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8回国会衆議院1950/10/13

内閣委員会 第8号

発言数
3
登壇者
3
会派数
1
開催日
1950/10/13

会議録

土倉宗明自由党

○土倉委員長代理 それではこれより会議を開きます。  委員長が所用のために、理事であります私が委員長の職務を行います。  本日は行政機構に関する件を議題といたし、参考人としておいでくださいました安定本部資源調査会事務局長、安藝皎一氏より御意見を聽取いたしたいと思います。御意見をいただく前に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところわざわざ本委員会のために御出席くださいましたことを厚く御礼申し上げます。本委員会は先国会以来特に小委員会を設け、行政機構の改革について調査研究を進めて参りましたが、本日は資源開発並びに科学技術行政に関する深い御経験に基き、行政機構改革について忌憚のない御意見をお述べいただければ、本委員会といたしましてはまことに幸いと存じます次第でございます。では安藝さんより御意見を拜聽いたしたいと思います。

安藝皎一経済安定本部資源調査会事務局長

○安藝参考人 私安藝でございます。日ごろ考えておりますことにつきまして、簡單に申し上げる次第でございます。  大体私資源という問題について考えておるのでありますが、資源と申しますものは、私どもの生活を維持して行く上に必要なあらゆるもの、こういうふうに考えております。これはどんなものがあるかと申しますと、土地とか、水あるいは森林、地下資源というようなものがあるのでございますが、これらのうち地下資源、つまり地中にございます資源、石炭とか石油というようなものでございますが、そういうものは掘りますれば、それだけ減るわけでございますが、このわれわれの生活に必要な物資の中で、土地とか、水とか、森林と申しますものは、使いようによりますれば、無限に更新して行くことができるものなのでございます。それでありますので、私どもとして特に関心を持たざるを得ないのは、この更新して行く物資をどういうふうにして使つて行くか、これは使い方が悪ければその更新が不可能になるわけでございますし、そのために資源が次第に枯渇して来る。そういうふうな観点から資源を最も有効に使つて行くということは、将来長い期間にわたつてわれわれの生活を可能ならしめる。そういうふうな方策でその資源というものを使つて行くべきだというふうなことを私ども考えるわけなのであります。これはどこでもそういう例に出つくわしておるのでございまして、たとえてみますれば、これはアメリカあたりで非常に問題になつておるのでございますが、とにかく新しい土地が余分にございますと、今まで使つております土地が悪くなれば、すぐ次へ移つて行くというふうなぐあいでございまして、余分にありますときはそういう方針で進んで行けるわけなのでございますが、しかしどうしてそこにおれなくなり、次へ移つて行くかということを考えてみますと、たとえば畑をつくるために木を切つてしまう。木を切りますとどうなるかと申しますと、雨が降りますれば表面の土砂が流れて来る。表面の土砂が流れて参りますれば、流れた土砂は当然川の斜面の下の方——下の方と申しますのは谷間になつておりまして、水が集まりまして川となるところでございますか、そういうところへ土砂がたまります。そうすると水の流れが悪くなります。水の流れが悪くなりますと、氾濫する。今まで排水もよくできまして作物をつくれるような土地が作物がつくれなくなつて来る。そのように木を切りまして牧場にしたりあるいは畑にするわけでございますが、そういたしますと、雨のために地表が流されるということで、だんだんと土地の生産力が落ちて参りまして、やむを得ず次へ移らざるを得ないというような状態になる。そういうふうに繰返して行くわけですが、これは余分に新しき行き場がある限りにおきましてはいいのでございますが、そういうところがなくなつて参りますと、そういうわけには行かなくなる。なぜそういうことを申し上げるかと申しますと、とにかく資源というようなものを取扱います場合に、やはり私は資源というものの実体をはつきりつかむ必要があるのじやないかと思いまして、資源のあり方というような問題について私どもの考えております点を少し申し上げてみたいと思うのでございます。そういうようなことからどうしたら資源というものの保全と申しますか、資源を永久にわれわれの生活の福祉に供し得られるかどうかということを考えるようになつて来たのでございます。ただいま土地とか水、森林ということを申し上げましたのですが、こういう資源というものは、私は一つの自然條件としてわれわれに與えられておるものであると思うのでございます。われわれの一つの生活環境をつくつておる條件なんであります。今資源というものが、これをむやみに收奪的に使いますと、そういうふうになるということを申し上げたのであります。そうしてたとえば木を切つたということが川へどんなふうな影響を及ぼして来たかということを述べたわけでありますが、この自然界にございます土地、水、森林というようなものは、お互いに今申しましたように、一つの有機的な関連を持つておるのでございまして、土地に手を加えますと、またそれがずつとほかへも自然に影響を及ぼして参りまして、全体の様相がまたかわつて来るというふうに考えられるのでございます。そういうふうな形、性質で存在しております資源が私どもが私どもの生活を一時向上さして行くという場合に、これに対しましたときに、どんなふうにわれわれの目的に現われて来るかということをもう一度考えてみたいと思います。  これは私の方で琵琶湖の最も有効な利用方法はどうだろうかということをこの間検討したことがございます。それにつきましてどんな問題が介在しておるかということをちよつと申し上げてみたいと思います。 琵琶湖は日本にございます最も大きな天然湖でございまして、余談になりますが、最近河の上流に大きな貯水地をつくつて電気を起し洪水を調節しようというような目的で河川流域の開発ということが言われておるのでありますが、天然湖というのは自然にすでに存在しておるのでございまして、これをうまく利用すれば最も安い費用で大きな効果が得られるじやないかということが想像されると思います。それで琵琶湖につきましては、すでに前からいろいろな計画がございまして、どう開発をしたらいいかといういろいろな案が出ておりますが、その中の一つでございますが、たとえば今琵琶湖の水面を三メートル下げたらどうだろうというのは、琵琶湖の水面を平水面から三メートルまでときによつては下げてもいい。そういたしますとどんなふうになるだろうかということについて簡單に考えてみたいと思います。琵琶湖の水面を三メートル下げるといたしますと、ちようど十二億立方メートルの水が自由に使えるというわけでございます。ですからこの下げ方でございますが、下げ方を十二億立方メートルの水を主として下流の方の水運とか水道、灌漑用水、いろいろな問題のために全然とめてしまうわけには参りまんが、そういうものは当然考えるとしまして、主として冬の三箇月間にこの十二億立方メートルの水を流すということにいたしますと、四十八万キロの電気を起すことができるのでございます。そこで四十八万キロの電気と申しますと、琵琶湖のように、大阪、関西のすぐ近くにこれだけの電気ができますとどんなふうに働くかと申しますと、現在関西地方には水力発電所はございませんで、これは中部から送つておりますが、大体べースになつております水力電気を中部地方からの送電による水力電気でまかなつておりまして、不足の部分を火力発電所、石炭をたいて電気を起しているわけでございます。それでありますから、もし琵琶湖の水をそういうような形で運転するといたしますと、これは電力もキロワツト・アワーで行きますと、そういうふうな発電様式は割合に高くつきますが、しかし今日本で要求されているのはキロワツトであるか、電力の全体の量であるか、あるいはキロワツト・アワーであるかということで、どつちが今日本で要求されているかということを考えますと、多少値段が高くとも、キロワツト時を多くとつておるような発電所が、その地域にとつては非常に有利になるということが考えられるのでございます。そういうふうに、たとえばどんなふうにして水力電気を起すかということでも、これだけの貯水池があれば、これをどういうふうに操作することによつて、その地域で最も要求しているような電気の質と言いますか、そういう質の電気を起すかということが必要なのでございます。ただ最も安い電気、最もたくさん電気ができる。そのたくさん電気ができるにいたしましても、どういうふうな質の電気が起るかということが、発電計画を考えます場合にはどうしても必要なんでございまして、それはその電気を起します地域がどういうところにあるかということと非常に大きな関連を持つものだと思います。電気を起しますと、そういうふうな問題が起きて来るわけなんでございますが、同時に湖面を今三メートル下げるということを申し上げましたが、下げたら今度はいろいろなところに影響が出て来るわけであります。たとえば琵琶湖の周辺には六万町歩の水田がございますが、これがどうなるかということをまず考えなければならぬと思います。この地区は大体花崗岩の風化物の堆積したところでございまして、非常に地下水が高いのでございます。そうして地下水の高いということは、水がみんな地下に浸透してしまうのでございまして、花崗岩の風化物は、割合に目が荒いものでございますから、水が地下へもぐりやすい。ごらんになりましてもわかりますような、この附近の川は土砂で埋まつておりまして、河底が非常に高い。雨が降らないときは水がないというような状態でございます。従つて水田の灌漑用水の状況を見ておりますと、六万町歩のうちの約三分の一の二万町歩が、井戸を掘りまして、地下水で灌漑をいたしております。湖面を下げるということは地下水を下げるということになるのであります。地下水の高いところ、ポーラスと言いますか比較的水の通しやすいような地層のところでございますから、湖面を下げますれば、地下水が下ります。ですからもしその地下水が下りますのが、四月以降だといたしますと、これは水田の作付に非常に大きな支障を来すということが考えられるのでございます。井戸が約三千ございますが、地下水が下つて井戸が困難になるとすれば、これはどういうふうにしたらばいいかということになります。ところが大体水と申しますのは、地表水、ことに湖水の表面の水というものは割合に暖かいのでございます。それで地下水というのは、これはあまり温度がかわりませんで、地表水よりは夏になりますと冷たくなる。冷たい水を田にかけるということは、暖かい水をかけるよりも條件を悪くする。もしその地下水が上るということで、井戸で下げるのが困難になれば、地表水を持つて来て灌水したらよくなるだろうということが考えられますので、そうなつて参りますと、地下水を下げるということも、あえてその土地に悪いわけではない。今のままの用水系統では、灌漑をいたしますのに困難いたしますが、地表水をくみ上げまして、それを一時高いところまで持つて行つて、それからまた逆に自然流下で落してやるというふうな方法でもとりますれば、條件はよくなると思います。土地改良と申しますのは、地下水を下げて、自由に水をかかるようにしてやるのが、土地改良の大きな中心になる目的だろうと思うのでございますが、そういうふうにいたしますれば、湖面を下げるということも、地下水を下げて用水の困難を解決する一つの道になるのではないかと思います。これは電気が起きますから、その電気によつて地表水をくみ下げるということが可能になる。それを一つの組織とか何かの中でやりますれば、比較的安い電力代で暖かい水をくみ上げてやることができるということになるのであります。まあいろいろな問題が出て参ります。たとえば今大阪の町を考えても、おもしろい事態があるのです。今度の水害でも非常に問題になりましたように、大阪は地盤が非常に低いのでございます。それで防潮堤をつくつて防いでおるわけでございますが、この低い大阪の、いわゆる沖積層と申しますか、山からの流出土砂が堆積されてできた平野でございますが、そういう土地は一体に低いところでございますけれども、それが工場地帶になつて参りまして、非常に水がたくさんある。それで地下水をくみ上げまして、工場の用水に使つております。これは機関を冷やす水だとか、あるいは冷房用に使う水だとか、いろいろあるだろうと思いますが、さような、よい質の水を使わなくてもいい部分には、自分で井戸を掘つてくみ上げてやるのが経済的でございますから、そんな方法で水をくみ上げるのです。水をくみ上げますから地盤はだんだん下つて参ります。低いところはますます下ります。それでありますから、防潮堤がだんだん高くなる。高くなりますと今度のような場合には、万一の場合に非常に大きな災害を及ぼすことになる。そのために大阪のようなところではできるだけ地盤の下らないようなことを考えなくてはならぬ。一時土盛りをして上りましても、だんだん水を使いますとやはり下つて参ります。下らないようにしようと思いますには、水を使わないようにする以外に方法はない。しかし水を使わないわけには行かないのでございます。井戸を掘つて使えば水が下りますから、別に水を持つて来てやればいいということが考えられるのであります。それには大阪に淀川というりつぱな川があります。しかし今ではその周辺の農業の用水あるいは工業用水、水道用水等にそれらの水をほとんどみな使つておりますので、これ以上使うことができないわけです。そのためには、上流で、たとえばもう少し琵琶湖の湖面を下げるということは、自由に使える水がふえるわけでございますから、そのふえた水で、工場用水のかわりに、非常に簡易な水道でもつくりまして、水を補填いたしますれば、比較的安い水が使える。そうなつて参りますと、琵琶湖の湖面を三メートル下げるという問題は、そういうふうな問題にも響いて来るわけでございます。そのほか淀川の水運に対する條件がかわつて来るとか、いろいろな問題がございます。こんな話も出て来るわけでございます。たとえばどうせ琵琶湖の水面を任意に調節するためには、やはり淀川の下流にダムをつくらなければならぬわけでございます。発電をいたしますためには、ダムをつくらなければならぬわけでございますが、そういたしますと、約二百戸程度の家が水につかるわけでございます。それでそれをどういうふうに処置しなければならぬかという問題が起きるわけでございます。それで簡單に考えますれば、御承知のように内湖と申しまして琵琶湖のへりに小さい湖が相当ございます。それを埋めて、そこにそういう人たちを移住させればいいのじやないかというふうにすぐ考えられるのでございますが、しかし湖というより水たまりと申しました方がいいくらいな小さい池が湖水の周辺にございますけれども、そういうものも、あるからにはやはり存在の理由があるのでありまして、たとえば雨のことを申し上げましても、雨にもいろいろな種類の雨がございます。台風で来るような雨もございますし、低気圧で来るような雨もあり、いろいろな雨がございます。ときどき、小さいと申しますよりも、非常に局部的な非常な豪雨があることがございます。そういうふうなときには、そういう小さい水たまりというようなものが雨を吸收してくれまして、洪水になつて氾濫するのを防ぐとか、そんな役割も持つておるのでございます。それでありますから、やたらにそれを埋めてしまうということもできないわけでございます。そんなふうに、たとえば今申しました、これは資源というものの開発の一つの方式でございますが、そういうものをいじりました場合にも、いろいろな問題が起きて来るわけでございます。われわれの住んでおりますところの一つの自然環境に手をかけて、そしてわれわれの生活をよくして行こうという努力であつて、自然環境と申しますのは一つだけであるのじやございませんで、常に組合わされた形で出ている。これは私は一つの総合効果という言葉で表わして言つておりますが、いろいろなものが組合わされたものが一つの現象として起きて来るのでございますから、それをどういうふうに改良して行こうとか、どういうふうにして手を加えてよくして行こうかというときに、一つのものを取上げましても、常にそれが外へ影響を及ぼして来るということが考えられるのであります。要するに資源の開発というような問題につきまして私ども考えます場合には、資源というものはどんな形であるかということをまず知る必要があると思うのでございます。とにかく自然界というものは、個々独立しているのではございませんで、常にいろいろな要素が組合わされまして、一つの効果として現われており、しかもそれが常にいろいろなふうに関連を持つております。固定された状態ではないのでございまして、自然の移りかわりといいますか、自然に変化して来ておる状態でございますから、そういうものを考えますと、結局そういう自然の状態というものと常に総合しておる取扱いをしないと、そこに非常な損失が出て来るのではないかと思うのでございます。たとえば琵琶湖だけにつきましても、琵琶湖の南側の山は以前は非常に木が茂つていた。りつぱな山だつたそうでありますが、これが木がなくなる。そういたしますと、山から土砂の崩壞がございます。これも同時にあわせて考えませんと、琵琶湖をせつかく開発いたしましても——そのためにはダムをつくるわけでございますが、そういう手配をいたしました場合にも、ちようど最も土砂の出て参りますような川が琵琶湖の出口から下流にございますので、下で上げますと、その間に土砂がたまつて来る。たまりますと、これが今度は洪水のようなときに、湖水面の調整をやつて、水位の上らないような処置をやらなければならないわけですが、その場合に障害になるというわけで、あらゆる面で関連を持つておるのでございます。それでございますから、こういうものを生かして行くというためには、とにかく総合した処置が講ぜられるということが最も必要じやないかと思うのであります。現在日本の資源、われわれの生活と生産に必要なあらゆる物資、そのうちでも特に常に更新することの可能な物資、それを十分生かせば、長いことわれわれの生活の資に供することができるというような物資、土地、水、森林というようなものが日本でどんなふうに現在取扱われておるかと申しますと、御承知のように非常にばらばらに取扱われておる。これは確かだろうと思うのでございます。私は今申し上げましたような資源というものを考えました場合でも、やはり水が中心になると考えていいのじやないかと思います。たとえば森林のあるなし、その森林の形というものが水にどんな影響を及ぼすか、また土地の状況、土地を森林のままにしておく、あるいは草おい地にしておく、あるいは土地の使い方、土地を耕します場合に、それがどんなふうな形になつているかということ、これがまた水のあり方というものに影響を来しております。だから水に中心を置いて考えていいのじやないかと思いますが、とにかく水というものを現在わが国で管理しておりますのも、いろいろな面で、たとえばその水を電力として使う場合、あるいは水の一面である洪水をどうやつて処理するか、それを担当している部門、さらに森林とか、土地の使用状況というものを管理しておりますところがまちまちでございまして、お互いに自分の目的に最も早く適うように——話はそれますが、日本におきましても、長い歴史の間、ことに明治以来は、私は相当技術的にも大きな進歩をしていると思うのでございます。それらがとにかくそれぞれの面におきましては、非常な進歩をしている。たとえば電気を起すこと、つまり日本の今までのような様式の電気を起すこと、たとえば小さい取入れのダムをつくりまして水を引き、高い落差を得まして電気を起すというようなああいう方式、それからたとえば洪水防禦といたしましても、川を改修する方式、技術、あるいは土地管理の技術そのものにつきましては、ここ五、六十年間に私は相当な進歩を見ているであろうと思うのでございます。しかしそれぞれ取扱つておりましたのが、非常に個別的であつたために、全体といたしましては、それが非常にうまくいつているかどうかということになりますと、非常な疑問があるわけでございます。あるいはそれを遂行いたしますために、非常な多くの資金の上にむだをやつて来たというところがないとは言えないと思うのでございます。これらの自然の一つの現象といいますか、土地、水というようなものがどういうものであるかということから考えますと、当然うなづけると思うのでございます。それならばこれをどういうふうにしたらいいかということが考えられるのでございますが、これは最近各国におきましてもやはり非常な問題になつておるところでございまして、この場合、土地、水、森林そういう天然資源的なものを一つのところで管理する方式が考えられるのです。あるいはそれぞれのところは分科されておりますが、それを別の機関でもつて調整しながらやつて行こうというようなところもございます。例をアメリカにとつて考えてみますと、アメリカは現在洪水防禦関係の仕事、それから水運に関しまする仕事、これは全部陸軍省が管理してやつております。それから土地問題、特に国有の非常に收益の上らない土地でございますが、そういうところに灌漑いたすことによつて土地の生産力を上げて行こう。こういう大きな仕事をやつておりますが、これは内務省が主管しております。それから森林とかあるいは土地の保全というもの、これは土地の生産力が減退いたしますのをどういう形で防ごうかという点で非常に努力しておるのでございますが、それは農務省が管理しております。それでこれはアメリカの例でございますが、できました当時におきましては、それはさしつかえなかつたのでございます。それぞれの仕事につきまして考えてみますと、洪水防禦をやりますところ、灌漑をやりますところ、それから土地、森林の問題をやりますところ、別々にやつてもさしつかえなかつた。と申しますのは、その当時におきましては、その当時の技術的な段階、その当時の国民経済と申しますか、そういうような段階におきましては、局部的にそれをやればよかつたのでありますから、お互いにインターフエアしなかつた。ところが経済規模が大きくなり、さらにまた新しい技術というものが進展して参りますと、情勢がかわつて参りまして、たとえば洪水防禦というものにとります手段、水運の改良というものにとります手段、さらに土地灌漑というものにとります手段が、技術的には非常に似たものになつて参ります。そうなつて参りますと、お互いに目的は違いましても、仕事自身は同じ仕事をするようになるわけで、お互いに競合して来るわけであります。たとえば陸軍省が、水路の改良とか洪水防禦工事をやつております。これも水路を直しますとか、あるいは浅いところを深くするような努力をするとか、堤防をつくつて洪水を防ぐというような方針をとつておりますときには、それでいいわけでありますが、さらに上流に貯水池をつくりまして、洪水の調整をやろうとか、水運の水をそれだけ吸收するとかいうことになつて参りますと、その附近の灌漑というような問題を考えます場合には、やはりそのかわりにダムをつくつて水を引く。同時にダムをつくつた以上は、電気を起すということも考えるようになつて参ります。それぞれの目的は違つておりましても、手段としては、同じものがつくられて来ることになるのでございます。そうなつて参りますと、今まで別々に仕事をしておりましたのが、お互いにせり合つて来るということになるのです。それにまた土地の保全の問題とか、さらに森林の問題も逐次発展して参りますと、そういうところにだんだん関連して参ります。どうせやらなければならぬ、そういうものと関連してやるということが必要になつて来るのです。せつかく上流の方で仕事をして、土地をよくしようと思いましても、下流の方への影響が非常に大きいところとか、小さいところとがございますので、何らかの仕事をしているところとか、していないところとかいうことになる。それでありますから、その間お互いの有利な十分な連携がとれませんと、非常にむだが多いことになるわけでございます。  それでアメリカにおきましては、これをどういう形で総合調整して行こうかというので、これを調整いたします機関を設けております。そういう問題を決定するのは、大統領の権限でありますので、各省と同じ位置にそういう機関を設けて、調整をはかるという方法をとつておりますが、大体そういうことで、現在進んで来ております。しかしこれに対しまして、こういう天然資源というものは、一つの方法で管理する方が好ましいというので、そういうふうな機関にかえた方がいいという意見も出ております。大体天然資源というものの開発を考えます場合には、この二つの方法が考えられると思うのであります。  日本におきましては、大体後段の方式で、開発、維持、保全というようなものが行われていると思います。ただこの間の調整をする有効に働いております機関というのが、欠けているのではないかと思うのでございます。この二つの方法を一つにまとめてしまうか、あるいはその主管しておるところを個々にいたしまして運営して行く方がいいかというようなことになりますと、それは非常にむずかしい問題だと思うのでありまして、あながちどつちということは簡單に言えないじやないかという気がしております。たとえば土地、水、森林というようなものを一つの機関にまとめて管理するといたしましても、大体開発して行くということは、これはどちらかといえば目的でなく手段であるといたしますと、これを主管しているところがたとい一つになりましても、たとえば電気が起きた場合には、その電気が結局国民経済の上からどういう面でものを利用されなければならないか。先ほど琵琶湖の際にも申しましたようにどういう要求によつて発電形式が考えられねばならないかということになりますと、どういうような形が国民経済の上に容認されるか、これは一つの例でございますが、たとえば土地の確保保全、生産力減退を防ぐという方法にいたしましても、これは全体の食糧というような観点から、やはり関連して来て、その点からどういうふうな順序方式でやるということがきまつて行くわけでございます。そういたしますと、そういうようなところまでほとんど一つの機関でやるということは、開発ということを目的としておりますところでやるかといいますと、非常にむずかしくなるのでありまして、やはり全体の経済の企画というか、そういうものとやはり関連を持たせなければならない。そういうような意味におきましてやはり資源というものを開発してどこに持つて行くか、ほかの省との関連を十分とり得られるような面から調整する機関がぜひ必要だと思うのであります。それからあとで申しました現在のようにばらばらで主管しておりますから、たとえば電力ならその電気をどういうふうに使つて行くか、どういうような形を要求されるであろうかということを判断するのでありますが、ものを開発して行きます手段としてとつて行きます場合に、非常に損失がそこで起きて来るので、この際の調整する機関と申しますのは、前段で申し上げましたような調整機関であると同時に、さらに技術的な面でいろいろ調整する機関というものをあわせて付與しなければならないと思うのでございます。要するに私は、資源開発というものを一つの一元的な機関でやる、あるいはこれを数箇所の幾つかの機関にわけてやるといたしましても、どうしてもこれを調整する別の機関がなくてはならないと思うのでございます。そういたしますと、無理してこれを一つの機関にまとめるか、あるいは現在のままにして、調整のとれた運営方針で持つて行けるようにするか、これは現実的な問題といたしまして一緒にするために遅れます時間的なロスとか——それが一つのものになりますためには、やはり相当の時間と、物の見方に対します訓練とがいるのではないかと思います。その点になりますと、どうも私は、はつきりしたことが申し上げられないのでございます。時間的な問題もあわせて考えますと、現在の形でもこれを非常に合理的に調整して行く組織さえございますれば、かなり目的を達し得られるのではないかという気がしております。そうすると、この総合調整というような機関は一体どういうふうなものであるべきだろうかということが考えられるのでございますが、これにつきましては、現在ございます経済安定本部というようなものも一つの役割として考えてもいいのではないかという気がしております。と申しますのは、とにかく今まで持つておりました経済安定本部の性格あるいは運営というものは、つくられた当時よりも非常に環境がかわつて来ておりますので当然かわるだろうと思うのでございます。しかし現在のように非常に複雑な経済情勢におきましては、全体的な経済の一つの動きといたしまして、常に経済分析をはつきりし、経済の動向というものを常につかんでおるものがございませんと、これに対処してすぐに手が打つて行けないということが起るだろうと思うのであります。たとえて申しますれば、現在アメリカで行われております経済分析の大きな一つの組織でございますが、そういうことを果す一つの機関がやはり必要だろうと思うのであります。さらに私どもの特に今考えております資源という面から見ましても、資源の利用ということが国民経済的にいろいろな関連を持つておると先ほど申しましたが、資源の使い方というものは、日本のように非常に資源が限られておるところにおきましては、国内の資源の最も有効な扱い方のみでは全体の国民生活の水準を上げて行くということは不可能だろうと思うのであります。どうしてもこれはもつと大きく対外関係といいますか、貿易とかそのほかいろいろなものがあるだろうと思いますが、資源というものをもう少し広い観点で見なければならぬと思うのであります。これは日本にございます天然資源の利用から申しまして、はつきり申し上げられると思うのでございます。国内のみでなくて、さらにどうしても外との問題、たとえば日本で申しますれば、貿易というような観点から、これをどういうふうな形で持つて行くかということにつきまして外の資源、これを日本との関連において見て行くということになると、これからの使い方という問題も、やはり基礎的なものから組立てられて、それを常に研究し、調査し、それによつて一つの方向というものをつくり出して、それが全体の経済の動きに対してアドバイスするというような形のものがぜひいるではないかと思うのであります。もしそれができますとすれば、資源の総合調整をはかります機関というようなものもその中に含めて考えられると思うのでございます。そういうふうな形になりますと、現在持つている役割というようなものもやはり必要ではないかと思います。何らか持つているものを調査し、同時にそれをどういうふうに持つて行くかという企画と申しますか、経済的な面、物の面でそういうものに対して常に関心を持つている機関がなければならないではないかと思います。それが十分に働くことができますれば、たとえば資源開発という問題に対する機関が現在のような分散されている形でも、十分目的を果すことが可能になるではないかと考えます。  それから研究に関しますることについてちよつと申し上げてみたいと思います。私考えまするのに、科学技術というものだけでも——先ほど申しました天然資源を管理いたします場合におきましても、その仕事に対する責任の所在を明かにしておくと申しますか、それに対して十分責任を負えるような形態をとらなければならないと思います。それでありますから、たとえば科学技術の研究というような問題につきましては、やはり十分責任をとれるような形態が必要だと思うのであります。非常に多くのものを集めました総合的な研究ということになりましても、その研究なら研究所あるいは研究機関を管理しております人が、それぞれの仕事の内容について十分責任を負えるということが必要だと思うのであります。また数がふえましてもその内容を十分理解できる限界と範囲はあると思うのであります。結局それらの研究機関が研究の成果と十分あげ得る範囲内で初めて目的が達成されるのでありますから、相当これは分散された形で存在してもさしつかえない、そうあるのがむしろ常道ではないかと思います。その意味から申しまして、私はこれを統制いたしますために、科学技術省というような考え方もあるのでございますが、こういうのはあまり利益がないのではないかと思われる次第でございます。  日本学術会議の問題でございますが、私はこれは全体の科学者あるいは技術者というものから選ばれた一つの組織でございますので、これが日本全体の科学技術を進展させ、行政の面に浸透させるような、結局日本の生活を科学的にし、技術的に水準を上げて行くというのが目的でございますから、これは一つの別の機関で、完全に独立した機関として存在するのが当然だろうと思うのでございます。私はこれは現在の形体がよいのではないかと思つております。それに付随いたしまして科学技術行政協議会というものがございますが、この点につきましては、私実際申しますと、この科学技術行政協議会、国土総合開発審議会、これに資源調査会、大体相当科学的あるいは技術的に見ておりますのに、このような機関があるわけでございますが、これにつきましては、これができましたときからのいろいろないきさつもあると思いますが、多分にそれぞれの仕事が進展して参りますと、かなり重複しているところはあると思うのでございます。たとえば国土総合開発審議会と申しますのは、これは地方から自然的に起きて参ります開発計画というものを検討して、これに順位をきめ、実施に移すように勧告して行こうというのでありますし、資源調査会におきましては、これは日本の資源というものの保全利用ということにつきまして、自分の意思で適当な問題、適当といいますか、必要と思われる問題を摘出して、これを政府に申入れ、勧告するという形でございます。それから科学技術行政協議会と申しますのは、これは日本学術会議と密接な関連を持つておるのでございまして、会議あるいは各省からの意見を、問題が起きました際に、科学的に調整すると申ますか、それをいたしまして、行政に反映させるというのが目的でございます。それでございますから、個々のものにつきましては、これははつきりとそれぞれ目的を持つておりまして、形は違つておるわけでございますが、これは仕事を進めるとでも申しますか、仕事が進展して参りますと、多分に重複するというようなところが出て来ると思うのでございます。たとえてみますれば、国土総合開発審議会におきまして、開発計画を検討いたします場合には、やはり検討するために何かものさしがなければなりません。そのためにこのものさしをつくる作業が必要になつて参ります。たとえば科学技術行政協議会におきましても、一つの問題が起きました場合に、その問題について現在ただちに解決できないものがございますが、そういう問題につきましては、自分自身で調査研究もしなければならないというふうな段階になるだろうと思います。現在そういうふうな仕事もそれぞれの機関でやつておりますが、そうなつて参りますと、それぞれの間にかなり重複するというようなところも見受けられるのでございまして、これはやはり何とかひとつ調整して行くことが必要ではないかというふうに考えております。とにかく資源の開発問題を考えるに当りましても、私は日本が以前におきましてそういう問題について考えておりましたものよりも、非常にその條件が現在ではむずかしくなつておると思います。とにかくこの問題は八千四百万人にもなろうという人口をこの小さい四つの島に收容して行く、しかも国際的には非常にむずかしいいろいろな問題が起きておりますときにおいて、しかもその資源を枯渇させずに浪費させずに——浪費といいますか、あるいは使い方の悪いことによりまして将来非常に早くその資源を枯渇させてしまうというようなことになるおそれが私は多分にあると思います。そうなつて参りますと、これに対する処置というものも十分に考えなければならぬと思います。現在におきましては、私はむしろ基本的な問題におきましては、以前よりも非常に増大しておるのではないかと思うのでございます。そうなつて参りますと、あえて機構を縮小するとか、人を減らすとかいうことのみよりは、もう少しその後の環境、條件というようなものを十分取入れてお考え願つたら仕合せと思つておる次第でございます。簡單でございますが、私が考えておりますことについて申し上げた次第であります。

木村公平自由党

○木村委員長 御質疑はありませんか——他に御質疑がありませんければ、この程度にいたしておきます。参考人の方にはたいへん御熱心に貴重な御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。     午後二時三十八分散会

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