしも備わつておらないと思うものでありす。従つてそういう条件にかなうところには教育委員会が設置されることはけつこうであるが、この条件の整わないところにおいては設置する要はない、任意設置が最も適当ではないだろうか、このことを私は昨年も強く叫んだものの一人であります。 なお教育委員会の権限につきましては幾十項目ありますが、特にその中の人事権の問題は、実際にそれらのことに当つております私たちから見ると、実に重大にして機微の問題でありまして、その人事権の活用いかんによつては、まつたく教育を破壊するという重大な結果にも陥るわけでありまして、日本に設置されたどの教育委員会でも、はたしてこの人事権を公正に中正に行使できるかどうかということについても大きな疑問を持つものであります。
○伊藤委員長 なお質疑の通告がございますので、午前中はこれにてとどめ、午後は正二時から再開いたしたいと思います。 なお午前中の四名の公述人の方におかれては、御迷惑と存じますが、正二時に再び御出席をお願いいたします。 二時まで休憩いたします。 午後一時八分休憩 ――――◇――――― 午後二時二十四分開議
○伊藤委員長 休憩前に引続き会議を続行いたします。 委員各位に申し上げておきますが、公述人の茨城県知事の友末さんは、県会の関係で急がれておりますし、なお地方教育委員会の鈴木さん及び徳永さんも、お急ぎの御用がありますので、各位の御質疑はできるだけ簡明にお願いいたします。なお松澤さんには緊急会議の御用事もおありとの御連絡がございました。鈴木さんは三時までには公述を終了したい旨の御希望のお申出がございました。山崎委員。
○山崎(始)委員 友末さんに、関連しまして一言お尋ねいたしたいと思うのであります。先ほど教育委員会制度は非常に欠陥があるということに対しまして、松本委員からお尋ねがありましたお言葉の中に、その欠陥の要点が、地方教育委員会は発足してまだ日が浅いので、県の教育委員会の状態を見てみると、公選制にしたということが、いささか時期尚早の感がする。その公選制であるために、教育の中立性が保てないような状態にあると自分は見受けるのだというお話があつたのであります。日本の民主主義の、いわゆるまだ熟さない過渡期で、選挙民の良識、あるいは被選挙者の良識というものがいささか未熟だからというような意味もあつたように思うのでありますが、そういうことはともかくとしまして、教育委員会の制度の欠陥が公選制にあるという事柄は、ひとり教育委員会ばかりでなしに、御承知のような公選制にすべてがなつておりますが、公選制であるからその欠陥があるのか、教育、の中立制が保てないのか、そこの点に私多少疑問を持つのでありますが、私らが考えますと、教育委員会に行政権があつて財政権がない、いわゆる財布を持つていない、この点が教育委員会の中立性のない最も大きな原因であろう。友末さんの義務教育学校職員法案に関するお言葉の中に、地方自治体の育成というものは、行政と財政とが一体にならなければ完全なものはできないのだ。地方自治の育成は、行財政を切り離してはいけないのだというお言葉がおありになる。その友末さんの口から、教育委員会の実態に非常な欠陥があるといわれましたが、財政権がないから欠陥があるのだといわれますならば多少私はわかりますが、その点ちよつとお尋ねしてみたいと思うのであります。 それから山本先生に一言だけお尋ねしたいと思うのでありますが、諸外国に数回にわたつて行かれまして、教育行政並びに教育財政の御研究の専門家であられますあなたの午前中のお話は、非常に感銘を受けるものがあるのであります。私時間がありますればいろいろお聞きしたいのでありますが、率直に一言だけお聞き申し上げます。もしこのたびの、政府が提案しておる義務教育学校職員法案なるものが、かりに不幸にして通過いたしたといたしますれば、諸外国の例を多々お持ちになつておられますあなたの御見解としては、教育という面において、諸外国と比べて、日本の今後の教育というものは、これが一番上等だというお気持でありますか。それともこんな妙な教育行政並びに教育財政のところは、諸外国には一つもないというふうにお考えになりますか。御感想をひとつお聞かせ願いたいと思います。以上でございます。
○友末公述人 都道府県教育委員会の制度の持つております欠陥についての御質問でございますが、現在公選制により都道府県にできております教育委員会の実態が、中立性を保持いたしまする上において実際適当な姿になつておるかどうか、これに対しましてはいろいろ見方もありましようし、考え方もあろうと思うのでありまするが、実際の姿から参りますると、やや中立性を保持する上においてどうかというふうに私は判断いたしておるのであります。と申しまするのは、教育は不当な支配に屈しないで、あくまでも地方住民のために中立的な立場に立つて、その教育の仕事をやつて行くのが本来の生命だろうと思うのでございます。ところがそれに適応いたしまするところの委員を選考いたしますることが、実際の面でなかなか容易でない。他の行政の面から言いますと、やや政治的な色彩の強い人が公選に出られることも非常にけつこうでございます。ところが教育だけにおいては、色のつかない、あくまでも純粋な立場に立ち得る人が望ましいのでございます。これが実際問題としてなかなか選任できにくい。各府県の教育委員の皆さんの姿を見てみましても、いずれかと申しますると、選挙のたびごとに教員出身の方方が多くなりつつある。県によりましては、ほとんど大部分が教員の経歴を持つておられる人になつておるところもあるかと思います。どちらかと申しますると、実際教育の経験を必要といたしまする事務的なことは、しつかりした事務局があるのでございます。その事務局の上に立ちまして、全体の住民の皆さんの要望せられまする教育の方針を立てたり、あるいはまた人事をやつたりという重大な仕事をいたすという意味から申しますると、今日の状態ではいかがか、かように私は考えまして、これは何ら制限なくして直接選挙が行われておるという結果ではなかろうか。そこでむしろこれは行き過ぎであつて、公選されておりまするところの知事あるいは議会というものが、共同いたしましてりつぱな人を選びますることがむしろ適当ではないか、かような考えから申し上げたわけでございます なお行政と財政を分離いたしますることは、いずれの面から申しましても、行政の実際の能率的な運営はむずかしいのでございます。やはり責任というものがはつきりしませんと、責任転嫁になりまして、住民としては一体どこに責任があるのかわからないというふうなことになると思うのであります。そこで教育委員会に行政権、財政権ともに持たせるという行き方も確かにあると思います。これは教育と他の行政とを完全に分離するという行き方だろうと思います。さような方向をとります場合においては、教育委員会に行政権を持たせるのなら、やはり財政権も持たすのが適当ではないかと思います。ところが私どもの考えといたしましては、行政をばらばらに分離いたしますることは、全体の行政の能率化、あるいは責任の明確化という面から言つてどうか。実際の面から申しますると、教育も他の一般行政と密接不可分の関係にあるのでございます。特に社会教育の点などになりますると、教育の面か他の行政の面か、実際に考えて実にむずかしい点がある。私ども行政をやります場合においては、やはり教育というものをあらゆる行政の基盤に置きまして、そうしてこの上にいろいろな行政を組み立てて行くことが一番望ましいと考えております。そこで教育行政も他の行政と分離することをしないで、むしろ地方行政は一体化の問題として考えて行つた方が責任も明らかになりしますし、能率もよろしいのじやないか、そういう意味におきまして、この教育委員が全面的に行政権、財政権を持ちますることには賛成をいたしておらない、かように御了承いただきたいと思います。
○山本公述人 御質問は欧米諸外国と比較対象して、日本の教育行政あるいは教育財政が、もしこの法案が通つたならばどういうようなものになるであろうかということでありますが、結論を下します前に、多少説明的に申しますれば、教育委員会制度をとつておりますのは主としてカナダ、アメリカ等であります。これは御承知の通りであります。しかしこの場合でも、中央からの、あるいは州からの教育委員会に対するコントロールというものは極度に―もちろん中央政府からの場合はアメリカなどにはありませんが、縮減をいたしておる。財政的な補償はいたしましても、これを縮減しておる。それからヨーロツパの場合でありますが、これは教育委員会制度のようなものが各国におきまして十分に発達し切りまして、そして一種の民主化の役割を十分に歴史的に果しました国が多い。イギリス、スエーデンそのほかであります。従つて一般地方行政の中に包含されているような形をとつておりまして、単独の会議制行政機関としての教育委員会制度はヨーロツパの主要な各国には存在はいたしておりませんが、わが国の教育委員会が目途といたしておりますような、教育が地方の実情に即するということ、それから教育の地方自治というものは、これはボードのシステムではありませんが、コミティーのシステムによつて十分に確保されておるのであります。先ほど申し上げましたように民主化のためのインスツルメントとしての役割は、それほど諸外国においては必要がなくなつたのであります。わが国においてはこれがありますから、どうしてもわが国の場合には必要であると思います。 欧米各国の趨勢を一言で申せば、国と地方との互いに協力し合う、互いに見合うところの相関関係、相互関係、パートナー・シップあるいはインターデイペンデンスというものを強めまして、ただ単なる集権でもなければ、ただ単なる分権にも片寄らないというのが、欧米各国の趨勢であると申してよろしいと思うのであります。しかし新しい集権は支配のための集権ではないのでありまして、あくまでも地方に対して保障を与え、すなわち地方に対するところの一つのサービス行政という目的を持つたものになりつつありまして、監督行政ではなくなりつつあるのであります。 わが国の場合において結論的に申せばどうなるかといいますと、教育委員会制度というものが存続せしめられまして、行政的には委員会法の明文にありまするごとく、まつたくこの非常な広汎な行政的な独立的な執行権は与えられておる。しかしながら現状はどうかというと、行政の明文は地方分権でありまするが、わが国のこの非常な畸型的な特質といたしまして、財政的には今でも中央集権であります。それを定員定額というやり方によりまして、しかも算定基準の定員定額でなく、まつたく行政措置的な定員定額によりまして、官吏の割当配給を国から都道府県を通して下へおろすというやり方、そうして人事管理を独任制の大臣が掌握いたしまして、都道府県教育委員会の教育長を選任する場合におきましても大臣の意見をあらかじめ聞かねばならぬし、人事管理の権限は国の機関委任の措置であるからと称しまして、市町村教育委員会の場合におきましても、都道府県教育委員会の場合におきましても、独任制の大臣がこれを掌握をいたしますということは、この教員の給与、人事の面を通しましての最も徹底したる集権制度であります。それは管理委任をするとは申しますが、定員定額というわくによりましてこれを押える。しかもこの定員定額は従来のものとは違うのであります。ゆえに非常な奇妙なものができます。どういうものができるかと申しますれば、たとえば半分が白で半分が黒ん坊というものができる。半分は地方自治に見え、半分は集権であります。混血ではないのであります。そういう半身不随的な制度をつくりまして、そういう制度が諸外国のどこにあるかと申せばどこにもありません。ありません。こういうものはありません。あれば私は実験材料としてぜひそれがどうやつておるかを見たい。どこにもありません。教育委員会制度を置きながら、そういう人事の給与を通じまして、定員定額という行政措置的なものによつて給与を負担し、しかも人事の指揮監督をする委員会法を見れば、まつたく非常に広汎なほとんど無制限な独立を与えておるというような、そういう奇妙な教育行政制度をとつておる国はどこにもありませんし、またいかにも教育行政の面におきまして非常な無制限な独立を与えておるかのごとく見えて、実際はこの財政の面において中央集権を保持している。こういう行政と財政のずれのかくもはなはだしきものも諸外国にはありません。ことに今度の法案が通過いたしましたときは、非常なグロテスクなまことに奇妙な醜悪醜怪きわまるところのものができるのであります。何かにたとえて申せということでありますから、そう申し上げます。
○坂本委員 私は時間の関係もありますから、一つだけお二人の方にお聞きしておきたいと思います。それはあるいはすでに述べられたことの確認になるかもしれませんが、一番この法律案について大事なことでございますから、確認という意味でもよろしゆうございますのでお尋ね申し上げたいと思うのであります。徳永さんが帰られたのは非常に残念でございますが、あとで来られたらやることにいたしたいと思います。 この法案は、最初義務教育全額国庫負担法ということで発表されましたものですから、国民は非常にうれしく感じまして、老朽校舎も復旧できる、戦災、災害の校舎も復旧できる、教材費も、給食費も、学校の先生方の地位の保障もできるであろうというので、非常に期待をいたしておつたのであります。しかしながらその反面において、現在のような日本の財政状態におきまして、義務教育の全額国庫負担と申しましてもこれがはたしてできるかどうか、この点につきまして非常な心配をいたしておつたのであります。ところがこれが今度の義務教育学校職員法という単なる身分法になつて現われて参つたのであります。しかも今まで公述人の方が申されましたように、教員の給与の問題につきましても、定員定額の問題につきましても、非常に問題になり、特に教育の中央集権化、教育の国家統制という見地から、単なる身分法であるけれども、この大きい問題を中心としてここに問題が起きまして、今度は教育防衛という名前でこの法案に対する反対の国民運動が起つておるのは国民の周知のところであります。そこでこの点に対しまして、山本さんは、この法案は民主主義の破壊である、中央集権化であるから、これは防止しなければならない、こういう御発言があつたのであります。また徳永さんは、教育が政治のうずの中に巻き込まれないようにしたい、こういう御発言があつたのであります。田中さんは、教育の中央集権であり、国家の教育統制の遂行である、こういうことを述べられておるのでありまして、友末さんは、地方自治の破壊であり、教育の中立性が保障できない、こういうことを申しておられるのであります。そこで私たちがここに教育防衛、どうして今の日本の教育を守らなければならないかという観点に立ちますと、やはりこれは教育の基本的原則に立ち帰りまして、三原則と申しますか、教育の自主性、教育の民主性、教育の地方分権、この三原則を守るかどうかの問題であるのであります。四名の方々は、こぞつて今申し上げましたようなことを申しておられるところから考えますと、この教育の基本三原則は、何としても守らなければならない、かように受取れるのであります。ところが徳永さんは、教育が政治のうずの中に巻き込まれないようにしなければならない、こう申しておりながら、この法案に対しては、よく話合いをしてやつて行きたい、それからよく話いをしたならばできるじやないか、そのほかいろいろ申されましたが、役さんのやられることに対しては、これは従わなければならぬじやないかというふうにも受取れるのであります。ところがわれわれがここに一番心配でありますのは、教育が中央集権となり、国家統制となりまして、三原則の破壊されることであります。従つて山本、田中、友末三名の方々は、この見地からしてこの法案に反対をしておられると私は推察いたす次第でありますが、徳永さんは、この法案に対しては、話合いをしてやると言われる、そこが私はまだ国民が義務教育の全額国庫負担という大きい名前に魅力をされまして、現在の学校職員法によつて教員を国家公務員にいたしまして、この教育の三原則を破壊する、これが一番恐しいことであるから、これを破壊して日本の今の教育を守らなければというのが、今国民の間に行われておるところの教育防衛である、かように思うのであります。従つてこの見地に立ちましたならば、社会教育委員という肩書もある徳永さんが、その点を考えずに、ただお役所がやられることだから、よく話合つて従つてやつたらいいだろうというような、この安易な道では、私は決して解決できないと思うのであります。この橋頭堡をつくらせたならば、やはり戦前のような教育の統制になつて、徳永さんが母親として先生のストライキを心配しておられる以上に、八百万という戦死傷者を出した、ああいう悲惨な状態に陥りはしないか、あの教育勅語によつて、あの軍閥によるところの国家統制によつて、そして日本があの敗戦の状態に陥つたそれと同じような、逆コースの橋頭堡をつくるのがこの法案じやないかというので、ここに教育防衛をいたしておるので、私は単なる話合いとか、そういう安易な道で、これは解決できないと思うのであります。この点について、私は、あの社会教育委員である人が、もう少し深く考えないかということを残念に思うのでありますが、これは言いつぱなしで帰つてしまいましたからやむを得ませんが、残つておられる二人の方々は、先ほどの御発言によつて推測はできますけれども、この点について、単に文部大臣の、教員を国家公務員にして、そして義務教育の全額負担を充実いたしますというような、安易な手には乗ることはできないと思う。これは教育防衛の重要な点だと考えるのでありますが、この点について確認的なことにはなりますが、二人の御所見をお伺いしたい。
○田中公述人 ただいまの質問に対しましては、先ほど申し上げましたように、この法案の目的の第一条はまことにけつこうであります。しかしながらその内容といたします点は賛成いたしかねる、かように私は申したのであります。そのうちの第一番に申し上げましたことが、教員の身分についてのことでありまして、第三条、第四条、第五条、これらのものがそのまま通過いたしたといたしまするならば、せつかく国家統制より離れ、民主化して参りましたところの教育制度が、再び中央集権化し、国家統制への逆行になるのではないか、この点を一方ならず憂えるものであります。従つてもう少しはげしい言葉を用いますならば、この点は断固として守り抜いて行かなければならない、かように思うのであります。
○山本公述人 私はけさほど来、理由を八つ申し上げまして反対をいたしておるものでありまして、今のお尋ねの点にも触れたと思いますが、ただ単なる教育の行政、財政という措置にとどまりませんで、教員の物の考え方とか、物の見方とか、精神状況とか、そういうものにやはりこの法案が実現されました場合は、はなはだ好ましくない影響を持つ。地方の住民に対しましても、いわゆるお上の手による教育という概念を与えまして、その面からやはり一般の人々の気持の持ち方に対しましても、非常な悪影響があると思います。子供にもおのずからあると思いまして、そういう面をも憂慮いたしまして、わが国の民主化を阻害するおそれが十分にあると思います。重ねて申しますが、私は反対であります。
○松本(七)委員 議事進行について。時間がありませんので、あるいは不可能かもわかりませんが、今まで公述していただいた方に質問もまだございすから、もし御都合のつく方は最後まで残つてていただいて、あとの公述を終つてから質問したい思います。
○伊藤委員長 委員長から午前の公述人の方にお願いいたします。もし事情が許すならば最後までお残り願います。都合が悪ければいたし方もありません。 午後の公述に入ります。全国地方教育委員会連絡協議会常任理事鈴木久芳君。
○鈴木公述人 私は全国地方教育委員会の代表としての立場で、意見を申し述べたいと思います。なお私は静岡県の富士宮という、人口四万五千の小さいいなか町の市会議員であり、議会から選出されておるところの教育委員であります。こうした立場からも、少しく意見を申し述べたいと思うのであります。 現行の教育委員会法は、地方自治法、新民法、新刑事訴訟法等の日本民主化のために一連の重要法とともに、重大法規でございます。特に教育の面から民主化は、現在施行されておる教育委員会法による以外に期待できません。これらの重大なる法律は、国民全体の支持によつて守り続け、公正なるこの法の運営によつて、われわれ全国民の幸福と繁栄を期さなければならないと思うのであります。この意味において、現行の教育委員会法の精神は、断じて修正すべきでない、あくまでも現行の教育委員会法の精神に反するような法案には反対であるという声明決定を、全国の地方教育委員会連絡協議会は、二回にわたつて総会、大会において決定して、明確な線を出しております。この線に基いて発言を進めたいと思います。 私は、まず第一に申し上げたいことは、政党内閣制というものに対して、ひとしく疑義を持つものであります。何とならば、現在の与党たる自由党に席を置く文部委員の有能な先生方の御意見としては、あくまでも教職員の身分を確保する意味においての措置は考えられるが現行教育委員会法の精神に反するような改正、修正等は、一切すべきでないというような基本線を私的に承わつておりました。この要綱に基いて政府案が提案されるものと考えておりましたところが、遺憾ながら政府案として提案されたものは、この要綱を逸脱するもはなはだしい、大改悪と言いたい条項が羅列されておるのであります。これに対して政党政治、政党内閣制というものに対して、信頼感というものが一部にぶつて来ておるということを、私は言いたいのであります。冒頭に申し上げました精神から考えまして、この義務教育学校職員法案に対しては、全国地方教育委員会は原則として反対しております。しかし、今回の場合は給与費のみでありまするが、国が義務教育について全額を負担するというこの行き方は、いわゆる教育財政の確立の面から考えて、一歩前進であります。これを橋頭堡として、地方税法の改正その他の面に及んで、いわゆる教育財政を確立させ、―財政のみは確立させても、国が一切この財政面から教育委員会に統制づけることのないような意味において、財政確立をわれわれは要望しているのであります。従いまして、この法案には原則として反対でありまするが、しかしわれわれ国民の最高の意思決定機関たる国会が多数の意思において、もしどうしてもこの法律が決定されるというような場合においては、私たちはどうしてもこれから申し述べるところの一部修正、一部削除を、声を大にして要望するものであります。 この法案のうち、第一条、この条文の主張するところは賛成でありますが、この第一条の条文を、義務教育学校職員法として特にこれを強調しなくとも、これは教育公務員特例法に記載したい条文だと私は考えるものであります。ただいま申し上げました意味からいたしまして、私は修正あるいは削除したいという面について逐条申し上げたいと思うのであります。 第一に、第五条の第一項の、文部大臣の権限に及んでおる点であります。この第一項は、あくまでも現行教育委員会法の精神に準拠いたしまして、「給与の決定権を、」という次を「決定権を有する」として第一項を終り、第二項は、「前項の文部大臣の教職員の任命権及び給与の決定権は、当該教職員の属する学校を所管する教育委員会が行う。」ということにして、原案の「教育長の助言に基いて行わせる。」及び原案の第二項は全部削除してもらいたいのであります。 次に、第六条の目的として(教育委員会が管理執行する事務の指揮監督)とありますが、これは非常にまぎらわしい結果を起すと思うのであります。これによつて現行教育委員会に規定されるところの全部の事務に対して、文部大臣が指揮監督権を有するというように誤解されることが、私は多々あると思うのであります。そこでこれは(教育委員会が管理執行する事務の指揮監督)の指揮を削つてもらいたいのであります。なお第六条の後段の「指揮監督」の「指揮」を削つてもらいたい。なお第六条の第二項の「文部大臣は、教育委員会が前項の規定による命令」とありますが、「この法律及びこの法律に基く法令の規定に」と修正し、第三項の「文部大臣は、政令で定めるところにより、第一項の権限の一部を都道府県の教育委員会に委任することができる。」という規定は全部削除してもらいたいのであります。 その理由は、教育委員会は自主性をもつて運営されるところに、真の意義があることは言をまちません。原案によりますと、文部大臣の指揮監督下に置いて、教育委員会は大臣の隷属機関となるということが考えられるのであります。しかもこの大臣の権限を都道府県の教育委員会に委任をすることができるということは、往年の都道府県にあつた学務部長以上の権限を持つような機関が生まれるということを、われわれは憂うるものであります。これでは教育の中央集権化であり、しかも」この中間機関たる都道府県教育委員会がなお重圧されて、地方教育委員会に監督権を行使するということになるのであります。なおこの一項、二項とも現行法に規定されておつて、あえて本法に強調する必要はありません。特に「教育長の助言に基いて行わせる。」という五条一項の後段でありますが、これも現行法に一部規定されております。私はしいてこの際言いたいことは、全国一万の教育委員会のうち、町村の大部分は助役が教育長を兼任しております。かかる情勢下において、教育長に権限の強化を行わせるということは、断じて反対であります。第六条の括弧内のこの法律の目的を規定してある面については、先ほど申し上げましたように、大臣が、教育委員会の現行法の規定するところの全部の権限について、指揮監督権を持つということにまぎらわしく考えられるから、これも修正意見のように御修正願いたいのであります。 ここに考えなければならないことは、もし万一教職員が国家公務員とされた場合においては、大臣が指揮権を持たないで、最小限度の監督権だけはある程度保有しなければならないと思うのであります。この場合においても、大臣のいわゆる六条第二項の代執行権は、現行の国家行政組織法及び地方自治法等の規定するところに基いて大臣だけの単独な権限で行わず、いわゆる高等裁判所にその命令を行わせるような手続をとらなければ、大臣単独ではなし得ないという現在の地方分権のあり方、国家行政組織法及び地方自治法の規定を適用するような方法にかえてかいただきたいと思うのであります。 第六条三項は、先ほど申し上げましたように全部削除することが正しいと思うのであります。この際私は、都道府県教育委員会は、主として義務教育以外の都道府県立の学校の教育行政機関であつて、教育委員会法の本旨の範囲内において最小限度に市町村教育委員会の連絡調整を行う機関として限界を定め、地方教育委員会は義務教育及び市町村立学校等の行政を行うという原則と限界を明確にする必要があると思うのであります。この意味において大臣の権限を都道府県教育委員会が委任を受けて行使することについてはすべて反対であります。 第八条二項及び三項とも教職員の定数決定についての規定でありますが、この規定によると、都道府県委員会に主導権を持たせて、地方委員会の意見を聞いて定めると、地方委員会の対等な位置であるべきものが転落しております。これはあくまでも地方委員会と協議して定める、もし協議がととのわない場合においては大臣が裁定するということに改正されたいのであります。地方教育委員会に自主性を与えた場合にボス化するということをよく聞きますが、現在地方教育委員会は五人の会議制の執行機関であつて、私は断じてボス化しないと明言できるのであります。 第十条は全面的に反対であります。十条は全部削除すべきであると思うのであります。その理由として、教育に最も重大であり、関係者の最大関心事であるところの人事権の行使について、その責任の所在がきわめて不明確であり、あいまいであつて、かつまだ著しく非能率であります。本法案第一条の精神はこの十条によつて根本的にくつがえされておると言いたいのであります。もし十条のような法案が成立したと仮定した場合に、人事は大混乱を起し、教職員は絶えず戦々きようきようとして、安んじて職務に専念できないと私は思うのであります。教育委員会法の第一条を修正または否定しない限り、本法第十条の立案は矛盾もはなはだしきものと言いたいのであります。第十条第一項は現行法にある。あえて規定する必要はありません。第二項は、広く人材を求めて教育委員会の自主的裁量による人事の運営を行わせるのには必要ありません。現行法で十分であります。第三項、四項については、義務教育学校職員法の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案の第二条に、都道府県教育長は文部大臣の意見を聞いて定めるという規定がありますので、ここに文部大臣から都道府県教育委員会という一本の太い線が一貫して通ると思うのであります。まず第一に、都道府県の教育長は大臣の意見によつてある程度きめられます。都道府県教育委員会は非常に事務が広汎でありますから、どうしても常勤の教育長の意見によつて重要な事務は管理、執行されると想像されるのであります。この場合に、大臣の意思に基いて決定されたその教育長の意思によつて事がなされる。従つて、校長の人事は県の委員会の意見を聞いて定め、校長以外の人事は、その校長の意見を聞かなければ人事の立案、決定ができないということは、文部大臣から都道府県教育委員会という一本の線が地方教育委員会に明らかに流れて来るのでありまして、私はこれを憂えるものであります。 もう一つ考えられることは、この上に輪をかけて、市町村長が教職員の人事に関する協議権を持つという規定であります。この第五項の規定は断じて排除すべき規定だと考えます。教育行政は全部教育委員会に委任されておるにかかわらず、委任を受けておらない市町村長が、国家公務員の人事に干与するということははなはだしい矛盾であります。もう一つ言いたいことは、市町村長は非常に事務が輻湊しておつて、教職員の人事に関する検討、研究、意見を述べる等の機会はおそらくないと思うのであります。ここで市町村はその人事に対する権限を行使するために、必ず市町村長の事務を補助する事務吏員を定めます。数百、数千の教職員を持つておるような大きな市においては、この人事権を行使するためには、人事を主管するところの独立の一課を設けるということが想像されます。ここにおいて市町村長の事務を補助する有給吏員が市町村に生まれます。そうしてこの有給吏員は命令一本で動く一地方有給事務吏員でございます。ところが、これが市町村長の権限において、その名において―法案によると「協議」と非常にやわらかく出ておりますが、法律的に解釈すれば、教育委員会と市町村長と五分々々の権限を持つておると思うのであります。要するに人事に関する権限を持つ市町村長の名において動く一事務吏員の手によつてこの人事が動かされます。これが一方においては予算権を持ち、一方においては人事の協議権を持つて、民意の代表機関たる公選の委員四人と、議会の互選による委員一人、計五人の教育委員会と対等の立場において発言権を持ちます。これで民主政治と言えるでしようか。また直接権限は有しないと言いましても、市町村議会が教員の人事に最大の関心を持ち、間接に市町村長に人事に対するいろいろの要望、容喙があるということは想像されるのであります。かくして、上は文部大臣、県教育委員会、県教育長、地元の教育委員会、地元の教育長、所属する学校長、市町村長、市町村長の事務を補助して人事を主管する事務吏員及びその背景にあるところの議会、たこの足よりもまだ数の多い九本の足によつて教職員は絞めつけられて、ほとんど骨抜きにされて、身動きができない状態になると想像されるのであります。この九つの足によつて絞めつけられた教職員が、どうして自分の職務に専念努力できるでしようか。そして現行教育委員会法に規定されておるところの、教育委員会の完全独立、自主性に基くところの人事権はつんぼさじきへ上げられてしまつて、あらゆる関係機関でもみにもんで、もみくちやにされて決定された人事に対する、ただ一片の辞令を交付するところの機関に転落するということを私は考えるのであります。 なお地方財政が枯渇しており、地方公務員が非常にふえておるといわれておる際に、こういう市町村長に人事に対する協議権を持たせることによつて、人事を主管するところの独立した課が生れ、多数の遊休吏員が増員され、その他地方財政はより以上に膨脹しなければならないという弊害もこれに伴うのであります。もしこの第十条が全部削除されないで法律として成立したと仮定した場合に、教育委員会法の三大原則の、教育の民主化、自主性の確保、地方分権化などはまつたくから題目になつてしまうのであります。義務教育はその地方々々の住民の直接の意思と責任において地域社会に即応した教育をみずからが行うという理想は、これによつて破壊されてしまうのであります。地方の住民は昨年の十月教育委員を直接選挙しております。その際において現行法通りの権限を市町村教育委員会は行使できるものということを期待し、多大の信用をして選挙しております。また全国約五万の教育委員はこれを一般選挙民に公約して当選しております。しかるに教育行政中最大重要事項たる教職員の人事権を、本法原案の十条のごとく改悪するがごときは、住民の最近の教育行政に対する意思を蹂躪するもはなはだしい結果となるのであります。昨年十一月全国に新発足した約一万の教育委員会の基本的な権限を、わずか四箇月半にして骨抜きにするというような理由は、どうしてもわれわれは考えられぬのであります。この第十条のごときは改悪の最たるものであると思うのであります。こんなことではわれわれ国民は国会を中心とした議会政治に対する信頼感がだんだん薄らいで行くということを憂慮するものであります。 なお教育委員会法が現行法通り実施される場合において、地方行政が二元化するということを各所で言われております。私はこの場合二元化しないと断言できます。その理由は、地方の自治制度は権力分立制度を採用しております。地方自治の権力が一点に集中する危険を排除するために、権力分立制度を採用しておる限り、あくまでも時の権力に厳然として自律性、中立性を持つべき教育行政が、完全に正しい意味において地方自治とある意味においては対立することが、むしろ法のねらつておる理想であります。これなくして何の進歩があり、改良があり、教育の自主性があるかと言いたいのであります。感情的や党派的の対立は極力避くべきであるが、正しい意味の対立はむしろ法はこれを理想としております。もし市町村長の意見と市町村教育委員会の意見と、予算案や条例について対立した場合がありとしても、この最終決定は市長村住民の最高の意思決定の機関たる市町村議会が行います。市長村議会は、教育委員会の案に従うも、市町村長の案に従うも、またいずれをも採用せず、全然別の決定をするということも自由であります。この住民の最高の意思決定機関たる市町村議会の決定した線に基いて、教育行政も地方自治行政も運営されるのであります。なお現在教育委員会は、市町村によつて状況は違いますが、三十ないし・四十に近い直接間接の市町村条例に拘束されて、教育行政を運営されております。こういう意味から考えて、私は地方教育委員会が現行法通り実施運営されても、地方行政は原則として二元化しないと断言できるのであります。 なお全国の地方教育委員の当選者の大勢を見まするに、その地方々々の第一流の人物が多数出ております。人格、識見、経歴、信望等において、また前歴においては国会議員、知事、市町村長、県市町村会議員、職業的には弁護士、僧侶、医師、教育者等、既成的な人物といえばいえるかもしれませんが、とにかく有能な第一流の人物がたくさん出ております。これはいかに教育に対して一般住民が高い関心を持つおるかという証拠であります。日本が真に民主化されており、永久に民主国家として努力するというならば、教育委員会法を完全に守り続け育成して、初めて世界の民主主義国家に、声を大にして、日本は永久に民主化されるのであるということを言い得る唯一の具体的な事象になると、私は考えるのであります。 最後に、本法が改正される場合には、当然義務教育学校職員法の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案は自動的に改正されるということは想像されますが、なお念のために申し上げておきたいことは、このむずかしい長い文句の法律案の第二条の中に、都道府県の教育長は文部大臣の意見を聞かなければきあられないとある規定を削除してもらいたいのであります。なお第八条の(三の二)の後段中に、都道府県教育委員会は市町村教育委員会を指揮監督するとあるを削除されたいのであります。 はなはだ浅学でとりとめもないことを申し上げまして、どうも失礼いたしました。
○伊藤委員長 次は言論出版界代表小汀利得君。
○小汀公述人 私は老新聞記者で、もう新聞記者も隠居しておる方であります。なお教育の方は一向専門知識がありません。従つて今まで皆さんの話を聞いておりますと、非常に該博な専門知識をもつて公述をやつていらつしやるので、私の方はやじうま的言論に終るのではないかということをはなはだおそれますが、ただ私が今度の法案をざつと読んで、あるいは新聞その他を通じて知つたこと、あるいはかねがね知つておることから帰納した考えを簡単に申し上げてみたいと思います。 第一、私は今度のこの法案はたいへんけつこうだと思う。あくまでも支持したいと思う。その一番根本の理由は、教員の政治活動を押えることができる、これを改めることができるという点において、私はこれを大いに支持します。これは政府としてはそういう考えはないかのようなことを新聞紙上その他で承知しておりますが、あるいはそうであつてもかまわない、動機はどうでもかまわないが、結果において今行われておるはなはだふらちな、あるいは少くともはなはだおもしろからざるところのいろいろな活動がなくなるということは、たいへんけつこうだと思います。実は先刻昼の時間にちよつと用事もありまして外へ出て、よその社の、やはりこれも古い記者ですが、会つたところ、何だその記章は、と言うから、実はこうくいうことで今ちよつと昼飯に出たんだが、これからまた行つてやらなければならない、と言つたら、お前は賛成か反対か、と言うから、いやもう大賛成だ、これをいいと思つている、こう言つたところが、その通りだ、おれも盛んに賛成論を書いておる、たとえば日教組が教育委員というものに非常に反対をして、これをスローガンに掲げていたが、今や何かこれをたいへん大事なもののように言つておる、それから何とかも言つておる。どうもはなはだうそが多い。だからそういうことは、はなはだけしからぬ。それは大いにやれ、おれはそれは読んでいないが、君は確かか、いや確かだ。おれはちやんと証拠をいくらでも持つている、だれだつて知つている、君だけが知らないのだよ、そんなものを知らない者はいないのだ。こういうことで力づけてくれたので、なるほどと特にそれでうれしく思つたのです。 いろいろ出ておるビラだとかその他のものを通じて考えますのに、あるいは地方を歩いてみると、この間、新聞に出ておつたが、名古屋あたりで、日教組の愛知県の支部か何かの関係らしいが、学習帳というものをこしらえて、特別の印刷関係で刷つて、それを売ろうとしていて、教育委員会から注意を受けて、いろいろ問題がある。こういうようなことがあるので、これははなはだよろしくないことだ。またきようやつているらしいことでも、この間ハン・ストをやるといつたとか、やつたとか、そういうようなことにつきましても、普通の労働者のストの権利の場合とよほど違うものがある。それは法律的に言うならば、いろんなことを言い得るけれども、われわれ新聞記者は常に不偏不党、自分の好むところはあるが、できるだけ不偏不党で行かなければいかぬ。それは批判力を持つた大人の読者を相手にしてさえもそういうふうにやらなければならないのに、小さな子供、しかも先生というものをほとんど百パーセント尊敬し、信用しておる生徒をつかまえて、そこに政治的な意図を持つて教育し、あるいは導くということははなはだおもしろくない。私ども家庭においても、子供はできるだけ先生を尊敬させるように教えております。教えないといかぬからそうなるわけなんです。それがどうも変な結果になるというおそれがあつてははなはだ困る。そういう意味で私は、もう多くを言うを要しない。それだけでこの法案は、相当の欠陥があるにしても、ぜひ通していただいて、そうしてあとまた欠陥があつたらば、それぞれお直しを願いたい。 また国会というものについて、今のいわゆる議会主義に疑いを持つていらつしやる方もおありのようですが、私は、これは非常な尊敬を持つている。敬愛の念を持つておる。何としてもわれわれが藩閥や軍閥や官僚の徒にひどい目にあわされた過去の経験から見ると、われわれが選んで出した国会議員というものは、悪ければ数年に一回かえ得る。その点において私は満幅の信頼を持つております。もちろん個々の場合においてあるいは不満を述べ、反対を述べるということはあります。そういう意味において、もちろんこの案も完全なものじやありますまい。それからまた将来もいろいろ問題が起り得ると思うから、もし悪ければ、その必要があつた場合にはしかるべくお直しを願つてよろしいと思います。それを前置きにして、この法案を読んだ私の感想を簡単に読み上げます。 一、義務教育を改善し振興するためには、いろいろ考えなければならないことがあるが、特に必要と思われることは、左の諸点であります。 (一) 義務教育の水準を向上すること。 (二) 義務教育の地域差、学校差を少くし、悪いところでも、一定の水準は維持できるようにすること。 (三) 義務教育費が地方財政を圧迫しないようにし、進んで、父兄の負担を軽減するようにすること。 (四) 義務教育の政治的中立を堅持すること。 二、義務教育は、現在国が教育内容や施設設備の基準を定めておりますが、学校の設置や運営や、教育内容その取扱い、(即ち教育のやり方)、教員の人事などは市町村にまかせ、教員の給与の負担は、都道府県にまかせています。これがため義務教育は次のような点で振興を妨げられる。 (一) 義務教育費が地方財政を圧迫するため、義務教育費自体が圧縮される。貧弱な府県、市町村ほどそれが著しい。そのため (イ) 学校の施設設備が改善されず、二部授業や危険校舎使用が行なわれ、図書教具の不足する学校もでき、教育水準の低下を来す。 (ロ) 教員の給与は、富裕都道府県と貧弱都道府県とでは差ができる。また負担を押えるために、教員の数を押え、高給者をつくらないようにしたり、資格の低い教員が増加するような傾向を免れない。初任給の額、昇給率、年末手当、退職手当なども、府県間で差ができます。義務教育に従事する教員は、全国どこへ行つても、同じ待遇を受け、また全国どこの学校へ行つても、教員の質やその構成は、大体同じであるべきであるのに、それに差ができます。 (ハ) 教員の給与に地方差があるばかりでなく、公務災害の場合の補償も、恩給も、狭い都道府県の範囲内で扱われているので、地方の財政事情でまちまちであります。 (二) 教育内容の取扱いが地方にまかされ、学校の運営が地方にまかされているので、設備施設の差、教員の質の差、文化程度の差などと相まつて、地域差、学校差ができます。学力の低下、道義の低下などは、詳しく見れば、地域、学校により、はなはだしいところと、そうでないところができる。 (三) (イ) 教員の人事が市町村単位に行われるので、教員は市町村ごとに固定いたします。また市町村各個に人事を行うから、全国的視野から、学校差、地域差を少くするような教員の適正配置が困難であります。教員の転任が容易でないので、気分的重圧を受けます。―これは先ほど徳永さんがおつしやつた島根県の実例のようなものは、その一つだと思う。―僻地などへの就職希望者がなくなり、都市に人材が集中する。これは危険なことだと思います。 (ロ) 教員人事が市町村単位に行われることは、必ずしも悪いことではない。その土地の実情に応じた教育を行うため及び教育の実効をあげるには、教員が一つところに腰をおちつけてくれることが必要であるが、それには身分待遇が保障され、新天地への転出の可能性も保障され朗らかな気分で勤務できなければならないと思います。 (ハ) また市町村のわくにとらわれず、もう一段高いところから、人材を適所に配置し、山間僻地へも、教育熱の低いところへも、人材の配置ができなければならないと思います。 (四) 義務教育はすべての国民が受けなければならぬ教育であり、国民はこれがため相当の税金の負担をしております。そして国民はそれぞれ政治的信条を異にしております。だから公費によつて支持される学校の教師が特定の政党の支持または反対のための政治教育や政治活動を行うことは、子弟の父兄のみならず、その他の国民にとつても甚だ迷惑千万なことであります。これらの政治活動が教師個人という形を避けて、教師の職員団体またはその身がわりの政治団体という名において行われようとすることは、まつたく同様であります。その効果においてこれはより有効であるだけに、国民としては一層許しがたいものがあります。 なおこの点について、今こういう制度をとらないで、これをうつちやつておいて、徐々に国民の輿論と教師の常識の発達に訴えたらという見解もあるようです。それはなかなかそういう望みがありません。われわれの長い間の経験によつてみても、これはますます悪くなる方の傾向が強い。これはやはり一つの転機を与えなければ直るものではありません。これはもう多年の経験でもわかるし、理論的にもだれでも承認するところであります。 また教師自身の利害、教師の立場から考えましても、政治活動は必ずしも教師にとつて有利ではありません。ある教師が特定の政党を支持することは、必ず反対党側からの反感反抗を招き、その身分を不安定ならしめ、安んじて教育に専念することができなくなります。 現在教員は地方公務員であるため、政治活動の制限は、国家公務員法によらないで、地方公務員法の規制を受けるから、制限範囲がはなはだ狭い。たとえばある市町村の学校の教員は、その市町村外へ出れば制限を受けません。これは。もちろん御存知の通りでしよう。そのために政治的中立を保つことが困難となり、いよいよ弊害を生じておることは明らかであります。 三、以上の障害を打破して、義務教育の振興を期するには、まず第一に、国が義務教育にもつと責任を持つて、都道府県財政中五割を占める教員給与費を国が支弁するようになれば、都道府県財政の伸縮性が確保されまして、都道府県行政のおのおのの特色ある執行が可能となり、また地方自治の実をあげることができるでありましよう。 地方教員給与費を国庫支弁にすれば、教員給与の地域差がなくなるので、優秀教員の偏在等もだんだんなくなるのではないかと思います。そうなると、教育の機会均等が著しく促進されます。また教員の機会均等の実現は、民主主義教育の根幹でありますから、この制度が確立されれば、民主主義教育のための一大進歩であると思います。 それから市町村の財政緩和のため、教材費、施設費などについても国の負担を次第に多くすることは、これは決して困難でありません。さらに教員を国家公務員として、従来からすでに国家公務員たる教員であつたと同様、政治的中立性を持たせるということが、今度の法案の一つのねらいでありますから、たいへんけつこうだと思う。また教員の身分を国家公務員としまして安定させ、待遇を保障し、人事権の根源を国に置くことによつて、教員の配置や交流が順調に行われるようになり、教育の地域差等を調整することができる、こういうようなことからいたしまして、先ほど申し上げた政治活動の点も非常によろしいと思います。 最後に考えなければならぬことは、すべてものを改めるときには、抽象的な理想に照して論議することは、害が多くて益が少い。やはり現状を顧みながら、その現状をいかにして打開するかということをまず基礎として考えなければいかぬと思います。その点からいつて、今度の法案は、もちろん個々の点については多少異論といいますか、異見はありますが、大体大いに賛成すべきものだ。特に今日の状態においてこれはいいことだ、こう思います。
○伊藤委員長 次は全国教育委員会連絡協議会の松澤一鶴君。
○松澤公述人 全国都道府県の教地委員会委員の協議会というものが今ございますが、本日は私はその代表のつもりで出て、ここに示されました義務教育学校職員法案並びにそれに伴う法案に対しまして、全面的に反対の意を表したいと思うのであります。 この法案の実施を見ますときは、第一条の項目にございますところの「義務教育に関する国の責任を明らかにするため、」云々から「職員の地位及び待遇を保障し、もつて義務教育の水準の維持向上を図ることを目的とする。」というこの第一の目的は、少くとも教職員の待遇は保障されないと私は思う。義務教育の水準の維持向上どころか、むしろ水準は低下される。またこの法案の各条におきます無理、不合理というものは、これはすでに諸先生方からの意見も出ておりますが、教育基本法、学校教育法等の一連の教育法あるいは自治法に抵触いたしまして、憲法の自治の精神にも相反するのではないかという趣旨において、まつたく全面的に反対をいたしたいと思うのであります。 義務教育に関しまして国の責任を明らかにする、これは今までどうしておつたのだといつたようなあげ足とりはいたさぬまでも、むしろ当然なことではございましようが、いきなりこの一題を取上げて、これを教職員の身分の切りかえや、任免方法の改正に持つて行くという必要がどこにあるであろうか。政府の責任を明らかにしてもらうならば、今一番大切に思われておりますところの六・三校舎を完成し、危険校舎を早く直してもらいたいし、不足な施設も早く充実してもらいたいし、災害あるいは戦災等の復旧もお願いしたいし、あるいは人口異動による校舎の不足等の充実やあるいは就学不能者といつたようなものを救済すること、これらにつきましては直接政府の責任であるものもございましようし、地方の自治団体の財源の貧困によりまして、これらの補助というような面から必要なものもたくさんございましよう。こういうようなまず先決すべき幾多の問題があるにもかかわらず、いきなり教職員の身分に持つて来たその間の事情が私には解せないのであります。この教職員の身分、待遇の問題につきましては、戦後において教育優先という立場から、各自治団体が苦しい財政の中から、何とか他の一般公務員より優遇するとかいうような実をあげて来ましたし、われわれ全国の教育委員の協議会等におきましても、国会に請願をし、陳情をいたしまして、さきに例の義務教育半額国庫負担法ができたばかりで、すでに国庫が負担してくれるという方向は定まつており、漸次安定した方向に進み得るというときに、これが突然にこういう形でもつて切りかえられて来たのであります。どうしてこんなにあわてた処置をとるのだろうかという点を私はふしぎに思うのであります。私どもさきに義務教育の半額負担法というものを確立していただくために、大蔵省方面にこの予算の裏づけをお願いしたときには、二十八年度においている半額の六百六十億の目算がつかないからというので、一年延期というような説に大いに悲観をいたしておりましたところ、それがたちまちにして全額負担という名の法律案にかわつて来まして、それが反転して今日のこの身分法に切りかわつて来てしまつておる。まことに朝令暮改と申しますか、このような変転はなはだしいときに、一体国家百年の大計と言われております教育問題が、このようなうわついた施策の連続であつてよろしいかどうか。まずこういう意味において全面的に疑惑の目をもつて見ますし、またこれらの一連の施策のために非常な不安を起しまして、教員の身分の保障どころではないというようなことを考えざるを得ないのであります。 一体、義務教育の教職員に対しまして国家公務員にする必要がどこにあるか。費用も全額を国庫で持とうというのではない、一部の都道府県に対しては費用を出さないところもございますし、また給与だけにつきましても完全に保障されておるわけではないし、また先生方は国の機関に働いているというわけではない。働いているのはむしろ市町村立の小中学校に働いておられるのであります。国の機関における職員でもない。任免権は今度の法律によつて文部大臣が握られるから、どうやら国家公務員という形になるかもしれませんが、これらのすべての条件が具備しない公務員で、しいて言うならば、政府が単に、義務教育というものは国が直接手を下して責任を負うべき国家の公務といつたようなことだけに解して、それだけの必要から国家公務員にされるといつたようなことだけではないかと思うのであります。それで、それに対しまして一連の理由をくつつけております。しかしながら私は、ここに持つて来た考え方の内容というものは、国が直接手を下して義務教育をやるという以上、当然教育の内容その他についてもおそらく画一的なもの、あるいは教科書もまた文部省検定といつたようなことが起る前提ではないか、いわゆる国家統制の教育というものが実に恐ろしかつたということをようやくわれわれは教訓として知つたばかり、それに対してようやく対策ができたばかりなのに、また再びこの考えを持つて来るからこそ、国が直接手を下して教育を行わねばならぬといつたようなことを考えたのではないか、私はまずこの考え方は理念的にすでに逆コースをたどつておるし、またこういつたような考え方のもとに国家公務員にするという、その考え方の恐ろしさというものを十分に皆さん方に味わつていただきたいのであります。従つてこれらの点だけからも、国家公務員にするということはまつたく意味のないことで、むしろ非常に危険を胚胎しておるんだということをお考え願いたいと思うのであります。 この考え方は、申し上げるまでもなく、すでに地方自治法とかあるいは教育委員会法の精神に根本的に抵触するものであります。当然国家統制というようなことから考えられますものは官僚統制あるいは政治の教育への介入。もちろん教育もまた地方行政の一つではありましようけれども、少くとも教育だけは政治の変動からはなるべく中立を守りたい。その中立性を維持したいというのに対しまして、この統制の結果は当然官僚統制もしくは政治の介入ということによりまして、この中立性は根本的にひどく侵されると私たちは考えたいのであります。しかも先ほどからすでに指摘されておりますが、この任免の問題あるいは教育長の選定にあたりまして文部大臣が介入するといつたようなことは、これが教育委員会法の精神に対して不当な圧迫でなくて何であろうかということを考えるのであります。地方自治強化の問題にもまつたく矛盾した考え方であろうと思うのであります。このように、単に給与を部分的に府県へ渡したということだけで、国家公務員とするには、まつたく理由のないことであります。すでに先に立たれました弁士の方は、あるいはこの間において何か政治的の意図があるというようなことを議論しておられましたが、かりにそうだとしても、地方自治との摩擦というようなことを考えますれば、これごそまつたく悪政の見本であるというふうにしか考えられないのであります。名のみの身分保障でありまして、はたして義務教育の教職員がこれによつて身分保障を得られたとするのでありましようか。ふらふらとした政策のもとにこのような国家公務員がはたして身分保障の実を上げ得るでありましようか、私は大いに疑問を持つのであります。 その上待遇の問題、これも全額負担というような名前で始められたために、すでに多くの弁士、公述された方方もその点については喜ばれておりますが、すでにその域を離れてしまつて、この法案は単なる身分法案であります。そうして現在定員定額でもつて、完全な全額負担ではなくなつております。その上給与だけについて言いましても、福利厚生に関しまするいろいろな費用、研修に要します費用というふうな、当然職員の給与の中に入らなければならぬものが全然計上されておりませんので、これはとりあえず地方でもつて負担しておけということで、いつになつてほんとうの意味で負担していただけるのか見当がつかない。その上に先ほどから繰返しますが、八都道府県その他の府県におきましても金が余つたら財源を吸上げると言つておられるのでありますから、これこそまつたく完全な全額負担ではないのであります。定員定額の強行によりまして、まつたく地方の実情を無視いたしまして、実支出額によるのでないために、定員定額によつて費用は確保されていると申されますけれども、今年度の予算を見ましても全額において足りないのであります。先ほど友末知事からも、総額が義務教育職員の給与だけにつきましても一千二百九十億という数字が出て参りましたが、当教育委員会におきましても調査した結果は、二十八年度の給与の増額、昇給ということを除外いたしましても、一千二百二十億に近い金がいりまして、これらを加えますれば1千二百五十億になんなんとする金になるのでありまして、これに対しまして、八都道府県の分もまた文部省は一千百四十何億という金でありまして、全体において百億不足しておりますものが、先ほど友末知事が言われたように、地方においては、何らしわ寄せにならないような方法がないのであります。その上に今年度の経過措置についてもはなはだ乱暴な措置をいたしておりますから、当然これでは地方自治団体がこの予算に対してそつぼを向く、それだけで教育費全体に大きな支障を来すということになるのでありまして、これがそれでは二年たち、三年たつてよくなるかといつて考えてみましても、これらの定員定額で押えられている限りは、すでに先にも触れておられましたが、定員定額ということは実績はもうすでにわれわれにはわかつておるのでありまして、これによりましておそらく当然教育の低下ということを来すのであります。教員の身分も保障されず、また待遇がこのようなことで全体として保障されず、このようなことではまことに教員の人たちも非常な不安を感ずるでありましよう。私は教職員の方々が政治問題やあるいはストライキをするなどということは、子供に対しまする影響を考えましてもちろん好むものではございません。むしろ反対いたしたいものでございますけれども、政府がかようなふらふらした政策もしくは無責任な政策をとり、その上教員の身分さえ保障されなければ、彼らもまたこういつた方策に出るのはあたりまえじやないかというような心持にさえなるのでありまして、われわれは極力今回新聞に載つておりますようなストライキの問題は押えておるのでありますけれども、自分の生活の保障が得られないときにおいて、これをまつたくするなということについては私は責任がとれない、まつたくこれは政府の責任であるということしか申し上げられないのであります。 さらに教材費の問題その他におきまして不足を来しております。これらの教職員の身分の問題等から、私はこの法案というものがむしろ将来の教育内容の低下を約束しておるという意味において、この法案をつくることそれ自身がこの法案の目的を没するものであり、没目的である以上はこのような法案は少くとも早く撤回されまとて、そうしてむしろ逐次教育の問題も内容を改善して行く予算の組みかえ等も行つていただきまして、今日迫つております教育危機を回避せられるよう、ひとつ国会の先生方にお願いいたしまして、ぜひともこれを葬り去り、これを撤回していただくようにお願いいたします。 都道府県の教育委員会といたしまして本法案に対します反対意見を陳述した次第であります。
○伊藤委員長 この際お諮りいたします。日本教職員組合副委員長の今村彰君を公述人に指名いたしておりましたが、御出席になれない旨であります。衆議院規則八十五条により代理人として、日本教職員組合調査部長の矢田勝士君を指名いたしたいと存じますが、御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○伊藤委員長 御異議なしと認め、矢田勝士君を公述人に指名いたします。矢田勝士君。
○矢田公述人 突然かわりまして御無礼いたします。私は日本教職員組合を代表いたしまして、現場の教職員五十万の意思をここに披瀝し、義務教育学校職員法案に関する反対意見を開陳したいと存じます。 反対の理由を要約いたしますれば四点になりますが、その第一は本法案作成の経緯についてでございます。すなわち政府は少くとも昨年暮れまでは、第十三国会で成立いたしました義務教育費国庫負担法によつて、教職員給与費については実支出の半額、教材費の一部を国庫で負担する方針のもとに二十八年度予算要求を行つて参り、国会の答弁や、また私どもとの交渉においても、岡野文部大臣御自身からしばしば言明されたところであります。しかるにそれが二十八年度予算査定も終るというころになつて、にわかに給与費を定員定額方式に切りかえて、全額国庫負担の美名を掲げて広く国民に宣伝を開始して参りました。正直で、かつ純朴な父兄並びに国民の方々はこれにだまされました。国家財政の実情は実支出の半額さえ国庫負担することが困難であるとして、大蔵省、自治庁は半額負担法の一年延期さえ強調された中で、全額国庫負担などは明らかにごまかしであつて、知事会、全教委、市町村会等が、あるいはまた新聞、報道等の輿論がはげしく反撃を加え、めまぐるしく変転した結果、遂に当初の財政措置法から職員法案という身分法にかわつて参つたのであります。しかも政府はみずから設置した地方制度調査会や中央教育審議会にも諮ることなく、世論を無視したやり方、この一事をもつてしても現在の政府がいかに民主主義を軽視するものであるかということも明らかであり、この法案と道義の高揚を結びつけようという点も逆コース的道義以外には考えられないと思うのであります。 私どもは今国会における重要法案については、警察法にしても、スト規制法にしても、独禁法改正法にいたしましても、すべて独立に際して制度の改変をはかるという名目のもとに次々と反動的意図をもつて打出され、国民の基本的権利を剥奪しようとする企図のみに急であつて、本職員法をも含んですでに予算委員会でも文部委員会でも明らかにされましたように、予算措置その他において不用意きわまる措置であることを指摘したいのであります。このように重大な、教育に一大変革を及ぼし、地方自治に重大な影響を及ぼすような問題については、教育審議会とか地方制度調査会等に諮つて十分審議を尽し、直接関係を持つている教職員や父兄の意見をよく聞きただした上で法案をつくられ、国会に上程すべきであろうかと信じます。 第二は、法案の持つ内容についてでございますが、この法案の骨子は教職員を国家公務員とし、その給与を定員定額で二十八年度中国が負担し、二十九年度から国家公務員の給与法に準拠しようというのが一つと、教職員の任免権を文部大臣が握つて、地方教育委員会と市町村長が協議して行い、都道府県教育委員会は単に連絡調整機関にとどまり、警察法における警察隊長と同じく教育長を文部省の出先機関にしようとするものであるように推測されます。 法案で問題になる点は多いのでございますが、行政面と財政面に大きくわけて重点的に意見を申し述べたいと存じます。まず行政面につきましては、第三条で身分を一般職の国家公務員とすることになつておりますが、これは教育の国家統制であり、自由な教育のかわりに、一般行政職と同様に上司の命令に無条件に服従することのために画一的教育が要請されることになると思うのでございます。元来教育は不当な権力支配を排して、直接国民に責任を負うとともに、地方の実情に即して行わるべきでありまして、これは教育基本法、教育委員会法等に照して一貫した精神であり、教育の自主性と地方分権は民主的な教育行政に欠くことのできない要件でございます。諸外国の実情を調査いたしましても、英、米、仏、デンマーク等の民主的諸国家は、義務教育学校の職員の身分はいずれも地方団体に置き、政治活動にいたしましても、フイリピン以外はすべての国の場合において自由でございます。教職員は真理を教えるために自由な人権を持たねばなりません。みずからの自由が拘束されている教職員に、自由な子弟の教育ができるでありましようか。私どもは教職員の自由を制限することは、教育規制の第一歩であると思います。東京大学の矢内原総長は、私どもと会つた際に、教職員は自由人でなければならないと申していましたが、まつたく同感であります。文部省は一方で国定教科書復活をはかり、この法案によつて行政権を握れば、教育の中央集権と国家統制は必至でありましよう。 次に法案第十条に規定された任免の問題についてでありますが、文部大臣が任免権を握ることは、明らかに教育委員会制度の否定であり、たといその一部を地方教委に委任するといたしましても、法案第六条にありますように、文部大臣が教育委員会を指揮監督することになり、場合によつては、直接教育委員会にかわつて権限を行使することができるようになつていますから、現在の指導と助言を与える立場とはまつたく異なり、著しく文部大臣の権限が強化され、教育委員会はほとんど国の出先機関と化してしまうでありましよう。 さらに政党内閣の文部大臣が教職員の任免権を握ることは、教育の中立性と教職員の身分が著しく脅かされることになります。政府がかわるごとに文教政策がかわり、その都度教職員が政治権力者の思惑に左右され、絶えず動揺が生ずるのみならず、このこと自体教育の政党支配であり、国民の容認し得ないところであります。現に岡野文相は、日教組との会見において、ぼくは自由党の文部大臣だから、党議に従うことが文教政策の前提であると公言しているのであります。 教職員を国家公務員にするという点で、いま一つ重要な問題は、地方自治の侵害であり、第一理論的根拠がないということであります。民主的諸国家においては、地方自治は尊重せられ、日本国憲法も地方自治の確立強化を期しており、義務教育は地方行政の重要な事務となつておるのであります。政府は本法案の冒頭において、義務教育に対する国の責任を強調していますが、憲法第二十六条の義務教育無償は、法制局の意見を聞くまでもなく、学者の意見に徴しても、純粋な財政上の責任に関する補償であつて、国が負う責任の範囲は、財政的補償に限られているのであります。行政権を国が直接握ることは、明らかに教育基本法、教育委員会法等を無視するものであります。文部省の言うように、政権を握ることによつて国が責任を負うということはまつたく逆説であります。また文部省の言うごとく、給与を国で負担するから国家公務員であるというならば、給与費の全部または大部分を都道府県で負担する八大富裕県の教職員は、地方公務員と言わねばならないでしよう。また盲聾学校の場合、同一学校の中に義務制を受持つ国家公務員と、そうでない地方公務員とが共存することになります。現在公共学校の義務制学校は、ほとんどすべて市町村立でありますから、身分が設置者たる市町町に所属することは理の当然でありまして、市町村立学校の中に、国家公務員を勤務させようとすることこそ、著しく不自然であります。 このように無理をし、また昨年市町村長の反対を押し切つて、地方教育委員会を設置いたしましたので、その市町村長の不満を押えて味方に巻き込むためでありましようか、法案第十条五項では、「あらかじめ、当該市町村長に協議しなければならない。」と規定されております。このことは明らかに不当な権力支配を排除し、直接住民に責任を負うという教育委員会制度を、根本からくつがえすものであります。私たちは何ゆえに国家公務員の任免にあたつて市町村長と協議することを義務づけなければならないのか、まつたく理解できないのであります。 次に財政面について要点を申し述べます。教職員の給与については、法案の十二条と十三条と附則二項に規定がありますが、現在は都道府県の財政力と、地方の実情に即すべく県の財政力と地方の実情に即する配慮と、知事の親心によつて、一般に国家公務員より給与が高いのであります。昨年は平均三百四十九円高いことになつていましたが、今年は、文部省が指定統計に基いて算出したといわれる実支出額と定員定額との間に相当の開きがあります。また定員におきましても、法案の七条と八条に規定し、経過規定では政令で定めることになつていますが、いずれにしても二十七年度の予算定員より、小学校で九千二百人余り、事務職員で三千七百人余り減少しています。従つて給与単価と定員を掛け合せてきめられる給与総額は、実支出では一千二百二十二億必要なものを、定員定額では一千百二十四億しか見てありませんから、九十八億の不足になり、その他恩給や共済組合の経費を入れますと、百二十六億程度は不足すると、全教委の方では推測されておるのであります。しかも二十八年度基準財政需要額の中には、この多一額に上る教育費の不足分は予定してありませんから、都道府県は国から交付される給与費九百一億以外には、負担する能力もなければ、地方財政法第十条四項に照しても、負担する筋合いでないと言明しております。この結果給与が悪平等に切下げられるか、あるいは有能な永年勤続者が整理されたり、扶養家族を持つた女教師が退職させられたりすることになろうかと存じます。まず二十八年度から新採用者の初任給が下り、二十九年度からは国家公務員の給与規則が適用されれば、全般的に給与の引下げになるわけであります。 恩給についても、整理法案の附則四項において、「なお従前の例による。」となつていますが、同じく本国会にかかつている重要法案の一つに数えられる恩給法の一部改正案では、軍人恩給復活のあふりを受けて、警察官、刑務所看守とともに、教職員の永年勤続加給は、全面的に削除されることになつているのでありまして、政府内の不統一とごまかしをここでも暴露しており、教職員の恩給は従つて不利になるわけであります。 また僻地や寒冷地にもすぐれた教職員を招致すべく、都道府県は独自に手当額を引上げ、支給地域を拡大しているのでありますが、これが一律に切下げられますから、人事交流がよくなるどころか、かえつて僻地、寒村には、不足を生ずるようになります。さらに文部省の説明では、経過規定による定員配分案では、結核休職あるいは産休補助教員、養護教諭等を三%わく外と見込んでおるようでございますが、実際は五・六%必要でありますから、ここでも二・六%、約一万三千人程度の不足をするのでございます。 以上のごとく、教員法案の中には多くの不合理と矛盾点を含んでいますが、この法案がはたして義務教育無償の線に沿つているか、また国が義務教育に関する責任を負うということになりますかと申しますと、残念なからむしろ逆であろうと存じます。私ども日教組が最も遺憾に思うのは、このように父兄の負担や減もなく、児童が無償で義務教育を受けられないという点でございます。すなわち、義務教育費全額国庫負担の羊頭を掲げて、父兄負担の増大を結果するがごとき狗肉を売る策については、はげしい憤りを感ずるのでございます。一例を教材費にとつてみましても、文部省の調査では、昭和二十四年度で四十七億が直接父兄負担になつており、二十八年度は七十億に達すると推測されております。昨年平衡交付金の中においても、これに相当するものが三十五億余り含まれているように推測されますが、御承知のごとく、今年の教材費は十九億であり、十六億余りの減少になり、これが直接再び父兄の負担にはね返つて参ることになります。六・三建築の未完成、二部授業、老朽危険校舎等の学校建築にしましても、昨年施設費総額は、補正後におきましては約六十九億であつたものが、今年は当初予算、すなわち政府は補正を組まないという前提であると申されておりますから、この比較では五十八億の十一億減となつております。坂田先生がしばしば放送討論会等で問題にされます数字の経緯も、経過的に六・三建築の補助率が三分の一になつたときがあつたり、老朽校舎の補助率が四分の一であつた当初の査定当時のことを申しておるのであろうかと存じますが、その後における世論のはげしい反対が今日これを二分の一、三の一と変更させしめたものであると思います。 給食費につきましても、二十七年度は食管特別会計の中から、パン給食の原麦代の半額として二十四億余りと、脱脂粉乳購入利子補給金の形で九千六百万円が一般会計から出されておりますが、これに対して本年はしめて十七億にとどまり、これも八億減少で、現に給食費の値上げが学校PTAの大きな相談事項になつております。これではいかに文部広報を二十万部印刷して、文部省の役人自体が、国家公務員法百二条に違反するがごとき疑いのある活動をいたしましようとも、世人は納得が行かないと存じます。 結論といたしまして、政府はあらゆる関係団体並びに世論の強い反対に耳を傾けてくださいまして、教育の中央集権化と政党支配を行わんとする上に、義務教育無償と、教育の機会均等を没却するがごとき悪法であるこの義務教育学校職員法案を、すみやかに撤回くださいますよう、全国五十万教職員の名と、二千万学童の父兄にかわつて切にお願いする次第でございます。
○伊藤委員長 最後に、PTA代表村上儀憲君。
○村上公述人 私の意見を申し上げます。今国会に政府が義務教育学校職員法案を提出されたことにつきまして、私は一市民としての私見を申し述べてみたいと思います。本日の名簿に私をPTA代表と書いてありますが、私は代表ではありません。ただ一個人においてお願いするのであります。もちろんある中学校ののPTAの役員ではありますけれども、本日申し述べますことは、あくまで私個人としての所見であります。私は過去におきまして、数年間小中学校の教育の実際に携わつたことがあるのでありまして、今日でも教育ということにつきましては、常に人後に落ちない関心を持つているのであります。しかし現在では専門家でもありませんので、今日の教育技術面のことや、数字的の細部のことにつきましてはつまびらかにすることはでき得ないのであります。しかし教育問題一については一日として忘れることのできない一市民の声としてお聞き願いたいと思います。 まず結論から申しますれば、私は大体において本案に賛成であります。その理由は、義務教育に対し、憲法は教育の機会均等とその無償の原則を明らかにしているのであります。従つて国家の義務教育である以上、教育の機会均等と、それに要する一切の経費は、国家が当然その責任を持つべきものと思います。しかるに今日まで多年切実なる要求、または嘆願したるにもかかわりませず、その提案を見るに至らなかつたことはまことに遺憾なことでありまして、幸いにも今回その懸案であつた本案が国会に提出されましたことは、過去に苦い経験を持つております私といたしましては、まことに喜びにたえないのであります。 本案の要点を大別しますならば、教職員の給与に関する事項と、教職員の身分に関する事項及びその運営に関する三大項目に考えることができると思うのであります。この三点からその賛成理由を申し上げてみたいと思うのであります。 まず第一の教職員の給与について考えてみますれば、義務教育学校教職員の給与の全額を国庫が負担することにおいて、それに従事します五十余万の教職員の生活は安定し、一面またこれを国家公務員となすことにおいて、その身分は国家的に保障され、教職員として安心して教育に没頭できるようにならしむるものと私は考えます。現在の実情を見まするに、その給与が地方公共団体の負担であります関係上、裕福なる財政力を有する府県と、財政力貧弱なる府県の教職員の受ける給与を比較しますれば、著しき差異があるのであります。同じ国家の義務教育に携わる者として、その任地によつてかかるでこぼこのあることは不合理もはなはだしいと申すべきであります。従つて優秀なる教職員は裕福なる大都会へ、大都会へと転出を希望することになりやすいのであります。現に東京におきますところの教諭と助教諭と地方におけるそれとを比較してみますならば、相当の隔たりがあるのであります。しかしながらこの都会転出ということは、以上のようなでこぼこから考えますと、人情として当然のことではないかと思います。かくては財政貧弱なる県の児童生徒はまことに不幸を見る次第であります。市町村においてもまたしかりであるということができると思います。これでは教育の機会均等は得られないのであります。従つて国全体としての教育の水準を維持し、また向上せしむることはでき得ないと思います。かくのごとき状態は国家の義務教育のあり方とは思われないのでありまして、これが最終の責任は当然国家が背負うべきものであると思います。しかるに今回提出されました本案によりますれば、給与の全額が国庫負担でありますから、地方的給与の不均衡はまつたく是正される次第であります。もちろん現在有する既得権は侵害してなりませんので、明年度において定員定額制による場合においては、政府は国会体としては定員定額で決定するが、その配分にあたつては都道府県の特殊事情を考えて決定し、現在より待遇が悪くなつたり、あるいは首切りをやつたりすることは絶対にないと申しております。従つてこれは間違いないと思うのでありますが、もし間違いがあつたといたしましたならば、これはまことに欺瞞でありまして、教育の破壊であります。かかる場合は国民こぞつてこれを弾劾すべきだと私は思います。かくのごとく政府が今回教育尊重の立場から、従来の平衡交付金から切り放して教育財政を確立した、そして義務教育職員給与全額の国庫負担を提案されたことは、義務教育無償原則への一歩前進であり、かつまた教育に対する国の責任を明確化したものと考えまして、慶賀にたえないところであります。 第二には、身分の問題について申し述べたいと思うのであります。第一項におきまして申し上げましたごとく、教職員が国家公務員でありますことにおいて、国家的に身分は保障されるのであります。現在教職員はその学校を設置する地方公共団体の地方公務員となつている関係上、同じ教職に従事するのに、他の学校に転任するにも一度退職した上で新規採用者として就職することになる、従つて昇給、恩給等は勤続年限が切断され、教職員にとつて非常な不利を招く関係上、人事の交流も困難となり、昇給、恩給、退職金等も不合理になるのであります。従つて山間僻地等におきましては、新たに教員を迎えることすらむずかしくなるので、教職員の構成は不均衡となり、あるいは教員配置の不適正は免れないことになりまして、教育の機会均等はでき得ないのであります。かくては国家の義務教育制度とは申されないと思います。国家公務員の身分となることにおきましてこれらの弊害は是正され、退職金や恩給等も合理化され、待遇のでこぼこも、人事の交流も教員組織もこれが是正され得るのであります。なおまた公務災害等においても、前に申しましたことく、財政ゆたかなるところと貧弱なるところにおきまして、その補償や援助がおのずから差異を生ぜざるを得ないのでありますが、これも国家公務員の身分になることにおいて、国家から同一の補償が受けられるのであります。しるかに政治活動において、現在は地方公務員なるがゆえに勤務地市町村以外での政治活動は自由であります。これが国家公務員の身分になることによつて、その政治活動は禁ぜられることになるのであります。しかし教育基本法に規定する教育の中立性にかんがみますとき、その中立性が保たれないような政治活動は、父兄、児童、生徒にも多大の迷惑をかけるようなことになりやすいのであります。今回の措置においてこれらの弊を防ぎ、教育の中立性が保たれる次第であります。 第三には、この運営についての意見を申し上げます。第一項、第二項に申し上げましたごとく、教職員の身分が国家公務員となることがややもすれば教育の民主化の逆行となり、また教育の中央集権化、あるいは官僚統制化の弊に陥りやすく、郷土色の発揮ができないうらみもあるのであります。この点は最も重大なことと考えます。しかるがゆえにこの点については文部省令あるいは施行細則等によつて、細部の点の改善すべき点については、行政の運営を誤らないように十分な弾力性を持たすべきであると思います。幸いに今日都道府県並びに市町村において教育委員会がありますので、これを十分に育成してこの機能を活発にならしめ、指導監督並びに一切の人事権等、本案の直接施行は、これを地方教育委員会に委任し、政府はその委員会の連絡調整、指導育成に力をいたすべきであると思います。行き過ぎました地方分散は、また過度の中央集権とともに健全なる組織を破壊するものであります。かくすれば民意は教育委員会を通じまして、十二分に反映され、地方教育委員会はあたかも国会が国家の最高機関であるがごとく、地方教育の権威となり、真に教育の民主化ができまして、教育の中央集権化、あるいは官僚統制化の不安もなくなると思います。しかしながら教育委員は申し上げるまでもなく公選によるのでありますから、これを選挙する人自身がりつぱでなければりつぱな教育委員を当選させるわけに行かないのであります。従つてその選挙する一般大衆というものに大いに社会教育の徹底をはかりまして、よき教育委員を選定するというふうになつて行きますならば、ほんとうに地方教育委員会というものが権威づけられるようになるのであります。いかなる良制度もその運営を誤られるならば、かえつて恐るべき結果を招くのでありますから、この運営の点につきましては学識経験者の意見を十分聞き入れ、民意を取入れ、官僚の独善に陥らざるよう考究すべきであると思うのであります。 なお待遇の問題について、巷間に聞く言葉の中に、政府は定員定額制によるも、現在財政ゆたかなる地域においては、この際その配分にあたり特殊事情を考慮して既得権を尊重し、現在の待遇を下げるようなことは絶対にせぬと声明しているが、これはほんの暫定的の措置であつて、将来ベース・アツプ等の都度小刻みにされて、公務員並になるということは不満であるという声を聞くのでありますが、これはまた当然考究すべき問題であると思うのであります。私は国庫負担になることにおきまして一層その待遇が向上し、決して人心をしてうまざらしめるようなことのないようにしなければならないと思うのであります。もし近き将来において先ほど申し上げましたような、この不安が起るような状態になるおそれがあるといたしましたならば、教職員の使命の重大性と教育尊重の見地からいたしまして、政府は、公務員中でも現在その業種によりまして特異性を認めているものがありますごとく、特に義務教育職員についても特例を設けて、これをうんと優遇するべきであると私は思います。かくてこそ真の文化国家の基礎はつちかわれるものと思うのであります。しかしこれは第二段階でありまして、近き将来において行政の運営によつて解決していただかなければならない問題と思うのであります。 最後に私はこれに関連する点で一言政府当局に希望したいと思うのであります。義務教育については、憲法に教育の機会均等とその無償の原則を明示しているごとく、国家は重要な責務を持つておりますから、国全体としての教育の振興をはかり、国民的教育水準を高め、文化国家の実をあげなければならないのであります。しかしてこれに要する経費を無償にすべきでありますから、今回提案の義務教育学校職員給与の国庫負担ぐらいをもつて満足すべきではないと思います。先日文部省の前の街頭掲示板にあるのを読んでみましたが、昭和二十八年度予算は義務教育学校職員給与国庫負担額を除いて四百二十七億円で、昨年より五十二億円増、校舎建築国庫補助は昨年より四億円増、あるいは学校給食補助二億円増、教科書の無償配付昨年同様、教材費の国庫補助十九億円というようなことが掲載されてあつたのでありました。こんなことでなく、義務教育であります以上は、前に申し上げましたごとく、将来学校の設備も、施設も、教職員の資質向上あるいは教育内容、教育の方法等においても、高い水準が保たれ得るよう無償全額の国庫負担を期待するものであります。しかるに今日敗戦日本の財政はこれを許さぬと思いますが、近き将来において十分考慮し、さらに第二段階、第三段階と逐次改善充実を希望してやまない次第であります。また本案の実施にあたりましては、関係法律を初めいろいろと研究し、万全を期すべきものであると思います。それは十分検討を加え、万全を期せられることとして、義務教育の本旨にかんがみまして、第一段階として本案の提示されたことに対し賛意を表します。
○伊藤委員長 以上で公述は全部終りましたが、委員の方で御質疑があればこれを許します。松本委員。
○松本(七)委員 小汀さんにお伺いしたいのですが、小汀さんの御説を伺つておりますと、結局教員の政治活動を押えることが非常に望ましい、これは動機はどうであつても結果からそういうことになることは非常にいいことで、現在の政治活動ははなはだふらちな、おもしろからぬものだというようなことで、それが非常に重点になつているようでございます。政府の意図はどうあるにせよ、小汀さん自身はそういうところに重点を置いてこの法案に賛成されておるわけですが、一つお伺いしておきたいのは、今の政治活動というものが思わしくないかどうか、あるいはそれを押えることの当否は別といたしまして、それ以外の法律のいろいろの内容、教育制度のこまかいことについては小汀さん御自身あまり現在専門家ではないからわからないかということでございましたが、少くともいろいろな公述人の方のお説を聞いても、それから専門家の意見を聞いても、この内容については相当問題があるわけなのです。ただいまの村上さんのお話は相当政府案に対して善意な解釈で、いろいろな不備も何とか善意に解釈して、非常に好意的な態度でこれを見ておられるようなものですが、それはいろいろ人によつ違う思うのです。ただ現状では法案の内容をよく検討すれば検討するほど、将来に対する不安を持つておられる方が非常に多い。そういうたくさんの問題を含んだこの法案の中に、この政治活動の規制の問題を含めることがはたしていいかどうか。小汀さんの説ですと、これを規制することははなはだいい、大賛成だということですが、これを一応やろうとするためには、教育公務員特例法というものを改正すればできるわけなのです。ですからもし小汀さんの御主張の中心点を実現しようとするならば、何もこういつた法律案の中にこれを含めてやらなければならぬというわけではなく、ほかの問題がないならともかくも、いろいろ他の問題が広範囲にわたつて―地方制度調査会なりあるいは中央教育審議会などに諮る必要があるほど重要な問題を含んでおるこの法案に、公務員あるいは政治活動禁止の問題を含める必要は必ずしもないのではないか、そういう意見もたくさん出て来るわけなのでございますが、御自身はどういうふうにお考えになりますか。
○小汀公述人 お答えいたします。私はこの方はしろうとですが、しかしさつきも申しましたようにとにかくこの法案に多少の欠陥があつても、教員の政治活動を規制することができる点は、副産物ではあるかもしれませんが、非常に大きな所得である、これだけをもつてしてもこの法案に賛成する価値がある、こう思つております。但しそれはおつしやるように何らかほかの法律でもつてできるわけなのですが、それはわかりますけれども、もう一つ非常に大きなことは、やはり義務教育というものは国家がやるべきものであるから、それを多少不完全ながらやつたというところは、それは実をいうと私はやむを得ないくらいな考えで、少し前の公述人があまりおつしやらなかつた点にさつき触れた、こういう点であるいは何か私の重点の置き方があまりに極端だというふうにお感じになつたかもしれませんが、そういうわけであります。 それから私は中央教育審議会の委員でありますが、この問題がかかりまして―但しわれわれとしては中央教育審議会というものは根本的な問題をいわばゆるゆると審議する機関であるから、閣議ですでにおきまりになつたものをわれわれの審議会におかけになつても、これに賛成とか反対とかいうことははなはだ穏当でないだろう、また国会というものは会期の関係なんかあるのにわれわれがゆうゆうと審議していたのでは間に合うまいから、国会にお出しになることに反対はしない、いわばこれは承りおく、こういうような意味においてこの審議会におかけになり、その議事録にはそういうふうに載つていると私は記憶しております。
○松本(七)委員 一点だけ山本さんにお伺いしたい。先ほど友末さんの公述で非常に重要な問題に触れられておりましたが、教育委員の公選の問題についていろいろ言つておられた。これを山本さんはどういうふうに考えられるか、伺いたいと思います。
○山本公述人 結論的に申せば、わが国におきましては教育委員会制度を存続させる以上、やはり一般公選制によることを妥当と思います。いわゆる任命制の説、ことに市町村長が議会の同意を得まして任命せしめた方がよろしいという説もありますが、私の一般公選制をとる理由は、まず第一に教育委員会制度そのものが、わが国におきましては、先ほど申し上げましたごとく、日本の民主化の役割を非常に果す、教育委員会制度が地方住民の間の地方自治のいわば実際の生きた学校であるという点から考えまして、ほんとうに理想的に行われることが、多少の時間を要するといたしましても、いわば練習の期間を要するといたしましても、やはり一般公選によつてこれを選ぶ、かりに住民があとでこれはというような人を選ぶようなことがありましても、それはやはり民主主義の一つのけいこになることでありまして、そういう民主化の発展という非常に高次な目的価値を考えました場合におきまして、やはり一般公選制がよろしい。 それから第二におきましては、御承知のように、わが教育委員会制度は、財政権の確立、独立というものがまつたくない、財政的に弱いものであります。しかるに発足以後、多少なりとも地方で特色のある地方自治、地方の実情に即するところの行政を行い得ましたのは、これは予算獲得にあたりまして、一般公選という背景を持つところの委員が、地方なり議員なりに折衝いたしまして、ただ単なる官僚あるいは諮問機関的な弱いものでなくて、やはり一般公選で選ばれたというその直接民主制から来ますところの権威、迫力によりまして、地方議会から予算を獲得いたしたのであります。もしもこれを任命制にいたしました場合におきましては、教育委員会制度の財政的な確立はより不安定なものになる。任命権者のあげますところは、公選をする選挙費用というようなものが不経済なことではないであろうか、そのほか種々の経済的、能率的なことを申します。しかしそういう能率的、経営学的、あるいはただ単なる経済的な価値は、先ほど申し上げましたごとく手段価値につながるものでありまして、この民主化という目的価値を第一に考えました場合におきまして、特に日本におきましては、教育委員会制度を存続せしめて、一般公選の委員をもつてこれを構成するということが必要であろう、そういうふうに思うのであります。
○坂田(道)委員 日教組の矢田勝士さんにお尋ねをいたしたいと思います。御承知の通り、新聞等によりますると、三月十二日から一斉休暇を指令したとかしておらぬとかいうことを見るのでございますが、あなたの方の委員長であります岡三郎さんの名において、三月九日付をもつて指令第八号、一斉休暇突入に関する件という表題で、「日教組中央闘争委員会は、第二十七回臨時中央委員会の決定に基く「教育防衛闘争」に関する諸情勢を慎重に分析した結果、次の通り確認した。」ということで、いろいろ書いてあつて、最後のところで、「記一、義務教育学校職員法案粉砕のため、政府に対しあくまで法案撤回を要求して闘う。これがため、全組合員は三月十二日一斉に休暇の権利を行使せよ。各都道府県教組は、本指令第八号を、全組合員に伝達するとともに、右実施確認を電報によつて、日教組本部に報告せよ。二、十二日以降の具体的行動については、指示第二十六号に基き実施し、ますます闘争態勢を拡大強化してその万全を期せよ。」こういう指令が出ておるとか聞いておるのでございまするが、日教組の幹部の一人といたしまして、この指令を確認されるやいなやという点が第一点でございます。 それから一九五二年十二月十日、第二千二百三十一号の日教組教育情報の第六ページに、財政確立に関する件という題で、「われわれは新潟大会において決定をみた昭和二十七年度予算に従い業務を遂行して来たが、その後の変動並びに今後の闘争展開のために、予算を更正することはもちろん、追加の必要を認めて来」た云々とずつとありまして、結局赤字が約四百八十一万円を見込まなければならない現状である。さらに今回日本教職員政治連盟から、政治資金の寄付申入れ四百万円が行われて来た。かくしてこれら金額の総合計は八百八十一万幾らになるのである。こういうことが書いてあるのでございまするが、はたしてこの四百万円の政治資金の申入れがあつたかどうか。そしてまたそれを受入れられたやいなやというのが二点でございます。 それから一九五三年三月五日の日教組情報宣伝部発行の速報ナンバー百二十七につきまして、日教組と中共の七十四万円云々という問題について、「それなら事実はどうなのか」という項におきまして、「二月の日教組中央委員会においては、山形の中央委員から、「人権民報という雑誌で見たが、中国の在留同胞から首を切られた先生に対して七十四万円の救援資金が送られた、それを日教組に渡すようにしたということが書いてあつたように見たが、その金がはたして来ているかどうか。」という質問に対して、日教組執行部から、「中共から日教組に対して七十四万円の金は現に来ておらない。そうではなくて、(日本の)国民救援委員会から、日教組に申入れがあつた。それは、中共から日本の教職員の反植民地闘争、民族解放闘争の犠牲者に対して、いろいろの応援をするという金が七十四万円何がし来ている。その金は国民救援委員会に来ている。その管理運営について日教組といろいろ相談したということであるが、これについては、中央執行委員会としては、いろいろこまかく検討したいと思う。」という答弁があるようでございますが、こういう内容の質疑応答が行われたものであるかという事実と、もう一つは、この(日本の)国民救援委員会というものはどういうものであり、どういう活動をしておるものであるか。もし御承知ならばお聞かせを願いたいと思う次第でございます。
○矢田公述人 三点に対する御質問でございますが、私は本職員法に対する公述に対しては、日教組の代表として公述せよということできまつて参りまして、先ほど申しましたように日教組の代表として意見を述べたわけでございます。ただいまの三つの点につきましては、直接関係事項でないように思いますし、日教組運営全般に対する問題としては、私逐一詳細に存じ上げておりませんので、お答えもできかねますけれども、まず委員長並びに委員の先生方にお伺いしたいことは、私の印象では何か日教組の運営に関する証人喚問のような印象で受取るのでございますが、そのようなことで答弁を要求されているかどうか。国会その他は存じ上げませんけれども……。
○坂田(道)委員 ただいま日教組の矢田さんからお話があつたのですが、第一われわれ委員に対しては聞くことができないということがあると思うのです。それからこれと関係はないとおつしやいますけれどもこの義務教育国庫負担の教職員法案を撤回する云々というようなこととも関連いたしまして、百またこれを国家公務員にすることによつて、政治活動が禁止されるというような結果になるので、ございまして、まことに私は重大な関係を持つものだと考えて、この私の質問にお答えをしていただきたいと思つたわけでございます。
○伊藤委員長 矢田君に申し上げますが、公聴会の開会の冒頭に、公述人は委員に質問ができないということを伝えておきました。さよう御承知を願います。
○松本(七)委員 何も委員に対して質問しているわけじやないだろうと思う。今のは委員長に対してどうしても答弁しなければならぬかどうかという点を聞いておられる。運営の仕方ですから、それはさしつかえないと思うのです。もちろん坂田委員の言われるように、そういうことと関係があるので、委員として、答弁できれば、知りたいところだと思うのです。ただ答弁のできない立場にある場合には、これはしかたがない。知つておられる限り、また答弁できる範囲で公述していただいたらいいと思う。
○坂田(道)委員 答弁し得られる範囲でけつこうでございますが、一斉休暇の問題などはわれわれとしては非常に問題だと思いますし、またその重要な調査部長の位置にあられるのでございますので、この点だけでもお答えができましたならば、非常に幸いだと思うわけであります。
○矢田公述人 第一の点については、坂田先生がお持ちになつてお読みになられた指令八号の問題であつたかと思いますが、これに対しては指令を発しました。あとの二点については、私直接関連があるセクションにございませんので、内容を存じ上げません。
○坂田(道)委員 それならばちよつとお尋ねいたしますが、日教組情宣部発行の速報というもののあることは御承認いただけますか。それともう一つの教育情報という機関雑誌があると承つておりますが、それがあることは御承認いただけますか。
○矢田公述人 それはお手元にあるようでございますし、承知しております。
○山崎(始)委員 本日九人の方々にお忙しい中わざわざ御足労願いまして、大体承つておりますと、九人のうちの六人がこの法案に対する反対の意思を表明されておると見ていいと思うのであります。お一人の徳永さんは御婦人で、中途お帰りになりましたが、公述の趣を聞いておりますと、何だかわからないのです。実は私も午後再開早々お聞きしようと思つて手を上げたのも、もう少しはつきりした御意見を聞きたいと思つたので手を上げたのでありますが、まあ中立というようなお立場のような気がいたしました。九人の中で最もはつきりこの問題で政府案に御賛成なさつたのが、小汀さん、村上さんのお二人のように実は見受けるのであります。特に小汀さんは、自分は教育のことはしろうとでやじうまだ、そういうような気持で聞いてくれとおつしやつたので、私も実は御質問を御遠慮しようかと思つたのですが、一点だけお伺いしたいと思うのであります。 まず冒頭にこの法案の賛成理由として、教員の政治活動が頭から禁止される、これだけでも非常な収穫だ、こうおつしやつたのであります。実は私たちこの文部委員会で、昨日以来この法案をあらゆる関係から論理的に、科学的に、いろいろ検討して参つたのでありますが、非常に欠陥が多い。あらゆる部署を見まして、行政の面からも財政の面からも、非常に欠陥が多い。大体こういう欠陥の多い法案を無準備に出されるということは、何か政府の方に政治的な意図があるんじやないかということを世論も疑問を持つております。私たち審議いたします過程において、順次その疑問がはぐれて行くのでなしに、その疑問に突き当るような気が実はいたしておつたのであります。ところが小汀さんが、冒頭からただいまのような公述をおやりになつた。これはやじうま的に聞いてくれとおつしやいましたが、私は非常に利するところがあつたように思うのであります。と申しますことは、文部大臣のお話を聞いておりましても、政府の方の意図は絶対に政治禁止が主眼じやないんだ、そうでなくて国の義務教育に対する責任を明らかにするためにこの法案一を出しているんだ、これ以外他意がないんだこう言われたのでありますが、昨年来から地方教育委員会の設置のときにも、世論の伝えるところによりますと、どうも政府は日教組の政治活動をうなぎをつかまえるように、頭からこれを押さえようという意図を腹の中に持つているのじやないか、こういう疑問があつたのです。不幸にして抜打ち解散で、地方分権という美名をもつて地方教育委員会ができた。ところがとたんに今度は中央集権的な内容を持つたこの義務教育学校職員法というものが出たのであります。どうもらつきようの皮を順次剥ぎおりますと、何かあるのじやないかと私たちに思つておりましたが、小汀さんは頭からこれはけつこうだと言われました。私は小汀さんが吉田首相と特に御懇意でおありになるといううわさもかねがね聞いておりますので、今日のお話は非常に参考になるお言葉だと私は聞いたのであります。ただ自分はしろうとだと言われながら、この法案に対する詳細にわたるお話がございましたが、これは、平生は一万枚しか出していないのに、八万枚から出されました文部広報の内容とほとんど違わない。お話の内容が実にみなぎつている、なかなかしろうとどころではございません。相当御研究になつているように思うのであります。ただ私が小汀さんに特にお伺いしたいのは、政治活動禁止の問題と、教員の中立性の問題なのであります。村上さんも政治活動禁止の問題と、教育基本法第八条云々と申されたのであります。私は村上さんがこの書類にありますようにPTAの代表であるならば、二、三お聞きしたいのでありますけれども、冒頭において、自分は個人だと言われましたので、私はお聞きす、ることをやめます。ところが小汀さんは言論出版界代表者というお立場がおありになり、おしろうとのようでもあり、またおくろうとのようでもありいたしますので、伺いたいと思います。小汀さんがお読みになりましたようなことは、すでにわれわれは、数次にわたる委員会で検討して参つたのであります。それでこの点は省略いたしまして、ただ一点政治活動の禁止に対しまして、もう少し科学的な、論理的なお話を承りたいのであります。私はしばしば文部大臣にも意見を聞いたのですが、文部大臣のお答えも、文部当局のお答えも、体験談が多いような気かいたします。一昨日も私申しましたが、それでは自分らは納得が行かない。少くとも国会が審議をしている案だから、今少し論理的な科学的なお話を聞かしていただきたい。特にそれは教育基本法第八条第二項を中心にしての論議に集約されるのであります。いずれにしても政治活動禁止の問題に対して、御抱負なり御意見がございましたら、体験談でない科学的な見地からお願いをいたしたいと思います。
○小汀公述人 お答えいたします。私の読み上げたものは、文部広報も相当参考にした、それからいろいろびらをまいているのを前から集めていたのを相当参考にしております。時間もないし、忙しいので、そういうものを拾つたし、大体の法案は読んでみました。骨子を見てあれだけのことを書いたわけですから、それはもう似ているのはあたりまえで、私の種本の一つであります。(笑声)、そういうわけで、私は、この方に抱負というか気持はありますが、大きな知識を持つて、これを具体的にどうしようという抱負は教育について持つておりません。 それから、最初のお言葉の吉田首相と非常に懇意だということ、懇意でなくもないのですが、しかしめつたに会いませんから、別に皆さんが御懇意なほどには懇意じやないだろうと私は想像しております。(笑声)一年に何回しか会わないし、それとても、皆さんがしよつちゆう顔つき合せて、あるいは議論をなさり、あるいは閑談をなさるようなのでなく、何か形式的なときに呼ばれたとか、外人記者を呼ぶときとか、御招伴に呼ばれるとかいうことで、ほんの数少いものです、ただ世間で懇意だと言つているのを、何も懇意でないと言うほどの必要もないので、何も言つたことはないのですが、きようここでお聞きくださつて、公の機会において、私が懇意だという程度がはつきりして、ありがたいと思つております。
○北委員 大きな問題は、やはり教員組合としての政治活動の問題だと私は思います。さつき教員組合の方は、基本的人権と政治活動とを結びつけたけれども、私は基本的人権と政治活動をすぐ結びつけるのは論理が飛躍しておると思う。要するに個人としての教職員は政治活動は自由であります。社会党に入れようと共産党に入れようと、あるいは世間で保守反動と言われる自由党に入れようとかつてであります。しかしかつて在郷軍人の団体があつて、鈴木操六大将が会長のときに、時局がだんだん緊迫して参りまして、在郷軍人も積極的な政治活動をしなければならぬ、特に翼賛会運動をやらなければならぬといつたときに、鈴木操六大将は、個人としてはかつてであるが、在郷軍人会としては、断じて政治活動は相ならぬと厳命したのです。私は、教員組合に対しても、組合としての政治活動は相ならぬと考えております。これはやはり弾圧を下すべきものだと思う。個人としてはかつてであります。しかし口では中立性を唱えて、実際にはある党派を応援しておることは、衆目の見るところであります。そんなごまかしはいかぬ。日本の思想は今分裂しております。社会主義系もあれば、いわゆる資本主義系もある。自由企業と公経済主義とあります。これらの二つの思想が争うのは当然であります。選挙民もそれが土台になつておるから、教員のうちでも、社会党糸の人もあれば、自由党系の人もあります。教員のうちにも個人としてはそれがあるのは当然です。従つて選挙のときには自分の思う人に投票するのはあたりまえであるが、月々何千万円という金を集めて、団体としてある政治活動を一定の方向にやることは、公務員たるとたらざるとを問わず、教員としてはあるまじき行動だと思う。ことに対象は子供であります。中立性を守るならば、個人としてやるべきであつて、団体としてやるべきでないというのが私の確信であります。もしあくまでもそれを主張するならば、われわれは別な立法をもつてでもこれを阻止しなければならぬと思つております。いかがでありますか。
○伊藤委員長 お答えになりますか。
○矢田公述人 お答えいたします。先生がおつしやいますように、個人としては、固有の権利として憲法で保障され、その他の法規によつて保証されたものがあります。またたいへんな御気勢できめつけられましたけれども、日本教職員組合として政治活動をしたり、あるいは特定の政党を推したりするような決定を、これまで行つたことはございません。
○北委員 はたしてそうでありますか。私は昨年の選挙時に経験があります。トラック一台しか出しておらぬのに、もう一台教職員組合の方で出しておる、戦争か平和かという旗をそこに出しておる。要するに保守党は全部戦争党だ。われわれは平和党である。そうして反米思想、自衛力増強に反対だということで、遂に県庁から禁止されました。これは新潟県の職員組合であります。ことに五月には新潟で日教組の組合大会があつて、吉田反動内閣打倒、民主政権樹立ということを決議しております。これが団体としての政治活動でありませんか、お答え願います。
○矢田公述人 私のところの組織は各府県教組の連合体でございまして、日本教職員組合としては、私がお答え申し上げましたように、さような決定も、行動も、指示したり指令したりしておりませんけれども、御指摘のように、もしも新潟県の教組において云々ということがありますならば、先生の申されることが正しいかどうかということを十分に調べてみたいと存じます。
○北委員 それならば日教組という団体としては、ある特定の政党を支持する政治活動を将来もやらないとお誓いくださいますか。
○矢田公述人 誓うという意味がどういう意味であるか存じませんけれども、これまでそういうことをいたしておりませんので、今後どのように運営されるか私もよくお答えができませんけれども、さようなことはないと確信いたします。
○辻原委員 関連した質問でございますが、実は小汀さんの公述につきまして詳細を拝聴することができませんでしたので逐一これにわたり御質問を申し上げたいのでありますが、ただいまとしては、ただ先ほどから質疑の間にかわされております問題から発展いたしまして、今北委員から申されました事柄につきまして、―これはきわめて重要な問題でありますとともに、この考え方につきましては、私も一点賛成をする点でございます。と申しますのは、先ほど小汀さんが述べられた経緯につきまして、あとでお伺いをいたしました範囲で私がしぼつてその結論を出してみますると、結局今回の法案は、その目的がいろいろ多岐にわたつて述べられておりますけれども、政治活動を禁止するという点が教育の中立性という問題に結びつけられて、きわめてけつこうであるという観点から賛成をせられているような向きに承つておるのであります。ここでお伺いいたさなければなりませんのは、ただいま北委員からも御指摘のありましたように、いわゆる団体としての行動と、個人としての基本的人権に結びつくあらゆる自由を確保するという問題は、おのずから別個である。北委員が指摘されました点については、いかなる政治情勢が現われましようとも、またどのような政権が政治を担当いたしましようとも、少くとも現在の憲法下におきましては、個々の政治活動の自由は最大限に保障しなければならないという、民主的な権利の一端を述べられたものであると私は考えるのであります。その観点から考えてみますると、本日種種公述人の方々が述べられておりますこの職員法案の中に含んでおるところの政治活動禁止の問題が、どこに結びついておるかという点が、きわめて大きな問題として考えられなければならないと私は思うのであります。私の考えによりますれば、決してこれは団体行動を制約する、そうした結果の政治活動の問題に触れているものではなくして、いわゆる国家公務員となることにより、個々の政治活動を禁止するということに相なつておると思うのであります。この点に対して、もし小汀さんがまことにけつこうであるとするならば、これは先ほど声を大にして北委員が指摘されました民主政体の中における個人の政治活動というものは封殺してもよろしいのだという論に帰着するということを考えるのであります。さような点につきまして、個々の政治活動を禁止することもやむを得ないとお考えになつて今回の法案に賛成をせらるるのか。本日御多忙の中をわざわざ出版界の代表として、いわゆる重要な言論に対して大きな立場を持つておられる小汀さんが、この公述の席上においてそのことをあえて認められるということになりますれば、これは及ぼす影響がきわめて重大であると私は思いますので、この点に対しましては率直な御意見を、他の政治情勢その他を抜いて御心境をひとつお示し願いたい、かように思うのであります。
○小汀公述人 お答えいたします。先ほど私がこれを最初に申し上げましたから、何か事重大な意義があるようにお考えになるかもしれない。これは新聞記者というものは大体文章を書いても結論をまず書いて、それからあと叙述するということを三十何年来やつて来ておるので、いろいろ専門家の諸君が事こまやかにお述べになつたあとだから、私はいわばちよつと角度をかえてあの問題を申し上げた、こういうことなんです。元来私はそれは喜んでおりますけれども、これに非常な力点を置いたように見えましようが、先ほどちよつとおことわりしましたように、国家公務員になる、すなわち国家で義務教育費を負担するということの結果として、そういうことになることは」社会の現状から言つて非常に喜ぶべきことだ、こういうつもりで申し上げたのであります。
○辻原委員 大体御趣旨は、私、わかつて参つたのでありますが、そういたしますと、国家公務員になるということによつてまことにけつこうであるという御趣意は、私が申し上げましたような、そういう政治活動の問題が禁止されるからいいのだというお説ではなくして、他に、政府の方から提案理由その他で述べられておりますような、この法案の成立によつて、国家公務員として国の保障するいろいろな利益の面があるだろう、そういう点からお述べになつたものというふうに私の方で把握してさしつかえございませんか。
○小汀公述人 それでけつこうです。 なお、ついでだから申し上げます、が、岡野文部大臣あるいは政府の方で、これをそうでない、つまり政治活動を抑制しようという考えはないというふうに言われておるらしい。そこでお前は吉田首相と懇意だとか、中央教育審議会の委員だから、何らか連絡がありはしないかとお考えになるかもしれませんが、これは一個の新聞記者として、私の私見を申し上げたのです。だからむしろ大胆率直に申し上げたわけであります。これはどうぞ誤解のないように願います。
○辻原委員 御老体を煩わしましてまことに恐縮でありますが、先ほど申し上げましたように、お述べになりました趣意はよくわかりました。私も小汀さんのお名前はたびたび聞いおりまして、非常に御高名のほどもいろいろ聞いておりますので、後日の私の参考にいたしたいのでありますが、先ほどお伺い申し上げましたように、今絶えずあらゆる問題を通じて論議されておる公共性といつたようなものと、それから基本的人権といつたようなものとの関連について、非常に小さな私個人の深刻な悩みでありまするが、そういう点についていろいろ考えておるのであります。そこで特に私は今までの日本の歴史などからながめまして、政治活動という言葉だけを取上げてみますと、最近の風潮から何か好ましくないというふうな印象を受けられる方もあるようでありますが、しかし私は少くとも近代社会の中において政治活動を除いた個人の自由活動というものは、ある意味においては無意味でありはしないかとすら考えているのです。従つてそういうものを抹殺してしまうなどということにおいては、私は近代社会における大きな個人的人権の意義を失うものだというふうにも考えております。そういう点について小汀さんが、個人の政治活動を、お互い人間の制約によつてこれをいわば押えつけてしまうというふうなやり方に対して、どういうふうに原則的にお考えになつておられるか、その点についてお考えがありましたならば、私は参考にお伺いいたしておきたいと思います。
○小汀公述人 どうもいろいろ何かおだてられたようなかつこうで、あまり御参考にはならないかと思いますが、私自身も国家公安委員という特別公務員になつているので、一切政治活動を禁止されて、私の非常に親しい友人が選挙に立つから、お前推薦人になれと言われても、肩書をとつた名前でさえ書けない。しかしこれも私としてはやむを得ないと思つてやつております。そういうようなわけで、特に今日のような複雑な社会においては、お互いの基本的人権という根本問題と、個々に現われる動き方というものにはおのずから違いがある。制約を受けるということはやむを得ないのじやないか、そのかわり、私が公安委員をやめれば―どうせ長くはないと思うのですが、やめれば政治活動でも何でもできる。みんなが身分がかわればかわるのだから、基本的人権に関係のない問題だ、こういうふうに私は解釈しております。
○松本(七)委員 ちよつと関連して、山本さんに御意見を伺いたいのですが、今の政治活動の問題で、国家公務員になれば、教職員の個々も非常な制約を受ける、それに対する御意見と、それから教職員組合というものを組織して、組合としての政治活動についての御意見、今は日本教職員組合は中央は連合体ですが、県単位でもつて、選挙などのときに政治結社としての届出をすれば、公然政治活動はできるわけなのですが、そういう点も含めて御意見を伺いたい。
○山本公述人 私は午前に申し述べましたことく、教員の場合を考えまして、これを地方公務員から国家公務員に身分の切りかえをする、その切りかえによつて、政治活動の面で拘束を加えよう、こういう考え方自体に反対であります。選挙ということだけを考えました場合に、それは制約がおのずから出て来るかもしれませんが、しかし先ほど申し上げましたように、教員がこの法律にあるような方法でもつて国家公務員になつて、いわゆる定員定額となり、そのほか大臣の人事管理下に入るという面からの教員の思想に及ぼす影響の方が、マイナスの面で非常に大きい、従つて現実的に申してこの法案によつて身分の切りかえによる政治活動の拘束ということは避けるべきである。そういうふうに思います。 それから組合のことでありますが、これは組合だからある一つの方向の政治という色合いが出てはならないというふうに、はたして言えるかどうかと私は思います。一例でありますが、イギリスにも教員組合がありますが、このイギリスの教員組合などは、教員の福祉、厚生、待遇そのほか教育政策にとつてこの方が是であるという政党に対しまして、組合が相当はつきりとした態度を見せております。ほかの国の場合でもそういうことが言える。従つて組合であるからある政党なり政策なりに対して態度を全然示してならぬというふうにまで考えるかどうか、これはやはりこの教員組合においてこの政策が是であると信じた場合は、それを支持する、あるいは政策によつては支持してはならないということがはたして言えるかどうか、私はどうもそういうふうには思えないのであります。
○坂本委員 私は鈴木さんと小汀さんにお尋ねいたしたいのであります。鈴木さんの御説によりますと、非常に詳しく法案の賛成、反対のところを御説明いただいたわけでありますが、一条はいらない。六条の指揮権を削除する、それから十条に対しては絶対に賛成だというようにいろいろございましたが、こういう点から申しますと、現在の教育の方針といたしまして、地方自治の状態からしまして、府県に主体を置くか、市町村に主体を置くかは別な問題といたしまして、いずれにいたしましても地方自治に主体を置かなければならぬ、そういうふうに考えますと、この法案は撤回して、いらないじやないか、こういうふうに考えられますが、その点の御意見を承つておきたい。
○鈴木公述人 私は発言の冒頭において申し述べましたように、全国地方教育委員会連絡協議会は、現行教育委員会法の本旨に反するような法案には一切反対であるということを二回の大会総会において確認決定をしております。その意味において問題の義務教育学校職員法案については原則として反対であります。しかしながらわれわれの意思を最高に決定する国会がもしこの法案を成立させるというような場合においては、この合法的な決定に対して、われわれはいかんともなすすべがありません。最悪のこの場合においても、先ほど申し上げた修正削除の部分はあくまでもわれわれの意見として採用していただきたいということでありまして、原則としては全国地方教育委員会はこの法案には賛成しかねます。
○坂本委員 小汀さんに二点だけお聞きいたしたい。その一つは、小汀さんは中央教育審議会の委員であられて、義務教育学校職員法がこの教育審議会にかかつた際に、すでに閣議で決定したのであるから承りおくという程度でこれを審議した、かように承つたのであります。私は長年文部委員をいたしておりまして、この中央教育審議会の必要性を認めまして、この設置に賛成をいたしたものであります。と申しますのは、日本の文教政策を確立するにあたりましては、政府の単なるそのときの考えではいけない、少くともこの教育の問題にありましては、各界の専門家その他の方々が審議会を構成されて、そこで十分審議を尽した上で日本の文教政策の確立をしなければならぬ、こういう趣旨でこの審議会がつくられたのであります。そうして二十名の各方面からの委員がようやく先月任命をされて出そろうたわけであります。その審議会の二十名の方々の推薦その他については、われわれも多少の意見がございましたが、ここに決定いたしましてすでに出発いたしておるのであります。そこでこの義務教育学校職員法というのは単なる身分法ではございますが、日本の教育の根本に関するものであります。しかして小汀さんのお説によりましても、全部ではないが、その一歩を踏み出したものである、こういうことになりますると、これは日本の文教の根本的問題でありますから、こういう問題こそここにつくられました中央教育審議会において審議をいただいた上で、法案を政府が閣議で決定して出すべきものではないかと存ずるのであります。しかるにかような責務を持つところの審議会が、もうすでに閣議で決定しておるから承りおくというような態度でやりましたならば、何をもつて二十名のりつぱな方々を審議会に御推薦いたしたか、その意味がなくなるのではないかと思うのであります。われわれがこの中央教育審議会の法案の審議にあたりまして、真に日本の教育を憂えてこれをつくりましたのは、たとい政府が閣議で決定いたしましても、それはもつと考えてやらなければならない問題ではないか、教育の中央集権にならないか、あるいは国家統制になるのではないかということを慎重審議するためだつた。何もこの国会に出さぬでも、この次の国会でもいいのです。先般のこの法案に対する本会議の代表質問におきましても、この点を私は指摘いたしたのであります。幸い小汀さんはこのはえある中央教育審議会の委員でいらつしやることを、私はここに初めて承りました。この法案に対して、この審議会の委員としていかに考えておられるのであるか。ただ単に、まずもつて教員の政治活動さえ禁止してしまえば、あとは法律が悪かつたならばそれを訂正すればよかろうということでは、八千万の日本国民の教育の確立ということはできないじやないかと思うのであります。この点についての御意見を承りたいのであります。 もう一つは、ただいまもちよつと触れましたが、この法案は教員の政治活動を押えればそれでもう目的を達する、悪ければ、その必要の場合は改正すればいいじやないか、またもう一つ、およそ法律をつくる場合においては現実を主体に置かなければならぬ、あまり抽象的な理想ばかり言つてはいけないという御発言がございました。私は、ここに国民の負託を受けて衆議院議員の一員であるのでありまするが、法律をつくります場合においては、朝令暮改の法律をつくつては相ならないと思うのであります。少くとも法律をつくりまする場合には、もちろん現実に即しました理想をもととしなければならないのであります。しかしながら現実のみを見まして理想を無視することは断じて相ならないと存ずるのであります。従つてあしたもう目的を達したからすぐ改廃するような法律ならば、もつとよく考えまして中正的、理想的に国家の本質に基く立法の審議に当り、国民のための法律をつくることこそが立法府であり、衆議院議員たるの職務だと確信いたしまして私はここに議席を持つておるのであります。私の聞くところによれば、この義務教育学校職員法について、中央教育審議会においては文部省側と委員側の大多数とが対立のままに国会に出されておるということも承つております。しかして私は小汀さんの持つておられる法律観に対しまして、その目的を達すればそれでよろしい、あとは改正しようがどうしようが、国会はいつでも開けるのだからいいじやないかというお考えでこの法案を見ておられるかどうか。この二点について承りたいのであります。
○小汀公述人 どうもしやべり方が悪いとみえて、大分誤解を招いておるようであります。あとの方から申し上げます。しばしば繰返して申し上げたように、私は政治活動抑制ということができればそれでどうでもいい、あとは野となれ山となれだということはかりそめにも考えておりません。さつきも申し上げたように、副産物としてのこの問題に私は力点を置いた、こういうことであります。そうして尊敬すべきあなた方のところでいろいろ御立法を願うので、これは私どもの関与すべき事柄ではありませんから、ただわれわれに求められた意見を申し上げた。私の考えとしては、こういう大きな変革期に一回法律をつくつたならば、それが長年そのまま通用するというわけにも行きかねるだろう、何年か何十年かの後にはかわり得る、これは過去の歴史を見ても絶えずかわつております。憲法のようなものと違つて法律はしよつちゆうかわる、こういうことを私は考えております。そういう建前でお聞きとり願いたい。 それから中央教育審議会に出ましたときには、おつしやるように成立早々で、やつと会長がその場でできたというところにこれが出たのです。一体あの会議はどうなつているかよく心得ておりませんが、速記録をつくつていたようだから、いずれあると思いますが、率直に言うと、こういう大きな問題にとりかかると、私は俗人ですが、学者の集まりだからどうも議論がやかましくて、あなた方のように何時間かで大きな問題をお片づけになるようなことは大体私どもの感じでは考えられない。ちよつとした問題でも大体一時間、二時間一つの点でかかりますから、そういうことで、対立なんということは私は明らかになかつたと思います。もちろん反対の人もあり、賛成の人もある。意思表示をいろいろな形で、たいてい非公式にやつたと思いますけれども、結局はここで取扱うべきものでないという会長や副会長のとりはからいによつて、そういうことになつたと承知しております。多分これは間違いないと思います。そういうわけでございますから、どうぞ御了承願いたいと思います。 なお私は中央教育審議会のことについてお答えするというような資格はありません。いわば私の感じを申し上げたということにどうぞ御承認を願いたいと思います。
○水谷(昇)委員 山本先生にお伺いしたいのでありますが、本案が実施せられますと、教員は国家公務員になるが、教員の諸君は国家公務員になるのをきらつておるようでありまして、これを私ども慎重審議してきめなければならぬのでありますから、教員の政治活動の批判については慎重にわれわれは考えなければならぬと思います。そこで先ほど山本先生からは、教員の組合が政治活動をしてはならぬとも言えない、政治活動をしてもいいんじやないかというような御意見もあつたように承るのでありますが、そういう観点から、山本先生のお考えでは、日教組が政治活動を現在やつているかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
○山本公述人 私の申しましたのは、直接に速記録でごらんになりますとはつきりいたすと思いますが、ある政党が、その組合が支持していいと思うような政策を掲げたならば、組合としてその政策の実現を望むために、その政党を支持するということをしてはならないとは言えないのじやないか、それだけを申したのです。政治活動というそういう非常に広汎なことを私は申しておりません。これは記録をごらんになればおわかりであります。 それから日教組の場合どうかということでありますが、私自身日教組と何らの関係もないので、正直言つて、組合活動とほかの活動との関係、それからどういう活動をしておるかということについては、厳密な意味においては私はわかりません。ただ一言だけ附加しておきます。これは直接のお答えにはならぬかもしれませんが、先ほど申し上げましたことと前後矛盾をしないのでありますが、教員の組合としてある政策を掲げている、その政策の実現のためにその政党を支持するということの必要を認めたときに、それを支持するのはさしつかえないのではないであろうかというふうに申しました。しかし教員として、児童に対しての活動におきましては慎重を要する。これは政治活動と言えるかどうかわかりませんが、慎重を要する。そのことだけは私信じております。しかし組合あるいは組合員としてある政策がいい、その政策を掲げた政党を支持するということは、やむを得ない場合が非常に多いと思います。そうしてまたこれはさしつかえないのじやないかというふうに思つております。
○水谷(昇)委員 もう一つ山本さんと矢田さんにお伺いしたいのでありますが、この教員組合の政治活動は、私も山本先生と同じように、日教組が政治活動をどんなふうにやつているかということははつきりわからない。世間で言うている点を申しますと、日教組は会員から月々会費でありますか徴収して、それの一部を政治活動にも使つているように聞くのでありますが、これは事実かどうか知りません。そういうことや、あるいは選挙にあたりまして、日教組の中央から各府県に指令が出る。そうすると各府県の組合からまた会員に指令が出て、そうして教員が無批判な政治活動をしているというような非難も聞くのであります。この点について、矢田さんにもそういう事実があるのかどうかということを伺いたいのと、山本先生に対しましては、もしそういうことがあるとすると、教員そのものは組合の政治活動によつて、中央から指令が来ると、それを一々批判をして政治活動をするならばまことにけつこうでありますが、もし無批判に政治活動をする教員が多数ありといたしますならば、これは個人の自由を組合のために束縛せられるというかつこうになるのであります。そういうことになると、今回国家公務員ということになつて、組合の政治活動がなくなるということになりますと、教員は個人といたしましてはまことに自由な活動ができるということになる。そういうようなことも考えられるのでありますが、こういう点について山本先生の御意見を伺いたいのであります。 矢田さんには、先ほどもお尋ねいたしましたような、組合の政治活動について、世間で申しておるような事実は全然ないのかどうかということを、ひとつおさしつかえなかつたら承りたい。なお会費などを徴収して、その使い道ですが、これは御発表できるかできぬか存じませんが、おさしつかえなかつたらこれも承つておきたい。
○矢田公述人 お尋ねになられた点について、私が直接その責任にあれば十分そのお答えができるかと思いますが、第一私どもは組合運営のために組合費はとつておりますけれども、世間で申されておるというその意味づけはよく了解いたしませんけれども、たとえば今先生方のお考えのような政治活動という範囲自体についても、私どもはやはり教職員として、またそのつくる組織として、現在の法律の建前をよくかみしめて合法的な活動をするという点では慎重を期しておりますが、政治活動に属するような基金なりあるいは金を強制的に徴収しておるということはいたしておりません。また私どものいろいろな活動の範囲で、特に先生が申されましたように、国家公務員にすればむしろ個人の自由において云云、現在組合という団体をつくつておればそれによつて規制がされるというような御見解のようでございますが、今の組合費との関係の問題でも申しましたように、また先ほどから北先生なり坂田先生にお答え申し上げましたように、私どもが日本教職員組合としての行動の中に指令とか指示とか、そういうような形で教職員個人の自由な活動を拘束するような指令、指示をいたしたことはございません。従つて政治活動の分野においても、日本教職員組合が規制をする、あるいは指示によつて個人の自由な判断を拘束するというような措置はとつて参つた覚えがございません。
○山本公述人 組合から指令などが出た場合に、そのまま行わなければならぬ、あるいはうのみにされるというようなことがあるかどうか問題でありますが、かりにそういうものがあつたとして、国家公務員にした場合にそういう弊害を除けるからいいのではないかという御質問のように思いますが、ことに教員のように、主体性だとか人格というものを第一義にいたすものを考えました場合に、身分がかわつたからといつて、何か当座的にそういうふうになるようなことも考えられるかもしれませんが、しかしながらこれは当座的なことではない。要するに教員の知性なり、主体性なり、人間性なりを伸ばして行くような方面のことを考えなければ、今度は政治活動が身分関係でこうなつたからそれでというような、ごく目の前の効果だけをねらうようなことでは、教員のほんとうの養成あるいは指導助成ということはできないはずでありまして、むしろ反面に伴うところの、国家公務員にしたために、それからけさほど来申し上げましたような仕組みによつて、おのずから教員のものの考え方、思想に及ぼすところの悪影響の方が恒常化されて、その影響のマイナスの方が非常に大きいと思います。そのマイナスが出て参りますれば、先ほど御心配になりましたように、結局より主体性のないものになるようにしてしまうと思います。従つてこの法案と結びつけまして考えました場合に、教員の理性、知性、主体性、人間性を伸ばして行くという面から考えまして、これはマイナスの面の方が多い。それが結局伸ばして行けなければ御心配になるような点は、これは根本的には解決されないと考えます。
○水谷(昇)委員 矢田さんにもう一つお尋ねしたいのですが、日教組は政治結社を組織して活動しているのではないですか。
○矢田公述人 お答えいたします。教職員の属しているもので、そういうものがあるいはあるかも存じませんけれども、日教組としてはそういうことはないと思います。
○松本(七)委員 山本さんにもう少しはつきりお伺いしたいのであります。先ほどある政党が自分たちの賛成する政策を掲げておる、それを支持するというようなことをはつきり打出すのは必ずしも悪くはないという御意見だつたのですが、それをもう少し具体的に突き進めると、たとえば教職員のつくつている組合がある。それがある政策を支持する、その政策は甲という政党が掲げている。従つてそういう政策を実現するために、衆議院なり参議院の選挙に自分たちの団体としても公認とかあるいは推薦の形で人選する。そしてその機関紙でもつて、こういう政策を実現したいということを大いに宣伝する。そして甲という政党を支持すると打出さないまでも、甲の政党の掲げている政策を大いにそこに強調するというような活動、それもやはり個々の政策を支持するということでさしつかえない、こういうふうに同じように考えられておられるか、その点をひとつ承りたい。
○山本公述人 御質問の点の見境というものは、非常にデリケートだと思います。政策を掲げてあるからと申しましても、その実現に非常な長い時間を要するようなものもあるでしよう。それから一時的なものもあるでありましよう。その場合に境がどこに出て来るかという問題、これは実際問題といたしまして私非常にデリケートな問題だと思います。これは一例として申し上げるのでありますが、外国の例で非常に恐縮でありますが、イギリスのような場合ですと、組合としてはある政策の実現に相当積極的に支持します。それを教員と組合員というものをどこでわけるかという問題でありますが、組合としては支持する、しかしながら教員がその政党と個人的にあるいはものの考え方で非常に恒常的な、連続的な関係をいつも持つかといいますとそうでない、またそれを組合も要求しておりませんようであります。組合というものは、これはいわば一つの経済的な面での向上の団体でありまして、その面でこの政策を実現することがいい、そうしてある政党においてそれを実現する熱意を持つておるからこれを支持するということは、これはどうも妨げられないのじやないかと思うのであります。しかしものの考え方そのほかでは、個人の教員の自由というものを、それによつてすぐそのまま規制されないようにして行くということが、教員の場合は大事であると思います。そういう面の関係がはつきりいたしておりますれば、いわば経済福利のための団体といたしましての組合が、一つの政党の政策を相当恒常的に支持いたしましても、これはやむを得ない場合もあるのではないか。しかしそうでなくなつた場合におきましては、これは教育の現場に対して弊害を伴いますから慎しまなければならないと同時に、学校教育基本法におきまして、学校においての、いわゆる今度はそれが教員ということに結びついて、教室に何らかの政治活動的なもの、あるいは一つの政治教育的なもの、ある一党一派的なものが入り込みました場合におきましてほ、それは学校教育法の違反であります。これは慎しまなければならないと思います。しかし先ほど申し上げましたように、経済福利のための団体というふうに考えました場合におきまして、そこの限界を非常にはつきりと意識いたしました場合において、それはやむを得ない場合もあるのではないか、私はそういうふうに思うのであります。
○永田(亮)委員 山本さんにお尋ねいたします。大体今のお話で大分わかつたのでありますけれども、先ほどおつしやつたときに、組合が各政党の政策を比較検討してみて、その政策の判断によつて組合として一つの政綱を支持するような方向に向つて行くということは、これはやむを得ないのじやないかというお話でありました。しかしながらこれを詳細に考えてみますと、たとえば日本の場合で考えてみましても、政党はいろいろございます、社会党も自由党も改進党もいろいろあるのでありまするが、組合員は五十万人以上おる、そういう人たちの考え方はおのおのみんな違うと思うのであります。ある人は保守政党を支持する考えを持つておる、ある人は社会党を支持する考えを持つておる、そういう各種雑多の考えを持つておる五十万の人間が、一つの組合がこの方向で行くのだということをかりにきめたといたしましても、個人々々の考えはまた別だと思うのであります。今経済的福利の面において一致すると言われましたが、これは大体一致するかもしれませんけれども、各政党ともいろいろ経済的福利の有利なような政策を掲げておつた場合に、それの判断でも必ずしも一致しないと思うのです。もちろん政治的な面においては一致しない、そういう場合に組合としてはこういう方向に行きたいのだということを言つても、個々の教員がいろいろ違つた考えを持つておる場合に、そこの矛盾をどういうふうに解釈されるか、これをお伺いしたいのであります。
○山本公述人 これも非常にデリケートな問題でありまして、非常に多数の場合にその議をまとめるということも非常にむずかしいことだと思います。そういう矛盾、これは教員組合に限りませず、私はまつたく関係がありませんので、教員組合のことを知りませんけれども、ほかの組合の場合でもずいぶん無理があるのではないかと思います。しかしどうも組合としては何か線を出さなければならぬという場合もあり得るわけでありますが、私が教育家として一番言えますことは、これも先ほど申し上げたことに尽きておるのでありますけれども、経済的な面での事柄から政治的な面への一つの支持ということが組合としてはやむを得ない場合もあるだろうということも申したのでありますが、その場合にそれがすぐに教育活動の方に結びつかないように、十分に気をつけなければならない、ことに子供は批判力がありませんから、先ほど申したように教員の主体性を守ると同様に子供の主体性、知性を守る意味におきまして、その面のけじめを考えることが大事だということを教育の専門家から言えるだけでありまして、あとの組合との関係というようなことは、私正直のところその方面の専門家でもないのでありまして、その辺についての知識は非常に乏しい、また経験も乏しいのであります。組合というものにほとんど講演を頼まれたこともなければ、あまり新聞に書いたというようなこともないのでありまして、まるきりわかりませんので、その辺は私の専門的な参考意見というものはありません。教育家として私は、先ほど申し上げましたようにけじめは十分に守らなければならないということだけを、これは衷心からそういうふうに信じております。
○伊藤委員長 これにて本日の公聴会を終了いたしますが、私より公述人各位に一言お礼の言葉を申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず、当文部委員会の公聴会に御出席くださいまして、きわめて熱心に長時間貴重な御意見を御開陳賜わりましたことを厚く御礼申し上げます。この重要案件たる義務教育学校職員法案の審査に資すること多大でありましたことを痛感いたし、委員各位とともに深甚なる謝意を表する次第でございます。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。 午後六時二十一分散会