内閣委員会 第11号
- 発言数
- 9 件
- 登壇者
- 3 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1950/10/24
会議録
○土倉委員長代理 これより会議を開きます。 委員長が所用のため、理事の私が委員長の職務を行います。本日は行政機構に関する件を議題といたし、参考人として農林中央金庫理事長湯河元威氏においでを願つて御意見を承ることといたします。 御意見を承ります前に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ、本委員会のために特に御出席くださいましたことをあつく御礼申し上げます。日ごろお考えになつておられる行政機構改革に対する御意見を忌憚なくお述べくだされば、はなはだ仕合せだと存じます。これより御意見を承ることといたします。
○湯河参考人 私は主として農林水産業の行政につきまして、すなわち農林省の行政につきまして若干のことを申し上げてみたいと存ずるのでございます。と申しますのは、私長いこと農林省にごやつかいになつておりまして、その後も引続きまして、農林水産関係の経済的な方面に関係を持つておりますので、そんなことを土台といたしまして、申したいと存じますが、おそらく大してお役に立たないであろうことを心配いたしております。若干のことをあらかじめ申し上げてみたいと思うのでございます。 農林省の行政というものは、いろいろの面がございまするが、中心は何といつても農林水産の生産力の増進ということでございまして、農山漁民の経済的、社会的地位の向上ということが目標になつていると存じます。またその他にあるいは付帯したいろいろな行政がございますが、中心はここにあると思います。しかしてなかんずくこの中でも特に農林大臣が重要な責任をお持ちになつておられるのは、農林水産業の生産の問題であろうと思うのでございます。御承知の通りに農林水産業、あるいは農山漁村の人たちというものは、やはり世の中全体から見ますと遅れているということがございますのので、どうしてもこれに対しまする行政といたしましては、指導とか、助長とかいうことが必要になると思うのでございます。たとえば技術の進歩、また投資のためにもどうしてもこの指導とか助長とかいうことが必要であると思います。たとえば通産行政の対象が、今日相当の進歩、向上いたしました商工業であるというその違いでございまして、通産行政は通産行政でいいかもしれないが、農林行政は指導助長が必要であるという違いがあるかと思います。 それからまた農林省水産業の行政は一面において農山漁村の行政として、その産業の本質から申しましても、農山漁民が働く面が多いのでございまして、工場で機械が動くというのと違いまして、日々の農山漁民の勤労ということがあり、また商工業のような機械的な物質的な面よりは、むしろ天然資源を相手としている、また自然のいろいろな条件に制約されている産業を対象といたしておりますので、非常に面の広い複雑な行政であろうと思います。ただ単に紡績なら紡績という行政よりも非常に、多面的な行政であろうと思います。この二点からいたしまして農林行政というものは非常に緻密でなければならない、周到でなければならぬという点が問題になると思うのでございます。二階から目薬というような仕方で全国の農林水産業の経営をする、農産漁民の経済をよくするということはなかなか至難である、非常に手の込んだ行政であると思つているのであります。農林行政が非常に厖大になつておりますが、水産行政が非常に複雑なものをもつて一々干渉がましいことをするにいたしましても、これをもつて農林行政を干渉がましいというふうに一概に見ることはどうかと思われるのでざいまして、どうしても額当周密でなければならないということが問題になります。 それと同時に今まで経済統制という相当緻密な、周密な手の込んだ行政が行われておつたのでありますが、この面はもとより情勢の変化に即応いたしまして、必要な限り撤廃して行くのがいいと思うのであります。しかし一面から申しますと統制経済は実は戦時的なものから変質しておりまして、農産漁村の人たちにとつては統制がむしろ先ほど申しました指導助長の行政に連つているという面もあるのでございまして、一概に統制をはずせばいいということも言えない面が出て来ております。また他面に統制の撤廃ということを、ただそれを急ぐばかりで、準備ができずにやると、とんでもない結果が出るように思うのでございます。過去の農林水産行政の統制経済撤廃のあとを見ますと、必ずしも成功とばかりは言えない。何かそれにかわる措置が必要であるにかかわらず、それがとられていないという点があるのでございまして、今後農林水産行政機構運営について御検討をいただく上において、さような御配慮がまことにふさわしいと思うのでございます。 それと同時に、農林水産業の行政は、その局のあり方から見ましても、課のあり方から見ましても、非常に多岐多端になつております。しかしこれは行政が專門的に分化した結果でありましてこれはむしろ進歩のあとであろうと思うのであります。一つ一つの責任がはつきりして来ておるので、それはいいことだと思いまするが、しかしどうも農林省のお仕事のあり方を見ておりますと、あまりにも專門的に分化して、その分化されたものが、かつてに動いているというふうな印象が受けられるのでございます。ところで農林省の行政を受入れると申しますか、それによつて対象とされておりまするものは、農山漁民でございますし、これはとにかく一つ一つの独立企業体でございまして、その企業体が農林省のいろいろの部局よりおさしずを受けるということになるのでございます。一つの経済単位がいろいろの面から指導を受けるのでございますので、指導をされる方におかれましても、その間の調和関連ということにつきまして、十分に御注意をいただきたいと思うのであります。これはあえて專門分化を否定するものではございませんが、分化したもののあり方が、必ずしも今日適当でないのじやないかというふうに思われるのでございます。あまりに抽象的に申し上げて恐れ入りますが、たとえば畜産局の行政というものが、ただ単にいい馬をつくり出すということのみに專念して進んでいらつしやいますと、農家としてはやはりついて行けないのでありまして、有畜農業という言葉が後に生れて参りましたように、密接な関連が農業経営の中の一部として存在するのでございます。これらの点も局がわかれ、課がわかれまして、昏迷しているような姿は、私は局をわけること、課をわけることを否定するものではございませんが、わけられたもののあり方についての注意が必要ではないかというように思うのであります。同様のことが養蚕業と農業行政との間にございまするし、食糧管理行政と農業行政との間にもある。具体的に申しますれば、蚕糸局と農政局、農業改良局との間には、少くともいろいろ跛行的なものがあるような気がいたします。また国有林行政と民有林行政というようなもの、これは受ける産業として林業というものは一つでございます。国有林行政と民有林行政の跛行的発達というものは、これは同じ林野庁の内部のことでございましようか、どうも適切な運営においてやや欠けるものがあるような気がいたします。同様のことは団体行政でも現われて来るのでございまして、各部局がそれぞれ自分の手がけた利害の団体をつくろうというような動き等も見えております。これは団体行政は戦時中から、また今日においても、合理化の線においてそういうことが見られるのでございますが、これらに対しまして、今日の専門分化のあり方それ自身は否定はいたしませんが、それの働き方について何か機構上にもひとつ御工夫がいるのじやないか。これは連絡機関であるとか、あるいは総合計画組織であるとかいうふうなものによつて、調節すべきものであろうと思うのでございまして、何もかも一つのものに押し込んでしまうという姿ではないと思います。行政を簡素化して行くことが、皆様方の御検討の一つの的でございましようし、われわれ民間のものといたしましても望ましいと存じます。それは責任の所在を紛淆することではありませんので、やはり責任をはつきりさせていただき、そこにいたずらに補助的な人たちが有象無象くつついているものこそ、簡単にされて行くことが必要ではないか。專門分化によつて個々の責任が明確化されることは望ましい。しかし芟除すべきものは、それにくつついておるものではないかと思われます。それと同時に、分化されるものは、どこまでも総合されるとか、関連調和をはかつていただきたいというふうに思うのでございます。 それから同様のことでございますが、農林水産行政と他の経済行政の分野との関係でございまして、農林水産行政と申しましても、わが国の経済全体の一環でございまして、これはあえて独立的に二つの経済があるわけではないのでございます。経済行政の一環として、農林水産行政があるわけでございます。他の経済行政との間の調和関連ということに深い関心がいると思うのでございます。もうこの点になりますと、むしろ話は露骨になりますが、他の経済との利害の対立の調和というふうな問題が、浮び上つて来るような気がいたします。それはもつとはつきりした姿においては、社会的に農村と都市との対立というふうな形においても現われて来るものでございます。これはどこまでも均衡的に解決さるべきものだと思うのでございまして、自由経済における競争、勢力の強弱というふうなものにつきましては、適当な調整が要るのでございまして、たとえば化学肥料の問題をとつてみましても、結局日本の農業のために肥料がいる。その肥料をつくるメーカーでございますので、これは何も農民の敵ではないのでございますが、ともすれば考え方が対立的になり、お役所も農林省と通産省と肥料行政が二つに分属しておりますために、とかく争いをしていらつしやいます。しかしこれも先ほどの関係と同じであろうと思うのでありまして、必ずしも一つにすることが適切ではない。厖大なる行政分野を何もかも一つに押し込んでしまうということが適当ではないのであります。問題は、その分野を明確にして、その間の協力をはかり、ないしは両方で適当に調整的に——勢力の強弱があまりにも露骨に現われて農民が搾取されているとか、あるいはメーカーが非常に苦しめられるとかいうふうなことで、全体の均衡を破り、全体の水準を下げるということになることを、避けて行かなければならないものではないかと思います。農林水産行政は先ほども申し上げたように、非常に広い範囲を持ち、また複雑な内容を持つております。経済行政とは申せ、一種の社会的行政でございますので、問題は、経済問題だけにとどまりません。すなわち経済省としての通産省、あるいは大蔵省——大蔵省と申し上げるのは、特に金融面でございますが、そういう面ばかりでございませんで、他になお広く関連が多いと存じます。一番大きいものに建設省がございましよう。農林水産業が行われております土地とか水とかの関係につきましては、ひとり建設省ばかりでございますまい。その他にも非常に錯雑した関係があるわけであります。あるいはこのごろはもうきちんとしておられると存じますが、かつては保健衛生の問題にいたしましても、教育の問題にいたしましても、ともすれば農林省はこういうことにくちばしを出し過ぎるというようなことを申される方もおられます。この点がやはり他省との連関関係において問題があると思うのでございますが、これは問題をこういうふうに考えていただいたらどうかと思うのであります。 私が先ほど一番最初に申し上げたように、農林大臣の責任、農林省の最も大事な問題は、生産の問題である。ただ生産が先ほど申し上げましたように人間的な生産と申しますか、また自然を相手にする生産、ひとり工場なら工場の中に閉じこもつてどうするとか、外国の商人を相手にしてどうするというだけでなく、非常にいろいろな複雑な関係を広く持つておりますことから起ることでございます。本来でございますれば土地とか水とかの関係、あるいは保健衛生とか教育とかいうふうな関係も、それぞれ責任がある大臣なり各省があるわけであります。それらの地方でよき連絡をとり、よき関心を農山漁村に払つていただけば、むしろ農林省はそう手を出さぬでもよいではないか、農林省の責任であると私は思つておりまする農林水産業の生産ということに、農林大臣が打込んで行けるように、ほかの方の省が農林、水産業あるいは農山漁村のことはよく理解して協力してくれれば、トラブルはほかに問題はないわけでございますのに、ともすればお役所は町にあり、お役人は町に住んでおるということからいたしまして、農林水産業のこと、農山漁村のことは、ともすればあとまわしになるというふうなことからして、そこにすき間がある、そのすき間を埋めなければ農林、水産業なり農山漁村民のためによくならないというので、やむを得ず農林省が出て行く、出て行くとお前は出て来るのはじやまだというふうな形においての争いが起つておるようでございます。私長く農林省におりましての感じといたしましては、農林省の者はほとんうに一路生産ということについて責任を持つて進んで行く、あまり広い面についてあれもこれもと取込むことは適当ではない、それぞれその責任分野を分担していただいて、それのいろいろ争いが起れば、それは閣議というものがある。そこで適当に処理していただけばよい。農林省は生産責任を持つべきだというふうにむしろ思うのでございます。そういうふうな意味におきまして、非常に関連の深い行政だと思います。しかしこの行政につきまして、いたずらにそれを農林省が取込むということは適当でないというふうに思い、そうしてむしろよき連絡がつくように、これこそ政治の何かそこに効果を生ずるようにしていただきたいということを民間から念願いたしておりますような次第でございます。 それからもう一つ申し上げておきたいことは、農林水産業の行政は非常に全国津々浦々にわたる行政でございまして、農山漁村は全国的に散在しております。農林行政は先ほども申し上げましたように、緻密でなければならぬ、周到でなければならぬということからいたしまして、地方の末端において農林行政というものは相当活動しなければならぬという問題を持つておるのであります。ひとり中央だけでどうこうできない、都市だけでどうこうできないということが問題でございます。この線はこれは地方自治強化の線とどういうふうになるのかと申しますれば、私はやはり地方自治強化ということが今日の時代の要請であり、これに即応すべきだと思うのであります。ただ地方自治強化の線に沿うて考えてみましても、何と申しましても地方自治団体は県にいたしましても町村にいたしましても、非常に国の団体よりは程度が低いということからいたしまして相当高度の行政というものは、やはり町村よりは県、県よりは国というふうに行政の高度化したもの、高度の技術を要する、あるいは科学の協力を必要とするというふうなものにつきましては、これは国が担当するのはよろしゆうございましようが、それ以外のものは努めてやはり町村なり府県なりにこれを移譲することが適当だというふうに信じております。しかして国はその行政の責任はなるべく地方自治の線に沿うて末端に出すべきである。しこうして国はそれに対してよき指導なり、勧告を与えるということであつて、行政の責任というものはやはりなるべく末端にあつた方がよい。これが民主主義のあり方であり、地方自治のあり方であろうというふうに考えるのでございます。それとともに一つ大事な点は、農林水産業の行政は、これは国民経済的と申しますか、国家的の要請を担つているという点におきまして、これを末端の個々の地方自治体の恣意にまかせることの許されない面がございます。こういうはあえて引上げて国家であるいは中央で握つていなければならない面だというふうに思われるのでございます。これはたとえば臨時的のことといたしましても農地改革を推進するとか、土地改良を推進するとか、ないしは食糧自給政策のための増産を計画的に遂行するとか、ないしは食糧不足時代に需給調節をやるために食糧管理を遂行するとかいうふうなことは、国家的行政であろうかと思うのであります。その他の行政につきましては、なるべく中央で計画なり、指導なり、勧告なりをいたしまして、これは末端の町村あるいは県の責任とその発意とによりまして運営されるようにすることが——これは農林行政ばかりではございません。行政全体についてのあり方だと思われるのでございまして、農林行政においてもその点はかわらぬもの、特に地方末端において活用すべき農林行政においては、あまり中央集権的な行政、すべて地方を縛りつけてしまうような行政のあり方、そういうふうなことに即応する機構というものは好ましくない、かように存じておる次第でございます。きわめて抽象的なことを申し上げたので、何のお役にも立たないと思うのでございますが、日ごろ考えておりますことは、さようなことでございます。そこで最近いろいろ内閣の行政制度審議会なり、その他当委員会の御研究なりの御様子を承つておりまして、また新聞紙上等に散見いたしまするいろいろのものを見ておりましての一、二の感想でございますが、ただいま申し上げましたような感想を持つておりますので、たとえば農林省が建設省の一部を持つて来て天然資源省になるというふうな考え方がございます。私はこの考え方は必ずしも適当でないというふうに実は感じておるのでございまして、たとえば土木事業等のごときは、土木の專門というものがございましようし、それから道路行政にしても、河川行政にいたしましも、これはひとり農林水産だけの見地から解決できる問題じやないのでございます。相当大きな責任がある行政でございますので、今日建設大臣がおられることは私はむしろいいんじやないか、責任が分化して、ただいたずらに分化したためにごちやごちやしてしまうからけんかばかりしていていけないというふうにだけ見て、これを一つにまとめるということはよくないというふうな見解と、それからそういうものを持ち込んで来るときに、農林大臣の責任というものは私は鮮明を欠くと思うのでありまして、農林省は産業省であるという性格をむしろはつきりして、一人の大臣によつて背負いきれないほどの分量と重い責任があるのでございます。いたずらにいろいろなものをかき込むということは適当でないというふうに考えるのでございます。これにつきましてはいろいろ御議論があることとは拝察いたしますが、自分としてはさように思います。 それからまた一部の御意見として農林省から林野庁の行政をはずして、治山の行政、治水の行政と一緒に建設省へ持つて行くのだというふうな御意見がございました。私は林業行政というものはいかなる性質の行政かということを考えますときに、これは土木行政だという認定は適当ないと思います。やはり林業はどこまでも林業経済、産業としての林業というものを見なければならない。究極においてそれは産業のための林業——もとより国土保安ということも大事でございますが、産業が伸びることによつて国土保安の達成もできるというふうに見るべきではないかと思うのであります。たまたま農林省の林野庁の行政が、非常に林業経済的面、あるいは山村民の経済面の現われについて無視されており、ともすれば建設省あるいは昔の内務省の河川行政などの争いという面だけが非常に大きく浮き上らされて、そうしてそれならこうしたらいいという御見解かと私は思うのでありますが、私はやはり日本の国の全体の経済から見ましても、山の問題は林業の問題として、そうしてそれは産業として、ないしは社会の山村民の問題として重点を置くべきであつて単なる一土木である、土木工事であるというふうに見ることはどこまでも適当でない、産業責任である以上は、それはやはり産業大臣が背負うべきであるというふうな感じがいたしております。 それからまた一つの問題といたしまして、農林省の方は、現状につきましては先ほども申し上げましたように、少しばらばら過ぎるというふうな見解を持つております。これは何とかひとつまとめて、特に農業改良局、農政局、農地局の間の仕事の限界、または農業改良局と蚕糸局との構想等も何か適切な御措置がいるのではないかというふうな感じがいたしておるのであります。また食糧庁とか、水産庁とか、あるいは林野庁とかいうものが外局として存在しております。私も実は農林省にごやつかいになつておりますときに、外局の長官をいたしておつたのでございますが、どうも外局というのは一つのかつこうでございまして、行政といたしましては、それらはまさに大臣、次官の完全なる統率のもとに移すべきものである。かりにも外局であるからといつて何か別格になるということはむしろ適当ではない。これは産業大臣がほんとうの責任をとる上においては、事務次官、政務次官をしてやはり内局も外局も同じに——ことに事務次官をして外局も内局も同じによく見させないと、さらでだにばらばらである農林省はなおばらばらになる危險がある。自分が外局にかつておりながらこういうことを申し上げるのは変でございますが、どうもそういう気がいたします。 それから水産庁の独立問題、これは政治問題であり、また経済問題であろうと思うのであります。農林水産行政というものを、その内容を充実して行く上において、水産というものが別になる、別になるということは水産関係者の御希望としてはごもつともなのであります。必ずしも不適当だと申すわけではございません。せつかく水産業の関係者が熱望しておられるところでございまして、よくそれらの方々の御意向は承つております。ただ農林大臣として水産に対する責任が尽せないのかどうかということを考えて見まするときに、私はまだくふうの余地がある、水産庁ができなくても農林省はもう何とも水産に対しては手が打てないというほど、手が打ち尽されておるものとも思いません。しかしまた責任大臣が別になればそれだけ仕事がよく伸びる、これは責任の分化の一つの象徴でございまするので、私はそれは必ずしも不適当ではないと思う。昔農商務省といつたような役所が農林省と通産省とにわかれたのでございまするし、昔の農務局という一つの局が、今では農地局、農事改良局、蚕糸局、畜産局というふうにわかれておるのでございます。私は、それはやはり進歩の一つの道程だと思います。そういう意味から行きましても適当である。ただ今の農林省はそうしなければどうにもこうにもならぬかというと、農林行政というものは、つまり生産責任というもの、産業行政の責任を明確にするときにおいて耐えられぬほどのことはないのじやないかという気もいたします。まことに不行届きでございますが、この程度で……。
○土倉委員長代理 委員の方に御質疑はありませんか。
○江花委員 今の農林省が農商務省とか、いろいろその名前がかわりましたが、要するに日本の農業が、本質的には非常に後進性があるにもかかわらず飛躍しておるということは、明治大正を通じてよくわかるのでありますが、今どうですか、農業の、ことに田とか、畑とかのいろいろな耕作法というか、肥培法というか、いろいろな面があると思いますが、ああいう技術の限界というものはどのくらいになつておりますか。
○湯河参考人 まだまだ私やつていただければできると思います。
○江花委員 私どもの小さいときから比べても、大体種の改善とか、品種の改良とかいうことをやつております。肥料ももちろんですが、これは農林省の指導、一般の文化というか、そういうものの進歩、科学の進歩とかいうこともありましようが、非常に伸びておりますが、近ごろどうも少し限界点に達しているのではないかと思うのでございます。従つて農林省の指導も動脈硬化的になつておるのじやないかと考えております。試験場あたりに私どもよく行つてみたことはないし、行つても技術的なことを言われてもわからぬのでありますが、どうも試験場あたりでも、戦時中は少し異例かもしれませんが、何か品の悪いことを言うようだが、かぼちやをつくつたりそんなことばかり專念しておつて、蚕糸試験場でも農事試験場でもほんとうのあれという仕事は少くなつたきらいも一応あるようでありますが、こういう点は湯河さんあまり上の方におられたのでおわかりにならぬかもしれませんけれども、ぼくらそういうように感じておりますが、そういう徴候はありませんか。
○湯河参考人 戦争中はずいぶん食い物がなくて試験場の諸君も試験行政というものを怠つて、そういうことがあつたとは思いますが、もう今はいわゆる虚脱状態というものはなくなつて参りまして、本気にやるという気が出て来ておりますので、今御指摘のようなことは、最近はないと信じております。
○江花委員 今日はそういうことはいろいろ申し上げませんが、しかし農林省へ行つてみまして、率直に言いますと、林野庁あたりは非常に感じがいいのでありますが、どうもほかの方は何か変ですね。空気が悪いですね。もちろん代議士だからといつて偉いというわけではなし、そういうことから言えば、役人だつて給仕が職務上の問題で、はたして局長より偉いのか、偉くないのか、これは現実にいろいろな問題がありますが、そういうことは別として、この間も、ある課長のところへ行つたら、課長が、強く言えばうそを教えまして、係のところへ行つて初めてそれがわかつた、こういうようなことがあります。これは簡單なことですが、やはり農林省の機構その他があまり厖大になつて監督が不行届になつておるのではないかと思うのであります。また地位の安定というか、そういうことを悪く考えて、政治を夢みるというような思想がそこに現われておるのではないか、そういうような点を痛切に私は感じました。またほかの人たちもむりなことを言つても聞く人はない。雇といえども大臣が来ても聞く必要はないけれども、国家あるいは国民に対してサービスが一番の仕事だということを、農林省あたりは百姓のの指導に当つておるのだから、よけい徹底してもらいたい。農地改革は非常によいけれども、あの指導に当つた場合に、あのくらい強くなければできなかつたという点もありますけれども、極端に言うと共産主義的である。農地改革というものは農村の思想その他について非常に悪影響を与えておる。つまり片一方の方では、かぼちやを幾らでもやみで売つて、そうしてかぼちや三つもあると、田一反歩が二百円か三百円で手に入る。しかもその田は高利貸的にとつたのであればまだよいけれども、百姓というものは貧乏人よりも働いて、まずいものを食つてためたというのが日本の百姓の一般の通例である。大きな原野を機械力をもつて起してやつたというものではなくて、先祖の血がこもつたものである、それは敗戦の結果やむを得なかつたのだけれども非常に掠奪的なことをやつて、そうしてとる方は農地法の精神をとことんまでやる、陳情もへつたくれもあるものではない、農地委員会はまつたく共産主義者みたいになつて——共産主義は人の物をただとるというそういう思想じやないことはもちろんですけれども、その辺にいる共産主義者だけれども、農林省あたりはもう少ししつかりしてもらいたい。ところが県の農地部あたりでは、今日追放になつている人と組んで、われわれの言うことは封建的だとか反動的だとか言つて一つも聞かない。その実例は申し上げませんけれども、日本の思想を破壊した、もつとも一々言分を聞いておつたらできないかもしれませんが、農林省はそういう一つの流れになつております。これは湯河さんあたりの責任として大いに追究しなければならないと考えておりますが、まつたく生木を裂くような、地主を罪人扱いしておる思想、それから一方においては法律を無視して大いにやみをして、都会の人を裸にして、今度は農地法の極端なる遵奉者となつた。農林省あたりはもう少し手心を加えて、そのときどきの空気で人道主義だか何か知らぬが、そういう根本的なものを無視してやるということは、私は農林省当局に対して今はもう口ををぬぐつておるかもしれないけれども、大体けしからぬと思う。あの当時は役所で指導するよりしかたがなかつたという点もありますが、私事を申し上げて恐縮ですが、私は小学校を出ただけで二十一までほんとうに百姓をやつたので、その苦労は味わつております。今でも農村に住んでおりますからよくわかりますが、そういういろいろ技術面あるいは思想面について、それから農業協同組合やなんか、そういう点についても私ども非常に異論がある。しかし翻つて農民自体もまたその一半の責任は負わなければならぬので、お役所の指導だけにあると言うのではありませんが、どうかそういう点もひとつお考え願いたい。農林省は何といつても日本の農民のたよりにしておるところであり、私もまつたくその通りだと思いますので、末端までよく気をつけていただきたいということをお願いしておきます。
○土倉委員長代理 他に御意見がありませんければ、本日はこれで終りたいと思います。本日はお忙しい中を湯河さんにおいでいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時二十五分散会