海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
- 発言数
- 84 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1952/02/05
会議録
○小平委員長 これより会議を開きます。 この際御報告いたします。先日委員会におきまして委員長に御一任願われましたジユネーヴで開かれておる国際連合の俘虜特別委員会に対する懇請状を送る件につきましては、去る二日の理事会において案文及び送達方法を協議いたし、同日外務省を通じて国際連合の俘虜特別委員会に伝達いたしました。一応文章を読み上げ、報告申し上げます。 貴国際連合引揚に関する特別委員会の今日に至る積極的な御努力に対し衷心より感謝の意を表明する。 日本国民は終戦後七年に及ぶ今日なお未解決な引揚問題が貴特別委員会の活動により、一日も速かに解決し、留守家族に希望と光明を與えられるよう今後とも格段の御盡力を期待して止まないものである。 なお、本問題の実情調査のため貴特別委員御一行の御来朝を切に御願い申上げる。 昭和二十七年二月一日 日本国 衆議院海外同 胞引揚及び遺 家族援護に関 する調査特別 委員長 小平 久雄 国際連合引揚に関する特別委員会委員長 ホセ・グスタヴオグレロ博士殿 なおわが国より派遣されました代表に対しては、 御一行の御活躍を感謝し、御奮闘を祈るこういう電報を打つておきました。 —————————————
○小平委員長 次に硫黄島戰沒者の遺骨調査に関する実情を聴取することといたしますが、その前にお諮りいたします。 硫黄島戰沒者の遺骨調査につきましては、現在和智恒藏君外二名が現地において調査にあたつておられますが、これに関し、先月三十日に各新聞社の報道班の方々がその実情を視察されて帰つて来られたのでありまして本日その視察に参加された方々より現地の実情をお聞きするため出席を願つたのであります。本日御出席を願つた方々は 朝日新聞社 社会部記者 宍倉 恒孝君 毎日新聞社 社会部記者 福湯 豊君 読売新聞社 社会部記者 窪美万壽夫君 漫画家の那須良輔君及び近藤日出造君であります。 以上五名の諸君を、硫黄島戰沒者の遺骨調査に関する実情を聽取するため、本委員会の参考人として決定するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小平委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。 —————————————
○小平委員長 参考人各位のお話を承ります前に一言ごあいさつを申し上げます。各位には職務御多忙のところ、特に本委員会の要請に応じて御出席くださいまして、委員長として厚く御礼を申し上げる次第であります。報道を任とせられる各位は、その練達新鮮な感覚と技倆をもつて、文筆絵画を通じて、すでにその視察の大要を社会に御発表に相なつておるのでありますが、今日ここに国会を通じてなまなましい御観察談をお話くださることは、戰沒英霊並びにその遺家族援護の立場より特に時局柄意義あることと存じます。本委員会は遺家族援護の立場より、本日硫黄島戦没者の遺骨調査に関する実情聽取の件を取上げたのでありまして、各位におかれましては、御視察の状況をあらゆる角度より忌憚なくお話くださるようお願い申し上げます。なお御発言はお一人約十分間以内でお願い申し上げます。 最初に宍倉恒孝君のお話を承りたいと思います。
○宍倉参考人 私が見て来ただけのことをかいつまんでお話します。もともと私たちが硫黄島へ行くということをきめたのは、昨年来硫黄島が白骨の島だとか、あるいは遺骨が野ざらしになつてころがつているというようなことが伝えられました。それで、そういうことを聞かれて遺族がどんな気持になるだろう、われわれが一ぺん見て来ようじやないかというので、今度和智さんが硫黄島に参りまして、慰霊祭並びに実情調査をやると聞きましたので、それを機会に硫黄島へ行つたわけであります。 まず飛行場へ着いて聞いた話では、無名戰士の墓が東海岸にできているということでありました。それで急いでそこへ行つたのですが、途中の道路はすでにアスファルトの広い幅のきれいな道ができておりまして、その両側にはねれの木がおい茂つておつて、私が七年前にいたときとすつかり趣をかえてしまつておる。自動車で十分ぐらい行つたと思うのですが、その間内地で聞いておつたような状況、つまり白骨がころがつているというのは一つも見なかつたわけであります。無名戰士の墓には、現在あそこで作業をしている高野建設で約八十体ほど遺骨を見つけて埋葬してあるそうです。その前にいた西松という建設会社の人たちもやはり埋葬したそうですが、その数は全然わかりませんでした。いずれにしてもあそこで二万人の方がなくなられて、遺骨があるに違いないと思つたのですが、無名戰士の墓には非常に少ししか埋葬されていないということがわかつたわけです。それからずつとアスフアルトの環状線に沿つて、北海岸の方に向つて、将軍洞窟といわれる栗林中将の率いる師団司令部のあつた洞窟を見たのですが、これも深さが非常に深くて完全に中まで入つて行つて見るということはできませんでした。それから少し離れた小さな洞窟の中に、しやれこうべが二つと、それからそのそばに足の骨と肋骨と思われるようなものが草むらの中にありたわけです。そのほかに防毒面だとか飯盒だとかがやはりころがつておりました。それから西海岸に出まして南へ下つたのですが、その途中もやはり白骨は見なかつたわけです。それから最後に摺鉢山のほら穴へ行つて見た。ここは非常な激戰地と伝えられておつたのですが、ほら穴も非常に大きな、大きいというよりも長いものがあつたわけです。これの中にやはり入つて行つたのですが、まつ暗で、懐中電燈をつけておつたのですが、途中に地雷だとか火薬だとか、危険物が非常にたくさんあつたわけです。これは前もつて硫黄島の米軍の司令官も、あぶないから入らぬ方がいいと言うておつたのですが、私たちとしてはどうしても一ぺん見ておきたいというので、相当無理をして入つて行つたわけです。ところが亜硫酸ガスだとか、あるいは約三十度くらいになる地熱だとかで、苦しくて普通の装備のままでは入つて行かれないということがわかつたので、引返して来たわけですが、私の聞いたのでは、さらにその辺ですでに遺骨が五つ、六つあるのを見た方もあるわけです。しかしさらにそれから奥の方へ数十メートルか数百メートル入つて行くと、もつとたくさんあるはずだという話を、島の建設会社の人が話しているのを聞いたわけです。それで伝えられたように、遺骨がそこいらに雨ざらしになつて、人の目の触れるところにころがつていないということはわかつたのですが、収容されている数というものが非常に少いわけです。それではどこに遺骨があるのかといいますと、そういつたほら穴の中の非常に深いところ、これは出入口がふさがれたり、あるいは空気穴がつぶされてしまつて、生埋め同様になつてなくなられた方の遺骨が中にあるのじやないかと思うのです。そのほかに、あそこは砂漠のようになつた砂地が南部あるいは中部にあるのですが、そういうところに死体のままあつたのか骨になつて、強い風に吹かれた砂で埋められて行つているのじやないかと思われるのです。もう一つは、非常にあそこにねむの木を初め、ほかにも木があつたのですが、これは二、三年前にはえ始めたというのですが、すでに一丈くらいにたけ高く伸びておつて、密林になつておるわけです。そういう人が出入りしないところに、草の陰に隠れてあるのじやないかと思います。従つて相当な人員で、経費をかけて本格的な作業をすれば、ある程度の数を発見することができるという感じをしたわけです。しかし遺骨の名前がわかるというような手がかりになるものは、おそらくわからないのじやないかという感じを受けたわけです。簡單ですが、遺骨に関するお話は一応これで終ります。
○小平委員長 ありがとうございました。 次に福湯豊君にお願いいたします。
○福湯参考人 向うの地図の下の矢じるしの書いてあるところから米軍が上陸したのでありますが、あの砂浜に立つて私たちが感じたことは、あそこの砂が真黒なんです。それでわれわれを案内してくれた米軍の軍曹に、これはどうしてこんなに砂浜が黒いのかと聞きましたところが、初めは白かつたのだろうけれども、猛烈な艦砲射撃と爆撃で、その破片が砂にまじつてこんなに黒くなつたのだという説明をしておりました。戦争が済んで七年もたつのに、依然として砂の色がまつ黒であつたということは、いかにここにたくさんの砲弾がぶち込まれたかということが想像できるのでありまして、硫黄島の激戰のありさまがしのばれたのであります。この浜にはいまだに上陸用舟艇だとか、あるいは戰車などの残骸がありまして、小銃弾だとか軍靴だとか、あるいは飯盒といつたようなものは、発見しようと思えばいくらでも見つけられるというような状態で、整理などということはそういうところには及んでいないようでありました。宍倉君が説明されたように、それからまず無名戰士の墓にもうでて、将軍洞窟に行つたのでありますが、この将軍洞窟は長さが四千メートルもある通路が迷路のように入り組んでおつて、とうてい全部を見きわめるということは不可能でありました。こんなに迷路が入り組んでおれば、思うにおそらく爆風が妙なふうに——簡単な壕だとすぐ突き抜けてしまうのだが、その被害がはげしいために、このようにいろいろと入り組んで掘つてあるのだと思うのですが、その将軍洞窟の奥の方で、私は落磐のように天井が落ちておるところにぶつかつたんです。これはおそらく爆風が妙なふうにやつて来て落ちたんだと思うのですが、その落磐と落磐との間にはさまつて、やはり遺骨がぼろぼろになつた軍服をまとつたままあるのを私は見ました。私は増田という記者を一人連れて行つたんでありますが、その前で二人でその遺骨に向つて思わず合掌したのであります。その将軍洞窟を出まして、環状道路を車で走らせている間にも、洞窟の入口というのは随所にぽかりぽかりと穴をあけているのでありまして、それを一々調査する時間もありませんので、遺骨の詳細は見きわめることができませんでしたけれども、車をとめて一つに入つて見れば、必ず人骨あるいは骨となつた兵隊が持つていたであろうと思われる飯盒だとか軍靴だとか防毒面というものが、至るところにころがつておりました。摺鉢山の下の洞窟は、これは洞窟のうちでは一番規模が大きいのでありますが、この中は、先ほども宍倉君が言つたように、追撃砲弾だとか地雷だとか、それを身につけて敵の戰車などに体当りしたいわゆる肉迫兵器がごろごろしておつて、それが七年も日月がたつているために、信管がそのままむき出して、ちよつと手を触れるとすぐ爆発するというような状態なので、非常に注意してくれと案内の者からも言われ、米軍の司令なども、道路以外のところには立ち入てはいかぬと言われたくらいでありましたが、そこに入つて行くのにみなたこ糸を長くしまして、それを握つて中に入つて行きました。足がじやりじやういうので、案内人にこれは何かと聞いたら、これは骨が小さくなつたその音だというようなことを言つておりましたことを見ても、やはりこの洞窟でいかにたくさんの兵隊が戦死したかということがうかがわれるのでありました。この洞窟は何十メートルも何段階にもなつて深く掘つてあるので、底の方はとても息苦しくて入つて行けない。われわれが入つて行つたのはせいぜい二段階ぐらいだつたんでしようけれども、汗びつしよりになつて、とても息苦しくなつた。そういう状態なので、その底の方はむろん見きわめてはおりませんけれども、おそらく兵隊たちが軍服を着たまま中で死んでいるのではないかというような気がしたのであります。この洞窟は摺鉢山の向うにも抜けているといわれているのでありますが、よほど大規模な調査団か何かで調査しない限り、その全貌を見きわめ、遺骨を全部収容することは不可能じやないかというような気がしたのであります。 私の話は簡単ですが、これで終ります。
○小平委員長 ありがとうございました。 次に窪美方壽夫君、お願いいたします。
○窪美参考人 島におりましたのが八時間半、九時間足らずでありますので、いわゆる見た目の範囲というものは限られております。私のところは福岡記者というのが別に行きまして、これは最初からほとんど行動を共にしないで、別に歩いたわけであります。私は五時間ばかりはみんなと一緒に歩きましたが、あと三時間ばかり自分だけで歩きました。その関係で、幾らかずつ違つた範囲になつております。それから帰つて来て新聞を書いたり何かして、いろいろの人が尋ねていらつしやる。中に生き残りの方で、その洞窟で玉砕したといわれたあと半年、それから十箇月ぐらいいられて捕虜になられた方が二人ばかりいらつしやいました。そういう話を補足して、最初は摺鉢山の洞窟というものの構造、それからどうしてあんなに深くなつたか、まあ私は一番下まで行かなかつたのですけれども、いろいろの疑問がありましたのでただしたのですが、現在でも危險で入れないという一つの理由として、あの島に行つた武器のうち、手榴弾が非常に粗悪なもので——粗悪といいますか、唐津燒の素燒のこぶし大の壷に火薬がいつぱい詰まつておりまして、それのちようど発火場所がマッチの頭だけ差込んであるものだそうであります。それでほとんどさわれば爆発するというような手榴弾だつたそうです。それが七年間穴の中にあるから、ふんづけただけでも爆発するんじやないか、それが危険な理由の一つなんです。それから穴の深さが常識ではわからないのです。というのは、もう入つた所から四十度以上の急角度で、それからまたすぐ右に曲り左に曲るというありの穴よりもつと複雑に曲つていて、これが結局なまなかの穴では、艦砲射撃や何かの爆風だけでも中にいる人は耐えられない。それで穴の中に入りますと、すべて至るところに横にほこらみたいに両側にいつぱい掘つてあります。そこへ身を隠すと、爆風は通路を通つて助かるという仕掛になつておりまして、中に入ればやはりその一つずつのほこらのようなところに骨が散らばつているわけであります。だからこの危險物をどかして、それからその穴の途中でふさがつたり何かしたのを掘り起して、全部の穴を探すのには相当な労力と金がいるわけなんでしようが、やはり相当量の遺骨がそこにある、そういう感じがします。これは摺鉢山の下の洞窟ばかりを十六回、毎回二時間か二時間半ぐらいだそうですが、危険物をとるなり、あるいは危險物をよけるなり、ずつと作業している人がいるわけなんです。その人が案内人に立つてくれたので、その話から行くと、下の方に行くほどに遺骨の数が多くなつて行くそうです。だからさつきも穴倉さんや福湯さんが言つたように、島そのものを見た目には何もない。ないというよりは、島を大きくわけて三分の一が飛行場、三分の一がねむや何かが生えた灌木地帯、それから三分の一が砂漠、そういつた岩山地帯ですから、飛行場にはないとして、灌木地帯の中というのはまだ地雷がそのままに埋めてあつたり、あるいは危險区域だから、人が入らないままにおいたために繁つてしまつたという地域でありますから、この中には、密生林を片づけて行けば相当やはり遺骨は出て来るものと思います。それからこれは私と一緒に行きました福岡記者が全然別のコースをとつて歩きながらぶつかつたほら穴ですが、あのまん中辺の南側に五名山というのがあります。五名山の方から海岸に出て来る途中に、きのう見つかつたばかりというほら穴がありましたので、その日本人労務者に案内されて行つて見たそうです。そこには、これは写真記者も一緒に行つたのでありますが、それでとりました写真が、入口だけとつたのですが、ほとんど頭蓋骨はありませんが、到るところ骨で埋まつておるのであります。これは新聞にものをつけましたから、ごらんになつたと思います。それでこの穴は、最初入つたすぐのところに円盤地雷ですが、あれが角のところに置いてあつて、写真をたくとき、もしかしてちよつとの熱で破裂したら困るというので、あわてて三枚だけとつてこわくなつて出て来たそうです。そういうふうにまだ発見されないほら穴は相当あるのじやないかと思います。事実私たちが行つた前の日、二十九日に発見された穴だそうです。どうしてこんなに穴がめちやくちやにあいておるのかという感じ、これは生き残つた人に聞いたのですが、最初栗林中将の司令部から中隊ごとに中隊を収容できる穴を掘つてくれということで、それが今度中隊ごとでは収容するだけは掘れないので、今度は小隊ごとに掘ることになつたそうです。小隊ごとが今度は分隊ごとになつた。つまり安全をはかるためには、もつと幾つにもわかれなければならない。分隊ごとになつたがために、一つの穴は幾筋にもなり、その穴はまたほかの小隊や分隊につながり、結局迷路のようになつた。それから最後のいよいよ島が沈黙する——敵が上陸して来るまでに相当に爆風を受けるので、穴はどんどん深くなつて来る。そういう関係で、実際にあそこで戰死した数というものもはつきりわからないのではないか。サイパンがおちたのは十九年七月ですが、そのころにサイパンに逆上陸するというので、あそこへ盛んにその要員が上りまして、一時は三万人を越したということになつております。それから敵が、アメリカ軍が上陸して来る前に、これは海軍の人ですが、司令部へ連絡に行つたとき、栗林中将の洞窟で聞いた話として、伝聞ですが、二万八千人はおつたということでございました。実際に現在復員局で聞きますと、二万人ということになつております。われわれは普通二万二千、あるは二万三千といつて記事に書いておりますが、実際数というものは相当上まわるのではないか。これはもちろん部隊が少しずつわかつてくればあるいは総合できる数かもしれません。そういうことを聞きました。その二万人が現在どこにどういうふうに埋まつておるのか、その遺骨を集めるという場合には相当の時間と努力がいるのじやないかと思いました。 これで終ります。
○小平委員長 ありがとうございました。 次に那須良輔君、お願いいたします。
○那須参考人 ほとんど前の方が話されましたのですが、アメリカのトラックを一台出してもらつたおかげで歩く時間というものがなく、トラックの通つた道路というものはアスフアルトづくりのりつぱな道路でありますし、おり立つたところが無名戰士の墓、次は将軍の洞窟というように転々と行つた関係で、遺骨がそこいらの密林の中にあつたにしても、私たちはそこを素通りしたようなかつこうで行つたわけなんです。 初めに無名戰士の墓に行つたときに、あの近所もやはり相当な砲撃を食つたらしくて、土に砲弾の砲片がいつぱい散らばつていて、私も相当拾つて来ましたけれども、帰るときに忘れました。大体一寸ぐらいの大きさの砲弾で、ほとんどまつ赤にさびまして、地べたがさびでまつ赤になつているというくらいで、まだ現在残つております。その近所は新聞にも出ましたけれども、ちようど日本で言うとくずのつるみたいなのに大きな——ここに持つて来ておりますが、豆がいつぱいなつているわけです。これは兵隊が気違い豆と言つていたそうですが、食糧不足になつてこの豆を非常に食べたところが、発熱をしまして気がおかしくなる。あとでごらんになつてちよつと試食されてもけつこうですが、非常においしそうな豆であります。これが現在非常にたくさんなつております。こういうものを見まして、兵隊たちがこういうのを食べたのだなとその当時のことを思いました。 それから次の将軍の洞窟の方にまたトラックに乗つて行きまして、私たちも新聞記者の方のあとから洞窟内に入つたのですが、さつきも話された通り、非常に中が暗くて、懐中電燈をともしましてもぼんやりしてよくわからず、手探りで行かなければならぬというような状態なものですから、私と近藤さんは途中から引返して出て来たわけです。その前は野生のバナナとかパパイヤとかがいつぱい茂つて、今でも大きな青い実をつけておりました。そちらの方へ行つて私たちはパパイヤなどをスケッチしておりましたところが、そこにたぬきの穴みたいな穴がありまして、そこから先に入られた記者の方がひよつこり出て来られました。みんなずいぶん変なところから出て来たと思つたのですが、そういうふうにしていろいろな迷路がたくさんできておるのじやないかと思つたわけです。そこら一帯はねむの木とかパパイヤとか野性のバナナとか、たいへんなジャングルみたいになつております。そういうところを詳しく探したら、まだそういう穴がたくさんあり、遺骨もあるのじやないかと思いました。 そこを過ぎまして摺鉢山の洞窟のところに行つたのですが、そこの穴の入口にも骨がありました。私はそこらをスケツチしながら、その穴の周囲の草むらを歩いておりましたところが、やはりしやれこうべが一つあるし、またそこに足の骨とか脊髄の骨などがくずれておりました。しやれこうべは砲弾で半分になつておりましたが、私は足の骨に刺しまして持つて来て穴のところに置いたのです。あとで近藤さんはスケッチしておりましたが、実は私が置いたのです、その骨のあつたところに弾薬箱が一つ半分に腐つたのがありまして、二九式重機関銃と明記してありましたから、機関銃弾の入つた箱だつたと思います。その横にしやれこうべなど骨があつたので、機関銃関係の方の骨じやないかと思つたのです。その箱の下あたりは内地の松葉ぼたんといいますか、あの花がきれいに一ぱい咲いていまして、ちようど花の上に乗つかつたようにきれいだつたのです。その花をスケッチしております。そういうふうにして思わず草むらの中に入つて行きますと、そういうふうな骨に行き当りますので、方々の草むらとか密林の中へ入つたら、こういうふうにまだ大分あるんじやないかと私たちは思いました。 それから旧日本軍の使つていた飛行場の方へ行きますと、飛行機の滑走路の跡から硫黄の煙がもうもうと吹き出していまして、まつたくそこら一帯は地獄の島みたいな感じで、あちらからもこちらからもしゆうしゆうと音を立てて硫黄の煙が非常に上つております。島全体が何か非常に臭くて、初め行つたときに、だれか死人のにおいがすると言つたのですが、実はその硫黄のにおいだつたわけで、あとでは鼻について変な気持に私たちもなつたわけです。 私の話はこの程度にしておきます。
○小平委員長 ありがとうございましました。次に近藤日出造君、お願いいたします。
○近藤参考人 硫黄島へみなで行きまして、新聞であのことをじやんじやん書いたら、アメリカのAPの記者か何かが聞いて、日本の新聞記者は非常に事実を歪曲して誇大に書いているという文句が出たそうですが、今ここで新聞記者の皆さんが言つたことを冷静に聞いておりまして、あるいはまた冷静にあの記事を見まして、ちつともゆがめてもなければ誇大でもありません。おそらくアメリカの人たちは、私たちのようにやたらに穴へ入つてみたり、あるいは道路の横へちよつと入つてみるということがないので、こんなによく片づいているじやないかというふうに言いたいのでしようが、実際に行つてみますると、今皆さんが言われたように、方々でその骨のくずのようなものを見ることがありますし、またたまにはちやんと形を整えた頭蓋骨を見ることがある。飛行機で島の中央の飛行場へ着陸したときは、晴れてもおりましたし、飛行場も非常によくできておりますし、おり立つたところに非常に人相のいい飛行隊の隊長が出迎えてくれましたし、そのそばに黒人の兵隊などがのんきな顏をしていましたので、割にこつちものんびりしたつもりで、地獄の島とか死の島とか遺骨の島とか、そういう感じがおりたときは持てなかつたのです。それからまたトラックに乗りまして、ねむの木の並木の間のいい道路を走つておりますと、やはりそういう感じがしません。しかしトラックをおりて、ここはちよつとすごいんだというところへ行つて見ますと、岩には一ぱい弾痕があるし、その弾痕が集中したまん中に穴があいている。そこにおそらく日本の兵隊さんがこもつて戰つたのだろうと思うのです。またそこの近くの草むらなど見ますと、たいてい骨がおつこつておる、そういう状態です。着いたときは何だ大したことはないじやないか、非常に明るくて、清潔なきれいな島じやないかと思つたのですが、今皆さんのおつしやつたようなことを、私も一緒に歩いてみまして感じました。帰りには、飛行機が離陸して上から見おろしますと、小さい島ですから、島のまわりを囲んでおる白いなぎさというものが、何かわれわれらしい表現をしますと、歯をむいて怒つているように見えるし、それから島のまん中から今那須君が言つたようにふき出ている硫黄なんというものは、何か怒りの象徴のようにも感ずることができるわけです。島が非常に小さくて、あそこで二万何千あるいは三万に近い人間が命を落したということはちよつと信ぜられないようなわけなんですが、ある生き残つた人に向うで聞きますと、その人の言葉によると、私の覚えではこの飛行場の下にも一ぱい穴が掘つてある。もう掘るところがなくなつて、飛行場の下にもずいぶん大勢の人が確かにもぐつていたはずだ。もぐつてそこへ逃げた。そこへ米軍が上陸して来て、すぐに飛行場をブルドーザで修理しかけた。従つて何千貫だか何万貫だか知りませんが、重いブルドーザで飛行場の滑走路をなぜているそのとき、その下では非常に多くの日本の兵隊さんが押しつぶされているんじやないか、生き残りのその人はそういうふうに言つておりました。ですから今日に見、あるいは足で歩いて発見される穴以外に、おそらくあの島全体を掘り返したらずいぶんたくさんのそういつたものが出て来るんじやないかと思われます。それでなければただ摺鉢山の洞窟とか、将軍の洞窟とか、あるいはほかに二、三ちらほら見た洞窟だけでは、とても二万とか三万とかいう人間が入り切れるものでもないし、そういつた数がちよつと信用できない。しかし現実としてそういう多くの人があそこで命を落したということになると、おそらくはその飛行場の下にも、あるいは何もそういう洞窟が見えないところでも、掘り返してみたらたくさんのそういう遺骨が現われるんじやないかと想像いたします。非常に小さな島で、あそこでたくさんの人がなくなつた、最後はどういう状態か知りませんが、ひしめき合つてなくなつた。やはり生き残つた人の言葉によりますと、戰争の末期には島の上に日本人を見ることがほとんどできなかつた。全部の人が土の下にもぐつてしまつた。上はまことに静かなものだつた、そういうことを聞きましたが、とにかくあの小さな島で二万何千という人がなくなつたということと、私はこのごろ新聞の仕事で飛行機で方々を非常に旅行ずるのですが、日本の上を飛んでみますと、日本の国が非常に小さい。それでそこに人家が非常に密集しておりまして、もし今度戦争でも起きたら、日本の本土そのものがけたの大きな硫黄島になるのではないかというような感じをちよつと持たせられます。皆さん遺骨の話で終始されましたが、私はまた商売柄そんなふうにいろいろと考えているのであります。何しろ八時間ほどの滞在ですから、それ以外のこまかいことはあんまりわかりませんが、大体私の感じたのはそういうことです。
○小平委員長 ありがとうございました。これにて参考人各位のお話は一応終つたのでありますが、なお委員諸君の御質疑に応じてお話を承りたいと思います。それでは質疑を許します。川端委員。
○川端委員 ただいまいろいろ実地にごらんになつた経験談を伺いまして、われわれも硫黄島のありさまをほうふつさせられたわけであります。お話の中から四、五点拾いまして伺いたいのでありますが、まず皆さん方がおいでになつて、八時間あるいは九時間程度しか向うにいなかつたというようなお話でございましたが、これはただ仕事の上の制約があつたのか、向うで米軍等のさしずによつてその程度しか報道機関はおられなかつたのか、ちよつと伺つてみたいと思います。
○福湯参考人 私からちよつと御説明いたします。実は和智さんなんかが高野建設の船で硫黄島に二十七日に出発いたしました。毎日ばかりでなく、朝日さんも読さんも、そのほかの新聞社の方々もこの船に同乗させてくれということを高野建設に申し出ておつたのでありますが、高野建設の方で共同しか——共同が内地新聞の代表であるから、共同を乗せれば十分ではないかと言つて、最後までわれわれの同乗を峻拒いたしました。そのために、それならわれわれ大新聞の力を見せてやるぞと力み返つたわけでもないのですが、朝日さん読さん私の方と三社共同でCATの飛行機をチャーターして出発したわけであります。それで和智さんたちのあの船が現地に着くのが三十日でありまして、共同通信が船の無電で原稿を送る、それに間に合うようにわれわれは帰つて来て新聞に発表しないことには苦労して行つたかいがないというので、羽田を午前三時に出発いたしまして、硫黄島に着いたのが午前七時半、それから八時間ばかり滞在いたしまして、午後三時に向うを立てばこちらに七時か八時には着くから、それから新聞に組み込んでも十分に共同通信の無電と対抗できる、そういう計算でやつたわけでありまして、何も指示されたわけではありません。
○川端委員 わずかに八時間あまりの見聞でもつて、われわれが新聞紙上であれほど厖大なありさまを知り得たことについて感謝を申し上げます。そこでさきの委員会でも、実はほかの事業会社等が硫黄島へ行つておる、また今度は特殊な任務でもつて現地の慰霊祭た和智さんが行かれ、同時に新聞紙の関係の人も行かれた。ところが議員団はまだ現地へ行く方法がつかなかつたというような点が話に出たのでありますが、日本のあるいは高野組とか西松組とかいうような建設会社が向うへ行つておるというのはどういうような目的で、どういう方法で行つておられるのでしようか、伺いたいのであります。
○福湯参考人 詳しくは存じませんが、あそこにいまだに五万トンに上るスクラップがあるのであります。そのスクラップをステフエスというアメリカ人が拂下げを受けておる。高野建設というのはこのステフエスの下請会社でありまして、ステフエスが拂下げを受けたのを高野組が行つて解体をして、八幡製鉄まで持つて来るのだということを言つておりました。詳しいことはわかりませんが、大体私たちが聞いた点はそういうことであります。
○川端委員 ますますもつて私たちはその事情を伺つて——関係の当局の人が見えているのだろうと思いますが、スクラツプの収集に会社が現地へ乗り出されるというようなチャンスがあるにかかわらず、本委員会の目的であるこういうふうな遺家族の援護の問題や、ひいては戦争の犠牲者をどうして手厚くもてなすか、こういうふうな意味からやつているのに、硫黄島あたりに眠つておられる遺骸に手をつけるというようなことをあとまわしにし、そしてまずスクラツプの収集の方が先に取上げられている。これはさきの委員会においても、そういうことではないかというような話が出ておつたのでありまするが、これでどうもさきの委員会における話の裏づけができたようで、われわれははなはだ遺憾に思う。関係当局の方々はこれらによく気をとめられまして、こういう世間にあまり通りのよくないような話は、どうかないようにしていただきたい。 今度はちよつと断片的に伺うのでありますが、日本の同胞愛といいますか、われわれ国民感情からいつて、向うの遺骸を集めて内地へ持ち帰りたい、こういうようなことが実現いたした場合は、まず皆様方が向うへおいでになつた直感から伺いたいのでありまするが、米軍当局は相当好意を持つてこれに援助をしてくれそうでありましようか。この点を一点。 続いて小さな問題でありますからあわせてお伺いいたしますが、かりにそういう遺骸の引取りといつた、こういうようなことが将来実現される場合に、地熱の関係や、洞窟へ入つて亜硫酸ガスの問題もあるそうでありますから、どういうような装備といいますか、何か身のまわりに特別に持つて行かなければ作業ができない、あるいは調査ができないというような、お気づきの点でもあれば伺いたい。 それからもう一つは無名戰士の墓——先ほどお話になりましたが、米軍が向うにおるのでありましようし、あるいは日本人もいるわけでありましようが、無名戰士の墓が、お話を伺つていると一つしかないようなお話でございましたが、いろいろお話の中にもございましたように、二万あるいは二万三千、あるいは二万八千ではないか、こういう人間がよくもあの小さい島にいたことだと考えられるほど多数の人間、兵隊がそこへ住んで、とまつておつたんだというようなことからしてそのなきがらが無名戰士の墓として、わずかに八十体くらいは多分まつられた形跡があるというようなことで、何だか一つしけなかつたような印象でありましたが、ほかにもございますのかどうか、こういう点。 それからあそこの生残りの人がおられると近藤さんは言つておられましたが、生残りの人とはどういうような立場で残つておられるのか。こんなこともあわせて、どなたからでもけつこうですから伺いたいと思うのであります。
○福湯参考人 われわれは飛行機で行つたときに、総司令部に、現地の軍に一切迷惑をかけないという一札を入れて実は行つたわけであります。食糧の点も宿舎の点も、万一向うで飛行機の故障でとどまるような場合にも、一切現地軍のお世話にならぬという一札を入れて行つたにもかかわらず、飛行機がつきましたところが、航空隊の現地の司令官が迎えに出られまして、われわれにあいさつをし、並びにわれわれのためにトラツクをまわしてくれました。トラツクの運転手は米軍の軍曹でありまして、われわれから考えれば予想以上の待遇をしてくれました点から考えますと、衆議院の調査団の方が現地にいらしても、おそらくはわれわれ以上の便宜をはかつてくれるのじやないかと私は思います。 それから現地を調査する場合にどういう準備をしたらいいかというお話でありますが、たとえば摺鉢山の洞窟のごときは、入口が匍匐して入らなければ入れないような小さなところですし、中も非常に狭いし、先ほども言いましたように硫黄のにおいとか、そんなものがたいへん激しいので、おそらくはあれを十分調査するためには、入口からこわして、大きくして行かないと十分な調査ができないのではないかと思います。それでそういう準備も十分して行かれなければ、おそらく目的を貫徹することは無理じやないかと思います。 それから無名戰士の墓でありますが、これはあの島の北の方に太平洋に向いて墓が三基こしらえられてあります。場所はここだけであります。これはあそこの土建会社の労務者が、作業に従事しておる間に見つけた遺骨を逐次収容したのでありまして、ほかには見当りませんでした。海に向いて墓が建てられてあるということは、その海の向うに彼らのなつかしい日本があるのでありまして、そういう思いやりも十分感じられたのであります。 大体そんなことですが、先ほど高野建設のスクラツプのことをちよつと言いましたので、お断りしておきますが、これはあくまで米軍がアメリカ人のステフエスに拂い下げた仕事で、それをステフエスが高野建設に下請さしおるだけでありまして、われわれ日本人とは直接関係のないことじやないかと思います。
○玉置(信)委員 私は先般、今日おいでを願つております参考人の方々の新聞報道を見まして、非常に胸を打たれた一人でありますが、本日直接その方方から実情をお聞かせいただいて、一層その感を深くしております。そこで一番重要な点につきましては、今回端委員から御質問がありましたが、それに関連して二、三お聞きしておきたいと思うのであります。 先ほどのお話によりますと、無名戰士の墓が一つあつたように承りましたが、その無名戰士の墓をつくられたのはだれがやられたかというようなことを、もし御調査になつておりますればお聞きしたいのであります。それから今いろいろお話を承るうちに、時間等の関係もありまして、島全体をお歩きになつて精細な御調査ができなかつたいろいろな隘路を伺いましたが、私ども承つておりますところによりますと、硫黄島全山がほとんど軍備のためにかわつておるというふうに聞いておるのでありますむそうした関係等からしても、過去における戰場の跡が皆様の目にまざまざと映らない面もあつたのじやないかと思いますが、この二点をまず先にお伺いしたいと思います。
○宍倉参考人 無名戰士の墓をつくつた方は、あそこで私どもが聞いたのでは、先ほどから出ておりました西松建設が最初に墓標を建てた。それから高野建設も続いてつくられたというふうに聞いております。ところがそういう人たちは、先ほどからお話申し上げておるように、スクラップの作業で行つておるのが目的でありまして、勤務の時間とかその他の都合で、遺骨を収容するための作業というのはできないのじやないかと思います。 それから島の様子がかわつたのではないかというお話ですが、率直に申し上げて、非常にかわつておるわけです。ただ飛行場の施設のこまかいことについては、私たちしろうとですから、非常に大規模なものだというふうな感じを受けた以外に詳しいことはよくわからなかつたのです。ただ島の広さが二十平方キロあるそうですが、飛行場へ到着するときに、飛行機の上から見たところでは、島全体が飛行場のように、目の下にばつと広がつて来たといえるような感じがするほど、非常にきれいな飛行場ができておつた。それから昔は五名木とかガジュマルとかたこの木、あるいはかんしよ、そういつた植物がうつそうと茂つておつたのですが、それが、今度七年ぶりに行つてみますと、一本もないといつてもいいほど、戰火のために枯れ果てておつたわけです。そのあとにネムの木が非常な勢いでおい茂つておりました。それともう一つは、道路なんかでも、戰争中日本軍は牛車を使つて資材を運んだりして、陣地構築をやつておつたのです。従つて道幅も牛車が一車通るだけの幅しかなくて、おまけに高さが二丈くらいある植物が両側からうつそうと茂つておつたわけです。そういうところに、そういう道を伝わつて行くほら穴や何かがあつたわけですが、今度行つてみたら、アスファルトの道路が環状線のようにぐるつと島のまわりをめぐつておるわけです。それで昔あつた道を自動車で入つて行くということができなかつたわけです。これは相当な時間をかけて、滞在でもして、歩いて入つて行かなくてはならないようなところにあつたために、われわれは入つて行けなかつたわけです。特に軍事施設だからといつて、島の米軍の司令官から立入り禁止を食つたというようなことはなかつたわけです。
○玉置(信)委員 いま一つお伺いいたしたいことは、先ほどのお話を伺いますと、生き残りの人に会つて来られたということでありますが、その方について、次のようなことをお聞きになりませんでしたかどうですか。それは硫黄島で玉砕した日本軍は、アメリカ兵がそこへ上陸して見た場合に、さきのお話によると静かで、地上には人の影も見えなかつたということでありまするが、しかしアメリカ兵が上陸しまして、山全体を占領した後においては、相当日本軍が目についただろうと想像されるのです。従つてそうした場合に、アメリカ軍がどういうような処置をしたか、また死体等に対しまして死体を一箇所に片づけて火葬に付したというようなことをお聞きになりませんでしたでしようか、もしこの点についてお聞きになつておる点がありましたら伺いたいと思います。
○近藤参考人 生き残りの話に落ちがありまして、向うに生き残つてずつといた人ではなくて、実は新聞社というものはあまりよその新聞社の名前を出さないことになつておるのですが、毎日新聞の一緒に行つた写真班の人が生き残りなんだそうです。その人は戰争が終つてから穴の中に相当いて、やがてつかまつて捕虜になつて連れ返されたのですが、その人とぼくと飛行場にぽつんと立つて話をしたのです。君はここの生き残りだそうだけれども、ということから始まつて聞いたことです。実はずいぶんなくなつているはずなんだから、遺骨がこれだけしか目につかないということはふしぎだとぼくが言いましたら、それについて彼が言うには、この飛行場の下などにもたくさんいるのではないかとぼくは想像する、すぐに上陸して来てブルトーザでやつたことを知つているから、おそらくこの下にたくさんいるのではないか、それはいると断言したわけではないのですが、だからほんとうに遺骨を全部発見するのだつたら、この飛行場の下まで全部掘り返さなければうそだということを、毎日新聞の写真班の石井君がぼくに話したわけです。従つて今そちらの議員さんがおつしやつた、アメリカ軍がなくなつた兵隊さんをどういうふうに扱つたかというようなことは、彼に聞きませんでした。
○小西(英)委員 さきの委員会におきまして、ちようど皆様がお帰りになつたことを私たちが新聞で見まして、ぜひ当委員会においでを願つて、いろいろ現地の状況をお聞かせ願いたいということを申し上げたところ、皆さん快く本日多忙にもかかわらずおいでくださいまして、ただいままで現地の状況をつぶさに御説明くださいまして、ありがとうございました。ただわれわれ委員の一員といたしまして考えることは、すなわちサイパン島、あるいはアツツ島、ウエーキ島、あるいは沖繩、太平洋諸地域の歴戰したところの島々は、ちようど硫黄島がその一つの縮図であるように考えるので、今後とも皆さんのきようの貴重な御報告をもとにいたしまして、われわれ当委員会といたしまして、戰後すでに八年もたつておる今日といたしましては、何とか遺族の方に遺骨を持ち帰り、また英霊に対してその冥福を祈るということのみでありまして、その当時の状況とあわせて、われわわれ今後当委員会といたしましては大体現地におりますところの米軍の好意等もよくわかつたので、政府と協力いたしましてなるべくすみやかに行く手続、あるいは収集等に対する具体的な方途を練つて行きたいという考えをしたのでありますが、さきの川端委員や私がこの前の委員会で尋ねた点につきまして、高野建設等の現地に行つた状況等もわかつたので、政府は日本の近海においてスクラップを収集するより先に霊あるいは遺骨を引揚げねばならぬのにかかわらず、どうも経費の関係等がありまして非常に遅れておる。われわれが硫黄島の二万の遺骨を今後具体的にどういうふうにやつて行くかということは今後の問題でありますが、とにかく一刻も早く何とか収集して帰つて、ここで慰霊祭等を行いたいという観点の十分なる資料といいますか、皆様の目で見て来られたその実情を承つて非常に意義があつたと思うのであります。ただ新聞でその当時玉砕したと報道された十九年の七月だつたか何月だつたか、ちよつと記憶に残つておりませんが、栗林指揮官がやはりその生き残つた方の報道か何か知らぬが、最後の八月十五日までおつたように新聞で報道しておつたような記事を見たのでありますが、その点についてちよつとお聞かせ願います。
○福湯参考人 栗林中将が八月の終戦のときまで生きておつたということを、私の方の硫黄島通信の第一回に書いたのでありますが、これは生き残つておつた事実を確認したというのではなしに、向うの兵隊が、栗林さんが生きておつて一度はわれわれの陣地に来たという話をしておつた、こういう話もあるということを書いたのでありまして、栗林中将が終戦の日まで生きておつたということをわれわれが確認したというのではないので、その点誤解のないようにお願いしたいわけであります。
○小西(英)委員 これは現段階に何の関係もないことでありますが、新聞記事等でそういうことを見受けたので、ちよつとお尋ねしたのでありますが、ここから船で大体何時間くらいですか。これは高野建設の船の話ですが、あちらで和智さんとお会いになられたかどうか、ちよつとお聞きします。
○福湯参考人 あの船は高野建設が中国からチャーターしている船で、LSTの船足の遅い船ですから、二十七日の朝十時ごろに立つて、島に着いたのが三十日の午後一時でしたから、まる三日とちよつとかかつていると思います。われわれちようど島を一まわりしまして、摺鉢山のふもとに来て穴を調べておるときに和智さんの乗つた船が入つて参りまして、さつそくわれわれもその和智さんの上陸地点に行つて、和智さんの話も伺い、和智さんと現地の司令官が観音像の建立をどこにするかという交渉をしておられるのを一緒に拝聽したわけであります。その交渉の経過についても、その後私たちが立つとき司令官と和智さんがわざわざ飛行機まで送つてくれて、そのとき詳しく聞きました。和智さんがいつまで滞在するかということも、そのとき記事で報道しましたが、そのとき和智さんから直接われわれが聞いたものであります。
○小西(英)委員 ここでもし司令部の方から許可を得た場合に、現地における隊長さんといいますか、非常に好意的なように承つておりますが、もし手続ができれば、遺骨の引取り等については何ら支障がないような感じを受けたかどうか。それをちよつとお聞きします。
○福湯参考人 われわれの現地への渡航につきましては、硫黄島はちようどホノルルの管轄にあるので、ホノルルに一々要請しまして、それで許可をもらつたわけなのでありますが、飛行機のチャーターが成立したのが二十七日でありましたか、短かい期間であるにかかわらず非常に迅速にやつてくれたあのやり口をみても、われわれが現地を視察することをアメリカ軍当局はちつともきらつてはいないことが考えられますし、現地の司令官が好意的にわれわれに便宜を與えてくれたという点から考えましても、皆さんが現地に行かれて、遺骨を調査し、引取つて来られることに少しも支障がないじやないか、あるいは向うがむしろ便宜をはかつてくれるのじやないかという気がいたします。
○那須参考人 遺骨はアメリカの方のも大分あつたじやないかと私たちが尋ねましたところが——アメリカの兵隊の墓がやはり相当あつたのが今なくなつているわけなんで、それを聞きましたら、アメリカの兵隊の骨は全部集めまして本国へ送り返している。アメリカの兵隊の骨をちやんとそういうふうにしているわけですから、日本の兵隊の骨もやつてくれるのじやないかと私たちは思つております。
○小平委員長 他に御質問はありませんか。——それでは参考人に関する議事はこれにて終了いたしますが、参考人各位におかれましては、長時間にわたり貴重なる御視察談を御発表くだされ、かつまた委員諸君の質疑に詳細なる御回答をいただきまして、本委員会として本件調査の上に非常に参考となりました。厚く御礼を申し上げます。 これにて参考人の各位にはお引取りを願いたいと存じます。ありがとうございました。 —————————————
○小平委員長 次に沖縄出身戰歿者の遺骨引取りに関する件を議題といたします。 沖繩出身戰歿者の遺骨引取りに関しましては、先日の委員会におきまして小西、堤両委員より遺家族援護の見地より調査すべしという要求がありましたので、その関係の引揚援護庁よりその経緯の報告を求めることといたします。ではこれよりその報告を求めます。木村引揚援護庁長官。
○木村(忠)政府委員 前回の委員会におきまして、沖繩関係の遺骨の取扱いにつきまして調査のお話があつたのでございます。これに対しまして調査いたしました結果を御報告いたします。 沖繩関係の戰歿者は、今までのところ確実に死亡と決定いたしております者が二万一千三十五柱でございまして、遺骨を遺族にお渡しいたしますために、昭和二十三年の五月から総司令部の許可を得まして、おおむね年一回の割合をもちまして沖縄に直送いたしました者が一万六千三百九十二柱、内地で御遺族の方に直接お渡しいたしました者が三千百七十一柱、沖縄に在住される遺族から委任を受けまして内地在住の親族の方、たとえばおじやおばなどにお渡しいたしました者が千七十五柱、来る二月十七日に鹿兒島から沖縄に向けて発送される予定の者が三百九十七柱、こういうことに相なつておるのであります。これらの取扱いの細部につきましては、この前に少しお話いたしたのでありますが、なお詳細に高山復員業務部長から報告をしてもらうようにしてもらいたいと存じます。前回の委員会におきまして、堤委員の御発言がありましたものは、内地で親族にお渡しいたしました御遺骨に関するものでありますが、取急いで今まで調査いたしました東京付近におきまする状況は次の通りでございます。遺骨は親族が昨年十月から年末までの間それぞれお受取りになり、沖縄にお送りになりました者が約二百七十柱、現在お送りになる準備をいたしておりましたが、問題になりました石川清楽氏外八氏の自宅または宗教団体等に保管してあるのでございまして、これが約八百柱あるようでございます。いずれも遺骨受領の当日、それぞれ合同慰霊祭を行つておられるように聞いておるのであります。なお問題の石川氏は、現在ほかの遺族の方から委託を受けられましたものと合せまして、二百十六柱を嚴重な四つの梱包に納めて今月の十五日ごろ発送するように、その梱包の準備もできておつたというふうに聞いておるのであります。遺骨に伴う支給金の一部につきましては、沖縄の方からの御注文によりまして、ふとんやその他の日用品におかえになつて、遺骨と同時に発送する準備をしておつたということであります。この間の経緯におきまして何らかの犯罪の疑いがあるということをもつて、現在町田署でもつて石川氏を取調べになつておるようであります。ただいままで判明いたしておりまするのは、以上のような点でありまして、これらに関しまする事務の手続といたしましては、もしその間に間違いがございましても、復員局自身の取扱い方には間違いがなかつたように、われわれの調査といたしましては相なつております。
○小平委員長 さらに業務部長よりちよつと補足して説明していただきます。
○高山説明員 高山復員業務部長であります。ただいまから長官が申し上げられました沖繩関係の遺骨並びにこれに伴う諸経費の給與の事務手続の状況について申し上げたいと思います。 前会にも主務者から一応御報告いたしましたが、原則といたしまして沖繩関係の遺骨は、沖縄におりますところの遺族に間違いなく交付できますようにやつておるのでありまして、沖縄に遺族のあります者に対しましては沖繩に直送する、内地に二親等以内の親族がおります場合におきましては、その正当遺族であるということを確認をして、これに交付をいたしておるのでありまして、現在問題になつておりますのは、内地に二親等外の親族がありますものに対する遺骨並びにそれに伴う交付金の処置上、石川という男が介在をいたしまして起りました問題であると思うのでありますが、その手続の要領は次のようになつておるのであります。沖縄におります遺族が、内地におりますところの二親等外の親族に身上証明書と委任状とを手渡しまして、これがその沖縄におります遺族の委嘱によつて復員局の方に交付を申し出ておるわけであります。その交付申出に身上証明書と委任状とがついておるのでありますが、復員局は、これらの書類を局において保有いたしておりますところの書類と照し合せまして、一応間違いでないかどうかを点検をいたすのでありますが、さらにこれを再確認いたしますために、これらのものとは無関係に、直接航空便等によりまして、沖縄におります遺族の居住しておる市町村役場に、間違いがないかどうかを照会いたしておるのであります。そうしてこれらの市町村役場から間違いがないという回答を得ました後に、初めてこれをこれらの内地におりますところの二親等外の親族のおります府県の世話課に交付するように指示をいたすわけでありますが、そこで世話課は、これらの親族の申請書類を点検をいたしました上で、それに添えてこの親族に遺骨とこれらに伴う交付金を交付いたします。なおその際所要の調査を実施するわけであります。そうしました上に、さらにこことは無関係に沖繩におりますところの遺族に、こういう者に遺骨並びに交付金を交付したという通知をいたすようにいたしております。大体そういうような事務上の手続をとつておる状況であります。
○玉置(信)委員 先ほどの参考人のお話からきわめて重大なヒントを得たわけでありまして、もちろんお話になつた方も、根拠ある基礎に立つてのお話ではなかつたのでありますが、しかし委員会としては、これが究明をするということは大切なことでありますので、実は厚生大臣の出席のもとに私質疑をいたしたいのでありますが、本日は間に合いませんので、その件につきましては次回の委員会にぜひ厚生大臣の御出席をいただいて質問を継続いたしたいと思いますので、その点あらかじめ委員長にお願いしておきます。 ただいまの長官並びに高山業務部長からのお話を聞きますと、遺骨を正確に親族、遺族に渡した、かように申しておりますが、これはあまりつつ込んだ話を申し上げていかがかとは思いますが、御承知のように混乱せる戰場においての戰死者の遺骨を、正確に捧持して持ち帰りお渡しするということはなかなか容易なことでないのでありまして、いわんや玉砕をいたした硫黄島における遺骨を完全にその人に渡す、遺族、親族は正確でありましてもその点戰死された方々の遺骨がどれであるかということは、おそらくわからないと思うのです。そういうような遺骨引取り等に対してはどういうような手続をとつて今までおやりになつておりますかということをお聞きしておきたいと思います。
○木村(忠)政府委員 御承知の通りに戰歿者の遺体遺骨、これの引取りが今回の戰争におきましては十分にできておらないのでございます。従いまして実際に遺体遺骨をお引取りのできましたものにつきましては、その遺骨を遺族の方にお渡しするようにいたしております。現実に遺体遺骨の引取りのできなかつたものにつきましては、従来から一応あらかじめ霊璽を遺骨としてお渡しいたしまして、しかる後に実際に遺骨を引取つた場合に、さらにこれをお渡しするというような措置をとつておるのであります。従いまして現在まで私どもの方で申し上げております数字は、遺骨と申しましても、遺骨を実際に引取つておられないものにつきましては、結局霊璽を差上げておるということになつております。
○小西(英)委員 先般提案いたしました毎日新聞に報道された記事についての真疑並びに政府当局、復員局は事務的にあるいは法的に間違つておつたかどうか、あるいはまた全然事務的に今説明されたように渡されたのであつて、厚生省自体は間違つていなかつたかどうかという調査の結果を、簡單に結論をお伺いいたします。
○木村(忠)政府委員 新聞の記事につきましては、正しい部分もありますし、若干間違つておる部分もあるのじやないかと思います。石川氏のところにございました遺骨は、全部援護庁の方から石川氏にお渡ししたものばかりではないようであります。援護庁の方でお渡ししましたものを親族の方から預かつて、沖縄の方に送る手続をするために石川氏が預かつておつたものも相当多数あつたようであります。三十幾柱かが、石川氏に復員局の方からお渡ししたものでありまして、その他のものは他の御親族の方から受取られたものであります。先ほど申しました通りの手続によりまして全部の書類を点検いたしてみておるのでありますが、すべて町村長からも間違いがないという書類が来ておりますし、また委任状につきましても、一応判が全部押してあるのでございます。委任状もございまするし、一身上の調査書の方も判が全部ありまして、そうしてさらに照会いたしました結果につきましては、これについて町村長からも間違いないという返事が参つております。ただその間におきまして石川氏が何らかの作為をしておつたかどうかということにつきましては、われわれの手では全然わからないのでございます。現在その点を町田署でもつて調べておられますので、取調べの結果によりまして、その間に何らかのほかの不正事件があつたという点があるのじやなかろうか、町田署におきましては、復員局と石川氏との問題でなしに、ほかに石川氏が出しました書類そのものにつきまして何らか疑いを持つておられるようでございます。これにつきましては、その取調べが終りませんとわれわれの方としましてはよくわからないのであります。ただ手続としましては、出ております書類全体は十分整つておりました。それから照会等もちやんといたしておりまして、現地の町村長から間違いないという回答が全部来ておるわけでございます。従いまして事務的には間違いはなかつたというふうな結論を得ております。
○小西(英)委員 政府職員等に疑惑があるようなことは全然ないというわけですね。それでわれわれはよろしいのですが、石川の問題でありますが、石川は現在逮捕されておるかどうか。身柄不拘束のままで調べておるかどうかということについて……。
○木村(忠)政府委員 現在町田署に留置して取調べ中であります。
○小西(英)委員 それでは今のところは、石川は実際に厚生省の手を離れるまでは事務的に、法的に、何ら政府の方では怠つていないが、手を離れてから後の問題についての疑義を取調べているわけですね。
○木村(忠)政府委員 厚生省に出しました書類そのものが正しく遺族から来たものであるかどうかということにつきましても、あるいは調べているのじやなかろうかと思つております。
○小西(英)委員 今のところ石川氏は、先ほどの援護庁長官のお話から行くと、遺族の遺骨をちやんと荷づくりしてもらつて、遺族に渡るべき金は、あるいは沖縄の方からの申出によつて、金で送るより物でその代価のものを送つてほしいというふうな現在の状態が向うの答弁なんですね。
○木村(忠)政府委員 これにつきましては、町田署において調査いたしました結果、そういうふうにわれわれ聞いておるのであります。石川氏の宅にわれわれの方がおもむいているわけではございません。
○小西(英)委員 それではその問題はこれで打切りますが、次にその他の点に関してお尋ねいたします。本日硫黄島に参りました新聞記者諸君からいろいろ今話を聞いたのでありますが、政府が今日まで復員当局あるいは厚生省当局として硫黄島あるいは沖縄、サイパン、ウエーキ島等における遺骨の引取りについて、外務省を通じてか、あるいは政府直接に司令部の方へ申入れをしたり、あるいは懇請をしたことがあるかどうかということを援護庁長官にお尋ねいたします。
○木村(忠)政府委員 引取り方につきまして正式に懇請したことはございません。
○小西(英)委員 まことに遺族は沈黙を守り、今はいかなる方法をしても自分のいとし子の遺骨をも引取れず、それで霊が冥福できているか、われわれの言葉でいえば成仏できているかどうかについて非常に心配されておる。その際今日硫黄島に記者諸君が行つたり、あるいは日本人である高野建設の社員が行つたりでき、また本日の参考人からの意見からいたしましても、現地も非常に友好的であつて、遺骨引取り等には、もし手続ができて行つたならば何らそれに対して掣肘を受けないというふうな状態を聞いたのでありますが、政府が今日まで何もそういうふうな正式な手続をしていないということは、これは私たちは政府に対して非常に遺憾の意を表するものであります。今日まででき得なかつたことも、今日の常識からあすにでも手続を踏めば必すできるのであつて、われわれは今日までしんぼうして来た遺族の諸君に対一するに政府がもう少し熱を入れて、沖繩の遺骨、あるいはサイパン、硫黄島、アツツ島、ビルマ、フィリピン等における遺骨の引揚げについてはもつと積極的にやつてもらいたいのであります。予算の面についても、わが自由党においてもそういう点を考えておるので、こういうふうな予算措置等を考えて、一日も早く遺骨を引揚げることについて援護庁長官が努力すべきものと私は考えております。司令部の方においても、現在特に米国との友好関係から見ましても必ず私たちはできるものと確信しておるので、一日も早くその努力をされんことを切望いたします。
○木村(忠)政府委員 引揚援護庁といたしましては、遺骨の引取りに関しまして、昨年八月ごろ遺骨の調査につきまして先方にこちらから参りますることについて交渉いたしたのであります。これに対しまして十一月ごろにそれに対する許可が下りました。そうして今回引揚援護庁の復員局から二人調査に参ることになりまして、向うに参つたのであります。それはそういういろいろな情勢からいたしまして、大体そういうことができるような見通しをもつていたわけであります。この調査に参りました者が近く帰つて参りますので、帰りました上は早急に現地の状況等について調査しまして、これが引取り計画を立て、これに対する措置を緊急にしなければならぬ、かように思つておるのであります。従つてそれによつて司令部の方に交渉いたしたいと思つております。なお沖繩に対しまする遺骨の調査につきましては、原則的にこちらから調査に参りますることにつきましての了解を得ましたので、正式にこれに対する措置をとりたいと思つております。その他の地域につきましては、早急に調査計画を立てて向うに申請するようにということで、至急にその方の手続をとりたいというふうに考えております。
○小西(英)委員 援護庁長官にちよつとお尋ねしたいのですが、何新聞であつたかわかりませんが、民間有志によつて海外の戰残慰霊祭委員会というような仮称で、非常に大々的にきのうか一昨日の新聞に出ておつたのでありますが、政府はこれに対して何か意見を持つておるか、あるいは参画するかどうかについてちよつと意見を承りたい。
○木村(忠)政府委員 政府といたしましては、この遺骨の引取りにつきましては原則として政府の責任においてやらなければならぬことであるというふうに考えています。しかしこれをいたしますにつきましては、国民の協力というものを求めることもきわめて適切でございますので、国民の間にそういう声が沸き上つて参ります際に、これに対しまして十分な御協力をお願いすることはまたあるだろうと思います。現在のところ政府といたしましては、この仕事は政府としてやらなければならぬものであるというふうに私は考えております。
○小西(英)委員 今度できようという会合には、政府は指導したり接触したりしてはおりませんね。
○木村(忠)政府委員 一応話は承つておりまするけれども、政府の方で指導したり何かはいたしておりません。
○小西(英)委員 援護庁長官もたびたびかわられまするので、いろいろ引揚げ問題あるいは遺骨の問題についても御存じでない点が多いと思う。また司令部に遺骨の問題については相当強く要請しても、これはかつてに向うがとやかく言う問題じやないので、特に当援護庁長官において熱意を示されて、向うに対しても相当強く要請せられんことを望んで私の質問を終ります。
○小平委員長 他に御質疑はございませんか。
○受田委員 援護庁長官は就任して日なお浅くいらつしやるのでありますが、特に重大な引揚げ問題と遺族援護の問題をひつさげて御健闘くださることに深甚の謝意を表します。ところが先般橋本前厚生大臣が遺憾ながら職を辞されたわけでありますが、厚生省はこの大臣を中心にあくまでも遺族援護を国民の納得の線まで引延ばしたいという健闘をされたことと思います。ただ大蔵省が予算の都合でこの厚生省の案を押えたということは、世人がはつきりこれを認めたことだし、そこにいらつしやる長官も身にしみてそのつらさを感じておられると思いますが、せつかくの厚生省の出した案を大蔵省が踏みにじろうとし、あるいはこれをある程度讓歩させようとすることに対して、厚生省が大臣を陣頭に職を賭してもやろうという心構えはまことに悲壯であり、かつわれわれ国民すべてが支援接するところであつたのであります。しかるに結果が今日のような状態に立ち至つておりまして、ある程度国民にもがまんしてもらいたいというところでおちついたのでありますが、現在のところ援護庁長官としても、この引揚げ援護の問題については最初の厚生省の案を何とか実現してもらいたいという意欲をお持ちかどうか、伺いたいのであります。
○木村(忠)政府委員 現在のところ事務当局といたしまして、この問題に関しましてはいろいろな問題が山積いたしております。しかも情勢が刻々に変化いたして参つておりますので、これに対しましてはできるだけすみやかな機会におきまして、遺族の方々にも満足が行き、また国民全体が納得の行くような制度が打立てられることを切に念願いたしまして、そのためにはできるだけ事務的には努力をいたしたいと考えております。
○受田委員 事務当局としての御見解を伺つて、これは次の大臣に対する質問で継続することにいたしますが、いま一つ、この前から引続きお尋ねしておりまする遺骨引取りの問題で、特に日本の近海に沈んでいる艦船の英霊に対しては、これは何人もそう問題なくしてただちに引揚げができるものだと思うのです。それが先般の委員会において長官より、技術的に困難な面があるという言葉をいただいたのでありますが、しかしこれに手をつけようと思えばいつでも手がつけられるように、現にあらゆるサルベージの諸君は鉄くずを目的としてこれによだれをたらしておる。われわれは鉄くずを目的としたような根性を持つておる者に英霊を汚させたくないのである。国家の立場は鉄くずの問題よりも英霊が第一だと思う。これに対して、日本の近海に沈んでおる艦船にどういうのがあり、それにどのくらい英霊がおられるかという数字的なことをこの間お尋ねしたのでありますが、お答えがなかつたのであります。これに対して詳細に、日本近海に沈没しておる艦船の名称とそれに坐乘しておると思われる英霊の数、こういうものを早急に数字的に出していただきたい。それからなおいろいろな方面からの数字で大体了承はしておると思うのですが、現に太平洋の諸地域の島々に残つておると思われる英霊の数及び引取られた英霊の数、両方の立場からの数字が考えられると思いますので、そういう概数だけでも伺いたい。 それからいま一つは、沖繩とか琉球とか、いろいろの関係でただちに手がつけにくいという事情があれば、その解決をはかるという努力が必要でありますが、同時に日本近海にある沈没艦船の英霊はすぐ手をつけられると思うのであります。これに対してすぐ手をつけるための厚生省側としての対策をお持ちですか、技術的に困難であるということで、現実にそういう鉄くずを目的としてよだれをたらしておる連中が引揚げるのを待つのでありますか、あるいは国家の資金を出してでも英霊を引揚げて行く準備を進めておるのでありますか、これは非常に重大な問題でありますので、その点を伺いたいのであります。
○木村(忠)政府委員 現在日本近海におきまして、戦争によりまして沈んだ艦船がどうなつておるかということは、ほとんど大部分のものは調査ができておるのであります。第二復員局で調査いたしまして、どこにどういう船が沈んでおる、そしてその船にどれだけの人が坐乘しておるという点につきましては、ある程度の調査ができております。これは日本近海のみならず、西南太平洋地域全般にわたりましてその艦船がどうなつておるかということについて現に調査をいたしまして、大体船のある位置は一応わかつておるのであります。従つてその船に乘つておりました者の大体の数字はわかるのであります。ただその船がどのくらいの深さに沈んでおるか、その船の沈んでおるところが岩盤であるか砂であるかというような状況につきまして、逐次その調査を進めて参つておるのであります。この前技術的にと申しましたのは、ある程度以上の深さになりますと、現在の潜水技術をもつていたしましてはいかんともいたしかたないのであります。現在できますのが大体二十メートルでしたか、ちよつとはつきりいたしませんが、そのくらいのところまでは大体できる。それから五十メートルを越しますと、現在の技術では絶対できないということになつておるのであります。これはメートルでしたか尺でしたかフィートでしか、はつきり覚えておりません。先般やりました陸奥が五十よりは上、二十より下になつております。それで引揚げますにつきましては、軍艦がばらばらになつてしまはない限りは、軍艦の中へ入つて行くことが技術的に非常に困難であるというふうに聞いております。従つて結局解体引揚げの容易なものにつきましては、同時にこれをやることが最も適当であるというふうにわれわれ考えられますので、できるだけ早急に解体引揚げの容易な面につきましては解体引揚げいたしまして、同時に遺体が収容できる措置をいたしたいということで調査いたしまして、これが促進されるようにいたしたいというふうに考えております。その他の面で一応引揚げのできますものにつきましては、現在まで大体引揚げをいたしておる。技術的になかなか軍艦というものは構造上非常にむずかしいんだというようなことを私聞いております。そういうような関係で現在まで延び延びになつておるというように私は聞いております。
○受田委員 その引揚げに関する予算的措置はどうされてありますか。これは民間の業者に拂下げ、請負等の引揚げの経費につい問題があると思うのでありますが、これはどういうふうな手段が講ぜられておるのであるか、国家の予算にはどういうふうに計上されてあるか。英霊をなるべく損壊しないようにして引揚げるためには、解体作業も爆薬を用いずして電気溶切というような道もフイリピンその他ではとられておると聞いておりますが、こういう手段を講じて、少くとも大事な英霊を御遺族に早く引渡して、英霊を安んじて差上げるというその線が私は第一だと思うのであります。この点についての予算的措置並びにその引揚げに対しての最も丁重な解体手段というようなものに対しての見通しをお聞きいたします。
○木村(忠)政府委員 私の今まで聞いておりますところによりますと、引揚げをいたしますにつきましては、爆破等をいたしましてこなぞれになりますと、非常に引揚げが困難だそうであります。軍艦はある一定の形になつておりますので、底を切りましてそのまま浮揚させるという方法が一番簡単に引揚げられる、解体される方法だそうであります。引揚げ業者につきましても、現在爆破されてこなごなになつておるものにつきましては、やはり引揚げをする意思が全然ないというふうに聞いております。従いまして沈みましたものの中で、引揚げの容易なものにつきましては爆破等によらずしてこれを解体して、そうして引揚げるという方法をとつておるように聞いております。
○受田委員 その英霊を引揚げるための予算的措置はいかがされておりますか。
○木村(忠)政府委員 現在までは、引揚げをいたしまする場合に業者にあらかじめ先にこれを収容するようにいたさせまして、そうしてこれに対しましては適当なる謝礼を抑つております。ただこの謝礼はきわめて少額であるということは事実でございます。
○受田委員 その謝礼糺はどのくらいでありますか。
○木村(忠)政府委員 ただいまその数字は私はつきり覚えておりませんので、いずれあとで正確に御報告申し上げます。
○受田委員 その数字を正確にしていただくということ、特にこれは業者に委託するという場合に、業者は英霊を副次的に考えて、英霊を引揚げてあわせて手数料をいただくという形になつてはとんでもないことでありますから、われわれとしては英霊第一主義で行かなければならぬのですから、もし予算的措置に不備な点があるならば、英霊を第一に考える方法をとつて、引揚げ解体作業の場合についても英霊を損傷しないために国家予算をつぎ込んでもいいわけですから、この点についての具体的な数字を示してもらつて政府の意のあるところを示していただきたい。業者が引揚げを副次的に考えるのは、英霊に対する冒涜であると私は考えます。この点を十分お考えいただきたいと思います。 もう一つ未復員者の問題でありますが、未復員者のうちの政府職員だつた者で、応召されて帰らざる者の給與は現在どの程度に支給されておるか、これは三七ベースから六三ベースに漸次切りかえられて来ておると思うのでありますが、これはやはり引揚げ援護庁長官として重大な問題であつて、まだ未復員者のうちで政府職員であり、地方公務員であつた者が相当あると思いますので、国家公務員で応召後まだ復員せざるもの、地方公務員でまだ復員せざるものがどれだけあるかその数字を示していただきたい。その給與は、私がいろいろ調査をしたところによると、六千三百円ベースまで行つていないんじやないか、三千七百円ベースまでは順調にこちらにおつた人と同等に行つたが、それから六千三百円ベースに切りかえられるときにこういう差別をつけられた。この点においてどのくらいの差別がつけられておるのか。この点は、こちらにおつたならば当然その職にあつて精励恪勤しておる優秀な職員が、向うにおつてまだ苦労しておるのに、その給與は実にささやかに削られておる。家族も夫がこちらへもどつておれば、その夫の給與で生活ができるものを、そのために非常に苦労をしておるというような事実があると思いますので、この点こちらで勤務する職員とまだ帰らざる職員との差別に対して、どういう根拠で差別をつけたか、その差別を是正する用意があるかないか、これは大蔵省との関係もあると思いますので、引揚援護庁としては給與問題は重大な政策の一つだと思いますので、詳細調査して、この次の委員会までに人員とそれから給與の数字を示し、さらに今後におけるこの対策をひとつお示しいただきたい。特に今度未復員者給與法による給與が引揚援護費というものの中に一括され、あるいは本人の給與が家族の給與というものへ一括されて、戦死者の遺族と同じような立場になつた関係上、せつかく今まで特典があつた者さえ創られるというおそれがないであろうかという心配もありますので、こういう問題もあわせて給與問題として政府の意図を国会へお示しいただきたいと思います。
○木村(忠)政府委員 一般の未復員者の未復員者給與法は、現在の法律をか、える意思は持つておりません。現在の予算をもちまして現在の法律でやる方が至当であるというふうに考えますので、そういうふうにいたしたいと考えております。 なおもう一つの方の御質問については、ただいま数字を持つておりませんので、この次の機会までに調査いたしまして御報告申し上げます。
○小西(英)委員 現在すぐわからなければ次の委員会でいいのですが、大体太平洋諸島における島で戦死されて帰らざる遺骨が何柱、あるいは船で沈んでおると仮定されるものの遺骨が幾ら、あるいは大陸における帰らざる遺骨が幾らというふうな数字を、図面上にひとつ示されんことを、次の委員会までにお願いしておきます。現在わかつておればひとつ御返答をお願いしたい。
○高山説明員 ただいまの御質問に対しまして海沒をした数はただいまここに持ち合せておらぬのでありますが、島で死亡しました数は約百十万くらいでありまして、そのうち二十万内外は戰友が帰つて来たときに持つて帰つた、あるいは戦争中であつたので内地に還送したという状況であります。細部につきましてはさらに資料を整えました上で御報告したいと思います。
○小平委員長 これは全地域にわたる資料を、この次までに出してください。
○若林委員 すでに政府も新聞で御承知であろうと思うのでありますが、日本宗教連盟常任顧問安藤正純氏、日本赤十字社社長島津氏が主唱いたしまして海外、戰歿者遺骨奉還慰霊に関する委員会を組織されようといたしておるわけであります。われわれも関係者の一人としてそれに参画をいたしておるのでありますが、この事業は、政府が主となつてやりまする遺骨奉還に関する大事業に、国民運動として敬虔なる心持をもつて協力をするという意味の会なのでありまして昨日第二回の会合が行われ、来る二十日に第三回の会合が行われまして、全国的に発起人を求めてその委員会の発会をし、同時にいろいろの調査並びに政府督励ということになると思うのであります。事ここに至りましてこれを阻止するということはできません。あくまでもこの国民運動と政府も一体となられまして、遺骨奉還の敬虔なる国民の真摯なる希望を達成して、一日も早く気持のよい日を迎えることが必要でないかと考えるのであります。その奉還に関する計画がきのう問題になつたのでありますが、この運動自体単独にそういう計画は立ちません。政府と一体となつてこの計画は推し進めて行く。今南方諸地域におけるところの戦歿者の数などが小西委員から質問に出ておりましたが、もう漠然たるものではいかぬのであります。どこに何体あつて、だれだれが持つて帰つたというところまでやつて、それじや何ぼ残つている、そして一体について調査並びに奉還の費用がどのくらいいる、あるいはそれに必要な船はどのくらいの船をまわして行かなければならぬ、また相手国はどういうようにしてやるか。まあ全体をやるわけに行くまいと思いますので、手わけをして具体的に政府もこれを御計画になつておきませんと、その会から尋ねられたときに、まだ手を一つもつけていないのだということになると醜を天下にさらすわけでありまして、先ほども硫黄島の何にあつたように、解体の事業をやつている一会社が堂々と出かれられるのに政府が出かけられなんだということに対する不満の意思が川端委員から出ておりましたが、そういうようなそしりを招かぬように、ひとつ早急にその計画をおそらくできておるまいと私は思うのでありますが、お立てくださいまして、この国民運動と表裏一体となつた行き方で一日も早く遺骨の奉還をいたしたいと思うのであります。おそらく本委員会におきましても、この国民運動とやはり一体となつて政府を督励して行く立場に立つて行くのじやないか。参議院の特別委員長だつた長島君、また本特別委員会の長である小平委員長も前回も昨日もこれに参画いたしているのであります。本日ちようど幸い遺骨のことが問題になつたときでありますので、私からも政府のこの運動に対し、また遺骨奉還に対する熱意を示されますようとくとお願いをする次第であります。
○木村(忠)政府委員 これにつきましては先ほども御答弁いたしましたように、民間の国民運動というものにつきましては非常な敬意を抑つております。 なお遺骨の問題につきましては先ほど申しましたように、政府といたしましては硫黄島を手初めといたしまして逐次調査をいたしたい。これにつきましても司令部に対しまする手続を目下ふんでいるわけであります。調査の結果によりまして、至急にこれに対しまする対策を立てるようにいたしたい、かように考えております。
○受田委員 最後に遺族援護の問題と引揚げに関する行政機構の問題についてお尋ねしておきたいのでありまするが、中央において引揚援護庁を、今まで長官が兼務していたものを専任の長官を設けてもつぱらその衝に当らせるという行き方に対しては、政府の御熱意のあるところを十分了承いたします。同時に従来の引揚げ業務というものが、特に第一線の引揚援護局を規模の廃止もしくは縮小して、今日非常にささやかな存在にされているという問題とあわせて、遺族問題が強く取上げられた関係上、援護庁の中に援護課その他を設けていささか拡張の事務をとらしているということ。さらに第一線において従来の民生部の世話課というものがこの遺族の問題などを、また戰傷者の問題を取扱つているように聞いているのでありますが、第一線においては社会課が従来やつておつたような仕事を世話課が受継いでやつているような傾向になつているのじやないかと思いますが、そういう第一線の情勢。そういう引揚げ並びに遺家族援護の問題に関してその主管庁長官である木村さんより、そのそそうのないような行政機構をつくつておく必要があると思いますので、その点について構想を練つていただき、現にとられている組織と、それから今後それをどういうふうに強化しようという意図をお示しいただき、なお復員局とか世話課とかいうものに対して将来の見通し。復員事務官も漸次高給の復員事務官が整理されて来ているということもわれわれ承知しているのでありますが、こういう復員事務官の身分の問題。こういうこと一についてお伺いしたいのであります。
○木村(忠)政府委員 私といたしましては、この仕事につきまして徹底的に改めるには相当な事業の強化と申しますか、機構の強化をしなければならぬのじやないかというように考えます。ただ現在御承知の通りに行政機構が非常に厖大過ぎるというような情勢でありまして、厚生省といたしましても相当規模の縮小を現在いたしたわけでございます。引揚援護庁もその線に沿いまして相当の縮小を受けているわけです。従いましてその機構の範囲内でもつていかに能率的に仕事をやるかということをこの際考えたい。私就任いたしまして、そのために機構の変改を行いまして、従来の援護局の中に課がたくさんありましたが、むしろ整理し少くいたしまして、そうして引揚課と援護課と二本建でもつて行くことにいたしたのであります。援護課でもつて遺族の問題を取扱い、引揚課でもつて引揚げの問題を取扱おうという形でもつて、精鋭主義で強化して行きたいと考えているのであります。なお実際にこれをやる手続等も十分今後検討いたしました上で、さらにこの問題につきましては十分検討いたしたいと思います。 第一線の機構につきましては、従来社会課でやつておりましたものを世話課でやるという考えではないのであります。従来全然手をつけられなかつた分を世話課でもつてさらにやつていただくというつもりでおります。従来社会課でやつておりました分について、やはり社会課でやる。さらに今後新たに行われるであろうことにつきましては世話課でやるということになります。
○受田委員 一般邦人の調査の問題、引揚げ促進の問題は外務省が従来やつておつたのでありますが、これは引揚げ事務の統一の立場から厚生省がやられる必要はありませんか。また第一線では、一般邦人の帰らざる方々の調査を社会課でやつていたのが非常に多いように昨年、一昨年と地方を視察して私は思つている。それが今世話課に振りかえられている傾向があると思いますが、これらも社会課がやつている事務が世話課に移管されたという一つの例だろうと思います。こういう実態をその最高責任者である長官から伺いたいのであります。
○木村(忠)政府委員 まだ就任してから長くございませんので、そこまで十分考えておりません。十分に検討いたします。
○小西(英)委員 今承れば非常に内部を縮小されているように感じたのでありますが、具体的な問題で、前国会に政府は一億円の遺族調査費を出したのでありますが、あれの明細がいつの日になつたらはつきりと示されるのか、ちよつと承りたい。
○木村(忠)政府委員 一月の末までに県からの資料がこちらに来る、県で集めましたものをこちらで集計するわけです。集計には相当手間がかかります。しかしわれわれとしましては、できるだけ早くこれをやつてもらいたいと思つております。
○小西(英)委員 その集計が遅れたために、遺族は今国会でこの法案が通過した場合、必ず四月にはさつそくでも公債も渡るであろう、あるいは臨時年金も渡るであろうということを首を長くして待つておるのでありますが、たとえば公債のごときものも、一柱に対して一枚々々名前がかわるのでありまして、公債が二百万枚印刷された場合に、手数が少いために一日に一万枚の名前を書いておつても二百日かかるというふうな具体的な事実を想像すると、はたして遺族の予想しておるように、四月や五月に全般に渡るかどうかを非常に懸念するのでありますが、そういうものについて援護庁長官が確信を持つておられるかどうか。
○木村(忠)政府委員 法律案が提案されまして通過しますと四月一日から施行になるのであります。それからこれに対しまする申請を受付けまして、そしてそれに対する交付の手続をとるということになるのでありますから、四月からただちにこれを交付するということはおそらく困難じやないかと思います。ただ恩給等の裁定をかつて受けておる者は、これについては割合容易でありますが、それ以外については若干の日数がかかるのではないかと思います。これにつきましては、われわれとしては今度の予算の中にあります裁定の事務費を有効に使いまして、これによつてそういうような仕事については遺憾のないように、できるだけ早くするように措置したいと考えております。
○小西(英)委員 もらう方からいえば、八年間も空間になつておるので、たとい公債であろうともさつそくもらいたい。四月一日ころには遺族会の方では手元に必ず来るくらいに考えているようなことです。援護庁長官はなるべく早くと答弁されますが、見通しは、まず法律が通つても四月の月には渡らぬが、五月の月くらいには全般の手元に公債なりあるいは第一回の臨時手当のようなものが渡るということを、われわれが遺族に話しても大体間違いないですか。
○木村(忠)政府委員 この点につきましてはまだ法律もできておらない状態でございます。法律案ができました上でないとはつきりしたことは申し上げられないのであります。まだそれに対しまする対象についてのこまかいいろいろな問題もございます。これらにつきましては、現在きまりました仮決定の範囲内で法案を用意しております。そこにも若干の問題が残つておるのでありまして、今すぐ五月にはできるということは私としてはお答えいたしかねます。
○小平委員長 他に質疑がなければ、本日はこの程度にて散会いたします。 次会は公報をもつて御通知いたします。 午後三時五十三分散会