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10回国会参議院1951/05/17

農林委員会 第34号

発言数
11
登壇者
5
会派数
3
開催日
1951/05/17

会議録

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) それではこれより農林委員会を開きます。  本日は先般渡米されまして、アメリカ農業を視察されました楠見、岡田、三好、北村各議員の皆様が無事帰朝されましたので、皆様のアメリカ農業に関する視察の御報告をお願いすることになつておるわけでございますが、もとよりアメリカ農業と日本農業はその構造が著しく異なつておりますので、非常にその点御苦心のあつたことと存じますが、今日は余りむずかしい問題にこだわることなく、又単に農業問題に限定することなく、アメリカの御視察中見聞された諸問題をも含めて、極めて懇談的に皆様のお話を承わりたいと思うのであります。さよう御了承をお願いいたします。それでは最初に岡田さんから一つお願いいたします。

岡田宗司日本社会党

○委員外議員(岡田宗司君) 私どもの渡米に際しましては、農業委員会のほうでも送別会をして頂きましたし、又いろいろ留守中にも何かと御迷惑をかけたことと思います。その点厚く御礼申上げます。  私どもは、一月の九日にこちらを立ちまして、四月の八日に帰つて参りました。行き帰り飛行機でございましたので、大体三カ月間ずつと向うにおりまして、アメリカの農業を主として視察して参りました。先ずワシントンに一カ月おりまして、その間農務省には殆んど日参をいたしまして、農務省の農務長官のブラナン氏、或いはアシスタント・セクレタリーの八千トンというような人にも会いましたし、又各局の局長等からそれぞれの局の仕事につきまして説明を聞き、更に又予算関係であるとか或いは国連の国際食糧機構であるとかいうような方面にも出掛けまして、それぞれ事情を聞き、又国会にも出掛けまして立法の手続等のことも見学して参りました。それからニユーヨークに参りまして国連関係を訪れ、更にテネシー州に参りまして先ずテネシーの農科大学を振出しにいたしましてTVAも比較的詳しく視察して参りました。それからニユーオルリアンス、シカゴ、アイオワ、ロスアンゼルス等を経て帰国いたしました。三カ月間に亘りまして向うの農務省が非常に便宜を図つてくれまして、又農務省の出先機関、或いは各州の農会、或いは又農民団体等が各地でよくお世話をしてくれましたために、個人で行きましたならば到底見られないと思うほど、余計ものを見て参りまして、私どもとしては非常に勉強になつた次第であります。アメリカの農業は御承知のように非常に規模が大きいのでありまして、この規模の大きい点で私どもは先ず一驚したのでありますが、この規模の大きさというものは、アメリカの国土の広さ、資源の豊富さ、それから気候等から来るものもありますので、到底我々が日本においてこれをそのまま取入れることはできない、併しながらそういうふうなアメリカの農業の諸条件が、日本とまるで比べものにならないということだけで、アメリカの農業は日本のほんの参考にしかならんという結論は出て参らないのであります。アメリカの農業につきましてその生産力の高いこと、それと更に我々が特に気のつきましたことは、農家の生活水準というものが非常に高い。勿論アメリカにおける他の産業に従事する者と比較すれば、相対的には低いというのでありますけれども、併し我々から見れば非常に高い生活水準になつておるというのであります。この点は決してただアメリカの国土が広い、資源が豊富だというだけの結果ではないのでありまして、これはやはり農民自身の努力と、そうして又政府の指導、この両者が相待つてかくのごとき結果を生じたものと私どもは認めたのであります。それはアメリカも、御承知のように農業国として出発して二十世紀になりましてから、工業が非常な発展を遂げたのでありますが、特にアメリカの農業における生産力の発達は工業の発達に負うところが多い。つまり機械化にいたしても、アメリカの工業というものが非常な発達を遂げておつて初めてこれが可能になつておるのであります。更に又政治のほうから見て参りますというと、アメリカの農業の発展なり、或いは又農家の生活水準の高くなりましたその転機点をなす、そのポイントをなすものはやはり一九三三年のニユーデイール政策が行われてからであるというふうに私どもは見て参つたのであります。この点におきましては、政治がやはり農業の発展の上に非常に大きな影響を及ぼしておるということが看取されるのであります。農務省のいろいろな仕事といいましても、このニユーデイールの一環として取上げられたものが非常に多いのであります。例えば今農務省の仕事の一番中心をなしております価格支持政策にいたしましても、一九二九年の大恐慌で農産物の価格が暴落をいたしまして、そのために農家が非常な窮乏状態に陥つた、これを解決するためにニユーデイール政策の一環として始められたのがこの政策であります。又フアーマース・ホーム・アドミニストレーシヨンという、農家厚生局とでも訳しますか、そういう仕事がございまして、自作農家に土地を持たせ、或いは又自作農家の経営の適当でないものに資金を融通いたしまして、これらの農家を一人前の農家にさして行くような仕事をする局も設けておりまするが、これらもやはりニユーデイール政策の産物であります。又土壊保全の問題にいたしましても、或いはそのほかのいろいろ政府の積極的な政策というものが、農業政策というものが、大体においてニユーデイール政策であるということを私どもは見て参つたのでありまして、この点アメリカの政治というものが農業の発展に大きな貢献をしておることが看取されたのであります。私どもが全体としてアメリカの農業を見た場合に、こういうことが感じ得られたのであります。国土が非常に広大であり、そうして自然条件もかなりいい所が多い。そのために農業の特に技術が発展いたしますと、農産物の生産量が国内の消費量を遥かに上廻る。常にアメリカにおきましては農産物については過剰生産の傾向がある。アメリカにおきましても過剰生産の傾向があれば価格が下り、そのために農家が常に苦しまなければならない。そうして農民の窮乏ということが起る。これを根本的に解決するには、価格を常に一定の水準に保つて、そうして農家の所得というものをできるだけ一定の水準に置いて、そうしてそれによつて農家の生活水準というものを一定にしておくということが、一つの大きな政策になつておるというふうに考えられたのであります。これがルーズベルトによつて始められました価格支持政策であり、そうして今日の民主党政府もそれをずつと引続き行なつて参つたのであります。特に第二次世界大戦後におきまして、この方式に更に一層改良が加えられまして、これを拡充し、特にこの低い所得の農家の地位を安定さそうという計画が立てられ、それがいわゆるブラナン・プランでありますが、ブラナン・プランの考え方というものは、やはり今言つたように最低の水準にある農家の所得を維持して行こうというところに狙いが置かれておるように思われるのであります。朝鮮事変が始りましてからあと、アメリカにおきましてもインフレーシヨンの傾向が出て参りまして、非常に物価が高くなつておりました。農産物の価格も軍事需要その他のために相当騰貴して参つておりまして、従つて農家のほうの景気も漸次上昇して来ておるのであります。併し第二次世界大戦後におきまして、特に一九四八年には農産物の価格が相当下落いたしましたために、まだ或る数種のものを除きましては、政府の価格支持政策の中心になつております。パリテイ価格には到達しておらない。そこで政府は価格統制をいたしましても、農産物の価格はパリテイに達するまでは価格統制をしないというふうな方式をとりまして、そうして農産物の価格が更に上昇いたしまして、工業生産物の価格と肩を並べ得るまでに上るままにして置くというような方式を今とつておるのであります。ただ綿だけがすでにこのパリテイを超えましたので、そこで綿につきましてはシーリングが、つまり価格抑制が行われまして、一ポンド四十五セント何がしかを超えてはならないというようなことに相成つております。若し他の農産物につきましてもパリテイを超えることになりますれば、同じような措置がとられることになつておるんであります。かかる状況で農産物の価格は上昇傾向に今ありますので、従つて価格支持政策の実際の発動ということが行われておりません。従つて昨年まで問題になつておりましたブラナン・プランを今議会でこれを取上げて、法律にするかどうかという問題は、今日ではむしろ二の次になつておるというような状態になつておるのであります。従つてこの価格支持政策は今当面の問題にはなつておらないわけであります。併し全体を通じて見まして、これがあるからアメリカの農家の所得というものが維持され、そして農民に高い生活水準が与えられておるものと、そういうふうに結論することができるのでありまして、やはりこれがアメリカの農業政策の中心になつておるというふうに、私どもは見て参つたのであります。  それからアメリカの農業の生産力の問題でありますが、これは機械化の発展に、先に申上げましたように機械化の発展によつて更に一層の進歩をするという方向にあることは申上げるまでもないのでありますが、やはりアメリカにおける工業の発展からいたしまして、年々農村人口というものは急激に減少して参つております。そしてパーセンテージが減少しておりますが、その農村人口を以てより大きな生産力を挙げて行くには、やはりどうしても機械化の方向を取らざるを得ない。こういうのがアメリカの機械化の第一の原因になつておると思うのであります。そのアメリカの農業の機械化に加えまして、アメリカの農業生産力を発展させておるかなり大きな原因となつておりますものは、品種の改良、それから病害虫の駆除等も大きな役割を果しておるのであります。更にアメリカにおきましても最近人造肥料の使用量が非常に殖えておるという点にあると思うわけであります。統計等を見ますというと、アメリカの農業において人造肥料を使用する数は非常に少なかつたのでありますが、一九三三年以降漸次殖えておりまして、特にこの第二次世界大戦前後から急激に増加しておる。そうしてアメリカにおきましては土壤の酸性化を阻止するために、特に石灰の使用量が非常に大きくなつておる。これがやはりアメリカ農業の生産力に寄与しておる点が多いというふうに私どもは見て参つたのであります。かように生産力が非常に増加して参りまして、そしてアメリカの人口を養う以上のものが常に生産される。これは過剰生産の危険を常に含んでおることでありまして、そしてそのために価格が下落をする。そして先に申上げましたように価格を支持して行くと同時に、この価格支持政策の半面におきまして、やはり作付制限ということを、つまり計画生産の一部としての作付制限ということを同時にやつておるのであります。それがアメリカにおける生産面に対する一つの大きな政府の指導の面が現われておると見られるのでありまして、昨年度における綿の生産が減少いたしましたのなどは、その大きな例である。そしてその半面におきまして、アメリカが昨年度におきましては大豆の生産が非常に殖えて、今日では大豆の生産においてもアメリカが世界第一位になつておりますが、これはやはり一面においてそういう作付統制が行われて、或る程度過剰生産になるものに対しては減反政策を行い、その面において今言つたような大豆等の新らしい作物の作付が拡張されて、そしてこれ又大きな生産量を挙げて行くというふうに見られておるのでありますが、この生産過剰のものに対してどういう措置をしておるかと、こう申しますというと、大体馬鈴薯のようなものは腐らしてしまつて、これは結局価格支持政策の失敗の面を現わしまして、そのために議会は馬鈴薯を価格支持政策の面から除いてしまつたのでありますが、他の面におきまして特に貯蔵のきくようなものにつきましては、これを貯蔵し、それから輸出をいたします。特に綿花のごときは非常に余りました場合には、これは何といいますか、高く買い上げた品物を政府が補助金といいますか、政府の金を支出いたしまして外国の市場に安く供給するというような方法をとつて、これを処置しておる。小麦等についても同じであります。そういうふうな方法で、常に何らかの方法で輸出を続けて行かなければならん。こういう方式が一つ取られております。それから保存及びその国内における消費の増加ということをやりまして、バランスをとつておるのであります。例えば政府が買上げて商業的にその処置のできない乱製品等のごときは、学校給食に廻すというようなことまでやつておる。常にこの国内消費量を上廻る農業生産物の処置というものも、アメリカにとりましては非常に大きな問題になつておるというふうに見られておるのであります。例えばガリオア資金で日本に送られる小麦或いは「とうもろこし」にいたしましても、又最近インドの饑饉に対しまして、百万トンの小麦を出す、或いはユーゴスラビアに二十五万トンの小麦を出すというようなことも、皆このアメリカにおけるところの手持になつておる過剰農業生産物の処理の問題の一環としても考えられるわけでありまして、そういう点から見ましてアメリカは穀物を常によそへ出して行かなければならない。而も世界市場の価格を崩さぬ、それがアメリカに撥ね返りのないようにして、これを外国に供給して行かなければならんというところに、アメリカの政策の非常に大きな悩みがある。農業政策の悩みがあるというふうに私どもは見て参つた次第であります。従つて特に戦争等によつて或いは戦争準備のために、非常に大きな需要のない限り、アメリカとしては常にこの悩みを何らかの方法で解決しなければならない。そういう面から見ましたならば、日本といたしましてはアメリカから、今戦争準備でいろいろ問題もありますが、平時におきましては相当量の食糧を輸入することには大体不安はないのであるというふうな見方も成り立つのではないかというふうに考えておる次第であります。ほかの点につきましては楠見、三好、北村氏からお話がございますので、私は、ちよつと私の見て参りました一部だけ御報告申上げて置きます。

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) それでは引続き楠見さんからお話を承わりたいと思います。

楠見義男緑風会

○委員外議員(楠見義男君) それでは私から御報告申上げますが、実はまとまつた、系統的に皆様の御参考に供するようなふうにまだ頭を整理いたしておりませんので、従つて申上げることが極めて断片的なことになるかと思いますが、その点はあらかじめ御了承頂きたいと思います。  羽生委員長から、又今、岡田さんからもお話があつたことなんですが、アメリカの農業の問題については私自身も実は余り大して期待というものを持つては参りませんでした。生産規模が違い、又社会構造が違うわけでありますから、アメリカが純経済的に農業問題を見ておる場合と、日本で経済的に、又社会的に農村問題を見ておるのとはおよそ趣が違いますので、従つて生産構造の上から言つても余りアメリカの農業経営のあり方、やり方については大して期待を持つては参らなかつたのでありますが、ただ一点、かねて言われておりますように、アメリカの農業経済が国民経済の中において極めて重要な地位を占めており、農業経済の繁栄が即ちアメリカ国民経済の全体の繁栄をもたらすものである。従つてそういう観点からアメリカの全階層がこの問題について極めて深い関心と、又協力的な態度をとつておる。こういう点についてあらかじめ密かに羨ましさと憧れといいますか、心を引かれるものがあつて参つたわけであります。と同時に、この準戦時体制下におけるアメリカの経済なり、産業、その他の問題がどういうふうになつておるのであろうかということも、併せて見る機会があれば幸いだと思つて参りました。いろいろ細かい点は又別の機会に譲りたいと思いますが、そういうふうな極めて漠然たる気持で参つたのでありますが、一番収穫と申しますか、心を打たれ、心を引かれた問題はアメリカの教育の問題であります。いずれ教育問題については三好さんは専門家でこの点について必ずお触れになることと思いますから、詳しくは申上げませんが、結局アメリカの今日の繁栄と申しますか、国としての盛大さは近々二百年来のことでありますけれども、今の教育、特に社会教育にしても学校教育にしても家庭教育にしても職場教育にしても、すべてが開拓者精神に触れるものがあるのではないか。即ち過去の伝統を異にし、宗教を異にし、生活環境を異にした世界各国の人間が集つて、そうして今日のアメリカを築いたわけでありますが、その一つの要素はセルフ・リライアンスと申しますか、自己信頼、自己依存、利己的な意味ではなくしてセルフ・リライアンスというものが中心になり、そこから自己の生活を立て、又産業的にいえば経営を立てることにおいていろいろの創意工夫を以て新生活、新経営を切り開いて行くという、このセルフ・リライアンス、ここからいろいろ創意工夫も生まれて来るように思うのであります。例えば農業機械にいたしましても殆んど例外なく農民は村の鍛冶屋から農業機械、或いは機械が次ぎ次ぎと創意工夫を以て生まれて行く。この一例を見てもわかりますように、このセルフ・リライアンスというものが大きな要素を成しておりますと同時に、多数の異なつた民族なり、又国民が集つて一つの国家を形成して行くわけでありますから、そこに相互信頼といいますか、ミユーチユアル・レスペクトというものが非常に重要視せられておるのであります。この二つの点は先ほども申上げましたように開拓者精神に通ずるものでありますが、この二つの要素を家庭教育から学校教育、社会教育、職場教育において、すべてがこれを守り立て又伸して行くというふうに伺われたのであります。この点が私はアメリカの民主主義の発達の上において、或いは又産業経済の伸びて行く上において一番重要な要素を成しておるのではないか。同時に後ほど申上げますが、農業の発達の上においてもこの点が非常に大きな役割を果しており、いわば農政の基本線はこの点にあるようにすら感ずる点があるような次第であります。教育の点については今申しましたように三好さんからお話があると思いますが、農政の問題について先ほど申上げたようなふうに漠然たる気持でやると同時に、今まで言われておることについて現実にアメリカではそういうふうに国民の全階層が農業経済を見ておるかどうか。具体的に人に会い、又具体的な事例についてそれを確かめたいと思つて参りました。結論的に申しますと一〇〇%確信を得たわけではありませんが、大体それに近いような気持を持つて帰りました。一〇〇%確信を得なかつたという意味は、例えば一個人の話としてアメリカの農民は全人口の一六%に過ぎないのであつて、従つて農業というものは国民経済の上からいつても一六%だけのウエイトしかない。それを一六%だけ重要視せられておるのであります。ただ農業が不況になるということになれば、他の産業にも少なからん影響があるので、そういう意味で農業を見ておるのだ。こういう言い方をする人もあり、又今岡田さんからもお話がありましたように、今回の価格統制令が布かれた場合に、パリテイ価格に達しない農産物については、その価格統制令から除外をする。従つてパリテイ指数を以て天井価格にするというふうになつておりますが、そういう場合であるにもかかわらず、農産物の価格の動きについて反対をし、署名運動をやつておるような実例も各所で見ました。従つて国民の全部が全部というわけには参りませんが、併し又考えようによつては、こういうような事例は、例外的には如何なる国、又如何なる場合でもあり得ることなんでありますから、そういう例外的なことを除いて、全体としてどうかと言いますと、やはり農業経済というものの振興を大きく見、国民経済の繁栄の上においては欠くべからざる要素として見ておるように窺われたことの端的な証拠は、私どもテネシー州に二週間ほどおりまして、農家にも泊りましたが、テネシー州は非常に貧弱な州で、農業立地条件から申しますと、恐らくアメリカでも現在行われておる農業経営地帯としては最下位のほうではないかと思うのであります。石ころの多い、従つて普通の耕作農業が行われず、牧畜を主にしてやらなければならんというような地方が非常に多かつたわけでありますが、一寒村と申しますか貧村と言いますか、ミルトンという部落に泊りました。ここは四十戸ほどの農家でありましたけれども、その四十戸の農家が平均百エーカー程度の農地を持つておりますが、これはまあアメリカの平均から言えば平均以下であることは申すまでもないのですが、この四十戸の農家が例外なく自動車を持つており、又農機具を持つており、泊りました家庭も、それぞれ分宿したわけでありますが、いい家庭も勿論ございましたが、私と北村さんと泊つた家なんかは中流程度だろうと思いますが、そういうところで便所なんかも実に汚なく、家の外にあつて日本の農村における屋外の便所よりももつとひどいような程度でありましたけれども、併し家の中では電気冷蔵庫なり、冷凍機、或いはラジオ、それから電気洗濯機、こういうものを皆揃えておりました。ほかのかたもいろいろ各家庭でお聞きになつたようで、その結論は大体同じでありましたが、家庭の主婦として家庭改善の上において一番最初に何を欲するかというと今申上げたような工業製品であります。従つてこの事例から見ましても、結局農家経済が或る程度息をつき、又潤つて来ると、赴くところは工業製品の需要である。こういう意味から言つて農業経済が自然的に工業の振興なり、或いは又商業の繁栄ということに対して大きな直接的な原因を持つておるということが具体的にわかつたわけであります。  それからもう一つは他産業人との関係でありますが、アメリカの農民に限らず、すべての業態に従事しておる人人が、その従事しておる業態にプライドを持つてやつておる。農村人は勿論農業に対してプライドを持つてやつており、これが単にアメリカの食糧補給源として、或いはその他の原材料の補給基地としての重要性から来るプライドというだけじやなくて、職業についてのプライドを持つておると同時に、他産業に対しても非常に理解を持つておりますが、その他産業の人間も農業に対しては非常に理解を持つておる。私どもは商業会議所の案内で随分あちらこちら参りました。およそ日本の今までの私どもの見方からすれば、商業と農業、特に反産運動等の盛んなときに経験いたしました私どもの経験からすれば、ちよつと意外に感じたのでありますが、大体農業地帯の商業会議所にはすべて農業部というものがあつて、その農業部で農業に関するいろいろの統計を揃えておつたり、又そこの案内によつて農業地帯を、或いは農家を見物したことも少くございませんでした。こういうふうに他の産業人も農業については非常に関心を持ち、例えば今申上げた商業会議所でも、農業が栄えることが結局商工業が栄えることになるのだから、従つて我々は農業には極めて重大な関心を持ち、これの振興について努力をしておるのだ。こういうことを言つておりましたが、まさにその通りだろうと思います。従つてそういう意味から申して、農業が国民経済の繁栄の基盤として、基礎として重要視されておるということは、一〇〇%とは言わなくとも、大体それに近い程度のことをアメリカとしては各階層において考えておるということがまあ窺われたわけであります。  そこで然らば具体的に農政というものは、一体どういう点に中心をおいてやつておるかということでありますが、これも当初はなかなか私どもピンと頭には入らなかつたのであります。その理由は、日本式の見方をしますとと、農政というと、例えば私どもはまあ先輩の石黒農政だとか、最近ではもう大臣が代るたびに広川農政とか、森農政とかというふうに……、とは何だということで言われるわけなんですが、日本的の考え方から行けば中央集権的な考え方でありますが、従つてそういう中央集権的な考え方から見た農政というものは、アメリカではなかなか見当りません。結局農政というものは、而も具体的な施策は殆んど例外なく下から盛り上つて来ております。農業団体で一番有力なのはフアーム・ビユーローで、これは郡のフアーム・ビユーロー、それから州のフアーム・ビーロー、それからフエデレイシヨン、連邦の合衆国全体のフアーム・ビユーロー・フエデレイシヨン、この三段階になつておりますが、全農民、農家四百万戸のうちで百五十一万戸程度のものがこの会員になつて、一番有力な団体であります。その次にはフアーマーズ・ユニオン、これも今申上げたような段階で三段階あります。これはまあ四十五万程度で、どちらかと申しますと、日本で言えば社会党的な見方をする団体であります。それからもう一つはナシヨナル・グレンジというものがありまして、これは個人の単位で八十万人から八十五万人くらいの会員があり、主として宗教的な要素の強い団体でありますが、こういうようなそれぞれの団体が、それぞれの団体内における段階、郡とか、州とか、全国とかの段階において具体的に農業立法の基礎を作つております。郡段階においては郡の実際の農業上のいろいろの施策についての実現に反映し、州の立法については州の段階におけるフエデレイシヨンがいろいろの決議をして、そしてこれを州議会に反映し、連邦政府においては、この合衆国全体の段階においては、それが連合会のいろいろの決議が国会に反映しておる。而も日本の農業団体が毎年農業協同組合代表者会議、或いは全国農民代表者会議等で、一日で数十項目をただ羅列的に、又儀式的にやるようなことでなくして、例えば私ども参りましたアイオワ州の州の段階においても、それらの州段階における決議を決定するのに二週間近く練つて、そうして本当に農民の代表の声として反映された政策を州議会に送り込んでおる。まあこういうようなふうでありまして、従つて今申上げたように中央集権的な見方からする農政というものはなかなか見当たらなかつたわけでございます。ただ強いて全国的な、日本式な見方からする農政というものはどういうことかということで、いろいろ探り廻つておつたわけでありますが、もとよりこの点は群盲象を撫ずの類で、私どもの見方はその象のどこに当つておるかわかりませんが、併し私一個の感じから申しますと、アメリカの農政というものは、最初に申上げたように教育にある。この教育が一番最低の、最低といいますか、一番基本的な線になつておるように感ぜられました。即ちいろいろ創意工夫なり、或いは又その他の科学的な、知的な受入れ態勢というものを、知的な態勢を先ず基盤に作り、その基盤の上にいろいろの具体的な連邦政府の施策が及んでおる。その知的な受入れ態勢にしましても、これは御承知のように四Hクラブ運動とか、或いはフユーチヤーズ・フアーマーズ・オブ・アメリカというような将来の農民としての訓練を子供のうちにやつて行くという運動、或いは女の人で申しますと、フユーチヤーズ・ハウスメーカーズ・オブ・アメリカ、将来の家庭人としての訓練を子供のときからつけて行くという運動、こういうように、四Hクラブの運動とか、そういうふうな数数の運動が、連邦政府の、又州政府の協力の下における指導によつて、勿論農業団体もこれには非常に大きな協力的な努力をしておりますが、そういうようなことで知的な受入れ態勢を作つて行く。学校教育にいたしましても、大学あたりでも、例えばテネシー州の大学に参りましたが、テネシー州の大学ではその教課の二〇%は教養を身につけさせる教育に費す、四〇%は基礎的な科学教育に使う、それから四〇%は実際的な技術的な教育に費す。而も教育においては、教室における教育が三分の一で、あとの三分の二は実地についた、いわゆる実務的な教育をする。こういうことを言つておりましたし、アイオワ州の州立大学に参りましても、やはりこの学校は実際に即した教育というものを大学のモットーとしてやつておるのであります。現実に学校内をいろいろ、どちらも二日か三日に亘つて見ましたが、農業教育において、或いは家政教育において、実に実際に即した教育をやつておりました。こういうふうな実際に即した教育が、職場教育において、或いは又家庭教育において、学校教育において行われて、知的受入れ態勢を作つて、その上にエキステンシヨン・サービスが深く入り込んでおります。エキステンシヨン・サービスのほかに、土壤保全に関する連邦政府の施策、それに又農業保険、これは農業保険はまだ試験的な段階で、日本のほうがむしろ農業保険としては進んでいるように思いますが、そういうような農業保険制度というようなものもだんだんと普及しております。こうやつてだんだんと進めて行つておりましたエキステンシヨン・サービスについて、特に一行が一番興味を持ち又いい点だと思いましたことは、日本のエキステンシヨン・サービスの形態とは違いまして、農業大学の学長がエキステンシヨン・サービスの中心になつております。農業大学の学長はディンというのですが、ディンであると同時にデイレイターという、エキステンシヨン・サービスの普及員のデイレクターたる地位を兼ねております。御承知のようにエキステンシヨン・サービスは一九一四年のスミス・レバーアクトというので、連邦政府と州政府が協同してやるということになつて、爾来多少改正を見ておりますが、その線に沿つてやつておりますけれども、その趣旨は農業大学の学長が、今申しましたように学校の先生としての部長であると同時に、エキステンシヨン・サービスのデイレクターとしての州における中心的な存在をなしている。そこで大学の総長の監督を受けると同時に、連邦政府の農務省の監督を受けて、二つの線が農学部長のところに集中されます。上からの二つの線がそこで集中される。下は三つの線に分れておりまして、一つは学生教育、一つはエキステンシヨン・サービス、一つは試験研究部面、丁度日本で申せば府県の試験場の設備なり機能というものが、大学の試験研究部面によつて行われている。そこで試験研究の結果はエキステンシヨン・サービスを通じて農民に行く。又学生教育にそれが反映する。大学の実験農家もございますが、それらの実験農家の結果、或いは改良普及員が実際にこれを普及指導して見て、又いろいろ農民の声を聞いて、それを試験研究部門に報告し、試験研究部門が更に又試験研究を重ねて、学生教育及びエキステンシヨン・サービスにそれを又反映して行く。こういうふうに農学部長の下において三位一体的な機能が完全に行われている。日本の改良普及事業はそのうちのただ一部の形だけを、取入れただけでありますから、実際のアメリカの精神を盛つた形を実はやつておらない。この点に改良普及事業の今後の伸び方の上においての大きな問題があるのではなかろうか。勿論アメリカでも一九一四年のそういう法律ができて間もない当座の間は、やはり農民からはそつぽを向かれておつたことは事実のようであります。併しだんだんとそれらの人々、特に改良普及員は年配の人が多く、農民の信用を博する程度に知識も又経験も持つており、現実にそういうふうにサービスを極めて熱心にやつておりますから、漸次農民の信頼を得て、今日ではむしろ農民のほうから相談に来る。こういうような状態のようであります。日本の改良普及事業は、今申上げるように、その一部の形だけを取入れて、精神を取入れておりません。これを今後伸ばして行くということであるとすれば、時あたかも学制改革で各府県にそれぞれの農業に関する大学もできておるわけでありますから、そういうものとの結び付きということをこの際真剣に考えて行く必要がありはせんかということをひそかに感じたようなわけであります。そこで知的な受入れ態勢がある上に、今申しましたようなエキステンシヨン・サービスが実に根深く入つており、一方土壤保全の仕事なり、又保険事業というようなものもあり、品種改良、技術改良というものが流れて行く。そこで端的な言葉で申しますと、とにかく農民には諸君の好きなものを作れ、又好きなように改良、改善を加えて行け。その改善、改良を加えて行くのに必要なインフオメーシヨンはどんどん政府が流して上げようというふうにして、インフオメーシヨンを通じてどんどんそういうものを、指導的なことを上から流して行く。勿論これは農民が取るか取らないかはその自由でありますが、そういうふうにして、とにかく一生懸命増産をしなさい。増産した結果若し農業経営の上に苦境になるような場合があるとすれば、そのような場合にはプライス・サツポートでサツポートしましよう。先ほど岡田さんがお話になつたようなことでありますが、こういうような基本的な線が一九三三年以来あるのじやないか。そこで考えようによつては私はこれほど大きな太い農政の線というものはないとすら思つたようなわけであります。勿論そういうようなことをやつておりますが、同時に金融の面についても向うの連中には金融は日本と違つて救済的な意味は持つておらない。すべてコンマーシャル・ベースに乗かつた金融なんだということを言つておりますが、併し具体的にその金融機構等を見ますと、私は単にコンマーシャル・ベースということを言つているのは、個々の金融についてはその通りでありますけれども、併し精神においては、非常に大きな国家の補助というものが、そこに行われておるように窺われました。それは金融についてアメリカの農務省には二つの局があります。局と言いましようか、庁と言いましようか、行政機関があります。一つはフアーム・クレジツト・アドミニストレーシヨン、農業金融局と申しますか、この農業金融局では一般の農業金融についての監督指導、こういうようなことをやり、フアマーズ・ホーム・アドミニストレーシヨンというほうは農家対策局と訳しましようか、このほうは国が毎年予算を以て直接政府の事業として農業金融に携わつておるのであります。農家対策局のほうはあとで申上げることにいたしまして、農業金融局管下の金融にいたしましても、現実に行われておることは、今申上げましたようにコンマーシャル・ベースによる金融でありますけれども、併しその機関自体が実はすべて政府の創設にかかつております。監督の対象になつておる金融機関は連邦土地銀行、それから中間融資銀行、それから生産金融公社、それから協同組合銀行、こういうふうに四つの金融機関があります。連邦土地銀行は一九一六年に連邦土地銀行法というものができまして、それによつて十二の土地に連邦土地銀行を作つて……十二というのは合衆国を十二の農業金融地区に分けまして、各地区は大体それぞれの農業を代表するようなふうに作られておるのでありますが、その十二の地区に一つずつ連邦土地銀行というものを作る。これは勿論政府が全額の出資で、たしか最初は九億ドルの政府出資であります。そしてこの銀行が土地の購入資金なり、或いは土地の改良資金、その他生産に関することにも金融しておりますが、そういう銀行を作つておる。それから中間融資銀行というものは農業金融についてなかなか一般のこの短期資金も、勿論長期資金もそうでありますが、何と言つても向うの大きな金融源は商業銀行、保険会社、個人でありますが、こういう金融機関に対して融資銀行が金を貸したり、或いはその金融機関に対する割引を行なつて農業資金というものを融通する。で、融資銀行は連邦土地銀行もそうでありますが、農家の土地を担保にして、それを見返りにして一般市中投資市場、金融市場から債券発行によつて金を集めて、そうして農業に流して行くのでありますが、融資銀行というものを一九二三年に作つております。併しこのほうは金融機関に金を貸すのでありますから、金融機関自体が農業に対して余り熱意がなければなかなか具体的に実際問題としては農家に金が行かないということがわかりまして、別に又一九三三年に生産金融公社というものを作つて、この生産金融公社が生産金融協同組合という協同組合の株といいますか、出資を持つたり、或いはそれを監督したりするような役割をしておりますが、その生産金融公社というものを一九三三年にやはりこれも政府が創設しております。同じく一九三三年に協同組合銀行というものを先ほど申上げた金融地区十二にそれぞれ一つずつ設けて、これは協同組合に対して商品担保の商品金融、或いは生産に必要な金融、或いは施設、不動産的なものだけでありませんで、施設金融を行なつている。こういうふうなことをやつておりますが、これらの金融機関の創設はすべて政府が当初は政府出資で以て作つております。而もその政府出資は無利子でやつており、何年かたつうちにそれらの金融機関がすべて農民の所有になつてしまうような仕組にしております。それは具体的に申しますと、例えば土地銀行にいたしましても、農民が土地を買うのに金を借りる。それは農地担保金融協同組合と言いますか、そういうような名前の協同組合を作りまして、その協同組合から金を借りる。その協同組合は土地銀行から金を借りるのでありますが、各段階において金を借りると同時に、その借りた金額の五%を借りる機関の株を持つようになつております。返すときに、金は返すと同時に、その五%の分だけは組合、或いは組合員の所有として残して置く。そういうことでだんだんと金融を利用するに従つて、土地銀行というものが協同組合の所有になり、協同組合は又農民の真の所有になる。こういうような仕組でやつており、返す政府の金はすべて無利子で長い間使つてそうして返す、こういうことでありますから、考えようによつては日本のいろいろの農業金融のあり方とは違つたあり方でありますけれども、実際はこれ又極めて手厚い施策のように思われるのであります。更に農家対策局における金融は、これは全く政府の出資でありますけれども、例えば現に進行中の一九五一年度におきましても、予算としては一億千万ドルの予算を計上しておりまして、それ以外に保証金融の限度を一億ドル持つており、合計二億六千万ドルというものを政府みずからが農家に貸す。勿論貸す農家はいわゆる限界線における限界線農家で放つておいたら転落してしまう。それらの人を守り上げて、そうして一人前にして、一般の、今申上げたような他の金融機関、協同組合、或いは商業銀行、保険会社、一般の金融機関の対象になるようなレベルまで引上げて上げる。こういうような意味でそういう限界線農家だけを対象にしております。勿論最近は復員軍人で帰農したり、新たに農業をやろうとするような人に対しても極めて重要視して対策をやつていますけれども、主としてそういう限界線農家が対象であります。そういうことも政府としては非常に手厚くやつておる。丁度私ども留守中に農業金融についての特別会計法ができたようでありますが、極めて少い金額で、而もそれも多年の要望であり、又留守中における農林委員会の皆様がたの非常な御努力でやつとできたことと承知しますが、向うのほうでは補助金とか何かということはやらない代りに、そういつた補助金以上の強い太い対策を講じておるということが、誠に私どもから見ると、今までGHQの人々から聞いておつた、具体的にいろいろの内地における施策について言われておつたことは、違つた意味の太い補助の線があるように思いました。農政に関することはいずれ又別の機会に詳しく申上げますし、又御報告申上げますことは大体以上の通りでありますが、断片的に気付いたことを二、三申上げますと、一つはアメリカの生産が、生産力の殖えて行く、増大して行くことについての原因と申しましようか、あり方なんですが、資材、資源の極めて豊富な国と資源のない日本とは全く立場が違うわけでありますけれども、日本では大体そういうような資源の少い国であるために、先ず生産量というものが基礎になつて、その生産量で以て消費量を規制して行くと、こういうような消極的な感じを受けるのでありますが、アメリカでは消費が主であつて、その消費の増大に即応するように生産を伸し、又生産を引上げて行くように感ぜられました。例えば紙の問題にしても、水にしても、電気にしても、機械にしても、すべてそういうような感じがいたしました。従つて消費が主でありますから、そこに宣伝というものが非常に活発で、至るところ消費宣伝に関する広告を見ました。丁度ここに白波瀬さんもおられますので、生糸のことについて申しますと、私は生糸についてはこれは消費宣伝を徹底的にやらなければ、今までと同じような考えでおつたのでは必ず生糸の前途は悲観すべきものだと思います。と言うことは、テレビジヨンを通じ、新聞を通じ、或いはその他のものを通じても実に消費宣伝は猛烈であります。これはまあ余談ですけれども、丁度ワシントンで私ども泊つておりましたホテルにテレビジヨンが各部屋にありまして、丁度二週間ほど三好君と私と同じ部屋におつたことがありますが、毎日テレビジヨンを見ておりますと、そうするとまあ広告が盛んに出ます。私どもがカリフオルニアに着いて二日目か三日目でしたが、テレビジヨンに岡田さんと私、それから井上良二君や森さんや皆出たのですが、それも日本から国会議員団が来て農業についての話があるのだというようなことも盛んに宣伝をしておつて、実はほかの商品の宣伝の当て馬に使われたようなことでしたが、そういうふうに盛んに、あらゆる利用できるものは利用して、消費宣伝をやつている。そうすると毎日見ておりますとだんだんあれを買つてみようかというような気になる。それでビールの広告があつたので、毎晩見ていると、如何にもうまそうなんで、レストランへ行つてそのビールをくれということになつて、やはり飲むようになる。(笑声)ほかのものは全部そういうふうにして、どんどん消費宣伝に力を注いでおりますから、生糸もそういう消費宣伝にうんと力を入れないと、取り残されてしまうのじやないかということを強く感じました。勿論価格安定ということが一つの大きな要素で、高い価格で賛沢品として少数の消費者に繋がるよりも合理的な安定した価格で大衆の消費に繋がるということが生糸にとつては大きな今後の問題でありますが、同時に消費宣伝というものが非常に大事じやないかというふうに感じました。  それからもう一つは機械の点でありますが、いろいろの機械が先ほど申上げたような創意工夫によつて、そして又実際の消費の面から見た引張り上げ、引出しによつて機械が発明される。そうするとその機械の発明が又次の機械の発明なり、或いは産業を起して行く。例えば飛行機で種を蒔くということをやつておりますと、その種を蒔くためには種の大きさが揃わなければいけない。そこで飛行機で種を蒔く、そうするとその種を精選して粒を揃えるために又一つの工業と言いますか、工場が生れて行く。こういうふうに機械の発明が次に又機械を生んで行く。こういうことでありますから雪だるま式に都市の商工業が殖えて行きます。従つて農村では人口というものがどんどん都市に行く。都市に行くために、先ほど岡田さんからお話があつたように農村で又機械が発明される。こういうようなふうに発明が発明を生むように、雪だるま式に経済、或いは産業が発達して行くように思います。  それから一つだけ、いろいろアメリカの話になりますといいことばかりの話が多いのでありますが、一つこの機会にアメリカの矛盾と言いますか、悪い面を一つだけ申上げて置こうと思います。いろいろな点がありますが、一つだけ申上げますと、アメリカの今後の問題として私は一番将来大きな問題はネグロ、黒人の問題だろうと思います。御承知のように人口一億五千万の中の一割を黒人が占めております。白人系統は人口は余り殖えませんが、黒人のほうはどんどん人口が殖えて行つておる。而もこれらの人が現在従事しておる業種は、日本式に考えれば極めて下層的な、下級の仕事に従事しております。勿論併しそれも最初に申上げたように、その職業についてそれぞれがプライドを持つておりますから、本人たちはそうは思つておらないのでしようけれども、例えば列車ボーイだとか、ホテルのボーイだとか、靴磨きだとか散髪屋とか、洗濯屋だとか、殆んどそれは下のほうの、頭をあんまり使わないような仕事に従事しておるものが多いのであります。男も女もそうであります。併し人間がだんだんと殖えて来る。而も一方では民主主義を唱えておりながら実際は差別待遇をやつておるところが随分あります。南北戦争の原因になつたのも奴隷開放でありますけれども、この南部地方においては特にひどい、北部のほうはそう目立ちません。従つて南部の黒人はどんどん北のほうへ、或いは大都市へ移動しております。併し南部地方においては未だに人種的の差別をやつており、映画館も白人と黒人とは全く入口を異にして、ひどい所になると、或る田舎で見ましたが、土曜日の一番楽しい時に列をなして黒人が別の入口に並んでおる。中から一人出て来るたびに、その列から一人ずつ代りに入れてもらうというようなことをやつておつたり、それから便所が分れておつたり……、而もそれは民間のそういう機関でなくて、政府の機関の中でも、そういう所でもそういつた差別待遇をやつておるのです。これは私どもには非常にいやな気持で、勿論私どもはホワイトの部類ですが、いやな気持をいたしました。ところが、一方テネシーの州立の黒人大学では、総長以下三十数名の博士がおり、大学の設備も極めて揃つており、図書館等も、東大の図書館あたりよりも極めて優れた図書館を持つておる。そういうふうに一方では教育がどんどん進んでおる。而もそれらの人々がだんだんと自覚を持つて来、更に強い指導者が現われて、そしてその大衆を引きずつて行くような時代が仮に来るとすれば、現在は殆んど諦めに似たような感じを持つておるようでありますけれども、そういう時期が仮に来るとすれば、アメリカとしては一番大きな問題を突き付けられて、この解決に苦しむという時期が来るのじやないか。これはいつの時期に、そういう時期が来るかどうかわかりませんけれども、一つの大きなアメリカの内包した矛盾の最たるものであるというようなふうに考えました。  大体この程度で、又別の機会に御報告したいと思います。

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) それでは引続いて三好さんからお話を承わりたいと思います。

三好始国民民主党

○三好始君 今度の我々の旅行は、近藤さんなどが行きました第一回の渡米議員団と違いまして、交通機関は全部陸上の汽車とか、自動車を使いまして、車窓からでも沿線の農業状況がわかるように、こういつたような計画の下に旅行いたしたわけでありまして、四十八州のうちの約半分の州を通ることができまして、相当広い範囲にアメリカの農業事情なり、或いは農業政策、農業行政の実情を見ることができて非常に参考になつたと思つておる次第であります。  私の出発に当つての考え方は、多少他の人と違つておつたかもわかりません。それはどういう点かと申しますと、多くの場合、アメリカと日本とは農業の規模も違う、条件が違うから、大して期待すべきものはないのじやなかろうかという考え方が多いのでありますが、私はむしろ逆に非常に大きな期待を持つて行つたのであります。それはどういう考え方かと申しますと、類似した条件の下に、直接結局参考になる点が確かに多いに違いないけれども、日本の農業を将来どうすべきかというふうに考えて行く場合に、非常に違つた角度から強い刺激を受けるというのも大いに役に立つことじやなかろうか。こういう感じを持つて私は最初大きな期待を持つて出掛けたのであります。そうして、そういう期待が或る程度当つておつたことを喜んでおります。時間がありませんので、十分なお話は別の機会に譲りたいと思いますが、とにかくあつちで実情を見るというのと、こつちで一人の話を聞いたり、或いは書物で勉強することとは違つて、非常に生々しく、且つ正確に知ることができて、役に立つ場合が多かつたのであります。非常に卑近な例で恐縮ですが、私こちらを出掛ける前に、或る人からアメリカの米作は機械作業に適するように、品種改良も日本と非常に違つておる。一穂の粒数もせいぜい五、六十粒程度で実のつても頭を下げない。「実のるほど頭を下げる稲穂かな」とありますが、アメリカの稲は生意気だ、実のつても頭を下げないのだ。そうでないと機械作業はできない。こういうような話を聞いていたのでありますが、現地に行つて見ると大分模様が違うのです。この稲の、アメリカで米作の行われておる、それはカリフオルニア、テキサス、ルイジアナ、カンサス、この四つの州の中のルイジアナ州でもらつて来た稲の穂ですが、これは帰るまでに粒が少し落ちております。品種はレクソロという品種で、最も多く作られておる品種です。次のこれは、日本の稲によく似た品種でありますが、ゼニスという品種であります。こういう実物を見ますると、むしろ日本の稲の穂より、すばらしいと思うような穂が盛んに作られております。話が最初から余談に互つて恐縮ですが、とにかく現地で実情を見、現地からいろんな話を聞くことが非常に参考になつたわけですが、今日はその一部分の問題だけしかお話できないかと思いますが、アメリカの農業の特徴は道具と農民の自主性にあるという説明を聞いたことがあります。私はその説明の言葉を引用しまして、アメリカ農業の特徴だと説明された道具と農民の精神的な方面の、自主性という問題について御報告いたして見たいと思います。アメリカ農業の特徴が確かに道具の発達の点にあることは、一応想像のつく点でありますが、どういうふうに道具が発達しておるかということをお話するためには、農業経営の規模について一通り御説明する必要があるかと思います。これは地方によつて相当違うようでありますが、大体の見当としてアメリカの地方を廻つて見て、五、六十町歩の農家が丁度日本の六、七反歩作つておる耕作農家に相当する大きさだ、こういうふうにお考えになつて間違いないのではないかと思います。多少正確な数字で申上げまするというと、アイオワ州議会に行きまして、州の農業事情をいろいろ承わつた際に、アイオワ州の農家の平均耕地面積は、一九三九年には百五十エーカーであつたのが、現在では百七十三エーカーになつている。こういう説明があります。一エーカーは約四反歩ですから、換算いたしますというと百七十三エーカーは六、七十町歩になるわけであります。農家の平均耕地面積が十年ばかり前に比べて増加しておるということで、非常に面白い現象でありますが、とにかくこの程度の大きい規模の上に農業をやつておる。多くの場合これだけの耕地面積のほかに二、三十頭程度の牛を飼つておる、或いはその他の豚とか鶏を飼つておるというのが普通の農家の規模でありますが、そういう規模の農家がどの程度の労力で経営しておるか、これが我々にとつての一つの問題でありますが、私は渡米する前に各国の農業経営状況を比較研究したことがありましたが、そのときにアメリカの経営規模を書物で知つて、恐らくこれは何人かの労働者を使つての経営だろう、こういうふうに思つておつた気持があつたもんですから、農家の経営規模が、例えば五十町歩とか七十町歩とか、訪問した先で聞いたときに、あなたのうちでは労働者は何人使つておりますかと聞いたものです。ところが聞かれた農家の人は、却つて不思議な顔をして、いや、使つておらん、こう言うのであります。通訳の間違いかと思つて聞き直しましたが、やつばり同じであります。次の農家に行つて同じようなことを聞いて見ましたが、やはり同じであります。つまり五十町歩なり七十町歩なりの耕地面積のほかに、二十頭、三十頭の牛を飼い、鶏を飼つておる、そういう程度の農業は家族農業として、労働者を使わないでやつておる農業なんでありまして、アメリカの主婦は殆んど農場には出ません。開拓当初の、機械力を余り取入れておらない小農の家庭では、主婦は農場に出るようでありますが、その割合は恐らく一、二割だろうというふうな説明を聞きました。だから殆んど今申しますような規模の農業を主人一人でやつておるということになるわけであります。そういう農業のやり方が可能なのは、結局農具の発達、農機具なり農業施設が発達しておることがそういう状態を可能にするものだということになるわけであります。カリフオルニヤで聞いたことでありますが、これは数十年前までは、随分馬耕が行われておつたのでありますけれども、現在では耕作の九九%が機械化されておる。統計の数字で見ますと、アメリカの農耕は、一九一八年からトラクターが相当急激に取入れられるようなことになりまして、それが一九三〇年頃から馬耕と入れ代つて、急速に発展して今日に至つておる。而もこれが第二次大戦以来、又急速に多くなつておるといいことが統計の数字にはつきり現われております。例えばトラクターは、第二次大戦の当初に比べて一九五〇年度は二倍以上に増加いたしております。その他の機械類は三倍或いは四倍の増加を示しておる農業機械もあります。そういつたような機械化によつて、非常に労力を節約する経営が行われて来たわけであります。技術的にも日本にそのまま取入れていいような技術が、例えば養鶏であるとか養豚とか、こういう方面には大分あつたということを記憶いたしております。時間の関係もありますので、農業経営の具体的な実情につきましては、役目の機会に譲ることにしまして、私はむしろ技術的、経済的の方面よりも、もつと多くの感銘を受けました精神的な方面の問題についてお話して見たいと思います。  これは先ほど楠見さんのほうから、一番感心したのは教育の問題である、こういうふうなことを申しました。私は実はアメリカでの行程がほぼ終りに近付いた頃、アメリカに来て果して何を学んだか、こういうことを反省して見ましたときに、私自身の気持では、それはアメリカの農民、延いてはアメリカ国民の自主性と協同性の問題をはつきり確認したことである、こういう気持を持つておりましたところが、恐らく私のそうした気持を別な言葉で表現したのではないかと思うのでありますが、アメリカの至るところで、アメリカの発展は教育のお蔭であるという言葉をしばしば聞かされました。恐らく個性としての教育、その結果としてアメリカ国民の自主性と協同性、こういうことになりやしないかという感じがしたのであります。その一つに例を申上げますと、シカゴで私たちは、フアーム・ビユーロー・フエダレイシヨンの本部はシカゴにあります。そのシカゴの本部を訪問して会長に面会したときに、具体的なF・B・Fの説明がある前にこういう挨拶がありました。ここ数十年アメリカは大いに発展して来たが、その原因を挙げろといわれたならば、それは教育にある、個性の尊重、発展に基調を置いた教育にある、それがアメリカ発展の原動力である。個人の発展、部落の発展がアメリカ発展の基礎である、技術においてアメリカの方法がどこの国にも通用するとは思いません。それはアメリカの経済条件の背景のもとに生れたものだからであります。併しながら個人の創意を活かし、伸ばして行く教育はどこにも通用するものである。皆さんの場合にもそれを活かして行くことによつて日本の農村の発展があるものと信じます。こういう挨拶がありました。又アイオア州の下院の農林委員会を傍聴したあとで、私は通訳に行つて頂いておりました衆議院、参議院の両翻訳課長を通じて、散会して帰りつつある農林委員の一人をつかまえて、アイオア州の農業が今日のような発展を来たした理由は、あなたはどういうところに求めておるかという、そういう意味のことを聞いて見ましたところが、衆議院の市橋翻訳課長が聞いてくれた人は、アイオア州の今日のような発展を来たしたのは、これは自由教育と自由経済と自然条件の三つの要素が考えられるというとこの答えを得ることができました。参議院の松野翻訳課長に聞いてもらつた人のお答えは、それは機械化と少年少女の役割である、こういう意味の答えがありました。この二人は非常に教育という点を強調していたわけであります。それから楠見さんから農業団体の御説明がありましたが、農業団体が一様にどの団体も教育に力を入れておることは非常に我々の感銘を受けた一つの問題であります。例えばアメリカのF・B・F本部を訪問したときに、ガーネツトという人がこういうことを言いました。過去の経験から、単に選挙権を持つているというだけでは民主主義的な活動はしないということを感じた、結局この種団体の活動は、民衆に対して教育をするというよりは、民衆のために代つて活動し、これを民衆に伝えるということが任務であると感じておる。こういつたような考え方の下に農業団体の活動でも非常に教育的な要素を重んじた活動をしておる。而もこういう教育は社会教育、或いは学校教育という方面だけではなく、家庭からすでに培われておるということも、いろいろな事例で察することができましたが、そういうふうにしてアメリカ八は、自分で物事を考え、計画し実行して行くという非常に自主的な精神が横溢しておる、これは生活状態からかも来ることだと考えます。例えば日本の農家でありますというと、部落を形成して、隣り同士助け合つて行くという習慣がありますけれども、アメリカの農家は、広い農場の中に自分の家がありまして、散在いたしております。いつも隣が半マイルとか一マイルとか離れているのがアメリカの農家の状態でありますが、そういう状態だから人に頼らないということにもなつておるわけであります。又日本のように先祖代々相続した農家ではなくして、アメリカの農家はいわば一代限りというような状態になつておる。私アメリカの農家が一代限りだという説明を農務省のレーパー博士から聞いたときに、その意味がはつきり呑み込めなかつたのでありますが、だんだん農村を廻つているうちにわかつて来ました。子供が独立するときには、多くの場合親の農場を引継ぐというよりは、他の農場を買つて独立した農民になる。親は仕事ができなくなつたり、或いはほかに転職しようというようなことになると、家ごと農場を売つてしまう。こういうような傾向が非常に強くて、農場の売買が日本と違つてかなり頻繁に行われておるようなふうに見受けられました。その一例は、先般フイリツピンへ転任しましたウイリアムソン前農業課長の育つた家であります。私はミルトンの村でウイリアムソン農業課長が少年時代を過したという農家を訪問しました。現在は人手に渡つております。而もそれはウイリアムソンのお父さんから借りた人が現在その農場を経営しておるのではなくして、その後更に転々と人手に渡つて、現在ではその農場を二年前に買つた人が経営しておる、こういう話であります。これでアメリカの農家が一代限りだという説明があつたことが、何だかわかつたような気がしたのでありますが、そういつたような事情の相違が、日本の農民とは違つた気持を抱かせることにもなつておると思うのでありますが、いずれにしましても非常に自主的な精神が旺盛でありまして、アメリカの農業政策も農業行政も、農民の自主性を培うというような方向に動いておるような感じもいたしました。  改良普及事業は楠見さんからお話のありましたように非常に大きな役割を果しております。併し改良普及事業は、決して農民に強制するものではなく、農民がみずから進んでそれを利用しようという気持を持つて利用している。こういうことで、そこに指導の押付けというようなことは見受けられません。私はそうした自主性の問題と同時に、アメリカの農民が非常に協同精神の点においても優れた考えを持つておることを見受けまして、意外な感にも打たれましたし、非常に感銘を受けたわけであります。むしろ協同精神であるとか国家的な精神であるとかという点については日本のほうが先輩だと思つておりましたところが、却つて一本やられたという気持になつたことがたくさんありました。これも非常にいろいろな例があるのでありますが、時間の関係もありますので一、二の例を申しますというと、テネシー州へ行つていろいろな人の話を聞いておつたところが、相互協同の精神がテネシー州の精神である。こういう言葉を聞いたこともあります。又日程の殆んどを了えてカリフオルニアに帰つて参りましたときに、ロスアンゼルスの商工会議所招待の歓迎会に臨んだ際、商工会議所の代表のかたから、カリフオルニアの発展は都市と農村の協同の成果である、こういうような言葉を聞かされました。それからアメリカが今日日本で考えられ、行われつつある民主主義の先輩国であることは勿論でありますが、農業方面にそういう考え方が如何に具体化しておるかという一つ二つの例を次に申上げて見たいと思います。その一つの例は、農業団体の活動状況でありますが、協同精神の問題としましても、農業団体の発展にしましても、昭和初期の恐慌以来、非常に協同精神が旺盛になり、農業団体が発展して来たことは岡田さんも指摘された通りだと思うのでありますが、その農業団体の全体を通じて特徴と思われるのは、行政機関から独立しておる、非常に民主的な運営が行われておる、こういつたような点にあると思うのでありますが、農業団体は行政機関から独立しておるというだけでなくて、反対に農業団体が行政機関を援助しておる。これは精神的な援助に止まらないで、経済的にすら農業団体が例えば改良復旧事業に対して資金を提供しておるというような実情を聞いて、非常に意外な感にも打たれたわけであります。そうして協同組合の場合でありますというと、協同組合の全国評議会を訪問したときにこういう説明がありました。協同組合は個々の農民の活動を助ける機関であつて、決して個人の自由活動を制限するものではない。主人は常に個々の農民である。この精神が重要なのであつて、細かい技術問題よりもこの点をよく理解して欲しいと思います。こういう説明がありました。それから何度も話の出ますF・B・Fを訪問したときにこういう説明がありました。活動の主体は地方にある。地方は中央の指令を受けるものではなくて、中央が地方の指令を受けるものである。こういう精神の下にF・B・Fの運営が行われておるわけであります。こういつたような民主的な精神或いは協同精神、或いは自主性、こうした精神的な方面に我々は非常に大きな学ぶべきものを見出したような感じがいたしました。  それから最初のお話の農具の点で、私自分の考えの結論を申さなかつたので、ここに申しておきたいと思いますが、日本の農業もやはり、労力が豊富だからということで労力的な集約経営に片寄り過ぎることは、将来の問題を考えた場合に適当でないのではないか。むしろ戦時中から戦後にかけてよく言われて来た労働生産性の問題を新らしい角度から真剣に取上げて行かなければいけないのではなかろうか。そういう点でアメリカの方法は、成るほど条件は違うけれども、我々に大きな示唆を与えるものがある、こういう感じを持つたのであります。私は技術が専門的に或る程度わかりますので、そういう点で相当いろいろなヒントを得て帰りましたが、いずれ機会を得てそれを整理して何らかの形で皆さんに御報告いたしたいと思つております。  それから最後に私が、農業関係とは別になりますが、アメリカ人の対日感情、それから在米邦人の祖国へのことずけとでも申しますか、そういうものを附加えさして頂きたいと思います。三カ月のアメリカ滞在中、私たちは非常に気持よく親切なもてなしを受けて旅行することができました。非常に嬉しく思つたのでありますが、特に日本に進駐軍なり、その家族として来ておつた人が伺うへ帰つておるわけですが、そういう人が非常に日本に対して親しみ深い気持を持つております。我我は訪問した先でよく自分は仙台におつたとか、京都におつたとかいつて話かけられたものであります。又アイオワ州で村の集会に案内されまして、F・B・Fの職員のかたが夜非常に遅くまで世話をしてくれました。殊にホテルへ帰つたのは十二時近くでありました。帰る自動車の中で丁重なお礼を言いまして、我々はアメリカへ来て三カ月近くになるけれども、この間にアメリカ人によつて不愉快な思いをさせられたことは一度もありません、こう言いましたところが、そのF・B・Fの職員の人は、自動車を運転しながらどう言つたかと申しますと、自分も実は戦後日本に暫く行つておつたのだが、その間に日本人によつていやな思いをさせられたことは一度もなかつた。だから日本から来た人に対してはそのお返しをしなければいけないと思つておるのだ、こういう意味の話がありました。それは非常に嬉しいことだと思つたわけであります。それからロスアンゼルスでは邦人からいろいろ歓迎を受けたわけでありますが、私は神奈川県人が特別に集まつて歓迎会を開いてくれた席上、いろいろ穿つた話もありました。今申しておりましたことに関係した一つの問題を申しますと、ロスアンゼルスの日本人は戦前に比べて遥かに威張つております。こういう話があります。これはつまり精神的に戦前よりは肩身が広い思いで生活ができておるということなのでありますが、戦争を通じていろいろなできごともありまして、日本をよく知られるようになつておる。日本がよく知られて、来たということが大きな原因だと思うのでございますが、とにかく在米邦人は非常に最近肩身の広い生活ができるということを聞きました。そうして話が前後しますが、最初カルフオルニヤのメルスビルというところで邦人の歓迎を受けたときに、こういう話があります。これは帰つたら特に日本の青年によく伝えてもらいたいということづけなのであります。それは今お話申上げましたロスアンゼルスの邦人が戦前より肩身が広い生活をしておるということと関連する問題であります。どういうことづけかと申しますと、日本の青年は敗戦によつて目標を失い、少し卑屈になり過ぎてはいないか、もつともつと大きな気持を持つてのびのびと努力してもらいたいと思います。帰つたらこのことをよく伝えて欲しい、こういうことづけがありました。そうして非常に祖国の復興を念願しておりました或る人から、こういう俳句を示されました。「永らえて見たい祖国の旗の色」。これは在米邦人のありのままの気持だというわけでこういう俳句を示されたわけであります。申上げたいことはずいぶんたくさんありますが、時間が非常に経過しましたので、極めて一部分の問題で恐縮でしたが、以上御報告申上げます。

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) 大変有難うございました。開会の際に申上げましたように、アメリカと日本との異なる経済構造の中で、学び取るものを発見するのにずいぶん御苦心なさつたことと思いますが、極めて適切なる御報告を頂きまして大変有難うございました。なお又機会を見て詳細について伺うようにさして頂きたいと思つております。  暫時休憩いたします。    午後零時二十五分休憩    —————・—————    午後二時二十六分開会

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) それでは休憩前に引続きまして会議を再開いたします。  先日申上げましたように本日午後からは米価の問題並びに麦の対米比価の問題、更に食管特別会計の現状及び今後の見通し等について政府当局の出席を求めた上で質疑を行いたいと思いますが、問題は更に来週火曜日に関係大臣に出席を求めて重ねて問題の所在を究明することになつておりますが、本日は取りあえず懇談的にこの問題について討議を進めて参りたいと思いますので、御了承をお願いいたします。では最初に安孫子長官のほうから一応のお話を承わつて、それから質疑に入りたいと思います。

安孫子藤吉食糧庁長官

○政府委員(安孫子藤吉君) いろいろ懇談の形でお話を申上げるようなつもりでおつたのでありますが、大体何と申しますか、話のきつかけのような意味におきまして、問題になつておりまする点を若干申上げまして、又質疑にお答えをいたしたいと思います。すでに新聞等にときどき出ておりまするので問題の要点は周知されておると存じますが、主なる点を農林省側から見ました考え方なり或いは意見等を加えまして申上げて見たいと思います。  この問題は非常にむずかしい問題になつておりまして、端的に申しますと、私どもと大蔵省と安定本部、この三者の間に相当食い違いもございますし、意見の調整も未だできておらん、全く生の状態にありまするので、その辺はもう少し固まりましてから申上げたほうがよかろうかと思いますけれども、又今後においていろいろ御審議をお願いいたします際の御参考にもなろうかと存じまするので、大体農林省の考えておりまするような点を附加えまして申上げて見たいと存じます。結局本年の穀物価格をどうするかという問題でありますが、パリテイが相当上昇いたしております。お手許に配付いたしました「主要食糧の価格について」と、こういう表がございますが、ここでパリティ指数の見通しでありますが、二十六年の一月が二〇七、二月が二二七、三月が二三四、五月推定は二四〇、九月推定が二五〇という推定になつております。五月以降については推定でありますので、或いはこれでもあまいのじやないかという見方もありましようし、ここまで行かないのじやないかという見方も勿論あると思います。併し大体事務当局間におきましても、この辺の推移であろうというふうに考えておるわけであります。若干附加えて説明を申上げますと、一月の値上りは、これは餌とか或いは無機質肥料の値上りが一つの原因になつております。その次の二月は魚等が、魚価が反映しております。それから三月に入りましては晒木綿でありますとか、そうしたものの値上りが反映しております。九月推定の際には、やはり七月頃の電気料金の値上りというような、それに関連したようなものも見込んで、大体そうした想定で以て今後のパリテイ指数の変化を見ておるわけであります。そうしますと結局問題は生産者価格をどうするか、消費者価格をどうするか、この調整問題になつて参るわけであります。こうしたパリテイ指数で穀物価格を、米麦価格を弾きますと、生産者価格は、米については大体パリテイ二五〇という数字で弾きますと、その一枚裏に、主食消費者価格改訂について、(1)想定生産者価格というところがあります。で、そこの米でありますが、七千七百九円という想定米価が出ておるわけであります。この七千七百九円というものはこれは中身だけでありまして、これに包装代が百九円でありまして、百九円加えましたものが価格になるわけであります。中身としては七千七百九円という価格になるわけであります。ここで問題になつて来ますのは、これはパリテイ価格に一五%加算をした価格であります。ここに予算と同じ計算方法により算出した想定価格とありますのは、そういう意味であります。御承知のように昨年はパリティで弾きましたものに、過去におきまする農家の所得を維持するというような意味におきまして超過供出奨励金等を支出しておりましたものを総計いたしまして、パリテイで弾きました価格との比率を出して見ますと一五%になりましたのでありますから、その一五%を加算したものを以て基準価格としたわけであります。本年度の予算を編成いたすにつきましてもその計算方法をとりまして米価を弾いておるわけであります。予算上弾きました価格は、只今の七千七百九円の上の欄にありまする石当り五千九百九十七円、パリテイを一九五で弾いております。これに一五%加算したものであります。こうした価格を出しております。全体の調整から申しまして、特に財政当局としてはこの一五%加算ということはこの際は適当じやないじやないか、いろいろ議論をいたしますれば、過去における生産者の取得した金額を保障するというような意味であるならば、一五%というものをかけなくとも、その絶対金額等くらいのところでもいいではないかというような意味の議論もあるわけでありまして、でき得べくんばこの一五%というものを削除したい。附けるにいたしましても一五%という数字はなかなか呑みにくいというような点が只今議論の要点になつておるわけであります。私どもといたしましては、結局急いできめなければならん問題は麦価でありますが、この米の特別加算額というものを切りますと、結局麦の生産者価格がどうなるかという見当をつけて見ますと、一枚目に戻りますが、参考、麦類価格試算というところがあります。そこで二十五年産の第一次価格、これは千四百五十九円、それから二十五年産の最終価格、これはパリテイが上りました実績に基いて弾きますと千六百六円になります。それから予算で計上しました価格が千五百三十五円、パリテイを二四〇ということで想定して、そして一五%を加算いたしますと裸小麦が千八百九十三円、対米価比は六四で弾いております。米の生産者価格について一五%加算しないということになりますと、その次千六百六十九円という数字があります。千六百六十九円ということは前年度の最終価格千六百六円に比較いたしまして若干の値上りという程度の比較になるわけであります。大麦は昨年の第一次価格が九百四十円、二十五年のパリテイの実績によりますものが千三十五円、予算では九百七十二円に計上いたしましたが、パリテイを二四〇と想定いたしまして、一五%加算したものは千百九十八円、加算なしで千五十六円、これも加算しなければ若干の値上りというようなことでありまして、結局生産者が購入いたしますもの、例えて申しますならば綿糸布にせよ肥料にせよ、餌の価格というものは相当値上りをしておる。それにもかかわらず、麦の価格だけが昨年ととつ追いつというような形であつては、これは生産者の経済的影響を余りに圧迫し過ぎるものであるという観点からいたしまして、又一面において本年度の予算を編成するについては、米価についてもパリテイ・プラス一五%の加算という方式を以て予算を編成いたしたのでありまするから、やはりその線でパリティが上つたというから、直ちにそれを変更するというようなことは筋の通らない話であります。そうした一種の公約を破るようなわけには行かんだろうということ、又国際価格というようなものとの比較におきましても漸次鞘寄せはして来ておりますけれども、まだ国際価格を超えたというわけのものでもありませんし、やはり国内の生産力をできるだけ上げまして輸入食糧を減らすというのが大体根本的な方針でありますから、国内の生産力を増強する意味におきましても、やはり一五%加算したような価格というものでやるべきであろうという主張をいたしておるのでありまするが、そうした点が問題の一つとして残つておるわけであります。その際に対米価比六十四、五十四という点がいろいろ問題があろうと存じます。六十四、五十四は昨年の麦価をきめますときには、想定米価に対しまして八十幾つというような率で去年の麦価をきめたのであります。言い換えますと一五%加算しない米価について弾いたものであります。今年は一五%加算した米価に対して六十四、五十四という数字で弾いておりまするので、この点を去年と同じように一五%加算しない想定米価というもので対米価比を弾きますと、この六十四、五十四というのが、これは六十四の分が七十一・九になつたと思います。それから五十四というのが六十一になつたかと思います。対米価比率をどう扱うかということは、生産力の問題、或いは消費者の嗜好の問題その他ともいろいろ関係をいたして来ますので、慎重に検討を加えなければならん問題でありますが、必ずしも六十四、五十四というものは、去年の八十幾つというものとの比較においてはそのままとり得ない数字になつておるということだけを附け加えておきたいと思います。  それからこの表で申しますと、仮に一五%を加算したやつで弾いて、それが消費者価格でどうなるかというと、消費者価格は二枚目の、先ほど申上げました想定生産者価格と、その次に(2)といたしまして、この想定生産者価格を基礎として、中間経費を加算して算出した消費者価格は次の通りであります。精米が現在は五百十五円でありますが、想定消費者価格が六百三十八円、それから外米がその次、小麦粉、精麦ということで平均して値上げ率が二一・九%という数字が弾かれるのであります。結局こうした高い消費者価格を現在の国民経済の下においてどういうふうにこなして行くかというところに問題の要点が移つて参ろうと思うのであります。それにはできるだけ値上げによるシヨツクを緩和する意味におきまして、一回の消費者価格改訂でなく、なし崩し的に二回等に分けまして、余り極端な段差を付けないで消費者価格を改訂して行くという方式をとることが考えられるわけであります。併しながらこれは予算その他の関係もありまするので、我々の判断よりももつと政治的な判断になろうと思いますけれども、価格の面だけから申しまするならば、消費者価格の値上げを余り断層的な値上げというものにしないで、スムースな値上げにして行くということを考えなければならんかと思つております。それから従来消費者価格を弾いておりますときには、御承知のようにリプレイス・システムという方式によつて価格を算定しております。手持食糧は新らしい、現在で申しまするならば高い価格というものに引き直して考え、その上のコスト計算をやつて消費者価格を弾くというやり方、これは会計の上から申しますならば、最も健全な弾き方であるわけであります。併しながらそうすることによつて消費者価格が相当高いものにつきまするので、その方式をやめまして、安く買いましたものは安い価格で弾く、高く買いましたものは高い価格で弾いて、それをプールいたしまして価格を弾くというやり方をすることが、消費者価格を引下げる一つの方法になろうと思うのであります。そうしたやり方をとるかどうかという、弾き方の問題であります。この問題はドツジ氏の政策以来、只今申上げましたような現在のやり方をして来ておるのでありまして、この点を改訂いたしますることは、昨年の経緯からいたしますと非常に困難な面があろうかと思いますけれども、事態は相当深刻でもありまするので、その辺にも手を著けて然るべきものではなかろうかというふうに存じております。そういたしました場合に、仮にプール方式をとつた場合に収支の関係がどうなるかと申しますと、在庫品があるのでありますから、貸借対照表の上におきましてはバランスが勿論とれて参りますけれども、現金の収支関係から申しますと相当の現金の不足ができて参ります。この現金の不足を何で補うかという問題が、会計の運用上考慮されなければならんのであります。それには食糧証券の発行の限度を殖やす、数百億殖やすという措置を併せて講じなければならんと思います。それをいたしますことは、結局通貨の増発になりまして、インフレーシヨンの一つのきつかけを作る端緒を開くという結果に相なろうかと思います。その辺をがつちり抑えざるを得ない情勢でありますならば、この通貨増をほかの資金の面で圧縮をしまして、これをどこか別途の会計等において手持をさせるというような方法も併せて考えなければならんのであります。それは結局他の産業資金等の面に又はね返りといたしまして、大きな圧迫が加わる結果になろうかと思います。その辺の調整をどうするかという問題が残るわけであります。  それから表といたしましては、次に食管収支の試算というものが(3)にあります。この数字は又あとで企画課長から御説明申上げてもらおうかと思います。次に進みまして、消費者価格の時期に関する問題点、これは只今断片的に申上げましたことを書いておるわけでありますが、第一は「麦類の生産者価格を改訂し、消費者価格を据置いた場合は、政府の配給する小麦粉の価格が自由市場を大体支配すると考えられるので、政府買上の麦類の価格が事実上最高価格となり、麦類は政府買入に集中するので事実上全面管理に近い状態となる。」この資料は麦類の強制買入についての参議院と衆議院との問題がまだ最後的に解決を見なかつたときにおきまする、資料を急ぎまして出したのでこういう文句になつておりますが、そのときの考え方といたしますと、現在では蛇足でありますが、生産者価格は相当上げる。それから消費者価格は、国民経済全般から申しまして、当然値上りするであろうよりも低目にきめなければならん。而もきめる時期はそう早くはでき得ないであろうということになりますと、生産者価格が割高であり、流通過程といたしまして消費者価格が割安であるという経済原則が出て参るわけであります。そういたしますと、強制割当等をしなくとも、自由流通ということが経済的に成り立たんのでありますから、政府に殆んど全部の麦が転がり込んで来まして、全面管理と同じような状態が経済的に現出して来るであろうという私どもが想定をいたしたのであります。これは価格政策と絡んでこういう判断をいたしておつたのであります。併し経済的にこうした方途を講ずるということではなく、強制的に麦を取るということに大体なりました昨今においては、この(1)の問題は削つて頂いて結構な問題であります。それからも(2)同様に過渡的な我々の判断なり意図も加わつておつた事項でありますので、(2)も省いて頂いてお考え願つて結構だと思います。それから(3)は、麦類だけの消費者価格を改訂した場合には、米の闇値を引上げて本年産米の供出を阻害されると考えられるので、少くとも精米価格も麦類の値上げ率だけ引上げる必要がある。これは価格を改訂いたしますときには麦だけ消費者価格を改訂するというわけには行かんのであります。併せてやはり精米価格も同時に改訂をする必要があるのではなかろうかという問題を提起しておるわけであります。それからその次の(4)に、「以上のごとく生産者価格を引上げ、消費者価格を据置くことは困難であり、又一方消費者価格改訂の時期を遅らすことは消費者に対する影響が急激になるので成可く早い時期に改訂することが必要である。」これは先ほどちよつと触れましたので、改訂の時期をいつにするか、一回にするか二回にするかという問題と絡み合つての問題を提起しておることであります。  次に消費者負担の軽減の問題であります。「いずれにせよ消費者価格の改訂は相当大巾になるかと考えられるので、消費者の負担を極力軽減し併せて食管会計の赤字を減少せしめるためには次の方法が考えられる。」第一に一般会計から食管会計へ繰入れの問題、それからインベントリー・フアイナンスをも消費者負担とする現行リプレース方式の廃止、これが結局糧券発行限度の引上げということになる問題であります。つまりインフレーシヨンの問題がどうなるかということに発展する問題であります。次は、生産者価格の算定方式、特別加算額制度、麦類の対米価比等の再検討というものが非常に必要になつて来る。「以上の方法によつてもなお消費者価格の値上りは相当大きいと考えられるので、消費者価格改訂に際しましては次の措置を同時実施する必要があろう。」減税の問題、或いは給与ベース改訂の問題、給与のバツクペイ、ボーナス等の給与改善の措置、こういうことが一つの問題として取上げられておるわけでありまして、只今のところ政府部内におきまして未だ最終的な結論を得ておりません。併しながら麦価の問題は非常に急ぎまするので、早急に何とか結論を見出したいということで苦慮いたしております状況であります。それからお手許に配布いたしました資料をちよつとこの際御説明申上げますと、「昭和二十五年産麦類の生産者価格に対する追加払いに関する件」というのがございます。これは結局一枚目の裏にパリテイーが一六・六だけ上つておるわけでありまして、それによる追加払の金額はその次の頁にありますが、大麦、一般のものが四十五キロで九十五円、超過供出の分が百十九円というような具体的な数字を弾いて御参考に供しておるわけであります。この問題は全般の食糧需給特別会計並びに本年の生産者価格、消費者価格というようなものの想定が見通しが付かない限り、どうしてもこれは直ちにアプルーバルは出せぬということで、たまたまデツド・ロツクに乗り上げておる問題であります。そうした問題と切離して、これは既定事実であり、又すでに約束済みのものであるから、当然切離して処理をしてもらいたいということで、再三努力をいたしておりますけれども、食糧管理並びに食糧会計その他に関する全般の見通しというものの全貌を示さない限りこれにアプルーバルは出せぬということで、只今抑えられておる問題であります。  それから次は「麦類対米価比検討資料」というのがございます。これは先ほど申上げましたように去年の麦価を弾きました際と、今年の麦価を弾きました際の基準米価と性質の相違がありまするので、それを同じようにして考えるとどうなるだろうかというのでありまして、結論は五にございます。去年と同じような方式で参りまするならば、五番目の真中の欄に、小麦は七一・六、大麦六一・六という数字になるというだけのものであります。それからもう一枚、「消費者実効価格からみた麦の生産者価格の対米価比」これは消費者価格のほうから見ますと、麦の価格というものはどの程度が適当であろうかというその問題を弾いて見たわけであります。大体現在の消費者の嗜好から申しまして、大体のところは六四、五四でいいわけでありますけれども、大麦については五七程度が適当ではないか、それから裸については六九程度が適当ではなかろうかというような結論を出しました資料でございます。勿論かようにきまつておるわけではありません。この点も只今いろいろ内部において議論をしております。議論をしております要点を、結論はございませんが、ざつくばらんに申上げまして御審議の御参考に供した次第であります。

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) ちよつと申上げますが、地方行政委員会に速記を割愛いたしますので御了承願います。速記をとめて。    午後三時一分速記中止    —————・—————    午後三時四十四分速記開始

羽生三七日本社会党

○委員長(羽生三七君) 速記を始めて。それでは本日はこの程度で散会いたします。    午後三時四十五分散会  出席者は左の通り。    委員長     羽生 三七君    理事            西山 龜七君            片柳 眞吉君            岩男 仁藏君            岡村文四郎君    委員           池田宇右衞門君            白波瀬米吉君            瀧井治三郎君            平沼彌太郎君            宮本 邦彦君            江田 三郎君            門田 定藏君            小林 孝平君            三橋八次郎君            赤澤 與仁君            飯島連次郎君            加賀  操君            溝口 三郎君            三好  始君            三浦 辰雄君   委員外議員            楠見 義男君            岡田 宗司君   政府委員    農林政務次官  島村 軍次君    食糧庁長官   安孫子藤吉君   事務局側    常任委員会専門    員       安樂城敏男君    常任委員会専門    員       中田 吉雄君

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