人事委員会 第10号
- 発言数
- 72 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1950/02/24
会議録
○星島委員長 これより人事委員会を開会いたします。 ただいまより国家公務員の職階制に内する法律案、及びこれと関連いたしまする国家公務員法の附則第九條による試験に関する件を一括議題として、審査及び調査を継続いたします。お申込み順により発言を許します。柳澤義男君。
○柳澤委員 私はもつぱら職階制に関する問題につきまして、特に今回の原案の中に、官職と申しましても、特殊なものがあると考えられるのでありまするが、これに関する特別な例外的な規定というものが見当らない。そのことにつきまして政府がどうお考えであるかということを、これから二、三の点をあげまして、お尋ねいたしたいと思います。ことに私がただいまお尋ねいたしたいのは、研究に従事する国家公務員、これをかりに研究公務員と申し上げることにいたしたいと思いますが、この研究公務員は一般公務員とその性質が異なりまして、職務と責任ということにつきましても、まつたく特殊の性質を有するものではないかと、かように考えます。ことにそのうち分類の方法を考えて見ましても、研究公務員は申し上げるまでもなく、学術の先端を行くものとして、常に新しい分野の開拓を行うのを使命といたしております。学術分野に、総合とか創設ということが絶えず、しかもきわめて不規則的な時間間隔をもつて繰返されるというのは、当然であります。またこれらの多くの研究者が、個人能力によつて支配せられる素因を多分に含んでいる特殊の点がございますので、個人を離れた官職という概念によりまして分類を行おうとする、一般公務員の官職分類の方法をそのまま適用するということは、不合理ではないか、こう思われるのであります。これは一例でありますが、たとえば中央気象台の研究員の増山博士という方が、独創力によりまして、気象学と統計数学と医学との間に、まつたく新しい学術分野を開拓して、一九四八年に朝日賞を得ております。このようなことは学術研究の進展伴つて、今後も常に起る問題であると思うのであります。こういう場合に官職という一定のわくで、研究公務員の研究の範囲と負荷する任務を規定するようになりますと、このような新しい学問の発展ということが、まつたく押えられてしまうおそれが多分にあるのではないか。またこういつた新しい学術分野は、その人個人に従属する。従つてその人が職を去つたような場合には、他の人をもつてただちに補充するということは、非常に選択性が強くて困難であります。そういうことになりますと、この官職というものは非常に意味が薄くなる。こういうような観点からいたしますならば、今回の職階制法案について見ますと、官職の分類の基準が、官職の職務と責任という点に置かれてありまして、職員の有する資格、成績、あるいは能力ということではないとおつしやられておりますけれども、従つてこの法案で行けば、個人を離れた官職というものは考えられないことになる。研究公務員につきましては、このままこの法案を適用すれば、ただいま申し上げたような特殊の性格をいかようにして取入れるか。その適用に非常に困難を生ずる場合が予想されはしないかと思うのであります。この点につきまして政府はどのようにお考えになつておられるか。これを承りたいのであります。 それからもう一点、格付という問題でありますが、この格付という点につきましても、研究公務員の仕事は申し上げるまでもなくきわめて複雑多岐、しかも高級專門的なものが多い。加うるに相当長期間を経過しなければ、その実績を正確に把握することの不可能な場合が多々あるのであります。一般公務員の場合のように、單にその仕事の量、質というものを計量することが、非常に困難であります。むしろときには不可能という場合がままあろうと思います。一例でありますが、先般ノーベル賞を受けられた湯川博士のごときにしても、有名なその中間子に関する論文の発表ということがあるまでは、その研究者としての真価というものはほとんどわからない。だれもが判断することが困難であります。その間はまつたく不遇な状態に置かれておる。これと同様でありまして、研究公務員の仕事の量を判断する、その質を判断するということは、一般公務員の場合と非常に異なる特殊性があろう、かように思うのであります。しかるにこれを今回の法案によりますならば、官職の格付は、職務の種類及び複雑、その責任度というものを表わし、そういうような要素のみを基準として行わるべきものであるということになりますと、こういう研究公務員に最も必要な研究能力、あるいは研究能力判断の資料となるところの研究業績というものの基準が置いてない。こういうようなことでは優秀な研究者として、専門部員として、長い間活発な研究を続けるという意欲を、非常に押えることになりはしないか。かように考えまして、この格付の基礎につきまして、政府はこの点をいかようにお考えになつておられるか、これが第二点であります。 さらに私はもう一点、研究公務員の特殊技能に対する待遇方法につきまして、この職階制がいかように適用せられるかという点を、お尋ねしたいのであります。研究公務員の中には、普通の研究者が全力を盡しても達せられない。普通の水準をはるかに拔いたところの境地に達する言葉をかえて言えば、世界的とか、国宝的とか、あるいは名人芸というようなところまで達することを必要とする。これがあつて初めて研究公務員の存在価値が認められるというような場合が多々あるのでありまして、むしろこれを国家は最も尊重しなければならないのであります。あるいはまたその研究者の背後にあつて助成をすべき、名人芸のような一つの特殊技術を持つて、研究の成果を大ならしめる素因となる、そういつたような技術者があることは、いまさら申し上げるまでもないことであります。こういうような国家的の研究者とか名人、あるいは超特殊技能者に対しまして、その能力と業績に対する待遇を與えることが必要であろう。いわゆるイコール・バイ・フオア・イコールワークという原則に従うことは、当然のことであろうと思うのでありますが、この職階制の実施にあたりましては、それらの点を政府はいかに織り込まれるのでありましようか。この点私はこの法案によつては、はなはだ遺憾ながらこれを実現することができないのではないかというような、大きな不安を持つものであります。これらの点からいたしまして、この職階法のただいま御提出のこの案をそのまま適用する。すなわち一般公務員と同様に研究公務員を処遇するということになりますと、まことに不合理な結果を生じはしないか。文化日本建設の先駆をなさなければならない研究公務員に対しましては、最もふさわしい人事の運営方式を確立いたしまして、研究の進行をはかるために、研究公務員に対してはこの法律をこのまま適用することのない、何か特別な規定を挿入されるか。あるいは別に研究公務員職階制に関する特例法とでもいうべきものを、別に御制定になるというようなお考えはないでありましようか。ここに御提出の職階制というものが、制度というよりは、むしろ官職を分類整理する、それの計画であると仰せられるにおきましては、なおさら現実に存在するところのこれらの実体に対しまして、この特殊性を生かしたところの分類整理の計画が、別にあつてしかるべきではないかと思うのでありまして、この特例に関する法律御制定の御意思ありやいなや、これらの点をお尋ねする次第であります。
○山下(興)政府委員 ただいまの柳澤さんからの御質問でございますが、研究公務員というのは、なるほど職階制をつくります上に一番むずかしいものでありまして、私自身が十年以上も研究に従事しておりました関係上、今おつしやいましたことは十分に了解できると思います。しかし格付をいたしますのに、たとえば職階制というものが四つなら四つある。それに一人ずつをどこの級に持つて行くかというような格付でありますなら、それは困難であると思います。しかしこの職階法での格付というのは、仕事の性質によつてずつと全部の人を並べてみまして、そうしてこれでどこで区切り得られるかということを考えるのであります。そこである職階、ある職級ですと、五つも六つにも区切ることもあります。またどうしても区切り得ない。たつた一つしかなくて、区切り得ないというものも出て来ましよう。それで今の研究のものは、たとえば助手と研究者といつたように、ただ二つぐらいにわかれる場合もありましよう。そうするとその一つの研究者というものので中では、やはり年限とか、今までのいろいろの業績とか、その他を考慮に入れて、給與や何かをきめるということになるかもしれません。これにつきましては、ほかのものとずいぶん違いまして、たとえば大学の教授とか研究者とかいうものは、相当特異な存在でありますから、これは大分前から職階課の方と研究の方の方とは、密接な関係を持つて研究を進めておりますが、なおこれから先も十分に研究いたしまして、都合の悪くないようにこれを格付したいと思います。 これはただに格付の方法だけでございますから、その格付というものが特殊な行き方で行けますから、別に何も困ることはなく行けると私は信じております。そういう次第でありますから、この際研究者の特別な公務員法といつたようなものをつくる必要はないと考えております。
○柳澤委員 ただいまの御説明では、実は私は非常に徹底しないのであります。格付だけで、すべてのそういうような、先ほど申し上げましたいろいろな特殊性を包含できるというお話でありますけれども、そうすると一つのクラスの範囲が非常に広くても認めるか何かしませんと、この超特殊的な技能を有する者などの処分が、今の御説明では実際問題としてさしつかえが生ずるのではないか。まつたくそのわくの中に押えてしまうのではなかろうか。こういう不安を持つのですが、その点はおさしつかえなくできるというお見通しでございましようか。
○山下(興)政府委員 実はその通りでございまして、極端な場合になりますと、一つの職種が一つの職級しかないという場合も考えられる。上から下まで一つの職級だということは、これは格付しなかつたということと大差がないことになるのです。しかし研究公務員でありますと、大体は二つぐらいにできるのではないかと思うのです。たとえば助手と研究員、こういうような大きなものにできます。その中の給與はどうするかというと、給與の問題はまた別でございまして、年数ということも考えられましようし、その人のふだんの業績の上からも考えられましようし、それによつて給與をピンからキリまでこしらえるということになるわけでございます。それで非常に極端な場合には、たつた一つということもあり得るのでございますから、どんなものでも扱えるというところに特徴があるのでございます。それで職級というものはきまつたものではない。人間を集めてみて、それから一体どこで仕切りができるだろうかということを考える。仕切りができなかつたら一つであり、一つの仕切りができれば二つの職級ができるというところに、——普通の格付という考え、たとえば米の一等、二等、三等というようなものと全然違う。同じ格付という字を使つてありますけれども、全然職階の格付は違う性質を持つておるから、どんなものでも片づけられるという気持でございます。しかし非常にむずかしいことはおつしやる通りで、表面に現われない、その人のうちに持つておる。だから見つけるというようなことは、なかなかこういうことではできませんかち、その場合には普通の今までの研究者と同じ扱いになるわけでございます。そこのところは御心配なくてよろしいと思います。
○柳澤委員 ただいまの御説明でございますが、極端な場合は一つ、あるいは二つにわけられる場合もあるという話になりますと、一つに区切るなら、ないと同じでありまして、職階制を定める意味がない。まつたくこれからはずれると同じ意味になりはしませんか。つかまえどころのない格付とか職階とかいうことは、むしろ除外したと同じ結果になると思うのでありますが、それでもやはりこれに押えて行かなければならぬものでありましようか。
○山下(興)政府委員 今柳沢さんの言われますように、極端な場合はただ一つ、二つということは、ないも同じことじやないか、その通りなのであります。しかしそれは極端な場合であります。それが八つにわかれる場合もある、六つにわかれる場合もある今のように極端な場合に行くとたつた一つしかない。そうするとなくてもいいじやないかと言われますが、その通りであります。しかしそれは特殊な場合をつかまえると、そういうことができるということであつて、そういう意味は、すべてのものを包含し得るということにもなるわけでございます。
○柳澤委員 私のお尋ねするのは、今お話のうちの特殊な性格を持つ場合だけでございます。一般の公務員、一般のこの基準によつてその複雑性と責任の度合いによつて区別できるもの、客観的にこれを観察して、区別することの容易なるものは言うを待たないのですが、研究公務員のねらいは多くはいまだ探し当らないものを探すというのが研究のねらいでありまして、国家が公費をもつてそれらの制度、設備を設け、それらの特殊技術者を養成し、あるいは研究に従事させるもの、それこそいわゆる超特殊性を期待すればこそであつて、何も一般のわくにはめられるような、七つにわけ、八つにわけられるような範囲のものを期待しておるのじやない。ただいまおつしやられるのは一般公務員についての説明とすれば、まことにけつこうでありますけれども、この研究公務員の場合は先ほどおつしやられましたように、また私が先ほどお尋ねいたしましたような特殊な点が全部である。常に区切ることを得ない特殊性を持つ、それが研究公務員なのである。だからこの中に何でもかんでもはめて行くということになると、そこに先ほどおつしやられましたような非常にむずかしい問題が常に残つて来るのじやないか。あたりまえのことだけを研究しているのは、これは研究者ではありませんで、あるすでにわかつておる事態のことをただ繰返しておる職工にすぎません。そこに特殊の地位、研究公務員、研究者というものの特殊性がある。これをはつきり区別されるのが本来じやないか。かように考えてお尋ねしておりますので、一般公務員の場合と違う。今おつしやられた特別な事態の発生することを対象としたことをお聞きしているのです。
○山下(興)政府委員 柳沢さんの言われることは、私はよくわかつているつもりでございます。ただ研究公務員でも、先刻申しましたように助手と研究員というくらいのことはわけ得るのであります。ですから二つとか三つとかに大別することはできるのであります。もしもこれを普通に四つとか五つに必ず職級はわけろ、それを責任とか何とかによつて、必ず四つに分類しなければならないということにきまつておれば、それは非常に不都合が起つて、研究着の中でそういう責任の違いはないじやないかということは、そのままその通りでございます。しかしそういう特殊な研究者ということで、たとえば一つにするということは、今までと同じだということになる。それだから何ら不都合のないように、仕切り方によつて、職級のきめ方によつてできます。結局内容から見て仕切らなくちやならぬ。職階法には職級をきめます上に、そういう特殊性があることをお考えくださると、何も不都合は実際には起らないと私は信じます。
○柳澤委員 どうも同じお答えをいただいてもしかたがありませんが、私はただいま助手と研究者ぐらいにはわけられるのではないかとおつしやられる例についても、その研究者というものをわくに入れて押えておくことが、不思議でならぬ。かように申し上げるのでありまして、私どもはどうもその点について、研究の向上ということは、先ほど申し上げたような特殊性を十分に発揮させるためには、今おつしやられたように、助手と研究者にわけたのでは、これは研究者という範囲が何もきまつていなければ、ないにひとしいのでありまして、本法において特にこれらについて考慮すべきものであると考えるのであります。これを政府におかれまして、より一層御研究になつていただきたい。かように御注文申し上げておきます。
○山下(興)政府委員 今おつしまいましたところよくわかりますから、できるだけ研究いたしまして、将来の研究に何らの支障のないようにいたします。またそれをきめます前に、十分に研究者と御協議いたしまして、御都合の惡くないようにとりはからうつもりでおります。
○柳澤委員 これはただいまのお話で、政府がさらに御研究くださることにつきまして、よくわかりましたが、それについて研究者となおともに研究されるということでありますが、日本学術会議等においても、この点につきましてはいろいろ研究されているようでございますので、そういう機関の調査研究等もぜひ十分政府において御考慮願いたいと思います。これで打切ります。
○藤枝委員 私は先般行われました国家公務員法附則第九條による、いわゆる高級官吏の試験の問題につきまして、お尋ねいたしたいと思います。結論から申しますと、あの今般行われました試験問題について、人事院はこれを全部公表されて、そうして一般の世論の動向を見られることが、妥当であると考えるのであります。当時試験が行われました後に、新聞その他で試験の一部が発表されまして、それが正しいのかどうか。私どもにはまだわからないのでありますが、それでいろいろと論議の種となつております。おそらく人事院の皆さんのお耳にも、反対というような意味の言葉の方が、多く入つておられるだろうと思うのであります。いずれにいたしましても、そうした論議の種になつておりますのは、一部だけ新聞その他で発表していることは、この試験問題全体についてのいろいろな疑惑を招き、あるいは問題を起しているでありますので、出された試験問題全部を発表されまして、かような理由によつてこういう試験をやつたのだということを、はつきりと公表されることが妥当であろうと思うのであります。ことに浅井人事院総裁が、回答の中で出題者の予期に反して、その他の回答が非常に多ければ、その試験問題は無效にする。あるいはその回答が多かつたものを正解とするというようなことまで言われていることが、いかにも何か人事院の試験問題について、自信のなさを暴露しているように考えられるのでありまして、そういう点からいたしましても、発表されることが妥当だと思います。ことに一部発表された。これはそれが正しい表現であるかどうか、われわれにわからないのでありますが、発表されましたところの試験問題を見ますと、答案を引出すためのもう一つの前提條件とでも申しますか、そういつたものがないために、條件の立て方いかんによりましては、AでもBでもどちらも正しいと考えられる試験問題があるように思うのであります。浅井人事院総裁の先ほど申しましたようなお言葉も、おそらくそういつた点からも生れて来ているのではないかと思うのであります。それらを誓えますと、やはりかような意味において、かような條件のもとに、われわれはこういつた試験問題を出したのだということを、はつきりされることが必要だと思うのであります。そういう隠れた條件と申しますか、出題の中に出ていない、そういつた條件のいかんによりまして、答案が違つて来るということになりますと、なるほど今回の試験のような形式は、採点の上においては非常に客観性を保つておられますけれども、出題そのものに非常に主観的な問題が入つて来るということが言われるのでありまして、常に人事院が言われている科学的、合理的という点からいたしましても、この点を千分世間に発表されまして、人事院の真意を世に問う方が妥当であろうと私は考えるのであります。何か一部承るところによりますと、試験問題をつくるのが非常にむずかしい。場合によつてはこの出された試験問題の中の一部は、さらに今後の試験にも使わなければならぬから、発表することはさしつかえるというような御意見もあるように伺うのでありますが、これは形式的に申しますならば、人事院はそういつた試験問題をすでに三年もかかつて、いろいろと研究されているのでありまして、百題や、二百題、三百題の試験問題をつくる能力がないとは、とうてい言えないと思うのであります。そういう点から言いましても、今回の試験は今回の試験限りで発表されまして、またもし他に追加試験その他で用があるならば、それにふさわしい試験問題を出されたらいいだろうと思うのでありまして、追加試験をやるから、ことに試験問題の中にはこれをほかにまわすからというような意味で、試験問題を発表されないということは、理由にならぬと考えるのであります。また業種別と申しますか、專門別と申しますか、その試験問題に至りましては、相当議論が多いようであります。一般的な第一次の試験問題以上に、議論が多いようであります。一部をわれわれが拜見いたしましても、なるほど問題が起ると思われるようなものがございます。あるいはつの笑い話みたいな話になつておりますが、アメリカで一番大きな大学はどこかというような問題になりましだ、一体人数が多いのか、設備が大きいのかというようなことも、問題になるのじやないかということでありますが、それ以上に、たとえばアメリカで一番大きいと言えばコロンビアだという一つの常識——ちようど日本で一番大きいのは東大だというような意味の常識があるそうでありますが、そういつた常識を高給官吏の、しかもそれが一般の資格試験ならばいいのでありますが、三人を選ぶ試験をするのにそういつた問題を出すのが、はたして適当であるかどうかという問題が出て来ると思います。試験問題に対するいろいろな批評が出て来るのも、試験問題そのものを批評して、妥当であるかどうかという議論はいろいろあると思います。しかしあの試験を課しまして、その中の三人の任用候補者を選ぶ試験だという、この二つをかみ合せて考えますときに、あのような試験問題がはたして妥当であつたかどうかということは、非常に疑惑なきを得ないのであります。そういつた点を考えまして、全部公表されるのが妥当だと思いますが、人事院の御見解を承りたいと思います。
○山下(興)政府委員 ただいまの藤枝さんの御質問にお答えいたします。御承知のように第一次試験というのは、一般行政能力があるかないかということを、全部に対して調べたのであります。第二次はその専門に対して、最低の知識を持つておるかどうかという調べ方でございますから、性質がまつたく違つておるのであります。それで第二次の試験の問題につきましてはいろいろ批評がありますが、これはごもつともなことだと思うのでありますが、大体二千六百種類もの指定官職に対しての試験でありますから、やかましく言えば二千六百種類の試験をしなければならないということになるわけであります。しかしそういうことはとうてい不可能でありますから、これを大体六十にわけまして、その中で試験をする必要がないものを考えて、結局違う試験をしようと思つてしたのが四十五種類であります。その各四十五種類に対して、八十問ずつ出したのであります。第一次のものは九十問でございます。これくらいたくさん出しませんと、その人の能力がわからない。いろいろな方面から探りを入れた試験問題でありますから、ちよつとごらんになるとどれも同じようにお思いになるかもしれませんが、やはりその人の一般行政、いわばその人の組織の力がどうだとか、あるいは監督の力がどうだとか、あるいはまた予算なんかの能力はどうだとか、いろいろな方面から深まりを入れて試験をしておるのであります。それで中にはちよつとごらんになつたら、おかしいというような問題も入つております。ことに第二次にはそういうものも含まれておることも、これは一つや二つの問題ではなく、たくさんの問題の集合であるということをお考えくださると、御理解願えるだろうと思うのであります。そうすれば二千六百種類こしらえればいいではないかと言われるかもしれませんが、かりにそういうものをこしらえますと、よそから競争して入つて来ようという人を、全部遮断することになります。そこに現在おる人しか試験に通らないということになると、試験の意味がないから、それを四十五種類に大ざつぱにわけたのであります。ところがそういたしますと、やはり種類の違う課や局をまとめてやるわけになりますから、この問題はそのどれを考えましても、きれいに適切な問題はないということになつて、まずそれの共通の基礎となる知識を持つておるかどうかという調べ方にしかならないのであります。その点から考えますと、問題は必ずしも適切でなかつたということは言い得るのでありますけれども、これはどうもやむを得ない次第と御了解願いたいと思います。それで実は発表もしたいのでありますが、発表するとなると、こういう問題を出しましたという発表だけでは、何らのおもしろみがないのでありまして、どれが正当な答えであつたかということを同時に申し上げないと、意味がないのだろうと思います。ところがそれは非常に採点に骨が折れます。そこで今藤枝さんのおつしやつたように、総裁が言つたことに対して疑惑の念が起るだろうと思いますが、ただたくさん答えが集まつたところがいいのだ、多数決だといつたようなのんきな考えは、決して持つておりません。それで少くともすでに発表しましたのについては、近い将来こまかな、どういうふうな答えが集まつたかということを御説明申し上げたいのでありますが、追試験が多分五月にありますので、追試験前にはなるべくしたくないのであります。追試験というものはできるだけ公平にしたい。今でも追試験の人は多少利益を得ていはしないか思います。ですからそれについてどれだけのウエートを考えたらよいかということは、ずいぶん苦心しておつたのでございます。それで追試験した人と今までした人との間に少しも公平を欠くことのないようにしたいということが一つ。もう一つは試験を受けた人が、自分は一体パスしておるだろうか、パスしてないだろうかという見当を立てられると困るのであります。見当が立つような発表の仕方が非常に困るということは、自分はどうも落第したらしいから、今度はしかたがないから民間の口でも探そうということになつて、口探しに方々歩かれることになりますと、行政の運営に非常に大きな支障を来すわけであります。それで問題は決して漏れないこと、どんなことがあつても五月なり六月なりまでは、どんなにしても漏れないということが、私が今度の試験に一番重点を置いた点であります。それで長い間考えたあげく、相当困難な複雑な方法でありますけれども、決して漏れないというくふうを考えたのであります。それはどうかと申しますと、人事院の中の一人もその結果を知らなかつたら、その漏れようがないのでありますから、いよいよ発表をするというときまで、人事院の中でだれ一人成績がわからないような方法を講じようというのでそれをやつております。それでありますからもしもこれが漏れたりしたことがあつたら、これは全然デマだとお考えくださればよい。なぜかといえば、人事院の中で知らないのでありますから、それでそういう二つの大きな問題が、通つたとか通らないとかいう予測をつけさせないということと、それから第二次試験があるから、第二次試験の人に最初の試験の人が不公平でないように、こういう二つのプリンシプルのもとに立ちますから、どうも簡單に発表が困難なのでございます。しかしすでに発表しました四問題については、できるだけ早く御説明したいのでありますが、これもやはり四月末くらいまでに研究にかかるのでございます。それではどんな試験の点のとり方をするかということを、ここでも隠しておるようなことは、これはよろしくない。何とかして採点の方法を皆に了解していただきたいと実は思うのでございます。それで少し古いのでありますけれども、今度の試験よりもちよつと違いますが、同じような採点の方法をいたしたものを、もし御希望であるならここで発表いたしまして、どういう採点の方法をしたか、またこれから先も問題をどういうふうに採点をするかということを申し上げますと、総裁からの話を理解していただく上からいつても、非常に有数だと思うのでありますが、いかがなものでございましようか。発表いたしましようか。採点の方法を御説明いたしましようか。どうしましようか。十五分くらいいただきますとたいていできると思いますが……。
○藤枝委員 山下人事官の前半のお答えは、むしろそのまま人事官にお返ししたいのでありまして、そういうことであるから、むしろ全貌を発表されることが必要なので、一部の発表があつて、いろいろ誤解があつて、あの試験に対する権威を疑われております。従つて全貌を発表して、これだけの用意と配慮とをもつて、これだけの問題を出したのだということが発表されれば、あるいは世間は納得するかもしれないのであります。そういう意味で、むしろ私は部分的な発表でなくて、全面的な発表、しかもその出題の意思というもの、こういう意図のもとに、こういう配慮のもとに出題したのだということを発表されることが妥当だと私は考えるのであります。今お話の前の五級、六級の試験の問題を発表されるということよりも、あの附則九條による問題が、国の次官以下の高級官吏を、しかも三人の任用候補者を選ぶために、妥当であつたかどうかということが問題なのでありまして、人事院が今やつておられるような試験のやり方、あるいは採点の方法が問題なのでなくて、たつた三人の任用候補者を選ぶための——もちろんそれは人物考査や何かも加味するとおつしやるのでしようけれども、少くともその選ぶための重大な要素になるところの試験問題について、三人の任用候補者を選ぶというその試験のために、妥当であつたかどうかという問題なのでありましてもちろん第一次試験が一種の行政能力の試験であり、第二次の試験が一種のそれに必要な知識の試験であるということは、私どもも知つております。ただそれが資格試験であるならばまだいいのであります。たつた三人の一つのポストに対する任用候補者を選ぶ試験として、妥当であつたかどうかということが一番問題になると思うのでありまして、その意味で、むしろ今度の試験の全貌を至急に発表されることが必要だと思うのであります。ことに追加試験があるからというお話でありますが、おそらく受けた人たちは、こういつた試験を受けたことを発表することは、あるいは人事院におしかりを受けるのかもしれませんけれども、以心伝心と申しますか、あれはこつそり発表されると思うのであります。そうしますと、むしろそういつた試験を受けた人に接触を持つ人たちだけが試験の内容を知つて、そういつた人に接触を持つ機会のない一般の民間の人一は、あくまでそういう試験問題を知る由もないのでありまして、非常に不公平に相なる。従つてむしろ全貌を発表いたしまして、今度の追加試験にはまた別の観点から——もちろん類似の試験問題は出来ることになるだろと思いますけれども、新たな問題を出された方が妥当だと私は考えるために、至急に発表された方がいいと考えるのであるのであります。
○山下(興)政府委員 第一次の試験は、全般に行政能力を試験するためにやりましたので、これは非常に長年の間考えまして、実はおもにアメリカでありますが、アメリカでこれをずいぶん研究しました結果、この一つずつがどれだけ効果的であるかということをこまかく研究いたしましてその答えがどういうふうに集中しているかという模様から何から全部カードに書きまして、この問題はこういう場合には非常に有力である。よほど有効であるというようなことの立証をされた問題を選びました。それで、実はこれは大部分私どもの方でつくつたのではありませんで、頂戴したのでありますが、第二次の方は必ずしもそうではない。日本でもずいぶんたくさんつくりました。それでその問題がいいものであるということは、申し上げても間違いないと思います。ただこれを急速に発表しろと言われましても、どんなに骨折りましても、今のただ採点をするということでありませんで、要するに今の集中ぐあい、それからその問題がはたしてよかつたか悪かつたか。その解答がたとえば五つのうちのどの解答がいいかわれわれは三がいいと思つたけれども、集中するのは割に五の方に集中しておつた、それでは三がいいのか、五がいいのか。こういうものを調べます調べ方でも、簡單に五の方にたくさん集中しておつたから、それでは五を正当としようというようなのんきなことを考えておらない。一つずつ試験の答案のうちからよくできたのと、悪い成績のものと、その中間のものと、大体百人くらいずつとりまして、それがどういうふうに答えてあるかということを研究するのであります。それでたとえば五の方は成績の悪い人が集中した。三の答案に対してはいい人が割合集まつた。こうなるとそれは数が五の方に多く集まりまして、それは三つの方が正しいということになるのであります。これはわれわれの方は出す以上は、はつきりこれが正しいという答えは持つておるわけであります。しかし藤枝さんが言われますように、この言い表わし方によりまして多少わからないので、誤りやすいような言い表わし方がありますから、それでもしかしたらこの三も、あるいは五もよかつたかもしれぬ。それは集まりぐあいによつて研究するのであります。それほど簡單にどつちをとるか、多数決でとるというようなことは全然考えておりません。それでそういつたようなこまかい採点の仕方を、もしも御希望ならば御説明申しましよう。但し今のを早く発表しろと言われましても、そういつたようなこまかな研究がいりますから、それで四月末までには、おそらく採点の最後のところまでは行き得ないと思います。ですからそれまでお待ち願うのはあまりお気の毒だから、何とか採点の方法を御説明申し上げたいと思つております。
○藤枝委員 私は採点の方法とか、その結果について発表したらいいということを申し上げたのではなくて、人事院としては今までも人事官のお話のように、少くともこの問題についてはこれが正解だという自信を持つて出されたと思うのであります。従つて人事院としてはこれこれの問題を、しかもその答えとしてはこれが正しいとして出したのだという、それを発表して行つた方が、この試験問題に関するいろいろな疑惑や問題を一掃するのに、妥当であるというふうに考えるのでありまして、その結果、問題を人事院がいろいろと検討されて、あるいは将来の試験の問題としての再検討をされるとか、そういつた問題を申し上げているのではなくて、人事院としてはこういう意図のもとに、こういう配慮の下に、こういつた問題とこういつた答え、行政能力を判断するためにあるいは九十題、あるいは八十題からございまして、行政能力なり、行政知識を判断するのに妥当と考えてやつたのだということを発表されることによつて、あるいは人事院の考え方が間違つておつたという批判もありましようし、これならば人事院として試験問題としては妥当な問題だということになるかもしれません。そういう意味で人事院が出された問題の全部を発表して行くのが妥当であるというように申し上げたので、決して答案の審査の方法、あるいはその結果等を発表していただきたいというように考えているわけではないのであります。人事院が自信を持つて出されたその問題なり、その答案なりというものを今発表することが、どうして支障があるのか、その点をさらに御説明を願いたいと思います。
○山下(興)政府委員 その点につきましてはさきに申し上げましたように、追試験がありますから、追試験の練習に対してある利益を與えるというような結果になることをおそれております。それでそういつたようなことは、もしできますならば、これを追試験後に発表したい。そしてあとでどういうふうな成績になつたかといつたような、すなわち任用候補者名簿、そういうものをお示しして、試験についてできる溶けの詳しいことを御説明申し上げたいと実は思うのでありますが、今はその時期でない。何よりも受験者に対する公平ということが人事院の使命であつて、どうしても公平でなければならぬという立場に私どもは立つておるものでありますから、そのことは今すぐ発表することは困難でございます。
○藤枝委員 公平の問題ですが、これは先ほど申しましたように、とにかく今回試験を受けられた人に相当接触を持つ立場にある人は、むしろ各受験者から聞く機会が非常に多いのでございます。それを発表するのは、人事院であるいは禁止しておられるかどうかは別問題として、事実上そういう人は相当聞くと思うのであります。しかもそれ以外の人はそれを聞き得ない。そうなるとなるほど第一次の試験を受けた人たちと追試験を受ける人との間のウエートの問題はありましよう。しかし追試験を受ける人たちの間の公平という問題になりましたら、むしろ全部を発表して、違つた問題を出す方が公平なのでありまして、発表せずにおいて、しかも受験者に相当接触のある人たちは、相当の全貌を知り得る立場にあるのであります。そういう点はもちろん公平の原則から言えば、追試験を受ける人たちの間の公平を非常に阻害すると私は思うのでございますが、いかがでございますか。
○山下(興)政府委員 そういう考え方もございましようが、私どもが思うと、追試験を受ける人で、近く帰つて来る人もありましようし、それから五月にならないと帰らない人もありましようし、いろいろな状態にありますから、それが全部同じようにその知識を得るということも困難でございます。そうしてまたそれを発表しましても、われわれはこう思うておつた正答が、こう思つておつたというだけであつて、ほんとうの正答はどこにあるか、採点の基礎はどこにあるかということは、今のように研究を積んでからでないとわからないのでありますから、そういう生のままのものを世の中に出すということについては、差控えたいと実は思うのであります。
○藤枝委員 どうもこれ以上いろいろ申し上げても違うようでありますが、ただ私どもとすれば、あの試験の問題をめぐりましていろいろの疑惑の点や非難の点、あるいは賛成している人もあるかもしれませんが、そういう点であの試験そのものの権威について、相当の疑問を持たれておることが非常に遺憾だと思うのであります。そういう点からいたしまして、至急に発表されることの方が、あの試験を重からしめるゆえんだとわれわれは考えておるわけであります。この点につきましてはなお十分御検討をお願いいたしたいことを希望いたしまして、私はこれ以上質問を続行することをやめますが、ただこれに関連いたしまして、実は個人的な問題を申し上げて恐縮でありますが、例の上野人事官が公務員のあり方というパンフツトを出されまして、これがあの試験のまぎわに、相当の広告を各官庁方面にされたということがあるのであります。もちろん上野人事官個人は、御関係なすたつことではないと私も信じます。ただ出版社の方があるいはそういつた点をやつたのだと思いますけれども、少くともはがきの広告までが各官庁等に配付され、しかも人事官の公務として、その広告を取消すというはがきをさらに出されたというようなことを知つておるのでありますが、とにかく試験について世間が非常に注目しておりますときに、そういつた試験のやり方等について、ある暗示を與えるがごときパンフレツトを、当の責任者である人事官が出されるということについては、少くとも不謹愼だということは免れないと思うのであります。上野人事官につきましては、前に人事委員であつた赤松委員から、例のベースの改訂の問題についての国会無視の問題が指摘されまして、この問題については浅井人事院総裁が当委員会に報告されることになつておりますが、まだ報告になつておりませんけれども、そういつた点で、少くとも人事行政の最高峰におられる人事官のやられたことについて不謹愼な、いかにも配慮のないやり方が行われたということが、何かこの試験を当てにして、ああいつたパンフレツトを売り込んだのじやないかという疑惑さえも持たせるということは、人事官として大いに愼まなければならぬと思うのでありますけれども、この問題につきまして、人事院としてはどのようにお考えになつておりますか、その点を御質問申し上げたいと思います。
○山下(興)政府委員 ただいま上野人事官の著書の問題についてお話がありまして、これが世の中の疑惑を招いたことについて、実はまことに残念に思つておるのでございます。しかしこのことにつきましては、上野人事官個人の問題でございまして、その間の事情がどういうことであつたかということを、十分に知らないのでございます。適当な時期にまた御本人から直接お聞き取りを願いたい。私どもとしてはとにかくにこういう疑惑を起させたことについては、お互いに十分に自粛したい、そういうふうに思つております。
○藤枝委員 今の問題で、山下人事官にこれ以上何も申し上げることはないのでありますが、少くとも人事行政の最高峰にあられる人事官の行動としてそういつた点については今後も十分御注意なさることが必要だと思うのであります。そうでなくてさえ、試験問題その他につきましては、いろいろと世間の議論の的になりやすい問題でありますので、この点は人事官として十分御注意を願いたいと存ずるのであります。 それからもう一つ、これはあるいは新聞記事であるからとお話になるかもしれませんが、二月八日の読売の夕刊に、ティルトマン氏が公務員試験の問題について論ぜられておりますが、その中に人事院が何か人事の内偵を、一種のゲシュタポ的な組織によつて、やつておるということを書かれております。私はさようなことのないことを信じたいのでありますが、この点についても、こういう記事が出ますと、人事院が何か暗い、祕密警察的な人事をするように疑惑を持たれますので、この点について人事院としてのやり方なり、あるいは考え方を御表明願いたいのであります。
○山下(興)政府委員 ただいまのお話につきましては、どういう点が論議の的であるかということが、実ははつきりわからないのでございますが、われわれはできるだけ公平にしたい。とにかく世の中に人事院が存在するというゆえんは、政党によつても影響を受けない。あるいは労働組合その他からも影響を受けない。どこからも影響を受けなくして、真理はかくのごときものでありますということを世の中に言いたい。それで試験についても、そんなにまだ神経過敏にならぬでもいいじやないかと言われるほど、公平ということを自分らの命としておる次第でございますから、調査にいたしましても、決して何とかうしろの方から調査をしてまわるといつたようなことは全然しないつもりで、実はおるのでございます。しかしそう思つていても、あるいはそういうことが間違いで起るかもしれませんから、そういうことがありましたら、十分御注意くださいまして、指摘していただくことは、私どもの将来にとつて、非常にありがたいことだと思つております。
○中曽根委員 私、所要のために中座いたしまして恐縮でございましたが、ダブるところがありましたら、その辺は省略してもけつこうでございます。この間行われた試験に関して御質問申し上げたいのですが試験を行う前にいろいろ試験をやる方法、その他につきまして、われわれの委員会としても、相当の関心を持つてお尋ねをいたしたのでありますが、人事院がお考えになつておつたのと、実際の試験をやつたのと、何か食い違つたようなことがないか。試験全般に関する一般的な感想を山下人事官から承りたい。
○山下(興)政府委員 むずかしい御質問でございまして、どうお答えしていいのかわかりませんが、まず大体において私どもが予想しておつた通りだと申していいだろうと思うのですが、受ける人数のことも、ちようど締切り前には、実のところえらい心配いたしました。ところがほとんど全部といつていいくらい受けていただきましたし、それから欠席率も、こんなにまで少かつたろうかと思うくらい、たしか四・八%ですかの欠席率でございまして、病気を押してまで出てくれるというようなわけでございまして、それも満足しております。今のところこれはどうもぐあいが悪かつたと思うところは、実は思い当らないのでありますが、何かもしありましたら、教えていただきたい。
○中曽根委員 ああいう試験は日本でも初めてであつたと思うのですが、受験者の感想を私が二、三聞いてみましたところによりますと、まず第一に、朝八時か九時でしたか、九時から晩は六時とか七時とか、ともかく非常に長い時間試験されるので、頭のすつきりしているのは大体十二時くらいまでで、せいぜい二時くらいまでに答案を出したのが、一番ピントが合つているだろう。二時から三時ごろになりますと、頭が混乱して、やけのやんぱちで ○をつけたり、×をつけたりしたのが、四時か五時ごろになると、凄惨な気分が試験場にみなぎつて来た。そういうことを私は聞いているのですが、そういう時間の点やその他で、あれでいいか。お気づききになつた点を……。
○山下(興)政府委員 その点は私申し上げるのを忘れておりましたが、中曽根委員のおつしやる通りでありまして、実はわれわれはそう長くはないだろう。十二時ぐらいまでがおしまいのつもりであつたのですけれども、ああいう主要なりつばな人を集めましたのですから、時間で制限するということは、どうもよろしくないという考えから、時間は制限いたしませんと言つたのでございます。しかしいかにいたしませんといつても、まず二時か三時ごろにはみな出してもらえるだろうと思つておつたのですが、いつまでたつても答案が出て来ないのでありまして、今おつしやいますように、大体まず三時ぐらいまでに出した人の方が、成績がいいだろうと思います。その後はおそらくどつちをとつていいのかわからぬ、かえつて成績が悪くなつたというような結果もあるだろうと思います。将来はああいう無制限ということは懲りごりしましたから、これから先はそうしないつもりでおりますが、その大体のところでまあ出してもらうということか必要でありますので、制限なしといつたものですから、どうせその日だから、夜の十二時までいいのだということを新聞で盛んにうたわれましたから、ちよつと困りました。あの点だけはまことにまずかつたと実は思つております。
○中曽根委員 あの問題は今採点している最中でありますか。
○山下(興)政府委員 さようです。ごく一部分採点をしております。まだなかなかあとは採点いたしません。それは生の採点でありまして、これから先問題の研究にずつと移つて行きまして、大体は四月の末までぐらいかかつて採点を済まします。そうして中曽根さんが先刻おいでにならないときに申し上げたのですが、祕密にする方法は完全に祕密にさしてありますから、結果は人事院の中で一人も知らないようにしてありますから、漏れる気づかいは全然ありません。その点において行政運営に少しも支障がないということを、私どもは安心しているわけであります。
○中曽根委員 祕密にしているということをお聞きして、それほど御戒心になつているのを私ども非常に喜ぶのですが、水素爆弾の秘密も盗まれるようなことで、それほど私は期待できないと思うのです。大体今何%ぐらい採点が終つておりますか。たとえば九十題ぐらい問題が出したが、あの中で一番なら一番を今採点しているのか。あるいは全般にわたつてやつているのか。聞くところによると、昔われわれが漢文を習うときに勉強したような当てるもので、〇が出ているのは当つている。×はだめだというので、大量生産的に点をつけているというようなやり方をおやりになつているということですが、採点の進行状況を伺いたい。
○山下(興)政府委員 今おつしやつたように、紙に穴をあけて採点するというのはやります。それは簡單にすぐできますからやります。それからあとが問題なのでありまして、先刻藤枝さんの御質問のように、その採点のよかつたのと悪かつたのと中間とを使いまして、一つずつの問題の、たとえば一から五番までの答えの中の、どういうふうに集中したかという研究をずつと続けて行きます。それでただ集中したからそれがいいというのではなく。そういう種を使つて、すつかり研究して行きます。今お話の紙を当ててのは大体済みました。しかしそれは全然だれが何点であるかということはわからなくしてありますから、その点は御心配はないと思います。
○中曽根委員 そこで、たとえばある問題について五つ解答がある。そのうちで一番と五番に点が集中して来た。人事院の方は一が正解だと考えていたけれども、実は五の方の答案が多かつた。その場合には五の方を正解として採用するということを、前に山下さんがおつしやつたのですが、そういうお考えで今もやるわけですか。
○山下(興)政府委員 私は実はそうは申し上げなかつたのでございますが、それはあるいは誤解ではないかと思います。先刻藤枝さんの御質問に対して答えたのでございますが、今のよう生の採点をまずいたしまして、そのうちで一番よかつたのと悪かつたのと中間とをとりまして、大体百人くらいとりまして、それを使つて今の一から五までの答えのうちに、どういうふうに集中しているか。全体としてはたとえば五に集中したけれども、そのうちのものを見て、成績の悪い方が五に集中していて、成績のいいのが一に集中すれば五はだめだ、一ということになるわけであります。むろんそれの上にわれわれが考えておるものが集まりますけれども、第一案であつた。ところが答えは五に集中した。集中したが、その集中したのははたしてどういう価値があるか、成績の悪い人間がそこへ集まつたのでは意味をなさぬ。そういうふうな一つずつの答えの研究をして行くのでございます。これをアイテム・アナリシスと言つておりますが、ずつと研究して行くので、それに時間が非常にかかるのでございます。
○中曽根委員 そうすると九十題にわたる各問題について、一応成績のいい者の点がどこヘ集中したか、悪いのがどこへ集中したか。しかもその問題についてはどれが答案が多かつたか。そういうことを全部にらみ合せて、濃淡をきめて行くわけですか。その最終判定によつて、この答案の成績というものを最終確定する。そういう方法でやるのですか。
○山下(興)政府委員 今おつしやつた通りでございます。そのために非常に長くかかりまして、済みますのは大体四月末くらいになるだろうと思つております。
○中曽根委員 受験者の声を聞いてみますと、どれが正解だかはつきりしないということを人事院が意識しながら、試験を受けさせるのはけしからぬ。結果によつて多い方を採用する。それでは試験の意味をなさないという声が非常に強かつたのですが、その点はどうですか。
○山下(興)政府委員 それは問題をまず出しまして、それのうち答えが五つあるわけでございます。その五つを、これは非常に楽な問題にしようと思うと、答えのうちの一が正解だつたら、あとがずつと離れてだれでも気がつくぐらいにしておけば、この問題は非常に楽なのであります。それではおもしろくないから、これをむずかしくするために、たとえば五の答えをできるだけの答えに接近さして、一がほんとうだろうか、五がほんとうだろうかと、できるだけわからないようにして行くと、非常に問題がむずかしくなる。そういうふうに一つのものにえらい接近した答えがあるために、しくじりますと五の方がどうもよくなりかけてみたりするおそれはある。それであとの研究が必要になつて来る。
○中曽根委員 そこでその問題が出て来ると思うのですが、受験者の話を聞いてみますと、五問なら五問がある。ずつと焦点をしぼつて行くと二問ぐらい、一番とか五番とか、そのどつちかだろうというところまで追い込むそうですね。ところがそれ以上になりますと、易者に聞いてみなければ、これはわからない。そういう程度の問題が多いというのです。それはどういうことであるかというと、與えられた條件がはつきりしない。出題の意思が、つまりこれはこういう條件で、こういう状況で問題を出したということがわからないものだから、自分がある前提を想定して、この場合ならこつちが正しい、この場合ならこつちが正しい、そういう前提条件をおのおのつくるごとによつて、答案が左右されてしまう。そういうふうに非常に接近した問題を出すということは、意識的に試験者の方でやつたかもしれないけれども、受ける方の身になつてみると、何しろ問題自体が正確に明細に書いたものでないために、判定できないという問題が非常に多かつた。それが少くとも十五問くらいあつたというのですが、その点はどうですか。
○山下(興)政府委員 その点は、今のようにできるだけ接近さして行くというのは、意識的にやつておりますが、それの言い表わし方とか何かで、怪しくなつて来る場合があり得る。一がいいが、五の方が大部分の人が考えてい一いようになる場合がある。しかしそれでもただ数が五に集まるからいいということではな。アイテム・アナリシスをいたしまして、十分検討して行くわけです。だから一が正しいと思つておるのが、まさかこれがひつくり返つて五になるということはほとんどないことでございますが、接近さし方によつて怪しくなつて行く。あまり接近さし過ぎると、どうしてもわからないときにはしかたがない。一も五も正当だ、こういう場合もあり得る。
○中曽根委員 そこでその辺が一番問題になると思うが、大体しぼつて来た範囲内には、みんな集まつて来ると思う。明白にこれはだめだというものは、みんなオミツトしておるだろと思う。そうするとそれを右か左かという点で差が出て来て、局長になつたり、落ちたりすると、これは私は重大な問題だと思う。非常に偶然的な要素によつて次官になつたり、落ちたり、そういうことが出て来る。たとえば全体から見て正解者の点のいい連中は、ある問題について四十人〇をつける。ところが全体の点の悪い連中が、ある問題についてこれが正解だというので八十 ○をつける。その場合には、その問題が二つとも接近しておる場合に、どちらを正解としてとるか。その全体の点と部分的な点との比重をどういうふうにとるか。その点はどうですか。
○山下(興)政府委員 そういう場合には、成績のいい人の四十が集まつた方がむろん正解であります。たくさん集まりましても、全体の成績の悪いのが集まつたのは、これはどうも目方にかけるわけに行かない。
○中曽根委員 しかしそれはどういう科学的根拠によつてやるわけですか。たとえば全体の成績のいい者が十であつて、全体の成績の悪い者の〇が百集まつたという場合でも、やはり成績のいい者のところの〇が二軍マルになつて行くわけですか。その辺をどういうふうに分別してつけるのですか。
○宮地政府委員 今お話になつております点は、試験問題の総合されました全体がはかろうとしておるものと、全体がはかろうとしておるものを、個々の試験問題がはたしてうまくはかつておるかどうかという点を見るための方法でございます。従いましてもし試験問題全体が、全然見当違いのものをはかつておるということでありますれば、あながち低点者のたくさん集まりました答えというものがいけないということも言えないのであります。その試験問題の総合されました全体が、確かに今この試験のはかろうとしておるものをはかつておるということが前提となりまして、そういう議論が成立つのでありますが、しからばはたしてその試験問題の総合されました全体がはかろうとしておるものを、はかつておるかという点を、それではどうして見るかということになるのであります。この点は今申し上げましたことを内部基準によるアイテム・アナリシスと言つておりますか、内部基準によるアイテム・アナリシスというものがございまして、これは試験とは全然別個の、何らかの客観的な基準を一つつかまえて参りまして、たとえて申しますれば、個々の試験では段階の一、二、三、四、次官級、局長級、部長級、課長級というふうなものがございます。これらの各段階ごとの受験者の中から、段階ごとにサンプリングをやりまして、適当数——さつき人事官は百題と申しましたが、各百題ずつサンプリングをやつてとつておきます。そういうものの成績が各問題についてどう散らばつておるかということを検討いたしまして、段階一、二というふうな上の方の人たちは、当然課長の中から部長が選ばれ、部長の中から局長が選ばれ、局長の中から次官が選ばれるというふうな、勤務実績にふさわしい順位でありと仮定するならば、当然段階一、二の人はよくできておるはずである。それで人事院は正解を一といたしましたが、段階一、二の人は必ずしも一に答えてない。五に答えておるという場合は、その試験問題には妥当性がないわけです。それでそういう問題は捨てるということをいたしますし、また一と五とが非常に答えが接近しておるという場合は、それは試験問題そのものが、あまりよくない。表現が少し怪しいということのためにそういう結果が出たのだということがわかりますれば、一も五も正解にするという措置をとりまして、試験問題の個々が、その外部基準によります客観性を持つようにするのであります。そうやりまして、試験問題全体がはかろうとしているものをはかつた結果といたしまして、その次に人事官が御説明いたしました内部基準による分析をやる。それによりましてざらに妥当性を高める。こういう順序を経るのであります。
○中曽根委員 問題が五問あるうち、二問に集中して来るという場合が非常に多いと思う。ある一定のレベル以上のものは一齊にそこに集中して来る。そうしてそれが右に行くか左に行くかということは、ほとんど偶然的のものくらいのもので、振りわけがついて来る場合が非常に多いと思うのです。そうなると全体の高点者をきめること自体が問題になつて来る。二問がどちらにあるかに関係して来るわけです。これは一次的に決定さるべきもので、方程式は一緒に解かれなければならない。どつちかを先というわけには行かないでしよう。そういう場合にはどういう措置でさばくのですか。おそらく問題がぐつと接近して来れば、そういう問題が非常に多くなると思うのです。
○山下(興)政府委員 私がお答えしてぐあいが悪ければ、あとでまたゆつくりと任用局長から御説明していただきたいと思いますが、大体今の一問の中の五つの答えを見るのに、全体がたとえば九十問ある。九十問題によつての成績で、その一つの問題の二つの答えのうちのどつちかということになるのですから、ベースが違うのでありますから、成績のいいのを調べるときと、それから問題を調べるときとは、ずつと範囲が違いますから、大体はそれでいいのでございます。但し先刻申しましたように、たいていは一つの問題を接近させて来ておりますから、今おつしやつたように二つにしぼるということは、それは結果においておそらくそういうことになると思うのです。しかし出しておりまする問題が三つや四つの場合は非常にあぶないのですが、少くとも九十とか百とかいうことになりますと、よほどの客観性を持つて来るのであります。だからこういう試験はわれわれはどうしても百問に近いもの——八十というのは少し少いかもしれません。とにかく百に近いだけの問題を出さなければならないということが、非常に大切なことです。それをするには、字を書いておつたのでは間に合わないから、〇やあるしるしをつけて、わずか三時間くらいの間に百問くらいを片づけてしまうわけでございます。この試験方法は、日本では相当新しいのでありますが、私は非常に客観性の高い、いい方法だと信じております。
○中曽根委員 私が聞いた範囲では、課長級に感想を聞いてみたのですが、その連中の話によりますと、焦点は同じように狭まつて来ております。それで前かあとかという問題にほとんどなつておる。従つて同じレべルの連中は、二つの問題に集中して来ると思う。だから九十という大きな問題であるから、点の上から下まで流れておるニユーアンスの間は、一定のランクにある人は、みんな集中して来ておると思うのです。そうするとかりに二問あつて、両方接近しておるから、両方できたということにしよう。そういうふうになると、同点者がだあつと出て来る可能性が非常にある。それをなるだけそういうふうにしないようにすると、先ほども申しましたように偶然的要素によつて局長になつたり、落ちたりするということが、必ずどつかに出て来て、両方とも困る問題が出て来ると思うのです。こういうものを解決する道はどこにあるかというと、なるほど山下さんのおつしやるように、やり方は非常に新しい試みで、非常に野心的な試みというか、われわれも一回くらいはやつてみたいという気持が多少あるのですが、結局人事の重大問題、飯の問題にもなつておるのでありますから、これは相当愼重にやらなければならない。何か客観的なほかの要素からランクをきめる面も、当然取入れなければならないと思う。そういう点から、人物孝査という問題を前からここで騒いでおるのですが、その人物考査のことはあとで承りたいと思うのですが、今申しましたように同点者が相当出はしないか。また出た場合はどうするか。それから今申しましたように両方に偶然的要素によつて集中する要素が出て来ると思うのですが、実際に答案をお調べになつてどういうふうになつておるか。また今のような点についてはどういうようにおさばきになつておるか、伺いたいと思います。
○山下(興)政府委員 中曽根さんのおつしやることは、理論的には正しいと思いますが、たとえば九十問のうちで二つずつまるで接近して、その接近のしかたが全部同じだと仮定したら、そういうことになるでしよう。ところが実際問題として、そういうように非常に接近させて答案をつくることは困難であります。むずかしい問題であればそういうこともありましよう。しかし大部分は割合に簡單ですからそれをながめて点のいいか悪いかの標準にすることは、これは間遠いなしに相当の客観性を持つものと思つております。
○中曽根委員 私の御質問とはちよつと焦点がはずれたような感じがするのですが、これは実際答案を見て、結果がどうであるかということを見なければわからないと思う。そこも実際にお調べになつて、非常に接近しておる問題で、これは両方甲にしよう、こういう問題が幾つくらいありますか。
○宮地政府委員 それは先ほども申しましたように、非常に接近して、どつちがほんとうかということがわからないのは、おそらく表現の方法がまずいのだろうと思います。従いましてその問題はあまりよくないということで、そういう結果が出て来れば、両方とも正答のものとしなければならないと思います。従いましてそういうことをやりますと、当然御心配の通り同点者がたくさん出て参ることも事実であります。この同点者をいかにして差をつけるかということにつきましては、いろいろな方法がございますが、考えられます方法の一つは、その五つの足の第二の正解と思われるに近い答えにあるウエートをつける。たとえば正答のものにフルのウエートをつけるならば、その何割かのウエートをつけるということでもよろしいかと思います。また第二次試験の専門試験は、非常に評判が悪かつたのですが、しかしあれは先ほど申しましたように、最低限度の知識を見る試験でありまして、ウエートはほとんど置かないという試験でありますので、もちろんあの試験によつて、行政能力と相関関係があるかどうかということは疑問であります。しかしながらこれはアイテム・アナリシスの結果、もしそういう関係があるという結果が出て参りますならば、これまた第二次試験の結果によつて同点者の差をつけるということも出て来ると思います。また任用資格の認定ということが、非常に大きな一つの試験の要素になつておりまして、実際の経験ありやいなやということは、経歴年数でもつてはかつております。ふさわしい仕事に対してどの程度の経歴を持つておるか、その経験の長さ、順位によつても、同点者の差はつけられるのではないかと思います。あるいは人物考査の総合得点の差をもつてつけることも、一つの方法かと思われます。いろいろな方法はあると思うのであります。
○中曽根委員 試験をやるからには、そういう基準ができておつて試験をすると思うのですが、そういう基準をたとえば人物とか、あるいは経歴の長さとか、そういうものについてどういうウエードをつけて今さばいているのか、そのことと、今申し上げた実際答案を調べてみて、両方甲にしてよろしいという問題が何題くらいあつたか、この二点をお伺いしたい。
○山下(興)政府委員 人物考査にどういうウエートをつけるとか、一次と二次とをどうするかというようなことは、なるべく申し上げたくないのでありまして、これは一種の問題の漏洩に近いことになりまして、自分はとても望みがないと思うと民間に職を求めるということになると、たいへんな問題になりますから、それはぜひ最後まで——最後はお知らせするとしても、途中においては申し上げかねるのでありますが、この前申し上げましたように、人物考査は大体体格検査程度だろうということを今は思つております。なぜかといいますと、人物考査は私は非常に大きなウエートを置きたいのでございますけれども、実際にこちらの省とこちらの省で、一体つけ方のバランスがとれているかどうかということも疑問でありますし、同じ省内で、そちらの局長とこちらの局長のつけたものを比較し得るかということになると、非常に疑問がある。ことに下の人が上の人と同じ位置を競争しているという場合に、その下の人につけた点数というのがはたしてほんとうかうそか、逆になつているということも想像できるのであつて、自分に一番あぶないという者を、点を悪くつけるというようなことも考えられるのでございまして、これまた非常に点をつける人の熟練さによることでございますから、性質としては非常に重きを置くべきものでありながら、これを採点の中に織り込んで行くということは、相当むずかしいと思います。但しそれは調査がこのところには出動いたしまして、ほんとうにそういう逆につけているかどうか。もしもいいのを悪くつけているような人があれば、今度はつけた人がどういう性質であつたかということの調査にもなるわけでございます。それでいろいろな方法を使つて参りますから、それをどうもはつきりしたウエートを申ることは困難でございまして、また実し上げ際われわれがやつてみてから、どういう点をつけて行つたかということをよく調べまして、これはウエートを置き得るかどうかということによつて行くわけでございます。但しそれが相当いいと思いましたら、今度は任命権者が三人のうちの一人をとる場合に、これを参考にするということにはなると思います。
○中曽根委員 山下人事官の今のお答えによれば、秘密が漏洩すると、民間会社の就職運動などを始めるから危險だと、こういうお答えがありましたが、なるほどそういう面もあるかもしれません。けれども試験を受けるというからには、どういう試験を受けるのか、そしてどういうふうな基準で判定するのか、そういうことをはつきりさせてから受けさせるのが民主主義の試験のルールだろうと思う。今山下さんみたいな高潔な人が人事官ですから、いい加減なことをやりはしないと皆思うでしようけれども、少くとも試験をやるというルールに反することだろうと思う。やはり試験をやるからには、安心さして受けさせなくてはならない。今一番受験者あるいは外部の人の心配しているのは、今まで私が申し上げましたように偶然的要素によつて支配されるということ、それをどういうふうにして補うかという問題になると思います。そこであなたは今おつしやいましたように、一番大事な問題は実は人物考査なんだ、しかしそれはわかりにくいから体格検査程度にする。こういうお答えであつたけれども、それは私はむしろ逆だと思う。一番大事なものだつたら、一番お金をかけ、時間をかけ、人間をかけて、なるだけ正確なものを得るようにやつてやるべきではないか。今まで答案を調べるのにいろいろな精緻な方法や、また人間をかけたことをやつているけれども、その程度の作業を人物考査にかけているかいないか。実際今どうやつておられますか。
○山下(興)政府委員 筆記試験の方は、もとは正しいのでありますから、これについていろいろな研究をして行けば行くほど、それが正しいものになつて来るのであります。しかし人物考査の方は、点をつける人自身が怪しいのでありますから、これからあとどんなにこれを操作して行きましても、改良する余地がないのであります。それで根本的に考査方法というのは怪しいと思つているわけであります。しかしこれから先、それでは普通の仕事をする時分に、考査は怪しいかと言われれば、そうではなくて、今度は考査のつけ方の訓練から始めまして、そうして考査自体の取扱い方からすつかり基礎をつけて、それが相当にものを言うようにして行くのが、われわれの職務でありますけれども、今は一人について三人の評価があるわけでございますが、その三人の選定も、どういう人を選定してよいかということもはつきりしませんし、ことに官庁におる人と、民間におる人の考査のつけ方というようなものが、なかなか困難です。実際上それが重要性をもたせ得ないことは、まことに残念なことであります。
○中曽根委員 人事院がおやりになつている試験のやり方というものは、弊害を少くしようという消極的な面に非常に比重が置かれてあつて、人材を拔擢しようという積極面にはほとんど考慮が拂われていない。なぜならば、その方面に手をつけると、逆に不安定な要素が非常に多過ぎる、こういう考え方だろうと思う。しかしあの公務員法によつても「能力の実証に基いて」という言葉か書いてある。その「能力」というものは、答案を書く能力のほかにやはり統合能力であるとか、行政官として必要な人間的な要素というものが非常になければならぬ。たとえば大蔵省なら大蔵省の主計局におつて、この人間はまつたく恪勤精励であつて、超過勤務手当を百倍もやらなければならぬ。毎日徹夜をやつておる、そういう人間があるのです。そういう人間が一生懸命やつて成績を上げてやつておるのだけれども、それは全然仕事の点数の上には出て来ない。單に一日かけた答案の上にしか出て来ない。こういうふうになると、官吏の励みというものはまつたくなくなつてしまつてそして、試験をうまくパスするような、平均点以下のぼんくらがうんと集まつて来るということになつて来て、彈力性や新鮮はつらつたるべき日本の官吏機構というものは失われて来ると思う。そのかわり平均点程度の、ぼんくらの、かたい、着実な面は出て来るかもしれない。これはしかし行政の妙味を非常に失う危險性があるので、ここに法案の職階制自体も、そういう非人間的な要素が非常にあるので、そういう意味でこの試験という問題はもう一回、人事院では御反省願いたいと思う。人物試験の点についていろいろ不安定な要素はあるけれども、しかし一番大事なものであるならば、一番金と時間と人間をかけて、なるだけ次善なものを見つけるように努力すべきである。それで可能な範囲内において点を加重すべきである。こういうふうに私は提議したいのでありますが、そういう御意思は人事官はお持ちになりませんか。
○山下(興)政府委員 ごもつともでございますが、今のところわれわれのやり得る能力において、あれが限度だと思います。但し中曽根さんの言われますように、将来の拔擢その他に対しては、十分に考査の方法を研究し、また試験の方法についても十分研究いたしまして、これが昇任試験のときにはそれを十分よく働かせて行きたい。こう思つております。但しこういう試験をいろいろやりましても、なお大分しくじりがあるだろうと思います。それでほんとうに任用候補者名簿からとりまして、その位置にすえてから六箇月というものは、條件つき任用となる。これも一種の最終の試験でありますから、それでもつて筆記試験やその他でどうしてもわからないところは、そこへもつて来る。そこでいけなかつたらやめて、今度は候補者名簿から出して行つて、また試験を始めるという行き方をするのであります。
○中曽根委員 次の機会からこういうことをいろいろ考えて取上げるというようなお話ですが、受験者の身分になつてみると、そのときはあとの祭りで間に合わない。どうしてもこの試験からやつてもらうことを私はお願いしたい。どうしてもこの試験からそれをやらぬと、日本の行政機構、公務員制度というようなものは、まつたく新鮮さや水分を失つてしまう。そういうことを強く私はお願い申し上げたいと思います。最後にお願いいたしますが、六箇月間臨時的に採用しても、一番大事な精勤とか統合能力という面については、それは人間のやることですから、客観的に出て来る数字的な能力と違うわけで、そういう者が六箇月間ねこをかぶつていて、朝八時までに来るくらいだれでもやる。そういうものは当てにならない。やはり試験のときにそれを確保してもらわなければならい。 最後に、試験問題を人事委員会に配付して見せていただきたい。この試験が行われる前に私は、そのサンプルを示せ、試験の基準を示せということを強くお願いしたのですが、それはいろいろな関係でできませんでした。これは残念ですがしようがない。しかし今は試験が終つたのだから、少くとも国会の権威にかけて、こういう試験をやりましたという報告をしてもらいたい。その一つとして、試験問題を人事委員にだけは配付してもらいだい。このことを要望いたします。
○山下(興)政府委員 今の問題は、藤枝さんから非常に迫られました問題でございます。そのときに大体お答えしたのでありますが、追試験がありますから、追試験前にそういうことはできないのであります。ということは、追試験の人と初めに試験をした人との公平の上からいつても、ちよつとそれはやりにくいことでございます。それは御了承を願いたいと思います。
○中曽根委員 追試験に出す問題は、この前やつた試験と同じ問題を出すわけではないでしよう。どうなんですか。
○山下(興)政府委員 そこらのことは漏らすことになるので、ちよつと困難で、どんな問題をこの次に出すかということは、ちよつと申し上げかねるのでございます。それでなくても、その問題をずつと調べてみますと、あとから試験を受ける人に相当有利なことになり得る。しかしそれも全部あとから来る人を一堂に集めて言うのではなくて、鋤く人もあり、開かない人もあるししますから、試験の公平という立場、われわれが一番大事にしております公平という考えから見ますと、少し神経過敏のように見えますけれども、これはぜひ公平を保ちたい、そう思つております。
○中曽根委員 追試験をやるということは聞いたのですが、そうすると前の試験と追試験とは同じウエートで採点するのですか。ほんとうに科学的にやるならば、やはり人の声から漏れておつたり、あとで試験を受ける人は若干有利じやないですか。その辺のウエートはどうですか。
○山下(興)政府委員 私もこれを非常に心配しておりまして、あとから受ける人は多少有利じやないだろうか。それだと何かのウエートをつける必要がありはしないか。そういうことはこれから十分研究いたします。
○中曽根委員 ただいまお願いした試験問題は、追試験が終つてからわれわれの方に配付していただきたい。このことはいかがですか。
○山下(興)政府委員 それはあの試験の日に、四問だけ発表いたしました。その四問はここでもちろん御承知でありましようし、いつでもごらんに入れますが、ただごらんに入れただけではおもしろくないので、その正解がどうなつたかという全部の道順を、御説明したいと実は思つておるわけであります。しかしあとから試験の全部を発表しろと言われますと、これはずいぶんこたえるのであります。実はあれだけの問題をこしらえるのでも、この前も申しましたが、アメリカでも何年かかかつてこしらえた。あるいはその一つずつがどれだけの有効さがあるかということを、すつかり科学的に研究したあげく、よい問題だけ集めたのであります。第二次試験は四十五種類ありまして、一つずつが八十問でありまして、たいへんな数であります。普通は問題を出すのは簡單で、採点する方がむずかしいのありますが、われわれの行き方は、問題をこしらえるのが非常にむずかしいのであります。採点するのは客観性を持つた採点方法をやつているのでありますから、簡單です。これを全部公表しろと言われますと、われわれの何箇月の労力が、将来使えないということになるのでありまして、なるべくなら御容赦願いたいと思います。
○中曽根委員 あとで試験にさしさわりがあるから発表しないという御話ですが、受験した人は大体問題を覚えているのだから、それを次に漏らそうと思えば幾らでも漏らせる。そういう危險性があるにかかわらず、試験監督の責任を持つている国会に出さないというのは、けしからぬ話であると思う。そんな人事院なら、われわれはそんな人事院をつくる気持ではなかつた。どうしても、試験が終つて弊害がなくなつてからでいいから、試験問題をここに出してもらいたい。
○山下(興)政府委員 これはアメリカなどではこういうようにやつております。どんどんこれを集めまして、最後に、今のようにすつかり研究いたしまして、相手がこういう場合、これだけの見わける力を持つているとかいうようなことをすつかり記録をとりまして、それを金庫に詰めるのであります。その金庫の中に入つているのが何十万とある。それで相手があれば、その中から少しずつ集めては出し、集めては出ししないと、とても間に合わない。それですから今度の問題でも、あとですつかり研究いたしまして、こういう場合にはこれは適したとか適しないとかいつて、一つずつ問題の解剖をいたしまして、それをみんなしまい込んで、それをいつ出すか、二年先に出すか、三年先に出すか、どういうときに出すかはまたそのときの話で、これは非常に大きい資料でございます。それを御了解願います。
○中曽根委員 山下人事官は重要な祕密をここで漏らしたと思います。そうすると、あれが試験問題のプールになつていて、この二、三年のうちにあの中からまた問題が出て来る、こういうことになるわけですか。
○山下(興)政府委員 そういうことはあり得るのでございます。しかし相手がどういう相手かわかりません。またこういう試験をもう一ぺんやるということは考えておりません。しかしまた別のときに、別の相手のときに、その問題の幾つかが繰返されることはあり得るわけであります。
○中曽根委員 そうなると、今までやつた試験を人に聞いたり、あるいはそれを商売にする者も出て来て、受験者から一問々々聞いて、問題を書いて出版でもすれば、えらいもうけになると思います。それだけやつていれば、何題かは必ず見当がつくということになると、かえつて試験の弊害があるのじやないか。問題の数が限定されているということになると、ますますこれは狭まつて来るような気がするのです。そういう点も考えなければならぬと思いますが、そういうことは別にしてもそういう理由があるからといつて、試験問題を示さないという理由にはならないと思う。それは試験をやる方が能力がないから、自分はかんべんしてくれというにひとしい。能力がないならそんな試験はやめた方がいい。やつたことについては、監督責任のある者に対してこれを報告するのは、私はあたりまえであると思う。どうしてもこれは私は出してもらいたい。あなたが出すと言うまで、私は出してくれと言い続けるつもりです。
○山下(興)政府委員 それはまたよく考えましてお答えいたします。
○中曽根委員 港えるということは出してくれるということに了解して、私はこれでやめます。
○藤枝委員長代理 本日はこの程度にとどめます。次会は公報をもつてお知らせするごとにいたします。 午後三時四十分散会