農林委員会 第6号
- 発言数
- 35 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1950/12/06
会議録
○千賀委員長 これより農林委員会を開会いたします。 この際御報告いたします。昨五日陳情書十三件が本委員会に送付になりましたので、御承知おきを願います。 次に、先ほど理事会の御承認を得ました農林漁業資金融通特別会計所管に関する件を議題といたします。これは農林省の所管であるべきであると思うのに、大蔵省の所管になりそうなうわさがありますので、この際総理大臣、池田大蔵大臣、廣川農林大臣等の諸君に対し、決議の参考送付をいたして、大いに覚醒を求めたいと思います。そこで左の決議をいたしたいと思います。案文を朗読いたします。 農林漁業資金融通特別会計所管に関する決議 今般設置予定の農林漁業資金融通特別会計の所管はこれが運営の円滑を期するため、農林大臣の專管とすべきことを要望する。 右決議する。 衆議院農林委員会 以上でありますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○千賀委員長 御異議なしと認めましてさよう決して、それぞれ関係大臣に参考送付の件は、委員長に御一任を願いたいと思います。
○千賀委員長 それでは食糧問題に関する件を議題といたします。わが国の食糧需給事情は、戰後すでに四箇年を経た今日、ようやく安定の段階に入つて来たのでありますが、最近における世界情勢の変化は、輸入食糧に対する見通しも拱手傍観を許さない事態に立ち至りつつあるのであります。翻つてわが国の農村状態を見ますと、ドツジラインの遂行以来窮迫の一途にありまして、国民の食糧を確保して国民生活の安定をはかりつつ、さらに農家経済の安定をはかり、農業の振興をはかる強力な施策を押し進める必要があるのであります。その根本は農業生産力を高め、食糧の増産を中枢とする国家施策にあることはもちろんでありまして、われわれ農林委員会といたしましても、常に政府を鞭撻し、あるいは独立の立場から調査検討を加えているところであります。しかしながら、他方動植物の生活作用を利用する農業の栽培、飼育技術そのものにつきましては、わが国の地理的條件による各地方の気候、土壤の相違に基きまして、いろいろ差違があることが当然考えられますので、各農家の創意くふうによる技術改善の余地が多分にあるのではないかと思います。われわれはこのような見地から、本日農業に経験の深い方々の御出席を煩わしまして、食糧増産、生産力増強に関する農業技術改善についての御意見や御経験、あるいは種々研究されたところを発表願いまして、この農林委員会の調査の資料といたしますのみならず、広く農民諸君の参考にもしていただきたいと考える次第であります。 それではこれより順次に御意見を承ることにいたしますが、御説明の時間はお一人当り大体二十分ぐらいにしていただきまして、一応全部の御意見を承りました上で、参考人の方及び政府当局に対する委員の御質疑をお願いいたすことにいたします。
○井上(良)委員 ちよつと議事進行について……。ただいま委員長は、全部の人の意見を聽取した上で政府並びに参考人の意見を聽するという話ですけれども、全部ですととてもたいへんな人になりまして、とてもややつこしくなりますから、一人々々の場合に政府からの簡單なそれに対する意見を聽取するようにやつてもらいたい。一人説明を求めて、それに対し政府はどう思つておるか、あるいは関係技術官はどう思つておるか、こういうふうにやつたらはつきりするから、さようとりはからつていただきたい。
○千賀委員長 ちよつと速記を止めてください。 〔速記中止〕
○千賀委員長 速記を始めてください。 それではあらかじめ予告申し上げた順序でお願いします。大井上康君の御発言を願います。
○大井上参考人 本日、当委員会から私に意見を言えという御命令で伺いました。短かい時間で完全に御説明する ことは、ちよつとむずかしいと思いますが、きわめて簡潔に要点だけをお話しておきます。 〔委員長退席、松浦委員長代理着席〕 食糧増産がきわめて重要であることは、申すまでもございませんが、増産ということを考える場合に、二通りあると思います。つまり、減産を引起しておるいろいろな事情がたくさんあると思います。多くの場合、減産を引越す事情が外部の力で起きて、いわゆる気候の変化あるいは病虫害等によつて多くの被害を受ける。これがマイナスになるということが主として考えられる。そういう外部の力は、非常に大きな関係を持つのでありますから、これを人間の力で、皆無とまでは行かないまでも、ある程度軽減させることができれば、まず減産が防げる。病虫害、風水害等による減産を技術的に多小とも改善することによつて、かなりの増産が期待できる。消極的な意味の増産ができると考えております。さらに人間の力を用いて技術的に反收力を上げるということも、これもある程度は不可能でないと思つております。増産いたします技術にいろいろございますが、私どもの考えておりますのは、今申し上げましたように病虫害あるいは風水害、あるいは、天候の異変などによるところの減收、これをまず防ぐ、こういうふうに考えております。それが防げるような道をたどれば、また積極的な増産も可能の道が開けるというふうに常に思つておるわけであります。それをやりますのに大切なことは、植物を培養いたしまして十分な実りを得る、そうしてその途中におきまして、病虫害もしくはその他の障害による減産を防止するためには、その作物を、それに対してきわめて抵抗性を持つところの、しつかりしたものに発育させなければならぬ。言葉をかえて申し上げますれば、健康に育てなければいかぬということになるのであります。大体植物がよく実るという場合を考えますと、従来は植物体をできるだけ大きく育てる、そうしてその作物が大きく育つたということに伴つて起ると考えられるたくさんの実りを期待するわけなのであります。言葉をかえて申し上げますと、稻でいえば、非常に大きな株にする、その株を固く育てて、そうしてそれにりつぱに実らせる、こうすればたくさんとれる、言いかえれば、肥しさえたくさんくれれば收量は従つてふえるものであるというような感じを、漠然とながら多くの者が抱いておると思う。大体これがさつき申します病虫害に弱くなつたり、風水害をひどく受けたりする一つの動機になつている。それから作物というものは、生長すべき時代には十分に育てなければなりませんが、それが最後に花が咲いて実る、あるいは実つた種実がよく充実してりつぱな穀物になる。あるいはいも数で申し上げれば、りつぱないもがとれ、よく充実したものができる。そうしてそれは十分いい品質のものであるということを持ち来すためには、そろつた作物がある一定の時期から失、からだが成熟しなければならぬ。つまり植物体全体が成熟の状態に入らなければいかぬと言うのであります。つまり最後までだらだらと大きく育てる行き方は誤りである。これはここではあまり理論的なことには触れませんが、植物というものが育つて参りまして、つぼみができ、花が咲き、実るということのために必要な植物体内のいろいろな生理状態、あるいは生理科学的なあり方というものは、作物のからだがどんどん伸び、葉や茎やその他のものがどんどんできる、いわゆるからだの生長であります。この生長がなければ、もちろん後の実りはありませんが、この生長するということと、花が咲いて実るということは、生理学的には、私どもの考えでは逆の立場にあると思つておる。つまり成長と成熟ということは違つた内容を持つているものであります。もし成熟すべき時期に成長を促すような処置をとりますと、必ず遅れできして不時の失敗を演ずる。言いかえれば、二百十日前後には非常にみごとな收穫を約束しておるらしく見える作物が、多くの場合收穫のまぎわでそれがみじめな状態になる。全国至るところでこれが見られる。私ども今年全国方々を歩きましたが、ちようど秋でありましたが、倒れていない田というものは非常に少い。また病虫害の発生が非常に多いのであります。これは私どもの立場から見ると、病気が出るようにつくつてあるとしか思えない。しかるに従来の行き方は、多くの場合、育ちがまだとまらないと思われるような肥培方法が後期に行われていた。私どもはこれを第一に避けろと言うのであります。第二には、そうして育つたものが一定の收穫量を持つて来るためには、私どもの立場からは、そんなに大きなつくりをしてはいかぬというのであります。 私どもの方では、收穫を調べるときには、その收穫を生じたところの草の大きさ、いわゆるからだの分量、それからその收穫物との比をいつもとつております。つまりいもで例をあげますと、千貫のつるで千貫とれるか、八百貫のつるで千貫とれるか、五百貫のつるで千貫とれるかということですが、そのときに、草が少くて收穫が多かつたときの方が、收量は同じであつても品質がよい。またそういうつくりは病虫その他の途中の害を受けることも非常に少い。ところが従来の行き方はそれと逆の場合が多い。特に農民諸君は非常に肥しを使いたがる、窒素肥料というものを特にたくさん使いたがる。そこで私どもはそういうつくりをする方法の一つとして、肥料をやるのにその分量と、その使用する時期とをきわめて注意しなければならぬ、こう申すのであります。ただそれを注意しろでは、とうてい農民がやつて行けないのであります。そこで私どもは、農民諸君にこれを指導する場合に、どうして作物はとれたりとれなかつたりするのか、なぜ風水害をひどく受けたり軽く受けたりするのか、どうして、病気がつく田もあれば、その隣にあつてつかない田もあるか、それは中ではどんな関係があるか、作物のからだの中の状態とそれの関係、そういう状態はどういうつくりで起つて来るかということをよく教えるわけであります。これをのみ込みました農民諸君は、案外うまくやつておりまして、無難なつくりをしておる。従つて私どもは大きな收穫を予想しておりません。科学的に考えれば計画性を持つた肥培、つまり言いかえれば人間が予知できる要素を勘定に入れて、そうしてとり得る收量というものは、まず米ではせいぜい反当四石、大麦ではあるいは少し上になるかもしれません。そういうふうに限界收量というものがある。ときたまものすごい收量がある場合は、それは多くの場合天候に非常に惠まれまして、そういう非常に多肥の状態にあつても、それを食いきるだげのいわゆる日照りがあるというような場合には、こういうものすごく倒れそうなものが、倒れずに実るという場合もあるのであります。大体十年間ならば十年間のものを観察してみますと、そういう方法では失敗のチヤンスの方が多くなり、成功の可能性の方が薄くなる。それではいつも不安定で、科学的な意味での増收方法ということにならぬ。そこで私どもは科学的な増收方法を考える方途といたしまして、植物の発育の時期に応じて、その時期に必要な植物の状態を持つて来なければいかぬ、こういうふうに主張いたします。従つてそれに対しまするわれわれの技術手段というものは、今までのもろもろのやり方と大分趣を違えております。たとえばできたものを観察いたしました場合に、私どものつくりでやつたものは、いつも低收を予想される型に見える。それは色はあまり青々してはおりませんし、分蘖数もあまり多くないし、背たけも低い。従つて今まで大株ならばたくさんとれると考える方から見れば、これは少い收量だろうと予想せられる。まずこれは五俵かな、大俵かなということが思われる。ただ刈りとつて調製しますと、それが意外にも七俵あつたとか八俵あつたとかいうことになる、私どもはこう考えております。日本の食糧問題に寄與する技術というものは、法外な收量や偶然的な要素を含んだものではいかぬ。予想されるだけの材料で、大体われわれの技術が導き得られるような、そういう作柄にしなければいかぬ。従つてそういうやり方は莫大な收量にはならぬ。しかし平均した收量が上る。私どもは一つの村で二、三の有名なつくりをするような人を養成するよりも、村一般に半俵でも一俵でも必ずよけいとれるという方法を教えなければならぬ。 〔松浦委員長代理退席、委員長着席〕 そうしてそれが十人やれば十人でき、百人やれば百人行くというような方法でやらなければならぬ。しかも労力の点において、どこかで十分余裕の出るような方法でやらなければいかぬ。いわゆる終日田の中をかけずりまわつて、そうして辛うじてあるところに到達するかもしれないような方法でなく、普通の労力を拂つて、だれにでも、どこでもできるような、普遍的な方法でなければならぬ。それには今申し上げたように、最適な気候を予想したときのつくり方ではなくて、きわめて普通ありふれた気候のものにおいてできるような、そういつたつくりにしなければならぬ、こういうふうに考えております。従つて肥料もあまりやるとかえつて惡い。ことに窒素肥料が過ぎた場合にはみじめな結果を引起す。窒素の使用量は、日本は世界でも実にものすごい分量を使つておる。これは気候の関係から考えればなお一層あぶない。こういうようなときにたくさんの窒素肥料を使いまして、病気の抵抗性をなくし、風水害に弱くし、そうしてむやみに手のかかる、いわゆる丹精秘術を盡さなければとれないような行き方ではおもしろくない。簡單にだれでもやれる——たいへん惡い言葉であるかもしれませんが、惰農を引上げる方法、低收地帶を引上げる方法、低收農家に安定した増産を與える方法が刻下の急務ではないか。地方におりまして、今日までの指導の方法その他いろいろのやり方を見ますと、やはりそこに私どもから考えますと、どうも少しあぶないというようなことがたくさんある。これが一向減らない。毎年々々しいなの山を築き、青枯れをつくり、倒穗させ、あるいは稻熱病を発生させ、場合によつては集団発生させております。そうして薬剤散布に狂奔しなければならぬ。私考えておりますが病気というものは病気を起すものと起されるものとの存在だけでは起らない。またそれを起させるような環境、條件がそろつただけでも起らない。それはかかる方の側に病気になるという一つの受入れ條件がなければ起らぬ。たとえばここで皆さん方にコレラ菌をある分量差上げましても、全部の方がコレラに発病されることはない。健康のまま保菌される方もあり、若干発病される方もあり、ないしは死ぬ人もできると思う。これは皆さん方のからだの中における抵抗の問題です。この抵抗ということは非常に大きな問題で、これは栽培技術においてかなり大きく左右できることを私どもは知つておる。こういう立場からも栽培技術というものは考えなければならぬ。そういう意味で私どもは肥料を節約して——その節約というのは、何も肥料代を少くするという意味ではなくて、危險な状態をかえつてつくらない方法として、今使つておる肥料よりはもつと少い窒素肥料で、もつと收穫を上げ得ると私どもは信じてもおりますし、事実それを目撃して参りました。こういうような行き方を考えておる。それには肥料をどうするか、あるいは植えつける場合にどういう植えつけ方をするか。農民諸君というものは何と申しますか、つくりという上からは非常に敏感なんです。ある方は栄養週期はよいかもしれないが、非常にむずかしくて、とても百姓にはやれぬという批評がある。ところが私どもが指導してみると、なかなかよくみんなわかる。作物というものはどうして育つて行くか、どういう條件でどんなに育つか、育ちというものは何で起るか、どういうわけでそうなるか、いろいろなことを説明してやりますと、非常に勉強する気持が起る、熱心になる、なかなかよくわかる。というのは長い体験を持つております。そこで私どもの話が理解されるわけです。ただこれが実績を上げるのに非常に困難を伴つております。それはなぜかというと、さつきから申しましたような、肥料さえやればとれる、でつかくつくれ、どんどん繁茂させろ、倒れるほどにつくらなければどれぬぞという気持が抜けない。そのためにいつも私どもが言うよりもでき過ぎの状態に持つて来ようとする。それが失敗の大きな原因であります。ですから私どもがここ三十年間ほど、多数の人間にいろいろさせてみましたけれども、しくじつたという人を拾えば必ずみなそうです。つまりつくり過ぎ、でき過ぎであります。肥しが足りなかつたからできなかつたという例は非常にまれなんです。つまり言いかえれば、現在の農業で窒素肥料は必要以上にくれておるということになると思うのです。もちろん作物の種類や場所によりましては、不足によつて收量の減つておるところもないとは言えない。こういう点において、作物というものは、発育の時期時期で生理的な内部條件が違うのです。違わなければならない。また事実違つております。それに応ずるような外部條件を與えることによつて、むだのない成長をさせる。そうして秋はきれいな実りをさせなければいかぬ。大体さつき申しますように、九月の初旬ごろまではものすごいできを見せて、これでは五石あろうか六石あろうかという予想が、收穫のときにこれが二石五斗とか三石というところに下つて来るのは、必ずこういうところに失敗がある。それにはどうすればよいかということを教えるのが栄養週期のやり方です。反対側の人には、私どもの栄養週期の栽培の基本的な考え方ではなくて、その中間に行われます一つの技術操作、たとえば施肥であるとか、あるいは施肥の種類であるとか、そういうことについてのみの批判がありまして、全体を通じての批判が十分ないと思います。そういうようなほんとうの学的な意味における批判は、私どもは最も歓迎するところであり、また最も謹聽して、これを自分たちの反省の資にしなければならぬと思うのであります。どうも今まではそういう面が割合に少くて、たとえば燐酸の問題、石灰の問題、あるいは私どもは無肥料出発と言つておりますが、元肥に窒素肥料の速効性のものをやらない方法をとつております。そういうものに対する、何と申しますか、無意味なものであるという即断が非常に多かつたと思います。あるいはさつき申し上げましたように、いい方法かもしれぬが、とてもむずかしくてやれぬというような批判もある。いろいろな批判もありますが、とにかく技術というものは、われわれが目的とするある收量を得るために、そういう收量を得るような育ち方に作物を導かなければいけない。われわれはやつておりますと、一つの形態的な特徴から、その内部の状態が大体判断できます。ある時期の判断はその次にどうなるか、こういう色とかたさで次にどうなるというような判断がつくわけであります。その判断を農民に教えるわけであります。そしてそれに対処する方法、ですから栄養週期というのは、何月何日に種をまいて、何ぼ植えて、そして何をいつ何日に何貫くれるというようなことは絶対に教えておりません。これを教えることがあぶない。今まではすぐ三回除草をしろ、五面除草をしろ、何寸に掘れということを教えますが、私どもはこの深耕については人さまと少し違つた意見を持つている。それは、そういうことがなぜという学問上の問題、その他はここで一々申し上げるだけの時間がありませんから省きます。私どもの書いたものもございますから、よくお読みいただいて御実験願いたいと思うのであります。要するに今までの行き方の批判というようなものから私どものやり方が生れたのであります。 なぜ私がさようなことを申し上げるかといいますと、私も若いときには、同じように学校教育によつて農学をたたき込まれました。しかし私は幼少のころから作物が好きで、動植物をしじゆういじつて暮しておりましたが、どうも何かしら割り切れぬものを感じました。たまたまヨーロッパ留学から帰りまして、農場を持つて栽培を始めた。そのときの気持は、試験研究を主体に、いろいろ学問上の研究をしようという気持でありました。同時に私どもは富の背景を持つておりませんから、私どもの農場が赤字を出したのではやりきれぬ。何とか農場から少くとも自給自足的の生産を上げなければならぬという立場におりました。従つて少しでもいいものがたくさんとれるということは、私の身に迫つた問題であつた。さてそういうことをやるためには、農学の知識を持つているから、これをほんとうに徹底的に応用したならば、すごいものがとれるだろうという自負心にかられて、実は栽培して行きました。あにはからんやわれわれの学問上の知識が、決して具体的に、実際に收量増加になつて来ない。ある場合には百姓に笑われたことが何べんあるかわかりません。それまでは、農民というものは無知なものだというので、われわれはてんで彼らの言うことを問題にしなかつたし、またそつぽを向いていたわけです。ところが実際の問題で私たちが彼らに負けたことから考えれば、これは自分たちの学問にある批判を與えなければならないということから始まつたのと、それからあとは、あらゆることを何でも経験することが必要であるという立場から、いろいろなことをやつて来た。たとえば私どもがある時期に石灰をくれますが、どうしてそこに気がついたかという問題のごときは偶然であります。これは世界にも例がたくさんある。ペニシリンの発見のときも偶然です。だれも青かびがああいうものを分泌するとは考えない。それは化学的にこういう構造だ、従つて肺炎菌にこういう作用があるはずだという予想のもとにやつたのではなくて、これはほんとうにフレミングの過失であつた。ふたをするのを忘れて雑菌が入つた。それが観察の元になつてペニシリンが生れた。従つて学問というものは、必ずしも最初自分たちの持つておる理論の基礎に立ててばかりで行くへきではなくて、ことに技術の面に入りました場合には、あらゆることを経験し、あらゆることをやつてみる。そういうことから何かまた新しいものができるという立場を堅持するようになつた。そんな関係で、私どもは机の上の思いつきではございません。長い間自分が栽培技術がまずかつたということから、人並の栽培技術を得ようとすることから始まつたのです。そうしてやつてみたら、こういうふうにすれば安定がとれる、品物もよい。戰争前は私どものところの生産物を東京会館、帝国ホテルに特約いたしまして、生産量が少い割合に高く売れたのは、私の所の生産品が物がよかつたということなんです。これでどうやら私どもの研究所の維持ができたわけです。それでこれをいろいろなものに応用して行つたらどうかというようなことから始まりました。私はかねがね園芸の方から行つたわけでございますから、米麦なんというものはあまり考えたことはなかつた。ただ私は、自分の生活のために必要なものは自給しようと思つて、米もつくりました。ところがみごとにとつてみせようと思つたのが、なかなかうまく行かないで、お百姓さんに笑われた。そういう経験がだんだん私どもを考えさせて来た。要するに技術というものは一つの手段の体系なんだ。決して一つの手段がきめるものではない。たとえばホルモンばかりつけるとか、何かしたりするということから来るのではなくて、植物が育つ問において行われるところのいろいろな手段がつなぎ合わさつて、一つの体系をつくつて、一つの型に持つて来る。それがいわゆる私どもがよくとれる條件に合うような育ちに導けばとれるのです。
○千賀委員長 どうか結論に入つてください。
○大井上参考人 こんなようなことでありまして、私の考えておる栄養週期という理論をこまかく申し上げることはできないのでありますが、こうやつて行けば、病虫害その他による損害を、年々しておるのを少くとも防ぐことができる。現にわれわれの会員はこれを防いで、またこの事実については、後ほど実際の体験者からお話してくださることと思います。それからお互いに農家の支出を減らすことができる。つまらぬ労力を省ける。そこで農村に文化を持ち来すためには、私は今日のような状態ではいけない。要するに農民に経済上並びに肉体上、精神上の余裕を與えて、ただもう汗と土にまみれるような点だけで行くのではなく、今までの手筋の農業を頭脳の農業にかえろ、こういうふうにして農民を指導、激励しております。どうぞ委員の方々もよく御研究願いまして、一日も早く日本に食糧自給の道が開かれますように、切に希望してやまない次第であります。
○千賀委員長 次は米原哲治君の発言をお願いいたします。
○米原参考人 私は新潟の米原と申すものでございます。せつかく御招聘を受けましたので、少しばかり私の意見を申し上げたいと思います。 私は大井上さんの栽培法に対して全幅の共鳴をしてやつておるものでございます。従つて大井上さんの今お述べになつたことと同じことを言うのでありますから、二重になる点を省きます。私の今考えておりますことは、いろいろりつぱな農法がありましても、それ司普及する場合において、そのやり方がうまく打かないと徹底をしないのであります。私の今まで考えておることは、ただ形だけで行くというのでなしに、自分たちのやるところの作業はなぜやらなければならないか、どうすれば一番よろしいのであるかということを、はつきりと農家に知らせて、それを徹底させて行くというようなことがきわめて大切だと思うのであります。そういう点から言いまして、大井上先生の栽培法は非常に科学的で、今私どもの農村におる青年が非常に共鳴をいたしまして、栄生週期をやり出してから、非常に生きがいを感じて来たと言つております。それは今まで農村では、ただ先祖代々から一つの型を示された通りやつておつた。ただ除草は何回、中耕は何回というような、一つの型をそのままやつて参りますといろいろ失敗がある。天候の変化でありますとか、いろいろな環境の変化に応じて、それに適合させて行くことが、きわめて私は大切だと思うのであります。そういう点からいいまして、生理生態に重きを置いて、各国の作物の最もたくさんとれた状態はどういうような状態であるか、その最もたくさんとれた作物の姿へ、農民の経験をもつて導いて行く、これがきわめて大切であると信じておるのであります。栄養週期をやり出しましてから、すべて私どもの方でやつております農民は、作物の姿をながめ、理想の姿を考えて、その姿へいろいろな操作を施して持つて行く、こういうようにやつておるのであります。でありますから、反当りにどれだけの肥しをくれろとか、どれだけの作業をしろとかいうようなことは、大体において見当をつけておかねばなりませんけれども、実際の場合においては、そこには種々臨機応変の操作がとられなければならないと思うのであります。一昨年の稲作は、私どもの方におきましてはめつたにない非常な増收であつたのであります。ところがその場合には非常に多肥をやつたものが成績が悪かつた。多肥をやらないものが成績がよかつた。そういうような成績のよかつたときの実りの姿はどういうような状態であつたかということを考えてみますと、稻は黄金の実りと申しますように、非常に黄金色に実りまして、しみのない非常にあざやかな実りに入つておるというのであります。北陸は今年は非常に雨降りでありまして、下作であつたのでありますが、そういう場合には、やはりそういう実りに入つたものが非常に收量が多いというのであります。私なども二百十日ごろの実りのときには、これはすばらしく收量があるだろうと考えておつたのですが、私の考えております甲の上というできはほとんどつぶれ、非常に菌核病が発生して、見るも無残な状態になつておるのであります。かえつて少し小できだという状態のものがむしろ実落ちが少くて、收量が案外に多かつた。私どもの方は、二号落ちとかいうような非常な不作を予想しておりましたが、そういう場合に多肥をやつて倒伏した人を除きましては、栄養週期栽培の——その中には優秀でない人もありますが、その中の優秀な諸君ははるかに普通の人よりも増收を見ておるのであります。こういうような点を考えまして、私どもは常に作物というものは理想の姿を想定する、最も美しい作物としての実のりの状態を想定する、さらにこまかく言えば、苗の時代にはどういう姿が最も理想的な姿であるかということを想定しまして、そして肥しのやり方でも作業のやり方でも、すべて理想の姿に持つて行く方向に行かなければならない。そのためには結局最もたくさんとれたもの、いいものをよく見て知つておる必要があると思います。私はそういう点におきまして、栄養週期栽培はすばらしい農法であるとかたく信じておるのであります。大井上さんか先ほど申されましたので、私はこの辺で終ります。
○千賀委員長 次は黒澤式農法の黒澤浄君に願います。
○黒澤参考人 私は長野県のごく山間に住んでおります一百姓でございます。学校へもろくろく出たわけではありませんから、皆さんに申し上げても納得の行くようなお話はとうていできかねると思いますが、ここへ御招聘を受けましたからには、私が四十七年間百姓をやつて来たことをまがりなりにも申し上げて、もしもいいことがあつたならば一つでも御採用くださつたならば、この上ない喜びと勇んで参つたのでございます。今の日本の現状としましては、どうしても食糧の増産をやつて、一日も早く日本を再建したいということが、われわれ農民の念願であります。増産につきましては、まずどういうことを先決問題としたらいいかと申しますと、作物をつくるということは二番目の仕事としまして、まず第一に自分の土をつくり、その上に作物をつくる、そうしたたらば物は自然に発育できるものと私は思つております。土というものはどういうふうにしてつくるかといいますと、今までは農家は化学肥料をずいぶん多量に施しておりますが、化学肥料は無機物でありますから、これを土地にやれば、土地の中にある有機物を全部分解して、一年、二年で、早くいうと搾取農業のような状態になるかと思います。でありますから、私はとにかく土地の中へ堆肥、有機物を多く入れて、なるたけ微生物を土の中へ繁殖させて、その微生物の力によつて日光の吸收をさせ、空中にある酸素を土の中に導入して、根の発育を促し、五寸あれば五寸、三寸あれば三寸、十分にあるだけの土を全部作物に吸わせる、これが私どもの土をつくるということの念願であります。それから肥料やいろいろのことがありましようけれども、まず第一にやつていただくことは土地の改良、つまり濕田であれば排水をやれとか、火山灰地なら、どういう肥料が足りないからこういうふうにやれということもありますが、第一有機物を土に多量に施して、微生物の繁殖を促すことが私の主眼であります。 次には、稻は熱帶植物と申し上げてもさしつかえないと思いますが、熱帶植物ならインドの国なんかはうんと米がとれなくてはならないわけですが、別にインドの国に行つてもそんなには米はとれない。かえつて山間部の、ちよつと寒いぞというようなところほど米は余分にとれる。ということはどういうわけかというと、私の考えでは、そういう所は水がある一定の温度を保つておるからいい。早くいうと、一升の水を十二月から一月に汲みます。それにこもを着せて戸だなにしまつておく。それを夏になつて暑い盛りに出し、一升の空びんを置いて、ごとごとと水を移してみます。そうするとその一升びんが一ぱいになつても、なお一合八勺の水が残つておる。それだけ水というものは熱を加えれば膨脹する。というのは、酸素と水素の問まりが水でありますから、酸素がそれだけ分解して、空の方へ酸素が逃げてしまつて、水は水素だけになつてしまう。だから土の中に酸素が入らなくなるから、微生物の繁殖が少くなる、こういうふうに私は解釈する。科学がどういうものだか、理論がどういうものだかということは私は無学で全然知りません。ただ自分の四十七年やつたことを申し上げておるわけです。ですからどうしても稻はある一定の温度——華氏の七十度から八十五度ぐらいに温度を持たしておきさえすれば、必ず稲は十分に発育するようになる。もし九十度にもなればどうかというと、水の中の酸素が空へ逃げてしまうから、つまり酸素がなければ、日光は水を通して土の中へは入りにくいから、土の中の温度が低温になつて来ます。そうすると窒素、燐酸、カリという三要素は、窒素は低い温度でもききますが、燐酸とカリがそれに伴つて行かないから、稲の茎はぼやぼやして螟虫に冒される、菌核病に冒される、いもち病になるような傾向に知らず知らずなつて来ると思います。ですから、どうしても三要素を十分きかせるには、土の中へ空気をうんと吸い込ませて、たびたび土を夜ほす。夜ほすということはどういうことかというと、空気は、日中は暖かければ天井までも空気が薄くなる。夕方になると空気がずつと重くなりて地上はこくなる。そうすると酸素を土の中へ導入しておきさえすれば、土の下の温度は相当に上つて行くと思います。そういうふうに私は考えて、稻の苗としても、さつまいもをおつくりになつても、何をおつくりになつても、昔は苗半作を言うたが、今の交配種でやつたならば、苗は七割作であると思つておる。苗がよくできさえすれば、たいがい病気に冒される事も少ないと私は思つております。ですからどうしても苗の薄まきをしなければならない。そうしてなるたけ一本の苗に節を多くする。節が一節余分にあれば、あつただけは必ず葉が一枚あります。そうするとその葉が日光の紫外線を受けて同化作用を盛んにやるから、螟虫とか菌核病、そういう病気は思わず知らず、とつついてくれといつてもとつついて来ないように私は解釈しております。それでありますから、私はえらいむずかしいことは知りませんが、大体結論をそこにとどめておきます。はなはだ失礼しました。
○千賀委員長 次は波状耕作法の赤木光司さんに御発言を願います。
○赤木参考人 主食の増産にこたえるために、当委員会はわれわれの研究の一端をお聞きとりくださるという意味から、遠く松木からお招きを受けたのであります。 私の耕作法は、日本のあらゆる学者が長い年月を費して研究し、かつ発表されたその特長を拾い集めて、惡いところは捨て、よいところのみを組合せたものが私の波状耕作法の一端であります。その組合せにあたりまして、山形県から鳥取までの裏日本、あるいは茨城から和歌山までの太平洋沿岸、さらに秋田から岡山までの中部地帶の、この島国日本のあり方をつぶさに見まして、蚕と稻とに教えを受けた四十年の発明生活と、この環境による栽培のあり方をつぶさにながめた結果、まず出発点といたしましては、稻は熱帶性の植物である。そうしてある地は四石とれ、ある地は五石とれ、ある地は一石とれる。どうして同じ小さな日本で三倍も、四倍もとることができるか、なぜできたか、この理論探求のためにあらゆる学者の研究を基礎といたしまして、まず出発の過程といたしまして、稲は植えつけたときには水も土も冷たい。そして最も早く根に力をつけたいというので、松本市の農政課長の蒔田農学博士、九州大学の古井博士の高畝理論を援用してみました。それだけではなりませんから、東大の塩入博士、あるいは東大の三井博士の理論を加えまして、さらに不可給態窒素を可給態窒素になさしめるために、滋賀県農事試験場の五島先生の窒素還元論を加え、さらに鴻巣試験場における高橋浩之技師の、稻は水につけて栽培するのではない。あの水の吸引量を加えて、そうして一石とれる環境地に、あるいは四石とれる環境地に何ゆえにそうなつたかということから、まずもつて一つの機械を発明しまして、その機械によつて運転しましてこの目的を達成することができたのが、波状耕作法の原則であります。 まず水苗しろは、何ゆえにあのもみをまいたときに、芽が出てそれがころぶのでしようか。もしこのもみに言葉があつて言うならば、それはわれわれ農民に、最も早くこれは住みにくい苗しろであるということを教えてくれますか、稻は答えない植物であるために、何としても、その住みにくいか住みよいかがわからない。これを形によつて見よう。そこでその芽が出てころぶということは、住みにくい苗しろであるからやめてくださいという言葉に準じて、そうして愛知県試験場における岩槻先生の陸苗しろを援用してみました。その結果、非常に苗のできがよい。ころびません。そこで水を加えたがよいか、水を加えない方がよいかと見たときに、鳥取県の福井先生は頭寒足熱法の原則によつて、陸苗しろをつくられております。私は何年かこの法をとつてみましたが、非常に発育がよくて、芽が一寸伸びたときには根が二寸伸びております。これはほんとうに苗しろをつくるところの正しい方法である。ところがまだこの方法に、何とか楽な方法を加えたらどうかと考えたときに、波状苗しろをつくつてみました。波状苗しろをつくるということは、太陽の照射面積を広くして、酸素の滲透を強くさせるとともに、根に力をつげるためにやつてみたのであります。そこで今までの苗しろつくりの方法は、苗六分作、七分作ととなえるときにおきまして、その苗しろの苗のできばえを見ますれば、ほとんど十本が十本、二十本が二十本そろつていない。そろわないところの苗を植えてそろつた分蘖、そろつた穗を求めるところの矛盾を改めるために、波状苗しろというものをつくつてみました。そこで仮植時の発育を最も強健にさせるために、私はある時期に断根機をもちましてその伸びている根先を切ります。そうしてそれを抑制します。これを抑制しまして本田分蘖を苗しろ分蘖にさせまして、そうして二毛作田の植付時期を調整させる。根の太さ、根の長さ、根の数をそろえたものであつたならば、本田へ行つて必ずそろつた穗と茎が出ます。昨年日本一ととなえられた上伊那郡の前沢氏にその姿を見ました。そろつた根とそろつた太さ、長さ、こうしたものによつてこそそろつた穗が出るということを深く得心いたしましたが、私がやつてみれば、まつたくその通りに行きます。でありますから現在の苗しろづくりぐらい小合理、非科学的な方法はありません。そこで本田に参りましたところが、本田は苗しろの延長であります。本田が苗しろの延長であるならば、苗しろで最も科学的に基礎づけられたところの成育、生態ができたら、その理論を本田へ援用することは当然の理論であります。こうした意味から、私は植付けまして根ついたならば、すぐに波状耕作機でもつて一回転します。そうしますればあたたかい水が耕土の底の方にまわるがために、根が早く伸びます。そうしてさらに、稲は水を飲んで成長するものであつて、水に茎元をつけて成長させるものではありません。稻は茎元を水につけさせたならば、株元がふやけて腰抜けができます。そこでさらに深根深耕といいまして、深く耕すことによつて有機質が早く分解します。その有機質が分解し、ある一定の分蘖量まで達したならば、今度は土寄せといいまして分蘖抑制方法をとります。この分蘖抑制方法をとつたために、無効分蘖が抑制できます。そうして風が吹いてもころばないし、稻熱病もありません。しいなもできません。大井上の栄週法をよく学んた私は、その適週を得る方法は、苗床でできた第一蘖が穗の出るまでその元気さでおるというのが栄週法の特徴かと思います。私はそうした方法によりまして、田の中に入つてみて、足が冷たかつたならば、肥料も分解しておりませんし、栄養も根は吸收しておりません。でありますから、稻が気持よく成長しておるか気持よく成長していないかは、田の中に入つて歩けばすぐにわかります。足の裏が冷たかつたならばそれは肥料が分解しておりませんし、肥料を吸つていない。そのときには波状耕作機を回転させます。そうすると暖かい水が耕土の底の方に入る。耕度の底の方に入れば、根が深く伸びる。そうして心土に沈んでおるところの鉄分を吸收して、秋落ち防止をするのが塩入博士の理論であります。こうした意味合いにおきまして、植えつけてから発育の成長期まで達する間においては分蘖を促進させなければならぬし、また根を深く伸ばさなければならないし、無効分蘖を抑制しなければならぬ。こうした三種の過程の中において、四つんばいになつてやる方法、あの太陽機耕作車をまわす方法——あの三つの科学生理を求めるときにおいて、ああした封建的な簡單な耕作法でもつて、どうしてこの目的が達成せられるであろうか。こうした意味において、私はこの三段式の切りかえの機械を発明いたしまして、これによつて分蘖を促進し、深根深耕、無効分蘖抑制方法を巧みに一ちようの機械でもつて講ずる方法を完成したのであります。そこで農林省の農業改良局に参りまして磯邊局長に会い、私はこういう方法をとりました、もしこの中において誤りがあるならば教えてください。さらに東大の三井博士のところに参りまして、私はこういう方法で進みますが、私の方法に誤りがあるならば教えてください、さらに進んで鴻巣試験地に参りましてかくのごとくるる申し上げて、そうして本年は誤りがないように、大体裏づけを受けましたから、私は長野県におきまして最も暖かい所から最も寒い所、すなわち海抜千百メートルから五百メートルにわたつて、下伊那の千代村の南端から、北は下高井の夜間瀬、平野の線にわたつて、一市十二郡四十七町村、約三百八十六名にお願いしまして、百二十町歩の試験田をつくつて本年やつてみましたが、大体最低二割、最高二十割の收穫を得ました。三十割とれる中にどうして三割というものがあつたかと言えば、それは窒素過多でありましたのと、水を多く使い過ぎたというのが原因いたしまして、二割から三十割という大きな隔たりが出たのであります。もしもこの日本農法がほんとうに理解され、水の使い方、肥料の使い方すなわち窒素肥料を少くして行く。——でありますから結論といたしますれば、私の方法は窒素肥料を現在より三割減らしたい。そうして水は三分の一でやりたい。この二つさえまつたく完全に実施できたならば、日本の土地には惡田はありません。三石以下の田が完全に解消されることは、本年の実積によつて明らかであります。今図面の稻草を持つて参りましたが、委員長殿よりの二十分という制限を受けた私は遺憾ながらそれを申し上げることができませんが、幸いに農林省からお出かけくだされた方がありますから、これをお持ち帰り願つて、親しく御検討願いたいと思います。 稻は熱帶性相物であるから、熱帶的環境を與えることかこの波状耕作法の骨子であります。でありますから、なるべく土を暖かくする。そして暖かい水を耕土の底にやる。しかし水が暖かいからしてそれで米かとれるというものじやありません。これは私が和歌山県の日置において指導していたころ、あの地方は書と夜との日温格差が四度ないし六度である。長野県は十三度から十五度である。過去に教えを受けた私は、日温格差の最も多いところほど、人も鳥も蚕も植物も全部丈夫である。ところが千葉県からずつと静岡にかけ、あるいは和歌山にかける太平洋沿岸は日温格差が少い。それがために水のかけ流しをする。こうしたところにこの波状方法を取入れますと、日温格差が八度から十度になります。そこにおいて日本は、こうした極端な太平洋沿岸から日本海浩洋の環境の変化の地におきまして、求むべきものは日温格差を多く求めること、そうして根先で水を吸うものであるから、根先に水を吸わせたい。茎元を水につけると腰抜け栽培法になるから、茎元は絶対に水につけたくない。言いかえれば陸稻と水稻、麦と水稲との折衷方法で行くということか私の波状耕作法の骨子であります。もう少し語らしていただきたいけれども、お許しを得れば語りますか、時間はどうですか。
○千賀委員長 申し上げますが、あとで質問のある方があるので、そのときにそいう時間も得られると思いますから、一応これで御結論を願います。
○赤木参考人 それでは、稻は熱帶性植物であるから、熱帶的環境を與えれば水の冷たい所で減收するということもありませんし、また水が熱くても、日温格差を求める方法であつたならば減收するはずはありません。 以上申し上げまして、私の話を終ります。
○千賀委員長 次は福井式農法の福井貞美君に御発言を願います。
○福井参考人 ただいま紹介にあずかりました私は鳥取県の片いなかに住んでおる福井であります。この農林委員会から四日の午後に電報を受取りまして、そうしてわずか自分の家に半時間やそこらしかいなくて立つた関係上、何ら思案もなく、そうして二晝夜ぶつ通しで参りました関係上、夜も眠られないししますので、何を話すかしれませんけれども、そこはまず皆さん方の御賢察を願いたいと思うのであります。鳥取県は日本でも音に響いた災害県であります。それに持つて来て私の部落は非常にまた惠まれない土地柄であります。私の県に行きますれば「降つて喜ぶいも麻般若、般若豊年米高し」というような、非常にみじめな所であります。そこに生を受けた私でありますから、何とかしてこの部落を助けたい、あたりまえなところにしたい、これが私のこまかいときからの念願であつたのであります。そうしていろいろに考え、試験場にも行き、農学校にも行きました。私は四人兄弟の三男でありましたけれども、次々にみんな死んでしまつて、私一人残つたものでありますから、家を継がねばならなかつた。そして今までほとんど三十年間というものは過して来たのであります。農林省の方には再三呼ばれました関係上、具体的なことはまず抜きにして、私の意見を話したいと思いましたけれども、今具体的なことを話せという御指示がありましたので、また繰返して話すことにいたそうと思つておるのであります。 今まで話された民間技術の方は、われわれと同じ経路を踏んでおられると思います。今は非常に民主化して、そうではありませんけれども、われわれ少年時代 〔委員長退席、野原委員長代理着席〕 また中年時代のときには、農家といえば、官僚の方は何とかして非難をつけ、何とかしてしんをとめたいというのが、日本人の特徴だと思います。ただいま皆さん方の今までの体験を聞きましたが、それを育て上げられたということは、非常に尊い体験だと思うのであります。幸いにしてこういう席を設けられて、農林省の方も来られ、そして政治家の方もおられ、官民政治一体になつてこそ、初めて日本の食糧問題が解決するのではなかろうかと、非常に喜んだ次第であります。 先から申し上げるように、何と言いましても、これは天然自然にできるものに人工を少し加えてやることでありまして、人工でこれを増産しようということは、なかなかむずかしいことだと思うのであります。天然自然を応用してこそ、初めてその結果が結べると思うのであります。これまですつと体験の結果が何かと言いますと、皆さん方も御承知の通り、天候がよくて、日照時間が非常に暑いときには豊年であります。それと反対に冷雨陰濕というときには、稻熱病が発生し、病害にかかり、そして減收になるものであります。しましたならば、その天候のよい時を與えたならば、増産になることは疑いないのであります。それをこれまでの栽培方法であつたならば、八十八夜に種をまき、五月中に田を植えるという、一定な期間を與えておりますから、御承知の通りに六月中旬から、ほかはどうかしれませんが、私どもの方はつゆという非常に天候が惡くなるときであります。それにかけてしますから、辛うじて天候のよいときは増産になつて来ますけれども、まずまずそういうことが繰返されておるのであります。でありますから、私の考えますのには、そういう豊年のときのような境遇を與えてやりたいというのが、私の念願であつたのであります。それはすなわちどうかといえば、短期間に温度を高めるように、長期にわたつてこれを與えたならば、豊年と同じ結果になるではなかろうかというのが、出発であつたのであります。私は寒にまいたこともあります。時が来てもなかなかはえません。でありますから今度温床でもつてつくり初めたのであります。やや時に出ます。それで三月の中下旬に帶しろをつくつております。そして一番天候の順調に行く月はどうかと言いますれば、五月が私らの地方では順調に行く月であります。その順調に行くときにしつかりと稻をつくつてしまうのであります。それから先はいかに天候に変化があろうと、一人前の人間になつておるのと同じことであつて、相当な被害や病虫害にたえ得ると私は自信しておるのであります。このことにつきましても、われわれの仲間連中と話合つてするのには、米をつくるには土地をつくつて行かねばならぬ、土地をつくるには人をつくつて行かねばならぬので、そうしなければ米はできないものであるということを考えるのであります。すなわち一番先に人をつくり、田をつくり、そして米をつくるという順序に進んでおるのであります。それで早く植えます。そしてそれを植えられないところは菜種、二毛作田のところには、その時期に仮植えをして、それと同じような境遇を與えておるのであります。そして費用というものは、これは稻作ばかりして、大漁の措銭残りではだめでありますから、多くとつたところで、收支償わないようでは農家経営は立ち行きません。それでそれに畜産と養蚕とを入れております。畜産と農業というものは、畜産があつて農業が立ち、農業があつて畜産が立つというように、私は車の両輪のように考えておるのであります。そしてその收入はどうかと言いますれば、今は牛が高うなりましたから、七、八反の收入と牛一頭の收入とほとんど同じことになつて来ておるのであります。それで堆肥もつくる。私も三頭飼うておりますが、一年に三匹生れます。どうしても七、八万円、都合よく行くならば十万円くらいは子でとつて行くのであります。農業経営方法も人力ばかりにたよつては、これからの農業は立ち行きません。余裕をつくつて、新聞雑誌も読み、先進地に旅行もし、見聞を広くせねば、農業というものは立ち行かないのであります。日本の農業の急速に進歩せぬということはここなのであります。それはできぬはずであります、日本の農業経営は今まで人力でやつて来ておりますから、そういうことができないのであります。それを畜力、機械力にかえておるのであります。そして畜産から出るところの堆肥に土を混ぜて混土堆能をつくります。それを年々盛つて行きますから、土地は肥沃になつて来るのであります。そして自家労力でやる関係上、一時に労力が来てはいけませんから、労力の分配上裏作の三年輪作をやつております。それで畜産もでき、養蚕もでき、果樹園もやり、私の方は山間部でありますから、木炭もやりしておるのであります。 そしてこの般若部落はどうかと言いますと、そのときにはまことにみじめな部落であつたのが、今は水は豊富になり、たくさん水を使いませんから、ほかの部落が白くなつてしまうようなときでも、また昨年、本年のような非常な早害の来たときでも、まる一箇月も雨が降らぬようなときでも、水には心配がないという状態になつたのであります。でありますから、人をつくり、田をつくり、米をつくる。そして長期にわたつて日光を吸收させ、健全につくるということが、第一の要点ではないかと思うのであります。麦作も今はすでに私の栽培しておるのは、ほとんど三十本か四十本に分蘖しておるのであります。私の方の地方は雨が多いが、私はどうかといえば、三分の一もこけ落しが済んでおります。そういう栽培法をやつております関係上……。ほかのはまだまきつけが済まぬということでありますけれども、ずつとできておるようなことであります。増産につきましてもそういう方法で、つまり大漁の借銭残りにならないように、自家で牛を飼い、それを利用し、自家労力で金肥を節約して進むのが日本の農業じやなかろうかと思うのであります。 何分與えられた時間がわずかでありますので、私の話はこれで終ります。(拍手)
○野原委員長代理 次は篤農家の大平信彌君にお願いいたします。
○大平参考人 たいへん有意義な、この農林委員会に出席するようにという命令を受けまして、ほんとうに私の今までの念願がかなつたような知がいたしまして、喜んで出席いたしたのでございます。非常に申し上げたいことやら、体験等によつてお聞きしていただきたいことがたくさんあるのでありますが、何分にも時間がないことと、私無知無学でございまして、なかなか簡單明瞭な説明ができません。ほんとうに複雑不明瞭で、長時間なら、どうやらこうやら私の気持をお伝えすることができるたろうというくらいのがらでございまして、この短い時間には、ほんとうにどこまで私の気持を聞いていただけるか、体験の発表ができるか、まことに疑わしいのでありますけれども、何かひとつ申させていただきまして、それを今後の農業の発展上、また食糧の増産上の材料にしていただけたら、仕合せだと存ずるのであります。 ちよつと申し上げますが、私は小学校を卒業したばかりで、何にもほかに教育は受けておりません。そして小学校を終るやいなや、忙しい農家だものですから、学校から帰つて来るのを待つて畑へ引張り出されたものです。ようやく農業夜学校へ五年間ばかり参りましたのが、何かについての社会知識をつかんだくらいの程度であります。東京の近在地でございますし、私の家は特に年寄りが熱心に農業経営をしておりましたので、蔬菜を主体として、大体トマトとか、きうりとか、ばれいしよ、かんしよ、米麦、あらゆるものを、何から何まで全部を取入れて経営しておつたのでございます。戰争中は、申し上げるまでもなく食糧増産のために、都市近在ですから、やはり消費者の気持になりまして、何とかいくさに勝ち抜くためというような気持から、微力の限りを盡したのでございますけれども、終戰後、あの餓死か暴動かという食糧事情の深刻なときにあたりましては、まつたく農家はよいとか、あるいは農家がもうかるだろうとかいうようなあの声に、身を切られるような思いで、何とかして一刻も早く食糧増産をして、そして一人でも多くの同胞を救わなければならないという気持から、微力の限りを盡して、あらゆる方面、あらゆる先生方の御指導を受けて、今日まで鬪い抜いたのであります。たまたま農業政策に関しまして、農地改革であるとか、増産指導方面も、政麿おいていろいろ取上げられておつたのでありますが、議論は百出しておりましても、実際に一刻も時は待つてないのであります。そして一握りの食糧でも多くつくらなければ、同胞は餓死してしまうのじやないかというような焦眉の急を感じましたので、まず戰争中の友だちを集めまして、お互いに体験による技術の交換をして、そして食糧を少しでも多く増産しなければ同胞は救われないのじやないか、町に、あるいは買出し部隊等の声を聞きますときに、何としてもじつとしておられないものを心から感じました。都市のサラリーマンの方々は、だれが先に餓死するのか、とうていわれわれはこの時局を乘り切れないというような真劍な声があつたことは、皆さん御存じのことと思うのであります。その都市のまん中におりまして、微力ながらも食糧の生産に当つていたわれわれといたしましては、何としてもこれはわれわれがお互いの技術を公開し、お互いの技術の交換をして、少しでもお互い失敗を繰返さないように、研究の先から先を求めて増産をしなければならないというような気持に燃え上りまして、同志を求め合つて、ここに増産の研究会をつくつたのでございます。それが昭和二十年、終戰の年の秋であつたのでございます。それ以来友だちの集りを得まして、いもの増産は、麦の増産は、あるいは蔬菜の増産は、陸稻の増産はと、すべてあらゆる食糧の面についての技術の交換会を催したのでございます。ときに微力ながらも自分の体験を一切公開いたしまして、皆さんに御指導申し上げたのでございます。それでその集まりがだんだんと広くなりまして、おぬしらは非常におもしろいことを言う、いいことを数えてくれるというようなことがだんだんと広まつて、大きな会合になつて参りました。そうしてその後食糧増産足食会という一つの研究会をつくつたのであります。毎月技術の会合をやつて進めたのでございますが、いろいろとお互い農民間の体験の発表、技術の研究をやりすまうちに、われわれ農民ではとうてい解決のつかない問題が、たくさんに次から次へと山積して参つたのでございます。そういう場合におきまして、ここに農業試験場、あるいは東大であるとか、あるいは農林省の各專門家の方々の御意見を拜聽いたしまして、われわれ実際の農家と結びつけて研究を進めなければならないということになりまして、あらゆる試験場、学校の先生方の御指導を願つたのでございます。病虫害につきましては、東大の明日山先生あるいは三井先生、あるいは農林省の石川先生であるとか、埼玉県、の鴻巣の試験場の安間先生、あらゆるその部門々々の專門家の先生の御親切なる御指導をいただきまして、ここにほんとうに自信を持つた増産の研究会が立ち上つたの、でございます。その後私たちの会が国境なくして、神奈川、千葉、埼玉と、広い意味におきましての連絡がつきまして、この会が大きく育ち、お互いに農業專門家の指導のもとに技術の研究が進められまして、その矢先にたまたま昭和二十三年と思います。農業改良助長法による改良委員会の制度がここに設けられたのでございます。たまたま地区の委員あるいは都の委員として推されて、私は委員会の内容をいろいろ検討してみたのでございますが、農業改良委員会というものは、先ほども大井上先生のお話の中にもありましたように、篤農家の技術をただ普及するというのでありませんので、ほんとうに低位農家の技術の向上、これをねらつた指導方針であつたことがはつきりわかつたのであります。そうして私たちが二箇年、三箇年にわたるその会合の苦心、また自分たちから目弁で名試験場の見学、あるいはあらゆる先生の御指導等を仰いでのその会合、その内容はこの農業改良委員会の制度に全部織り込まれてあるのであります。そうして私たちのこの足食会、この技術の研究会は、すなわちこの改良委員会の制度であつたということがはつきりわかつたのでございます。そこにおきまして、現在私も地区の委員長あるいは都の委員として改良委員会に協力して、おりますが、ほんとうに日本農業の発展と、一割でも三割でも、この増産運動すべては全部この農業改良委員会、農業技術の普及員の活動によるということをしつかり確信したのでございます。でありますので、これはわれわれ足食会お互いの技術の研究会はやめて、国がつくつていただいたこの制度にのつとつてこの改良委員会を伸ばす、これでなふつたならば、ほんとうに日本の農業の発展はないし、また真の食糧の増産はないであろう。全国あらゆる先生方による会合もございますが、これはいろいろ宗派あるいは国境がありまして、なかなか全農民に徹底するということはできないのであります。今度できましたこの農業改良委員会の制度によりますと、全国の農民ほとんど末端まで徹底して、そうして技術の普及、低位農家の向上、ひいては農民の生活改善から、社会的の地位の向上までねらつて、真に日本農業の発展を目ざしているこの委員会の制度であります。それでありますので、私たちはここに自分たちの会は解散はいたしませんが、この改良委員会でやる仕事をダブらせないために、自分たちの会は解散の形に近いものにしまして、そうしてこの改良普及員を鞭撻しまして、自分たちの技術のいい点、またわれわれの地区におきまする体験等は、全部この普及員によく指導いたしまて、われわれが仕事をほうつてはたにはげむよりも、この国がつくつてくれた制度によつて普及員に農民の末端まで徹底させていただくことを現在進めておるような次第であります。 いろいろと脱線して、お話したいことがたくさんあるのでございますが、私どものこの会をつくりまして二箇年目であつたと思います。アメリカの情報教育部のリクトンという人と会つて、いろいろとアメリカ農業の実情を聞いたことがございます。このときにアメリカのリクトンさんの言うのに、農業というものは日本では——いろいろとその質疑応答の中に原因があつたのでございますが、アメリカでは農業が最高の職業である。大学でも農業大学が最高の大学であるということを聞きました。そうして南北戰争のときにジヨージ・フランクリンという人が——これはニグロ人であつたそうですが、見出されてアメリカ大学に学び、そうして大学を優劣な成績で終えて、国がつくつてくれた試験場の場長となつて、百五十何種類とかの落花生を見出して、数年前に大往生されたという話をされたことがあるのでございます。それが日米戰争の第一線に立つたその軍鑑の名前がジヨージ・フランクリンであつたことなど聞かされまして、つくづく私は感激したことがあるのでございます。日本におきましては、今までは農業というものはほんとうに最低の職業であり、また農業の教育を受けた人たちは、みんな農業家のせがれであつたというのが実情であつたように、私は考えております。その意味からいたしまして、アメリカはいかに農業をたつとんでいるかということが、はつきりそこに認識されたのでございまして、何が何でもここにやはり食糧の増産、食糧の自給自足をねらつて食糧問題の解決を願わなければ、国の平和、国家の再建はない、こういうことを強く感ずるものでありまして、あらゆる面におきまして、微力の限りを盡しておるような次第でございます。ときに今回政府におきましても一割増産運動という声もあり、いろいろと増産運動を進められておりますが、これはただ農業の増産のみでなくして、ほんとうに與農運動という意味の増産運動であるように私は聞いております。まことに私たちとしては感謝にたえない次第でありまして、今後農業技術普及、改良委員会の制度をどこまでも存続させていただきまして、そうしてこの農業の技術を国の全体の農民に徹底させるような制度を、さらに推し進めていただきたい、こういうことを念願するものでございます。 なおちよつと申し上げますと、明治三十八年に、日露戰争の翌年、アメリカの鉄道王といわれたジェームズ・シルという鉄道大臣が日本に来られたことがあつたそうです。そのときに日本の農業を見て、そうして帰られたあげく、アメリカの将来という雑誌を書かれたという話を伺つております。その中に日本の農業は世界の農業大学である、いかにも天地の理にかなつた経営をしておる、土を愛することが無限の富である、こういうことを書いたという話を承つたのでございます。そしてその後明治四十二年に澁沢先生が渡米されまして、全国の銀行大会におかれまして、ジエームス・シルは鉄道大臣であつたのに、どうして農業のことが書かれているかと疑念を抱かれまして、午餐会の席上でいろいろとお話を伺つたときに、いかにも私がジエームズ・シルである、私は米国民に警告を與えたのだというようなお話があつたというのでございます。そして富国と農業という講演をされたというその記録が澁沢先生のところにその後送り届けられた、こういうことを伺いました。ほんとうにアメリカがあれまでの農業国になつたということは、全国民が農業の重要性を認識し、農業の尊さを認識して、この農業に協力しておるゆえんであるということを私考えるのであります。今日幸いにいたしまして農林委員会の先生方にこういう機会を與えていただきまして、日本農業を伸ばし、日本の食糧の自給自足の線に沿つて、こういう有意義な会合を催していただきますことは、まつたく心から感謝いたしますとともに、ますます日本農業の発展のために一丸となつて御協力いただきますことと、さらにさいぜん申し上げました農業改良委員会による低位農家の技術の普及向上、いわゆる凝り固まらない、全国の農民が増産に邁進できるような一つの線を、どうか一丸となつて御研究、御協力くださいますように切にお願いいたす次第でございます。 なおあらゆる会合において、いつもお願いいたしておりますので、ちよつと簡單に申し上げますが、私たち農民の真の声を聞いていただくこういう会合をつくつていただきたいということを、いつも念願しておつたのでございます。それには何がいるかと申しますと、あらゆる職業に対しては会館があるのでございますが、農民においては農民会館というものがございませんので、先生方の御協力によつて、この農民会館を中央に建設していただいて、全国の農民がいつでも米を背負つて来て、自弁でそこの宿舎にとまれるような一つの施設をつくつていただいて、農民の真の声を聞いていただき、これを政治の面に反映していただきたいと思うのでございます。そうしてあくまでも日本農業の発展と食糧の日給自足のできる線まで、どうかひとつ御協力くださいますように、切にお願いする次第でございます。 非常に時間を延ばしましたことをおわびいたしますとともに、まだ技術上の問題、病虫害等に対する問題につきましては、東京の近在として、あらゆる先生方に解決のつかない問題が山積しておりまして、自分も苦い体験が数数あるのでございますが、これを申し上げる時間がございませんので残念でございますが、どうぞ今後ともよろしく御指導のほどをお願いいたしまして、私の話を終ります。(拍手)
○野原委員長代理 食糧増産あるいは農業技術改善についての参考人各位からの御意見の開陳は一応終りました。なお参考人諸君に対しての御質問等ございましたら、この際お願いしたいと思います。なお政府側の意見を聞きたいというようなお話もあつたと思いますので、もしございましたらこの際お願いいたします。
○井上(良)委員 今までそれぞれ各方面の方から尊い御意見の発表をされたのでありますが、農林省も国費を使つてそれぞれ試験研究をやられているのですが、民間の試験研究と農林省が現在やつております試験研究との上で、これらがどういう程度に実際わが国の農業に採用できるのか、また実際その効果があるものかということについて、一応意見を聞かしてもらつたら非常にいいと思います。私自身技術者でありませんけれども、感づきましたのは、なかなか合理的にそれぞれやられ、納得できるような説明がされております。ただこれは日本のように土地條件が異なり、かつまた天候條件がことごとく異なる所で、この條件が全国の各地に單一に適用できるということのためには、どなたかからもお話になりましたように、やはりその土地條件をよく勘案し、天候と環境というものの変化をどう農法に取入れて来るかということが、一番重大なポイントではないかと私は考えます。そういう点について、技術者としてどういうお考えを持たれているか、一応お話をいただきたいと思います。
○野原委員長代理 ただいま井土君からの御意見でありますので、農林省側からどななたか御答弁願います。
○小倉説明員 ただいまの御質問でございますが、私どもの試験研究並びに普及に対する考え方といたしましては、試験研究につきましては、大体全国の標準的な農法というようなものを中心としてやつております関係上、一応地方の地域的な、実際的な農法につきましては、地域試験場なり、あるいはさらに地方の試験場なりにおいて消化いたしまして、そこで最も妥当な農法を確定いたしまして普及するというようなことになつております。ただいま参考人の方々から非常に有益な御意見を承りまして、たとえば水温を高めるというようなこととか、あるいは健苗を育成するというようなこととか、あるいは無効分蘖を防ぐというようなことか、あるいはまた作物をつくるには根本的に土をつくらなければならぬとか、あるいはさらに人をつくるのが根本であるとか、いろいろごもつともな御意見を承つたのでありますけれども、さようなな点はわれわれとしてもはなはだ妥当なことかと考えているのであります。全体の農法といたしまして、ここでこういう農法が一体どこのどういう地方に適応するかというようなことにつきましては、問題がはなはだむずかしく、またここで一々お述べする機会はないかもしれませんけれども、場合によりましては、私どもの方の專門の技術官もこちらに来ておりますから、その方からまた御説明を申し上げたらよいと思います。 なお大井上さんのおつしやいましたように、私どもの試験研究も必ずしも万全ではないので、非常に異論があろうと思います。その点については、過去においてはいろいろ欠けるところがあつたと思いますが、種々検討をいたしまして、お互いの意見を交換し合い、お互いに納得し合う、またできれば試験などもいたしまして、日本の農業の発達のために貢献いたしたい、かような考え方をいたしている次第であります。
○幡谷委員 ちよつとお尋ねいたします。先ほどいろいろと御意見を拜聽しましたが、いずれも総合してみますと、技術によつて増産をする、こういうことに拜聽いたしましたが、私はこういうことを考えているのです。おおむね生物は食い物によつて左右される。ことに無知の草木はことさら食糧に左右されるのではないか。そう考えてみると肥料、すなわち作物の食糧ですが、これがはたして完全なものであるか、あるいは幾多の肥料の中でどれが主食であつて、どれが副食であるか、こういう問題が先に解決されて、理想的な増産ができるのではないかというように考えているのですが、諸先生の研究の一端を拜聽できればまことに好都合と存じます。
○大井上参考人 それは非常に重要な養分であると考えます。また重要であるということよりも、たくさん要るものと少しあれば足りるものもあります。大体普通には窒素とか、燐酸とか、カリとか、石灰とか、マグネシュームというものが比較的たくさん要る。あとの方はそれに比べてずつと少い。非常に少いものなどはちよつとあればよい。人聞で言えばビタミンなどで、ちよつとあれば足りる。そういうようにいろいろあるわけで、そういう特殊なものが足りないために健康を害する場合もございますし、またその成分の割合がいろいろかわつて参りますと、また健康が違つて参ります。ですからやはりそういうことに注意を拂わなければいけませんし、また育つ時期によつて、必ずしも同じ割合いの養分でいつでもよいというようなものではないと思つております。その育ちの時期で、ある場合にはこういうものがよけい要るが、これは割合いに少くてよい、あるいはこういう時期にはこれではいけないのだというのもあると思います。それをほんとうにいろいろやつて行くのがわれわれの主張です。いつで高じような割合いできまるものではない。大体今まではそういうふうにはやつておりませんけれども、作物の種類がきまれば、その必要な養分の割合いは大体きまつているというように考えられたのですが、同じ作物でも育ちの時期で非常に違う。またそれをかえれば健康がかわりますし、またその作物の育ちが違います。従つて收量や品質にも影響する。常にそういうことをやつております。いかがでしようか。御質問に応じたような答えになりましたでしようか。
○赤木参考人 今の御質問に対して少し私からお答えさせていただきます。私は太陽の光の合成によつて作物は成長すると申し上げたいのであります。今までの、稻作の行き方を見ますれば、水の冷たい地は太陽の光が少い。太陽の惠みが少い。太陽の惠みの少い地に太陽の惠みを多くするのは人の力であります。その意味において波状耕作法ができ上つた次第であります。今までは太陽熱を無限に吸收するのではなしに、遮光妨熱法をとつて減收栽培をしていたのが日本の稻作法であります。たとえば稻は水で成長するものだということをよく知りながらも、水に株元をつけて冷却装置をしてみましたために、寒い地方、水の冷たい地方は青立ちし、しいなができ、減收していたわけであります。でありますから、そうした寒い地方においては太陽の惠みを十分に受けさせて、その光の合成をさせることがこの波状耕作方法であります。
○原田委員 六人の諸先甜からいろいろ有益な、数十年も体験せられました尊いお話を承りまして感謝いたします。この問題はおそらく学問ばかりではなくて、数十年間土と汗にまみれた皆さん方の体験であつて、私どもはまことにごもつともと存ずるのであります。しかしながら今局長のお話を聞きますと、まだそれが国策として取上げられて、いない。もしこれがよいものであるならば、もちろん取上げられなければならない。しかも黒沢式米作法等は相当成績をあげられているということを聞いております。しからば本省の方でも、こういうものはこういう土地においてこういう成績が上つているのだというようなことで、実は成績発表等もいたしてもらいたい、さように考えております。今日のお話は、主として米麦の増産に関する体験談でありましてまことにけつこうでございますが、ただ諸先生方の議論の一致するところは、化学肥料を使つてはかんばしくない。なるべく有機質、すなわち厩堆肥を高度に利用することが非常によろしいということに議論が一致しているようであります。そういたしますと、鳥取県の福井さんのお話のように、有畜多角経営農でなければ、どうしても経営の存立がかんばしくない、こういうようなお話もごもつともであると考えております。そうしますと、そこにおいて農業の経営合理化ができるし、また経済復興の裏づけも現実になつて来るであろう、さようにも考えられるのであります。しかも畜力の利用を高度にそれに併用いたしまして、肥料の成分もなるべく生産コストの下るように、厩堆肥をもつてあやまちのない施肥をやる、こういうことのように考えられまして、まことにわが意を得たりと実は考えているのであります。そういう意味からいたしまして、政府としても、ほんとうにこれが増産に役立つて、その成績が優秀であるならば——これはもちろん一律には行かぬと思います。その地方的試験場等があるのでありますが、その試験場と体験と一緒にされまして、そうして一割増産の目的を達成するように指導していただくことがいいのではないかと考えます。この点について農林省の係官もおいででありますから、一体どういうことを取上げておられるかお聞きいたしたいと思います。
○小倉説明員 今の御意見はごもつともでございます。私どもとしても、試験場で研究し、発表されたものだけを普及するのではなしに、民間の人々からもお伺いした結果も取入れまして、もしそれが科学的な基礎に立脚し、また全国的に妥当性を持つものならば、国の政策としてそれを普及して行くことにいたしたいと存じております。
○原田委員 先ほど東京都の篤農家の大平さんのお話をいろいろ承つたのであります。実は東京近在の大平さんでありますので、もう少しほんとうの体験談をお聞きしたかつたのでありますが、話が真髄に触れないでほかの方へお走りになつたので、まことに遺憾に思います。その中で、これからの改良過程というものは、改良普及技術員をもつて充てるのが是なりということを言つておられるのであります。もちろんその指導面は改良普及技術員制度ができておりますので、これを利用することは確かにいいということに私も同感であります。しかしながら地方によつてこれに非常なる差異がある。現在でもまだ一箇村一人づつ行き渡つておりません。本年度千五百人から二千人にふやす計画になつているのでありますが、もしこれをふやされて、ほんとうに百姓の手足となつてやるということならば、この改良普及技術員に手ぬかりのないような技術を持つてもらわなければならないのであります。しかし公務員の試験に受かつたらそれでよろしいというような技術員が、まだ全国に散在をいたしている、これで篤農家を指導されるということはあつかましい話だと思います。少くとも本省はこういう者に講習等をやられて、そして指導に手ぬかりのないような方法でやつてもらわなければ、私どもは指導員の増員についてははなはだよしあしがあると思います。もし全国の農民が指導員を要求するとすれば、本省は指導員の再教育をやるかどうかということをお尋ねいたします。
○小倉説明員 改良普及技術員の素質の問題でありますが、これはお説の通り、われわれ非常に残念でございますけれども、農民を指導して行く上において十分だと考えておりません。再教育が必要であると感じているわけであります。幸いにして、来年度はそれについて多少の予算も計上できましたので、御意見の通りにいたしたいと思つております。なお篤農家の方々の連絡ということにつきましても、御承知の通り、あるいは北区には改良普及技術員がございまして、篤農家の方も委員になつていただいて、改良事業を円滑にやつて行くというような仕組みにいたしておりますので、なるべく御意見の趣旨に沿いまして、今後もさようにいたしたいと思います。
○大井上参考人 ちよつと補足的に申し上げますが、私は堆肥だけでなく、科学肥料もまた最も合理的に使用しなければならぬと思つております。それから試験研究の問題で、局長さんからつまり科学的根拠があるかないかということできまるというお話があつた。科学的根拠というのはなかなかむずかしい問題で、ただ局所操作の合理化だけでは、全体の栽培技術の合理化には私はならないと思う。先ほどもちよつと申し上げましたように、技術というものは、作物の育つ間にいろいろとられます手段で、一つの目標に向つて作物が育つように向けるやり方であります。その前後の間にみな関連がある、一つ離した操作が、ただそれだけが合理的であるということは、決して栽培の技術全体の合理化にはならない。ですから一つ一つの部分を検討して、それでただ科学的説明がなければ認めないことになると、ずいぶん問題はむずかしくなると思つております。 それから技術の問題ですが、とにかく理論的には解明されなくても、現実の上にそれが効果があるということならば、これは一応考慮しなければならない。先ほども例にいたしましたペニシリンであります。ペニシリンがどうして肺炎にきくかということは、今日まだ解明されておらぬ、だからペニシリンは使いませんという医者はないと思います。ペニシリンがどうしてきくかということがはつきりわかるまでは、ペニシリンを採用しないということはない。きくことが認められたから使つているので、そういうことから考えますと、やはり一つの技術的な手段というもの——それができれば理論的にはつきりしなければなりませんが、しかしその前に真か偽かという徹底的な調査が必要だと考えております。
○原田委員 化学肥料の問題は、私ども別に誤解をしておりません。必ずしも厩堆肥專門に行けるわけはありません。もちろん先生方もそうだと思います。それは土地によつていろいろ趣を異にするのでありましようが、結局地力の涵養には一部生産コストの安いもので、化学肥料のみに依存せずしてやらなければなりません。私どもの申し上げたのはそういう意味でありまして、必ずしも厩堆肥のみをもつて農業経営をやらなければならぬというのではございません。これは誤解のないように釈明申し上げておきます。
○野原委員長代理 本日に食糧増産に関する技術の改善につきまして、参考人の各位には遠路わざわざおいでをいただきまして、長時間にわたり貴重な御体験を中心とした御意見の御発表がございました。当委員会といたしましては、農政上の非常な参考になつたことをこの際厚く御礼を申し上げます。時間の関係でいろいろと具体的な御高見を承りたかつたのでありますが、それが十分意を盡せなかつたことははなはだ遺憾でございますが、また機会を改めまして各位の御意見を伺うことにいたしたいと思います。なおこれは委員会からお願いでございますけれども、各位の方でいろいろと参考になるような資料等をお持ちでございましたならば、あとでよろしゆうございますから、当委員会の方にお送りをいただければ、たいへんけつこうかと思うのであります。本日は特にいつもと違つた参考人各位の御意見を中心といたしましての、非常に貴重な農政の研究会ができたことを、衷心から御礼を申し上げます。 これをもちましてこの委員会を閉じることにいたします。どうもありがとうございました。 午後三時五十二分散会