法務委員会 閉会後第6号
- 発言数
- 5 件
- 登壇者
- 3 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1949/07/01
会議録
○委員長(伊藤修君) ではこれより法務委員会を開きます。本日はいわゆる香月事件及び柳河事件につきまして、その眞相及び経過を説明員よりお聽きすることにいたします。
○説明員(高橋一郎君) それでは柳河事件の方から法務府の方で得ております報告によりまして、事件の要点を御説明したいと思います。 福岡縣山門郡柳河町で起つた暴力團関係の事件でありまして、関係の者は龍精治一家と萩島喬一家であります。昨年の三月十二日に柳河町におきまして、龍一家の親分でありますところの龍精治が何者かに斬り殺された事件が起きまして、これにつきましては当時捜査の結果、萩島一家の子分であります山田又七郎という者と松永繁美という両名を被疑者としてこれを起訴いたしたのでありますが、龍精治の受けた傷は全身四十数箇所であつて、恐らくこの二人だけではあるまい、犯人は数人あるのではないかというような疑いが残つておつたようであります。ところが殺された龍一家の者はやはりそういう疑いを持つておりまして、当局の調べが手ぬるいというような感じを抱き、かたがた自分らでこれを復讐しようということを考えたようでありまして、その結果二十三年の四月二日に早朝龍一家の者が多勢で萩島喬の自宅を襲撃いたしまして、日本刀、匕首、竹槍、放火のためのベンゾール又爆薬なども持つて参りまして、これらを使つて襲撃して建物の一部を爆破し、建物の外部を燒き、又中におりました萩島一家の者を数名死傷したのであります。この事件につきましては直ちに搜査の結果四月の十四日から五月十二日までの間に逐次合計八名を久留米支部に起訴いたしております。最初に逮捕いたしましたのは十六名でありましたけれども、結局証拠の関係で起訴した者は八名に止つたようであります。それからこれらの搜査を通じまして、前に疑問とされておりました三月十二日の龍精治の殺害事件に関しまして、新たに萩島一家の親分の弟であります萩島進という者が現場におつて、犯行に加担しているということが明らかになりまして六月十一日にこれを起訴いたしております。 同時にこれは別個の事件でございますが同年の二月十日にやはり柳河町において興行の取締というような関係から田崎松夫、安松利夫という二人の若い者が死傷した事件があつたのでありますが、これについては当時萩島一家の子分であります先程申上げました山田又七郎が直ちに自首して出て、そのまま懲役二年、三年間執行猶予の裁判が確定しておつたのであります。ところがその後これにつきましても、山田は身代りであるというような評判がありましたので、被害者の生き残つた田崎松夫などを再び取調べました結果、やはり萩島進が実は本犯であるということが証拠上認められるに至りましたので、六月十一日にこれを殺人同未遂罪で久留米支部に起訴したのであります。 それから関連して萩島一家の暴力行爲がいろいろ分つて参りまして、六月二十七日にやはりこれを久米留支部に起訴しているのでありますが、これは親分の萩島喬、その弟の萩島進と萩島辰雄及び子分の山田又七郎の四人で、犯罪行爲は二十一年の十月六日から二十三年の六月三日までの間のことであつて五項目に分れておりますが、暴力行爲、強要、恐喝、傷害の罪名で以て起訴いたしておるのであります。これにつきましては残念でありますが、この起訴の結果についてまだ報告を探し出しておりませんので、結果の御報告はできないのでありますが、このような事件の起つた背景として檢察廳の報告に基きましてこれら一家の大体の状況を申上げたいと思うのであります。 萩島一派の暴力行爲の犯罪事実によりますと、萩島喬は二十三歳の頃から大牟田市の親分である中熊某の子分となり遊び人仲間に身を投じ、その後傷害、恐喝、横領、賭博罪等で数回処罰せられたことがあり、昭和十七年九月頃から大牟田市内で土木建築請負業を始め、爾來相当数の子分を持ち、漸次親分として重きを加え、昭和二十年末頃山門郡柳河町隅町に轉居した後は柳河地方での親分として相当の勢威を張つており、他面昭和二十二年四月三十日町会議員に当選し、町会副議長の職にあつたものであり、進及び辰雄は喬の実弟であり、喬と共に土木建築請負業をなし、萩島一派の両翼であり、山田又七郎は喬の有力な子分であつて、これら萩島一派の團体の威力は柳河地方の民衆の間に相当徹底したものであるというふうに謳つております。 それから萩島喬と龍精治との関係につきましては、報告書において、萩島一派は昭和二十年八月頃大牟田市より柳河町に轉住し、土木建築請負業に從事しておるが、資産としては殆んどなく、職業は名義のみで日夜賭事に耽り、居町民に対しても冷淡且つ粗暴で脅迫、傷害等の事件を相次いで起すために、一般町民は面從腹背で信望も薄い。これに反し龍一派は柳河町に隣接する沖端村に居住して鮮魚商並びに興行に從事して相当の資産を貯え、居村民に対しても物質的にも精神的にもよく世話をするいわゆる侠氣があつて、居村のみでなく柳河町方面までも一般に好評であつた。両者間に以上のような異なる世評によつて、自然萩島一派は龍一派をねたむようになり、龍の興行に対してもしばしばその妨害行爲に出ずるため、両者間の反目甚だしいものがあつたというように言つております。 それで犯罪事実を見ますと萩島一派の暴力行爲の中で二十一年の十月頃、及び十二月頃に萩島一家が映画館主等を不良取締の名で恐喝しているのがありますが、これは龍精治等と一緒にやつているのであります。でありますから昭和二十一年十月と十二月頃は一緒にこの二派はやつておつたようでありますが、その後反目するに至つて、萩島進が龍精治を殺害した犯罪事実によりますというと、二十三年三月十二日萩島派の反対勢力で相反目している龍精治が、柳河町の或る料理屋に來ていることを知つて、これを連出して松永、山田等と共に進が刺殺したのである、こんなようになつているのであります。尚若し御質問でもあれはお答えすることにいたします。 次に香月事件について御説明をいたしますが、これは福岡縣遠賀郡香月町の炭鉱地帶で起つたやはり暴力團関係の事件であります。で事件の内容をお話する前に関係者の立場を極く概略申上げまするというと、昭和二十二年四月の町長選挙で、社会党の江藤清太郎という人が立候補し、これに対して新開眞次という人がやはり立候補して、結局新開が町長に当選したのであります。この新開というのは元來よその町の人でありまして、これを土地のやはの有力者の大隅炭鉱主の金丸熊太郎が輸入した候補者であります。この金丸熊太郎は同時に自分の香月の農業協同組合長をやつておつたのであります。又附近の杉守炭鉱主の志波盛重という人と結んで非常に勢威を振つておつた、こういうことであります。大体このような背景で行われた事柄のようであります。本年の二月二十八日にこの町長選挙に敗れた社会党の江藤清太郎が、香月町の道路で何者かに刺し殺された事件が起きました。これは二十二年十二月の香月町の町有森拂下げ問題、それから時期ははつきりいたしませんが、その頃行われました農業協同組合の役員選挙の問題、これらについて新開町長又は金丸組合長に横暴な行爲があつた、こういうことで江藤清太郎らが共産党などと同一歩調を取りまして新開町長と金丸組合長とをリコールしよう、こういうことで当日は打合せのために縣当局に行つた帰り路だつたのであります。でこの殺害事件につきましては、直ちに大隅炭鉱の工員でありますところの松井久春という者が自首して出たのであります。これに対しまして檢察廳の方では香月町が可なり暴力の町であるというような風評もあるし、この際徹底的にこれを捜査しなければならんというふうに認めたようでありまして、事件の起つた即日小倉支部の平島檢事が出張し、続いて三月二日には小倉支部の立石支部長、これは最近旭川の檢事正に轉出いたした人でありますが、立石支部長及び富田檢事が出張し、更に三月七日には福岡の本廳から副島次席檢事と中川檢事及び檢察事務官が八名行つて捜査に当つております。 で最初の事件報告に当時の檢察廳の意氣込みがよく現われておりますから、ちよつと御披露させて頂きたいと思うのでありますが、事件の起つたのが二月二十八日で三月十二日に第一報をよこしておるのであります。「本年二月二十八日遠賀郡香月町に発生した表記の件について左の通り一應報告する。 この香月町は九州で俗に川筋といわれる炭鉱地帶の町で、從來いわゆる炭鉱ボスによる殺人、傷害、恐喝の事犯の少くなかつた土地柄であり、この際この種の事犯とその背後勢力を徹底的に檢挙一掃する必要があるものと認められる。」 それから最後に「今後の捜査方針」といたしまして 「前記のごとく同町は従來いわゆるボス一味の鞏固な勢力下にありと認められ、殊に江藤殺害事件のごときは言論の自由が暴力の下に圧せられつつあるものと認められるので、この際前記の諸問題の糾明と共に暴力的徒輩の一切の事件を挙げて糾明し断固たる処分をなす方針である。」 というようなふうで、この意氣込で捜査に当つたようであります。その結果四月の十九日までに最初に自首いたしました松井久春の外に四名を共犯として江藤殺害の件で小倉支部に起訴しております。この松井ら五名というのはいずれも前に申上げました金丸熊太郎のやつております大隅炭鉱の工員であります。 尚前の事件との関連で、ちよつと御参考でありますが、江藤の受けた傷は全身二十数ヶ所の大体刺し傷であります。 江藤殺害事件は大体それで済んだのでありますが、引続きましてあと一應メモに纏め上げてあるので、多少冗長になるかも知れませんが、大隅炭鉱主の金丸と結んで勢力を張つておりました杉守炭鉱主の志波盛重、この者の暴力行爲に関しまして捜査を続けて、三月三十一日やはり小倉支部に志波盛重と樋口という者を二名起訴いたしております。それから四月二十日に九名の者を銃砲等所持禁止令、即ち何の正当の理由がなくて、それぞれ短刀、十六センチ以上の匕首、刄渡り三十センチの槍の穗先、そういつたのを隱匿所持しておつたということで起訴しておるのでありますが、これは住所が全部大隅炭鉱になつております。 それから関連いたしまして、前に申上げたそれぞれの派との関係ははつきりいたしておりませんが、昨年の十一月一日に起訴いたしました松尾明敏外十二名の暴力行爲、暴行、恐喝、或いは銃砲等所持禁止令違反の裁判が三月二十八日に言い渡されておる。これらはいずれも香月町で、職業は炭鉱の鉱員ということになつております。尚外に二件香月町関係の暴力事犯が四月中に小倉支部に起訴されておるのであります。大体香月事件はこのような経過を取つておりまして、まだ裁判結果につきましては報告に接しておりません。 以上であります。
○委員長(伊藤修君) 何か御質問は……、松村さんどうですか。
○松村眞一郎君 別に……
○委員長(伊藤修君) ではこの程度にしまして、明日は午前十時から開会いたします。 午前十一時三十九分散会 出席者は左の通り。 委員長 伊藤 修君 理事 鬼丸 義齊君 岡部 常君 宮城タマヨ君 委員 大野 幸一君 齋 武雄君 遠山 丙市君 來馬 琢道君 松村眞一郎君 説明員 法務府事務官 (檢務局長) 高橋 一郎君