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7回国会衆議院1950/03/08

決算委員会 第7号

発言数
56
登壇者
13
会派数
3
開催日
1950/03/08

会議録

本間俊一自由党

○本間委員長 それでは、たいへんお待たせいたしましたが、これより会議を開きます。 本日は、決算制度及び決算審議に関する事項に関しまして、斯界の権威者が参考人として御出席になつておりますので、意見の開陳を聽取いたしたいと存じます。  各参考人の方々には、御多忙なさなかにもかかわりませず、御案内をいたしましたところ、遠路わざわざ御登院くださいまして、まことにありがたく、御礼を申し上げたいと存ずる次第でございます。従来決算は、旧憲法下におきましては、会計検査院がこれを確定いたしまして、各院別々に検査報告とともにこれを提出することになつていたのであります。この慣行が今日もなお行われておるのでありますが、新憲法下における国会の地位にかんがみまして、決算は国会の議決を要するものであるとの意見が新たに提唱せられております。従つて決算は国会への報告案件として取扱うか、あるいは議案として処置すべきものであろうかといつた点が、論議の対象となつておりまして、本委員会におきましても、この問題を取上げまして、その解釈及び取扱いを確定いたしたいと存ずる次第でございます。本日は幸い斯界の各権威者に御出席願つておりますので、御研究の結果を聽取する機会を得ましたことを、皆様とともに欣快に存ずる次第でございます。  この際、参考人各位の御意見の開陳は、十分にお願いをいたしたいのでございますが、何分多数の御出席者でもありますので、一応お一人三十分ないし一時間ぐらいの御予定で御発言を願いたく存ずる次第でございます。  それでは、お仕事の関係などもありますので、最初に法務府法制意見長官佐藤達夫君に御意見の開陳をお願いいたしたいと存じます。佐藤達夫君を御紹介いたします。

佐藤達夫法務府法制意見長官

○佐藤参考人 本日御調査になつております決算審査の問題は、事の性質からいたしまして、必然的に政府が国会からおしかりを受けるという場面に関係するものであります。たまたま政府に職を奉じております私といたしましては、その点まことにデリケートな立場にあるわけであります。それは余談といたしましても、今日は政府の意見をまとめて参つたわけでもございません。またお呼出状も個人の名宛になつておりますので、その点は大いに安心をいたしまして、法制実務に携わつております私個人としての思いつきを申し述べさせていただきたいと存じます。いろいろ思いつきはございますが、ただいま委員長が仰せにりました問題の核心は、おのずからそこにあるのでありますが、私といたしましては、その核心を少しく遠巻きにいたしまして、多少総論的にいろいろな考え方を申し述べてみたいと存じます。  ただいま委員長のお話にも出ましたが、この決算というものにつきましては、元の明治憲法にも、七十二條におきまして、現行憲法とほとんど同じような規定が設けられておつたのであります。この二つの新旧憲法の差異は、結局毎年という言葉があつたり、次の年度という言葉が入つておるという、字句のささいな相違の程度にとどまつておるわけであります。そこでこの決算の取扱い方につきましては、申すまでもなく御承知と存じますが、旧帝国議会早々、第六回あるいは第八回の帝国議会におきまして、一体これはどういうふうに扱うべきかという問題が相当論議されておりますし、また新憲法になりましてからも、第一回の国会の際に、当決算委員会におきまして、その取扱い方についての御論議があつたように承知しておる次第であります。要するに、従来からのやりきたりを現に踏襲されておるということでございますが、その特徴をつかんでみますと、第一点は、決算というものは政府から両議院に同時に出しておられる。従つて一院制という形になつておらないというのが一つの特徴であります。それから第二の特徴は、従つて両院は各別にこれを審査されまして、両院交渉の扱い方をされておらないということ。それから第三点は、決算が一つの会期に提出されました場合、その会期中に結論が出ない場合におきましては、当然次の会期にこれを持ち越して審査されておるということが第三の特徴として申し上げることができると思います。それらを総合して考えて来ますと、要するに決算の扱いは、今日まである意味の報告書扱いであつた。議案扱いではなくて、報告書の扱いということになつておるということが申し上られるだろうと思います。そこでそれらの問題点を頭におきまして、まず決算審査の本質というものを一応考えてみる必要があるのではないかと思うのであります。  憲法におきましては、第九十條に、決算を国会に提出しなければならないと書いてあるのでありますが、この趣旨は、申すまでもなく憲法第八十三條以下の一連の国会の行われます財政事前監督関係の規定、これらの規定と相照応いたしまして、国家機関の財政執行の締めくくりであるところの決算を、国会に提出させるということによりまして、その事後監督権を確保するというものであると思います。そこで憲法には、提出までのことは書いてございますが、提出されました決算についての国会でのお取扱いについては、何も触れていないわけであります。財政法を見ましても、やはり翌年度開会の常会において国会に提出するのを常例とするということだけはございますが、その後の扱いについては規定はないわけであります。国会法にも別段決算を目ざしての條文というものは見当らないわけであります。これらの点から考えてみますと、一応現行制度のもとにおきましては、両議院はもちろん決算を審査する権能及び義務があります。またその審査の結果によりまして、経理上違法、不当のかどが明らかになりますれば、監督権の発動として、必要な意思表示をなされるという立場にあると言うことができましようが、この審査の結果、必ず何らかの形の議決をせねばならぬというような拘束は、現行法上は積極的に定められておらないというふうに言わざるを得ないと思います。なおまた国会の側で、決算について御審査をなされ、その意思を決定されるにつきましても、国会の意思として両院一致の議決というものでなければならぬということも、現行法の上からは別段それを要求している條文はないというふうに見受けられるわけであります。従いまして今日まで各院それぞれ別々に所要の議決をされているのであろうというふうに考えるわけであります。かように考えてみますと、現行法のもとにおきましては、決算は、予備費の支出に対する事後承諾というふうなものとは、別なものとして扱われているわけでありまして、予備費の方は、事後承諾という国会の意思決定を求めて、内閣から出す案件であるから、それはただちに議案であるわけであります。それが可決されれば承諾があつたことになるし、否決されれば承諾がなかつたということになるわけであります。これに対しまして、決算そのものは、現行法の建前では、国会側のこれに対する意思表示を必然的には要求されておらないということになりますから、その案件は議案ではなくて、その点ではちようど国家公務員法に基いて人事院が国会に提出いたしまする諸般の報告とか、あるいは勧告というものが、議案でないのと似ているのであります。ただこれらのものと実際上違いますのは、先に述べましたように、この決算の審査は、財政上の事後監督の大きな手がかりになるものでございますから、悪いところがあれば、国会の方からおしかりの権能が発動するということが、憲法上濃厚に期待されているということができると思います。その点で單なる報告なり勧告なりとは、実際上多少違うということが申し得ると思います。  でありますからそのようなことを前提にして考えますと、現在現行法のもとで考えます限りにおいては、従来政府が決算を両院同時に提出しておつたということは、決して間違つたやり方ではないということになりますし、またこれに対して両院がおのおのその見るところに従いまして、不当であるとか、あるいは異議なしというような意思を御決定になつておりますことも、決してこれは間違いではないということになりましようし、また先に申しましたように、決算が一会期において審査が終りに至らない場合においては、そのまま次の会期に持ち越されて審査されているということは、これは議案でないということから言えば、一向さしつかえないということになりそうであります。ただこの現在のやり方につきましては、先ほど委員長も触れられましたように、決算についてかりに審査の結果、経理上の不都合が認められ、それについて政府の責任を追究するような場合におきましても、現在のような各院ばらばらのやり方では迫力がないというようなことが当然考えられる。もつともこの迫力の問題は、これはやり方にもよるのであろうと思います。たとえば強い意味の内容を盛り込まれた決議というものが、一院においてなされますれば、その決議の内容いかんによつては、非常な迫力を政府に対して持つわけでありますから、やり方の問題にもこれはひつかかりがありましようが、大きく言つて、それにしてもあまり迫力がないということが言い得るであろうと思います。またそれにいたしましても、憲法の文字から申しまして、決算は国会に出せと書いてあるのであります。その提出された決算に対する批判なり、あるいは反響というものも、国会としてなさるべきであつて、各院ばらばらでなさるべきではないじやないかという考え方も成立つのでありまして、現在のやり方というものは、今のような角度から新たにここに見直されてよろしい、再検討されてよろしいではないか。また今回の御調査の主たるねらいも、私はそこにあるのであろうと思うわけであります。  そこで第二段に、しからばその解決方法としてどういう方法が考えられるであろうかということを、私周到に考えたわけではございませんが、いろいろその解決策が考えられます。おもなる気づきを申し上げてみたいと思いますが、とりあえず考えたところ、やわらかいもの、固いもの、すなわち硬軟とりまぜまして、大体四種類おもなる考え方があろうと思います。その第一は、大体の建前は従来通りにしておきまして、ただ決算に関しての国会としての批判というものが、両院ばらばらでなしに国会の意思としてそれがなされるというようにする考え方が第一であります。第二の考え方は、決算提出の窓口を一院にまとめて審査する。従つて先議、後議の流れ作業となりまして、その審査の結果の意思というものも、国会として決定されるというふうにする方向の考え方があるわけであります。第三の考え方は、さらに進んで決算の審査の結果を国会の必要的議決事項とするのが、第三の考え方であります。第四の考え方は、さらに進んで決算を国会の承認事項にする、予備金支出の場合に類するような承認事項とするという考え方でございます。この第四の考え方をとりますれば、当然決算は議案の扱いとなるということになるわけであります。  そこで事柄の順序といたしまして、一つずつ敷衍して申し述べたいと存じます。この第一の考え方につきましては、要するに今までのように各院ばらばらで国会の意思としてきめようという点にあるのでありますが、このやり方は一体現行法のもとでそのままやれることじやないだろうかというふうに、素朴ではありますが、そういう疑問が一応あるわけであります。すなわち今までは、われわれはもう疑いなしに、決議というものは両院各自の決議しかない、国会の決議というものはない、というふうに思い込んでおつたのでありますが、それが一体本来できなかつたことかどうかという問題が、一つ前提になると思います。この見地から現行法を見て参りますと、まつたく憲法上にはもちろん支障になるような條文はないと思います。ないどころか、むしろ新憲法から申しますれば、国会は国権の最高機関でありますから、旧帝国議会とは違つて、その権限を狭く制限的に考えなければならないという根拠は、全然なくなつているわけであります。従つて憲法上の支障はないであろう。国会法を見ましても、決議というものは、両院交渉の案件にはなり得ないというような明文はないのでありますが、結局問題は、国会法の八十三條の両院関係の規定の條文がございます。そこでその條文で、国会の議決を要する議案を、甲院が可決したならば、これを乙院へ送れという條文がありますが、それで国会の議決を要する議案というのは、一体何かということの話がきまりさえすれば、その解釈いかんによつては、現行法のもとでも国会の決議というものが十分に成立つと考えるわけであります。今まではこの国会の議決を要するという言葉の意味は、おそらく法律でありますとか、あるいは予算でありますとか、條約の承認であるとかいうように、法制上国会のなすべきこととして明文のあるものだけをここでうたつているというように考えられて来たように思うのでありますが、今日素朴に考えますと、そこまで狭く考える根拠もないのでありまして、国会の議決を要する議案ということにして、国会の議決とすることが適当と認められる。議案で一向さしつかえないのではないかというふうに思われます。これは決算の問題と直接関係のないことで、くどくどしく申し上げるつもりはございませんが、たとえば第五国会でありましたかにおいてなされました、例の阿波丸の賠償の放棄についての決議のごときを見ますと、あれは衆議院、参議院ともに、ほとんど同文のような、文字の上から申しましても、同じ形の決議が別別になされているのであります。ああいうものが一体国会の決議という形でできないということが、現行法上やむを行ない結論であるかどうかという点に疑いを持つのであります。ことに決算の関係におきましては、先ほど申し述べましたように、これは憲法上から申しましても国会に提出されるものでありますから、これに対する批判なり結論というものは、国会の意思として決議という形、またこれに類するような形で決定されても一向支障のないものであり、またそうあるべきものではないかという気持を持つのであります。しかしこの解釈問題は、これは国会内部の問題であり、国会御自身でおきめになる事柄でありますから、われわれが横合いから主張するという理由もございませんが、いずれにせよ事柄自体としては、この考え方というものは成立つのであります。解釈で参るならば、立法によつて解決することもできるではないかというわけであります。  要するにただいままで申し上げました第一の考え方というのは、現行法とあまり隔たりのない考え方であります。決算を提出する方法は、これは一応従来通りとしておく、しかしこれに対する国会の審査の結果の御意思というものは、国会の決算というような強い形で出て来れば、よほど迫力の点においては、今よりも違つて来るのではないか。少くとも事の重大なるものが、国会としての決議としてきめられるというような考え方に立つものでございます。  それから第二の考え方は、これも比較的に事務的な面からの考え方でございますが、法律を改めまして、国会としての決算の受入れ窓口を一つにしていただく。決算はいずれかの一院に提出すればよいということに法律でおきめを願つて、そうしてあとは最初に受付けた一院がそれを先に審査されまして、その後今度は隣の院にこれを送るというようにする考え方であります。この場合におきましても、これは窓口の問題だけで、あと窓口をくぐつて国会の中にこれが入つて来ましてからの国会での扱いのやり方については、いろいろあります。ほかにあとで申します第三案との組合せの問題もありますが、この国会での扱いをかりに現状に近く持つて行くということで申しますと、その場合この案件というものは、名前のつけ方は下手でありましようが、決算審査の結果に関する件というような件名になると思います。従来一院の決算委員長が報告されておりました、その報告の内容となつているような事柄を、この決算審査の結末に関する件という事柄に盛り込みまして、それを一院で議決される、そうしてこれを他の院に送付される、他の院がこれを可決されれば国会の意思として、いわゆる決算審査の結果に関する件というものが成立するわけでございます。これが第二の考え方であります。  第三の考え方は、財政法あたりに改正を加えまして、国会は決算に対して是認するか、あるいは不当と認定するか、あるいはまた批難するか、何らかの議決を必ずしなければならないというふうにする行き方でございます。これはただいまも現に問題になつております国鉄なり、あるいは專売の、あの仲裁裁定についての扱い方と大体筋は同じ筋になるわけであります。政府としては決算に関し、国会の批判を求むるの件と申しますか、あるいは決算に関し、国会の議決を求むるの件というような件名にして提案いたします。そうしてそれに対していいか悪いかということを国会でぜひおきめ願うという考え方があるわけであります。これが第三の考え方でございます。  さらにもう一歩その第三の考え方を進めますと、すなわち第四の考え方として一方新しい措置をおとりになつて、政府は決算について国会の承認を求めなければならないというような條文を入れる、あるいはこれはドイツあたりの立法例にあるようでございますが、決算について政府は国会に、責任解除を求めなければならないというような規定を置いてしまう。この方法をとりますと、内閣が決算を提出いたします際には、ちようど予備費の事後承諾の場合と同じようになるわけで、決算に関して承認を求むるの件、あるいは決算に関し責任解除を求むるの件というような形で、内閣から国会の方にお出しするようなことになるわけであります。こうなればそれ自体がまさに議案という性質を持つて来るものであると思います。  こういう考え方が一応考えられるわけでありますが、ただこの行き方、すなわち第四の行き方につきましては、先ほど触れましたこの決算についての憲法の第九十條では触れておらないところを、法律でさらにつつ込んで定めるということになるわけでございますから、必然的にそこに憲法問題が出て来るだろうと思います。この憲法問題につきましては、これはいろいろ考え方がありますが、たとえばこういう立法というものは、要するに憲法が予定しておるところの財政についての国会の事後監督というものを強化するものであつて、憲法が本来その趣旨としておるところと方向を異にするものではないのだから、憲法違反ではないというような弁明もあるいは成立つのではないかという気持もいたします。そういう気持はいたしますが、こういう憲法論は別といたしまして、私個人の考え方としては、この行き方についてはなおほかの疑問があるわけであります。元来この憲法の財政についての條文を見ますと、財政関係だけをちよつと拾つてみましても、似たような場面が三つ並んでいるのであります。すなわち第一は憲法の八十七條でありまして、先ほど触れました予備費の支出についての事後承諾の條文であります。それから第二は、ただいまの決算の提出に関する條文、すなわち第九十條であります。それから第三は、第九十一條に出ております財政状況を国会及び国民に報告させるという條文であります。財政状況の報告という條文、すなわちこの三つの場面が憲法に並んでいるわけであります。この第一の予備費の支出につきましては、これは先ほども触れましたように、承諾を求むるの件ということで、はつきり議案として、内閣が国会に議決を要請するという形式で出さるべきことは、これはもう憲法自身が明らかに予定しているものであると私は思います。しかして国会としてはその承認をするかしないか、いずれかの態度を積極的に表明しなければならぬことは、憲法自体がはつきり予想していることであろうと思います。  それから話の便宜上第三の方へ飛びますが、この第三の財政状況の報告の方につきましては、この報告は今も申しましたように、国民に対しても同時になされるものでありますから、内容自体が割合に常識的の内容と申しますか、財政白書的なものであろうというふうに言えるだろうと思います。従いまして、これに対しての国会の立場はアクティヴである必要はないのであつて、むしろ一種の参考扱いに近いようなものではないか。むしろ扱いは完全に国会の適宜の判断にまかしているものではないかというふうに、この憲法の條文から推測できるのであります。  そこで取残しましたこの第二の決算の関係につきましては、この憲法の書き方は、今さつき申しました事後承諾と、それから財政報告との、ちようど中間を行くような形にできている。憲法の用いております文字は、單純に報告ともいたしておりませず、また承諾ともいたしておらないのであります。提出と言いつぱなしにしているところにニュアンスがあるというふうに考えるのであります。従いまして、憲法としては、少くとも決算に対する国会の審査権、審査義務は予定していると言い得るのでありまして、またその審査の結果いかんによりましては、国会側から何らかの反響あるいは批判というようなものの表明があることは、憲法は予想している。そこで打ちどめというようなところであろうと、私感じで感ずるのであります。  そこで、一体この事後承諾とか、あるいは責任解除というような考え方を、他の角度から反省してみますと、こういう事後承諾、責任解除というようなことは、普通すなおに考えますと、本来ならば、事前に国会においての正規の、あるいは正則の手続をふむべきところを、それをしないで政府限りでやつたことに対して、国会が事後にその追認をするというような場面として出て来るのが、事後承諾とか責任解除というようなことじやないかという気が、一応するのであります。旧憲法のもとにおいてもそうでありましたが、たとえば先ほど申しました新憲法におきましても、予備費の支出というものを考えてみますと、本来予見し得たとすれば、それははつきりと費目が予算に載せられて、国会の議決を経ておつたはずのものであるけれども、予見しがたい事情のために、その場合に備えて国会がその部分について、一種の白紙委任というと大げさではあるが、白紙委任というようなものをしたので、それが予備費であるわけでありますから、それを政府が支出いたしました場合には、その分について事後に国会の追認を要するという意味で、事後承諾の規定が設けられたというふうな考え方もできるのではないかと考えます。この点、今の予備費についての憲法の八十七條を見ますと、特に「内閣の責任でこれを支出することができる。」、「内閣の責任で」という言葉を入れているわけであります。そういう言葉が入つておりますのは、今申しましたような意味なのであつて、本来予算の費目として国会ではつきり定められてあるべき支出を、内閣限りの責任でなし得るとしたものでありまして、従つて後日その責任解除ないしは追認というようなものが必要となつて来る、従つて承諾を要するという條文があとへ続いて出て来ることが、どうも言えそうに思われるのであります。  この観点から決算を見ますと、決算はこれとよほど異なります。むろん決算の中には予備費の分も入りますし、予備費の支出は別に事後承諾を求めるのでありますから問題はありませんが、それ以外の決算の点から見ますと、これは申すまでもなく国会ではつきり定められた予算をそのままに執行した結末なのであります。従いまして、先ほど申しましたような考えから言うと、それに対する事後承諾とか、責任解除とかいう考え方はそぐわないということが言えると思います。しいて意味を持たせるとすれば、むしろかりに政府が予算をはずれて支出しても、それを免除してやる、許してやる、むしろ違法の処置を許してやるという恩惠的な建前から、国会がそれを追認したりあるいは責任解除をするというなら意味をもつて考えられますけれども、許してやるという角度では一向迫力が出て来ないわけであります。しいてりくつをつければ、許してやるという角度に意味を求めることは、あるいはできるかもしれないというふうに考えるのであります。従いまして、以上の点から総合いたしますと、この決算を御審査になりました結果、経理が適正に行われているというならば、これはあたりまえのことでありまして、おほめになるはずはもちろんないし、国会としてあたりまえのことであるというので、黙つておられればそれでいいということになるのであります。もしもそこに経理上不当なものが出て参りました場合には、それはおしかりになればいい。そのおしかりの強弱緩急は、先ほど申しましたように、いろいろな決議の内容、あるいは国会としての決議というようないろいろな手段がございますので、その手続手段をお選びになれば、おのずから強弱緩急は出て来るものではないだろうかという気持がいたします。従いまして、先ほどから一案、二案、三案、四案と出たとこ勝負で並べて申し上げましたけれども、この中で最後に国会の承認あるいは責任解除というような形で行くことはついては、私どもとしては、先ほど申しましたような理由によつて、若干疑問を持つております。反対というところまではつきりした自信はございませんけれども、やや疑問を持つております。でありますから、かりに国会における決算審査の方法をお改めになるといたしますならば——制度の問題としてこれを考えますれば、第一案あるいは第二案あるいはまたそれらを中心として適当な組合せをなさるならば、あるいは何らかの調整を適当に加えた行き方が、大体ほどのよいところであつて、その運営を適実になされますならば、憲法の所期する財政上の事後監督の目的は、私は十分果し得られるものではないかという気持がいたします。  以上が大体国会と内閣との関係を中心として私の考えたところであります。なお実は決算の問題につきましては、会計検査院というものが相当大きな役割を持つているわけであります。会計検査院の機構なり運営についてこの際検討する必要があるじやないかという問題が、必然的に伴つて来るものであろうと思いますけれども、この方は私別に準備もいたしておりません。別に有力な参考人もおられるようでありますから申し上げません。はなはだそまつでございましたが、一応私の考えを申し上げた次第であります。

本間俊一自由党

○本間委員長 次に入りまする前に、佐藤長官のただいま御開陳くださいました御意見に対して、もし御質疑がありますれば、それを一応先にいたしたいと思いますから、どうか——。御質疑がありませんければ、次に引続いて参りたいと思います。  京都大学教授大石義雄君にお願いをいたします。大石教授を御紹介いたします。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 日本国憲法第九十条第一項は「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」と定めております。この決算の国会への提出は、報告案件として取扱うべきものか、それとも議案の提出として取扱うべきものであるかということが、御質問の趣旨のようでありますが、私はこの問題を純粋に日本国憲法論の建前からお答えいたします。  まず結論から申しますと、これは議案として取扱うべきものではありません。これからその理由について簡單に申し上げたいと思います。第一に、決算という国家事務は、行政事務でありまして、憲法上行政府すなわち内閣の権限に属する事務であります。ところで、この決算の検査は、憲法上会計検査院の権限事務となつておるのであります。決算の検査が会計検査院の権限事務であるということは憲法の定めたことでありまして、国会といえども、この権限を侵すことを得るものではありません。言うまでもなく、憲法上国会は国権の最高機関であります。しかしながら、この国会の最高機関たるの地位は、憲法みずからの定めた限界の範囲内のものであります。このことは国会は国権の最高機関でありまするけれども、一般に司法権を行使し得るものでないことを思えば、きわめて明瞭なことであります。と申しますのは、憲法上司法権は最高裁判所及び法律の定めた下級裁判所がこれを行うものだからであります。同様に決算の検査は、会計検査院がこれを行うものであるということは、憲法自身定めたところでありますから、現行憲法下におきましては、国会といえども、この会計検査院の検査権限を侵すことを得ないのであります。決算の検査という国家事務は、会計検査院の検査によつて確定するのであります。しかしまた一面憲法は、決算はこれを会計検査院の検査報告とともに、国会に提出すべきことを定めているのであります。これは決算について国会の権限発動の機会を與えるものであります。そこで決算が国会に提出されたならば、国会はその決算について数量の計算上の当否はもちろん、適法、違法の問題についても、また当不当の問題についても審査すべきものであります。審査の結果、国会として何らかの意思表示をなす必要ありと思えば、もちろん意思表示をなし得るのであります。すなわち何らかの意思表示をなすかなさないかは、国会自身の裁量の問題であります。しかしこの国会の意思表示によつて、会計検査院の検査の結果は、法上動かないのであります。換言せば、国会の意思表示は会計検査院の決算の検査の法的効果には影響はないのであります。このことは前に申しました通り、決算の検査という国家事務は、憲法上会計検査院がこれを行うものだからであります。このことを理解した上で、決算について国会が審査し得る範囲は、無制限だというのであります。ことに国会は国政調査権を発動するにおいては、およそ国権の発動のいかなる方面においても調査をなし得るものであります。ひとり行政についてのみならず、司法についても、それが調査の範囲を越えない限り、国会の審査の対象となるのであります。会計審査院の検査権限の行使についてもまた同様であります。これ実に日本国憲法上、国会は国権の最高機関たるの性質に基くものであります。簡單でありますがこれをもつて私のお答えといたします。

本間俊一自由党

○本間委員長 御質疑がありますれば、この際許可いたしたいと思います。——御質疑がなければ、一応次に進んで参りたいと思います。  次に東北大学教授清宮四郎君にお願いいたします。清宮教授を御紹介いたします。

清宮四郎東北大学教授

○清宮参考人 参考人としてせつかく意見を述べる機会を與えてくださいましたが、大した準備もなく伺いましたので、ごく粗雑な思いつきの程度にしか申し上げることができないことを恐縮に存じております。  大体問題となるようなところを大小とりまぜまして八つか九つ拾い上げて、それについて私の意見を申し述べて御参考に供したいと思います。  まず一番初めに、国会における決算の審査ということが非常に重要なものである、これは申すまでもないことでございます。決算の審査は予算の執行、それからまた将来の財政計画、こういうようなものに非常に大きな影響を持つものでありまして、これまではどちらかというと、これを軽んじて来たような慣行がありまして、かなり形式的になつておる。しかし問題の重要性にかんがみまして、これはもつと徹底的にやる慣行をつくることが望ましい、これはもうあたりまえなことだろうと思います。また実際に現在行われておる状況を見ますと、予算の執行ということは必ずしもまだ嚴重に行われていない。場合によつてはかなりいいかげんなことが行われておる、それがため国民の税金がはなはだおもしろくないところに使われる、こういうようなことになつていろいろ問題もあるようでございます。年度末なんかことにそういうようなことが多いようであります。この際に、国会自身がこの問題をお取上げになつて、これを徹底的に解決されようというふうにくわだてられたことは、まことにけつこうなことだと存じます。そこでこの問題を扱いますにつきましては、今までの取扱いの仕方を改める、こういうことだけでも相当の改革ができると思いますけれども、やはりこれに関連をしては、必要に応じて法例を改正する、こういうところまで来るのではないかと思われます。  まず一番初めにこれまでのやり方、これは先ほども佐藤長官がかなり詳しくお述べになりました。従来は決算の審査というのは、これは形式的には国会の権限として一応定まつておる。こういうふうになつておりましたけれども、実質的にはむしろ各院の権限としてこれを各院が独立別個に行う、そのために決算は両院に同時に提出されて、そうしてこれに対して国会としては別段の意思決定は行わない、各院で決算委員会の審査に付した後に、その報告によつて本会議でいろいろ意見を決定する、こういうふうになされて来たようであります。そうしてまたこのやり方については、政府側でも、また国会の側でも、いろいろ意見はありましたでしようが、公にこれを取上げてどうするというところまでには至らない。また従来の学者の学説というものの多くも、この従来の慣行を大体容認するというふうに傾いておつたわけであります。これをまずこの際考え直す必要がありはしないか、こういうことになるわけであります。これについてちよつと問題になりますのは、従来のやり方が憲法に照してみてどうか、場合によつては従来のやり方が憲法に違反するのではないか、こういう問題がまず起ると思います。これにつきましては、これはあとからまた決算審査行為の性質とか、あるいは効力とかいうようなことを検討した上でないと、はつきりした結論は出て来ないのでありますが、ここでごく結論だけを簡單に申し上げますと、私はこれまでのやり方も正面から憲法に逆行するとか、あるいは憲法に違反するとか、これほどのものではないように思うのであります。しかし正面から憲法に違反するとは言えないにしても、何としてもこれまでのやり方は徹底していない。憲法の精神がよく生かされていない。ことにこの感じが新憲法のもとにおける決算の審査ということになりますと、よほど強くなつて来ておると思うのであります。せつかく憲法によつて国会に認められた機能というものが、現在のようなやり方では、十分発揮せられておらない。こういうふうに感ぜられるわけであります。  そこで次に国会の決算審査権というものの法律的の根拠と申しますか、この問題でありますが、新しい憲法によつて、国会の財政に関する権限が著しく強化されておるのであります。憲法は国会を国憲の最高機関とし、この建前はやはり財政面にも維持せられておるわけであります。国会は主権者たる国民を直接に代表するものとして、財政権についても最高の機関であり、唯一の議決機関である。憲法のもとにおける財政は国会中心の財政でなければならない。この原則が確立せられたわけであります。そこでこの大原則は、国会における決算の審査にも及ぶものと考えるのが至当ではないかと思うのであります。国会の決算審査の直接の根拠となる條文は、憲法の九十條「内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」財政法の四十條もこれを受けて「翌年度開会の常会において国会に提出することを常例とする。」こういうような規定を設けておるわけであります。先ほどもこれに触れられましたが、この場合法律の規定では單に提出しなければならない。あるいは提出するのを常例とするとかいつて、提出したあとで、それから先は国会がどういうことをやるのかということについては、特別の規定がないわけであります。そこでこれについてのいろいろな意見が出て来ることと思います。私の見るところでは、提出されたものを国会が審査するということは当然のことであります。そうしてまたその審査の結果、国会が何らかの意思決定の議決をなす。これも当然できることになると思われるのであります。憲法がこの議決をなせということを要求しておるかどうか、これは必ずそうしなければならないというところまで強く入れるかどうかは、幾分疑問の点がありますけれども、少くも憲法はこれを禁ずる意思はもちろんない。やはりほんとうに憲法の精神をくめば、そこまで行くのが至当ではないかと思われるのであります。こうなつて来ますと、決算は各院への報告案件ではなくして、やはり議案として扱うのが憲法の趣旨に合すると見られるのであります。  この問題に関連して、地方議会の決算の審査についての規定を見ますと、地方自治法の第九十六條、それからもう一つ二百四十二條の第一項でありますが、普通地方公共団体の議会は、決算報告を認定すると定めてあります。つまり地方議会が認定の議決をなすわけでありまして、決算を議案として議会にかけて、これについて意思決定をやる、こういう趣旨に解するのが正しいと見られるのであります。このような行き方を国会の場合に当てはめてみますと、国会についても決算に対する国会の認定とか、あるいは承認とかいうようなことを、はつきりと規定の上に表わした方がむしろよろしいのではないかと思うのであります。  それからこの国会の審査の法律的の根拠としてもう一つ問題になりますのは、憲法第八十三條の規定だと思います。八十三條には国の財政処理についての一般的な原則を規定したものとして、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」こうあるわけであります。この原則的な規定から、次の八十四條の租税法律主義とか、あるいは八十五條の国費の支出あるいは国の債務負担行為等についての議決ないしは予算の議決とか、こういうようないろいろの規定が八十三條から流れ出て来ておるというふうに見られるわけであります。ところが決算の審査とか議決とかいうようなことが、憲法八十三條の中に当然含まれるものと解すべきかどうか、これについては幾分議論の余地があるのではないかと思うのであります。決算の審査、議決というようなことを直接憲法第八十三條から導き出すことには、幾分の困難がありはしないかということを感じます。しかし八十三條の原則を押し進めて行けば、結局これは決算の審査ということにも及ぶものであつて、国会がその議決によつて予算を定める。そうして国会みずからが生んだものをまたあとで決算の議決ということになつて跡始末をする、最後のくくりをつける。予算の議決から決算の議決に至る。この方が首尾一貫しておる。それですから八十三條の趣旨は、結局決算の審査ということにも及び得る。直接にこれを生まないにしても、そういうところまで到達し得る、こういうふうに見られると思うのであります。  そこで次の問題として、決算の審査ということが国会の権限であり議決すべきものである、こういうふうに考えるとしますと、今までのように、各院の権限としてやつて来た、これがすぐ問題になつて来るわけであります。先にも申し上げましたように、従来のように各院の権限としてやつて来たことも、ごく広く言えば国会の議決の一つのやり方であります。正面から憲法に違反する、こうは言えないものだろうと思うのでありますが、国会の権限として名実ともに国会の権限とする、こうした方が今までのやり方よりも、かえつて憲法の趣旨に適合するものと考えられるのであります。  第一の理由としては、憲法第九十條に国会に提出すべしとなつておる。それを国会が受けて、そして国会がこれに対して意思決定をする、この方がやはり憲法の規定にもよく合うのではないか、こういうふうに見られるのであります。憲法に違反しないばかりでなしに、むしろ憲法の趣旨に合する、こう見られるわけであります。こういうふうにしましてこそ初めて決算の審査にも権威もつきますし、これがまた非常に愼重に行われるようになります。その結果はやはり予算の執行とかあるいは決算の作成とか、こういうようなことにつきましても、これがよほど愼重に正しく行われるというような実際の効果を得ることができる。こういう面から見ましても国会の議決とした方が望ましいと考えられるのであります。この点につきましては私は実は一昨年「新憲法と財政」という名前の小さな本を出しましたが、そのときには従来の慣行を尊重しまして、国会各院の権限としてさしつかえないのだ、こういうような説をとなえたことがあるのであります。これはこの機会に改めたいと思つております。  次に、国会の議決ということになりますと、決算の審査にあたつて衆参両院の関係はどうなるだろうかということが問題になろうと思います。これについては大体憲法第六十條に定めております予算の場合に準じてよろしいのではないかと思います。決算はまず先に衆議院に提出し、それから参議院にかける。参議院と衆議院とが異つた議決をした場合には、両院協議会を開く。それでも意見の一致しないときには衆議院の議決に優位を認めてこれを国会の議決とする、こういうことができるのではないか。またそれが望ましいのではないかと思います。もちろんこれについて憲法は何も言つてないわけでありますが、憲法を改正しないでも、財政法その他の法律の改正でこれはやり得るのではないか、こういうふうに私は考えております。  次の問題は決算の審査ということを国会の議決としますと、その議決行為の内容と効果というものはどういうものになるかという問題でありますが、私は国会における議決行為の内容は結局予算を承認するかしないかということになると思います。従つてそれらの行為の効果として、もし国会で承認をしたときは、それによつて政府の責任が解除される、こういうふうになるものと思うのであります。これについては、すでにドイツの諸憲法、第一次大戰後にできたワイマール憲法の八十六條あるいはプロイセンの憲法の六十八條、それより前のドイツのビスマルク憲法の七十二條、それからプロイセンの憲法の百四條、そういつたところに責任解除ということが規定されているのでありますが、大体それと同じような意味を持つものと解してよかろうと思うのであります。従つてもし責任者について新たに彈劾の制度というようなものを設けたとしますれば、承認を得たときにはこれは彈劾権が放棄せられる、こういつた付随的な効果も出て来ると思うのであります。不承認の場合はやはり政府の責任ということが残される、こういうことになるわけであります。 次に今のことに関連しまして、決算についての国会の議決というものは、今お話したような承認不承認ということであるとして、一体これが決算の成立要件になるものか、あるいは有効要件になるものか、ないしは成立要件でも効力要件でもない。成立とか効力とかいうものは関係ないものである。こういうふうに見るべきものであるか、大体三つの考え方が出て来ると思うのであります。これについて決算は現在の制度によりますと、大蔵大臣が作成して閣議にかけることと思います。決算の成立という点では閣議にはかつて決定されたところでもつて決算として成立する、それがさらに会計検査院の会議に付されたり、国会の議決を求めたりすることになると思います。そこで国会の議決はどういう意味を持つて来るかと申しますと、もしその内容が承認不承認というものであつたとしますと、これは有効要件と見るべきものではないかと思うのであります。従つてこれに関連して、またもし国会で審議未了ということがありました場合には、あらためて国会の議決を経なければならない、こういうふうになるのが当然であろうと思います。従来の先例でこれに反するようなものがあつたかと記憶しておりますが、今度の行き方では正しくない、こういうふうになるのではないかと思います。  それからもう一つ私の気のつきましたところでは、この国会の決算審査ということに関連しまして、これをさらに実効を上げるようにするために、この関係者の責任の問題がいろいろ出て来ると思います。まず第一に考えられのは、政府の責任者とか、あるいは会計官吏についての彈劾制度であります。これはこの際ひとつ考えてよろしい問題ではないかと思われます。もし彈劾制度がありまして、先ほどのように国会の承認を得たということになりますと、そこで彈劾権は放棄せられる、こういう効果が出て来るわけであります。外国にも事例があるようですし、この彈劾制度はここであらためて検討してみる必要があるのではなかろうかと思います。  それからもう一つ、彈劾ということのほかに、責任者の賠償責任の問題、従来は会計法の規定によりまして、出納官吏については弁償規定がありますけれども、その他の予算執行の責任の衝に当る者については特別の規定はなかつた。私はこれはもう少し広くして、責任者に賠償責任の問題をもつと広く及ぼして考えるべき問題ではないかと思います。  それからさらにこれはまだ私ほんとうの思いつきの程度でございますけれども、責任の追究ということになりますと、今の賠償責任とか、これまでもありました国家公務員法に基く懲戒責任、あるいは一般の刑事責任、こういうものとは別に新たに特別の罰則を考える余地はないか、これが問題であります。どのようにしてやるか、これは従来の行き方とまつたく新らしい行き方をするので、いろいろな方面で支障ができてなかなか簡単には行かないと思いますが、案としてお考えになる価値のある問題じやないかと思います。  それからなほこれに関連しまして賠償とか処罰とかいう問題は、従来の大体の扱い方では、転任したあるいはすでにやめてしまつた者には追究は及ばない、こういうこうになつておつたのですが、私は場合によつては、転任しても——現在の官庁のように一、二年で転任してしまいますと、決算の審査のときには大体人がかわつておる。こういつたようなことが多いのであります。転任してしまつても、あるいは退官してしまつたときでも、その責任の追究は及ぶように考えた方がよろしいのではないか、これらの点につきましては、現在まだ思いつきの程度でございますけれども、御参考のために申し述べた次第であります。  なおこまかいことに関しましては、もう一つの決算の公示ということであります。新らしい制度になりましてから、予算にも決算にも公布というようなことはなくなりましたけれども、事柄の性質上、これは官報なり適当なところで公示する、こういうふうに規定すべきではないかと思うのであります。こまかいことですけれども、つけ加えておきます。 以上はなはだ雑駁な意見でございましたが何かの参考になれば仕合せに存じます。

本間俊一自由党

○本間委員長 御質疑があればこの際に伺つておきたいと思います。——御質疑がなければちようど十二時でございますから、一旦ここで休憩いたしまして、午後は一時から引続いて継続いたしたいと存じます。それでは休憩いたします。     午前十一時五十九分休憩      ————◇—————     午後一時十六分開議

本間俊一自由党

○本間委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  参考人の意見聽取を引続いていたしたいと思います。早稻田大学教授大西邦敏氏を御紹介いたします。

大西邦敏早稻田大学教授

○大西参考人 もうすでに数名の方から大体参考意見を述べられたもののようであります。私は主として外国では憲法の規定がどうなつているかという点に重点を置いて御参考までに意見を申し述べてみたいと思います。  最も重要なことは、要するに予算が非常に重要であるならば、やはり決算というものも非常に重要視されなければならぬということであります。そうしますと勢い決算の検査をいたします会計検査院、これと国会との関係が非常に重要な問題になつて来るのでありまして、国の財政に対する国会の監督権をば、最も効果的にするがためには、決算の検査に当る会計検査院と国会とが、きわめて密接な関係に立たなくてはならないということを考えるのでありますが、この点について非常に参考になると考えられますのはイギリスであります。この方面の研究者は、イギリスは世界で国会の財政監督権において、その効力を最も発揮している国であると指摘されておるのでありますが、しからばイギリスでは、会計検査院と国会との関係がどうなつておるかということを、まず御参考までに申し上げて見たいと思います。  イギリスでは、会計検査院長——日本では会計検査院は合議制でありますが、向うでは合議制ではなくて、会計検査院長というものがありまして、それが国王によつて終身をもつて任命されるのであります。両院の議決によつてのみ、国王によつて罷免される。国王によつて任命はされますけれども、しかし両院の議決がなければ、国王は会計検査院長を罷免することはできないというのです。会計検査院長は国王によつて任命されますけれども、しかし決して内閣に対して従属の地位にあるのではありませんで、内閣に対して独立の地位を持つておるのであります。そして内閣に対して責任はない、衆議院に対して責任を有する地位になつております。  イギリスの会計検査院は相当大きな公署でありまして、その職員の数は約三百三十名。しかしこの三百三十名の全部が会計検査院の本庁に勤務しているのではないのでありまして、一部は陸軍省、海軍省及び空軍省——議会によつて與えられた予算を、最も多く使うところでありますが、この陸、海、空軍省にそれぞれ分室がありまして、そこに駐在しております。また若干名の者は軍港に駐在しております。それからさらに陸、海、空軍省ばかりでなく、文治省にも若干の者が駐在して、常住政府の支出に監視の目を光らしておるのであります  この会計検査院の長たる会計検査院長の使命は大体三つありまして、一つは政府が提出した決算というものに間違いがあるか、どうかということを調べること。それからさらに收入及び支出の検査であります。それから三番目は、金銭がいかに賢明に消費されたかということを調べる、この三つのことを会計検査院長は監視をしておるのでありまして、この会計検査院の検査の結果は、日本と同じように議会の決算委員会に提出されるのであります。イギリスでは決算は衆議院のみ提出されるのでありまして、先ほど佐藤長官から申されました、受入れの窓口は一つになつて、衆議院にのみ決算が提出せられ、会計検査院の検査報告も衆議院に提出されるわけであります。  この衆議院の決算委員会でありますが、イギリスでは決算委員会というものは、非常に重要視されております。議員はこの決算委員会の委員になることは非常な名誉と心得ておる。この決算委員は、毎年一月または二月の会期の初めに、衆議院によつて選任されることになつております。決算委員会の委員の数は十五名でありますが、その委員長は衆議院における反対党の一議員——通常は前大蔵省の財務政務次官——イギリスでは、大蔵省に政務次官が二人おりまして、一人はパーラメンタリー・セクレタリー、いま一人はフイナンシヤル・セクレタリーと言つておりますが、どちらも政務次官でありまして、従つて議会の議員でありますが、この前大蔵省の政務次官が決算委員会の委員長に選任される慣習になつております。それから現在の大蔵省の財務政務次官は、必ず決算委員会の委員になるのであります。この二人を除く残りの十三名でありますが、この十三名はいずれも非常な一国の財政通であります。これらの委員は決算委員会の委員に選任されたことを非常に名誉と心得て、その時間、精力及び個人的な、政治的な利害関係というものをまつたく犠牲にしまして、国民のために誠実に財務行政の最高の水準を維持するということに、真劍の努力を拂つているのだそうであります。  決算委員会は祕密会でありまして、新聞記者も寄せつけないことになつております。決算委員会には、会計検査院長と、それから大蔵省の高官が、常に出席することになつております。この決算委員会における審査の対象となる各省の会計官は、自分がなした支拂いについて説明あるいは弁明するために、決算委員会に出席することになつております。審査を終りますと、決算委員会は本会議に向つて報告するのでありますが、しかしながらイギリスでは、時間がないという関係と、それから日本と同じように約二年前に起つたことを決算委員会で審査をし、それが本会議に報告されるというような関係から、決算委員会の報告については、衆議院では討論が行われることはきわめてまれであるといわれております。そうしますると、決算に対する議会の威力といいますか、迫力と申しますか、それはいかにも少いように考えられるのでありますけれども、しかし決算委員会の審査というものはきわめて嚴重であります。決算委員会の委員はまつたくじみな仕事ではありますけれども、自己のあらゆるものを犠牲にいたしまして、国民の膏血をしぼつた租税を主たる財源とする支出が、最も有効に、浪費なく使われるようにということを念願して、非常な努力を拂つておるのであります。外国の著者が言つておることを引用いたしましてはなはだ恐縮でございますが、イギリスで国家財政という有名な書物を書いたヒルスという学者がありますが、ヒルスは決算委員会につきまして次のような言葉を述べております。決算委員会の仕事は、財政に関する議会の監督の最も価値ある部分である。決算委員会の仕事は、追加予算を含む一切の予算が、議会の指定通りに使われたかいなかを調べることである。しかし実際には決算委員会の仕事はこれにとどまらずしてそれ以上に出ておる。すなわち決算委員会はただ支出の結果のみならず原因をも調べておる。決算委員会は、不正の決算のみならず、不正な支出をも洗いざらして責任を追究するのである。決算委員会は浪費と無能率を暴露するのである。決算委員会は注意深く決算を審査し、忠告と譴責とを與え、必要な場合には一費目を承認しないことによりて処罰を加えることすらもある。こういうような言葉を用いてイギリスの決算委員会の活動ぶりを述べておりますが、以上によつても大体、われわれはイギリスにおきましては、決算に対する議会の審査というものがいかに嚴格に行われ、従つて国家の財政がきわめて有効に行われるかを知ることができるのであります。イギリスでは今日問題になつております決算委員会の審査が終りまして、それが衆議院の本会議に委員長の報告として提出された場合に、これについていかなる取扱いをしておるか、すなわち議決をしておるのであるかどうかということは、どうも私の手元に資料が不足なので知るよしがなかつたのでありますが、イリギスは要するに議会で議決するということは重要視していないのでありまして、決算委員会がふだんに会計検査院と密接なる連絡をとつて監視の目を光らしておるということに重点が置かれておるもののようであります。  以上でイギリスのこれに関する実際を終りまして、外国では憲法の規定は一体どうなつておるか、大体日本の憲法の第九十條と同じように政府は決算を会計検査院の会計報告とともに国会にこれを提出しなければならないという規定のみをしているものと、さらに政府は決算を政府の責任の解除を求めるために国会にこれを提出しなければならぬということを明白に規定しているものと、責任解除という言葉を用いずして、ただ單に政府は承認あるいは否認を求めるために決算を議会に提出しなければならぬ、こういう規定をしているのが外国の憲法に見られるのであります。しからば日本と同じようにただ單に政府はこれを議会に提出しなければならぬというように規定してあるものと、責任解除を求めるために提出しなければならぬというのと、あるいは承認あるいは否認を求めるためにこれを議会に提出しなければならぬという三様の規定の中で、どれが一番多いかと申しますと、日本のごとくにただ單に内閣は決算を会計検査院の検査報告とともにこれを国会に提出しなければならぬというように規定してあるのは少いのであります。むしろ世界の憲法の多くは、あるいは政府の責任解除を求めるために決算を議会に提出する、あるいは承認あるいは否認を求めるために決算を議会に提出するということを規定してあるのが多いのであります。いま少し例をあげてみますと、先ほど清宮教授がお述べになりました旧帝制時代のドイツの憲法、それから旧帝制時代のプロシヤの憲法、それから一九一九年のいわゆるワイマールのドイツの憲法、それから一九二〇年のやはりプロシヤの憲法、それから一九二一年のポーランドの憲法、それから一九三五年のポーランドの憲法、それから一九二九年に制定されました西ドイツのいわゆるボン憲法、このほかワイマール憲法のもとにおける——その当時ドイツは連邦で二十七の州がありましたが、十七の州の憲法はほとんどすべて、政府は責任解除を求めるために決算を議会に提出しなければならぬことを規定しております。旧帝制時代のプロシヤを主とするドイツのおもなる州の憲法が、わが国の明治憲法に影響を與えたことは皆さんすでに御承知の通りでありますが、その当時におきましても、プロシヤを主として日本の明治憲法に影響を與えたドイツの州の憲法を見ますと、大体政府は責任解除を求めために決算を議会に提出するとあつたのであります。それを明治憲法では規定をそのままとらずして、大体新憲法と同じような文章をもつて規定する方針をとつたのでありますが、それはその当時できるだけ議会の権限を少くしよう。そうして政府の権力を強くしようという意図から、おそらくはドイツの憲法にあつたような規定を、そのまま明治憲法には取入れなかつたのであろうと思いますが、しかし明治憲法に影響を與えたその当時のドイツの憲法は、明らかに政村は責任解除を求めるために、決算を議会に提出するということになつていたのであります。この責任解除を求めるために、決算を議会に提出するという規定につきましては、ドイツの学者は言うまでもなく、議会の方では、この決算について議決をするんだという意見を述べておりますが、こういう規定にかんがみまして、私はただ單に現在のように、政府は決算を議会に報告するというのではなくして、やはり議会の承認なり、あるいは議会の政府に対する責任解除を求めるために、これを提出するようにすべきものであると私は考えております。  次に、今まで述べたのは、政府の責任解除を求めるために決算を議会に提出するというのでありましたが、むしろそれよりも世界の多くの国家の憲法は、承認を得るために議会に提出するという規定をとつております。たとえば現在のデンマークの憲法、一八四九年に最初制定されて、一九一五年に改正がありましたが、この現在のデンマークの憲法。それから帝政時代のスペインの憲法、中南米のもうほとんどすべての国家——中南米には言うまでもなく二十の国家がございますが、その中、南米のほとんどすべての国家は、やはり承認を求めるために決算を議会に提出するということを憲法で明白に規定しております。それから中南米以外におきましては、たとえば一九二〇年のオーストリアの憲法、それから一九二一年のユーゴースラビアの憲法、それから一九二六年の小アジアにありますレバノンの憲法、それから一九二八年のアルバニアの憲法、それから一九三一年のユーゴースラビアの憲法、それから一九三四年のオーストリアの憲法、それから一九四七年の、今度第二次世界大戰後できましたイタリアの憲法、これらは全部、政府は議会の承認を求めるために決算を議会に提出しなければならぬということを、憲法に明白に規定しております。  それからついでにいま一つ引例しておきます。ベルギーでございますが、一九三一年に制定されました現在のベルギーの憲法、ここにおきましては、決算は決算法案として議会にこれを提出するということを憲法に規定しております。決算法案でありますから、言うまでもなく議会はこれに対して議決をするのであります。  以上が外国の憲法における決算と議会との関係に関する規定でありますが、要するに外国では決算というものをば、政府はこれを報告するために議会に提出するのではなくして、やはり議会の議決を求めるためにこれを国会に提出するという定めになつておるのであります。  以上ごく簡單でございましたが、私の報告を終りたいと思います。

本間俊一自由党

○本間委員長 それでは御質問はあとでまた願うことにいたしまして、引続き意見を聽取することにいたします。  それでは会計検査院検査第四局長小峰保榮君にお願いをいたしたいと思います。

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 会計検査院の検査第四局長の小峰でございます。議題になつておりまする決算を議案として取扱うべきかどうか、この案件につきまして、これから会計検査院といたしましての所見を申し上げたいと思つております。  御承知のように、会計検査院は、先ほども御紹介がありましたように、合議制の機関でございます。私がここで申し上げることは、一応検査官会議の了承を経て、会計検査院の意見として申し上げる次第であります。もちろん私個人の意見もまつたく同様であります。会計検査院の意見であると同時に、私の意見としてお聞き願いたいのであります。  新憲法下におきまして、決算を重視するということになりましたのは、これは新憲法の精神というもの、あるいは財政の現段階から考えましても、当然のことでありまして、その一つの方法といたしまして、結局国会の財政監督を強めて行くという意味におきまして、決算をどう取扱うべきかということをお取上げになつた点は、まことに適切な御処置と私どもも考えております。ただ現在の方法がそれほど惡いか、言いかえますると、現在の憲法の提出という用語に従いまして、法規に準するような取扱いをなさつていることによりまして、決算を通じての財政監督というものができないのかどうか、議決あるいは議案、こういう形式に改めなければ財政監督ができないかどうか、十分な効果を期待し得ないかどうか、この点につきましては私どもといたしまして若干の実は疑問を持つております。  結論から先に申し上げますと、現在の方法も活用のいかんによりましては、ただいま大西教授からイギリスの例のお話がございましたが、これに一応敷衍してもよろしいかとも思いますが、活用のいかんによりましては、これで相当の効果を上げるのではないだろうか、議案にいたしまして、御審議をなさるということになりましても、それが決して現在以上の効果を上げ得るかどうか、抽象的、観念的にはいろいろなことが言えるかと思います。実際問題といたしまして、はたして効果を上げるかどうか、私といたしましては、若干の疑問を持つておる次第でございます。  これにつきまして、大体これからお話しいたしますが、まず第一に、その段階といたしまして、決算に対する議院の審査、その結果なされる意思表示、決議の形になつておりますが、これが決算に対していかなる効果を持つておるか、現在の憲法の解釈といたしまして、いかなる効果を持つておるか、これをまず第一段に申し上げたいと思います。第二に、審査の形式のいかん、現在の方法を改めて、議案という形にする。この形式のいかんが、委員としてなさいます意思表示に何か別な効果を新たに加えられるものであるだろうかどうかということを、第二に申し上げたいと思います。第三に、かりに議案としてお取扱いになる場合に、現在の運営の方式との間にどういう特質が現在想像できるだろうか。これを第三に申し上げたいと思います。第四に現行憲法、新憲法の解釈といたしまして、はたして現在の憲法のままで議案、両院を通じての議決をする。こういう方法に行くことは、はたして妥当であるだろうかどうだろうか。これを第四に申し上げてみたいと思います。最後にこれはあるいは議題を離れるかもしれませんが、旧帝国憲法七十二條、現行憲法の九十條、これの差異の中に一つとかく見落されがちなものがございます。それは「検査確定シ」ということが旧憲法では使つてあつたのに対しまして、新憲法では、会計検査院がこれを検査し、その検査報告とともに内閣が国会に提出する。片方は検査確定して国会に提出する。新憲法は検査して国会に提出する。確定という字が落ちておるのであります。この点につきまして、あるいは国会が確定するのが新憲法の精神にかなうのだというような御意見も、一部にはあるやにも拜聽しておりますが、その点に最後に触れまして私の話を終りたいと思います。  まず先ほど申し上げました第一の、決算に対する議院の審査の結果なされる意思表示、決議、あるいは議案の形になればそれが議決になるかと思いますが、それがどういう効果を持つておるだろうかという点について簡單に申し上げてみたいと思います。大体決算の内容となつておりまする歳入、歳出、これは予算案とか、法律案とか違いまして、すでに政府の諸機関が收入をし、あるいは支出をなしました行為によりまして、法律上は、日本の制度におきましては、これは確定しておるものであります。アメリカのように会計検査院の検査が済まなければ確定しないというものとは日本では違うのでありまして、政府の支出、收入、こういう行為によりまして、これが確定しております。そしてかりに違法あるいは不当ということがありまして、会計検査院なりあるいは国会から批難されましても、それは効果には何らの影響を及ぼさないのであります。これは皆様御承知の通りと思いますが、政府において当事者と協議の上、納得ずくで返させるとか、とりもどす、こういうことは別といたしまして、法律上は確定しておるものであります。会計検査院がいろいろなことを申しましても、その効力は左右されるという性質のものではございません。国会がいろいろの議決をなさいましても、これが法律上当然に効力を左右するというようにはならないのであります。従いまして、決算に対しまする国会の議決、これは先ほど申し上げましたように、法律案とか予算案のようにある成立條件と申しますか、そういうようなものとは大分性質が違つて来るわけであります。結局国会の決算の審査なり決議というものが、予算執行の事後におきまする会計経理の監督ということに帰するのであります。これはあらためて申し上げるまでもないかとも思いますが、結局国家の大局から見まして、予算執行上、政府の責任追究ということに帰着するわけであります。  このように議院の決算に対しまする決議の効果というものが、今申し上げましたものであるという点から考えますと、決算審議の手続きについての形式が、法律だとか予算と同じように議案の形式にぜひよらなければならないという結論は、どうも効果という点から考えますと、見出しにくいように思うのであります。法律とか予算のように成立の要件ということになりますと、これは両院の一致ということも絶対に必要になつて来ると思いますし、一致しない場合のいろいろな特例ということも、法律上、憲法上いろいろ考えられておるわけであります、決算の場合は必ずしもそういうふうに議案の形をとらなければいけないという点は、絶対に必要だということも考えられないかと思うのであります。かりに議案の形式によつたといたしましても、結局否認事項の善後措置を要求するなり、あるいは当局者の責任を追究するなり、将来においていましめるなり、経費の節約等について十分の考慮を拂わせる。こういう意味におきまして、政府を鞭撻する以上の効果は期待し得ないのではないかと思うのであります。これに影響を及ぼすような措置をとるということは、これは相当大きないろいろの点の改正が必要ではないかと思うのであります。従いまして、議案という形にいたしましても、そう大きな実質的な効果は期待できないのではないだろうか、こういう点を懸念するわけであります。非常に愼重になり、審議が早くなるというように行きたいと思いますが、その点につきましては、後ほど触れるつもりでおりますが、そういう点について実質的な効果という点になりますと、いかがかと思つておるわけであります。  第三点でありますが、先ほど申し上げました、現在の運営方式との間の特質、この点に触れたいと思います。第一に、決算審査が衆議院、参議院各別に広義、狭義の別なく、現在のように行われておる場合におきましては、両院の意思表示が合致しない場合が自然的に生じ得るのであります。国会として不統一というようなことになりまして、それははなはだ歓迎すべきことではもちろんございません。先ほどもどなたからか御意見がありましたように、いわゆる迫力のない結果を来す、迫力のない決議になる。こういうことは歓迎すべきことではないのでありますが、しかしながら要するに監督を受ける立場に立つて考えなければいけない問題でありまして、監督を受ける側で、片方の批難、一院の批難だから軽く見ていいというものでもないと思うのであります。言いかえますれば、それは政府がむしろ一院の強い批難を受けたということによつて、大いに自粛してしかるべき問題でありまして、両院の一致した決議がないからいいんだ、こういう態度をとるというのはいかがかと思います。またもし非常に重要な條件でありまして、ぜひ両院一致の議決が必要であるということでございましたならば、それは現在の合同審査会というような制度もございますし、両院委員会の協議というような制度もございます。従いましてこれを適用することによりまして、今の不一致ということはある程度避けられるのではないか、こう考えております。要するに政府側として一院の批難だからどうでもいいんだというような態度をとらせなければいいのであります。強い決議を受けました政府というものは、相当にいろいろな影響を受けるのであります。これは両院のそれぞれ一院におきまして、強い意思表示を現在の方法においてもしていただけば、所期の目的は達せられるのではないだろうか、こう考えております。またかりに議案の形式によるということになりますと、両院の議決が合致したものだけについての批難が成立するというほかはなくなるわけであります。一院だけで、いかぬという方法がないわけであります。両院一致の批難事項というものが必然的になくならざるを得ないのではなかろうか、この点をむしろ懸念するのであります。御承知のように決算は、その内容の審査を両院でおやりくださるわけでありますが、結局は会計検査院の提出いたしました検査報告というものが主体にならざるを得ないのであります。過去におきましてもそうでありましたが、将来においても、おそらくそういう方法が持続されることと思います。法律とか予算というものになりますと、両院の不一致ということがかりにありましても、それは一、二の事項についてのみ起り得ることであります。全面的に不一致というようなことはもちろんありませんし、多数の案件についての不一致ということも考えられないのでありますが、決算審査は、検査報告が事実上の主たる対象ということになりますと、御承知のように、検査報告事項というものは、六百も七百もあります。今お手元に差出してございます昭和二十三年度の批難事項で、会計検査院が検査報告書に掲載いたしました事項は六百二十一ございます。こういうたくさんの数をお取上げになりまして御審議を願うわけでありますが、そういたしますと、勢い両院の不一致案件というものは、相当にふえて来る懸念が多いのであります。この点が私どもとして実は懸念をしておる点でございますが、六百も七百もあるこの数は、将来といえども減らないのではなかろうか。会計検査院というものが曲りなりにも充実して参りまして、もちろん満足すべき段階ではございませんが、一応逐次充実の途に立つております。そうしますと、六百数十という案件もおそらくふえればといつて減ることはないだろう、こういうことが予想されるわけでありますが、そうしますと、いよいよ両院において議案の形でお流しになる、こういう方法をおとりになると、不一致の面が非常に多くなるのではないだろうか。そういたしますと、政府側から見ますと、批難さるべき案件が減つて来る、こういうような結果を来すおそれが多分にあるように考えるのであります。予算あるいは法律案というものと、決算審議の相違という点についてもお考え願いたいのであります。  それから決算に対する国会の審査、意思表示というものが、はなはだ申し上げにくいことでありますが、現在とかく遅れがちというのが実際の姿であります。これを議案の形式に改めまして、はたしてこれが促進されるかどうかという点が一つの疑問だとも思うのであります。これが非常に促進されればまことにけつこうであります。予算のような性質のものと違いまして、成立の要件とか、あるいは議決が何かの効果を付與するというような性質を持つておりません決算といたしまして、予算のように期限にしばられるということがないものでございますが、そういうものがはたして議案の形式に、ただ形式をかえたことによりまして審議が促進されるかどうかということについては、そうなるという断定も今のところ下せないのじやないだろうか、この点も実は懸念しております。結局決算が審議が遅れたり、次の国会に延びたり、こういうようなことは、決算の予算、法律案と違う本質に基く結果でありまして、それの審議の形式が、單なる提出事項として審議するか、あるいは議案の形で審議するということによつて生ずる差異ではないと思うのであります。むしろ議案として取扱つた場合は、当然会期下継続の原則というようなことになりまして、再度の提出、説明も同じことを二度お聞き願う、こういうようなことにもなりますし、審査の手続が結局重複して行われるというようなことになるわけであります。かえつて出もどりになるということが実は懸念されるわけであります。  結局以上申し上げましたことによりまして、現行の審議の形式を変更することによりまして、財政監督という非常に重要な、また新憲法から強く期待をかけられております国会の財政監督、こういう方向に実質的なプラスをもたらすかどうかという点について、はなはだ疑問があるのではないだろうか、こういうふうに考えておる次第であります。  先ほどイギリスのお話が出ましたが、イギリスは、大西教授もおつしやられましたように、世界でおそらく最も会計検査の効果を上げている国の一つであります。効果を上げている一番大きな原因は、決算委員会が非常に活躍されるというところにあるのであります。委員の構成というような話が出ましたから省略いたしますが、これは非常に活躍しておるようであります。イギリスでは、御承知のように、予算については世界の母国というような関係になつておりますが、予算の制度の運用に伴つて、予算が国会の議決を経た通りに行われていない面が多い、これを国会で感知されまして、相当長い間かかつて現在の決算制度が確立しております。国会がイニシアチーブをとつて決算制度をおつくりになつておるのであります。国会の決算委員会——国会というよりも下院でありまして、上院はイギリスでは、ほかの予算段階と同じように、あまりタッチしておりません。下院の決算委員会が非常に強力に働きかけておられるのであります。会計検査——会計検査ということはイギリスではふさわしくございませんが、合計監督機関を国王の任命にかかる官吏をもつて構成しながら、しかも下院の決算委員会の機関として自由に駆使しておるのであります。人数は少い、非常に貧弱なもののようでありますが、相当よくこれを駆使いたしまして、決算委員会が活躍されております。それから日本の会計制度の非常に大きな欠陥は、会計行為の責任者があまり判然としていないということが、世界におそらくあまりないくらいの日本の重大な欠陥じやないかと思います。イギリスでは会計長官制というものを置きまして、会計責任者をすこぶる明確にきめております。決算委員会の席上にその責任者を呼びまして、いわゆるクロス・エグザミネーションと言つておりますが、十字砲火的な質問を浴びせてその責任を追究する。これがイギリスの会計監督の行届く一番いい方法だ、こういうことを言つております。決算委員会に責任者が呼び出されまして、そのクロス・ファイヤーを浴びせられる。これによつて会計の非違行為が将来に向つて逐次減少して行くということは当然の理であります。結局、決算委員会というものが非常に活躍されていらつしやるところに、大きな効果を生ずる原因があるように見受けられるのであります。  それからもう一つ、これは先ほど御紹介になりましたヒルスと同じようなりつぱな学者でありますが、ヒルトン・ヤング、この人がまことにおもしろいことを言われております。イギリスは会計検査院がやぶをたたいてうさぎを追い出す。国会がそのうさぎをつかまえる、大蔵省がそのうさぎを料理する、こういうことを本に書いてございます。うさぎを譬喩事項にたとえまして、追い出すのは会計検査院、つかまえるのは下院の決算委員会、それを料理するのは大蔵省、結局大蔵省が国会の下院の意を受けまして、政府部内で、検査院がつかまえ、見つけ、国会が、不当だ、違法だ、こういつて断定をお下しになりましたものを実行する機関であります。これが非常に日本と違うところであります。検査院も、実ははなはだ行き届きませんが、一生懸命になつて見つけておるつもりであります、国会もつかまえます。しかしながらしり切れとんぼになりましたというのが日本の現情ではないかと思います。イギリスでは、大蔵大臣というものは、国会の非常に有力な人がなるのが常でありますが、大蔵省というものも日本の大蔵省と違いまして、国会、検査院と同じ方向に向いて立つておるのであります。政府側を大蔵省がにらんでおるのであります。日本ではそうないのでありまして、大蔵省が政府側のトップに立ちまして、一生県命になつて陳弁するというよううな立場にあるというのが実情であります。検査報告をごらんになればすぐわかるのでありますが、大蔵省所管の批難が一番多い、そういうような状態が日本であります。従つて決算委員会がイギリスでは活躍する、そうして惡いことをすぐ批難するという機関が政府部内にあるわけであります。その点でわれわれとしてはイギリスに大いに学ぶ必要があるのじやないか。決算委員会が非常に有力だという点、それから政府部内に決算委員会の意を体してただちにそれを実行に移す最も有力なる機関が存在する。これが財政というものをりつぱにし会計監督の効果をあげる一番大きな原因ではないかと、私どもは実はうらやましく思つておる次第であります。要は国会の審議方法が議案であるかあるいは報告であるかというようなことよりも、やはり運用の妙ということが一番の眼目ではないだろうか、はなはだよけいなことを申し上げましたが、そういうふうに実は考えております。  それからもう一つ、第四でありますが、現行憲法上憲法を改正しないで、議案議決という方向にそのまま行けるだろうか、この点の疑問であります。いろいろ先ほどから承つておりますと、積極、消極、両方の御意見があるようでありますが、結論的に申しますと、沿革あるいは過去旧帝国憲法以来約七十年の運用、それが憲法違反でなかつたという事実によりまして、私といたしましては、政府の責任解除というようなことに、結局は結論としてならざるを得ないような議決の方法によるということは、現行憲法のままではどうも少しむりじやなかろうか。これは詳しく実は資料の準備はしておりますが、時間の関係で端折ります。旧プロイセンの憲法の百四條、先ほど御紹介がありましたが、これが日本の旧憲法の七十二條、決算の規定の母法であります。ほとんどそのまままねをしたような法律でありますが、その中で非常に重要な点が一箇所違うのであります。それはプロイセンの憲法の百四十四條には、政府が責任の解除を受けるため、こういう字句が入つております。日本の旧憲法の七十二條はそれを消しておるのであります。それから憲法議会の資料によりますと、当初は必ずしもプロイセンと日本でそう大きな差をつけるつもりもなかつたようでありますが、その後七十年の運用、旧憲法の七十二條をそつくりそのまま口語体に改めた程度の現在の憲法九十條、このものの現在の運用にまで及んでおるわけでありますが、この運用と憲法の規定というものの調和を考えますと、どうも政府の責任解除というような効果をつけなければ、議決というふうにかえましても意味がないのであります。そういう効果を期待しなければ意味のない議決の方向に持つて行くためには、やはり憲法の改正を要するのじやないだろうか、この点はなはだ御説明が不十分でありますが、もし御質問がありましたらお答えいたしますが、結論といたしましてはどうも議案として取扱つて、議決の形にして、結局は政府の責任解除なり何かの効果を期待するというような方法は、やはり憲法の改正を待つてやるのが穏当ではないだろうか、こういうふうに私どもとしては考えております。  それから最後に新しい憲法の、会計検査院が決算を検査しという文字、それから旧憲法の会計検査院が決算を検査確定し、確定という字にかえましたことにつきまして、会計検査院側の調査いたしました事実をこの際簡單に御報告申し上げておきたいと思います。旧憲法で検査確定しと言つておりましたことと、現行憲法で検査しということは、結論から申しますと同じことだ。結局先ほども御発言がありましたように、旧憲法でも新憲法でも、決算は会計検査院の検査によりまして、最終的に法事上は確定する。これが動かすべからざる決算となる。この点につきましては確定という字の有無にかかわらず同じだ、こういうふうに解釈し、それから運用しておるわけであります。それは新憲法に基きまして現在の会計検査院法というものを制定するときにも、実は私どもも疑問を持ちまして、確定という字が除かれたことによつて、決算の最終確定は検査院の手を離れて国会に移つたのじやなかろうか、私どもももしそうならばそのように会計検査院法をつくらなければならないということで、各方面と打合せをいたしまして、結局到達いたしました結論は、国会に移つたのではない、従来通りの意味の規定だ、こういうことになりまして、現在の会計検査院法というものをつくりまして、そうして会計検査院法では確定、実はドイツ語の原語を御紹介いたしますとわかるのでありますが、非常に不明確な字であります。あつてもなくてもいい字、ドイツでは現にそういうふうに法律の改正がありまして、前には確定に相当する字が書いてあつたが、あとではちようど日本の新憲法で除かれたと同じように、除かれても前とさつぱりかわらず運用しておつたという先例も、ドイツにあるのであります。そういう点から考えまして、確定というようなまぎらわしい字はやめようというので、現在の会計検査院法では確認という字を使いまして、検査の最終段階、広義の検査という中に入る。ただそれを段階を切つてわけますと、確認ということが検査の最終段階、新憲法の九十條の会計検査院が検査しという中の最終段階としての確認行為、こういうことを新しい会計検査院法に規定いたしまして、現在数年にわたりましてその運用をして来た次第であります。この点はあるいは説明がまずかつたかもしれませんが、もし御質問があつたらお答えることにいたしまして私の話を終りたいと思います。

本間俊一自由党

○本間委員長 次に、大蔵省主計局司計課長平井平治君にお願いをいたします。

平井平治大蔵省主計局司計課長

○平井参考人 大分有益な御意見がございましたので、私事務的な決算をやつておる関係上、事務的な考え方を一応お話し申し上げたいと存じます。  なお、大蔵省が現在取扱つておる点と私の意見と一致しておる部面もございますが、私の申し上げるのは私個人の意見でありますから、あらかじめおことわり申し上げておきます。  憲法が改まりまして財政法ができ、民主的な財政処理ということになつたのでありますが、憲法の九十條に「国の收入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」とございまして、ほかの條文は大分かわつたのでございますが、この條文は、文としては多少かわつておりますが、旧憲法の七十二條と実質的にかわつておらない、かように考えるのであります。それから今度できました財政法の四十條も、旧会計法の第二十三條と実質的にかわつておらない。従つて決算の取扱いも従来通り、こういうふうに考えておるのであります。大分前に憲法を改正するならばと、こういうお話がございましたが、憲法を改正するならば考え方は別でありますが、ただいまの憲法のもとにおいては、従来通りの考え方でよろしいのではないかと思うのであります。  これにつきまして少し考えたことを申し上げますと、決算の性質は予算案あるいは法律案と本質的に違つておる。予算は御存じの通り予定的な計算でありまして、将来に対する計画であります。法律案にいたしましても計画であります。ところが決算は決定してしまつた決定的なものであります。従いまして、決算を決算案として議決したところで元の通りで、決算案というものが決算というふうにはならぬと思うのであります。予算案、法律案でありますと、国会の議決によつて予算となり、法律となるのでありますが、議決するといなとにかかわらず決算は決算でありまして、その点が議案とするには本質的に適さない、かように考えるのであります。予算の執行の結果である決算でありますが、予算の執行は当然行政府がなすべきでありまして、法律的には国会は直接執行そのものについて関知しない性質のものであろうと存ずるのであります。従いまして、財政監督の上から国会が決算を審査なさることは当然でありますけれども、議決によつて決算を確定するということには相ならぬのではないかと考えるのであります。ただ決算に最も近い議案といたしましては、予備費の事後承諾案がありますが、事後承諾案は、御存じの通り、予備費を使用した後において国会の承諾を求めるものであり、予備費自体は国会が議決いたしておるのでありますが、その内容が決算に現われて来る予算とは、予算の中にありますが、本質的に違つておるのでありまして、財源を留保しておるにすぎないのであります。従つて事後承諾を国会に求めるということも、決算とは性質が違つておると思うのであります。予備費の事後承諾は、予備費を使用したということの事後承諾を求めるものであります。実際に使つたということも事後承諾の内容でありますが、そのほかに予備費の科目と金額、使う責任部局、そういうものを内閣が決定したということも、事後承諾の内容になつておると思うのであります。予備費の使用につきましては、決算は決算として提出されるのでありますから、そういうことも事後承諾を求めるのであります。それから予備費の事後承諾と決算の議決——かりに議決といたします場合、予備費は科目、金額、責任部局等を決定したものについても、国会の事後承諾を求めるのでありますから、まだ実際に使用されておらないというようなことがあつて、国会でそれを不当だという議決をした場合には、その使用を中止する、あるいは取消すことが可能なわけであります。この点も決算と予備費の事後承諾案と違う点であろうと思うのであります。最も近い事後承諾案においてもさように違つておるのであります。決算をかりに議決いたすというふうにいたしましても「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」という、憲法第八十三條のこの議決にはならぬと私は考えるのであります。先ほどこの議決の中に包含されるという御意見もございましたが、私はさようには考えないのであります。「国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」こういうことでありますが、決算は国の財政処理を行使した後のものであります。従つて決算をかりに国会の議決の対象といたしましても、決算はすでに確定いたしておるものでありますから、第八十三條の財政の処理——将来なされるところの財政処理、これには当てはまらない、かように考えるのでございまして、ただいまの憲法上からは、従来通り決算は国会の議決の対象にならないというふうに考えるのであります。検査院の方からもお話がありましたけれども、国会の議決の対象とした場合においても、法律的にはいかような決議をしても効力が出て来ないのであります。ただ財政監督としての政治的な責任のみが残つておるのでありまして、決算が確定した後の議決をいたしましても、これをいかんともいたしかたがないように考えるのでありまして、従つてただいまの私の考えでは、議決の対象にすることはいかがかと考えるのであります。  私、決算の総まとめの方をやつておりますが、決算が予算に比べまして国民から軽視されがちであることは、私が申し上げるまでもないのでありまするが、それならば、この決算が重要でないかどうかということにつきましては、先ほど来お話がありました通り、非常に重要なものであります。国会の決算委員会におきましても、ややもすれば軽視されがちでありますが、それならば、それをどういうふうにいたしたらよろしいか、こういうことでございますが、これは決算を国会の議決の対象といたしましても、その辺に影響がないというお話がございましたが、私は国会がこれを議決の対象にするということは、一つの手段ではなかろうかと思うのであります。憲法八十三條によるところの国会の議決、この中には入らないけれども、国会がこれを取上げまして、決算を国会の議決の対象にするということにつきましては、もちろんさしつかえがないのでありまして、財政法に所要の改正をする、あるいは国会法の改正をするということによつて、国会の議決の対象とはなし得ると思うのであります。  そのほかに決算をもう少し国民に重視されるような方策はないかということでありまするならば、このでき上つた決算が、責任者がかわり、二年も、時には三年もたつてから、決算委員会で審査するということから、非常に軽視されがちになつて来ていると思うのでありまするが、そういうところは、決算委員会が財政監督的な立場から、予算の執行の途中において、政府部内に入り込んで監査をやる、あるいは報告を徴するという手段によりまして、決算に対する理解と協力を国民に求めることが出来ると思うのであります。そしてそういう方法が最も効果があろうかと思うのであります。従つて率直に私の意見を申し上げますれば、決算委員会の方々が、たびたび予算の執行の途中の状況を監査するということが、最も効果があり、手取り早い手段ではないかと考えるのであります。  まだ多少申し上げたいこともございますが、前の方から御意見も相当出ておりまするから、この程度にいたしておきたいと思うのであります。

本間俊一自由党

○本間委員長 それでは最後に本院の法制局長の入江俊郎君にお願いをいたします。

入江俊郎衆議院法制局長

○入江参考人 決算制度につきましては、明治憲法以来今まですでに長い経過をたどりまして、明治憲法施行の初期におきましては、種々論議もあつたようでありまするが、その解釈、扱い、及び学説等についても、ほぼ一定したような結果になつて今日に至つております。しかし新憲法は旧憲法の建前を根本的に変改いたしまして、なかんづく国民主権主義の建前のもとに、国会を国権の最高機関と定めましたし、また国の財政は国会の意思に基いて行われなければならないという、いわゆる国会中心財政主義というものを採用いたしまして、財政に関する憲法上の原則が、旧憲法に比しまして根本的にかわつたと思うのであります。それに関連して、決算の制度を改めて再検討するということは、きわめて必要なことであろうと思うのであります。それで新憲法での第一回国会におきましても、昭和二十二年度の決算が審議せられますときに、両院の決算委員会におきまして、その扱いについて愼重論議がございまして、各決算委員会におきましていろいろ研究をいたしている経過が残つております。昭和二十二年の七月三十日に、衆議院の決算委員会で竹山委員長が、従来の扱いについてはひとつ考え直してはどうかということを発言せられまして、それにまた応じて参議院においても、下條決算委員長が同じような発言をせられまして、おのおの小委員会をつくつて決算審査の方法を研究したことがあります。その結果参議院では、同年の八月六日に、決算の取扱いにつきまして一つの方針をきめ、また衆議院におきましては、同年の十一月二十日に決定をいたしておりますが、それを見ますと、根本的には国会の審査ということになるのであるから、国会として意見をきめることが望ましい、また各院おのおの別々の意見であつては、政府、内閣、各省も適従するところに迷うということもあろうし、これらについては十分考えたい。しかしそれらは法律等の改正もあろうし、なお研究を要する点もあるから、とりあえず両院の決算委員会で合同審査会を活用し、それらの方法によつて、なるべく両院の意見を一致させて行こうではないかということの決定があつたのであります。つまり根本的の研究は後の研究といたされまして、さしあたりの措置として当時そういうことがきまつております。その後決算委員会におきましても、たびたびその問題が取上げられたのでありまして、国会としては新憲法に即応して、決算制度をきわめて真劍に考えて、今日に至つたと思うのであります。私はまず新憲法下における決算の性質と、国会におきまする決算審査の目的とを明らかにいたしまして、その観点から国会におけるその審査の手続を検討することが順序だと思いますので、それらに関して順次所見を申し述べまして、御参考に供したいと思つております。  第一に決算の性質でありますが、これにつきましては、今までいろいろのお方がお述べになつた通りでありまして、決算は一会計年度の国の收入支出の現実の計算ではありますが、しかし單純な計算書というものに加えまして、予算執行の後において、その現実の收支状況がはたして適正妥当であつたかを検討し、是正すべきはこれを是正して、もつて事後において国の收支の適正をはかるがために設けられた制度であると思うのでありますが、この点は、明治憲法のもとにおきましても、また新憲法のもとにおきましても、同様に解していいのではないかと思つております。ただ一体決算の本体が何であるかということ、すなわち決算は單に過去における收入支出の事実だけであるのかという点につきましては、二説あると思うのであります。一つの考えで申しますと、先ほども議論があつたようでありますが、大蔵大臣が作成して閣議決定を経た歳入歳出の現実の計算書につきまして、会計検査院が検査確認したものがすなわち決算である。これを内閣は憲法第九十條で国会に出して審査を受ける、こういう考え方があるのであります。これが大体通説と思いますけれども、しかしこれにつきましては明治憲法七十二條に「検査確定」とあつたものが、新憲法では「確定」という字がなくなつておる。これは先ほど議論がありまして、なくなつても同じであるという説もありましようけれども、今日としてはやはり一つの研究題目だと思うのです。また明治憲法時代には、会計検査院が主権者である天皇に直隷するという独立官庁であつたという点、それが今度はまつたくかわつたという点等も、この問題についてはこの際考慮をしてみる必要があるのではないかと思うのであります。  それから第二説としては、国の決算として最終的に確定するのは、今申しました段階においてはまだ確定しないので、さらに憲法九十條によつて内閣から国会に提出されまして、国会でこれが審査を終つたときに、初めて国の決算としては最終的に確定するものであるという考え方があり得ると思います。これはしかし通説とは言うことができませんけれども、しかし私は以下いろいろ申し上げるところと照応いたしまして、新憲法の上の解釈としては、さような解釈をとるのが望ましいのではないかというふうに考えております。 次に国会はどういう目的で決算を審査するかということでありますが、私はこれは、国会が内閣から提出して参つたところの会計検査院の検査確認した決算、さつき私が申し上げました意味で言えば、あるいは決算案であるかもしれませんが、それとまたその検査報告及びこれに対する政府の説明書というものを参考として、国会が独自の立場で検討を加えて、決算の内容が收入、支出を可能ならしめる実体法規に照して適法であつたかどうか、また予算に照して適正妥当なものであるかどうかということについて批判をくだして、財政処理に当つた政府の責任を明らかにして、もつて国会としての行政監督権を行使することを目的とし、兼ねて将来における国会の予算審議の参考に資するというふうに考えるべきではないかと思つております。これも大体従来からの通説でありまして、新憲法のもとにおいても同様と考えていいのではないかと思つておるのであります。従来から決算の扱いは、御承知のように、これを是認するかどうかということを議決し、是認しない部分につきましては、違法または不当と議決するばかりでなく、必要に応じて政府に相当の処分を求めるという決議をもしておりますが、この点は新憲法下におきましても大体同様に考えるべきであると思つております。しかしこれは決して会計検査院の、憲法上の検査の権限を侵犯するのではなくて、これと別個に、国会として独自の立場でその権限を行使するのでありますから、憲法上さしつかえないものと私は思つております。  なお国の決算としてはいつ確定するかということで、先ほど申し上げましたごとく、国会の審査を終了したときに国の決算として最終的に確定するものであるという考え方をとりますならば、国会における決算の審査というものは、今申し上げました目的に加えまして、なお国の決算を最終的に確定するというような目的をも持つておるものと私は考えております。  なおここで一言つけ加えたいと思いますが、決算の審査は、法律案や予算案の審査とは著しくその性質を異にしておるという点でありまして、これは前参考人の方々も申し述べた通りであります。すなわち法律案や予算案はそれ自体法的規範としての性質を持つておりまして、将来にわたつて財務行政のよるべき準則でありますから、国会の議決によつて法律自体、予算自体というものを決定するものであります。従つて国会は法律案、予算案に対しましては必要な修正を加えることは当然できるのであります。ところが決算になりますと、それ自身としては法的規範たる性質を持つておらないで、決算を確定すること自体は法規範定立の行為とは考えられません。ただその審査自体は、国会の行政監督権に基いて政府の財務行政執行の責任を明らかにし、政府に対して必要の措置を要求し、もつて爾後における財務行政の適正をできるだけ確保しようという目的を持つておると思うのであります。言いかえれば、国会における決算審査というものは、決算の計数を客体とし、これにただいま申し上げましたような意味の批判を国会として加えるというところに、きわめて重要な特色があるのでありまして、この点は法律案や予算案の審議とは、その意義を異にしておると思うのであります。なおこれは予備費の承認と相通ずるところがあると思いますけれども、ただ予備費の承認につきましては、承認するかしないかということを客体といたしまして、別に附帶決議、希望條項等を付して報告することがあつても、本会議としてはこれを採決しないという例になつておりますが、決算の方は、先ほど申しますように、是認しない部分について違法または不当を議決したり、またはときに必要に応じて政府に相当の措置を求めるというような扱いをしておりますので、この点はやはり決算の審査は、予備費の承諾とは異つた特色を持つておるものということを指摘しておきたいと思います。  そこで次に国会における決算審査の手続であります。本日の問題となつた点もこの点が要点であると思うのであります。私はまず国会における決算審査の目的から考えまして、新憲法下におきましては、決算はこれを両院交渉の議案として取扱い、これが国会における審査は、両院の一致した議決をもつてなされるという建前を確立することが望ましいと考えております。現在における国会の扱いは、先ほどいろいろ前の方がお述べになりましたように、内閣は各院に別々に、これを提出し、各院はこれを交渉議案として取扱わずに別々に審査をし、別々に議決をいたしております。そうして決算は議決に至らない場合も再び次の会期に提出することをせず、審議未了、審査未了等の決算は次の会期において、これを引続き審査するという扱いをしておるのであります。そういうようなわけで、この扱いを見ますと、従来の考え方は憲法第九十條が決算を国会に提出するというのは、いずれかといえば、これを報告であるかのように解しておると考えられる。また先ほどお述べになつた方々も、報告であるというふうにお述べになつた人もあるのであります。しかし考えてみますに、決算が国会へ提出されるのは、政府から国会への報告であるかどうかという問題は、実は明治憲法施行の当初においてすでに論ぜられまして、あるいは報告であり、あるいは議案であるという議論が国会の中でも当時行われた記録がございます。しかし結局いろいろな議論の末、あたかも報告であるかのごとくに扱いが確立いたしまして、これに対して多くの学者はこれを是認するようなふうに論じております。中には従来のやり方は明治憲法以来の慣行をそのままただ踏襲しただけだから、決算を軽視することになる、従つて国会の議決に付すべきであるという意見を述べる学者も若干ございます。たとえば人事院総裁の淺井清博士、それから先ほどの清宮教授は、この席でもつてその説をお述べになつたと思います。しかし私は決算の国会における審査というものの性質を考えてみますと、国会で決算を審査するのは決算に現われた財務行政の執行の状況を是認するかどうかということを見て、不法または不当を批判し、さらに政府に対して必要な処分を求めるというようなやり方でもつて行われておりまして、これは決算の審査としては当然そうなければならぬものと考えるのでありますが、もしそうであるとするならば、内閣から国会への提出は單なる報告であるということはおかしいのでありまして、やはり国会における審査は議決の客体としてこれを扱う。そうして国会としての意思を確定するという方法で行くべきが当然であると思う。従来のように各院別々の案件として別々に審査して、別別に議決するということは、決算そのものの性質、あるいは決算の審査の目的から見ていかがなものであろうかと思うのであります。それからさらに、私は新憲法におきまして国民主権主義を採用し、またその第四十一條、四十三條等におきまして、国会は国権の最高機関であり、また全国民の代表機関であると定めてあること、すなわち第八十三條で国の財政を処理する権限が国会の議決に基かなければならぬというふうな、国会中心財政主義を採用しておる点から見ましても、決算はやはり両院交渉の議案として扱うのが正当であるというふうに考えるのであります。もつとも憲法第九十條は明治憲法の第七十二條の流れを引く規定であつて、幾分字句等は違いますけれども、この九十條の文言だけでは、決算がはたして報告であるかどうか、また国会としての議決を求める議案なのかどうかは、必ずしもはつきりしないとも言えます。ただ同條が国会へ提出とありまして、提出の相手方は閣議ではなく、国会であるという建前をとつておる。従つて決算の審査も国会が行うものである。言いかえれば、決算審査の権限は国会の権限とするのだということは、憲法第九十條がこれを前提としたものであると言い得ると思います。すなわち形式的には国会の権限とされておるのですが、前に述べましたように実際の扱いは各院別々の権限のごとくになつておる。この点は新憲法の精神運用の点におきましては、私どもとしては大いに検討を要する事柄と思つております。ただ内閣から決算の提出を受けた国会が、どういう手続で審査をするかということは、はつきりは規定されておりませんので、法律上においては結局国会といたしましては、これを両院交渉の議案として扱つてもよく、または各院別々に審議議決してもよろしいと考え得る余地があります。それですから、現在の扱いがただちに憲法違反であるということは、私はないと思いますけれども、しかし明治憲法にはなかつた、新憲法の国会の性格を規定した四十一條とか、四十三條、または国会中心財政主義を確立した第八十三條の規定等を勘案いたしますと、憲法第九十條が形式的に国会の権限と認めた決算の審査を、実質的にも国会の権限として扱うように、名実ともに一致させることが、よく新憲法の精神を生かすゆえんではないかというふうに考えます。なお憲法は国民主権の建前から、国会は国権の最高機関であるといたしたのでありますが、その国会が決算を審査するというのは、まさに全国民を代表して国会が財務行政の事後監督を行わんとするものであつて、これがためには当然国会としての意思決定がなさるべきが当然であろうと思います。二院制度のもとにおいては、内閣は決算をいずれかの院にまず提出し——これはあとでちよつと申し上げますが、衆議院へ先に提出することがよいと思いますけれども、それに提出して、衆議院はこれを審査議決した後で参議院に送付するという、両院交渉の議案としての扱いによりたいと考えております。  さらに私は国会における決算の審議議決は、憲法八十三條の規定から言つても、両院交渉の議案として扱うべきではないかと思うのであります。もつとも決算そのものが財務処理であるから、国会の議決によるべきであるというのではないのでありまして、これは先ほども、そういう意味ではおかしいという説もありましたが、その通りであると思います。しかも私は決算の審査に伴うところの国会の財政監督権行使ということに伴つて、この憲法八十三條は援用したいと思うのであります。すなわちすでに述べましたごとく、国会におきまして、決算の審査に当つて決算の内容の是非を判断し、政府の財政処理の事後監督を行うのでありますが、もしこの国会における財務行政監督権の発動としての議決が、何ら法的効果を伴わない單なる政治的のものであるとするならば、財政に対する事前監督としての予算の議決に対応するところの事後監督としての決算に対する国会の議決は、きわめて力のないものになつてしまうと思います。今日までは遺憾ながらさように扱われたのであります。しかもこの議決は各院別別に議決したにとどまつて、たまたま両院一致した議決があつても、それは法律上はどうも国会としての議決とは言いにくい点があるのではないか、また両院の間で意見の相違する場合におきましては、政府におきましても適従に苦しむという場合も、少くなかつたであろうと思うのであります。そこで新憲法のもとにおいては、決算の審査議決については、国会の確定した意思たるの効力を認めまして、これには政府は当然従うべき義務を負うものとすべきものであると思うのであります。憲法第八十三條は国の財政を処理する権限は国会の議決に従わなければならぬと定めてあります。この意味は、言うまでもなく、財務行政を実行するには、国会の意思に基いて行われることを要し、また国会の確定した意思があつた場合には、それに従わなければならないという意味を持つておるものと思います。それでありますから、もし政府が決算に関する国会の議決に従わなければならないのだという建前をとる以上は、またそういうふうにすることが決算制度の真価を生かすゆえんであると思いますが、そうであるならば、憲法八十三條の規定によつて決算の審査議決は各院別々でなく、国会としてこれをなすべきものとしなければならないということは、当然のことではないかと思うのであります。そこでひとつ問題として考えておかなければなりませんことは、両院交渉の議案といたしました場合に、いかにして両院の意見を一致させるかという両院関係の問題であります。両院交渉の議案としてこれを取扱いますと、両院の関係は、現行法によりますれば、国会法第八十三條にこまかい規定があり、また国会法八十七條には両院意見の一致がない場合における両院協議会の規定が置かれてあります。ところが決算審査は、たびたび申し上げましたように、決算に現われた各項目につきまして、政府の財政執行の状況を批判し、財政に関する国会の事後監督権を行使する点に重要な意味がありますので、議案に対して、先議の議院においては可決するとか、修正するとか、または否決するとかいうものではないかと思うのです。言いかえれば、議決の内容を先議の議院でもつてこれをつくり出すというような性質のものであろうと思います。従つて国会法第八十三條及び第八十七條をそのまま適用することは適当でないという結果となろうと思うのです。後議の議院におきましては、先議の議院から送付された案に対して、可決し、修正し、または否決するということはありますけれども、決算の審査は、決算の各項目に対する国会の事後監督権の発動としての性質を持つておりますから、後議の議院が先議の議院の送付案を一括し、全体としてこれに可否を議決したり、修正をするというような性質に持つて行くことは適当でないと思うのであります。もしこれを一括全体として後議の議院で扱うものといたしますと、後議の議院が先議の議院の議決したものに、たとい一項目でも違つた議決をし、もし先議の議院がこの一項目の点について後議の議院の意思に同意しない、また両院協議会を開いても意見が一致しなかつたということになりますと、その他の点では全部両院の意思が一致しておつたとしても、その議案としては不成立に終つてしまうのであります。現在の国会法八十三條の規定の適用をするとすれば、さようなことになります。それでは決算の審査につきまして国会の意思決定を得ることがきわめて困難となり、またそのような方法は、決算の審査の性質から見ても適当とは考えられないのであります。この点は先ほど会計検査院の方のお述べになつておる通りであります。しかしこういう困難はありますが、この点は私は技術的に解決がつかぬものではないと思うのです。決算の性質から見て国会の一致した意見、しかも国会としての両院交渉の議案として扱うという大きな建前を、こういう技術的な点の困難のために捨てるということは、本末転倒であるような気がするのであります。どういう方法があるかといいますと、それにつきましては、これは私のほんの試案でありますが、たとえば国会法の中に両院関係の特別の規定を設けまして、決算の審査については後議の議院が先議の議院の議決と異なつた議決をし、両院協議会を開いても意見が一致しない場合においては、両院の議決の一致したところをもつて国会の議決とするということに定めるのも、一つの方法ではないかと思うのであります。これは両院対等の原則をあくまで維持しながら、両院の意見の一致を見る技術的方法でありますから、かような規定を設けることは憲法上何らさしつかえなかろうと思うのであります。これにつきましては、あるいは法律で憲法六十條の予算議決の場合のように、決算の審査について両院の意見が一致しないときには、衆議院の議決をもつて国会の議決とするという規定をつくつたらどうかというような議決もあるようでありますが、私はこの点については疑問を持つております。すなわち国会が決算の審査議決をするという権限は、憲法が直接国会に與えた権限だと思うのであります。そして憲法が国会に直接與えた権限については、憲法自体で衆議院の優越性を規定していない限りは、この法律をもつてしては私は規定できないのではないかと思つております。すなわちかかる法律は、私の見解によれば憲法違反になるというようなおそれがあると思うのであります。もしそうだとすると、かような方法をとることができなくなるという結果になるのであります。そこで先ほどいろいろ申し上げましたような、技術的方法を用いて両院関係を是正いたしますならば、両院交渉の議案として十分その目的を達するのではないかと思つております。  さて以上のごとく決算の審査を両院交渉議案として扱うことにいたしますと、国会における決算の審査の途中において、両院の間に一致を見ることのできなかつた、こまかいいろいろな各院の意見というものが残るのでありますが、これをどう取扱うかという問題が残るのであります。元来両院交渉の議案として、国会の議決として客体とせられた事項は、両院の間で一致を見なかつた部分については、それはそれで消滅してしまうほかはない。その部分については法律上の意味を持たせることができないことになると思います。両院交渉の議案とした場合には、どうもそれはやむを得ないことだと思うのであります。できるだけその過程におきましては、先ほど申し上げましたような方法もあり、また決算委員会の合同審査会等の活用をいたしまして、国会としてできる限り両院の意見を一致させるように努力をすべきであると思いますけれども、それでもなお一致し得なかつた事項は、これはどうもいたし方ない。国会としての議決ではありませんから、憲法八十三條によつて政府を義務づけることはできません。ただ私はこの点につきましては、各院がそれぞれ行つた議決で、両院で一致を見なかつたものにつきましても、これにある意味の力を認める。すなわち国会は一般に行政監督権を持つておりまして、この行政監督権はときに必ずしも両院一致の議決でなくても、各院におきましての行政監督権の発動はなし得ると思いますので、その限度における一つの意味を認めて、政府としてはでき得る限りこれを尊重する、そういうような慣例をつくりたいと思うのであります。しかしこれは決算を両院交渉の議案とした場合には、法律的には効力を持たせることはできない、政府を拘束することはできない、これはやむを得ないものではないかと思つております。  それからなお私は国会の決算審査の議決に対しましては、政府は一定の期間内に、これに対する政府の見解及び政府のとつた措置を国会に報告すべき義務を負うというような、規定をつくるべきではないかと思つております。国会の決算審査の議決は、各項目につきまして違法または不当と議決し、または政府に相当の措置を求めるということでありました場合に、両院一致の議決に対しましては、すなわち国会としての意見に対しましては、政府はこれに従うべき義務を憲法八十三條から負うておるのでありますが、さらに国会の決算審査を一層意義あらしめるために、これらに対する政府の見解及び政府のとつた措置につきまして、政府から一定の期間内に国会に報告をしなければならないというふうな規定を、財政法等において明文化することが望ましいと思うのであります。こういうふうな制度は、先ほど大西先生からもお話がありましたけれども、イギリスにおきまして類似の制度を見ておるのでありますが、大いに参考とすべきであろうかと思うのであります。それから両院交渉の議案とした場合に、政府から国会に提出するにあたりましては、予算に準じて衆議院を先議にすることが望ましい。これは実際の運用でも片がつきますが、しかしまた財政法等にそういう規定をおくことがさらに望ましいかと思つております。  以上いろいろ申し述べましたが、要するに私は憲法九十條は、ただ国会に提出すとあるだけでありますが、内閣が決算を国会に提出いたしますのは、先に申し上げましたような意味において、国会における決算の審査を要求する行為であつて、單なる国会への報告ではないと解釈したいと思うのであります。さらに具体的にこれを申しますと、内閣は国会に対して、国の決算の最終的確定の條件ともいうべき決算の審議を要求し、かつその審査において財政に関する国会の行政監督権の発動を促すというような意味に考えたいのであります。かくして国会はこれを両院交渉の議案として受取りまして、決算に関する国会の意思を決定しなければならぬということになつて参ります。それでありますから内閣から国会の先議の機関である衆議院に提出されます議案は、たとえて申しますと、何年度決算の確定及び審査に関する件という件名でこれを提出し、国会は決算の各項目についてその違法または不当の有無を批判し、必要に応じて政府に相当の措置を求める議決をいたします。この場合両院一致の議決については、それは国会の意思でありますから憲法八十三條によつてその議決は政府を義務づける。政府はこれに対して一定期間内に、国会に政府の意見及びとつた措置を報告するというふうなことに持つて行きたいと考えるのであります。こうして両院において審査されました決算は、両院一致の議決に到達した部分たると、しからざる部分たるとを問わず、その審査の客体とせられる限度におきまして、後議の議院でその審査を完了したときに、国の決算として最終的確定するということに持つて行きたいと思うのであります。  このほか新憲法が決算の制度を一層有効ならしめる方法はいろいろありまして、すでに両院交渉の議案として扱い、国会の決算審査の議決に対して、政府が報告の義務を負うというふうなことにいたしますれば、国会における決算の審査は相当迅速にこれを行わなければならぬことになろうと思います。また両院間の緊密な連絡一体化を努めまして、でき得る限り国会として一致した意見をつくり出すように、国会の委員会としても努める職責が生じようと思います。同時に決算委員会が、補助機関たるの機構の強化も考える必要があろうと思います。また会計検査院と緊密な連絡を保ちまして、会計検査院を、いわば国会の耳目といたしまして、これを活用するという必要も生じて参るかと思います。アメリカにおきましては、会計検査院を国会に属する機関のように扱いまして、迅速に会計制度の是正確保を行つておるようでありますが、こういう点も、われわれは将来の決算制度については十分参考となすべき点ではないかと思うのであります。  以上申し上げましたこれらの点は、ある程度は法律の改正なしでも、行つて行えないことはありませんけれども、しかし以上申し述べましたところは、決算に関する従来の扱いを重要な部分で改めることになり、また規定の解釈も著しく改められます点がありますから、新憲法下における決算の制度を一層有効適切なものにするためには、国会法、財政法その他法律に必要な規定を挿入いたしまして、もつてその趣旨を法律上明確にすることが最も望ましいのではないかと考えます。  以上を御参考に供させていただきます。

本間俊一自由党

○本間委員長 以上で参考人の意見の御開陳は一応了したわけでございますが、御質問がありましたらこの際お願いをいたしたいと思います。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 ただいま御発言の入江参考人に一、二点お伺いいたしたく存じます。

本間俊一自由党

○本間委員長 委員の御質疑がないようでありますで、この際参考人との意見の交換を許したいと存じますが、いかがでしようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

本間俊一自由党

○本間委員長 御異議ないようでありますから、ごく簡單に許します。大石参考人。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 ちよつと入江さんにお伺いしたいのですが、問題は決算という国家意思が、国会の議決なくしては成立せぬかするかということが、実は問題の要点でありますから、そこのところは今の御答弁ではちよつとはつきりしないと思いますから御説明を願いたいと思います。

本間俊一自由党

○本間委員長 この際入江参考人より意見の開陳がありましたらお伺いいたします。

入江俊郎衆議院法制局長

○入江参考人 私は今申し上げましたように、国会の決算の審査ということの重点は、国会の財務行政の事後における監督権、それが要点であると思つております。それであなたのおつしやつたような意味の国家としての決算がいつ確定するかということは、これはやや理論的な問題でありまして、私はその点はそう強く主張しなくてもよかろうと思います。今日問題となつております決算の審査を国会において両院交渉の議案として扱うかどうかということにつきまして、もし国会における決算の審査を、單に国家の決算として確定するという意味だけに限定して考えるというならば、これは実は両院交渉の議案とするということもかえつて意味がないと思うのです。しかし私はやはり従来扱つたように、また諸外国において行われておりますように、決算の審査というものの重要な点には、国会の行政監督権の発動ということを認めますので、その点において両院交渉の議案たることを、憲法八十三條等を援用して主張したいと思うのであります。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 それならば別に議案として取扱わなければならないと思います。この立場をとらぬでも、国会の財政権の発動ということは、報告案件としての立場においても十分に発揮され得ることですから、いや議案として扱わなければならぬ、いや報告案として取扱わなければならぬということを、特に明示する必要が生じないのではないかと思いますが……

入江俊郎衆議院法制局長

○入江参考人 私の方からお伺いいたしますが、両院交渉の議案として扱わずに、別々に扱う、衆議院は衆議院として意思を決定する、参議院は参議院として意思を決定する、たまたまその内容が一致しておつたということだけでもつて、それで一体政府は両院における意思決定に拘束される義務が、憲法上生ずるものでございましようか、どうでありましようか。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 その点は先ほど私の簡單な説明にも述べておきましたように、政府側の提出した決算が当を得ておるか不当であるか、あるいは違法性の点を持つておるか、あるいは適法性の点があるか、こういうような問題を国会側が考えて、どうしても財政監督権限を発動して、政府に注意を促す必要ありと思えば、決算が決算として確定するかどうかという問題とは、全然別に自由にこれはできるのですから、国会側としては議案として取扱わなくても、しかも各院が政府に問うところは問う。あるいは如上のことが重大であれば不信任案の提出、こういうようなことで進んで行くのでありますから、それは決算そのものを議案として取扱うか取扱わないかという、全然別の問題として解決さるべき問題だと思いますが……

金子與重郎新政治協議会

○金子委員 私どもは法理論としてただいま大石さんと入江さんのお話がありまして、大石教授のお考え方と会計検査院の方のお考え方とは、大体よく似通つておると受取つたのであります。そこで法理論というものは別におきまして、会計検査院が私どもの国会における委員会においでになつて、この委員会が国民の税金を処理したあとの報告を受けて、そうして私どもが委員会として審議するその状態、これは毎日この決算委員会に出ておられますからよく御存じのはずです。その状態をごらんになつて、一方あなた方は会計検査院として国費の使われておるいろいろの批難事項をごらんになつておる。おそらくあの批難事項というのは、実際の何十分の一だろうと思います。その状態を取上げておるこの決算委員会の現実の姿であります。今までこの決算委員会でやつておりましたそのあり方を見て、一体これでよろしいかどうか、まずその問題を一つ。こんな程度で国費を使つていてよろしいかどうかということをひとつ率直に御意見を述べてもらいたい。  それから法理論的にこれでいいのだと言つても、この現在の国会内において、ほかの委員会はあれだけ熱意を持つてやつておるのに反して、この委員会がかくも低調だということは、どこに一体原因があるか。どこに原因があつてこの決算委員会は低調なのか。先ほど教授の方々から御意見を伺いましたが、非常な大切な仕事だということはどなたもみんな一致しておる。その大切な仕事が一番低調であるということは——私どもから見るとそう見えるのですが、会計検査院の方も私どもと一緒にここでずつと報告をなさつて、厳重な戒告をいたしましたというようなあの程度であるならば、この委員会のようなものはやめて、文書で報告すれば事足りるわけです。そこに私どもの疑問がある。しからば今後どうしたらよいかということを聞きたいために、私どもは皆さんの御意見をお聞きしておるわけであります。そういう実際面から、この委員会はこんな程度でいいのか、この現実の低調さはどこから来ておるのかということについて、率直な御意見をお聞きしたいと思います。

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 金子さんの御質問でありますが、決算面を通じての財政監督というものが非常に重要であるということは、国民はもちろん、私どもといたしましても十分感じておる次第であります。決算委員会がこの状態でいいかどうかという御質問でありますが、実はそれははなはだ申しにくいのでありますが、金子さん自身低調という言葉をお使いになつておられますが、実は——これは私個人の意見としてお聞きとり願いたいのですが、私どもは新憲法によつてこの決算委員会に会計検査院から出席が認められまして、私どもかわつて出ておるのですが、旧憲法時代にいろいろ聞いておりましたよりもはるかに丁寧な扱いになつて来て、政府側に対する効果も大きくなつたことはだれしも認めておるところだと思います。その点において私どももまつたく同感であります。先ほどイギリスの例をお引きいたしましたが、上には上があるものというところで、せいぜい決算委員会の機能を働かせていただきたい。国民はそれを待望しておると思うのであります。自分の税金がどういうふうに使われておるか、会計検査院も非常に微力でときにはおしかりを受けておるようでありますが、実は六百も七百も批難事項が国会に報告されるという国は、私は世界にあまりないのではないか、従つて現在の日本の財政運用の問題は、外国に対してはずかしいのではないかということさえつくづく感ずるわけであります。これをきれいにして行く、批難事項が絶無になるのが理想であります。会計検査院がいくら一生懸命に探して歩いても、全然批難事項がない、こうなるのが理想でありまして、国民もそれを待望しておるわけであります。毎年々々四百も六百もこの席上で御審議の対象になるということは非常に遺憾な次第であります。これを絶滅するについて私ども大きな責任を負わされておるわけですが、最も大きな責任を負つておられるのは、やはり決算委員会ではないかと私は考えております。十分に私どもを御利用願いまして、できるだけ財政運用をよくしたいと考えるのであります。

金子與重郎新政治協議会

○金子委員 私が今あなたに質問した要旨が、私の言い方が悪かつたかどうかわかりませんでしたが、ちよつとピントがはずれておるようであります。そこで繰返して申しますが、あなたが末端行政機関において現実に批難事項をあげられておるのを見て、一方国会の行政監督という立場における決算委員会というものは、かくも低調である。そこでわれわれの目的——国民からの責任を全うするにはどうすればいいかということについて、率直に意見を述べてもらいたいと思うのです。

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 お答えをしたつもりでありましたが、どうも私ども出て参りまして、委員の方が二、三名というようなのが事実のようであります。金子さんなどは毎回おいでになつておるようですが、そういう状態であります。しかも政府側もここに出て参りまして答弁する者は実際の責任者ではないのであります。本省の会計課長とかいうような人が来て、この席上なり参議院の決算委員会なり、そういう所でしかられて、一時間か二時間じつとすわつておれば、頭の上をしかられたのが飛んで行つてしまうような感じがするのでありまして、実際には当らないのであります。これを当らしていただきたいのであります。ところで実際の行為の責任者は訓告とか戒告とかといつて、公務員法上の処罰を受ける人はごくまれであります。訓告とか、嚴重注意して、とかいうことでお茶を濁しておるのが現状であります。これははなはだ率直な言い方でありますが、訓告がはたしてその責任者、本人に届いておるだろうかということさえ疑うのであります。本人がしかられておるのだろうか、こういうのが実情ではないかと思うのであります。しかられるのは全然責任のない、それは監督責任こそございますが、それも非常に離れた責任者である会計課長であるとか、そういう人が、ここでしかられるわけであります。それで実際国の財政の一部を運用して行く人、ほんとうの責任者はさつぱり知らない。私は現に相当大きな面の検査を担当させられておりますが、たとえば終戦処理費については、今年の検査報告で非常にたくさんのものが出て参りました。責任者といいますが、実は非常に不明確であります。そしておそらくはしかられていないのではないか、こんなことさえ想像するのでありまして、私どもが政府部内でどういう注意が行われたか、どういう方法で訓告が行われたか、将来のためにそれが効果があるかどうかという点をきわめるすべは持つていないのであります。それで先ほど申し上げましたように、またこれもイギリスになりますが、せつかくうさぎを追い出して国会でおつかまえになつても、それがそのままになつてしまう。料理する人間がおらぬ、こういうのが日本の現状ではないかと思うのであります。料理は注意とか訓告とかいうことが国会で論じて出てくるが、これが実際にどうなつたかということは、なかなかわからないような気がするのであります。現在の制度で万全だとは思つておりませんが、かりに本日議題になりましたように、これを議案として両院に流す、そうして議決の形をとるというふうに御改正になりましても、うまく行くだろうかどうか、こういう意味で先ほど実は申し上げたのでありますが、ほかにどういう改善策があるかということは、きようの議題ではないように承知しておるので、その程度にしておきます。

金子與重郎新政治協議会

○金子委員 私はもう少し、それでは今度は伺い方をかえまして、あなたが会計検査という役についておられて、それで国家財政のことについて非常に詳しく考えられると同時に、国会における行政監督権というものの現在の仕事のありぶりということをよく御存じの人でありますから、それを私の立場という先の言葉の通り、国民の感覚に立つたときに、率直にこれが不熱心だからいけないとか、これをこういうふうにすればもつと熱心になるとか、あるいは法律をこういうふうに改正したらもつとこの目的は達成されるのではないか、こういうふうに具体的にあなたの率直な意見をこの際お伺いしたいのであります。

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 結局決算委員会の運用問題に帰するのではないかと思うのであります。これは委員の方で十分にお考え願わないと私どもとしては云々する筋ではないのじやないかと思うのであります。制度として見ますと、これはいろいろな方法があると思います。たとえば会計検査院というものは、先ほども入江さんから御指摘がありましたが、かつては天皇直隷という意味で独立を保つておつたのであります。現在はどこにもつかないという独立であります。これがはたしていいかどうか、天皇という庇護のもとを離れて、千二百人足らずの微々たる一官庁でありますが、これが政府にも独立だ、国会にもついていない、こういう状態でいるのであります。イギリスの例というようなことから考えますと、こういう状態がはたしていいのかどうかという点は、これはほんとうに私個人の意見でありますが、実は私としては非常に懐疑的な気持になつております。しかしこれは決して会計検査院の意見ではございませんが、私としては、卑近な例で申しますと、これはイギリスの例なんですが、たとえば橋をつくるというような予算を国会が議決したら、それがいつの間にか軍艦になつていた、こういうような予算目的外使用ということに着目しまして、二、三百年かかつて決算委員会という制度を実は気がついたのであります。これは予算ばかり幾らやかましくいつてもだめだ、どういうふうに使つたかという、自分たちの承認した通りに使つたかどうかという点を確めなければ何もならぬというので、当時の有名なグラッドストンがつくつたという話でありますが、自分で必要を感じてつくつた制度であります。日本は、官庁でもそうでありますが、いろいろな制度が、必要を感じてつくられたというものはどうも少いのではないか。外国のまねをしたり、こういうものをつくつたらよかろう、こんなことででき上つたのが非常に多い。これが日本の旧憲法以来の実情ではないかと思うのであります。決算制度というものも、ほんとうにイギリスのように必要を感じて制度をつくり、機構を設けたということになつていないのであります。外国のまねをしまして、ことに先ほどからいろいろ御意見のあつた決算の根拠法規である旧憲法の七十二條、現行の九十條、こういうようなものは——七十二條なんかに至りましては、ほとんどプロイセンの憲法の百四條第二項の引写しであります。よくもこうまねができたというくらいにうまくまねしてつくつてある感じをさえ受けるのであります。そして会計検査院の機構そのものも、プロシヤの会計検査院の組織権限法というものをまねをしまして、これこそほんとうによくもこうまねができたというくらいにまねてつくつてあります。そこにどうしても会計検査院がなければならないのだということでできたのではないのでありまして、従つて運用の面においても、旧憲法下におきましては、過去六十年間ほとんどあるかなきかのような存在、名前は天皇直隷で非常にりつぱでありますが、実際は完全にたな上げされておつたような状態でいたわけであります。決算委員会でも、イギリスあたりは今申し上げましたように、いわば必要を感じてつくつている。日本の会計検査院に相当する機構というものを、自分のものとしてつくつております。任命は、先ほども御紹介がありましたように、国王の任命で、一般の官吏と少しもわかつていない。しかしその罷免については嚴重な制限をつけ、国会の下院の同意を経なければできないとふうにいたしまして、国王の手から自分の方へ決算委員会をとつているわけであります。これを完全に駆使されまして、縦横に使い、しかも非議事項がありますと、政府の責任者、これが明確に法律できまつておるわけであります。会計長官は大体次官級の人であります。海軍省あたりは経理局長が会計長官になつておりますが、大体は次官級の人が会計長官として全責任を負う、一切の責任はそこに帰属する、こういうふうな制度になつておりまして、決算委員会は、これは先ほど御紹介がありましたように、十五名であります。非常に権威ある構成のようであります。大蔵省の政務次官をやつたような人が、その委員長になつております。そして十五人、人数は必ずしも多くないのでありますが、出席率もおそらく非常にいいのではないかと思います。しかもさつき申しましたように、十字砲火的に質問を浴びせる、それで相当手ひどく非議事項がありますとたたかれるわけであります。これが下の方に反映しないわけはないのでありまして、帰りましてそれを下の方にどんどんとたたくのが伝わつて行くのであります。しかもそれのやり方を大蔵省が監視しているのでありまして、それについて下院の決算委員会できまりました事項というのは、大蔵省がそれの結末をつけて次の議会に報告する、こういう義務を負わされておるのであります。そこまで行きますと、これは相当完全な監督に近いのじやないだろうか。日本では方々で中断されております。これは結局必要によつてこうしたらいいだろうか、ああしたらいいだろうかといつてでき上つた制度でないための悩みではないかと思いますが、日本の現段階におきましては、方々で中断されているように思うのであります。それからやはりイギリスになりますが、会計事務は純然たる事務として扱つております。日本ではその点が私ども、あるいはこれは考え違いではないかと、これも私個人の意見でありますが、考えているのは、法律上は会計検査院の検査確認によりまして、決算が動かないものになる。国会は政治的の責任を追究するのだ、これが今までの、先ほど入江さんも御引用になりました第一国会のときの決算審査方針にも、それがはつきりと現われておるのでありますが、結局国会が政治の運用として決算を追究して行く、政府を監督する、これが現在の日本の取扱いの通説と言えると思うのであります。イギリスではそうではないので、会計事務というものに政治はないのだ、あくまでもこれは純然たる事務だ、こういう考え方であります。これは非常に私どもとして参考になることではないかと思うのであります。それを審議する所は政治家の集まりである下院の決算委員会でありますが、これは決して政治として扱わないのであります。純然たる事務として扱う。そして会計長官も責任の転嫁規定があります。自分がたとえば支出をする場合に、この支出は違法だ、不当だ、こう思つたときには拒否ができるのであります。拒否をしまして、大臣にそれを文書で出す。大臣がなるほどそうか、と言つてひつこめればそれでいいのでありますが、もしそうでなく、なおやれという場合には、会計長官は責任を負わない。こういう規定があります。そこで初めて事務が政治に転化する、こういう考え方であります。会計長官の負うべき責任は、ことごとくこれは事務上の責任である。大臣が負うてそれをやれと会計長官を抑えてやらせる場合に、ここに政治的な責任が生ずる。こういう考え方でやつておるようであります。従いまして保守党が多数党になろうが、労働党が多数党になろうが、純然たる事務として、法律的、事務的にそれを扱つて行くわけであります。従いまして政治というものを会計事務というものと切り離した考え方、これなんかも私どもにとりましては、非常に参考になる考え方で、イギリスのは非常に実利的な行き方だと思いますが、こういうようなことで、イギリスではかなかなよく、世界無比で、アメリカあたりもイギリスのようになりたいのだということが本にも出ておりますが、そういうような態度で臨んでおるのでありまして、私どもとしてはもつて範とするに足るものじやないか、こう考えておる次第であります。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 二、三点御意見を伺いたいと思うのですが、この問題は非常に大きな問題であろうと思います。特にこれが解決はいろいろな視野から考えなければとても解決できないと思います。この決算制度の問題に対しては、私が申し上げるまでもなく、もうすでに六、七回の議会で、明治二十五、六年からこの問題がずつと論議せられておりまするが、現在までたつても、大元締めであるところの憲法が大きく改正せられたのにもかかわらず、この決算制度の問題だけは遂に解決を見ず、現在に至つております。そこに先ほどもいろいろな御質問があつたようでありますが、委員会に人が出ないというようなところまで来ておるのだと思いますが、私はこの決算制度の問題に対しては、抜本的な一つの改革を行わなければならないと同時に、現在の日本の状態においては、いわゆる法制上においてはつきりした定義をつくる必要があり、もうすでにその時期に達しておる、こう考えております。そういう観点に立ちまして専門家の御意見を伺いたい、こういうふうに思うのでございます。  ただいま会計検査院の方は、会計検査事務は政治ではない。これはもちろん会計事務が政治に介入することは、ある意味において非常にマイナスが来るということは当然であります。かかる専門的なものに対しては、はつきりとした組織が現在あるのでありまして、たとえば刑の最終確定権はどこにあるかというと、すなわち最高裁判所であるというように、非常にはつきりした法律があるのであります。しかし会計検査院法においてはどこを見ても、国の決算の最終確定は会計検査院にあるということも書いてありません。のみならず決算の最終の確定は国会において行うのだということも書いてありません。ここに私は非常に大きな間違いがあるのだ、こう思います。私は会計事務というものがほんとうに大きな組織を持ち、現在の会計検査院のようなものではなく、厖大な国家の支出というものに対して適切なる措置がとり得るものであるならば、会計事務は政治にあらずというこの根本原則を立てることが、理想であると考えております。しかし現在の会計検査院というものは、現在の機構で、現在の組織で、かつ現在の法律をもつてしては、この厖大なものに万全を期し得ない、と申し上げられ得ると私は思うのであります。私はこの決算制度を根本的に解決する最終の目的として、私自身は当然、新憲法下においては——法律的にいろいろな御議論がありましたが、現在の段階においては、少くともこれから将来の状態においては、国の決算の最終確定の権限は国会にあるというところまで持つて来なければならないと思います。  それは専門的な御意見をいろいろ承ると、なるほどと思うのでありますが、私が先ほど申し上げましたように、あらゆる衆知を集め、あらゆる専門家が集まりながら、遂に解決し得なかつたというのでありますから、非常にむづかしい問題であるということもこれは間違いはありません。しかし間違いはありませんが、私はここに一つの記録を持つておるのです。明治二十七年五月の決算委員会においてこういうことを言つております。一、帝国議会は憲法第六十四條において国家の会計、予算に対し協賛の権利を有すると同時に、憲法第七十二條において国家の歳入に対し正確なる決算報告を受け、これに承諾を與うるの権利を有するものとす。一、帝国議会は行政百般に対し監督の権利を有すると同時に、国家の收支決算上、違法の行為に対し最終の裁判権を有するものとす。一、帝国議会は行政各部の違法收支に対して最終の判決をくだし、これを政府に通牒し、責任ある処分を要求すべし。もし政府においてその職務を怠るときは、帝国議会は上訴をすることを得るものとす。衆議院は決算報告に対し院議を決定し、これを貴族院に送付するものとす。こういうような意見が当時においてさえ出ております。もちろん当時に主権在君であり、帝国議会であります。旧憲法下においてさえかかる議論が決算委員長の名において本議会に提出せられ、かつ現在までこのようなことを再三繰返しております。  しかしこの決算制度の問題が起きて、この最終決定というものを帝国議会において行うというような議論が白熱したものが、最後においてしり切れとんぼになつておる。そうなつた時代を考えますと、明治二十七、八年戰役時代であります。三十七、八年戰役時代であります。とにかく国が天皇の名において厖大なる支出を行わなければならぬ、時宜に適してこの科目を変更しなければならぬというときに、ぴしやつと押えられておる。当時の会計検査院というものは、天皇の名において政府が予算を組む。天皇の名において会計検査院がこれを検査する。当時の帝国議会の存在というものは、いわゆる歳出歳入の予算に対して、協賛の権利しか保有しておらなかつた。こういうところからたち消えになつておるのでありまして、この時期が済んで、予算と決算が大体軌道に乗ると、またぞろ決算制度の改革ということが叫ばれて今日まで来ておるのです。しかも遂に旧憲法下においてはこれを解決することができなかつた。私は新憲法のときになぜこの決算というものに対してもう一歩掘り下げて、今までの長い間の問題の解決を永久にしてくれなかつたかと、私は今考えておるのです。しかし現在やつてくれなかつたならば、これはやむを得ないと思うのでありますが、先ほど入江法制局長官は会計検査に対しましては、法律七十三号の第二十九條の第一項、すなわち国の收入支出の決算の確認ということだけで、会計検査院が確定をするということは全然法律的にうたつておらないということと、もう一つは旧憲法に反して主権が在君であるときの憲法ではない。国権の最高機関は国会である。こう議決してある以上、特に他の法律において、刑の最終確定は最高裁判所であるというごとき明文がない以上は、まつたくしろうと的に考えて、私は決算の最終確定は国会にあるのだ、こうすつぱりと断定をしても大きな間違ではないと思います。  なほ新憲法においては、国の予算というものは協賛ではなく、国会の承認を得なければならないのですから、とにかく長い過去の変遷を見て来た現在は、私は会計検査院というものに特定の権力を與えておる條文がない以上、当然国会が最終判定者である、国会が議決を行わない場合には決算は確定しない、こういうふうに見ていいと思うのですが、これを見ていけないという規定が法律のどこにあるか、ひとつ専門的な御意見を承りたいと思います。

入江俊郎衆議院法制局長

○入江参考人 私は先ほど申しましたように、旧憲法の七十二條に検査確定となりましたのが、新憲法では確定という文字がとれておりますという点に着眼いたしまして、やはり新憲法の精神から見ると、国会において決算の最終的確定を行うんだという建前でいいのではないかということを申し述べたのであります。しかしこれは国会がつくる法律におきまして、決算がいかなる段階で確定するかということは、これはいかようにもきめられるところでありまして、あるいは会計検査院において検査確認したときをもつて決算が確定したんだというように、国会がつくつた法律できめればできるかと思つております。けれども大きく考えて、やはり田中さんのおつしやる通りに、国会において審査を結了いたしましたときに、決算としては確定する。これは決算は予算と違のでありますから、決算をつくるというのでなくして、決算が最終的に国会の審査を結了したときに、国の決算として最終的にきまるものである、こういう考え方で申し上げたのであります。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 私もそういうふうに考えれば、この委員会の運営も非常にうまく行くだろうと思つております。もう一つ伺いたいと思いますのは、私が先ほど申し上げましたように、専門的な方々がいろんな非常に繊細な技術的な感覚で現在の法文解釈をやつておるときに、国会でなければならない、また会計検査院であるということに対してのいろいろな専門的の御意見でありましたが、私は現在の法律にどういう法律があるか。私法律家でありませんのでわからないのでお聞きするのですが、現在の法律でもつて最終確定というものが会計検査院で行うのだという條文が、どこかにあるかないか。なければ憲法をそのまま單純に解釈すればいいと思います。これは全然疑義はありません。帝国憲法という感覚をお持ちになるから、いろいろな感覚が生れるのであります。当時主権は在君であつた。主権は在君であつても、主権在君のときは、帝国議会は協賛であつたのですけれども、今度は少くとも予算は国会の議決を経なければ、全然編成、行使することができないのですから、私はそのまま單純に考えて、ほかに條文がなければ、国会が最終判定者である。国会の議決が終つた場合、国の決算が確定した、こうみなすのが至当であると思います。なお、この国会が最終判定者であるという大きな線が確立せられるならば、技術的にどうのこうのという小さい問題でなく、その大筋に沿つてきめればいいのであります。法理論から考えてどうとかいうよりも、憲法にそれを規定してあるのですから、最終のものはどこであるかということを見きわめる。最終のものは私の考えでは国会である、こう思つておるのですから、それによつて適当に関係法案を改正して行けばいいと思いますが、もう一歩突き進んだ入江さんのお考えをお聞きしたいと思います。

入江俊郎衆議院法制局長

○入江参考人 私の知つております範囲では、現在会計検査院法にも、またその他の法律にも、およそ国の決算が最終的に確定するという規定は、どうも見当らないように思うのであります。ただ会計検査院法におきまして、会計検査という言葉を使いまして、これが相当に広い内容を持つたものと解釈せられておるようであります。そうしてその会計検査の一項目と申しますか、一つの方法、しかも重要な項目として、会計検査をして確認するという規定が、会計検査院法にあるのでありまして、この確認がすなわち国家として最終的に決算がきまつたものということにもなるか、ならないかは、これは解釈問題だと思うのであります。そういうふうに考えますから、私の考えはやはり新憲法の精神から見て、両様の解釈はあろうと思いますけれども、大きく見て、やはり国会が審査を結了したときにおいて、国家の決算というものが最終的にきまるのだという考え方の方がいいのではないかと考えておる次第であります。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 会計検査院の方にちよつと伺いたいのですが、会計事務は政治ではない。これは私自身もその方がいいと思つておるのです。これがもし国会が最終の判定を行うという場合には、いろいろの弊害が起ると思います。現在の状態でもこれが立法的にも裏づけもなし、理論的には、結局会計検査院法に対して、決算の最終確定は会計検査院において行う。最高裁判所と同じような法律をつくらなければならないと思うのですが、こういう問題に対して、会計検査院ではどういうお考えを持つておるのか。なお重ねて自信のほどをお伺いいたしたいと思います。できなければ、もう会計検査院におまかせしなくて、最終判定権は国会で持つておるという、われわれの感覚通りに押して行けばいいのですから、どうぞその辺はお聞かせ願いたい。

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 田中さんの御質問でありますが、最初に会計事務が政治であるか事務であるか、その点であります。これは決して日本でそうだ、あるいは日本で近くそうなるべきである、こう申し上げたのではないのであります。これはイギリスがそう扱つておるということであります。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 そうじやないのです。会計事務は政治でないという方が現在の日本において私もいいとは思つております。その場合は……

小峰保榮会計検査院検査第四局長

○小峰参考人 日本の現在の段階では、決してそういうふうになつておりません。その点はどうぞ御了承願いたい。それから確定の問題でありますが、これは旧憲法の七十二條と、新憲法の九十條、先ほどから私も御説明いたしましたが、その確定という字がなくなりましたにつきまして、私どもはまず自分たちの関係でありますので、すげその点を調べたわけであります。新憲法の財政処理権限、これに基きまして国会に移つた。検査院としては決算案を出すべきだという疑問を持ちまして、調べたわけであります。そういたしますと、そういう積極的な意図のもとに移つたのではない。それからこれは英語ではなはだ恐縮でありますが、疑問のあるときは英文憲法云々ということもありますので、調べて見ますと、オーディットという言葉を使つております。これは直訳いたしまして、検査ということになつております。それからセットルを含む、これを直訳いたしますと、確定でございます。そういうような結論にもなつたわけでありますが、いろいろな観点から、もしも新憲法になりまして、従来会計検査院が確定しておりましたのが国会に移るということになりますと、これはいろいろな面で決算の取扱いとしては相当大きな事実であります。これは国会の説明書なり、あるいは立案者の立法説明なりに何らかの形で現わるべきものではないだろうか。そういう考え方は間違つておるかもしれませんが、私どもとしては非常に大きな変革なので、何らかの形で現われるのが至当ではないだろうか、いろいろな面からその事実を探しましたが、どうも何一つなかつたわけであります。そこで当時憲法の立案に参與いたしました一、二の人にも意見を聞いたわけであります。そういたしますと、結論は従来のままと同じだ、こういう回答だつたわけであります。なぜそんなにせんさくしたかと申しますと、当時私ども実は会計検査院法の立案をしていたわけであります。それで会計検査院法に今の確定がどちらに移るか——移るかというと語弊がありますが、検査院が従来通りやるのか、国会でおやりになるのかによりまして、会計検査院法のつくり方が非常にかわつてくるわけであります。それで実は相当嚴重に探索したわけでありますが、どうもかわつたということが——これは財政処理権限という大きなところ、それから主権在君が在民にかわつた。こういう点から行けば別でありますが、そうではない。もしそうかわつたとすれば、何か具体的な資料があつてしかるべきではないか、こういうような意味で実は調べたわけであります。今の御意見は非常に貴重な御意見でありますが、当時この確定という文字についての具体的な資料が実は何一つなかつたわけであります。それで先ほど御指摘になりました会計検査院法の二十一條、これを実はつくつたわけであります。この確定という字が憲法でとれて、しかも同じとすれば、どこかにそれにかわるべき規定を置かなければ困るのではないだろうかというので、従来の確定という字は、実はこれは院内でも旧会計検査院法、旧憲法、それからその母法であるプロイセンの憲法、これの関連などからいろいろ議論があつたことであります。確定という文字はあまりおもしろくない。それで決算の内容はひつきようするに過去の事実である。これをすつかり確認して固めるという意味で確定というまぎらわしい字はやめて、確認という字を使おうというので、院法の二十一條をつくつたわけであります。私どもの憲法を読んで感じを申しますと、院法をつくるときの心構えというものは、従来の検査確定という憲法の言葉にかえて、この確認という字を置いたつもりで今の会計検査院法はできております。その後すでに三年ばかり経過いたしまして、そのつもりで決算検査報告書をつくりますし、それから公式の席上でそれに対する反対の御意見を伺つたのも、実はきようが初めてであります。どこからもそういうことはございませんし、それで私どもは学者の通説にもありますし、正しいという見方をして来たわけであります。新しい立法によりまして、これがどうかわかるかということは、国会によつておきめ願いたい次第であります。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 平易な法律解釈論をひとつ諸先生方に承りたいと思うのですが、主権は在君から住民になつた。予算は国会の議決を経なければ成立しない。しかも憲法において決算を国会に提出しなければならないと行政府に義務づけております。この三つのものを平易に考え、ただ国会に提出しなければならないと規定しておる裏を考えた場合に、最終の判定は国会にありと簡單に解釈するわけにはいかないでしようか。もう一つはこれは政府は出さなければならないけれども、権限が明記してないということですから、国会に対して出したものを国会は確定してもしなくても、国会の意思というふうにもとればとれるのですが、これはまことに愚論であつて、私はこの三つのものを簡單につづり合わして行く場合に、最終の判定は国会である。しかも会計検査院法をおつくりになつた御本人が、第二十九條の第二項に、国の收入支出の決算の確定ともちろん書きたかつたのでしようけれども、憲法違反になるおそれがあるから、まあ少しかえて確認と、こうお逃げになつたのだと思います。そういうことはないでしようか。これは私のしろうとの見解ですから、あまりお怒りにならないでください。こういう問題は第三者が考える方がかえつていいのです。現在決算委員会が不振だというのは、一体権限があるのかないのか、権限があつてもなくても議員としての職責を盡すためには、やらなければならない。こう言つても実際は與えられないものに対しては、なかなかやれないというところに大きな欠陥があるのであつて、私どもは少くとも最終判定は国会にあるのだ。われわれにあるのだということになれば、相当努力もし、本気になつてやられると思うのです。それが国のためにもなると思う。こういうことを考え合わすときに、われわれしろうとの感覚では、他に明記した條文がない場合、いわゆる会計検査院が最終確定権を持つておるとか、国会は單に審議するだけで、最終確定の権限はないということならば、憲法のこういう條文を見ておるときに、最終判定権は国会にあり、こういうふうに解釈することは、單純なる法律解釈論としては何かほかに御異議がありますかどうか、それをちつとお聞きしたいと思います。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 今の御質問に対しては、何もかも無條件に国会が全部持つておるのだ、こう申し上げたいのですけれども、私ども憲法で飯を食つておる者は、憲法を忠実に見なければならないという職責に立つて見ますと、そういう無條件なんという言葉は出ないのであります。そこで憲法をすなおに見なければというお話でありますが、まつたくそうでありまして、私どもも憲法をすなおに見てさつきのような結論を出しおるわけであります。そこで私どもの考える最も根本的なものは、一本新憲法は国会至上主義というものを徹底的に徹しておるかどうか。私どもはやはり国会は国権の最高機関だと言つておりながら、三権分立の思想というものは、牢固として抜くべからず、新憲法に盛られると思います。そこで決算というものは、一体国家事務の性質としてどういうものか。これは行政事務だ。そうすると、この権限分担の立場から申しますと、それこそほかに何も規定がなければ、それは内閣の権限に属するという見方に、実はなるのです。それからもう一つは、会計検査院といつたようなものを、何のために憲法が特に設けたか、何もかも全部国会が最終の決定権を持つものだということが、それほど明瞭なものであるならば、憲法が特に憲法上の国家機関として会計検査院を設け、しかも会計検査院の組織、権限は、別に法律の定めるところによる、こういうふうな建前をとるはずはない。それからもう一つは、先ほど申しました、問題の中心になりますところの決算というものは、会計検査院の検査を経て、国会に提出する。そこで決算というものは、会計検査院が検査するのだということは、憲法が規定した会計検査院の権限です。そこで検査するということは、もちろん検査事務として特別の例外規定を設けてなければ、検査事務の始まりから終りまでの全部を含めて検査する、こういうふうに検査という言葉の意味からしても私どもは考えなければならぬ、こういうふうに思つて、私どもほかに特別の規定がなければ、会計検査院が決算というものを検査するのだ、こう言えば検査の結末まで会計検査院の権限に属するのだ、こういう見解をとつておるのであります。しかしそれはしよせん国会に提出しなければいかぬ、ここに国会が最終決定権を持つのかどうかという問題が起つておるわけでありますが、この点につきましては、先ほど申しましたように、日本の憲法は国会至上主義を非常に強くうたいながら、しかし権力分立の建前もやはり強くとつておる。そうして決算の国家事務としての性質、すなわち行政事務である。こういうところから見て、また会計検査院という国家機関を特に憲法が設けて、しかもその組織権限というものを法律をもつて定めておる。それが国会が全然無條件に決算という国家意思を確定し得るものだとするならば、何のために会計検査院というものを設けなければならぬのか。会計検査院の憲法上の国家機関としての存在という意義は大半実は失われて来るのではないか、こういうところから私どももその点は実は——何も私はここにおじやまする前に会計検査院とよく相談して来たわけではありません。まつたく私は独自の建前で来たのでありまして、先ほどの結論になつた次第であります。だから立法論として言えば、予算や法律案は、国会の議決によつて法律という国家意思にきまる、予算という国家意思にきまる、こういう明瞭な形において決算というものは国会の議決によつて決定する。こういう憲法であつたら、こういう問題は起らなかつたろうと思います。

田中角榮自由党

○田中(角)委員 私の方も正論だと思つておりますが、ただいま専門家の御意見を聞くと、それも正論だと思われるのでありまして、ここに二、三十年ごたごたして来た原因があると思います。しかしこれは私が開口一番申し上げましたように、もうすでにこれを明確にしなければならぬ、現在のままであつたならば国会は力を入れなければならぬのだが、あまり入らないというこの現実を何とかしなければならぬという問題を取上げるときに、決算は現在は二年、三年前のことをやつておる。ところが御承知の通り、経済速度というものは、かつての歴史に見ない大速度を持つております。二年前に十円であつたものが、二年後には三百円になつておる、また三百円のものが二年後には三十円になるかもしれません。こういう非常にテンポの早い時代において、二年、三年前のものが現在出て来るわけであります。これは財政法の欠陥というか、あらゆるものの欠陥があつてそういうことになりましようが、私は決算というものをもつと平易に考えたい。一つの営利企業における決算というものは、平易にやつておることは御承知の通りであります。しかし政府の大きな支出に対してはこれは一々監査役の承認を得なければ支出できないということはたいへんですから、もちろん国会がこれを総括して承認し、そして予算は成立し、これが行政府において支出をなしておる。大きなものは一年間たつて大蔵大臣がとにかく集計して持つて来て、それに対して批難事項が一箇年に何百件も出ておるという隘路を、打開しなければならぬということを現実に考えるときに、決算はただに適正に使われたかどうかということよりも、この経済速度の非常にテンポの早いときにおいて、いわゆる前車のくつがえるを見て後車の戒めとなす、適正なる国費の最も効率的な支出を行うためには、新らしい予算を組む場合出されて来る決算というものが一つの基盤になる、こういう大きな一つの使命があると思います。そういうことを考えるときに、少くとも現在予算の承認は国会において與える。しかもここにひとつ過去の御認識を改めて、現実の面を見てもらうときにはこういう問題があるのであります。かつてのものはとにかく、いわゆる一年度の歳入歳出が五十億であつたという場合は、三月三十一日まで五十億の金はみな使つてしまえばいい、とにかくゼロだというところに持つて行く。行使がなかつたならば、みなとにかく先拂いをしてしまうということが、現実に行われて来たことは、これは何人もいなむことができません。これだけの収支のバランスがぴしやつとついておるから、これを裏づけるものがあつたら、これは非常によい。ところが昭和二十四年度補正予算からはつきり冒頭にうたつておる。これは一応の目安だ、あとはとにかく実際支出する面において適宜適切に変更するのだ、いわゆる実行予算を大体組んで、これに対しては相当のものが出て来る、出て来る場合は追つて相談をするのだ、こういう非常に生きた運用の仕方に移つて来ておる。これはもちろん二十世紀後半になつて当然の話である。そういうことから考えるときに、これが効率的に適切に運用されておるかどうかということは非常に大きな問題となる。今まではただに両院における決算委員会は、政府攻撃のいやがらせの議場であつたが、まず最近は国会は決算委員会からと言つても過言ではないと思います。そういう重大なる使命を持つた決算委員会に対して、ただに会計検査院というものが行政上の一環である、だから会計検査院がこれを行うのだということだけでは、これを片づけるわけには参らぬと私は思つておる。一例をあげますと、特別会計などに対して、二十二年度の繰越損を、二十二年度でやれなくて二十三年度にやつている。これがかつての決算の感覚から見ましたならば、かかることは許されようはずはありません。ところが現在の日本の状況を見るときに、これはまたいかんせん、好むと好まざるとにかかわらずやむを得ざる現状で、そういうふうになつております。現在いろいろ問題になつておる特別会計その他のものなどは、二十三年度末で締め切つて大体これだけの赤字だ、しかし二十一年度か二十二年度かわからぬ、ところがたとえば現在三十億の赤字であつて、あと二十億の赤字を見込むというけれども、これを嚴密に決算を行つて行つた場合、会計検査院が二十二年度に決算を確定して、そして確定したものに対して、二十三年度になつて二十二年度から余剰金がこれだけ出て来た場合、こういうものの責任を会計検査院が全部負われるのでしようが、これは会計検査院に負わせるだけではどうにもならない。私は政争の具に使うとか、議論をするというのではありません。いわゆる決算の適正、国費投下の適正を期するという意味から言つたら、現に予算の編成に際して、現実に予算の数字に最も近接した立場にあるのは現在の両院議員だろうと思います。これはかつてとにかく翼賛議員として、協賛議員としてまず目隠しされた——ここから下の線は全然お前らには見せないのだという予算編成方針じやなくて、現在ではまごまごすると川一本に対しても何ほどをやるかという配分率まで出す。しかしそれを出すと相当議院内において争奪戰が起きるから、そこまでやつてもらいたいという線を出させて、現在の予算が編成されておる。これは国会の機能を国民も全幅的に信頼しつつあるだろうと思いますし、国会そのものも真に機能を発揮しつつあると思います。そういう意味から言いまして、決算の最も効率的な面から考えますと、私は予算に最も近い関係を持つておる国会が、最終確定をする方がよいのではないかと思います。もしそれができないとしたならば、現在のままで行くと——非常に暴論になりますが、しろうとの論ですからひとつごかんべん願いたいと思うのですが、決算は行政の一面であるから、行政府で行うのだということは、大わくだけもらつて来て実行予算を組んで、相当法規裁量でなく、自由裁量を行つて支出をしておる現状において、まず適当に出して、適当に会計検査を行つたと言われてもやむを得ない。それはお怒りになるでしようから前提を申し上げたのです。その意味においては、もしこういう三権分立の建前において、どうしても国会が介入することはよくないとしたならば、私は少くとも最高裁判所のごとく国会へ持つて来る弊害を除去して、しかもこれに権限を持たせた一つの立法的な裏づけを持たせる会計検査院にしなければ、私は現実に決算は行えない、こういうふうに考えておるのです。この問題に対しての御意見をひとつ承りたい。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 今おつしやつたことは、要するに政府の財政権限の行政を国会がコントロールすること、このことをやつてはいかぬということは私どもはちつとも言つてないのであつて、問題は決算という国家事務は議案として取扱わなければならぬかどうかということを言つておるので、議案として取扱わなくても、今おつしやつた国会の財政監督権限というものは、十分に発動し得るものだということは、私どももその通りに言つておるのです。ただそれを憲法論としてあの決算を議案として取扱わなければならぬかどうかという点が、私どもから言わせると、決算という国家事務は国会の議決あるによつて定まるというのではないということを言つているのであつて、財政をコントロールすることは大いにやらなければならぬということは、前提しておるのです。  それから先ほどもう一つ落したことは、この点は憲法学者の間にも立場が相当な違いがあるわけでありますが、私どもは法の安定性ということを非常に重視する立場に立つておるのです。私どもに言わせると、実はこれまでの日本の政治というものは、太平洋戰争にまで突入したことの意味は、法の安定性に対するわれわれの過去がだらしがなかつた、それが一つの理由だつたというふうに考えておる。たとえばそれは憲法というものは、何と考えておろうと、あるべきの規範、主観的にかつてに頭に描いて、そうして今は新体制でなければいかぬと言つて政治をやつた。あれは一体どこから来るかというと、法は客観的存在である。そこで客観的なものをわれわれが客観的に認識しようと思えば、やはりどういう形式で法が定められておるかということを尊重するという、そういう建前は、やはり憲法改正前であろうと、憲法改正後であろうとかわらない。それだから国家が決算については会計検査院という特別国家機関を設けて、検査せしめておる。しかも法律案や予算案と違つて、国会の議決によつて、国家意思としての決算が定まるのだという明瞭な表現も持つていない。こういうようなことを全部総合しての話なんであります。だから国会が政府の財政を徹底的にコントロールすべきものだということは、これはあなたに劣らず、私どももその建前をとつておるのです。ただそのコントロールする仕方、それを議案としなければならぬか、議案としてでなくたつていいか、この点が憲法論として、現在としては、現行憲法のもとにおいては取扱うべきものではない、こう言うのであります。

永田節自由党

○永田委員 どうも話がこんがらかつて来て、何を聞いたのだか、何を答えたのだか、わからないようになつて来ました。要するに問題は、私は法理論は別としまして、当面の問題としまして、予算が国をあげて愼重に審議されております関係上、勢い決算の面も同時に国をあげて愼重に審議されなければならないということは、これは私は当然だろうと考えておりまするが、問題はその取扱いにつきましては、会計検査院の立場とか、あるいは決算委員会の立場というふうなことは、いろいろ御議論も承りまして、なるほどとうなずけたのでありますので、いずれこれは決算委員会において別途協議するというふうにしたいと思いますが、とりあえず私は清宮先生、大石先生、大西先生、この御三方にちよつとお伺いしたいと思うのでありますが、国の予算を行使するにあたりまして、実際の問題としまして、戰前、戰後を問いません。まつたく過剰の予算で、あるいは文具を買うというふうなことや、あるいはまた出張旅費、あるいは土木建築費におきましては、幽霊人夫と申しますか、そういつた面で、いわば自由裁量によつて、予算がどしどし年末にかけて使われておるというのが実情でございますので、この予算の御議論のように、会計検査院がうさぎを追い出して、われわれがそれをつかまえるという、うさぎ論も聞き飽きましたが、しかし検査院の方もこの摘発の効果があるかないかということも、小峰さん自身が十分御了承のことであろうと思うのであります。問題は、私どもは国民が血と汗によつて納めた税金を、官庁がだらしなくこれを濫費するということを防がなければならぬのが目的なのでございますが、現行の憲法下において、どういうふうな方法によればこれが防げるかということを、学者的のお立場からその御議論をちよつと承りたいと思うのであります。これはもう大蔵省方面で言うことは、いつも手前みそばかりの答えで、われわれは耳をかす必要がありません。特に今日は諸先生が御臨席でございますので、どうしたならばこの予算を確実に執行し得るかということについて、御議論を承りたいと思います。御三方についてそれぞれ御意見を承りたいと思います。

清宮四郎東北大学教授

○清宮参考人 ただいまのお話は切実な実際問題であります。同時にまた法律論の問題でもあるわけです。その一つの問題として、今日の決算審査をいかに緊急にやるべきかという問題が出て来ておる。確かにお話のように、予算の執行の問題で、ことに年度末になりますと、かなり乱暴な使い方をいたします。やはりこれは今までの相当長い慣例であつて、やる方ではそういうことなしに考えているように見受けられる。しかしこれはやはり考えの根本が間違つているので、とつた予算は全部年度内に使つてしまえ、残れば残して繰越すというような考え方にならなければならぬと思う。しかしそういう心構えを一々言うわけに参りませんから、それには法律的に何とかしなければならないと思います。それを会計検査院の方でも十分おやりになつているわけです。それでもまだ足りないというので、国会の決算の審査という問題になつて来る。それでしつかりやれば今までのやり方でもよいではないかという御議論もあるわけです。私の考え方は、やはりこれを徹底的にやる以上は、政府としても考えの根本を改めて、そういうふうに形の上からでも改めなければ、従来の欠陷は直し得ない。こういうふうに考える。それでやはり單なる報告というふうにしないで、国会の議決すべき議案として扱つて、両院一致の議を経る。そうすればこれはやはり事柄それ自身が非常に重要になつて来ますし、今までのような決算委員会のやり方についても、あまり熱心でなかつたというお話でありますけれども、そうなつて来れば、勢い国会における審議も熱心にならざるを得ない。この決算の審査という問題をできるだけ早く完了するようにする。そういうふうにしてやつて行つたならば、今までのそういつたようなことは全部改善せられることになるのではないか、こう思われるわけであります。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 私はその点は清宮さんと必ずしも一致しないのでありまして、私から言わせると、国会自身の立場から、現在の憲法のもとにおいては、財政のコントロールができないというのであるならば、何ゆえ憲法の改正までやらないか、私はそういうふうに考えておる。むりに解釈を設けて政治をするところに、政治の誤りが出て来る。だからこの制度では自分らの目的は達せぬというのであれば、憲法改正にまで進んだらよいのではないか、こういうふうに考えるのです。だから與えられた憲法は、與えられた憲法として率直に見なければならぬ。しかし現行の憲法では審議ができぬというのであれば、憲法を改正したらいい。こういうふうに考えます。  それからまた、たとえば国政調査の権限を発動したりすることによつて、何ぼでも、でたらめな濫費の点は、調べようと思えば国会が調べ得るんだから、やる気さえあれば調べられるんじやないか、調べられるのに調べないというような前提であるならば、決算というものを議案として取扱つてみたところで、やはりやれぬものはやれぬのじやないか、こういうわけなのです。だからどうせやる気のないものならば、行政府が出したものをまるのみにして、イエス、ノーというだけの話じやないか、問題はほんとうにやる気があるのか、ないのかということです。こういう点で、議案として取扱わなくても細大漏らさず調査をなし得るんじやないか、こういうふうに考えております。

大西邦敏早稻田大学教授

○大西参考人 この点は先ほども私申し上げましたが、国会と会計検査院との関係を非常に密接にして、会計検査は現在は事後の検査が主でありますが、イギリスでは事前の検査と申しますか、各省の会計官が支出する現場において、これをすでに検査するというような建前をとつておるように私は理解しておるのです。会計検査はやはりこのように事前検査の方向に持つて行く。しかしこの会計検査というものが、今日のように行政府にも、また国会に対しても独立しておるという形では、国会の財政監督権は有効じやないので、相当多くの国家では、会計検査院を議会の従属機関にしておるのであります。会計検査官も多くの国家は、どうかと言いますと、合議制よりも單独制をとつております。そうして責任の所在をはつきりしておりますが、会計検査院長は、これにはいろいろ選任の方法があるのでありますが、むしろ今日世界の多くの国家におきましては、議会が——今日日本でも、もちろん会計検査官を内閣が任命する場合に、両院の同意を得なければならぬことになつておりますが、外国では同意ではなくして、国会それ自身が会計検査院長の任命権を持つておるところまで徹底している国家が相当多いのでございます。しかしこれにつきましては、いろいろ制度には長所もありますれば、同時に他面において短所があるのでありますから、会計検査院長の選任の形式について、いずれの方法をとるべきかは、われわれは愼重に研究しなければならぬと思うのであります。実情は世界の多くの国家は、会計検査院は、むしろ議会の従属機関であるというような傾向に進んでおるように感ぜられるのであります。そういうような方法によつて、財政監督の方においては、実効あらしめることができるのじやないかと思つております。

永田節自由党

○永田委員 ただいまのお三方の御意見を承りまして、結局われわれは大体結論がついたように思われます。今後の問題はこの委員会において協議して行きたいと思いますが、現在の段階においては、会計検査院の検査の方法がスピードを欠いておる。国会への報告は特に遅れておる。要するにお化けが引込んだころになつて、あそこにお化けが出ておるというようなことを言われては、むしろ今日のような状態では、決算委員会の存続をわれわれは認めないのであります。ひとつ本委員会においても、今日の貴重な資料を集約して、愼重に研究をしてみたいと思います。つきましては、委員長においても、適当な措置を講ぜられんことを希望します。

川端佳夫自由党

○川端委員 最初から拜聽いたしておりまして、大体議論は盡されたような感じを持つのでありまするが、最初委員長からお話のありましたように、本日は報告案件として決算を取扱うか、あるいは議決案件として取扱うかという大体の結論をつけたい。あるいはその結論の有力な参考にしたいというような意味で、私たちも最初から意見を聞かしていただいておるのであります。最初、金子委員を初めその他から、現在決算委員会において委員が割合に興味が持てないような感じがするというようなお話もありましたが、委員個人としてのことはともあれ、大体決算委員会のわれわれが、比較的熱意が盛り上りにくいと感じられるのは、報告案件的な取扱いをやつておるからだと思うのです。従つて私たちは議決案件としての取扱いというようなことが望ましいという気持を持つておりまして、先ほど入江法制局長からのお話で、私たちは非常に同感の気持を持つたのでありますが、この委員会の本日の大体の結論として、私、最後に簡單に聞かしていただきたいのは、大体本日拜聽しておりまして、報告案件的な取扱いに賛成の方と、議決案件としての取扱いの建前を持つておられる方と、現在お残りになつておる方は半数半数になつておるように思います。そこで最後に議決案件として取扱うことが悪いかどうか、要するにこれが違反であるかどうかという点を、議論を一歩進めた気持で伺いたいのであります。私たちは本日貴重な御意見を伺いまして、特に憲法学者として著名な方々においで願つたのでありますが、われわれの腹づもりとして、憲法学者も悪いとは言わないというようなことであれば、私たちはそれが望ましい。こういうふうな気持なのであります。私は、形の上から行けば、皆様方は悪いかどうか、賛成かどうかということも伺いたいのでありまするが、そういうような気持を汲んでいただいて、お答えを皆様方に願いたいのでありますが、反対がもしあれば、反対の方だけでもけつこうであります。

清宮四郎東北大学教授

○清宮参考人 先ほど申し上げましたけれども、私は結論において、現在の憲法のもとで議案として扱うことができると考えます。その根拠としますのは、一つは、直接の根拠となるのは、憲法第九十條、これは提出となつておりますけれども、提出ということは、審議の問題であり、当然これは議決というところに行つてさしつかえない。憲法はそれを予期しておる。こういうふうに解釈する。それからもう一つ間接の根拠として、八十三條——八十三條の解釈につきましては、先ほどからもいろいろ御議論があつたようでありますが、私は八十三條の中には、決算の審査議決というものは、当然直接に含まれるものとは見られない。しかし八十三條の精神というものをだんだん推し進めて行けば、当然そこに行つてさしつかえない。憲法全体の国権の最高機関、憲法の国会中心の行き方というものから言つて、そう行つてさしつかえないというように見ている。憲法上の根拠は相当あるものと考えております。

大石義雄京都大学教授

○大石参考人 私は国会に対しては、お気の毒でありますけれども、憲法違反だという解釈をとつております。その根拠は、先ほどの八十三條の財政処理の権限というものは、国会の議決に基く。これは財政処理の一般原則を定めたものである。それは他の憲法規定において、これと異つた規定がある場合には、それはもちろん除外して考えなければならぬ問題であると思います。そこで決算については、会計検査院が、政府の作成した決算について審査するということは、これは憲法の規定だ。しかも会計検査院は、特に会計検査の権限を行使するために、憲法が非常に重要視している憲法上の国家機関である。それから日本国憲法は、やはり依然として三権分立の思想というものを根底にして立つている。だから国会至上主義の建前というものを、完全には貫いておらない。それから法の安定性という建前から、予算案や法律案の場合は、国会の議決によつて予算という国家意思は成立する、法律という国家意思は成立する、非常に明瞭に出ているのに、決算の提出については、そういうふうな明確な表現にはなつておらぬ。こういうことから私はこれを議案として取扱うことは憲法違反だという解釈をとつております。

平井平治大蔵省主計局司計課長

○平井参考人 私はちよつと皆さんと違うのでありますが、御参考までに申し上げておきます。検査院が決算を検査確定するということは、検査院その他から申し上げた通り、さように解釈いたしておりますが、国会が決算を議案とするという点に至りましては、検査院が決算を検査確定いたしましても、検査院も同じ行政府でありますから、行政府が検査確定したものを、国会が不当である、あるいは違法である、あるいは妥当であるという議決をすることは、一向さしつかえないのではないかと存じます。但し憲法八十三條によるところの財政処理とするところの議決ではない。かように考えている次第であります。

八百板正日本社会党

○八百板委員 もう大分問題の焦点が明らかになつて参つておりますので、その問題についての御質問は、差控えたいと思うのでありますが、私どもといたしまして、一番この際お聞きしたいと考えております点は、もちろん議決事項として取扱うか、報告事項として取扱うかということは、当面の大きい問題でありますが、われわれは国会議員として、国会の持つ財政上の監督権の行使と申しますか、その財政監督の内容をより以上に向上し、充実せしめるということが、われわれ国会議員の任務であろうと思うのであります。従いまして、そういう立場から考えて参りますならば、この国費の濫費が決算制度の取扱いを議決制度と改めることによつて救済せられるか、あるいはまた現行法のままその運営のよろしきを得て、それによつてこれを救済することができるかという問題が考えられるのでありますが、しかしいずれにいたしましても、その二つの問題を單純に考えて行きますならば、それだけで救済することはできないことは明らかであります。單に過ぎ去つたことを議決による、あるいは報告によるという形をとつたとしましても、それだけによつて、国費の濫費を防ぐことができないことは、先ほども述べられました通りでありまして、私どもはどうしてその国費の濫費を未然に防ぐことができるかという点に焦点を向け、その法制化に向つて努力をしなければならない責務を持つていると考えております。そういう角度から考えました場合に、すでに金を使つてしまつて、なくなつてしまつてから、これをいじめても始まらないのでありまして、われわれが国会において税金をどういうようにしてとるか、予算をどういうように組むかという点について、熱心な審議が行われますと同時に、その国民の税金が、どういうように使われて行くかという、現にどういうふうに使われているかということについても、より以上熱心な角度をもつて、これを検討する態度がほしいと思うのでありまして、その検討しやすいような状態が法制的につくられることが、最も望ましい形であろうとわれわれは考えるのであります。そういう意味においてこの際、今まで諸先生方の非常に貴重なる御意見を伺わしていただきまして、まことにありがたく存じているのでありますが、今までお聞きできなかつた点といたしまして、アメリカにおける決算制度、決算審議の状況等についてのお話、さらにまたこれと対蹠的な立場になりますが、ソ連における決算制度、あるいは決算審議の方法というようなものについても、お聞きすることができなかつたわけであります。聞くところによりますと、アメリカにおいては、決算委員会というようなものはないというようなことも聞いておるのであります。こういう点につきまして、どなた様なり、アメリカ並びにソ連における決算制度につきまして、何か御参考になるお話を聞かしていただきますならば、仕合せだと存ずる次第であります。

大西邦敏早稻田大学教授

○大西参考人 アメリカでございますが、これは先ほど会計検査院の方からもちよつと触れられておりましたが、アメリカの国会の財政監督権というものは、あまりその効果を発揮していない。そのために、むしろイギリスのように改めたいという意向が、アメリカでは学者の間に非常に強いのであります。アメリカでは会計検査院長というものがありまして、この会計検査院長は、大統領によつて任命されるのであります。但し決して政府に従属している機関ではありませんで、やはり政府に対しては独立の地位を持つております。そのために任期が日本では七年でありますが、アメリカでは十五年の任期になつております。このアメリカの会計検査院というのは議会との交渉はむしろないのでありまして、会計検査院が独自の立場で、ただ政府の支出、収入のあと、いわゆる決算を検査する。議会の方では、日本のように各院に一つの決算委員会というものはないのでありまして、名前は決算委員会というものはありますけれども、そのほかに各省の歳出委員会というものがあります。各省歳出委員会というのは、それはやはり一つでありますが——これは資料が手元に不足で明らかではないのでありますが、各省歳出委員会では、各省がなした支出の決算を各省別に審査するという体制をとつているようであります。これがどうなつたか存じませんが、アメリカではあまり会計検査制度、あるいは議会の会計監督の制度が効果をあげていないもののようであります。  ソ連はどうかと申しますと、バツクという人——この人は「今日の各国における予算制度」という本を書いておりますが——このバツクという学者が会計検査の形を世界的に分類して、議会型と裁判所型とそれから政治型とがある。イギリスのごときは議会型の典型的なものである。イギリスの自治領、それからスイス、スカンジナビア諸国では、イギリス流の議会型が採用されている。これに対してドイツとかあるいはベルギー、明治憲法下の日本等は裁判所型である。これに対してソ連、それからヒトラー政権下のドイツでは、いわゆる政治型の会計検査の傾向を持つている。従つてソ連の方では、ソ連の憲法あるいは鉄のカーテンのかなたにあるソ連の衞星国では、すべて会計検査の規定がありませんで、みな共産党の政治局が会計検査をやるという形になつている。これは当然ソ連の国家体制のしからしめるところと思うのであります。お答えになつたかどうか存じませんが、その程度しかわかつておりません。

八百板正日本社会党

○八百板委員 ありがとうございました。

本間俊一自由党

○本間委員長 ほかにございませんか——ほかになければ一応本日はこの程度にいたしたいと存じます。  参考人の各位には長時間にわたりまして、きわめて有益にして示唆に富む御意見の御開陳を願いまして、本委員会といたしましても非常に裨益するところがあつたと存じます。ここにあらためて、遠路わざわざ御出席くださいました各位に対して、深甚の謝意を表します。  本委員会は本日はこれにて散会いたすことにしたいと存じます。     午後四時五十四分散会

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