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13回国会参議院1952/02/04

予算委員会 第2号

発言数
47
登壇者
8
会派数
3
開催日
1952/02/04

会議録

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) 予算委員会を開会いたします。  本日は会計法、財政法等の一部を改正する法律案につきまして、参考人として金森徳次郎先生、大内兵衞先生の両先生の御意見を聞くことになつております。先ず金森先生の御意見からお伺いしたいと思います。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 御要求によりまして、財政法の関係とから見合せまして、憲法の規定につきましての私どもの考え方を申上げたいと思つております。  問題の中心となりまするものは、二つ三つございますけれども、先ず第一に起りまするのは、継続費予算というものを新らしい憲法の面から見て作つていいものかどうか、こういう点でございます。これは文字の上から申しますると、いろいろの論点が派生をいたしますけれども、精神から申しますれば、継続費予算を作ることは、憲法は院何らの差支えを持つてはいないものと考えております。併し、その條文について順次考えて行きまして、明治憲法におきましては、継続費予算を作ることができる、こういう規定があり、又、予算につきましてのいろいろ細かい規定が設けてあつたのであります。ところが今回の憲法には、余りそういう面のことはこれは規定してございませんので、如何にも新らしい憲法がこれを粗末にしたような外観を生じますけれども、本当の意味はそうではないのであります。と申しますのは、明治憲法の建前におきましては、行政部に強い権力を認めまして、議会はいわば弱い権利を持つて折角予算が出ましても、これについて非常に限られた権能を行使し得る。こういう前提をとつて、その趣旨を明らかにいたしますために、法律費と義務費と継続費予算、こんな規定を設けまして政府中心主義をいろいろ強化したのであります。ところが新らしい憲法の建前といたしましては、そういう窮屈な形をとりませんで、第八十三條におきまするように、すべて財政を処理するについては国会の議決に基いてこれを行わなければならない、というふうに根本的に議会の意思を離れては財政はあり得ない、この大原則をはつきり掲げております。こう掲げておきますれば、それから先如何にこれを細かく実行して行くかは、憲法の問題でなくて、個々の法律で適当にやつて行けるものと思うのであります。併しものの順序といたしまして、成るほど国の財政は議会の議決に基いてこれをやらなければならんといたしましても、若しもそれからの実行の上におきまして、これを潜るような途ができてはいけないと思うのであります。でありまするから、この普通の場合に起りまする姿については、はつきり規定を設けておくことが賢い、例外的に起りますことは、八十三條を根本にすればいいのであります。通常の場合の形だけは厳密に規定しておく必要があるということでこの八十五條、八十六條の規定が生れて来たのでありますが、そのうちでも、一番一般的なものは、毎会計年度の予算を作ることであります。大体の眼目から申しますると、財政を適切に置きまするためには、恐らくは予算は毎年これを国会に出して承認を求めることが正しいのでありまして、十年も二十年もためておいて、そして予算を議決するということになりますれば、それは名目は整つても、実質が失われることになります。これが一つの点であります。   又この予算をきめます上におきまして、予算の長さをどういうふうにするかということについても同じような問題が起りまして、十年を一期間とするというようなことは余り好ましいことではございません。曾つて明治憲法の時代におきまして、この軍事費の予算につきましては戦争が済むまで一会計年度にする、こういうような特別会計法ができておりますけれども、それも形だけは整つて、実質は国会の意思を非常に弱めるような嫌いがあるわけであります。でありまするから、予算の一番一般的な形というものは、暦年によりまする一年間の予算を作つて、而もその予算は、毎年これを国会に提出するという形が一番標準的なものであろうと思うのであります。この点を守ることが大体観察から言うと好ましいということになります。ところがそれは原理はそうでありますけれども、実際の面から行きますると、なかなかやりにくい事情がございまして、そこに各種の議論が起つて参ります。この明治憲法の下におきましては、やはり毎年度の予算のことを憲法が規定しておりましたけれども、その解釈の上にいろいろの疑問が起りまして、結果におきましては、予算をその議会にかけるのは、毎年一回かけなければならん、併し予算の長さは必ずしも一年でなくてよろしい。つまり、提出の時期だけを限定いたしまして、予算年度の長さというものは憲法は触れていないという、まあ解釈をとつておりまして、結局予算制度が相当緩められたことになろうと思います。  ところが新らしい憲法の中におきましては、その点はそんなに窮屈には書いておりませんで、今の八十六條におきまして、「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」まあこういう規定を設けておりまして、ぼんやりこれを見ておりますると、一年間の予算を作り、毎年議会にかけるということが原則であるように感ぜられて来るのであります。併し予算というものは、実際の必要に応ずるために、かなり複雑なものでありまするから、この規はそんなに窮屈に読むことはできません。私議会で憲法ができまするときに説明をするときにも、毎会計年度の予算ということになつておるけれども、徳会計年度というものが如何にできるかということは、憲法は必ずしも限定をしておりませんので、大体習慣に従いまして会計年度という言葉はあるけれども、この会計年度の長さは暦の一年であるか、それより短いものであるか、それより長いものであるかということは、必ずしも確定はしていないのであります。この憲法の実施の上に法律等によつて決定せられて然るべきものである、こういうふうの気持のことを述べておきましたが、このことは明治憲法の時代にも随分議論になつたことであります。そこで当時の説明といたしまして、その八十六條において政府は毎会計年度の予算を作つて議会に提出するということになつておる。併しその会計年度という言葉は、大よそ意味は毎年度ということが中心であるけれども、併しそんなに窮屈に考うべきものではなくて、必要に応じて多少の弾力性を許すものである、まあこういうふうなことを申しておいたものであります。その後の実際の扱い方におきましても、例えば繰越予算明許と申しますか、予算の繰越明許という規定がございまして、昭和二十六年度の予算の支出に載つておりましても、その繰越明許があれば、翌年これを支出してもよろしいというような扱い方は従来常に認められておつたところであります。すでに繰越明許ということがございますれば、それは一年間の予算ではなく実際翌年に出してもよろしいということになれば、予算年度は暦の一年と同じものではないという解釈がすでに確定せられておるものと理解していいように思います。  そこでこの継続費予算の点に移りますが、継続費予算というものは、今回の財政法に規定せられておるところによつて察しましても、先の数年聞予算として確定しておこう、こういうことを基本にしております。一年一年の暦による年度にかかわらない、三年、四年の先のところまでも、今日予算を確定して置く、これが確定いたしますれば、その以後事新らしく国会の承認を経なくても予算を支出してよろしい、まあこういう趣旨にできておるように思います。こういうことは予算の財政的な運用面から申しますれば、いいか悪いかということは、いろいろの見解がございましよう。又憲法の上から申しますれば、会計年度ということは常識的な解釈を予想はしておりますけれども、必ずしも一年に限るという趣旨は持つておりません。だから法律を以てこの会計年度を然るべく増減せられることがありましても、憲法に違反することはない、こういう気がいたします。それは今日始まつた議論ではなくて、憲法が議会を通過いたしまする当時におきまして、さような弾力性を憲法は堂々と予想するわけではございませんが、こういう場合があり得ることを予想しておつたと、まあその当時説明したと考えております。  で、次の問題となりまして、それではそういう予算があり得るとしても、第二年度、通常の意味の第二年度、或いは第三年度におきまして、その継続費予算の年度割の額が、一般予算の中に現われて来るというのを、如何に解すべきかという問題が起つて参ります。例えば継続費予算で一千万円というものがあり、毎年度の金額が二百万円とありますれば、第二年目の一般予算の中に、継続費、予算の年度割二百万円というものが、文字としてはその予算の中に現われております。この文字として現われておりまする数字を、如何に法律上解釈すべきかということでありまして、これは従来からの解釈例に従いまして、新らしく二百万円という字がありましても、それは決して新たに予算の審議の客体となるものではない、すでにきまつておることをそこに移し出しただけであつて、これが前後の数字と組合わされて、総予算の合計額を作ることにはなるけれども、個々の二百万円という費目からそこに数字が出て来ただけであつて、それ自身が審議の客体となるのではない、予算はすでに確定しておるのだ、こういうふうに従来の慣例もあり、私どもも信じておるのであります。  ところが、こういうような観点から考えて行きますと、実際の運用から懸念すべき問題が一つ起つて来るわけであります。何といつても予算は生きたものとして扱かつて行かなければなりません。年々の情勢を察して予算を論議することは、これは正しいでありましようけれども、五年、十年の先のことの予算を、一つかみあらかじめきめてしまうということは、憲法上の理窟は正しいとしても、その間に時勢の変化があり、縮小して然るべし、もつと拡張して然るべしという場合にも国会は手足が出ない。政府はいつでももうこれはきまつておる、こういつて国会のいろいろな希望を踏みにじることができるではないか、この懸念でありまして、これに対しまして、その欠点を補正しようという一つの考え方は、国会はいつでも、この継続費予算の年度割の額を修正することができるとしたらばどうであろうか。当初予算を組みますときには、一千万円という計算を立てて、年度割二百万円といたしましても、具体的な年度に入りまするときに、それはほかとの釣合いから百万円に減らすべきものである、或いは又三百万円に増加すべきものであるという議論をしてもいいではなかろうか。こういう意見があり、これは予算というものは実際の事情に合わせる趣旨から申しますと、非常に好ましいのであります。古い憲法の時代におきましては、何と言つても官僚中心ということが狙いでありました。一遍きまつた予算というものは、絶対に議会といえども変えることを許さないといういわば理論的であり、形式的には非常に理窟がよくかなつておつた。併し実質的には国会の意思を相当抑圧するところの解釈が行われておりました。  でその考え方を新らしく生まれるであろうところの継続費予算に当はめましたときに、どういう答えが出て来るであろうか。この問題が大きな問題として頭を上げて参ります。で私どもそういうことにつきまして、格別な研究をしておるわけではございませんけれども、二、三のこういう方面の専門家の意見を聞いて見ますると、一つの見解は、年度割というものは確定的に予算として成立しておる予算ということになれば、国の予算はもはや何人もそのままでは修正することのできるものじやない。国会は予算案は修正ができるけれども、すでに確定した予算を修正するということはできないことであるという、まあ議論が示されております。それは理論的に言えば一応正しいと思うのです。けれども更に考えなければなりません。予算は確定しておつても、国会はその確定した予算を再び封を開いて新らたなるものとして論議する権能がどこからか出て来なければ、継続費予算制度が円満には行われないのではないか。うかうかすれば過去の官僚独善の時代に立ち返るのではないかという疑問は、十分尊敬して考えなければなりませんので、何らかの方法でこの予算を補正する途があるのではなかろうか、こういうふうに考えております。これもいろいろの人の意見を総合して見ますると、そういう場合に国会が修正する途があるのではなかろうか。それは予算を審議するという意味の修正ではないけれども、新らしき予算の発案という意味の修正ができるのではなかろうか、こういう疑問が生れて参ります。古い時代の歴史でも多分政府が発案をして、そうして継続費の割当額を変更した時代はあろうと思います。つまり政府が予算提案権というものを持つている。だから政府が一遍確定しておる予算の金額を修正する、発案をしてこれに議会が承認を與えますれば、予算の修正ができる。こういう扱い方であつたように思いまするが、今現に必要となつて来る問題は、政府はいやだいやだ、こう言つて修正に反対する傾向を持つておりましても、国会自身が自己の修正権によつて確定したる予算に対して新らしき修正権によりまして、これを変更することができるのではなかろうか、こういう疑問が起つて来るのであります。これに対しまして一つの抗弁として仮にこのことに反対する理窟がありといたしまするとき、国会は予算の発案権を持たない。憲法の示すところによつて予算は内閣がこれを提出するものである、ところがすでにでき上つている金額を変更するということは、要するに国会が予算の発案権を持つということではない、内閣が発案権を持つておるのに、それを否定して国会が発案権を持つのはおかしい、こういう議論が起つて来るのであります。これに対しまして私の見解は、予算それ自身は形式的に一括して予算として国会に提出せられておるのである。その提出せられておる予算について何らかの修正を企てることは一向差支えはないのである。発案権がなくても修正権によつてこれが行えるのだ、こういう結論を私は出したいと思うのであります。それに対しまして一つの防禦的な議論が起りまして、一体国会は予算を削減する、政府提出の予算額を削減するということは、これは成るほど審議権の範囲であるけれども、與えられた金額を増額するということは、これは修正権ではなくて、新らたなる発案ではないか。だから縮小する意味の修正はもとより国会でできる、増加する意味の修正はできないという論が今もどこかにあるように聞いております。ところがこの問題は由来の非常に深い問題でありまして、明治憲法ができまして議会に予算が提出せられました比較的早い機会に、予算の増加修正をやつたことがあると聞いております。ところがこれに対しまして今のような議論より、議会は増加修正ができないのだ、こういうことで結局修正はよしんばあつても、削減する場合に限るのだということがきまり、かなり後に至りますと……、ということは、新らしき憲法が生れますまで、議会に増加修正権なしということが確定不動の原則として認められ、さも立派な根拠のあるように言われておりました。私どもも教科書などで読みますと、一点の疑いなきもののごとくに言われておりました。併しよく考えてみますと、発案権がないから増加修正権がないという議論が本当に成立するものでもろうか、この疑問であります。私直観的に答えられるのは、この論理の形式はやはり官僚と申しまするか、内閣と申しますか、執行部中心主義的な考えが根本にありまして、執行部の権能を広くして議会の権能を狭くするという一つの潜在的な意思に基いてこういう理窟が作られたものではないかと、こういう気がしております。予算だけについて申しますとそんなにはつきりいたしませんけれども、明治以来これと類型をなしておるところの幾つかの問題を見てみますと、つくづくそれがわかるのであります。一つの問題は旧制度におきましての貴族院令というものを、貴族院が修正ができるという問題であります。当初は貴族院令というものは勅令の案である。従つて貴族院はこれを修正することができないのだ、修正不可能である、こういう議論が強く行われておりました。ところがいつの間にかこういう議論に気がつかないで修正をしてしまつて、それで通用したこともありますが、そのうちに修正権なしと、こういう議論が起り、とどのつまり私どもの聞いておりますところでは、そこに一つの折衷的の考え方が起り、無関係には修正はできない。ただ政府提案に対して牽連する事項については修正してもよろしい、こういう議論が栄えまして、たしか大正十二年頃のあの問題の起りましたとき、年次ははつきり覚えておりませんが、貴族院令の根本を動かしました事件のごときは、政府提案と違つた修正が行われております。これは政府の発案権に対して議会は行き進んだ修正権はないのだという伝統的の議論を叩き潰した実際の行き道であると思つております。  もう一つ大きな問題は憲法改正の問題であります。これは多年の伝統によりまして憲法は天皇に発案権がある。だから議会はこれに対して何らの修正権もない。この議論が時代の力となつておりました。過去の長い間勢力を持つておりました。併し古き憲法から新らしき憲法に移り変りますあの段階におきまして、貴族院は原案を修正し、かなりな増加をいたしましたけれども、何人も争わなかつたのであります。要するに発案権と修正権というものは言葉通り発案権は一方に、修正権は他方にと、発案と修正の間には関係はないものである。修正は堂々とやつてよろしい、こういうことを暗示しておるような気がいたしました。こうなりますと、予算についてのみ発案権のない国会が増加修正をなすことはおかしいという議論だけが孤立無援の姿において残つて来るのであります。この問題は私の記憶から申しますると、古き憲法が新らしき憲法に変りましたときに、一部の国会議員のかたがたが増加修正権も認むべきものである。こういうふうに言われておりましたけれども、伝統的の考えで増加修正はおかしい、発案権の所在を失わしめることになる、こう言つておりました。ところがだんだんと研究を進めて行きますと、そうじやないという議論が強まつて来たのであります。この一つの考え方を導きましたのは、国会じやなくて、地方の議会におきまして増加修正というものはかなり前から認められておつたというのであります。勿論法の系統は違いますけれども、趣旨の上から行きますと、国の予算は増加修正はできないが、府県の予算は増加修正ができるという考え方の破綻は如何とも弁解の余地はございませんでした。ところが一層気運が熟しましたのは、新らしい財政法が新憲法に基いてできますときに、国会の予算、裁判所の予算、多分会計検査院の予算も含んでおりましたが、この三つの予算というものは財政法に書いてありまするように或る條件の下において国会は増加修正をもなし得るということが財政法の下に定められております。これはもとより場合が限定せられております。條件も限られておりますけれども、如何なる場合、條件が限られておるにかかわらず、若しもそれが憲法に反するものであれば、それはできません。それができるということを是認するならば、我々の憲法、国会による予算の増加修正を認めておると解するのでなければその矛盾は解けないのであります。その考え方をその継続費予算の場合に当てはめて参りますと、予算としてはすでに提出せられておる。だからこれに修正を加えますることは発案権を侵害することにならない。それで修正権というものは従来の伝統によつて認められたる判断に従つて、確定している予算を動かすような場合においては、その金額を増加するような、或いは減少するような修正をなすことは当然に国会として可能である、こういうふうの解釈も前例のないことではありまするが、生れて来るような気がいたします。その解釈が成立するといたしますと、継続費予算の場合におきまして一応は国会は継続費予算を承認した。これは別に憲法の規定に反することではない。けれども運用の実際に照らしてこの継続費予算は国会の欲するところではないということになりますれば、国会みずからの議決によつてこれを変更することができると、こう解することがふさわしいのではないかという気がいたします。  この前大蔵委員会へ出て伺つておりまするときに、むしろそういうことを、継続費予算を認めると財政法の中にはつきり規定して置いて、この継続費予算をいつでも国会の意思によつて審議をし直すことができる、こういうふうにしたほうがいいではないかという御意見でございましたが、私そういう方法も或る程度考えられるという気はいたしますが、併しそういうことを書いて置かなくても、国会の当然の権能によつて修正はできるのではないかという気持のことも、不十分ではありましたが当時述べたような気がしております。書けば注意規定にとどまるのであります。書かなければ原則の解釈が生れて来て継続費予算の固定性を打壊すこともできるのではないかという気がいたします。そういうふうに考えて参りますと折角継続費予算ができても国会はいつでも壊して組み直すことができる。だから継続費予算に信頼して仕事をしておる人が当てが外れるようなことになる。それでは継続費予算の制度を設ける特別の意味が駄目になるんじやないか、こういうような非難も或る人から聞きました。併しこれは事情が違うのでありまして、でき上つた国家的経費であります継続費予算を壊すには、政治の実情としまして相当強い根抵がなければなりませんので、一応確定させて置くということは、よしんば他日変えることがあろうとも、相当の権威があみものと考えられます。これを信頼して法律は他日修正ができる、予算は絶対にできた限りは、永久の固定性を持つておるというようなふうになりましたら、これは正しい議会制度というものは動かないのではないかというようなことも組合せまして、私どもの所見としてこれを一遍総合いたしますれば、継続費予算はこの憲法規定によつて許され得る性質のものであります。而もこれを許す憲法上の根抵というものは、恐らくは八十六條の予算の規定を通して、会計年度というものにやや特例のあるというものができるということになるのであろう。これはちよつと……それを申しましたのは他の條文から、普通の予算ではない、他の根拠から、これを導いてもいいじやないかという議論も伺いました。併し予算には相違ございません。予算の特殊の形として八十六條を根抵として説明ができることではなかろうか。予算の固定性を防ぐ一つの方法としては、国会はこれを再び開封して、いつでも予算審議の機会を持つときに、適当な判断を加え得る。こういう前提を認めますれば大した不合理はない。そこで実益あつて実害なしという予算の制度が生まれて来るのではなかろうか、こういうふうに只今は考えております。  更にそれに関連をして申上げたいのは、憲法ではそういう継続費予算を認めておりますけれども、併し憲法の精神といたしまするところは、大体自然的に考えられますように、予算については国会がいつも現実の確信と判断を以て示して行くということはあろうと思います。従つて継続費予算であつても、非常に長い期間、例えば百年三百年の期間を以てする継続費予算というものになりますれば、言葉の上でどこに衝突するということは言えませんけれども、毎会計年度という言葉の持つている雰囲気に、ぶつかるのでありますが、それは廻りくどい解釈になるかも知れません。精神としてそういう無茶なものは憲法の嫌うところ、或いは憲法の否定するところのものであろう、それにはおのずから限度があるだろうということを考えております。  それまでが継続費予算に関する問題でありますが、なお立ちました機会に、もう少し世間の問題に触れるところまで言つていいかどうか存じませんが、一言だけ触れておきますれば、その財政法の改正がまだ議会において通過するとも通過しないともきまつていないときに、政府が継続費予算を立案して、これを国会の審議に付したということは、一体どういう法律的な批判を受けなければならないかということを、これに関連して申上げたいのでありますが、非常に精密な結論は私はまだでき上つておりません。けれども国会と内閣というものは、権限が独立はしておりますけれども、要するに国の手足であります。右の手と左の手というような密接な関係を持つております。従つて非常に冷静な、よそ行きの関係を持つものではございません。だから審議の道程においては、いろいろ胸襟を開いて話し合うということができるものと思います。これができませんというと、いわゆる三権分立の民主主義の制度というものは、能率を失つてしまうということになります。民主主義は滅びるだろうというような意見がときどき出ますが、その議論の根抵となりますものは、民主主義というものは、余りにも時間の浪費をし、話が長くなり、その結果能率を害するということが論拠になつております。こういうような問題も余り窮屈に論議いたしますと、能率を害するということにもなろうと思います。政府が予算を国会に出すということは、これは憲法上認めております。中身はちつとぐらい巾が広くなつていようと、出すこと自身は権能として出し得ると思います。だからこれが委員会において審議せられるという段階まで行きますることは、別に形式上支障はないと思います。併し委員会がこれを審議するに当りまして財政法の規定に違反するところの予算ができておるというときに、若しもこれをそのまま完全なるものとして通過させまするならば、財政法に反する、現に国法として効力を持つておる財政法に反する問題を是認したということになりまして、いささかここに形式上の疑問は起きるものと思います。けれども一体国会の正式な活動というものは、各議院、衆議院或いは参議院の本会議において決定せられるときに、国会の本当の動かすべからざる意見が決定せられるわけであります。委員会は何といつてもその審議の道程にほかなりません。たから委員会ではこれに或る予想を加え、恐らくは或る法律が通過するであろう。従つてこれを前提として審議をするというような考え方は、委員会ではできるものと思います。併しその院の本会議におきまして確定不動のものとしてこれを議決いたしますることは、どうも実質的に法律にかなわないものを正式に議院が決定するということになりまして、別にそれが無効とかという点にならなくても、法律に反くところの議決であるというようなことまでは免れないのであります。ここに行きますといささか如何なるものであろうかと疑惑を起します。従来でも矛盾した法律が議会にかかることはあるわけです。他方のものが適当に変更せられるであろうということを了解の中に入れておいて、そうして一つの法律を議するということは違法でありまして、例えば地方財政の法律が果して可決せられるかどうかわからないのに、議会ではこれを審議するというようなことは或る程度是認せられておりません。ややそれと類似しておりまして、下拵えとして議会で審議せられる分には、法律的な問題にはならない。併し確定的な段階において議決せられますと、法律的根拠のない、例えば継続費予算というものは何であるかということすらも国家的にはまだきまつていない。これを前提として国会の一つの院だけで確定的な結論ができるということは、果して無事円満に是認せられるものであるかということについては疑問を持つております。つづめて申しますれば、提出をすることも別に法律に反くとは思いません。委員会において審議することも別に法律に反くとは思いません。併し院の決議としてこれを決定するときには、問題が十分起り得るのであります。これに関しての従来の先例というものが何かあるそうでありますが、それは果して同じ線のものであるかどうかということは精密に研究して、そうして又別個に結論を作らなければならないのではないかと考えております。  大体論点になりますところは、一応右のように考えております。ここで一応説明をとどめることにいたします。(拍手)

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) 只今の御発言に対して質問がありますれば……。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 只今の口述で会計年度の長さの点にお触れになつておられましたが、憲法の八十六條には、これは明らかに、「毎会計年度の予算を作成し。」と、こう書いてあるのですが、この毎会計年度という年度の規定というものがお説によりますると、その長さが或いは一年になるか、或いは又それよりは幾らか長くなるというような弾力性が持たせてあるのだというようなお話であつたのですが、これは財政法の会計区分の章の第十一條に、「国の会計年度は、毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終るものとする。」こういうような法律があるわけですが、これと憲法の毎会計年度ということの先ほどのお説の相違はどう解釈してよいか、その点一つお願いしたい。  それからもう一つは、この継続費の関係といたしまして、これは継続費の対象となるものとしては、金森先生は、まあどういうような……政府が今回改正に出しておりますような「国は、工事、製造その他の事業」と、こういうようなものの範囲をお考え、而も又その経費の額ですが、その総額というものが、予算の一体どれくらいの予算の総額に対しての割合、こういう割合をこれはまあこれくらいの割合であつたならばよろしいであろうというような、そういう割合をお考えであるか。先ほどのお説の中にも、これは旧憲法においては一回政府のほうで組んだところのこの予算というものが数年及び又それ以上の年月に対してでも国会の審議を要せずに使われておつたという臨時軍事費的な性格、そういうような多額の、性格の額でもこれはやはり継続費としての対象になりさえしたならば、予算承認に対する額というものは、大小にかかわらないのかどうかという一点、これに対して私どもが疑義として考えますことは、財政法第五章の雑則の中の第四十二條には、「毎会計年度の歳出予算の経費の金額は、これを翌年度において使用することができない。但し、歳出予算のうち、第二十五條の規定により繰越について国会の承認を得た経費の金額及び年度内に支出負担行為をなし避け難い事故のために年度内に支出を終らなかつた経費の金額は、これを翌年度に繰越して使用することができる。」いわゆる事故のため国会で議決になつた経費で、而もそれを支出負担行為というものが事故のためにできなかつたもの、これだけは二十五條の規定によつてよろしいと、併し原則としてはできないということが明示されておりますが、これに対するお考えは如何ですか。この三点についてお伺いいたします。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 今お示しになりましたことはよく了承いたしました。私どもの見地から申しますと、憲法というものはそれだけで一定の言分を持つておりまして、憲法の規定は附属の法律がどうあろうとも、それ自身において然るべき内容を持つておる、こういうふうに一応考えております。そこで憲法の会計年度という言葉は非常に常識的な言葉でございまして、格別なものを考えておりません。だから極く常識の認むるところにおいて会計年度を理解する、これが普通の考えではなかろうかと思つております。この旧憲法時代におきましてもこういう論はしばしば起りまして、例えば三カ月を一期とする会計年度はあり得るか、十五カ月を一期とする会計年度はあり得るかというような論議の起つたことはあります。こういうようなことはあり得ないという結論を作りますと、実際非常に困るのであります。例えば会計年度の初め、終りを変更いたしまして、今日四月からの会計年度になつておりますが、これを一月からの会計年度に直したり、こういうことが起りますとどうしても繋ぎの場合におきまして三カ月を一期とする中間の会計年度を考える、十五カ月を一期とする会計年度を考える、こういう操作をしなければ動きがつきません。そういうことを念頭に置きましてこの会計年度という言葉は常識的におのずから一定の意味を持つておる、こういうことは想定してよかろうと思います。そうすると常識的に一会計年度というのは一体何のことかということになりまして、常識的に言えば、我々が通常一年と言つておる暦の上の一年と密接な関係のあるものとは思つておるのです。けれども予算制度というものは、かなり複雑な発達を遂げておりまして、そう窟屈にばかり解するわけには行かん。一会計年度でありましても、それには時と場合に相当のふくらみがあり、余裕があるもの、そう窮窟に考えないでいいのではないか、こういう議論が出て来るのであります。私どもの結論は、会計年度という言葉を使つております。憲法に基いた会計年度は、常識的に考えており、併しこれが果して暦による一年、暦による半年、或いはそれ以上のものであるかということは、更に法律によつて限定せられて然るべきものと思つております。そこで現在の会計法或いは財政法でありますとか、そういうものの制度の中におきまして、この憲法の一会計年度というものは暦による一年間である、こういうふうに限定をしておりまするから、現在の解釈の下におきましては一年ということが正しいと思います。併しこれは憲法の動かすべからざる原理ではないのでありまして、憲法を実施するために財政法によつて具体化さした姿でありまするから、財政法自身がこれに対して若干の変更を加えましても、若しも一会計年度という常識的な意味と食い違うのでなければ、殊にそれが国会の世論によつてきめまするような場合におきましては、或る程度の伸縮をすることは許されるものであろう、これが答えであります。こういうことはたくさんございまして、憲法にある言葉の意味は広いけれども、附属の法律で具体化させるときには限定するということは、そんなに珍しいことではなかろうと思います。  それから次に仮に継続予算を認め得るとしても、その條件及び金額というものに対しては、相当の制約があるのではないか、こういうお尋ねであります。これは同じ一つの予算制度ということを考えまするにつきまして、憲法の眼から、いわゆる法律家的な冷やかな考えで判断をいたしまする場合と、それから財政的見地からどういうふうに組めば妥当な予算の運用ができるかという、いわば政治的判断とでも申しましようか、そういうものとは並行し存在するものであつて、ぴつたり合一するものではないと思つております。でありまするから、憲法の眼で見ますれば、極く一般的に我々は特にそれを必要とする場合が起るならば、いろいろな複雑な規定が生れても、必ずしも憲法に違反するものではない、こういうふうの答えが出て来るのであります。併しながら財政的に国の財政を如何にすれば円滑にできるかという見地に立ちますると、おのずから答えは違つて来るのであります。必要に応じていいというのではなくて、その條件或いは例外というものが妥当な範囲、一般の原理を壊すものでないということがなければおかしいと思うのであります。それを判断いたします根拠は、こういう継続予算を設けることに如何なる実益があるか、一般の原理と違いまして特殊な方法によらなければならんというには、それだけのこれを是認させるだけの人の得心する事態がなければならんと思います。継続費だからという法律的な判断によりまして、何でもかでも継続できるということにいたしますれば、財政統一の根本の実質的原理が崩れてしまう。その点はよほど気をつけなければなりません。私はその方面のことにつきましては特に研究したことはございませんけれども、抽象的に言えば、特に例外的な制度を必要とするだけの十分な理由がある。その十分な理由を充たすについて止むを得ざる限りの金額をやるべきものである。こういうふうに考えておりますが、具体的には何がいいかということはちよつと私どもには判断の余地がございません。大体従来の例から申しましても、会計の一般制度によつて余りにも窮屈であり、それがために仕事が困る。建築物をこしらえるときに、年度に亘つてできるようなときに財政的に窮屈になつては困る。将来の見込がつかなければ、根本的なプランを立てようという場合にうまく行かないからして、先のほうの財政計画を、数年間に亘つて安心のできる程度に確定して置かなければならぬ、こういうふうな特殊條件による場合にのみ理由があると思うのであります。でありますから具体的なことはわかりません。ただ抽象的にこれを是認するだけの理由、その理由に限るということが根本でありまして、これに対しましては、国会の聰明なる常識を以て最後の判断をせらるるものと存じております。  何か三つございましたが、大体同じようなことでこの中に入つているように思いますが、最後のお尋ねのことはちよつと……。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 大体入つているようでありますが、継続費は原則としてはすることはできないというのが財政法にはつきり書いてあるのですから、これをできないと書いてあるのに、二十五條の適用するものは、国会の議決を経た経費で何か事故があつて、そうしてその予算を使い切れなかつたのだ、こういうときにおいてこれは若干のものだけは継続する。最初から政府が何年間の継続を考えて、そうして予算も又見通しもつかないのに多額の予算を組んで出すような継続費の考え方ではなくて、そういうことだけを許してあるのですが、これにはやはり旧憲法時代の弊害を除去するために、民主憲法の新規定によつて国会の議決を尊重するということに重点を置いたであろうと思うのですが、そういうことが今回の改正によつて崩れようとしておることについて先生の御意見はどうなのかということをお尋ねしているのであります。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) お尋ねの点はよくわかりました。その点はどうしたら一番妥当な結果が出るかという問題に帰するように思います。お示しのように憲法ができまして、最初に財政法、会計法の原理というものがやや窮屈になる、こういう方針をとりまして、国会の権威と紛れないようによく指示するという方向をとつたのであります。それから先は私ども当局者でございませんからよくわかりませんが、承わり及ぶところによりますと、それがために却つて又余りに窮屈であるということから起る不利益、不便というものがございまして、河川の改修とか大きな建築とかというときになりますと、新らしく予算ができるまで手を拱いて待つている。その間の人間の損失、物件の損失というものがかなり大きい。これを何とかして妥当な枠の中に入れようということで、元の窮屈さを一歩緩和させようというのが継続費の制度であろうと思います。でありますから一概にいいとか悪いとかは言い切れません。利害の双方を考えましてどの辺で攻めるのがいいかということであつて、今日これを生み出す第一歩であるように思います。非常に窮屈な理屈を申しますれば、今の繰越明許というような現在の規定も、そんなに議会の審議を尊重しないということにはならぬのでありまして、あれが相当融通をきかしているわけであります。併し財政というものは、ちよつと理窟ばかりでありませんので、実際の必要を加味するときに、どこまで行つたらよかろうか、無論継続費でありましても、議会の意思を無視することはできません。あらかじめ議会で御審議になつておきめになるものでありますから、形式的に言えば議会の意思は尊重せられている。ただ実質的に申しますと、何しろ三年も四年も先のことまで議会の意思がそう正確に行つておるわけはございません。ですから私が先ほど申上げましたように、やりつ放しに継続費というものが活動して行くというと、相当の弊害の懸念がないわけではない。だからそれはいつも新たなる眼で監督的批判ができるようになつて、その最後の場合におきましては、国会の意思によつて修正ができるというような途が開かれますれば、妥協的に利益多くして損害のない制度が生れて来るのではなかろうか、こういうことを申上げておく次第であります。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 先ほど毎会計年度ですね、八十六條の、これは常識的に解すべきだ、勿論これは解釈する人が憲法学者のほうでいろいろなかたがたがありますことも、これも又解釈そのものというものは、明記したところの憲法の規定でない以上は、やはりその人の思い、常識から考えてやつておられるだろうと思うのですが、私自体も相当常識的に考えて御質問いたしたいのですが、毎会計年度と、年度と、こういうようにある以上、お説のような三カ月或いは又十五カ月というような会計年度が、過去においてそういう事例が日本においても或いは又各国においてもあつたのでありますかどうかですか。これもまあ実際常識的な御質問でございますけれどもその点一つ……。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 日本で三カ月、十五カ月というようなものは、議論としては実際に財政を取扱う人の間に明治憲法の時代に激しく起つたと思うのであります。これがなければ実際運用に困る、こういう議論は起つておりました。ところが明治憲法の文字の書き方が多少その点が何か不詮索にできておりまして、政府は毎会計年度、予算を議会に提出しなければならないと、こうありまするから、その会計年度という解釈は議会に出す時期、毎年一遍は議会に出すんだ、そういうふうに解釈いたしまして、予算の年度というものは憲法に規定がないのだ、こういう少し無理だと思いますけれども、そういう毒皿式の解釈で進行して行く、そうして遂に一つの長い期間を会計年度とするような慣例が生まれて来た。このくらいしか私は存じません。私の申しましたことは、すでに今の繰越明許等の形をとりまして一年であるという原理は壊れておる。ここまでは相当確かな議論であると思います。ただこれをどこまで議論したらいいかということになりますると、憲法の法律論に入つて来ますと、毎会計年度という言葉に常識的な中心は入つておるけれども言葉だけで言えばフイスカル・イヤーというのは財政上のとりまとめをする一つの期間ということになるからして、国の法律で如何様にもできる。多少法律家の形式ということになりますると、それはできる。すでにその例は小さい例ではあるけれども、年度過ぎの支出という形で認められている。こういう形がとられますれば、法律論としては、会計年度の長さは法律を以てきめることができるであろう。これは法律論であります。ただ併しこれを財政上の妥当な原理のほうにはめて行きますると、これが非常に乱雑になりますると、やはり支障が起つて来るのでありまして、何しろ僅かの條文でできている憲法でありますから、これの解釈は窮屈である。ために角を矯めて牛を殺すというようなことになつてはいけないというところに法律的にはこれは許される。併し財政的には相当の制限を加えることが適当である、こういう考え方をしたのであります。もつと、仮に継続費予算を弁護的に申しますれば、八十六條を通らないで八十五條を通せばいいんじやないか、そうすれば会計年度という言葉で出て来ませんで、ただ国会の承認を経なければならん、こういうことになりますから、説明はしやすくなるのでありますけれども、それを、そこが便利だからといつてそれをやりますると、今度は予算を一括して、妥当な見地で扱つて行くという、そちらのほうに支障が来るのでありますから、多少言葉の上において自由に過ぎまするけれども、八十六條で説明をしたほうが、比較的矛盾が少くて行くのではないか、こういう気持を持つております。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) ほかに御質問ございませんか。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 予算の修正の問題でございますが、今金森先生のお話によりますると、予算の修正に対しては減額修正ができるのみならず、増額修正もできるというお話だつたと思うのですが、それを、提出されている予算についての修正の問題と、それから議決された予算の修正の問題とに分けて一つ御意見を聞きたいのですが、先ず提出された予算の修正について、減額修正並びに増額修正ともにできるとすれば、或る一つの項目、或る費目なり何なりを全然削除してしまうというようなことも可能なのかどうか、提出予算の場合にはそういうことも可能なのかどうかということを先ず聞きたい。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 予算を妥当に審議し、妥当に決定をするという政治的な見地から申しますれば、おのずからそこに一定の原理が湧き出して来て、これによつて制限せられるものと思つております。併しこの憲法を法律の枠内から議論をいたしますれば、国会は修正権がある。その結果修正権を行使して項目を削除するということも議会の権能としてはできることと思います。併しその修正の結果、例えば外部との契約に違反するとか、国際関係の義務に衝突を生ずるということになりましてのその最後の責任の政治的な責任が起つたり、或いはその意味において妥当を失したと言わるることは、これは識見の問題でありますから、あらかじめ覚悟をしなければならん。ただ憲法だけで見ますと、そういう結果ができても別に違反することはない、こういう意味です。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 そうしますと、更に押し進めて今のような減額、増額修正、或いは更に一つの費目を削除するというような等々のことで、提出された予算の総額に変更を来たすことがあつても、そういう意味での修正も可能だというふうに考えてよいのですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 私はそういうことも可能であると思つております。つまり従来考えられましたような、政府が提案を持つておる、従つて国会はかくのごとき権能を持つておる、こういうふうな説明の仕方で、骨子となりまするのは、何故に政府に予算の提案権を與えたか、このことを考えてみなければならんと思います。先にもちよつと例を挙げましたように、貴族院令の問題、或いは憲法改正の問題、或いは又旧解釈によりまする予算の提出権の問題、この三つの相似形のものを並べまして、これは結局政府、いわゆる官僚という言葉が、そこのところに重点を置き、議会は附随的なるものにしよう、これの権能を相当縮小しよう、こういう潜在的な動機の結果、かようなものが生まれて来ておると思うのです。併し新らしき憲法におきましては、国会は最高の機関であるという一つの原理が御承知のごとく根本において立てられております。でありまするから国会の活動の分野というものは、本当に根本的なものと理解しなければならんのであります。併しこれに若干の制限を加えなければならん理由もございます。というのは、これもくどくどしくなりまするけれども、例えば最高裁判所が別に批判を加えることがある、こういうことがある、これは三権分立の趣旨から来るのであつて、これは止むを得ません。そのほかの場面におきましてはむしろ権威の問題から来るのではなくて、技術的な何か面から来るのではなかろうかと思つております。勿論財政の便宜というほうの議論は別であります。憲法の面から申しますと、なぜ予算の提出権が政府にあるか、こういうことの理由を考えて見ますときに、一体予算を編成するのは、政府の肚勘定ということが根本になりますので、これをきめますのは政府が一番適当であるのみならず、予算というのは統一した一つのかたまりとして考えなければならんのですから、この提案権がちりぢりばらばらになるのはおかしい。だからどこかに一つ中心点をこしらえておかなければならん。それが伝統を尊重したり、或いは又実際の便宜を尊重したりいたしまして、そこで提案権はこれを政府に集中せしめよというのです。だからこの予算の提出権というのは非常な絶対的な意味は持つておりません。自分の金を使う、こういう一つの立場と、それから予算の統一を図るという立場から、  一応案を出させるのは、政府が適当だ。あちこちからばらばら出て来るのでは仕事がやりにくい、こういうのです。そのあとの処置というのは、これは国会が全責任を負つてやるべきことで、今までの考えとは違つた趣旨で……今までというのは、旧憲法の時代とは違つた趣旨で議会の意思決定権が存在するもののように思います。併し余りにそれが徹底いたしますれば、今度は予算の運用の上に支障を起しましようけれども、それは憲法の問題ではないというのです。今仰せになつたような点についてもかなり自由に考えていいのじやないか、こういうふうに考えます。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 そうすると今までの問題は、提出予算についての修正権の問題としてやつて来たのですが、一たび提出された予算が議決された場合、その議決された予算についても今おつしやつたような意味での修正は、あらゆる場合において可能かどうか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) その問題は多少従来の型の中にはまつて来ない嫌いがありまして、論を進めるときにいくらか條理で補充しなければならない点も起りますけれども、併し問題はもうきまつた予算でも、政府が予算の上に文字に書いて載せて来る総額においてもそれが含まれておりますし、項目の中にも年度割額が出て来るということは、こういうふうにまとめておいて、議会の批判を求めるという、ややゆるやかな、内容を審議せよという厳格な意味ではございませんが、数字に書いて議会に出すということは全然無意味なものではないと思います。従つて全体として予算は内閣から国会に提出されるという段階でありますが故に、このときに国会が一つの修正権、それはすでにでき上つている予算を一応破壊して、新らしく予算に組み直すというような意味の修正権も含まれるのではなかろうか。それは政府が書いて出したということに全然意味を認めませんというと、この場合に予算が修正されたとは言えません。とにかく書いて出したということに、何らかの非常に妙な面ではありますけれども、こういう新らしい事態が起るときには、多少補う場面もあつてもいいのじやないか、こういう気もしております。

堀木鎌三第一クラブ

○堀木鎌三君 大体佐多君のお話で私の聞こうと思うことがわかつたのでありますが、もう一点、実は憲法の解釈としてそうなるとおつしやる金森先生の憲法上の條文の基礎というものはどこに、どの條文にあてはめて考えるのでありましようか。つまり八十三條から起つて参るのでございましようか。或いは国会自身の本質的なものから起つて参る問題でございましようか。そういうふうな点についてもう少し法律的に御説明願えれば結構だと思います。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 私の今まで申上げました継続費予算というものを、国会においてお取上げになり得るということの憲法的根拠は第八十六條というものがあります。この八十六條の一つの形が継続費予算になる、こういう説明を自分としては用いたいのであります。そうしてこの規定というものにはもう一つ根本がある。八十三條がこの規定の根源をなしております。継続費予算を作るという点から申しますと、八十三條は間接のものになります。八十六條のほうが直接なものになる。予算のことは八十六條がきめておると、こういう解釈をとりたいのであります。ただ先ほど少しく申上げましたように、八十六條によると、如何にもこの会計年度という言葉が強く響いておりまして、これに対して相当な解釈的の開きができるような継続費予算というものは、八十六條ではどうも呑込みがたいという議論が起らないとも限りませんが、そのときに如何に解するか、私は八十六條で行きたいと思つておりますけれども、万々一、八十六條の根底が消えるといたしまするならば、八十五條というものが出て来てもこれは第二段の説明……。私の第一の意見を仮に讓歩した場合には、八十六條で行けると、要するにどれかの條文でこれを是認する根拠が出て来ると、こういうことを述べておいたらよかろうと思います。

堀木鎌三第一クラブ

○堀木鎌三君 もう一点聞きたいのですが、継続費の場合に、多くの場合に我々が経験したところですが、長期に亘る継続費は、大抵変更をしばしば見るわけです。年度割額そのものが変更を見る。その場合と、年度割額、そのものが変更しないで出して参る場合とある。今の先生のお話では当該年度の年度割のものについては、第二年度以降でも修正、削除或いは増加ができると、こういうお話になりますと、継続費の性質上、どこかにその年度割がかかつて参らなければならないという問題が起つて来るわけです。その年度の経続費だけが対象になつては、継続費の一貫性というものがなくなつて参ると、こういうように考えられますが、にもかかわりませず第二年度以降に継続費の金額は削減、或いは増額修正ができるものでありましようか。その点を一つ確かめて置きたいと思つて御質問申上げます。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) この継続費という一種特別な制度につきまして、年度割を変えるというと、総額の点においての過去の継続費予算に食い違いが起つて来る、こういうことでございまするが、それは実際そういう食い違いが起りましても、予算全体の趣旨から行けば止むを得んことではないかと思つております。今年の予算がこれだけしか出せないということになりますと、その結論がどこに響いて行くかということは、更に国会が別に論議せられればいいのでありまして、元の総額が狂うという意味において御決議になることもあり得ましようし、或いは総額は狂わない。どこかにこれが繰越されるという意味において御決議になりましても、それも考えられましよう。一種のそこに食い違いのような破綻のようなものが起りまするが、それは技術的にどこかで調整はできるものであり、根本のものに影響を生ずることはないと思います。これは專門家でございませんから、そういうところの技術的の混乱をどうやつて整理するかということはいろいろ考えられるもののように思います。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 先ほどの継続費の年度割額は、次年度のものはすでに前の年度に審議決定をして既定のものであるわけですから、そういう意味では先の先生の御説明の通りに新規に審議するものではなくて、いわば、便宜的に予算の体系をまとめるために便宜的に出されて来ている数字であるわけだから、これはもう審議の外に置かるべき問題で、それは丁度昭和二十六年度の予算が一応議決されたら、それをその後の臨時国会その他で、もう一遍蒸し返して審議ができないのと同じような性質のものじやないかと、こういう気がするのですが、それにもかかわらず、すでに一遍決定したものを、なお審議が可能である、従つて又修正も可能であるという理窟が出て来るのはどういうわけなんですか、そこのところがはつきりわからないのですが……。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) これは非常に物事を概念的に、一つの社会の現象を論理の発展のように議論を進めて行きますると、今お示しになりましたように緻密な答えになつて来るものと思うのであります。併し政治は必ずしも論理の発展ではございません。論理をも採り入れつつ、国の行く大局の途をきめて行くということになろうと思います。そういたしますると、個々の今までの既成の説明につきまして、多少精神的に補わなければならない場面も出て来るのであります。一遍きめたものは再び開けない、こういうような原理を若し確定不動のものと考えまするならば、それは国の憲法を改正することもできないというところまで行かなければなりません。併し、この生きている世の中に対応しまするためには、どうしても途が開かれて来なければならないというときに、私の今申上げました見解というものは、一度予算として確定したものでも、これの修正が、……まあ確定予算でも、再び封を切つて修正のできないという理窟はない。誰がこの修正の封を切る権能を持つているかというところへ行つて、問題が緻密になつて来るのでありまして、私の今まで申しましたのは、成るほど提案権は内閣が持つのだ。これは便宜のためにそこに権能を集中させて置くことが都合がいいからこうなつたのであるが、併し実質的の権能というものは国会が持つておるものであるから、そこで国会がこの問題に正式に触れ得る機会があるなら、そのときを機会として適当なる予算の修正案というものを出し得るのではなかろうかと、まあこういうふうの気持であります。若しも継続費を修正することができないという論が仮に確定をすれば、むしろ継続費に代えて新たなる予算をそこに計上するというを考えもでき得る余地がございまして、それから先には実際の事情に応じて緻密に考えて行く途があろうと思います。そのときに一番フリクシヨンの少い途を辿つて行けば、私どもの解釈に……ただ数字を並べて国会に出したのじやない、こういうような帳面を見せて、このときに国会をして然るべき発言の機会を與えると、こういう意味に解釈いたしまして、この機会を利用して国会は修正意見も提出し得るのだと、まあこういう説明はしたのですが、結論はこれは個人の意見で矛盾があるかも知れませんか……。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 そうすると、もう少しその点をお聞きしたいのですが、すでに議決されたものを修正する場合には、今問題になつております経続費の年度割額だけでなくて、一般に議決された予算であつても、通常国会で一応議決されたものをば、政府の提案がないのにかかわらず、その後の臨時国会その他でもう一遍審議し、修正することができるということにまでなり得るのでありますか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 法律というものはそう理論的に徹底するものではございません。実際の立場を考えて、いろいろなところに障害物を拵えて奔放な動きのできないように準備せられておる。従つてそれが理論的には徹底しなくても、総合して国家大局の幸福のために行く、こういうふうにきめられているものと思います。従つてこの予算の場合におきましても、本筋から行けば国会が最高の機関でありますから、常に批評はできる。けれども具体的な予算を動かすに当りましては内閣提案という機会を以て述べるのであります。こういうふうにそこに妥協的な制度が憲法の上に認められているような気がいたします。そこで何らかの政府からの働きかけのないときに、純理に立ち戻つて国会が予算を出すということ、多分憲法の中の内閣提案というのは、私は、国会が予算を審議する機会を與える、こういう意味に思つておりますが、その権能に違反いたしますから、そこまでの奔放な権能が国会にあるとは思つておりません。そういう多少の制限を持ちつつ、而もおのおの志を遂げて行くというところに、この憲法の複雑な権力分立の機構が含まれていると考えます。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) ちよつとお諮りいたしますが、委員以外のかたで委員の代理で出ておられるかたの質問を許したいと思いますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) それでは吉田法晴君。

吉田法晴日本社会党(第四控室・左)

○委員外議員(吉田法晴君) それでは一点だけお伺いいたしたいと思いますが、金森先生のお話を聞いておりまして、予算の提出権とそれから国会の審議権、それから継続費を次年度以降において審議することができるだろうという御議論の精神もよくわかるのであります。その継続費を次年度において実質的に増減修正も可能であるであろうということは、国会の予算審議権と継続費を必要とする事情のいわば調和点として、そういうお考えになつた、こういう工合に解釈するわけであります。そうしますと、先ほど出ましたような継続費そのものにかかつて参るわけであります。実はこれは私ども憲法学につきましてはお教えを頂かなければならんのでありますが、最近この問題が起りまして、法学協会の憲法の逐條解説等も実はひつぱり出して読んで見たのでありますが、あすこでの議論をここで詳しく申述べることは必要でないかとも思いますけれども、これは国会の予算審議のやはり本質問題、従つて新憲法の基本的な精神にも実は関連して参ると思うのでありますが、この八十三條或いは八十六條の説明として、曾つてのイギリス、フランスにおけるこの国会の予算審議権の確立の経過、その中における名誉革命の場合の帝室費等が問題になつたということから、日本の場合に旧憲法と建つて新憲法の場合に、或いは皇室費の問題について、或いは財政の緊急処分、或いは責任支出といつたことは新憲法において認められなくなつた。言い換えるならば款項までも含んで国家の財政支出について国会の審議を求めるのだ、国会の審議を経て、それに対する例外を認めないという精神からするならば、継続費というものは新憲法の下においては憲法の解釈上あり得ないのだ、これはもうあの中に、美濃部先生の御意見、或いはその他のかたの御意見にも伺われましたが、先ほど言われました御議論の中にありましたような問題は、継続費をめぐつて旧憲法時代のように政府と申しますか、或いは官僚の力が予算案を通じて強く今後出て参るかどうか、この点は私ども一番心配をしなければならんものだと思うのであります。そこでこの御議論の中にありましたような国会の予算審議権というものを貫くということになりますと、この国会の審議権が十二分に活かされるためには、金森先生は次年度においても審議し得る。そうすると、そういう国会の審議権が本当に活かされるためにはその点佐多さんも疑問として出されたわけでありますけれども、遡つて継続費というものは認めないで、そうして各年度に審議をして行く。まあ内村さんからも毎会計年度という毎という点について御指摘がありましたが、年々に審議をして行くということが、この予算を審議いたします国会の審議権を生かすゆえんになるのじやないか。従つて継続費自身を認めることが、今後或いは御意見の通りに次の年においても審議し得るということになりますけれども、万一政治的になかなかそれが困難になる。そうすると、例えば公共事業でありますとかいうような点でなくして、今後再軍備の問題もございますけれども、曾つてのような臨軍費的なものが、この継続費問題をめぐつて復活して来はせんか。或いは御心配のうちにもありますようにいわゆる政府と申しますか、官僚的なこの、継続費予算が出て来るのじやないか。そうすると、これは予算問題をめぐりまする根本原則、それが継続費という形で問題が出ているのではないかと考えますときに、憲法全体の精神、或いはこの予算に関します條章全部から考えますと、八十三條或いは八十六條の解釈として、法学協会の意見に賛成することが、新憲法の解釈として妥当なものではないか。或いは金森先生の御意見等から承わりましても、それを通論して参りますというと、そういうところに来るのじやないかといつたような感じがするのでありますが、その辺重ねて恐入りますけれども……。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 一体憲法とか、そのほか大きい法律というものは、そんなに委曲を盡し得るものではございません。法律というものはおのずから長所と欠点とを持つておりまして、千変万化の人間の生活を若干の條文で規正するということが、決して幸福なものでもなければ、妥当なものでもないと思つております。併し大局の利害を考えて行きますると、人間社会においていわゆる杓子定規と申しまするか、或る場合には当てはまつて困るということがあつても、おおよその基準を立てて動くのがいい。まあこういう見地で、初めて多くの法律等は是認できるものと思つております。それは法なくして、そのときの正しい判断で行くほうがいいことは、一点の疑いもございませんけれども、併し逆の影響が非常に大きいということを考えまして、この憲法の中の多くの條文ができているものと思います。だからこの憲法に当てはめて行くというと、今の継続費を要するようなものについて、いろいろ利害得失の場合が分れて来るという問題にぶつかりまするが、私自身の答えを申しますれば、憲法はそんなに窮屈にできているものではない。我々は、ものの大綱はきちんとしなければならないけれども、その大綱の脇のところに、ところどころここは実情に適するためにこういうふうに拡げられるのだ、実情に適するためにこういうふうに狭まるのだというように、生きた原理が存在するものと思つております。併しそれは一々條文に書けるわけじやございません。いろいろな條文の配列と、ものの道理との組合せからして、その解釈か生れて来るのであります。大体観察はそういうふうに存じておりますが、今現われました継続費予算の場合におきまして、この憲法はその点は余り窮屈な考えはしておりません。今の通り従来と違いまして、八十三條、八十五條とかいう根本的に実体をつかまえた規定がございまして、これはきちんと守らなければならん。八十六條、それから派生して来て、通常の場合、財政は主に予算の形で行われて行きますが故に、一番通常の場合に発生して来る予算の規定を八十六條に置いたわけであります。そこで八十六條というものは、予算のいわば本然的規定であるというふうに理解できますけれども、併しこれらの規定といえども、文字の一つ一つを字引に頼つて意味を発見して行くのでなくて、従来日本に発達して来たところの多くの沿革を取入れて、総合的ではありますけれども、多くの常識を加味して考えて行かなければならない。ここに解釈論というもののむつかしさがあるのでありますが、そこで解釈論の結果といたしまして、この八十六條というものは、文字の上では一番普通の場合をはつきりさせるように文字が書き現わされている。けれどもその言葉が相当にゆとりのある言葉を使つておりまして、これについては含蓄と言いまするか、時と場合に解釈上のいろいろな細かい説明ができて来るものであります。こういうように考えます。私どもはこの会計年度という言葉はどうせはつきりしたものじやありません。法律を以て一国の世論を代表した国会がこれを決定せられるというところで憲法上の要求は盡きている、こんなふうに考えているのであります。ところで今お話になりましたようなこの規定で、若しも非常に粗雑に扱いまするならば、折角憲法をこしらえて国会の権威を重からしめたところの趣旨が没却せられてしまうということになる。従つてこの條文の解釈の原理というものは、憲法的には文字の上、それから生れて来る解釈によつて調節するよりほかにしようがありません。従つて継続費予算というものも、或る範囲内においてはこの憲法は是認しておる。なお従来繰越予算、繰越明許予算が承認せられると同じ原理であります。こういうように申上げるのであります。併し言葉の行くところをほしいままにして、自由自在にやつた場合に、実際上妥当であるかどうかというと、それは妥当であるとは言えません。如何なるものでも使いようによつて悪くなります。だから具体的に財政法等にそれを細かく規定して行くときには、よほど用心をしなければならない。又財政法ができましても、現実の継続費予算を審議せらるる場合におきましては、常識を以て適当な範囲に限定せられなければならんというりが、法律と政治常識とを組み合せての結論であろうと思います。でありまするから、ちよつとお尋ねの御趣旨と並行しておるかどうか自信はございませんが、継続費予算は憲法上許される。併しそれは実際の予算運用の見地から言うと、相当限定してこれを考えなければならん。これを広めますると、形は憲法に合体し、現実は憲法に違反することになる。これは警戒しなければならない。それでこの問題は議論として成立する、運用はよほど限定せられなければならん、こんな解釈になつたのでありますが、その辺のところで御了解願いたいと思います。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 今の御説明によりますると、毎会計年度を一年で必ずしも限る必要はないというようなお話がしばしば繰返されて、而もそれを実証するものとして、繰越明許費はすでにそういう一年という年限を破つておるじやないかというようなお話があつたのですが、それでなくて、繰越明許の問題は、むしろ八十五條の国費を支出するとか、或いは債務負担行為をきめるとかいうようなのと同じような意味で、八十五條に基いてやられておることであつて、八十六條にいう毎会計年度の予算の中にはそれは含める必要はないのだというふうに考えたほうがいいのじやないかと思うのですが、その点は如何でしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) どうも細かいことになりますと、私は実は平素から研究をしておりませんので、そういう解釈も確かに生まれ得る余地があるとしかお答えできませんが、私の一応の考えを申上げますると、八十五條というのは憲法の規定でありまして、若しも八十六條という憲法の規定が一遍通つて来た、つまり予算としてきまつたというあとを見て行つて、それを八十五條の説明によつて動かし得るのであるかどうかというところに疑問を持つのであります。つまり裸身ならば八十五條が出て来ますが、それが八十六條というものの議決を経てでき上つた数字につきましては、やはりそう簡單に八十五條は現われることはできない。だから八十六條それ自身の規定の中身の中にさような便法は認められておる。こう解釈するほうが只今の私にとりましては論理がよく徹るような気がいたします。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) それでは次に大内先生にお願いいたします。

大内兵衞法政大学総長

○参考人(大内兵衞君) この前の臨時国会の終りにおきまして、私は当参議院の大蔵委員会から呼ばれまして、今回問題になつておる財政法の改正について意見を徴せられました。当時私は余り突然であつたので、十分私の考えを述べることができませんでしたが、併し大体こういうことを述べたわけであります。近代の財政法においてはどうしても継続費の規定というものは、これは明確に置かなければならん。併し現在提出されておるような大蔵省原案のような改正では、即ち言い換えれば旧財政法の持つておつた継続費の規定と同じような規定では、国会の予算議定権の運用についての新らしい憲法の精神というものは危険に瀕する。これでは内閣の活動が非常に制限されるのみならず、国会の予算議定権というものは実際上の運用が不可能である。不可能になる危険が非常に多くあるということを述べたのであります。つまり、要するに財政法の改正は、財政の技術に関する一つの問題のようでありますけれども、その中には日本の憲法及び新らしい民主主義の政治全体の運用に関する非常に大きな脅威が含まれておるということ、従つてこの規定を十分愼重にお考えになることが立法府としての義務でないかというのが、私のこの前述べた要旨であります。そこで今日はやはり同一の趣旨をもう一度多少違つた言葉で述べようと思います。  御承知の通り最近の国家というものは、十九世紀当時の国家とは大変違つておりまして、従つて国民経済に対する財政の力、又義務、責務というものは大変違つておるのであります。言い換えますというと、この近代の国家というものは、いわゆる文化国家とか、福祉国家とか言われるように、特に経済の運用に関しましては非常に大きな力を持つておりました。その力は年々の支出を規正するということではできないので、数年に亘り、或いは十数年に亘る財政計画を持つということによつて、初めて国民の経済全体に対する企画及び目的、目標を與えるというようなことになつておりますので、昔、民主主義の憲法ができ、民主主義の予算が発達し始めた頃は、年々の予算は年年にこれを議定し、且つその議定されるところが年々だけの支出でよいというようなことであつたのとは、どうしても違つたことにならなければならん。言い換えますというと、近頃の財政は非常に多くの年を含んだ計画を持たなければならない。従つて継続費というものがどうしても財政上の組織として必要であるというのは、これは基本的に認識しなければならんと思います。このことは今日の生産組織が非常に大きな組織である。会社で申しますというと、固定資本が非常にたくさん要るということと裏表になつておるわけでありまして、近来の会社経営における非常に重大な問題は、建設費の調達というものをどうするのかということと共に、その一旦用いられた資本、特にその固定資本部分についてはどういう減価償却を毎年して行くかという問題、何年間にこれを償却するか、又如何なる事情の下において何ほどの積立金をし、そして何ほどの減価償却を計上するかという問題と同じでありまして、会社経営上その問題が最大の問題であると共に、国家の財政の計画におきましては、特に近代におきましては数年、若しくは十数年に亘る大きな事業、それの財政をどういうふうに賄つて行くか。又はそれに対して如何なる議定をするかということが、この近代財政の非常に大きな問題であると思います。それらの点につきましては、今の憲法は、昔の憲法の運用上の誤まり、特に制度上の誤まりを運用上の誤まりにしたことを矯めるがために、継続費という制度をすつかりなくしたというのは、一つの見識でありますけれども、その継続費を今やどうしても事実上新たに置いて、そうしてこういう年度制の不便な点を十分に是正して行くという必要に迫られるのは、これは当然のことであると思います。問題はつまり減価償却の問題が会計法上大問題になるように、今日この継続費の問題は財政法上非常に大きな問題になるべきであつて、而もそれを旧来の、旧憲法の下における財政法と同じような簡単な一條の條文で以て議定して、それで以て運用するというようなことを考えるのは、そもそも無理でありまして、そういうことには如何に巧みな法律解釈をいたしましても、硬軟いろいろな解釈をいたしましても、そこにはどうしても工合の悪いことが出て出るし、又不都合が出て来るというふうに私は考えるのであります。つまりそういう意味におきまして継続費の制度を作るということが必要であるということは、これは前提としていいと思いますが、併しこの継続費が非常にたくさん殖えて、そしてそれぞれの各省がそれぞれ継続費をたくさん持つということになり、そしてそれを年度割としてあらかじめ確定いたしておきまして、その年度割なるものの意味が、先ほど金森さんとその他のかたといろいろ意見がありましたが、とにかく年度割なるものの意味が一旦国会で決定した一つの予算であるといたしますれば、それはそういう意味において、必ず何らかの意味において後年の予算を拘束するものであるということにするということが問題の中心でありまして、それは絶対に避けなければならんと思います。なぜかというと、これからの予算が、そういう意味において各省がたくさんの継続費を持つて、そしてこの年年の予算の大部分が継続費になるというようなことになりますというと、それは先ほど申上げましたような意味において、いろいろの解釈方法があるにいたしましても、その解釈についてはつきりした……その意味を如何にとるか、又どういう拘束力を持つか、どういう変更権があるかということが、明確な規定がありませんならば、概して申しますというと、年々の予算の審議という国会の権能は無意味なものとなると思います。又、国会がそうなるのみならず、政府が年々予算によりまして、国家の財政政策を改め、且つこの時代に適したようにして行くということそれ自身も不可能になると思います。即ち継続費というものを、今こういう制度によつてそのまま認めて、そうして一旦国会に出しますというと、それは非常に面倒な手続を経なければ、又非常にいろんなむずかしい説明をしなければ、その次の年度において変更できないというようなこと、即ち予算のうちの少からざる部分に固定的な部分を作りますと、議定上並びに国家財政上固定的な部分をたくさん作るということになり、そうしてそれに何らの制限がないということになりますというと、これは先ほど申しますような意味におきまして、国政の運用を全く不可能にするのみならず、特に国会の議定権というものの年々の作用というものの大切な点を、非常に削減するということになると思います。御承知の通り近代の社会は、いわゆる景気変動というものを避くべからざる内容として持つておるのであります。この景気変動は、或いは十年の周期を持つでありましようし、或いは十五年の周期を持つでありましようが、その周期の長さはわかりませんが、とにかく大きな戦争ということになるか、若しくは大きな経済界の恐慌ということになることによつて繰返されるものであります。このことを否定することはできません。そうして国家の財政上の一番重要な仕事と申しますというと、こういう戦争若しくは恐慌が起らないようにするということ、或いは起つてもそれに対して適切な財源を以て適切に対処する政策を立てるということが、これが国家の使命であります。ところが若し継続費で以てだんだん予算を拘束して行きまして、そうして予算のうちで固定部分が非常に大きくなりますというと、臨機応変にこれらの政策によつて、これらの国家の非常な大きな病気に対して適当な政策を作り出すということは絶対に不可能になるのであります。つまりそういうときに、迅速果敢に国家が立派な政策を持ち得るためには、やはり財政が相当フレキシブルで、場合によつては、今まで一応国家が決定しておりましたが、或いは国会はこういう意思であつたが、この際はこういう方法によらなければならんというときに、十分に柔軟よろしくそれに応じ得るという制度を財政上確立しておくということが必要であります。つまりそういう場合は、国家は今まで適当と考えておつたような政策をやめて、然る後直ちにそういう政策、そういう国家の生命に関するような問題に適応し得るような方法を作つておくということが絶対に必要なのであります。この場合に若し一事不再理の原則、若しくはすでに議定されたものは再びこれを変更することができないというような原則がストリクトに適用されますというと、そのことは非常な不幸を国家のために来たすのであります。つまりその継続費というものの作り方、或いは運用の仕方によつては、継続費自身が国家の首をみずからくくるという道具になるのであります。この点は先ほど申上げましたように、株式会社の減価償却というものがどういうふうにやられるか、又どういう性質のものであるかということ、それがつまり株式会社の経営上どういう意義があるかということを十分にお考え下さるならば常識的にわかることだろうと思います。例えば株式会社において減価償却ということが絶対に重要で、且つ必要でありますけれども、一つの大きな工場を建設して、その建設費を必ず何年間にこれを償却しなければならん、利益がなくても償却しなければならん、或いは事業がどんなに不振であつても何年間にこれを償却しなければならんという、そういう株主総会の議決であり、それを必ず実行しなければならんというのが理事者の責任であるといたしますならば、それでは理事者といたしましては到底会社の設立の目的を達することはできないと思います。それらの点について例えば減価償却と租税とはどういう関係にあるかというようなことが、近来非常に会社法の問題としても、又税法の問題としてもやかましい問題になつておりますように、この一般の財政支出と継続費との関係というものにつきましては、どこまでも合理的な、そうしてちやんとした規定がなければならないのでありまして、これらの点についての詳細な規定、即ち先ほど問題になりましたが、例えば何%以上は継続費とすることができない。全予算の何%、或いは各省予算の何%は継続費とすることはできない。或いはこういう必要がある場合には継続費はいつでも提出することができるとか、或いはそれよりは進んで、このすべての継続費を一つの制度と考えて、そうしてその全体を合計して、そうして継続費間において相互の融通をつけるようにするとか……、即ち一つの会社におきましても実際上どの費目の減価償却が、どの部分の減価償却が一番今のところ合理的であるかということが年々理事者によつて考えられるように、国家の財政におきましても継続費というものが財政全体の上にどういう拘束力と、どういう自然の発展に応じて変化するようにするがいいかというような、そういう制度が確立されなければならんと思います。  で、これが私の基本的な考えでありますが、日本の過去においてこの制度がどんな作用をしたかと申しますと、これは先ほど皆様もたびたび御議論になり、おのずからその間に了承されたところでありますが、この制度は新憲法以前における日本の財政制度を非常に固定化いたしまして、そして議会の審議権を非常に縮小する重大な制度となつておつたのであります。例えば昭和六年度のこの例を申しますが、昭和六年度におきましては一般会計全体の歳出は十四億四千万円でありました。そしてこの十四億四千万円の予算に対して、当時一般会計の継続費が四十四億円ありました。それから特別会計の継続費というのが四十六億円あつたのであります。従つて合計九十一億という大きな継続費があつたのであります。即ち年々の予算は十四億であるにかかわらず、数年間若しくは十数年間に亘つて政府及び議会が議定上並びに予算の作成上拘束されている部分が、実に九十一億という大きな金額であつたのであります。どのくらい長い期間それが拘束しておつたかと申しますというと、長いのになりますというと、昭和六年度の予算において、昭和二十六年度までのこの支出を、継続費予算を持つておつたのであります。そうでありますが、今仮に昭和六年度だけとつて見ましても、当時一般会計において、昭和六年度の継続費というものは一億六千万円であります。そうして特別会計に属する継続費というものは一億五千万円でありましたから、十四億の全予算に対して三億一千万円というものが、つまり継続費として前から拘束されておつたものと、その年に僅か増加したものとを合計して、そういうことになつたのであります。で、この当時の継続費の継続状況を見まするというと、昭和七年度も、それから昭和八年度も、昭和九年度も、昭和十年度も、昭和十一年度も、いずれも三億円以上、或いは二億九千万円がこの継続費としてすでに拘束されておる。つまりその後数年は予算の全体の二〇%乃至は二五%というものが継続費となつておつたのであります。然らばこの継続費を、政府はどういう項目及びどういう目的で作つたかと申しますと、これを詳しく述べると非常に面白いことがいろいろあるのでありますが、併しただ概況を言いますと、継続費というものは外務省が一つ、それから内務省が二十八、この二十八というのは、多くは河川の改修とか或いは神社の拡張というのであります。大蔵省には当時十三の継続費予算がありまして、これは議院の建設とか、或いは学校の建築とか、そういう費目であります。或いは税関の設備改善というようなものでありまして、いずれも数年間であります。次に陸軍、これは十四項目ありまして、その陸軍の項目の主なものは無論兵器の改善とか或いは陸軍の要塞の拡張とか、そういうようなことであります。海軍もほぼ同様でありまして、その他各省のことは申上げませんが、いずれにしても少くとも四、五、或いは六、七、或いは先ほど申上げたように、内務省のように三十近くの継続費というものがあつたわけであります。つまりそれを昭和六年の事実、即ち日本の憲法が健全に運用されておつた当時の事実にとつてみましても、各省共に数件若しくは数十件の継続費を持つておつたということ、そうして必ず各省は毎年二つか三つの新らしい継続費を新設するというのが、当時のいわゆる財政計画、或いはいわゆる政策の新らしい部面というので、新規要求という形になつておつたのであります。そのときは御承知の通りに、どうするかというと、各省は非常に技術的に予算を取るのがうまいのでありまして、申すまでもなく例えば五年で十億の予算を取ろうと思いますと、最初の年は五千万円か一億円、もつと少くだけ出しておくわけで、頭を極く小さく出しておきまして、それから尻に行つて太るように、つまり或いは真中に行つて太るように、かまきり予算であつたり或いは蛙予算であつたりして、いろいろ形はとりますが、とにかく頭だけは非常に小さくしておくのであります。そうすると議会は、まあ今年はこれだけか、そうして又今年の予算総額はこれだけであるというので、問題は簡単に片付く。そうすると来年はどういうふうになりますかというと、先ほど金森先生のいろいろな解釈がありましたけれども、少くとも当時におきましては、来年以降はそれは既定費として、その継続費において何年間か分割された年度割それ自身は毎年々々既定費として、議会がいやしくもそれに手をつけ或いは口を出すことができないものとして解釈されておつたのであります。又そのように運用されて来たのであります。従つてつまり当時におきましては、この継続費というものの財政を拘束する程度、或いは予算の中において固定部分を作る、即ち既定費的部分を作る一つの有力な方向であつたのであります。そういうわけで、これが單に議会を拘束したのみならず、事実政府を拘束したのであります。この継続費というものが……。例えば日本において重大な政治的危機と言われたもの、或いは八八艦隊とか、或いは二個師団増設とか、或いは鉄道計画の変更とかいうような大問題、即ち内閣の死命を制するかどうかというような問題、それから争いのあつた問題は、具体的にはこの継続費を削減し得るや否や、変更し得るや否やという問題として立てられたのでありまして、我々の頭で考えておるところは……如何なる省におきましても、陸軍省と言わず、海軍省と言わず、内務省と言わず、大蔵省と言わず、すべての省の官吏は一旦きまつた継続費の削減には常に反対なのでありまして、そのこと自体が我我の仕事を不可能にするものである。折角組んだ計画を毀すものであるということになつた。そういう主張が常にされたのであります。そうしてその主張を抑え得る大臣というものは、各省では決して動まらなかつたのであります。たまたま勤まるような大臣ができて来ますと、それが本当の政治的力のある大臣でありますが、その大臣はつまり内閣の運命を賭さなければ決してその政策を、それを削減するという政策を実行することができないのでありましたから、事実においては各省大臣は閣議におきましてもそれには触れないでくれ、これはもうきまつたものである。これはもう前に予算を取つておつたということで以て問題を順々に延ばし、若しくは解決せずに進んだものであります。解決しようとする場合は、大きな問題については必ず内閣の危機をかもしたということになつておるのであります。そうして又、議会はそれを修正する権利は全然認められておりませんでしたし、又仮にそれを修正するというようなことを試るということになりますというと、議会と政府との間に非常な問題を必ず起すということになつたわけであります。即ち予算は年々これを議定すべしというのは、これは民主主議の基本的な原則でありまして、憲法第八十六條が如何に解釈されるにいたしましても、この会計年度というものが数年に及ぶということは、必ず例外の場合でなければならないのであつて、原則としては承認することはできない。明らかにそういう規定がある場合にのみ、その年度を超過するというのは、これは民主主義の発達、議会制度の発達における基本的な要求でありますから、その基本的な要求が、こういう技術的な制度によつて阻止されておつたというのが、日本の過去の憲法の下における継続費の性質であつたのであります。ですからもう一度言いますというと、継続費というものは各省の予算をぶん取る、そして予算における自分たちの仕事を動かさないようにする、固定する、自分たちの仕事の範囲を固定する一つの牙城であります。つまりその牙城によりまして、各省の官吏は法律的に、又堂堂と各省大臣を拘束することができたわけであります。その各省大臣はこれをバツクとして更に閣議を紛糾させることができた。即ち内閣の大きな政策、国家の運命に関するような大政策に当面しておる場合でも、それを財政的に拘束する一つの手段であつたわけであります。つまり継続費の制度が濫用され、大きくなるということについては、我々は非常に苦しい経験を持つておるわけでありまして、この制度が濫用され、又拡大されるということ自体は、單に議会の民主的運用、即ち予算に対する監督権を事実上行使することを不可能にするのみならず、内閣全体の政策というものを樹立するのに対して非常な大きな障害となるのであります。即ち言い換えますと、日本の過去の政治史における官僚制度と民主制度の争い、又内閣のこの実力行使である政策の樹立というものに、この継続費という制度があることによつて非常に強く困難が出て来ておつたのであります。そういうように解しなければならないと思います。御承知の通り、今、日本は重大な政治的変革の時期におきまして、これから軍事費、国防費、或いはそれでなくとも大きな水源開発、或いは六三制、その他のすべてのことを考えますというと、国家の経済計画に非常な大きな金を要する時であるのみならず、すべてそれらのことにおきましては、いわゆる固定資産に属するものが非常にたくさん必要になるのであります。これは日本が世界的な大きな国と競争しなければならん。産業上にも競争しなければならんということからしまして、新らしい設備を必要とする、そういうときにはすべて近代的な大きな設備をしなければならない。国家も又、それに応じて大きな設備をするということになりますと、どうしても継続費制度というものがだんだん殖え、且つ重大になるということを意味するのである。それを避けるということはできないのであります。問題はこれらの問題をどういうふうにして合理化するか、どういうふうにして民主主義の議会の運用と矛盾しないように解決して行くかということにあると思います。御承知の通り、アメリカでは大統領の下に非常に有力な予算局というものがありまして、その下に経済企画の委員会があつて、そうしてそれらが資料を提供しまして、そうして大統領は比較的長期に……、年々のこともそうですが、比較的に長期に亘る自己の抱負又計画というものを国民に示し、立法府にも示すということになつております。それにはそれぞれの必要な資金が幾らであるかということを年々述べるごとになつておりますが、併しこの予算教書なり、或いは予算に対する希望なりというものは即予算ではないのであります。予算をきめるのにはそれぞれいろいろな方法、いろいろな手続が要るのであります。即ちそれは議会の権限として発動されることでありまして、この政府の申出と議会の権限とが非常に有機的に関連するようになつておるのが近頃の状況であります。その場合の詳しいことを今日調べて来ようと思いましたのですが、時間がありませんで調べる暇がありませんでしたけれども、大体のところはいろいろの形になつておるようでありまして、つまり継続費といたしまして議会がこの一年だけ頭を出すことを許す。併しあとの計画はこれは計画として認めるが、今年の予算には入れないというのもあるようであります。又数年の予算にそれを入れましても、これは計画としての予算であつて、現実に金を幾ら必要とするかどうかということは、これは別の予算の議定の委員会なら委員会に委せるというような、そういう方式もあるようであります。それらの点がいろいろになつておるようでありまして、一律に継続費予算、日本の旧来のような、或いは新らしい財政法の改正によつて企てておるような、そういう簡單な法則ではないようであります。それらのことについて詳しいことを調べて見る必要が相当あると思います。つまりこれで私の申上げたいことはおしまいになるわけでありますが、もう一度要約いたしますというと、近代の大工業資本主義の時代におきましては、民間の事業もそうでありますが、特に国家の事業の中には継続的な計画が必要である。従つて継続費という制度それ自体を確立することはどうしても必要であると思います。のみならず、それは先ほど申上げたような意味において減価償却のいろいろの商法及び会計上実際運用規定が事業の経営において非常に重大であると共に、その株主総会と重役との間のそれらについての会計法則が詳細に規定されない限りは、会社の会計ができないと同じように、継続費につきましても、継続費を総括的に、一々一つの場合について継続費の年度割はどういう意味を持つかということについて詳細な規定を置くと共に、この継続費全体を各省及び国家全体、それを両方括つて、そうしてそれがいつでも適当に内閣及び政治の新らしい情勢に応じて変更のできるような規定を置くことが絶対に必要でありまして、こういう規定なしに、ただ一本の継続費を置くという現在の規定で以てこの日本の財政を運用しようとしますというと、恐らくは日本の従来の官僚主義それ自身が復活する一つの有力な方法になつて、そのために折角作つた新らしい憲法、新らしい財政法、新らしい国会法、それらの精神は蹂躙せられることに恐らくはなるのであろうと思います。要するにこの規定は技術的な一つの簡單な規定のように見えますけれども、それは外見でありまして、この規定をどういうふうに作り上げるか、どういう立派な規定に作り上げるかということが一つの新らしい時代の国会の大きな責務であろうかと思います。私の話を終ります。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) 有難うございました。只今の大内先生の御意見に対して御質問がありますれば……。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 長くいろいろな過去の歴史、或いは内外の事実を引例しながら、内容的に実質的にいろいろお話を伺つたのですが、結論のところでお話になつたことから言えば、継続費というものは費用としてあらかじめ数カ年間に亘つて議決してしまつておくことは必要でないので、そうでなくて、單に計画としてはつきりした見通しと一応の安定性、一応の確定性を與えれば差支えないのじやないかというような気がするのですが、その点はどういうふうにお考えでしようか。

大内兵衞法政大学総長

○参考人(大内兵衞君) それは大体そういう傾向が……、そういう考え方を基礎にして各性質によりまして、或いは国会の協賛の仕方によりましてどうするというようなことを詳細にきめておくべきだと思います。その場合に、原則はやはり会計年度は一年のものであるという原則、即ち国会は毎年これを審査するのであるという基本的な原則は、継続費をおくことによつて壊れないようにする。併し又継続費を作り、その継続費についての一定の安定性を持たせることが各種の事業をやる上において必要であるから、その方面についての相当の考慮をするような特別法を作るべきである。そういうことになります。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) ほかに……。

佐多忠隆日本社会党(第四控室・左)

○佐多忠隆君 その特別法を作るべきであるというのは、継続費の制度に関する特別法のことをお考えになつておるのか。それとも、予算というのは一つの体系があつて毎年々々一年の予算を組むのだが、継続費的な性質の収支の問題は別途特別法でその収支をばきめる。従つて一体とした予算とは別なものとして、別な項目として特別法を作るというようなお考えなんですか。そのいずれですか。

大内兵衞法政大学総長

○参考人(大内兵衞君) それは詳細には考えておらないのですけれども、この間アメリカの制度を見て来たところによりますと、やはりアプロプリエーシヨン、即ち議会で継続費予算の経費を拘束的に持つという制度が、或る継続事業についてはやはりあるようであります。それは全予算の中にあるのではなくして、それによつてきまつたものはその次の予算に必ず入れるというふうになつているように思います。詳細のところまだ研究しておりませんが、大体そういうようなことがいいのではないかと……。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 今のお話にないようですが、ただ一点だけお伺いしておきたい。それは今度の予算の計上の仕方ですね。財政法が改正されたということは前提とされないのに、そういう形で出して来た。この問題は先の先生のお話にはなかつたのですが、金森先生のお話では、例えば法案が出てないときに予算措置としてそれを予算に組む、こういう関係は非常に問題が違うのじやないか。財政法と言えば国家財政の一番根本の土台になるもので、そういうものがまだはつきりしてないうちに、それを前提として、それが通つたということを前提として組んで出して来た。慣例としてこれはあるのだというようなことで論議になつておりますが、これについての先生の御見解をお聞かせ願いたい。

大内兵衞法政大学総長

○参考人(大内兵衞君) それは法律論でありまして、純粋の形式的な法律問題であると思いますので、私はそれらについて専門的な知識を持つておりません。併し一般的には、これは国民としての常識としては、余り適当でないと思います。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 僕は金森先生にちよつとお聞きしたいのです。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) 金森先生に今一問質問があるようですから……。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 ちよつとこの機会でございますから、できますならば一つ若しも財政法でお気付きのことがあつたら……。お伺いしたいことは、これは継続費の問題でなくして、今回の予算の特異性で、これもやはり問題になりそうな点でございますが、憲法の八十七條の予備費の問題ですね、これは予見しがたいところの予算の不足に充てるために国会の議決に基いて予備費を設ける、こういう一項目がありますが、勿論これは使つた後においては国会の承認を得なければならないというのが末尾にあるようですが、予見しがたいというこの予備費の支出、これに適合さすために今回の千八百二十億という大きな費目が予備費の形で出される。或いは又これは政府の閣議決定では二千億というような厖大な金が予備費の形で置かれるというような、そういう大きな数字のものでも、やはりこれは憲法には何ら抵触しないというような御見解であるか、この点に対してどうか一つ……。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 予備費の問題は、どうもどこまでが予備費の金額に計上していいかということをはつきりきめることはできませんけれども、およそ常識があるのであつて、予備費はまあ大抵のところでこれを見当をつけまして、それで足らないときは又別に議会を召集して予算の協賛を求むる、こういうことが正しいのでありまして、今の日本の財政の状況から見て五百億、一千億を超える予備費を認めるということは、それ自身としては、これはどうも法律論として攻めるのに骨が折れますけれども、まあむずかしい論だろうと思つております。ところが今お示しになりました点は、私もよくわからんものですから、ちよつと予算の提出書によつて見ますると、今世間に噂されている大きな金額というものは、予備費としては出されていないのであつて、ちやんと項目がはつきりと費目として出されているのですね。ですから私はどういうわけで世間がああいうふうになつているか消息を知りませんけれども、予備費というのは何か何十億というくらいしか出ていないような気がしているのですね。あとは大きなかたまりのものを一項目として予算の中に掲げたことが正しいかどうか、こういうことになります。それから先は政治論になりそうな気がいたします。

内村清次日本社会党(第四控室・左)

○内村清次君 ただこの憲法の八十七條の規定というものは、例えば予算が組まれた後において、或いは風水害が起きたとかで、そのために是非これを早くやらなければならないと、これは福井県あたりの災害復旧費あたりでは、組んであるほかに又支出が必要である、或いは又そのほかにそういう不測の災害に対する予備費くらいのものを対策としてやつたのであるから、その予備費の性質ですね、これを一つお聞かせ願いたい。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 勿論予備費は、実際の予算の執行の上に非常な不便を生ずるということを防ぐ、又これを防ぎませんというと、予算の運営もできないし、場合によつては又予算を濫用するような虞れもございますので、そういうところを考えて若干の予備費を計上するということは予想しておりますが、要するにこれは普通今おつしやつたように、そんなに多額を予想すべきものではなくて、少し大きいことが起つたらこれに訴えるというのではなくて、臨時国会を召集してやる。これはどうも法律論でありますから、絶対の議論としては言えませんけれども、私どもの議論するときはそういう気持を持つて扱つておつたわけでございます。返す返すも申しまするように、今新聞紙を賑わしておりまする問題とは無関係の問題だと思つております。

和田博雄日本社会党(第四控室・左)

○委員長(和田博雄君) 本日はこれにて散会いたします。    午後四時二分散会

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