懲罰委員会 第14号
- 発言数
- 17 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1952/06/18
会議録
○眞鍋委員長 これより会議を開きます。 議員風早八十二君懲罰事犯の件、議員林百郎君懲罰事犯の件、右両件を一括して議題といたします。 昨日の委員会に欠席の委員もおられますから、念のため申し上げます。昨日この両件につきましては、田淵君より、いずれもこれに懲罰を科すべきものとし、国会法第百二十二條第二号により、公開議場における陳謝を命ずべしとの動議が提出され、また梨木君からは、両件はいずれも懲罰事犯にあらずと決すべしとの動議が提出されまして、これを一括討論に付し、鍛冶良作君の討論があつて、他の討論を経ずして散会いたしました。 本日は引続き討論を継続いたします。梨木作次郎君。
○梨木委員 私は日本共産党を代表して、議員風早八十二君並び林百郎君に対して、公開議場における陳謝を命ずべしとの田淵君の動議に反対し、私が提出いたしました両件はいずれも懲罰事犯にあらずとの動議に賛成のための討論を、これから行わんとするものであります。 風早八十二君の懲罰の対象となつおるものは、去る五月六日に、メーデー事件に関連いたしまして、政府に質問を行つた。この質問が、提案者の理由によりますると、虚構と捏造、荒唐無稽だというのであり、これによつて国民をして故意に警察官に対する反抗心を助長さしたことなどが、議院の品位を傷つけ、秩序を乱したということになつておるのであります。そもそも五月一日のメーデー事件というのは、これは五月一日のメーデーに際しまして、この主催者側であるところの総評から、人民広場の使用を政府に申し出ておつたのであります。ところが、この人民広場の使用に関連いたしまして、政府は何ゆえかこれを禁止したのであります。この禁止に対しまして、総評側からこれは不当であるからといつて、裁判を提起いたしました。その裁判の結果、政府が使用を禁止したことは不当である、これは使用させるべきであるという判決が下されたのであります。私はこの判決はきわめて注目すべき内容を含んでおるので一、二その中から援用したいと思うのであります。 「上に説明した皇居外苑の管理運営に関する国の基本方針、見たままの皇居外苑の状態、皇居外苑の性格の変化等に徴して考えると、皇居外苑の本質は、どこまでも、公共の用即ち主権の存する国民一般の用に供してあるという点にあつて、これを国民的集会や行事のために使用することはその本質に適するものであるといわなければならない。」と指示いたしまして、メーデーというものは、新憲法下におきましては、勤労者が勤労の喜びを歌い、団結の力を誇示するための年に一度の祭典である。だから、かかる公共的なものには使用させることが適切であると言つておるのであります。すなわち「新憲法のもとにおいては、国民はもはや臣民ではない。国の主権者である。そしてその国民の大部分は勤労者である。憲法は勤労者の地位をごく重くみている。憲法第二十七條は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」と規定し、その第二十八條は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」と規定している。その第二十一條、第二十五條も主として勤労者に関する規定である。わが国は勤労者中心の国家といつて差支ない国柄になつたということができる。実にわが国は、勤労者が栄えることによつてよく大をなすことができるのである。それは国民主権を支柱とする憲法からいつて当然のことである。かような国柄にあつて、勤労者が、毎年五月一日を期して勤労者の団結を固め、その威力を示すために、平和のうちに集会及び示威行進を行うことは、当然憲法第二十一條の保障する集会や表現の自由に包摂ざれることはいうまでもないが、更に勤労の尊厳についての勤労者の自覚を促し、それに対する一般国民の尊敬を高める意味において、公共の福祉にも適するものということができる。」こう言つておるのであります。かように、人民広場を使用させることが、公共の福祉に適合し、日本は勤労者が栄えることによつて日本の国が大をなすという、かような国柄に新憲法下においてはかわつて来たのであるということを言つておるにもかかわらず、政府は、旧憲法下におけるところの封建的な考え方で、この人民広場の使用を禁止した。このことが、いかに憲法と法律を無視するところの違法な行為であつたかということを、われわれはまず念頭に置かなければならないのであります。 そこでかかる不当な処置を政府が行つた五月一日の明治神宮外苑におけるメーデーにおきまして、ここに集まつた五十万の労働者はどのような決議をしたでありましようか。ここに集まつた五十万の労働者は、(「ほらを吹くな、二十万」だと呼ぶ者あり)政府がこの人民広場の使用を禁止したことは不当である、この不当に抗議し、あくまでも人民広場獲得のために闘うということを、このメーデーにおいて決議しておるのである。そうしてこの人民広場ヘデモ行進をすることは、各組合の自主的な行動にまかせるということも、実行委員会において決定しておつたと私たちは聞いておる。こういたしまするならば、政府があの人民広場ヘデモ行進をやつたことが、これが暴徒であるというようなことを言つておること自体が、すでに今日の国家における勤労者の地位というもの、そしてまた示威行進をする憲法の保障した基本人権に対する考え方というものが、まつたくこれを無視するところの考え方に出発しておるということを指摘しなければなりません。 この点に関連いたしまして、風早君が、人民広場に向つてデモ行進をしたということ、そうして、ここにおいてこのデモ行進を行つたことを、正当な権利の行使であると言つたことについて、自由党の諸君は盛んに毒づいておる。私はこのこと自体が、いかに自由党の諸君が憲法を無視する考え方に出発しておるかということを指摘せざるを得ない。なぜならば、諸君はあるいは言うかもしれぬ。これは公安條例というものがあつて、この公安條例でちやんと指定したところの場所しかデモ行進はできないのだ、指定以外のところを行進することは、これは公安條例違反だと言うのかもしれない。しかし諸君、すでに公安條例については、京都におきましては、地方裁判所が公安條例は憲法の示威行進の自由を制限、禁止するものであるとして、これを違法である、違憲であると指摘しておるではないか。この観点から見ましても、諸君が言うこの公安條例などというものは、まつたく憲法違反の法令であるということをわれわれは指摘する必要があると思うのであります。(「あばれる危険が明らかだからとめてやつたのだ」と呼ぶ者あり)そういうことは、かつてはできないのである。 しかも彼らは、風早君が、武装警官を配備しで、━━━━━━━━━━しておつたという、この言葉をとらえて荒唐無稽だと言うのであります。ところが五月二日の法務委員会におきまして、田中警視総監はこう言つておる。「当局側といたしましては、これらの暴徒と、繁華街におきまして、町の中において乱闘をいたしますることは、一般の通行人等に非常な死傷者を出したり、あるいはその他の物件に損壊を来し、あるいは非常な損失を来すようなこともありますので、こういう点を考慮いたしまして、皇居前の広場に入れまして」、——いいですか、これをよく聞いてください。「皇居前の広場に入れまして、乱闘をいたしたような次第であります。」こう報告しておるのであります。それからこれは、このメーデー事件がありまして相当の時日がたつたあとで発表されたのでありますが、「中央公論」六月号で、実際あのメーデー事件を目撃した人の報告であります。中村カメラマンというのが書いておるのであります。これに何と言つておるかと申しますると、これはデモ隊が皇居前広場に入つた後のことを描写しておるのであります。「デモ隊は歩調をとつて、歌もうたわず、整然と進み、独立祭……。」(「うそを言うな」と呼び、その他発言する者あり)君ら勝つつもりなら静かにしなさい。「整然と進み、独立祭に使う舞台をさけ左へ廻り、二重橋前で止つて、休憩し、解散を待つてるような恰好だつた。橋際の交番の巡査が電話で連絡を始めた。新しい電話線が二本引いてあるのが目にとまつた。デモ隊が到着したことを報告した後、人数を聞かれたのだろう、非常に多数だというような答えをしたとき、一般市民の中から、「百万だ、百万だ」とどなつた者があつた。二重橋前は、柵の内に皇宮警官が一人いるだけで、デモ隊は柵際まで到督し、隊伍も解け、緊張をゆるめた様子で、旗を振つたり歌つたりスローガンを唱えたりしていた。十分間くらいそんなふうにしていると、南側の方からヘルメットを被つた警官隊が出て来て道の左端を通つて柵際へ進んだ。と、いきなりデモ隊に襲いかかつた。アツという間もない出来事で、私はビツクリしたが、もう目の前は乱闘で、催涙弾が投げられ、デモ隊側は次第に押されて行つた。」こう書いてある。それでちよつと中略して、「この時の状況は誰も予期しておらず、不意をうたれた恰好だつた。この混乱の中で実弾が発砲され、逃げまどうのに追いかけて、更に発砲があつた。二時四十分だつた。一般市民から、お上りさんの老人夫婦や子供連まで巻き込まれ、なぐられていた。老人達はピストルの発射とは即座に判断もつかず、女子供はただボンヤリしているだけだつた。お上りさんのおばあさんが、ワアワア泣いていた。デモ隊に対しては一番先に女がねらわれた。頭を割られる、腰をかかめている者は腰から、脇腹をやられたが、外傷はないにしても、内出血して後から死ぬ者も多数出るにちがいない。」こう描写しておるのであります。(「赤のばかり読んでるじやないか。」と呼ぶ者あり)そこでこれは諸君のすきな警視庁の発表であります。私はこれはきつと内輪に報告したものだと思いますが、ピストルの発射数が七十個、それから催涙弾、これは諸君毒ガスですよ、毒ガスというものは戦争でも使用してはいけない。この毒ガスであるところの催涙弾を七十三発発射した、とこう報告しておる。これは警視庁でも認めておる。 諸君、こうしてピストル、催涙弾が発射され、この人民広場にはかくして労働者高橋正夫君の死体が残されておつたのである。同君の死体解剖の結果によりますと、背中の第十肋骨から撃たれて、胸の第六肋骨に貫通し、即死したということが診断されておるのであります。これは諸君、明らかにうしろから至近弾によつて撃ち殺されたことを物語つておるのであります。また学生近藤巨士君の場合は、担当のお医者さんの話によりますと、安静にしておるならば、三週間ほどでなおるはずのものであつたというのであります。しかるに病院の厳重な抗議にもかかわらず、長時間の拷問にもひとしい尋問が行われております。諸君、この瀕死の重傷者に対して無理やりに拇印をとつたり調書をとつたり、長時間の取調べをするということ、これ自体が拷問であると思う。一体こういうことが人道上許されますか。この結果、この学生近藤巨士君は死んで行つたのです。諸君、こうして少くとも二人の若い生命が奪おれたこと、これは動かし得ない事実です。自由党の諸君は、この二人の生命が奪おれたこの事実までも虚構であり、捏造であるといつて抹殺しようとしているのか。(「そんなことはたれも言つていないじやないか」と呼び、その他発言する者あり) しかも国民大衆は、この二人は警察官が殺したのであるといつて憤激し、抗議しておるのである。風早君はこのはげしい国民の怒りを代表して政府に質問したのです。諸君、この生命の尊重、これを除いて一体民主主義はありますか。自由も人権もすべて生命の尊重のためにこそ存在しておるのではありませんか。国民の生命、財産を保護すべき警察官が、国民の生命を犬ころよりもむぞうさに取扱つたといたしますならば、これこそ最も重大な自由と人権に対する侵害であり、これこそが民主主義の危機ではありませんか。諸君、これを取上げて政府の責任を追究することは、これは国会議員の当然なさなければならない権利であり、義務ではありませんか。諸君はこれを懲罰しようという、これは明らかに民主主義の否定であり、自由と人権に対する否定ではありませんか。諸君といえどもこれくらいの道理がわからぬはずはないんだ。寅はわかつておるはずなんだ。それにもかかわらず、諸君は懲罰しようとしておる。私はその魂胆は、いうまでもなくメーデー事件の真相がこの国会の討議を通じて内外に明らかにされ、特にこの警察の行つた暴逆が国民の前に暴露されることを諸君は恐れているんだろう。それゆえにこそ、諸君は国民周知の事実までも虚構だ、やれ捏造だ、やれ荒唐無稽と称して、風早君の口を封じようとしておるのじやないか。しかしながら諸君、諸君がいかに耳をおおうても——こういうことは耳をおおうて鈴を盗むたぐいだ。メーデー人民広場における警察のあの血迷つたところの乱暴狼藉、これを現実に見せつけられた国民は、どう言つております。異口同音に警察の正体というものを初めて知つたと言つておる。そうして憤慨し、非難と抗議に立ち止つておるのです。この事案は、何よりも雄弁に風早君の演説が国民の怒りと抗議を代表しておる証拠であると私は思う。「共産党以外に騒いでないよ」と呼ぶ者あり) 私は、次に林君の懲罰の問題に移ります。林君の懲罰の対象になつておる演説というのは、これは去る六月の七日のいわゆる日華條約の反対討論、これがけしからぬというのであります。ところで私は、この提案者であるところの佐々木盛雄君に質問いたしまして。あなたは林君の懲罰の趣旨弁明にあたつて、六月七日の林君の演説と関係のない共産党はもはや非合法化すべき段階に達したなどと言つて、共産党の政策全体を非難攻撃しておるが、一体あなたは共産党そのものを懲罰にしようと言うのか、こういうことを聞いたところが、彼は何と答えたかと申しますと、いやそうではない、しかしながら林君の演説全体を私は懲罰の対象にしておるのだと言う。ところが林君の演説は、諸君も速記録をお読みになればよくおわかりのように、あれはいわゆる日華條約に反対する、この反対することが眼目であります。この反対の理由といたしまして、吉田外交は、今や━━━━━━━━━━━━━とか云云、また諸君が━━━に国家の権力によつて政権の座にいすわろうとするならば、国民は━━━━━━━━━━━━━━━━━だろうこう言つた。ところがこういうような林君の演説につきましてこれは部分であつて、全体そのものが懲罰なんだということをはつきり彼は告白しておる。こうなりますならば、これはとりもなおさず、国会におけるところの反対党の共産党の反対討論そのもの、政府を非難攻撃するところの言論そのものを否定せんとする懲罰であるということを、彼自身の趣旨弁明の中からはしなくも暴露されておるのである。こうなりまするならば、諸君は盛んに民主主義だとか、あるいは議会政治を口にいたしまするが、反対党の言論を封鎖し、反対党の一切の言論を懲罰によつて抹殺せんとするこのやり方こそが、民主主義と議会政治の破壊であるのであります。これは諸君も公然と言つておる。(「本会議では君のところが一番討論をやつておるじやないか、それが民主政治じやないか」「共産党が討論に出ない日はないじやないか」と呼び、その他発言する者あり)出ればかんじんなところはみな抹殺されておる。(「えてかつてなことを言うな」と呼ぶ者あり)この林君の反対討論、こういう反対討論を懲罰にすることも、これがまた無理だということも、諸君はわかつておるのです、だからよく突き詰めて行くと、いや反対討論そのものではなくて、例の馬丁外交がいけないのだとか云々と言うにきまつておる。佐々木盛雄君は少し飛び上りじやないかと思う。これが演説全体だと言い出したことによつて、自由党の諸君は、実はもう共産党を抹殺したい、それをはしなくも暴露したのだ私は思います。そ(「れは君の解釈だよ」と呼ぶ者あり) ところで、なぜこういうように林君の反対討論全対を懲罰にかけようとしておるかというと、この魂胆は、やはり私が先ほど風早君の場合にも指摘したように、実は日華條約の正体、これがまた国民大衆の前に明らかにされることが、吉田自由党政府は恐ろしいのである。こういう條約を結んだならば、日本国民が心の底から望んでおるところの平和と独立がまつたくふいになりまして、実はまた中国を相手の戦争は、しかもそれはアメリカのしかけた戦争に日本国民を使おうとするような結果になつてしまう。このことを国民大衆に暴露されると諸君は恐ろしいから、これはいや馬丁外交だ何だかんだと言つて、ここに口実を設けて、そうして国民の前から林君の言論を封殺し(「前提が違うんだよ」と呼ぶ者あり)抹殺しようという、これが林君の懲罰に至つた諸君のねらいではないか。 そこで私は諸君に言いたい。諸君がこの風早君の演説並びに林君の反対討論を国会から抹殺しようとすることは、実は私はこれこそが、破壊活動防止法を国会の中でもうすでに実施しようとしておることであるということを、指摘しなければならぬと思う。諸君は過般衆議院におきまして、破壊活動防止法を可決いたしました。この破壊活動防止法は、いうまでもなく国民から思想、言論の自由一切を取上げて、国民の思想を統制し、国民に箝口令をしこうとするものであることは疑う余地がありません。ところがこの破壊活動防止法は、国会の中では惜しむらくは━━諸君にとつて惜しむらくは、憲法五十一條によりまして、国会内におけるところの議員の言論には適用できないのである。そこで諸君が懲罰によつて、国会内の言論、思想の統制、弾圧をしようというのが、そもそも本件の懲罰のねらいではないか。破防法に対しては、三百万人の組織労働者が日本の歴史にかつてなかつたゼネストに立ち上り、この粉砕のために闘つておるのである。学生、学者、知識人、文化人も一斉に反対しております。また、破防法の正体がだんだん国民にわかるにつれ、最も広い範囲にわたりて国民の各階層を動かし、反対の機運がますます熾烈になつて来ておるのである。かかる破防法の反対の輿論こそが、とりもなおさず破防法の国会版であるところの本件の風早、林君の懲罰に対する反対の声でもあるということを、諸君は銘記すべきである。人民広場で日本の警察が使用したピストルは、アメリカのピストルではなかつたか、このピストルで日本人の血が流されたんだ。(「白鳥事件はだれがやつたか」「ソ連製じやないか」と呼び、その他発言する者あり)諸君は、この暴逆に抗議する日本国民の代表を懲罰しようというのである。これは日本の国会が、日本国民の国民ではなく、アメリカ帝国主義の翼賛議会に堕落することではないか。(「心配しなくてもいい」と呼ぶ者あり)私は諸君に訴えたい。諸君がもう一度日本人的な良心を呼び起して、(「何を言うんだ」と呼び、その他発言する者多し)日本の国会の自主性と、日本の民主主義と、日本の独立と平和のために、かかる不当な懲罰に私は反対されんことを切望いたしまして、私の討論を終ります。
○眞鍋委員長 石田一松君。
○石田(一)委員 私はただいま議題になつております田淵君の出された動議に反対をし、梨木君の動議に賛成する討論をしようとするものであります。 第一は、私は運営委員会におきましても、議員の行つた直接の行動が懲罰に値するというような場合には、これは相当厳罰に処すべきである、暴力行為に対してはやらなければならぬという主張ですが、過去の長い帝国議会からの議会の歴史を見ましても、議員が正当に議長から発言を許可されて壇上で発言したその発言内容が、不穏当であるとか、あるいは時の与党を刺激したというような観点から懲罰に付せられた例は、まつたく一、二にとどまつておるのであります。数十年来そうであります。にもかかわらず、特に新しい憲法が制定され、国民の基本的人権の中でも最も尊重されなければならぬ、民主主義の根本原理ともいうべき国民の発言の自由、言論の自由、その最も強度にこれが用いられなければならぬ国会の演壇において発言したその発言内容が云々、しかもその発言の内容が、事実無根であるという確信もあがらないのに、一方の言葉のみを過信して、反対側の言葉が事実無根であるという判断のもとに、懲罰に付するということについて、非常に私は遺憾に考えておるのであります。(発言する者あり)遺憾の意を表するのであります。 しからば私は、ここにまず風早君の問題、この発言内容についてちよつと検討してみたいと思うのであります。風早君の張る五月六日の本会議における発言のどこに不穏当な言葉があり、懲罰に値いするものがあるということであります。と申しますのは、正式の風早君の本会議において発言した内容を立証するものは、速記録でなければならぬのであります。しからば、ここに速記録の写しがわれわれに資料として提出されておるのでありますが、その第一ページのまず冒頭に、「傍線の部分は速記録より削除」としてあるのであります。さて傍線の部分をこの速記録から削除して、以下風早八十二君が去る五月六日本会議で発言した内容を検討してみますと、どこが懲罰に値いするのか、たとえば「武装警官をこの広場に配備し、━━━━━━━━━━━━━のであります。」そうなつております。「自由を行使した後に散会した……」。(発言する者あり)「自由を行使した後散会したに違いない。しかるに、宮城側にすでに待ち構えていた数千名の武装警官隊は、」ということになりまして、「婦人といわず、子供といわず、片つぱしから━━━━━━━━━━━━━━━━━ほしいままにしたのであります。」と、これがどうして懲罰になるのか、必要なところ、不当と認められるところは、すでに議長の職権におき、あるいはその場で諮つたことによつて、速記録から削除されて、公式なる発言の記録というものは、全然不穏当でないものとして記録に残つておるのであります。それにもかかわらず、(発言する者あり)それにもかかわらず——一たびこの発言内容が不穏当であると言つて議長が取消したこと自体が、すでに議員としては最も不名誉とする懲罰の一種であると私は考えるのであります。そうしてあるならば、この速記録は全然不穏当でない発言内容として残つておる。しかも五月六日の風早君の発言内容は、この速記録によるより以外に証拠がないのであります。だとするならば、私は懲罰の対象にはなつていないと思う。発言は取消されておるということであります。議長の職権において取消されているということであります。にもかかわらず、これを後日取上げて……(発言する者あり)今自由党委員諸君がおつしやることは、常識論としては成り立ちます。しかし人一人を——いやしくも国民何万を代表しているところの議員の身分に関係する懲罰問題、こういう場合には、少くとも厳密な証拠によつてこれが論議されなければならぬ。感情論等でなされてはならぬ、こういう私は観点に立つのであります。 しかも私はこの際、もし風早君の五月六日の発言内容の傍線の部分を、速記録より削除しないでこれをもし全部読んだとしたならば、どこが不穏当であるかというのであります。もし議員としてこの発言が懲罰にされなければならないものであるならば、ただいま梨木委員から証拠としてあげられました六月号の「中央公論」の中村カメラマンの談、並びに高見順氏のこの記録などは、ただちにこれは刑法上の問題として取上げられて、議員以上に、これは国の法律によつて処罰されなければならぬ。そうなると、この風早君の言つたことが国会法のどこに抵触するかということであります。私は……(発言する者あり)私は言いたい。こういう言論の自由を国民以上に……(発言する者多し)委員長はもう少し静粛にさせろよ……(発言する者あり)聞いてから言え。私は、憲法によつて、より以上に言論の自由を保障されている国会議員の方が、成規の手続を経て発言した内容、その内容より以上に、まだ自由党の方に言わせれば不穏当だと思われることが、国会議員にあらざる一般国民の中から発言されていることは不問に付されていて、特に言論の自由を保障され、身分まで保障されているところの国会議員の発言が——一般国民の発言よりもう少し穏当である不穏当でない、もう少し程度のやわらかい、そのやわらかい方が国会ではこれが懲罰になる。これではまるで諸君は、多数をもつて、国民の間にそういう議論が起きているから、それと似通つたような議論を国会で発言した者に対して、これを懲罰に付する。この矛盾をどう解決なさるのか、私にはそれがわからないのであります。 しかも私はこの際……(発言する者あり)この際私は、こうした「中央公論」とかあるいは「改造」とかあらゆる……(発言する者あり)うるさいな。新聞雑誌等におきまして、メーデー等のあの五月一日の事件が、われわれが知るより以上詳細なる事実のルポタージユなどというものがなされているのであります。私は、こうしたことに対して国民の多数が、いずれがほんとうなのであるかという疑惑を抱いていることは当然だと思うのであります。その立場に立つ立たないは別として、一方的になつたかもしれませんが、風早君がこのメーデーの真相というものを、政府を追究してこれを国民に明らかにしようとした、その言葉の内容に少々不穏当があつても、国民代表として、国民が知ろうとしているところを追究しようとした、そのことについて、発言の内容が少しばかり不穏当であるというので、これを懲罰にするというに至つては、今後しいたげられた一部国民の利益を代表して発言する国会議員は、時の多数のためにこれを懲罰にさせられて発言を封ぜられる、こういうことに結果づけられることを私は非常におそれているのであります。このことが、私が今回の風早君の懲罰に反対する第一の理由であります。 もう一つの林君の懲罰に至りましては、まつたくこれは言語道断であります。この速記録の削除してある傍線の部分を全部読んでみたところで、どこが悪いのでありますか。たとえば「━━━━━━━━━━━━━━━━━」(発言する者あり)当然であります。これはひとつもおかしくないことであつて、馬丁の馬丁になり下つているのであつたらこれが懲罰に値する。何がこれがいけないのだ、ただその一箇所棒線が引いてあるのでありますが、これがどうして懲罰に値しなければならないのか。(「品位のある言葉をもつて言わないからだ」と呼ぶ者あり)これは、先日の本会議において林君の懲罰動議を出されたときに、林君が一身上の弁明をした際引用しましたが、皆さんの党の長老である植原悦二郎先生が、外務委員会において、はつきりと岡崎外務大臣に対して腰抜け外交だと言つて非難をされた。それと、━━━━━━━━━━━としているというのと、どつちが下品であるか。むしろ━━━━━━━━━━━━としているという方が、腰抜けというよりかよほど上品な言葉だ。しかも、腰抜け外交、ふぬけ外交と、いうような、自分たちの政党の長老の言つた言葉はそのままうのみにしておいて、━━━━━━━━━━━━としておる——しかもなり下つたと言つているのじやない、なり下ろうとしておると言つているのだ。共産党なるがゆえに、これをとらえて懲罰にするなどというに至つては、私はその常識を疑わなければならない。これは与党側、特に吉田内閣のとつておる外交政策のほとんど全部が、国民の大多数に肯定されていないということであります。しかも、最も必要な両條約の根幹をなす行政協定などは、国会の審議にも諮られておらぬ、だれにも諮られておらぬ。要するにこれは政府の一存、外務省の一存においてなされているということであります。そういうことに対しての憤懣が、国民にある。なるほどそれは、共産党の一議員が発言した言葉の内容ではあるけれども、少くともこれは多数の国民がそう考えていることなのであります。それを発言したからといつて、しかも吉田政府の外交が「━━━━━━━━━━━━━━━━━」と言つたことをとらえて懲罰にするというに至つては、これは言論の府であるのか、懲罰の府であるのかまつたくわからないということであります。(「その通り」「暴力をもつて押しつぶすというのがある」と呼ぶ者あり)それから「実力」という言葉が最後にあります。私は申し上げるのをあとにしようと思つたのですが、最後に、「日本人民は━━━━━━━━━━━━━━━━━よりほかにしかたがない」という言葉があります。しかし、「実力をもつて」という言葉がただちに懲罰に値するとは私は考えられません。たとえば、労働組合がいよいよ何日に実力行使をするというのは、これは暴力をやるというのではない。要するに、国民が法律上与えられているところの最大限度の最後の線をもつて、合法的に闘争をするということの実力の行使なのであります。そういう考え方もあるということであります。それなのにかかわらず、「実力をもつて」と言つた言葉が、暴力によつて吉田政府を引きおろすのだというように解釈されるということ自体も、これは共産党の議員であるからというので、そう解釈されておるのであつて、これが一議員が発言しておるという観点に立つならば、そこまでの飛躍した解釈は成り立たないと私は思うのであります。 そういたしますと、この二つの案件は、少くとも飛躍に飛躍を重ねて——先般動議を説明されました提出者佐々木盛雄の言葉の中にも、林君のこの発言は不穏当な箇所が一、二箇所ありますが、その一、二箇所じやない、発言全部が懲罰に値するのである、しかも林君は共産党を代表して発言された言葉であるから、われわれとしては共産党全部をこの際懲罰にしたいのであるが、それができないから、ここで発言者一人をこの際やる、しかしわれわれとしては、もうすでに共産党を合法政党として残すという意思はないのだ、こういうことを発言されておる。そうすると、あの方は、自由党の代表として懲罰動議の説明をなさつたのでありますから、自由党全部——与党も内閣閣も全部含めて、共産党を非合法化するという前提のもとに、この懲罰動議をなされているということであります。だとすると、これは思想に対するところの懲罰であるということであります。発言の内容のいかんを問わず、共産党を非合法にするのだ、だからこの際懲罰にするということであるのでありますから、これは思想の取締りである、こういうことにも解せられるのであります。 特に私がこの際皆さんの注意を喚起したいと思いますことは、この出された田淵君の動議なるものが、先般川上貫一君になされたときの——川上君の場合は、この懲罰委員会はこれを除名にしようと思つた。ところが、輿論あるいは国会の空気等から見て、除名ということは何としても行き過ぎであるというので——御承知のように懲罰の罪には四段階がある。公開議場における議長の戒告、その次が陳謝文の朗読、その次が登院停止、その次が極刑の除名であります。この極刑の除名にしようと思つたら、何としても除名にならぬ。であるならば、懲戒罰の順序とすれば、その下の登院停止の極刑三十日と、いうことが至当であるにもかかわらず、どうしてか、もう一つ罪を軽くなさいまして、二番目の、公開議場における陳謝文の朗読というところへ飛躍して、罪を軽くなさいました。その軽くなさいましたことは、共産党の党議で、川上貫一君には陳謝文の朗読はやらさないという議決をしたことがわかつたので、陳謝を命じた。そうして陳謝文を読まなかつたから、これは院議の無視であるからというので、再び逆もどりしてこれを除名にしたのではないか。こういう不都合千万な、懲罰をもつてあそぶのではないかと疑われるようなやり方、田淵君の懲罰動議の、国会法第百二十二條の第二号の、公開議議場におけるところの陳謝を命ずるというに至つては、再びあの川上貫一君の除名の線をたどろうとする陰謀であるというふうに判断しても、決して考え過ぎではないのであります。この際多数の諸君が、ほんとうにこれを懲罰にしなければならぬと思われるならば、この公開議場における陳謝文の朗読よりか、むしろ堂々と、この二人の者を登院停止の一番重い三十日の登院停止にしたらどうでしよう。(「反対したじやないか」と呼ぶ者あり)反対しない。それならば賛成する。ここに陰謀があるから、田淵君の動議に私は反対する。公開議場における陳謝文の朗読ということにしたのは、登院停止三十日にしても、あとこの会期は余すところがない。三十日としても、もう五日か六日会議が延長されても、一週間か二週間で閉会になつてしまうから、この懲罰の効果がうまくあがらない。それではだめだから、またその下の、軽い陳謝文の朗読ということにされているのだ。このことが懲罰のもてあそびであり、これがいけない。この際、皆さんがほんとうに正しくこの懲罰の順序をお考えになるならば、むしろその上の登院停止をおやりになるべきである。(「理由を言え」と呼び、その他発言する者多し)理由は今盛んに言つているじやないか。(「君は懲罰に反対だと言つているではないか」と呼ぶ者あり)もしやるならば、と言うのだ。 そこで私は、ここに大きな問題を申し上げておきます。それは、先般六・六記念とかいうので、また騒ぎがあるといわれましたあの六・六は、御承知のように一昨年六月六日、国会議員であつたところの共産党の大勢の議員が、行政的処置によつて、選挙によつて選ばれた国会議員の身分を剥奪されたのであります。その当日を記念した六・六事件である、こう思うのであります。そのことから、川上君の除名、そこにまたいろいろ党内事情もあつたことと思いますが、中西君のいわゆる脱党問題、これらの問題を控えまして、今日おそらく共産党は、議院運営委員会等において、いわゆる団体交渉権的な団体の一つの数であると常識的に今日われわれの認めておる二十名の線すれすれであるということであります。二十名に現在とどまつておるということであります。すなわち、二十名いろが、この二人を懲罰にすることによつて、しかも陳謝文の朗読を本会議でやらないということになれば、これが院議の無視である、この情況によつて、一人は登院停止であるが、一人は除名ということになれば、共産党は交渉団体の数二十名を一名割ることに相なりまして、十九名に相なるのであります。十九名になつたら、二十名にいかに一人足りないのでも、これは小会流であつて、この共産党にどなたかほかの議員が一人加わつて二十名にならざる限り、今までのような発言は、全部共産党から奪われるということであります。そのことを諸君がねらつていると思われても、これは決して一言もないところじやないか、私は、そういう陰謀をこの懲罰の陰には含んでおると思う。このことを考えたときに、私は実にこれは大きな問題だという考え方から、この陳謝文の朗読ということは、川上君の前例もあることであるし——これは共産党においては、まだ今回については議決されておらぬと思います。共産党がもしきのうにでも、けさにでも——私は知りませんけれども、陳謝文の朗読は絶対にせぬということを、党議で鉄則のごとく議決されているとしたならば、これはもう除名が確定したということになるのであります。前例があるのであります。私はそのことについて非常に憂えますので、田淵君の出されたところの、この懲罰動議に反対したのであります。 しかも私たちは、この際、党の事情を申し上げるのではありませんけれども、このお二人の懲罰事案を懲罰委員会に付するということについては、それが罰せられるかどうかは別問題としても、懲罰動議を委員会に付するということについては、党議がまとまつていたのであります。これがまとまつていて、去る日の懲罰動議の提出の説明並びにそれに対する一身上の弁明のあの現状を見まして、しかも懲罰動議を提出した方は、言いたいほうだい何十分もやつてのけ、今罰せられるために懲罰委員会に付せられるいわば被告の立場に立つ者に対しては、一身上の弁明に行き過ぎがあるというので、二人が二人とも十五分、二十分で打切られて、一身上の弁明を許されていないのであります。そういう不都合な行き過ぎを見たときに、わが党の出席議員約三十名ばかりの者は、全部こぞつて、これでは賛成できぬといつて、党議で賛成すると決定していたのに、だれ一人この動議の委員会付託には承知しなかつたのであります。この本会議場の姿を見ても、私はこれは少し行き過ぎがあると考えるのであります。この際こうした私たちの党の良心的なところもお考えになりまして、よろしくこの田淵君の動議は撤回されて、まず審議をやり直しするか、さもなければ、どうしても今日ここで可決してしまうというのであるならば、私は田淵君の動議に反対して、梨木君の動議に賛成せざるを得ないのであります。 以上、私は討論を申し述べて、私の党を代表した意見としてこれを終ることにいたします。
○眞鍋委員長 一言申し上げます。昨夜も申しましたごとく、君子は悪言を放たずということがあります。御静粛に論議を運めていただきます。不規則の発言はお慎みくださるようにお願いいたします。 石井繁丸君。
○石井委員 私は、ただいまの田淵君の動議に反対、梨木君の動議に賛成するものであります。以下簡単にその理由を申し上げたい。 御承知の通り講和條約が発効いたしまして、占領軍の制約が解かれた後において、国民の常識あるだれもが考えるのは、講和によつて制約が解かれたので、共産党はその兇暴性を大いに発揮して、国内のいろいろなる撹乱工作をやるだろう。これに対しまして、一方日本の保守的勢力は、この共産党の凶暴的行動にこれを奇貨おくべしとなしまして、そうして日本の持つたところのフアツシヨ的傾向の擡頭するというふうなことを案じておる。つまり国民の常識ある者は、講和條約発効、独立を契機としまして、日本における左右両翼の非常に暴力的なる擡頭があるということをおそれて、そのことに対して冷静に処して、この八千万の日本の国民の将来を善処して、世界における大きな文明の前進に寄与いたしたいというのが、国民の大多数の考えであろうと思うのであります。こういうときにおきまして、いろいろな問題ができると、共産党はその立場上、今までの独自性を、コミンフォルムの批判等によりまして放棄しまして、そうして国際革命の一環としての任務を果そうとする。これに対しまして自由党におきましては、これらの言動等に対しまして、大いに強力に反対いたそうというふうな傾向が強くなつて来る、こういうふうに思われる。 私、ここで一言申したいのは、共産党が当時のコミンテルンの勧告に従つて、国体変革ということを入れたときにおきまして、これは日本の共発党は日本の国情を知らざるものである、これによつて大きな弾圧の好餌を与えるであろうと考えたのでありますが、当時の政府としましては、国体の変革というのを掲げたのを絶好の好餌として、共産党の追究に当つて、日本の国民が無條件天皇支持でありましたので、それに便乗しまして、私有財産の否定あるいはその他のことから、あらゆる自由を剥奪するようになつたのであります。この当時私たちは、共産党というものは公認してもそう心配ないだろう、これを認めておいて、彼らに自由に論議をさせる、こうしますれば、日本の国民はいつかその思想を評価するであろう、こういうふうに考え、こう論議しておつたのでありまするが、共産党は秘密結社として地下にくぐつた。そうして二十年、徳田球一君が刑務所から出て来た。こういうことによつて、共産党の徳田球一君が、実力以上にその威力を発揮しまして、何か国民の英雄のように迎えられた、こういうような姿が現れた。つまり日本の国民の言論に対するところの批判性あるいは反省というものの秩序が、徳田球一をしてある意味におきまして——言葉があるいは失礼になるかもしれませんが、力以上に評価せしめるというふうになつた。徳田君が出て来て、そうして演壇の下で禿頭を振つてやじつておるというこの姿を国民から見ると、共産党の徳田球一というのはおもしろい男だというぐあいに軽く評価してしまう。今度また地下に追われたということになれば、また何か徳田球一が先芒を放つて見えるという形になる。つまりここが一番大事なところなんである。日本で共産党が合法政党として地上に出た。初めは民主主義を論じたので、日本の国民の多くは、共産党は民主主義の政党と考えた。あるいは自由党でもそう考えた人が相当おつたと思う。これはまことにナンセンスだ。共産党が、スターリンのあらゆる著述、あるいはレーニンの著述、あるいは共産党宣言等に準拠しまして、革命のためにとろうとする行動がどういうものであろうかということは、もう一貫してはつきりわかつておる。しかしながら共産党が民主主義だといつて、戦後何か民主主義の旗手のようにデビユーすると、これに幻惑されて、共産党の本体をつかみそこなつた。しかしながら、幸いに共産党がいろいろと供出の問題とか、いろいろな問題において共産党の本領を発揮してくれたので、初めて自由党や、あるいは一般国民も、共産党というものはこういうものだということがよくわかつて来たのです。よくわかつたというが、実はもともとこれが共産党の革命の方式なんだ。革命のあり方というものは、共産党であろうが、あらゆる革命団体というものは、大体方式は同じだ。北一輝の中国革命史論等を見ましても、レーニンの国家と革命の方式と、ほとんど同じことを言つておる。 そこで日本としましては、今後国際的にいろいろなうずが巻くときにおきましては、いろいろな論議が沸くかもしれない。しかし国民の大きな本流というものは、こういういろいろな主張を消化して、そうしてこれを批判して行く。メーデーの皇居前広場におけるところの共産党のあの問題、これはどういう意図であつたかということを考えて、これを冷静に批判する。これを共産党がどういうように考えているか、議会の発言を通じまして、これを冷静に批判をする。こうしまして、あらゆる民主主義を逸脱する思想を克服するということが、今後日本としまして非常に重大であり、日本の民主主義が発展するかいなかということは、一にここにかかつておろうと思うのであります。こういうことから考えますると、風早君やあるいは林君が議場で述べるこれらの言動は、やはり共産党の一つの世界観、革命観というものを述べておるわけでありまして、これに対しまして、他の政党は、共産党がこういうことを考えておる、これが民主主義であるかどうかということについて、あるいは国民にこれを訴え、あるいは国民にこれをよく了解させまして、そうしてこれを消化して行くというふうにいたすことが、日本の民主主義の発達、民主主義に力をつけるところの根本の原因ではないか。共産党におきましては、プロレタリアの独裁ならばそれはさしつかえないというような考えを持つておるようでございますが、天皇陛下の独裁であろうと、プロレタリアの独裁であろうと、神様の独裁であろうと、独裁は悪いという信念を国民に強く植えつける。そうして民主主義を守るために、いろいろな共産党の行動等によつて、また国民が教えられる。こういうふうな過程をとられまして、国民の批判力を高めるということが、大いに必要ではなかろうかと思うのであります。今後いろいろな問題が起きて来る。それに対して共産党としての考え方も議場等において述べさせて、国民に批判の機会を与える。また共産党の意見等を開陳させ、また共産党の主張の一端を述べさせる機会を与えるというようなことは、大局から見まして、日本の民主政治を大きく発展せしめ、国民に民主主義を体得せしめるために、非常に重大なことではないかと思うのであります。 私はこういう立場におきまして、ああいう大問題、メーデー等をとらえまして、共産党が率直にその意見を述べる。あるいは今度の中国との條約につきまして、吉田政府に対しまして、彼らはアメリカ一辺倒で、アメリカの奴隷になり下つたと、共産党がこの條約を批判する。そのことはまた、彼らがロシヤ一辺倒であり、ロシヤの奴隷になり下つたような傾向があるのではないかという批判を、国民に十分に与えるところのチヤンスにもなるわけである。こういうふうな非常に歴史的な意義のある発言というものは、やはり議場において十分に述べさせて、そうしてこれを十分に消化するということが、日本の幅の広げられたところの今度の国会、今後の国会における重要問題ではなかろうかと思うのであります。お互いに感情にとらわれず、十二分に冷静に問題を処理する、こういう見解におきまして、われわれは共産党のこの発言に対しまして懲罰をするということは、これは議会政治の発展、民主主義の発展のためにとるべからざるところである。なるほど不穏当の言辞も多い。腹の立つこともある。しかしながら、もともと民主主義に対しましては反対の立場をとるところの共産党でありますから、民主主義を考える各位から見ると、がまんのできない場面もあるのであります。しかし、こういういろいろな言葉があるというのが、議会政治の特徴である。こういう立場におきまして、私は田淵君の動議に遺憾ながら反対し、梨木君の動議に賛成いたすものであります。
○眞鍋委員長 これにて討論は終局いたしました。 採決いたします。採決は各件ごとに順次行います。 初めに、議員風早八十二君懲罰事犯の件につきましては、懲罰事犯として懲罰を科すべしとの意見と、本件は懲罰事犯にあらずと決すべしとの意見がありますので、まずこの件について採決いたします。本件は懲罰事犯として懲罰を科すべきものと決するに賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○眞鍋委員長 起立多数。よつて本件は懲罰事犯として懲罰を科すべきものと決しました。 次に、本件について国会法第二十二條第二号の規定により、公開議場における陳謝を命ずべしとの動議に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○眞鍋委員長 起立多数。よつて本件については国会法第百二十二條第二号により、公開議場における陳謝を命ずべきものと決しました。 次に、議員林百郎君懲罰事犯の件につきまして採決いたします。本件についても、これを懲罰事犯として懲罰を科すべしとの意見と、本件は懲罰事犯にあらずと決すべしとの意見がありますので、まずこの件について採決いたします。本件は懲罰事犯として懲罰を科すべきものと決するに賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○眞鍋委員長 起立多数。よつて本件は懲罰事犯として懲罰を科すべきものと決しました。 次に、本件について国会法第百二十二條第二号により、公開議場における陳謝を命ずべしとの動議に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○眞鍋委員長 起立多数。よつて本件については、国会法第百二十二條第二号により、公開議場における陳謝を命ずべきものと決しました。 次にお諮りいたします。ただいま議決いたしました両君に対する陳謝の文案につきましては、いずれも委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」「反対」と呼び、その他発言する者多し〕
○眞鍋委員長 石田一松君。
○石田(一)委員 ただいまの陳謝文案の件を委員長に一任するという委員長からの提案でございますが、これは衆議院規則二百四十一條「公開議場において陳謝をさせようとするときは、懲罰委員会は、陳謝の文案を起草し、その報告書と共にこれを議長に提出する。」こうなつておるのであります。なるほど、この委員会が多数でもつて委員長に文案の起草を一任するということも、前例において多々あることでありますが、元来はこの懲罰の陳謝の文案を起草することは、この委員会自体の職責——懲罰にするかしないかを決定すると同時に、この文案の起草も、これは委員会の職責であるのであります。そういう点から考えまして、先ほども私が討論の中に申し上げておきました通りに、この陳謝文を読まないことによつて、院議の無視という、また新たなる懲罰が提出され、それによつて除名ということに相なつた前例もありますので、この陳謝文案の起草ということこそ、慎重にやるべきである。決定した以上は、もちろんわれわれは決定されたことに異議を申し上げるというのではありませんが、文案の起草については、一応われわれの意見も、文案の起草に際して申し述べる機会を与えてもらいたい。そういう意味から、この委員会において小委員会というようなものをおつくりくださいまして、そこで決定するように、しかもこの小委員会は、もちろん私は満場一致でなければならぬなどということは申し上げません、もちろん多数でけつこうです。数の比率によつてわれわれが入れないこともあるかもしれませんが、やはり小委員会の制度で、案文起草小委員会というふうなものをこの際つくられて、そうして審議されることをお願いいたします。
○眞鍋委員長 ただいまの石田一松君の御意見に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○眞鍋委員長 起立少数であります。 それでは、あらためてお諮りいたします。ただいま議決いたしました両者に対する陳謝の文案につきましては、いずれも委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○眞鍋委員長 御異議がなければさよう決します。 なお、両件に関する委員会の報告書の作成は委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○眞鍋委員長 御異議がないようですから、さよう決します。 本日はこれにて散会いたします。 午後一時二十二分散会