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12回国会両院1951/11/16

両院法規委員会 第5号

発言数
85
登壇者
8
会派数
2
開催日
1951/11/16

会議録

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) それではこれから会議を開きます。本日は衆議院の委員長が会長に当る順番になつておりますので、私が会長の職務を行います。  本日は参考人として国立国会図書館長金森徳次郎君並びに東大教授尾高朝雄君が御出席になつておりますので、前会に引続き、衆議院の解散に関する問題について御意見を伺うことにいたします。  この際参考人の方にごあいさつを申し上げます。本委員会におきましては、先般来衆議院の解散の問題、特に解散権発動の事由に関しまして研究いたしておるのでありますが、本日はわが国公法学界の泰斗たる金森、尾高両売生に御出席をお願いいたしましたところ、御多忙中にもかかわらず、快くお引受くださいまして、まことにありがとうございました。厚く御札申し上げる次第でございます。  それではまず金森徳次郎先生よわ御意見を承ることにいたします。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) この衆議院の解散権の問題は、憲法が議会において論議せられておりまするときにも、相当幾つかの論点について研究をされたわけであります。今日から顧みますると、大体必要な問題は、両院の議事の中に現われておるような気がいたします。ところが、それから政治の現実の場面に解散が現われて来るときになりまして、私どもの立場から見れば思いもつかぬ反対の意見が出て来まして、政府は自由に衆議院を解散することはできないのであつて、衆議院が不信任決議をなしたときに、初めて内閣は解散の順序に出ることができる、こういうふうの意見が出まして、その後幾つかの議論の動きはありましたけれども、結局実際問題がその中にからまりまして、一層この解釈を問題化させておると考えておりますが、憲法自身の文字の範囲から申しますと、どこにもそういう疑いの起る余地はないように思いますし、またわれわれの憲法は、昭和二十一年に突如として完全に新しく発生したと考えるより、従来の日本の政治的な沿革を経つつ、ここに大きく新しい面を開いたのでありまして、議会制度等に関しまする習慣、伝統というものは、新しき憲法の規定と正面衝突しない限り、相当意味を持つておるような気がいたします。この字句の上と、それから従来の伝統を守るという二つの見地に立ちまして解散のことを考えて行きますると、比較的明瞭になるような気がいたします。  第一の問題といたしましては、従来日本の憲法、また新しき日本の憲法におきまして、解散を認める根本の理由というものが疑問になるのであります。これは別に成文の上に非常にはつきり出ておることではございません。イギリスに発達いたしました解散の伝統的なあり万、それから日本の成文憲法とを組み合せて、ここに調和する部分が答えとなつて来ると思いまするが、私ども書物によつて研究しておりまするところでは、解散ということは、三権分立主義をとる上から生れて来る非常に微妙な政治的な制度であつて、これがなだらかに動くことが好ましい、こういうふうに考えております。かつてフランスにおいて、解散制度が憲法の中にありながらも、実際は行われなかつたというようなあり方は、必ずしもフランスによき利益をもたらしてなかつたのではなかろうか、それは政治の安定を害して、内閣がしばしばひつくりかえるという原因になつたのでないかと思つておりますが、日本で明治憲法時代にこの解散制度が生れました趣旨は——時代々々の解釈はいろいろ違つておるのでありましよう。ごく古い時期には、解散というものは、政府が衆議院に対して懲罰を加うる意味でやるんだ、こんなような一種の迷信的な解釈すらもあつたかに——これは正式な解釈ではなくて、そういう気持があつたとさえ伝えられておりまするが、正しい道順の上におきましては、そういうことではなくて、衆議院と故府との間の関係におきまして、どちらの立場が一番国民の気持をよく代表しておるかということを見きわめまするために、衆議院を解散して輿論に問うのであつて、輿論によつて新たに選ばれました衆議院の勢いというものが、国全体の意見のように認められて行つて、それで政府の態度もきまる、つまり政府に不利であれば政府は投げ出す、こういう形で、その順序はよく守られておつたような気がいたします。時に行き過ぎがありまして、同じ問題について二度も解散をしたかの、ごとき事例はございますけれども、そういうようなのは非常に古い事例であつて、範とすべきものではなかろうと思います。また衆議院が不信任決議をした、これに対抗する手段として解散をするということは、明治憲法の時代にはそんなに第一線に持ち出されておつた原理ではございません。もつと広い考え方から行われております。その場合の若干の事例を拾つてみますると、一つは、非常に大きな問題を眼前に置きまして、はたして国民はどういう考えを持つておるであろうかということを選挙によつて確かむる、こういう場合が一番大きな意味を持つておるように思います。たとえば新しき憲法を昭和二十一年に議会に諮りまするときに、政府があらかじめ憲法の草案の要綱を示しておきまして、そうして衆議院の選挙を行つた。こういう場合におきましては、新しきものを眼前に置きながら、国民がいかなる政党を支持するであろうかということをはつきりさせる趣旨である。政府不信任という趣旨から議論が起つておるのではないと思います。また古い時代におきましても、これに類することはあつたと思つておりまするが、今正確な基礎を持つておりませんから、そこまでは触れません。確かに事例としてはございました。  そこで、なおその思想を広めて、理論的に考えて行きますると、何のために解散をするかといえば、解散というものは、解散後の選挙を通じまして、国民の意思がどこにあるかということを政治の面に反映をさせる。これが解散の趣旨であります。従つて、そういうことをするに必要なだけの事情があれば解散をするというのが、教科書風のりくつとして認められており、事実それが筋が通つたもののような気がいたしております。考えてみますれば、衆議院によつて政府の信任が非常に疑われておるというときには、政府が国民の支持を受けておるか、衆議院が国民の支持を受けておるか、これを確かにするために解散をする、これは一つのその場合の適当なものに相違ありません。あるいはまた、前にも申しましたように、ある大きな政治問題が起つておつて、あらためて国民の動向を察知するために衆議院の再選挙を行う、再選挙を行う前提として解散をする、これもあり得るのであります。教科書の示すところによりますと、イギリスでは、たしか内閣を免職して、同時に衆議院を解散して双方ともに面目を新しくする、こんなことも考えられておつたということが書いてありましたが、それも理論的には考えられるのであります。  そこで、日本の新しい憲法ができまするときに——憲法の成文ができて来る順序の詳しいことは私は関知しておりませんので、その点は御説明はできませんけれども、しかし天皇の権能のところに、議会を解散をするということが書いてありまするのは、これは何も天皇に特殊な強い権能を認めるという趣旨ではなくて、議院内閣制の伝統に従いまして、形式的に解散の権能を天皇に属せしむる、けれども実質的な権能は、もとより一般的な国の行政の中心点である内閣にある、こういうように非常に単純に説明のできるものと思うのです。たとえば勲章を授けるという権能がこの憲法の七條に書いてございまするが、栄典を授與するということが、何も天皇を封建的なる天皇とする、こういう趣旨を持つておるのではなくて、内閣の助言と承認によつて、事の形式を整えまするために、天皇によつて形が行われる、こういう趣旨でありまして、解散権能が天皇に表面的に属することは、過去の古い天皇中心主義を実現するという意味とは関係のないことと思つております。そしてこの解散をする條件はどこにも書いてございません。どこにも書いてないということは、議院内閣制の歴史のうちにいろいろ発達して来ておりまするところの一般の原理に従うものであつて、特別な制限をつけない、同時に実質的には、政治歴史の上から生れて来る制限があるもの、こんなふうに解釈をしております。  その次に、問題の中心となつておりまする、憲法の六十九條の場合でなければ解散ができないかという論につきましては、この六十九條を忠実に読んでみますると、これは解散をすることを許しておる規定ではございません。不信任決議の場合におきまして、いかに処置するかというときに、衆議院が解散されない限りというのであつて、解散されるという事実を受けておるのであります。従つて解散権の所在の規定とは関係ございません。事実として解散があるかないか、もしなければ総辞職をしなければならない、こういうことでありますから、憲法の七條の制限として認むる論拠はないのであります。権能自身は七條にのみある、こういうふうに考えられております。解散ということの規定の値打としては軽く出ておりまする六十九條をもつて、七條を限定するものであるとする解釈には、どうもはつきりした根拠がないという気持がしております。  それから次に、第三とでも申しまするか、六十九條という條件が具備しなければ、解散ができないというような制限的な解釈をいたしますると、政治の実際にどういう影響が起つて来るであろうか。これが政治的に見ると一番大きな問題であろうかと思いますが、大体解散ということは、前にもちよつと申しましたように、権力分立をうまく調節する手段であろうと思います。民主政治の発達の道行きで、権力が一つの手にあるというと、どうしても納まるところがなくつて、事が間違つて来る。かつて統帥権が非常に強くなつて、その結果統帥権が行くところまで行つてしまつて、国を破滅に持つて行つたということと同じように、立法権も司法権も行政権も、一人でかつてなところまで行きますると、いつどんな間違いが起るかもしれぬ。お互いにこの三つのものが補い合つて、極度なところまで行かないようにする。こういう根本精神から来ておるらしいのであります。だから内閣がやり過ぎれば、衆議院はこれに対して不信任決議をする、裁判所がやり過ぎれば、国民投票によつて最高裁判所の裁判官の運命を決する、こういうふうに調節ができておるのです。ところが、そのうちで国会でやり過ぎがあるとき、高い立場から見て、国会の権能行使というものに無理があるという勢いを増しましたときに、いかにしてこの国会を調節するか、この権能が非常に大切だと思います。もし国会がほんとうに、走つた馬がかけり行くがごとく自由でありまするならば、三権分立の精神はこわれてしまうに相違ございません。そこで国会に対して調節を加える方法が幾つも考えられて来るはずであります。しかし、これはなかなかむずかしいことでありまして、たとえば、アメリカのような議院内閣制をとらない純粋な権力分立制をとつておりまする国では、事実好ましい調節方法はございません。結局大統領にヴイートーというものをも認めておりまするけれども、これとても限度があつて、うまく行かないのであります。でありまするから、他のところでくふうをして、たとえば大統領の権能をある程度独立させて、国会が思うように大統領を引きずることができない、つまり大統領は任期中は自分の思うように権限を行使することができる。こういう状態で国会の行き過ぎを防止することもできましよう。あるいはまた国会議員の任期を短かくして、二年というような期間で切りかえて行く。こういうことになりますれば、いかに行き過ぎようと思つても、二年の短期間のことでありまするから、そんなに大きな弊害も起らぬ。これはいろいろな点でくふうせられておるように思います。けれども、そのほかにどういう方法があるかといえば、結局これをうまく調節する名案はないと思います。終局は国民が判断するよりほかにしようがない。どうせ民主主義の最後の権力の所在は国民全体でありまするから、国民に解決のかぎを與うるよりほかに道はございませんけれども、しかし国民が自分でこのかぎを行使するということは、実際方法としては非常に困難であります。何千万という人間が国民投票をやることは、そんなに楽なことではございません。そこで日本の憲法は、そういう道もとざしてしまつた。こういたしますると、結局現在の憲法に残つておりまするような解散というものによつて、現在の衆議院を一時解体をして、そして再選挙という方法によつて新たに国民の輿論のあるところを見て、その再選挙された衆議院に絶大の権力を認むる、こういうような道よりほかにしようがないということで、この憲法の原案はできておるのであります。そう考えて行きますると、その解散権はかなわ自由でなければならぬのでありまして、今問題になつておる、議会の意思によつて動かせるようなふうでありますると、はなはだおもしろくないような気がいたします。つまり衆議院が自分を解散せしむるかどうかを自分の意思できめて行く、いやだと思つたら解散することのできないような態度をとつて行くというふうになりますると、やはり権力分立の上の不輸快の点が起つて来るのではないかという気がいたします。そこで六十九條によりまして、不信任決議ということを解散の唯一の根拠にいたしまするなら、不信任決議はやらない、これに類似する他の手段でもつて政治的な目的を達しながら、はつきりした不信任決議をやらない、こういうことにすれば、国会はかなり行き過ぎたところまで行つても、憲法上どうすることもできぬ。こういうことになりますと、憲法の精神かちいうと、あまりおもしろくはないのであります。そんなところまでこの憲法が予想しておるとは考えられません。字句の上から申しましても、今申しましたように、むしろその反対の論拠が出て来ておるのではないか、こういう気がいたします。  それから次に、一つの制限説の根拠となる議論の批評をしてみますると、ある議論によりますると、衆議院は民主主義におけるいわば主人である、その主人が自分の使用人であるところの内閣によつて解散されるということは、主客転倒であり、かような考え方は民主主義の本質にも反する、憲法にも国会は国の最高機関と書いてあるではないか、こんな議論が言われております。その議論は、表面的には一応理由がありげに見えるのでありますが、二つの難点があろうと思います。第一は、国の最高機関ということは、なるほど憲法に書いてございますけれども、それは言葉通りにとるべきものではなくて、憲法全体の中にある幾つかの制限を受けておるものであります。たとえば最高裁判所が法律を批評する権能があるということがありますれば、その意味において国の最高機関ということは限定せられておると思います。同時に憲法において解散権が認められておりまするならば、やはりその意味において国の最高機関ということにも限定があつておかしくはございません。とすると、最高機関を中心にするわけには行かない。これが一つの点であります。次に内閣というものが国会の使用人であるという考え方、これ砥考えられないことはございませんけれども、言葉が少しく誤解を生じやすいと思うのであります。権力独立の精神によりますれば、国会と内閣との間には多少の独立があるのであります。なるほど国会は内閣を倒すことはできる。これは当然であります。しかし内閣にかわることはできないのでありまして、その間には幾分の独立性が保たれておるのであります。正確に申しますると、国会も内閣もともに国民の機関である、国民の意思に基いて職分を担任するものである、こう言うことが適当であろうと思います。従つてごく平凡な言葉に直してたとえまするならば、国民が主人である、その一番番頭は国会である、二番番頭は内閣である、こう考えることができましよう。そこで一番番頭がいいか悪いかということを、主人にさばいてもらおうというようなことをいたしまするときに、二番番頭が発言をするということは、そんなに無理なものでは、ございません。だから雇い人が雇い主を動かすというような見解は、これは日本の憲法の建前では成立いたしませんので、これは国民というものが最後に主人であるということを軽く見た議論であろうと思います。  大体今まで申し上げましたことは、思いつきつきに順序を立てましたので、少しく不明瞭であるかもしれませんが、私の申し上げた趣旨は、三権分立ということを前提にして、その間をなだらかに調節するためには解散制度というものが必要になつて来る、これが第一点であります。そこで憲法は、その解散権の所在を形式的に天皇に認めておる、しかしこれは憲法の一般原理に従いまして、実質的には内閣に認めておるのである、この規定を置いたために、何も天皇に特別に強い権能を認めたということにはならないということを申しました。それから第三に、憲法第六十九條は解散権があるということを言つておるのではなく、解散されないならばおのずから総辞職をしなければならない、解散ということはほかの規定で行われるということを前提として、あの規定ができておるのでありまするから、あの規定を解散権の根本に著しく制限を加うるように解釈することは、言葉の筋道として成立しないということを申しました。それから第四点に、世間で、実質的に権力の持主は議会であるから、内閣によつて動かされることがおかしいというこの議論に対しましては、それは普通の考え方とは違うのである。まあこんなことを申しました。もしまた今の最後の意見のように、国会が主人である、ことに衆議院は主人である、従つて内閣がこれに手をつけるのはけしからぬ、こういう議論が起りまするならば、たとえば不信任決議をした場合にでも、内閣が衆議院に手をつけるということは、許すべからざることのような論理的結果になりまして、まあこういうことは大体程度問題であろうと思います。それから最後に、一体いかなる條件のもとに衆議院を解散するかということは、憲法の簡単な文字から理解することは無理でありまして、議院内閣制をとつておりまする外国の事例——外国を尊重するわけではございません。制度自身が沿革的に外国で発展して来ておるのでありますから、そういう沿革をたどりつつ、その中から不合理なところを除き去つて答をつくるのがよいというようなことを申し上げたつもりでおります。結局私ども、衆議院を解散いたしまする根拠條文は、憲法の七條にあるのである、そうしてその権限行使の実権は内閣にある、しかもこれをどこまでやつたら濫用になるかということは、主として政治的に判断をすべきものである、こんなような結論を申し上げたつもりであります。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) ちよつと私からお伺いいたします。金森先生のお説では、第七條で無制限に解散ができるということになるわけですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 無制限という言葉には多少の弊害がございますが、大体政治的に発達いたしました手段はおのずから制限があるものでございまして、解散制度というものの一般に持つておる制限はもとよりこうむつております。いわれなく解散することはない、解散に必要な條件が具備するときのみ解散できる、こういうのでありまして、その解散に必要な條件というものは、大体歴史的にきまつております、とそんなふうに申し上げたつもりであります。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そうすると、歴史的にきまつておるということはだれが認定するのですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) そういう認定権は、憲法全体の解釈の認定権ということになるのでありまして、そうはつきりは言い切れません。要するに主権者たる国民が認定する、こういうことになる。しかし主権者たる国民が一一発言する権能はございませんので、それを背景としてできておる政治組織が認定するということになります。結局国会は相当の地位を持つておるけれども、ほかのものもその権能に応じて発言権を持ち、結果においては、いろんなものが組み合わされて調節されて行くと考えております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そうすると、結局現実においては、政府において必要に応じていつでもできるわけですね。裁判所に訴訟を起して判定を受ければ別ですが、それでは間に合わぬことですから、解散がたとい客観的に不合理だと見ても、内閣で必要であり、條理上、沿革的にも理由があるというふうに感じてやつたということになればやれるわけですから、結局内閣の専権で、独断で、主観で解散できるということになつて、現実においては無制限、無條件でできるということになるわけですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) それは今の建前では、もし政府がそれをやろうとすれば一応やれるということになり、国民のさばきの前にその答えが出て来る、こういうふうに考えております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そういうことで解散権が内閣にあるということになりますと、第七條に栄典を授與することとか、そのほかいろんなことが天皇の国事に関する行為として書いてありますが、條約の問題にしても、栄典の問題にしても、国政に関することは基本的に内閣の権限として別にありますね。ところが解散の問題ばかりは、七條以外には別に実質的に明文はないことになりますね。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 国の権能を、この憲法は大体立法、司法、行政というふうに三つにわけておりまして、それで所属をきめておるのでありますが、しかし一体国の権能が三つにうまくわけられるというりくつのものではございません。いろいろそれとまぎらわしいものが存在しておるのであります。これは事実そうなるよりしかたがございません。たとえばこの憲法の中には、必要がないがら入つておりませんが、いくさをする権能、こういうものが問題になりますと、一体それが行政権だろうかどう一かということは、一ぺん頭をひねつてみなければならない問題になるのであります。そこで今の解散権というものは、これは性質上ちよつとかわつたものでありまして、国民に対する行政ではございません。国会とほかのものとの関係を調節するとか、あるいは国会自身と国民の輿論との間の関係を確認する、こういう方法のものでありまして、ほんとうの意味の行政とは言いにくいと思います。たしか外国の学説では、調整権とか申しましたが、幾つかの権能の間の調整をとりはかる権能であると言つております。ところで日本の憲法は、そうこまかいところまでりくつ詰めにしておりません。結局権能の所在はぼけておるというのが事実であります。しかしぼけておりましても、言葉はなくても、おのずからその各機関の分類というところに行きますと、立法でもなく司法でもないということがはつきりいたしますれば、結局残つたものが広い意味の行政権として内閣に属する、こう考えることが妥当であろうと思つております。論理的にそこに行くということは言い切れません。しかし現実の制度というものは、そんなこまかいところまで行き届いておりませんので、そこは含まれておるものだというように考えております。たとえば栄典授與なども多少その傾向があるかと思つております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そういたしますれば、憲法第六十五條に、行政権は内閣に属するということになつており、七十三條に、内閣は他の一般行政事務のほか、左の事務をするということになつておつて、その中に大赦、特赦、減刑などの例外も書いてありますし、それから外交関係のことも書いてあるし、條約を締結するというようなことも書いてあるわけなんです。こういうことは一つの国政ではあるが、解散権がより以上重大な国政であるということになり、六十五條の行政権、七十三條の一般行政事務以外のものに解散権が属するということになれば、ここに解散権のことを明示する必要はないのですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) これは、明示する方がいいという論はりつぱに成立するだろうと思います。しかし、でき上つたあの憲法の字句の配列の関係において言いますと、これは沿革のことを考えておりまして、今の調整権というふうなものは沿革的に発達しておつて、それはイギリス風の国では、少くとも形式的には君主に属しておる。衆議院が内閣から解散されたということは権威の意味もありまして、いかにもおかしいものでありますから、形は君主から解散をさせられた、こういうふうな発達がありまして、そういうことは議院内閣制をとつておる国の常識的なものである。こういう含みのもとに、わざわざ書かなかつたのである。こう考えておりますが、論理的に行けば、書き加えることの方が正確であつたことはもとよりであります。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そうすると、沿革的とか、歴史的とか、そういうふうなものを除いては、この新憲法の條文からは解散権というものははつきりつかむことができないわけですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) さほどまでに不明瞭なものではないと思つております。と申しますのは、憲法の七條に、衆議院を解散するということがある。これははつきりしております。天皇がこの権能を行使せられますためには、内閣の助言と承認による、こうはつきり書いてありますから、それについて内閣が助言をし承認をする、その権能があるということは、これから推論ができるわけであります。直接の明示がないというだけでありまして、間接的にはその意味が現われておると信じております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 沿革的、歴史的に見ますと、イギリスの議院内閣制というのは、大体君主制のもとにでき上つたものであつて、議会の解散というものは、名は国民の総意を聞くということにはなつておるけれども、英国の歴史をひもといてみましても相当実績がありますように、一つの懲罰的な解散だというふうにとれないこともない。君主が懲罰的に国会を解散するというふうにもとれないこともありませんし、ことに日本の沿革的、歴史的な解散の跡を顧みてみますと、懲罰的解散にあらざれば政略的解散、その最も顯著なものは、大正九年の原内閣のときに、原内閣が多数を占めておるにもかかわらず、島田三郎氏の階級打破という言葉じりをとらえて、突如として解散をして、多数の上にも絶対過半数を強くしたというようなこと、それから政友会、民政党の政権抗立時代においては、必ず少数党——これは陛下の大権によつて総理大臣が任命されたが、この総理大臣は少数党であるのが常ですから、解散をしようという気構えになる。それで、それに先んじて不信任案を出すが、結局解散をする。解散をすれば、選挙干渉をやつて必ず多数を獲得するというようなことで、これらもむろん政略的な解散です。少数党内閣では国政の運営が思うように行かないからというので、多数を獲得する目的のための解散です。多数を獲得するというのには、日本の実情としては、選挙干渉によつて必ず政府党が勝つというようなことになつておるので、それで政略的に解散したのであつて、ほんとうの意味において国民の総意を聞くという、そういう理想的な形における解散は、ただの一回もなかつたと私どもは確信しております。そういうふうな懲罰的な解散や政略的な解散を避けるというのが新憲法の精神で、国会というものが最高機関であり、国会というものを軍視し、国会議員の地位というものを憲法で四年間とはつきり限定しているが、四年間は国民の信頼のもとでその使命を遂行するというようなことになつておるのではなくして——その思想は司令部の方というか、アメリカの方から来た思想であつて、この憲法はアメリカとイギリスとの中間、イギリスのように無制限的な解散はできないが、そうかといつて、アメリカのように無解散でもない。不信任案が通過したとき初めて国民の総意を聞くというような、限定的な、中間的な制度にしたのではないかというように思われますが、その点はいかがでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) この解散というものは、多くの政治的意味を持つております、それから不愉快な歴史が出て来た。これはおそらく事実であろうと思いますが、しかし政治というものほ、肉と肉と相打つようなものでありまして、最後の段階におきましては、その国の文化に相応する程度の若干の勢いの衝突というものがあることは免れ得ないのであります。しかしながら一足飛びに理想の世界に行くことはできませんから、大体合理的な制度を用いて、それから起る不合理性はお互いに除いて行く、こういうことであろう。この憲法の建前もそういうものでありまして、どうしても最後の形は国民の意思にまたなければならぬとすれば、解散の制度をその趣旨に合うようにつくろう、こういうことであります。国会が自分の一つの考えを強く貫くために、解散を不可能ならしめる、言いかえれば、輿論の判断が現われる機会を遅らせるというようなことはおもしろくない。私どもはこの憲法を考えておりますときには、そういうつもりでありました。だから解散というものは、ある程度広い意味において行われてよろしい、そのかわり、昔ありましたように、同じ問題で二度解散するというきらいのあるような乱暴な手段は禁止いたしまして、一ぺん解散をやつたら、内閣は必ずみずから投げ出さなければならぬように規則をつくつておきまして、そこで正々堂々たる政治的な行動ができる、こういう気持を私どもは当初から抱いております。憲法七條の解散をすることというようなことが、従来のイギリスの制度の上に、アメリカ的な考えが加わつておるのかどうかという点につきましては、私ども関知しておりません。ただ直感を言えば、そういう考えは加わつていなかつたのであろうと思つております。たまたま後に至つて解釈問題が起りましたとき、そこに不幸にして、何らかの解釈上の疑義が起つたということはありますけれども、どうも当初にそういう考えがあつたというふうには、私ども関知しておりません。私どもこの憲法ができますとき、議会でいろいろ御質問に応じてお答えいたしましたときにも、解散の事由はかなり広いものであるというようなことを言つておきましたが、それに対して、それを補正されるような外からの影響を受けた記憶はございません。多分何かの行き違いのようなものがあるのじやないかと思つております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 立法のときのいきさつは、私もその審議の委員の一人だつたので、参画しておりましたから、おぼろげながら覚えておりますけれども、なるほどこの問題は、そう深く検討せずに済んでおつたと思いますが、これができ上つて、この憲法を明文の上から解釈し、日本の現実の政治情勢の上から解釈します上に、途中で解釈問題が起つて、アメリカ的の判断が加わつたという、その判断、それの方がいいのじやないかと私どもも思われる節もあるのです。たとえば尾崎先生も言われたのですけれども、明治憲法でいえば、天皇がいつでも解散をせられた。しかし天皇が解散されるについては当時のプレーン・トラストというか、元老なり重臣なり、いろいろな側近の人々の意見を聞いて、そこで政府の行き過ぎも制約したり、いろいろそこに微妙な政治の動きというか、そういうものができておつたと思うのですが、内閣が無制限、無條件で、理論的にはともがく、現実にやれるということになれば、明治憲法より以上に内閣の権力が強くなり、国権の最高機関たるものが、先ほど言われましたように、ただ整字の上の最高機関であつて、実質は最高機関ではないというようなことになるのではないでしようが。ことに現在においては選挙干渉の效力などあまりありませんし、一応そう大した弊害もないようでありますけれども、今後中央集権が強化されたりいたしますれば、勢い選挙干渉などどいうものも非常な効果を発揮するような場合が生ずると思います。そうすると無制限無條件の解散権を内閣に持たせるということは、現実の政治の上にとつて非常に大きな弊害があるのじやないかというように思われますが、いかがでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) おつしやるような場合も考えられないことはございません。しかしいずれにいたしましても、輿論の声に重きを置きますれば、無理なことはそんなに長続きするものではございません。次の選挙で出て来る期日までの内閣の運命である。その選挙に著しい干渉をしようといたしましても、今の国民の判断の程度では、政府の力はそんなに有力ではないのでありますから、弊害はありましても、何か短期間の弊害のように予想せられるのであります。つまり次の総選挙の行われるまでというふうに考えられます。無理なことを国民が戦うておるわけでもございません。そういう程度の弊害はよしんばあつても、民主主義の道行きの上においては、ある程度がまんをしなければならないものかもしれません。ただこれに今度反対する方の立場におきまして、もし衆議院で不信任決議がされなければ、政府は何らの態度もとることができない、こういう方の立場をとりますと、問題が相当複雑になるのでありまして、おのおの政治的な争いをする上には、最善のくふうをするものと考えますから、たとえば客観的に見て、輿論と食い蓮つておると察せられるような情勢があるにかかわらず、わざと衆議院で不信任決議案を出さないことにするというような態度で行きますならば、かえつて国政がだれて来て、国民の気持を離れることがないとも言われません。従来の歴史がまだそういうことを証明するまでにはなつておりませんけれども、大体不利益と思われる分量がどつちの考え方の方によけいあるかと考えますと、短かく不利益を打切る内閣の解散権の方に弊害が少いのじやないか、私が憲法を取扱つたための身びいきかもしれませんが、そういう気持がしております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 大体国会の多数を占めないものが総理大臣になるということはあり得ないことなので、少数党がたくさんあつて、絶対過半を制しておる政党がない場合に、三派のうち二派が連合して総理大臣を指名したけれども、後に指名した二派が相わかれて野党と一つになつたというような場合のときしか、実際は想像できないわけでございす。ただ第二次吉田内閣のときには、ちよつと変態的なことも生れたのでありますが、あれは大体明治憲法の頭に国民もおり、指導者階級、言論界などもそういう頭におつたので、ああいう変態内閣が生れたのではないかと思います。あれは新しい憲法が要求しておる正常な形の内閣ではないのじやないかと思われます。従つて将来、これは解散が限定された場合以外には、できないということになる。国会議員が四年間は国民から信託を受けておるのだという、アメリカ式の確固たる地位を確立するというようなことになれば、気の早い、飽きやすい日本人でも、四年間はどうしてもまかせたものだからしかたがないという気持になつて、ひんぴんたる政変などもなく、政局もかえつて安定するということになるのじやないか。また先生の言われるように、輿論の力があるということになれば、かりに少数党の党首が内閣総理大臣になつた場合でも、不信任案を出さずに意地の悪いことをするというようなことは、どうしても長い生命のある政党としてやるべきことではないので、輿論の力によつてどうしても不信任案を出すが、真の是々非々主義で、アメリカ式に四年の大統領の任期が保障されており、下院でも上院でも、共和党が多数を得た場合でも、また国際連盟加入のときのように、ウイルソンの政策が拒否されたような場合が生じても、そこは国民が国会の行動が是だというように信ずることになれば、そういう大問題でも、大統領のとつた考え方が間違いだというので、国会が支持されるというようなことになるのである。それと同様なことで、日本も安定した政局が招来されて、かえつて民主的な国会の運営に将来非常にいい影響をもたらすのじやないかと思いますが、その点についてはいかがでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) その点は非常に大きな問題でありまして、私どもはつきりした結論を持つておりませんけれども、最近ちよつとほかの必要がございまして、世界の目ぼしい国々の政治の組立てを簡単な図表のようなものにしてみましたところ、非常に複雑な組織を持つておるものもあり、非常に簡単な組織を持つておる国もあります。たとえばアメリカのようなのは、そのうちの一番簡単な組織の国でありまして、任期で縛られる以外は絶対に動かない。そこで世の中がかわりましても、任期中はその地位におる。大統領は四年間、今おつしやいましたそういうふうで行つて、それで案外簡單にうまく行くのであります。国民が内閣を倒すこともできない。同時に議会を解散させることもできない。この簡単な形式を巧みに使つて行きますと、政治的な技巧を用いる余地は非常に少くなるために、政治が安定するということは実は言えるような気がいたします。そうして、くしやくしや制度をつくつております国が、必ずしもうまく栄えているというようなわけでもありません。大きな目で見ますれば、政治機構を簡單にして、その間に政治的紛糾を人為的につくり上げる余地をできるだけ少いようにするというのが、大局においていい政治のやり方ではないかとう、われわれ思うようになつて来ております。これからの日本の制度も、そういうことを考えて行つていいと思いますが、ただこれは簡単に符かないものでありまして、議院内閣制をとつたという、この一つの原理が立ちますと、ほかの制度をこれに合うようにしなければ動きません。そこで、国民は選挙のときよりもあとで気持がかわるかもしれないというので、選挙のときのままをいつまでも固定させないで、国民の考えが違つたと思うような事情が起つて来れば、解散、再選挙さいう道を開くことも、政治のことは私は存じませんが、法律の面から見れば、そういう道を開いておいて、あとは適当にこれを利用して、濫用しないということが好ましいような気がしております。私ども憲法及びその運用を見ておりますとき、議院内閣制度を捨てて、いわゆる権力分立内閣制にするというならば、一応の考えはつきますけれども、今のような議院内閣制をとつて行きます限り、何か国民の発言権というものにいつも重点を置くような制度がほしいのであつて、それが今の解散制度の場合には、国会みずからやらずといえども、時と場合には解散が生れて来るというのが、程度問題ですが、いささかまされりと信じております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) もう一、ニ聞かしていただきたいと思います。七條の天皇の行為が掲げてあるのは、国事ということになつておりますね。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) さようでございます。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) それで解散権は国事ではない、国政というようなことに解釈されておるのでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 解散と申しましても、これを二つにわけることができるのでありまして、実質上解散すべきか、せざるべきかということを判断するのは、これは政治を動かすものであり、多分国政の部類に属するものと思います。しかし形式上ちやんときまつておつたものを、形だけで解散を命ずる、こういう形をとりますと、その部分だけで言えば、いわば儀礼的、形式的なものでありまして、ここで言う国政には当らない。言葉だけですぐどちらかということはできないのですが、その言葉を実現する部分をわけて、それで国政と国事に区別すべきように考えております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 従つて、七條からは国政たる解散の決定はできないということですか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) もとより七條の天皇が解散するということは、内閣の助言と承認というわくの中で、形式的な、儀礼的な権能を行使することだろうと思います。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) そうすると、七條から直接無制限に解散することができるということにもならぬわけですね。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) そこは、結局七條の三のところの中心的な意味は、これは国事であつて、国政ではないと思つております。しかし七條の本文の方で、内閣の助言と承認により云云ということを言つておりますので、内閣の助言と承認というものがここにあることを予想しておるのでありまして、そこに国政に当る解散の部分が出て来ると思つております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) たとえば第七條の七の栄典を授與すること、これなんかは純然たる国事ですね。これもやはり内閣の助言と承認が必要だということになつておりますね。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 栄典を授與するということは、ちよつと妙なことでありまして沿革的には、君主が栄與の中心である。その栄與をわけていただく、これが伝統的な考え方であります。しかしほんとうの意味においては、それは正しくないのでありまして、やはり国家が国家的な意味において、その人に栄典を授けることがいいふ習うかを判断してやるのが正しいのであります。しかしそれはりくつであつて、国民の気持に響いて行くものには、何となく天皇の光が及ぼされて行く、こういうことであります。私どもは、そういう伝統的な気持を直接に憲法に盛り込む趣旨ではございませんけれども、しかしそういう空気があるならば、なるべくそれと調和するように規定をこしらえる。そういう点も考えました。そこで第七條の栄典を授與するということは、国政であることは疑いないと思います。ただ、尊んで、社会の儀表にするということは、政治の根源である。しかしそこに古き思想を何となく色づけると申しますか、天皇の手によつて栄典が授けられるというところに、移りかわりの時代の微妙な制度が生れて来る、こう考えております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 憲法審議の際の、金森先生の円転滑脱な御答辯を今ほうふつとして思い出して、ただ感心するのですが、もう一つお聞きいたしたいことは、今度の憲法の解散の規定は、司令部との関係はどうだつたのでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 私は実は知らないのでありまして、三月六日ごろにちやんと下書きができて、私が引受けたのでありますから、はつきりしたことは存じません。しかし私がその事務を引継ぐと昔に聞いたのは、日本で案をつくつて、関係方面と相談した。こういうように聞いております。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 最後に、先ほど国会が最高機関だというのは、名前だけだというふうに言われたので、われわれも少し残念に思つておるのですが、(笑声)これは最高機関ですから、先生のお話によつても、特別な制限がなければ、この最高機関の行動を制約することはできない。最高裁判所のごときも、一定の文明があるからこそやれるのであつて、文明がないものは、制約できないというふうにも解釈できると思います。解散というのはどうしても明文がないということになつて、ただ沿革的とか歴史的、常識的ということになると、新憲法の解釈として、私どもはやはり最高機関であるから、内閣にそうめつたに解散されてはたまらないという気持を持つておるわけです。その点いかがでしようか。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 私はそんなことを言つたことはないので、国会が最高機関であるということは、確定不動の原則だと思つておるのです。しかし憲法はこの條文ばかりでできておるのではなく、百三條かでできておりますから、ほかの條文でこれを制限しておる部分だけは、最高機関だということをがまんしていただくよりほかにしようがない。(笑声)こういうふうに言つたわけです。そこでここに解散ということがあり、解散は内閣の助言と承認によつてできるということが第七條に書いてありますれば、それだけの制限があつて解散されるということはやむを得ない。こういうことになりましよう。もしもそのところを軽く扱いますると、解散する根拠がなくなつてしまうわけであります。第六十九條の規定は、これは解散を許す規定ではなくて、ただ解散がなければこうなんだ、解散があつたらこうなんだという、ほかのものを受けておるので、これを授権する規定と見たところに、一つの解釈の紛糾が起つて来たと思つておりす。しかし法律というものは、裏表、いろいろ考えられますから、その行き方が悪いということはございませんが、筋から言うと、本筋ではないと思います。

角田幸吉自由党

○委員(角田幸吉君) ちよつと一点だけお伺いいたします。国会の解散は、結局政治的に見れば、再選挙の必要がある場合、これはどうしてもそうなると思うのです。そこで先ほど先生のおつしやつた、不信任案が可決されたという以外にも、再選挙の必要があるということが肯定されて参ります。そういうことになりますると、そこに一件問題があるのであります。衆議院が解散の決議ができないものか。もつともこれにつきましては、内閣の助言と承認というものと関連を持つて参りますが、しかし解散の決議をしたから解散すべきものであるということで、第七條によつて内閣が助言と承認することによつて、解散ができると思うのであります。但しこれは外国でも、国会が解散権を持つか持たないかということは、いろいろの問題がありますが、その点だけちよつと承りたい。

金森徳次郎国立国会図書館長

○参考人(金森徳次郎君) 今伺いますと、衆議院自身が解散をするという議決をして、效力を発せしむることができるかできないかということであります。現在の制度でも、内閣の方の手で解散することをとめるという意味はないが、そのほかに、衆議院自身がみずから解散することができるか。こういうお尋ねのように思いますが、憲法の中では、直接にはこれを認めてないのであります。しかし場合によれば、制度として一つの考え方であつて、理由はあるように思いますが、私ども日本の憲法制定の歴史の中におきまして、そこまで踏み込まなかつたのは、実際の必要がその場合には起らなかつたから、予想しなかつただけであります。真に必要があれば、新しくそういう道を開くとか、議会自身の意思によつて、再選挙の機会をつくるということは、制度をつくる建前から行くと、考えていいことのように思います。ただ現在の憲法のもとで、そういうことができるかどうかということになりますと、にわかにお答えもできません。ちよつとむずかしいような気がいたしております。だから、今もし具体的にそういうことを実現しようといたしまするならば、何か衆議院の議決によつて、今度政府にその措置をとることを要求する。そうすると、政府は政治的な意味においてこれに従うという形をとれば実行できると思いますが、今急にどうするということは、私ちよつと自信がございません。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) ちよつと速記をとめて。     〔速記中止〕

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 速記を始めてください。  他に御発言なければ、金森君に対する意見の聽取は、これにて終ります。  次に東京大学教授尾高朝雄君にお願いいたします。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私は憲法の専門家ではございません。法哲学という学問をやつております関係上、法律と政治との関係ということで、憲法問題にもちろん関心を持つておりますが、特に憲法だけを専門として研究しておるものではないのであります。そういうわけで、私がこういう席へお呼出しを受けまして、御練達の皆様にお話を申し上げる資格はないと考えます。たまたま先般、大分前のことでございますけれども、解散の問題について、毎日新聞社から意見を求められまして、思いつきと言つてははなはだ無責任でございますが、そのときに浮びました考え方を、一応書いて渡しておきました。それが一昨日の紙面に出ましてお目にとまつたのだろうと思うのでございますが、私の意見を聞きたいという御依頼を受けて、はなはだ恐縮に考えておる次第でございます。  私のは、御承知のように第六十九條の場合だけに解散というものは限らるべきだ、その方がいい。結論的に申し上げますと、そういうことになります。ただ伺つてみますと、少くとも憲法学者の中ではこの説はほとんどないような説でありまして、大部分は、金森先生がおつしやつたような、解散権をもつと広く考えていいという説であり、これが通説のようであります。となりますと、しろうとの私がますますもつて説を立てることに気がひけますし、ことにここに参りましてから、憲法の生みの親と申してさしさわりがあれば、少くとも最も練達な産婆役をしておられた金森先生から、詳細に御意見の御開陳がありましたあとでは、反対の立場を申し上げる勇気もくじけるのでございますけれども、しかし委員長の御質問の中には、わが意を得たようなところもございましたので、それに勇気づけられて、簡單に私の意見を申し上げたいと思つております。  私は衆議院が解散される場合についてのイニシアチーヴと言いますか、それを決定するものは内閣である、こういう考えであります。その決定に従つて、憲法の表現で言えば、助言と承認によつて天皇が解散するという国事の行政をなさる。憲法第七條の関係から見れば、それはきわめて明瞭であると思うのであります。しかしながら、そういう制度をとつておりますことの理由について、その元は、金森先生がるるお話になりました権力分立という関係から、国会中心ではあるけれども、しかし権力分立制の精神をもそこに盛り上げて行つて解散という制度があるので、国会が行き過ぎをするという場合には、内閣がイニシアチーヴをとつて解散をして、あらためて国民の意思を問う、こういうふうにして行くところに調整が行われるのだという御意見ごもつともしごくであつて、イギリスなどの歴史なり、制度なりから見て、その通りだと思うのであります。しかしながら、ただいま申し上げました解散ということが、伝家の宝刀として、内閣によつて濫用される危險も十分に考えなければならないと思うのであります。そのどちらが弊害が少いか、どちらの方がいいかというと、結局目的論的の解釈の問題になると考えるのであります。憲法は第七條にそういう解散の諸規定がございますが、これは手続上のことのように考えます。実質的に、それはどういう場合に解散をするかということは、正面からは規定がないというのが、ほんとうではなかろうかと思います。第六十九條は、どういう場合に解散されるかということを示した唯一の條文でございますけれども、これは金森先生のお話のように、正面から解散のことを規定しておるのではなくて、内閣はどういう場合に総辞職をしなければならないかという、内閣の進退の規定であるので、従つてこの点だけをとらえて、第六十九條の場合以外に解散できないのだという強い主張をするのは、文理上、論理上、私は根拠がやや薄弱だといううらみがあると考えるのであります。ですから、もつとほかの場合にも解散ができるのだ。第六十九條は、その一つの重要な場合を規定しておるだけであつて、これだけに限るべきではない。こういう結論が出て来るのは、私は文理的もしくは論理的解釈としては、十分首肯できると考えます。しかしそれでいいかどうかということになりますと、ただいま申し上げました目的論的な観点になつて来るのであります。私に言わせるならば、どうも民主主義の発達のまだ未熟な国におきましては、内閣に解散権を濫用される危險が多分にある。イギリスの例をもつて、内閣がイニシアチーヴをとつて、必ずしも衆議院が不信任の決議をしないでも、解散をしていいのだというふうに考えて行くことは、どうも危険のような気がいたすのであります。私ははつきり今勉強して参りませんでしたので、あるいは時日あるいは時期等について誤りがあるかもしれませんが、一九三三年の一月三十日に、ドイツにおきましてはヒトラー内閣が成立しております。昭和八年のことでありますが、そのときにヒトラー内閣は——そのときのドイツ国会は一院制のライヒス・タークとなつております。その勢力分野の情勢をもつてして、ナチスの政策を強硬に行つて行くには不十分である、こう考えて、国会の解散を断行いたしました。そうしてその間にいろいろの干渉その他のことも行われたと思うのでございますけれども、あらためてナチ党あるいはヒトラー内閣の與党の力をもつと強くしておきまして、三月二十三日だつたと思いますが、有名な授権法、エルメヒテイーグングス・ゲゼツツというものを上程いたしまして、翌二十四日、圧倒的多数で可決して、ドイツの共和民主制というものが崩壊して、独裁政治に切りかわつておるのであります。こういつた事例は、やはり金森先生のような、憲政の常道をはつきりして、妙味を発揮して行く解散権についての表面上の御主張に対して、反対のカウンター・バランスの情勢として、十分考慮せられていいのではないかと思うのでございます。  どういう場合に解散が行われるかということについては、いろいろ考えられますけれども、やはり不信任の決議をすれば当然内閣は衆議院の解散ができる。これは第六十九條限りでできる。しかし衆議院がどうも不信任の決議も出さないし、それでいて、いやがらせをやる。政府が何とかしようと思う諸案件を、すべて審議未了にしてしまつたり、それを否決したりして、へびのなま殺し的に内閣いじめをするというような場合に困るじやないかというのが、第六十九條以外にやはり解散権を認めるという主張の実質的な、有力な根拠になつておるように私は伺うのでございます。私專門でないので、どうも憲法の読み方が間違つておるかもしれませんが、第六十九條の場合は、二つの場合に解散が行われるということを述べておるのでありまして、衆議院が不信任の決議案を可決したとき、あるいは信任の決議案を否決したとき、この二段になつております。つまりもしも連立内閣でありまして、政府與党の間にも考え方がわかれて、政府を必ずしも積極的に支持しない、さればといつて、不信任案も出さないという情勢になつておつて、政府としては非常にやりにくいという場合には、與党の中でもほんとうの與党といいますが、それが否決覚悟で信任案を出せばいいでありましよう。それが否決されれば、それを潮どきに、内閣の助言と承認によつて、天皇の解散ということが行われるようにして行くのが、立憲政治の行き方ではなかろうかと思うのであります。それ以外に、どうしても解散しなければならないということの根拠が、私にはあまりはつきりいたしません。金森先生の言われた、選挙のときといろいろ情勢がかわつて来て、特に重大な案件について、あらためて国民の意思を問うという必要が起つたときには、第六十九條によらずこのような場合でなくても解散ができるのでなければ、困るのじやないか。これは十分考えられることでありますが、その重大なる情勢とか、非常に大切な事柄なんだから、これについて国民の意思を問う必要があるという場合に、重大性の認定権が依然として内閣にあるということは、やはり危険な問題をそこに残す、こう考えますので、私といたしましては、文理上、論理上、第六十九條の場合にだけ解散が行われると限らるべき積極的な根拠に乏しいという遺憾な点はございますけれども、そうした特殊の事情なり、歴史なりを考えまして、日本国憲法の運用にあたつては、第六十九條の場合以外には解散が行われないような慣行をつくつて行く方が、少くとも無難であるということが言えるのではないか、そういう意味で、私の意見ははなはだはつきりいたさないようでありますが、やはり結論としては、第六十九條の場合だけに解散を限るように解釈、運用をして行くべきである、これが私の意見でございます。

角田幸吉自由党

○委員(角田幸吉君) そこでもう一ぺん、先ほど金森先生にお尋ねしたことを再確認するために、お尋ね申し上げたいのですが、再選挙の必要を認定するということは、内閣だけに限るものではない。国会自身も、再選挙の必要を認定する場合があり得る。そうすると、第六十九條に対して、あなたの御意見のように考えて行きますと、これは内閣が総辞職をするときの規定であつて、解散のことを規定するものではないことになる。こういう考え方をいたして参りますと、日本の憲法というものは、いかなる場合に解散するか、どこに解散権があるかということについては、明示してないじやないか、とすると、どうしても国会にもあり、内閣にもある、こういうふうな解釈がとれるのではないか。国会に解散の決議権を認めてないから、憲法上はどうだということではなくて、再選挙の必要を認定するということは、内閣だけじやなしに、国会にもあり得る、こういうふうにこの憲法が見られて参りますと、第七條のいわゆる内閣の助言と承認によるという言葉が、文理上、国会の解散権を認めるのに、ややすつきりした言葉じやないように思われます。そこで衆議院が解散の決議をした場合には、議長の助言と承認によるということは行き過ぎであるが、内閣の助言と承認によつて解散を認められるべきではないか、こういう考え方が一応ありますが、御見解を承りたい。これは非常な異説であつて、恐縮に思いますけれども、やはりそこまで研究しておきたいので、お尋ねを申し上げたいと思います。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) この問題については、私あまり考えでおらなかつたのでございますけれども、先ほど金森先生のお答えがございまして、なるべく金森先生の御意見に従いたいと思うのでございます。つまり衆議院で解散の決議をする場合には解散せられるというような規定を設けておけば、問題ないと思いますし、そういうことをやつた方がいいということは、立法論としては十分考えられる。しかしながら現行の日本国憲法の條文から申しますと、何としても第七條が、ございまして、その三に、天皇が衆議院を解散するということになつておりますし、それは内閣の助言と承認によるというので、解散権というものを、これで積極的に規定しておると見られるのではなかろうかと思うのであります。従つて憲法の規定は——率直に申し上げたいと思うのでありますが、どこがイニシアチーヴをとつて解散するかということについては、第七條ではつきりしておると思うのでございます、これを改めた方がいいか、あるいは少くともそれと別個に、衆議院が決議をした場合に解散ができるという條文を入れた方がいいかどうかということは、すべて立法論になつて来ると思うのであります。現行法の解釈としては、それを裏づける根拠がちよつと求めにくいように思うのであります。第六十九條は、少くとも私の考えによれば、形の上でイニシアチーヴをとるのは内閣でありますけれども、しかし私のような第六十九條の場合に限るという議論からいたしますと、実質上のイニシアチーヴは衆議院にある、衆議院が内閣に解散せられるのであれば、むしろ第一には内閣を総辞職させる。総辞職しない場合には、打つべき手は解散しか残されておりませんから、そこで不信任決議案を出して、それを可決すればいい。あるいは信任案が否決されれば、内閣は黙つておれば総辞職しなければなりませんから、そこで解散をする可能性が非常に多くなるということになります。衆議院自身が解散を直接に決定して、議長の助言と承認によつて、天皇が解散を命ずるということはないのでありますから、事実上第六十九條だけに限定して行けば、衆議院のイニシアチーヴが、実質上大きくものを言うようにできておるのではなかろうかと考えます。要するに、現行法の解釈とすれば、御説のような可能性を、正面から認める根拠が求め得られないように私は考えます。

角田幸吉自由党

○委員(角田幸吉君) ところが、もう少し承りたいのですが、内閣は信任をしておる、しかし自分たち自身は、これから審議することについて国民の輿論を問うた方がよい、こういうふうなことが、実際問題として政治には起つて参ります。その場合に、内閣に解散権を認めておれば別なんです。第六十九條以外に解散権がないという立場であると、そういう問題が起つた場合、それならばいつそ第七條で解散ができるとした方がいい、こういうふうに判断をするのですが、こういう問題が起つて参りますととろに疑問がありますので、お尋ね申し上げた次第であります。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 御事情は、私知らないのでございますが、先ほど申し上げましたように、この條文の解釈では、そういうことはできないと思います。ただ事実問題として、衆議院がおれたち解散をするという決議をしたら、どうなんでございますかね。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) これは、この前の第二次吉田内閣のときに、問題になつたのでございます。第六十九條以外に解散ができないというその筋の方の解釈の場合、少くとも衆議院が解散決議をするならば、それは重大な事項として、解散の原因になるのではないか。第七條の解散権の行使、解散に持つて行けるのではないかという説があつたわけです。直接、解散の決議の効力が衆議院を解散せしめるのではないのであつて、第七條の理由があるのだというような解釈もあつたわけです。少くとも解散決議の場合には、解散を認めてもいいのではないかという説もあつたわけであります。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) 私ども先生のお話を承つておりますと、内閣に解散権をあまり広く持たせると弊害がある、また二方、解散ができないということになつても弊害がある。しかし狭く解釈されるというか、第六十九條の場合だけに制限した方がよかろうという御説のように承つたのであります。そうしますと、私の感じとしましては、内閣の方にまかせるということは、衆議院の方の弊害とバランスをとつてみますと、どちらかというと、議会の方により多く信用を置いて、内閣の方の信用は、第二位に置かれるという気持があるのではないかという感じがしたのですが、そんなことはございませんか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) つまり私のは、民主主義の長い伝統があつて、イギリスのようになつておれば、不信任決議がなくても、あるいは信任決議が否決されたというふうにならなくとも、政府が解散をするということはちつともさしつかえないのだ、こういうふうにも考えられる。これに反して、民主主義の伝統がまだ十分に確立されてないようなところでは、先ほど申したドイツの例もございますので、何と申しますか、解散権の濫用の危險を防止することに重点を置いて解釈した方がよいというのが、繰返しになりますが、私の考え方であります。国会と内閣といずれを多く信用するかということになりますと、これは当りさわりができますけれども、私の考えでは、だんだんと近ごろの民主政治というものは、やはりエクセキユーテイヴの力が強くなければまかなつて行けない点がたくさんできて来ておる。その点において、いたずらに行政権、執行権の強化ということをただおそれていたのでは、非常にひ弱な、手も足も出ない政治になるおそれがあるのではないか。それだけに執行権の強化というものは、ある時代には強く現われておる。そういうときに、全体主義、独裁主義に走つてしまうことを防ぐということには、われわれは十全の考慮をしておく方がいいのではないか、こういう気持でございます。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) 民主主義の理想をまず第一義にお考えになりますから、そういうふうな御議論になるのだろうと思うのです。そのお気持はよくわかります。私の気持を簡単に申し上げますると、それも大事でありまするが、現在の実情はどうであるかということをよほど考慮して行きませんと、そこにまた間違いが起つて来るのではないか。これは私の考えであります。  それからもう一つ、先ほどのお話によりますと、第六十九條の規定は総辞職の規定であつて、あれによつて解散権を與えたんじやないのだ、こういう御説明。それは金森さんもそのお説でございました。私もそう思います。ところが先ほどのお話を承つてみると、六十九條だけの場合に限定した方がよかろうというお話でありましたが、しかし六十九條が総辞職の規定であつて、解散権を與えたものでないということになると、六十九條によつて解散するということはできないことになるんじやないか。ほかに権限を與えられた場合でなくちや解散するわけに行かないんじやないか。そういうふうな解釈で行くと、六十九條でも解散はできない。ほかにはもとより具体的に規定がないんだから、解散できない。一方七條には解散という言葉があるんだから、憲法の規定を見るとやはり解散というものは認められておる。ところが実際解散する規定がないから、一つもできないということになると、憲法の解散というのは一体何を言つておるのかわからぬ、こういうことになる。だから別に制限的な規定がない限りは、やはり第七條で行けるのだということに解釈せざるを得ないのではないか——それがいいか悪いかは別といたしまして、憲法の解釈論としてはそうならざるを得ないのではないか、こういうふうに思つておるのでございますが、ひとつその点をお尋ねいたします。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私も、六十九條は正面から解散のことを規定したものではなくして、総辞職の規定であると思います。但し、どういう場合に総辞職をしなければならないかということで、解散ということがここに出て来ておる。それは不信任の決議をしたとき、信任の決議が否決されたとき——きわめて重要な二つの場合を取上げて、そのときに衆議院が解散されない限り総辞職しなければならないというので、その二つの場合には衆議院は解散されるものなんだ——解散される場合がある。つまり解散されなければ総辞職しなければならないという六十九條の規定から見まして、なるほど総辞職のことが正面の立法の目的になつておりますけれども、そこにあわせて、どういう場合には解散が行われるかということをここで示しているのであつて、解散権の付與ということになりますと、私は七條だろうと思います。それはお説の通りであります。しかし、その解散はどういう場合に行われるかということについて積極的な規定はどこにもない。ただ六十九條が、間接と申しますか、第二義的と申しますか、重要な二つの場合をあげまして、そういう場合には解散が行われるのであり、行われなければ総辞職をしなければならないとしてありますから、六十九條をもつて、こういう場合が解散の行われるときなんだということを憲法から判断することは、ちつともさしつかえないと私は考えております。さらに進んで、それだけに限るということに六十九條が強く働くということについては、先ほど申し上げたように、私は疑義を持つております。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) そうすると、第六十九條は総辞職のみを規定した規定でなくして、書き方はまずいけれども、あれによつて解散権を内閣に付與されておるものであるという御解釈でありますか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) そうではございませんで、解散権の授権の根拠は七條だと私は考えでおります。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) 不完全な書き方ではあるけれども、一つの事例として掲げられておるのであるから、それのみに限つて、ほかには及ばないのだ、こういうことになりますか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) つまり、正面から解散のことを規定しておりませんけれども、形の上の解散権は七條で具備しておるという前提に立つて、どういう場合に解散できるかという規定のないこの憲法全体から見て、六十九條は総辞職が正面の規定ではあるが、こういう場合に解散が行われなければ云云としたことは、どういう場合に解散が行われるかということについて重要な解釈の根源にはなる。ただしかし、私は先ほど申し上げましたように、これだけに限るというのを六十九條からくみとるのは、文理上、論理上、非常に困難を感ずるのであります。ですから、それから後は目的論的解釈によつて、この二つの場合に解散が行われるように解釈運用して行かれることが望ましいということを申したのであります。  なお付言いたしますが、先ほどの委員長のお話、あるいは一昨日頂戴いたしましたいろいろな資料で初めて知つたのでありますけれども、六十九條の場合だけに限るべきだということが関係当局の意向だつたようでありますが、それは私は全然事前に承知しておりませんで、この点は自分でそう感じましたので、決して関係当局がこう考えておるらしいからこうというふうな意図は毛頭ございませんから、念のため申し上げます。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) もう一つお尋ねしておきたいのですが、六十九條の場合に解散することができるというのは、不信任の決議があつたとき、あるいは信任の決議が否決されたとき、一口に言えば信任のない場合、こういうことになりますね。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) そうでございます。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) 国民の代表である衆議院でそういう決議がされたときですら、政府の方がもう一ぺん国民の意思を問うてみたいという気持があつたら、解散できる、こういうことになつておる。ところが、それからひいて考えてみますると、不信任決議のなかつた場合はどういう場合であるかといえば、逆に言えば、国民の一般の信頼がまだ残つておる場合——どのくらい残つておるかははつきりしないけれども、不信任の決議があつた場合に比べればよほど信任が残つておるのだということになりますね。不信任の決議がされた場合でさえ解散権を認められておるのならば、より多く信任の度合いが残つておる場合には、一層解散してもよいのではないか、こういうふうな疑問が起る。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) それは国会無視じやないですかね。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私はそうは思いません。つまり国民の意思を問うということも、国民の意思によつて政治が行われることは民主主義の大原則ですけれども、さればといつて、しよつちゆう国民の意思を問わなければできないのかというと、そうじやないのであつて、そこで国会議員については、衆議院においては四年というふうな任期もあつて、とにかくノーマルな状態においては、その間信頼されて国民を代表して職権の行使に当つておるのでありますから、内閣がその支持を受けておれば、さらにその支持を受けるために解散するということは、どうかと思います。確かに信任はされておるので、不信任案の決議も出ないのだ、しかしどれだけ国会が信任しておるかわからないということでしようが、それなら信任決議案を出して、否決されたら解散すればよいわけです。そういう必要のない情勢において、大体信任はされておるが、もつと信任されたいからということになると………。

竹下豐次緑風会

○委員(竹下豐次君) そういう意味じやありません。不信任決議はしないけれども、実はいろいろな仕事をする場合にじやまされておるという実情があり得るのです。そういう場合を予想しているわけで、信任しているということがはつきりしておる場合に、さらにやる必要があるということまで言つておるわけじやないのであります。もやもやして、どうにも手が出せないというような事実が実際ある。そういう場合を私は頭に描いておいて今の質問をいたしたわけであります。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) やはりその場合には、政府與党に頼んで信任決議案を出してもらつて、それが通過すればそれでよろしいし、それが否決されれば解散すればよい、こう考えます。不信任の決議案を出すわけ否もなく、信任の決議も否決しない。もやもやしてどうにもならないという場合でしようが、そこは政治の運用の妙でございましよう。

九鬼紋十郎自由党

○参議院両院法規委員長(九鬼紋十郎君) 関連してですが、かわに政府のいやがらせというような考え方でもつて、不信任決議案も出さない、信任決議案もあながち否決してしまわない、そういつた情勢で、しかもいろいろ行政上のこと、あるいは法律を否決して行くということになつて来ると、国政が一時麻痺する状態にならぬとも限らぬので、そういつたときに非常に困るのではないですか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) それは確かに困りますな。そういうへびのなま殺し的な状態に置かれて、どうにもならないということは、民主政治運用の上からいつて非常に危険なことだと思います。そういう場合に、私のかつてな議論かもしれませんが、六十九條は総辞職のことを規定しているのですが、このときだけに総辞職をしなければならないということを言つておるのではないのですから、どうにもならなければ、人心を新たにしてやるために総辞職をする。解散をするために、そういう場合には総辞職したつてよいのではないかと思いますね。

九鬼紋十郎自由党

○参議院両院法親委員長(九鬼紋十郎君) しかし與党が少くても、内閣を支持して、あくまで総辞職させないというようなことも考えられると思うのです。そういつたときには非常に対立的になつて、実際国政が麻痺してしまうということになつたら非常に困るから、そういうときのために、三権分立というような建前から、解散権をある程度まで認めておくということも必要なんじやないですか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私もその必要を決して否定するわけではございません。しかし解散権を持たせれば、それはどこまでが限度であるかということについて、金森先生はそれ自身について限度があるのだとおつしやいましたけれども、これはやはり非常に実際問題としては危険だろうと思うのであります。その危險の方をより多く憂えるという意味で、政府でも困ることはあるだろうけれども、この場合に限るううに慣行をつくつて行かれることが望ましいということを申し上げたのであります。

佐瀬昌三自由党

○委員(佐瀬昌三君) この解散権を新憲法が真正面から規定してないということについては、大体みんなそういう感想を持つわけですが、六十五條に、行政権は内閣に帰属するとある。しかし行政権の意味が非常に確定しにくいのですが、形式的に考えて、立法権、司法権以外のものが行政権であるというようなシユタイン流な考え方から言うと、六十五條で、解散権を含んだ行政権というものが内閣にあるのだ、六十五條で解散権が内閣にあるということが規定づけられておるんだということになる。そこで尾高教授のお考えのように、しからばその解散をする場合はどういう場合であるかというと、六十九條によつて、国会と政府との対立関係において、信任の有無によつて決定するのだというふうに行くと、非常にすつきりするのですが……。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私は、やはり解散権の授権の根拠は七條に求められるし、求めらるべき泥と考えております。六十五條に関しましては、先ほど委員長の金森先生に対する御質問の中に、ある点まで積極的な御意見が伺われたと思うのでありますけれども、六十五條と七十三條とのにらみ合せで——衆議院の解散ということは、立法にも司法にも属しないのだがら、広い意味では行政に属するという金森先生のお説は、それでいいとは思いますけれども、しかし特に六十五條のほかに七十三條を設けて「一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」として、特別の場合を七つほど列挙しております。これはつまり狭い意味での行政の解釈よりも、やや広いものを意味しておる。そうすると、衆議院の解散ということはもつと広いのだというふうに考えて、それが当然に六十五條によつて内閣にあるのだというふうに考えることは、やはり賛成しかねる。それだけに、七條によつて内閣がイニシアチーヴをとつて解散をする権限を持つておりますけれども、それについてはむしろ制限的に解釈する方が、憲法の趣旨にもかなうのではなかろうかという私の結論になるわけであります。

佐瀬昌三自由党

○委員(佐瀬昌三君) 尾高説を政治的に根拠づけると、七條は国事に関する規定だ、六十九條はいわゆる国政に関する規定だ、であるから内閣に帰属しておる解散権を六十九條によつて政府が行使をする、しかしてその行使の仕方については、国事としての方式に従つて七條に返つてやるのだ、こういうことになると、非常に理論が簡潔に行くような気がするのです。国事と国政との関係、それはまたかなり問題ではありますけれども……。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) せつかく私の説と言われるけれども、むしろ先ほどお断り申し上げたように。しろうとの考えでありますから、説というほどのものではないのでありますけれども、それをすつきりさしていただくために、いろいろ解釈していただくのは、たいへんありがたいのですが、どうもやはりそこのところは、お説に対してただちにこうだろうというふうにも考えられないのでありまして、やはり行政権ではあるけれども、七十三條に特別な場合があげてある。解散は行政事務ということより、もう少し外郭にあることであるとして、それの授権の根拠は七條にあるのだから、それをどういう場合に発動するのかということに関しては制限的に解釈して行く。その根拠に六十九條を用いる。繰返すことになりますが、私のはそういうことになります。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 衆議院議員小玉治行君より委員外発言の申出がありますが、この際これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 御異議がないようですから、小玉君に発言を許します。

小玉治行自由党

○委員外衆議院議員(小玉治行君) 尾高先生のお説を承つておりますと、内閣に自由自在に解散の権利を與えておくということは、フアツシヨ的というか、独裁的のことをやられるおそれがある、そこで六十九條に限定したちよいのではないかというお説が中心のように考えられるのですが、しかし反面民主主義という主権在民の根本思想から考えまして、現在の衆議院がすでに国民の支持を失つておる、しかるにかかわらず衆議院においては解散の挙に出ない、国民と衆議院が乖離しておるといつた場合に解散ができないということでは、民主主義の根源に反する結果になりはしないか、これが金森先生のお考えの中心じやないかというふうに私は伺つたのです。その点については、六十九條に限定するというと、独裁的な傾向を押えるという面においては先生のお説はすぐれておると思うのですが、反面民主主義の根源から言えば、むしろ好ましい説じやないんじやないかというふうに私考えているのです。国民から明らかに衆議院が乖離しておるといつた場合に解散の道を開かぬと、民主主義の根本に反しはしないかということを考えておるのですが、その点どういうふうなお考えでしようか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 衆議院が国民から遊離してしまつているんだということも、一つの価値判断でございまして、それは実際に選挙をした結果、はたしてそうであつたかどうかが判明するわけなんですけれども、その価値判断それ自身、内閣が一存でやつてしまうというところに、私は問題があるのではないかと思います。お説の、国民の総意に問うて、再び選挙が行われて出て来るというところは、非常に民主主義の根本的な行き方なんですが、しかしそれは国会の情勢からいつて、今特に国会と内閣との関係において、衆議院を解散しなければならないという積極的な国会の中の意思表示もない、つまり不信任案も出ていない、信任案も否決されたということもない情勢において、それにもかかわらず、衆議院が国民から遊離しておるんだというふうに判断を下すことを内閣の一存に求めることの危險といいますか、それが民主主義の常道から見てマイナスの面を持つておるということは、やはり私はお考えをいただきたいと思う。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 今の議院内閣制、ことに国会で総理大臣を指名するという制度のもとにおいては、少数党内閣ができるということは希有のことなんです。明治憲法時代には、政党に足場のない人でも天皇が総理大臣にしたのですけれども、これは別として、新憲法では少数党がその代表者を総理大臣にするということは希有のことであつて、ないわけなんです。しかしフランスのように小党が分立するところでは、常に離合集散がはげしいから、あるわけなんですが、そのフランスは、信任せざるところの議員がたくさんになつて、政策の運営、国政の運営がなめらかに行かない場合には、常に内閣が辞職しておるわけです。それは国会が最高機関であつて、国会議員は四年間なら四年間国民の信託を受けて、一応国民の選良として、国民の総局を反映さして、国政に参画できる能力ありとして選任されておるわけなんで、それが構成する国会というものは取高機関である。それに選ばれたところの総理大臣が国会議員からあいそをつかされて、かつて支持した者が反対の立場に立つというふうな場合においては、不信任案になりましようし、信任案否決になる場合もありましようしまた個々の政策に対して反対する場合もありましようが、そういう場合には解散するという君主制の沿革的な、歴史的な、懲罰的な気持、一日でも自分の内閣の壽命を延ばそうとするような、そういうふうな非立憲的な、非民主的な考え方よりも、まず国会の意思を尊重して、最高機関としての国会の考え方が是であるとして総辞職するのが適当であるし、また先ほども例に出したように、ウイルソンの国際連盟の問題であつても、それをひつさげて国に帰れば、上院がこれを否決した。従つてアメリカは国際外交においてああいう態度をとつた。それでもウイルソンは辞職をしなかつたし、辞職しなくてもアメリカは滅亡しなかつたということ、アメリカの国政は円滑に運用されておるということ、そういうふうなことを考えれば、結局国会が重いか内閣が重いかというふうなことになるわけなんですが、イギリスの内閣制のごときは、君主から一応任命されたような形になつておつて、日本とは違うので、日本のごときは、たびたび言つたように、国会議員自身が指名しておるわけです。国会の意思に反することになれば、まず内閣が辞職することが当然なんであつて、従つて解散するという場合は非常に狭められなければならないというふうなことになるわけなんです。そういう意味において、結局金森先生が言われたように、一番番頭と二番番頭というふうにしてもいいでしようが、一番番頭が免職されるというときに、尾崎先生の表現のように、四年間の信託を受けて、地位が保障されておるにもかかわらず、それを内閣の独断によつて、任意に、そうでないというので首切られ、免職され、解散されるというふうなことが妥当であるかどうか。一番番頭のやつておることが、はたして是であるか非であるかということを、二番番頭が判断すべきものではないので、任期が来たときに主人公であるところの国民が判断すべきものだと私は思うのですが、結局国会に重きを置くか、内閣に重きを置くかというところに、この問題の焦点があると思うのですが、その点についてはいかがでしようか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 大体私もさように考えます。どうも委員長のお考えは私の考えに近いように考えます。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 憲法の七條の問題で、これを尾高先生は、單に手続的な規定であるというふうに言われながら、しかも解散権の発生というものがここに根拠しておるというふうに言われますが、そうすれば一番簡單なんで、七條というものが直接に解散権を規定しているということになる。しかしそうすると、尾高先生の結論と矛盾するのではないかと思いまするし、七條が直接に解散権の発生規定だと主張する人はそうたくさんないのではないかと思うのです。たとえば金森先生にして、七條は直接に解散権の発生の根拠ではないのであつて、沿革的、歴史的、常識的なものが解散権の根拠になるのだというふうにも聞かれるのですが、この点については、直接の解散権の発生規定というものは、現在の憲法上、には明文としてはないのであつて七條というものは間接的な規定である、その他のいろいろな諸事情を総合した上の、解釈の一つの根拠になるものであるという程度にすぎないのではないでしようか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) どうも私もはつきりわからないのでございますけれども、私の矛盾のようなところを御指摘くださいましたが、先ほど金森先生の御意見の中にも、国事と国政との関連についてお取上げになつて、内閣の助言と承認によつて天皇が解散をするということは、これは国事であつて、まつたく儀礼的である、しかしそこに至るまでの助言と承認ということを内閣がやれば、それは実質的なものであつて国政になる。こういうお話がありまして、その国政的な面における解散権を内閣に認めるのだという正面の規定のないことは、委員長のおつしやる通りでありますけれども、しかし七條というものは、さればといつて、まつたく間接的な手続だけを規定したので、解散権の授権の根拠にはならないというほどの弱いものであるとは、私には考えられない。もしそうだとすれば、ほかに授権の根拠を求めなければならなくなつて、去就に迷うのではございますまいか。私はそう思います。

九鬼紋十郎自由党

○参議院両院法親委員長(九鬼紋十郎君) それに関連して、第七條を單独に解散の條文と見るということは、これはやはりあるいは天皇に政権を帰属するような疑いを生ずるという懸念もあるから、これに対しては私も金森先生のように、七條によつてはつきりできるのではないかということにも賛成しかねるのです。しかし七十三條ですか、内閣のいろいろな職務が規定してあるわけですが、その中に国務を総理するということがある。その国務を総理することの中に、解散権というものを含めて考えるということはできないのですか。それができれば、内閣に解散権を持たすということがはつきりして来るのではないかと思うのですが……。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) それは、国務ということですべてやれるのなら、ほかのものをわれわれ書く必要はない。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 国務を総理するということがありますけれども、それは上からかかつて来ておるので、法律を、誠実に執行しつつ国務を総理するのではございますまいか。

九鬼紋十郎自由党

○参議院両院法親委員長(九鬼紋十郎君) 解散ということは立法とか司法にも属していない一つのものであつて、行政的なものに含まれるという意味で、そういうところに包括できないものかという考え方です。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) その第七條に持つて行くことが、天皇の大権が実質的に復活するようになつてぐあいが惡いという御懸念はごもつともと思います。しかし他面先ほどのを繰返して申し上げますと、これは天皇に関する限り、まつたく儀礼的な行為をすることだけで、ここにこういうことが書いてあつて、ほかに衆議院の解散というふうなことは別にうたつてない。憲法の全体の仕組みから見て、その助言と承認とにより、つまり衆議院を解散するように内閣が助言する——承認するというのはちよつとおかしいのですが、とにかく内閣がそういうふうに助言するに至るまでの過程というものを合せて七條に規定があるものと見ても、そう無理ではないのじやないか。またそれは、形式的な行為は天皇がするということですが、七條に典拠を求めても、何も天皇権力の復活ということをおそれる必要もなし、またそういう印象を與えないような説明は十分つくのじやないか。それから、七十三條第一号の国務総理の中にそれまでひつくるめるというようなことですと、これはまた内閣の解散権というものはどんなにでも行使できるという結論が出るのじやないか、少くとも私の意見から見て、それは好ましい解釈の仕方とは考えられないと思います。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 最後に一言お尋ね申し上げます。今の九鬼委員長の質問に関連するのですが、この解散権を普通の行政権と見れば問題ないわけですが、普通の行政権でない、そうすれば七十三條にも明示してないが、国務を総理するという、その国務総理の中に入るかということが問題になります。もしそういうことになるとするならば、昔の議会制度には停会というのがあつたわけですが、今度の議会制度には停会というものはない。もし国務の中に解散が入るのなら、むろん停会も国務の中に入らなければならない。ところが国務としてこれは政府がかつてに停会しようとしてもできない。なぜできないかというと、この国務の中に入らぬと解釈したらいい。停会が入らなければ解散もむろん入らない。おそらく解散については七條があるから停会とは違うというように言われるかもしれませんが、七條というものは解散というものに対する愼重な手続の一つの條文なのであつて、停会のごときは何も天皇の七條による国事行為まで必要としない、政府でかつてにやれる程度のものであつて、解散より程度の低いものである、従つて同じ国務でも、七條におけるほど愼重な手続をする必要がないということになつて書いてないのだと解釈すれば、いつでも停会ができるはずだが、これができない。そういうところから見ると、停会にしても解散にしても、憲法に明文がない以上、最高機関に対する機能の停止、中止というようなものは絶対にでき得ないものであるというように解釈すべきではないでしようか。單純な国務とか行政権というようなものに、国会の機能を制限するような重大な事項は包含すべきものではないと解釈すべきものじやないかと思いますが、いかがでしようか。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) 私も衆議院の解散というような重大な事柄について、これは二番番頭が一番番頭ひつ込めというようなことなので、順序からいつても特別の場合でありますから、そういうことを国務を総理するというあるいは行政事務、行政権というように、白紙委任的な包括條文の概念の中に当然含まれるというように考えることは避けるべきであるという意味において、委員長の御意見に賛成であります。しかし七條については、もう少し積極的な意味を認めているのじやないかというのが、私の考えでございます。

九鬼紋十郎自由党

○参議院両院法親委員長(九鬼紋十郎君) 私は反対するようで非常に心苦しいのですが、たとえば解散ということは非常に重要な問題だから——停会というようなことについては今度の新憲法では認めてないのだが、解散は非常に重要なことだから、むしろ解散権というものをある程度国務の中に考えてもいいのじやないかというような気もするのです。これは非常に危険性があるかもしれませんが、そう考えれば、非常に明快になると思うのです。

尾高朝雄東京大学教授

○参考人(尾高朝雄君) それはそうすれば割切れますがね。

高橋英吉自由党

○会長(高橋英吉君) 他に御発言がなければ、尾高君に対する意見の聽取はこれにて終ります。  両先生には御多用中のところ、長時間にわたり本委員会のために特に貴重なる御意見を述べられた御好意に対しまして、本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれで散会いたします。     午後零時二十八分散会

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