法務委員会 第45号
- 発言数
- 142 件
- 登壇者
- 19 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1952/05/26
会議録
○委員長(小野義夫君) 只今から法務委員会公聽会を開会いたします。本日は、お手許に配付いたしました御氏名表で御覧のように、十名の公述人のかたがたから御意見を拝聽いたします。 公述人に対して御挨拶を申上げます。本日は御多用の際、貴重なお時間を本委員会のために御割愛を下さいまして、出席を賜わつたことを深く感謝いたします。 なお委員各位に申上げますが、公述人のかたがたに対する御質疑は各公述人の御発言が終りました都度お願い申しますが、成るべく簡明に御議論に亘らぬように、公述人のかたの御意思の明らかならざる点、或いは更に進んで御意見を拝聽することにとどめようと思いますから、どうぞさよう御了承を願います。 なお午前中に相当時間がございますから、別に公述人のかたがたに対して時間的制限を、必要の場合のほかはお願い申上げませんから、ごゆつくり御意見をお述べを願いたいと思います。 最初に東京大学名誉教授牧野英一君にお願いいたします。
○公述人(牧野英一君) これは何ですか、何か特に私の専門に属することでお尋ねになることがおきまりになつておつて、それについてお答えすることになりますか。或いは全体について私がどう考えておるかというようなことを申上げることになりますか。
○委員長(小野義夫君) 破防法を中心にいたしまして、破防法に関する先生の御意見を拝聽いたしたいと思います。委員各位それでよろしうございますか。 〔「結構でございます」と呼ぶ者あり〕
○委員長(小野義夫君) さようお願い申上げます。
○公述人(牧野英一君) 破防法をとにかく一読いたしましたが、かようなことについては、私の立場としてはいつも比較法的の研究をいたさねばならんわけでございますけれども、時間の関係でできませんでしたのが一つと、又恐らくは時間があつても、私どものライブラリーは全部罹災をいたしましたし、又各方面のライブラリーもすこぶる不完全であります。不完全のみならずほかのライブラリーを廻つておりますけれども、検索に非常に骨が折れます。それでありまするから、そのほうの用意が甚だ行届いておりませんということについてお断りを申上げます。 この法案を一読いたしまして、こういうものが果して現在の事情で必要であるかどうかということについては、私はよくわかりません。私は只今名誉教授と申されましたが、名誉教授になつてから十五年、世の中の第一線、二線、三線を退いておるものでありまするから、僅かに新聞の記事を読み散らして、世の中を想像しておる程度であります。これについても、私はいわゆる政治的、社会的の立場からの批評というものをする資格がございません。例えば新聞を見ますというと、メーデーの騒擾の事件がこの法案に関係があるように書いてありまするが、例えばこの法案は団体というものを狙つてあります。メーデーの騒擾と団体との関係、仮にこの法律がメーデーの当時に効力があるものになつておつたとすればどういう計らいになるものであるかという適用の様子が私にはわかりませんのです。むしろ私のほうからそういう事情を伺つてから意見を述べねばならんので、私自身は非常にたくさんの質問を持つておるわけであります。要するに団体等規正令のあとを受けて事柄を整えるための法律、こういうことになるでございましようので、そこの実際的な見解ということについては何も申上げることができんということを、これも御承知願います。結局団体というものがわかつておつて、それについて或る規制を加えるということにすることが必要かどうかということについては、これは御議論はないでしよう。団体といえども相当の社会的、法律的の根拠を有しなければならんということになりましようが、手続の問題で、この規制の取計らいをする機関を行政的なものにしておくか、或いは司法機関にこれを任せるかということが多分御議論になつておるのであろうと思います。先ほど比較法的な研究をするいとまがないということについてお断わりを申上げましたが、こういうような法規について諸国がどういうような立場をとつておるか、それから成績が比較法的にどういうことになつておるか、国情とどういう関係があるかということを我々としては考えなければなりません。我が国としてはやはり裁判所にインフリクシヨンというような方法をやらせるか、行政権のほうで一先ずやるほうがいいかという実情については私にはわかりません。この法律を見ましても、裁判所へ持つて行くというと百日以内にやれということになつておりますが、裁判所というものは拙速を尊とんでやるというわけに行かないのです。この法律ですらも百日というものを見ている。裁判所は相当に手間どるけれども、余り拙速にやつてはいかんので、行政権といえどもやはり一週間の余裕は持たせて研究をさせるということになつておるあたりに、立案当局としては相当に考慮をされたものと思います。そこへ持つて来て委員会の制度になつておりますので、單純に行政権がやるのではない、委員会が最後の決定をするということになつているのですから、相当にこの点は考えた制度であり、この委員の選任について、国会が本当に有力であるならば、この方法は相当であろうと思います。問題は、国会がどのくらい本当に選任について、何と申しまするか、国会自身が責任を持つているかどうか。それについてこの案で思いつきましたのは、書面審理になつております。書面審理になつているのを、衆議院の修正によつて事実の調査をすることができるというように修正になつておりまするが、これも私は賛成をいたします。その趣旨は、書面審理ということは余り乱暴ではないかという批評を世の中で聞きまして、十分それは尤もなことだと思います。けれども、書面審理をした上でいやしくも不備と認めれば、疑わしきは被告の利益に従うという原則でありまするから、この程度では委員会は審理をしない、こういう立場で十分決定をしてもらえば、人権の尊重というものは全うできるはずであると思います。けれども何かの都合で、もう少し事実の審査をしてみたいということがあれば、事実の審査をすることができる。しないで結局申立が不十分であると、棄却の決定をすることができることになつているのは、やはり一つの考え方であろうと思います。要するに委員会の力、行政と司法との間にこういう委員会を設けている。行政の部門に属する機関ではあるけれども、やはり司法的な仕事をする。それは書面審理であるが、常に疑わしきは被告の利益に従つて判断をするのであるから、これは訴訟法上の手続上の原則でありますから、そのほうの申出をする。何と申しますか、調査庁ですか、公安調査庁のほうには余ほど十分手続を経なければできない、訴訟法上のいわゆる証明がなければならん性質のものである、こう私思うのであります。そういうくらいが手続の問題であります。 内容については、非常にぼんやりしているという批評があつたのを新聞で伺いましたが、治安維持法のときに考えたような問題に比べて、先ずはつきりしているということが言えましよう。刑法のそれぞれの條文と見合せてこしらえてあるのでありますから、概念的には一通り明かになつているわけであります。但し、そうして結局問題は広い意味の共犯……広い意味で言う、やや学問的の意味を離れた広い意味で言う共犯を罰するという方針で出ておりまするので、そこにいろいろ、殊に文子のかたがたなどにはあぶない、学者の方面にもあぶないというような考えになつているのが随分あるようです。ところがそれが目的罪になつている。どこでしたかな。実は下書きをしておいたのを今朝忘れて来た。今朝は十時に必ず来なければならんと思いましてな。茅ケ崎におるものですから、揃えておいたのを今朝大急ぎで参りましてね。大事な虎の巻を忘れましたが、とにかく目的罪になつております。目的罪になつておりますから、法律としては人権の尊重については適当なテクニツクを盡してあるものと思います。併しながらそういうものが濫用される慮れがあるのじやないか、こう言われれば、濫用ということになれば、この法律でなくても、私は現在の法律でも、もう濫用ということになれば、どのくらいあるかわからん。この法律があることによつて、むしろ私は何かの緊急状態、エマージエンシーの事態になつたときに濫用するのがむしろ和らげられやしないか。この法律によつてやるので、刑法でしないことによつておのずからそこに水が或る程度まで穏やかに流れることになるので、やはりこうした法律があつたほうがいいのであろうと思います。併し心配をいたしますのは、とにかく私どもにいろいろなお客様が議論にやつて来られるのでありますが、皆この法律に虞れを抱いておられる。治安維持法と同じような目に会うのであろうということを慮れを抱いておられるので、法律それ自体が一様に見ることができないのであるばかりでなしに、時勢が又然るのであるから、そういう心配はないと思いますけれども、併し世の中のことを知らない私でございますから、お役所だからどうなるかわからんと、こうおつしやれば、私としてはそれ以上のことを議論する力はございません。やはり国会は世の中の事情をよく御覧下さいまして、おきめ願うより仕方がないことかと思います。 テクニカルな点からは一、二のものがございます。これは非常に細かいことでございますけれども、細かい議論でございますけれども、例えば扇動の文字、扇動の文字がどういうつもりで立案者によつて用いられておるかということをよく一つ、実は立案者の気持を伺うのでないとわかりませんですが、これは一種の特別の用いかたであるように思います。扇動というものは、我が国の政治としては、治安警察法及び新聞紙法、これは明治時代における法律で、私が心得ておるのでは一番早く出たものでありますが、特殊の意味があるのであります。この扇動ということはフランス語のプロボカシヨン、ドイツ語のアウフフオルデルングという言葉に該当するものでありましよう。これは語学上定義があるのですが、こういう法律で「教唆又はせん動」というのは、私は心得ておりません。これはテクニカルの意味において何かお考えを願わにやなるまいと思います。それから内乱罪の例えば規定のところで、予備、陰謀の教唆というものを認めておる。又扇動、これは私にもよくわかりません。予備、陰謀の教唆というようなことは、刑法の学問の上から考えられないほど骨が折れます。内乱罪の教唆を持つたことが予備、陰謀か、或いは予備、陰謀を教唆したというのか、これも立法としては今まで心得ておりません、こういうものは。まあそういうような点、その他テクニカルのものについては、ちよいちよい気付いた点があるのですが、そういうものについてもう少し整理をして下さつたらどうか。そういうテクニカルのものについて整理をいたしますれば、おのずからこの法律が世の中の疑いを受けるようなことのないようにできはしないかと思いますが、併しとにかく、今は疑いを以て見られておる法律でありますから、こういうものを、やや不完全と私は思いまするこの構成の下に、とり急いで法律になさる必要があるかないか、これは一つよくお考えを願いたいので、先ほども申上げました通り、メーデーの事件を法律においてやるというとどうなるかと申しますと、私はよくわかりません、どういうふうにやるか。それから団体ということが、これもわかつておるように書いてありまするが、もぐつた団体というものを目当てにした場合には、この法律は一体どういうふうに動くものでしようかというようなことについても、多少まだよく腑に落ちません。団体として明らかなものしか相手にできんようなわけでしようかな。そういうような点について、若干のテクニカルの疑いを持つておりますが、そのテクニカルの点については、純粋の法律家がもう少し詮議する必要があろうと思います。そうしてその上で、なお一体世の中の疑惑を免れないものであるかどうかということは、一つ法律家として、その上で伺つてみたいものであると思います。結局こういう法律ができるであろうということは、予期せねばならんことでありましようけれども、いま少しこのままで、この法律をものにしなければならんかどうかということについては、私は今のところお考えの余地が十分にあると、こう思います制度であります。 何か委員皆様のお立場で御質問を頂きますれば、それについてだんだんに多少考えて来たことを申上げることにいたしたいと思います。
○委員長(小野義夫君) 只今牧野博士の公述に対して御質疑のあるかたは順次御発言を願います。
○内村清次君 ちよつとお尋ねしますが、只今の御公述の中に、公安審査委員の選定を、これは国会が責任を持つて、そうして選定をすれば、この案としては審査委員会というものが相当スムースに動くだろうと、まあこういう意味の公述をなされておるようでありますが、これは又国会の立場もいろいろ内部事情もございます。ただ問題は、この審査委員会の権限というものが、これは法案にもはつきり出ておりますととは御承知でありましよう。ただ私どもが心配いたしますことは、こういう行政的な裁判というものが新憲法においての司法の裁判権をこれを侵害していはしないかと、こういう一点が私たちは心配しておるわけでございますが、こういう点についての御意見はどういうことでございましようか。
○公述人(牧野英一君) 御尤もです。そういうことになりまするというと、この問題ばかりでなしに、司法権が活動する前に、行政的と申しまするか、いろいろな機関を使うということはだんだん発達しておるわけですが、私ども日常扱いまする中でも、最も顯著なるものは調停法でございますが、司法権に附随するところの一つの今まで欠点とせられておるものは、先ず時間を必要とするということ、それから事柄の裁量がとかく、何と申しまするか、理窟に陷る。私の、牧野が作つた言葉で言いますと、具体的妥当性を発揮することがどうも骨が折れる。けれども司法官といえども具体的妥当性を十分心得なければならんということで、民法第一條の第二項というものが新たにできておる。信義誠実の原則というものが明らかにせられたわけでありますが、少くとも差当り問題が起るのは時間の問題です。結局御承知の通り民事の、今までの我々の生活で言いますれば、訴訟を起すよりも調停で片をつけたほうがまあ結構だ、望ましいというようなことになり勝ちになり、全体の法律もそれを奨励しておるわけでありますが、結局は裁判所に持ち出さなければならんことにしても、一先ずそういう簡便な方法を取るということが、いろいろな方面に最近法律で認められておるわけであります。これもその一つの現われで、直接に裁判権にやらせるよりも、一先ずこれでやつたほうがよかろうということで、必らずしもこの司法権に対する侵害というわけでもなかろうと思います。私ども職務上扱つておりますことに、私は郵政省の郵便貯金年金に関する審査委員会というものを扱つておりますが、訴訟を起す前には、必らず我々の審査委員会の裁決を経なければなりません。これは実際において裁判所にかかつたよりも早く、そうしてまあ当事者の満足を得られるような解決を得ることができたであろうと、私も二十年ほどその委員を務めておりまして信じておりますが、そういうわけで、こういう委員会を設けるということは、世界的にいつて一つの趨勢であろうと思います。けれどもこれが、この問題について具体的に適切な制度になつておるかどうかということになれば、適切であると私は申上げるつもりはございません。けれども事物全体としては、こういうことを先ずこういう行政的な機関でやらせるがいいか、或いはやはり裁判所にやらせるがいいかということは、おのずから時の宜しきに従つて決定を願うべき事柄でございますので、理論上この司法権を、何と申しますか、軽んずるとか、侵害するとかということにはならんと思います。
○片岡文重君 ちよつと先生に教えて頂きたいのですが、先ほど団体の意義が不明であるというような御意見から、もぐりの団体にどう適用するかというようなことをおつしやられたように存じますけれども、この新憲法の下で保障せられておりまする団体の意義というものは、それが届出をされ、或いは法人格を持つ持たないにかかわらず、二人以上の共同目的を持つ団体といいますか、集りであるならば、それを届出の有無にかかわらず、如何にかかわらず、一応団体と考えるということはこの場合どういうものであろうかということを、一つはつきり教えて頂きたいと思います。
○公述人(牧野英一君) そこで結局団体というものの範囲がどういうふうにきまるかということが一つの問題でしよう。そこできまつたとして、もぐりをどういうふうに扱うかということが、この法律には手続がはつきりしておらないわけです。そこで私は先ほど申上げました通り、メーデーの騒ぎを思い出しまして、この法律を以ては動かんのじやないかと、こう思つております。メーデーにしろ、こういう法律が必要である、こういう議論はまだ私は得心ができないのです。ですからただ世の中にわかつておる団体についての法律であつて、メーデーのような騒ぎには、どうも今のところ何ともいたしかたのない法律であるということを考えて、この法律を批評しなければならんのじやないかと、こう思うのです。それだけの心配を申上げた趣旨です。
○片岡文重君 私のお尋ねしたいのは、簡便に申上げますと、一体もぐりの団体とはどういう団体であるかということです。
○公述人(牧野英一君) そういうものがあるのじやないですか。それはやはり例えばメーデ―で言いましよう。メーデーというものは、立派にこの法律がメーデの当日に有効であつたとするならば、この法律によつて何かやれるようなふうになるのですか。何かそういう団体があつたのですか。ところが何かあつたと新聞には書いてある。私は新聞しか知りませんよ。何か団体があつたらしいが、その団体がどこに何があるか、雲を掴むようなふうに理解しておりますので、そういうときにこの法律はそれを見つけて行くことができないと、こう思いますが、どうでしようか。
○岡部常君 先生に伺いたいのですが、先ほどの御説明で、本法案が団体規制を主眼としておるということをおつしやいまして、又政府も、提案者のほうもそういう説明でありました。が近代の社会情勢を見ますと、この団体活動というものが相当重要な働きをしておるように思います。又この団体による力というものが極めて顕著な社会時相の現れとなつておるように思います。これにつきまして各国の立法の有様或いは学者のお考えというようなものは大体どんなふうに傾向ずけられておるのですか、それを承わりたい。
○公述人(牧野英一君) その点を少しでも書物を見たいと思つたのですが、どうもその点について、まだ何にも調査ができておりません。ただやはりこの刑罰法規の範囲内においては、各個人を捉えて論ずる、こういうことになつております。それぞれドイツでもフランスでも扇動に関する法規があります。のみならず団体に加入しているということを、それ自体を以て犯罪とするという例もありまするので、犯罪を犯すことを目的として団体を作つてその中に加入しておれば、それだけで刑法の適用を受けることになります。アメリカでは昔この点を問題にしている論文を読んだことがありますが、大陸ではそのアメリカの論文を支持するのがいろいろあります。大陸では前から、フランス刑法にもドイツ刑法にもあります。その程度です。団体そのものをどういうふうに扱つているかということについては、これは刑法にはないので、やはり行政法のほうですが、十分この調査のまだ手が届いておりません。
○羽仁五郎君 牧野先生の御意見の結論は、この法律には幾多の疑問があり、専門的にそれらの点を是正し、然る後に世論に問うて、そうして世論の疑い或いは恐怖しているところがそれぞれ除かれるかどうかというような措置をとるべきである。今急いでこのままの形でこういう法律案を通すということには賛成しがたいというような御意見であつたように伺うのでありますが、そのようでございましようか。その点をはつきり伺つておきたいと思います。
○公述人(牧野英一君) その通りでございます。先ほども申上げました通り、私は実際の事情を知りません。そうして例えばメーデーのようなことでもこの法律ではやはり駄目なんです。そう思えば、この法律は必ずしも現在の緊急なる必要に応ずるにはちよつと役に立たんところがあるのじやないか。と同時に、あまりにも世の中の人に心配をかけて疑惑を抱かせていると思う。私どもその疑惑が相当に誤解ではないかと思われる点がありますのですが、そういうかたがたとよく討論してみたら、向うのかたに納得の行くことのできる点が多いと思います。ともかくもそういうときに、私どもの眼から見て若干の技術的な不備の点がありはしないかと思いますので、実は先ずこういうものは、世の中の事情か許せば、私はもう少し研究をして頂きたいと思います。例えば一、二例を申上げましよう。先ほどの扇動という言葉ですが、どういうつもりで扇動という言葉を用いているか、それは治安警察法と、それから新聞紙法のことを申しましたが、その次には終戰後の法律では、税法に関してあります。租税の不納を扇動した者、それから食糧の何か統制に関する法律の中に、供出をしないことを扇動した者、そういう法律の扇動というものは何を考えた意味か。扇動という言葉は相当に始末の悪い言葉なんです。それから法律によつては、扇動又は誘惑という言葉があります。それでこれは一つ立案者に御質問下さればわかるので、私の思慮の至らぬところかも知れませんが、扇動という言葉を使われるときには、もう少しお考えを願わねばなるまいと思うのです。普通扇動という場合には、結果を論じないでやる場合でありますが、例えば新聞紙に扇動的の文字を用いれば、その結果がどうなろうと、それだけで犯罪になるという意味のものですが、結果が出たらどうするか。結果が出たらどうするかという問題が起つて来るのであります。そういう問題については、ヨーロツパの法律には、やはり扇動は教唆の一つの方法として規定してあります。教唆です。ところがこの法律で見ますと、教唆をした結果が現われれば教唆の規定に従うが、扇動のときにはどうするかというと書いてない。そうかというと、片方では教唆又は扇動で結果が現われたときの規定がどこかにあります。ちよつとその点は不備だと思う。立案者のほうには、牧野の誤解であつて論理的に見ればわかるという説明があるかも知れませんが、この扇動という言葉は、相当に私どもは刑法の講義をするときにも骨の折れる言葉で、牧野は牧野として、自分だけの考えを持つておりますが、併しヨーロツパの言葉で扇動に当るものとしては、例えば新聞紙法から言いますと、日本の元の新聞紙法の扇動を、ヨーロツパの語法で、フランスのプレスの法律でどうであるかと言えば、フランス語のプロボカシヨン、ドイツ語のアウフフオルデルングという言葉が使つてある。そういう立場から言うと、「教唆又はせん動」というこの法律の言葉は意味をなさない。何とか整理を要するところであると思う。どういうふうに立案したらいいかということについて、この間若い連中と随分意見を交換してみましたけれども、とにかく「教唆又はせん動」という言葉はおかしいし、殊に結果が現われた場合の教唆だけは書いてあるが、扇動は書いてないというような細かいところ、これは不備ではないかと私は思うのですが、当局のほうでは不備ではないという説明があるかも知れませんが、とにかくそういうところは殊に扇動という文字がえらく世の中の何と言いますか、心配の種になつておるので、もう少しこれは整理してみたらと、こう思います。そういうような意味のところが例えば第二條などでも、「必要且つ相当な限度」と、必要にして十分ということは、我々はお互いに論理的にわかるが、必要にして相当なというのは私にわからないのですがね。これなども立案者のほうには何か意義がわかつて書かれたんでしようが、「必要にして且つ相当」というようなことはよくわかりません。 それから第三番目には、予備、陰謀、教唆、これは刑法論上意味をなしません。このことは、三十七條、三十八條に、教唆、扇動ということを書いてあるが、 〔委員長退席、理事伊藤修君委員長席に着く〕 どういう意味か私にはわかりませんのです。予備、陰謀というものは犯罪のノルマルの形態ではないので、予備、陰謀を扇動したということはあるが、内乱を扇動したけれども、予備、陰謀にとどまつたときにはどうなるか、こういう問題になりますので、その辺がどうも、これでいいものかどうかということを疑うのです。 それから公務執行妨害罪というものは、ちよつと私心得違いをしておるかも知れませんが、未遂を罰しておらない、公務執行妨害罪には。ところがこれには未遂が入つておる。妙な所に未遂が出て来る。これなども我々は整理していないと思う。不整理だと思う。私は今日入歯が悪いので、発音が余りはつきりしないが、整理していないと思う。そういうのは我々が、法律家が楊枝で重箱の隅をつつついてやつておる仕事であるが、そういう所はもう少し考慮していいと思う所があるのですがね。それで結局「継続又は反覆」というような言葉がありますが、これなども継続又は反覆して将来更にやるということになりますと、継続と反覆の区別はどこにあるか。これは政府の説明にも見えておりますが、継続でもなく、反覆でもないということがありはしないか。むしろ簡單に、将来更にやるということでいいのじやないかと私は思います。又こういうようなことも整理の要点です。それから「団体とは、特定の共同目的」という言葉が出て来る。これも私は疑いを持つております。それから「団体の支部、分会その他の下部組織も、この要件に該当する」、この要件というものはどういうことであるか。法律的に議論をして行くとどういうことになるかということについて私は疑いを持つております。 それから四條のお終いのところに、「訴訟に通常必要とされる行為をすること」とありますが、「必要とされる」ということは、「必要な」という意味とどのくらい違うか。 次に未遂に関する第六條の二号ですね。「実行に着手してこれを遂げず」という、それから第九條のところに、公安調査庁長官にその顛末を届け出るというときに、「前項の財産整理が終了したときは、」前項とありまするのは第二項だけであつて、一項については、法人は解散するということだけにしてあるが、これで一体いいのかどうかということなども疑いを持つております。 それからもぐりの団体についてはどうするかということが十一條あたりで問題になりますが、団体に対して云々という、この団体に対するという意味がどういう形でどういうふうになるのか、こういうようなところがもう少し整理を要する事項ではないかと私、思うのですが、どうか一つ当局のほうの弁明を伺つて下さいませんか。当局のほうにはこれでいいという何か……。私それを内訳を書いたものを今朝寝坊をしなかつたのですが、汽車を急いだために忘れて来ました。机の上に……。先ほどの教唆と扇動に関する疑いの、四十條あたりに、「この法律に定める教唆の規定は、教唆された者が教唆に係る犯罪を実行したときは」と、扇動の規定は、扇動されたものが扇動に係る犯罪を実行したときにはどうするかということが抜けている。この区別はどうなるか。ところがどこかに、例えば第六條の第二号のお終いのところの「人を教唆し、若しくはせん動して、これを行わせた団体」とありますが、この場合には教唆によつて行なつた場合のほかに、扇動して行なつたということが予定してあるのです。そのあとには抜けておりますが、そういうようなことが何か……。それから第六條第三号が果して必要なものかどうかということについて、私は疑いを持ちますが、三号は一号、二号の中へ入つていると思うのです。第四條第一項の処分を受け、更に団体の活動として暴力主義的破壊活動を行なつた団体、併し一、二でも暴力主義的破壊活動を行なつたものがあることになつているのですから、これでいいのじやないかと思いますが、どういうことになりますか。 それから第三十七條の二項の、「第七十八條若しくは第七十九條の罪の教唆若しくはせん動をなした者」七十九條の罪の扇動というのは、刑法論からいうと余ほどおかしいことになりやしないかと思うのです。「その実現の正当性若しくは必要性を主張した文書若しくは図面」という問題でありますが、そこに「容易ならしめるため」とありますから大分明らかですけれども、こういうときには、「ため」よりもむしろ「容易ならしめる目的を以て」とか何とかして、内容を明らかにする言葉を使いますれば、余ほど読む人が安心するだろうと思うのです。同じことですが、理窟を言えば……。けれども、「ため」ということになりますと弱い。弱いというのは刑法の運用におきまして、目的でやる場合と、そういう事実が発生するということを知つておるという場合と二つあるわけですね。例えば横領罪の問題について申しますと、判例にあるのですが、言葉が弱いというと、目的はないけれども、そういうことになるということを事前に知つておれば、それだけで犯罪になるという、我々の言葉でいうと、目的王義と認識主義ということを申しますが、認識はあつたけれども目的がないということは随分あるのです。ところが判例によりますと、言葉が弱いために、目的と規定してあるものを認識と解釈する大衆の態度が非常に濃厚だ、そこでこの文字を読むと、歴史の先生が心配されている。世界の進歩というものは革命によるということを自分は歴史で教えておるのだが、それがあぶないことになる、こういうふうな心配があります。これは一つの歴史的観察として理由のあることだと思います。それが「ため」ということになると、そういうものも入る虞れがあるわけです。せめて「目的を以て」というふうに書いておいて頂くと、そういうようなときの無用な誤解を防ぐのではないか、こういうことが御参考になるかどうか。こういうような場合にはもう少しはつきりと、要件を力強い言葉を用いて書いておけば間違いがないと思うのであります。それは私ども長年法令の立案に従事したものはできるだけ注意して、言葉を詮索するのですが、今の当局に御註文なされば、やはり相当いい言葉を発明しやしないかと思います。こういうところにやや、何と申しますか、不用意なものがありやしないかと思います。
○吉田法晴君 牧野先生にお願いをしたいのですが、折角御用意を願つた書物をですね……。
○公述人(牧野英一君) メモです。
○吉田法晴君 メモでも結構ですが、メモをお忘れになつたということで今大分述べて頂いたのですが、できれば若し落ちておつたりいたしますれば、それを頂く方法はないものか、委員長から一つ。
○公述人(牧野英一君) 心得ました。併し何ですね。今日はすぐ家へ帰るわけに行きませんので、午後には田中館先生の葬式があります。それから明日のうちにでも整頓しまして、今そのものをすぐお目にかけるのでは、とてもそれは御納得願えるようなものでもないのです。單純なメモですから、大至急整頓をして、御参考までに事務局まで出しておくということでよろしければいたします。
○理事(伊藤修君) 特に法文の欠点及び誤り、そういう点の指摘をお願いいたしたいと思います。
○公述人(牧野英一君) ここでべらべら申してもうるさい問題ですし、極くテクニカルなものですから、整頓して差出します。
○羽仁五郎君 さつきの点と、もう一つ牧野先生の教えを願いたいと思いますことがございますが、それは治安維持法よりもこのほうが或いは少し明確になつておるんじやないかというふうに教えて頂いたのでありますが、その点で私がこういう疑問を抱くのであります。 それは治安維治法のほうは、当時国体、それから私有財産ということで、先ず国民の大多数の人が、国体を変革し、或いは私有財産制を否定するということについて、それが罪であるというような考え方をしていたように思うんであります。従つてそれに対する刑罰というものに対して、まあ幾分国民がこれに服し、従つてこれを改めるという場合もあり得たかと思うのですけれども、併しその点も私は非常に疑問だと思いますけれども、併しこの破防法になりますというと、御覧下さいましたように、第三條に、「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため」という言葉がございます。この「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため」ということになりますと、随分広いことになりはしないか。これが第一点であります。 第二点は「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する」、即ち政治家が自己の主義主張というものを実現するために……。
○理事(伊藤修君) 羽仁さんに御注意申しますが、議論は避けて頂いて、質問の要点だけを……。あとの御質疑がありますから。
○羽仁五郎君 政治上の主義主張というものを以て立つておる以上は、どうしてもこれを貫徹しようということになつて、万策盡きました場合には、或いは誤つて、御承知のように武器をとつてその政治上の主義というものを実現しなければならないというようなことが実際上ままございますが、それをこの法律が取締ろうとする場合に、これが果してその目的を達するか、先ほど御説明下さいましたように、メーデーの騒擾というようなものも取締ることができない。目に立つた団体を呼び出すこともできないし、解散を言渡すこともできない。そういたしますと、今のような政治上という非常に広い目的を以てさまざまな団体がこの法律によつて地下にもぐつてしまいやしないか。そうしますというと、これを追つかけて、政府は恐らく次の法律案なり何なりを出して特審局というものを拡大する。秘密警察を拡大する。機密費を要求する。機密費を拡大する。そういうことになりはしないか。即ちこの法律はその目的を果せず、却つて秘密警察を拡大し、機密費を拡大する慮れがないかということを心配いたすのでありますが、先生のお考えでは、その点についてはどんなふうにお考えになつておりますか、教えて頂きたいと思うのであります。
○公述人(牧野英一君) 今の御疑問に対して、私はすぐお答えをするだけの見識はございませんけれども、併し今の「政治上の主義若しくは施策」というふうな、それだけはぼんやりしておりまするが、併しイからリまで並べてあるのは具体的に刑法できまつておる犯罪行為ですからね、この法律でとつちめる行為は、例えば治安維持法で国体変革を考えた団体に加入したものはというようなのとは違いまして、政治上の動機によるかくのごとき犯罪ということであつて、この点は私は、大変文士諸君も心配せられて来たかたもありますけれども、この法律としては、この程度で私も相当はつきりしておると思うのです。これは人権蹂躙の理由にはなるまいと思いますね。乱用されれば別ですが、真つ直ぐに裁判所の立場からみればあやふやな点は先ずないと、こう言つてよかろうと思います。もとよりこれが政治上の争いかどうかという点については疑いを生ずる場合もありますけれども、ともかく「政治上の」という言葉をもう少し明らかにするために、こういう長い文字を使つただけで、政治上の目的に出ずるところの殺人、政治上の目的に出ずるところの放火、こういう規定でありますので、法の目的は殺人、放火にあるのですから、この点はこれで明らかなのじやないかと思います。
○羽仁五郎君 もう一つ……。
○理事(伊藤修君) 余り意見と同じような形式になりますと、とても果てしがつきませんから、御意見は抜きにして、質問の要点だけにして下さい。
○羽仁五郎君 今お伺いいたしました後段の、この法律によつて団体が潜行してしまい、従つてその潜行した団体を追つかけて秘密警察、機密費が拡大することがないかという点についてはどうお考えになりますか。
○公述人(牧野英一君) これは私の専門としておる学問の範囲外のことでありまして、現在の警察にどのくらい心配な点があるかということになりますので、私としてはどうもイエスともノーとも申上げるだけの調査もしておりませんし、従つて意見もございません。けれども治安維持法当時の状況とは全く趣きを異にしておることと、そうしてどこまでも国会が干興して、委員会が事をきめるのであるから、これで先ず普通に考える程度の保障はできておると考えるのです。けれども末端のものが乱用するということになりますれば、これは何としても私としては申上げることができません。力がありません。
○羽仁五郎君 その次に教えて頂きたいのは、この法律で、政治団体或いは言論機関或いは労働組合、そういうものの中に暴力主義的な活動をするものがあつた場合に、これを防ぐのが目的だと政府が説明しておるのでありますが、この点で教えて頂きたいのは、政治団体に対しては政治団体が闘うのが一番有効ではないか。又労働組合の中に破壊分子があつた場合に、労働組合のことをよく知つておる労働組合内部の闘いのほうが有効ではないか。又新聞の中に破壊的な言論をなすものがある場合には、他の言論を以てこれと闘うのが一番有効ではないか。然るにそのいとまを與えないでそれを解散してしまう。或いは刑罰によつて抑えつけてしまう。そういたしますと、国民の目の前では、そういう言論或いはそういう政党或いはそういう労働組合が果してどういう理由があつていけないのか、どういう理由でいけないのかということがわからないのではないかと思うのであります。その点について先生はどんなふうに御覧になつておいでになりましようか、教えて頂きたい。
○公述人(牧野英一君) そこに公安審査委員会の要点があるのでありまするので、公安審査委員会というのは單に法律を適用するなどというような形式的なものではないので、世の中の事情のわかつておる人に、そういう問題についてはオーソリテイとして尊敬すべき人が任命されることになるわけのものと期待しております。従つてそういう人がやることですから、内輪で解決できるものは内輪で解決するようにおのずから然るべく取計らわれるに違いないので、それを信用しないということになると、この法律は法律として意味をなさん。この公安審査委員会の、私が読みましたところにおきましては、やはり信用して行きたいと思います。それについてはどこまでも国会がそれだけの気力を持つて、責任を持つてもらいたいと思います。
○一松定吉君 ちよつと伺いますが、先生は我が国における憲法の権威者であらせられる。ところが我が国において現に行われておるこの刑法には共犯という規定があつて、而してその共犯はいわゆる実行正犯、教唆正犯並びに従犯、並びに従犯の従犯、こういうことが規定されておつて、扇動という文字は刑法ではどこにも規定はないのです。それから予備、陰謀を罰するやつは内乱罪に関する七十八條に規定がある。ところが扇動というような文字は刑法の中にはそういう犯罪がない。それがないにかかわらず、この刑法の運用が旧刑法の時にずつと支障なく運用されておる。そういうように扇動という文字がなくてもこれが支障なく運用されておつたということについて、やはり扇動というものがなければいけないのだというお考えがおありになるのでしようか、どうでしようか、それを一つ。
○公述人(牧野英一君) 刑法の範囲内においては扇動という言葉は必要がございません。にもかかわらず、例えば刑法に扇動という言葉を用いておるフランス刑法のごときは、扇動を教唆の一つの方法として挙げております。そういうわけですから、若しこれが何と申しますか、教唆又は扇動して実行せしめたるもの、行わせたものという言葉がありますね、そういうときには扇動という言葉は要らんわけです。教唆して実行せしめたものでいい。扇動という言葉があるということがわからない。ところが例えば税法違反の法令に租税不納を扇動したものというのがありますが、そういう場合には租税不納ということは犯罪でない、それだけでは。併しそれを扇動すると犯罪になる。こういう意味でその扇動ということが特別な意味を持つわけですから、扇動の場合に、例えば前の新聞紙法の問題で申しますれば、人殺しを扇動したことによつて新聞紙を罰するというような場合に、人殺しの教唆というものではなくて、扇動したものである。新聞紙は人殺しという、我々の言葉で言うと、事実についての認識はないので、人を扇動して殺人の意思を生ぜしめて、その者が鉄砲を撃とうとする、そのときに抱きとめた。そのときは扇動しただけであります。そういう微妙な差異です。刑法の範囲内においては扇動という言葉を使う必要はございませんので、併し扇動というようなことをとつちめたいということになれば、扇動、誘惑その他の方法を以て教唆したるもの、こういうふうにやればわかりよいと思います。
○一松定吉君 刑法において扇動という文字を使う必要はないというあなたのお説よくわかりますが、それはどういうわけなんですか。刑法において扇動という文字を使う必要のないわけは。
○公述人(牧野英一君) それは扇動というように感情を刺激する方法でなくても、やはり理窟を言つておのずから犯罪をやらせる場合もありますので、ただフランスでは何々のごとき扇動の方法、又はかくかくの方法を以て教唆したるものは、とこう書いてある。扇動は教唆の一つの方法なんです。
○一松定吉君 よくわかりました。然らばいわゆる破防法の主とする目的としておるところは、第三條に規定しておることなんですが、これはいわゆる内乱、内乱の予備、陰謀、内乱の幇助、それからその次には刑法の第百六條騒擾に関する規定、それから刑法の第百八條の現住建造物放火、非現住建造物放火、激発物破裂、汽車、電車等往来危険に規定する行為、汽車、電車等の顛覆等、殺人、強盗、これは皆刑法において処罰しておる。こういうものであつて、これがすでに刑法において規定せられて今日まで支障がなかつたのであれば、特にこういうものに対して扇動という文字を使つて、そうしてその範囲を拡げなければならん必要があるでしようか、如何でしようか、その点を一つ。
○公述人(牧野英一君) これは学説の分れるところでございまして、私どもは扇動すれば扇動しただけですでに未遂罪が成立しておるという意見でございまするけれども、我が国ではそういう意見はまだ通つておりません。扇動とか教唆とかいうことは予備行為以前のものである。予備行為以上のものがなければ教唆というものを罰することができんからというところから、この法律は我が国の通説に基いて教唆行為そのままで罰するという趣旨でできた。ところが教唆ということでは世の中の人にぴんと来ないという考えで扇動というものを附加えたのではないかと、ひそかに私は推察をいたしております。それで或る意味においては私の学説を採用して、教唆を教唆として罰するという立場をとつておるけれども、それでは肝腎な点についての了解を全うできないから教唆のほかに扇動があるかのことく書いたので、そこにちよつと混乱があるのじやないかと、こう私は推察しております。先ほど申しまする通り、是非とも扇動が要るならば、扇動ばかりではございません、誘惑という問題があるのです。物を呉れるという方法で火つけをさせるというような場合に扇動、誘惑……くらいですね、日本の法規の例では。フランスなどはもつと細かく三つ、四つの例が出ておりますがね。是非扇動が要るとすれば、扇動、誘惑、その他の方法を以て教唆するとすればいいだろうと思います。それをとつちめるのがこの法律の趣旨でございますから。
○一松定吉君 今ここに破防法において制裁を加えておる行為はその殆んど大部分が刑法において制裁を加えておる行為です。而して刑法において扇動というような文字を使わなくて、教唆という文字を使つておつて事足りるということは、今日まで長い間刑法の規定が運用されておつて支障がなかつた。然るに今回扇動という文字を使つてしなければ取締ができないというようなことになるとするならば、その根本法である刑法において同じく扇動という文字を入れなければ取締できんということに帰着しなければならん。大体今先生のおつしやるように、扇動という文字は使わなくても今日共犯の規定のいわゆる教唆という問題において十分に取調べができると思うのです。扇動という文字を使うがために国民は非常に不安を感じる。そういうようなことであれば、扇動は使わなくてもこの刑法の共犯という規定において立派にこれは運用ができるというお考えであるでありましようか。その辺如何でありましようか。
○公述人(牧野英一君) 私はやはり大体において刑法の規定で動くはずのものと思つております。けれども、この法律によつて初めて罰せられることになるものが若干ありまするのが一つと、こういう法律を新たにこしらうことによつて、世の中の人の意識を新たにするということの可能があるわけであります。そういう説も余ほどあるのじやないかと思います。不幸にして扇動という言葉が不安を抱かしめるに至つたということは甚だ遺憾なことでございまして、これは私は修正の余地のある、考慮の余地のある、つまり立法技術の上で考えてみて何か方法があろうと、こう思つております。
○一松定吉君 そのいわゆる世間の人に非常に不安を抱かせるということは我々も同じく考えておるのでありますが、刑法の大家であらせられるあなたが、この扇動というような不安を與えるようなことをせずして、何か法律上立法技術があるだろうというその立法技術があるだろうということを一つ御説明願いたい。扇動という文字、そういう不安を国民に與えるような文字を使わなくても、ほかに立法技術でいい方法があろうと考えるという、それを一つ御発表して頂きたい。
○公述人(牧野英一君) 私は実はその成案がないのですがね……。扇動ではおかしいというので最近の法律はあおるという文字を使つております。御承知の通りあれは国家公務員法が初めてでございますが、これが初めでございまして、どういうわけで扇動という言葉を必要とするかということを立法当局に聞いてみたいと思う。どういう場合にこの言葉が要るか、そうすると、私は成るほどそれは教唆のほかに扇動が要ると、まあこういうことになると思いますが、私が理解しておるところでは教唆だけでたくさんです。
○一松定吉君 そこであなたの言う扇動という文字を使うことによつて取締のできないものが取締れるのが二つほどあるという御意見でありましたが、それはどういうものでしよう。扇動という文字を入れなければ取締れないが、入れることによつて取締れるという事例ですね。
○公述人(牧野英一君) それは……。
○一松定吉君 この破壊活動防止法に扇動という文字を入れなければ取締れないことがあるのだ、だからこれを入れて、そういう取締れないものを取締るものであろうというお話が今あつたように思うのです。
○公述人(牧野英一君) それは私の言い方が惡うございました。教唆とあればそれだけでいいので、特に扇動という言葉をつけねばならんということはどういうわけかということについて疑いを持つておりますが、この法律で、刑法ではできないものをこの法律でやることができるのは、例えばこの差当りすぐ目につくのは「リ」ですがね。「リ」に関するものなどは教唆だけでは犯罪になりませんです。こういうものは教唆だけでは犯罪になりませんから、それで結局当局は教唆だけでは足らんと思つたから扇動を入れる、こういうことになります。教唆だけでたくさんです、これは。
○一松定吉君 お言葉を返すようですが、「リ」に関するこの「検察若しくは警察の職務を行い、」云々、これでしようね。然らばこれは「拘禁された者を看守し、若しくは護送する者又はこの法律の規定により調査に従事する者に対し、凶器又は毒劇物を携え、多衆共同してなす刑法第九十五條(公務執行妨害、職務強要)」に関する規則をなすのですからして、やはり教唆で行けばしませんか。
○公述人(牧野英一君) 教唆だけでたくさんです。
○一松定吉君 教唆だけでたくさんです……そうすると結局扇動という文字は要り用はないのだ。こういう御解釈ですか……わかりました。結構です。
○理事(伊藤修君) お忙しいところを有難うございました。まだお尋ねしたいかたがたくさんあろうと思いますけれども、あとの公述がありますから、公述の範囲においてその疑義を質すということにしてお願いいたしまして、ほかの質疑にまで及んで頂きますと、到底一日で済みませんですから……。次に金森徳次郎君。
○公述人(金森徳次郎君) 破壊活動防止法案その他これに関係するものを一応私は読んでみましたが、誠におはずかしい次第でありますが、かような専門的な問題につきましては、私は格別細かいところまで踏み込むだけの能力を持つておりません。従つて大体の観察について、その現われておるところの事柄の是非について所見を申上げたいと思うのでありますが、世間いろいろの議論もありまして、従つてこれに応ずるために論点を二つに分けまして、第一は、一般的にかような法律を出すことの必要があるか、これが第一点であります。第二点は、かくのごとき法律を出すことに伴つて、仮に原則的には是認せられ得るにしても、個別的にいろいろ考慮すべき点があるのではないかという点であります。 先ず第一の、かような法律を出すことの政治的の必要があるかどうかということにつきましては、残念ながら現代の世相は何らかの新らしき法律制度を必要とする情勢にあるのじやないか。何かかようなものがない限りは、一般国民は社会の実情に対して疑惧の念を持つ可能性があるように考えますから、暴力を以て社会の秩序を破壊せんとする近頃の新らしい行動振りに対して特殊な防止法が出ることは、終局の秩序維持としては実は残念なことでありますけれども、当局の処置としては、或いは止むを得ないものがあると思うのであります。 併し第二の点に移りまして、かような法律ができますると、その当面の目的を超えて、必要欠くべからざる範囲を超えて、他の諸制度に多くの影響を及ぼす嫌いがありまして、その点について私ども若干の疑いの念を持つておるのでございます。一番根本的な問題は、この法律が比較的自由であるべきことを要求せられておるところの言論及び意見の発表についての自由を制限することであります。大体従来のいろいろなまあこれに似たような形のものを見て行きますると、当局者は成るべく網羅的に秩序違反のものをコントロールの下に置こうとする熱情のあまり、遂に向う見ずと申しますか、その行くところの弊害を察せずして、規定の範囲を精密ならしめる心配もありまするし、又仮に立法者が相当の注意をいたしましても、これが実際その法律を運用する人々に流れて行きますときに、特殊のその激しさが強化されまして、国民のために禍いを生ずることがあり、又一時そういう行き方で都合がいいと思われる点があるにしても、長い目で見ますれば、それがために回復し得べからざる欠点を露呈することもあつたような気がいたします。 ここに私は特に言いたいのです。教唆とか扇動とかというものが漠然として範囲が広過ぎて困るということの論も聞いておりまするが、私は専門家でございませんので、どうしても扇動というものがあるとあいまいになるかどうかということについては確たる意見もございませんが、そういう点を離れて一番気になりますのは、原案の第三条の「口」の中にありまする、原案のほうで言うのでありまするが、「この号イに規定する行為の実現を容易ならしめるため、その実現の正当性若しくは必要性を主張した文書若しくは図画を印刷し、頒布し、公然掲示し、若しくは頒布し若しくは公然掲示する目的はもつて所持すること。」 という文書に対する一連の規定であります。我々はこの法律原案の第二條におきまして、思想、信教、学問の自由を不当に制限することがあつてはならないということが調査の関係において言われておりまするけれども、法律自身が人間の思想及び学問の自由に対して行き過ぎた強制手段をとつているのではないかという疑惑に駆られるのであります。一体言論というものは直接に社会の秩序を乱すことのないものでありまして、実行行為は社会に対して大きな取り返しのできない破綻を生ずる危険性がありまするからして、これに対しては嚴密に制限をしなければなりませんけれども、併し思想というものは結局いろいろ惑い歩いて後に、最後の正しいところに行く系統のものでありまするから、その中間の時期の或る思想をとらえて、これがあたかも終局的なものであるような判断を下すことも悪いし、又そういう風習がつきますると、ほかの線においても正しい思想を述べないで黙つている、卑屈になつてしまう。この結果人類のあるべき本当 の進歩をとめてしまうという可能性があるような気もいたします、ここに原案のロ号にありまするところは、或る種の行為の実現を容易ならしめるためという一つの言葉はくつついておりまするけれども、その文書、図画等に特に容易ならしめるためという特色が現われているわけでもございませんので、大体ここのところをどうやつて結び付けるかということが甚だ困難であり、そのためである文書と、そのためではない文書とが同じところに雑然としておりますときに、これを区別することも殆んど不可能なものでありまして、ものそれ自身に特色のないものを任意に目的に従つて二つに分けて、一方について嚴密な取締をいたしますということは、随分無理である、及び一般人の心を縮めるというものであるばかりでなく、何か用いらるる前途の上にいろいろ暗いものを残すのではないかと存じます。私自身かような暴力行為を容易ならしめる文書が印刷せられ、たくわえられることは希望はいたしません。併し世間のものの動き工合を見ておりますると、かような文書も出ることがある、又これに対してかくのごときことをしてはならんという反対の文書も出ることがある、こういうものが世間で適当な範囲において相競つている間に国民は本当の道理を見つけて、みずから正しい帰着を発見するのではないか。こういう気がいたしまするから、非常に広い範囲の文書の流布につきましては、立法者は十分お考えがあつていいのではないか。又これを仮にこの規定の中に置かないにしても、先ず言論の問題は言論を以て相対応せしむるのが事の筋でありますから、ただこれだけでは行けない、もう少し何か特別の色彩が強くなつたときに初めて刑罰法規の手を用いるというふうの考えを以て、当分残しておいてもいいのではないかという気がいたします。ふと思い出すことでありまするが、一七七六年のアメリカの独立の宣言の文書というものは今日も非常に愛読せられまして、毎年七月頃になりますれば、アメリカの人もそういう古い文書を一遍読んで見たい、こういう希望を起すものと見えまして、或る大新聞はそれを増刷りして完全な全文を新聞によつて頒布しておりまするけれども、併しその中に書いてありますることは、まあ批評は別といたしまして、彼らは特殊の圧迫を受けた場合にはその権力に反抗する権利があるということを以て独立宣言の主要なる要素としております。もとよりその前後にいろいろ注意深い規定はございまするけれども、併しまあそういう気持をアメリカの人は平らかな気持を以て是非、善悪は自分の考えでちやんと納めてよく見ているのだと思いますけれども、我々も又そのくらいの襟度を持つて、大国民の前途におきましては、言論は言論を以て相対応して、それで秩序ある国家が導かるるようにしたいと思うのであります。でありまするから、この破壊活動防止法案の中におきまして、私が一番気になりまするのは、この文書に関する点であります。私どもの聞いておりまするかような言論問題、それから実行行為の問題との調節点といたしましては、少しく古びたことかも知れませんが、直接にして現実の危險というものが起り得る場合、つまり文書が並べられたときに、それが直ちに実行行為があるものと同一視し得べきような差追つた状況があるということが必要であるというふうの気持が長く法律の世界には発達して来ているような気がいたしますが、この原案第三條の規定はそういう考慮も施されていない。「容易ならしめるため、」という軽い言葉でカバーせられておりまして、ことによりますると、憲法が認める言論及び学問の自由というものに相当強い圧迫を加えているのではないかという気がいたします。この点は避けられるものならば避けるがいいし、避けられないものであるならば、もう少しこれが直接にして緊急なる危險の伴う場合であることに限定をするほうがいいのであつて、表面上は字があつても実はおきまり文句のような前書がつくというようなことには不安の気がいたすのであります。 それから次にこの規定は嚴密に扱うべきものであつて、この規定を濫用してほかの行き過ぎた行動に用いないというような教訓的規定が中に盛り込まれておりまして、例えば第二條に、「国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあつてはならない。」というような文句があり、又「労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあつてはならない。」、こうありまするが、これはもとより専門家の目で見ますると、きつとかような規定があれば、この通りにこの法律が動いて行くという直観的な解釈が生まれて来ると思いますけれども、私ども刑法につきましての言わば素人であり、單純な巷の人であるに過ぎない者にとりましては、これだけで以て果してこの法律を運用するいろいろの人々が素直にこの意味を理解して、濫用に陷らざるようになり得るかどうかということが、まあ法律を知らないためでもありましようが疑われます。むしろ直截簡明にかような濫用が行われ得ないように、法律自体の中にその処置の手続がきまつておつたならば、もつとよりよくなるものではないかという気がいたします。 次に、世間に行われておる一つの議論として、かくのごとき団体行動を取締るようなことはむしろ裁判所に先にやらせるがいい。行政庁はその外に立つておるのがいいんだと、こういう議論がございまするが、これは私どもといたしましては幾分行過ぎた議論のような気がいたしまして、何といつても裁判所は冷やかに事物を見てあらゆる信用を集めるようにしなければならん。余り行政面の価値判断の複雑な問題に初めから関與いたしますることは、結局裁判所の公正性に信用が少くなるような危険もありまして、こういうことは成るべく権力分立の思想に顧みて避けたほうがいいというように思います。そういたしますと、その点は、これを出すものとすれば原案の公安審査委員会の判断に任せるのがいいような気もいたします。けれども他面からいたしますると、公安審査委員会というものはいろいろ権限が狭いような気がいたしまして、結局突き付けられた文書に対して安易な直観的な判断をするものになりやすいのではなかろうかという懸念もあり、又それが行政組織全般の構造から申しますると、実際の行政処分をする官庁に非常に近いところにできるのでありまするから、どちらかと言えばもう少し離れたところに、言わばその特殊の官庁の外郭体ではなくて、もう少し広い世界にあつて、その意見の自由が制度上確保せらるるようになることが好ましいのではないか、こんなような気がいたします。 いろいろ細かいところもあろうと思いまするが、主な点だけは申上げました。
○理事(伊藤修君) 以上の公述に対しまして、御質疑があるかたはこの際御質疑をお願いいたします。
○吉田法晴君 最初の御公述の第一点は三條の一号ハの規定によると、言論が制約せられる危險があるというお話でございますが、私どもも同感の意見を持つておるものでございますが、而もそれが行政権によつて判断せられる。で、言論、集会、出版、結社の自由という民主主義の基本的な第一の前提を崩すと申しますか、危険性が及ぶ、而もそれがこの法律の建前によりますと、行政権によつて実際に判断せられ、或いは規制せられるこの点と、それから新憲法との建前との関連について金森先生どういう工合にお考えになりますか。
○公述人(金森徳次郎君) 行政権と司法権との分れ目がどこにあるかということは実際問題としてはまぎらわしいこともありましようけれども、併し基本的な考えとしては司法権、殊にそのうちの刑罰的な面におきましては、或る人々が法律に違つたことをやつて、そのためにその人に制裁を與えるというところにあろうかと思います。つまり個人の不正なる行為に基いてその人に制裁を加えるということについては必ず裁判を通らなければならんという伝統的な考えに基きまして、この理由があるという気がいたします。併し国家は又広い見地を持つてこの公益を保つためにいろいろな処置をしなければならん、そのためには個人の権利をも制限しなければならないという場面がございまして、公益に必要なることをするために個人の立場を制限するというときには、これは行政権の範囲よりほかに持つて行くところがないのですが、それをいきなり公益上の価値判断の問題を司法権に持つて来ますと、一応公正が保たれるような気がいたしますけれども、最後の責任を負うべき司法権が最初の行動をみずからするということになりまして、却つて三権分立の精神を破壊する危険があるような気もいたします。だから特別な立法を以て司法権にこの行政上の価値判断を含む問題を持つて行くことがいいか悪いかということはいずれ問題になりましようけれども、先ず基本的な考えとしては裁判所は最後に関係するほうが一番いいのではないか。そういたしませんと、これは近頃のいろいろな思想と組合せて私の意見を述べるのでありまするが、最後の公正を保障しておるものが最初の立場に出て来ますと、それが国民に不信の目を持つて見られたときに、行くべきところがなくなつてしまつて、三権分立の真意が壊れるような危険がございますので、これはよほど考えなければならんと思います。どうせどの制度だつてどこかに不平等はございますけれども、こういうものは組織の第一線をほかのものにやらせて、それを裁判所が批判するほうが妥当のような気がいたします。
○一松定吉君 先ず審査委員会の裁決に待つて、然る後に不服のある者が裁判を求める、そのほうが公正で却つていいのではないか、公正で却つて事務の簡捷を図り、且つ行くところもなくなるような不安もなくなるというその御解釈は非常に私も賛成です。ただここで伺つてみたいのは、この調査庁と委員会が、この委員及び調査庁の役人が法務総裁の所管の下にある、そこで調査庁の役人が法務総裁の指揮監督の下にある者が調査し、それを今度は法務総裁が国会の承認、同意を経て任命した審査委員会の下で判断を受けるということになつて来ると、よく法務総裁が本当に神のごとき考えを以て指揮命令をすれば問題ないが、そこにいわゆる政党意識だとか妙な不公平な考えを以てやるということになると、右の手で聞いて左の手で判断するのと同じようなことになる。そういうことを非常に心配しておるんだが、それについて何かお考えがあればこの際承わつておきたい。
○公述人(金森徳次郎君) その点は私ども実際の動き工合の予測がつきませんので、確たる意見は述べられませんけれども、大体これは非常に重大な問題で、黒いものが白くなつたり、白いものが黒くなつたり、という判断をするのであり、而もそれが高級な価値判断を必要とするものでありますから、同穴の貉と言うことは非常に悪い表現でありますけれども、余り接近した人が意見をきめるよりも、少しやりにくいようなふうになつておるほうがいいのじやないか、して見ると、この委員会は何かもう少し客観性を帶びたところにできたほうがよりよきものじやなかろうかということを考えて、先ほど私はその点を申上げましたが、どこへ置いたらいいかということまで、私どもその積極的な意見もございませんですけれども、大体任命権が何か別のところにあつて、そしてこの委員会が法務府にある、ちよつといいような感じもするのです。
○一松定吉君 いや、大変公平な御意見で結構です。そういうときに審査委員というものは、国会の同意を得て、法務総裁がこれは任命する。ところが審査委員が本当に公平であり、法務総裁がいろいろなことを言うて来ても撥ねつけて、自分は自分の自信に基いて判断するということであればいいが、どうもあいつはおれの言うことを聞かんからというので、国会の済むのを待つてぱつとやつて、自分の適当な者を据えて、そうして次の国会の始まるまでに仕事をしてしまうということは、悪辣な政治家であるとやりかねないのだが、そういうようなものに対する何かうまい調節方法がありましたら、一つこの際御発表願いたいと思います。
○公述人(金森徳次郎君) ちよつと話が元へ戻るような気がいたしまするが、私は日本国憲法ができまするときにお手伝いをして、いろいろ個々の点について考えておることがありますが、運用の実際は私どもが当時考えておりましたところと不幸にして同じ方向には沿わないのでありまして民主政治というものは真劍味のある意見がいろいろな角度から結集せられて政治ができるということを期待しておつたのでありまするが、結果におきましては、真剣味のある理論というものが先にならないで、各人の持つておる力が結集して、真剣味を第二、第三の軽いものとして動く、正義によつて行うところの民主主義というものが力によつて行う民主主義に変更しつつあるのじやないかという懸念を持つておりました。従つてかような委員会ができるとすれば、名実共に公正にして国民の信頼に値いするものでなければならんという気がしております。これは政治全体のあり方がまじめになるというその線から行くよりほかに本当はしようがないものじやないかと思つております。もとより現在の政治がどうであるという、そういう主張を含んではおりませんけれども、できるならこれは違う人がやつておる、意見の一つ一つが違うのは神様が與えた個性が違うからと、こういうところまで行きたいような気がいたします。そうしますと、今の與えられた問題につきまして、どうしたら公正が保てるか、私もこれはよく読んでいないのですけれども、任期か何か保障して容易なことで動かせんというような途じやいけませんでいようかしらん。
○一松定吉君 もう一言だけあなたも政治家でおいでだつたから伺つてみたいんだが、今検察庁を経て裁判所にやるということが云々という公平な御意見は賛成ですが、ところがそれに参る筋、公安調査庁を設け、公安審査委員会を設けてやるということになりますると、この公安調査庁設置法の末尾に現わしておりまするように、全国に全部調査局というものができる。全国にそうしてまあ大変に人が要る。そうして今度公安審査委員にしても、調査局員にしても、皆それぞれ専門家が要る。ところが今のような人物払底のとき、殊に法律、思想とかその他のものについて十分な人物を得ることができないときに、莫大の予算を使い、そうして人物の立派な人を選んでこういうものを作つてやるということが果して国家の立場からいいか悪いかということについての一つ御所見を伺つてみたい。
○公述人(金森徳次郎君) いろいろのほうから考えなきやなりませんでしようけれども、こういうものは原案者のほうにもいろいろ実地的な調査に基くお考えがあろうと思いまして、確たる意見はございませんが、若し作るとすれば、やはり止むを得ないのじやないでしようか。甚だ不経済なものであるけれども、人権を保つためには、こういうような考えで行くよりほかにしようがない。
○内村清次君 金森先生は、先ほど申されましたように、憲法に対して当時非常な御努力をなされたかたであります。そこでこの法案の重要点におきまして、この憲法の第十二條で「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならない」、濫用の点につきましては、この法案がこの底意において、いわゆる暴力を持つところの団体、又個人に対しましても刑罰の併用を考えて、この法案というものが成り立つておるのですが、問題は不断の努力を以てこの民主主義というものが発達して行かなきやならないということは、先ず憲法第十二條の根幹であろうと思うのです。で、この不断の努力の規定がいわゆる憲法二十一條の「集会、結社及び言論、出版その他」、これは先ほども先生が非常に今心配しておられるのですね。こういう大事な基本の法に対して圧迫をして行く。或いは国民全体がこの二十一條の問題が脅かされて行くということで心配する。この法案というものは今悪法だと、こう言つておるわけでございまするが、これを濫用するものは、やはりこれは個人でありましようか、個人だけを刑法で処罰して行つたならば、団体というものに対するところの問題は、不断の努力で、いわゆるその組織力というものを、これを削減して行くというような方法が、新憲法の建前からしても妥当でないのではなかろうか、かように思うのでありまするが、この点に対してはどういうお考えでありましようか。
○公述人(金森徳次郎君) 人間の生活の仕方がどんどん進歩して行くという結果、多くの犯罪が個人によつて昔行われておつたといたしましても、だんだん団体行動の技術面が発達いたしますると、恐らくは巧妙な団体行動のやり方によりまして、従来の個人的に扱つて行く方法だけでは目的を達しないというだけではなく、却つてその勢力を増加して行くという可能性があるのではないかという気がいたします。一体かくのごとき暴力によつて社会の安定を破壊しようということがいいか悪いか。これが先決問題でありまするけれども、もとよりそれは悪いことと思つております。而もその悪いことと思つておることが団体行動として行われる場合におきましては、何らかそれを抑制する手段が講ぜられて然るべきものと思いますけれども、併しあとは、そういうことをやつておる専門家の見解に頼らなければなりませんが、私ども漏れ聞くところによりますると、従来の個人に対する国の処置方法によつては団体に対する問題を解決するには非常に不適当でありまするからして、何らかの新らしい方法が考えられなければならんという気がいたします。ただここに示されておりまする団体措置の方法がここに適するかどうかは、これも私ども実はよくわかりませんが、研究の結果こういうところに来ておるとすれば、或る程度まで自分の知らない範囲のことにつきましては尊敬するのほかはないのであります。ただかくのごとき方法をとることによつて、非常に個人の憲法上の利益が害せられる慮れがあるかどうかということになりまするが、その害悪は若しこの法を運用する人に信用があるならばそんなに大したことではないような気がいたしますが、私ども先入主になつておるかどうか知りませんが、そういう団体が不法な行動をするということは、これは可なりはつきりさせてもよろしい、ただそういう形をとつて、個人の自由な憲法上の利益が害せられるような虞れのある形にできておるのが、この法律についての申し分である。こういうふうにどうも初めから考えておりますために、かような答えが出たのであります。
○吉田法晴君 ちよつと二点だけ簡單にお尋ねいたしたいと思いますが、先ほど公安審査委員会がただ法務府の外廓団体ではなくて、もつと客観的なものであつたらと、こういう機構のポストの点だけをお触れになりましたが、言論その他の基本的な人権に影響のあるだろうという御心配は先ほど承わりましたが、これだけ基本的人権に影響のある行政行為をやる機関について、憲法の十五條、公務員の選定及び罷免の権利、これが国民の固有の権利であるといつたような憲法の精神からしますならば、或いは憲法が作られて間もなくの行政委員会の制度等を考えますならば、或いは国民に直接選任させるということも、これは憲法の一つの考え方ではないかと考えられますが、その点どういうふうにお考えになりますか。 それからもう一つ、これは個人的にお話が出たことでありますけれども、或いは我々の法務委員会の委員長その他にしましても、個人的に、これだけ問題になつた法律について、直接国民の意見を聽く方法があると大変結構だがと、こういう考えが述べられておるわけであります。これらの方法について、或いは御意見について承わることができれば結構です。
○公述人(金森徳次郎君) この委員会の在りどころにつきましては、かような問題は取締るほうからのみ考えるべきものではなくして、取締られるほう、或いはその誤つた取締によつて影響を受けるほう、こういう各方面の意見が公正に集まつて、一部局の見解に左右されないような組み立てのものでありたい、こういう気持を持つております。これを国民の中から選び出す昔の陪審員のようなふうに行くというのも一つの考え方でありますが、現在の段階におきましてはなかなかそれは仕掛けが大き過ぎて却つて目的に合わないだろう、事物を正確に判断する人が得にくいような姿になりますから、どうもこの問題は先ほど一松先生から御質問もありましたように、縛り上げるほうの役所にくつ付けていないほうが……第三者的なところにこの委員会があつたらよいのじやないかという気がいたします。それは工夫はいろいろあり得るものと思います。 それからあとは国民の輿論を聞くということでありますが、これも一つの考えに相違ないと思います。けれども、国会の制度を認める、代議政治というものを認めるということは、国会を非常に重く見るという建前でありますから、国会があるにかかわらず余り強く国民の意見を聽くということは行き過ぎではないか、むしろいつも国会の議員が国民とぴつたりと裏表になつておるような、信用の繋げる制度であるように工夫して行くほうがよいのじやないかという気がいたします。
○片岡文重君 ちよつとお尋ねいたしますが、冒頭に先生は、こういう法律は非常に遺憾であるけれども、応急の措置として認めざるを得ないというように仰せられたように伺いますが、その遺憾であるという理由として、いろいろ言論、集会、信教の自由を制限する規定、それから特に第三條の一号ロの文書に関する点等を挙げられまして、更にいろいろな制度に関係を及ぼす危険が多分にあるからというように仰せられておるように伺いますが、他のいろいろな制度に危険を及ぼすという、その内容を具体的に一つお尋ねしたいと思います。
○公述人(金森徳次郎君) ちよつと初めから釈明をいたしますが、私は健全なる国民、つまり病的な国民でなくて、立派に発展する可能性ある国民というものは、どんなことがあろうとも放つておいてちやんと適当なところに進展して行くであろう、少し楽観説かも知れませんが。それを無理やりにいじり廻して或るところに引つ張つて行こうと思つても、民主主義の時代において或る特定の人の意見通りに国民は動くものではないから、それはできるだけ雅量を持つて人間の伸びるところに伸びさせるということが本当の政治だと思つております。併しながら人間の心持は時代の影響を非常に受けやすいものでありまして、例えば、終戰後まだ間もないときである、殊に今までの陰欝な空気が一応形式的に打ち払われて、その時に爆発するところの感情がいろいろな形を以て現われて来る。心理学者の申しまするように……。或る心理学者の申しまするように、当然の方向に洩れないで、いろいろと変わつた方向に洩れる、爆発する、こういう可能性がございます。今はそういうような時期に当つておるのでありますから、それは本来ならこういう法律は好ましくないが、社会の変革の、こういう過渡期におきましては、暫く落着いた行き途を確保するために、こういう言わば荒削りの方法も必要ではないか、こういうことを申上げたのであります。これはただ併しながら、かような荒削りの法律が出るものといたしますると、どんなところに影響があるであろうか、これは世間の人間というものが合理的に動くものと思えば議論は簡單になりますけれども、なかなか人間というものは合理的には行かないのであります。一を聞いて二を想像して藪睨みのところに向つて行く、こういうこともございますので、かように我我がうつかり思想を述べるというと、どういう不測の禍いを蒙むるかも知れんというような一端の思想が法律の上に盛り込まれますと、法律を精密に理解しないで、何でも思う存分なことを言うと、あとが恐ろしい、こういうような誤解能力も国民は持つておるのではないかという気がいたします。その結果、例えば学問を研究する人は、正しく言わないで、むしろ人前を憚かつて嘘をつく、お互いに騙し合つて喜ぶ。こういうようなことにもなりかねまじきものと思うのであります。曾つて我々が聞いたところでは、日本の歴史において日本は戰さにおいては負けたことは一遍もない、こんなふうに誇つておりましたが、近世の歴史家の言うところによりますと、我々は昔からどんどん戰さに負けた、随分萎縮したとともある、こう聞きましたが、恥しいことに私どもはそういうことを知らない。やつと近頃になつて聞かされますると反省することがございます。そういうように学問というものが伸びるべき途を、若しこれによつて抑制せられるというと非常に悲しいことになります。それは学問をする人が法律を誤解したからである、こういうことも言えようと思いますが、社会には或る分量の誤解能力があるということは防ぎようがございません。そういうこともよく考えなければなりません。これが一つであります。 それからもう一つの問題は、言論界の問題でありまするが、私ども自分の個人的な判断を以て見ますると、今の雑誌や新聞に出ます諸種の議論、気に食わないものがたくさんある。若しも自分が余裕があるならことごとく立ち向つて争つてみたい、こういうものもございまするけれども、併しそういうものがあればこそ、我々のものの考え方が釣合がとれて、ほどよいほうに向つて行く可能性があるのじやないかと思つておりますが、こんな法律が出ますると、何かこう恐怖心を持つ人は、誤つておる恐怖心であるにしても筆を控える、出版を控えるということになりますると、昔あつた一種の窮屈な時代が生れて来るのではなかろうか、こういう気がいたします。これも一つの例外であるような気がいたします。それから更に考えまするのは、実はこれも当面の理窟にはなりませんけれども、この治安維持法が活躍いたしました頃におきましては、我々の知つておる人、今ならば勲章をやつてもいいくらいの正しい議論をしていた人が、いろいろな行き悩みの下に置かれまして、今日からこれに同情いたしましても、その人はもう幽明界を異にして今更何の役にも立たん、こういうケースを知つておりまするが、かくのごとき法律を作りますときは、やはり誤つた方向に人々が運用をしないようにという気持がいたします。どうせ言論を自由にいたしますれば、それから或る程度の弊害が起る。これは覚悟しなければなりませんけれども、併し抑えてから起る弊害と、伸ばさせてから起る弊害というものを比較考量をいたしまして、適当な所で線を切る。私どもは急激な意見を何も持つておりませんけれども、その間にほどよき意見があるのじやないか。従つてここに先ほど申しました三條の規定のようなものも、何とか「するため」、これは私は刑法を知りませんので、どういうふうにあとのほうに結び付くか存じませんけれども、アメリカ独立宣言書を出しましても、「ために」出せば罰せられる、「ために」出さなければ堂々と出せる、こういうようなことになりますると、やはり何かこうこれから先人心の上に切角思想等が伸びて来たこの時代におきまして、大した理由もなくその思想を圧縮する、こういう嫌いがございます。若しこの本体、本体と言いますか、かようなこの取締の目的というものを、もつとほかの利益だけあつて弊害のない面で適当に処置できるような途があるならばそういう方向に行きたいものだと、こんな気持を持つております。
○左藤義詮君 只今非常に御心配の点のお話があつたのですが、併しその御心配にかかわらず、最小限度こういうものが止むを得ないのじやないか、こういう御意見でありますが、それを是正して行くのにいろいろな点がございましようが、特に先ほどお話がございました公安審査委員会を、縛るほうの法務府の外局とすることに非常に問題がある、それにいろんな工夫があろうというお話でございましたけれども、憲法制定当時から非常に御苦心なすつておる先生として、今その御工夫を只今お持ちになつておるかどうかお教へ頂きたいと思います。若しこういう御工夫全部が筋を通して御準備がないようでございますならば、我々が審査しておる間に、一つ先生の長い御経験、学識識見でそういう御工夫がお示しを頂ければ、非常に仕合せだと思います。
○公述人(金森徳次郎君) 私は近頃行政面を離れまして、政治活動を遠慮しなければならないというその法律の適用を受けて生きておりまするので、具体的なことについては非常に鈍感になりましたのですが、こういう問題は若しできるならば内閣に委員会をおいて、つまり各省の手から放しまして、そこの委員にはほどよき独立性を認める。つまりこの委員になる者は、正直なところそう気楽には私はならないのじやないかと思います。つまり地道な人は好んで火の中に入るのはいやだという考えで、だから、そういう独立性と申しまするか、何かそういう身分上の安定を図るような工夫をして、そういう委員会ができたら余ほど信用は繋げるし、又その委員の活動もただ声に応じて立つというのじやなくて、自分で相当の考慮をめぐらし得るようになるのじやないかと思います。昔枢密院がいろいろな欠点を露呈いたしまして、決して褒めた制度ではなかつたのでありますが、或る意味においてどこから何を言つても動かないという取柄はございましたが、そういうような働きがこの委員会に出て来ればいいのじやないかと思つております。
○理事(伊藤修君) ではこの程度にして……有難うございました。 次は長谷部儀助君。
○公述人(長谷部儀助君) 私は日本労働組合総評議会の長谷部でございます。私はもとより法規対策部長をしておりましても、専門は法律をやつておる者ではございません。従いまして本法案に対する意見も労働者としての、労働組合としての、この法案に対する本能的な意見というものを主として申上げたいというように考えております。 政府の説明によりますと、本法案は講和後において起るべき事態を予想して、それに備えて作られるような予防立法のようでございます。これは非常な認識の錯誤でございまして、国民を信頼しないことを意味する。民主国家として最も悪いことだろうと考えます。安全保障條約が或る特定の仮想敵国を想定しておりまするように、この法案は国民の間に一つの仮想敵というものを作り上げ、却つて国内不安を醸成させることになるのではないかと考える次第であります。或る特定の破壊活動団体を取締ることを考えておるようでございまするが、なぜそれらを現行法規によつて取締られないのでしようか。団体を作つておるものは個人でございます。破壊活動を起したならば個人だけを処罰すれば足りることでございまして、それが多数であれば多数の個人を取締ればいいのだろうというふうに考えられます。それにもかかわらず、このような法律ができますれば取調べが徒らに峻烈になりまして、相手を地下潜行活動に追いやつて、強力な組織力を持つものほど取締が困難になるのではないかというように考えられます。結果は表面に残された民主的な数多くの団体が絶えず監視されることになりまして、当局は遂には民主的なものも破壊的なものも見さかいがつかないというような、神経質的な自縄自縛を行うことになるのではないかということが憂慮されるわけでございます。まさにこの法案こそ政治警察の復活というように考えられまするし、立案の意図とは反対に民主主義を破壊する法案となるように考えられるわけでございます。 次に、このような憲法の第二十一條に保障する集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を制限し、同じく第二十八條の勤労者の労働三権等をも拘束する虞れのある特別立法を必要とするからには、前述のような将来の危険についてでなく、明白な現在の危険についてそれを証明するに足りるところの客観的な証拠を挙げて、その必要性を明確に国民に説明されなければならないと考えます。暴力主義に反対することには勿論賛成であります。併しそれだからと言つて、暴力主義に対する反対が、政府による暴力行動を承認する根拠にはならないだろうと考えます。この法案が衆議院で公聽会にかけられた際には、各界代表の公述人十八名のうち反対は十六名、賛成は僅かに一名、賛否表明お預けというかたが一名というふうに聞いております。まさに世論の圧倒的な反対であつたにもかかわらず、逐に殆んど修正もないような状態で衆議院を通過いたしておるわけであります。併しながら民主主義は世論の政治でございまして、この声を無視しては国会の権威に対して国民は危惧を抱くようになろうかと考えられます。国民はなぜこのような強い反対のあるものを強引に作り上げなければならないかということについて、甚だ不可解に考えていると思います。政府や国会はこの世論を押し切つてまでそれほど必要な法案なら、そんなに急いで成立させるようなことをせずに、十分に国民一般に納得させる必要があるのではないかと考えられます。政府はその理由として先般のメーデー事件或いは最近の一連の暴力主義事件を指摘しておるようでございます。私もあの事件に現われている暴力行動には強い反撥を感じておる一人でございます。併しこれらを見て治安が悪いと言われておりますが、一体それではどうしてこのように治安が悪くなつたのか、その根本原因こそ先ず政府は考えなければならないと考えられます。今日税金の問題といい、或いは失業の問題といい、住居の問題といいまして、国民の大多数は何か重苦しい不安が迫つて来るようで、権力と財力を持たない一般勤労大衆は、少しぐらいは騒ぐのは今日の社会情勢では当然あり得ることではなかろうかと考えます。ところが騒げばすぐに弾圧が参ります。併しそんなことは愚劣な方法で、問題を解決することとは到底考えられないところでございます。人間の健康で申しますれば、鳥目になつたからと言つて目の手術をするようなものでございます。鳥目は栄養不良から起るものでございまして、手術をして治るわけではございません。その原因である栄養を考えなければならないものでございます。治安の悪いのは政治そのものをも強く顧みなければならないものでございまして、直ちに特別立法を作るというのでは国民はなかなか納得できないものであろうと考えるわけでございます。先ほどの御意見の中にもございましたように、日本の憲法の九十七條におきましては嚴かに、国民に保障する基本的人権は、将来に対しても侵すことのできない永久の権利だとして、信託をされております。更に第十二條におきましては、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」というふうに言われておるわけでございます。私どもは憲法にこのようなことが書いてあるからという固苦しいようなことを申上げる考えは毛頭ございません。併しながらこの憲法の前文にもございますように、これは人類普遍の原理だというふうに言われておるわけでございます。この憲法を護ることが私どもの幸福を導くことであり、将来を明るいものにすることであることを考えて、これを護つて来たわけでございます。これが四、五年の間に、人類普遍の原理であるものが、そう簡單に変わるような情勢だとはどうしても考えられないわけでございます。どうか本参議院におかれましては、この性格から見ましても、この点について特に愼重な御審議と御解明を要望するものでございます。 次に、この際私は私ども総評はこの法案に反対をいたしまして、先般来それぞれ一日の仕事を休み、或いは数時間職場を離れてこの法案に反対の意思表明を一斉に行なつて来たことは御承知のところでございます。これは非常にいろいろの意味において世論をまき起しております。私どもはこの際なぜこのように反対するのかということを、本公聴会を通じまして具体的に明らかにしておきたいと考えます。 第一に、第二條におきまして、この法律が労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入することの濫用を戒しめております。併しながらこれはいわゆる單なる訓示規定でありまして、濫用したときには一体どうするのか、その裏付けは何もないのでございます。従つてこれによりましては実際には何らの保障も與えられてはおりません。正当か否かの判断も行政当局によつて行われることを考えまするならば、決して安んずることはできないわけでございます。 第二点といたしましては、第三條についてでございまするが、これが本法案の要でもありまするように、又労働組合にとりましても最も危惧されるところのものでございます。現在の組合活動は、労働者階級の置かれておる地位からいたしましても、どうしても政治的性格を若干でも帯びざるを得ないのが実情でございますが、その際において、政治上云々ということがなぜ罪を加えられる理由となるか、全くわからないところでございます。更に一のロにおきましては組合の機関紙には革命歌や外国革命の記事などを書くことは、直ちにこれに問われるのではないかというような條項がございます。労働歌を歌うことも私どもは今後は差控えなければならないことになろうかと思われるわけでございます。この條項のうち大規模なストライキや、或いは悪法撤回等のデモや労働者大会や大掛りなピケライン等は、イの騒擾に、或いは運輸鉄道等のストライキは二の汽車電車往来危険に、又トの強盗は……生産管理は最高裁で違法とされておりますので、この項に。なお現在でも組合の各種会合には、労働争議や或いは組合のそれぞれの催しに対して、特審局員や警察官等が断えず介入いたしておりまするが、今後これらについて拒否したり、或いは争つたりいたしたならば、直ちにリの公務執行妨害に問われる可能性が大きいと考えられます。なおこれに対しまして、教唆、扇動が附随しておりますので、いつどんなことで問われるかもわからないわけでございます。騒擾の虞れがあるとして、総評がいつ第二十六條の必要な調査を受けるようなことになるかも知れません。2におきましては、団体の支部、分会が処分の対象とされておりまするので、必要によりましては上部団体の責任者も当然調査の対象になつて来ることが考えられます。 次に、第四條についてでございまするが、ここでは破壊活動を行なつたも、将来更に行う明らかな虞れがあるも、すべて当局の一方的認定に任せられております。非常に濫用の幅のある規定たというふうに考えられます。若しこれに対して第二十四條による行政訴訟の道があるではないかと言われるかも知れませんが、行政事件訴訟特例法の第十條におきましては、たとい勝訴いたしましても、内閣総理大臣による異議申立てがあり、これもまさに空文に等しい結果になつております。更に団体の定義が非常に不明確でございまして、団体の行動とはどのようなものをいうのかよくわかりませんが、組合員中には種々雑多な傾向思想を持つておる者が集まつておるわけでありまして、その中の幹部が行なつたこと或いは構成員が起したことなどを、団体の活動としてどのような関係に置かれるのかも非常に危惧されるところでございます。又ここでは機関紙等につきましては、組合の発行の一切の出版物が検閲を受けることになるのではなやかと考えられます。殊に組合機関紙は政治的問題に触れるのは必然でありますので、必ず圧迫が加わつて来ることが考えられます。役職員の追放規定は、平常でも絶えずその人たちの考え方、或いは思想検閲がどうしても必要となるのでありましよう。従つて幹部の尾行や聞き込み等は覚悟せねばならないところであろうと考えられます。東大構内への警察官の立入は、公安條例違反の慮れがあるということで行われております。公安條例はそんなつもりで作つたものではなかろうと考えられますが、この一例がよく示すところでございます。 第七條におきましては、処分の効力が生じた後の団体構成員の団体活動を禁止しておりますが、これではその団体の組合員の賃上闘争すらできないことになろうかと思われます。 第二十六條の公安調査官の調査権は、組合員に対する圧迫を更に激化するものと考えられます。前述いたしましたように、現在でも警察官が立入つておるような状況なのでありまするから、更に個人の、個々の組合員及び職場にまで及ぼすことは必然かと考えられます。組合員に対する精神的圧迫は非常に恐ろしいことだというふうに思われるわけでございます。個々の労働者は権力には弱いものでございます。この圧迫に会つて、あなたは見逃してあげますというような誘いに会いまして、逐次組合は当局への御用化を招来するのではなかろうかと憂えられます。 最後に本法案は公安調査長官が白紙委任を受けた状態になつており、この決定は公安審査委員会で行うわけでありますが、この委員は内閣総理大臣とは言うものの政府の任命でございます。たとえ一名の労働者代表が加わりましても、多数制できめられるのでは決して安んずることはできないものであろうと考えます。労働者は団結を通じまして労働組合を組織いたしまして、みずからの生活を守つております。それに対して、その労働組合の存立に重大な圧迫の虞れのあるような、このような法案には、どうしても納得することができないのでございます。 以上指摘をいたしましたように、私どもの與えられた基本権利を、これほど拘束し、私どもの持てる良心の自由までも譲歩せねばならんような本法の成立には反対でございます。でき得るならば是非とも全面的に撤回されんことを要望いたしまして私の公述を終らせて頂きます。
○理事(伊藤修君) 別に御発言もなければ、午前はこれを以て休憩いたします。
○吉田法晴君 ちよつと簡單に一つ、公述の中で、今警察或は特審局の人たちが、組合の会合その他組合等に出入りするということでしたが、その点具体的に、原稿でお読みでしたが、もう少し具体的にお話願いたいと思います。それからもう一つ、これは御心配のように行政措置によつてやることでありますから、破壊活動そのものよりも、それの前段階、言い換えると、大衆行動の面まで調査その他規制が来るという心配がありますが、それと別に考えられておりますいろいろな法律との関連において、実際に組合活動というものがこういう工合になつて行くのではないかというお見通しについて一つお願いいたしたい。
○公述人(長谷部儀助君) 先ず最初の問題でございますが、現在でも労働組合の大会、或いは場合によつては中央委員会というような、或る程度大きな会合になりますると、その地方の警察官或いはその地方の特審局の諸氏が、いろいろの形でこれに入りまして、誰がどのような発言をしておるかというようなことを丹念にメモに坂つておるような状況でございます。これは現在でも拒否をすることができるわけでございます。拒否をしておる組合もございます。併しながら若しこれらの人たちの出入りを峻烈に拒否をするというようなことになりますと、この組合の傾向そのものはどういう形を取つているのだというような推察を受けまして、更にいろいろな意味においての監視、圧迫等が加わつておるのが実情でございます。こういうような状態におきまして、本法案ができまして更にこの公安調査官が調査権を持つというような形になりますと、これが公けの形でなされて来るのではないかということを非常に憂慮いたしておるわけでございます。第二点は具体的にどういうことでございますか。
○吉田法晴君 これは治安立法ということですが、外にも治安立法というものが考えられる、或いは労働法なんかについても治安立法から云々という観点、疑われる点もあるわけですが、そういうものから組合が……これでいうと調査官の活動によつて云々ということになりますが、今後の組合の様相を、今後の在り方についての危険性ということになるかと思いますけれども、お見通しを一つ。
○公述人(長谷部儀助君) この破防法についての私どもの危惧しておる点は、先ほど縷々御説明申上げた通りでございます。併しながら更に本国会に対しましては、デモ取締法案や、或いは労働法の改正と称しまして緊急調整の問題、或いは政府においてはその上に更にゼネスト禁止法的な性格を持つものまでも立法制定したいという、こういう一連の考え方を出して来ておる次第であります。こういうような形が若し現実化されるといたしましたならば、将来の労働組合は、漸く罷業権を持ちまして労使対等の立場に置かれておる状態が、まさに非常にバランスが破れまして、どうしても御用的な組合、組合の存立を企図するならば、好むと好まざるとにかかわらず、御用的な行き方を取らざるを得ない、或いは小さい組合においては、その存立さえも非常な危険な状態に置かれて来る。このようにして、本当の民主主義というものは労働組合の健全な発展において効果を挙げておる状態を考えますときに、将来の日本の民主化というものに対して我々は非常に暗い影を考えるわけでございます。
○理事(伊藤修君) ではこの程度にいたしまして午前は休憩に入ります。午後は正二時から開会いたしますが、必ず二時に御出席を願います。 午後零時五十九分休憩 ―――――・――――― 午後二時十六分開会
○理事(伊藤修君) それでは午前に引続きまして公聽会を再開いたします。 本日は公聽人のかたがたには公私御多忙のところ御出席下さいまして有難う存じます。先ず鈴木多人君の公述をお伺いすることにいたします。
○公述人(鈴木多人君) 私は單なる弁護士としてでなく日本弁護士協会の代表といたしまして発言したいと思うのであります。 六十年の人権擁護に輝く伝統を持つ我が協会が数十回の調査研究の結果、ここに総合員の総意を体して大乗的見地から結論を見出して、四月の二十二日に賛成することを決議、これを公表いたしました。私は三十年の弁護士生活の体験と知識から、殊に弁護士の使命が基本的人権の擁護、社会正義の実現のために、先ず以て社会治安の維持と法律制度の改善に貢献すべく、衷情以て本問題を討議したいと思うのであります。 先ず本法は自由民主国家としての独立した日本が置かれておる現下の内外客観的情勢下、国家の健全な興隆を企図して、社会秩序を維持し、国民全体の公共の安全と福祉を確持し且つ保障するため緊急止むを得ない最小限度の立法だと思うのであります。コミンフオルムの指導によるところの日共の中央委員会、軍事委員会等、最高司令部から幾段階かに分れた統率ある組織によつて中核自衛隊とか、或いは抵抗闘争パルチザンなど戰略戰術があたかも軍隊組織体制を整備されて、すでに破壊活動に着手し、暴力革命の推進に寧日なく、昨年二月の第四回全協、十月の五全協、これらによつて軍事方針が確立され、公共機関、公務員を対象として各所に武器の奪取、或いは権力反抗等々が行われております。これら破壊活動はその行動態様において相共通するものがあることは見逃し得ません。この行動を憂慮し、人心の不安動揺をこのままで静観し得ましようか。去る五月一日、メーデーの好機をつかまえて皇居前に無辜の国民さえ道連れにして、白晝公然而も各国人の環視の前に市街戰にひとしいあの破壊活動は、一体このままで手を拱いていていいでありましようか。第二、第三の不祥事が近きうちに起きないと何人が保証し得ましようや。この現実の炳たる事実にさえ彼らは反省の色がなく、ますます増長して反動政府、反動官憲がみずから計画実行したものと宣伝しておるのであります。これらこそ無辜の而も純真な勤労大衆を扇動或いは教唆し、あの現場を見ました者の多くが一体これでいいのか、このままで日本の将来はどうなるのかと悲憤慷慨しないものがありますか。ここにおいてか抜本塞源の処置を講じねば社会不安の除去は困難であります。あの問題についても一部の者或いは同調者或いはためにせんとする者はいろいろな批判をしております。この種の極左破壊活動の防止のためからいたしましても、被害の予防のためからいたしましても、本法の成立は誠に焦眉の急であります。 次に、私は極左のこの種の破壊活動のみを本法の対象として考えたくないのであります。即ち極左に対抗して必ずや生ずることあるべきフアツシヨの抬頭であります。前第一次大戰後に、イタリア及びドイツにおけるところのあの共産党の展開、頻々たる破壊活動の横行に、当時の警察力や政府が無力に手を拱いていた結果、容易に反動勢力の勃興となつたのであります。燎原の火のごとくに現われたあのムツソリーニ、ヒトラー、このフアツシヨの国民の自由を奪つて計画した行為が、結局両国をして滅亡の憂目を見せたということは吾人の記憶に新たなところであります。この極右運動が勃興したゆえんのものは、取りも直さず極左の破壊活動を放任した結果であります。この極左に対する恐怖と熱烈真摯な祖国愛の自衛心を悪用したがために、かようなフアツシヨが功を奏したのであります。日本の現状でも過去の例に徹して容易にうなずけるのであります。仮に現在その危險の切迫なしとしましても、極左の破壊的脅威から社会を防衛し、民主主義の体制を確立するためには、これに相応する政府の施策に万全の措置を講じなければならんことはもはや議論の余地はありません。由来日本民族の多くは熱血性に富むの余り軽挙盲動の弊なしとしません。指導層に人を得なければややもすれば無批判となり、或いは諦めに陷り、中庸をとつて冷静に事を決することが困難であります。曾つては軍閥の誤れる指導の下に三千年の歴史が一挙にして葬られたというあの苦い経験は決して忘れてはいけません。民主主義社会の訓練現在なお日が浅き今日、真に我々はこのままでいいのか、何とかしなければならんという気持は恐らく何人も持つているでありましよう。一部の立場や感情からの者のは別といたしまして国民の多くが、本法による最小限の治安確保と民族互いに血で血を洗つて国家再建の妨げとなるような不祥事防止のため、衷心本法成立を望んでやみません。何といたしましても、日本及び日本民族が、敗戰後過去六カ年半に亘り連合軍の占領政策のために自主性を失いまして、依頼心が強く何事も占領軍の指導と援助に易々として盲従しながらも、他面戰勝国或いは占領軍ひいては政府権力者に対する欝勃たる不満と反撥心により、司令部当局の指令、覚書とか或いは新憲法で與えられた幾多の権利と目まぐるしいまでに無血革命にひとしい改革が行われておりますけれども、これは未だ真に消化し切つておらないのであります。ここに思想の統一なく幾多対立が各所にあつて、それが飽くまで並行的に分れることも又止むを得ないことであります。殊に平和條約受入態勢の整備未だ全からざる現在、思想において、労資協調において、その他法令の解釈において幾多のここに対立がありますことは、過渡的現象とは言いながら安定性の見出しがたく自主、独立、責任をみずから担つて国家の健全なる発達と治安の確保に種々なる意見の相違を来たすのであります。要は日本国家及び社会の現在の客観情勢、これを如何に評価して考うべきか、客観情勢の評価の軽重の問題であります。対外的関係におきましてこの朝鮮事変の成行を見まするときに、まさに対外的関係において、本法の必要の時期、必要性、相当性はおのずから明らかになつて参るのであります。民主主義自由国家の発展と平穏な社会秩序を否定して独裁、専制、一部特権階級の国家社会の樹立を企図する極左並びにその同調者の暴力主義的破壊活動によつて、当然なさねばならぬ合法的議会活動によらぬ行為が、憲法の保障する基本的人権その他の自由権、或いは勤労者の団結権等の正当な権利の範囲を逸脱したもので、これに対する何らかの規制をしなければならないということは極めて明白なことであるのであります。今後明かに予想され得る社会への現実にして明白な危害に対処して、警察力の武装強化とか或いは集会、言論、出版その他人権に対して或る種の制限規制も結局は民主的政治体制の中においても或る程度の取上げをしなければならんことは当然中の当然でありまして、これは民主的政府及び国会の最も重要な分野であります。憲法の保障する国民の基本的人権の自由を真に確保するためには、どうしても社会防衛の任務を忘れてはならんのであります。これを非民主的政治勢力に引渡すようなことがあつては、ここに極右勢力が勃興したりする余地を残すし、公共の安全の確保は期し得ません。これらの関係から本法を私は支持するゆえんであります。 この種の法律は日本のみにとどまらずして、立法例として米合衆国における一九五〇年の国内安全保障法も破壊活動取締法と称し、共産主義団体に対して届出、或いは或る種の非米破壊活動から同国を保護するための幾多の規制をし、取締の対象となる団体並びにその団体員に対する届出や報告義務を課して嚴重に罰を規定しております。或いは同年のオーストラリアが或る種の役職につく資格を共産主義者から奪つていることであります。これにもさつき申上げた米合衆国の破壊活動取締法と類似の規制、罰則を規定しております。或いは又南アフリカ連邦議会が共産主義弾圧法を制定して或る種の刊行物、集会を禁止し、共産主義の目的達成助長の意図に対し十年以下それぞれの処罰規定を設けました。殊にそれらの目的に関して土地や家屋その他の財産を使用することにさえ罰則を設けているのであります。その他ポルトガル、スイス連邦等々幾多立法例があります。反対説中の多くが憲法による基本的人権の保障を概念的に或いは包括的に強調して、公共の福祉、この限界をややもすれば軽視する傾きがありますことは遺憾であります。或いは治安維持法、国家保安法、治安警察法など、極右のあの遺物である特高、憲兵の政治警察によるところの非違と結びつけて、本法を直ちに政治警察の復活による人権軽視の弾圧政治を行うためだとの偏見論或いは感情論が少くはないのであります。殊に学界、言論界等有力者間に強硬に、先の団体等規正令から団体等規正との法律関係を以て、本法を同巧異曲の構想を持つているとして反対することは甚だ遺憾の次第であります。思想の自由は内的の心理段階であつて勿論法的に無制限であります。外面的に人に対し対社会的になつて行き、初めてこれらの自由に或る秘度の規制があることは当然であります。これが自由人権の思想の長い歴史から見ても容易にうなずけるのであります。一七七六年六月の米合衆国ヴアージニア州の権利章典によるところの平等、自由、独立、幸福、安全、追求、享有のこれらの権利、或いは新聞報道、宗教の自由を宣言し、次いであの有名な一七八九年フランス大革命によるところの人権及び公民権の宣言による思想と言論の自由は、西欧文化の中心国であるだけに極めて重大であります。併しこの宣言ですら公共の秩序を害せざる範囲において、或いは自由の濫用に対して責を負うとか、幾多の規制があります。その他挙げ来たれば幾多先例はありまするがこれは省略いたしまして自由人権の宣言から五百年、フランス大革命から百五十年の洗練による今日、何人もその人権が自由且つ安全な発達があつてのみ可能であることを社会に対して義務を負うというのが大原則であります。それらの権利及び自由の行使に当りましては、他人の権利及び自由の妥当な承認及び尊重を保持すること、並びに民主的社会における道徳及び公けの秩序、及び一般の福祉の正当な要求を充足することを專ら目的として法律が規定している制限のみに従わねばならんということも明示されているのであります。これの現在世界において最も大きな反響を呼んだのは一九四八年十二月の国際連合総会の世界人権宣言であります。これにつきましては、これらの権利及び自由は、如何なる場合にも国際連合の目的と原則とに反して行使してはならないという規制がありまして、これが民主主義の基本原理であるのであります。世界人権宣言後に発布した一連の憲法の思想、言論の自由は、一つは自然法学的に絶対的なものとしながらも同時に義務の伴うことを宣言しております。これらの人権宣言をソ連邦、或いは中共の憲法や同国の法令上、思想、言論の自由或いは勤労者の自由と、プロレタリアの独裁獲得の強化による幾多の強硬な規制は、自由民主主義国家群の想像以上のものがあることを考えねばならんのであります。欧米その他の国において民主主義的破壊活動取締法が共通にする理念は、全体主義的独裁制を樹立する行為、外国人又は外国の勢力による指導統制による国内政治の変革を企てること、暴力に訴えて事を決せんとする行為の、この三つを違法としているのであります。民主主義下において暴力を強く否定し、自由な思想、言論による討議を通じてのみ目的の事を決することは当然中の基本的原理であります。反対説の中に金城鉄壁のごとく口を開けば挙げることは、近代米国の生んだ偉大な合衆国一最高裁判事〇・W・ホームズ氏が同裁判所判例に掲げる、その行為には明白且つ現在的危険が存在すること、このことであります。言論、結社の自由のごとき政治的基本権に対する例外的制限の場合であつて、それ以外は許されないとしていることであります。これは当然中の当然。ここで注目しなければなりませんことは、一九三九年一月現在のニユーヨーク刑法典に、無政府主義とは、組織されている政府を暴力により、又は政府の行政長官若しくは行政官の暗殺により、又は不法手段によつて転覆すべきであるとする主義、このようなことを口頭又は文書で唱道することは重罪とし、集会、主義者に対する集合場所の土地家屋使用許可、出版等、広範囲の禁止重罰規定を課していることであります。合衆国最高裁判所の、アメリカ共産党書記長ほか十名に対するいわゆるスミス法違反事件に対して一九五一年第一審の一万ドルと五年の禁錮を維持しまして、アメリカにおける共産主義運動、ひいてはこれに関する言論、集会、結社の自由に関連して注目すべきシエク事件対合衆国事件の、先ほど言うホームズ判事の意見書中には「いずれの事件でも国会に防止する権利がある、実害がもたらされる明白且つ現在的危險を生ずるような事情の下でそのような性質の言葉が用いられているかどうかが問題である。」強力及び暴力によるところの政府の顛覆を図ることは、政府にとつては確かに言論を制限するに足りる重大関心で、一つの叛乱が企てられて決行の合図がなされるまで待つていなければならんということはない。結局言論の自由を絶対的とせず相対的に見て制限の必要性と行われた行為、なさんとする行為、これを天ぴんにかけてどつちが重いか、国家並びに公共の福祉が重いかどうかは裁判所で決すべき問題であると、この判例からいたしましても、本法によるところの国家社会の利益からする一部少数者の破壊活動の言論の制限も極めて止むを得ない、当然であることは何人もおわかりと存ずるのであります。 我が憲法十二條は十一條と共に、自由の権利は国民不断の努力によつて保持しなければならない、国民は濫用してはならない、常に公共の福祉のため利用する責任を負うとありまして、十三條以下四十條決して無制限のものでないことはこれ又異論の余地がありません。そこで本法三條の一項一、ロです。いわゆる扇動罪を独立罪としたこと、又同犯行の実現を容易ならしめんとするための実現の正当性、必要性を主張した文書若しくは図画を印刷し、頒布し云々、これを独立させましたことについて種々議論があります。特に特殊の極左暴力主義団体が不利益な扱いをされることに対する強い反対は申すまでもないことであります。或いは又濫用の危険なしといたしませんが、この扇動行為、これらこそ本法の目的として極めて必要であります。先般メーデー事件後に私の家へ、並びに近所へ配つて歩いたこういうビラがあります。「この日、人民広場を国民のものへ、と押しかけた労働者、学生、市民五万のスクラムに対し、血に狂つたアメリカ戰争屋共の手先き、警視庁虎の子“予備隊”はアメリカ製ピストルの乱射と催涙弾によつて、女子供の見境いもなく即死六名重軽傷千二百名の犠牲者を出した。国辱の日四月二十八日とこのメーデーの暴圧にアメリカ戰争屋共と売国奴吉田の正体を見た愛国労働者は民族の解放へと実力を行使し、アメリカ高級車の破壊を敢行した。最早や彼らに対抗する途は実力による粉砕以外にはない。これは全世界の植民地解放斗争に対する日本民族の応えである。この偉大なる日に労働者を抑えた裏切者=社会民主主義者を叩き出せ!たたかいに傷ついた愛国者は、国民の温かな愛情に守られている。」かように非常な強硬にして扇動的なこういう出版物を各所に配つて歩くのであります。これが本法の扇動罪を外にして真の治安の維持は困難であるというゆえんであります。或いは扇動という範囲が非常に広くてあいまいだ、こう非難しておりますが、この意義概念につきましては、すでに我が大審院は昭和五年十一月に判例で明示しております。「他人ニ対シ中正ノ判断ヲ失シテ実行ノ決意ヲ創造セシメ又ハ既存ノ決意ヲ助長セシムヘキ勢ヲ有スル刺戟ヲ與ヘルコト、扇動罪ハ扇動行為カアルコトニ依ツテ成立シ必スシモ相手方ニ於ナ其ノ結果ヲ惹起スルコトヲ要シナイ」これでこの観念はすでにはつきりしておるのであります。又すでにある法的根拠からいたしましても、食糧緊急措置令の十一條に、政府に対する食糧の不売を扇動する罪として三年以下の懲役一万円以下の罰金に処しておるのであります。或いは又国税犯則取締法の二十二條一項に「国税ノ納税義務者ノ為スヘキ国税ノ課税標準ノ申告ヲ為ササルコト若クハ虚偽ノ申告ヲ為スコト又ハ国税ノ徴収若クハ納付ヲ為ササルコトヲ扇動シタル者ハ三年以下ノ懲役又八二十万円以下ノ罰金」或いは刑法七十九條、いわゆる内乱予備陰謀の幇助、公職選挙法、引揚者の秩序保持に関する政令、公共企業体労働関係法、爆発物取締罰則、国家公務員法、地方公務員法、これらにいずれも扇動行為自体を犯罪として処罰することがはつきりしておるのであります。この扇動行為について憲法二十一條言論、出版の自由保障の違憲じやないかどうかということにつきましては、我が最高裁判所は昭和二十四年五月に大法廷を開きまして、憲法違反でない、有罪としております。これは食糧管理法につきましての判決であります。その理由の中に「前に述べた言論の自由は公共の福祉を害し、自由の限界を逸脱し、社会生活において道徳的に責むべきものがある」から、食糧緊急措置令第十一條によつて処断するのだ、こう公共の福祉と扇動行為の言論の限界を定めているのであります。注目をいたしますことは電波法であります。昭和二十五年の法律、第百七條であります。「無線設置又は第百條第一項第一号の通信設備によつて日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する通信を発した者は、五年以下の懲役」云々とあります。これらはまさに本法のこの扇動罰と殆んで似ておるのであります。次に国家公務員法の三十八條の五條に公務員の資格を欠くものとして「憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」地方公務員法十六條、人権擁護委員法、保護司法その他特別公務員に関する数極の法律にも同様の規定があります。本法が団体等規正法案と一連の構想下にありと宣伝反対するものの中には特に注目すべきものがあります。先の団体等規正法案に対する日本新聞協会の発表にかかる雑誌世界三月号の新聞法制研究会委員の著名なる学者連中の発表したものであります。これは又六月号にも出ておりまして、公述人の中にもよくお知りのかたがありまして、そのかたが述べられることとは思いますからあまり詳しくは申上げませんが、この中に私の属する東京弁護士会名を利用して発表されておる団体等規正法案、ゼネスト禁止法案、集団示威取締法案に対する反対意見であります。この関係からいたしまして、いわゆる本法を性格、目的、範囲が違うにもかかわらず同巧異曲のものと見、いわゆる坊主憎けりやけさまでの例えで、面目論或いは感情論の上から本法に対する強い反対論を推進すべく、我が弁護士会の一部会員が先般本法に対する反対決議を弁護士会の名において発表しようとしたことを私は知りました。それでその手続なりその不当を交渉いたしました結果、それは我が会の名義で発表してありませんがその後個人名義で発表したようであります。これらの経緯からいたしましても、なかなか反対者は理路整然真つ向から憲法論を掲げて誠にその言やよし、はなばなしい感はありまするが、その手段方法その内容幾多矛盾と撞着あるをいなめません。殊に我が会の名前で発表しようとしたその経緯から見ましても、会長その他の者に対して理論闘争の結果、あまり当局者は研究しておらないものだから、成るほどそれは憲法の自由権を無視するものだとして軽々に賛成したような関係などからいたしましても、本法反対論は極めて立派に構想せられておりまするが、反対の直の理由が先ほど来述べましたように矛盾と撞着あるを否定し得ません。 次に結論といたしまして、本法がかかる強硬反対と立案の経過、殊に平和條約発効後の急速を要する過渡期の混乱期に処せねばならん内外客観情勢の支配を受けまして、且つ恒久法でなく非常臨時法たるの性格からややもすると本来企図する目的達成にこの程度で十分かどうかさえ疑う節もあるのであります。或いは又本法が団体の規制という行政機関の公安調査庁と公安審査委員会の行政処分と、一つは罰則のいわゆる補整、これが形式的にはあたかも刑法の改正にもなるごとく見えますし、前者が行政処分であり、あとのほうは司法裁判に属しまして、行政処分は急速果敢を要し、他面罰則適用に関連し、政治上に或いは憲法の自由権の抵触、なかんずく勤労者の団結権、団体行動の規制等に幾多影響がありますだけに、本法運用に当りましては予期しない障害と、若しも濫用或いは運営を誤ることがありますならば、反対論の言うごとくそれこそ民主主義国家の禍根、日本民族悲劇の慮れなしといたしません。特に第三條一項ロの強き反対のあるあの正当性、必然性の具体的問題に対する処置であります。或いは四條及び六條の団体の活動たるや否やの範囲の確定、これが一部尖鋭分子が団体名を利用し、或いは役職員を威迫、陷穽、驚かしたり騙したり、団体本来の目的やまじめな団体員や役職員の真の意思に反して破壊活動をしたときの連座性、文書、印刷物の所持、その所持がたまたま本法の抵触せざる目的のために所持したことに対して具体的にどう扱われるか、その濫用の弊なしとしないか、この点が運用上心配されるのであります。いやしくも本法一條の目的、二條の基準を断じて逸脱したり、今後みだりにこの性格、目的、基準を軽々に改悪するようなことのないよう希望するのであります。併しながら反対者の言うごとく、さような点について濫用の慮れがあるんだと、濫用されりや困るのだということはこれは反対の理由にはなるのであります。如何なる法律といえども濫用の伴わない、濫用の絶対慮れないという法律はありません。その濫用される余地があるからというて本法に反対するということは、あたかも角をためて牛を殺すの例でありまして真の反対理由にはなりません。 〔理事伊藤修君退席、委員長着席〕 次に審査委員会の点につきましてその性格、これはまさに準裁判手続であります。この運用こそ本法の最後の決断をするところでありまして、この委員長、委員、委員補佐の使命は誠に重大であります。この点につきましては特に万全を期するためにそれらの人選にはやはり多年経験ある民間の弁護士を任命することが最も適切と考えるのであります。 いろいろ修正意見も出ておりまするが、その点について触れてみたいと思うのであります。職権濫用の慮れがいろいろなかたがたによつて述べられまするが故に、刑法百九十四條の特別公務員のほうの規定を本法に織込むかどうかという問題でありまするが、これはそうしないほうが本法をして健全に運用発達せしむるゆえんと信ずるのであります。何となれば審査官に、検察官、司法警察官と同種同様の権限を與えないのが本法の極めて苦心したところと考えられるのであります。検察官、司法警察官はその捜査行為自体幾多強制権がありまするが、この審査官には強制権はありません。よつてこれら職員の精神的に熟する意味からいつても検察官、司法警察官の職務とは違うのだ、捜査権がないのだ、みだりに自由権の干渉はいけないのだという自覚を促すためからしても、特別公務員の罰則規定は却つて害あつて益ないと思うのであります。要は本法の違反行為或いは濫用行為を一般公務員の職権濫用行為によつて嚴重処罰し、その検挙を躊躇しないよう、又国民なり弁護士会は断固本法の濫用に対しては民主的に対抗すれば事足りると信ずるのであります。 次に問題の扇動の削除が修正意見として問題になつておりまするが、これは先ほど来述べましたようにこれを抜いては本法の真の目的運用は骨拔きになります。扇動行為の取締こそ最も治安維持のために必要なんであります。次に正当性といわゆる必要性、この問題もやはり扇動行為と関連して同様であります。或いは本法第四條の公開の集会を禁止するなら非公開の集会をも禁止しろという議論でありまするが、これは公開の集会においてのすでに行われた破壊活動に対して、而も更に反覆継続して行うことの明かな慮れがある場合に適用する、この停止解散の場合、而も停止の場合のみでありまするから非公開の場所での相談や何かはこれは禁止する必要はないのであります。停止処分に応ぜずになお反覆してやる場合においては解散処分ができるのでありまして、これは問題ないと思うのであります。ただ三條一項一号ロと三十七條二項のいわゆる実現の正当性又は必要性を主張する言論や映画、或いは先ほど申上げた電波法にあるラジオ、次に起るテレビ、これらによつて扇動行為が行われた場合に一体これを放任していいのかどうか、かような場合をも当委員会としては相当御研究せられて本法運営に万全を期せられんことを願いたいのであります。 破壊活動団体の行政処分に対する違憲性の有無が議論になつておりますが、これは法務総裁が述べられておりますごとくに、飽くまで本法の団体に対する規制は行政処分で、三権分立の趣旨からいたしましても、一方行政処分に対する訴訟行為の途が開かれております小ら、この点は行政処分としてせられることが適切であるのであります。 次に破壊活動が裁判所で無罪になつても停止処分が直ちに取消されるかどうかということが問題になるのであります。これは具体的の場合で一概に抽象的には言い得ないでありましようが、当該団体の停止処分を受けた既存の破壊活動行為、これが団体員全部の意思を体してやつた行為によつて受けた場合その全員が無罪になつた、而もその無罪が立派に罪のなかつたことが証拠立てられておれば、停止処分は解除しなければならんのであります。要は団体の構成員が団体の意思としてやつたかどうか、この点が問題になるのでありまして、又一方本法がこの点によつて相当成果を収めると思うのであります。先ほど我が会において問題になつたように、一部急進分子が団体名を利用して成る行動をしようという場合には、互いにそれを討議し合うなり或いは監視してさようなことのないようにしてこそ、民主主義の団体の団体、員たるの義務であり、かくしてこそ健全なる団体の発展、ひいては国民の民主主義の健全なる隆盛を来すゆえんであります。ただこの運用について十二分に愼重を期せられたいのであります。さようなことを考えてみましたときに審査委員会が誤つて決定をした場合、その変更取消を裁判所にのみ委ねていいか。はつきりした場合に、訴願的の方法なり或いはみずからこれを取消、停止する方法を考えてみてはどうかという問題であります。 最後に行政事件訴訟特例法によつて本法の処分をされて裁判所に訴えても、総理大臣が停止処分に異議を主張した場合には停止の効力はない、活動をとめられた団体は復活の方法がないのだという、この場合であります。尤もの心配であります。この点につきましては或る程度の修正をせられるか、この点についての濫用の弊のないよう特に関係当局に希望いたしまして、以上私の賛成意見として述べた次第であります。
○伊藤修君 私は質問をするわけではありませんが、只今の公述人のかたが日本弁護士連合会を代表してという御意見でありましたのですが、当委員会は代表といたしまして島田武夫氏を御推薦申上げて明日公述を願うことになつているのですが。
○公述人(鈴木多人君) 私は日本弁護士連合会とは申上げません。日本弁護士協会の会員の意を体してと申上げました、会が違うのであります。
○伊藤修君 あなたは日本弁護士連合会ではなくて、日本弁護士協会の会員の意を体してと、こういうふうに伺つてよろしいのですか。
○公述人(鈴木多人君) はあ。もう少し具体的に申上げますれば、この決議案を作成した過程や何か申上げてもよろしいのですが、会が違います。
○伊藤修君 それならいいのですが、連合会を代表してというと大変重大なことになりますから……。本委員会はあなたの個人の意見として在野法曹としてお願いしたつもりですから、そこの誤解があるといけませんから明らかにしておきたいと思います。
○委員長(小野義夫君) 公述人に対する質問はあとで総合的に皆様にお願い申上げますから……。 それでは次に雑誌、世界の編集人吉野源三郎君をお願い申上げます。ちよつと公述人のかたにお願い申上げますが、大分まだあとに人が残つておりますことと、それから最後に皆様のお立会いの上で全員に対して御質疑を申上げたいという希望がございますので、甚だ時間を制約して申訳ありませんが、大体二十分乃至二十五分ぐらいの程度において一応の公述を願いたいと思います。
○公述人(吉野源三郎君) 私は雑誌、世界の編集をやつております吉野であります。その立場から今回の破壊活動防止法案についての意見を述べろというお求めなのでお答え申上げたいと思います。 只今私どもの雑誌に対しましては、毎日十数通に上る読者からの手紙が届いております。このような傾向というものは、七年間雑誌を編集しておりまするが、最近になつて著しく現われて来た現象であります。なお念のために申上げますと、私は世界の編集のほかに今私の関係しております出版社の編集全般に関係いたしておりまするので、大体図書の冊数にいたしますと、毎月七十万冊の本を日本全国に送り込んでいるわけでございます。又一方読者ではなく、そういう言論機関を通じて意見なり、学問的業績なりを発表しておられるかたで、私どもが御関係申上げている学者、評論家の数はちよつと調べますと千三百名に上るわけであります。大体千三百名ぐらいの今日活動しておいでになる評論家のかたがたと出版の契約を取結びまして、毎月新刊三十点、雑誌は只今御指名になりました世界以外に八つの雑誌を発行しているわけであります。これらの厖大な読者の数と相当多数の識者との数から、大体私どもはこういう立場において、今日の日本の一般の主張というものがどう動いているかということを絶えず知つておるわけであります。その傾向を概して申上げますると、今の時局の動きに対する憂慮というものが深く垂れこめているということでございます。これは先ほどの公述人のかたからお話のございましたような治安上のいろいろな不安というもの、例えば警察に火炎びんが投げ込まれるとか、或いは先ほどのような、というのは五月一日のような騒擾があつたとかいうようなことから、この不安が出ているのではないように思われます。何となればそういうことに対する不安ではなくして、やつと敗戰というあれだけのつらい思いを通つてそして民主主義の新らしい時代を迎えたのに、果してそれがすごやかに伸びて行くであろうかどうかという意味からの不安だからであります。まあ私がこの破壊活動防止法案について何かの意見を申上げるといたしますれば、今国民の中に深く根ざしているその憂慮が果して取除かれる方向においてこの法律が成立つであろうか、或いはそれを濃くする方向において成立つであろうか、この一点でございます。で、大体特に若い青年たちの立場から申しますと戦争による犠牲は身にしみて感じているわけであります。そして敗戰というあの悲劇を通じまして、在来自分たちが教えられていたところの考え方、社会なり道徳なりについて持つておりました考えが根本的にゆり動かされたという状態にありました。それからどう立ち直ろうということがそういうかたがたにとつては中心の問題あつたのであります。こういう若い人たちの思想というものが未熟であるとか何とか申しますが、実はこの若い人々こそ今後の日本の担当者でありまして、その人たちがどう伸びて行くかということにかかつて日本の将来はあると私は信ずるのであります。その点は実に私は誠実に今日若い人たちによつて追求されていると信じます。それは例えば十八、九歳で以て軍隊にとられまして六、七年軍隊の教育を受け、戰地に行つて帰つて来た。軍隊において教えられて来たところが自分にとつて絶対の真理であると思つたのが敗戰によつて美事に崩されてしまつた。今後自分はどこに希望を持ち、どう生きて行つたらいいのかという悩みを深刻に悩みまして、そうして新らしい憲法に表明された民主主義、人間の自由という価値に対する目ざめによつて立上ろうとしている。これが私は日本の将来についての一番大きな希望じやないかと思います。こういうものがすこやかに育つて今日私たちの持つております憲法が本当に日本において根を下し、日本においてこれを伸ばして行くのだ、私はそう信ずるのであります。これは私は何も東京の大学などに来ておいでになる青年諸君を指して申しているのではないのでありまして、今私の申しましたような青年たちは、地方の農村にあつて目々農業に従事しながらそういうことを書き送つて来ましたり、或いは公務員として地方に勤めながらそういう感想を持つ。それぞれまじめに生業を営みながら、思想的にはその文面から察しましても、いわゆる新らしい社会科学的な思想の洗礼などは受けておらない極めて実直な人たちであります。こういう人たちがまじめに自分がどう生きて行こうかということの又今の社会問題、今の政治の問題というものを一つにまとめてまじめに考えている。こういう手紙を私は受取るときにいろいろな意味で今日の時世に絶望的なものも感じますけれども、まだまだ日本というものはこの人たちによつて生きかえると考えているわけであります。 で、この人々の希望として見出しておりますところの民主主義の原理というものが、今日の問題になつておりますような法案によつて果して伸びて行く方向に行くだろうか、押えられて行く方向にあるだろうか、これが大変問題なんじやないかと私は考えるのであります。で、大体かような治安立法が憲法で保障しておりますような基本的な人権に制限を加えるものであるということは、これは立案者の立場からもともとに御承知になつておることでありまして、それ故に第二條においてもこれの濫用を嚴に戒めておるわけであります。勿論言論、思想その他の自由というものが無制限のものでない、場合によりましてこれに制限が加えられるということは、法律論として私どもが専門家からよく伺うところでありますが、結局個々の場合におきまして、かかる制限によつて得るところと失うところといずれが多いかということが現実において判断されまして、かかる制限が或いは認められ、或いは否定されるのではないかと思います。そういう点から申しますと、私は現在の状況においては失うところのほうがはるかに多いと信じておるものでございます。勿論これにつきまして、第二條において法案自身が警戒しているばかりでなく、特に調査機関と決定機関を分離しますとか、或いは対象とするところの行為を刑法によつて明確にするとか、或いは行政事件訴訟特例法によつて裁判所に訴えてこの決定について抗告するような途も開けているとかそういう配慮があるのでありますが、かような配慮をしなければならないような法案をなぜ今我々は問題としなければならないか。その点が一番問題じやないかと思います。この点につきまして最近の新聞等の報道しまするいろいろな破壊的な行動というものが例にとられているようでありますが、私はもう一つ今申しました国民のなかの多数の識者、並びに最もまじめに日本のことを憂えておると思われる青年層というものの間に垂れこめておる恐怖というものを見逃してはならないだろうと思います。民主主義における一つの大事な要件は、恐怖からの自由だと思います。私はこの法案が恐怖からの自由という一点から考えると、その恐怖を濃くするものであるというふうに考えるものであります。 特にもうすでに専門の法律学者等からも指摘されておりまするし、衆議院における公聴会においてもいろいろな面から指摘されていることと思いますが、第三條第一項第一号のロにありまするような内乱の予備、陰謀、幇助を扇動するということまでも独立。罪になつております点、同じように第三條第一項第二号のヌにおいて言われておりますような扇動の罪、こういつたものの解釈は現実に私どもが考えて言論の問題として考えてみますると、非常に広汎な解釈を入れる虞れがあると存じます。過去の経験で申しましてこれが曾つての治安維持法等に比べて、そういう点の配慮が行われておるということは私は認めるのでございますが、そもそもこういう治安立法に基いて行政権が言論に干渉する虞れというものは、日本の場合非常にまだまだ濃いのではないかと思われるのであります。そういう点で先ほど申上げましたような、第三條の教唆、扇動に関する罪というものは、先ほど申しました一般の言論界に及ぼしておるところの恐怖或いは一般の民衆の抱いておるところの恐怖というものを濃くする方向に働かざるを得ないというように考えるのであります。で、過去の経験と申しましたが必ずしも治安維持法のすぐの適用というのではないのでありまして、行政官の立場から治安を維持するために、いろいろな言論に対する干渉が行われまする度合というものは実に複雑な形をなすわけであります。大体扇動というようなものは扇動だけがあつて扇動される、まは例えば扇動を禁じようとするような当の大きな事態が生まれるのではないのでありまして、いつの時代でも少数の人は不満を持ち、政治的な目的を過激な方法によつて実現しようとする扇動を行うかも知れません。併しそれがこの法律によつて保護しようと思つておりますような国家の基本的な秩序、制度というものに危険を及ぼすようになるには扇動以外にその扇動を受入れる條件というものがなければならないと思います。その意味で私は破壊活動防止法案に関する説明において、本條第一項に掲げるごとく、危険極まりない実害的犯罪を起す明白な現在的危険を生ずる場合には、その企図する結果の実現するまで何らの措置も講ずることなくこれを放置することは、公共の安全の保持の許し得ないところであります、という文句を認めますが、何らの措置も講ずることなくこれを放置するのは実にけしからんのでありますが、その講ずべき措置が、單にこういう扇動を抑えるような何らかの意味でそういう形をとつて、弾圧して行く、言論やなんかの自由を制限する方面だけに求められることは非常な危険がある。そういう政策が我々の憲法によつて保障された自由の擁護よりも強く押出されるということは、それこそ日本に民主主義の精神を根ざさせる上に大きな害があるのではないかと思います。で、扇動と申しますと、先ほど申しましたように、それについての受入れる側がありまして、そこに大きな不満が欝積されていない限りどんなに扇動したつて扇動は有効に出て来ないと思うのであります。これはいろいろな相互の條件によつて結果が大きくなつたり、小さくなつたり、全然効果がなかつたり、僅かばかりのものが大きな結果を生んだりするのじやないかと思います。そうしますと、状況の如何によりまして扇動とみなされるものが順次推移して行くだろうと思うのであります。これは曾つて日本が戰争に突入して参りました場合に、言論に対する取締というものが年と共に範囲を拡めて参りました。それは状況次第で適用される傾向を非常に強く持つておつたのであります。でありますから、先月はこの程度の言論は許されて翌月はもはやそれが許されないというふうに推移して参りました。 それからなお政策的に考えられますると、取る言論の機関においてはこの程度のことは許されるが、或る言論機関においてはこれが許されないというようなことも起るのであります。何となれば影響力のあるものと影響力がないものとがやはりその際に考慮の中に入れられるからであります。そういう点で曾つての各出版社は、一体こういう出版が法規に違反するかどうか、或いはそういう行政的な措置によつて禁止されるかどうかというものの判断をするために特別の係を置きましたり、或いはそういう検閲官等に内閲してもらうというような非常に煩瑣な手続をとつてやつておつたわけであります。いま今後におけることを考えましてもやはり言論が濶達に自由に発表されますことは一旦かような法規ができますと不可能になると思います。で、やはりその点についてのいろいろな配慮を行わなければならなくなるのであります。そうしますといわゆるさわらぬ神にたたりなしというような態度が自然とものを書く人又は出版する者の間に出て参りまして、言論は萎縮する方向をどうしても迫るだろうと思います。こういう言論の萎縮というものが日本の今日の場合においてどれだけの大きな意義を持つかということは、敗戰後の日本がいまだ民主主義の建設の途上にあるということをお考えになれば十分に御理解頂けるのじやないかと思います。そういう点はすでに長く民主主義を確立してからの歴史を辿つておりました先進諸国における場合とはよほど違うものと私は考えるのであります。それらの場合におきまして或る程度のこれらの規制が法律上ありましても、その場合にそれによつて基本的な権利を侵さないようにという配慮は、もつともつと強く真の自由ということが社会の常識となり、又行政官においても体得されてからでなければできぬのじやないかしらんと思います。この点においては日本が新らしい憲法を採用してからまだ齢も若く、今後そういうものを確立して行かなければならないという状況から考えると、大きな不安があると思います。 私の申上げたいと思いますことは今申上げましたような状況からこのような法律が施行せられました曉には、言論には萎縮が避け得られないということ、そうしてそれが今一般に国民の中に潜んでおりますところの不安、又学術、評論の携わつておられる人々の不安というものを濃くするということであります。即ち恐怖からの自由ではなく、反対に恐怖を増す方向に行くということであります。その点を十分お考え下さいまして、個々の法律の條文が違憲であるかどうかということを離れまして、参議院こそ高邁な見地からこの審議をお進め頂きたいと思います。
○委員長(小野義夫君) 次に京都大学法学部教授瀧川幸辰先生にお願いいたします。
○公述人(瀧川幸辰君) このたび参議院にかかつております破壊活動防止法案については、私の結論を申上げますと、この法律案はいけないと思うのであります。と申しますのは、これは第一條に目的が書いてあります。これは「団体の活動として暴力主義的破壊活動を行つた団体に対する必要な規制措置を定める」と、こういうふうになつておりますが、実はこの法律ができた曉に罰せられるのは団体ではなくして個人であります。で、「団体に対する必要な規制措置」となつておりますが、結局これは或る団体を解散するとか何とかいうことを目標においておることは、これは間違いないのでありますが、それよりも前に、団体の解散などよりも先に個人が罰せられます。で、これは今もお話がありました通り、個人の言論であるとか、思想とかいうものは、この法律によつて到底自由に行うことができなくなるだろうと思います。 大体こういう法律は必要であるかどうかという問題、こういう法律はと申しますのは、団体を取締る法律が必要であるかどうかと申しますと、これは必要であります。現在の刑法は御承知の通り一八一〇年のフランス刑法、現在フランスの現行法でありますが、フランス刑法を模範にしてできた刑法であります。フランス刑法の系統の刑法はすべて個人の自由、平等というものを守るために作つてあります。従つて扱つておる犯罪は個人犯罪でありまして団体犯罪は見ていないのであります。或いは内乱、いま日本の刑法でいう内乱罪であるとか、或いは騒擾罪であるとかいうものは団体犯罪でありますが、これは例外でありまして、原則として個人犯罪であります。団体犯罪を今の刑法は扱つておらないのであります。ところで十九世紀の中頃から機械が発達しまして、生産面はすべて分業になり大きな集団の作業となり、個人の手工業を圧迫してしまつて大工業になつております。同じく犯罪も個人の犯罪から団体の犯罪に移つております。又現に移りつつあります。ところが個人の犯罪を目標としておる刑法で団体の犯罪を扱うということはできないのであります。即ち賄い切れないのであります。で、どうしても刑法のほかに団体の行動を対象とする刑法が必要であることは疑いないのであります。で、今破壊活動防止法案の反対意見としまして、これは刑法で賄える、こういう法律は要らないという議論がありますが、この議論はむしろ私は反動的であると思うのであります。刑法で賄えないものを刑法で賄えというのは無理であります。刑法で賄えない部分、団体の犯罪をほかの法律で賄うということはこれは当然であります。ですから団体の犯罪を賄う法律が要るということは、これは認めなければなりません。ただそうだからといつて、この破壊活動防止法でよろしいかというと、そうじやない、それではいけない、こういう結論になるのであります。 刑法の性格はこれは二つありまして、一つは刑法は社会から犯罪を防ぐということ、即ち社会防衛というか、刑法によつて社会防衛を行うということ、これが刑法の性格の一つであります。もう一つの性格は、犯罪人、即ち刑法によつて罰せられる人間の人間としての権利、人権を擁護する、この人権を擁護するということが刑法の性格であります。この二つの性格、即ち社会を防衛するということと、個人の自由を護るということとは、これはアンチノミーであります。社会の防衛からいえば、個人の自由を抑圧することを考えずにどんどんやれば、この社会は防衛できます。同時に又逆に個人の自由を擁護するというふうになれば、これは社会の防衛ということはむずかしいのであります。そこで刑法というものはいつも社会防衛と個人の自由の擁護という二つのアンチノミーの丁度妥協点が刑法の法律として成り立つわけであります。現代の刑法は、やはりいま日本としてはそういう意味で妥協点を見出しておるということになつておるのであります。 ところで団体の犯罪というものはいま刑法で見ていないと申上げましたが、その団体の犯罪を処置するのに個人の行為を目標としておる程度の法律で処置をつけるということは、大変危険があるのであります。そうなりますと何と申しましようか、刑法の拡張解釈であるとか、或いは類推ということがしきりに行われることになります。一つ例を挙げて申上げるとよくわかりますが、三鷹事件で有名になりました共謀共同正犯という議論があります。共謀共同正犯、これは昭和の初めから旧大審院の判例になつておりまして、現在の最高裁判所もこれを引継いで行つている、最高裁判所の判例となつております。それは共同正犯と申しますと、共同して犯罪を実行した者が共同正犯であります。ところが共謀共同正犯というのは、実行はしないでお互いに数人の者が相談をして或る人間だけ実行するのです。或る人間だけ実行した場合にも相談にあずかつた者は正犯だということになります。これは法律が見ておるのは犯罪の実行、即ち電車をひつくり返した犯罪の実行に関係した数人が共同正犯であります。ところが相談するときには数人が相談をしたが、電車をひつくり返したのは一人であります。その一人が正犯であるけれども、相談にあずかつた数人も共同正犯だというのが旧大審院の判例であり、最高裁判所の今受継いでおる判例であります。これは何かというと、刑法で賄えない共同犯罪を賄おうとしたために刑法を拡張しておるということになる。共謀共同正犯という旧大審院の立場に対しては学説は殆んどこぞつて反対しております。併し大審院はこれを改めないのみならず、最高裁判所も大審院の判例を受継いでおります。それはどういうことを示しておるかと申しますと、それは法律が不十分なときには、裁判所或いは検察庁、警察はどしどし法律を拡張して解釈します。或いは法律を類推します……と申しますか、類推します。日本ではそのくせが相当あります。日本の官憲は刑罰法規の類推解釈ということが好きであります。そこで今団体を規律する法律がないのに無理に今の刑法で団体を規律さすということになれば、まあいわば裁判所に刑法の拡張解釈或いは類推の特許状を與えるような形になるのです。無論反対する側も刑法だけで賄えるのであつて、刑法拡張解釈をせよとは言わないと思いますが、刑法だけで賄えるとという議論は、刑法の拡張解釈を裁判所に認めるという危險がありはしないかと思います。そこでやはり団体を規律する刑罰法規が必要だということになります。 そうすると、この法律はいいかというと、この法律は相当人権擁護の面から見て危險な法律だと断言してよろしいのです。そのことはすでにこの法律自体が示しているのであります。第二條に(規制の基準)と書いてあります。(規制の基準)と書いて、この法律は「思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあつてはならない。」と書いてあります。これは当り前のことであります。不当に制限していいという法律はないのであります。なぜこういうわかりきつたことを書いてあるかというと、わかりきつたことを書かないとあぶない法律だというのであります。これはまあ問うに落ちず語るに落ちるというところであります。非常に危險な法律だということを法律自体が言つております。それから第二條の二項に行きまして、この法律による調査については、「いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあつてはならない。」正当な活動を制限するとは何のことですか、これもわかりきつたことだと思います。こういうわかりきつたことを書かなければあぶないような法律は、それ自体があぶないということを示しているのであります。そうすると何が暴力主義的活動かということになりますと、これは第三條に書いてあります。第三條に第一号と第二号とありまして、第一号はイ、ロ、第二号がイからロ、ハ、ニ、ホ、へ、ト、チ、リ、ヌと、ヌまであります。この第三條第一條のイですね、これは刑法の七十七條の内乱罪、七十八條内乱の予備、陰謀、七十九條の内乱等の幇助に関する行為をなすこと、これは暴力行為だ、暴力主義的破壊活動だということになつております。これは勿論その通りであります。ところがロに行きまして、イはこれは要らないと思います。イはロを引出すため書いたのです、イはどうでもいい、ロを書きたいためにイを入れたのであります。「この号イに規定する行為の教唆若しくはせん動をなし、」ということになつております。これは少し変つたようでありますが、「教唆若しくはせん動をなし、」が「なすこと。」と、こういうふうに変つております。あとは消してしまつてハができたわけであります。ハは「この号イに規定する行為の実現を容易ならしめるため、その実現の正当性又は必要性を主張した文書又は図画を印刷し、頒布し、公然掲示し、又は頒布し若しくは公然掲示する目的をもつて所持すること。」こういうことになつております。そのロの「教唆若しくはせん動」であります。内乱罪の教唆ということは、これは言わなくても刑法に書いてあります。問題は内乱の予備、陰謀を教唆するということであります。内乱の予備、陰謀を教唆する。元来教唆と申しますのは、これは刑法の六十一條にあるのでありまして、六十一條の一項に「人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシメタル者ハ正犯ニ準ス」と書いてあります。教唆というのは犯罪を実行させるということが教唆であります。犯罪の意思がない者に犯罪の意思を固めさせて、そうして犯罪を実行させるのがこれが教唆であります。ところが予備、陰謀といいますと実行以前の行為であります。実行の前段階であります。予備というと準備行為であります。陰謀というとその相談であります。相談をし準備をしてそれから実行になるのであります。法律が見ておるのは、実行の教唆を法律は教唆としておるのであります。ところがこのたびの破壊活動防止法案は内乱罪の予備、陰謀の教唆ということになると、同じ教唆という言葉を使つているが、現在の刑法が使つておる教唆とは違う教唆であります。でありますからして、教唆の考えを相当拡げたということになるのであります。無論刑法にも実行の教唆のほかに教唆を教唆するというのがあります。教唆を教唆する、これは刑法の六十一條の二項に「教唆者ヲ教唆シタル者亦同シ」となつております。「亦同シ」というのは、これは正犯に準ずるという意味で、これは準用規定だ、つまりそれは本当の教唆じやないが、併し教唆を教唆した場合には正犯と同じにする、同じに見るという規定であります。それから少し細かくなりますが、刑法の六十二條の二項の従犯ですね、「従犯ヲ教唆シタル者ハ従犯ニ準ス」と書いてあります。これはやはり教唆という文字を使つておりますが、これは「従犯ニ準ス」として従犯の教唆というものは、教唆と認めておるのじやないが、教唆じやないが教唆と同じように見るという考え方であります。そこで教唆という言葉は刑法ではどこまでも犯罪の実行を教唆するというところに教唆という言葉は使うのであります。ところがこの新らしい法律案ではその教唆という言葉が犯罪の予備、陰謀の教唆ということに使われておつて、教唆というものの観念を刑法よりも拡げております。これはどうもこういう使い方は刑罰法規の使い方としては面白くないのであります。刑罰法規は人を罰するという点から見まして、罰する範囲がはつきりしておることが必要であります。即ち何が犯罪であるか、その犯罪に対してどういう刑罰が科せられるかということは、法律で確定しておくことが必要であります。刑法は犯罪人のマグナカルタであるという有名な言葉の意味はそこにあります。ところが教唆という文字を使つて、予備、陰謀の教唆を独立の犯罪とするということは犯罪の成立の範囲を非常に拡げた、こういうことになるのであります。 ところがもう一つ困つたことは、その次に扇動というのがあります。「教唆又はせん動」となつております。扇動という言葉はこれは刑罰法規に二、三使われております。この廃止になつた治安維持法の三條、四條に扇動という言葉を使つております。治安維持法の三條は実行に関し協議宣伝、四條は暴行行為或いは生命身体に対する罪を扇動したものというふうに扇動という文字を使つております。それより前に明治三十三年治安警察法、これも廃止になつておりますが、この治安警察法の第十七條に有名な規定がありました。これはストライキの遂行を誘惑扇動したという規定であります。つまりストライキをやらなくてもストライキをけしかける、ストライキをやれえということを誘惑扇動をする者を罪する、これは大正十五年の法律第五十八号で削除になつておりますが、この治安警察法の有名な規定であります。ストライキをこれで排しておつた、これでストライキをするなと言つております。ストライキは労働者の権利である、併しストライキを誘惑扇動することは罪する、ストライキをやろうと言うことはストライキの誘惑扇動であります。ものが言えない、ただお互いに自発的に偶然一致してストライキをやればいいが、併しストライキと言つてはいけないという規定であります、ストライキをするなという規定であります。それは廃止になつておりますが、こういうふうに扇動という言葉を使つていないことはないのであります。それから現在の爆発物取締罰則の四條にも脅迫する、或いに扇動するという文字を使つております。 ところがこういう規定の脅迫、扇動、扇動という言葉はまだ範囲がはつきりしておるのであります。破壊活動防止法のこの扇動よりもはつきりしております。なぜ破壊活動防止法の扇動がはつきりしていないかと言いますと、これは内乱罪の予備及び陰謀を扇動するということ、それからそのほかに三條第二号のロですね、第二号のロからずつと続く、第三條の第二号の「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため、左に掲げる行為の一をなすこと。」としてイロハニと書いてあります。最後にヌのところに行つて「この号イからリまでに規定する行為の一の予備、陰謀、教唆又はせん動」と書いてあります。こうなりますというと、この予備、陰謀の扇動ということになりますと、準備行為を扇動したとこういうことになるのですね。例えば革命をやるのには鉄砲が必要だということを言うた人間がおるとします。これは何かというと、鉄砲が必要だということは鉄砲を準備することであります。その準備行為を扇動したということになります。或いは或る学者が仮に革命の必然性という題を掲げて講演をしたとします。これは必ず革命の宣伝をした、つまり内乱罪の予備又は陰謀を扇動したということにとられないとも限らないのであります。そうなりますというと予備、陰謀を扇動したということになると、この犯罪成立の範囲が底なしの沼のごとくどこまで行くのかわからなくなります。これでは演説もできなければ講演もできません。応援演説をやる、或いは理論的な教室演説をする、或いは講演をする、これに監獄行きを覚悟しなければできないとこういうことになるのであります。そういう法律が果してよい法律かどうかと聞かれたならば、誰だつてこれは困つた法律だというに違いないのであります。恐怖から自由であることが必要だと前の公述人が言われたのであります、全くそうであります。この法律が出れば人々はすべて恐怖の淵に投げ込まれる、こういうことになるのであります。そういうわけで、この法律に刑罰法規の生命であるところの犯罪成立の範囲を明確にするという点に非常にあいまいなところがあります。むしろ明確にするというこの精神がないんだと見てもよかろうと思います。 そういう点から言いまして、この法律案が若しも法律となつた場合には、我々にも自由とか人権、或いは思想とか学問の自由というものは殆んどなくなる、こういうふうに見てよかろうと思います。今扇動という観念を持つて来ることは惡いというのは、これは各方面から言われております。これは扇動だけじやない、教唆も予備、陰謀の教唆もやはり惡いのであります。むしろこれは法律をやり変える必要があると思います。こういうふうに団体を罰する法律が必要でありますが、団体を罰する法律は、団体そのものを罰するというプリンシプルな法律にすることが必要なのでありまして、これは無論団体そのものを罰する、つまり団体を解散する、団体に対して行政措置をとるということになつておりますが、併しながらこれはその前段階で、個人が罰せられるのであります。この団体に属していない個人は内乱罪の予備、陰謀を扇動した、教唆をしたということで罰せられるのであります。その個人がたまたま或る団体に属している場合その団体の解散ということが問題になるだろうと思います。ところがその個人が団体に属しているかどうかということは、これは行政庁が認定するのであります。この認定が極めて危險に認定になりはしないかと考えられるのであります。そういうわけでこういう法律は必要でありますが、このプリンシプルではいけないのであります。別のプリンシプルで出て来なければいけない。つまり例を挙げますと、闇行為、会社が闇をしたという場合に今誰を罰しているかというと、法律は多くは闇売りをやつたところの取引の係長であるとか、係員というものを罰しております。闇をやつて儲けたところの社長であるとか、重役であるとかいう者はこれは多くは罰せられていないのであります。その人間が命令したとか何とかいうことを立証された場合には、これは罰せられております。併し多くはそういう立証にされないのであります。それはやはり個人が罰せられております。社長を罰しませんで会社の係長を罰する、係長の犯罪によつて係長を罰する、個人を罰しているのであります。その団体、その会社を罰するという規定にしなければ、ああいう闇行為、会社の闇行為を取締ることはできないのであります。それと同じく今度団体を取締るというのは、個人よりもむしろ団体を処置するということは重きを置かなければいけないと思うのでありますが、今度の法律の建前で、この法律案はやはり個人を通じての団体であります。団体は第二段になつております。団体である場合には処置を受けない。併し個人は必ず処置を受ける、内乱罪及び陰謀を教唆した、扇動したという個人は必ず翻せられることになつております。これはプリンシプルが惡いのでありまして、この法律の修正だとか何とかという問題じやなくて、この法律に一遍引つ込めて出直してかかるということが必要だと思います。 併し出直すには、どうも時間がない、どうしてもこれでやりたいという考えなら、これはどうしても大きな修正をしなければいけないだろうと思います。それにこの実体規定では今申す通り予備、陰謀の教唆とか、扇動という考えは皆捨ててしまうということ、それから手続規定に行きまして公安調査庁ですか、公安調査庁の調査ということは、これはよろしいとして、公安調査庁で調査したものを公安審査委員会で決定するということが、これが行政庁で調査をして行政庁で決定するということが問題になるのじやないかと思います。行政庁で調査したものは、審判は裁判所に委すほうが正しいのではないかと考えております。無論さすれば時間をとる、暇がかかるという議論があるだろうと思います。そうすると行政庁で調査をして行政庁で審判するということになればどうしたらいいか、その場合にはこれはどうしてももう一度裁判所は、つまり行政庁を一審として裁判所を二審とするところの審査機構を設けることが必要じやないかと思います。つまり行政庁に審査さして、その行政庁が審査したときにすぐ決定の効力を認めないで、裁判所で判決があるまでその効力をとめておくという手続をとる必要があるのじやないかと思います。今のように迅速を尊ぶ関係から行政庁で調査して行政庁で審判する、ただあとで抗告ができるだけだというのは、これは非常に危險だろうと思うのであります。それは細かい点でありますから、どうでもよろしいのでありますが、本体としてはやはり行政庁の処置に対して裁判所の再審査を認めるということがどうしても必要じやないかと思われるのであります。 そういうわけで私は刑法の理論から言いまして、この政策から離れて考えても、この法律は個人の自由を尊重する一面を持つておるという刑法の任務に反しておるということが言えるのであります。でそういうわけで、これは一番私の希望としましては、この法律を一遍考え直して頂くということが一番よいのであります。でそれでなければ大幅の修正をやつて頂かなければ、これでは到底言論の自由、或いは学問研究の自由、或いは出版の自由というようなことは成り立たないのじやないかと、まあこういうふうに思われるのであります。ではこれで終ります。
○委員長(小野義夫君) ちよつと皆様にお諮りしますが、瀧川先生は今晩京都にお帰りになるというので、最後のところまで残ることが困難であるとのお申出でありますので、瀧川先生に限つて、あとまだ三かたが残つておるのと、同時に皆様の四かたに対する質問が保留されております。それで瀧川先生に対して特に十五分程度の御質問を各位からなされることが適当ではないかと思うのですが、如何でございましよう。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(小野義夫君) 御異議がないと認めまして、さよう取計います。
○公述人(瀧川幸辰君) どうも勝手なことを言いまして……。
○委員長(小野義夫君) どうぞ、どなたでも……。
○伊藤修君 只今の御説明によりまして、先生の考え方に対しましては、非常に全面的に同意するものであります。現在のいわゆる団体犯罪に対するところの刑法の理論を以て、団体そのものを処罰するという、この理念を一つお伺いしたいと思います。
○公述人(瀧川幸辰君) 現在の法律は、今さつき申上げました通り、個人が中心になつております。でそこでこの或る団体に個人が属しておる場合に、その個人がその団体に属しておるという理由でその団体を罰するということは、つまり団体を第三者と見まして、個人の責任を団体に帰するということは、言い換えてみれば、甲の行うた行為についての責任を乙にかぶせるということになつて、第三者に責任を負わせるということになつておるのですね。そこで今個人の犯罪を個人の属する団体に負わせるということは、これはどうもいけない。第三者責任になるからいけないというのが、個人の責任から出て来ておる理論です。そこでそれを打破つてしまつて、団体そのものが責任の主体だと、こういう個人責任に対する新らしい認識を立てて行かなければいけないと、こう思うのです。プリンシプルが二つになるのです。今のは個人を罰するものとして団体に責任を負わせるのですから第三者に責任を負わす、こういうことになるのであつて、そうではなしに、団体責任というものと個人の責任と、別にプリンシプルを立てて二本立てにしなければならないと、こういうことです。
○伊藤修君 大体わかりました。然らば団体が個人の行為によつて責任を負うところの、いわゆる本質的な連坐の理念ですね、これは刑法理論上どういうように解釈するのですか。又どういう理念の根拠を立てたのですか。
○公述人(瀧川幸辰君) それは連坐と申しますと、何か罪がないのに一緒に引き入れられるように言われておるのでありますが、そうではなしに、個人が或る団体に属しておる場合には、その個人というものはその団体の無論メンバーでありまして、そうしますというと、個人が何といいますか、個人が犯罪を犯した場合にはその団体が責任を負うべき面から見ますというと、団体の責任者ですね、或いは理事であるとか、或いは何といいますか、代表者であるとか、会社では取締役であると言つてもよろしいのですが、それが何といいますか、連帶で責任を負う、こういう制度にすればいいと思うのです。で連帶で責任を負うというのは、監獄へ入るという場合には連帶で監獄へ入るということは、これは法律を作る技術上よほど考えなければならないと思いますが、この財産刑を科する場合は、これはもう連帶で財産刑を科するということは、まあ割合簡單に認められると思うのです。でどういうふうに連帶責任を、第三者の連帶責任を認めるかということは、これは立法技術に待つて考えなければいけないと思います。併しいろいろ見解は分れております。
○伊藤修君 そうすると、団体のいわゆる不法行為能力が民法上においては勿論認められておりますが、刑法上において刑法理念において、いわゆる不法行為をする団体というものを認めるとか、若しくは団体の不法行為能力というものを刑法理念において認め得るかどうかですね。
○公述人(瀧川幸辰君) 現在はその団体は犯罪能力なしと、何か、ソシエタス・デリンクエレ・ノン・ポテストというのがその原則ですが、その原則を打破つて団体の不法行為能力を認めるということにならなければ、二本立ての考え方は出ないと思います。
○伊藤修君 その新らしい刑法理念は、今日において世界各国の刑法学者の範囲において、容認されておるところの新らしい理念であるのですか、どうですか。
○公述人(瀧川幸辰君) 現在団体犯罪、つまり団体の責任、犯罪能力ですね、犯罪能力を認むべしというのが、今の通説であります。併し現在そういう立法ができておるところは少ないのでございます。それから理論的にはまあ団体の犯罪能力は認めなければならない、こういうようになつております。
○伊藤修君 そういたしますと、その行為の結果に対する責任は、先ほど今お言葉がありましたが、いわゆる自由刑を以てすることは到底不可能でありますから、結局は解散という死刑の宣告、若しくは財産刑を以てする以外には方法はないと思いますが、その他に何か方法は考えられますか、どうですか。
○公述人(瀧川幸辰君) 今の団体そのものは、団体の解散、団体の死刑ですね、団体の解散であるとか、或いは団体に対する財産刑とかいうことが考えられるのですが、同時にこの団体の代表者に対する自由刑というものも考えられております。団体の代表者に対する自由刑ということはできるだろうと思います。
○伊藤修君 そういたしますると、結局この代表者がそのことに直接間接にもあずかり知らざる場合においても、その構成員の団体の不法行為を結果せしめたという場合におきましては、自己の知らざる行為に対しまして結果責任を負わなくちやならんいわゆる本質的には連坐ということに至るように考えられますか、如何ですか。
○公述人(瀧川幸辰君) 結論的にそうなります。つまり団体の代表者ですね、代表者にその団体を代表しておるという意味において、現在は団体を代表しておつても、その不法行為についてみずから知らないとか、或いはみずからしでいない場合においては、責任なしという理論構成をとつておりますが、団体の責任を、犯罪行為を認めるということになれば、団体の責任者は団体員の犯罪があつた場合に、知ろうと知るまいとその如何にかかわらず、すべて責任を負う、こういうようになつております。
○伊藤修君 もう一点伺いたいのですが、その場合において、結局は私の申上げますように連坐的な結果に陷ると思いますが、それが刑法理念においては認められることでありますか。又今後の新らしい理念において是認される理念になるでしようか。
○公述人(瀧川幸辰君) 現在の個人責任から言えば、その連坐と申しましようか、第三者の責任を負うということは、これは認められておりませんです。併し今の団体犯罪を認める、つまり団体の犯罪能力を認めるということになれば、それが連坐と今おつしやいましたが、一緒にその代表者が制せられるということが普通の現象になると思います。
○一松定吉君 ちよつと、今のその団体の構成員の或る者がこういうような破壊活動をやつた時分に、その団体の責任者が知ると知らざるとにかかわらず、体刑を以て報いるというようなことは、法理論上からは正しいでしようが、そういうことが一体立派な法律だということが言えるでしようか。自分には責任もない。ただ団体の理事長だ、代表者だということだけで、その構成員の一人がやつたその時分に、団体を罰する。それで団体の理事長であるお前がその罰を受けなければならない。こういうことをおつしやつたようですが、それはその通りでよろしうございますか。
○公述人(瀧川幸辰君) まあ例を社長というふうにとりますれば、社長でも学校の総長でもよろしいのですが、社長とか総長というものは責任をとる地位にあるものだろうと思います。そうでありますから、今お話のように団体の人間が何か惡いことをやつた場合に、自分が知らなくても責任を負うかというお話ですが、今の刑法の個人責任の理論から言えばそれはないのですが、団体の責任を負わすという別のプリンシプルをとる場合においては、当然責任を負うべきものだと思います。自分の知らない行為をやつて、自分はそこの理事長、理事者、首脳者であるという場合に、その団体に属しておる人間がやつた場合、自分は知らない。併し自分が責任を負うということはこれは当然だろうと思います。
○一松定吉君 自分の知ならい行為に対して自分が刑事上の責任を負うということは、これは法律でそういう立法をすればそれはよろしいですが、併しそういう立法なんというのは惡法です。だからそういうような時には、これは罰せられるべきものでないというのが正しい考え方でなければならんと思う。それを罰するということが惡法であるならば、そういう惡法は制定すべきものじやないという理論に到達しなければならんと思いますが、これはどうですか。
○公述人(瀧川幸辰君) 今惡法というお話ですが、私の申上げたのは、その団体を罰する場合に、今の個人の、個人刑法では、団体の首脳者を罰することはできないのです。多くはできないのです。ただ何と言いますか、小物が罰せられて、大物が罰せられないのですね。ところが団体責任を認めるということは、大物を罰する、こういうことです。だからそれは惡法でなく、却つて善法だろうと思います。(笑声)
○一松定吉君 それは法律できめるから罰するということであつて、自分の知らない行為に対して自分が責任を負うということは、刑法原則から言つてそういう一体法律はないはずです。それならば団体を罰するということがいけないのだという結論にしなければならない。団体を罰するということになれば、その団体の首脳者を罰するということでなければ理論が一貫せん。それが正しいと考えております。然るにその理論を正しくしようとする場合に、そこに甚だしい不都合な結果を招来するのだ。自己の知らざることについて、自分が責任を負うものではないというのが刑法の原則です。その原則に反して罰しなければならないということは、即ち団体を罰するということは惡いのだということです。だからそういうところをやかましく論ずれば、そういうような法律はよくないのだ。やはり団体が罰せられないで、それをやつた個人心々を罰しなければいけないということに帰つて来なければならんと私は思うのですが、いま一度……。
○委員長(小野義夫君) ちよつと議事進行上私もそれに附帶して御質問を申上げますが、団体の意思を決定するというのは、会社においては社長以下重役会において決定すべきものと思うのです。そこで団体の意思の決定に参與しない、即日辞表を出して、かかる不都合な決定をする場合において我輩はいやだと言つて辞表を提出すればその人は何にも責任はないのですか。団体の意思を決定して、そうして自分が責任を負わんというようなことはいかないのか。その点について意思の決定に参與しなかつた者も当然責任を負うと先生はおつしやるのですが、それをはつきりして頂きたい。
○公述人(瀧川幸辰君) もう一度……。
○委員長(小野義夫君) つまり、団体の罪を各団体の責任者がとるということは、団体の意思を決定するときに参與した重役のみがとるべきで、その時分に自分は反対であるからと言うて、即時そのことに反対の意思を表明して辞表提出その他の処置をとつたという人は、そのときにおつても責任はないではないか。その点を私は瀧川先生のお説を聞いておきたい。
○公述人(瀧川幸辰君) 今のお話は、意思決定の際に自分は反対だというのでやめてしまうのですか、団体から出てしまうのですか。出てしまえば責任はないのです。
○委員長(小野義夫君) 社長が出張中である。ところであと取締役が全体の決定をした。そこでそれが大変なことをやつたというので、社長が懲役に行くようなこともあり得るとしてのお説でありますか。
○公述人(瀧川幸辰君) それはいや団体の責任を認めるということにならば、そういうことはあり得るということになります。
○委員長(小野義夫君) わかりました。
○一松定吉君 それだから団体の責任を負えばということを前提にすれば、今瀧川先生の言うように、それならばそれは責任をとつて罰しなければいけないのじやないかという結論に到達する。それは団体を罰するということを前提とするからです。併しながらそういうことは惡法なんです。(笑声)自分に責任のないことに自分が責任を負うということは刑法の原則から言つてそういうことはそれはいかん。それであるか故に団体を罰しようとするについては自由刑はいかんのだ。財産刑、解散刑ということはよろしいけれども、そういうことに、先ほど伊藤君の言つたようなことになる。それならよろしい。併しながらその代表者が自分は何にも知らない、自分が京都に旅行しておつたその留守に、今のように団体の一人がやつたから、お前一年の懲役に行け。それで行かなければならんというようなことは惡法です。それが惡いというならば、団体を罰するということにおいてそういう法規を設けるということはよくないのじやないか。これを私は伺つたのです。
○伊藤修君 いやこの問題は現在の刑法理念から申しますれば、個人責任というようなものを認めたところのその観点から立つて構成されておる日本刑法というものと、新らしい今瀧川さんに御質問申上げたのは、新らしい理念です。いわゆる団体に不法行為能力ありや否やという最新の学説が今後の社会運営の上において行い得るかどうか。本法においてそれをも取入れるかどうか。進んで日本がそういう理念をここに確立するかどうか。実際立法の上に打立てるかどうか、こういう問題について御意見を伺つたわけであります。今杞憂されるごとく現在の刑法で許さないということは勿論なんですが、現在の刑法ではなくて、我々はもう一歩進んで新らしい理念をこの法律の上に賄い得るかどうかという参考のためにお伺いしたわけでありますから、だから一松さんの御心配は今の理念とは違う。
○吉田法晴君 その問題は意見を含んであれですから、私は別の御質問を申上げたいのであります。第一点は、審査委員会の判断した審査を第一審として、第二審として地方裁判所に今度は判断さすべきじやないかという御議論について多少わかりにくい点がございますので、お尋ねするのでありますが、立案者はこの行政機関の判断によつて行政処分をやるのだ、それに司法権が介入するということはむしろ行政と立法との分離を混淆するものであろうと思うから、それで行政上の措置については介入を一応させない。そうして地方裁判所に出訴することができるという、こういう点は残すのだという説明です。それで以上の意見のように第一審の効力を認めないで云々ということになると、これは明かになります。そうでございませんと、言葉でも前審という言葉を使つております。地方裁判所でやる前審的なものであるとして、それは行政上の処分と同法処分とそれは別々にやらせるのだ、こういう説明から言えば、一審、二審の関係をもう少しはつきりして頂かないとちよつとはつきりいたしかねますが……。
○公述人(瀧川幸辰君) これは私の考えを申上げますと、こうしたらよいと思うのです。今の公安調査庁で調べまして、それを今の公安審査委員会にかけて行政的な措置で決定するということのほうが妥当じやないか、そこまでは……。ところがなぜそれが妥当かと申しますと、すぐ裁判所に持つて行くというと、公安調査庁で調査をして、そしてすぐ司法裁判所へ持つて行つて裁判所の判断を仰ぐということは、権利擁護の上から言えば望ましいのでありますが、それはうまく行かないだろうと思う。それでうまくいかないということは却つて他の裁判の信用を落し、裁判所の信用を落す危險があるだろうと思います。そこでむしろ公安調査庁で調査して、それに対して一応は公安審査委員会の判断を得て、その判断を一審として、それに対してその不服を司法裁判所で再審理するということにすればいいのじやないかと私は思つております。そうしますと、行政庁だけでやるということはどうも危險があると思うのです。そうかといつてすぐ調査をして、審査を直ちに司法裁判所に渡すということは、これは司法裁判所はわかりにくいのです。そこで、事柄自体はよろしいが、まずく行つてもまあ仕方がないとして、そのほかの裁判の信用に影響しやしないかと思われるのです。そこで、公安調査庁で調べたのは、今度公安審査委員会で一応の判断を與える。併しそれに対しては司法裁判所のこの審査を求める途を開くということが必要じやないかと思うのです。
○吉田法晴君 そうすると、お考えによりますと、公安審査委員会で判断をしても、その効力を認めないで、そうして司法裁判所でやらせる。この点が入つているわけですね。
○公述人(瀧川幸辰君) 効力を認めないというのは、異議の申立てがないときには、つまり一審、二審の関係と同じに見まして、それで審査委員会の審査で満足していれば効力は起きますが、満足しない場合は、不服を申立てた場合にその司法裁判所で審査したらどうかと思うのです。
○委員長(小野義夫君) この程度で瀧川先生に対する御質問は……。
○伊藤修君 もう一点だけ……。瀧川先生のお説によりますと、この委員会を一審にして、裁判所はまあ二審若しくは三審の形にして行く。それはよろしいが、その間の異議の申立てのない場合は勿論第一審たる委員会の決定に服する。異議のある場合においてはその決定の効力を発効せしめない、当然停止するという立て方にしなければいけないというふうに伺つたのですが、それで、その点如何でしようか。
○公述人(瀧川幸辰君) そうでございます。
○吉田法晴君 それじやもう一つの点は、三條の一号のイとロとの関係でありますが、内乱の予備、陰謀の教唆、扇動、或いは正当性或いは必要性を主張した文書、図書の印刷その他ということで、非常に範囲が限定されなくなつてしまう、これは私どもそういう疑問を持つたのですが、立案者の説明は、例えば内乱の場合に朝憲紊乱ということでなくて、暴動というものも含む、こういうまあ説明だ。そこでただ朝憲紊乱だけの正当性云々だけはいかんと、これではこの要件にまあ合致しないのだとこういうのですが、例えば先ほどの御引例になつたような革命の正当性その他についてはその革命の中に朝憲紊乱のみならず、やはり行動も入ると、こう考えるのですけれども、その立案者の説明に関連してもうちよつとその辺の細かい説明をして頂きたいと思います。
○公述人(瀧川幸辰君) ちよつと今の御質問の趣旨がわかりませんですが、内乱罪は朝憲紊乱の目的を以て暴動をすると書いてあるのですが、朝憲紊乱というのは目的なんですね。つまり同じ暴動をやつても、ただ暴動したのでは内乱罪にならない。朝憲紊乱という目的を持つている暴動だけが内乱罪になると、こういうことなんですが、これは学説では主観的違法要素と言つておりまして、つまり同じ暴動でもその暴動が内乱罪になるかならないかはその主観的な朝憲紊乱という目的を持つている場合の暴動が内乱罪になると、こういうふうに説明しているのですが、今の朝憲紊乱というものと暴動というものをお分けになりますと、朝憲紊乱というものは、これが犯罪人の頭のなかにあることなんです。その点あらゆる行動は暴動として現われるわけなんです。こういうことです。それが七十七條の趣旨ではそういうふうになつていると思います。
○委員長(小野義夫君) 有難うございました。ちよつと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(小野義夫君) 速記を始めて。弁護士塚崎直義先生の御意見を承わります。
○公述人(塚崎直義君) 私は只今委員長より御紹介頂きました弁護士の塚崎でございます。 今日の国際情勢と我が国の緊迫いたしておりまする現状とを結びつけて見まするというと、誠に遺憾なことでございまするが、私の考えといたしましては本案のごとき刑罰法規を設けるということは止むを得ない次第であると存ずるのでございます。然らば衆議院より御院に廻りましたこの案を以て相当である、妥当であるというふうに思うかという御質問がありますれば、否否私はこれに賛成することができ得ない一人でございます。それは今更申上ぐるまでもなく、この言論その他のこの調われておりまする自由というものは、我が国の憲法において人民の基本的人権として認められておりまする大切な権利であります。従つてこの法案を決定する上におきましては十分御検討の上に御検討を煩しまして、いやしくも惡いところがあればどしどしこれを削る、こういうことで行かなければ、私はいかんと思うのでありまして、国民の納得するような法案にこれを作り上げなければ、これはどうも憂えを将来に残すものであると私は信ずるのであります。時間に制限を與えられましたので、殊に私は少しく健康を害しておりまするがために、なるべく簡單に卑見の一端を申上げることにいたしたいと思うのであります。 先ず私はこの問題についてはいろいろ論議すべき価値がございますけれども、これを三つに分けまして申上げたいと思うのであります。 その第一は、この法案にございます扇動という文字であります。この扇動の文字が果してこのままにしておいてよろしいかどうかという点、これが第一であります。その第二は、この法案を見まするというと、公安調査庁というものができます。又更に進んで公安審査委員会というものができることに相成つておるのでありまするが、これはこのままこれを設置して然るべきであるかどうかという点であります。次に第三といたしまして私が申上げたいのは、このいわゆる委員会なり若しくは調査会なりを設くるといたしまして、どうしてもこれを設けなければならんということであれば、これに対する何らかの対策はないかというこの三点に分かつて私はこれから論歩を進めてみたいと思うのであります。 御覧のように扇動ということはこれはこの行為が出ておりまするのは、本案の第三條の一項、ロに先ず第一に出ております。それから同條第二号のヌに、イよりリに至るまでに云々ということでこれが文学が現わされておるのでありまして、又この処罰規定のところを見まするというと、御案内の通りに、三十七條、三十八條、三十九條等に扇動の点について処罰をされておつて而してその処罰たるや誠に嚴重であります。非常に重い刑を以てこれに臨まれておるのであります。一体本條に扇動というものがかように用いられておりまするけれども、これはひとり先ほどもお話のございましたように、この規定、この法案だけにあるのではなくして、選挙法等にもございまするけれども、その場合にはことごとくこれは目的刑として採用されておるのでありまして、この案の扇動というものはさようでなくして、独立罪として用いられておるのであります。従つてその相手方が、いわゆる扇動されるその相手方が実際において実行行為に移つておろうが移つておるまいが、そういうことはおかまいなしである。そういうことは問題にせない。いわゆる扇動というような行為があつたとすれば、形の上から單にこれをとらえて、只今申しまする重刑を以てこれに臨むという次第でありまして、随分これは乱暴な規定と言うて差支えないと私は思うのであります。これは従来多く見ない例でございまして、私どもといたしましては、かような処罰をなすということは、どうしてもこの行政処分によつてこれを処置するということについては賛成ができかねるのであります。やはり專門的の人にこれを委ねてその人にやらせることが最も妥当である、而も穏健であるというふうに私は考えるのであります。そうでないというと誠に危險であります。こういうふうに私はこれを見るのでありまして、この点から以て見てもこの扇動という文字は削除さるべきものではなかろうか、こういう考えがそこに浮かんで参るのであります。御承知のように治安維持法の問題でございますが、これは私は本法案がこれが法律として制定さるるにおきましては、むしろ治安維持法と同じというよりも、治安維持法以上に私は危險をそこにはらむ法律であるというふうに考えるのでありまして、然らばこの治安維持法においてはどういう判例が従来あつたかというと、これ又皆様も御承知の通りに、この治安維持法の第三條、第四條、これに扇動という文字がございまするが、この扇動の文字についての判定が昭和五年十一月の何日かに、時の大審院において判決が下されておるのであります。この判決によつて見まするというと、こういうふうに出ておるようでありまして、扇動とは他人に対し中正の判断を失して実行の決意を起さしめ又は既存の決意を助長せしむべき勢いを有する刺激を與えることというのであります。これを碎いて申しまするというと、他人に対して他人が中正の判断を持つておるのを中正の判断を失わしめる、そうして実行するということの決意を起さした、実行するという考えを起さした、従来それをやろうと思つておつたのであるが、その決意を助けてやる、助長せしめるところの勢いを有する刺激を與えた、そういうふうに仕向けて一種の刺戟をこれに與えたという場合をいわゆる扇動なりというふうに時の大審院は判決を下して、これが判例となつて参つておるのであります。誠にこれは広い拡張した解釈で、さような結果に相成つておるのであります。しかのみならずこの扇動という言葉自体が至つてその意義があいまいでありまして、明確を欠くのであります。どの程度のものが即ち扇動に属するか、どの程度以上のものは扇動に属せないかということについては、なかなかこれは專門家を以てしてもその判断に苦しむような状態であります。いわゆる拡張すれば幾らでも拡張できる。その人の考え如何によつて拡張は自由自在であるというようなこの扇動という言葉であるのであります。現にこの米国の最高裁判所の判事ホームス、この人が即ち見解ということについての解釈を下しておりまするが、この人はこういうふうに言つておるのであります。それは一体人が意見をここに吐く、意見を述べる。意見を述べる以上においては、述べるのは述べ放題に述べてそれでいいという考えを持つている人はない。とにかく述べさえずればよろしいという考えではない。述べる以上においては自分の説にその人を心服させて、いわゆるその人をして自分の説に引付けて、そうして相手方を納得せしめて自己の所信、信ずるところに引ずつて行く、賛同せしむるということを意味するのであるからして、それは即ち扇動であると、こういうふうな解釈までもこの米国の大法官が下しておるのであります。これと殆んど軌を一にするのは、ドイツのラードブルヒ、ラードブルヒというと皆さん御承知でありましようが、戰争の末期頃から司法大臣をドイツにおいていたしまして、而して法理学者としてはこれは有名な人でありますが、このラードブルヒがこういうことを言つておる。クルテユア・アウトノミー、文化的の自己宣伝、自分がこうやるとかそうやることがいいということを離れて、自分が学問的に一つの解釈を下して、そうして自己宣伝をやるということ自体が、それが扇動に属するのであるというのでありまして、いわゆる米国のホームス大法官の見解と、全く言葉こそ違え、同じ意味に帰着するのであります。かようにこの扇動という文字は、その人により、そのときによりまして如何ようにも解釈できるのであり、いわゆる拡張解釈というものは自由自在にできるという次第であります。実に危險ではございませんか。殊に私はこの参議院議員諸公にこの際御留意を特にお願いをいたしておきたいと存じまするのは、暴動的行為とか、或いは破壊的の行為というようなものが余りない時代においては、この扇動という解釈につきましても、或いは官庁において、例えば審査委員会においても、或いはこれが更に運ばれまして裁判所に参つたといたしましても、それほどこれを拡張してはその解釈をせなかろうと思うのでありますけれども、時勢が変転して移り変つて、而して危險をそこにはらむという危險があればあるほど、或いは破壊行為があればあるほど、不安がここに募れば募るほど、この扇動という言葉は拡張に拡張をされて、今日我々が想像した以上の危險をはらむことは恐らく私は火を見るよりも明らかであるということを痛切にこれを感ずる一人でございます。それは時の政府でも、内閣が代りましても、いずれの内閣になりましても暴動が起るとか、或いは破壊的行為がどんどんしばしば引続いてそこに引起されるということになりましたならば、これは神経が尖つて参ります。何とかしてこれをとめたい、こういう考えを起すからして、従つてその考えというものが当然この下の行政官に及ぶことは、これはもう想像ができるのでありまして、いわゆる調査官にもさような空気がおのずからここに反映するということになるでありましよう。審査委員会においてもいわば同様な空気を受けることになるかも知れない。又そういう空気を受けないといえども、それらの人自体がそういう考えを起して来る、自分自身でそういう考えを起して来るということは、これは想像するにかたからんのであります。実にこの意味からいたしまして私は危險であると思うのでありまして、その結果はどうなるかというと、いわゆる捜査がどんどん強行される。いわゆる官権の濫用というものもおのずからここに起つて参ります。丁度昔の何でありましようか、特高警察というものが横行した時代を又ここに再現するということがないと誰が保障ができますか。これは今のような状態、今日のような状態ぐらいでずつと滑らかに進んで行けばとにかくであるが、将来頻頻としてこの暴動が起り、危險の状態が目の前に曝されるにおきましては、それは官庁という官庁ことごとくそういうふうになつて来る。その場合において、成るほどこの破壊行為を現実になしておるところの者に対しまして嚴重に処罰するということは我々国民としてあえて異議はございませんけれども、全然良民であり民主主義の人が過つてさような特高的の弊のために遂に禍を受けるということになりましたならば如何でございましようか。この点について十分これは参議院においても一つ御考慮を願わなければならんのでありまして、今日この時から将来のことまでもずつとこれを思い浮べまして、そうして時勢を達観し、そうしてこの法律が成立して、やはり扇動という文字それ自体をこのまま現存しておくならばどういう結果になるかということは、これは痛切に私はお考えを願うべき事項である考えまして、この意味において私はこの扇動という文字がこの法律案の各所にありまするが、時間を要しまするので一々それは申しません。先ほど殊に谷川教授の御意見もございましたから、法律的意見については私はこれを省きたいと思うのでありますが、さようなわけで、これは私は容易ならぬ結果を生むというふうに考えるのでありまして、是非とも御院においてこれは削除して頂くのが至当ではなかろうか、かように感ずる一人であります。それは私がただ漫然これを主張するのでないのでありまして、現に治安維持法についてこれを見てもわかりますように、治安維持法の適用を見ても直ちにこれは判然するのでありまして、初め治安維持法を適用した場合とその後において、末期において適用した場合とは非常に違うのでありまして、初めの時代は滑らかに行つておつた。ところが漸次思想が惡くなつた。思想が惡くなるにつれて神経を尖らして参つて、いわゆる全然良民でもこれはこういう考えを持つておるのではないか、こういうような人間ではないかというふうにこれを曲解いたしました結果、往々にして非常なる禍いを受けておる人が多いのであります。一一この例を私はここに申上げることも時間の関係でこれを申しませんが、随分ひどい場合があるのであります。これはそういうふうになりやすいのである。みんなそういうふうになつて来て、最後に至つてはなかなか以てこれがために汚名をこうむつて、汚名を拭うことのできなかつたような人が私知つておる限りにおいても、これは多数とは申しません、三、四を数えるのであります。これが即ち危險なのであつて、かような場合は皆さんこれは迷惑するところであります。誰、何人が、いつ、どういうような汚名を受くるかこれはわからないということになる。枕を高くして寝てもおられんという次第であります。それを除くにはどうしてもこの扇動というがごときものを法文の中からこれを削除しなければいかん、修正しなければいかんというふうに私は痛感するのでございます。ちよつとこれは余事に亘るようでございますが、事裁判に属するので、裁判所の方面においては神経を尖らしたり、むやみやたらに拡張の解釈をすることはない、そういうふうに私は思いますけれども、裁判官といえどもやはり人間でありまするから、やはり社会情勢には多少の動揺を来たすこともこれは免れんところでありまして、多少余事に亘るようでありまするが、本問題と全然同一ではございませんが、現に御承知の公職追放令の適用について私はそれを見ておるものであります。公職追放令という第十五條にこういうことが出ております。覚書該当者は、公選によるところの公職の候補者の推薦届出又は選挙運動その他の政治上の活動をしてはならん、「その他の政治上の活動」という文字に非常に含ませまして、これを拡張して、随分これは検事局のほうでもこれをと思うようなものを起訴して、裁判所に運ばれ、裁判所もこれを持て余して先般の大赦によつて初めてその人を解放したという事例があるのである。これは成る学者が演説会その他に招かれまして、そうして自由主義経済のことを述べた。これは経済学者であるから自由主義経済というものを平常から考えておつたので演説をした。昭和二十二、三年頃は、御案内の通り非常に物価が高騰した時代でありまして、財産家は財産家として、貧乏人はなお更として、財産家は何とかして自分の財産を保護して行きたいというところから大学者を招いて、そうしていろいろの違憲を聞く。意見を聞くのは一人で聞くよりも多数の人を集めて聞こうというので、その講演を開いてもらつた。その席上において自由経済のことを一席話して、かくかくかように経済状態が変化するということを話したということで、これは即ち今読上げました公職追放令の第十五條のその他政治上の活動をなしたるものということに拡張解釈をせられる。而うして検事局がこれを起訴して参つたという事実があるのであります。かようなわけでありまするからして、これよりもまだ端的な本件のごとき、この破壊活動防止法案というがごとき、而も深刻な刑罰を以て臨まれておるこの法規においては、よほどこれは注意して、各條文の上においても扇動のごときは勿論、教唆の点についても瀧川教授が先ほど申されましたように、よほどこれは考慮の余地があると私は考えるのであります。かような意味において、この扇動という字句は絶対にこの破壊活動防止法案からこれを削除することが必要であるということを私は主張するのでございます。 次に私が先ほど第二点として論述を進めたいと申しましたそれは、公安調査庁、公安委員会、これはこの法案にありまするように、そのままにこれを存続すべきものや否やという点でありますが、私はこれは廃止して然るべきである。むしろ廃止することが妥当であるというふうに考えるものであります。先刻も申上げましたように、この法律には憲法において保障されておりまする言論、出版、集会等の、この国民の自由の権利を制限せんとするものでありまして、この影響というものは実に大きいのであります。この自由ということは、我々国民にとつては殆んど生命に次ぐほど大事なものである。極端に言うならば生命と同様である。生命と同じであると言つてもよろしいくらいに、大切なこれは権利であります。現に米国の最高裁判所のブラツク判事はこういうことを言つておる。ブラック判事は、自由という、この人民に與えられておりまする自由の権利というものは、これは我々にとつてはまさに心臓である。体の心臓である。心臓が弱められれば即ち体が弱む。体が衰弱して参れば心臓が衰弱する。心臓がとまれば体はいわゆる死んでしまうということを言つておるのであつて、この自由というものが如何に尊いものであり、大切なものであるかということは、この米国の最高の大官の言葉を借りてみましても誠に明瞭である。私が又さようなことを申さずといえども、皆さんにおいては十分御了承の通りであります。それほど大切なるところのこの自由の権利を制限することでございまするからして、どうかでき得べくんば行政的の方面においての処分に委ねまして、やはりこれは公明正大に裁判所にこれを担ぎ込んで、そうして裁断を願うということが一番安心ではございますまいか、こういうふうに私はこれを思うのであります。而もこれが全然司法的処分でないということであればとにかくでありますけれども、準司法的の処分であることは二十一條のこの決定をなすという箇條を御覧を願いましても直ちに頷かれるのでありまして、これこれについて却下する、これこれについては棄却する、これこれである場合においてはさようにこれを決定する、行うように決定するということが出ておるのでありまして、如何にも裁判所のやるようなことにちやんと出ておる。條文自体がそうなつておる。いわゆる準司法的のこれは処分であると言わなければならんのであります。而うしてこれが一たび解散されるとか、一たびこれが問題になるということになりましたならば、これは拭うべからざるところの損失でありまして、その損害というものは実に大きいのであります。丁度人が或る疑いを受けまして起訴されるということ、取調べを受けるということ、これは何でもないことでないのであつて、その人の身になつたならば到底堪えられないことになるのである。それと同じように、ここに問題になりまする取調を受ける、当然これは解散の前には取調を受けるのであるから、或いは言論の問題についてはどうだこうだといろいろ調べられた末に解散をするとか、或いは言論の自由の制限をされるということになつたならば、これは拭うべからざるところの打撃を受けるのであつて、勿論これについては国家賠償法等がございまするけれども、これを以てのみでは償い得ないものであると私は思うのであります。而もこの調査官や審査委員会というものを司法省の外局とこれはいたしておりましよう、司法省の外局としている。ここに又一つ思いをめぐらさなければならんのでありまして、司法省の外局とされている。これは何でもないようなことでありますが、司法大臣のとにかく外局であるからして親類筋であることだけは、これは間違いありますまい。指揮監督はされないかも知れませんが、親類であるということは、これは免かれん事実であります。
○委員長(小野義夫君) 塚崎先生、大分時間が少なくなつたので、気をつけて願います。
○公述人(塚崎直義君) 簡單に申上げているのでありますが、じや簡單にとどめます。……さようなわけでありまするのみならず、簡單に申しまするが、旧時代においては、御案内の通り検事局と裁判所というものが同じ棟の下に事務を執つておつたことがございます。これでもいかん。検事局と裁判所というものは何か一緒のものではないかという疑いを受ける。これではいけない。国民の信を繋ぐわけにはいかんというところから、わざわざ加藤司法大臣でありましたかの時代に、これではいかん、全然別にしなければいかんというので別にして、新憲法においては御案内の通り全然これは司法省――今は法務府でありまするが――法務府というものを裁判所と離して独立して参つたのであります。昔から独立しておると言いながら、人事についてはやはり司法省がこれを監督しておつたという関係から、疑いを差挾まれておつたのであります。それすらも疑いがあるというのでやめておるのに、今日この形において、新憲法の時代において、旧憲法の時代とは違う今日の時代において、又元の木阿彌で司法省の外局に只今の委員会或いは調査会等を持つて参つて設置することは如何でございましよう。私はこの意味においても賛成ができ得ないのであります。殊に非常に事が細かしくなりまするけれども、経費の点からいたして見ましても、これは一つ考えなければならんことでありまして、丁度これは公安保護委員会というものがござりまして、この経常費は幾らぐらいかというと二億八千三百万円という大額の、いわゆる三億からの金を費すという……経営費はさようになつております。これがよく今度の公安調査庁と組織が似ておるのでありまして、経費の点においても大体において同じであります。殊に新らしく庁省を新設するというようなことになつたならば、どうしてもこれは十億近くの金を費すことにならなければならん。国民は税金に泣いておる、苛斂誅求とは申しませんが、殆んどこれに近いような状態であつて、国民ことごとくが困つておる矢先に、十億近辺の金をこれに払つて、それも必要があるというならばですが、それほどの必要は感じない。私はこれを裁判所においていわゆる今の検事局、警察を或いは増加して、強力にこれを持つて行つてやつて行けば、この十億の金が或いは三億、二億の金で賄いができるのではないか。国家経済の上から以て見ましても非常な利益があるということを私は考えるのであります。そこでこれは長くなりますから……。
○委員長(小野義夫君) 成るべく簡單にお願いします。
○公述人(塚崎直義君) さようなわけでありますからして、裁判所について初めからというわけではございませんが、差当り今の警察官の人員を殖やして、そうして検事局で取扱つて、それから直ちに裁判所に運ぶということが非常に私はスムースに行くのではないか。而うして国民の疑いを受けることが少ない。これだけは私は請合うことができるのでありますが、その意味において私はこの新設を賛成せないのであります。これはいろいろの都合によりまして……ちよつとここでどうしても申上げておきたいことでありますからお許しを願いたい。省略しておきたいと思つたのでありますが……。ただここにおきまして、裁判所において解散というようなことはでき得ないのじやないか。どうも団体の解散というようなことは、裁判所自体が直ちにやるというわけにはいかんのじやないか、こういう説があるやに聞いておるのでありますが、これはできんわけはない。商法の五十八條によつて見るというと、株式会社の創立ができて一年以内にその事務に従事するような気配が見えず、いわゆる解散の気配が見える場合においては、株主若しくは利害関係人より請求があれば直ちに解散を命ずることができるというように、現に商法の五十八條に明記されておるのでありまして、これができる以上においては、当然この場合においてもできんというわけはないと私は信ずるものであります。 それからもう一つ、裁判所でやるということになつたならば、この処分が非常に遅れるのじやないか。これは遅れることは禁物でありまして、私もさように思いますが、遅れる場合においては仮処分をやればよろしいのである。仮処分というこれはちやんとあれがあるのでありまして、而して特別の判事を任命して部を設けてやる。この事件でも、他の事件は放つておいても、先ずこの事件についての審理を始めようということがちやんと明記されておるのではありましよう、この中に……。特別の部を設けてどんどんやれば決して遅れない。むしろ早いかも知れん。こういうふうにも考えられるのであります。これだけは附加えて、或いは反対の御議論のあるかたに私はこれを以てお答えいたしておきたいと思うのであります。 それから最後に簡單に申上げまするが、若し法案通り調査官並びに調査委員会というものを設けるといたしましたならばどうであるか。この場合においては是非とも利害関係者を審査委員会に出頭せしめてその弁解も聞き、その主張するところも聞き、証拠を提出させるだけのどうしても運びにならなければいかんと思うのであります。現に調査局においてはどうであるか。調査局の場合においては弁護士をつけるとか、証拠を出すとかできる。弁明も聞こうというので、ちよつと聞いて下さいということができる。これは尤もな話で、当然なことである。ところが肝心要めの場合においてはどうであるか。書面でただ審査する……書面だけ見てこれでよろしい、お前はどうもこれに反するらしいからお前の団体は解散せよ、お前はこれだから刑事問題として選る。或いは言論において甚だ怪しからん、無茶な言論をしたというふうなので一々抑えられるというのは、これは私は主客顛倒であると思います。要するにこの場合においても、大切な、肝心要めの審査委員会において本人を喚び出し……勿論証拠はその前に出しておりまするけれども、出しているのちにおいて、いわゆる検察官側……検察官側と私は申しますが、いわゆる審査員、調査官ですね、調査官のほうから新らしい証拠を出す、或いはこつちから出している証拠に対して反対の証拠を出すという場合において、これに対する防禦の方法、攻撃の方法等は一つも規定されておらんのであります。これは無茶でありましよう。全く肝心要めのところに至つて調査官のほうでは証拠をちやんと自由自在に出されるが、こつちのほうでは出し得ないというような状況に置かれるということになつたならば、これはよほどお考えにならなければならん問題であるから、従つて私が主張するのは、どうしてもこの設置というものを存続するという……設置をするということが是認されるならば、どうしても置かなければならんということであるならば、審査委員会において、審査委員会の席上において、調査官と対決させて、証拠のあるものは証拠を出し、主張すべきものは主張し、弁解すべきものは弁解させる、然る上においてこれを決定するということが、いわゆる民主国のとるべき方法ではございますまいか。これでなければ全く斬捨御免、旧幕時代の、極端に言うと斬捨御免というそこに非難を受けても万止むを得ないのじやないかというふうに私は考えるのでありまして、従つて若し調査局並びに調査委員会、それから調査局並びに審査委員会というものを法案通りに設置するということになりましたならば、どうぞ只今申しましたような処置に一つ運んでもらいたいということを私は熱望する一人であります。 或いは徹底しないところがあつたかも知れませんが、これで終ります。
○委員長(小野義夫君) 有難うございました。 次は弁護士、自由人権協会理事長海野普吉君にお願い申上げます。
○公述人(海野晋吉君) 只今御紹介に與りました海野でございますが、肩書が自由人権協会理事長という肩書がついておりますが、成るほど私は自由人権協会の理事長はいたしておりますけれども、自由人権協会は政治活動をいたしておりません。従つて今日は自由人権協会を代表してというような趣旨で伺つたわけではありませんから、これを一応御了承願つておきたいと存じます。私どもが自由人権協会で活動しております面は、文化面と申しましようか或いは文明か野蛮かということについて私どもは活動しているので、一つの政党とか或いは政府とかいうようなことは考えておりません。その点は一つ御了承願つておきたい。但し今日は私個人として申上げますから、その範囲は逸脱するかも知れませんが、これも御了承願つておきたいと思います。 結論から申上げますが、この破壊活動防止法案については、私は賛成いたしません。反対をいたします。もういろいろのものに書いたり、ほうぼうで申上げておりますから、私自身もうんざりしております。従つて時間もありませんし、たくさんの公述人のかたからもお話があつて、殊に本委員会では非常に審理を盡しているやに新聞等で拝見いたしておりますから、極く簡單に申しておきます。 元来こういう暴力主義的破壊活動をする団体が現在日本に本当に組織されているかどうかという客観情勢について、一応私は申上げて見たいと思う。共産主義の方法論としてはいろいろの方法論がありましようけれども、これを現実に、即ち我々の公共の福祉が現に破壊されているか、若しくは破壊されることが極めて明白であり、現実であるという程度に破壊活動ということが現実性を持つているかどうかということについては、非常に疑いがあると私は思う。先ずこれが根本について考えなければならないと思う点であります。先頃来政府当局の御発表によりますと、いろいろこういう点について具体的な事実があるかのごとき御発表がありますけれども、私は、ここに御列挙になつておりますけれども、失礼ではありますけれども、これを額面通りには受取りません。従来戰前若しくは戰時中に非常な組織を持ちまして、いわゆる特高警察、特高の憲兵等が調べたもののうちにも非常に間違いが多いということは、私が今更申上げるまでもありません。そもそも我が国に治安に関する立法として現われたやや秩序だつたものは、申上けるまでもなく、大正十二年の大震災に乗じましてできました緊急勅令が治安に関するやや体系だつた法律だつたと思うのでありますが、あの法律の出た原因を皆さんはよく御存じだと思う。これは関東大震災がありまして、直ちに朝鮮人問題が起つたのであります。この起つたのはどこから起つたかと申しますと、私はあえて断言しておきますけれども、当時の警視庁官房から起つた問題であります。官房から、不逞鮮人蜂起の兆あり、警戒頼むという無線電信、当時は電信が破壊されておりましたから、無線電信を以て各府県の警察部長にこの報を伝えた。これは遠くは旅順まで行つております。私は当時の旅順の保安課長である大場鑑次郎君と親友の仲でありまして、間もなく上京いたした時分に、何という恐しい電報を打つて来たものだろうか。皆さんも御承知の通り、どこにも不逞鮮人蜂起の兆はなかつた。かかる報が伝つたために朝鮮人虐殺事件が残念ながらあの時に起つたのは、皆さん御承知の通り。一般情勢の変化というものに対して敏感であつて欲しいと同時に、非常に正確でなければならない。その他例を挙げて行きますれば、治安維持法制定以後においてかかる誤報の下に犯罪の捜査されたということは、非常にたくさんの例を私はみずから体験いたしているところであります。 それのみならず、現に私自身の問題として、去る二月十六日に私どもが共立講堂で治安立法と人権という問題で講演会を開きました。この講演会は十二時半から開会いたしましたので、私は主催者の一人といたしまして十二時十五分に現場に到着した。そうしてこれは三時を以て閉会といたしたのでありますが、少し延びまして、三時十五分、それから当日は私はバー・アンシエーシヨンの準備委員会に出席しなければなりませんので、某裁判所のかたの車に便乗さして頂いて最高裁判所に参りまして、そうして四時過ぎまでその会議に列席いたしておつたのであります。これは土曜日。翌々月曜日になりまして警視庁の私の知つております某警部が私の所へ訪ねて来て、誠に先生失礼ですけれども、こんなことを伺つて気を惡くされては困りますけれども、あなたは一昨日築地の本願寺で施行された某労働運動家の葬儀に列して弔辞を読んだという報告が所轄の警察から来ているのは、まさかそうではないと思うが、如何でしよう、こういう質問なんです。誠に念の入つたよき警察官、稀に見るよき警察官。これは君も知つての通りじやないか、一昨日は共立講堂にずつとこういう時間。その通りだと私も思うが、併しどうも所轄警察からそういう報告が来ている。そこで私は、所轄の警察の人は葬儀場へ一体入れたのか。いやそれなんです、ピケット・ラインを引いて一名も入つていない。情報だね。その通りです。こういうことが平気で行われている現在の状況なんです。成るほど私もここ数年に亘りまして破壊的な行動の犯罪が続いて起つて来ているということについては決して否定いたしません。併しながらこういう犯罪を十分捜査された結果が、一体一連の本当に或る団体からの指令に基いてかかる犯罪がことごとく行われておつたかどうかということについては、非常に疑問なんです。三鷹事件、非常にやかましく言われた事件でありますが、ただ一人の犯罪として判決されておるし、松川事件は、これはやや団体の、而して指令に基いて行われたのじやないかという疑いのある事件でありますけれども、これは一審の裁判に対しては非常に疑問ありとして、現に宮城高等裁判所において事実審理を開始しておる、そのほかいろいろな事件が新聞等によつて伝わつておりますけれども、嚴密なる捜査方針の下に捜査された結果が、それではどこからどういう指令に基いてかかる犯罪が連続的に起つて来ているかということについてはまだ証拠が挙つて来ていないのです。そういうことがあるであろうという單なる予想と申上げてもよいのじやないだろうか、極端に言えばそう申上げても私はあえて過言ではないと考える。およそ私どもも思想だとか思惟を取締るとか、或いは私どものこの思惟を外部に発表する、いわゆる表現の自由、この表現の自由を実行するための或る程度の基本的の人権、これは本当に我々が持つて生れた権利である。これを制限する、勿論私といえどもこういうものが絶対的なものとは申しません。これを制限する状況に入るというのは、客観情勢の如何といういわゆる問題であつて、公共の福祉が現に破壊されておる、破壊されることがクリアーでありプレゼントである、明白であり現実の問題である。言い換えて見ればそういう危險が差迫つて来ているのだということがはつきりするにあらざれば、我々に與えられたるこの自由、基本的人権ということを拘束することはしてはならないというのが近代的観念であると私は思う。こういう観点から立つて考えてみますと、今回の破壊活動防止法案をどうしても布かなければならない情勢が今のように明白であり現実であるということが言えるでしようか。私は成るほど国際情勢その他の環境によりましてはそういう見方ができないとは決して申しません。併しそれが只今申上げまするように差迫つて来ている問題であるかどうかということについては、これは疑問がある。そしてこの本法案は、先ほど来も皆さんが述べられておられますように、又法案自体に盛られておる言葉によつて明らかでありますように、この自由と基本的人権を侵す場合が決してないことはないのだ、用いよう如何によつては極めて危險なんだということを立案者のかたがたもお認めになつている。そういう一面においては危險をはらんだ法案を、実際に客観情勢としてこういう危險がある法案であるけれども、これを通過せしめて、取締らなければならないというところまで果して差迫つておるかどうかということについて、先ず皆さんとくとお考えを願わなければならない点であろうと私は思う。 次に若しこういう破壊活動が仮に政府当局でごらんになつておるように実際に起つて来ているんだと考えまして、それでは刑法その他の刑罰法規で賄い得ないのかどうかという点なんです。この点については先ほど瀧川教授は、団体的の犯罪については、現在の刑法では個人を対象としておるからこれはどうも賄い切れないのだというお説である。そのお言葉の中に、但し内乱罪であるとか騒擾罪であるとかいうものは、これは別なんだというお言葉が漏れた。現在の客観情勢で起つて来ているいろいろの事実が、内乱罪とか騒擾罪で賄い得ないかどうかということをもう一遍考えて頂きたい。成るほど刑法上の理念といたしましては、だんだんに経済組織、社会組織、国家組織等の進化によつて、それから生じて来ておる犯罪が団体的の方向に向つて来ておるということは私も否定いたしません。まあ極く手近な例として、法人処罰に関する單行法が出て来ている。これは勿論そういう傾向に向いつつあるということは申上げるまでもありませんけれども、先ほど来ここに專門家の委員のかたがたもおいでになりますように、その点については何ら因果関係のない役員等が、団体において或る種の犯罪を団員として行なつた場合に、この責任をとらなければならんかどうかということについては非常に矛盾があるということはここで御指摘になつた通りである。理念としては団体の犯行ということを認めてこれを処罰しなければ或いは賄い切れないようになるのかも知れない、知れませんけれども、それは現在の我々のこの客観情勢においてはそれまで飛躍して団体を罰しなければならないというような点まで来ておるかどうかということも更に考えてみなければならない。そしてこれは団体というものによつてのみ、団体でなければ行えない犯罪というようなことが続出して来るというときになつたならば考え直さなければならない点も起つて来るでありましよう。併し現在暴力的破壊活動というものが団体でなければ、団体だから起るのだというような特殊性を帶びておるかどうかにつきましても相当疑問がある。それが内乱罪とか騒擾罪とかいうような、あの集団的な犯罪として認めておるものを、これをなお足りずとして、賄い切れずとして、団体の特殊な犯罪として処罰をしなければならないというようなものがそんなにたくさん生じて来ているのだろうかということを私どもは冷静になつて考えてみたいと思う。こういうことがはつきり私どもに例証ができて、納得が行つたならば別の法律として考えなければならんというふうに私は思うのであります。こういう点から考えてみましても私は現在の刑法においての内乱罪或いは騒擾罪その他たくさんのあの規定を今度お盛りになつておりますけれども、あの程度で以てはやはり刑法で十分に罰せられるのではないか。殊に予備、陰謀、教唆という点まで考えてみまするならば、この点から考えてもどうしても十分賄い得るのじやないか。ただ先ほど来ここで問題になつておりますところの扇動とか教唆の教唆とか、或いは予備の教唆とかいうような問題がございますが、大体現在の刑法で賄い得ると私は思うのでありますが、何か一種の不安を皆さんが感ずるようなところがあるんじやないか。これは單的に申しますと、国内で起つたかかる犯罪は、犯罪の根本まで全部捜査ができ得べきはずである、又できておる。だが外国の政府又は外国の団体と意思を通じて国内の基本組織を破壊するというような場合になりますと、現に共謀若しくは扇動等をしておる者が我が国の刑罰権の範囲外にあるという点で何か一抹の不安があるのではないかと思う、これは尤も不安ではないかと思うのです。私は、それならばこういう点を非常に明確にした別な法律でおやりになることのほうがいいんじやないか。こういう点から考えてみまして、先ず私はこの本法案に対しては全般的に賛成することができない次第であります。 なお具体的個々の問題についてはもう論議盡されておりますから、より以上申上げる必要はないと思いますけれども、一体この法案に盛られておる言葉が誠に漠然としたものが非常に多い。立案者のほうでは非常にこの点については御苦心なすつておるということも私どもは重々お察しはするのですが、如何んせん、暴力的破壊活動というようなことが果してどの範囲のものであるかということについても非常に疑問が多い。曾つて治安維持法当時におきましてもこういう点において随分論議が盡された。例えば国体を変革するというようなことについても一体非常に議論が多かつた。あの当時は国体を変革するということはすぐわかるように考えられたのです。さていよいよ事件になつて現れて来てみますと、なかなかそうではない。例えばキリスト教のうちで第七日安息日、土曜日を安息日にしておるセブンス・デー一派の人たちがありますが、非常に聖書をまともに読んで、イエスの神国を地上に再現するのだと固く信じている。そうしてこれは是非そうならなければならんということを主張しておる。そうなれば地上の現在の国家は皆壊滅するのだと、こういうことを説いた。これが国体を変革するのだということで、そのためにできておる宗教団体だとして検挙になつた事実は、これは御列席の当局のかたがよく御存じであります。今日でみれば実に隔世の感がある。国体を変革するというようなことは非常にきつちりした概念のごとく考えられますけれども、かような大きな間違いが起つて来たり、拡張して解釈するというようなことがあつたのです。現に私どもはそういうところにもうぶつかつて来ておる。これがために数百人の人が検挙され、百人以上の人が処罰されておる。然も実刑を科せられた人が相当にあるという事実すら現に過去に私ども持つておる。そこで暴力的破壊活動というものはもつと漠然としておるし、そういう点から考えてみますと、普通の内乱罪、普通の騒擾罪以上に種々な重い刑罰を受け重い制裁を受けるという慮れのある暴力的破壊活動ということに何が一体入るか。うつかりしますと労働組合が争議、争議は通常の状態ではないです。平静な状態ではないことは申上げるまでもない、争議状態が多少のエキサイトすることはこれは免れない。そこで座り込み戰術をした或いはどうしたとかいうような問題も起つて来ないでもありません。或いは新聞社で工場の人たちが輪転機にかかつておる巻取紙を切つたことが暴力的破壊活動のうちに入るかも知らん慮れが多分に私はあると思う。而してかかる場合に争議状態なんだからいたし方ないじやないか、あの程度のことは許さるべきだという論をした人があるといたします。そうして組合の新聞なり何なりの機関紙に発表したということになりますと、これが又直ちに処罰の対象になつて来る。そうして而もそういうことがたび重なれば、遂にその組合は解散を命ぜられるという結果に相成るということを考えてみますと、容易ならざる問題だと思う。かかる点から考えてみますと、正当性を説いたり、扇動をするというような問題は随分大きく拡げ得ることになる。そこでこういうものが処罰されるということは、元来言論の自由を封じてそうして処罰まで行くということにおいて、扇動のごとき事実が一体現に公共の福祉を破つている事実になるのか。或いは又破ることが明白であり、且つ現実であるというところにその扇動ということが結び附くかどうかということを考えてみますと、非常に危險性があつて、我我の人から拘束されないということの建前の自由とか基本的人権というものは、これがために犯されて来るということを考えますと、やすやすこういう法案を通すことは私は非常な危險であると思う。皆さんの一票によつて私どもがどういう状態に陷るかということを考えてみて頂きたい。 大体私は以上で申上げたいと思うことはおいておきますが、これは附足りで申上げないほうがいいと思いますけれども、若し団体としての問題についての取扱いが、現在では団体等規正令が講和條約の発効によつて効力を失う結果になるから、どうも賄い切れない点があるのじやないかというお考えがあるかも知れません。これは団体の行動の制約若くはこれの解散という極度の問題については、先ほど来ここで盛んに論議されておりますけれども、それはそれとして單行法を以てお出しになつたらどうだろうか。処罰までこれを引いて行くということをなさらないで、而もその方法論としては、先ほど来塚崎さんより縷々言われましたけれども、私の考え方ではやはり司法裁判所に対して解散の要求をする訴えを起す、それで間に合わないということになれば、塚崎さんのおつしやつたように仮処分で或る程度の団体の能力をとめておく、そうして争いは真剣に争つて行く、立証責任は要求する政府側に十分に挙げてもらうということでなければ、私どもの持つた結社の自由ということを破壊する結果になるものですから、破壊するのだということの主張をなさるほうに立証責任をとつて頂くのが順当ではないでしようか。それが他の権利ではない、私どもが他人から侵されることのないということを一応保障されている、そういう権利がこの状態でそれが行使されたのでは、公共の福祉が現に破壊され若くは破壊されると同様な明白な現実の状態に入るからということの御主張をなさるほうに立証責任を負つて頂く、決して間に合わないという問題は起らない。仮処分で十分間に合つて行くということをお考えになるならば、これはまだ私どもも一考してみる価値がある、こういうふうに私は考えるのです。先ほど申上げましたように、外国の政府又はその他の団体と意思を通じて内部破壊、国内の破壊をする、基本的の組織を破壊するということであるならば、これは特殊犯罪として或いは考えられるかも知れませんが、こういうことが犯罪構成要件にしてしまつたら非常に立証責任が困難だという御議論がすぐ出て来ると思います。併し立証の困難なるものを罰するということそれ自体がやはり危險なのです。こういうふうに考えましたならば、こういうことでまあお考えをもう少し変えて頂いて、この法案を一遍御破算にして頂いて、お考え宜しを頂きたいというふうに考える次第であります。 誠に簡單でありましたけれども、時間もございませんので、これで失礼をいたします。
○委員長(小野義夫君) 次は国家公安委員花井忠君の意見を承わります。
○公述人(花井忠君) 国家公安委員ということを仰せられましたけれども、私が国家公安委員であることは事実であります。併し私は国家公安委員会の意見を申上げるのではありません。私もほかに資格を申しますれば、一面において弁護士でもあり大学の教授でもあるのであります。そのうちのどれを取出して仰せられてもそれは差支えございませんけれども、ここに国家公安委員ということをお示しになつたのでありまするが、委員会の意見を代表するのではございません。 結論から申しますれば、大体において私はこの破壊活動防止法案に対しては賛成であります。如何なる国家といえども暴力主義的な破壊活動を否定しなくてはならないと思います。あらゆる国家がこれは否定しておると思うのであります。この点で日本だけが例外になるはずはないと思うのであります。鈴木弁護士から、この法案は最小限度の立法であるというお説を承わつたのでありまするが、最小限度であるかどうかは別問題といたしまして、現に我が国の治安状態におきましては必要な法案であることは、これは明白であります。その最小限度の立法であるかどうか、それはできるだけ程度を限つたものであろうと思いまするが、この法案を拝見いたしますると、憲法の保障する人民の権利というものは相当に尊重したあとが見えるのであります。最も明白なのが第二條でございます。第二條の規定は、先ほど瀧川教授は、この法律が危險なものであるからしてそのことをこの第二條に謳つておるのだ、こういうふうに仰せられております。この法案自体が決して危險でないとは申しません。危險性はあるのでありましよう。併しその危險はこの二條によつて初めて防止されるのではないか、勿論これは憲法上当然のことであります。この当然の事理を明文化したというところにこの法案の意味があるのではあるまいか。つまり第二條におきまして思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由、勤労者の団結、こういう団体行動をする権利、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に制限するようなことがあつてはならないということをわざわざ、不必要であるかも知れない事理というものを約束しているのであります。これがなかつたならば安心ができませんけれども、これがあるからして安心ができるのではあるまいか。法案のこの第二條を抜きにして部分的に見て行きますれば、危險と思われる法律文のあることも見出だされないではありませんが、この第二條によつて制約せしむる、そうして取締の当局にはしつかりと約束を守らせるということがこれでできるのではあるまいかというふうに考えます。そうして先ほど憲法の保障する人民の権利を尊重したあとが見えるということを申上げましたけれども、例えて申しますれば第三條の第二項の規定でありまするが、ここには刑法百十九條でありますとか、あの辺の溢水罪は省いてございます。それから水道、飲料水に対する罪、例えば百四十六條のごときであります。恐らくこれは破壊活動としては非常に重要な犯罪だと思いまするけれども、これを拔いたというゆえんのものは、恐らくは従来こういう罪というものが統計に現われてない、まあ安心はできませんけれども、統計から見れば不必要であろうということから省いたのじやあるまいか、これは立法者の意思を忖度する私の勝手な解釈でありますが、そういうふうにも考えられる、遠慮をいたしております。それから先ほど来法人の犯罪能力、団体の犯罪能力、これは経済法ができまして以来、法人の犯罪能力を認めるものが出て参りました。これは瀧川教授もおつしやるごとくに、今の刑法の理念においてはソシエタス・デリンクエレ・ノン・ポテスト、このラテン語の原語の通りに、法人団体というものに対する処罰はいたしておりません。議論は出ておりますけれども、これを処罰するということは今の刑法の理念の上からは出て参りません。然るに経済法においてはこれを罰しておる。そうして犯罪能力ありという説も出て来ておるのでありまするが、これはやはり団体の刑罰ということにまでは行つておりません。そのほか第十五條でございます。第十五條は、「但し、審理官は、当該団体の公正且つ十分な審理を受ける権利を不当に制限するようなことがあつてはならない。」、こういう規定を置いております。これも又当然の立法である。当然の事理でありまするが、やはりこれを明文化してはつきりと国民に約束しておる。審理官はこれによつて制約を受けなくてはなりません。それから第二十七條、これは公安調査官、これの証拠物の閲覧であります。これも実際は強制権を持ちたかつたのでありましようが、そこまではしないで、検察官又は司法警察員に対して関係ある事件に対する書類及び証拠物の閲覧を求めるだけであります。みずからの権力は持たせない。それから第二十九條でありまするが、これも公安調査官は、「司法警察員が暴力主義的破壊活動からなる罪に関して行う押收、捜索及び検証に立ち会う」だけであります。立ち会い得ることだけ、若しくは閲覧することができるだけの限界にとどめておるのであります。こういうことを見ますると、よほど憲法の保障する人民の権利というものに対して尊重をしておるあとがある。こういうふうに考えられるのであります。 現下においてこういう法律が必要であるかどうかという問題でありまするが、これはいろいろ見方もございましよう、こういう法律のないことは我々の希望するところであります。併し終戰後の状況、殊に最近の治安状態に鑑みますれば、どうしてもこういう法案は必要である、この点は鈴木弁護士が最初におつしやつたようであります。すべて破壊活動というようなものは、これを未然に防がなくてはならない。事件が発生してからの処置では遅いのであります。ですからこの法案のごとき行政処分も必要になつて参ります。刑罰でいいではないか、刑法だけでいいではないかというような御意見もこれも一理あるのであります。併しながら刑罰というものはこの未だ行為に出ないものに対して適用されるものではありません。行為に出ないものに対するいわゆる一般警戒とか、一般予防とかいうようなことは、これは確かにそういう効果はございまするけれども、併しながら刑罰の威嚇というようなものは、いわゆる確信犯的な犯罪に対してはこれは全く無力であります。のみならずすべて国家の治安を保つには、犯罪の発生以前に未然にこれを防いで行かなくてはならない。これは私の申上げるまでもないことであると思うのであります。問題になりました扇動でありまするが、扇動はやはりこれも余り感心した規定ではありませんが、必要であるということは我々認めなくてはならない。扇動でも数重なりますると、これは治安上重大な結果になつて参る、こう思うのであります。本法におきましては教唆犯は独立罪としておるようでありまするが、これはこの学説はすでに大体独立罪説に固まつておるようであります。これは学説を追うただけのものであろう、こういうふうに考えられるのであります。ただ私が多少疑問に思いまするのは第四條の規定であります。これは大した問題じやありませんけれども、「暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認めるに足りる云々」、これは大変丁寧にいろいろ重ねて明らかに認めるに足る十分な理由というようなことを書いてあります。「明らかなおそれ」というのは、これはまあ言葉だけのもので我々はわかつておりまするけれども、これは「明らかなおそれ」というのは誤解を来たすのではないか。つまり「明らかな」ということと、「おそれ」ということの矛盾した二つの言葉を結合しております。法律はやはり一般大衆が見てすぐわかる文字を使わなくちやならないと思うのでございます。「明らかなおそれ」というのは一体何のことかわからん、矛盾した二つの言葉、これが結合して一つになるのでありまするからして、ちよつと妙に感じはしないか。これは虞れのあることが明らかなという意味でなければなりません。そういうふうに解釈されることは明らかでありますけれども、「明らかなおそれ」という一つの言葉は、虞れだけ、虞れであるということが明らかである。代らずしも危險はないのであるが、明らかに單に可能性だけであるというふうにとられやしないか。「明らかなおそれ」というようなこういう書き方は、やはり一般大衆にすぐにわかりいいようにこれは書き直したほうがいいのではあるまいか。 そこでまあ大体この法案の全体に対して反対はございませんけれども、要するに先ほど来法案反対の御意見を伺つておりますれば、結局この運用に対して危險を感ずる、これは我々も感ずるのであります。私も三十年近くの弁護士生活におきまして、従来のやり方については非常な不満を持つております。権力の濫用ということがしばしば行われた事例はあるのであります。例えば行政執行法というものを制定いたしまして、これは犯罪捜査には使わないのであると言つて議会でちやんと約束をしておりまするが、行政執行法は後にこれを犯罪捜査の具に供しておるのであります。これは一例でありまするが、こういうような初めの約束があとで反古にされるというようなことはたびたびあつたのでありまして、この点において我々人民は満腔の信頼を政府に置くわけには行かないのであります。そこでこの十分に国民の信頼を裏切らないように、政府を監視する必要があると思うのであります。それは公安審査委員会設置法案というのを頂戴いたしましたが、この公安審査委員会、これが非常に重要な役割を演ずるのではないか。若しこれが無力化されたり乃至は政府の手先になつて追われるようになつたらこれは重大な問題であります。先ほど来反対される諸君の御心配を除くには一つここを強化しなくてはならない。 そこでこの公安委員会設置法案を拝見いたしますると、第五條に、「委員長及び委員は、人格が高潔であつて、団体の規制に関し公正な判断をすることができ、且つ、」云々とあります。でこういうような人が「両議院の同意を得て、法務総裁が任命する。」ということになつておりまするが、まあ両議院の同意を得るからいいようなものでありまするけれども、併し人格が高潔であつて、団体の規制に関し公正な判断をすることができる人というのは、一体こういう抽象的な文句でどういう結果になるか、これでは不安であろうと思います。そこでむしろこういうのはもう少しはつきりした融通のきかないような法文にする必要があるのではあるまいか。人格が高潔であるということは一体どういうことで判断するのか、団体の規制に関し公正な判断をすることができるというのは、一体どういうことで判断するのか、具体的にこの法律案に現われておりません。そこでこれは人の問題でありまするが、結局はこの法文の通り人格が高潔でなくてはならないし、公正な判断をすることができる人でなくてはならないことは勿論であります。それをもう少し具体化しまして、ここに或る程度の標準を示す必要がありはしないか、例えば言論界の者とか学者とか、弁護士とか、政府の者も加わつてよろしいでありましよう、公安委員とか、まあそういうような者の中からこの一定の基準を定めまして、具体的な基準を設けて、そうしてこの審査委員の最も公正な判断ができるような機関にしてほしい、政府に引ずられない立派な委員会ができることを希望するのでありまして、これが結局破壊活動防止法案の運用を誤らしめざるようにできるのではないか、こういうふうに考えるのであります。従つて私の意見といたしましては、大筋においてこの法案に対しては賛成をいたさねばならないのであります。 簡單でございますが、これを私の意見といたします。
○委員長(小野義夫君) 有難うございました。次に早稻田大学政経学部教授内田繁隆君の御意見を拝聽いたします。
○公述人(内田繁隆君) 私は早稻田大学政治経済学部の内田でございます。私は政治学の專攻者でありまして、法理論の方面から見まするとやや原則論になりはせんかと思うのでありますが、二、三の点につきましてこの法案に関して申上げたいと思います。 自分の立場を申しますと、原則としてはかような法案をこの際制定しないで行けたならばいいのじやないかというように考えるのであります。その第一の理由といたしましては、日本の近代政治史を振り返つて見ますと、これに類似のいわゆる非常立法的性質を持つたものとしては、明治二十年の保安條例と大正末の治安維持法であつたと思うのでありますが、無論今度の法案は、新憲法の原則を相当に尊重されて又考慮されて、人権蹂躪等に陷らんように工夫されておることは認めるのであります。併しその性質から申しますると、この法案は国民の行動を或る程度まで制限するという建前になつておるように思うのであります。その点で先ほどからいろいろなお話がございましたので、大分出盡しておるとも思いますけれども、この今申上げました保安條例や治安維持法が制定されました当初の目的が、いずれも殆んど達することができなかつたのではないかと思うのであります。と申しまするのは保安條例の場合は無論第一次伊藤内閣が明治憲法制定を前にいたしまして発令いたしたのでございますが、その條例が非常に広汎でありまして、秘密の結社、集合を初めといたしまして、内乱の陰謀、教唆、それから新聞その他の印刷物等の発行頒布等に及んでおるのでありまして、漸く制定されようとする明治憲法の人権さえも相当に制限するような建前になつておつたのであります。私たちの仲間はそのために追放せられたわけであります。そのために当時の民間の学界、言論界をいたく刺激いたしまして、そうして却つて反政府的な運動が強化され、いわゆる議会の政党は野党連合がますます強化されまして、政府に肉迫するというようなことになりまして、結局は結果においては、この法案を制定したのが唯一の原因ではないといたしましても、数回の議会に亘つてあれだけの激しい解散に吹くに解散を以てしても依然として野党連合に屈せざるを得ないというような結果となつたことは御承知の通りであります。それから第二の治安維持法のほうでございますが、これは申すまでもなく当時いわゆる護憲三派内閣が普通選挙制を実施いたしますに当り、その予備的な措置といたしまして、国体の変革その他危險な行動を阻止する意味でできたものでありますが、この制度は最初は無論いわゆる極左のほうに向けられて参つたのでありますが、その過程におきまして普通選挙が実施されて、その後一回、二回と選挙するごとに、無論極左の直接行動は或る程度まで阻止されたと思うのでありますけれども、併しいわゆる労働運動や社会主義諸政党が相当激しい勢いで著しく進出して参つたのであります。そうしておりますうちに昭和の初めのことでございますが、間もなく満洲事変が始りまして、そうして満洲事変を終えて以後というものは、いわゆるこういう言葉は、右とか左とかいう言葉は余り妥当でないと思いますが、いわゆる軍国主義乃至極端な国家主義団体が横行する時代となつて参りました。で、無論当時の立法の趣旨としては、必ずしも極左に向けるのでなく、右に対しても直接行動をするというようなものに対して向け、又大きな政治変革を目標とするものに対しても目標があつたと思うのでありますけれども、併しそういう満洲事変以後の軍国主義乃至極端な国家主義団体の横行は何らこれを取締ることができなくなつてしまつた。いわゆるそれに対しては全く無力であつたように思われるのであります。かようなのが過去の事実でございまして、この点今日の法案が、無論過去の情勢とその法案の性質と必ずしも一致するものではないと思いますけれども、過去の実例といたしまして、一応参考にして頂いていいのではないかと思うのであります。 それから第二に問題となりまなすのは、先ほどなたかからも御説がありましたように、今日のいわゆる破壊活動を計画しておるところの団体なるものは、これはどうせそういう団体は秘密団体でありますから、正確に把握することは困難でしようけれども、果してどれだけの実勢力を国民の間に持つているかということに対する正しい判断が極めて必要かと思うのであります。最近の事実を見ましても、それに対するその種の行動をとるように見えるのは、国民全体から見ますると極めて限られた一小部分であつたのではないか、極めて極少部分であると思うのであります。そういたしますると、そういう極めて少部分の行動や計画に対しまして、これを制限するためにかような大規模な法案で、先ほどお話がありましたように公安審査委員会、それから公安調査庁というような大きなシステムを持つた組織的権力を以て臨まなければならない必要があるかどうかということが相当問題でないかと思うのであります。言い換れば殊にこの民主主義の時代におきましては、かような国民の少数を対象とするのではなくして、いわゆる国民大衆、国民大多数の良識を対象としなければならんと思うのでありまして、我が国の大多数の国民は健全な進歩主義を支持するものであつて、かような過激な行動にはくみしないと私は確信するのであります。このことは学生の行動などについても嚴密に観察しておりまするとやはり言えることでありまして、余りに一少部分の者の動きを過大に評価することは、却つて社会的な不安をそのために助長するというようなことになる虞れがあると思うのであります。勿論ここで一応考えてみなければならんことは、今日問題となつておりまするこの法案は、性質上政治犯を対象としておるように思われます。それは申すまでもなく第三條の二に「政治上の主義若しくは施策を推進し、」云々ということがございまして、そしてそれからイからリ、ヌに至るまでずつと列挙してあるのでございまするから、「政治上の主義若しくは施策を推進し、」云々という点から、これは主として政治犯を対象としておると見ることができるのであります。そうでありますということと、なおその法案の対象とする社会的な現実の背後に、いわゆる世界的な大きな思想、潮流の対立があるということを一応想定しておるのではないかと思うのであります。それと同時に又他方におきましては国内に又深い矛盾がありまして、それからいろいろな問題が起つて来るということも考えられるのではないかと思うのであります。言い換えればかようなことは今日では日本ばかりでなく、いわゆる世界的な一つの現実となつて参つておるようであります。そこで私はこれは全く自分の私見でございますが、かような時代的な一つの流れに対して問題を解決する場合には、無論私はこういう治安立法というようなものが全然不必要だと申すのではないのでありますが、併しそれだけを主として推し進めるということは、これはいわゆる專制時代の政治方式であつて、つまり禁令禁制という点に傾きやすいと思うのであります。それよりもむしろ積極的にそういうような根本的な原因をなくする、言い換えれば今日の社会には確かにいろいろな欠陷があるのだから、そして又それに対していろいろな主義主張も出て来るわけでありますから、それに対してはより高い世界観に立つて、そしてそういう間違つた思想があるならば、そういう間違つた思想は理論的に克服する、そしてその高い世界観に立つた根本的な対策を、言い換えれば社会をだんだんよくするというそういう意味での総合的な施策を伴わなけれいけないのじやないか。そういう問題はこの法案に直接関係はございませんけれども、それとやはり併行して進めるという気がまえが絶対に必要なのじやないか。消極的にただこれを防禦するというのではなくして、今申上げましたようなできるだけ合理的な高い原理に立つて、そうして国民生活の水準を高め、経済、社会問題を解決して行くという点に総合的な対策が絶対的に必要なのじやないかと思うのであります。その積極的な施策がなければ、こういう当面の問題もなかなか解決が困難じやないかと思うのであります。これが第二の点であります。 それから第三に、過去の実例によりますると、先ほどから皆さんからいろいろなお話がございましたように、この種の治安立法はしばしば権力の濫用となつて現われたということであります。そしてその結果といたしましてまじめな研究や正しい言論までが相当に抑圧された場合があると思うのであります。私は先ほども申しましたように、いずれも政治というものが原則として暴力行為や破壊活動は認めるものでないという点においては、私は戰時中といえども民主主義を信じておつた一人でありまして、どんな大きな改革も、或る意味においては革命も、革命ということは暴力によらなくても革命ということはあり得るわけでありますが、いずれにいたしましても飽くまで民主的、平和的な方法で進められなければならん、そう確信しておるのであります。そして又今度の治安立法も、私は提出者それ自体はかかる善意の、つまり正しい政治が必要とする限度における善意の治安立法として立案されたと思うのでございますけれども、併し先ほどもお話がございましたように、私は先日来いろいろな方面で、又この国会において、両院においていろいろ質問応答が繰返され、そしてそこにいろいろな具体的な問題が示されておりますのを注意深く見ておつたのであります。その中で非常に具体的で参考になり、又具体的解決方法とも見られるべき基準がたくさん示されておると思うのであります。そういう点を見ますると、善意の立法ということは十分わかるのでありますけれども、併しながら時の政府により解釈を異にするということはもう過去の事実が明瞭に示しておる。それからかような法律の執行に当るところの末端の機関が、ややもするとその法の精神を十分に理解しないために、いわゆる法の精神を逸脱した行動に出ることもあり得るのではないか、かように思われるのであります。で私はここでちよつと……、結局はこの法案が正しい言論或いはまじめな研究を阻害してはならないという、その点を申上げる必要から、今日の世界の学界の現状をちよつと申上げたいのであります。 私は少くとも自分の関係いたしまする政治学、政治、経済、社会等の問題につきまして、戰後に出ました欧米諸国の、自分の手の届く範囲内についていろいろ調べてみましたけれども、アメリカのハアバート大学のハンセン教授がこういうことを言つておる点を特に注意しなければならないと思うのであります。それは自然科学は今日非常に飛躍的に発達をしたけれども、社会工学のほうが極めて遅れている。社会工学の面から見れば、現在まだ原始的野蛮の段階にあると、そう申しておるのであります。イン・ザ・ステエージ・オブ・プリミテイヴ・サーベージ、そういう言葉を使つておるのであります。この点は非常に注意すべき点であると思うのでありまして、結局今日のいろいろな問題は、学問上におきましては自然科学の異常な発達、飛躍的な発達に対して人文科学なり社会諸科学が非常に遅れておる。両科学の均衡が極めて不均衡な関係にあるというところに大きな原因があると思うのであります。その点を道破した言葉であると思うのであります。そういう点から見まして、少くとも過去の治安維持法などのようにその解釈の拡張解釈などによりまして、まじめな研究者を起訴するといつたようなそういう結果が来まするならば、先ほど瀧川教授も言われましたように、本当に今日のいろいろな問題を解決するにはどうしたらいいか、学問上どういう根拠に立つてこれを克服すべきかといつてまじめに人文科学や社会諸科学と取組んでおるところの研究者が、又非常な恐怖と動揺を感ずるのではないかと思うのであります。そういう点から私は人文科学や社会諸科学の領域におきましても第二、第三の湯川博士のような人の出ることを衷心から望んでおるのであります。それによつてその面において合理的進歩的な普遍法則や原理が発見され、そうして社会工学即ちソシアル・テクノロジーのほうもだんだん進みまして、そうして現在我々の前に横わつておるいろいろな問題を或る程度まで学問で解決できるという一つの目安でも立てて、そういうことに向わなければならんのではないかと思うのであります。私どもは学生などに対しましても、いろいろな主義や何かを研究するのはいいけれども、飽くまでもそれに対しては長短を明らかにしろ、どんな理論でも絶対真理というものはないのだから、飽くまで分析的方法で長短を明らかにしろ、いいところはとつてもいいが、一辺倒に小兒的な子供らしいことをやつてはいけないということを特に申しておるのでありますが、これは結局客観的な真理乃至法則というようなものを見出すための努力であります。 以上は極めて抽象的な問題を主として申上げたのでありますが、ともかく以上三つの点でかような治安立法ができるということはどうも弊害のほうが多くなつて、本当に効果が挙らんのではないかというように感ずるものであります。 そこでもう少し実際的なこの法案の内容に入りまして二、三日分の気付いたところを申上げたいと思うのであります。それは殆んど皆さん申されておりますが、拡張解釈の余地を全くなくするということは、なかなか実際問題として言葉そのものは不完全でありますから困難でありましようけれども、例えば扇動というようなああいう言葉はどうも法律上の言葉としてはどういうものかと思うのであります。教唆と扇動との区別は無論概念的には区別できますけれども、その扇動の具体的内容が非常に問題になると思うのであります。例えば実際問題といたしまして、これは以前にありましたように、例えば美濃部学説が日本の国体変革乃至国体を危くする学説である、そういうようなことを言い出した人がありまして、そうして美濃部さんは相当受難時代を過されたのであります。併し今日の憲法は美濃部さんのような団体主権の憲法を遥かに乗り越えまして、国民主権の明確な規定をいたしておるのでありまするが、これは無論時代の相違もありますけれども、併しああいう学説が当時の日本のみならず、世界のいずれの国の学説と比較しても危險な学説であるということは到底考えられなかつたのでありますけれども、併し実際問題としてそういうことが起つたのであります。これはこの国会で随分いろいろな、参議院のほうも衆議院のほうも相当熱心に本会議及び委員会において御検討になりまして、具体的な実例を挙げておられますから、私は一々それをここで申上げる必要を感じませんけれども、実際問題としては外国の革命というようなことを引用した場合に差支えないというようにたしか政府では言明しておられたように思うのでありますけれども、相当やはり問題になり得るんじやないか、扱い方が非常にむずかしくなつて来る。そういう点から考えまして扇動という言葉は是非削除して頂いたほうがいいんじやないかと思うのであります。それからなおこの法案の結果は先ほど瀧川教授も指摘されましたように、検閲制度は今日では嚴禁せられておりまするから、実際においてはない、形式においてはないのでありますけれども、今後この法案によつて少くとも絶えず審査又は調査を受ける者が相当出て来るのではないか、そうするとそういう人はちよつとした著作や言論を発表します場合でも全く自由が拘束されまして、いつも不安な状態に置かれているように思う。言い換えれば間接的に検閲制度の下に置かれているというようなそういう結果になるのではないかと思うのであります。私は無論断じて先ほど申しましたように民主主義の信奉者でありますから、そういう暴力革命などということを絶対に否定するものでありますけれども、併しながら先ほど申しましたような、まじめな研究者が実際において相当に過去においてはその研究や発表の自由が拘束されて来たという点におきまして、今日の人文科学、社会諸科学が遅れておる、この自然科学との不均衡な取返すためにもう少し伸ばしてもらつていいのじやないかと考えるのであります。 それが一つでありますが、もう一つ具体的な問題といたしまして、公務員の権力濫用の場合に対する規定がもう少し明確にされなければいけないのではないか。ただ一般刑法或いは公務員法等に讓られるだけでなく、権力濫用ということはこれは今日の民主主義の国家社会におきましては極めて重大な問題だと思うのであります。つまり民間人が自分らの権利を逸脱いたしまして、公安乃至公共の福祉を害するということも無論憲法の禁じるところであり、又政治の原則もそれを否認いたしまするけれども、併しそれよりもまだ権力の濫用ということは、公共の福祉或いは人民の基本権利に及ぼす影響が大きいのではないか、従つてその点は普通の民間人の権利逸脱の行為以上に重きを以て罰するという、そういう規定が何らかの形で加えられなければいけないのじやないかと思うのであります。 それから第三の点といたしまして、公安審査委員会の構成についてでありますが、まあ公安調査庁を置くことも余り大袈裟過ぎるように思いますけれども、まあ実際問題としては結局今あるところの或る種の機関がそこへ統合されるのだろうと思うのです。余りここに大きな予算と人員を使わない限り……実際問題としては事務局がなければ困るのだろうと思うのでありますけれども、公安審査委員会の構成でありますが、これは余り数を少くしないこと。余り多くては又機密が漏れるというので、公安委員会でも相当問題になつておりますけれども、併しこれは余り数を少くいたしますと、或る時の権力を持つている少数の人に偏しやすい、だからこれは何人ということは私ちよつと申しかねるのでありますが、比較的多いほうがよろしい。そうして政治家のかたがたは申すまでもなく、学識経験者及び言論界の代表者などでも、正しい意見を持つておられると思われる人を加えられるようにして頂きたいと思うのであります。そうすれば権力濫用の問題も相当に是正されるのじやないかと思うのであります。 私はどうも政治学のほうでありますから、法理論はわかりませんけれども、非常に原則論になりまして恐縮でありますが、それだけを申しまして終ります。
○委員長(小野義夫君) どうも有難うございました。委員各位も非常に遅くまで御苦労様でございました。 それでは本日は散会いたします。 午後六時三十五分散会