水産委員会法務委員会連合審査会 第1号
- 発言数
- 75 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1953/02/21
会議録
○福永委員長 これより水産委員会と法務委員会の連合審査会を開会いたします。 私が主たる委員会の委員長でありますので、先例によりまして、本連合審査会の委員長の職務を行います。 ただいまより朝鮮半島周辺の公海漁業に関する問題について調査を進めます。議事の進め方は、まず参考人全部より実情を聴取した後に、政府当局及び参考人に対し質疑を行うことといたします。参考人の発言時間は一名当りおおむね十分程度とし、発言の順序は、最初に加藤喜八郎君、次に久保田伴良君、次に永井次作君、次は濱行治君、最後に切手律君にお願いいたします。 それではまず加藤喜八郎君より御発言を願います。
○加藤参考人 一応朝鮮周辺におきまする漁業の概況を簡単に申し上げます。朝鮮の周辺におきましては、おもな漁業は三種ほどでありますが、そのほかに小さい漁業もたくさんあります。一番大きな漁業は、朝鮮の周辺全部において行われます底びき漁業、トロール漁業であります。これはほとんど西海面と南海面全部に行われております。それから東海面には内地の以東底びきの小型の底びきが行われております。その船数は全部で一千五十隻ほどになつております。その内訳を申し上げますと、トロールが五十隻余り、それから遠洋底びきが七百五十隻ばかり、その他のものは以東底びきでありまして、これは主として東海面に入つております。この漁期は周年でありますが、遠洋底びきにおきましては、特にこれからの済州島の西の方の黒山島、あの付近が大事な漁場になるのであります。漁獲高は年間に底びき全体で十三万トン余りになつております。金額にいたしまして四十億余りになつております。 次はあじ、さばのまき網漁業であります。これはおもに朝鮮の、あの地図で申しますと、南の方から東の海岸に向つてやつております。これは船数が約四百五十隻ばかり入つております。むろんこれは運搬船を含めてでありますが、四百五十隻ばかりであります。この水揚げは約五万トンくらい、金額にして十八億円ばかりになつております。それから漁期は四月から十一月であります。 その次はさばのはねづり漁業であります。これも船数が約二百七、八十隻入つておりまして、トン数にいたしまして三万トンくらい、金額にしまして十二億ばかりであります。 直接の従業員の数を申し上げますと、底びき漁業が、約一万三千人くらい、刺し網漁業は一万人、それから船づりも九千、六百人、合計いたしまして直接の人間は約三万二千人くらいになります。数量にいたしまして約二十一万トン余り、金額にいたしまして七十三億円ぐらいが普通であると考えております。ちよつと落しましたが、さばのはねづりは夏の六月から十一月の期間であります。これがおもな漁業でありますが、このほかになお山口方面から出ますところのあまだいのはいなわだとか、あるいは鹿児島方面から出ますかじきのはいなわだとか、底さし網、それから雑はいなわというようなものが相当数南鮮方面に出ております。こういうわけでありまして、トロールものの魚はおもに下関、長崎、福岡、唐津というような漁港に水揚げされまして、これらのものは全部大都市向けに送られております。このほかにこれらの底びきトロールの漁業は東支那海へも出ますので、それらの漁業を合せますと、東京の魚市場あたりでも水揚げの一割五分ぐらいになりますが、名古屋以西の大都市におきましては、大阪、京都あるいは兵庫というようなところにおきましては、市場に入ります鮮魚の五割ないし六割がこれらの海面から揚つた魚であります。これらの漁業は今から約五十年ほど前に、われわれ日本人がまつたく血と汗で開拓いたしました漁場でありまして、今申しましたように、直接従業員たけで三万人を越えますが、これの関連産業の人は少くとも十五万ないし二十万人おるのであります。従つてこの漁場は、われわれとしてはどうしても離れることのできない漁場であるということを申し上げたいのであります。時間の制限がありますので、漁業の概安はこれくらいにいたします。ところが終戦以来これらの漁船がひんぴんとして拿捕されております。現在でもそれが続いておるのであります。二十三年から拿捕が始まつておりますが、拿捕の状況の内容が年月とともに非常に変遷しておりますので、一応二十六年までのものと二十七年以後りものと、二通りにわけて申し上げてけたいと思います。昭和二十三年から昭和二十六年までの間に、日本の漁船が九十七隻韓国に拿捕されております。そのうちで今なお未帰還のものが八隻あります。帰還いたしたものが八十九隻でありますが、このうち数日後あるいは一週間後に危険を冒して脱出して来たものが四隻、それから現地の軍関係が釈放してくれたものが三十六隻、その他に当時GHQを通じまして、この拿捕漁船の返還を迫りまして帰つたものが四十九隻、これが帰つた船の八十九隻の内訳であります。これらの船は全部韓国の軍関係の船が拿捕したのであります。そうしてGHQのあつせんなんかによつて帰つた四十九隻も、帰つたときはまつたくの裸船であります。漁具、漁獲物はもちろん、船具、はなはだしいのは船員の私物も略奪いたしまして、まつたくの裸船で帰つたわけであります。小さい船でも数十万、大きな船は数百万の損害を受けて帰つております。三十六隻は帰された、四十九隻はGHQを通じて帰された、帰されたことはけつこうでありますが、一年以上も抑留されまして——人間は大体二、三箇月で帰つている場合が多うございましたけれども、船は自分らが一年以上も使つて、GHQから昭和二十五年に強い指令が出ましたので帰した、そういう実情であります。そうしてこの八十九隻の抑留されました延べ日数は、実に四千九百日に及んでおります。これが昭和二十六年までの拿捕の状況であります。 ところが昭和二十七年——昨年でありますが、昨年に入つてからのこれらの事故船は三十二隻となつております。これはまだほかに四、五隻ありますから三十五、六隻と思いますが、三十余隻としていただきましよう、それだけの船があります。昭和二十七年からのものは少し趣が違つております。御承知のように、一月の十八日に突如として李承晩ラインなるものの設定を見たのであります。この宣言は、御承知の通り広大な公海の区域に、国際慣例を無視して、単に水産資源のみならず、その地下資源まで韓国の主権下に置くというような、とほうもない宣言であります。むろんこれは日本外務省も否定されておりますし、われわれもそういうものは無視して出漁したのでありますが、この一月十八日の李承晩ラインの宣言と前後いたしまして、一月の十五日から四月六日までの間に十三隻の日本漁船が略奪行為、海賊的暴行にあつておるのであります。これは二十六年までの軍の船がつかまえたのと違いまして、まつたくの略奪行為であります。ちよつと簡単に申し上げますと、一月十五日に第六、第七海洋丸、一月十九日には十七、十八日米丸、これはけが人が一人出ております。それから二月十三日に第一、第二日洋丸、二月十日に第一天祥丸、二月十一日に第三石宝丸、これは一人射撃を受けて死んでおります。それから三月には一二三明石丸、橘丸、四月に入つてから九三明石丸、第一浜吉丸というような船が、これが韓国の漁船か軍の関係の船か、そこがはつきりわかりませんが、とにかく軍人が乗つておつたらしいのでありますが、略奪行為を受けたのであります。今度の連行は趣が違いまして、お前らが李承晩ラインに入つておるじやないか、だからこれらは当然連れて行くべきものであるけれども、放してやる、そのかわりに漁具、漁獲物全部置いて行け、こういうような言い分で、これもほとんど裸船になつて帰つております。それが一月十五日李承晩ラインの宣言前後から四月中ごろまでの十三隻の拿捕の状況であります。 かくして四月二十八日に講和が成立いたしました。ところがしばらく海上は静穏になりまして、われわれはこれで初めて漁業ができるのかと喜んでおつたのもつかの間でありまして、七月十一日から八月三日までの間にまたまた七件の——これは拿捕ではありませんが、臨検を行われました。そしてお前らは李承晩ラインに入つておる、だから出て行け、こういうような話であります。それでこの一月から四月までの十三隻の略奪行為を受けましたことに関しましては、当時ただちにそれぞれの船主から外務省、水産庁、海上保安庁の方へ事情を申し上げまして、外務省では外交措置をとつていただきまして、韓国へ照会されたそうでありまするが、伺うところによりますると、韓国からの回答は、韓国の政府は知らない、あるいは中共じやないかというような、とんでもない回答が来ておるそうであります。また話が元へもどりまして、そのようなわけで四月からしばらくは静かでありました。あるいは韓国の方から指令でも出たのでありまするか、あるいは今度は略奪をしていかぬというような命令でもあつたのか知りませんが、七月の十一日から八月の三日までの間に七件の臨検をしただけで、ほとんど略奪はなかつたようであります。そして、出て行け、李承晩ラインの中はいかぬといううなことであります。それから八月の中ごろに入りましてからまたしきりにいろいろな事件が起つたのであります。遠洋底びきの第五七福丸という船が、八月の十四日に、二五四区——済州島の東の方になりますが、そこで陸から三十五マイルの所に底びきをやつておつたのでありまするが、そのときに韓国の艦艇が参りましてつかまえて、それをひつぱつて牛島の二マイル半ばかりのところに連れて参りまして、お前はきのうここにおつたじやないか、きのうここにおつたのはお前の船だろうというので、そのまま連れて行きまして、強制的に自認書を書かせ、これを領海侵犯なりとして、船は没収、船長は懲役ニ箇月、罰金五万円とかいう判決を下されまして、船長と機関長二人が懲役ニ箇月なのでありますが、機関長が病気をしたので、船長だけではかわいそうだから、お前もこれでいいから帰れといつて追い帰されております。何も現行犯じやないのであります。それと前後しまして数隻の船が、あるいは射撃を受け、あるいは探照燈で照されましてみな追い帰されております。九月十二日になりますると、やはり二五四区でありますが、そこで第二十八海鳳丸、これは米式きんちやく網であります。それから同日やはり第二松寿丸、これは長崎の普通のきんちやく網、この二隻が二五四区で拿捕されておりまして、陸から数マイル離れておるそうでありますが、何か領海におるというようようなことでひつぱつて行つて、領海侵犯というので起訴をいたしまして、起訴の事由は少し領海侵犯があやしくなつたので、ごまかしてほかの判決になつておりまするが、やはり同様に船は汲収、責任者は懲役ということになつております。この海鳳丸につきましては、本日参考人が見えておりまするから、詳しくお話をお聞きとり願いたいと思います。そうしてこの間いろいろな事件が起つておるうちに、九月二十七日に、今度はいわゆる国連ラインなるものが設定されたのであります。その当時、朝鮮のある新聞のごときは、李承晩ラインを宣言したけれども、これはものにならなかつた。今度国連ラインをつくつてもらつたことは、われわれ朝鮮漁業者の勝利であるというような通信も入つておるぐらいであります。われわれ業者としては、この国連ラインの設定につきましては何か割切れぬ気持があつた次第であります。続いて十月上旬には捕獲審判令というものを出し、同じく引続いて漁業資源保護法というようなものを出しております。そして李承晩ラインの中に入つたものは、この捕獲審判令によつて処置するというようなことをやつているようであります。われわれはそういうことは一向おかまいなしで、とんちやくはしておりませんけれども、事実ひんぴんとしてこの前後に約十隻近い船が済州島周辺で発砲され、あるいは威嚇されております。十二月十三日に入りますと、十七、十八日進丸という、底びきでありますが、二四三区と二四二区の間で韓国の民船によつて包囲されて、そうして欲知島の辺へ連れて行きまして、そうして統営の方に移され、三十五日目にようやく脱出して帰つて来た。この間外務省も非常によくやつていただきまして、米国大使館を通じ、国連からもやつていただきまして、幸いにこの船のごときは、二四二区と三区の境であつたということが——ほかの逃げた船がどんどん無電を打つて来ましたから、その無電をいち早く関係当局に出して、こういう傍証もあるのだからというようなわけで、これも国連のあつせんによつて——本人は逃げて来ておりますけれども、国連が相当に圧力を加えて逃がしたような形跡がうかがわれるので、これはわれわれは感謝いたしております。それから十二月に入りますと、二十三日に戸畑港を出港しまして、二十七日に対島の竹敷に寄つて、その後杳として知れない船が一隻あつたのであります。日繁丸という船であります。これは私らの遠洋底びきの所属の船でありますけれども、例外的の四十トンの小さい船でありますので、届も非常に遅れましたしいたしましたが、その後海上保安庁かどこかの情報によりまして、南鮮の馬山に抑留されておるということがわかつておつたのであります。それでこれは乗組員九名がそのまま馬山におりますので、これは外務省からすでに外交措置をとつてもらつております。公文はすでに韓国と国連両方に出ているそうであります。ところが、この船から突然きのうの夕方連絡がありまして、その内容を見ますと、二月五日に、ライン侵犯——どのラインかわかりませんが、侵犯によつて乗組員九名がおのおの百万円ずつの罰金を申し渡されたという手紙であります。それは船長が自分の家の留守家族の妻君あてに出した手紙でありますので、長くなりまするけれども一応読んでみます。封筒の上書きは二月九日の馬山局消印であります。日本山口県徳山市大字馬島、石丸ソノ宛、これは船長の妻女であります。差出人は大韓民国慶尚南通馬山市午東洞一〇七番地、船員一同代表船長石丸太兵衛という手紙でありまして、原文のままであります。「前略御面下さい船員一同の御宅の皆々様には御変りなく御健康の御事と御伺い申ます私等一同無事にて漁業せしも昭和二十七年十二月二十九日午後六時頃」対馬に寄つた翌日と思いますが、「ライン線内と思ふ処に」このラインも手紙でははつきりいたしません。「碇泊せしも明る三十日午前二時頃馬山税関警備船来りラインセン外であるとの事にて馬山に引かれ今日に至りました二月五日裁判の結果ラインセン一浬で、いる事に決定なりました」どのラインにいたしましても、ライン一浬ならこれは当然公海であります。「其(ツミ)にて漁獲物及び漁具一切船と共に没収となり其上に船員一人に付き百万円九人で九百万円の罰金刑を言渡しになりました此の金を納めなくては二月五日後向百日間の受刑となります今金がないから受刑して居ります此の金は韓国の金にして日本の金の参拾倍位であります刑務所内に居れば一日一人に付き壱万円九人で九万円づつ納める事になります送金が出来る時は送金する日より二月五日までの日数一日九万円を差引して送金して下さい右の通りを船員一同の宅へも石田さんの方へも相談して福岡の方へも宜敷く万事御願して下さい此の書面受取次第返事下さい送金出来得る時は前以て御しらせ下さい右の通り御通知申上げます。船員一同の御宅の皆々様代表石丸ソノ様」こういうような悲惨な手紙がきのう夕方参つたのであります。それから、これは遠洋底びきの協会の支部からの話でありますが、附記でありますが、「日繁丸が米軍機の遭難を救助したことがあり、その時の乗組員の一人が現在は下船して郷里徳山市馬島で漁業に従事しているのが、石丸妻女から日繁丸の話を聞き、此の二十三日の月曜に佐世係海上保安部へ出頭し救助方を陳情する旨の附記がありましたから書き添へます。」こういうような気の毒なものもありまするので、これはぜひひとつ外務省あたりから強力にやつていただきたいと思います。これは船員が九人であります。これは一月の事件であります。 それから一月にはなお二件ばかりあり、一月十日には海勇丸という船がやはり李ラインの外に出て行けと言つております。一月二十六日には大幸丸、これは以東底びきで、島根県の船でありますが、朝鮮東海岸で操業中漁具、漁獲物、船舶備品などの略奪を受けて帰されております。二月四日になりますと、今度は第一、第二大邦丸が済州島西北二十何マイルかのところでつかまつております。これは第一大邦丸の漁労長の瀬戸重次郎氏が射撃を受けて死にました。ここに証人がおられますので、この詳しい話は省略いたします。その翌日の二月五日にはやはり遠洋底びきの第一太平丸、これは十二名乗つておりますが、これが二五三区、そこでやはりつかまりまして、これは脱出して帰つております。この無電をちよつと申し上げますと、「小春日和で視界せまく底曳船第十六大東丸一組の操業を認む十四時頃約一〇〇屯位の帆船とも手繰船とも判定不明の船が出現いきなり第一太平丸に接近横付せし模様そ間聞本船(第二太平丸)は約三浬程逃げ見守つていると北方に連行して船影を没す」こういうのであります。現在この二隻ははつきり朝鮮につかまつておるのであります。そうして日繁丸の方は、判決を受けて今受刑しておる。第一、第二太平丸は今どこにおるかわかりませんが、これは十二人乗りであります。この二隻だけは何とか早く船、人とも帰されるような御処置を願いたいと考えております。 なお参考に申し上げますが、これと前後いたしましてこういうような無電が入つております。二月五日、第十一喜久丸、長崎の底びき船がこういう電報を打つております。二六時一五分第二八四区韓国手繰船二隻の追跡を受く、距離五〇〇米網捨てた」第二信が「一六時四五分網を切り脱出成功す」こんなのがひんぴんとあるのであります。網を切れば、切り方にもよりますが、ワイヤー・ロープとともに切れば数十万円の損害であります。網を切つて逃げた。 それから二月十二日には第一蛭子丸、これは長崎の底びき船であります。「二八三区右下朝鮮手繰二隻の追跡を受け約一時間SNに逃走〇九時〇〇分逃走成功す」こういうようなものもあります。 それから二月十日には兵庫県の香住の船でありますが、東海岸のやはり李ラインのところで出て行けと言われておりますのが二隻あります。 ちよつとさかのぼりますが、こういうのがあるのであります。一月三十日には第二一興洋丸、これは下関の底びき船でありますが、こういう無電を打つております。「一一時二〇分二六五区中上にて韓国手繰船一組三十分に亘り追跡を受くるも、我の速力には及ばず反転して流中(ぶらぶらしている意)船体ネヅミ色五〇屯二本マスト待伏している様子なり各船注意あれ日の丸標識なし曳網中の如く見せかけ航行中」こういうようなことでどんどんやつておるのであります。 以上でありますが、昭和二十六年前は軍の船で、昭和二十七年になりまして海賊行為の船があつた。そして最近はまた軍関係のものや、それからいろいろな話によりますと、李承晩大統領は水産団体に向つて、李ライン内の日本漁船はすべて拿捕しろというような指令を出したというような話を聞いておりますので、どうも民船で追つかけて来るような現在の状況であります。以上が経過の概要であります。次に、その対策とわれわれの要望を申し上げます。われわれのお願いは、われわれは決して国連に協力を惜しむものではありませんが、先ほど申しましたように、われわれはもうこの漁場はどうしても離れられぬ実情にあることを一応政府から国連関係にお話をくださいまして、この区域でもし臨検の必要があるならば、国連の船みずからやつてもらつて、韓国の船には臨検させないというようにぜひお願いしたいのであります。これはすでに漁業確認証というものを各漁船がもらつて、そしてクラーク・ラインの中の作戦にさしつかえないときには入つてよろしいという意味の確認証だと考えております。それを持つておるのでありますから、ぜひ従来通り漁業をさしてもらいたい。現地の司令官やあるいは現地の官庁は、中にはこのラインは入つていかぬのだと言つて追い出される実例が多々あるのでありますが、われわれはそれは現地の司令官のさしずであつて、国連あるいは米国政府の指令は、作戦に支障のないものは入れてやる、私らはさように確信いたしておりますので、この点をぜひ日本政府から向うへ、しつかりとあらためて再確認をさしていただきたいと思つております。それから韓国がこのような暴挙に出る呈は、われわれも今までは隠忍自重しておりましたけれども、もうぜひ強力なる外交措置をやつてもらいたい。御承知のように、韓国から日本に水産物が相当数量輸入されておるのであります。李承晩ラインの中で、あるいはクラーク・ラインの中でとつたと思われる魚が、下関その他に揚つております。下関のごときは毎日五、六千万円以上魚が揚つております。これは日本の輸入魚価のわくが十億内外という話を聞いておりますから、大部分のものは下関に揚るのであります。まことにそれは矛盾しておるように私は考えるのであります。しかも、それらに要する漁具とかあるいは漁船は、日本から輸出しておるのであります。われわれ業者にしてみれば、何のことやらさつぱりわからぬ、このように考えざるを得ぬのであります。 それから水産庁の監視船、海上保安庁の巡視艇であります。これは承るところによりますと、朝鮮をあまり刺激してはいかぬというので、それは巨文島あたりまでは水産庁の監視船が行つているそうでありますが、済州島の水道は通らぬそうであります。どうかこれはあの中を水産庁の船は縦横にかけめぐつて、われわれの漁船を保護してもらいたいと考えております。それから海上保安庁の船は一応このラインの外をまわつておるということを承つておりますが、もはや遠慮するときではないと思いますから、ぜひ政府におきましても、海上保安庁の船もこのラインの方へまわしてもらいたいと思つております。それから先ほど申しましたように、日繁丸はすでに判決を受けまして、百万円、三箇月十日の刑に服しつつあるわけでありますから、これも至急に船を返してもらいたい。それから第一太平丸は北の方に連行されたというばかりでわかりませんが、必ず朝鮮におるに間違いありませんから、これも朝鮮政府並びに国連を通じてやつてもらいたい。未帰還船は、これらの二隻を加えまして、終戦以来まだ十三隻の船が帰つて来ておりません。どうかこれもこの際できるならば一緒に解決していただきたいと思つております。 なお話は少し違いますが、一月二十一日に第十三、第十五喜久丸という船が朝鮮の小黒山島のすぐそばの区域で拿捕されました。これは怪船に拿捕されたというだけの通知でありまして、この怪船がはたして中共のものやら朝鮮のものやらわかりませんが、黒山島の三十マイルあまり西で中共に捕われたことがありますので、中共ではないかと思つておりますけれども、いまだに消息がわかりません。これもどうか調べていただきたい。それから一月七日に第六万宝丸、これは底びきで十三名乗つておりますが、これが済州島の西で行方不明になつております。その日は非常にしけましたので、遭難かとも思われますが、この二隻の消息もあわせてお願いしたいと考えております。以上拿捕の概要とわれわれの要望とをとりまとめて申し上げた次第であります。
○福永委員長 次に、参考人久保田伴良君。
○久保田参考人 私は第二十八海鳳丸の船長久保田伴良であります。海鳳丸は米式さんちやく網漁船で、九月十一日午前十時半長崎出港、同夜午後十時ごろ五島荒川に入港しました。翌十二日済州島東方海に出漁のため午前八時荒川出港、九時嵯峨島に並行しながら進路ノースウエストー・バイ・ハーフウエストに定針して航行、十五時北緯三十三度六分、東経百二十七度五十三分の推測位置で進路をウエストノース・バイ・ウエストに変針、途中雨が降り、視界不良となりましたので、僚船の第四十七大良丸を見失い、午後六時推測位置北緯三十三度十二分、東経百二十七度二十九分で進路をノースウエスト・バイ・ウエストに変針、十九時に第四十九大良丸と第四十七大良丸の無線方位をとつて位置を知りました。 午後八時ごろから雨で視界悪いため半速で航走中、午後九時ごろ、左舷船尾より突然発火信号をするので局長に応答させた瞬間、探照燈で照らされたと思つたときに突然大砲を二発打たれました。それまでは無灯火なので全然われわれにはわかりませんでした。大砲を打つた直後に怪船が本船のすぐわきに近づいて来てストツプし、船をつけろと言つて来たので、やむなくストツプし、大砲を打たれて危険なので怪船に横づけした。怪船は韓国艇三百一号で、デツキの上には水兵が十数人自動小銃の銃口を本船に向けており、大砲の方向も本船に向いていた。船長は本船に来いというのでやむなく行くと、小銃でおどしながらブリツジへ呼びつけられ、数人の幹部らと船位のことで四十分くらいやり合いました。しかしながら彼らは、本船の位置を先方、の言うノース三十三度二十四分、ウエースト百二十六度五十七分だと言つて、遂には銃を突きつげて聞かず、海鳳丸のことも心配なので、仕方なしに彼らの言う確認証を書きました、確認証の内容は「日本国大洋漁業長崎支社所属第二十八海鳳丸九十九—九十八は、檀紀四二八五年九月十二日午後九時三十八分韓国領海内北緯三十三度二十四分、東経百二十六度五十七分に侵入したることを確認す」「追記、貴船の積載物及び私有物に対して触手しなかつたことを証明する」という確認証でありました。本船に続行せよ、無線は使うな、と強く言われて帰されたので、本船に帰り、午後十時ごろ三百一号艇に続行したところ、二十分もたたないうちに、三百一号艇はまた四、五十発くらい発砲したので、本船もストツプしたら、別に日本船が一隻拿捕されました。午後十一時ごろ再び続行を命ぜられた。そのときのコースはウエスト・ノースウエストで、減速スピードは四海里くらい、午前零時半ごろ島影をちよつと見てからサウスに走り、午前六時半ごろ三百一号艇のわきに投錨しました、投錨位置は城山浦であります。夜明け後午前七時半ごろ三百一号艇が横づけして船内検査をしたが、ダンブルを見て魚がないためがつかりしていた。このとき、昨夜つかまつた船は第二松寿丸であることがわかつた。八時ごろから二隻とも連行されて、午後零時半ごろ済州邑に入港しました。入港後、午後二時ごろ海軍憲兵が来て、船内の常備書類を出せと言つて持つて行つた。同四時ごろ漁撈長と呼び出されたところ、海軍警備司令官より、本船に関しては天候関係で同情して、あすは釈放になるだろうと言つてくれました。十四日午前十時ごろ海軍警備司令官より、一時釈放の通知があつたが、その後釜山海軍本部より返電があつて、そのまま抑留するようになつたとのことであつた。九月十六日、済州道警察局移管となり、十八日午前中、責任者五名は済州道警察局査察課刑事の取調べを受けたが、午後五時ごろ拘束令状を見せることなく留置場にぶち込んだ。二十日から二十七日まで、警察局査察課刑事に引続いて取調べられたが、尋問事項は、日本の警察の取調べとほとんど同じで、出漁日時、スピード、航走針路、拿捕された地点、島が見えたか、などと質問した。拿捕された地点に関して、自分の答えた北緯三十三度二十五分、東経百二十七度六分は全然記録せず、一方的に、城山浦南方約二海里の韓国領海内北緯三十三度二十四分、東経百二十六度五十七分と書いておつた。島が見えたかという事項については、巡視船に続航中、午前零時一ごろ牛島の方位をノース・ウエストに見たと答えたが、時刻、島名、方向等は全然記録していなかつた。取調べが終つて、署名しろと言つたが、自分の答えと違つていたので、いやだと言つたら、拳銃をつきつけて、どうしても調書に署名しろと言うので、つつぱつたががんばり切れず、翌日署名した。刑事らは一方的に調書をつくり上げ、船員らに対しては、木浦の刑務所にぶち込むぞとか、ぶた箱にほうり込むぞとか、そういう脅迫を行つた。九月二十七日、警察局から刑法六十五条、刑事訴訟法百八十六条一項違反として、書類とともに検事局に送致された。このとき検事が、お前たちは共謀の上、漁労作業の目的で韓国領海内に入つて来たのだろう、それに相違ないかと言つたので、そうじやないと答えたら、生意気言うなと言つて、頭から受付けなかつた。 十月七日午後四時ごろ、済州道地方院検事室で検事の調べを受けたが、内容は刑事の取調べ事項とほとんど同じ。十一月二十二日、検事は魚探使用法を聞いたが、魚探がどんなものか全然知らず、魚探を使つて魚をとるものと思つていた。操業法、漁業の種類について、お前の船はトロールではないか、機船底びき網漁業ではないかと言うので、米式きんちやく網漁業だと言つて説明したが、遂には定所集魚漁業というのにでつち上げて、でたらめな調書をつくり、自分がつてな国内法を適用した。ぶた箱においては非常に苦しかつた。四畳半くらいで、部屋の片すみに便所があり、朝鮮人と一緒にぶち込まれ、多いときは、一部屋十人、全部で八十人以上もおり、憲兵、兵隊、弁護士、刑事、そんなものを区別なくどんどんほうり込んで行つた。食事はまる麦一合くらいを一日二食、おかずは大根葉の塩づけを毎日々々七十三日も食わせられて、局長は栄養失調になり、十一月十日ごろから二十日ぐらいも病院に入院した。ぶた箱にぶち込まれたころから、朝鮮人らは、どうせお前たちの船は国策で没収になるのだということを聞かされた。ぶた箱の七十三日間は外に出ることはほとんどなく、部屋にすわつたきりで、精神的に肉体的に極度の衰弱を来し、まいつたころを見はからつて彼らの裁判をした。 十一月二十二日午後四時ごろ済州道法院で次席検事、判事、書記が出席して裁判を開廷した。検事は外国人出入国登録令違反及び漁業会違反で起訴したので、起訴理由は、被告ら五名は東喜代彦外十二名を帯同し、共謀の上、韓国領海内に侵入し、魚探を使用して、魚労作業に従事中であつたというのである。判事は刑事、検事と同様のことを尋問した後、さらに船位測定法、拿捕された地点、魚探の操作法などを聞いたが、判事も魚探を使用したら魚が死ぬものと思つていた。二十三日午前十時ごろより審理が続行され、昨年一月十八日発表の韓国隣接海洋主権宣言の水域内で、本船の操業した日時、地点、漁獲高、価格などを抄録した。終つて午後四時ごろ検事の求刑があり、求刑要旨は、被告らは拿捕当時悪天候のため視界悪く、知らず知らずの間に韓国領海内に入つていたと供述しているが、これは共謀の上韓国領域内に侵入し、すでに午後三時より魚探を使用して、漁勞作業に従事しつつあつたものと考えられ、かかる行為は許すべからざるものであり、峻厳なる法律をもつて処罰さるべきで、各被告に対して、次の通り求刑する。船長懲役三箇月、罰金三十万円、漁勞掛長、甲板長、機関長、通信士各懲役ニ箇月罰金二十万円、求刑が終つてから弁護士は弁護をしてくれたが、朝鮮語のため意味は全然わからず、法廷での書記の通訳もほとんどわからなかつた。 そうして十一月二十八日午後二時ごろ、済州道法院法廷で判決があつた。判決要旨、一、漁業法違反により、六月より九月十二日までの間、韓国領海内において十数回にわたり操業し漁獲したことに対し、次の通り判決を言い渡す。船長罰金二十五万円、漁勞長罰金二十五万円、機関長、甲板長罰金二十万円、通信士罰金十五万円でありました。二、外国人出入国登録令違反により起訴された件に関しては、当時悪天候のため視界悪く、意思なく侵入していたという事実を認め、無罪とすという判決であつた。 その夜、留置場の中で、上訴するかどうかを話し合つたのでありますが、結局彼らがかつてにつくつた海洋主権宣言で、一方的な裁判をするのであるから、上訴をしてもむだだろうという結論に達し、体も衰弱していた関係上、国際問題で解決してもらうのだと涙をのんで、翌日判決を承認して、二十九日釈放されて、十二月十八日大阪に帰つて来ました。以上でございます。
○福永委員長 次に永井次作君。
○永井参考人 私は大洋漁業の長崎支社の漁業課長をやつております永井次作でございます。実は本件に関しまして、九月十二日に海鳳丸が抑留されましてから、相当期間をたつても帰してよこさないので、私たちは、従来の船員が非常に虐待され、かつ食糧等にも不自由をしているという状態をいろいろと聞いておりましたので、できるだけわれわれの方の持つております船で、衣料品あるいは薬品、食糧等を追送してやれれば、やつてやりたいものだということが、また家族を安心させる方法でもありますので、外務省を通じましていろいろと交渉をしていただきましたところ、十一月の六日に、韓国の方からオーケーをとれましたので、いろいろと今度は手続きその他の関係から遅れまして、十一月二十四日に実は長崎を出たのであります。当時船員たちは夏の服装のままで九月出ておりますので、もう十月十一月になりますと、この済州島は十一月という時期は日本の冬と同じで非常に寒いのであります。それで冬服その他を一応準備して、食糧も持つて行つたわけでありますが、行きまして、向うでいろいろと現地の弁護士なり、税関、警察それから海軍の司令官等といろいろと懇談をして参つたので、現地の状態を私非常に詳しく知つておりましてあとで裁判の内容なりあるいはまた船の一番かんじんな拿捕地点が、彼らが言う三十三度二十四分、東経の百二十六度五十七分であるか、第二十八海鳳丸並びに第二松寿丸が拿捕された位置が、こちらが言つておりますところの位置が正しいものであるかどうかということについては、あとでまた御説明申し上げたいと思つております。 要は、どちらにしてみても、彼らがとつて来ましたこの不法拿捕事件は、同じケースが五隻もありまして、ここで一ぺん徹底的な闘いをしなければ、今後ともになお一層このような拿捕事件が続行されるのではないかというふうに私は考えております。海鳳丸がこの海域で拿捕されますまでに、六月から東北の三陸方面でかつを、まぐろをやつておりましたのを私たちの方で引取りまして、この済州島の東方海域で操業をいたしまして、その間七万二千貫も水揚げしておりまして、金額にして約千三百万円というものを実際水揚げしておるのであります。それ以後においてわれわれが船をとられ、商売ができないための損失が非常に厖大でありまして、私の方の三月末日を一応目標として計算をしてみましても、第二十八海鳳丸一隻だけで、直接損害で三千二百六十七万円、間接損害で一千二百十万円、合計四千四百七十七万円という大きな損害があるのであります。また同様にわずか十分ないし二十分の間隔で拿捕されました第二松寿丸の直接損害が一千六百八十万円、間接損害は一千百十万円、合計二千七百九十万円という大きな数字になるのであります。要は、何とかしてかかる事件をなくしていただきたいと思うので、実は本席に出て参りました次第でありまして、最近第一大邦丸の漁勞長であります瀬戸さんが、彼らの不法襲撃によつて負傷をされ、数時間後に死亡をされたというふうな、われわれとしては非常に嘆き悲しまなければならない事件がありますので、ぜひ本国会でいろいろと取上げていただきまして、早期に解決をしていただきたいというふうに考えております。 それから御参考までに申し上げますが、彼らは裁判を続行して、この裁判を合法づけるために非常に苦労しておつた。現に船員たちの話を聞いてみますと、九月十二日以降相当長期間どれに当てはめたらいいかということで苦労をしている。結局韓国漁業法違反並びに外国人出入国取締令違反というふうな二項の法文に当てはめたわけであります。この赤線が、日本で言いますと、二十七年一月十八日に設定されましたいわゆる李承晩ラインでございます。この事件が発生しました日にちは二十七年九月十二日であります。その次にこの青線が、同九月二十七日に新たに国連軍によつて設定されたいわゆる防衛ラインであります。そして李承晩ラインのいわゆる海洋主権宣言というものをやつておりますが、それの裏づけ法規、取締り法規が当時全然なく、単なる宣言にすぎなかつた。われわれはもちろんこのラインを無視して商売をしておつたわけでありますが、これを宣言で当てはめて行こうとしても、彼らとしては取締る法令がないために、あわ食つて外国漁船捕獲審判令という法律を設けたのであります。普通法の原則から行けば不遡及になつておりますが、この法令の附則にこういう条項があるのであります。附則の第三十一条として、拿捕事件によつて捕獲したところの審判は普通の捕獲審判所並びに高等審判所は法の発布された十月四日以前の事件でもこれを取下げることができるという条文がうたつてあります。ういうそふうな状態であります。 まだまだ申し上げたいことはたくさんありますが、一応このくらいでアウト・ラインを申し上げまして、細部についてはまた後刻申し上げたいと存じております。
○福永委員長 次に濱行治君。
○濱行参考人 私は第一大邦丸の船長濱行治であります。 私たち第一大邦丸は、僚船第二大邦丸と昭和二十八年一月二十二日福岡港出港、二神、大島間を通り、進路をウエスト・バイ・サウスにきめ、同月二十四日十八時ごろ農林漁区約二七五区、推測左中下付近に到着、同日二十四日二十時ごろ操業を開始しました。そしてその付近で二十四日、二十五日、二十六日操業し、魚の入りも悪かつたので、二十七日に二八四区中左付近で第一大邦丸のみで八百四十箱くらい大体ありました。 それから二一月三日の二十時ごろより漁場変更のため、農林漁区二七三区右下付近に向け二八三区付近に航走を開始して二月四日の二時ごろより操業を開始しました。その当日は曇天のために島影も見えず、推測はただ水深のみによつてやつておりました。二時ごろより第二大邦丸は網を入れ、五時ごろより第一大邦丸は網入れをしました。そのとき七時ごろ本船の南西方向に約八隻くらいの漁船が見え、二隻は本船の西より北上しておりました。私たちはそのときは南西方向に向いて網を引いておりましたところ、二隻の船は七時四十分ごろに本船第一、第二大邦丸に接近して来、魚はとれますかと日本語で話をしましたが、その船はそのままそこに停止しておりました。私たちはそのときには警官もおらず、ただ船員のみで操業準備をしておりましたので、韓国の同業者たちと思つて安心しておりました。そのときには昌運号という船名がはつきりわかり、南鮮のマークもついておりました。その船が第一、第二大邦丸の中間で停止しておりましたが、揚網時間が来ましたので、網揚げ作業に携わるため、第一、第二大邦丸は約十メートルくらいの距離に接近して、第二大邦丸より本船第一大邦丸のロープをもらい、私たちは網揚げ作業にかかりました。私たちはサウスウエスト方向にこいでいましたから、網を揚げるときにはノースウエスト方向に自然に船が下つて行きます。そのとき昌運号との距離は約千メートルくらいありましたが、私たちは後尾へ下つて行くので自然と昌運号に接近して行き、約ワイヤー六百メートル、網二百メートル揚つたときに、右舷船尾約三十メートル付近から前進しつつ第二昌運号より発砲を受けましたので、ただちに私は左舷のロープを切り操舵室に入りましたが、そのとき漁勞長は操舵室に入り機関に全速前進を命じておりましたので、すぐ交代して約二、三分くらい漁勞長と話をして、サウスウエスト方向に遁走中でありましたが、そのとき昌運号第二号の船上には、兵隊らしき人が約六、七名船体に銃を委託して盛んに発砲して来ました。あとで調べたのでありますが、船体に七十八発、操舵室、機関室付近に約六十七発たまが当つておりました。そのままサウスウエスト方向に遁走中、約五分くらいして第二大邦丸は停止して拿捕されているのを見ましたから、私はその旨を漁勞長に通じましたところ、漁勞長からは何の返事もありませんでしたが、私はまあ恐怖の余り口もきけないのだろうと思つてふしぎにも思わず、そのまま航走しましたが、そのときたまが操舵中の自分の右足先を一発かすめたので、これは危険だと思つて機関の停止を命じました。そのときには第二昌運号はすでにわが第一大邦丸の右舷側に横づけにされておりましたが、当時波が高かつたため、約五メートルくらいの距離があつて、操舵室より何か指示がありましたが、はつきりわからなかつたので、再度昌運号に接近して行くと、そのときには第二大邦丸はすでに拿捕されて、第一昌運号に曳航されておりましたので、そのあとに随航して行きました。そのときに漁勞長を見ると、漁勞長はそのときには防弾装置のためにふとんか何かを持つていたのだろうと思いますが、そのふとんでよく見えなかつたのですが、右手に血がついておりましたので、あわてて傷を調べてみると、後頭部にたまが命中して、手についていた血はすでにかわいておりました。拿捕された位置よりサウスウエスト・コースに航走し始めたときは、午前八時二十分ごろでありました。 入港したのが翰林面という所で、翰林港に入港するまでの所要時間が三時間でありました。入港して憲兵の人に負傷者があるからすぐ病院の手配をしてくれ、そういうことを依頼いたしまして、すぐさま責任者及び船員、身内の者が自分たちの手によつて担架をつくつて、普通の民間の高医院という翰林面の病院に負傷者を連れて行きましたが、そこの医院には何らの設備もなく、また医者も傷を見ただけで何らの手当もせず、これはだめだというのでそのままでありましたので、私たち船員といたしましても何とかして助けてやりたいと思つたので、リンゲルでも一本打つてもらえぬだろうか、それとも病院の方へ収容してもらえぬだろうかということを、再三再四警察なり憲兵に聞きましたが、最初警察に依頼に行きましたところ、警察の方では、自分たちは軍の命令によつて動いたのであるから、それは憲兵の方へ行つて頼んでみなさいということであつたので、憲兵の方に依頼に行きましたが、憲兵は最初に頭を撃たれただのからとてもだめであろう、リンゲルを打つても金がかかるだけ損だというので反対しておりましたが、何とか頼んでリンゲルだけは一本打つてもらいました。そのとき憲兵隊の隊長は電話をしておりましたが、電話は朝鮮語でわれわれにはわからなかつたけれども、憲兵隊長は今軍の病院に連絡しましたから車は今出ましたというので、私たちはすぐ病院に行つてその旨を病院に伝えましたが、待てども車は来ず、同日二十三時病人は何らの手当も受けずにそのまま息を引取りました。 この調べの状況は、私たちはその日の午後より取調べを受け、その当時の取調べの要旨としては、本籍、現住所、経歴、個人の財産、拿捕位置、出航してから拿捕までの操業状況などでありましたが、私たちの拿捕された位置は、拿捕されてより翰林面に入港するまでの航程及び進路から逆算しまして東経百二十五度・五十五分、北緯三十三度三十三分という位置を取調べのときに強硬に言いましたが、昌運号の船長が証人となつて来ておりましたので、その昌運号の船長の言には、翰林面よりノースウエスト約九マイル付近だということでありましたが、私たちの船は速力は普通速力六マイル、最大速力七マイルくらい出るので、それから逆算して行つても三時間は航走しているので、十八マイルないし二十マイルくらいあると強硬に言いましたが、私たちの言を採用せず、その昌運号の船長の証言の、済州島翰林面ノースウエストの方向約九マイルとの中間をとつて、それでは君たちと昌運号との中間をとろうではないかと言うて、私たちは最後まで拿捕位置は北緯三十三度三十三分、東経百二十五度五十五分ということを言いましたが、その中間をとられて無理に捺印をさせられたような状態でありました。 二月五日に火葬をするはずでありましたが、検事局より判事が来て、死亡確認をするために、たまの跡を調べに来まして、そのときに警察と憲兵隊とのだれが射つたかというのを確認するために、死体を解剖に付して、結局憲兵から射つたということを、摘出された弾丸によつてきめられたわけです。翌六日に火葬をいたしましたが、火葬の状況は、一切私たち船員の手によつて、船から機材を持つて行つて、寝棺からたきものに至るまでつくりました。翰林面より二キロくらい離れた野つ原に、われわれが石垣をこしらえて、たきものは松の木を船員が全部で折つて来て、火葬にしたような次第で、官憲の方では何らその手配すらもしてくれなかつたのであります。 それから、魚は両方合せて千六百五十個くらいあるはずのところ、第一大邦丸の荷役をしたところが、実際は八百六個しか揚らなかつたので、その魚については、われわれも目撃しておりますし、また警察の者が目撃したものもありますが、約五、六十は憲兵隊とか、地方農民によつて持つて行かれました。当時翰林面に入港したときに、憲兵隊がわれわれの方に武器はないかということを理由に、船内検査をしたときに、個人の貴重品及びラジオ、天測時計なんか、目ぼしいものはすべて持ち去られておりました。 そして二月十日の午後、二十時ごろ、翰林面より済州邑に行くからというので、私ども船員の私物は全部警察に預けて、からだ一つで車に乗れというのでありましたが、そのときに遺骨の番をしていた者が、遺骨を船から揚げて来れなかつたので、せめて遺骨だけでもわれわれと一緒に行きたいということを言いましたが、もう時間がないのでだめだ、とにかく早く行けというのでありましたが、船員が強硬に車に乗ることに反対したので、それでは一名だけ残して置こうということになつて、納得して、十日の二十時ごろ、車に乗つて済州邑に向いました。 翰林面では、入港当日より、われわれば防空団詰所の約四畳くらいのところに、十八名の船員が軟禁されまして、食事はもちろん船内食糧を、倉番二人が差入れに来るような状態で、どこへ行くにも警察が銃を持つて、われわれを監視しておりました。二月十日の二十三時ころに済州邑につき、済州道警察局査察課の外事係によつて、われわれは当旦二十三時、留置場に飯も食わずにそのまま入れられ、翌十一日午後二時ころ呼出しがあり、その取調べの趣旨としては、やはり本籍、現住所、宗教、思想、経歴、財産、生活程度、操業状況でありまして、そのとき操業状況については、海図を出して来ましたが、それはわれわれの海図で、定規はT字定規を一つと、パス一ちようだけで海図をはかりましたが、T字定規一つでありますので、羅針盤にT字定規を当てて、鉛筆を平行に持つて行つて、タバコとかマッチの軸で、そのマイル数とか何かをはかるようなはかり方でありまして、このときわれわれの拿捕された位置とか操業位置というのは、済州島より三十マイル付近と言いますと、取調官は——三十マイルというのは、僕たちの言うのは、海岸線から三十マイルをいうのでありますが、係官は済州島の漢翠山の頂上よりはかるので、位置には相当の違いがあります。そうして私には、ここで操業したと言うが、君の言うのはうそだと言つて、ぼくたちの言うことを信用せずに、どこかへ係官が行つて、紙切れにメモして来て、漁勞長はこう言うが、君の言うことはうそだ、うそを言つておることは顔に現われてると言つて、調書は朝鮮語と日本語をまぜて書きますので、私たちにははつきりわかりませんから、そのまま向うがかつてに一方的にきめて調書をつくって、私たちに署名捺印さすような有様でありました。 済州邑に行つて、第一回の取調べのときに、査察課の外事主任が、海図を見て調べていたときに、海図なんか見ぬでも、そういうじやまくさいことをせいでも、公海とか領海とか、そういう問題なんかどうでもいい、早く調べてしまわなかったら、君たちは日本に帰れぬから、漁勞長の通りにしようというので、そのまま係官が調書をつくりました。最初に私たちに、李承晩ラインというものを知ってるかと言いましたが、李承晩ラインは韓国が一方的につくつたもので、国際法上何ら認められておらぬということを指摘すると、それはそのままにして、次にクラーク・ラインというものを知つてるかと言いました。クラーク・ラインは私たちは新聞紙上で見たところによると、作戦の妨害にならなければいいという見解がありましたので、私たちはそれを信用して操業した言いますと、それでは領海は済州島の南西の馬羅島より小黒山島に引いた線、それより三マイル外が朝鮮の領海であるということを言っておりました。 留置場において、われわれに与えられる食糧は、荒麦を一食に約一合くらい、それにほんだわらという海草の塩もみを、一日に二食でありましたので、私たちより再三再四何とかして食糧の方を増加してくれるように依頼をしましたが、何とかしますというだけの答えであつて、何らその後の処置をしてくれませんでした。そこで約三回取調べを受けましたが、前に書いた調書の通り向うが書くだけで、われわれはははたで坐つておるようなありさまです。そして二月十四日の二十時ごろ査察局の外事主任より、君たちはあす釈放するということを聞きました。その日はそのまま監禁され、翌日の十五日の七時ごろ外事主任が来て、君たちを釈放するから早く出ろというので、急いで留置場から出て、査察課へ行って、押収品目録を見せて、それに捺印をさせましたが、そのときに警察に上つていたものは船の重要書類と海図のみでありましたので、現物はまだ船の方に残つておりましたので、書類だけは捺印をしましたが、現物は返すという書類のみでありました。それめから中型ジープに乗つて水上署に行き、最初に漁具の手渡しがありましたが、漁具としては綱のみで、あとの附属品なんかすべて盗難にあつてなくなり、重いいかり綱と網一丈のみでありました。そして水上署で、検事局より、米フリゲート艦の艦長に受渡しの調印があつた後、われわれに査察課長よりのあいさつとして、死んだ人や遺家族の人には非常に済まなく思つている。しかし韓国は今戦時中であるので、あなたたちにしたいこともあつたができなかった。うことを言つておりました。内地に帰つても、韓国の内情とか官憲の悪口をあまり言わないようにしてくれ、という話でありました。そして帰るときには、私たち船員が私物を売つた金を寄せ集めて食糧を買いに行きましたら、食糧なんか全然なく、うどん粉二俵をわれわれの手によつて、それを持つて当日の十三時に米国のフリゲート艦7〇号に曳航されて、はだか一貫と、船にはおもな機械だけで、機械場の付属品とか漁具の付属品とかは全然なく、その日の十三時に出航して、十六日の十四時三十分ごろ佐世保に入港して、その後検疫及び税関の取調べがあつて、佐世保の海上保安部にわれわれ船員の身柄だけは引渡されて、そこでまた一通りの取調べがありました。それで十八日の五時に佐世保海上保安部より福岡へ出航してもいいということになつたので、十八日の十七時三十分佐世保出航、十九日午前福岡に帰つて来たようなありさまです。これで私の説明を終ります。
○福永委員長 最後に切手律君。
○切手参考人 私は第二大邦丸の通信士の切手律でございます。ただいま船長より一応あらましの話もありましたので、私といたしましてはこれをただ補足し、また参考意見だけを申し上げて帰りたいと思います。 拿捕された当日、まだ私が就寝中に、船長より、へんな船が近寄つて来たから起きて見てくれというわけで、ゆり起されまして、そうして見ましたところ、韓国の手繰船で、デッキに漁網はあるし、官憲らしき人は全然見えてなかつたわけであります。その後ただちに通信状態に入りまして、そうしていつでも発信できる態勢を整えました。そうして網揚げころになりましたので、第一大邦丸にワイヤー・ロープを渡して、水深測定のため少しコースをかえたと思つたとたんに、左舷後方より拳銃の射撃を受けたわけであります。そのときは何ら被害はありませんけれども、それに驚いて、私たちは第一号を切り離して、単独で遁走に入つたわけであります。その後各船及び交換船に対して、われ韓国手繰船に襲撃され、拳銃で撃たれるも、被害なしとその旨を一第一報として発し、逐次詳細にわたつて私は拿捕されるまで通信したのであります。大体拿捕されましたのは八時十分ごろかとも思いますが、その当時は気も転倒しておりましたし、たまが来そうにあるものでありますから、頭からふとんをかぶつて、あぐらをかいて手だけを上に差延べて通信しておりました関係上、原稿も何も残つておりません。そうして拿捕されまして、とうてい無理だと思うときに、ブリツジにたまが一発当りましたし、相手の船も相当早かつたものでありますから、とうてい見込がない、これ以上走つてみたところで、脱出はおぼつかないから、停止して取調べを受けた方が賢明だろうということになつて停止したところ、第一号はしけのため横づけされず、向うからレツド・ランプを振つて、第二大邦丸より曳航されるためのロープを渡したのであります。 曳航状態に入りましてからも、第一大邦丸はまだ盛んに銃撃を受けておつたのでありますけれども、そのとき会社にあてて、けさ襲撃を受けてわれらはつかまつた、第一号もだめかもしれない、家族のことはよろしく頼む、その旨を発しまして、その後に、両船とも遂に拿捕されて申訳なしと、そういう旨の電報を発し、それから韓国の官憲が乗り込んで来ないのを幸いに、私は入港するまで、入港通知まで出したような次第であります。 そを後翰林におきましての状態は、大体濱行船長と同じでありまして、その間に特務隊及び憲兵隊、情報隊において私一人が呼ばれまして、思想問題、宗教問題、それに日本の保安隊その他の状況について参考として意見を聞かれたわけであります。それに対してはありのままを述べておきました。そして二月の十日の夜済州島に着きまして、向うで留置されましたわけですが、翰林での取調べ及び済州での取調べにつきましては、みな船長と国じような取調べを受けましたし、翰林、済州におきましては、非常に私も強気に申しましたところ、取調べの刑事とテーブルをたたいて激論したのでありますけれども、そのときに査察課の係長らしい人に、どちらが取調べておるのかわからぬじやないかというような状態で、土間にすわらされたりしましたけれども、結局それだけ強硬に申し立ててもわれわれの言うことはいられず、われわれが操業していたのか領海内でなかつたために、その前に操業しておつたときに領海内に入つたというようなことをでつち上げて、それに無理やり捺印させられ、承認させられたわけであります。その後検事の手にも渡らず十五日出港をしましたけれども、その間に第一、第二昌運号の船長も翰林軟禁中はよく出入しておりましたが、そのとき聞いた話により、また向うの取調べ官の話によりますと、翰林の沖約十二マイルくらいのところで拿捕するときは、約六十メートルくらいのところにおいて停止命令を何回も発したということを聞いております。しかしながらわが第一、第二大邦丸は、この停止命令というものを全然聞いておらぬのであります。その点を強硬につつぱつたところ、六十メートルではたして聞えたか聞えないか、そういう点についても向うは議論されておつたようでありましたけれども、結局聞えないだろう、そういうようなことを言われましたし、私が瀬戸漁勞長が負傷したことを聞きましたのも、翰林港に入港いたしましたときに、お前らが逃げるからこういう事件を惹起した。責任はお前たちにあると言われましたけれども、そうではない、撃たれた人間の本能として、自分の命を守るためにはだれだつて逃げるだろう、そういう点を主張しましたところ、向うとしても困りまして、結局あんまり一号を襲撃した方はたまを撃ち過ぎておるということを翰林の憲兵隊長も漏らしたくらい無惨なたまの撃たれ方をしているわけであります。そのほか取調べに際しましては、大きな声をもつてどなられたり、私みたいに反抗した者に対してはすわらされたりしましたけれども、たたくとか何とかいうことは全然なかつたようなわけであります、その他につきましても、大体船長が申し述べましたので、私としてはあとの質疑によりまして、お答えしたいと思います。
○福永委員長 これにて参考人全部の発言は一応終了いたしました。引続き委員各位の政府当局及び参考人に対する質疑に入ります。なお委員の御発言は発言席でお願いいたします。出席の政府委員及び説明員は、外務省よりは中村政務次官、廣田アジア局第二課長、前田同局事務官、水産庁よりは清井長官、岡井次長、通産省よりは市橋通商局市場第三課長、海上保安庁よりは山口長官、松野警備救難部長、高見公安課長であります。 それではただいまより通告順によりまして順次質疑をお許しいたします。田口長治郎君。
○田口委員 ただいままで各参考人から事実を聞いたわけでありますが、われわれといたしましては、公海で正常に仕事をしておる国際法上の違法も何もない漁船に対して、しかもこの漁場はわれわれが開拓したところであり、また日本の食糧問題から申しましても、あるいは漁業者の生活問題からいたしましても、何としても切離すことのできない漁場において、まるでししやとらのおりの中にうさぎを投げ込むよらなむちやくちやなことをしておるということは、きわめて重大であると考えるのでございますが、その前提といたしまして、一、二参考人にお伺いしたいと思います。今までの話の船に対しては、大砲あるいは小銃を撃ちまくつておる。たまたま大邦丸では、運悪くそのたまが当つたと考えられるのでありますが、かくのごとき状態から申しまして、このほかに負傷した人とかあるいは射殺された人とか、そういう者があつたかないかということについて加藤参考人にお伺いしたいと思います。
○加藤参考人 韓国の拿捕が始まつて以来、今度の大邦丸の死者を加えまして死者は四人、それから負傷者は二人かと記憶しております。この数字はちよつと違うかもしれませんが、一応このように考えております。
○田口委員 朝鮮側ではかくのごとき問題をどの法律によつて適用するか、相当苦んでおるように聞いておるのでありますが、大部分の船は領海侵犯ということに無理に持つて行つておるように考えるのであります。各船の位置は、はつきりと領海侵犯でない、こういう実情にあることを私各参考人の話によつてはつきりと認識をするのでありますが、その一例といたしまして、海鳳丸の位置、これは実際はどこで操業し、そして先方はどんな強要をしたのか、その点について具体的の説明を煩わしたいと思います。
○永井参考人 ただいまのお話でありますが、領海侵犯だといつてやつておりますその船名は、第十五金比羅丸、第五七福丸、第二十八海鳳丸、第二松寿丸、日繁丸の五隻の問題でありますが、第二松寿丸と第二十八海鳳丸の船位の問題を少し申し上げたいと思います。 船が走りますときには、まず自分が出帆した場所、日時、それからその船が走つたコース、その走つた経過時間、先方に到着の時間等により、大体の船の航跡というものは出るのでございます。なおそれに関連しまして、その区域におけるところの水深、天候状態というふうなものを加味しなければならないようなことになるのでありますが、一例に第二十八海鳳丸を申し上げますと、本船は当日十二日の午前八時に五島の荒川港を出港しております。五島の福江島がここにあるわけでございますが、福江島の荒川港を午前八時に出ております。そうして荒川港から狭い入口を出まして、ここに嵯峨ノ島という大きな島がございますが、この島をまずまわりまして走つたわけでございます。船長の言によりますと、この島に平行しまして、ここからセツト・コースしたのが大体九時ごろということで、このコースをノース・ウエス・ハーフウエスでずつと走つて来ております。当日は相当荒天状態で、商売ができるかどうかは疑問でございましたが、われわれ漁業はある程度の荒天を冒しても実施しなければならないという状態にあるのでございます。そうして荒天直後のなぎにこの海域に現われておりますところのさばあるいはあじという浮遊魚が割合に浮上する率が多いので、時にしけをついて走る次第でございます。二十八海鳳丸の僚船といたしまして、ここに運搬船をかねて就業する船がおるのでありますが、四十七大良丸、四十九大良丸という船が約三十分ないし一時間前に、探索するために先に出ております。ほとんど同じようなコースで走つておりまして……。
○田口委員 要点だけでけつこうです。
○永井参考人 大体十八、十九時で、その僚船の四十七大良丸、四十九大良丸と方探方位をとり合つて一応位置を確認しております。それから二十一時に、大体推測はここになるわけでございますが、当時の天候その他から判断しますと、船長としてはその当時の他力風潮等を考慮して最大限にはこの位置でないかということを向うでも言つておるわけであります。ところが先方は−これが済州島で、先ほどのお話にありました漢翠山はこのまん中にあります高い山でありますが、この済州島周辺に点線を入れましたのが領海の三マイルでございます。ここの位置で温平里の灯火を見ておるから、この位置だということを言つておるそうでございますが、当日は天候が悪くて視界も悪く、島影あるいは灯火というものは全然見ておらないと言つております。先方の位置は、この位置が正しいものだとしたら二十八海鳳丸が十時ごろ走り出して、二十分後につかまつた松寿丸とともに連行されたが、その針路ウエス・ノースウエスで走り、半島を午前零時ごろにノースウエスにちよつと見て、岸に沿つて南に下つて、最後に十三日の朝の二時三十分ごろにここにアンカーを入れておりますが、韓国側の位置からこのコースをずつと走つて行きますと、この済州島の山の中八マイルのところになるのでございます。この位置が正しいかどうかは、彼らがアンカーを入れて碇泊したところの位置から逆算コースをとつて行つても、これが大体この位置で、船長が言つておりますところの百二十七度六分よりもなおかつ二マイルの東に入ることになるのであります。本船の速力は大体当時回転を二百五十でまわしてていましたので、プロペラのピツチその他から計算をして行つても、約七マイル前後しか出ておらないのでございます。これでこの付近であるということがうなづけるのであります。この位置からこれまで大体どのくらい距離があるかといいますと、約十マイルの見当と思います。当然この位置はパブリツク・シーにおけるところの不法拿捕ということがはつきりわかるのであります。
○田口委員 海鳳丸の位置につきましてはいろいろ説明がうまく行つたかどうか、これだけを漁業法違反である、こういうところに持つて来ておるようでございますが、この漁業法違反の場合におきましては、漁獲物あるいは漁具の没収、こういうことは各国の漁業法の罰則にありますが、漁船の没収をするということは有毒物あるいは爆発物あるいは電気、この三つの種類のものを使用した漁船、この場合には漁船を没収することができることになつておりますが、世界各国で、その他の漁業法違反におきまして漁船を没収するということはないのでございますが、私は朝鮮の漁業法もおそらくさようなふうにできておると思うのでございまして、漁業法違反で漁船を没収するということは、結局さきの参考人のお話によりまして、この日本の漁船が普遍的に使つておる魚探がいかなるものであるかということを韓国で知らないで、電気をもつて魚を殺してとる機械である。かような認識のもとに漁業法を適用して漁船を没収した、こういうふうに考える次第でございますが、永井参考人は朝鮮に行つていろいろな法規関係もお調べになつたと思いますが、この点について何か特別の法律がありますかどうか、それを一応お伺いしたいと思うのでございます。
○永井参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。裁判の判決の第何条を適用したというふうなことに対して、十一月二十八日に判決のありました日に、並びに二十六日に第二松寿丸の判決がありました日に、弁護士を相当突いたのでございますが、何条を適用したということをどうしても言わないのでございます。ただ漁業法違反である、出入国取締令違反であるというだけで、どうしても言いません。それでは漁業法違反ならば、どういう漁業法を使つておるのだということを聞きましたところ、それは君たちの残して行つたところの朝鮮総督府当時の漁業法そのままを使つておる。日本に帰つたらわかるじやないかということを私に言つておりました。ただいまの田口先生の御質問によりますと、彼らが罰則を適用するのは漁業会の七十四条並びに七十四条の二項、これによると、各条項を定めまして罰則がありますが七十四条では「犯人ノ所有シ又ハ所持スル採捕物、養殖物、其ノ製品及漁具ニシテ朝鮮刑事令二於テ依ルコトヲ定メタル」これこれの物件は没収するという条項がございます。七十四条の二項に、前条といいますから七十三条でございますが、「前条ノ場合ニ於テ」船舶(属具ヲ含ム)漁具、有毒物、爆発物及電気具(属具ヲ含ム)ニシテ」これこれということがある。七十三条の条項及び七十四条の該当条項は何かといいますと、七十四条は法令の第六条で、養殖漁業、定置漁業、定所集魚漁業、定所曳網漁業、定所敷網漁業、専用漁業というふうなもので当てはめておるわけでございますが、この七十四条の場合には船舶の没収という条項はないのでございます。船舶を没収するという条項は、七十三条で、これは該当の三十七条によりますと、「公共ノ用ニ供スル水面、公共ノ用ニ供スル水面ト連接シテ一体ヲ成ス公共ノ用ニ供セザル水面其ノ他朝鮮総督ノ指定シタル公共ノ用二供セザル水面ニ於テハ水産動植物ヲ採捕スル為有毒物、爆発物又ハ電流ヲ使用スルコトヲ得ズ」この三十七条の該当の場合のみにおいて七十四条の二項を適用しておるのでございます。これでようございますか。
○田口委員 そこで外務省当局に対してお伺いいたしたいと思いますが、今までの参考人の説明によりまして、日本漁船全部が領海を侵していない。また李ラインは、日本政府としても、あるいは国際的にも、全然認められていない一方的な資源確保の問題である。クラーク・ラインはいわゆる戦争行為を妨害しないものはさしつかえない。こういうような実情で、まつたくわれわれは公海で正常なる仕事をしておる。にもかかわらず、実力をもつてといいますか、ほんとうにめちやくちやに、とにかく大砲あるいは小銃——小銃には機関銃もありましようし、自動小銃もありましようが、さようなもので撃ちまくつて来る。たまたま運が悪い人が射殺されておる。しかも四、五人もそういうふうな事件が起つておる。かような実情におきまして、この問題に対しまして、今日まで外務省としては相当努力しておられることはよく承知しておりますけれども、その努力の方向が少し違つておるのじやないかというふうに考えるのでございますが、今までの拿捕の状態から申しまして、どうも韓国政府が関与しているものもあるようでございますし、あるいはよく調べなければわかりませんけれども、海賊的の行為から起つておるようなものもある。かような海賊的のものに対しましては、これは何としても日本の漁船自体がこれを防止するような道を講じなければ跡を絶たないと考えるし、また韓国に対しましても、韓国が一方的にかつてなことをする場合におきましては、日本国といたしましても、何か実力を裏づけにした外交でなければ、これはいつまでたつても話にけりがつかない、かように考えるのでございます。この大邦丸に対しましては、もちろん外務省から韓国に対して強い申入れをしてあると思いますが、ただ一片の申入れだけでは、この問題はどうしても解決できないのでございまして、政府として、あるいは外務省として、ほんとうに腹をきめて、どうしても主張が通らなければ、われわれとしてもこういう処置をとらなければならない、かような腹をきめられた外交でなければ、話の結末がつかないと考えるのでございますが、この点について外務省はどんなふうに考えておられるか。今まで通りのいわゆる通り一ぺんの折衝でやられるつもりであるかどうか。この点をまず第一にお伺いいたしたいと思うのであります。
○中村(幸)政府委員 外務省といたしましては、これまで再三再四にわたる韓国側の不法行為に対しまして、厳重なる抗議をその都度いたしておるわけでありまして、ことに今回の第一、第二大邦丸の事件につきましては、殺人事件まで起しておるという重大事態を惹起いたしたのであります。従いまして外務省といたしましては、従来のような抗議でなく、今回は特に責任者の処罰、あるいは損害の賠償、あるいは韓国政府の陳謝というようなものを要求いたしまして、またさらにかような事件が再度発生しないような保障をとりつける、こういう趣旨の厳重な抗議を書簡をもつて去る十八日韓国代表部金公使あてに提出いたしたのであります。われわれといたしましては一台李承晩大統領と先般の吉田総理との会談によりまして、せつかく軌道に乗りかかつた日韓交渉、しかもこの日韓の国交回復についての交渉につきましては、この問題の漁業権も含めまして円満なる解決を見んとしつつあるやさきにおきましてこういう事件が起りましたことは、まことに遺憾とするところでありまして、韓国側といたしましても、おそらく将来は、日韓国交回復の交渉の前途に対しまして、十分自重して臨むのではないかと、考えるのであります。われわれとしては、韓国側から誠意ある回答が来ることを期待いたすのでありまして、その上におきまして十分業界の御期待に沿うように努力をして行きたいと考えております。
○田口委員 この問題につきましては、今日まで日本国民はほんとうにがまんにがまんを重ねて参つたのでございます。ことに日韓条約の交渉が再開されるという時期でもございますし、はなはだ遺憾千万でございますけれども、今までの折衝の経過から考えまして、従来の程度の折衝は、なかなか問題に目鼻をつけるということが困難であると考えるのでございます。われわれから申しますれば、少くともこの海賊的な拿捕問題につきましては、どうしても各漁船一つ一つがある程度の自衛武器というものを持たなければいけない。あるいは海上保安庁がどこか知りませんけれども、この漁船を保護する船舶には、ある程度の武器を持たなければいけないということも考えるのでございまするが、最小限度におきまして、われわれはこの日韓貿易問題について、よくもう一度考え直してみなければならないのではないか。少くとも今日まで、なるべく事を荒立てないということで、がまんにがまんをして参りましたけれども、がまんすればがまんするぼど先方から悪辣に出て来る。こういうような実情から考えまして、これからはどうしてもわれわれといたしましても対抗的の手段を講ずるのもやむを得ない。こういう意味におきまして、日韓貿易について日本政府としてあらためて考え直してみるということが、一つ外交の裏づけとなるのではないか、こういうように考える次第でございますが、通産省、水産庁あるいは外務省、この三者でこの日韓貿易についてさらに考え直してみる、こういうことを御相談になられる意思があるかどうかということについて、私は外務省にお伺いいたしたいと思うのであります。
○中村(幸)政府委員 私個人の考えを申し上げましてまことに恐縮でございますが、今回の事件によりまして、お説の通りに日韓間の問題は相当考え直さなければならぬ問題もあるのじやないかと考えております。またただいまお話の貿易問題についても、十分慎重に考慮いたしたいと考えます。
○田口委員 通産省の政府委員にお伺いいたしたいと思うのでございますが、今われわれの知つている範囲内におきましては、朝鮮から日本に輸入されるのりにいたしましても、あるいは小いわしのほしたものにいたしましても、先方では非常にたくさんとれるけれども、朝鮮にはほとんど需要がない、やむを得ず日本に全部輸出をしておる。そのために日本ののり業者もまたいわし業者も、値段の維持について非常に大きな迷惑をしておる。また鮮魚にいたしますと、先ほど参考人から申されましたように、日本から出した漁船、日本から出した漁具で、日本人が排撃されておる漁場においてとつた魚をどんどんと下関その他に持つて来ておる。このために全国の魚価の維持ができないで、漁業者の生活が非常に圧迫をされる、かような実情を呈しておるような状態でございまして、かようなことは、日本と韓国との友好精神から、今日までわれわれはがまんをして来ておつた次第でございますけれども、このような状態になりますと、われわれも友好だけでこの問題をいつまでもがまんしておるということができないのであります。先方のやり方によりましては、われわれとしてもどうしてもがまんができませんから、日本の漁業者を救済するために、日本の漁業者の生活を安定させる上におきまして、かような品物は輸入を禁止する、こういうような処置に出なければならないと思うのでございますが、このほかに日韓の間にはいろいろな商品の行き来があると思いますので、この次の水産委員会に通産省から詳細なる資料を出していただくその準備をしていただくことを、この席から要求をしておきます。時間の関係もありますし、いろいろほかの人の御質問もあると思いますから、私の質問はこの程度でとめておきます。
○福永委員長 山中日露史君。
○山中委員 本日本件に関しまして、参考人から実情の詳細を承りまして、私どももこの問題に対しましては、国民的な憤りを感ずるものであります。李承晩政権が、アメリカの傀儡政権とまで言われておるきわめて親米的な政策を行つており、また日本もアメリカ一辺到、追従外交などと言われるほど現在の政府の外交政策はきわめて親米的な政策を行つております。従つて朝鮮も日本も今の外交政策ではともに親米的な方向に進んでおり、しかも朝鮮動乱が国連軍の警察行為によつて、日本を基地として南鮮の戦争行為に協力をしておるという現段階において、一体李承晩政権は何ゆえにこういつた暴挙をあえてするのか。ただ朝鮮の漁民の生活を擁護するというだけでなしに、かかる排日的な政策を行つておるその根本の意図が一体どこにあるかということを、私たちはこの事件を通じてはつきり見きわめる必要があると考えるのでありますが、この点につきまして、外務当局は昨年来から引続くこういつた漁場の不祥事件に対して、李承晩政権が持つておるその深い意図は一体どこにあるというふうに考えておられるか、この点をまずお伺いいたしたいと思うのであります。
○中村(幸)政府委員 李承晩大統領が反日政策をとつているかどうか。これは漁業の問題につきましては、少くとも日本に対して不法行為を行つていることは事実であります。その他全般的にいわゆる反日政策をとつているかどうかということは、ここで申し上げることを差控えたいと存じます。また何がゆえにそういう不法行為を行うか。その意図は李承晩大統領でなければわかりません。私どもといたしましては、想像的なことを申し上げることは差控えます。
○山中委員 少くとも日本の外務当局として、かような問題が起きた場合において、李承晩政権の意図するところがどこにあるかということについて、李承晩に聞いてみなければわからぬということでは、まことにいかがと思うのであります。私はここであえてこの問題について討論しようと試みません。 次に、先ほど来田口委員からるる申されましたように、ただ外務当局が韓国政府に厳重な抗議を申し入れる、あるいは責任者の処罰を要求する、損害の賠償を要求する、これもけつこうでありますが、これに応じなかつた場合においてどういう処置をとるかということについての、具体的な考えがまだないようであります。昨日の新聞によりますと、当局は、もし日本のこの抗議、要求に対して韓国が応じない場合には経済的処置をとると言われているようでございますが、はたしてそこまで実際に考えておられるかどうか、この点をお伺いいたしたいと思います。
○中村(幸)政府委員 おそらく韓国側からは、われわれの満足の行くような誠意ある回答がもたらされることと信じております。しかしもし万一最悪の場合、われわれの希望通りの回答がもたらされない場合はどうするかという問題でありますが、それはそのときに十分考えたい。昨日の新聞に、経済措置ということが私の談として出ておりましたが、私は適当なる経済的な措置をとらなければならぬようになるかもしれないというようなことを申し上げたのでありまして、具体的にいかなる経済的措置をとるかというようなことは、そのときになつて十分考えたいと思います。
○山中委員 韓国側に対する申入れ、抗議はよくわかりますが、同時にこの問題はクラーク・ラインとの関係もありますので、国連軍当局に対して、今度のこの問題についてどういう処置を講じてもらいたいというようなことについて、外務当局は何かお話合いをしているかどうか、その点をお尋ねいたします。
○中村(幸)政府委員 国連軍当局に対しましては、アメリカ大使館を通じまして、本件についての十分なるあつせんを依頼しているのでありまして、この漁業権の問題は、日本の九州方面の漁業にとつて致命的な問題であり、非常に重大な問題である。ことに今回は射殺事件まで起しているのであるから、国連軍におきましてもその旨をくんで厳重なる取締り等もあつせんしてほしい、こういうように申し込んでおります。
○山中委員 時間もございませんから、最後に一点だけお尋ねしておきます。昨日来の新聞によりますと、今回の朝鮮水域の不祥事件に対しまして、日本の海員組合は、朝鮮向けのすべての物資の輸送、船の出港に対しては絶対これを拒否する、そしてこの問題の解決に強硬なる態度を示そうとしているようであります。のみならず、朝鮮に現在おる日本の海員組合の人々五、六百名をもこれを引揚げて来るというような、きわめてきつい態度をもつて、政府の軟弱的なやり方に一応抗議を申し入れるような態度に出ておることを承知いたしておるのでありますが、もし海員組合がかような処置に出た場合において、政府当局はこの組合の処置に対してどういう考えをお持ちになるか、この点最後に一点だけお尋ねしておきたいと思うのであります。
○中村(幸)政府委員 そういうふうに非常に日本国内の輿論が沸騰いたしておることにつきましては、私どもまつたく同じ気持でおるわけであります。しかし海員組合の決議が行われたらどうするかということは、またそのときになつて考えたいと思います。
○山中委員 それでは私の質問はこの程度で終ります。
○福永委員長 川村善八郎君。
○川村(善)委員 朝鮮半島周辺の公海漁業の問題につきまして、常にこうした紛糾を起しておることは、いまさらあらためて申し上げるまでもないのであります。われわれはこの問題についてたびたび本委員会で取り上げて、解決策を講じておつたけれども、一向に解決がつかないで、かえつて悪くなつておるような傾向まで見えて来たことは事実でございます。今にしてこの問題を解決づけなければ韓国人はますますのさばつて、日本の漁船を次から次と略奪してしまうのではなかろうかという危惧の念にかられるものでございます。 そこで実は日本の漁業者代表が、この問題を解決して、将来仲よく公海漁業を継続しようということから、鍋島君外二名が朝鮮に行きまして、李承晩大統領とお会いになつて、るる日本の内情その他朝鮮との公海漁業に対する円満策を講ずるべく努力して来たという報告を受けております。その報告の中に、いろいろありましたが、彼らは日本が兄であり韓国は弟であるから、兄は弟をめんどう見て、すべて韓国を助けて今後仲よくやつてもらいたいということが、最後の詰びの言葉であつたそうであります。それに対してわれわれは、さらに鍋島君に、その腹の中はどうだと聞きましたところが、いろいろ輸入の問題もあり、あるいはその他の外交の問題もあるらしいので、それらと一緒に解決づけることが、本漁業の問題を解決づける一歩ではなかろうか、こういうことを個人的な意見として申されておりました。その点もあるかもしれませんが、しかし見通しとしてはどうであるかといつて聞きましたところが、後日日本におきまして、韓国の代表団と相談して、最善の方法で解決づけられる見通しがある、こういうことを聞いて安心をしておつた。ところがさらに今度の第一大邦丸、第二大邦丸の事件が起きましたので。唖然としたのでございます。そこで田口委員が申されましたように、実力行使でも解決づけなければ、あの海域において漁業する漁民は、安心して漁業ができないばかりでなく、漁業の継続はできませんし、それに連なる家族の方方も非常な窮迫に陥るのではないか、かように考えておるのであります。この際官民一体となつて、この問題の解決に努力しなければならぬことをわれわれは痛切に感ずるのでございます。 そこできようのこの委員会におきまして、五人の参考人から、涙なくしては聞かれないような証言もありましたし、さらにこの対策としての御意見もありました。われわれは、あの現地におきまして操業に邁進しておりました船長その他の方々の証言はまつたく涙を流して聞いておつたのであります。さらにまた、韓国のあのやり方については憤怒の念を禁じ得ないのであります。 まず私はこの際久保田船長にお伺いしたいのは、あなたの証言中に、漁具や私有物その他船に備えつけてあるものはほとんど盗まれて、裸で帰つて来たという証言があつたのでございますが、とかく朝鮮——昔は朝鮮人と言つておつて、今は韓国人と言つておるが、どろぼうをしたがる人種なんです。人のものをとることを常習としておる。悪いことを働くことが常習であります。現に日本に六十万の韓国人がおつて、あの紛擾を起したのも彼らであります。そういうことが国民性といいましようか、習慣になつておるあの朝鮮人だからやりかねないということを、われわれ想像はしおつたけれども、あなた方の船が拿捕されたことをいいことにして、すべてそういうふうな略奪をしておるということを聞きましたので、この際ざつくばらんに久保田船長からお聞きしたいことは、その盗難にあつた時分に、何か官憲と民間との間において、相通じてさようなことをさせるようなけはいが見えなかつたかどうか、もつとわかりやすく言いますと、官憲と窃盗団とちやんと仕組んでおいて、船が来たからあれからこれを持つて来い、そして売つて、そのかげに賄賂をとつておるようなことが見えなかつたかということであります。まずこの一点をお伺いいたします。
○久保田参考人 海鳳丸はそういうことはありませんでした。ただなくなつたのは眼鏡とかテスターとかエンジンの道具など少しなくなつております。
○川村(善)委員 濱行船長さんの証言であつたかもしれませんから、その点を濱行さんからお伺いいたします。
○濱行参考人 私たちの大邦丸は入港した当時に病人があつたために、私たちが病人を病院へ連れて行つたあとで、憲兵隊が来て捜査したときに、眼鏡とかラジオとかいう貴重品を持つて行くのは目撃しました。その日の午後警察より看視員が来ておりましたが、地方人の乗つて来るのを別にとめずに、持つて行くのは警察の知らぬ間に地方人が持つていつたと思いますけれども、そういう警察と共謀という点については、私たちは見当りませんでした。
○川村(善)委員 第二十八海鳳丸は、すでに裁判の結果それぞれ判決を下されておりますが、第一、第二大邦丸は、起訴されておるかどうかということは証人から発言がありませんでしたが、はたして起訴されたのか、あるいはされないというようなお見込みなのか、その点を慣行さんからお伺いしたいと思います。
○濱行参考人 その点は私たちには不明であります。
○川村(善)委員 それではこのことについて水産・庁から近く起訴される模様なのか、それともあまり問題が大きくなり過ぎて、やわらかいながらも外務省から交渉があつたので、それに驚いて起訴しないというようなことになつておるのか、この点を伺いたいのであります。
○清井政府委員 ただいまの川村委員の御質問でございますが、私どもがただいま得ておる情報では、起訴されるということは聞いておりません。その他のてとは不明でございます。
○川村(善)委員 そこで私は先ほど申し上げましたように、少し強く出なければ彼らはつけ上るから強く出ろ、こう言つておるのでございまして、もちろん殺人の問題等もありますので、彼らにも大きな痛手がありますから、おそらくこの問題は起訴しないで済むだろうと私は思つておりますけれども、やはりこちらが強く出るとひつ込む人種なんです。この間も私は委員会で言つたのですが、支那人と朝鮮人とロスケはなぐつてやるとひつ込む。私は彼らとつき合いもありましたし、カムチヤツカや千島に行つて、ロスケとも一緒に働いておりましたが、あの大きなずうたいで——私よりもはるかに大きいずうたいで、日本人と相撲とつて負けるともうかからない。いわんやげんこつを食らわして血を流すともうかからない。先ほど田口君の質問に対して、中村政務次官はそれぞれの処置をとつたと言つておりましたが、田口君はそれを追究してもう少し処置をとれ、こう言つたのに対して言いのがれをしておるようであるが、この際外務省といわず、水産庁といわず、海上保安庁といわず大いに強い手段をとらない限りは、この問題は解決つかない。外交の問題にしてもまさにその通り、それから通商貿易のことについてもまさにその通り、また海上保安庁はこの間の委員会で、二十七年度の予算において二十六隻装備したと言つておる。本年の予算にも残余の船に装備をするということをお答えしておるのでありますから、そうしたような施設とともに、海上保安庁においては、彼らに対して強い手段で出る、極端に言うならば、彼らが発砲したらこちらも発砲して彼らをぶりたたいてしまうという気持があるのかどうか、海上保安庁長官にお伺いしたい。
○山口(傳)政府委員 ただいまの御質問でありますが、この前の委員会で申し上げましたように、海上保安庁の巡視船には、型によつてそれぞれ適当な火砲をとりつけることにいたしまして、目下二十七年度の補正予算では二十六隻、それから来年度の予算案では残りの三十三隻に装備を計画いたしておるわけであります。今後先方が不法に射撃するような場合に、この装備いたしました火砲を実力行使に使うかというお話でありますが、この点は関係の外務省、水産庁とも十分御相談しなければできないのでありまして、これまでの方針は、多少手ぬるいとごらんになるかもしれませんが、正当防衛とか緊急避難という場合には、あるいはそういう場合もあろうかということは考えておりましたが、進んで向うが撃てばすぐ撃つというような考えでは実はなかつたわけでありますが、最近のような重大な事態に応じまして、その取扱いにつきまして相談をいたしたいと思つておるところでございます。
○川村(善)委員 海上保安庁長官の御答弁によつて、相談をしてその措置を講ずるという——言葉はやわらかいけれども、腹の中はきついお考えのようにわれわれには受取れるのであります。すみやかにあの海域において、彼らをぶつたたく措置を講ずるように御相談を願います。 それから中村政務次官にお伺いいたしますことは、韓国人を送還をするという案が出ましたのは、大体三年ぐらい前だかに聞いておりますが、まだ表立つて一人も送還をしておらないようであります。この手段をとることも彼らを制圧する一つの手段でなかろうかと思いますので、六十万いる韓国人をどの程度に送還をするという計画であつたかどうか、それからその計画がはたして実施されておるかどうか、この点をお伺いいたします。
○中村(幸)政府委員 ただいまのお話だと、韓国人を送還しておらないというようでありますが、密入国したような韓国人につきましては、逐次送還をいたしております。但し平和条約発効前から日本におりました韓国人につきましては、これは全体として送還をしなのでありまするが、先ごろの暴動事件等で非常に良民を煽動したような不法分子につきましては、これを送還すべく韓国政府と折衝をいたしております。但し向こうではなかなか受取らないのであります。現在では大村に収容所を設けまして、そこに隔離いたしております。
○川村(善)委員 もちろん善良な韓国人はあえて私は送還しろとも考えておりませんし、またすべきでないと思つておりますけれども、大半が少し悪いのじやないかといつたことが想像できるのでございます。あの暴動事件の内容を探つてみると、共産党がおつたとはいえ、韓国人が非常に多かつたので、ひとつ腹をきめて、少し韓国と渡り合つてみたらどうかという意見を持つておるのでございますから、中村政務次官におかれましては、悪い韓国人をどんどん帰してやつて、彼らが文句を言つたら、こつちから海上保安庁の装備した船が行つて待ち構えて——昔われわれがカムチヤツカに行つた時分に、ロスケに船をとられると、日本の駆逐艦なり軍艦を横づけて、渡さなければぶつぱなすぞということでやつた。そういうような歴史も考えまして、その国民性もたたけばひつ込む弱い人種であるから、その方法をとることが一番賢明な策ではないかと私は考えます。 そこで通産省にお伺いいたしますが、先ほど申し上げました通り、鍋島君が行かれて聞きますと、彼らにすれば日本に水産物を輸出したい、それだから輸入の確大をしてもらいたいというような意見もあつたということでございますが、現在どのくらいの輸入をしておるかということが一点、金額でよろしゆうございます。 それからさらにこうしたような事件ばかり起しておると、われわれは韓国からの輸入は一切とめてしまつた方がよいのじやないか、なおまた日本から出してやつておる漁具その他の資材がございます。これらもはつきわとめて、彼らにいわゆる報復外交をした方がいいのではないかとい、りことを考えますが、この点について通産省の説明員からお考えを御披瀝願いたいのでございます。
○市橋説明員 韓国からただいま入つております鮮魚は、非常に少い数でございます。これは日韓通商協定に基きまして、相当の額を入れることになつておりますけれども、各省の御意向を伺いまして、政府として鮮魚というものを入れることはあまり望ましくないという決定がございまして、かねてからあまり輸入しておりません。大体昨年度の実績は、鮮魚は百万ドルでございます。本年は幾らになるかまだ未決定でございますが、この額は非常に少くなると思つております。 それから次長韓国との貿易を、この際本件についての報復の一つとして取上げるという問題につきましては、通産省としても十分考えなければならぬことだと存じます。さらに各省と御連絡の上お答え申し上げたいと思います。
○川村(善)委員 最後に各省関係に御要望申し上げたいことは、いろいろ立場がございますけれども、とにかくこの問題の解決するまでは強く出てもらいたい。外務省においては外務省の権限においてなし得ること、水産庁においてはもちろんでございますし、通産省においては、もちろんただいまの輸出入のことについても、十分許される範囲において強く出てもらわなければならぬし、海上保安庁におかれましては、すみやかに各省とも相談をいたしまして、いつ何どきでも出動して、彼らを押えつけるだけの装備をするように要望いたしまして、私の質問を終る次第でございます。
○福永委員長 大橋忠一君。
○大橋(忠)委員 本日参考人の方々の陳述を聞いておりまして、これは非常に大きな問題であると感じておるのであります。朝鮮近海におきまして日本は一年に七十億円からの漁獲物をあげておる。この豊富なる漁場から、彼らは日本の船舶をおつぱらつて、これを朝鮮で取上げてしまおうという計画的のものでないかという感じを私は持つておるのであります。従いまして李承晩ラインを引き、さらに国連軍がクラーク・ラインをひつぱつた。その内容は、相当の決意というものが韓国側にあるものと見なくちやならぬと思うのであります。従いまして、本件は単に実は済州島の沖で起つた小なる事件ではなくして、それはただこの豊富なる漁場の争奪戦から起つたところの一つの露頭であるにすぎない、こう思うのであります。従いまして、ただいま川村委員が言われましたように、これは総理大臣統裁のもとに閣議でもつて議論をして、この対抗策というものをよほど慎重に考えなくちやならぬ。しかも一旦始めたからには、とことんまでやり切らぬことにはいけない。もし中途でうやむやに葬られるようなことになつてへこたれたならば、おそらく韓国近海の漁場はとられてしまう。のみならず、その次には、対馬もよこせというようなことを言つて来るのではないかと思うのであります。そこで今回の事件を契機といたしまして、徹底的に本件は闘わなくちやならぬという感じを私は持つておるのでありますが、外務当局におきましては、この事件の奥に潜んだ重大性についていかなる認識を持つておられますか。どうもこの重大問題について、岡崎外相は一度も来られたことがない。従つて小さなローカルな問題のように思つておられるのではないか、認識が少し不足しているのではないかというようなことを感ずるのでありますが、本日は政務次官が来られましたからお尋ねいたしますが、本事件の根本的認識がどの辺にあるか、ひとつお尋ねしてみたいと思うのであります。
○中村(幸)政府委員 韓国側の意図が那辺にあるかということにつきましては、先ほどお答え申し上げた通りで、この席で想像がましいことを申し上げることは差控えたいと存じますが、およその見当はついております。従つてただいまのお話のように、これは国の重大問題として閣議等でよく検討した上で、確たる方針を立てる必要があるのではないか、かように考えております。
○大橋(忠)委員 数日前の新聞によりますと、外務省では、こういう事件が起るのは、早く会議を開きたいから起るのだ、そこで会議を急ぐというような新聞記事があつたのでありますが、もしそういうような認識を持つておられたならば、これは非常な大きな誤りではないかと私は思うのであります。この瀬戸重次郎君の射殺事件というものを掘り下げて参りますと、結局李承晩ラインをこちらが認めるか認めぬかという問題に帰すると思うのであります。従つてこちらから損害賠償、責任者の処罰、将来の保障等を要求すれば、向うは必ずや、いやそれは李承晩ラインの中に入つたのだからお前の方が悪い、責任者の処罰も何もあるものか、こう言うにきまつている。これに対して二の矢、三の矢を準備して参らぬと、結局うやむに葬られて、この豊漁場が向うに奪取されるおそれがあります。その二の矢、三の矢として外務省はどういうようなことを今日考えておられるのでありますか、それをお尋ねいたします。
○中村(幸)政府委員 先方におきましては、李承晩ラインの中で漁勞するからいけない、こういう主張でありますが、わが方は、あくまでも韓国側の一方的な宣言であつて、これは国際法上も認められない、不法な行為であると考えるのであります。この意味におきまして、今回の事件につきましては、特に射殺事件を含む重大問題として、先ほど申し上げましたような厳重な抗議を申し込んでおるのでありまして、かつまた将来の保障ということも強く主張いたしております。これに対しまして、韓国側といたしましても、友好的な誠意ある回答がなされることと考えますが、この回答をまつて、今後の対策を考えたい、かように考えます。
○大橋(忠)委員 最後にお尋ねいたしますが、新聞によりますと、第一、第二大邦丸がアメリカの軍艦に護送されて佐世保につ要しても、なかなかその船が日本側に引渡されなかつた。二日間ビートモンド旗艦の舷側に横づけになつたまま引渡されなかつたと、新聞に出ておるのであります。しかもその司令官は、わが方の関保安部長に対して、今後のクラーク・ラインは絶対に入つちやいかぬというようなことを言つた。そしてこの命令によつて、底びき網協会の漁船が続々韓国水域から引揚げておるというようなことが出ておつたのでありますが、その真相がおわかりであつたら、どなたでもいいからお答えを願いたい。
○松野説明員 それでは私からお答えいたします。大邦丸が佐世保へ回航されましてから、日本側へ引渡しが遅れました点については、その事由についてははつきりいたしておりません。 なお以西底びき関係の漁船が、引揚げよという指令によつて、続々引揚げておる、こういうお話でございますが、この点については、去る九日に福岡で底びき関係の業者の方と、それからアメリカの海軍の幹部との方との懇談会があつたそうでございますが、その懇談会に出席されました業者の一人が、たまたま上京されました際に、私どもが直接お伺いしたところによりますと、その懇談会の席上におきまして、米海軍の幹部から済州島、巨済島、あの辺に収容しております俘虜の脱出について、小型船が相当協力、暗躍しておるというような形跡もあり、作戦上必要であるから、少くとも済州島の周辺の海域には入らないようにしてほしいという強い要請があつたということであります。その後十二日に福岡の底びき漁業から、関係の以西底びき漁船にあてまして、クラーク・ライン内は非常に危険となりたるにつき、以西の漁船は絶対に立ち入らぬよう特に御注意ありたし、こういう電報を打つておられるという報告を、私ども現地の機関から受けておりますが、これはおそらく今申し上げました九日の、業者とアメリカの海軍幹部との懇談会で、強くアメリカ側から要請された点に基いて発せられた電報であろう、かように解釈しておる次第であります。 なお佐世保の関保安部長に対しましても、今回大邦丸の引渡しを受けた際ではありませんがたしか去る十一日だつたと思います。関保安部長がやはりアメリカの海軍の幹部に呼ばれまして出頭いたしました際に、同様なことを言われております。従つて関部長は、その点については中央に報告して、中央でその点について、はつきり話をしてもらうということを答えて引下つたような次第であります。
○大橋(忠)委員 それでは従来外務当局の説明といたしまして、クラーク・ラインの中に入つても、作戦上さしつかえない限り、指示にさえ従つておれば黙認するという了解と、それは根本的に違つておるようでありますが、その点について、アメリカ当局と外務当局はすでに御連絡になつたでありましようか。 それからいま一つ、佐世保を基地とするところのアメリカの艦隊司令官が、日本の船を二日間にわたつて自由を拘束して抑留するということは、そういう権利が行政協定の下に認めらるべものでありますかどうか、この二点について、外務当局の御答弁をお願いいたします。
○中村(幸)政府委員 国連軍との間には、まだ協定はできておりません。日米行政協定の問題ではないと思います。どういう理由で二日間留保せられたか、詳細には存じませんが、従来の外務と国連側との話合いでは、先ほどお話のように、軍の作戦に支障を及ぼさない限りにおいて、別段当方としても漁脅してさしつかえないじやないかというような黙認をとりつけておるわけでありまして、現地の機関が、先ほどお話のような、立入りをやめてもらいたいという意向を漏らされたことも、承知いたしておりまするが、現地の意向と、また国連軍の本部の方の意向とは、その点において食い違つておるのでありまして、外務省としては、あくまでも国連軍の本部の方の意向を尊重いたしまして、さらに一層この点については押して参る覚悟でございます。
○大橋(忠)委員 それではまだこれは押しておられないのですな。
○中村(幸)政府委員 今回の件につきましては、まだそこまで交渉はいたしておりませんが、ただちに折衝いたします。
○大橋(忠)委員 それからいま一つ、私は日本に国連軍の基地というものはない、アメリカの防衛軍の基地があるだけだと思つておりますが、新聞によると、佐世保基地司令官が云々とあつて、これは国連軍じやなく、佐世保のアメリカ艦隊の司令官が抑留したように思つておるのでありますが、その点はいかがですか。
○中村(幸)政府委員 米軍が朝鮮において作戦する場合は、国連軍として作戦いたしておるのであります。
○大橋(忠)委員 しかしそれは、日本に来て、日本の内地において、国連軍として日本の船を抑留するということ、それはできるものじやないと私は思つておるのですが、また米軍としても、日本の船を二日間にわたつて抑留するということはおかしいと思いますが、その点いかがでしよう。
○中村(幸)政府委員 抑留というお言葉をお使いになりましたが、これは抑留じやなく、引渡しについて若干時日が遅れたということじやないかと思います。
○大橋(忠)委員 それは言葉の争いでありまして、私はあげ足をとつてやつつけようという考えは毛頭ありませんが、これは重大問題でありまして、日本の独立を守るためには、いやしくも彼らが日本の独立を侵し、かつ行政協定の範囲を逸脱したような場合は、断固としてアメリカ側に抗議せぬことには、せつかくの独立が何にもならぬ。満州国になつてしまう。従つてその点をよく御調査になりまして、もし彼らに非違があれば強く抗議して、将来起らないように、御注意あらんことを希望いたします。これで私の質問を終ります。
○福永委員長 日野吉夫君。
○日野委員 大分時間がたつておりますから、簡単に外務次官に三点、水産庁長官に一点の質問をしたいと思います。この問題は昨年以来しばしばここで繰返しておるのでありまして、水産委員会だけでも、昨年の十一月以来数回この問題を繰返し、その都度外務省からの回答があつたのでありますが、一向に進展しておらぬ。最近はさらに死者を出すというような不祥事にまで発展して参つたのでありますが、いつも日韓会談の進行中であるから、対外的な影響を恐れてというようなことで、答弁も非常にあいまいであり、質問する方も遠慮がちでここまで来ているのでありますが、日韓会談の内容について、吉田外交、岡崎外交が秘密外交だということが言われておるくらいですから、われわれあまりその内容を承知しておらぬのですが、この会談の内容の中に、本件を解決することの期待を待てるかどうか。またもしできれば、これに関係の深い会談し内容を、政務次官から一漏らし願えればけつこうだと思うのであります。これが質問の第一点であります。 その会談の内容に入つているかどうかわかりませんが、先ほど来しばく論議されている李ラインの問題、これは外務省に言わせれば、無条約国家間の一方的な宣言であつて、われわれは認めない、こう言つておる。参考人からの話を聞きましても李承晩ライン侵犯ということではなしに、領海侵犯あるいは漁業法違反、こういうことで裁判が行われているように見えるのでありますが、いつまでも外務省が無定見で、この問題を放任して、こういう事故をしばしば起して荏苒日を送つて行くことによつて、李承晩ラインの実績を認めさせられる結果になりはしないかとわれわれは恐れるのであります。外務省は無条約国家間の一方的な宣言であると言つておるが、これを根本的に解決する方法を何か考えておられるかどうか。李承晩ラインというものを解決する何か根拠というようなものの用意があるのかどうか。荏苒日を送つて行くことによつて、この問題が実績化されて、最後にこういうものを認めさせられるような結果になることを恐れるので、根本的な対策を持つているなら御発表願いたい。 それからもう一つ、二月十八日に厳重な抗議を発したと言われておりますが、先ほどの参考人の発言の中に、私有物がとられた。これも小さいことではあるけれども、二月十八日に抗議された中にこの返還の要求が入つておるか。これは小さいことではありますけれども、この返還に向うが応じなかつた場合、これは別個の窃盗なり強盗なりという一つの問題が起つて参るのでありまして、その点の用意はどうであるか、この点を外務次官から伺いたい。 もう一つ、これは水産庁長官から答えてもらいたいのでありますが、きようここで発表されたことによりましても、この水域で漁撈をやつておるものが、船にして千五十隻、これに関係する海上労務者三万二千人、年間漁獲高七十三億円。日本の経済にとつては大きな問題であります。もしこのま荏苒日を送つて行くならば、この水域における漁勞が不可能になりはしないか。もしこの水域における漁撈が不可能になつた場合、これをいかにして補償するか。今駐留軍の使用による特別損失の補償法が本委員会にかかつておりますけれども、ここでは駐留軍のあれということは言えない。しかし無過失損害であることにおいては同一であるので、何らかの形において補償を考えておかなければならぬと思うけれども、水産庁長官はこれに対して何らかの用意があるか、この一点を水産庁長官に伺つておきます。
○中村(幸)政府委員 御質問の第一点と第二点は関連しておりますから一緒にお答えいたします。日韓会談におきましては、大体総括的な規定につきましては両国間に了解を遂げておるのでありますが、在韓日本人の財産をどうするかという問題、漁業協定をどうするかという問題、また在日韓国人の国籍をどうするか、そういうような問題につきまして妥結に至らないので、今日に至つておるわけであります。従いまして今回の事件のごときは、この漁業協定の問題に含めまして自然解決する問題であろうと思いますので、日韓会談につきましては、なるべく早く円満な妥結に到達したいと努力をいたしておる次第であります。 次に第三の御質問の、十八日の抗議においては、私有物等の盗難にあつたものまで含まれておるかどうか、こういう御質問でありますが、抗議におきましては、一切の損害賠償を請求するということになつておりますので、そういう私有物の盗難品等も含まれておる意味に解釈いたします。
○清井政府委員 ただいま御質問の点でございますが、なるほどただいまおつしやる通り、韓国水域におきまする日本の漁業は、その隻数、乗組員あるいは漁獲高等から申しまして、非常に重要なる水域であることは御承知の通りであります。従いまして私ども、今日いろいろ御討論がざいましたが、本件の問題につきましても、きわめて重要視しておるのでありまして、今後同海域において漁業に従事いたします漁船が、安全にその業に従事するよう最大の努力を続けて参らなければならぬと考えておるのであります。ただ、もしもかりにこの水域が狭くなつた場合にはどうするかという御質問でございますが、私はまずその前に、現在の水域において漁業に従事しておる漁船が安全に漁業に従事し得るように努力をする。その面におきまして、ただいまもお話のあつた通り、外務省とも相談いたしまして必要の措置を講じまして、同海域における安全なる漁業を保障するという方向に最大の努力を払うことに、まず重点を置いて参らなければならぬと考えております。もしもそれが、今後の推移によりまして必要な打つ手がございますれば、そのときの情勢によつて考えて参らなければならぬ、こう考えております。
○日野委員 そういたしますと、外務省の問題と水産庁の問題と二つにわけて考えられると思うのであります。日韓会談の進行によつて自然に解決されるという今の次官の答弁でありますが、これは漁業協定が根本的に解決されれば自然に解決されるという意味であろうと思うのでありまして、これは万全を期してそれをはかつてもらわなければならないのであります。もう一つの問題は、当面この事態をどうするかということ、この会談の進行と別に、当面今起つておる、しかも侵犯であるとしばしば抗議をやつても跡を絶たないこの事態をどうするか。従つてこの委員会等においても強硬論が出て、重大な強硬方針をというようなことまで出ているので、これは日韓関係に重大な影響を考えられるので、この点は慎重に考えなければならぬと思いますが、当面この事態を処置することに私は全力をあげて、従来のような方針——二月十八日に文書を出したから、いずれ回答が来るであろうというような態度でなく、ひとつ積極的にこの解決を進んでもらいたいという注文をつけてこの点は打切つておきますが、水産庁の方も当面の問題としては、完全に安全に就漁できることを考え、そしてもしこれができなかつた場合には、損害の補償等のことも考えなければならないので、こういう点も周到に研究されることが必要ではなかろうか。同一無過失損害を、一方は駐留軍の使用によるものとして損害補償の法律が今審議されて議会を通ろうとしている。その場合に、同一事情のものが、駐留軍の関係でない朝鮮の関係であるということによつて、何らの損失補償が受けられないということになりますと非常に不公平でありまするので、これらの点も十分御留意願いたい。私有物の返還は含むものと考えるという答弁でありますが、当然これも含めて明確な処置をすることが、将来のかかる事件に備えるゆえんだと思うので、この点も周到にやられんことを希望いたして質問を終ります。
○中村(幸)政府委員 私の答弁を別段お求めないようでありまするが、念のためにお答え申し上げます。先ほど私がこの当面の問題は、日韓会談が円満に解決すれば自然解決する問題である、かように申し上げましたが、さりとて当面の問題は日韓会談が成立するまでそのままにほつておくという意味では毛頭ないのであります。当面の問題は当面の問題として、全力をあげて万全の処置を講じたいと思います。
○福永委員長 甲斐中文治郎君。
○甲斐中委員 時間もございませんので、ごく要点だけを申し上げまして政府当局に要望したいと思います。私はこの拿捕事件が起りましてから、朝鮮近海方面に出漁する漁民の住んでおる漁村をまわりまして、いろいろな希望を聞きましたが、そのうち一番共通した希望は何であるかといえば、日本の外務省は軟弱であるから、この問題をとうてい解決する能力がない。また日本の海上保安庁も、われわれを保護する十分の能力は持つておらない。だから日本の政府はもうたよらない。この上は機関銃を一丁ずつ貸してくれ、こういうことを要望されたのであります。私はこの切実な漁民の要望をかみしめていろいろと考えてみまするが、外務省当局の軟弱外交ということについてはいろいろな角度から論議されますけれども、私自身は日本の外務省が軟弱だから解決ができないとは考えておらない。こういう国民発な屈辱事件が起る根本原因は、日本に海軍がないというところにある。私はかかる強力な海軍があつたならば、朝鮮はあんなことをやらない。ないからやるのだ、私はそういうふうに考えます。しかしながら今ただちに再軍備をしたり、憲法を改正したりすることは、この内閣では、現段階においてはやらないということであるから、当分やらない。いつかはやるであろうけれども、今のところはやらない。そのやらない今日、これをどうしてうまく解決するかということが、問題の一番重要な点であると思います。私はそういう見地から考えまして、この朝鮮政府並びに朝鮮の海軍のやつておる行動を、単なる世界の独立国の政府がやつておることだとは思われないのであります。独立国でありまするならば、国際公法を守らなければならぬ義務があります。その国際公法を無視いたしまして、日本海のまん中に李承晩ラインというようなかつてないラインを自分だけでこさえておる。日本の領土であるところの島根県の竹島もそのラインの中に包含して、その中に入つて来る日本の善良なる漁船を拿捕する、略奪する、殺戮をするというようなことをやつておるのであるからして、これは政府のやることではない、海賊のやることである。その海賊と政府と取違えて、上品な外交交渉をいくらやつておつても解決をする見込みはないと私は思います。ですからこれを解決する方法は、日本の現段階においては、海上保安庁の実力を最大限に発揮するとともに、現場におるところの漁民も命を的に自分を守る。これ以外に方法はないと思います。どろぼうが横行するときは、正当防衛のためにヒ首や。ピストルを持つことも手続をとれば許されるところである。であるとすれば、日本近海に海賊が横行しておる現段階において海上保安庁といたしましては、全力をあげて、命を的に漁民を保護すればよい。またその武器を漁民に貸し与えて、万一の場合は自分で自分を守るという方法を講ずる。この二つの方法以外にはこの問題を早急に好転させる方法はないと私自身は確信しております。外務当局としては、そういうことをしてよいとは言えますまいけれども、日本が独立国家になつた以上は、政府の役人も少し独立国の役人であるという考えをもつて、よろしく相談をしてもらいたい。海上保安庁は国を守り、日本国民を海上において守るものは自分ら以外にはないのだ、そのためには事件が起つたならば、無電が来たときに、なるべく危険地帯に立ち入らないで、逃げてしまうことがないように、絶対にそういうことのないように私はいろいろ聞いておることがありますが、今そういうことは申しませんが、そういうことが絶対にないように、身をもつて日本の漁船を保護するという、そういう精神を十分保安庁の人たちは発揮して、実力で守つてもらう、でき得れば日本漁船にも正当防衛のための武器を貸し与えるという方法を考えてもらう。これを要望いたします。要望いたします。
○福永委員長 他に御質問疑はありませんか。別に御質疑もないようでありますから、本問題に対する連合審査会の議事はこの程度にとどめることにいたします。 参考人諸君は、御多用中のところ遠路はるばる御出席を願いまして、委員長として厚く御礼を申し上げます。長時間にわたりたいへん御苦労でございました。これにてお引取りを願います。 これにて連合審査会は散会いたします。 午後二時十一分散会