法務委員会 第63号
- 発言数
- 28 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1952/06/05
会議録
○佐瀬委員長 これより会議を開きます。 犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案を議題といたします。本案に対し御質疑はございませんか。——別に御質疑がないようでありますから、本案に対する質疑はこれをもつて終局いたします。 この際本案に対する修正案が提出されておりますのでその趣旨説明を聽取いたします。押谷富三君。
○押谷委員 私は自由党を代表いたしまして、ただいま議題になつております犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案に対する修正動議を提出してその趣旨弁明を行いたいと存じます。修正案の内容はすでにお手元に配付されておりますから、その朗読を省略いたしまして、修正案の提案の理由を説明申し上げたいと存じます。 おもな修正点であります第四十一條第五項の改正規定の修正をまず御説明申し上げますると、原案では「引致状による引致は、警察官、警察吏員又は保護観察官」に行わせるものとするとなつておりますが、しかし引致は保護観察に付せられている者に対して親しく調査質問をするために行うものでありまして、これは明らかに更生の処置の一種であります。さすればこの引致の目的並びに性質から考えますと、引致は当然保護観察官をして第一義的に行わせるべきものであります。ゆえに本修正案におきましてはまず保護観察官が第一義的に引致を行うこととし、続いて引致状を発せられた者の性行その他の事情から、保護観察官みずから引致を行うことが困難である場合が考えられまするので、この場合には第二義的に「警察官又は警察吏員に引致を行わせることができる」と修正をいたした次第であります。 次に第四十五條第三項の改正規定、等五十六條及び附則第二項の修正並びに新しく附則第五項を設けました点は、いずれも字句の誤りまたは整理漏れを補正いたしたものであります。 最後に附則第一項の施行期日の修正は、本案の審議経過を考慮いたしまして「昭和二十七年五月一日」とありましたものを「公布の日」と改めた次第であります。 以上をもちまして提案の理由を申し上げました、何とぞ慎重審議の上すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。
○佐瀬委員長 これにて修正案の趣旨説明は終りました。ただいまの趣旨説明に対し御質疑はございませんか。——御質疑がなければ次に討論を行うべきでありますが、討論の通告もないようでありますからこれを省略いたし、ただちに採決を行うことに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○佐瀬委員長 御異議なしと認め、討論はこれを省略し、ただちに犯罪者予防更正法の一部を改正する法律案及び本案に対する修正案の採決を行います。 まず押谷富三君提出の本案に対する修正案を表決に付します。本修正案に賛成の諸君の御起立を願います。 〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて本修正案は可決されました。 次にただいま可決されました修正部分を除く原案を表決に付します。修正部分を除く原案に賛成の諸君の御起立を願います。 〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて修正部分を除く原案は可決されました。従いまして犯罪者予防更正法の一部を改正する法律案は修正議決すべきものと決しました。 なおこの際お諮りいたします。ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成については、委員長に御一任願いたいと思いますが御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○佐瀬委員長 御異議なしと認めさように決しました。 —————————————
○佐瀬委員長 次に裁判所侮辱制裁法案を議題といたします。質疑を行います。質疑の通告がありますのでこれを許します。加藤充君。
○加藤(充)委員 先日来の政府委員の答弁によりますと、法廷の秩序がいろいろなことで乱れる。その実例としましては、一般傍聴への中に退廷を命ぜられたりした者がまぎれ込んで、いすにしがみついてどうにもならぬ、そういうことが言われておりましたが、この法律が出るならば、いすにしがみついたり、傍聽人にまぎれ込んだりしている者は、現実にとまりますか。警察がおつて、廷丁がおつてどうにもならないのを、この法律でどうしていすから離したり、まぎれ込んだりする者をひつぱつて行くのです。
○岸最高裁判所説明員 そういう事例がすべてなくなるとは思いませんが、しかしこういう法律によつて法廷の権威を尊重しなければならぬという空気を醸成することはできると思います。
○加藤(充)委員 かきの貝から身を離すのには鉄べらがいるのですが、その鉄べらは廷丁なり警備の警官隊だと思うのです。それらが万般配備されておつて、いすにしがみついたのが離れないで困るというのが、この法律が出てそれを離すに役立つというようなことには相ならないと思うのです。提案のりくつとして、何でもそこらに思い当つたものを教え立てて来ればいいじやないかというような、不見識きわまるものをここに発見するような気がいたします。あなたが重要な法廷の秩序をみだるももも例示としてあげた今の場合において、この法律はちようどかきの貝からかきの身を離すような役割になりますが、警察あるいは廷丁というようなものが裁判長の指揮あるいは要請に基いて配置されれば、それでそういう問題は済むんじやないか。一人がいすにしがみついているやつを離せないというのは、離せない方がどうかしているのじやないか。それを離れないやつが悪いということで他への方へしりを持つて来るのは不届きもはなはだしいし、こつけいもはなはだしいと思うのですが……。
○岸最高裁判所説明員 実力をもつて争つた場合にはこれはもうどうしてもやむを得ないことで、ただこの法律が出たからということでそういう現象がただちになくなるとは思いませんけれども、この法律によりまして法廷の権威、秩序を重んずるという気風を醸成するためには大いに力がある、さように考えるのであります。
○加藤(充)委員 これは取上げぬでもいいような問題なのですが、いやしくもこういう法律を立法するときには、すべてその立法の必要な事例としてあげたその事例が、われわれの了解の行くようなものになつていなければ、ちよつとふまじめじやないかと思われたから、こういうことを言つたのであります。具体的な実例についてお尋ねし、意見をただしておきたいのですが、先般大阪の地方裁判所長などを呼び出して問題になりました、大阪地方裁判所堺支部における問題でありますが、私ども現場に行つて調査いたしましたところが——私は弁護士から聞いたのですが、何でもやかましいことはやかましかつたということはあるようですが、それは決してそう大したものではなかつたらしい。ところが所長の説明にもありましたように、法廷が狭い。それに傍聽人が大勢で法廷外にあふれおつて、がやがやしておつたところが、裁判長が法廷外の者に対して退廷を命ずるとやつつけたんだそうです。そうしたら、お前らどこまでが法廷だということになつた。それで笑うやつもある。得意になつて言うやつも出て来る。そうしている間に今度はやかましくなる。そういうことになつたものだから、裁判長はとにかく退廷を命ずると言つて、人をさした。これは法廷内の人です。のぼせたというわけではないのでしようけれども、不幸にしてその名ざした男が、皮肉なことには何ら雑言を吐いたり、あるいは発言をしたりしたことのない、中で一番、だれが見てもおとなしい者に退廷を命ずると言つて、見当違いにさしずした。そうしたところがその男は騒音も立てなかつたのでしようから、まじめなだけにきまじめ過ぎて、裁判長の前に出て、私がどうして退廷を命ぜられねばならぬのか、理由をはつきり言つてもらわなければ困るというようなことになつてしまつて、ますます混乱が大きくなつて、休廷を宣した、そうしたら、そんなことで休廷を宣しないで続けてやつてもらつたらいいじやないかというようなことになつて——若い弁護士が二人ほど参加していたようでありますが、その人が廊下にまで出て行つて、いろいろ騒ぐやつもあつたようでありますが、中へ入つて続行したらいいじやないか、騒ぐのもやめておけというような仲裁をやつておつた。そういう中にいろいろとばつちりの事件はあつたでありましようが、騒ぎまわつたやつはけしからぬ、頭をなぐつたとかそでをひつぱつたやつはけしからぬというようなことの前に、裁判長があわてくさつてやつたというようなことがはつきりあるのでありまするから、これは厳重にその関係の弁護人などにも当つて価値判断をしなければならないと思うのであります。しかるに、そういうようないけない点はいけないとして、しかも至らざるを内省するというような態度が一つもとられない。威だけ高になつて、冠をかぶつて法服を着ただけでもこれはちよつと相当なかつこうであるのに、またぞろ今までの処罰規定の上にこういうふうなきわめて権力的な侮辱制裁法を出すというようなことは、時代錯誤もはなはだしいものである、こういうやり方では、裁判というものはだれに責任を負うのですか。裁判所が神聖である、法廷が神聖である、裁判は神聖公正なものでなければならないというけれども、その公正なり神聖なりというような事柄の責任は今だれに負うのです。人民に対して負うのでありましよう。これは、傍聽人というようなもの、公開の制度というようなものと関連して、そうしてこの制度的な実質が裏づけられて行くのであります。ひとり裁判所が、昔のように、雲の上やあるいは形式的な国家的な抽象的な権力の上に乗るということは断じて許されないのであつて、こういうものは、昔の菊の御紋章というようなものをでかつと正面に掲げて、天皇の裁判官だといつて、天皇の名において裁判したということの逆コースを巧妙にたどるものであると私は指摘せざるを得ないのであります。はなはだ質問が長くなりますから何ですが、たとえば先日来メーデーの人民広場の騒擾事件というものの勾留理由の開示があつた。私は現場を見ておりませんからわかりませんが、その法廷においては、ものものしく法廷の出入口まで武装警官で固めたということです。私は乗物に乗つてあのほりばたを通りましたが、なるほど相当離れた所までバリケードを築いて、相当大きい寸角の材木に鉄條網を張らせてやつておつた。弁護人が不届きななまいきなことを言つたというようなこともあなた方の御意見の中には出て来るかもしれませんけれども、そんなことをしないでもできるじやないか。そういうふうなことは、みずから公開の原則を乱し、そうして、裁判所が何に対して責任を負うかということの民主的な自治的な裏づけをみずから否認している。そうして、いわゆる警察権力、検察方面のこの行政力の行う威力というものを、みずから独立だと主張し、独立なるがゆえに神聖だとしている裁判所の中へ持ち込むようなことになりはしないかということで弁護人は退廷したようであります。これは一つの見識の問題である。午後になつて円満な話合いがついて、法廷の入口に武装警官が数名配置されただけで——きのうあたりの新聞では、数多い傍聴人の中で四名ほどの退廷を命ぜられた者があつたが、きわめて平穏に公開され、勾留理由の開示の手続が終つたというような記事が報道されておりますが、ああいうものは一体どう思われますか。
○岸最高裁判所説明員 まず堺支部のできごとでありますが、この点につきましては、この間、大阪地裁の小原所長がこの席からいろいろ申し上げてありますが、事柄の端緒となつたできごとが何であるかということが問題であろうと思うのであります。その法廷でいろいろなできごとがあつたらしく思いますが、その後大阪から書面で参りました報告によりますと、途中から読み上げますが「そのとき、土足のままで廊下の窓を乗り越えて法廷内へ入ろうとした者があつたので、これをさしとめるとともに、傍聽人に対し、法廷内において指揮に従わない者は退廷を命ずることがあるから静粛に傍聽するよう注意し、証拠調べに入る旨を告げ、証拠決定をしようとした際、傍聽人の一人が突然立ち上り、発言を求めると言つて、裁判官の許可なく、大声で、起訴状に書いてあることがなぜ悪いか、それでも日本人かなどとののしり、さらに何か述べようとしたのでこれを制したが、他の傍聽人が、発言をさせてやれ「発言が何が悪いか、発言くらいさせてくれてよいじやないかなどと口々に連呼するので、このときに、このままでは訴訟の進行はできないと察し、再度注意したが応じないので、やむを得ず退廷を命じたにもかかわらず、応ぜず、法廷内が騒然となつたので、一時休憩する旨告げて退廷し、自室に引揚げようとしたところ、法廷外にいた傍聽人が殺到し」……。
○加藤(充)委員 途中ですが……。私は、裁判所側の報告だけでは足りないということを言うのです。裁判所側の報告だけで即罪即決にやられるというようなことが問題なので、それに対して、比較的公正妥当と思われる弁護人、あるいは、そういうふうなものの証拠的な客観的な価値を持つレポートというものがなければいかぬと思うのです。裁判所の所長というような者は現場にいない。裁判長自体が現場におつた当事者だ。こういう者がかつてに何だかんだと言つてこれで処分するということはけしからぬ。そういう態度ではいけないということを私は言つておるのであります。
○岸最高裁判所説明員 堺事件の発端となつたのは、法廷においてそういういろいろのできごとが起こりまして——裁判官の立場からすれば、この報告書に書かれている事柄、これがやはり問題になつておるのであります。ですから、これの報告以外のことがなかつたとは申しませんけれども、問題の発端はここにあつたのだという趣旨で申し上げているわけであります。 それから、東京の最近の勾留理由開示の手続で、警戒を非常に厳重にいたしておりまして、いまだかつてないほどものものしい警戒をいたしましたが、やはり、最近の広島の事件、その他静岡等に相当の事件がありましたので、裁判所側としても、用心といいますか、万全を期したためにやつたことでありまして、裁判所は何もすき好んでものものしい警戒裡に法廷を開こうと思つている趣旨ではないのであります。ことに、法廷を武装化するというようなことは極力避けなければならぬことは重々わかつておりますが、これは最近のいろいろの事情がありましたためにやむを得ない措置であろうと考える次第であります。
○加藤(充)委員 裁判所は万全を期した処置をとつたんだということで、これは落度がないのかもしれません。しかし状況判断が不十分であつて、しかも万全の処置をとり過ぎた、しかもそれが状況判断を誤つたために過分な万全の処置をとり過ぎたということになれば、その裁判官はいうざることをやり過ぎたということになるのであります。しかもああいうものはだれが見たつて、いわゆる神聖ということを括弧をはずしても同じでありますけれども、法廷、司法裁判という建前からとれば、ああいうふうにまるで武装警官が鉄條網を張つて裁判所を占拠してしまうというような情景を出すということは、これはたれしもが避けなければならない、好ましいことだとは考えられないことなのであります。万全の処置をとつたといつて、とり過ぎたというようなことについての責任は一つも問題になつていない。好ましくないことをやり過ぎて、やらぬでもいいことをやり過ぎたという責任を、いかに裁判所、判事が神聖であり、職責が重大であるといつても、その妥当を欠いた判断、妥当を欠いた処置のやり過ぎ、こういつたことはやはり私は裁判所としては失態の一つに、大きく言えば数えられなければならないと思うのですが、こういうことが、この立法によれば、ますます加重されるだけあつて、本来の裁判所というものになり努めて行く努力が、これで軽視されて行く、そのことを私はおそれるのであります。 それからもう一つは、私が言いましたのは、たとえてみれば、そこで、裁判所はそういうことの万全の処置をとり過ぎたということは思われないでありましよう。またとり過ぎたということを指摘されても、認めるのにはいろいろな形でぐあいが悪いでありましよう。事実そうした場合において、それを弁護人なりあるいは利害関係人なりあるいは被告なりが、そのことを強く裁判所に抗議する、また自分のそのこととについての判断なり意見というものを強く主張する、こういうことがあつていいはずです。ところが万全の処置をとり過ぎる裁判長というものは、私は職権でやつたのだ、それに対して弁護人などに言われる必要はない、こういうようなことになつて来る。それをしいて、いや違うというようなことで論議すれば、問答無用じやないけれども、お黙んなさいというような裁判所の処置に従わなければならない。弁護人は法廷の秩序を害し、神聖を害したというようなことで、必ずやつて来る。大体いいまして、天皇の裁判官だつたというような者が、どういう態度で法律の運用をやつたか、それは制度的にいたし方ないとしましても、制度というものは自然と発展するものでも進化するものでもありません。この中には、やはりたたかれながらも、犠牲になりながらもそのことを主張するものがあつた、こういうような伝統を通じて、やはり人権の保障というものは確保されて参る、人権が保障され、充足された歴史というものは、そのことを私は内容にしていると思う。従つてわれわれの経験で言つても、天皇の裁判官であつた時代の法廷でもつて、そういう裁判官の態度なりについて、制度的ではないかもしらぬけれども、われわれは意見を述べた、あるいは強く述べ過ぎたかもしれないけれども、そういうようなものがなかつたならば、今日の民主主義あるいは人権の保障というものはどこであなた方は充足され、あるいは進歩したということが言えますか。大体において、この前も大阪で裁判所侮辱制裁法の公聽会を出張してやられた。あるいは公聽会というものでなかつたかもしれませんが、とにかく裁判所や検察庁方面の意見も聞き、弁護士会の意見も聞かれました。そのときに白井というか、名前は確かに覚えておりませんが、大阪の弁護士会の副会長か何かが、この法案の第三條にあるようなものは糺問主義に当るものであつて、それは人権の発達史、あるいは広く、一般に言つて文化史に逆行するものであると言わざるを得ない、こう言いました。そうしたら、あそこに席を並べていた大阪の地裁の判事で辻とかいう判事が、あなたはそう言うけれども、英米法にある、アメリカ法にあるのに、文化史に逆流するというようなことが言えるか、こういうようなことを言つた。これは明らかに私は裁判官としての判断なり立場なりでは断じてないと思う。そこで私は関連発言をいたしまして、そのことについて今言つたような趣旨のことを言つた。そうして私はあくまでがんばりませんで、ただ指摘しただけにとどめたのですが、こういうようなやり方が法廷に現われた場合において、われわれは弁護人としてあなたのこの態度は攻撃しなければならない。そうして被告人や依頼者の全権の保障に万全を期せねばならなくなる。そのときにあなたはお黙んなさいと言わないだけの自信があるのか。お黙んなさいと断じて言わぬか。そうしてみた場合に、自分の非をたな上げして、一方的に、被告人あるいは弁護人の発言、ときには検察官の発言すらも抑えるというようなことになる。抑える権限は一応形式的には制度的には與えられているかもしれませんけれども、手前の至らざるために正当な発言、しかもその正当というものは——発展的に、歴史的に見た場合においての判断は、単なる字句解釈ではだめです。頭が石と言われるような、世間を知らないような判事だけではだめです。六法の條文だけをいじくる技術を心得ていただけではだめです。こういうようなときに、そこに具体的に行われた問題を通じて言うならば、弁護人というものは裁判所と論争をするものであり、裁判所がお黙んなさいといつて職権をかさに着た場合に、できるだけの努力をして、あくまで職権を排撃して行くというところに実は弁護への、大きく言えば、私的な表現を言うならば、立場があると思うのであります。逆に言うならば、あくまで抗争するところに人権の保障があり、人権の擴充があり、人権の発達の歴史があつたと思うのであります。人権の発達の歴史というものは、実に抗争の歴史であつたともいわれておりまするが、こういう点で先ほどのメーデー人民広場問題の勾留理由の開示のときに万全の策を講じたためにああいうことになりましたというだけでは、私は断じて聞きのがすことはできないと思います。そういうような考え方で裁判所侮辱制裁法というものをかさに着て来るならば、まさにこれは奇代の悪法であり、逆行もはなはだしいものであり、人権を圧殺する内容を持つものだと極言せざるを得ないのでありまして、その点をあらためてお尋ねをして確かめておきたいと思います。
○岸最高裁判所説明員 この間のメーデー事件の勾留理由開示でとられました裁判所の警備、これは法廷の秩序維持という問題と裁判所の構内の警備という二つの問題があるわけであります。法廷の秩序維持の問題は、これは当該の係の裁判官が全責任を持つて行うべきものでありまして、法廷外の、裁判所の構内の警備は、これは建物の管理権者であるところの長官なりあるいは所長が、その管理権に基いて行うものであります。なぜあのような警備がとられましたか、これは当該の長官あるいは所長の判断でなされたことでありますが、聞くところによりますと、あの勾留理由開示の手続を日比谷で行つてもらいたい、あるいは共立講堂で行つてもらいたいというような要求が、あらかじめ裁判所の所長のもとへ出ておつたそうであります。所長はそういうわけには参らぬと、それを拒否しましたところ、当日は五万人からの傍聽人を連れて来るというような話があつたそうであります。やはり最近の事情から見て、法廷秩序維持の問題とそれとはまた離れまして、裁判所の警備の問題が考えられたものと思うのであります。先ほどから繰返して言いますように、どこの裁判所でもどの裁判官でも、決して法廷をものものしい警戒裡に開くということを好んでおりません。この間の広島の事件なんかを見ましても、むしろほとんど無警備の状態であつた、そういう例もあるのであります。ですから裁判所が何でもかえでも警備を厳重にして公開の原則を没却する、こういうような気持はありませんから、その点は御承了願いたいと思います。
○加藤(充)委員 私は、やや度を越えた処置というものが裁判所の実態であり、なすべからざるものをやつたんだ、やり過ぎたということで、あたりまえのように考えていたら困るということを言つたのでありまするが、そのことに対する答弁の中に、公共の秩序のために配慮されるということがあつたのであります。裁判所というところはそれこそ人権の保障の場であり、こういうときにあたつて人権の保障というものよりも公共の秩序が——それはむずかしい度合いではありましようけれども、けじめがなかなかむずかしいことなのですが、公共の秩序、公共の福祉だとかいうことになつて、基本的個人の人権を侵害されたり無視されたりするようなことになつてはたいへんだ。ここに裁判所というものの特別の責任があるのであります。従いまして今岸君が言われたように、公共の秩序のためにああいう配置があつたんだ、だからこれも万般の処置の中に入るんだということだけでは、やはり答弁がどつかに逃げ道がある。私はその逃げ道をふさがなければいけないような気がいたします。実際の問題としてはその度合いはむずかしい問題であることもよくわかりますが、あんまりばかげたことをやられて、万金の措置を講じたというようなことは、断じて逃げ口上にしてはならないということです。これじや判事というものは、権限だけべらぼうに持つてやりまくりにやつて、手前の至らざるところはたな上げするという、まつたく無責任な判事ということになる。基本人権の保障に対する真剣さを欠き——責任を重んずるということに裏づけられてこそ神聖というものが意味があるのでありましようが、職権と権限の上にあぐらをかいてしまつたような判事は神聖に値しない判事である。神聖とか権限とか、あるいは特権的な身分によつて保障するに値しない判事である。しかもそういう判事が現在の裁判所の機構制度の中に多々あることを、私は残念ながら指摘せざるを得ない。 先日でありましたか、猪俣委員が日本の裁判官の非常に清潔だということについては敬意を表すると言われました。私も大体において——このごろ少し乱れた事例も往々にして聞きますが、しかし行政官なんかに比べましたならば、日本の裁判官について、やみもしないで餓死した判事を代表にして、私は敬意を表するに決してやぶさかではございません。そういう点では猪俣委員の御意見に私は反対するものでもございませんが、悪いことをしない、潔白だというだけでは、裁判所の判事はそれで万般の條件を備えたものとは、断じていえない。法廷で鉄かぶとと、裁判所の構内の入口を鉄條網で固めたというようなことは、その裁判官はなるほど身はきれいでありましても、裁判官として妥当な、あるいは適格な能力を持つた者ではない、こう考えます。 まあ意見ばかり多くなりますが、公共の秩序のために万般の対策を講じたということについて私は意見を述べました。また質疑をいたしましたが、ひとつその点でも少し縛つておくだけの答弁が得ておきたいと思います。
○岸最高裁判所説明員 公共の秩序という言葉は私は使いませんでした。要するに法廷の秩序の維持と法廷外の裁判所の構内の警備とは違う。法廷内の秩序の維持は当該の係の裁判官の責任であります。本法案の問題は法廷内の秩序の問題であります。それからこの間のように門を固めたりするのは法廷内の秩序とは別の建物の管理権者としての所長なり長官の権限に基くものでありまして、そこはやはりはつきり区別しておかなければならないと思うのであります。これまでいろいろ法廷の警備に関して問題になつておりまして、あるいは法廷内に警官を入れたためかえつて手続きがスムーズに行かなかつた例もありました。裁判官は何度も言いますように決してものものしい警戒裡に裁判をすることを好んでおりません。ただ最近いろいろ予想外のできごとが続いて各地に起りましたので、この間の勾留理由開示の際にはあのような裁判所構内の警備がなされたのでありますが、しかし話合いの結果だんだんとそれを解いて来ておるようであります。本日なんかは前から比べるとずつと楽に通行ができるようになつておりまして裁判所としては決してああいうことを好むところではないということを申し上げておきたいと思います。
○加藤(充)委員 世の中がいろいろむずかしいことになつて来ておる、独立したとはいいながら、実質上の独立をしたとは解することができないような状態になつて来ておる。こういう状態なのでありますから、裁判所だけ一人高しとして超然とすることはなかなかできない——というと言い過ぎかもわかりませんが、むずかしいものだという社会的なあるいは歴史的なものの理解、その中で身を処し裁判をして行くという気概と態度が必要ではないかと思います。たとえばそで口をひつつかまえられて、ばかやろうと言われれば腹が立つ。なるほどそれは詳しくいえば法廷の神聖という問題になるかもしれません。しかし松川、三鷹の裁判をごらんなさい。裁判官の考え方一つで無罪になる者が死刑の宣告を受けなければならないのです。しかもその死刑の判決については、あとでとやかくの問題のあるようなものなんです。これでは被告が興奮したり何かするのを責めるわけには断じていかないと思う。こういうような問題のときに、その要件の社会的なあるいは法律的な実体、位置づけ、こういうものを私どもははつきりして、その中で被告が興奮したりしてばかやろうと言つただけで、しやくにさわることを言つたというので責めつけるのでは、私はこれは判事の方がいけないと思う。私はそういう考え方を持つています。自分の判決で大量的に死刑になる者が出る、しかもその控訴審においていろいろな問題が出て来る、こういうときに、やはり私は被告の興奮というようなもの、あるいは興奮から出て来るいろいろな言動というもの、こういうようなものは、ちよつとしたきつかけでもあれば、善意悪意にかかわらず出て来るような場合がある。これを一緒くたに、ばかやろうと言つたのはあれだ、あるいはちよつと待てと言つて服をひつぱつたのはどうだ、そこの判決をもう一回聞かしてくれと言つて悲壯な形で裁判長のところへ手を伸ばした、こういうようなやり方までも、これを全部法廷の神聖を維持するに妨害がある行為だなんということで押しつけるということになれば、裁判官は私は謙虚さが足りないと思う。謙虚さの足りない裁判官というものは、断じて裁告人に傍聽人、あるいは関係弁護人というものは得心させる判決を行うとの資格を欠く判事だといわざるを得ないと思うのであります。こういう点から見ましても、私はこの然案を出して来た意図というものは人から裏で嘲笑される。いわゆるしつかりした者だけが敢然と法廷においても、判事の目の前においても自己の信念を述べ——その反面においては不利益な判決を受けるかもしれないという危険の中に、敢然と自己の見解を、当つている場合も当らない場合もありましようが、述べる。そういうような中にこの法律案を出して来て守られると思つている裁判官裁判所というものは、実は天皇の裁判の再現になる。国民に責任をとり、国民に得心を與える、だからこの裁判というものに特別な権威を持たさなければならないという、仕組み的な、あるいは内容的なつながりというものを、私は反対の方向に持つて行つつてしまうものじやないか。しかも昂然として肩をそびやかして、なおその傾向に対して指摘し、発言するものがあつたならば、それは立ちどころに法廷侮辱制裁法にかかるということになれば、実に卑屈なものだけが、黙り込んでへいへいと言つて、いつ聞いてもあなたの御無理はごもつともな話でありますというような人をばかにした論理の中に、まつたく物も言わない、それこそへもたれない、香もたかないような秩序というものが出て来るかもしれぬけれども、そういうものの上に打立てられた権威というようなもの、これは私はあだな権威である。そういう権威は立つべからざるところの権威である。そういう権威の立て方というもの、あるいはそういうものを権威と解釈するのは民主主義に反するものである。そういうような考え方と、そういうような精神とを持つたこの立法の本質というものは、言葉の上でははつきり出なくても、本質において私は新しい主権在民の裁判所のあり方とまつたく反するものすら含むといわざるを得ないのであります。その点についてひとつ……。
○岸最高裁判所説明員 訴訟関係者の法廷内における一挙手一投足ことごとくうの目たかの目でそれを制裁の対象にしようという趣旨のものでは、この法案はないと思います。またお説のようにこの法案によつて裁判の権威というものが保たれるとも考えておりません。裁判の権威というものはやはり国民の信頼を受けるような裁判をするということによつて裁判官がみずからこれを築き上げなければならぬということも、重々わかつております。ただこのある特定の一部の人の間に、ことさらに法廷の秩序を妨害し、裁判の権威を失墜させることを意図しておるかのごとく思われる行動があるのでありまして、それが最近には法廷における暴力の行使にまで及んでおるのであります。そういうものが対象になるのであります。ですからこの法案の第二條が非常に広く構成要件が規定されておるように見えますけれども、やはり法廷の秩序維持という観点からこれをしぼつて解釈して行くべきであるというふうに考えております。
○加藤(充)委員 こういうことを言うとなまいきに聞えますが、先ほど明示したような非常な不利益を受ける、あるいは誤解であつても裁かれる者としてはいたし方ないような、それこそ期待可能性のないような状態において吐かれる——その他の発言では期待することのできないような、たとえばあなたの言われた売国奴だとか、ばかやろうというような言葉を言つて、判事を被告人がおどす。それは先ほど言いましたように、社会と歴史のこのむずかしい発展期、転換期、変動期においては、裁判官として頭ぐらい一つ飛ばされても、それを一々裁判所侮辱制裁だというような、かみしもを着た気持でのしかかるというようなこと——いつでもがまんしろというのではないけれども、そういうやり方では私は足りないころがありはしないかと思うのであります。兒島惟謙氏が大審院長として、あの当時政府方面から圧迫を加えられたあの中に、毅然として法を守つて行つたという信念とあの態度、こういうものから比べるならば、そんな見るからに教養もない、ただいろいろなことで気の毒な事情ではある、あるいは気の毒な事情もなく凶悪でやつたにせよ、学歴その他の経歴においても、年齢その他の点においてもあれだというようなもの、それが自分で不利益なことになつてはかなわぬといつたり、あるいはしろうとの悲しさに、なるべく有利に導きたいということで、わらをもつかむような気持で、やはり裁判長はわらよりも太いと思いますから、裁判長に言つたり、腹が立つて裁判長に言つたりする。そんなことは私は兒島惟謙のこうむつた大きな、あの時代の歴史的な社会的な、政治的な圧迫や干渉や、そういうようなものからの恫喝よりは、はるかに軽微なものである、質的にも比べものにならないものであるといえると思うのです。こういうような事柄について、あなた方は神聖だというならば、時局におもねらず、断固として、しかしやはり石頭で法律の解釈や立法の字句のぜんさくをしたり、あるいは時たま苦しくなると旧憲法時代の旧刑事訴訟法にどういう前例がございますなんで言つて、どつち向いているのかわからないような技術的なせんさくをやりまわしたりするようなことではなしに、もつと私は毅然とした中で、そして歴史と社会と、もつと大きく言えば国家のこの置かれている立場というようなもの、国家の将来のあり方というようなもの、これを日本の国民全体がどう考えているかというような問題、国民の全体の大体の意思あるいは福祉というようなものと離れて国家というものは抽象的には存在しないと思うのでありますが、そういうようなことについて、私は生きた裁判をなすべきである、主催者に責任をとる光栄ある裁判をなすべきである、私はここに裁判というものが神聖になる、これだけの実体を備えた裁判所はその特別な権威というものをあらゆる者から防衛されて保護されなければならない実質を持つのだと思うのであります。ところが私はいくら言つてもしかたがありませんから、最後に質問いたしてやめますが、これはいずれ裁判官弾劾法による訴追の請求というものが被請求人最高裁判所長官田中耕太郎あてに出ております。訴追委員会の方で審議するものと思うのでありますが、こういうような裁判官というものをあなたに判断を求めたり、意見を求めたりすることはむずかしいと思いますけれども、私の訴えようとする趣旨にほど遠いものではないかと思う。一例を言えば昭和二十七年一月一日発行の「裁判所時報」第九十七号に載せられている「新年の詞」の一部を指摘して読み上げますと、「わがインテリゲンチャの平和論や全面講和論くらい、その倫理的無確信を暴露しているものはない。」これはだれかが曲学阿世の徒と言つたのと軌を一にしていると思う。それからまた昭和二十六年十月十五日発行の「法曹」第三十一号の「講和と裁判官」という御意見によれば、私は御意見によればというようなことを言つて、何か自分で笑いたくなりましたが、それはさておきまして、「新憲法の精神を否定する世界観や理論を懐抱する裁判官は、如何に法律技術に卓ぐれていても裁判官として不適格である。又これに対し信念を欠き、又は懐疑的な者は裁判官として適当であるとはいえない。それらの者は少くとも高度に良心的であることが要求される裁判官として、安んじてその地位に止り得ないわけである。」それから昭和二十七年一月十日及び十一日の両日に開催された全国刑事裁判官会同における訓示の要旨によりますれば、これは「裁判所時報」の第九十八号に載つておるのでありますが、「審理の円滑な進行に努力すべきこと勿論でありますが、摩擦波乱を回避せんとするの余り、消極的退えい的態度に終始するがごときは裁判の目的の達成を不可能ならしめるばかりでなく、」云々。それから「訴訟指揮の責に任ずる者は、審理の円滑な進行に努力すべきこと勿論であります。しかし、摩擦波乱を回避せんとするの余り、消極的、退嬰的態度に終始するがごときは、裁判の目的の達成を不可能ならしめるばかりでなく、」云々というようなことを言つておりますが、こういう言説こそ、独善的というよりも裁判官として不適当な言辞であると私は思う。しかも平和憲法下の最高裁判所の長官なり裁判官として、まことにこれらの文書によりますれば、好戦的な挑戦的な言論をやつておるのでありまして、平和論あるいは全面講和論が、「真理への不忠実と倫理的無確信を暴露しているもの」なんということを言う者は、これはもう、大体においてこれ自体が私は政治運動に該当するものだと思うのです。それからまたがつてに国民を色わけして、自分の好ましい者と好ましくない者とにわける、こういうようなことを言うのは、国民に対するとんでもない圧制でありますし、また全国の裁判官に対するこれは基本的な人権の蹂躙もはなはだしいものであると思うのであります。大体このようなことを言いますと、この法案の立法理由なり、あるいは第一條のこの法律の目的にある点と関連して、「威信を保持し、司法の円滑な運用を図ることを目的とする。」というのでありましようが、これはいずれにしてもよろしいとして、こういうような最高裁判所の長官みたような者がおれば、波乱摩擦を回避せんとして努力するというようなことでなしに、こういうような権力を與えられた以上は、権威主義でびしびしやれ。円滑なというようなことを考えているやつは、消極的な判事で、判事として適格を欠くのだ、どしどしびしびしやつつけろというようなばかげた暴論になると思うのであります。勇ましく見えて、そうしてそのびしびしやるということ、これはむしろ裁判の本質を乱すものである、そうしてこういうような長官の方針というようなものが、——これは裁判官は独立でございましようけれども、日本の裁判所の中に、あるいはひいてもつて裁判の中に、あるいは裁判の手続や裁判の運営の中に、こういうようなことが瀰漫して来れば、これはとんでもないことに相なると思うのであります。こういうものは被告側が裁判の神聖を害するとか、傍聽人が害するとかいうりよりも、裁判所の中に、裁判官の中に、裁判の神聖というもの、また神聖を実質的に権威のあるものとして行くというような努力にまるきりつばを吐きかけたような者がおるということ、こういうことを厳重に考えないで、そうして傍聽人だとか、あるいは被疑者だとか、あるいは被告人であるとか、あるいは参考人、証人というようなものだけを一方的に押えつけるというようなことは、とんでもない間違いだと私は思う、大体において法廷の構成というものは、裁判官が中心になるのでありましようけれども、しかしそれは、決して法廷の裁判の実質的な中心ではあり得ないと思う。法廷の中心というものはやはり法廷の当事者である。裁判官は裁判官としての職責があり、法廷の運営については権限もありましよう。しかしながら裁判官、検事、弁護人あるいは被告人、これと主権在民の原則に立つて、公開の原則の充足ということで、傍聽人、これすらも実は近代的な民主的な法廷の構成の重要なる要素であり部分であると私は思うのであります。しかるにこれらの法廷の権威、裁判の場としてのこういう法廷の権威というようなものを維持すると言いながら、判事、裁判官、こういうような者だけに特権を與えて、それで特別に防衛して、ほかの者に対する不当な制裁まで——不当と言つては言い過ぎでありましよう。それは取消しますが、制裁まで科して、判事みずからが、先ほど重々申し上げたように、この法廷の権威、あるいは裁判というものの民主的なあり方というもの、それを何とか実現して行こうとする円滑な運営というようなものに水をひつかけるようなやり方をする裁判所がある。これはほかの委員からも言われましたけれども、一々の法廷の指揮あるいは訴訟の手続の運営についても、具体的には、私ども寡聞な者でありまするけれども、一、二の例をあげるには少しのひまも要しません。すぐにあげられますが、大体検事、弁護人あるいは傍聽人、裁判所、そのほかに被告人がおりましようが、こういう者が、お互いに法廷の権威をそこなわした、してはならないことをやつたというときには、裁判官は公権の独得なものは持つておりましようが、法廷の権威を妨害した、あるいは乱したということが他に起きたといたしまするならば、これは対等にやるべきである。裁判官だけが特別に高いいすの上にすわつて特権で守られるというようなこと自体が、私は近代的な法廷の神聖と権威を維持するやり方ではない、考え方ではないと思います。ずいぶん長くなりましたが、最後のことでもありますので、意見を求めるのは無理かとも思うのでありまするが……。
○岸最高裁判所説明員 先ほど来のお言葉のうちの、長官に関する部分は、これは私から申す筋合いでもございませんからお許しいただきたいと思います。法廷の秩序維持の問題は、まことに御説の通り、ことに新しい制度のもとにおける訴訟手続が、当事者主義的になれば、訴訟の手続は当事者にあることは当然なのであります。ですから当事者がほんとうに訴訟法上の責任を十分に盡すということは、むしろ法の理想としておるところで、つその限りにおいては、何ら裁判所侮辱とかなんとかいう問題は起り得ない、また起るべきはずがないのであります。たまたまごく特殊な場合に、ことさらに法廷の秩序を乱すという行為があつて、初めて本法案の対象とするような行為に対して制裁が加えられることになるのでありまして、しかもこの制裁を加える者、すなわちこの法律を運用する者は裁判官でございまして、裁判官が公開の法廷で衆人環視のもとにやるわけでありますから、その運用を誤れば、そうして非常識な運用に陥れば、その裁判官はやはり判事としての適格を疑われることになりますので、そういう点で、これが裁判官を独善に導くというおそれもそうなかろうと考えるわけであります。
○加藤(充)委員 昨日の質疑応答の中で、第四條の裁判所侮辱にかかわる事件の裁判のことであります。この裁判は「決定でする」というのでありまするが、決定でするにいたしましても、私どもは弁護人の選任というものが許されなければならない、許されなければならないというよりも、弁護人の選任を除外する、それを認めないというような内容であつたならば、それはやはり基本人権あるいは人権保障の立場から、私は憲法違反のものではないかという質問をいたしましたが、ほかの委員からもございまして、そのときに、そのことについては、この法案には触れてないのであつて、第八條の最高裁判所の定める規則によつてそのことが明確にされるのだというような趣旨の御答弁があつたと記憶いたします。どうも私どもはその答弁では得心が行きかねるのでありまするが、この際あらためて責任のある御答弁をひとつ承つておきたいと思います。
○野木政府委員 昨日の答弁におきましては、弁護人がつかなければ、この裁判所侮辱にかかる事件の審判はできないかどうかという点に重点を置いて申し上げましたので、やや響きが強くなつたかとも思いますが、この法案といたしましては、もちろん裁判所侮辱にあたる行為をした者が弁護人に依頼してその援助を求めるということを全然除外しているという趣旨ではございません。その具体的のことは裁所規則に譲つておる、そういう趣旨でございます。
○岸最高裁判所説明員 昨日お尋ねがありました裁判官の定員の問題ですが、昭和十九年は判事が合計千二百二十三名、昭和二十七年の五月二十日現在裁判官の定員は二千八十八人、そのうち終戦後採用されたものが八百十八人であります。
○佐瀬委員長 本日はこの程度にとどめ、明日午後一時より会議を開きます。 本日はこれをもつて散会いたします。 午後三時二十九分散会