厚生委員会 第7号
- 発言数
- 219 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1952/02/14
会議録
○委員長(梅津錦一君) これより厚生委員会を開きます。公報に御通知申上げましたように遺族援護に関する小委員長の報告がございますが、なお本日児童措置費に関する件がこの中から漏れておりますのでこれを第二案件にいたします。 最初に遺族援護に関する小委員長の報告をお願いします。
○山下義信君 遺族援護に関する小委員会の審議経過につきまして中間報告をいたしたいと存じます。 本問題は当面の最重要問題でありますだけに、小委員会といたしましても逐次問題の検討を掘下げて参りまして、小委員会の開会も今期国会すでに六回開会をいたしました。厚生省始め大蔵省及び総理府の恩給局等の関係当局から遺家族傷病者等の援護問題に関しまして説明を聴取すると共に民間関係団体等の代表者数名を参考人として喚問いたしまして意見を聴取いたし、且つ全委員熱心に御協力を賜わりまして御審議を頂いておる次第でございます。特に去る二月六日には傷痍軍人対策のため神奈川県小田原市風祭にあります国立箱根療養所を視察いたしたのであります。かくて同月九日の小委員会におきましては最近の諸情勢と睨み合せまして、一応小委員会としての意見の一致を見ました線が出ましたので、これを前国会以来一貫して参りました小委員会の意見と合せまして一成案を得ました次第でございます。只今お手許に御配付申上げましたプリントがそれでございます。 その主要といたします点は、根本対策か暫定措置かの問題につきまして、小委員会は今年度の暫定措置としては、かくあるべきであるという点が第一点でございます。 又弔慰金は、戦歿者一柱ごとに支給すべきものであり、又かかる弔慰金は一回限りのものでありまして、その性質に鑑みまして成るべくその支給対象の範囲を広くすべきであるという点が第二点でございます。 又援護対策としては、ただに金銭支給にとどまらず、母子世帯、傷痍者等に対する福祉の措置を強力に施策すべきであるといたしました点が第三点でございます。なお、政府原案といたしましては、当初におきましては予算案として提出されましたものが公式のものがありまして、その他は国会における政府の説明又は答弁に基きまして、本問題の検討を進めておるわけでございまして、遠からず政府原案の提出に対処し、十分詳細且つ具体的に審議を重ね得るよう準備と用意をいたしておきたいと存ずる次第でございます。我々といたしましては問題の性質に鑑みまして、でき得る限り国論一致の線において誠意をこめ、努力を尽し、妥当なる解決を希望するものでありまして、政府又原案の作成に当りましては本小委員会案を有力なる参考意見とせらるべきことを信じて疑わないものでございます。 目下小委員会は傷痍関係の援護対策の検討中でございますが、すでに一委員から重大なる問題の御指摘がありました。それは傷痍軍人に対する傷害年金、現行恩給法中現に支給されております増加恩給と併給せらるべきであるか、又は現給を廃し、新たに傷害年金制度によらんとするものであるか等の点であります。次いで対象者の範囲につきましても、非常に問題が複雑でございまして、軍属の範囲、戦死又は戦歿の範囲につきましても慎重なる検討を必要とすることを痛感いたすものでございます。今後ともこれらの諸問題並びに関係法規の調査を進め、要すれば実地調査も行いまして検討を進めて参りたいと考えておる次第でございます。 以上小委員会の審議の経過につきまして中間報告をいたす次第でございます。
○委員長(梅津錦一君) 只今の小委員長の報告通り中間報告を了承することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(梅津錦一君) それではさよう決定いたします。 —————————————
○委員長(梅津錦一君) 次に児童措置費に関する件を議題にいたします。
○藤原道子君 私は一昨年来問題になつておりました児童措置費の平衡交付金に含まれておりますことによつて、折角児童福祉法が制定され、又昨年五月には児童憲章も制定されて、而もその会長には吉田総理大臣が当られておるにもかかわらず、長年の間の懸案である児童措置費が今なお平衡交付金の枠から外すことができないこの点について、今日は大臣並びに大蔵当局の責任ある御答弁を伺いたいと存ずるものでございます。本年の山下議員が本会議における質疑に対しましても、見通しがついたということの御答弁があり、それから昨年河崎ナツ氏が本会議で縷々例を挙げてこのことを質しましたところが、これに対しましても御趣旨に副うような見通しがついたということをはつきり答弁されたにもかかわらず、本年度も相変らずこれが平衡交付金の枠から外されていない、補助費に切替えられていないという点につきまして、私は大臣の如何なるお考えで今日までおいでになつたかということについての御答弁を先ず第一に伺つておきたい。
○国務大臣(吉武惠市君) 児童福祉に関する平衡交付金の問題でございますが、これは実は私に厚生大臣を仰せつける前の閣議できまつたことでございましたが、私どもの閣議でこの問題がかかりまして審議をいたしたのであります。そのときの様子は、実は御承知のように地方財政の点は根本的にいろいろ検討しなければならない点がございまして、丁度向うさんのほうとも連絡しておつたような最中でございまして、そこでこれは全般的に関係のある問題だから今年はもう一度こうしておこう。そうして来年度から根本的に考え直して行つたらいいじやないかということでたしかきまつたように私は記憶いたしております。厚生大臣になりましてからこの問題は相当問題だということを聞きまして、先般も本会議で山下さんからの御質問がございまして答えたような次第でございますが、この問題はお説のごとく他の生活扶助と同じように考えるべきものだと思いますので、将来私といたしましても努力いたすつもりであります。
○藤原道子君 この問題はほかの点ともからみ合わせて考えなければならない。そのために今年はまあこのままにしたという御答弁でございまして、又大臣になつてから日が浅いというお言葉でございますが、それは私どうしても納得できないのです。なぜかなれば、この平衡交付金に組入れられているために、児童が今どういう現状にあるかということを大臣はお考えになつておられるのでございますか。これで果して児童福祉法が正しく運用され、子供の伸せが守つて行かれるというお考えでおられるのですか。今の御答弁によりますと、非常に軽く考えておられるようでございます。最近の政治の行き方を見ておりますと、弱い者が全部犠牲にされている。随分弱い立場にある傷痍者でも大会を持つことができ、座込みすることもできる、併し子、供はそれができないのです。何にもすることのできない子供に代つて、正しい政治をやつて行くのが私は責任者のとるべき態度であろうと考えるのでございまして、児童福祉法でございますか、児童福祉法におきましては、先ず第一に「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。」第三条におきましては「児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。」ということになつているのです。ところがそれが果して尊重されているかどうかという点でございますが、ここに一つの例がございますが、この児童措置費が平衡交付金に組入れられたために、地方におきましては声なき子供の面にはこれが使われない。どうしても力関係の強いところに流用されまして、もう児童の施設は危殆に瀕している、その倖せはどこへ行くか。現在、一つの例を、佐賀県の例でございますが、結局措置すべき子供が二百六十四人おりながら、措置されているのはたつた三十四人だ、これは教護院であります。養護施設は百六十四人措置を要する児童がおりながら措置されている者は三十九人、率にいたしまして教護院は一二・五%、養護施設は二三・六%、こういう状態であります。これは措置すべき児童がおりながらこれを措置することができない。而も国からは措置費は出ているのであります。措置費は出ておりながら、それが他に流用されて、そうして子供がこういう状態に放置されている。従いまして職員が非常に過労に陥つて、もう何にもできないと言つている。従いまして地方の児童課長たちも、最近は東京に会合が持たれているようでございますが、もうこのままで行つたら私たちはつらくて仕事ができないという段階まで来ている。而も昨年は見通しがつきましたと大蔵当局のかたからもここで言明された。厚生大臣も言われたし、その担当である局長も見通しは明るいというお話でありました。ところがいよいよ最後になりまするとこういう状態であります。大臣はまあ来年まで一年延ばす、一年延ばしてこの児童をこのままに放置しておいてどういう結果になるかということに対して大臣はどう考えるか。
○国務大臣(吉武惠市君) これは実を申しますと、この今日の地方財政の建て方の根本に実は関係して来るのであります。児童だけにつきましては、私も生活保護法がそうなつていますからこの福祉法の関係は、やはり平衡交付金よりも補助的なほうに組んで行くべきであるし、それくらいのことはそうむずかしいこともないと思いますが、実はこれだけでなくて、御承知のように義務教育費も実は平衡交付金に入つておる。そうしてやはり同じ悩みがございます。平衡交付金の中に入つておるけれども、実はそれがほかへ使われる、使われんと言つて今非常に議論になつておる。従つて義務教育費は国庫負担というような恰好で平衡交付金から外すという議論が……、そういう問題がほかにたくさん出ておる。丁度児童福祉についてと同じように各項目についてそれをみんな外してどうなるかというと、そうやれば町村財政のほうの基盤が崩れて来るという問題がある。そこで地方自治体の税制をどうするかという問題に今からまつて来ておる。ですから私のほうの関係で、児童福祉だけを見れば、私はこのくらいのことは平衡交付金から外して補助にいたしましても、大したこともない。これは私も努力して児童福祉だけは何とか解決したいというふうにいたしたいとは勿論思いますし、努力もしますが、全般の問題としてそういう問題があるものですから、そこにこれだけということができなかつた事情にございます。併し根本は根本であるし、児童福祉だけは特にということも考えられますので、先ほど申上げましたように、ともかく今年はこうなつたけれども、将来は私は努力するというふうにしたいと思います。
○藤原道子君 私今の大臣の答弁は承服できないのです。教育費も問題である、いろいろ問題があると言われますが、この措置費の性質を大臣は御承知ですか。児童措置費は生活保護費と同じ性質のものです。従いまして教育費も大事である。無論やらなければなりません。けれども児童措置費はもうそれとは全然性格を異にしておるのです。今日生活保護費が若しこういう立場になつたらどうなるか。それこそ社会問題です。なお聞くとこうによると、閣議におきましても児童措置費を平衡交付金から外すと、非常に平衡交付金の増額が叫ばれておるときに体裁が整わない。若しも児童措置費を外すというならば、生活保護のほうを五割に減らして国庫負担をする。そうしてその分を措置費のほうへ廻したらどうだろうかというような両てんびんかけていろいろ問題が論議されたということも私は聞いておる。表面のバランスだけ合せれば実質はどうなつてもいいというようなお話なんでしようか。 それから児童措置費は、やはりほかの問題とからみ合せなければ解決できないというお考えが本当におありなんでございましようか。どの程度児童のことを考えて政治をやつて下さるつもりでいるのかどうか。大臣のもう一遍御考えを聞きたい。
○国務大臣(吉武惠市君) 今も申上げましたごとく、私の部分といたしましては、児童福祉についてだけ何とかしてくれどいうことは、これは言うべきであるし、又努力いたしますが、併しながら国全体として見れば、今申し上げましたように、教育についても同じ議論が出ておるわけです。教育はどうでもいい、おれのほうだけにというふうには、国全体としてはなかなか簡単に行かないというところに悩みがあるわけでありますから、私自身の気持とおつしやれば、私は率直に申上げましたように児童福祉についてだけは、ほかはともかくとしてこれだけは補助に変えてくれということには異存があるわけではございません。
○藤原道子君 私は教育がどうであつてもいいとは言いませんよ。けれども児童措置費というのはそういう意味のものではないのです。このまま放置しておけば十分な監護ができない。当然保護の手を加えなければならない、こういう性質のものでしよう。従つて今言われました教育費も大事です。併し今生きるか死ぬかというような立場にあるものだということなんです。仮に児童が、貧困の家庭の児童が、若しこの子供を収容施設で保護してもらえるならば子を抱えた母は働けるのです。社会人として働けるのです。けれどもこの子あるが故に子の母は働くことができない、こういう性質のものなんです。従つて落ちつく先は親子心中、哀れな親子心中になつてしまう。或いは母が転落して行く。悪の道に走る。この子供が不良化して結局は問題の子供に落ちて行くのです。こういうところに使う金でございますから……。そういう考えでなくて、当然これは補助費から外すべき性格のものだ、こういう、線で局長も……。局長は来ていないでしようね……。
○委員長(梅津錦一君) おります。
○藤原道子君 ……やつて来ているものですから、大臣のお考えはどうも私はぴつたり来ないのですよ。ですから大臣にもう一遍申上げましよう。この児童問題で結局措置費の中に入つているものは養護施設費でしよう、保護費と教護院費、精神薄弱児施設費、盲児施設、聾唖施設、里親委託費、保育所に関する費用、母子寮、乳児院、虚弱児施設、肢体不自由児施設、助産施設、医療費、人口栄養費、学校給食費、葬祭費、それ以上読む必要もございませんが、児童福祉司の費用というものが全部入つている。従いまして私はこれは本当に子供の生命に関する費用だと理解している。でこの頃大蔵省あたりでも保育所が幼稚園化して来た。だからそんなものは必要でないというような暴論が行われているということを聞いておりますけれども、結局幼稚園化せざるを得ない結果になつている。児童の措置費が来ないのです。職員の費用が来ないのです。ということになれば結局措置児が追いやられて、そして有料のものを入れるまりほかに方法がないじやありませんか。そこに働く人が只で食わずに働くわけには行かない。それで母子寮が圧迫されて来る。結局弱いところからだんだん圧迫されて来ているんです。殊に私けしからんと思うのは、児童福祉司の費用に関しましてもそうなんです。児童委員ではいけないからケースワーカーにやらせるのだということになつている。そして結局昭和二十五年には四百五十三名の児童福祉司だつたが、二十六年には七百八十四人分の予算は措置費の中に入つている。ところがこれが適正に使われないため、現在まだ五百五十名程度より児童福祉司が拡充されていない。予算面においては七百八十四人分が取れている。実際面にはそれが活かされていない。この金は一体どこに使われるか、そこに平衡交付金として流れている弊害の一つのこれは現われなんです。こういうことがあるから、どうしても表面平衡交付金の額を合わせる。それを減らすと工合が悪いから、子供を犠牲にするという今のやり方が私は根本的に間違つている。こういうのです。大臣はやつぱりそれも教育費と同じだとお考えでしようか。
○国務大臣(吉武惠市君) 私は自分の所管の仕事が実は大事だと思つてやりますけれども、国全体としてはそういう問題がありまするから、みんながやはり教育はそうでないのだと……。
○藤原道子君 そうでないとは言いやしませんよ。
○国務大臣(吉武惠市君) そこがそぐわないのですよ。御趣旨の点はよくわかつておりますし、私も努力するつもりでおります。又平衡交付金になつたからといつて、町村が今日子供の問題をそうおろそかにするとも私は思いません。ただ平衡交付金より補助のほうがはつきりしていいということで補助に向けてやつておるのですが、町村が児童に全然理解がないということを建前にするならば、それは又問題を考えなければなりませんけれども、それは私はそういうふうには考えておりません。
○藤原道子君 私は大臣のそういうお考えが結局地方へ流れると思うのです。確かに子供はどうでもいいとは思つていないと言うけれども、結局今の地方に参りますと、なかなか目に見えた方面へ、財政が厳しうございますから、結局目に見えた方面へ金が使われるのですよ。声ないところには使われないのです。現にここに統計に現われております。ただ時間の関係上これを私は読まないだけなんです。けれども大臣は地方が子供を放つておくはずがないと言うならば、これ以上追及いたしません。 私は大蔵当局にお尋ねいたします。昨年秋に……もう一昨年です、今年は仕方がないから……。そもそも児童措置費を平衡交付金に組入れたことは困るということで大蔵省に参りましたときには、今年はもう仕方がないから、来年度これをやつてみて、若し弊害があつたならば更新いたしましようということであつた。年度途中でも何とかいたしましようということであつた。けれども昨年度もそれが実現できなかつた。けれども昨年度は、今度こそ何とかするという御言明であつたと私は記憶しております。もう最後の最後の土壇場まで明るい見通しだつたと聞いております。ところが土壇場になつてこれが再び平衡交付金の中に組み入れられましたのは、如何なるお考えでこういうことになつたのか、それを私は伺います。子供はだましても声はないのです。けれども子供を護つてやるのは、私ども大人が護らなければならないと思います。従いまして私は大蔵当局のこういう結果に至つたことに対しての態度をお伺いいたします。
○説明員(岩動道行君) 児童保護の問題につきましてはかねてから、すでに平衡交付金にこれを組入れた当時から問題のあつたことは私もよく承知いたしております。今お話がありましたように、予算の折衝のたびにこれが問題になりまして、平衡交付金から普通の補助金に組替えろというお話はたびたび厚生省から要求もあつたわけであります。それで二十七年度の予算におきましては、これは私どもといたしましても、平衡交付金から補助金に組替えるようにしてみたいということで、案も立てて、又いろいろと検討もいたしたのであります。そうしてこれを平衡交付金から補助金に組替えるということについて、或る程度私ども当局のほうは考えて実行してみたいとこう考えたのでございます。ただこれは結局は只今厚生大臣からもたびたびお話がありましたように、地方財政の問題に直接結び着いております。
○藤原道子君 今大臣行かれては……。まだ質問がありますから……。
○委員長(梅津錦一君) 実は又すぐ来られるそうですが、予算委員会のほうで答弁をするそうです。
○説明員(岩動道行君) 只今厚生大臣からもたびたびお話がりましたように、結局この問題は地方財政の問題と切離して措置するわけに行がないというような全般情勢がございましたので、止むを得ず二十七年度におきましては、補助金として予算に計上するということが実際にできなかつたのであります。私ども予算をいろいろ審議をいたしております当時におきましては、地方財政の調整、殊に平衡交付金に関して根本的な改正をし、又地方税につきましても相当大幅な改正をして、地方財政の全体の調整を図りたいというような考えも政府部内にありましたので、それと歩調を合せて、その際にこの問題を解決したいというふうに考えておつたわけでありますが、遺憾ながら地方税の大幅な改革、或いは平衡交付金制度の根本的な改革ということに、二十七年度は手を着ける段階に至りませんので、止むを得ずこのほうも平衡交付金の中でやつて行くということになつたのであります。
○藤原道子君 結局地方財政と睨み合、せて、止むを得ずこうなつたと言われるのでございますけれども、ここ二年間の運営で、もう十分その弊害があつたことは大蔵当局でも認めているだろうと思うのです。だから私は何かの圧力で、こういう結果になつたと思うのです。その点はどうなのですか。
○説明員(岩動道行君) 私ども弊害も、或る程度いろいろ報告も受けて聞いております。併し又非常によくやつておるところもあるという報告も受けております。従つてこれは地方自治体が、児童保護を如何によく認識するかということにも、この問題はかかつておるのではないかというふうにも考えられるのであります。 そこで只今平衡交付金から補助金に組替えることができなかつたために、これは何か非常に大きな圧力があつたのではないかというお話がありましたが、これは私どもは、そういうことは全然存じておりません。ただ純粋に地方財政との関係から、財政当局としては、止むを得ず平衡交付金に残したということに承知いたしております。
○藤原道子君 場所によれば十分適正に運営されておる。だから地方の結局指導が大切である。それはそうなんですよ。今日本でも全部が民主化され、正しくすべてが運行されれば社会に磨擦は起らない。けれどもそうでないから問題が起る。一、二が適正に行われておるからといつて、絶対多数に障害があるならばこれは改めなければならないと私は考える。適正に行われてない証拠には、昨日の新聞ですか、結局供米模範青年が、父を失い、母を失つて、結局兄弟三人を、十六の少年が育てていて、二つになる子供を育てて行つて、結局一町歩の田畑を耕やしながら、そうして貧しい家庭の子供が、小さな子供を育てておるから、結局苦労して育てた子供までが、失明の状態になつて来て、初めてこれが児童相談所に送り込まれておる。若しも平衡交付金が正しく使われて、児童福祉司の数も十分に完備、拡充されておりましたならば、温かい保護の手が伸へられていたはずなんです。けれどもそれがそうでないからこういう結果になる。従いましてこれは大蔵当局を責めるあれでないかもわからないけれども、こういう点は十分に、私たちは大蔵省に行き、この委員会に来て頂いて、問題が起ると結局重大なことになるから、今度は補助金制度に変えて欲しいということを、いろいろと申上げて、そうして明るい見通しで来たので、私たちも油断していた。最後にこういうことになつたのでございますが、結局あなたのほうでは、やはりいいところはやつているんだから、これは指導によつて適正な運営をさして行けばいいというお考えでございましようか。
○説明員(岩動道行君) 児童保護の行政そのものについては、只今申しましたように、地方が実施の責任主体であります以上、地方の自覚を第一に待つのが我々としては妥当な態度であろうと思うのであります。併し勿論児童保護行政というものは、まだ十分に熟成もいたしておりません。割りに新らしい行政であるという点におきまして、強力に政府の助言指導というものも必要であります。又そういう意味におきまして、これを平衡交付金でなくて、補助金に切替えたほうがいいという御意見も勿論あるし、又私などもそのような考えで、先ほど申したように、平衡交付金から補助金にむしろ切替える時期を見つけるのに苦慮いたしたような次第でもあつたわけでありまして、これは地方の自覚と政府の適切な助言指導と、そうしてそれの裏付となる経費と、この三者が一体となつて初めて児童の保護行政もよい方向に進み得るので、そのように私どもできるだけ今後努力して行きたいというふうに考えております。
○藤原道子君 局長も大臣もいなくなつちやつたんですが、どうするんです。
○委員長(梅津錦一君) 只今呼びにやつております。
○藤原道子君 両方いないという手はないでしよう。
○山下義信君 議事進行に関してですがね、今折角児童福祉行政の根本問題について、藤原委員から質疑中に、大臣が中途退席されましたが、何でも衆議院の予算委員会に行くということですが、衆議院の予算委員会はほかの問題でもいくらでもできる、又やつているんです。当委員会は児童福祉関係について午前中会議を開いておる。所管の厚生大臣は当然この委員会にいて、衆議院の予算委員会のほうこそ他の大臣の答弁、質疑をやつてもらつておいて、こちらを済まして向うへ行くべきが至当なんです。自分の所管の厚生委員会をおつ放り出して……、衆議院の委員会は厚生大臣いなければ、法務総裁でもほかの大蔵大臣でも幾らでもある。そういうふうなのに途中でぽつと立つて行かれる。そういう予定があるのなら、初めから予定を言つておけばいいのに、途中でぽつと立つて行くということはないです。これは委員長としても御注意願いたいと思う。大臣がいなければ、根本問題、根本方針を尋ねなければ、ほかのことをやつたつてしようがないです。暫時休憩を願います。
○藤原道子君 私委員長に対しても不満です。大臣が立つときに、質問半ばの、審議継続のときに、大臣の退席を認めるという手はないと思う。局長もいない、大臣もいない、そんな侮辱したことはないです。
○委員長(梅津錦一君) 休憩することに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(梅津錦一君) 暫時休憩いたします。 午前十一時十八分休憩 —————・————— 午前十一時三十二分開会
○委員長(梅津錦一君) じや只今から再開をいたします。
○藤原道子君 私続いて局長に二、三の点について質したいと思いますが、御承知のように局長も苦労していた、結局児童措置費の問題でございますが、再び今年も平衡交付金の中に組入れられておる、これに対して担当局長として、今全国に起つております保育所の幼稚園化であるとか、児童福祉司の定員がそのまま少しも増大していないとが、或いは又施設の職員が不足して非常に過労に陥つて続々倒れておるというようなこと、その他施設の新設、措置児童がたくさんありながら施設が足りなくて収容ができない。ところがこのほど地方財政の関係から施設を増設するというような傾向はだんだん抑えられて来ておるというような傾向、これらに対して大切な福祉行政をこのままやつて行ける自信がおありですかどうですか、局長の御覚悟を一遍伺つておきたい。
○政府委員(高田正巳君) 児童保護費の平衡交付金に入つておりまするのを補助金に切替えてもらいたいという要望は、私どもここ二年来の熱願でありまして、只今御指摘のようないろいろなまずい状態が出現いたしておるということは私も承知いたしております。従いまして、先ほど大臣がお答えになつたと思うのでありますが、これについて私どもといたしましては、皆さんがたの十分な御鞭撻の下に揮身の努力をいたしたのでありまするが、諸般の関係上これが実現をいたされなかつたことは甚だ担当局長として責任を感じ、又遺憾に存じておるわけであります。併しながらこれがかく決定を、政府部内では一応決定をいたしておるわけでありますが、この線に副うて少しでも今の御指摘のような工合の悪いことを是正する努力を今後はいたしたい、かまうに考えておるのであります。
○藤原道子君 是正の努力をするというお言葉でございますが、先だつて地方の児童課長たちが会合を持たれて重大な決意をする、そうして私どものほうへもいろいろ陳情もあつたのでございますが、今までさえできなかつた。再びこれが措置費の中に組込められてしまつたということになると、私はこれで果して児童憲章或いは児童福祉法、これがやつて行けるのかどうか、私はこの法律が泣くと思うのです。私は今の児童局長の御答弁では満足できないのです。結局これではあなたを責めても仕方はないけれども、大体において私は児童局は弱いと思うのです。厚生省全体が弱い、殊に児童局は弱いのですよ。もつと努力されて、私たちが期待しておるこの児童行政に対しては、私たちも随分御協力を申上げて来ておる。児童局長といたしまして、もつと強く、本当に運命を賭しても子供を護り抜くという決意を持つて私はやつて欲しい。この間見えられた或る県の児童課長は、この頃地方行政改革で児童の面が弱体化して来る。随分地方の児童課の者は、これ以上もうやつて行けない。けれども今やつて行けないと言つて私たちがやめたらどうなるかと思えば、やめるにもやめられない。児童課長とかいう面を離れても、母心としてはこのままではいられないような気持がするというようなことを縷々訴えて来ておるのでございます。従いまして私は、局長としてはそれ以上言えないかもわからないけれども、今平衡交付金がこのままの制度で行つたとして……、二年間悩んで来た、何らかこれに対して……、この前私の質問に対してはこういう答弁をされておる。措置費であるけれども、何には幾ら、何には幾らという大体の見当があるのだから、これに対しての報告を、措置費をどう使つたかということの報告をさせる方針でございますから、まあ何とかやつて行けると思いますというようなお言葉が前にあつた思うのです。でございますから、その後そういうような方針をやつて来られたのか、やつて来た結果が局長の手許へどういうふうな報告となつて来ておるか。従つて今後、そういうふうに再び措置費と組み込まれた以上は、どういう方法でこの児童保護費をどういうふうな方向で指導し、これが適正化するような方法をおとりになるつもりであるかということについてお伺いしたい。
○政府委員(高田正巳君) 書面の報告も取り、或いは実地についてもいろいろと監査をいたしたようなこともございますが、その結果は決して思わしく、満足の状態でないということは、先ほども申上げた通りであります。従いまして今後どう対処するかということになりますが、一方におきましてはこれが平衡交付金制度全般についての再検討の問題もそれぞれの関係当局の日程に上つているようであります。さような機会に将来特別補助金として計上して行くような努力を今後も執拗に続けるということが一つと、それからもう一つといたしましては、それまでの間、平衡交付金制度の下に少しでもよく運用されまするように、地方財政委員会当局とも緊密な連絡をとりまして、向うと力を合わせてその点をやりたい、かように考えるわけでございます。
○山下義信君 私も児童関係につきまして一、二伺いたいと思うのですが、その前に一つだけ大臣の御出席のこの機会に伺いたいと思うことの質疑をお許し願いたい。 最近本日午後も当委員会で引揚関係の証人の喚問があるのですが、最近新聞で見ますというと、ラジオ東京でございますか、未復員者の生存状況につきまして放送がございまして、問題になつているようでございますが、この放送の真偽は如何でございましようか。当院におきまして大臣からこのソ連抑留百八十二名生存というラジオ東京の放送の真偽につきまして確たる言明を伺いたいと思うのであります。又この放送に関連いたしまして、関係者が大宮市で会合を持つたということでありますが、その会合には引揚援護庁の関係職員が出席いたしているのでありますが、何かこれらの放送の事実に若干の関係がありますかどうか。なお、いま一点は、今後かような発表事項は、こういうことが民間放送であろうと、一部そのニュース・ソースが誰であるといたしましても、一般に非常に影響のありますような、而も今日まで政府が責任を持つて発表して参りましたような事項は、今後は何らか政府でお考えにならなければならんのではないかと思うのです。例えば毎週一定の日を限りまして政府が公式に何らかの引揚関係者の存否に関しまする公式発表以外には、世人が惑わないようにいたすとかいうことの、今後の措置がお考えあるべきであろうと存ずるのでありまして、この何と申しますか、非常に問題になつておりまする放送の実否並びに今後の処置につきまして厚生大臣の御説明を承わりたいと思います。
○国務大臣(吉武惠市君) 御尤もなお話でございまして、私もあの新聞を見まして直ちに関係の当局を呼びまして調べさしたのでございますが、今までのところでは、どうもそういうふうなことがないようでございまして、どこからそんなニュースを得たのであろうかということで、今まだ調べ中でございます。今までの調べましたところでは、どうも根拠のある事実ではないように思います。従いまして今御指摘になりましたように、こういうことは非常に影響のあることでございますから、私どもも公式な発表につきましては十分気を付け、又御指摘のような措置をとるかどうかということも一つよく検討いたしたいと思います。今まで調べましたのでは、どうもそういう事実は見当りません。
○山下義信君 職員が関係しておりますか。
○国務大臣(吉武惠市君) その点は今御指摘になりましたので、気が付いたのでありますが、それもなお早速取調べまして……。当局の責任者は、どうもいろいろ調べて見た結果、どこからそういうことが出たのだろうかというような程度でございます。
○山下義信君 御承知のごとく大体引揚問題につきましては当局が非常に御努力に相成りまして、大部分の引揚がありましても、なお公式には三十七万幾ら、而も実際は大部分が死亡確認をされております。そのまま未復員者の状況として今日ありますが、生死不明の、多数の十万に近い遺家族は、又その他の者にいたしましても、或いは万一生存をしているのではないかという、家族といたしましての当然人情から参ります一縷の期待を持つております。政府の常に引揚関係の発表というものが、時、所を選ばずして突如としてなされる。或いは又たまたま外地から帰つた者が消息を伝えますと、非常にこれが大きなニユースとなりまして今日まで新聞紙等が報道いたしますことは、当然でございます。気遣います者が多数おりますために大きなニュースとなるのであります。従いまして問題が起きまするごとに、政府のほうでは、実は確たる調査をしているのである、政府の発表が正確なのであるさような報道はこれは保証する限りでないと言つて、政府の発表を信頼するようにという態度をお持ちでございまするが、最前申上げましたように、今後政府は責任ある確実な調査資料をお持ちなのでございますから、できるだけ定期的に御発表に相成るということになりますと、定期以外の、公式発表以外は十分考えて、国民が判断をいたしますのでありますから、只今の大臣のお話で、今後そういう方法等について考究するということでございますが、是非そういう事例に鑑みまして速かに対策をお立て願いたいと存じます。 次は児童の問題でございますが、先ほどから藤原委員からも質疑がございまして、お答えもあつたのでございますが、新たに厚生大臣に御就任になりました吉武厚相は児童福祉行政についてどういう御方針をお持ちでございましようか。大臣の根本的な御方針を承わりたいと思うのであります。若し、いや別に変つた考えを持たない。前任者の或いは従来厚生省の持つておつた方針通りやるのだというならば、その厚生省の従来持つている根本方針はどういう方針であるかということを承わりたいのであります。ということは多くを申しませんが、国の責任においてどこまでも強く児童の福祉行政をやつて行こうとする考えであるか、或る程度は国がとつておつた方針をまあ一歩、俗語で申しますと後退させて、地方に譲るだけは地方でやらせて、国の手を比較的抜こうとするお考えであるのかどうか。その児童福祉行政を強力に推進するという建前をどこへ重点をおいてやろうとするお考えであるかということを伺いたいのであります。
○国務大臣(吉武惠市君) 児童の福祉につきましては、お話のごとく、私どももこれは国家として大事なことでございまして、ただ地方の問題とは考えておりません。勿論国家で面倒を見て行かなければならんと思います。従いまして先ほどいろいろお話がございましたように、私ども現在の予算措置が決していいとは存じておりませんので、でき得る機会におきまして国家でこれを直接取上げて行くという方向に進みたいと思います。
○山下義信君 そういたしますと、大臣の只今のお答えでは、中央の政府が中心になつて十分に強力にやつて行く考えである。何もかも地方に任せてしまう考えではないのである、こういう御方針である、かように了承してよろしうございましようか。それに相違ございませんか。
○国務大臣(吉武惠市君) そうでございます。
○山下義信君 そういたしますと、一、二の事例を挙げて申上げますと、例えば児童福祉司を廃止いたしまして、仕上伝えるところによりますと、社会福祉主事にこれを併せてしまうとか、或いは児童のいろいろ施設の只今認可制になつておりまするのを届出制にしてしまうとか、或いは保姆の試験制度も廃止してしまうというようなことが世上に伝えられておりますが、さようなことはお考えになつておりませんでしようか。又将来さような方向に行こうという御意思はないのでございましようか、如何でございましようか。
○国務大臣(吉武惠市君) 実は私試験の問題とか、今の福祉司でございますか、そういう点は実はまだ勉強いたしておりませんで、甚だ申訳ございませんが、私の考えは今申上げましたように、こういう児童福祉の問題などは、やはり国が責任を持つてやつて行くという根本の考え方は、これは申上げた通りであります。ただ事務の執行をただ国が責任を持つているからといつて、国の機関で全部やつて行くことがいいのか、それとも地方の機関を通じて行くのがいいか、或いは又役人とか或いは地方の公務員というよりは、社会的に民間で御熱心なかたがたに御協力してもらつて頂くのがいいのか、そういう点は私実効のある方法をとるべきじやないかという感じを私持つておりまして、今具体的にどの問題をどうしようとは考えておりませんが、必ずしも国がやるというと、すぐ国の役人でやるという考え方を持ちたがるのでありますが、それが果して本当に困つたかたがたやこういう児童のかたがたのためになるかどうかという点は、私もつと検討を要するのではないか。それから試験とか何とかという問題は、これは私具体的にも存じませんが、今政府として全般的に考えておりますることは、どうも日本の行政というものが、何かもう皆許可とか認可に引つかかつて行く、手続をしなければできない。それがために折角いいことをやろうとしても、それで時間を取つちやつて面倒くさいからもうやめておこうか、ということが非常に多いのであります。これはもう今日できるだけ事務を簡素化して、いいことはどんどんやらなければならん。若し悪いときにはそれを差止めるという措置で行くべきではないかという、これはまあ一般的なものでございまして、今御指摘になりました点は早速調べまして、私又申上げたいと思います。
○山下義信君 大臣の御答弁は私どももわからんではないのであります。一般論としてはそういう御議論も成り立つことは了承いたします。併しもう御承知のごとく練達堪能な行政のエキスパートとしての大臣でありますから、申上げるまでもありませんけれども、あなたのおつしやるような理論はすでに行政が十分の点に到達している場合を言うので、まだ育成助長を要しまするような部面に対しましては、これを手放しにして自然に任す、如何に自由主義の自由党でもそうは参りません。でありますから児童福祉行政は、日本の児童福祉行政がすでにつれをその程度に至つているかどうかという認識の点でございます。私どもが終戦後まだ数年の我が国の児童行政全体を見渡しまして、これを自由に放任し、或いは脆弱な地方に任せて、果して児童行政が強化できるかどうかという点について申上げておるのであります。只今一般論として承わりましたが、国の責任で十分に強力にやるという御方針を承わつておりますので、その御答弁に信頼いたしまして、あとは事務的なことは児童局長から承わることにしたいと思います。 その次に大臣に伺いたいと思いますが、今年入学の新らしい児童の特殊性でございます。これは終戦後生れた子供が初めて学齢に達して学校の門をくぐるのであります。詳しいことは申上げませんが、その中には殆んど七割までが戦争によつて両親を失いました者、或いは片親を失いました者、或いは戦災をこうむりました児童が初めて学齢に達して門をくぐるのであります。私ども広島市内におきましては、彼らの大半が原爆でなくなりましたので、今年は一年生として学校の門をくぐる児童が極めて少数でございます。特殊の現象でございまするが、全国的に又昨年よりは学齢児童は少いということでございます。こういう戦災をこうむりました児童が初めて学校に行き、而もその大部分が戦争犠牲者の児童であるという特殊現象に対しまして、厚生大臣は何かお考えがございましようか、この点を伺いたいと思うのであります。
○国務大臣(吉武惠市君) 実は御指摘の点も私先般気が付きまして、今年の児童数が非常に減つているということに鑑みまして今御指摘になりましたように恐らく現在入られるかたがたには、そういう気の毒のかたが多いだろうと思つておりますが、実はまだそれに対してどういうふうにしたらということは、まだそこまでに及んでおりませんけれども、御指摘の点はご尤もの点でございますので一つ気を付けて行きたいと思つております。
○山下義信君 お気を付け下さいますそうで有難いと思うのでありますが、これは児童福祉行政をやりて行くという上におきまする一つの大きな感覚の問題であります。これからの児童をどういうふうにして、どういう福祉を与えて行くかという上におきまする大きな一つの私はテーマであろうと存じますので、是非十分御研究を下さいまして、いわば十分なる福祉がその児童たちに及びまするように御配慮を願いたいと思つております。 次に私伺いたいと思いますのは、先般これ又新聞紙にも伝えられており、又他の席でもそういうお考えがあるように承わつたのでございますが、総理のお考えは、内閣に婦人児童庁の設置の御構想があるやに聞いておりました。その後どういうふうになりましたでしようか。最近又紙上には機構改革等につきまして一案、二案等が出ておるのでございますが、大臣の御方針といたしましては、厚生省に婦人児童に関しまする局を置いて、内閣の婦人児童庁というようなことは御坂上げにならんお考えでございましようか。児童の行政に関係深うございますので、この際御方針を承わりたいと思うのであります。
○国務大臣(吉武惠市君) 私は総理から実は直接承わつておりませんから、どうか存じませんが、総理のお気持にやつぱし婦人児童の問題は非常に重要であるからということで、前に一度内閣に婦人児童庁のようなものでも作つたらということが外に出たのではないかと実は推測しております。伸し目下行政機構につきましては、新聞にもときどき洩れておりますように審議中でございまして、私からどうなるということはちよつと申上げかねますが、恐らく新聞に伝えられるように、厚生省と労働省が一体となるということになりますれば、その際に婦人児童局というようなものができるのじやないだろうかという私これも推測でございまして、今ここでちよつと確定的なことを申上げかねます。
○山下義信君 その程度でよくわかります。 次は最近の児童問題といたしましての、言うまでもない特殊性は児童の不良性の問題でございます。問題児童と言いましようか、問題児童の対策でございます。本院におきましても同僚が本会議でもお尋ねいたし、しよつちゆう問題になるのでございますが、これに対しまして、厚生省は教護施設をお持ちなんでございますから、今日全国で五十幾つか、五十六、七の教護施設を持つて約四千人の問題児童を収容しておいでになるのであります。この教護施設で十分効果が上つておりましようか。如何でございましようか。この頃の世相といたしまして、問題児童が非常に増加いたしておりまするこの重大問題に対しまして、厚生省としての御対策が何かおありでございましようか。従来こういうことをお望ねいたしますというと、文部省とも関係がある、何省とも関係がある法務府とも関係があるので、いろいろその問題の連絡協議会を持つて検討しているのだということをおつしやる。成るほど答弁としてはそれで通ります。けれども実績が上つていない。これは自他共に認めているのであります。中心は何と申しましても厚生省である。厚生省が中心にならんなら、婦人児童局なんか持たなくてもよろしい。法務府も関係している……、この法務府との関係につきまして、占領政策といたしまして、少し日本に不向きなようなことを押付けられていることは御承知の通りであります。これもやがて再検討改革をいたさなければなりますまいが、この問題児童、不良少年の児童教護、補導の問題に対しまして、厚生省は何かしつかりした対策を持つているでありましようかどうか、どうする考えでありますかという大筋のところだけでも一つ承わつておきたいと思うのであります。
○政府委員(高田正巳君) 教護院に御指摘の通り約四千人ばかり収容いたしておりますが、この教護院の中における仕事といたしましては相当の効果を上げているように思うのであります。併しながら今御指摘の通り、広く少年犯罪の増加いたしております不良化の全般の問題といたしましては、この教護院の中における仕事が効果を挙げているかどうかということと別問題といたしまして、今御指摘の通り大きな問題であろうと思います。厚生省といたしましては、来年度もこの教護院の拡充をいたしたいと存じておりまするが、さようなことをいたしますと同時に、相談所、福祉司というような系統機関も、この問題に特に力を入れて活動をさせたいと、かように考えております。いろいろ紙に書いた上の対策というものはでき得るわけでありますけれども、結局はこのケース・ワーカーと申しますか、さような人たちの活動が非常に実効を挙げるかどうかのキー・ポイントになるように考えるのであります。従いましてさようなことでやつて参るつもりで只今のところおります。
○山下義信君 折角期待いたしましたのですが、別に新らしい御方針もないようでございます。従来の教護院の程度でお茶を濁すというにとどまる。これは是非とも一つ大臣が御就任になりましたのでございますから、根本的に御検討を願いたい。これはただ児童の重大問題ではございません。日本の祖国再建の上におきまする重大問題であります。でありますから、どうかこの問題の児童、少年少女……、非常に憂慮に堪えません。これに如何に福祉を加え、如何に厚生省がこれを体して確固たる対策を樹てて行くか、新大臣の私は一つ御手腕に期待したいと思う。と申しますのは、大臣は従来労働行政の権威者、殊に職業補導等につきましては多年の蘊蓄を持つておいでになる。昔から古人が言つております。小人閑居して不善をなすと、この子供たちを徒らにいたずらつこして遊ばして不良なことばかりやらしておりますが、それよりは職業をもつと補導をいたす、ぐんぐんそれをやればよろしいのであつて、例えば今のいろいろ児童の施設に入つておりますものは、一例を挙げますというと、これは局長よく御承知ですから私は言わなくてもいいのですが、大臣に申上げるのでございますが、満十八歳まで収容ができるようになつておる。要すれば厚生大臣の許可があれば二十歳まで収容ができるようになつておる。満十八歳までの児童収容施設を皆持つておる。それならば教育費は、児童福祉の措置費の中に教育費は、高等学校へ行く教育費を与えておるかと言えば与えていない。義務教育だけ終りまして十八歳までのものを収容する収容施設を持つておつて、それの職業補導はどうするかということは未解決である。終戦後、六カ年、七カ年になりまして、その当時の孤児でありましたものが皆十八、十九、二十になつて各収容施設に入つておる。そういうものの職業補導の根本的な対策は何にも考えていない。実に怠慢極まる状態である。この予算が取れないのでできる、できんという言訳はある。併し何故考えだけはしつかりした考えを持たないかということを私は思わざるを得ない。こういう点を大臣は一つ御考究を願いたい。最近私はこういう新聞種を申したくはありませんが、従来私どもも心痛いたしておりますが、十三、四歳の学校の子供が妊娠をいたしまして妊娠中絶をする、堕胎をする、そういうことは文部省だけの問題ではない、学校だけの問題ではない。これは立派な児童福祉の問題である。児童福祉法の中に謳つてある対象になるのでございます。こういう点につきましてどうか根本的に対策をお立て下さいまして、私ども厚生委員として満足するような御努力を願いたいと思うのでございます。 最後に私はこの際伺つておきたいと思いますのは、最近朝鮮人の問題につきまして、いろいろ今後これが我が国といたし韓国との問の交渉事項になるのであろうと思います。只今朝鮮人に対して生活保護法が適用されておるものが、幸い社会局長が見えておりますから、どのくらいありましようか。将来朝鮮人の生活を、保護法の適用はどういうふうに御処理に相成る方針でありましようか。これをこの際承わつておきたいと思うのでございます。
○政府委員(安田巖君) 韓国人に対しまして生活保護法を適用いたしております数字は二十六年の八月十五日現在で、五万七千四百三十七人でございます。 で、将来の問題につきましては、只今ちよつとお話がございましたけれども、韓国とのそういう問題についての取扱を如何にするがという交渉がなされておりますので、その結果に待ちまして措置をいたしたいとかように考えております。
○山下義信君 その結果に待つて措置をするとはどういうことでありますか。これは朝鮮人には生活保護法を適用をしないということも予想されるのでございましようか。或いは又内地に居住の朝鮮人は、韓国の人でありますか。韓国人ということに、はつきりなつて参りましても適用するということになるのでございましようか。又従来この人たちにいたしておりましたこの生活保護法によりまする、その要しました経費等につきましても、問題になる、交渉の事項の一つになるというようなお考えでございましようか。それらの点もでき得ればこの際承わつておきたいと思うのであります。
○政府委員(安田巖君) 生活保護法はまあ外国人には適用しないようなことになつておりますけれども、併し将来韓国人が交渉の結果どういうことになりますか、結果によりまして或いは適用しないということがありますか、或いは従来通り適用するということになりますか、或いは暫定的な措置をとるということになりますか、その辺のことはやはり繰返して申上げるようでありますけれども、実は交渉の内容のきめによりまして、我々といたしましてはそれに従つた措置をとつて行くと、こういうふうな考え方でございます。
○山下義信君 これは今のところでは政府全体の問題でありますから、厚生省としては政府の方針がきまつてから措置するだけで別に研究はしておいでにならんようでありますが、非常に重要な問題と考えますので、私ども又他日伺う点があると思いますが、最後にもう一点だけちよつと又児童関係を離れまして大臣御出席の場合に今朝鮮人の問題が出ましたから伺いたいと思います。本日は遺族の問題は言わないつもりでしたが一つだけお伺いしたいと思います。戦歿者の対象の中に沖縄県人の出身者はどうするか、これを聞いてみてくれということでございますので伺うのでありますが、これは今回の遺族援護の対象から除外になりましようか、どういうふうなお扱いになりましようか。又戦死した人は沖縄県人であつてもその家族が内地におります場合にはどういうお扱いになりましようか。この辺がおきまりになつておりましようか、まだ未定でございましようか。お伺いしたいと思います。
○国務大臣(吉武惠市君) 今これは検討しておりますので、いずれ又確定いたしましてから御返答申上げたいと思います。
○山下義信君 重ねて伺いますので恐縮なんですが、どういう方向への御検討中でございましようか。又どういうふうにお考えになりましようか。対象者に入れるお考えでございましようか、本人と家族の場合、大臣としてのお考えがあれば承わりたいと思うのであります。
○国務大臣(吉武惠市君) まだこういうふうにということも申上げかねますが、私の気持としては少くとも内地に現在おられる遺族については同様に考えなければならんのじやないかという感じを持つております。
○山下義信君 私の質疑は終了しました。
○藤原道子君 今の山下さんの御質問に関連するわけでございますが、一般に児童が不良化しておる傾向は申上げるまでもないのであります。この頃歓楽街が各所にできておりますがその歓楽街が住宅の中に非常にできる、或いは又学校の敷地の中へさえ今池袋ですか、できておる。この間私静岡県の駒門という廠舎ですか、キヤンプがございますが、そこへ参りましたが、キヤンプの隣りが中学校でごつち側の隣りが歓楽街になつておるのです。それでギヤンプには御承知のようにパンパンが自由に出入りしている。そうして兵隊さんと腕を組んでいるのを学校から出て来る中学生がそれを見る、そういう工合でその土地の子供が不良化しておる。これはもう文部省関係の問題だというわけには相成らんと思うのでございますが、そういうことが非常に児童に悪影響を及ぼす。それからパチンコ等の問題にしても児童等をせめるけれども、これは大人が子供からおもちやを取上げたのだから、子供ばかりをせめられない。こういうようなことからして関係の文部省だけの問題でなしに厚生省としては連絡してこれらの対策を考えておられるかどうかということを一点。 それから不良化の一つの原因になつておるのは住宅問題だと思うのです。児童福祉にもこれは非常に影響して、この間の新聞でも三畳に六人も住んでいて赤ちやんが圧死しているというような悲惨な例もまざまざと出ている。これは昨年できました厚生住宅は今年度どのくらい建設されるお見込でございますか。第二種の住宅、これについてちよつとお伺いいたします。
○国務大臣(吉武惠市君) 只今歓楽街等にいわゆる風教上の特別の考慮を払わなければならんということについては御尤もでございます。お話のようにいろいろな関係、他の省の関係の分も相当ございますが、勿論これは連絡すべきことと思います。そういうふうに気を付けて行きたいと思います。百 今の住宅の問題ですが、第二種住宅については今局長から申上げますが、住宅政策につきましては、相当政府といたしましても御指摘のようにいろいろなこともございますし、非常に困つておられまするので特に気を付けております。第三種がどの程度でございますかちよつと記憶にございません。
○政府委員(安田巖君) 住宅の建設計画につきましては建設省のほうで三カ年計画を立てているようですが、初年度はたしか予算が二万五千戸の中で第二種の住宅が二割、昨日もその関係の審議会がございましたのですが、建設省としてはそれはもう少し審議会といたしましては殖やして初年度四万戸にしたい。従いましてそれに対して二割でございますから八千戸の住宅を建てたい、こういう計画で、ただ私はその審議会の委員といたしましては、現在やはり成るべく八坪では小さいのですけれども、少額所得者の丑うが住宅に困つておるという事情が私ども大きいと思いまして、成るべくその二割を少しでも殖やしてもらいたい、こういう要求を昨日いたして来たばかりでございます。若干でも二割五分でも三割でも結構でございます、殖えることを私は今後希望し、又そういうふうに折衝いたしたいと思います。
○藤原道子君 いずれ歓楽街の問題、住宅の問題は別個の機会に十分に審議したいと思うのでございますが、大臣がおいでになる機会に私お伺いしておきたいと思います。それは生活保護法の問題でございますが、生活保護法は近来非常に運営が厳格になつておる、もとより私はいい意味での厳格ならば結構なのであります。ところが私どもが生活保護法を制定いたしますときの考え方は、今のようなきびしいものではなかつたはずなのです。ところが最近になりましてこの査定が非常にきびしくなりまして、随分全国から訴えて来る声が多くなつて参りました。殊に最近になりましては打切りが殖えてきた。そうしてお前の家には自転車があるかち駄目じやないか、この自転車はもとより行商用の自転車であつて、ふだんはそれによつて生活を立てておるが、病気になつたために入院料が足りないので医療券の申請をすると、自転車があるから駄目だ、「たんす」の引出しを開けて調べて行く、或いは火鉢があるから生活保護法の適用は相成らんというようなきびしい査定になつて来ておりますが、そうしてそれを抗議すると、これは本省からの指示であるということが言われておる。これらに対して本当にそういうきびしい査定がされておるかどうか、そういう指令をお出しになつたかどうかということについて一言お答え願いたい。
○政府委員(安田巖君) 生活保護法の適用につきましては、適正な適用を行うように私ども注意いたしておるのでありまして、濫給もなく又漏給もないことを念願といたしております。只今御指摘のように、生業のために自転車を持つておる、それを売らなければ生活保護法の適用がないというような方針は、私どもはとつておりません。従来いろいろ濫給があつた向きにつきましては、或いは締め過ぎるというような意見があるかも知れませんけれども、併し私どもはそれが適正な場合に許されることでございまして、御指摘のような例につきましては、私どもそれは妥当ではないと、こういうふうに思うのでございます。
○藤原道子君 それから最近十年も二十年も全然交際のなかつたようなところまでも調べ上げまして、扶養義務者を調べ出してそれに負担をさせるというような傾向が非常に殖えて来ておるのです。この問題については特にお考え願いたいのは、今日の社会生活をしておるものでお互いの生活といたしましても家族に病人ができたときに、万円や一万五千円の余裕を持つてその兄弟ならば兄弟等の医療を負担して行くだけの生活が許されておるかどうかというような点にあろうと思うのです。従いましてこの頃入院している人は実に戦々兢々としている。こういうふうで果して福祉行政なるものが国の責任において行われておると言い切れるでございましようか。一つの例がここへも来ておるのでございますが、入院患者が満州国から引揚げて来たのでございますが家は焼かれて何もない、働き慣れない人が働いたために遂に過労になつて息子が二人金沢療養所へ入院しておる、それから母親が又結核になつて入院して親子三人入院している。生活保護の医療券をお願いした。ところがこれに対して妹がやはりこれも病気で気胸していたのですけれども、自分が働かなければ三人もお世話になつて自分までもというわけにも行かないからといつて市役所に奉職した。そうしたら俸給が四千五百円で、四千五百円はこれは当然負担すべきものであるというきびしい査定が来てとても入院してもいられないというような泣いた訴えが来ておる。それで私は土地の人に話をして、私が面接言つてはいけないから土地の人に言わせましたら、一ヵ月だけは見てくれたそうですが、あと又あくる月から四千五百円すつ子供の報酬が入つただけは負担しろというきびしい請求が来ておる。払えないので去年の八月以来一日もまだ払えないのです。払えないけれども請求はどんどん来つおる。払えないなら退院しなければならないというようなところへ来ておりますが、こういう場合でもそういう査定をしなければならない御方針でございましようか。
○政府委員(安田巖君) 収入がございます場合に、生活保護法の建前といたしましてそれを差引くということはいたしております。又併し収入を得るために必要な経費はそこから差引くようにいたすような措置をとつております。併し御指摘のような場合にどういう措置をとるべきかということは、もう少し私ども具体的な事情を承わりまして考えたいと思いますので、又いずれのちの機会にでももつと細かい事情を承わらせて頂きたいと思います。
○山下義信君 ちよつと関連して。先ほど藤原委員が質問されたことで御答弁がないので私は御答弁を聞こうと思つて一生懸命待つておりましたのですが、ないですから私伺いたいのです。先ほど児童福祉の措置費が補助金に切替らなくても、今のままでも児童局長は児童福祉行政に責任を持つてやれるかどうかということについて、局長の御答弁は正確でなかつたので私伺いたいと思うのです。今のままでもやれるならそれでよろしい。今のままでは、補助費に切替えてもらわなければ責任が持てないというのならばそれも承わりたい。 それから第二点は、今生活保護費について濫給のないように十分適正給付をやるようにという何か指示をしたか、通牒を出さんにしてもそういうことをやつておるかということについていろいろな具体的な例を出されたら、社会局長は、いやそんなことはしておらん、そんなことはしておらんとおつしやるでしようが、何か指示したか、そういう方針を持つたかということについては承わらなければならない。これは大蔵省もそこへ来ておられるのですから、大蔵省もたしかにその方針だろうと私は思うのです。出すほうとして又やつてもいいのです。濫給があればするのが当り前なのです。何もそういうことはしておりませんと言わなければならないことはないのです。濫給があると認めたら、その辺に対してやつておるならやつておると言つてもらえば、全国の関係者は自粛するのである。そんなことはない、生活保護法で言いさえすれば無条件でやるように奨励しておるようなことを我々が言うことは避けなければならん。方針があるなら方針を承わりたい。この二点をはつきりさして頂きたい。
○政府委員(高田正巳君) 先ほど申上げたつもりでおりましたが或いは申し落したかも知れません。先ほども申しましたように、私どもが意図しておるように完全には行政が行われないだろうと私は思います。併しながらこの制度の下におきまして万全を期したい、少しでもこれにつきましては前進をいたしたい。かような熱意を申述べたわけでございます。
○山下義信君 私は只今の答弁では了承いたしません。承服いたしません。あなたは一局長でありますから一局長を攻めません。併しながら児童憲章の発布の企画に参画し、あれだけのことをやつておき、児童措置費を補助費に切換えることについて、或いは厚生省の省議となつて努力したのかどうなつたのか知らんが、当面の責任者としてこれが現実を見ないでのうのうとほおかむりをして、それでも依然として何とか万全を期してやりますということは、一省の局長として私は了承しがたいということだけ申上げておきます。(「同感」と呼ぶ者あり)
○政府委員(安田巖君) 生活保護法の適用について何か指示をしたかということでございますが、私ども生活保護法の適用が常に正しく適正なものでありたいということを考えておりますので、濫給もなく漏給もないようにということは指示をいたしております。特に監査をいたしました結果によりますと、やはり或る程度濫給もあるようでございますので、そういうものもやはり適正な給付になるようにしてもらいたいという趣旨のことも出しておりますし、又漏れがあつてもいけないということも申上げておるわけであります。
○説明員(岩動道行君) 生活保護につきましては従来とも非常に経費がかさんで参つておりますので、財政当局の立場といたしましては、できるだけ適正なそうして濫給のない運用をやつて頂きたいということは、これは予算折衝の際、或いはその実行の際においてたびたび厚生省のほうにはお願いをいたして来ておるわけであります。特にどういう場合にどうするという具体的なことにつきましては、これは厚生省の責任でおやりになることでありますので、私どものほうからは具体的にどうするということは申上げておりません。ただ財政全体の立場からできるだけ無駄のない運営をやつて頂きたいということを申上げておるわけであります。
○藤原道子君 地方へ行くと本省の指示だと言い本省ではそういうきびしい指示はしてない。当然私どもも適正な運営をすることは法の建前から当り前なんです。従いまして本省でどういう指示をされたかということについて、地方へ行けばそういうことになりますので、一つ当委員会へ指示された文書ですか、写しでも一応私は参考のために御提出願いたいと思います。是非この点はお願い申上げます。 それからいま一つは、これが適正な運営化といわれても適正にならない。そういう行き過ぎがあるということの一つは、民生委員制度が今日社会福祉主事に切換えられて、その後にどういう教育が行われておるか、その人たちが十分馴れないことが一つ。いま一つは非常に事務が複雑になつておる、人数が足りない、まだたしか定員に非常に足りない数で無理な運営をしている、従つて机上プランなんです。机の上で法律だけをそのままやつているというところに実情に即さない運営がなされておる。そこに問題が起つておりますので、その点今後充実される見込があるかどうか。どういうその教育といいましようかをしておられるかということについて一つお伺いしておきたいことが一点。 もう時間も遅くなりましたので私残余は省略いたしますが、今一点お伺いしておきたいのは、その生活保護法がきびしくなりましたことと、扱いがルーズと申しましようか非常にここに問題があるのです。これは先日も局長にお目にかかつて縷々お質し申上げた点でございますが、生活保護法による入院患者の附添の問題は看護券を出すのが随分きびしい。けれどもようやく出した看護券に対する支払が非常に遅れている。私は看護券の発行に対しての扱いについても問題はございますけれども又そのむずかしい中を越えて看護券を出しながら、これが看護券に対する料金の支払がなされていない。附添看護婦はいずれも家族を抱え或いは未亡人が多いので、そういう人たちが安い給料で折角働いたのに一ヵ月遅れは今まで普通だつたらしいのです。ところが甚だしいのは二十一ヵ月も支払が遅れているのがある、十五ヵ月、十ヵ月、こういうひどいのがある。それでこれはあなたのほうへも陳情してあるのです。写しがちやんと行つているはずです。ところがそれが何ら解決されてないというようなことは、これは陳情いたしましてその後ずつと放置されて来ておるのでございますが、事は生活の問題なんです。お互いに働いて五ヵ月、十ヵ月も支払われなかつたならばこれは大きな問題である。女は弱いのです。結局いろいろな手だてを知らないから厚生省に行けば何とかしてくれるであろう、東京都に行けば何とかしてくれるであろう、こういうようなことで遷延して今日まで泣寝入りになつておる。これは大きな生活上の問題であり人道上の問題であろうと思う。従いましてこういうものについてあなた方は今までどういうふうに指示しておいでになるかどうか。この長い間の支払が遅れていて而も今日陳情をなお続けておるのです。これらに対してどういう御処置がお願いできるでございましようか。
○政府委員(安田巖君) 最初の生活保護法の運用についての私どもの出しました方針につきましては、早速当委員会のほうへその通牒の写しを差出すことにいたします。 それから社会福祉事務所の充実の問題でございますが、まだできましてから幾らも時間がたつておりませんので現在のところでは市部のほうは大体私どもが予想いたしました数字に達しておりますが、郡部関係は大体七〇%、八〇%ぐらいまで行つているわけです。併しこれは一、二の府県で非常に工合が悪い所がございますので、そういう所は今後私どもも直接同県の首脳部に会いまして説得いたしたいと思います。 それから第二問の入院患者の附添のことでございますが、看護の費用の遅れておることにつきましては只今お話のありましたように先日承つたような次第でございます。東京都の例でございますが私どもといたしましては一応そういう費用は概算出したことになつております。一応お話を承りましたので昨日都のほうの責任者を呼出して厳重にそのことを申しておきました。都のほうで措置をいたすようにいたしたいというふうに申しておりました。できるだけ早い機会に御心配かけないようにいたしたいと思います。
○藤原道子君 この問題は次回に譲るといたしますが、社会局長のほうへこれと同じのが出ているはずでございますから。地方でも随分ひどいのがございます、一番ひどいのが二十一ヵ月払つていない。これらについては早速御指示を願いたいと思います。 それから最後に大臣に伺つておきますが、機構改革でちよつと新聞で見ますと厚生省と労働省と合併して社会省、これに対しては厚生大臣は賛成であるから異議なく解決するであろうという新聞発表でございますが、その点は本当ですか。
○国務大臣(吉武惠市君) 私はまだ慎重に考慮中でございまして、そういう意思表示をしたことはございません。
○山下義信君 本日の議事はこの福祉関係はこの程度にしてなお御続行願いたいと申します。児童局関係、社会局関係まだ問題がたくさんございますので他日に一つ願いたいと思います。 そうして最後に資料を要求したいのですが、社会局長にお願いしておきたいと思います。この慈善団体関係の寄附の目的を以て、無為替輸入に関係いたしまして厚生省が今日まで何といいますか、復旧といいますか、許可といいますか、そういう取扱をいたしましたものの報告を願いたいと思います。それらが或いはバナナ或いはその他の砂糖等を無為替で輸入した、それらのものたちがどう処分しておるかというような点の詳細なる関係資料を至急に御提出を願いたいと思います。要求いたしておきますが、政府はいつ頃その資料を委員会に提出しますかお尋ねおきを願いたいと思います。
○政府委員(安田巖君) 無為替輸入の許可のことにつきましては私も実は就任日が浅いので実態をよく知りませんのでございますが、帰つて調べましてからできるだけ早い機会に資料を出したいと思います。
○山下義信君 できるだけ早い機会では困るのでありますが来週中に頂けますか。
○政府委員(安田巖君) 来適中にできると思いますけれども、なお一つ帰つてよく係の者を呼びまして調べてからお答えいたしたいと思います。
○山下義信君 それではいつ頃に資料が提供できるかということを委員会に御連絡おきを願いたいのです。それによりまして委員会の開催について委員として請求せなければなりませんからお願いしておきます。
○井上なつゑ君 ちよつと大臣がおられますので大変いい機会でございますから一点お伺いいたしておきたいと思います。それはほかでもございませんが、いろいろこの間からも問題になつておりますのでございますが、日本赤十字社の救護員の問題でございます。日本赤十字社の医師、看護婦はこの戦争中は元の陸海軍の命令で救護員といたしまして出動いたしましたのでございますが、中には殉職いたした者もございますし、或いは戦死した人が随分たくさんおりますのでございます。それでこれは陸軍におきましては明治三十五年の四月に陸軍大臣から赤十字社の社長に宛てまして通牒がございましたし、海軍におきましては昭和八年の二月に海軍次官から赤十字社の社長宛に通牒がございまして、そうして軍属の宣誓をいたしましたり、又陸海軍の刑法やら懲罰やらの適用を受けておつたのでございますが、それから現地に行きましたものは軍属といたしまして俸給を軍から受取つたようなわけでございます。それで只今帰つて来ない者には未帰還者の何と申しましようか未復員者給与法を適用されておりますのでございますので、こうした点から考えまして、これは赤十字社の救護員は軍属として扱われていると思つておりますのでございますが、厚生大臣はこの点何とお思いになつておられますか、この一点伺いたいと思います。で、若し軍属として扱われております赤十字社の看護婦は、当然この際の援護対策の対象になると思うのでございます。この点疑いがないことは当然だと思うのでございますけれども、正規の軍属云々の問題も出ます折柄でございますので、今回御立案中のこの遺家族援護の中に含められますか、どうでございますか。厚生大臣の御意見を念のためにお伺いいたしとうございます。 それからもう一点伺いたいと思いますことは、そういうことになりますと、今回は一億円の費用で全国の遺家族の調査をいたしておりますが、そうした中に赤十字社のこうしたかたがたの遺家族の調査もいたしておられましようか。その点につきましてお伺いいたしておきたいと思います。以上でございます。
○国務大臣(吉武惠市君) 軍属と申しましてもただ名前だけ軍属というのが実はたくさんございます。そういうのは今回の中には入れておりませんが、いわゆる看護婦さんで現地に軍属として行かれ軍から俸給を支給されておるかたがたくさんございます。そうして向うで亡くなられたりけがされたというかた、これは当然入るのでございます。
○井上なつゑ君 調査の点はいかがでございますか。
○国務大臣(吉武惠市君) 調査の点は実は全部には恐らく調査が行届いていないと思います。入つておりますかどうか、ちよつと調べませんとわかりませんです。
○委員長(梅津錦一君) 引続いて午後委員会を開きますことになつておりますのですが、時間が大分経過いたしましたので……。なお証人がまだ来られていないと思いますから一瞬半再開いたしたいと思いますが如何でございましようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(梅津錦一君) ではさよう決定いたしまして、暫時休憩に入ります。 午後零時四十二分休憩 —————・————— 午後一時五十二分開会
○委員長(梅津錦一君) 午前に引続きまして厚生委員会を開きます6 本日は社会保障制度に関する調査の一環として引揚問題に関連して最近各地から引揚げられましたかたがたからの被抑留邦人の状況についての証言を頂くことになつておるのでございます。証人のかたに一言御挨拶を申上げます。非常にお寒い中、殊に本日は曇天でございまして、引揚げられたかたがたのまだ十分な健康が回復されておらないこうした時において、わざわざ当委員会のために御出席下さいましたことに対しまして、厚生委員一同に代りまして厚く感謝の意を申述べます。順次証人のかたの証言を頂きたいと思うのでございます。これから規定に従いまして御証言をお願いしたいと存じまするが、証言が御不利でございまするような場合におきましては、黙秘権というのがございまするから御不利な立場における証言は御発言なさらなくても結構でございまするので念のため申添えておきます。宣誓書の朗読をお願いいたします。総員御起立をお願いします。それでは引揚げになりました各地の抑留邦人に対する証言を頂くに際しまして証人のかたの宣誓を頂きたいと存じます。石部栄さんから。 〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人 石部 栄
○委員長(梅津錦一君) 次に鳥居龍蔵さんからお願いいたします。
○証人(鳥居龍藏君) 私ですか、あの趣意はどういうふうのお話をしたらよろしいのでございましようか。
○委員長(梅津錦一君) 宣誓でございまするので御手許に紙がございますと思いますが、それを読んで頂ければ結構でございます。
○証人(鳥居龍藏君) これを読みますのですか。 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人鳥居 龍蔵
○委員長(梅津錦一君) 次に黒田さん。 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人 黒田 重徳
○委員長(梅津錦一君) 次に赤津さん。 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人 赤津勇一
○委員長(梅津錦一君) 御着席を願います。では順次証人のかたから最初一通り、私が以下申上げることについてのお話を願いたいと、こう思うわけであります。 第一といたしまして抑留されておられましたその間の状況を一つお話願いたい。第二番目は引揚地区にまだおられる抑留邦人の状況及び現在抑留者がどのくらいおられるだろうという御推定でございます。推定で結構でございますからお話を願いたい。それから三番目には抑留しておる国において抑留されておる人の態度について、どんなに生活しているだろうかというその生活の状況でございますが、そういうようなことについてお聴きしたいと思うわけです。第四番目は、抑留者が帰還されるだろうかどうだろうか、将来抑留者が日本の国へ帰れるだろうかどうだろうかという、こういう見通しについて御意見を伺いたい。そのほかに第五番目としては、参考になるようなことは何でも結構でございますから御腹蔵なく一つお話願いたい。当委員会は形はこういうふうに固苦しうございますが内容的には非常に固くありませんので、御腹蔵なくおつしやつて頂きたい。但し最初宣誓の前にも申上げましたように黙秘権がございますから、自分に不利なことは質問を受けられましてもこのことに関してはお答えができませんということで黙秘は結構でございますから、その点もあらかじめお含みの上御自由に御発言されて結構でございます。つきましては石部証人から、順次五項目を挙げましたが相前後しても結構でございますから御自由に御発言頂ければ結構と思います。どうぞ御自由に御発表なさつて結構です。……それではまだお慣れになつておらないようですから念のために申上げますが、一番手つ取早い、あなたのあちらに行つておつた時分こういう生活をしていた、或いはこんなようなわけで帰れた、なお向うにおよそこのくらいの者がいると思われる、或いはその点については不明である、それからあつちにおつてはこういう私は生活をしたけれども、ほかにおる人はおよそこんな生活をしておるのではないかというようなことで、これは順次全部お話下さらなくも結構なんですが、ただ念のために申上げますが、この委員会は国会の委員会でございますから、あなた方の身分に対しては国会が保障しておりますから決して御心配はございません。この委員会では言論は非常に自由でございますから、なんかこう証人という形で裁判所のような形式になつておりますが、そうではなくて懇談のようなことで、国会は一番御発言が自由でございますから、何でも御自由にお話になつて結構でございます。
○証人(石部榮君) 私がこれから申します抑留者の生活状態ですが、これは私の言うことのみで全体の抑留者の生活状態をそれによつて推測するということはちよつと不可能かと思います。それは環境によつて入ソ当時からそれぞれみんな異なつていると思います。山の中の不便な収容所に行つて生活した人、或いは都会の収容所において生活した人、そういう人たちはみんな環境、給与すべてが違つておりますから、私の言うことのみで全部を判断して頂くということは不可能と思います。 私の収容所は非常に山の中だつたものですから、交通も不便だし輸送関係も非常に不便な所におりましたから、収容所の最も悪い環境にあつたと私は思います。最初はタバヒザという収容所へ千名で行きました。そこは電灯の設備もなく非常に山の中で糧秣の輸送もなかなか困難をいたしました。そうして行つた当時はそんな関係で非常に給与が悪かつたのであります。併し私はそこにはたつたニカ月しかおらなかつたのであります。それから移動命令が出まして私たち二百名はセメオカという町から五里ばかり離れたところのハラダという収容所に移動いたしました。そこは前のタバヒザよりも環境もよく輸送関係が円滑に行きましたために給与はだんだんよくなりまして、タバヒザのようなことはありませんでした。最初はやはり電灯もなく、たいまつをつけて生活をしておりました。併しそののちソ側から油の配給を受けまして油をともして生活するようになりました。それから入浴所も行つた当時はありませんでした、併し浴室を設けて一週間に一度ずつ入浴を許されました。衛生方面はロシア側の女医が二人おりました。それから日本のほうは軍医がおりませんでしたが衛生兵が二名、その四名で患者の保護に当つたのであります。 残留人員は私にはわかりません。なぜわからんかといいますと、自分の収容所以外は殆んどわかりません、なんの連絡もつきませんから。ただ自分の収容所におつた当時のことだけしかわからんのであります。最後にハラダという収容所が全員帰還ということになりまして私は昭和二十三年の五月ナホトカまで参りました。併し衣部隊のために帰還を許されず、再び後方に戻されてそうしてアルチョンという収容所において働くことになりました。そこは二千五百名ばかりおりました。そうしてそこの生活は殆んど炭鉱の労働に従事しておりました。そこは割合環境もよくて鉄道沿線でありますから電灯もあるし給与も相当よかつたのであります。 それから転々とウラジオの方面及び最後のウクラバヤ収容所に転属いたしまして、ウクラバヤの収容所において二十四年の六月帰国命令を受けましてそこの収容所で一番初めに私が内地に帰つたのであります。ですから残留人員については、私が帰つてからもその収容所はどんどん帰還しておりますし、又その収容所が何名残されたか、どこへ集結したか、そういうことは一切不明であります。併し現在私の知つている人でまた帰らない人もあります。果してその人たちがどこに今収容されておるか、健在であるか否か、それも全然不明であります。 私たちが従事した仕事は最初伐採でありました。その後炭鉱に入つて石炭も少し掘りましたし、主として土方とか建築作業とかそういうものに従事しました。仕事のほうはノルマ制ですから或る程度強硬に責められますから一生懸命やらなければそのノルマを遂行することはできなかつたのであります。 民主運動のほうは最後のウクラバヤ収容所へ来たときから非常に盛んでありまして、それは週に二回くらい学科もありますし、委員というものも設けてありまして、そうしていろいろ普及されました。
○委員長(梅津錦一君) そんなに堅くならなくても結構ですからどうぞあとで。一応お引きになつても結構です。
○証人(石部榮君) 終ります。
○委員長(梅津錦一君) 次は鳥居さんに一つ概略を。
○証人(鳥居龍藏君) 私は耳が少し遠ございますから質問のときにはどうか前に出てお答えすることにいたします。皆さんどうぞ御了承下さい。 私の場合は抑留者という名前は私にはついていないのです。私は御承知の十二カ年北京におりましたが、アメリ、カ系の大学の燕京大学で教授として私はおつたのであります。この燕京大学に丁度招聘せられましたのは昭和十四年でありまして、それはアメリカの大使を後にしておられましたシテユアートという人が校長であります。この校長から招聘されて参つたのであります。その燕京大学は丁度これは各国、日本にはそういう制度はありませんが、大学内に研究するプロフエツーサーと講義する教授があります。私は研究する教授になつておつたのであります。そうしてこの燕京大学の中にアメリカのハーヴアード大学と北京の燕京大学とが合併してハーヴアード・エンキン・インステイテユート、ハーヴアード・エンキン学術研究所というのができておりまして、主としてそこで私は仕事をして学術上の論文を漢文で書きましてそうしてこれにサンマリーを英語で書いておつたのであります。御承知のその大学はアメリカ系の大学でありますが故に、教育方針も全くアメリカの教育法をやつておつたんであります。そのときに私の参りましてから昭和十六年の十二月になりまして御承知の真珠湾の事件が起りまして、燕京大学はアメリカの大学であるというので閉鎖せられまして、そしてここにおる英米人は山東省の維県という所へ抑留せられました。又校長のシテユアートというかたも北京で抑留せられました。私一家族はアメリカ系の大学におるという関係でその筋から軟禁せられました。そして北京に一カ年半ぐらい軟禁してブラック・リストについておつたんであります。然るに停戦になりまして私は追放を免れまして、又再び燕京大学の教授として今日までおつたのであります。そうして時代は停戦後蒋介石の時代になりました。その停戦の時代になりまして、米国その他の国がヤルタとか、或いはポツダムの宣言によつて中国、満州、朝鮮におる日本人はことごとく帰らなければならん、こういう状態になつたのであります。そこで北京におりました人のみならず、朝鮮、満州、満州は後に申しますが、中国におりました日本人というものはことごとく帰らなければならぬことになつたのであります。北京にはそのとき軍隊を除くほか普通のかたがたとして十万人以上の人がおつたのだろうと思われます。その十万人のひとが帰らなければならぬ運命になつた。これは蒋介石政府がヤルタの協定を履行したのであります。そのときにおる日本人はどうであるかというと帰る人というのは殆んどなかつたのです。中国にとどまりたいという感じであつたのです。なぜかというと古い北京人もおります。又後に戦争当時に来られた日本人は安楽に北京で生活しておつて、もう北京の町というのは殆んど日本の町と変らんくらいの程度になつたのであります。その愛着心の関係から帰る人は殆んどなかつたのです。今日とよほど状態が違つております。然るに蒋介石の政府はことごとく帰らなければならんというのでみんな帰されたのであります。これは非常に気の毒で涙を流して北京を去りました。今日では帰りたい人が多いというようなふうでありますけれども当時の状況というものはそうでなかつた。これは本日ここにおいでになる各位のうちにおきましても北京で御滞在中にその感があつただろうと私は考えるのであります。 それから帰つてしまつた後はどうかというと非常にさびしくなつて、日本人というものは殆んど影を見ません。私はどうであつたかというとヤルタの協定による日本人のかたから逃れたのであります。なぜかというと私は軍部に関係していなかつた、そうしてアメリカの大学にるという関係上すぐに燕京大学へ引取られまして今日までおつたのであります。さてそうしてこの燕京大学は、やはり中共の入るまではアメリカ風の教育をしておりました。然るに中共がだんだん天津に侵入して来まして天津の国民兵は銑を投げて降参しました。それから北京に参りましても北京の蒋介石の将軍は銃を投げて中共に降参してしまいました。そのために北京は難なく共産党政府の手に落ちたのであります。その入りましたのが丁度十二月と思います。その翌年になつてどうなつたかというと、北京にいる日本人がどれだけの日本人がおつたかというと、丁度翌年になりまして、中共政府は、日本人はもとよりアメリカ人、フランス人、ドィツ人すべての外国人に居留許可書というものを得なければ滞在することを許さんのであります。ぞれで私は公安局、今日の警察庁でありますが、公安局に行つて家族居留滞在の手続をしに参りました。御承知のごとく燕京大学は初めから日本人を入れなかつた大学であります。私及び私の一家族だけが燕京大学に十二年おつたのであります。そこで公安局で許可書をもらいましたときに一人の日本人のかたと会いました。私は燕京大学に参りましてから占領中には、真珠湾が攻撃されるまでというものは日本政府も日本の軍部も余り燕京大学に手を入れなかつたのであります。これはなぜかというとワシントンで談判をしておる当時でありますために、イギリスに向つては非常に日本の軍部、外務省は圧迫しましたけれどもアメリカのほうにはなるべく避けておつたのであります。然るに真珠湾のことがあつてから燕京大学というものは閉鎖するという状態になつたのであります。これは附加えて申上げておきます。この公安局へ私が中共になつた翌年許可証をもらいに行きましたときに、一人の日本人のかたにお目にかかつた、これは技師をしておる留用者と思われます。このかたに私は、今北京にどれほどの日本人がおりますかということを聞いたのです。私は中共以後になつてから日本のかたと附合つたことはないのです。私の大学は北京から二里半も隔たつておるところの田舎にありまして、実に上野公園よりも広い大学であつて、アメリカ風のすべて教授は一人一人宿舎を持つておつたくらいで、私は静かに出でずして勉強ができておつたのでありますから、私の所に訪問する人もなく又私も余りほかに出なかつた、そうして日本人街というものは建つておりません。名簿もありませんのでわかりません、どこに留用者がいるか私どもわからない。そこでこの公安局で会つた日本人は或る鉱山か何かで技師として働いておる人と思われます。その人に一体日本人は北京にどのくらいいらつしやるかと聞いたのです。ところがその人はフアミリー的なものを一家として百十三軒くらいのものだろうということであります。そうすると一家族が五人と見て先ず五、六百人の人がおつたと思う。これが先ず中共になつて翌年住んでおつた北京の人の数であります。 然るに満州がよほどどさどさとして関東軍が敗北するとか、ロシアと中共が入つて来て国民軍と、中共の軍とが戦さをする、ここにおいてから満州の状態というものが、私北京にいてわかりませんが、非常に状態が、蒋介石のときにはヤルタの協定によつて日本人を皆退却さしたのでありますけれども、退却さすのみならずシベリアとか或いは方々に連れられて行つたのはそのどさくさまぎれだと私は考える。その結果としてこれらの人々がシベリア或いはロシアに連れられて行つた人もありましようけれども、殆んどの人は満州のほうから、甚だ失礼な話でありますが中共のほうからいうと捕虜という名義になつております、捕虜として連れられて来た人がどれだけいるかわからんのであります。これが今日この北京におり、又中共のほうに入つて来た日本の人々であります。そのほかには殆んど百十一、二軒の家族、五、六百人ぐらいの家庭であつたのであります。今どのくらいおりますか相当の人がおると思います。軍隊の中にも入つております、看護婦があります、病院にも勤めております、或いは満鉄の各社の連中なども捕虜待遇となつてこの中共のインダストリアルの工業なり或いは石炭或いは製造会社、こういうところに勤めております。或る安東県あたりにある紙の製造会社におる技師長、或いは社長のような待遇になつておる人は非常な高給をもらつて勤めておるという話であります。満州にどれだけおるか私は知らんのでありますが相当の人がおるだろうと思います。丁度日本の赤旗のような雑誌も今春天で出版しておりまして相当赤化しておる人もあるように思われる。それから北京に今どれくらいおるがということは私どもわかりませんが、ただ四人だけの人を私は知つておる。一人は中共の衛生隊のほうの仕事をしております。一人は中共で人々の着物を縫つたりする縫取の仕事をしております。もう一人の人は軍医でありまして三等軍医ぐらいの程度のことをしておられます。これらの三人のひと、それから中共の鉱山に石炭の専門としておる理学士のかたが一人おります。それから北京大学に京都大学の卒業生の文学士の某氏が今にしておられます。これくらいの入しか私ども知らないのであります。 これまで主にシベリア或いはロシアに日本人が行つておるということばかりのこちらの政府からのお掛合いでありますけれども、ロシアのほうから中共に連れられて行つておる人は相当あるだろうと思う。それですからこれらの人に向つての法はどういう方法をとるかというと、これまでソヴイエトの政府にはお掛合いでありましようが、中共政府に向つてお掛合いになつておられるかどうか私はわからんのでありますが、その人の数というものはちよつと私どもでわかりませんが、相当遠い所まで又再び行つておるかたもあるようなのであります。この四人のかたのここでお名前を申上げてもいいのでありますけれども、若しこれが中共に知れたならばこの人は非常なひどい目に会うと思うのです、それですから私はこの四人のかたは特別に申上げることにいたしましてその名前はここで申さんことにいたします。それから向うのかたには満鉄の社員のかたも相当来ておられます、博士の連中も相当来ておられまして、大変気の毒なことを又聞きするのでありますが、奥さん、子供を先に帰しておいて自分だけおる、優遇は非常に結構であるけれども精神的に非常につらいというようなかたが相当あると思うのであります。それから満州から来ておる女のかたは大概看護婦になつております。軍の看護婦になつておる人もあります。それからお医者さんだとかいうような人は中共では軍医或いは政府のお医者さんになつております。向うでは御承知のごとく留用者、即ち悪い意味でいうと捕虜の名義でありますから決して一個人で生活しておるという人は向うに一人もおらんのであります。或る所に行くと自分は帰る必要がないがゆえにこちらにとどめてくれというような願書を出しておる人もあるそうであります。これは本人がこれを書いたかどういう意味か私はわかりません。そういう技師を勤めておる、お医者を勤めておるかたなどは相当な優遇を受けて生活には困つておらんようなのでありますけれども、その他の鉄道だとかどれだけの人がおりますか、相当な人がおろうと思うのです。これはみなシベリアあたりから行つた人などがその中に大分あるような話であります。この四人の中の二人はシベリアから再び中共へ来ておるのであります。それですから将来ソヴィエト政府のみに留用者、日本の抑留せられでおる人を御交渉になると共に中共政府に向つても御交渉なさらんといかんと思うのです。併しシベリアばかりに日本人がおるというのではなく、シベリアから中共に来ておる人が相当あると私は考えるのであります。そうして今日本人が相当に北京に来ておりますけれども、名簿というものができておりません。殆んど秘密であります。いつ来たかわからないのです。それですから互いの往来ということはよほど困難と思われるのであります。この問放送局のかたの話を聞いたのでありますが、北京の或る町に百三十人の日本人のかたまりがおる、初めて私は知つたのです。これらは多いほうであろうと思う。そういうグループをなしておる所は少い。遠い所、現今では新疆あたりまで又再び行つておるのではないかと私は思うのです。これらのお取調べの上において相当中共政府との間に交渉をなさる必要があろうと思うのです。私の考えでありますが、これからいよいよ日本が中共と関係のないような場合になつて来ると、相当この抑留者としては帰るに面倒な立場にならんかと私は思うのであります。それですから、御交渉なさるならば早いほうが私はいいと思うのです。よほど面倒な問題で、そうしてこれが単に向うで商売をしておる人、或いは農業をしておる人を帰してくれというならげ楽でありますけれども、抑留者、悪く言うと捕虜です。捕虜の待遇になつて来ておるのでありますから、これはなかなか帰してもらうということについては相当面倒なのではないかと私は考えるのです。それからここに一つ申上げたいのは、スターリン先生の書かれたものにもありますが、中共ではロシアの言う通りに、こういうことを言うておる。これは燕京大学に来ておる共産党政府の教育部の人が話をしたのでありますが、日本が負けたのはやはり原子爆弾でない。あの強い関東軍をやつつけたが故に日本が降参したのだ。こういうことを言うておるのであります。それですからロシアのほうから言えば、ここにおる軍隊というようなものは捕虜の工場になることになる。このうちで、学生などに質問して、いや、そうでない広島の爆弾その他東京の襲撃にまつて降参したのだろうと言うけれども、中共政府ではそれはとらないのです。全くロシアが強い関東軍をやつつけたが故に日本が降参した。これでよほどシベリア及び満州におつた日本人のかたは気の毒な立場になつておるのじやないかと私は考えるのであります。それで先ずこれだけくらいのことしか私はわかりません。燕京大学の中では、私は米英人だとか中国の人とは始終毎日付き合つておりますけれども、外へ出たことはないのであります。又私の宅を訪う人は殆んどないのであります。殊に中共になつて以後、満州から来た日本人のかたがどこにどうして住まつておるのか不通であります。或る所では看護婦が非常た多い所があるそうであります。けれどもこれは我々は知る機会は得られないのであります。こういうようなふうの関係でありますから、現今中共へ来ておるところの日本人というものは、決して蒋介石時代以前におつた、日本の占領当時におつた日本人ではないのでありまして、この日本の占領当時におつた人は今申しました百何十軒かの五、六百人の人の一族、そのほかの者は殆んど満州のほうから連れられて来たかたであります。このことだけをちよつと……。私の知つておるのはこれだけの範囲でありまして、ほかは御質問によつて答えます。実は私は現今中共の状態はどういうふうになつておるか、教育或いは婦女子問題であります。とか、いろいろにおいて申上げたいことが多いのでありまするけれども、これは今日の話でないから申上げませんが、要するにそういう話をお聞き下すつた以上でなければ、今日の私の申した意味がはつきりせんと思うのでありますけれども、ただこのことだけを各位に御報告申上げる次第であります。
○委員長(梅津錦一君) 次に黒田さんにお願いします。
○証人(黒田重徳君) 私は終戦後すぐ捕まりまして、東京で捕まりまして、四七年の十月にフィリピンに送られました。四八年の暮から裁判を受けまして、四九年の七月に終身刑に処せられました。昨年の十二月二十三日に大統領のパードンを頂いて帰つたのであります。只今戦犯で刑を受けた者がフィリピンのマニラの南方の三十キロばかりのモンテインルパという街にあるニュービリビツト・プリズンにおりました。ニュービリビツト・プリズンは七千名ばかりのフィリピンの一般の囚人がおるプリズンであります。そこの中に我々同僚が百十人ばかりおります。その内容は、死刑囚が六十人、無期、有期が五十人、そのほかに戦犯ということでなくして、フィリピンの国民裁判、普通の裁判にかかつたつまりフィリピン生れでフィリピンの国籍を持つてフィリピンの普通の裁判にかかつて、今結局戦犯と同じことですけれども、刑を受けた者が二人おります。それは我々の戦犯としての中に入らんで、フィリピン人と同じ所におるわけであります。性質は同じですけれども、裁判の種類が違つたものだから別になつた。 一般の健康状態は余りいいほうではありませんが、それかといつて栄養不良になつて病気をするということはありません。病気をして死んだ者はありません。但し今までは死刑囚が十七名刑を執行されております。一般の取扱は、フィリピンの刑務当局が非常に好意を以て、取扱としては規則の許す範囲最大限に自由を許しております。死刑囚は小部屋に二、三人ずつ入りまして、それが中の廊下の戸は殆んど日中は開いておりまして、死刑囚全部のグループは一日中昼の間はお互いに交通ができるというようになつておる。そうして麻雀をやる、碁や将棋をやるというような人がおります。無期、有期の比率は無期のほうが多いのであります。無期が三十ばかり、有期が二十人ばかりというふうな比率であります。それからこれは全く別な建物に、別というのは死刑囚よりも別な建物に一室を与えられております。それも非常に広い所で五十人ではもうずつと空いているわけであります。フィリピンの一般囚人七千名というのは全く寝台が三段になつておりますが、その三段がすし詰めで一ぱい入つております。我我の入つたような部屋にはもう百何十名も入つて来るというふうに、無期の入つているような所には百数十名が入つて一ぱいになつているような状態であります。我々の所はそういう工合いで非常に楽だつたのであります。日課としては、有期、無期は五時前にドアを開けに来ます。それですぐに食事をもらいに行つて、それから死刑囚の食事も日本人のほうでそれを担いで持つて来る。それからそのドアが開いて、晩の七時か八時ぐらいに又点呼がありまして、それまではもう我々の部屋は始終開け放し、外に出る、外というのは、部屋から外に出るのはいつも自由ということになつております。部屋のうちには便所も洗面所も全部ございますから、そのほうは差支えありません。労務のほうは、今死刑囚のうちで三名軍犬の訓練のために刑務所を離れてマツキンレーというマニラの近くの兵営に勤めております。それから有期の人が二名、これは軍司令部いろいろ掃除とか何とからしいのでありますが、勤めております。そのほかの者は刑務所で服役をいたしております。旋盤工場に七、八名行つております。その時間は大体七時半頃から十一時半まで、午後は一時過ぎから四時ぐらいまでということでありますが、仕事はそうひどくはないようであります。そのほか三名発電所の仕事を手伝つてやつております。非常に重要な役割をいたしております。実際に見ますと、フイリピン人がやるとよく動かない、電気は停電する。従つて水が出ないというような関係のやつは、やはり日本人のほうで盛んに修理をし運転している。結局便利をこうむつているような次第であります。それだけの者は一日に二十センぐらいのコンペンセイシヨンの給与をもらつております。その給与、つまりいろいろな外に出ている電気の三名、旋盤工をやつている人たちですね、それがまあ二十センずつもらつている。その二十センの半分は兵営に、プリズンにいる間一カ月に使い、半分は残して、出るときに全部くれるということになつております。そのほか局長の庭園に、局長の庭園というとえらい広いようでありますが、何十人というフィリピン人の囚人を使つております。そのうちに四人日本の囚人が行つておりまして、ばらの栽培をやつております。そのほかは洗濯、炊事及び部屋の帰除、食事当番というようなものをやつております。大体から見れば皆重労働というようなことになつております。私たちも重労働という刑ですが、もう随分年寄りで体が元気でないというような人はまあ一日中ぶらぶらしているというような状態であります。過労というようなことは認められません。要するにそういう、待遇はですね、先ず非常に寛大にしております。食事は、これは又フィリピン七千人の囚人と同じものを食わせる。ところが炊事の設備が小さいのです。七千人分の炊事の設備としてはちよつと小さい。そこで米の飯も量はそう少くはないのですが、精米が悪いのと、七千人分皆フィリピン人が炊くので洗い方が悪いとか、又フイリピン人は手でつかんで皆食うのです。箸やスプーンは使いません。そこで我々が好いたような粘り気のあるような炊き方では向うは工合が悪い。ぽろぽろしていなければならない。ところが我々はぽろぽろしていたのではさつぱり飯がうまくないというような関係で、又石が入つているとか何とか、精米所の欠点もあつて、よくありません。併し量は十分であります。副食物は、これは直接予算に関係している問題で、三、四年前には今の予算で結構よかつたらしいのであります。モンテインルパ刑務所というのは決して悪い所ではなかつたらしいのでありますが、予算は同じで、物価やはりフィリピンもどんどん上つている。そういうような関係で、目下のフィリピンの副食物というものは非常に悪いということを申上げられると思います。但し日本内地から粉味噌、粉醤油を取つて、フィリピン当局の許可を得て、副食物だけは我々の所で日数十人分調理するということを許されております。まあそういうようなことで何とか凌いでおります。昨年の夏頃から前にあつた、芝をきれいに植えたのですが、そこを今度掘り返して畠に作れというような話で、日本人が主だつて今やつております。最初は非常に成績がよかつたのですが、何しろあの暑い所で、もう二ヵ月するとなつぱを植えてもすぐ取れる、収穫しなければならない。遊ばせんで、又二ヵ月、ニヵ月どんどんやりましたら、始めたのは昨年の夏からですが、もう数回で以て肥料はないし、土地が痩せてちよつと工合が悪い状態にも立至つておりますが、何とか作つてはおります。それで三分の一は日本人がもらうのだ、三分の二を納めるのだというような規則でやつておりますが、大分それで助かつております。ときどき粉味噌、粉醤油と一緒にたばこなんかも三、四回来ました。たばこの給与はありませんが、私はたばこをのみませんので、余り関心がないのですが、大部分の者は何とかしてのんでいるところから見ると何か手に入ると見えるのですが、まあ併しどうしても手に入らんでやめようという者もおつたようであります。併し大体においてたばこについて困つているということは申上げられると思います。 それから、あと皆の心持というのは、随分長い間あそこにおりますから早く日本に帰りたいということは、もうこれは申上げるまでもない感情でございますが、こちらから頂いている新聞雑誌なんかを見ますと、だんだん日本内地も一般に待望し、又一般戦犯者に対する感情も大分変つて来つつあるというようなことを感じまして非常に感謝をして、又この上とも何とか一つ早く、殊に死刑囚が六十人もおります。死刑囚も減刑され、日本内地に一つ帰りたいというような気分に燃えておる次第であります。昨年の一月十九日に死刑囚十四人の死刑執行があつた。あとはまだ死刑の執行はありません。又いろいろの人の話では、死刑の執行はもうないのだというようなことも耳にして嬉しがつてはおりますが、これはまだまだ、必ずしも安心ができるかどうかということについては、まだ本当に心の奥底から安心をしておるという人も却つて少いのではないかと、こう私は解しております。どうぞそういう点について一つ大いにやつて頂くということについては、この際私は早く帰つた者として特にお願いをしておきたいと思います。でばこれで証言を終ります。
○委員長(梅津錦一君) 赤津さん、一つお願いをいたします。
○証人(赤津勇一君) 私は昭和十九年に比島に参りまして、昨年の四月に帰つて参りました。十九年に比島に渡りまして、二十年にもう、場所はコレヒドールの南方にありまするルバング島、最近ちよつと新聞に話題になつておりますが、ルバング島が私のおつた島であります。今まだ戦友が残つて何とかやつておりますが、あれは僕の戦友であります。その島に敵が上陸したのが二十年でありまして、それから友軍がちりちりばらばらになつて山中を放浪して、私も、現在三人残つておりますが、その三人と四人で以て山の中に四、五年住んでおりました。私が一昨年でありましたか、一行とはぐれまして、私だけ一人になりまして、一年ぐらい一人で以て三人の仲間を探して歩きましたが、どうしても見つけることができませんで、一昨年でありますが、約一年ぐらい皆のあとを探したのでありますが、遂に見つからないので、決心して山を降りて一年ほどマニラのキヤンプにおりました。僕は収容所に入らないのです。入るのが本当だつたらしいのですが、そこにおりました。キヤンプの憲兵隊長は非常に親切な人でありまして、僕の我がままを聞いてくれまして、君が帰るまでここにいてよろしいということで…。刑務所の内容は僕はより知りません。去年の四月、戦犯のかた、刑を終えた者とか、無罪の者とか、戦犯関係のかたと去年の四月に帰つて参りました。 抑留邦人の状況ということになつておりますが、私一人でおつたのでほかのことは全然知りません。ただ向うの人が私に対して与えてくれた取扱のとについてちよつと申上げますと、大変親切であります。又ルバング島におりまして、結局食糧の関係で以て、相当そこの住民に危害を与えたり、又反感を買つたわけでありますが、逃亡した時には、そのことは全然言わずに、却つて島の山に籠つていて、五年間も米の飯を一粒も食えなかつたということを大変気の毒がつて、大いに同情してくれました。そこで以て転たとしましたが、どこに行つても先ず頭から同情してくれる。取扱が非常によかつた。マ二ラのキヤンプに九カ月ほどおりましたですが、全然捕虜というようなあれは感じなかつた。本当に同一に取扱つてくれました。ただ一般住民から大分反感を買つていたので、成るたけ外には出ないようにということで、キヤンプの中で自由に往来しておりました。ときどきマニラに行きますと、マニラの住民は相当に感情が悪いようでありました。いろいろな悪口なんかを言つておるように見えますけれども、刑務所のことは、只今黒田さんからお話しのありましたようなことを僕も承わつておりまして、そんなわけだと思いますが、ただ僕がここで一言申したいのは、現在新聞でなにしておりますルバング島のことなんでありますが、無論三名のかたの所もわかつておりますし、帰還すると早速家族のかたに連絡いたしまして、実はこうこうでまだ残つておられるということは申上げております。早速その救出に努力しております。現地に再三投降勧告の手紙や伺か送つておりますが、まださつぱりと埒があきませんが、最近、この正月でございますが、ルバング島で以て住民を殺害したのがきつかけで大討伐が始つたようなわけで、あれから大騒ぎで、又いろいろと復員局へ行つたり、駐日比島代表部へ行つたり、先般賠償使節団のかたが行かれる時には津島さんにもお目にかかり、最近又神保元中佐がお渡りになるというので神保さんにもお頼みし、いろいろとその救出に努力いたしておるのでありますが、まださつぱりと埒があきません。最近の新聞でも、現在残つておる一人、小野田少尉でありますが、この小野田というかたの兄さんが現地に行くいうようなことが新聞に出ておりますのですが、若し行かれたならば、できればそんなかたと一緒に行つて探して見たいと思うのでりますが、なかなか事情がそうは行かないようで、非常に残念なんであります。
○委員長(梅津錦一君) 大体証人のかたの概略のお話がございましたので、質疑に入りたいと思います。
○草葉隆圓君 ちよつと伺いますが、今日は伊藤ひろ子さんが証人名簿に載つておりますが、どうなんですか。
○委員長(梅津錦一君) ひろ子さんのほうから書状が着いたという返事は参つております。本日午後一時半頃までには見えておりません。まだその後おいでになるかどうかわかりません。
○草葉隆圓君 それでは証人のかたがたに二、三の点についてお伺い申上げたいと思います。いろいろ関係することが微妙な問題もありましようから、その点は十分質問者におきましても注意をいたしてお尋ねを申上げたいと存じておりますので、できるだけ一つはつきりとお答えを頂きたいと思います。 先ず石部証人に伺いたいと存じますか、先ほどのお話で、現在もなお知人が数名残つている。併しその健否なり、収容所は不明であるが、知人が相当残つているというお話でございましたが、その知人とお別れになつたのはどこの収容所で、現存残つているというのは何名くらいでございますか。
○証人(石部榮君) 私の知つているのは二名であります。それはアルチヨンの収容所にその二名がおりました。
○草葉隆圓君 それから何でも石部さんが死亡者の名博を御持参になつて来たようでございますが、これについて一つお話を伺いたい。
○証人(石部榮君) 死亡者名簿は、新聞に発表になりましたのは、私のいた収容所と、それからもう一つの私が最初入りましたタバヒザの収容所と両方になつております。私が関係したのは実際はハラダの収容所であります。これは私がそのハラダに転属した当時書記がありませんでしたものですから、部隊長の、収容所長の命で私が書記となつて、いろいろ収容所の内部に関すること一切をやつておりました。そのハラダの収容所は七百名おりまして、そうして生存者の、現在その七百名の名簿すらもなかつたのであります。そこで私が全部名輝をこしらえまして、それから入院者は入院、転属者は転属、死歿者は死歿の整理をしておりました。そうして死歿するごとにソ側のほうにもその都度に死歿の報告をしております。そうしていよいよ帰国する命令が出ましたものですから、その死吸着名籍を何とか内地に持ち帰つて、そうしてその家族のかたにその亡くなられたせめて日だけでもお伝えしたい、こういう私の気持で、これは誰に相談したわけでもなく、小さな紙片にそれを記入しました。それが大体百三十名と覚えております。そうしてそれを如何にして内地に持ち帰るか。そこで私はいろいろ考えました結果、それを軍靴の縫装工に命じて中に隠させました。そうして誰にも語らずにそのまますホトカまで来たのであります。併しナホトカまで来たけれども、その部隊の帰国が許されなかつたために、そこで名毎を渡せばよかつたのでありますけれども、急にそういう命令が出たものですから、それを渡す機会がなかつた。そうして軍靴の中に入れてそのままアルチヨンの収容所に帰つて来ました。そうしてアルチヨンの収容所に帰つて来ますと、そこで炭鉱の作業に従事しました。併し人員が非常に多かつたものですから、炭鉱靴というものが配給にならなかつたために、その軍靴を履いたまま私はそこで作業に従事しました。そこで水が滲みたり、摩擦したので、非常に気になつていたが、夜間作業のために出す機会がなかつた。一そこでハラダの収容所にいた副官をやつておりました八幡中尉が収容所に転属して来ました。そこで八幡中尉に会いましたから相談しました。名簿を持つているけれども兵隊とか、下士官は作業をしなければならないので、それを所持することができないから、あなたは将校だから名簿を持つて帰つてもらいたい。そこで相談してその名簿を軍靴から取出して見ましたのですけれども、わかつたのは、たしか今記憶しているのは八十名ぐらいあつたと思います。あとはもう全然不明でした。そこで八十名ぐらいの人員を拾つて又それを清書して八幡中尉に渡したのであります。そこから又私は別れて転転と二、三の収容所を歩いて帰つて来たのであります。帰つて来て世話課のほうにもこういうわけで名輝を持つて来た。それが届かなかつたけれども八幡中尉は必ず持つて来るからと伝えておきました。八幡中尉も私より半年ぐらい遅れて帰つて来まして、その後この名簿をたしか舞鶴で発表したはずであります。そこで私が世話課のほうに又呼ばれて、いろいろ調査関係で行きました。そうしてこの話を又しましたところが、何とがしてそれを欲しいというわけで、八幡中尉の所に二度ばかり連絡しましたが、八幡中尉は島根県隱岐島の人で、なかなか連絡がつかず、返信が来なかつた。たまたま一月の中ぱ頃、その名簿を八幡中尉が私の所に送つて来ました。それは広島県の世話課から現地証明をしてもらいたいという問題で八幡中尉の所へ行つたけれども、八幡中尉はただ名簿を持つて来たに過ぎないから現認できない。従つて石部が持つて来たのだから石部から現認してもらつてくれということで私に送つてくれました。その名簿を開いて見ると、タバヒザという所の名簿が一緒になつておりました。八幡中尉の手紙には詳しく書いてないが、私が想像し、又その手紙の側から見ますと、タバヒザの収容所の長をやつておりましたのは山梨県出身の田村中尉という人でありました。この人が私の収容所にその後転属になつて来ました、ハラダの収容所に……。そのときには私は名簿のことは聞きませんでした。併し田村中尉がその名簿を、タバヒザにおいての死亡者の名簿を持つていた。そして田村中尉が内地に帰ることは許されませんから、八幡中尉に名簿を頼んだのだと思います。それでバラダの名簿とタバヒザの名簿を小さな紙片に書いて持ち帰つたのであります。そうして手に入りました。
○草葉隆圓君 そうすると御発表になつた名簡は御自分で御持参になつたのじやなかつたわけですね。
○証人(石部榮君) そうであります。
○草葉隆圓君 本年の一月に八幡中尉から送つて参つたのですね。
○証人(石部榮君) そうであります。
○草葉隆圓君 そしてそれは自分でお調べになつた以外にタバヒザの収容所の分も加つていた、こういうわけですね。
○証人(石部榮君) そうであります。
○草葉隆圓君 そうしてお帰りになつてから、八幡中尉にこういうものを連絡したということは関係筋のほうにも御連絡になつておりましたか。
○証人(石部榮君) しております。
○草葉隆圓君 そうしてそれを極く最近の機会にああいう形で御発表になつたというのはどういうわけですか。
○証人(石部榮君) それはその名簿が山梨県の世話課に行つているのを、読売新聞社のほうでそのことを聞いて私の所へやつて来ましたから、今言つたようなことを全部話して聞かせました。そうして新聞にああいうふうに大きく発表になるということは私は予期していなかつた。第一これは私一人のためになつたものじやない。私よりもむしろ八幡さんのほうが新聞に発表されるべきで、私は途中までだから私だけを新聞に発表するということはする必要がないじやないかということを私ははつきり言いました’併し発表になつたところを見ますと、殆んど私一人の手柄のようにあれに発表になつております。
○草葉隆圓君 大体わかりましたが、承わりますと、只今のお話ですつと名簿等の処理をしておつた、又タバヒザの収容所では書記もしておつたからその他のこともよく連絡しておつたというお話でございますが、このときに書記として御処理になつていた場合に、死亡がありますと、いわゆる当時の収容所長、それは当然ソ連のそれぞれの人だと思いますが、そういう方面に御報告になつて、死亡者の書類上及び実際上以外の取扱、これはどういうふうな状態になつておりますか。
○証人(石部榮君) 書類のほうはソ側のほうへ報告してありますから、ソ側のほうにはわかると思います。あとは死残者のほうであります。死歿者のほうは幸いに一人、私の収容所のことでありますけれども、私の収容所に坊さんがおりました。そこで死亡者のかたが出るたびにその坊さんによつてお通夜をしました。そして埋葬したりなかした。
○草葉隆圓君 そうすると埋葬されました場所には墓碑か何かを建てつて……。
○証人(石部榮君) はあ。
○草葉隆圓君 先ず相当年間、何年間かは朽ちないような状態になつておりましようか。
○証人(石部榮君) はい。埋葬した個所は収容所のすぐ近くでありまして、小高い岡の上であります。そして、それは順序よく、死んだ都度に埋葬しまして、バラ線で、鉄線ですね、それでその周囲を囲んで、そして日本人の墓地ということが、来るときは塔が立つておりました。併しそれはいつ行つてもはつきりしておると思います。
○草葉隆圓君 そうすると大体現在でもはつきりしておると思われる……。
○証人(石部榮君) 思います。
○草葉隆圓君 それからずつとそういうふうに事務のほうをおやりになつておつて、最後まで長らく向うで御苦労を願つたわけでございまするが、大体石部さんのお考えでは、死亡者と当時の抑留者の割合と申しまするか、どのくらいの率、百人の中でどのくらいは死んだというようにお考えになつておるのでございますか。
○証人(石部榮君) それは収容所によつて全部異なるから、私には一概にどうということは申上げられません。
○草葉隆圓君 引続いてずつと一通り……、鳥居証人に一つ疑義の点をお伺い申しておきたいと思いますが……。
○委員長(梅津錦一君) 耳が遠いようですから、大きな声で……
○草葉隆圓君 ときどき御旅行になつたことはございましようか。
○証人(鳥居龍藏君) ええ。
○草葉隆圓君 御旅行になつたことはございませんか。北京から終戦後あちらこちらへ御旅行なさつたことはございましようか。
○証人(鳥居龍藏君) 私はこちらへ帰つてからはどこも行きません。
○草葉隆圓君 いや、向うにおいでになつた間に、或いは北京以外の方面に御旅行になりましたでしようか。
○証人(鳥居龍藏君) これは中共になりましてからは一切旅行はやりません。蒋介石の時代には少しやりましたが、日本の占領当時にはあちらこちらへ歩きましたが、中共になつてからは一切外国人に対して旅行を許さないのであります。それから一般の国民にも一夜泊りのほかは許しません。非常に窮屈であります。その関係上旅行はいたしません。
○草葉隆圓君 中共前は、終戦後は大分あちらこちらへ御旅行なさつたのですか。中共前のいわゆる蒋政権時代ですが……。
○証人(鳥居龍藏君) これは満州に行きました。それから蒙古のほうにも参りました。中国もあちらこちら……。
○草葉隆圓君 蒙古方面で、太原のほうにおいでになりましたか。
○証人(鳥居龍藏君) 山西省の太原ですか。あれは参りました。
○草葉隆圓君 あの方面に日本人部隊が相当おつたはずでございますが、その当時はそれについでは何か……。
○証人(鳥居龍藏君) 私の参りましたときには、日本の占領時代でありまして、閻錫山の下に日本のほうから大変来ておりました。
○草葉隆圓君 それから先のお話の中で、四、五人の日本人がおる、名前はちよつと遠慮する、これを言うと大変向うで、中共でひどい目に会うというお話でございましたが。
○証人(鳥居龍藏君) これは軍に属しておる人でありまして、軍律が非常に共産党はむずかしい。一人は水戸の人で、一人は大分県、一人は山梨県です。これは軍医の相当官になつておる人が一人、それから陸軍の衛生隊にいる人が一人、それから被服廠にいる人が一人、これだけであります。名前は新聞に若し載つて……。
○草葉隆圓君 名前は結構でございます
○証人(鳥居龍藏君) 又あとで申上げます。
○草葉隆圓君 名前は結樺でございますが、お話のように、相当まだ日本人が多数いるようでございます……。
○証人(鳥居龍藏君) 私もそう思います。これは今北京に来ておる日本人は、蒋介石以前におつた日本人は只今申しました五、六百人ぐらいしか留用せられていない。その後に入つて来た人の数は非常にいるだろうと思います。これはシベリアへ行つて、又シベリアから中共へ連れて来ておる人が大分あるようであります。この私が申す二人の人もシベリアに行つておつた人です。
○草葉隆圓君 最近ときどき個人帰還として、個人で帰つて来る人があるが……。
○証人(鳥居龍藏君) ええつ。
○草葉隆圓君 個人で無理に向うでいろいろ費用をこしらえて、そうして帰つて来る場合がございますが、あなた方お帰りになりました方法はどういうふうにしてお帰りになつたか。
○証人(鳥居龍藏君) では申上げます。私は中共に雇われていない。アメリカ系の学校の大学の教授としておつた者であります。それですから接収されない。接収せられましてもやはり籍は燕京大学にあつた。これが昨年の一月に初めて政府が接収しまして、ほかの北京にある北京大学、清華大学はもう中共政府が北京を占領すると共に共産党の大学になりました。燕京大学は去年の一月になつて初めて公立大学になつた。公のです。それから七月になつてから、いよいよ国立大学になりました。そうしてこの九月からいよいよ投業を始めました。私が帰りましたのはどうかというと七月以前に学校に届を出しました。自分は年取つて八十二歳ですから、到底耐寒いろいろなことについてできない、故に自分は帰国したいという願を出した。学校のほうとしては、十何年もおつたものでありますから、若し貴下が給料が不足であるというなら給料を増してもいい。又長い事留まれば、養老の方法もあるから黙つて日本へ帰つたら又困る。こちらへおつてもらつて研究したらどうだろうかというようなことでありましたけれども、私は七月以前に身体の都合上、年取つておるので帰してもらいたいというので、個人として私は届を出しました。
○草葉隆圓君 私の主としてお尋ね申上げたいと思いますのは、先ず金……。
○証人(鳥居龍藏君) 方法でございますか、これは学校の校長が陸という校長ですが、燕京大学のほうが共産主義になつても、私のいる間は学校の職員は少しも変動はありません。その後陸校長から公安局に届を出した。鳥居教授は老年にして身体が耐えない、故に帰国したいからどうか許可を与えてぐれ。——それで許可になつたのであります。私は若し捕慮のような立場でおつて、共産政府の鉄道従業員になつておるとか、鉱山にかかわつておるというような場合であれば許さなかつたかも知れません。併し、これは二週間か三週間ぐらいのうちに許可になりました正
○草葉隆圓君 それで若しや、仮にさつきもお話の中にありましたが、日本から向うへ金を送る方法が何か……。
○証人(鳥居龍藏君) ありません。
○草葉隆圓君 ありませんですか。
○証人(鳥居龍藏君) 併し、こういうような場合ですな、私の帰るについて、船の都合で香港へ廻らなければならない。そうすると英国の領事のパス・ポートをもらつて行かなければならない。これが又容易なものではない。けれどもこちらの英国の手を経て、そうしてこちらの多分公安区長のほうにも来たであろうと思いますが、そうしてこの証明をしてもらうについても、香港にある英国領事館から東京の英国の領事館に通知して、許可を得なければならん。そうしてそれを北京の領事館に電報で取次ぐ。直接日本政府に向つて中共は電報を打つことができないのです。又送金も勿論できない。
○草葉隆圓君 そこで問題が起つて来ると思いますが、何とか直接に中共政府のほうへ連絡して、そうして引揚の促進をやるほうがいいのじやないかという先のお話でありましたが、何かこれの具体的なお話は。
○証人(鳥居龍藏君) 私は政治家でも外交家でもありませんから、個人として申上げます。こちらの英国の領事館の手を経て、北京の領事館の手を経てそうして北京の領事館の領事が中共政府に掛合うよりほがはない。今では、例えばマッカーサー将軍のときでも、直接中共と取引しておらん。電報を打つこともできない。それはどうしても第三国の政府の手を経てやるより仕がない。ソ連政府の手を経てやればなお便利じやないかと思います。
○草葉隆圓君 それからもう一つ伺いますが、向うにいらつしやいました当時に、日本との文通はあまり支障なしに行われておつたのですか。
○証人(鳥居龍藏君) いつ頃ですか。
○草葉隆圓君 最近お帰りになる頃。
○証人(鳥居龍藏君) 二十四年の頃ですか。
○草葉隆圓君 最近。
○証人(鳥居龍藏君) 今では郵便は通じております。
○草葉隆圓君 自由ですか。
○証人(鳥居龍藏君) 自由です。私の四人の人なんか、家族と通信を始終やつておりました。郵便は自由です。例えば大分県の人なんか、自分から写真を送つたものですから、奥さんのほうから子供の写真を纏つて来て、子供のほうから、どうかお父ちやん早く帰つて頂戴という手紙が来ております。
○草葉隆圓君 こちらの御親族等との文通は何日くらいかかつたのですか。
○証人(鳥居龍藏君) 私は向うにいて、郵便は一切出さなかつたのです。ラジオでも鳥居龍蔵の居所はどこであるかということはわかつている。私が郵便を出すというりつことは、アメリカの駐屯軍においても困るでしようし、それから又中共政府においても困るでしようが、この頃中共と日本との書面は自由です。そうですから私が考えるのに、厚生省あたりのほうには、或いは地方府県間の、府県の援護局の支局湿たりには、どれだけの手紙の往復があつたかという統計ができていると思う。それで北京におる人はもう大概内つ地と手紙を往復しております。そうですから、これを調べて見れば、どれくらいおるかということは多少わかるのです。私はそう考えておるから、こわらで、シベリアにおるほうはむずかしいですけれども、北京あたりにおる日本人は必ずもう手紙の往復がある故に、数はわかると思います。
○草葉隆圓君 それからもう一つ伺いたいと思いますのは、さつきのお話の中に、奉天あたりで、丁度日本であるようなアカ八女みたいな新聞が出ておる——。ああいうふうな日刑でございますか。
○証人(鳥居龍藏君) 日本人……。
○草葉隆圓君 日刊。
○証人(鳥居龍藏君) 日本文……。
○草葉隆圓君 毎日々々ですか。
○証人(鳥居龍藏君) 一週間に一度です。
○草葉隆圓君 そういうのがほかにも出ておりましようか。
○証人(鳥居龍藏君) 私は知りません。けれども、北京には出ておりません。北京には日本人のクラブというものだけで一つ。我々は共産政府になつてから翌年の頃でありましたが、こちらの共産主義の創立記念日のときに、会をやつた人がありましたようなふうでしたが、私どもは無論行きません。満州のほうでは非常に日本人が多いのです。そうして相当赤化している。それですから、満州にこちらのほうから帰れというような手紙が行つたときに、答えはどういうふうに答えているか。北京あたりからこちらに来る手紙とよほど状態が違うと私は思います。そのことをうすうす聞くのであります。
○草葉隆圓君 大体……。
○山下義信君 黒田証人に一つ伺いたいと思うのであります。黒田さんは最近フィリピン側の特別の御好意でお早くお帰りになりまして誠に御祝着に存じます。只今御証言に相成りました中に、現地の死刑囚のかたがたがどうやら助命になる模様だ、そういう話が伝わつてやや安心と申しますか、喜んでおられるというようなお話がございましたが、そういう助命になりそうだという話は、どういうところから死刑囚のかたがたに伝わつておりますのでございましようか、その点伺いたいと思うのでございます。
○証人(黒田重徳君) 私はそこの確実なところは聞かないのですが、ただ一般にそういうふうな空気を皆感じておる、誰が言つたというふうな証拠は私は聞きません。だが、フィリピン人あたりが、講和条約が調印になわぱ日本に帰れるのだとか、もう死刑はないのだというようなことを先生たちが言つたらしいのです。そういうようなことで、まあ一般的に大体死刑はないのだというような、根拠は非常に薄いように私は感じておりますが、去年の一月から、もう死刑もないし、まあそいつは私たちが成るべく、成るべくじやない絶対に一つ実現するように願つているわけであります。只今のようなお話で、誰が、例えば今の政府当局者がどういうふうに言明したという確証はありません。ないと思います。私はそこまで言いませんが、ないと思います。
○山下義信君 内地におきましては、そういうかたがたに対しましての助命嘆願の運動が大変心配して行われておりますのでございますが、黒田さんは現地におきまして、内地のほうにおてそういう要望なり運動なりが熱烈に行われておるということを御承知でございましたでしようか。お聞き及びになりましたでございましようか。
○証人(黒田重徳君) そういうことは最前申上げましたように、新聞あたりの模様から見ましても、又家族会そのほかの通信がたくさん参りまして、内地で皆さんの、殊に死刑囚若しくは有期、無期の内地服役ということについて嘆願その他を最沢力強くやつて頂いておるということはよく存じております。そういうような関係もありまして、今のもう死刑はないのじやないかということの感じがフィリピンのいろいろな人が言うことと一緒になつて伝わつておるのじやないかというふうに私は考えております。
○山下義信君 そういう内地の日本人の非常に強い要望なり嘆願運動が行われておるということが比島の新聞等にも載り、比島にもわかつているということでございますが、何かそういうことに対しましてフィリピン政府側の反響とでも申しますようなことについて何か黒田さんの御承知になりましたようなことはございませんでしようか、如何でございましようか。
○証人(黒田重徳君) 只今のお話は比島の新聞に載つたというようなことじやなくて、日本の新聞を送つて頂くので了解しておるのでありまして、ちよつとそこは私の申し違いかも知れませんがそういうわけであります。反響とか何とか、私自身がとにかく無期で監獄におりまして何もそういう自由がない。ただ申上げますように、もう大丈夫じやとか何とかいうような、比島人の面会に来るような人間がただ言うだけで、それ以上のことについては私は確実なことを申上げることはできません。
○山下義信君 黒田さんはキリノ比島大統領から非常に厚意を受けられまして、今回特別のお計らいにあずかられたように承わつておるのでございますが、お帰りのときには大統領にお会いになつたことであろうと存じますが、その他適当な機会に同胞の死刑囚の助命等につきまして何か黒田さんからお願いなさいましたか。そういうことにつきましてお話なさいましたようなこどがございましたでしようか、如何でございましたでしようか。
○証人(黒田重徳君) 私自身は現大統領キリノさんとは戦時中は一面識もない人でありました。私のこのパードンは、戦時中私と一緒に、私がおる時分に私と交際をし、政府を組織していろいろ働いた人が私を理解して運動してくれたものと私は確信しております。そこで私は二回会いました。現大統領と昨年の六月に一度呼ばれて会いました。それからいよいよ帰ります日に会いまして、私は私自身のお礼を申すと共に、ほかに残つておる者に対してもこういう恩典を与えて頂いて一つ是非帰して頂きたいということを私は現場では申上げました。それに対する返答は大統領はされませんでした。その前に私は書類でお礼を申上げた。その二週間ぐらい前であつたと思いますが、私は手紙を書いてお礼を取りあえず申上げた。その手紙には、そのときには私の趣旨は、私のお礼を申上げると共に、私の手紙というものは、ほかの者にも一つ是非浴さして頂きたい、こういう戦犯でおる人も、よし、実際上犯罪があつたとしてもそれは戦争中の実にもう止むに止まれない状況でやつたのである。或いはフィリピンの軍隊にしてもこういう状況ならやつたかも知れんというふうに私は思う。この際、このキリスト教の精神で一つ是非許して頂きたいということを手紙に書いて私は差上げた。それに対する返事は、今のそのほうが長いのです、私の手紙は……。それに対する返事は、その後のことについては適当な考慮を払うということが載つております。実際会つてお礼を申上げるときには、その私が申上げたことに対しては返事はしませんでした。ただニ人の、これはキリノ大統領の戦争中よく知つた人、一人は死刑で、一人は二十年、その二人はすぐにパードンをするということを現場で、私のすぐ前で言明をされました。一般のことについては返事はありませんでした。
○山下義信君 幸いここに石原外務政務次官が御出席でございますので、私この際、石原政務次官に伺いたいのでありますが……。
○草葉隆圓君 ちよつと委員長、その前に証人に……。
○山下義信君 この質問で終るのでございますが……。赤津証人の御証言の中で、ルバング島にまだ同僚の戦友が残つている、それを比島が討伐しようとしているけれども、何とかそれを差止めたいといつて努力をしているというお話がありましたが、これら比島側の討伐ということに対しまして、政府は逮かに中止等をいたしますような交渉等がなされたでありましようか、どうでありましようか。証人の証言に関連しましてこの際承わつておきたいと思います。
○政府委員(石原幹市郎君) そういう情報を得まして、早速フィリピンのこちらにおります、ミツシヨンのほうにも連絡をとりまして遺憾のないようにしてくれるよう申入れをしておりますL、今回賠償問題に関連いたしまして日本からも代表団が行つているのであります。それらの人々を通じまして先方に対しましていろいろお願いをして折衝はしているのであります。
○堂森芳夫君 黒田さんにお尋ねいたします。実は私昨年の一月にローマに行つておりまして、国会の引掛委員会或いは援護の各機関から依頼を受けまして、今南方地域におられるいわゆる難のかたがたの全部の名簿を頂きましてローマを訪れまして、特別に法王様に約一時間謁見を許して頂きまして、詳細に各地の現存向うに抑留されている人たちの名簿を提出いたしまして、具体的に法王様のお力によつて一つ死刑のかたがたの助命或いは服役のかたがたの内地帰還というこを詳細私と、丁度そこに来ておられます衆議院の岡君と二人が法王様に種々お願いたしたのでございます。そのときに法王様は、必ず私はそうしたかたがたに対して責任を以て努力いたします。こういうふうな御返事を頂戴いたしました。くれぐれもお願いして参つたのでございます。その後何回も連絡いたしまして、いろいろ御援助を願つて参つたのでございまするが、フィリピン地区においてカソリックの非常に広まつた、盛んな地区においてそうした宗教的ないろいろ御援助、或いはいろいろな事柄をあなた御自身お感じになつたか、御経験があつたか、そういうことをお尋ねいたしたいのでございます。
○証人(黒田重徳君) 比島におきまして宗教方面、殊にこの宗教面というのはキリスト教ですが、キリスト教各派の戦犯に対する御世話並びに命ごいというものに対しては非常な熱烈なる運動があつております。私個人で申上げますというと、私の裁判には比島の一番上のマニラの大僧正が証人に立つことに向うから申出てくれました。あいにく実際立つのは、丁度そのオー・ドバチーという大僧正ば証人に立つてくれる前に老衰で倒れましたけれども、従来の約束によつて証人に立つたと同じ効力を発揮するように弁護側及び委員の間にこの申合せができた。今の戦犯がきまつてからもカソリックといわず、プロテスタントといわず非常に熱烈にやつて頂いております。それをやつて頂くばかりじやない。而も毎週一回は大抵そこで説教があつて来られる。いろいろなものを持つて来るというようなことについても実に世話をして頂いておるような状態であります。その点は大変私たちは感謝いたしております。
○堂森芳夫君 その当時ローマにおりましてからスイスのほうへ出まして、国際万国赤十字社の本社を訪問しました。そうして万国赤十字社の委員長にもお目にかかり、或いは国際的な機関でございますYMCAの委員長にもお目にかかりまして非常な御努力を願つて参つたのであります。実は黒田さんがお帰りになりまして私考えますことは、未だに残つておられますフィリピンの戦犯の諸君、或いはマヌス島におられる我々の同僚の人たちを一日も早く帰してもらうようにしてもらいたい。こういう意味であなたがローマのほう、或いは赤十字の本社、或いはYMCAの本部のほうへ御自身で手紙を書いて頂きまして、お礼状を兼ねで更に向うに残つておられる我々の同胞を一日も早く帰してもらうをにあなたもお願い状をどうしても私は渡して頂きたい、こういうふうに考えておるのであります。
○証人(黒田重徳君) 勿論私としてはできるだけのことをいたしたい心組みでありますから、そういうようなことは勿論早くやりたいと思つております。
○堂森芳夫君 それからさつきの御証言によりますと、六十名の同胞が死刑の宣告を受けて、今日までそのままでおられると、こういう事情は私もわかるのでございますが、黒田さんはどういう事情であつたかということの若しできたらお考えを……。どういうわけで長い間死刑を執行されずにいたかというようなことを御答弁願えたらいいと思います。
○証人(黒田重徳君) その点は私にはわかりません。
○井上なつゑ君 鳥居さんにお伺いいたしとうございます。中共にたくさん看護婦が残つているとおつしやつておられました。私どもも二万以上も看護婦が残つているのではないかと伺つておりますのでございますが、その看護婦はどういう待遇を受けておりましようか。軍人と同じような、中共の兵隊と同じような待遇を受けておりましようか、軍属と同じような待遇を受けておりましようか、おわかりでございましたら……。
○証人(鳥居龍藏君) 病院に勤めておらるるかたは病院の持越、軍隊のほうはやはり軍隊の待遇、それから向うにもやはり御承知のごとく共産党の兵隊の中に女のかたも兵隊さんになつておられる。それですから看護婦のほうでは私の知つておるがたで、山梨県のかたで元薬学をやつたかたが今軍隊の相当な、近衛の親衛軍の軍医、これは士官相当官ですが、このかたの奥さんになつたかたがおります。それで働き方ですが、この働き方は誠に猛烈らしうございます。そうして又中共の人は中国の看護婦のかたよりも日本の看護婦のかたを非常に好かれる。というのは、非常に熱心に仕事をしてくれるから、中共の人が気に入つておるのであります。それから相当せわしい仕事らしい。今申しました士官相当官の奥さんになられたかたは京都府下の伏見の人であります。この人は満州から相当困難して来られたかたです。看護婦として連れられて来た。それが今度結婚をして赤ちやんができました。そういう場合にどういう取扱をするかというと、保姆が子供ができたために奥さんにつく。これは丁度共産党の兵隊の中に士官もあれば、従卒という言葉を使うのは失礼でございますが、曾つてよく将校のかたの家などに兵隊さんを連れて行つて、子供の世話をさすという時代がありましたが、そういうふうにおつきの人ができる。これは中国人の従卒、女のかたです。このかたがやはり子供の世話をして相当な生活をしておる。それから士官相当官などになつておる人の妻君になつておる、これは珍しい話であつて、日本人の間に結婚が行われたわけですね。看護婦の人などは生活はそういうことでありましようけれども、先ず一人前の生活ができる範囲の程度ではないかと思います。これが上の看護婦長というような者になると待遇の点が大分違つて来る。
○井上なつゑ君 それでは伺いますが、中共における看護婦の待遇も日本における看護婦の待遇も大差はないということでございますか。
○証人(鳥居龍藏君) 日本の看護婦がどれだけの待遇を受けておるか私は知らないのでありますが、先ず生活できる範囲においてやつておると思います。大変看護婦は来ておるのでございますが、私は一人しか知らない。よくお子さんを連れて私の学校の教室に遊びに来られた。
○井上なつゑ君 もう一つ伺いとうございます。北京の大学では非常に公衆衛生学が発達しておりまして、そうして医者の教育も非常に高うございます。それから看護婦の教育も非常に高いことと承わつておるのでございますが、り向うの看護婦の教育の程度並びに待遇はどんなものでございましううチ
○証人(鳥居龍藏君) それは私直接数を以て調べたことではないけれども、先ず生活のできる範囲らしい。
○井上なつゑ君 次に黒田さんにお伺い申上げたいのでございますが、フィリピンに終戦前にかなりたくさんの赤十字の看護婦その他の陸軍の看護婦が行つておつたと心得えております。殊にあすこで戦死いたしました者その他がたくさんございましたのでございますが、俘虜の中に看護婦はおりませんでしたでございましようか。その点御説明願いとうございます。
○証人(黒田重徳君) 私は最初申上げましたように、一九四四年の九月に山下大将と交替して内地に帰つてしまつたんであります。それから先もうすぐ私が帰ると一緒にマッカーサー元帥が十月の二十日に出て来たのでありまして、その後は私はもうマニラに全然おりませんので、やつとこ四七年の十月に又参つた次第であります。その間のことは私には全然わかりません。
○草葉隆圓君 黒田さんにちよつと一、二点ほど伺いたいと思います。実はなお現在フイリピンに残つておりまする同胞の問題につきましては、従来国会は勿論、国民挙げて或いは無罪或いは内地送還というのを熱望いたしておる次第でございます。後いましていろいろな運動を従来とつておりましたが、最近伝えられるところによりますると、この刑の判決は下つたが、更にその刑の判決に対していろいろその後の資料等によつて再審査をするというような情報もちよいちよい内地に流れて来ておりますが、収容中に何か更に調査を改めてやつて行くような動向がありましたか、又今申上げたようなことにつきまして、何かお気付の点がありまするか、この点を一つ伺いたいと思います。
○証人(黒田重徳君) 戦犯裁判は、アメリが軍のときには死刑だけは、例えばフィリピンの軍司令官が統裁してやつたやつは、死刑はマッカーサー元帥のところまで持つて来る。第八軍でやれば、死刑だげはマッカーサー元帥のところへ持つて来て、又再審査をするということでありましたが、フィリピンでは無期と死刑は二段に刑を審査をするという制度になつております。つまり軍司令部で一応審査をする、その次には大統領府に審査機関を設けて、それが審査をするということになつておる。そこでこつちから行つたところのいろいろな嘆瀬書は、嘆願書というても、ただ助けてくれという普通の嘆願書は、これはその審査には入りませんが、いろいろないい材料を持つて来て、ここに出せば、そこでその審査ができるということになるわけなんです。裁判の内容を申しますと、実際我々がフィリピンで裁判を受けたが、検事のほうはフィリピン人の証人をどんどん連れて来て、真偽は私はわかりませんが、とにかくこれがやつた、あれがやつたと言うて来る。我々のほうは向うにおる人間以外のいい証人が出ない。と申しますのは、実にそこがデリケートらしいのです。ちよつと速記を……。
○委員長(梅津錦一君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(梅津錦一君) 速記を始めて。
○草葉隆圓君 戦犯の問題はフィリピンの問題が多いのでありまして、従いまして今証言にありましたような点から、国民はフィリピンの収容所におります関係者に対しまして、その留守家族は勿論大変心を痛めておりますが、何か刑を今のような方法で更に処置をし得る場合に、国内の今後の嘆願等の具体的な形をとつて参らねばならんものかと思いますが、この収容を、外地におきます収容でなしに、内地においてなし得るというようなことに対して、先ほど大統領なり或いは実際向うでもそれぞれ要職の人にお会いになつていると存じますが、かような動きは何かでとり得ないものかと私どもは考える。これが一点と、もう一つは、今後日本国民といたしまして、この収容所におられる人たちにいろいろその日常生活等を、或いは慰安し、励ますというような方法を、あなたが入つておいでになりました体験から、もう少し内地の人がこういう点をこういうふうにやつてくれたらよりいいんじやないかというようなお感じの点でもありましたらこの際伺つておきたいと思います。
○証人(黒田重徳君) 速記をやめて頂きたいと思います。
○委員長(梅津錦一君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(梅津錦一君) 速記を始めて。大変長時間に亘りまして、御証言を頂きましたので、更に認識を深めるところが多かつたと存じます。貴重な資料を頂き、更に御意見やら、なお尊い示唆を頂きましたことに対しましては、厚く謝辞を申したいと思います。帰還運動に対しましても何分の御援助を頂きたいことを申添えまして、甚だ蕪辞でございますが、これを以ちまして本日の証人に対する証言を終りたいと思います。 これにて委員会を閉じます。 午後四時四分散会