考査特別委員会 第22号
- 発言数
- 366 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1950/04/08
会議録
○鍛冶委員長 これより会議を開きます。昨日に引続き日本共産党の在外同胞引揚妨害問題について調査を進めます。 本件につきましては、本日までの証人の決定をみておりましたが、その後証人として十一日に一木春夫君、吉田広君、水原茂君、十二日板垣正君、相原和光君、小沢常次郎、以上六名の諸君を証人として出頭を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決しました。 —————————————
○石田(一)委員 議事進行について発言します。先ほどの理事会では、共産党の梨木君からいろいろと異議が出たにもかかわらず、そのまま本日以後の証人の喚問を続けるということに決定したそうでありますけれども、この点につきましては、私はたいへんな疑問を持つておるのであります。それはなぜかと申しますと、去る五日に本委員会に証人として呼びました菅季治君が、六日夜の七時二十分ごろ国鉄の中央線の電車に飛込み自殺を遂げているのであります。しかも「世の人々へ」という遺書の全部を読んでみますと、まことにこの委員会に関係するところ重大なるものが多々あるのであります。それについて、われわれが爾後の証人の喚問を続けるということは、少くとも本委員会の良心が那辺にあるかということを疑われても仕方がありません。私はこの際、菅証人の証言についてわれわれ委員会がこれをいかに取扱うべきか。しかも菅証人の死に対してこの委員会はいかなる態度を持つべきであるか。このことがまず先決問題として審議せられて、しかる後に残余の証人の喚問が行われることが当然の筋道であると考えるのであります。この際私はこの菅証人に対するところの証言のいわゆる再検討、しかも菅証人の死因並びにこれに関する当委員会の態度の決定するまで、この残余の証人の喚問を中止されんことを要求する動議を提出する者であります。
○篠田委員 ただいま石田一松君から、菅君の死因は当委員会に責任があるというようなお話でありますが、これはまことに見当違いもはなはだしいと思うのであります。菅君は最初この問題がやかましくなつて来ましたときに、菅君の行方はわからなかつたのでありますが、その後菅君は新聞紙等に自分の手記を出されまして、自発的に自分の立場というものを天下に向つて声明され、その結果として菅君が参議院の同胞引揚委員会並びに本委員会に記入として出頭されることになつたのであります。しかも本委員会におけるところの質問は速記録によつてわかる通り、公開の席上であります。言葉の上におきましても、またその他の時間的な関係におきましても、決してむりはしておりません。これは新聞記者諸君その他の傍聴人、あらゆる人の前で行われておることであります。また常識的に考えましても、五箇年間近くもソビエトのあのさびしい所でいろいろな欠亡に耐え、いろいろな精神的な悩みに耐えて来られたところの菅君が、たつた一日本委員会に呼ばれて証言を求められたからといつて、それが原因となつて死ぬなどということは常識上あり得ないのであります。石田君の言われることは、ただ菅君の死というものに名前をかりて、自分たちの日ごろのうつぷんをここに晴らさんとするものと考えるのであります。それから菅君の死因については、すでに警察並びに検察当局においてそれぞれ調査中でありまして、本委員会としてもその材料の提出方を督促しておるのであります。また菅君の死なれたことについては、昨日来委員長の名前をもちまして、非常にお気の毒であつたという意見を発表しておるのであります。それ以上当委員会として菅君の死因を積極的に確かめる。そうしてその結果でなければ、他の証人を呼べないなどということはまことに矛盾撞着でありまして、そういうような問題によつて私は本委員会の正常なるところの通常をとどめるべきでないと思います。私も青年菅君が人生の悩みに耐えかねて神経衰弱となり、あるいはまた若い身をもつて散つて行かれたことに対しては、満腔の同情の念を禁じ得ないものでありますが、それとこれはおのずから違うのであります。菅君の死因をううからといつて、本委員会の責任に帰するとか、あるいはそれがわからない限りにおいて本委員会の運営をとめるということは、みずから国会の運営を知らざる者の考えであると思うのであります。石田君の動議には遺憾ながら賛成いたしかねるのでありますから、これを否決されんことをお願いいたします。
○鍛冶委員長 昨日理事会にはかつて委員会に申し上げました通り、この件については十分調査の上でなくては意見が述べられませんから、慎重調査することをきのう申し上げたのでありまして、その通りでやつて行くことに御同意を願いたいと思います。 〔「採決々々」「委員長動議に対して意見を述べるな」と呼び、その他発言する者あり〕
○鍛冶委員長 それでは採決いたします。石田君の動議に賛成の諸君の起立を願います。 〔賛成者起立〕
○鍛冶委員長 起立少数。よつて石田君の動議は否決せられました。 〔「議事進行について発言を求めます」と呼び、その他発言する者多く議場騒然〕
○鍛冶委員長 静粛に願います。 ではさつそく本件につき証人より証言を求むることといたします。 ただいまお見えの証人は、矢浪久雄さん、高山秀夫さんお二人ですね。 これより日本共産党の在外同胞引揚妨害問題について証言を求めることとなりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。 宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりましてそれ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。 では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます。御起立を願います。矢浪さん、代表でちよつと読んでください。 〔証人矢浪久雄君朗読〕 宣誓書 良心に従つて、真実を述べ、何事 もかくさず、又何事もつけ加えな いことを誓います。
○高山証人 自分にもやはり代読でなくて、個人の人格を認めてもらつて真実を述べるという立場から、宣誓書を読ましてもらいたいと思います。
○鍛冶委員長 よろしい。 〔証人高山秀夫君朗読〕 宣誓書 良心に従つて、真実を述べ、何事 もかくさず、又何事もつけ加えな いことを誓います。
○鍛冶委員長 署名捺印を願います。 〔各証人宣誓書に署名捺印〕
○鍛冶委員長 証言を求める順序は矢浪さん、高山さんといたしますから、高山さんはいましばらく元の控室でお待ちを願います。矢浪久雄さんですか。
○矢浪証人 はあ。
○鍛冶委員長 こちらから聞くときはすわつておつてよろしいが、答弁するときは委員長の許可を得て立つて、答弁は質問に対することに限つて、要旨を簡明に、議論にわたつたり多岐にわたらないようにお願いいたします。あなたの今の御職業並びに年齢は……
○矢浪証人 職業は著述業、いわゆる評論家であります。年齢は四十歳であります。
○鍛冶委員長 ほんの大略でよろしいのでありますが、あなたの経歴、それからソ連へ入つておられたようですが、入ソ後の径路を簡單にお願いいたします。
○矢浪証人 学歴は第四高等学校文科を出ております。それから岩波書店に勤務し、かたわら著述を始めましてそれから大体研究及び著述で生活を続けて来ております。専門は技術論——テクニツクあるいはテクノロジーであります。終戦前には一時同盟通信社の嘱託及び明治大学の講師をやつたことがあります。昭和十九年の七月に目黒の東部十七部隊に召集を受けております。そしてただちに渡満いたしまして、東寧の独立歩兵旅団の隷下にある第七百七十七部隊に所属しております。そこにおいて終戰になつております。終戰当時自分は東寧の機動連隊、俗にマル機と言つておりました機動連隊の練成中隊に分遣になつております。胸膜打撲のために、その余後が悪かつたので、そこに分遣になつております。そのために原隊におりませんでした。原隊は七百七十七部隊、つまり東寧の第四地区において九割以上戰死しております。その後東寧から撤退する部隊と一緒になりまして、名前はよくわかりませんが、大吐子川付近の綏芬河畔で、ソ連の戦車部隊によつて、この撤退部隊は粉砕されております。その後ばらばらになりまして、私はもう一名の衛生上等兵と老骨山において單独投降をしております。当時の自分の階級は歩兵上等兵であります。老骨山から自動車で送られまして豆満江のすぐそばにある江精という町の中の小汪精というところの仮収容所に一時移されました。そこからそこで投降した部隊と一緒に金蒼に移り、金蒼から渾春を経て、クラスキーノを経て入ソしております。
○鍛冶委員長 いつ入ソしましたか。
○矢浪証人 一九四五年の九月上旬であると記憶します。それから入つて行つた場所はビロビジョンという町から二十三キロ地点の収容所であります。そこは大体ビロビジョ二十三キロという名前で通つておりますが、後にビロビジョン四十六地区の九分所と言われたところであります。さらにそこから一月足らずのうちに分遣の形でウシモンスカヤというところに移つております。ここは後に六分所となつたところであります。それからその後の状況も話しますか。
○鍛冶委員長 ただおつたところだけでよろしゆうございます。
○矢浪証人 そのウシモンスカヤという収容所に翌年、つまり四六年の七月まで働いております。それから八月にビロビジョンに出て来ております。ビロビジョンの四十六地区の本部小隊というものがあります。そこに本部小隊で一箇月ばかり仕事をして、そうして四六年九月の初めにハバロフスクに参りました。ハバロフスク收容所の第五分所に所属したことになつておりますが、そこから勤務したという形で日本新聞社に来ております。つまり四六年の九月から日本新聞社に行つて、四九年の十月まで新聞社におりました。十月に帰還命令を受けましてナホトカに来て、十一月三十六日に高砂丸で舞鶴に着いた、そうして祖国に帰還しております。三十六旧に着きましたが、事実上家族に会つたのは十二月十二日であります。
○鍛冶委員長 あなたは相川春喜というペンネームをお使いになつたようですが、いつころからお使いですか。
○矢浪証人 そのペンネームは、私が二十五のときに物を書き出してから使つております。その後はペンネームというよりは、通称になつております。通り名になつております。シベリアだけで使つたものではありません。
○鍛冶委員長 わかりました。今のお話では日本新聞に関係しておいでだようですが、そうすると四六年の九月から…… 〔「六月からだ」と呼ぶ者あり)
○矢浪証人 六月ではありません、九月であります。
○鍛冶委員長 四六年の九月から四九年の十月まで、こういうことになりますね。
○矢浪証人 そうです。
○鍛冶委員長 日本新聞ではいかなる役をお勤めになつておりましたか。
○矢浪証人 日本新聞は御承知のようにソビエト側の出している、つまりソビエト軍のわれわれ捕虜に與えた新聞であります。私はそこの編集局の勤務者でありました。それと同時に私は新聞社に働いている日本人の間の責任者でありました。
○鍛冶委員長 ソ連の浮虜の間では反ファシスト委員会というものができたようでありますが、あなたはそれに御関係になつておりましたか。
○矢浪証人 反ファシスト委員会というのは一九四九年の三月ごろから各分所でできまして、それがだんだんと分所から地区の反ファシスト委員会ができて、下からずつと積み上げられ、そうして遂にハバロフスク地方の反ファシスト委員会というものができたわけです。それでその年の五月の全地方の反ファシスト委員会で選挙の結果、推薦されて反ファシスト委員会のプューローの一人となつております。その後それがずつと続きまして、第二回の反ファシスト委員会のときにさらにそれが討議されまして、これを確認するかどうかという問題が提出されまして、そして再度確認されて、反ファシスト委員会のビューローの一員になつております。
○鍛冶委員長 ここで言うと委員ということになるのでしよう。
○矢浪証人 そうです。
○鍛冶委員長 ソ連における、特に沿海州地方における俘虜の生活が非常にみじめであつたということを言う人がおりますが、実情はどのようなものでありましたか。
○矢浪証人 特に沿海州地方ですか。
○鍛冶委員長 ええ。寒いところですから死亡者も非常に多かつたとか……
○矢浪証人 いやそれは反対です。沿海州地方は一番気候はいいのです。というのは、沿海州地方というのはウラジオストックから大体ウオロシロフ、それからナホトカ、あの辺にかけて、もちろん少し北の方にもなりますが、沿海州地方というのはほとんど南に寄つております。ハバロフスク地方が一番広範囲でありまして、一番北になつているコムソーモリスク、それからその北の山間地帶、その方面がむしろ気候的には悪い。浩海州地方は比較的気候のいい方であります。特に沿海州地方と言われるわけが私にはわかりませんが、私はやはりハバロフスクにおりまして、ハバロフスク地方の方をよく知つております。もちろん浩海州地方にも新聞社から派遣されて若干行つたことがあるので、全然知らぬことはないのですが、ハバロフスク地方は一番よく知つておるわけです。それとハバロフス地方は大体全体の捕虜五十七万かのうちの約二十万、その半数に近い数がハバロフスク地方の集結地におつたと言われております。従つてハバロフスク地方が捕虜生活のうちでは一番大きな部分を占めておると考えます。浩海州地方は非常に少くて、もちろんナホトカの方に集結して来た場合にあそこに若干多くなりましたが、一般的にいえばこれは少いと思います。
○鍛冶委員長 ハバロフスク地方でもいいのですが……
○矢浪証人 どういう点でございますか。
○鍛冶委員長 ずいぶん死亡率等も多かつたという話ですが……
○矢浪証人 そういうことはないと思います。私の体験からいいますと、私はビロビジヨンに一年ばかりおつたのです。それでビロビジヨンの第六分所、私のおつたウシモンスカヤというところの分所では、私の記憶しておるのでは、冬季間中それはいろいろ苦しいこともありました。しかしそこで死亡した者は一名でありました。この一名を私どもは非常に悲しんで、そうして整列してこれを見送つたものであります。
○鍛冶委員長 それはいつごろですか。
○矢浪証人 それは四六年の二月か三月ごろだつたと思います。それからもう一つの側をあげますと、私はそのビロビジヨンに出ましてから、ビロビジヨンから少し西の方に行きまして、オボルチというところがあります。オボルチから十八キロばかり入つたところにヒンガンという鉱山があります。このヒンガン鉱山には千二百名ばかりの日本人の捕虜がおりました。このヒンガンという鉱山は最初は非常に状態が悪かつた。その状態の悪いのは、いろいろ理由があります。しかしそこの状態の悪いところでも、大体七名ばかり月に死亡が出たというので、非常に大騒ぎしまして、どうしてこんなにたくさんの人間が死ぬか、それを調査に行かなければならないというようなことで、私もそれについて行つたわけです。そういうわけで、大体当時の状況は疑心暗鬼で、兵隊の間にいろいろな動揺がありました。しかもこの收容所には約四十名ばかりの将校団がありまして、この将校団の人たちは、非常に兵隊が苦しんでいるのに、これにはさつぱりかまいつけない。それだけならよかつたのですが、あの当時まだ師団長制というものがありまして、ビルビジヨンには師団長がおつたのです。その師団司令部みたいなところから派遣された若松という参謀がいて、私どもから見ますればデマを飛ばしたのです。つまりもう帰還は近い。それで帰還するにはどうしてもからだの弱い者から帰す。だからからだを丈夫にしてはかえつて帰れないんだということを非常に流布された。そのために病人がわざわざ飯を食わなかつたというような奇怪な現象が起きまして、收容所の中が非常に暗くて、事業栄養失調なんかも出て来たのです。炊事の状態が非常に悪くて、炊事は大体将校と下士官が握つておりましたが、将校だけが横流しをやるんだつたら大したことはなかつたのですが、下士官が非常に広汎に横流しをしたために、食糧が非常に減つて来た。それからもう一つ病人食でありますが、病人には病人の特別食があるのに、それがやはりうまくまわらないというようなことで、栄養失調の状態に入りかかつた者が多数で、私もそこでは夜盲になりました。そんな状態ではすぐ目が見えなくなつたのです。しかしそこで死んだ者は月に七人だつたと思います。そしてこれが大問題になりました。そういう状態でして、最初の年度においては非常に苦しかつたのでありますが、しかしこれはシベリアの僻地においては、やはりソビエト側の兵隊も、それから一般人民も相当いろんな欠乏に耐えて、将来はよくなるからというようなことであつたようです。われわれ決して別個の待遇を受けたとは考えないし、かえつて特に捕虜であるというので、非常に心配されるという向きもあつたように思います。それからその翌年くらいの、つまり四六年の末ぐらいになつて来ますと非常によくなりました。これは一つはこういう点も考慮していただかなければならないと思います。それはソビエトにおいては働けば働くだけよくなるという仕組みであります。働かない者は最小限度は維持するけれども、働く者に比べては悪い。ところが入ソ当時、指導部を握つていた旧軍隊の幹部諸君が、働いてもしようがない、あまり働いてからだをこわすなという名目のもとに、むしろ働かないように働かないようにと言つたわけです。その当時向うの方では大体ノルマの六〇%くらいをやれば、それで十分だというふうなことでありましたが、しかし六〇%どころではなく、ほとんど働かない。二〇%も三〇%も働かない。こういう例が非常にあつたわけです。そのために、どうしても普通通り働かないで十分な食糧を得るということはむりなことであつた。そうい事情はわれわれにも十分わからなかつたわけです。それからのことは全部大体幹部が握つておつたわけです。ところがだんだんこういう事情が働いているうちにわかつた来たわけです。働けば働いた者にそのブリガードといいますか、その組にも非常によくしてくれるわけです。それでみんなこれは働かなければならないというので働き出したわけです。だんだんと労働の制度とかシステムも大体わかつて来たわけです。そういうことになつて来ますと非常によくなりまして、増食とか、あるいはノルマ以上に働かなくても、相当一生懸命働らいたと認られれば、いろいろ給與をふやしてくれるというようなことも出て来ました。それがだんだんわかつて来て、やり出したのはもうすでに四六年の春だんだんらいからであります。そこで非常にそのころからよくなりました。四六年の暮れころになりますと、これはハバロフスク地方はどこでもそうだと思いますが、非常に改善されました。それから一般のソビエトの市民の方々がよくなると同様にわれわれもよくなつて、最近、特に四九年はよくなりました。
○鍛冶委員長 反動とか反動でないとかいうことをよく言われたそうですが、その区別はどこにあるのですか。反ファシスト委員会に入らぬ者はすべて反動だと言われておつたという人がありましたが、それはありましたか。
○矢浪証人 それは違います。反ファシスト委員会というのは、委員会そのものが一つの機関でありますが、これは四九年になつて全員の選挙でやつたものでありまして、全部投票したわけです。自分のきらいな者は出さない。とにかく無記名で秘密投票をやつたわけです。いろんな人が候補に上つて選挙されたわけです。その結果が出たものでありまして、われわれが反動と考えたのは、結局依然として旧軍隊の機構を維持して、そうして旧軍隊機構によつて、ソビエトにおいてもこの機構の通りにやつて行こう。従つて終戰後の日本の状況も考慮せず、やはり依然として階級章や帶刀が物をいうというような見地に立つて、そうして旧軍隊と同じようなやり方で特権を振つてやつて行く。こういう考え方で押しで来たものです。つまり戰後の状況も全然わからず、民主々義の何たるかもわからず、ポツダム宣言なんというものは問題にせず、そうしてあくまでも旧軍隊機構、旧軍国主義、旧侵略主義を支持して、そうしてもう一度自分たちが帰つたらやり直して、ソビエトへ侵略して来るんだ。この次来るときには自分たちはこういう連中をやつつけてやるんだというような考え方を依然として持つておつた者です。それからもう一つ、その中に戦争犯罪人があるのです。これは一般の反動と違うと思います。戰争犯罪容疑者です。それからもう一つ、ぜひ申し上げておかねばならぬことは、われわれは反動思想反動分子というものを区別する。反動思想というものは敵としなければいかぬ。しかしながら反動分子といつても、われわれ自身はどうだ。われわれ自身も戰争まではやはりそういう思想を持つておつたじやないか。若干それでも何年か早く目ざめて来たのた。だからわれわれは、そういういわゆる反動分子という人間が実質的に悪いとは考えておりません。それでやはりそれらの人の抱いておる反動思想を敵としなければならぬというふうな考え方で行きました。
○鍛冶委員長 俘虜の間でスターリンヘの感謝決議という、誓いをしたと附きますが、そういうことが、ございましたか。
○矢浪証人 それはスターリンへの誓いというのではなくして、感謝文なんです。スターリンへの感謝文署名運動です。
○鍛冶委員長 その中には誓いという言語か入つておつたというではないですか。
○矢浪証人 そうですね。その感謝文の中に誓いますという言葉が二、三ああつたかもしれないが、しかしこれ全体が誓いというふうなことではないのです。われわれとにかく軍鶏讐してはよい待遇を保障された。そこにおいてわれわれもいろいろ民主的の立場をとつて来たという意味で、これに対して感謝をしなければならないということで、帰つて行く者帰つて行く者みな最初残して行つたわけです。そういうところから来たわけです。
○鍛冶委員長 それはどの範囲で署名をさせましたか。
○矢浪証人 初めは帰つて行く梯団がみんなそういうものを書き残して行つたわけなんです。四七、八年ごろからみな感謝文を書いて署名して行つたわけです。たとえばハバロフスクを通過するようなときは、ハバロフスクでもつてこれを新聞社に委託するというような形で置いて行つたわけです。あるいはナホトカでそういうことをやられたこともあると思います。ところが四九年の、もう今年の帰還はこれが最後だというときになりまして、これをまとめてやろうじやないかという意見が出て来たわけです。そうして、どうせまとめてやるならりつぱなものにしよう、われわれは働いた金があるが、金は持つて帰れないわけです。許可にならないわけです。しかしながら品物なら持つて帰れる。しかしその品物もそんなにたくさん持つて帰る必要はないから、その金を少しずつ出し合つて、これでりつぱな感謝文をつくり、できれば記念品もつくつて贈ろうじやないかという議が出て来まして、四九年五月の第二回の反フアシスト大会がありましたときにこの動議が出まして、これか決議された。その席上で、これはどういうふうにしてやるかといういろいろな議論が出たわけですが、議論の結果これをつくろうということになりまして、委員をあげて作成にかかつたのです。そうしてでき上つたのです。
○鍛冶委員長 わかりました。 昭和二十三年、一九四八年、野坂參三氏から、ソ同盟からの帰還者の諸君へという手紙が送られたそうですが、御承知でしような。
○矢浪証人 それは私どもに送られたものではなくて、ソ同盟から帰つて来た人たちに送つたものなんです。どうしてこの手紙が私どもの手に入つたかというと、これはアカハタに載つたわけです。ソ同盟から帰つて来て入党した者に対して野坂さんが出された手紙で、大体四八年の七月ごろアカハタに出たものたと記憶しておりますが、それか十一月ごろになつて私どもの手に入りました。それでそれをすぐ日本新聞に転載したわけです。
○鍛冶委員長 どんな内容のものでした。
○矢浪証人 それはアカハタの現物があればすぐわかると思いますが、アカハタの四八年七月、ころに出たもので、記憶しているところでは、野坂さんから帰還者、特に帰還者のうちの党員のいいところや悪いところを直接指摘されてあつたと思います。特にいろいろな短所について具体的に示されたわけです。そういう意味で、私どもはこれを十一月になつてから手に入れて、非常に参考になりました。私どもは日本の事情やなんか詳しいものではないし、帰つた者がどうなつたか、それもよくわかりません。しかしながら野坂さんの膏薬は、われわれの民主運動を進める上において教訓になるのではないかという点から、向うでも野坂さんのこの意見について、私どもはこれを勉強しなければならぬというふうに受取りました。そうしてこれを反省の材料にしたわけであります。
○鍛冶委員長 昭和二十四年、一九四九年の五月にも、共産党から手紙なるものが来たそうですな。それは御記憶ありませんか。
○矢波証人 共産党からの手紙ですね。私どもの手に入つたのは大体暑いのが過ぎて九月に入りかけたころだつたと思います。これを見た者は、シベリアでは何人もいないでしよう。私は新聞社にいた関係上、ソ側の幹部が持つていたのを見せてもらつたことがあります。
○鍛冶委員長 新聞に載せたんじやなかつたのですか。
○先浪証人 新聞にはそのままもちろん載せておりません。ただ私の記憶では、全員の帰還が迫りまして、帰還者読本というようなものをつくることになつたわけですが、この帰還者読本をつくるときに、ほかの材料もありましたが、そのパンフレットがありましたので、それを材料として利用したということがあります。
○鍛冶委員長 そうすると、その中のいいところを載せた、こういうわけですか。
○矢浪証人 そうです。これは日本と事情が違いますから……。この帰還者読本については、私どももお手伝いはしましたが、編集局のソビエト側の人が責任を持つてつくられたのです。私どもはそれについて意見を言うということでりまして、いろいろな材料を集めて、その中からいろいろ抜いた点もあると思います。
○鍛冶委員長 「前衛」のことしの四十七号に、あなたの名前で「在ソ民主運動の一決算「という論文を載せておられますが、これはもちろんあなたの執筆されたものであろうと思いますが間違いありませんね。
○矢浪証人 間違いありません。
○鍛冶委員長 それでここに書いてあることには、別に今日あらためて訂正するとかなんとかいうところもありませんか。
○矢浪証人 それはありません。
○鍛冶委員長 ところがこの中で、いろいろ伺いたいことがありますが、帰還者の入党率が予想より低い……
○矢浪証人 ちよつと本を一冊お貸し願えませんか。
○鍛冶委員長 これは初めの方です。帰還者の入党率が予想より低い。こういうことがありますが、これはあなた方どのぐらいを予想しておられたのですか。どのくらい入つたかどうか、低いとおつしやる点を承りたいと思います。
○矢浪証人 帰還者と申しましても、それはときどきによつて違います。四九年度では民主運動が非常に発展しておりまして、その状況で私たちは大体帰還者の半数くらい、五〇%くらいは入党するだろうというふうに想像いたしておりました。ところが実際帰つて来てみると、五〇%というと二人に一人ですが、なかなか二人に一人というわけには行かないし、具体的にはわかりませんが、これよりも低いということがわかつて来たので、そういうふうに書いたのです。
○鍛冶委員長 実際はどれくらいのものでした。
○矢浪証人 それはちよつとわかりません。大体五割見当、二人は一人というふうに考えていたんですが、実際あたつて見ても、それまでには行かないということがわかりました。
○鍛冶委員長 三〇%くらいになつていましたか。
○矢浪証人 それは具体的にはわかりません。
○鍛冶委員長 五〇%より低いということだけはわかつた、こういうのですか。
○矢浪証人 そうです。
○鍛冶委員長 それから第一、第三第三とあつて、次のページ第三に、在ソ民主運動の特質としてあげておかねばならぬのは、その闘争の種類と形態の特異なこと、すなわち当時野坂の言つておるように、在ソ民主運動の任務は旧ファシスト的将兵のファシスト思想革命であり、反ファシスト的意識の変革または民主的人間変革にあることである、かように述べておられますね。ここでおつしやる当時野坂の言つておるようにというのは、これは野坂さんはどこでどういうことを言つておられたんですか。
○矢浪証人 野坂さんの言葉は思想革命だけで、これは引用ですから、かぎで囲つたわけです。思想革命のところにかぎで囲んでおります。下のは、これに対する反ファシスト意識変革、民主的人間変革、これは私が言い直したわけです。野坂さんの思想革命という言葉は先ほど申しましたような一番最初の帰還者党員に與える手紙、この中にある言葉を引用したわけであります。その中に、諸君は思想革命を終えて帰つて来られたという言葉があります。その中の一句を引用したのであります。
○鍛冶委員長 それから民主的人間変革とは、これはどういう意味に解したらよろしいのですか。
○矢浪証人 これは終戦後、武装解除されて入つて来た軍隊の兵隊は、私自身もそうでありましたが、非常に荒れて、精神的に荒廃して、めちやくちやでありました。そうしてほんとうのファシスト、今思い返してもぞつとするようなそういう状態の兵隊であつたのです。こういうふうになつてしまつた兵隊の気持や、それからこういうものの考え方、意識をどうして人間らしくかえすかということが、非常に大きな問題であつたわけであります。従つてこの人間変革というのは、どうしてもポツダム宣言の精神に従つて、民主的に平和を好む——残虐たとか、そういうあくどいことをきらうような、正しいまじめな平和な人間に切りかえて行かなければならない。それには運動の初期においては、いろいろな形で出て来ました。たとえば将校の幹部団に対する反対のような形で出て来たりしまして、そうしてこれが反軍闘争になつた。しかしその後においては、これは自分自身の問題であり、自分自身がもつとまじめな正しい人間にならなければならないというふうにかわつて来ました。そこから人間変革という言葉が出て来たわけであります。もつと平和と民主主義のために、だれが見てもりつぱな人間にならなければならならないということを心がけで行くように、これを労働を通じてやつて行こう、こういうことであります。
○鍛冶委員長 あなたのおつしやる民主主義という意味を聞きたいのですが、あなたのおつしやる民主主義というのは、いわゆる階級的プロレタリア的自覚た、こういうことでしよう。言いかえれば共産主義ということじやないのですか。
○矢浪証人 それはここにも書いてありますように、まず大衆の民主的、人間的自覚、さらに進んで階級的プロレタリア的自覚、こういうふうに書いております。われわれの民主運動の場合に一番大事なことは、反ファシスト委員会でも言いましたように、反ファシスト運動ということが基盤であります。これは初めからおしまいまで、反ファシスト運動であるということについてば、全然根本的なものであります。つまり反ファシスト民主主義、正確にいうと反ファシスト民主委員会という名前であります。反ファシスト民主運動なのであります。これがわれわれとしては根本である。従つてかつて非常に無自覚で、戰争に出て人を殺すことを何とも思わなかつた兵士、これが人間的に改造されて、まじめな民主主義者になつて行くという過程、これが運動の根本だつたわけであります。しかしながらさらにそれが進んで、これは初めはインテリ層とか、どつちかというとそういう人たちが多かつた。そのうちにだんだんと勤労者がどんどん入つて来た。これが労働をやり、作業をやるその間に、そういう自覚がだんだん出て来た。従つて勤労者としての自覚を持とうということで進んで行つた。これが階級的プロレタリア自覚というふうに発展して行つたわけであります。
○鍛冶委員長 次にお伺いしたいのは「在ソ民主運動の特徴としてあげておきたいのは、プロレタリア国際主義の基調に立つていたことである。」こう述べておいでになりますが、このプロレタリア国際主義とは、今日日本で言われておるどういうことにあたるのでありましようか。
○矢浪証人 これは簡單にいえば、要するにわれわれが入つたときなは、極端な国粋主義者として入つた。ロシア人を見たらロスケと言い、このやろうといつたような調子であつたわけです。自分の民族が一番りつぱだ。敗戰になりても、われわれはそう考やえておつた。それからだんだんとソビエトの人たちに接しておる間に、調子がかわつて来た。向うがさつぱり民族的な差別感というものを意に介しない、そういうことを考えていないということがだんだんわかつて来たわけです。それからとにかくわれわれ勤労者は、こういう民族的な差別感、自分の民族がいいとか、ほかの民族が悪いとか、そういつた差別感を捨てて、そうしてもつと働くものはどこの民族の人間であろうとも、これは一緒に手をつないでやつて行こうというような考え方になつて来た。われわれはこれをインターナショナルな考え方というふうに見たわけです。しかし私どもはやはり民族とか、祖国、この観念ははつきり持つていたし、それを強調したつもりです。やはり自分の民族、自分の祖国というものを愛することがなかつたら、ほんとうの国際主義はないというふうに考えて来たし、またこの国際主義と、それから民族を尊重するということは矛盾するものでないというふうに考えます。もしもここで特にプロレタリア国際主義といいますならば、プロレタリア国際主義でないところの国際主義、あるいはブルジョア国際主義というようなものがあるとすれば、これは国際主義の名のもとに民族の独立を解消してしまうという行き方になつて来る。われわれの考えている国際主義はそうでなくて、民族の独立と自由と、民族の繁栄というもの上に立つての国際主義である。矛盾するものではないという意味で、プロレタリア国際主義…… 〔そんなことを言つておるとスターリンの言うたことと違うぞ」と呼び、その他発言する者あり〕
○鍛冶委員長 議論はあとにして、ただ事実に基いて伺いますが、そうすると、インターナショナル的のものであるが、これは日本共産党の考え方も、これと同一の基盤に立つているものと解釈してよろしゆうございますか。
○矢浪証人 日本共産党とプロレタリア国際主義……。ちよつと……。
○鍛冶委員長 その関係はどう思つておいでになるか
○矢浪証人 ちよつと何だか……。われわれのやつておつた民主運動と日本共産党、こういう意味ですか。
○鍛冶委員長 まずそれから承りましよう。
○矢浪証人 われわれの民主運動は、れは先ほど申しましたように反ファシスト民主運動でありまして、これは共産党の運動でありません。共産党のような綱領、あるいは政治的な明確な綱領もスローガンも持つておりません。従つてわれわれの場合には、共産党のような組織も持つておりません。反ファシスト委員会の組織はありません。
○鍛冶委員長 さつき言つたように、階級的プロレタリア的の自覚に持つて行く、こう言つておられるでしよう。これが進んで、プロレタリア国際主義の基調に立つてやつておる。こう言われるのであるから、同一のものとわれわれは見るほかはない。その点を聞いておるのです。そういうことになりはしませんか。
○矢浪証人 プロレタリア国際主義という点では同じかと思うのです。
○鍛冶委員長 階級的プロレタリアの自覚、これは野坂氏の理論から出ているでしよう。そこでここに来て、プロ レタリア国際主義の基調に立つておると言われるから、同じ考え方だろう。先ほどから聞いたことを繰返して聞いているようなものだ。
○矢浪証人 ちよつと質問がのみ込めないのですが……
○鍛冶委員長 この前に野坂さんの説を引きまして、それで思想革命を言われ、そして最後は階級的プロレタリア的自覚を促すことだ、こう言つておられるでしよう。これは先ほどわかりましたね。そこでさらにこれに基いてこの運動の特徴というものは、このプロレタリア国際主義の基調に立つておる。こういうことになつて来ますから、いわゆる野坂さんの考えから、この階級的プロレタリア自覚を促して行きたい、そうしてこれはプロレタリア国際主義の基調に立つているものだとわれわれは思うが、それはいかがですかと承つておるのです。
○矢浪証人 もう一度質問を伺いますが、つまりわれわれのシベリアの民主運動においては、プロレタリア国際主義の立場でやつて来た。現在の日本共産党もやはりプロレタリア国際主義の立場でやつておるのか、こういうことですか。
○鍛冶委員長 それでもよい。
○矢浪証人 もちろん日本共産党は現在平和と民主主義と民族の独立のために闘うすべての勤労者、すべての人民はよく連帯して闘わなければならないという意味で、これはプロレタリア国際主義に立つていると思います。
○鍛冶委員長 それからここにも書いてあるし、またこの前からもいろいろ承つたのですが、在ソ中、友の会講座、それから友の会読本によつて、宣伝啓蒙の基礎教材として、日本共産党の綱領や政策の解説が與えられ、日本共産党に対する信頼と人民民主政府のための闘争戰術への関心が高まつた、かようにありますが、日本共産党に対する信頼というのは、これらの中にそういうことがあつたから信頼が高まつたのでしようか。友の会の講座とか、友の会の読本などによつて啓蒙されて、これが基礎資材になつて日本共産党に対する信頼が高まつた、こういうふうに読めるようですが……
○矢浪証人 もちろん。日本共産党に対する信頼が高まつて来たのを助けた一つの材料としてこういうものもあげられるだろうということであつて、そのことからただちに日本共産党の信頼が高まるわけではない。共産党に対する関心というものはだんだんふえて来まして、最初は輿論調査までやつても、共産党に反対するものは非常に多かつたのです。大体八、九十パーセントくらいから、四七年の春ごろになつても、大体五〇%くらいだつた。しかしそれがだんだんかわつて行つて、最後には日本共産党に対する支持が非常に強くなつて来て、この信頼が高まつて行つたわけです。その高まつて行くためには、やはりいろいろな友の会読本——これは四六年のものですが、これらの日本新聞に出た講座とか、そういつたものが役に立つたということであります。
○鍛冶委員長 その次に書いてあります、人民民主政府のための闘争戰術への関心、こうなつておりますが、人民民主政府とはどういうものを指しておいでになりますか。
○矢浪証人 これは時間的に大分古いのですが、このときは一九四六年から七年ごろのものでありますが、これは現在も同じことです。現在のような反人民的な政策を持ち、反民族的な政策を持つておる、そういう政府ではなくて、もつとほんとうにいろいろな各層の人民から選び出されたほんとうの民主的な政府、いわゆるポツダム宣言も言つていますが、平和的な民主的な政府、国際的にも十分に信頼されるような政府、そしてそれが再びわれわれを苦しめた戰争とか、侵略とか、そういうことを絶対に起さないような、ほんとうに日本の平和と独立とそれから自由と民主主義、これを守つて行く日本を建設して行く、そういう政府をつくる。特に人民民主政府と言つた場合には、これはいろいろな人民の各層から代表を選んでつくる。どうしても人民民主正府をつくるためには、われわれは民主民族戦線の運動をやらなければいけないというような考え、そしてそれをどういうふうにしてやるかということを説明し、あるいは宣伝し、そうしてそれに対して大衆の関心はどんどん高まつて、そうしてみな研究するようになつたのです。そのことを今言つているわけです。だから人民民主政府というのは、今別の盲葉で言えば、民主民族戦線の政府と言つてもいいわけです。それでもしそれ以上のことになりますれば、さらにもう少し深く説明しなければなりません。
○鍛冶委員長 ただ人民各層から選ばれた者によつてつくる政府というと、どこにでもあるように聞えるが、しかしその前提には、先ほど言われたように階級的プロレタリア的自覚に基いた、そういうあなた方の何だ、かように解釈していいのでしようね。
○矢浪証人 それはむしろその前に、もつとわれわれの運動の規範として得た民主的人間的な自覚ということが一番根本です。さらにそれから進んでと、こういうわけです。
○鍛冶委員長 さらに進んで階級的プロレタリア的自覚に基いてつくる人民民主政府、かように解釈して……。
○矢浪証人 そういうものも入つて来るでしよう。これは民主主義者が全部入つて行けばできると思います。
○鍛冶委員長 結局あなた方は、さらに進んでは階級的になる、こうならなければいかぬと言つている。だからこれはそういう意味での……。
○矢浪証人 民主人民政府というのは、何もほんとうに階級的に自覚したプロレタリア的ばかりではなくて、これはいろいろな人民の各層、もちろんいろいろな種類の勤労者もいます。それからさらに農民もおるし、あるいは中小企業者やあるいは一部の資本家の人たちもおると思います。そういうものはみなやはりこの中に入つて来なければならぬ。それが民主人民政府だと私は思う。
○鍛冶委員長 どうもさつきからの議論からいうとあたらぬようたが、それ以上は議論になりますからよろしいでしよう。そこで今言つたような、そういう人民民主政府の確立のための闘争戰術ということを、日本共産党の綱領や政策の解説によつてわかつた。そういうことですね。日本共産党の綱領や政策の解説が與えられ、そして共産党に対する信頼と、人民民主政府のための闘争戦術への関心が高まつた。こういうことになるから、言わぬでもと思いますが、そういうことでしようね。
○矢浪証人 そうです。日本共産党の、これはもつとあとではつきりして日本共産党の提唱する民主人民戰線の綱領というような形で、これは発展して行きます。民主人民戦線の綱領が出る前にも、共産党はこれと同じような方向の、民主民族戦線をつくるための闘い、そういう方針というものを出しております。それを言つているわけです。それはそれでけつこうです。
○鍛冶委員長 「大衆的批判集会」というものがありますが、これはどういうものなんですか。
○矢浪証人 それではこれを説明します。この「大衆的批判集会」は、ここにも掲げてありますように、民主運動の状況を話をしないとちよつとわかりにくいと思います。簡単に申し上げますが、(「つるし上げ大会」と呼ぶ者あり)それはちよつと違います。やはりこの民主運動の特徴は、旧軍隊から出て来た運動であつたわけですから内部のいろいろのお互いの批評とか、それに基く自己批判とか、こういうことが活発に行われました。これは特にアクチーヴと言われる間では、ことさらこれは嚴格に行われました。さらにそれが一般化して、一般大衆の間にもそういう空気が非常に強くて、各職場においてもこういうことは徐々に行われたのです。ですからその場合に、全部いろいろな問題を大衆の討議にかける。そして大衆の批判にかける。民主的に解決して行く。こういうやり方を絶えずとつたわけです。そうやらないと一部の者がこそこそと解決してしまうというやり方はいけない、民主的ではないというふうになつて、大衆的な批判会というものがよく持たれた。これはやはり一番大事な運動の形であつたと思います。これが反軍闘争の将校たちに対する批判の場合にも、あるいは運動の指導部にあぐらをかいている腐敗的な幹部が出た場合にも、そういうような形をとつてやつて行つたわけです。
○鍛冶委員長 俗に言うつるし上げと違うのですか。
○矢浪証人 つるし上げというのは、これはいつの間にかそういう言葉が出て来たのでありますが、一言ここでも断つておきますが、この場合に、大衆的な批判会のやり方について、これは御承知のように旧軍隊でいじめ拔かれて来た兵隊なんです。そういう者がいろいろ自分の持つている反感とか、いろいろな感情がなかなか整理できないで、ちようど昔で言えば百姓一揆のようにかなり脱線したり、あるいは自然発能にいろいろなことが起きて来るということはあつたのです。しかし決してこういうものは正しいことじやないというので、これは反フアシスト委員会か何かで、いわゆるつるし上げの問題がとり上げられて、これは徹底的に直さなければならないということになつておりますし、事実このつるし上げなるものを、旧軍隊の昔のフアシスト軍隊と同じようなやり方でやつた連中の中には、にせものが非常に多かつた。ほとんど大部分がこういうものをやつた連中はにせものだということが明瞭になつております。こういう方針は民主運動の指導部もとつていないし、やはりソビエト側はこれを徹底的に取締るという方針をとつております。
○鍛冶委員長 あなたは批判会のように言われるが、ここに書いてあるところは「集結地における大衆的闘争は」、と書いてある。これは批判じやない、闘争でこういう大会をやつたんではないですか。それでは当然闘争として責めつけられるのはあたりまえじやありませんか。
○矢浪証人 どこの箇所かわかりませんが……
○鍛冶委員長 四十九ページの下です。「集終地における大衆的闘争は、大衆的批判集会」……
○矢浪証人 これは用語の問題でありますが、われわれは闘いという言葉を使います。いかなる場合においても闘いという言葉は一般的に使いますが、われわれは生活して行く面において、大衆的な活動をやる場合には、すべて大衆的闘争と言います。これは大衆的活動でもいいのです。
○鍛冶委員長 次に第一回反ファシト大会のスローガンの中に「民主民族戰線の旗の下に、日本共産党の指導のもとに」こうありますね。第三期展開というところです。特にこのことに関して聞きたいのは、日本共産党はどのようにして指導をしておつたものであるか、その点を承りたい。
○矢浪証人 シベリアの民主運動を日本共産党が指導したこともないし、また指導するわけもないし、これは常識でお考えになつたらわかるように、こんなことはできないのです。ただここでわれわれは共産党指導のもとにといつたわけは、これは日本に帰つたならば共産党の指導のもとに結集して闘おうという意味で、スローガンとして出たのであります。日本共産党がソ連の領土であるシべリアにおいて指導できるわけもないし、こういうことは絶対ある得ないことだと思います。なぜならば、それはちよつと説明申し上げますと、ソビエト同盟においては、ソビエト同盟の政府とそれからちやんと強大なボルシェヴィーキの党がありまして、従つていかに日本人がたくさんいようと、われわれは特に捕虜であるし、そういう日本共産党の何らかの連絡のある、あるいは類似なそういつたものの組織を絶対に許しません。ソビエトの領土内においてはソビエト政府とボルシェヴィーキと、これ以外のいかなる政治的党派も許さないという建前になつております。従つてそういうことは常識で考えておわかりだと思います。
○鍛冶委員長 けれどもおかしいですね、ここに第一回反フアシスト大会のスローガンで、「その中心スロレガンは「平和民主主義民族独立のために」の国際的スローガンを中心に、右に「民主民族戰線の旗の下に、日本共産党の指導の下に」左に「反ファシスト委員会を真に大衆の機関たらしめよ」とかかげられた。」とこういつておるのに、これでも日本共産党の指導がなかつたというのはどこから出るのですか。
○矢浪証人 これはこの通りシベリアの民主運動において、帰還後日本共産党の指導のもとに結集して闘おうという意味のスローガンです。
○鍛冶委員長 まああまり謬論にわたらぬようにいたしましよう。 その次は何か在ソ中に諸戸文夫事件というのがあつたそうですが、それを概略だけでよろしいのでありますが、ちよつと聞いておきたいのです。
○矢浪証人 諾戸君は淺原君というのが本名ですが、諸戸君はシベリアの民主運動においてずつと指導的な地位にあり、新聞社においても重要な地位にありました。しかし一九四九年の九月だつたと思いすが、結局いろいろソビエト同盟の取調べ当局の方で大分進行して来た事件に関係がありまして、その事件というのは、淺原君は三四五部隊といいますが、これは特務機関のロシア語教育隊であります、この部隊に所属していた。これだけでは大して問題じやないのでありますが、終戰時にハルビンにソ連の人々を收容した保護院というものがありました。その保護院において、終戦時に、よくわかりませんが百何本名かの虐殺が行われたそうであります。そしてその虐殺のときに淺原君は衛兵に立つておつた、この衛兵に立つということは、ほかの部隊では当時そういう所の衛兵は許さなかつた、そうして三四五教育隊が行つたわけです。そういつた関係で、詳しいことはわかりませんが、やはり戰争犯罪の容疑として取調べを受けることになりまして、そのために民主運動の方もやめ、新聞社の方もやめるということになりました。ですから淺原事件は直接民主運動自体には関係ない個人的な事件であります。
○鍛冶委員長 何か聞くところによると、先ほど言つたスターリンヘの感謝文、それを持つて行く役のための争いであつたということだが……
○矢浪証人 そういうことはありません。そういうことでなくて、ちようど時期がそういうふうに一緒になりましたが、この問題も私どもはこれを強く希望しましたが、結局許可にならない問題でありました。特に淺原君の不幸な事件は、これは淺原君個人の問題から発しておりまして、直接民主運動とは関係ありません。
○鍛冶委員長 承つておきましよう。 次は日本新聞のことでちよつとお聞きしたいのですが、一九四九年の六月十六日付の新聞ですが、ここには徳田球一氏の「日本における民主主義運動」なる論文が載つておりまして、これはコミンフォルム機関紙の「恒久平和のために、人民民主主義のために」に掲載された論文であるようですが、これは御承知でしようね。
○矢浪証人 それは知つております。
○鍛冶委員長 そこでお聞きしたいことは、この論文が日本新聞に載せられるに至つた動機、その他経過等はどういうことでしようか。
○矢浪証人 それは別に動機というものはありません。われわれは日本の情勢やあるいは日本の民主運動の理解に役立つような資料を絶えず集めておりましたから、その中の一つに徳田さんのものがあつたと思います。それは大体自分の記憶では原文はたしか外国語であります。日本語ではなかつたと思います。それを翻訳して載せたというふうに記憶しております。
○鍛冶委員長 徳田氏はコミンフォルムに対してみずからこれは寄稿されたものですか、また向うから求められてやつたものでしようか。御承知ですか。
○矢浪証人 それは私にはわかりまけん。
○鍛冶委員長 これはやはりコミンフォルムに対しては、日本共産党もしくは徳田球一氏が始終こういう論文を載せたり何かする密接な関係があつたことだけは間違いありませんね。
○矢浪証人 そんなことはよく私にはわかりません。ただそれはどういう事情で、それがロシア語だつたか英語たつたか記憶ありませんが、翻訳されているものかどうか。それがどういう経路でコミンフォルムの機関紙に載つたか。それは私には少しもわかりません。
○鍛冶委員長 その次は一九四九年七月十六日発行の日本新聞に「党創立記念日に誓う」と題した諾戸文夫の論文が載つたことの御記憶がありますか。
○矢浪証人 記憶があります。
○鍛冶委員長 この中で、同志野坂は一九四八年七月周知の檄の中でこういうことを言つておる。こう書いておりますが、この野坂氏の周知の檄とはどういうものですか。
○矢浪証人 これは先ほど申し上げました四八年の七月にソ同盟から帰つた党員諸君べという手紙のことをさしておると思います。
○鍛冶委員長 それからさらに進んで、かくして同志野坂は、私は諸君によき共産党員であるとともに、よき民主民族戰線画組織者であることを期待する、かようにありますね。
○矢浪証人 これもやはり同じ手紙のおしまいの方にある言葉であります。
○鍛冶委員長 要するにこれを見ますると、諸君はよい共産党員になつて帰つてもらいたい、こういう意味だと思いますが、そうでしようね。
○矢浪証人 そうです。これは野坂さんは帰還者の党員に対して言つておるわけです。だから君たちはいい党員ばかりでなく、もつと民主民族戰線のよき組織者にならなければならないということを言つておることと思います。これを諸戸文夫君が引用して彼の意見を展開しておるわけです。
○篠田委員 ちよつと証人にお尋ねいたしますが、ソビエトにおけるところの民主主義運動の特徴は、プロレタリア国際主義の基調に立つておるということをあなたが言われ、日本の共産党の幹部であるところの野坂參三君からも、そういうふうな激励の手紙があつたように述べられております。しかし私たちの記憶する範囲におきましては、第二次世界大戰が始まつたときに、ソビエトにおきまし第三インターナシヨナルというものが解散されたところの原因は、結局においてソビエトが産際共産運動をやめるという基調の上に立つて、みずから解消したものであると考えております。また戰後コミンフォルムができましたときにおきましても、コミンフォルムと日本の共産党とは全然関係がないんだ、コミンフォルムはコミンフォルム自体の運動をやつておるのであつて、日本共産党は民主民族戰線の上に立つての運動であるから、世界の共産党の指示やあるいは指導を受けておらないということを盛んに主張したと思うのですが、現在のあなたの主張によれば、日本共産党もまたいわゆるプロレタリア国際主義、国際共産主義の上に立つて運動しておるということを言つておられると思いますが、その点はいかがですか。
○矢浪証人 私はそういう証言をした覚えはございません。日本共産党はやはり日本共産党の独自の政策と綱領を持つて、日本人民の党、日本プロレタリアートの党として闘つておると思います。但しその場合、これは私の考えでありますが、日本共産党の持つている立場は、プロレタリア国際主義の精神に立つておると思います。先ほどから申し上げましたように、民族の自由、独立、繁栄ということを願うところの愛国的な精神と、プロレタリア国際主義の精神とは矛盾しない。矛盾すると考える者が実はインチキな共産主義だと考えます。
○篠田委員 プロレタリア国際主義というものは、マルクスが言つたように、万国の労働者がプロレタリアートの立場において団結する。そうしていわゆるあなた方の言う民主主義革命、すなわち共産主義革命を成就せしめるということは何人も否定することのできない常識であります。それから先ほどからあなたがずつと委員長の質問に対して答えられたところのプロレタリア国際主義というものも、そういうものであるとわれわれは解釈しておるまた事実あなたの証言はそうであるのです。そこで日本の共産党がほんとうにコミンフォルムというものから離れて立つておるという声明をしておつたが、先般の野坂參三の自己批判において、そうでなかつたということが暴露された。そのあとに、あなたの証言を聞いても、現在のプロレタリア国際主義は、ソビエトにおいてもあなた方俘虜にそういう教育を施すと同時に、世界に向つて、そういう働きかけをしておるというふうにわれわれは今解釈しておる。ところが実際問題としてソビエトで表面に現われておるところは、スターリン自身が第一次世界大戦以後ソビエトに革命が起つたそのとき、いわゆる国際革命主義者であるところのトロッキーが追放されてメキシコで死んでおる。これはあなたの御存じの通りである。また第二次大戦におきましても、アメリカから軍需物資を援助してもらうというときに、米ソの話合いで世界赤化はやめる、すなわちソビエト一国の共産主義というものはやるけれども、世界赤化はやめるという了解のもとに軍事援助を受けておるということは、新聞紙上においてもあなた方はよく御存じのはずである。ところが実際においてはそういうことでなくて、あなたが今言われたようなプロレタリア国際主義の基調の上に立つて、万国のいわゆる革命をやるというふうに解釈せざるを得ないと思いますが、その点あなたの証言はどういうことになりますか。
○矢浪証人 これは若干誤解されておるように思うのです。私どもは先ほどから申し上げましたように、シベリアの民主運動は、入ソした日本人俘虜に対して、ポツダム宣言の規定するところに従つて、その範囲内における反フアシスト民主主義で、向うの立場から考えますならば、かりに教育という言葉を使いますが、これは非常にありがたい教育というよりも、援助を與えられたわけです。盛んに教育々々という言葉を使われますが、教育というものは上から押しつけたり、つぎ込んだりしてできるものではないのであつて、教育というものは自分でやらなければならぬ。自分で勉強することがこれが教育である。それ以外にほんとうの民主教育の根本はないと思う。実際シベリアにおいてわれわれの運動が成功したとすれば、そういうふうにみんなの自覚に待つというふうな行き方をとつたからであります。
○篠田委員 いわゆる共産主義の教育は、みんなの自覚によつて、だれからもつぎ込まれることなしに、みずからの意志によつて受けたということを言われますが、スターリンへのいわゆる感謝決議文の署名運動というものは、これは全部が軍事捕虜として非常によい待遇を受けたということから感謝したものであつたか、あるいはアクチーヴであるとかその他一般の人が、大会においてそういう動議を出して、ある程度強制的に署名さしたものであるかどうか。他の証人はみなそういうふうに言つておりますが、あなたの見解はどうですか。
○矢浪証人 私は、スターリンへの感謝運動は、やはり大衆の間から起きて来て、大衆がみな納得してやつたものと考えております。そうしてこれをやる場合も、とにかく書きたいものは書け、書きたくないものは書くなという自由意志によつてやつたのであります。またそういう趣旨でやらなければ感謝の運動というものは成り立たないと私は思う。その点はつきり申し上げておきます。
○篠田委員 それでは、書かないものは反動として二回も三回も帰還を延ばされているというような事実を前の証人は証言をしておりますが、この点はいかがですか。
○矢浪証人 そんなことは絶対にありません。
○篠田委員 前の問題にもどりますが、いわゆるプロレタリアート国際主義というものの基調に立つてすべての運動が行われているということは、あなたの論文によつても今の証言によつても明らかでありますが、少くも表面は、日本共産党でも、この間の野坂批判の問題が起る前は、コミンフオルムとの関係はなかつたということを主張していたにもかかわらず、一たびああいう問題が起ると、腰抜けにも盲従してしまつたという印象を国民に與えているのであります。そこでわれわれが共産主義運動というものを見た場合においては、すなわち戰略戰術というものが、日本の共産党においても、ソビエトにおいても非常に違つておるのではないか。たとえばアメリカの援助物資を受けるためには、戰術としていわゆる世界赤化をやめるということを言つているけれども、戰略的にはあくまで世界の共産主義化をやろうとしているであろうというふうに解釈されるのであります。日本においても、民主民族戦線というようなことを言つてやつておるけれども、実際はコミンフォルムの影響を受け、支持を受けてやつているというふうにわれわれは考えているのであるし、またあなたの現在の証言から、これを概略的につかんで行けばそういうことになると思うけれども、この点はいかがですか。
○矢浪証人 少し私の意見を間違つて受取つておられるように思います。日本共産党の立場というものは、もちろん日本共産党独自の綱領と政策によつて、あるいは戰略戰術によつて闘争しているわけであります。しかしながら同時にそれはプロレタリアート国際主義の精神によつて貫かれておる。コミンフォルムというのは、これは欧州諸共産党の情報局会議でありまして、大体コミンフォルムという言葉自体、これは商業ジャーナリズムがつくつた言葉でしよう。向うではそういう言葉は使われておりません。これは正確に言えば、ヨーロッパ諸共産党の情報局会議でありまして、日本共産党との関係は、言うまでもなく国際的な友党関係であります。国際的な友義の上に立脚している党であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。従つてこういう友党、これは中国共産党でも、ソビエト同盟共産党でも同じだと思います。こういう友党の側におけるいろいろな批判的な意見をわれわれが尊重しなければならぬことは当然であります。従つて日本共産党は、日本共産党としての独自な判断に基いて、この友党の援助に対してこれに報いるということを言つているのであります。
○篠田委員 それでは、日本の共産党は独立して民主民族戰線のために闘つておる。いわゆるコミンフォルムというのはヨーロッパ共産主義者の情報局会議である。その友党の忠告に対して従う、あるいは尊重することはよいけれども、少くとも独自の立場に立つているところの日本共産党の、しかも最高幹部の一人であるところの野坂參三君が、いかに友党であるからといつて、そういつたコミンフォルムの批判がたた一つの新聞に載つたということだけで、自己批判を出さなければならぬというようなそういう立場にあるということは、一般的に見ていわゆる従属関係があるというふうに解釈されるのであるが、それでもはたして独立的な一つのりつぱな党として成り立つものであるかどうか、あなたの見解をお聞きしたい。
○矢浪証人 それは非常に私にはおかしく受け取れます。新聞に批判が出てそれに従つた。それで従属関係があるというふうなことを言われますけれども、これはコミンフォルムの機関紙において発表され、さらにソ同盟共産党の機関紙である。プラウダに意見が掲載されたというようなことでありますれば、やはりこれは非常に重要な意見であります。従つてこの意見の意図をはつきりと日本共産党としてはくみとつて、これを参考にして自分の方針をはつきりときめて行くということは当然のことであつて、これらのことに対して、これがただちに従属だとか奴隷化だとか何とかいうことは、ほんとうの国際関係というものをよく御存じないことだと私は考えます。日本に帰つて痛感しますことは、日本はどうも非常に鎖国の状態にありまして、ただ窓がある一方にだけしかあいていない。そのために広い国際的な視野が欠けていると思います。(「鉄のカーテンはどうした」と呼ぶ者あり)鉄のカーテンと言いますが、鉄のカーテンはむしろ日本のまわりにあつて、非常に国際的な視野が欠けている。そのために非常に誤つた判断を下しがちであるというふうに考えます。
○篠田委員 プラウダに出たから、それを自分たちとしては重要な意見として尊重しなければならぬ。しかし日本の共産党は、そういつたような国際共産党の関係を断つて、日本民族の独立のためにやつておるのだということは、何と説明しても、その最高の首脳者であるところの野坂參三君が、それほど無自覚な共産運動をやりておつた——ただ一回コミンフォルムに批判され、それがプラウダに載つたからと言つて、それによつて自己批判をしなければならぬほどの薄弱な基礎の上に立つて日本の共産主義運動をやられておつたかどうかということが一つ。あなたは先ほど来非常にコミンフォルムの援助を受けたということを言つておられますが、コミンフォルムからいかなる援助を受けておられるか、その二点を説明していただきたい。
○矢浪証人 援助というと、何か物でももらうことにお考えになるかもしれませんが、日本の運動についての批判的な意見を述べ、あるいはそれを発表するということは、これは非常に力になることであつて、大きな援助であります。そういう意味において援助ということがはつきり言えると思います。
○篠田委員 あなたは日本が鎖国的な状態にあるということを言われるけれども、われわれの知る範囲内においては、ソビエトこそ鎖国的な状態にあると私たちは考えておる。ところが、それは議論になりまするから別といたしまして、いわゆるプラウダに載つたところの論説、あるいはコミンフォルムの意向というものは、重要なる意見として自分たちはこれを取入れて行くということは、何もふしぎではないと言われるけれども、日本の共産党は、終戰以来、いわゆるその革命運動におきまして、決して国際共産党の指導のもとに立つたり、あるいはその影響のもとに立つておるのではなく、独自の立場において日本民族の独立、そういうもののために闘つているんだということを言つて来ている。われわれもある程度それを信じ、また国民も共産党に入つている人もそう思つている。ところがいかに重要な意見であるからといつて、他国の共産党の情報局会議において述べられた意見が、それがプラウダに載つたからといつて、日本共産党の指導者の大立物である野坂君が自己批判して陳謝しなければならないというような影響を受けるということを見ると、はたして日本共産党が彼らの言うごとく、独立の立場においてやつているかどうかということを聞きたいのであります。
○矢浪証人 質問の要旨がどうもはつきりしません。
○篠田委員 もつとはつきりしましよう。野坂君の書いた自己批判の中の第一に、自分が誤つたところの根拠は、目前の戦術のために1月前の戰術ということは、要するに私が考えるに、アメリカに占領されているという政策のためだろうと思いますが、目前の戰術のためにマルクス、レーニン主義の原則を無視し、または軽視した点にある。マルクス、レーニン主義というものは、これは万国の国際的プロレタリアの団結であり、革命であると思うが、それを忘れておつた。こういうふうに野坂さんは自己批判しておる。そうしてみると、今の日本共産党のいう民族の独立で、よその国際的な共産主義者から何も影響を受けてないという言葉は、野坂君は自己批判しておるけれども、それでも日本の共産党に独立性があるということをお考えになつているかどうかということを聞きたい。
○矢浪証人 これはどういう意味で意見を聞かれるのですか。
○鍛冶委員長 意見だから、むりには勧めません。 〔発言する者多く、議場騒然〕
○鍛冶委員長 静粛に……
○篠田委員 私のお伺いしたいことは、先ほど来証人が在ソ民主運動の特徴というものは、プロレタリア国際主義を基調としてやつていたものである、こういうふうに言つておられる。それから野坂さんの自己批判においても、今申し上げましたように、自分の運動のいわゆる誤りの根源は何であるか。それは目前の戰術のためにマルクス、レーニン主義の原則を無視し、また軽視した点にある。マルクス、レーニン主義というものもまた今あなたが言われたように、いわゆる国際プロレタリアートの思想に立つている。ところが日本共産党の唱えていることは、いわゆる外国の共産主義者の影響を受けてない。日本共産党は日本の共産党独自の立場において民族の独立と民主革命のために間つておるということを言つておるが、しかしあなたのおつしやつたことと、また野坂氏の自己批判でここに出ていることとの間に非常な食い違いがある。そこに戰術としては国際共産革命をやるんだが、しかしいわゆる野坂さんの言う通り、目前の戰術のためにという言葉を使つておりますが、やはり日本共産党にもこれは目前の戰術があるということははつきりしております。その点戰術のために日本民族の独立というようなことを言つているかどうか。あなたは共産党員であろうと思いますが、共産党員でありますかどうか、それを先に聞きましよう。
○矢浪証人 私は入党の願いを出しておりますが、今のところ正式な機関の決定はまだありません。しかし私は共産党員のつもりであります。
○篠田委員 証人は正式に日本共産党に対して入党の手続をとつておられる。それが許可になるかどうかということは、これは手続の問題であるから、それはわれわれの関するところではありませんが、すでにそういう手続をとつておられる。また在ソ中日本新聞に関係をされて、その指導的責任者の位置にあつた方、その方が日本共産党の性格というものを知らずして入党の手続をされるというふうにはわれわれは考えておらない。そこで日本共産党の立つている基調、それがここに重大な問題になります。証人の証言とそこに食い違いがあるとすれば、これこそりつぱにこれは問題になると思うのであります。それを私がお尋ねしているわけであります。でありますから、すでに共産党に入党の手続をとつておられる以上は、日本共産党員であろうと私は考えるのでありますから、その点をあなたはどういうふうにお考えになるかということをはつきり言つてもらえばいいのであつて、われわれが何もあなたに意見を押しつけたわけでも何でもありません。あなたのお考え通り言つていただけばけつこうであります。
○矢浪証人 よくわかりませんが、要するに、私の意見は共産党員として言いますれば、野坂政治局員の意見と同一であります。
○篠田委員 それから人民民主政府をつくらなければいけないということを先ほど言われましたが、その人民民主政府というものはいかなるものであるかということのあなたのお言葉の中に、人民各層の中から選ばれた人民の民主主義政府という意味であつて、その中には必ずしも自覚せるプロレタリア、古るいは勤労者、こういうものだけではなく、民族的な資本家であるとか、中小商工業者であるとか、あるいはまた農民であるとか、そういうものが入つても決してさしつかえない。そういうものの入つた戰線において、しかも自由の意思において選ばれたもの、こういうふうに言つておられますが、現在の日本の政府というものは新しい憲法によつて選ばれ、満二十歳以上の青年男女、その青年男女はもちろんプロレタリアもあります。あるいは農民もあります。あるいはまた月給取もあります。そういうような人々は、二十歳になれば選挙権を持つて、それが自由な意思においていわゆる自分たちの代表を選び、そのまた数によつて政府というものがつくられている。そうしてみますと、これを何らかの圧迫によつてできたところの政府であるというふうにあなたは解釈されているのか。あるいは国民が自由の意思によつて投票しておると考えられておられるか。それをお伺いしたい。現在の日本の政府もあらゆる各層からの投票によつて選ばれている。自由党がなつているとか共産党がなつているとかいうことは別であります。それが民主的なものでないというあなたの論拠というものはどこにあるかということを聞きたい。
○矢浪証人 私は表面は民主的であるけれども、実際はそうでないというふうに考える。なぜならば、その選挙の方法において、現在の持つているいろいろな制限…… 〔発言する者あり〕
○篠田委員 それはどういう制限か。今の日本にそういう制限がしいてあるとすれば、ソビエトにおいては十八歳以上の男女に選挙権を持たせている。しかるに日本では二十歳以上の男女に選挙権を持たせているという形式上の違いがあるだけである。また日本においてはいかなる党派の人間も立候補できるが、ソビエトではいかなる党派といえども立候補するという自由はない。この二つの問題が違うだけであつて、そのほかに各層の投票を集めているということにどういう違いがあるのか。
○矢浪証人 私は現在の選挙法のくわしいことは知りません。詳しいことは知りませんが…… 〔発言する者あり〕
○鍛冶委員長 静粛に。
○矢浪証人 たとえば選挙区制の問題、それから現実にいろいろな選挙の実際において行われて来るいろいろな買收、それから…… 〔「侮辱するな」「何を言うか」と呼び、その他発言する者多し〕
○鍛冶委員長 静粛に。——別に発言してください。
○篠田委員 それでは日本の選挙には区制があるということを言われますが、それならば、ソビエトの選挙には区制はありませんか。
○矢浪証人 もちろん区制はあります。
○篠田委員 選挙区制の制限がなければ、これは実際上において費用もかかり、とうていできない。また主義、政策も、個人の人格も徹底させることができないから、これは世界各国どこの選挙法を見ても、区制のない選挙というものはどこにもありません。ソビエトにおいても選挙区制は確かにある。その区制の問題が、人民民主政府をつくるのにじやまになるということは、どういう根拠でありますか。それをひとつ御説明願います。
○矢浪証人 同じ区制の問題でも、大選挙区とか、中選挙区とか……(発言する者あり)それではソビエトの選挙区の問題を申し上げますと、ソビエトの場合には、これは各職場、職域ごとに選挙のブロックができて、それが母体になつて、その中で大衆的な討議の上で、その中から推薦者を選び出して、そしてこの推薦母体に基く候補者に対して、これを投票するという形になつております。
○篠田委員 それではいわゆる選挙権の行使というものは、なぜソビエトにおいて満十八歳以上の青年男女に選挙権を與えてあるのかといえば、これは十八歳以上の青年男女から死ぬまでのいわゆるソビエトの国民というものが、自己の自由なる判断において、自分の信ずるところの候補者に投票するということ、これは世界の民主主義の原則であります。それは選挙というものが、なぜ代表であるということができるかと言えば、すなわち今言つた自由なる判断において投票するから、代表である。しかるに一つの職場において大衆的討議と言つても、何百万という人間が討議にあずかつておるわけではない。共産党員なら共産党員という部分的な人間が討議をした結果、一選挙区で一人の候補者を出して、それに投票せしめておるような、そういう選挙法というものが、はたしてこれが民主主義的な選挙法であるか。それとも日本のように、その選挙区の中において、十人でも十五人でも、各自の立場が違う、共産覧員であろうと、社会党員であろうと、自由党員であろうと、民主党員であろうと、自由に立てて、そしてそれを判断するものが、すなわち満二十歳以上の国民であるということの方が民主的であるか、あなたの御意見を承りたい。どちらがはたして独裁的であるか、どちらがはたして民主的であるか。一つの選挙区に、国民の判断をまたずして、職場の判断によつて一人の候補者きり立てない、それに対して全部が投票するというような、そういうような、一党員にあらざれば投票権がないというような選挙が、これがはたして民主的であるか。それとも党派を超越して、あらゆるものが自由な立場において立候補し、また国民の判断以外には何らそれに制限を加えるものがないというような選挙の方が民主的であるか、あなたの判断を聞きたい。
○矢浪証人 ソビエトにおいて、たとえば党の影響だとか、そういつたようなものは全然なくて、みんな自由に無記名秘密投票でやつておる。(「違う違う」と呼ぶ者あり)ソビエトの場合にはそうなんですよ。
○鍛冶委員長 理論にわたらないようにして、あなたの知つておられる事実だけを……
○矢浪証人 選挙権を行使する場合のいろいろな制限というもの、たとえば財産上の制限とか、それから性別上の制限、あるいは民族的な制限、そういう一切の障害になるような制限は全然ありません。
○篠田委員 財政上の制限と言われますけれども、ソビエトに共産主義革命が行われている現在の段階において、土地はほとんど国有になつておる。いわゆる生産手段がほとんど国有になつておる。許されておるものはわずかの消費財にすぎない。そういうときに、財産上の制限というものはあり得ないということは、すでに共産主義の一ページを読んでおるものはわかる。そういうことを聞いておるのではない。いわゆる国民の自由なる投票を阻害するような選挙法が民主的であつて、そうして国民の自由なる投票によつて行われておるところの選挙が非民主的であるというあなたの論拠を聞いておる。わからなければ、わからないとおつしやつてけつこうです。
○矢浪証人 ……
○鍛冶委員長 理論にわたるものはする必要はありませんが、ただあなたの経験せられたことを述べていただけばけつこうです。
○矢浪証人 どつちの……
○鍛冶委員長 日本にはあなたの言われるような、そんな制限はないと思うが、あなたはあると思うか。
○矢浪証人 日本には私はあると思います。
○鍛冶委員長 どこに……
○矢浪証人 日本は財産上の制限は実際問題として相当にあると思います。(発言する者あり)たとえば、かりに一介の貧乏人が立候補しようといつても、それは実際問題としてできるわけはありません。その他いろいろな宣伝方法についても、ビラやポスター、こういうものも決してすべてのものが同じように使えるようになつているとは私は考えておりません。
○篠田委員 それではちよつとお伺いいたしますが、あなたが今入党を申込まれました日本の共産党の諸君も、これは衆議院において三十六名、参議院において正名の議員が出ておる。この人たちもやはりプロレタリアートの味方であり、自分自身がプロレタリアであると言つておるのだけれども、日本において財産を持たなければ選挙に出られないということであれば、現在出ておるところの共産党の議員諸君というものは、ことごとくあなたの言うような買収によつたり、あるいは財産を持つておることによつて出て来たところの共産党の議員であると思うかどうか、この点について証言していただきます。
○矢浪証人 貧乏人や、それから、労働者や農民は、共産党に入れば立候補できますが、共産党に入らずしては、これはなかなか実際問題としてできないと思います。
○篠田委員 共産党に入れば立候補ができるが、共産党に入らなければ立候補ができないということは、あなたのお考えでもるか、何かそういう現実的な根拠が拘るかどうか。
○矢浪証人 私の考えであります。 〔「間違つた考えだ」と呼び、その他発言する者あり〕
○安部委員 証人に伺いますが、この野坂參三氏の二つの偏向に関して、あなたの御意見を伺いたい。
○矢浪証人 二つの偏向とは何ですか。
○安部委員 野坂氏がコミンフォルムで、オブザーバーの匿名の人から批判された。そしてまた自己批判において偏向した、そういうことに関してあなたの知つている点について、所見を伺いたい。
○矢浪証人 それは私はよくわかりません。
○安部委員 野坂參三氏は日本において、現在占領治下においても共産党は政権をとることができる可能性があ六る、こういうことを言つたところが、コミンフォルムのオブザーバーから、それはけしからぬ、それは米国のいわゆる奴隷であるというような批判を受けている。そうして自己批判において、そうではなかつた、自分が誤つておつた、こういうことを述べたことをあなたは御存じですな。知つておりますか。
○矢浪証人 野坂氏がそういうふうに言われたのですか。それはよくわかりません。
○安部委員 野坂參三氏の偏向に関して、何も知識はないのですか。
○矢浪証人 何も知らないということはないですが、そういうこまかいことはわかりません。
○安部委員 野坂參三氏の今までの考えというものは誤つておつたのだ。それは先ほどあなたの雑誌に書いてあるプロレタリア国際主義の基調に立つていたことである、こう言うのは、要するに野坂參三氏の今までの考えよりは違つた、やはり暴力主義に訴えてでも将来人民政府というものを立てるという意見を、この文書のうちには含んでおるでしよう。そうじやないですか。
○矢浪証人 それは何の文書ですか。
○安部委員 あなたの、前衛の相川春喜の「在ソ民主運動の一決算」という文書の中に、先ほど委員長が指摘したように、在ソ民主運動の特徴としてあげておきたいのは、プロレタリア国際主義の基調に立つていたことである。こういうことを書いていますな。それは日本において、現在占領治下においては共産党の政権というものは樹立することができないであろう。けれども占領後あるいは暴力革命によつて、共産党政権というものは確立することができるという意味じやないですか。
○矢浪証人 そんなことは少しも関係ありません。それに書いてある文字の遡りであります。
○安部委員 さらにもう一点は、この日本共産党に対する信頼と、人民民主政府のための闘争戰術への関心が高まつたということに関して、あなたが先ほど人民政府というものはどんなものであるかということについていろいろ説明されましたが、それは誤れることであつて、ただいま同僚からいろいろ指摘されて、あなたがまつたく日本の今の選選というものは知らぬということを暴露しておりますが、ほんとうの意味は、いわゆる暴力革命をすることの闘争をせんければならぬどいう意味において書かれたのではないでしようか。具体的に言えば、たとえば三鷹の事件であるとか、あるいはまた福島県の事件であるとか、あるいは人民電車であるとか、その他の事件、そういう暴力革命によつて鬪争せんければ、ほんとうの共産党の——在ソ時代のいわゆる政治サークルとか、あるいは日本新聞のいろいろな記事によつて教育されたあな方の言うところの民主主義というものは共産主義である。しかも今まで野坂參三氏が偏向しない前に抱いていた日本共産党のような、占領治下においても共産党は政権を握ることができるということは反対に、これはどうしても暴力革命によらなければ、ほんとうの共産主義というものは実行できないというような考えから、この記事を書いたのではありませんか。
○矢浪証人 あなたのおつしやられたような内容と、私の論文とは全然関係がありません
○鍛冶委員長 あなた方の政治サークルというものは、どういう教育の内容でありましたか、ちよつと簡單に述べてください。
○安部委員 在ソ当時いろいろ講師がおりまして、講演があつたでしよう。いわゆる民主政治というものはどんなものであるかという、そんなような教育を受けたでしよう。大多数の在ソのわが邦人、いわゆる日本の捕虜なるものはそういう教育を受けましたろう。受けた事実はありませんか。
○矢浪証人 政治サークルのことですね。
○安部委員 ええ。そのことに関して簡單に述べてください。
○矢浪証人 その政治サークルの前に、先ほどちよつと言われたことのお答えになるかもしれませんが、お答えしたい。それは盛んに暴力革命暴力革命ということを言われて、それが何かわれわれが民主運動をやつたのと関係があるように言われ、またこの論文と関係あるように言われますが、先ほどから申し上げましたように、私のは反ファシスト民主運動であつて、反ファシストということが根本であります。つまりファシスト的な暴力に対して闘うということが、一番眼目であつたわけであります。だからこの点は特に一応申し上げておきます。 それから政治サークルの問題は、大体一九四八年の十月ごろから翌年の三月ごろまでの間に、日本の事情、国際事情、世界事情、その中にソ同盟の事情も含んでおります。そういう諸国の事情について、その中から情勢に関するいろいろな問題のテーマを選びまして、そうしてこれを大体三十名か四十名ぐらいのグル—プにわけて、そしてその場合に参加する者は、もちろん作業して働いた晩のことでありますから、出たい者は出る、出たくない者は出ないでよろしいという形で、いわゆる自由意思に基いて希望者だけ出るというやり方で実施したわけであります。ですからこの実施の範囲は、場所によつてそれぞれ非常に違うと思いますが、相当たくさんの参加を見たわけであります。こういうふうな国際、国内、日本情勢の勉強をやつて行つて、そうしてそのための材料は、たとえばソ同盟の現在の外交政策とか、あるいは日本の——テーマは忘れましたが、あるいは外交政策あるいはいろいろな平和と民主主義のために闘つている諸国の運動の状態とか、そういつたいろいろなテーマに基いてこれをやつて行つたわけです。大体このやり方は、もちろんこの中で講師になる人が、実際は自分で本を読んで、独学して行くという建前を基本にして、この独学自習というものを中心にして、講義をやつたり討論会をやつたりしてやつて行く。こういうふうな形でやつて行つたわけです。やはりこれをうまく進めるために、その分所なら分所においてサークルの講師団というものをみなの仲間の中から出しまして、まず講師団が先に勉強して、それから大衆の前に講義をやつてそれを討論にかけるというふうなやり方で進んでおりました。
○安部委員 そういうような形式によつて教育され、民主主義というものを信ずる、いわゆる共産主義といろものを完全に信ずる。そういう者でなければ日本に帰つて来ることができなかつた、あるいはいろいろな差別待遇を受けた。こういうようなことがあつたわけですね。共産主義を信じない者は日本に帰つて来ることができない。また生活におきましても、食糧の点においても、あるいはいろいろな労働の点においても、軽い労働、あるいは重い労働、そういうような差別待遇もあつたでしよう。
○矢浪証人 そんな差別は絶対にありません。
○安部委員 しかし共産主義を信じない者は、そういうようないわゆる民主グループの一員にならなければ、日本に帰つて来ることができなかつたのでしよう。
○矢浪証人 そういうことはありません。最初の年度から、まつたく前と同じ軍国主義、反動の我利々々であつた将校団も先に帰つている。そういうふうなことはないし、第一そんな区別というものはここではないと私は信じております。
○安部委員 その教育の中に共産主義を信奉しなくてはいかぬ、そしてまた日本に帰還しても、そういう者は日本に帰還した後に、日本共産党に入党せんければならぬ。そうしてまたもしもソビエト・ロシアとアメリカ、もしくは日本において戦争でも勃発した場合には、銃口をアメリカ並びに日本人に向けてもかまわぬ、親兄弟にも関係なく、とにもかくにもソビエトのために、その同志のために、日本共産党の祖国であるソビエトのために働かなければならぬというような教育を受けているのではありませんか。それであるから、あなたが帰りましてからも、帰還者の大党が非常に予想よりも低かつた、あるいはその点が非常にあなたが予想に反したとか、そういうようなことをあなたがあなたの文章の中に書き込んだのではありませんか。
○矢浪証人 いろいろな問題がその中に含まれておるようですが、もしも答えが漏れたらもう一度御質問してください。これは前々から委員長の質問に対してお答言えしましたように、われわれは旧ファシストの盲目的な侵略軍隊の分子であります。そういう点から行きまして、これが大体反ファシスト民主運動を中心とする勉強と労働の生活を通じてだんだん自覚して来て、その結論的に出て来たのは、もう戰争はしないということであります。もう戦争はいやだということであります。ことにわれわれは戰争の犠牲者であつたのだから、もう一度同じような犠牲を繰返すことはいやだ、従つてわれわれはソ満の国境において銃口をソビエト同盟に対して向けておつた。そうしてそのために武装解除されて入ソしたわけであります。従つてわれわれは今後二度とソビエト同盟に銃口を向けることはやめようということをみなが叫ぶようになつた。これは事実であります。しかしながらソビエト同盟に銃口を向けることをやめようと言つたのであつて、決してあなたのおつしやるように、それではアメリカに対して銃口を向けよう、そんなことは一ぺんもどこにも言つたことはありません。
○安部委員 先ほどの証人の証言の中に、あなたは反ファシスト委員会の委員の一人であつた。こういうふうにおつしやつたのでありますが、この帰還者の名簿をつくる場合、あなた方が、いわゆる委員会がいろいろ諮問される、あるいは收容者に関し、その行動もしくは思想、あるいはその人方の過去の経歴とか、そういうものを聞かれた場合に、あなた方はそれを調査して答申したようなことがあつたですね。あなたは委員としてそういうことがありましたか。
○矢浪証人 これは私は地方反ファシスト委員会のビューローのメンバーでありまして、直接収容所におりません。従つてこれは地区、特に分所の反ファシスト委員会でなければ具体的にわかりませんが、私の聞いておりますところを申し上げますと、実際はどういうふうにやつたかというと、もちろんこの帰還名簿の作成やそれらの決定は、これはソビエト同盟の当局でされることであります。ソビエト同盟の当局の方でときどきこの人間がどういう人間かわからないような場合に、この人間はどんな人間かということを、反ファシスト委員会の委員の方に諮問的に尋ねる。そうしてその尋ねた答えを参考にするというふうなことはあつたと思います。
○安部委員 その点は追究しませんが、ともかくもあなた方の答申によつて、その人がある場合には早く帰還することができた、ある場合には二へんも三べんも帰還の機会を失つたというようなことがあつたでしよう。それからあなたは、ソ連にいまだに三十七万余のわが同胞が残留しているということに関して、どういうお考えを持つておりますか。
○矢浪証人 それはとんでもないデマだと思います。二十七万入、それはとてもわれわれの想像もできないデマであると私は思います。
○安部委員 それならどれほど残留しておりますか。
○矢浪証人 今度四千帰つて来れは——もちろん私どもは確実なことはわかりません。私どもは——ほかの軍事俘虜でも同じでございましようが、軍事俘虜であつて、そんな全般なことがわかるはずはございません。ほかの捕虜の人の証言にあるかもしれませんが、捕虜の中でも、私は一番よく知つている立場にあります。それでも私にははつきりした数字はわかりません。従つて私としては大体帰還途上で見た数とか、聞いた話とか、そういつたものを総合して考えるよりほかありません。そうしてみますと、私どもの帰つた昨年の十一月の末ころにはほぼ一万ぐらいという見当であります。これ以上のことはわかりません。
○鍛冶委員長 今のはいわゆる戰犯というものも入れてですか。それは別にでしよう。
○矢浪証人 戰犯容疑者も入れてです。
○鍛冶委員長 容疑者及び復員者、それを合せて一万かね。
○矢浪証人 そうです。一万内外です。
○安部委員 あなたは日本新聞の編集員でしたね。
○矢浪証人 そうです。
○安部委員 それは日本新聞というのは、ソ同盟によつて発刊されているのだけれども、あなた方はそのスタッフとして編集員の一人でありましたね。
○矢浪証人 そうです。
○安部委員 そういう場合に二ページあるいは四ページにわたつてほとんど毎号のごとく、反動的な分子は帰つてはいけない、教育しなくてはいかぬ、完全な民主主義を信ずること、平たくいえば共産主義を信ずる者でなければ日本に帰つてはいけないという記事をあなたは盛んに掲載した。ということは結局宣伝したことになるのでありますが、今日なおたくさんの残留者がおり、そして終戦後五年も経過しているのだ。しかもポツダム宣言においては早急にこれは帰るべきものであるという條項があるのだ。また戦時国際法においても、戰争が終結したときには捕虜は迅速に返すべきであるということが規定されておりますが、あなた方がソビエトの官憲に協力して、そうしてできるだけ在留邦人を返さぬように、五年間もたつてなお今日たくさんの残留者がある点において、協力したということは否定できないと思うのでありますが、その点はどうですか。
○矢浪証人 お答えいたします。あなたの御質問は大体三十七万か三十何万か知りませんが、そういうふうなものが残つておるという仮定の上に立つておつしやつておると思います。それでその点はまず第一に私どもは全然意見が違うので、戰犯容疑者を除いて大体みんな帰れ、そうしてそのために日本新聞も必要がなくなるというので、私どもは最後の梯団として帰つて来たわけであります。 それからもう一つはつきり申し上げておきますが、日本新聞において反動を返すなというふうな記事は一ぺんも出たことはありません。一ぺんもありませんから、それははつきり御記憶願います。この反動を返すなという問題につきましては、実は四六年から四七年にかけて、反動将校団がどんどん帰つて行つたために、働いている兵士や大衆の中からなぜ反動を先に返すのだ、われわれを先に返してくれというふうな要求がありました。自然発生的に大衆の中にそういう声がありました。しかしながらソ同盟当局の方は全然そういう考えは持つておりません。いわゆる反動とか民主主義者とかいう区別はソ同盟当局はいたしておりません。従つてわれわれ新聞において、反動を返すなということをどんどん書けという一部の大衆の間の声がありましても、これを新聞に掲載することは絶対に許されおりません。従つてこういう記事は一つもないという記憶であります。但しもう一つ詳しくあげますが、反動を追究しなければならない、戰犯的反動を追究しなければならない。こういう記事はたくさん出ておりました。
○西村(直)委員 ちよつと委員長関連して……。昨日の毎日新聞で私は拝見したのでありますが、日本新聞の写真版と、それから別に日本の活字になつて大きく出ておりました水原君の事件につきまして、水原君が内地でソ連の実情あるいは政治教育について、あるいは圧迫の状況について詳しく述べた。それのはね返りといたしまして「帰還戰列からたたき出せ」、こういう文句を使つております。これは日本新聞に出まして、載つておる写真を解説してあるのを見たのでありますが、それにはこう書いてあります。「腰巾着どもをわが帰還戰列からたたき出せ」こういう記事なんです。これは日本新聞に載つておつた。
○矢浪証人 はつきりした記憶はありませんが、おそらくそういう「帰還戰列からたたき出せ」というふうな言葉はあつたと思います。もちろんこれは解釈の問題だと思います。返すなということは、全体の言葉の調子、その言葉の調子から来る内容、そういうことをよく見なければ、その言葉だけではできないと思います。その文章はどうなつておりましたか……
○西村(直)委員 私はここに毎日新聞を持つておりませんから頭の記憶でありますけれども、これはおそらく間違いない。
○鍛冶委員長 ありますよ。それは覚えあるか。
○矢浪証人 どこか新聞に出ておりましたね。
○西村(直)委員 これは事務局で持つておられた資料であります。それは写真版でありますが、その中に大きくこう載つております。「売国フアツショ打倒の進撃へ」と題する檄文に「水原なる民族の敵の腰巾着の出現は、決して偶然ではない。滅亡にあえぐ米日反動はかくのごとく手段を選ばぬ狂乱を続けている。しかもデマ中傷の犯罪はまさに未聞の醜悪に達している。われわれの生命かけた署名運動に浴びせたこの泥足こそ、わが人民を植民地奴隷につき落さんとする敵の四九年度帰還者への挑戰なのだ。聖なる怒りに燃え、鉄腕をもつてこれらの腰巾着どもをわが帰還戰列からたたき出せ」。こういう言葉であります。これは日本新聞に載つておる。
○矢浪証人 署名は何ですか。
○西村(直)委員 署名は反ファシスト委員会の署名たそうです。
○鍛冶委員長 それを見せてあげてください。
○矢浪証人 これはどこの反フアシスト委員会のものかよくわかりませんが、大体こういう投書があつて、これを掲載したものだと私は考えます。それでこの文章に結局私的な、檄文的な調子で書いてありますので、この「帰還戰列からたたき出せ」という言葉をもつて、そのままただちに今言われておるような反動を返すなという言葉と同じ意味であるかどうか、これは必ずしもそうでないと私は思います。これはこの文章の全体の調子から言つてそうだと考えます。
○西村(直)委員 私は証人は偽りを言つておると思う。おそらく数万の帰りたいという気持に燃えた弱い捕虜の心理に対しまして、日本新聞は唯一の日本の読みものであります。おそらく証人はそれをも否定されるかもしれませんが、あのシベリアの地区において與えられた読みものは、日本新聞以外にはない。言いかえれば日本新聞はわれわれのバイブルであつたということが、この間からの数々の証言、しかも共産主義を信奉されるような方までが日本新聞をも絶えず出しておられる。その読まなければならぬ、どうしても食いつかなければならぬ唯一の新聞に、しかもはつきりこれが出ておる。おそらく他の日本新聞を全部お調べになるならばまだ幾多の同じような言葉が出来ると私は思うのであります。この意味におきまして、私は証人は偽りの陳述をなさつている傾向があると思うのであります。私の関連質問はこれで終ります。
○鍛冶委員長 それではお答えありますか、矢浪君。
○矢浪証人 私は偽りを申し上げてはおりません。
○佐々木(秀)委員 証人は先ほどスターリンヘの感謝決議、あるいは誓いと申してもよろしいですが、そういうことをやつたのは、収容されている人人又が自発的に、ソビエト並びにスターリン元帥により非常にいい待遇を受けている、捕虜としての待遇が非常によかつたということで自発的に感謝文をお互いが書いて贈つた、こういう証言でありましたが、非常に待遇がよかつたという具体的な例をひとつお聞かせ願いたい。
○矢浪証人 それは収容所といつてもいろいろな收容所がありますから、例は幾つもとることができますが、ハバロフスク地方で言えば、たとえばライチハの收容所で、ここなどは炭鉱の労働でございますが、非常に生活條件もよく、さらに……
○佐々木(秀)委員 具体的に言つてください。
○矢浪証人 具体的には、非常にこの収容所は第一りつぱな收容所てつあで、中にレストランもあります。そうしてレストランの中では、たとえばいろいろな嗜好品や何か、あるいはすき焼などの——すき焼は二ルーブルでありましたが、二ルーブルですき燒などをつくつた。それからうどんをつくつたり、いろいろすきな物をつくつております。そうしてここでは炭鉱の労働であつて、炭鉱の労働というものはノルマも比較的高いのでありますが——高いというのは、ほかの労働よりも重労働として扱われておりますので、たとえばノルマの八〇%ぐらいでも相当たくさんの賃金をもらえる。ですからここの收容所では非常にたくさんの賃金をもらつて、みんなここでは毎週一回集会を持つて、そこでたくさんこちそうをつくつて食べる、宴会のようなこともやる。さらにライチハから帰るときにはみんなたくさんおみやげを持つて来た。
○佐々木(秀)委員 証人はそういう非常にいい待遇の所を見て、その一箇所を見て待遇がよかつたとおつしやるのか。それとも何十万という収容者が各地に分散されている各地の分所をいろいろ見聞きしてよかつたとおつしやるのか。そのことをまず聞いてから以下私は続けたいと思います。
○矢浪証人 けれどもこれは帰還した年度、たとえば四七年に帰つた人と八年、九年とこれはぐんぐんよくなつていますから、その年度と、それから帰還した收容所の場所、それからその地方により、あるいは内務省の管轄下で働いていた者と赤軍の直管下の労働大隊にいた者と、これはいろいろな点で違います。だから全部が全部一様であるとは言えませんが、たとえば一般的に言つて、今のライチハとか、あるいはウラジオの十三地区のたとえば第二分所とか、こういうものは場所によつていろいろあります。またそこの労働の性質等も関係があります。そういう点でいろいろありますが、一般的には年度を追つて非常によくなつて、四九年度に帰つた者はみんな非常に生活状態がりつぱになつていると言えると思います。
○佐々木(秀)委員 証人は私の聞かんとするところを率直に言わないで、何だか知らないが遠まわしにごちよごちよ言つておりますが、私の聞いておることをもつと簡単に言つてもらいたいのです。各地の分所を見て待遇がよかつたというのか、全体的のものを聞いてよかつたというのか。ただ一部分いい所があつたというのか、それをはつきりお聞かせ願えればいい。
○矢浪証人 これは年に従つて全般的によくなりました。しかしもちろん場所によつて、收容所によつてそれはいろいろと差があります。
○佐々木(秀)委員 差のあることはわかります。今までの証人の証言の中に、反動と呼ばれた人たちは待遇が非常に違つていた、まあその收容所によつては豚も食わないような、牛も食わないようなものまでも食わされたという証言をしている。そうすると、あなたの言つていられることと雲泥の違いがある。收容者がそうした苦しい非常に苛酷な待遇を受けたというような話を、あなたは聞いたことありませんか。
○矢浪証人 私どもは特に戦犯容疑者の人たちのいる分所にあまり行つたことはありませんが、しかしハバロフスク十六地区の二十一分所、これもやはりそういう種類の収容所でありますが、しかしそこにおける給與の状態、あるいはその他いろいろな状態において、ハバロフスクの二十一分所においては特に他とかわる特別に悪いというふうなことは認められませんでした。
○佐々木(秀)委員 それでは私から申し上げましよう。二百二十八收容所の第二分所等においては、たいがい一分所においては千人單位くらいの收容者がいる、その中でもう一年足らずのうちに二百五十名、四分の一の人たちが死んで行つた、しかもその死んだ人たちがあの寒空の中に、着ていた服も脱がされて、それからはかまもとられて、ふんどし一つでその広野の中に積み重ねられていた事実を見たという証人の証言があつた、その他いろいろな証言があります。しからば、こういう果実があつたとするならば、それでもソビエトがこの收容者に、あるいは捕虜と言われる人たちに最もいい待遇をし、しかもそれをスターリンに感謝するまでの決議をしなければならなかつたというような待遇であつたかどうか。あなたはそれを知らないとおつしやるかもしれませんが、こういう事実があつたとするならば、その待遇を、あなたはそれでも捕虜としてはいい待遇であると言い切ることができるかどうか、お聞きしたい
○矢浪証人 二百二十八收容所というのはどこですか。
○鍛冶委員長 ハバロラスクの、あの地区です。仮定じやない。ちやんと、証人が言つている。
○矢浪証人 そういう事実があつたということは信じられません。
○佐々木(秀)委員 もしあつたとすれば……
○矢浪証人 それは信じられない。
○佐々木(秀)委員 残酷だと思いませんか。ここに来る証人は宣誓をして証言をやるのです。しかも速記をとつて、この事実があつたということを宣誓した証人が言つている。だからその事実は無根だということはわれわれは考えられない。しからばこういうことがあつたとしても、あなたはソビエトは捕虜に対していい待遇をしたと考えられますか。仮定ではありません。その事実があつたということについてのあなたの考え方です。
○矢浪証人 そういう事実があつたということは信じられません。
○鍛冶委員長 実際あなたはそういうことを聞いたことはありませんか。
○矢浪証人 私は聞いたことはありません。
○鍛冶委員長 ハバロフスク地区ですよ
○矢浪証人 私はそういうことを聞いたことはない。
○鍛冶委員長 それから便所に行つておそいと思うと、便所の中でかたくなつて死んでおつたという、そういうことは知りませんか。
○矢浪証人 ハバロフスク地方ですか。それは聞いたことはありません。
○佐々木(秀)委員 そうしますと、あなたの見ているのはおそらくぼくはこう考える。アクチーヴの人たちは確かに相当向うの人たちに好感を持たれ、そうして待遇もよかつたと思う。それから反動と呼ばれた人たちは相当いろいろな、ノルマの点においても差別待遇を受けたということを、われわれはこの委員会において聞いている。あなたは先ほどから反動などと特に特別扱いはなかつたと言うのでありますが、日本新聞には反動という言葉は常に掲載されていたと思いますが、反動というものがはたしてあつたかどうカということだけを、まず最初にお聞きしたい。
○矢浪証人 それはもちろん反動というものはありました。その反動というものはどういうものかというと、依然として軍国主義時代の夢を忘れされずに、そういうふうな考え方を持つて、そしてやはり軍国主義、侵略主義的な考え方を依然として持つているという人たち、その中には、さらに特に上級の将校の人やなんかの間には、戰争犯罪容疑者の人たちもありました、あるいはさらに憲兵、あるいは特務機関やそういつた機関にいた者もある。
○佐々木(秀)委員 そうしたらこういうことをまた逆にお伺いしてみましよう。あなたがホールですか、キャバレーもあつて、すき燒なども食べられて非常に待遇がよかつたというのですから、それほど待遇がよかつたなら、あなたの見ているそういう收容所で、相当残留の希望者があると思うのです。日本は今食糧が不足だ、就職難だということが日本新聞には書いてある。しからばそれほど待遇されて、すき燒を食べさせられているならば、どれくらい残留希望者があつたか御存じでありましようか。
○矢浪証人 それは数的にはわかりませんが、残留希望者があつたということは知つております。しかしながら残留希望は希望しても許可されておらないのです。数は全体としてどれくらいか、私どもちよつと見当がつきません。
○大森委員 関連して同じような問題でありまするが、大体証人が言つておられることは、同じ日本人同士であつて、そして先ほどのどなたかの質問に対して答えられたのは、あるいは反動分子などの調査をして、それを報告いたしたということを申しておられる。でありまするから、その報告によつてあるいは反動と言われる人たちは、いかなる残酷な扱いを受けたか、それが同じ日本人の中から自分がよくなりたい——あるいは思想の問題からも来ておるでありましようが、私どもはその点あなたに日本人として、ここに遠慮なく話をしてもらいたい。あなたの言つておられることは、ソビエトの人のような考え方でありまするから、今のようなことを隠しておられる。私どもの見ておる範囲内においては、どういうことを言つておるかと申しますると、私の近所の人がこの間もどつて来た。その人はどういうことを言つておるかというと、まず連れて行かれて五箇年になるが、その間黒パンをかじつて、今倒れるのか、今死するのかということを考えて、どうやらこうやら生き延びて来ました、しかしながら帰つて日本の御飯を食べると、その奥さんいわく、いつまで食べても、おけというまで箸がとまらぬという。腹一ぱい食べたことがないし、自分で今申し上げたような黒パンをかじておつたから、腹一ぱい食べたことがないのですから、家へもどつて來たらその奥さんがあなたそれじやいけません、もうおきなさい、ああそうか、大分食べたかというようなぐあいです。その人たちはどう言つておるかというと、その人たちが乗つて来た船の中ではどうであつたかというと、いわゆる反動の人たちの間で、そこにおるあなた方のような人たちを、この海の中にはうり込んでしまおうということが大体燃え上つたそうです。それがちようど半分おつた。そのとき艦長はどう言つたかというと、どうかそれだけはやめてもらいたい、今まだ残つておる人もおるのだから、それだけはひとつ私に免じてこらえてくれと言つたので、私どもは船に乗つて一朝錨を上げた瞬間に、もはや今までわれわれを苦しめて報告したやつらをただちに全部海の中にはうり込もうじやないかという団結ができたそうであります。私は共産党であるとか、あるいは保守党であるとか、反動であるとかいうことによつて区別はないと思う。わが家においてはどうかというと、雨の日も雪の日も風の日も、親、兄弟、子供が待つておる、またそこにおる人たちもそうであつたろうと思う。しかるにその人たちを自分の栄達のために報告していじめて、寒中どうであるかというと、そのいじめられた人の話ですが、つるし上げを食つた人たちの話によると、コンクリートの上に着物をまくらして、そうしてズボンを腕がしてそのまますわらし、立つとピリピリと皮がむけて行く、これまで残酷なことをやらしたのである。それがいい、これが民主主義だというのだから、どうも私はあなたの口からもう一度こうしたやり方が民主主義であるかどうかということをお尋ねいたしたい。 食糧に対しましても、今のお話を聞きますると、何かすき燒を食わして待遇しておつたということについて、私は非常に遺憾に思うと同時に、あなたのような、要するにわが国民を売つてすき燒を食つておつた人と、このためにつるし上げを食つて、自分の皮を生きながらはがれておつた人たちを比較するときに、あなた方に対して私は、ははあこの人が人間かなあと思う。思想問題はどうでもいい。反動はどうでもいい。お互いが自分の身を捨てて、国家のためというのであなたも行つたのである。しかるにそれがソビエトにたまたま抑留されて——今関連質問だから私は簡單にしておきますが、これを根本からもう一つ聞きたい。 あなたはさつきからソビエトの代弁者のようなお話だから、私はなおお尋ねいたしておきたいのですが、一体日本の国民がソビエトに捕虜になつたという点が私にはわからない。ソビエトは戰争直前まで日本と不戰條約をして友国であつた。しからば日本がいよいよどうもならぬから、どうか仲裁してくれと言つたということは新聞で御承知でありましよう。あなたは行つておられたから御存じないだろうが、われわれはよく知つておる。ところがいよいよ手をあげた、ときにばたばた入つて来て、日本人を全部連れて行つて、これを捕虜と称して、五箇年間というものは、あるいはあそこのすみでもこき使われ、ここのすみでも一千名のうち三百五十名も殺された。死んだと言えば体裁がいいが、飢えと寒さに殺された。これに対して日本の国民は、ただ抑留者のみの家族ではなく、われわれ日本人として、この話を聞くだけで、私はあの新聞を見ただけで、事実はどうであるかわからないが、徳田君のいわゆる反動を帰すなというあの新聞を見たときに、私は、日本の全国民は血が沸き肉がおどつただろうと思う。共産党のあり方ということに対して、私は思想とか何とか言わない。日本人を、同志を売つてまでもかくのごときことを言つたとするならば、全国民は血が沸き血がおどつたであろうということを言つて、私はそのとき考えたのである。であるから私があなたに結論として聞きたいのは、まずソビエトに捕虜として五箇年間置かなければならなかつたこと、あなたは教育をしてもらつたから恩があるというようなことを言われたが、しからば一体日本人はソビエトへ行つて教育をしてもらわなければならなかつたかどうか、こういう点をひとつ聞かしていただきたい。なおさらに、関連質問だから、これだけ言つてまたあとで聞かしてもらいたいと思うが、私の考えからすると、何のために日本人を捕虜として火事どろ式に持つて行つたか。戰争はアメリカに負けた。アメリカにいよいよ負けたとすれば、いわゆる友国であり友だちであつた以上は、ああ日本人は気の毒だ、お前たちはまことに気の毒だ、わしとは友人であつた、友だちであつたからというので、保護をして帰してくれる。これが私はあなたの言われる民主主義だと思う。いわゆる民主主義下にある国民であるならば、ここまで私ども日本人のために便宜を與え、そうして日本人を扱つてくれたということであるならば、スターリン様々である。しかしながら何ら罪科もない、何の鉄砲も撃たない日本国民を捕虜にして五箇年も置いたということに対して、これ自体が私はふしぎでならない。これらの点に対してあなた方はどういう感想か。これがあたりまえだと思うておられるかどうか。私は凡人にして、現在の日本人を五箇年もソビエトに連れて行つて置いたこと自体、連れて行くこと自体私はどうしてもさとることができないので、この点をお聞きいたしたいと思います。
○矢浪証人 第一番に、ライチハの收容所におけるレストランの話をしましたところ、私がすき焼きを食つていたということでありますが、ライチハ十九収容所の第一分所あるいは二分所から帰つた人たちに聞かれたらわかるように、これは大衆的に解放されておるレストランで、私はたまたまライチハに行つたときにこれを知つたわけでありますが、私がここですき焼きを食つていたというのではないのであります。これは大衆的に利用されており、まんじゆうだとか、そういつた大衆の嗜好品を相当量つくつておつたわけであります。 それからその次に、五箇年間黒パンを食つて水を飲んで生きておつたというお話であります。その方はどういう方か私にはわかりませんが、向うにはやはり捕虜の給養規定というものがありまして、この給養規定は必ずやらなければならない。それが本人に渡らないような不正は絶対に許さないということになつておりまして、黒パンは食つておりまりした。しかし黒パンというと何だかまずいもののように思われるかもしれませんが、黒ペンにも小麦や何かいろいろ入つており、しかも一種の味付パンであります。 それからもう一つ念のために申し上げておきます。私どもはやはり新聞社に勤務しておりましたが、ハバロフスクの第五分所の勤務から分遣されておる形でありまして、結局第五分所から食糧の配給を受けていたのであります。それでわれわれは、やはり他の收容所の者と同じように、ノルマによつて配給の食糧をもらい、それを食べていたわけであります。 それから一番最後に、終戦当時のことについて意見を聞かれております。日本がだんだん敗戰気運になつて来たときに、いきなりソビエト同盟が飛び出して来て、抵抗もしない日本の兵隊を連れて行つてしまつたというふうな御意見のようでありますが、それは事実と違うと思います。私の知つておりますところによりますと、第一日本の軍隊は、約二週間の間国境線上において抵抗しております。そのために無益な犠牲を拂つておるというのが私は実際だと思います。しかもその抵抗は、指揮系統がきちつとあるものでなく、ほとんど前線に放棄されたような形であつて、どういうふうに鬪つてよいのかわからないような状態において、しかもたとえば集結抗戰というふうな部隊長の命令が出て、そこで非常に悲惨な無益な惨害をたくさん生んでいるというふうな実情であります。それからソビエト同盟が参戰したことについては、これはソビエト同盟一個の考えではなくして、連合軍の間に協定があつて参加したものであるというふうに私は聞いております。
○鍛冶委員長 それよりかんじんの千人のうち二百五十人死んだという事実、つるし上げにあつてズボンをとられて、コンクリートの上におつたために立上るときに皮がはげたという事実、さような事実はありませんでしたか。
○矢浪証人 それは私には信じられません。
○大森委員 これ以上お尋ねすることは無益だと思う。どうせソビエトの人にお尋ねするようなものですから、無益だと思いますけれども、なお重ねてお尋ねをいたしたいのは、今あなたは、黒パンというのは非常によい味付のパンであると言うが、それはライ麦でできており、われわれも食つたことがあるが、まずいパンである。その問題はそれでよあしいが、私が直接聞いたのでありますが、三十何名か、これが何としても保守反動、われわれは皇室、天皇中心主義だと言つてがんばつたやつがある。そうすると、それを二十四時間働かしたという事実があるあるがどうか。二十四時間というと小便する間もない。そういうことを十日間もやつたんで、そのうち十何名というものが死んでいる。これらは、要するに民主主義の国家においてなすべきことであるかどうか、そうしてあなた方のような共産党員がその中におつて、これとこれとが反動であるということを報告して、その人たちがあるいは憲兵になり、あるいは巡査になり、ソビエトの犬となつて働いたという事実を私は聞くのでありますが、あなたも共産党員でありまするから、大体こういうことを申し上げても、それはそうだとは言われますまいけれども、私がこう申し上げると、大森玉木の言うことがほんまか、今現在立つておられる矢浪さんの言われることがほんまかというにとは、大体はたの人が批判されるから、あなたの答弁はかつてでよろしいが、もう一度お聞きしたい。
○矢浪証人 そういう事実はまつたく存じません。
○佐々木(秀)委員 捕虜に対する待遇は、あなたは全面的に非常によいということでありまして、こういうことがあつたと言つてもあなたは知らないと言うから、これ以上聞いてもやむを得ないと思います。あなた自身が非常によい待遇を受つけたと考える以外にないと思いますので、それ以上申しません。ただ先ほど安部委員からも言われ、また大森委員の質問の中にもちよつと入つておりましたが、私のひとつ聞きたいことはポツダム宣言のことであります。ポツダム宣言に、武装を解除されたその後の軍隊は云々とあつて、生産的な、平和的な生活を営ましめなければならない。ただちに帰さなければならぬという條文があるのです。そうして各国はみな帰してくれた。ただひとりソビエト同盟だけは四年も五年も置いたというこの事実、いわゆる民主主義的な、しかも人道主義的なことを言つて、世界の指導者たらんとするソビエト同盟の、しかもそれを遵奉する共産主義者であられるあなた方のお考えとしては、こうしたことがポツダム宣言違反ではないか、また人道上許さるべき行動でないとお考えになられるかどうか、それをまず聞きたいと思うのです。
○矢浪証人 私の意見を言いますと、この捕虜送還の問題は、これはポツダム宣言違反というようなことを言われますが、これは実際問題として講和條約の問題とからんでいると思います。ポツダム宣言の俘虜の一環としての問題とからんでいると思います。従つてこれは国際的な関係に非常に影響されている問題であつて、そのために一般的な国際関係から判断しなければ、これは説明できないのではないかと思います。
○佐々木(秀)委員 重大な証言を聞くものです。国際的な関係から見なければ云々とあなたは言われておりますが、諸外国はことごとく帰してくれたのですぞ。しかも中国のごときは日清戦争、日露戦争、今回の世界戦争と何十年も中国には迷惑をかけておる。その中国ですらも戰争が終りましたら、戰争は終つた、日本の兵隊に何の罪があるかと言つて帰したじやないですか。しかるにソビエトひとりだけが四年も五年も帰さないという行動を、あなたはいろいろな言葉おをもつてはつきりそれは遺憾なことであると言えないというならば、あなたはそれでも日本人なんですか。あなたはそれで遺憾だと思いませんか、それだけ聞きたい。はつきりしてもらいたい。これは重大な引揚問題の根本だ。
○矢浪証人 もちろん引揚問題については、われわれとしての希望はあります。しかしこの問題は結局国際的な関係によつて決定されることで、私どもにはどうにもならなかつたと考えております。
○佐々木(秀)委員 あなた方がどうにかしてくれと言うのではないのです。ソ同盟のやつたこの行為が、あなた方としては人道上許すべきことかどうか、それを簡単に一言言つてください。それは許さるべきことである、許されないことである。その二つのうちの一つでよろしゆうございます。
○矢浪証人 ソ同盟からの引揚げば大体完了して、あとは戰争容疑者でどうにもならないと私は考えております。
○佐々木(秀)委員 証人はこの問題の重要点であり、しかも私の問わんとする証言を遠まわしに拒否しようとしております。こうしたことではこの委員会の運営は私は心配でならない。あなたはいろいろな言いまわしをして、国際関係国際関係と言う。私はまたあらためて申しますが、戰争が終つて、各国ではすべて日本の捕虜あるいは同胞を、特殊な者は抜きにして帰してくれました。しかるにソ同盟ばかりは同胞並びにわれわれの当時の軍隊であつた人たちが、何十万と四年も五年も抑留されていた。あなたはソビエトのやつたこの行為が当然人道上許さるべきものであるかどうか、ポツダム宣言遠反であるかどうか。そう言うとあなたはいろいろまた言うから、人道上許すべき行為であるかどうか、それだけを聞きたい。証言を拒否なさるならなさつてもよろしい。
○矢浪証人 これは私どもは——私どももそうでありますが、帰還が遅れたのは非常に遺憾なことであると思つております。しかしこれはソ同盟と連合国間の問題でありまして、私どもは遺憾であつてもしようがないというふうに考えます。
○佐々木(秀)委員 そういうふうなところは、あなた自身ばどういう待遇をされたか知りませんが、このことを全国の未帰還者の親たちや兄弟が聞いたらどんな気持になります。しかも共産党員であるあなたが、このことに対して人道上許せるかどうかと言つて聞いたら、そのことに触れないで、遠まわしにこの証言を回避しようとする。そのあなたの気持はわからない。答えられることなんです。一体あなたとしては人道上許せないことだと思う、許せることだと思う。それでいいのです。二つのうち一つだけ返事をしていただきたい。
○矢浪証人 どうも人道的であるとか、あるいはないとかいうふうに求められますけれども、それは私としては意見があるのですから、それについて意見を言わなければ答えられない。だからもちろん引揚がかくのごとく遅れておること、しかも戰犯容疑者もまだ若干残つており、その家族の方も幾つているということは非常に遺憾なことであつて、これはわれわれとしては一刻も早く帰ることを希望しますが、しかし実際の問題として国際関係があり、ソ同盟の立場もあると思いますので、それらの深いことは私どもにはよくわかりません。だからソ同盟のとつている態度を非人道的であるとかいうことに結論づけることはむりであると思います。
○佐々木(秀)委員 ソ同盟は、連合国の中に入つておりませんか。
○矢浪証人 入つております。
○佐々木(秀)委員 そうするとポツダム宣言とは連合国の間においてつくられたものでしよう。それに違反しても、ソ同盟の行動をあなたは一方的に弁解をしようとしておりますが、そういうことではなく、一国民となつて、一引揚者の家族となつて考えてごらんなさい。このやり方が、たとえばいろいろな関係もあり、事情があつたとしても、ソビエトの現在やつておること、引揚げが一年でも二年でも三年でも遅れたということが、人道上許されないことだと私は考えるが、あなたはどう考えますか。それをはつきり聞かせていただきでたい
○矢浪証人 これは今私がお答えしたように、私どもはもちろん日本人の俘虜としてまた帰つて来た。日本の人民の一人として、もちろんできたならば戰犯容疑者も早く裁判が決定して、そして帰る者は帰るようにすることを望むし、またその家族が初めて生活をはつきりと立てて行くようにわれわれはやらなければならないというように感じております。しかしこれに対してソ同盟がとつている態度について、これを簡單に、今まで延びたからだから非人道的たというふうに片づけられないと思うのです。これについてはやはりその間のいろいろな事情があり、その事情は主として国際関係によつて影響されておると私は考えます。
○佐々木(秀)委員 矢浪証人は、このことをただちに非人道的だとは考えられないという証言だと私は了承いたします。 それからもう一つお聞きしたいのは、あなたは日本新聞の編集長をなさつていた。しかも日本新聞なるものはときどきアカハタの記事を転載していた。その転載の記事の中に、準備された民主主義者になつてもらいたいということやら、あるいは反動であつては困るという記事、それはどうあるかはしれません。そういう意味の記事がときどき載つていたということを、各証人が今まで証言しているのですが、あなたからはまだはつきりとその点を聞かないのです。そういう意味の記事、あるいは徳田君の名前なり、あるいは野坂君の名前なり、志賀君の名前にしたか。またその人たちの手記によるのか。またそれ以外の共産党のいろいろな情報によつてか。あるいは日本新聞の記事によつてか。あなたは知つておりませんか。
○矢浪証人 日本新聞は、日本の事情に関しては特にできるだけ材料を收集するように、従つてアカ八タも手に入りましたし、それからいろいろな新聞、毎日新聞や朝日新聞や、あるいはエコノミストその他の雑誌、中央公論、改造なども材料として入手することができました。しかしながらこれらのものはみな早くて三、四箇月遅れて参ります。従つてそれらのものの中から転載するということもありましたし、またそれらのものを材料として使うということもありました。
○佐々木(秀)委員 今矢浪さんから非常によい話を聞きまして、日本のあらゆる実情を、一方的なものでなく、あらゆるものから收集して捕虜の人たちに知らせたかつたという気持は私もよくわかりました。それで早く手に入るアカハタを転載したという結論になりますね。
○矢浪証人 すべての材料が早くて三、四箇月かかります。従つてその他のものもやはり同じように最小限三箇月は遅れて来るというふうに記憶しております。
○佐々木(秀)委員 そうするとあなたにお聞きしますが、アカハタも、他の朝日とか毎日とか読売とか改造とかいうものが二箇月、三箇月たたなければ入らないと同じような時間に入手するということですね。
○矢浪証人 そうです。
○佐々木(秀)委員 それならば私はこういうことを考えるのだが、なぜおもにアカハタばかりを載せなければならなかつたか。アカハタが早くてニュース・ヴァリューがあるから載らせたというなら納得できます。アカハタも毎日も読売も改造も同じ時間的に入つて来るのを、なぜアカハタばかりを載せて、そうして一方的な教育をしなくてばならなかつたか、その考え方を伺いたい。
○矢浪証人 それはもちろんアカハタのいろいろな記事も取材し、転用したこともあります。また小説なんかもとつた記憶があります。しかしながら大体日本における民主運動の実情が一番よく出ておる点で、このアカハタを転載したわけであります。
○佐々木(秀)委員 証人にお聞きします。徳田日本共産党書記長が佐賀で爆彈を投げられました。その記事が日本新聞に出ておりましたが、それは何日目に入手されましたか。それも三箇月もかかつてその材料を入手したのですか。
○矢浪証人 それはこれらの材料のほかに東京放送を入れております。それからもう一つタス報道が材料として入つて来ます。それらによつて、特にタス報道などによつて、これは確実だと思われる材料は早く載せております。
○佐々木(秀)委員 私はそういうことを聞いておるのじやない。転載のことを聞いておるのです。徳田書記長が佐賀においで爆彈を投げられたというアカハタに出ていた記事を、日本新聞に転載されております。
○矢浪証人 そういう事実はありません。そういうことは不可能であります。
○佐々木(秀)委員 それではもう一つ伺います。それでしたら、徳田書記長が爆彈を投げられたというアカハタの記事を転載するのが不可能であつてほかのものを、アカハタの記事を転載するのも不可能だと解釈してよろしいゆうございますか。
○矢浪証人 それはどういう意味ですか。
○佐々木(秀)委員 アカハタの記事を日本新聞にあなた方は転載するでしよう。だから徳田書記長が爆弾を投げられたということも転載できる可能性があるわけでしよう。時間的には二箇月かかるか三箇月かかるかわかりませんが、とにかくあなたは徳田書記長が爆彈を投げられて被害をこうむつたという記事を、日本新聞に転載することは不可能だと今言つたでしよう。
○矢浪証人 それはもちろんあとでも転載することはできます。しかし新聞記事的なものは何ぼ何でも三箇月、四箇月たつてから載せるということはできません。ですからそのときに何か徳田書記長の演説でもあれば、そういう演説を資料として、こういう演説があつたということは載せることはあります。
○佐々木(秀)委員 要するにアカハタの記事が相当多数出ていたということは事実であつて、しかもあなた方は野坂君や徳田君、あるいは志賀君のいろいろ言われていることを指導目標として日本新聞に掲載した。ここにありますが、読むと長くなりますから……先ほどあなたがいろいろ証言なさいました、野坂氏の記事を見て、これを民主主義運動の一つの指導方針として指導したということはあなたが言われている。そういうようにすると、日本新聞とアカハタと、それから共産党というものが関連性があるということは、あなたは了承することができますか。
○矢浪証人 私が先ほど申し上げましたことを誤解されていると思います。私はそれを指導方針としてなんていうことは申し上げなかつた。そういう日本から来る資料をわれわれの民主運動の場合に使いました。
○佐々木(秀)委員 そうすると、日本新聞と日本共産党というのは何ら関係がないということをあなたは断言できますか。
○矢浪証人 何ら関係がなくではなく、もちろん日本共産党の関係する資料やなんかを——ほかのものも利用しましたが、それらのものを利用して、日本新聞に載せたこともあります。
○佐々木(秀)委員 新聞のことはその程度にしておきまして、しからば日本共産党のどなたかのはがきなり手紙なりをあなたの日本新聞で入手せられて、それを転載したことがありますか。
○矢浪証人 捕虜用のはがきの入つて来るのは、内務省の管轄の方で大体処理されて、これ一般のわれわれの仲間のところへ来まして、その中からまた投書の形でこういうものが来たからというので、新聞社に送られた場合はありますけれども、私の記憶するところでは、徳田さんや野坂さんのはがきがそのまま日本新聞に載せられたことはなかつたと思います。何かほかの人のものは載つたと思います。あるいは各県あたりから来るもので、そういうものはあつたと思います。
○佐々木(秀)委員 大体これでわかりましたが、そうするとあなたは、日本共産党と豆本新聞とは全然関係ないということはない、幾分の関係はあつたということだけは了承されたようであります。その点は私はこう思います。いわゆる日本共産党と日本新聞、これらが関連性においては——度合いにおいてはわかりませんが、幾分の関連性を持つて、そうして抑留されているいわゆる日本人しかも反動といわれる人たちに、よく準備された民主主義者になつて帰れということは、準備ということは時間の問題です。そんなことによつて反動といわれる人たちの帰還が遅れたということを私は了承いたしまして、質問を終ります。
○岡(延)委員 実は先日私は菅証人に対して、アカハタ以外の朝日新聞、毎日新聞が入つておつたかということを質問したのに対しまして、絶対に入らなかつたと言つておりますが、あなたはまつたく同一の條件で入つて来たというようなことを言つているが、その点はどうですか。
○矢浪証人 菅通訳は、これは新聞に発表されたところで言われておると思います。私は事実いろいろば材料を見る立場にありまして、たとえば今はつきり記憶しませんが、朝日新聞からとつたこともあります。熊沢天皇か何かの話でした。それでもちろんこれは日本の情勢及び民主運動を最もよく伝えてあるという観点から、アカハタを材料にした場合が多いということはあります。
○岡(延)委員 先ほどから証人は朝日、毎日もアカハタと同様な條件のもとに三箇月くらいあとに入つて来た、こう言つておる。私はこの間の菅氏の証言から判断して、そんなことは断じてないと思いますが、まつたく同一條件ですか。
○矢浪証人 そうです。出版物は三箇月くらいかからなければ入らない。私らは実際首を長くして待つておつたような状況です。
○岡(延)委員 それに間違いないですか。
○矢浪証人 そうです。
○岡(延)委員 それからこの間菅証人は、アカハタが日本新聞に毎号転載されたということをはつきり証言しております。
○矢浪証人 毎号じやないと思います。
○岡(延)委員 この間毎号と言つておる。
○矢浪証人 そんなことはないと思います。
○小玉委員 あなたは前衛の四十七号の論文中、在ソ民主運動の特質としていろいろあげておるうち、反ファシスト的意識変化、または民主的人間変革というものの意義を申された。その際にいわゆる将兵が精神的に非常に荒廃しておる、兵隊の気持を失わない。だからして真人間に帰ることがこの民主的変革の意義であるというふうに申されましたね。
○矢浪証人 そうです。
○小玉委員 それでは真人間に帰るという、真人間とはいかなるものをさすかということについて御証言を願いたい。
○矢浪証人 これは以前の自分の兵隊としての経験にかんがみて、これからほんとうに平和を愛し、そうして民主主義に従つて日本の民族を打立てて行こう、こういう人間になろうということであります。
○小玉委員 そうしますと、資本主義を奉じて千利的な民主的な生活を営むという者も、あなたの言う真人間というものの中に入るかどうか。
○矢浪証人 その資本主義というものが何かわかりませんが……
○小玉委員 資本主義がわからないことはない。はつきりしてもらいたい。
○矢浪証人 あなたは飛躍して言つておると思うのです。要するに平和と民主主義と独立というものを守つて行こうという正しい人間になろうとすると、どうしても現在の独占資本のやり方とぶつかるわけです。だからこの言葉通りに平和と民主主義と民族独立を守つて行くのであれば、その人が資本主義を奉ずる人であろうと、それはかまわない。しかし実際の問題としては、現在の独占資本と鬪わなければ立つて行けないから、これはどうしてもぶつかる。しかし直接資本主義か社会主義かなんという問題は、ここでは提出されておりません。
○小玉委員 それではあなた方は、ソ連における民主運動の指導目標は、たといその人が——戰争をする残虐性を放棄するという点は、それはよろしいが、資本主義的な行き方をしても、あなた方の民主運動には反しないとおつしやるのですか。
○矢浪証人 その資本主義的な行き方というのはどういうことですか。
○小玉委員 それはわかるでしよう。資本主義的な行き方、資本主義的な民主主義、ソ連の共産主義的な民主主義というものとは違うでしよう。その資本主義的な民主化運動、そういうものになつてもさしつかえないのですか。
○矢浪証人 それは資本主義制度でやつて行けると今考えておる人でも、戰争ではなく、平和、民主主義、民族の独立を守つて行こうという点で一致するなら、それはかまわないわけです。
○小玉委員 そうすると、先ほど階級的プロレタリア的視野をもつてそういう民主化運動をやれば、ソ連における民主化運動が自然に階級的プロレタリア的な自覚に徹して来るということをおつしやつたが、矛盾がありはしませんか。
○矢浪証人 それは一般的に言えば、民主化運動は、まじめな人間になつて行くことが目標であります。しかしそのうちには、もちろん階級的に目覚めて行つて、共産主義的な経過をとつて行く者もあるし、そうでない者もあります。みんな共産主義にならなければならぬということは、初めから予定していないわけです。
○坂本(泰)委員 一点だけ確認しておきたいのであります。ソ連の捕虜の待遇の問題でありますが、委員側の質問は、待遇が悪かつたということを前提にして聞いておるようだし、あなたの証言は、待遇はよつかつたということを言つておるのです。その待遇のよかつたというのは、どういう標準で言われたのですか。
○矢浪証人 それは、よかつたと申しましても、さつき申し上げましたように、最初はやはり苦しかつたのです。それがだんだんよくなつたと言つたのです。それが一つと、いま一つ待遇がよかつたというのは、われわれと一緒に働いておるソ連の一般の市民と比較して決して差別がなかつたという意味であります。
○坂本(泰)委員 ソ同盟の人民と比較してそう待遇は悪くなかつたということですか。
○矢浪証人 そうです。
○石田(一)委員 ちよつと簡単にお尋ねします。長い間でさぞおいやでしようが、いやにならないでお答えください。いやになつて、また鉄道自殺などなさると困りますから……。私は簡単に聞きたいのですが、一九四八年の八月ころから一九四九年の九月前時分までに、日本政府の発行したはがきに東京都内の、たとえば代々木の局とか麹町局とかいうスタンプを押したのがありますね。あの日本政府の発行したはがきで、東京のある局の消印を押したはがきが、あなたたち収容所の捕虜であつた人たちの手に渡つたという事実がありましたか。
○矢浪証人 それはないと思います。これは向うの捕虜管理局の方で消印——これはよくわかりませんが、連合軍の間の消印がなかつたら、これはとても入れないのです。管理局の判がいることになつておりますので……
○石田(一)委員 実は一九四九年の九月ごろ、去年の九月半ば前後に、東京の局の消印のあつた日本政府の発行したはがきが落ちていた、それを読んだ人があるんですけれどもね。
○矢浪証人 どこでございますか。
○石田(一)委員 カラガンダ。(「この証人はハバロフスクだよ」と呼ぶ者あり)ソ連一帶に、東京の局の消印だけで向うにいる捕虜の人たちの手に渡るかどうかということです。
○矢浪証人 それはないと思います。連合軍の判がなかつたらだめです。ソ同盟の消印もある。こつちの方の消印もある。二つあるように思います。
○石田(一)委員 それからきのうは元将校であつた人がみずから認めたことなんですが、入ソ当時は将校の方が收容所の実権をゆだねられて、旧部下を言うことを聞かぬとか何とかいうことで、点呼のときに前の軍隊生活と同じようにびんたをくれたようなことがあつたかと言つたら、そういうこともあつたと言うのですが、あなたたちもそういうことを経験しておりますか。
○矢浪証人 それは経験しております。ビロビジヨンの第六分所などでも相当ありまして、やはり身体の調子が悪くて休ましてくれというと、よくなぐられて出されております。
○石田(一)委員 それからお伺いしたいことは、さつきあなたの証言の中に、初めのうちは将校がそういうふうに実権を握つておりましたね。なるべく将校が働かないように働かないようにといつて、ノルマの六〇%くらいやればいいというので、二〇%くらいしか上つていなかつたとしうこともありましたね。しかし将校や下士官がそれで食糧の横流しをやつていた。そうだとしますと、将校や下士官は、普通より以上働けば働くほど食糧がよけい入つて来るのですから、なお横流しができるのだが、そうすると部下をうんと働かして食糧をうんととつて、横流しの方を多くするのが当然なのに、部下を働かさないで、ノルマが一〇〇%のやつを六〇%や二〇%では、将校や下士官の手に入る食糧まで少くなりますから、ピンを行く量が少くなると思うのですが、これはどうでしよう。
○矢浪証人 それは大体働かなくても、一定の最低の捕虜規定によるノルマだけはくれるわけです。それで初めは働けば働くほど給與がよくなつて来るという事情がわかりませんでした。そういうこともあつたし、幹部の将校の方では、こんなのなら働かない方がいい、とにかくくれるものは同じだという考え方があつたと思います。ところがそれが少し進んで来ますと、逆に働けば働くだけよけいくれるということがわかつたから、今度は将校団の方でもつと働け、もつと働けというふうな気合いをかけるようになつて、そのために今度はよけい作業に追い立てられるというふうな関係が相当あつた。
○石田(一)委員 要するに私はそういうことが原因でこれが反軍闘争になつたと、こう思うのですが、そうですが。
○矢浪証人 大体そうであります。それが大きな原因であります。そのほかやはりもつと旧軍隊的ないろんな習慣、そういつたものが非常に強制せられまして、そういうことに対する反感が非常にあつたと思います。
○石田(一)委員 そうすると、反軍闘争というものから次第に民主化運動という方向に持つて行かれ、しかもその究極の帰還する前後にはいわゆる反ファシスト委員会となつて行つた。こういうふうに理解してさしつかえないですか。
○矢浪証人 そうであります。
○石田(一)委員 そういたしますと、民主化運動とかいわゆる反ファシスト委員会というものは、将校あるいは下士官等の入ソ当時の一つの暴力的な行為とか罪悪とかというものに対する部下の反感が高じて反軍岡争となつた。言いかえればそれが結局は反ファシスト委員会の大きな根強いものとなつておる。こう理解してもかまいませんか。
○矢浪証人 その通りであります。
○鍛冶委員長 ほかにありませんか。それでは済みました。御苦労さまでした。 —————————————
○鍛冶委員長 時間も大分おそくなりましたから、高山証人の喚問は明後十日の午後一時に延期いたしましてよろしゆうございますか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 さよう決定いたします。 高山証人に申し上げますが、はなはだお気の毒ですが、あなたの証言は明後十日に求めることに決しましたので、さよう御了承願いたいと思いますが、よろしゆうございますか。
○高山証人 けつこうです。
○鍛冶委員長 では御苦労さまでした。 それでは本日はこれにて散会いたします。 午後六時十七分散会