労働委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 87 件
- 登壇者
- 21 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1949/05/09
会議録
○倉石委員長 ただいまより労働委員会公聽会を開きます。 労働組合法案及び労働関係調整法の一部を改正する法律案は、去る四月三十日本委員会に付託せられまして以來、審査を重ねて参りましたが、委員会が特に、本日公聽会を開きまして、両案について眞に利害関係を有する者及び学識経驗者等より廣く意見を聞くことになりましたのは、申すまでもなく両案は一般労働問題として、國民諸君にとり重大なる関心を有し、かつ深い利害関係を持つ重要法案でありますので、本委員会といたしましては、労働組合法案及び労働関係調整法の一部を改正する法律案の審査にあたり、国民諸君の声を聞き、廣く國民の輿論を反映せしめ、両案の審査を一層権威あらしめると同時に遺憾なからしめんとするものであります。各位の御熱心かつ豊富な御意見を承りますことができますならば、本委員会の今後の審査にあたりまして多大の参考となるものと期待する次第であります。私は本委員会を代表いたしまして御多忙中のところ貴重なる時間を割かれまして、御出席くださいました公述人各位に対しまして、厚くお礼を申し述べますとともに、各位の忌憚なき御意見の陳述を希望する次第であります。 さらに本日の議事順序につきまして簡單に申し上げますが、公述人の人員を勘案いたしますれば、公述人の発言時間は三十分くらいとし、発言は発言席でお願いすることにいたしまして、発言されますときは、職業とお名前を述べていただきたいと思います。 本日ただいままでにおいで願いました公述人の氏名を申し上げますと、吾妻光俊君、鹿内信隆君、別所安次郎君、山花秀雄君、前田一君です。 これにより公述人の方の御意見を聽取することにいたします。山花秀雄君。
○山花公述人 私は日本労働組合総同盟の副会長をやつております山花秀雄であります。本日は総同盟の立場を代表して、ただいま國会に提出され審議中の、労働組合法改正法律案、及び労働関係調整法の一部改正に関する法律案に関し、わが総同盟の意見を率直に申述べ、議員各位の審議の参考に供したいと存ずるものであります。 これら法律案の各章項目に関する一つ一つの意見は、あとで申述べることにいたしまして、今次改正案の上提されるに至つたいきさつについて、はなはだ私どもの納得しかねる遺憾なる諸点のあつたことを、まずもつて指摘するものであります。 この改正案は、去る二月十四日労働省改正試案として、突如発表され、二十日以來近々十日間に全國主要都市に公聴会を開催し、ただちに國会に提出する予定で出発したと聞いているのであります。各地で開催された公聽会が円満に進行されずに、その席上から出席者が退席する騒ぎを起したところもあるとの報告をも私どもは受けているのであります。 私は公聽会すら円満に行い得ない、また各界に大きな波乱を巻き起すような、むしろ不必要な混乱をもたらすようなやり方をするのかと問うものであります。他の何ものに増して、今後の日本の運命をきめる上に重大な影響を持つ労働諸法規の改正案が、少数の官僚諸君の手によつて極秘裡に考案作成され、しかも突如提案されなければならなかつたものかいぶかるものであります。それがたとえ試案といつても、または事務的専門的手続といつて言訳をしようが、こういうやり方は決して民主々義社会には通用しない、古い観念から脱却し得ない官僚独善の傾向といわなければなりません。わずか十日間におざなり式な公聽会を開催して、それで民主的手続をふんだとお考えになつたとすれば、まつたく人をばかにした態度と申し上げると同時に、私どもとしても重大なる決意をしなければなりません。しかし私どもは、何も好んで、それらの挑発に乗りたくはありません。名地に開催された公聽会に出席した総同盟代表が申し述べたごとく、この法律案に重大なる関係を持つ労資の代表を含めた労務法制審議会のごとき民主的機関によつて愼重に討議されるべきであります。労働組合法が制定されるときには、その手続が採用されたのであります。先にとられたやり方が、今回採用されないということは、どうしても私どもの納得のゆかぬことであります。もし可能なれば、労資をあげて不満足であり、かつまた、國会内においても特に異常関係にある民主自由党の議員諸君のうちにも政府原案に対して不満足の意見をお持ちになつていられる方もあるやに聞いております。よつてこの改正案は一應撤回し、あらためて労資双方の関係者の意見を十分議し得る機会をつくるべきであります。私どもは切にこのことを要請するものであります。そうすれば労資の納得と理解の上に、建設的な、しかも今後の國家の運命を托し得るりつぱな法規が樹立されるものと確信するものであります。そうすれば不必要な、有害な反対せんがための反対運動は起きないと思うのであります。なぜならば私どもは事態の進行を、いちがいに金融独占資本の指し金とか、反動政治の現われとか叫んで、なんでもかんでもきわめて單純に、絶対反対の一点張りで総反抗の煽動をしようというのではないのであります。私どもはあくまで日本労働運動の前進のために、自由にして独立なる民主的労働組合としての自発的自主的な立場から、過ぎ去りし三ケ年の経驗と現下の新らしい社会情勢に照してとるべきはとり、拒むべきは拒むという大乗的見地から公正な態度で一貫して進んで行く方針を持つものであります。私どもは戰後日本の労働組合運動の急激な発展の中に現れた、会社組合すなわち御用組合的性格や一部の極左的傾向などについては、この際これを徹底的に拂拭しなければならないと考えているものであります。私どもはみずから批判すべきものは嚴正に批判する、また規正すべきものはみずから規正する、必要なものについては進んで、その実施に協力する、しかしながら他方資本家の反動攻勢に惡利用される危險のあるもの、日本の実情に合致せざるもの等については、あくまでこれに反対し、これが削除修正を嚴重に要求するものであります。以上わが総同盟の基本的態度を明らかにいたしまして、提案されたところの政府原案について批判と檢討を盡したいと存ずるものであります。 元來労働組合というものは、國家機構のように、一定の法令に基いてつくられるものではないのであります。労働者の自衛手段として、自然発生的に発生し発展した自主的な組織であります。労働者自身の自由な意思によつて組織され運営されるところに、労働組合の自主性の本質があるといわなければなりません。極東委員会十六原則第十項に、労働組合は労働者自身による民主的な自己表明及び創意により組織ざれなければならないとあります。 また一九四八年、團結の自由及び團結権に関する國際労働條約第二條に、労働者はみずから選択する組織を確立し、その組織の規約のみに從つて、これに加入する権利を有するとあり、同條約第三條に、労働者の團体はその規約及び規則を作製し、宏全なる自由のもとにかれらの代表を選び、かつその運営並びに活動方法を定め、その計画を立案する権利を有する。公共機関は、この権利を制限し、またはこの権利に基く合法的な活動を妨げるようないかなる干渉をも差控えなければならないと決定されたのであります。從つて私どもは、常に自主性の確立を主張していますが、これは資本家の甘言、脅迫ないし御用政策から組合を守り、また政党の支配からも組合の自主性を守るといふ意味だけではありません。さらに重要なことは、政府の政策から、國家権力の干渉介入から組合を守ろうということであります。 以上の見地から今次改正原案を一瞥するに、さきの労働省試案当時の内容に比較すれば、わが総同盟の主張した意見が多分に織り込まれていることを認めるにやぶさかではありませんが、なお私どもの意見の盡くされぬ点が多多あり、改正原案の一貫して流れる精神は、現在発展途上にある日本労働組合運動を自由にして、独立の方向へ助長せしめるというより、逆にこれが往年のごとき取締り彈圧するという方向へ傾きつつあることは、民主國家日本の現状に即してまことに遺憾なことであり、わが総同盟が多少の改正内容を認めながらも、原案に反対する理由またここにあるのであります。 そのおもなる点を申し述べるならば第一章総則第一條については現行法通りに改めるべきであります、その理由は、現行法の規定は簡潔にして要を得ており、明確に労働組合の将來向うべき理想を表現しておるものであります。特に一項中に見られる團体交渉の手続に相当する規定は法文中にも存在いたしておりません。全文の関連性からも統一性を欠くがゆえでありますために、私どもは現行法通りに訂正してもらうことを要請ずるものであります。特に二項の但書は労働組合の人格をまつたく無視した規定といわなければなりません。法文内容に暴力の行使というごとき字句が記載されておることは、われら労働組合全体の名誉のためにも承服しがたい文句であります。かつて、第一次吉田内閣は、その施政演説の一節に、生活擁護の闘いを行うところの労働者に対して不逞の徒呼ばわりして、たいへん不評を買つたことがあります。第二次吉田内閣の施政演説は、同じ総理大臣の口から、日本経済産業の再建復興のためには労働者諸君の情熱に訴えるとかわつたのであります。たいへんな進歩と思いましたが、今回は二項の但書のごとく、さも労働組合が暴力團体と混同されるような、かつまた、不当に惡用濫用されるおそれがある、かかる規定の存置には絶体反対するものであります。 第二條の法文の形式はやはり現行通りとすることにして、第二項一号は逐條形式により「使用者又はその利益を代表すると認めらる者の参加を許すもの」の説明的條項とするごと、一号中の「機密の項に接し」とある條文は、「機密項の決定に参画し」とか「機密の責任者」と改めるべきであります。大体利益代表者は当然自主的な労働組合からは除外すべきでありますが、要するにその取扱いは画一的でなく、それぞれの職場や各会社の実情に即して決定すべきで、労働協約あるいは労働委員会の判定に基いて、その範囲を明らかにすべきであります。二号に記載された條文は、現行法の「主たる経費を使用者の補助に仰ぐもの」の項を明、細に規定したものと思いますが、特に組合專從者の給料について組合員みずからがまかなうことは、組合の自主的運営の原則であります。ここに財政の面から会社が半ば策略的に半ば恩恵的に組合内部に干渉して来る基礎余地があるのであります。私どもはぜひとも「組合活動は組合の経費で」という原則の実現に努力しなければなりません。しかしながら、わが國の労働運動の現状において、今日ただちにこれが切りかえを行うことは、組合の実際的運営に支障を與えることも考えられますので、また不要の摩擦をも起し得ることも考えられるので、少くともこれが実施までは、六箇月もしくは一箇年程度の準備期間を設け、漸次これに切りかえて行くことが必要と思考されるものであります。また例外項目に、使用者との合意によつて労働時間中になされる組合会合を認める趣旨を挿入すべきであると私どもは考えるものであります。 第四條の「地方公共團体」の字句は削除すべきであります。その理由はいまだ地方公共團体に関する諸法規の公布をされておらぬことと、官公吏といえども労働者であります。賃金給與で生活を営むりつぱな労働者であります。よつてこれは現行法の形を採用すべきであると私どもは考えるものであります。 第二章の労働組合の項目については、第五條は現行法通りとして、現行法第六條、第七條は生かすべきであると考えておるものであります。改正案は從來の届出主義より認可主義に事実上なつておるのであります。第三條第二項規約に関しては、現行法第七條の形式をとること、並びに改正案第七号の会計監査問題については「職業的に資格があるとなつておりますのを、「公正なる」に修正すべきであると考えるものであります。職業的に資格ありては、一般の單位組合にては財政問題に関連してそれを雇い入れることは不可能に近い。そのような小さな單位組合が日本には無数にあるのであります。小さな單位組合こそわれわれは守つて、これをりつぱな労働組合に助成して行かなければならないのであります。こういう見地からしても、職業的資格のある者云々は削除すべきであると考える。そうして公正なるというふうに修正をされんことを望むものであります。また財政的に雇い入れることができましても、外部の者に監査なさしめるということのごときは、組合の自主性を最も阻害するものであると私どもは考えるものであります。多分このねらいは会計の面をもつと嚴密にやつて行けということと、またみずからが会計監査をするというのは少し不合理だという考えから來ているものと思いますが、また反面資本家側からうんと金をもらつて御用組合的な役割を果す、それを監査するとか、あるいは労働組合の活動資金を政治活動に使い、または政党献金というような形で流用するのを押える。こういうことを是正するためとかりに善意に解釈いたしましても、こういうことは今の労働組合では考えられないのであります。かりに例外としてそのような不都合な労働組合があつたかもしれません。しかし一つ二つの例外をもつて全体の労働組合の自主性を阻害するような法律條文は避けるべきであるとわれわれは考えるものであります。 第七條の不当労働行為に関する件は、現行法第十一條に該当する條文でありますが、十一條に比べると、その内容が具体的に細分化され、特に二号の項目を設けたことは当を得たものとして私どもは賛成するものであります。但し二号の條文は、第六條との関連性を保つために次のごとく改めるべきであると考えるものであります。「使用者は第六條に定められた労働組合の代表者又は労働組合の委任を受けた者と團体交渉することを正当な理由がなくて拒むこと」というふうに、改めるべきが至当ではないかと考えるものであります。またこの第七條の四として一項目を追加すべきであります。それは「労働委員会により不当労働行爲の判定を受けた使用者又はその團体は労働委員会がなしたる公表の文書とその命令を守る旨を文書により相当期間当該工場及び業場内に掲示しなければならない。」という項目を追加すべきであると思うものであります。 なお現行法第八條、第十五條を削除したことは私どもは賛成するものであります。 改正法第十一條は現行法第十六條通りにすべきが至当だと私どもは考えるものであります。 第三章、労働協約の項目については、第十六條は現行法二十二條通りにすべきであります。また現行法第三十一條は存置すべきが至当と考えるものであります。 第四章の労働委員会の項目については、第十九條二項に現行法第二十六條三項の特別労働委員会の項を挿入すべきであります。その理由は、炭坑等特殊性を考慮すべき地区または事項につき、特別労働委員会を設題し得るようにすることが適当と私どもは考えるものであります。 第二十四條の公益委員の権限に関する優位性を定めた規定は削除し、司法的事項の処理に関しても、三者構成による会議により処理されるものとするように改めるべきであります。すなわち労働委員会は三者平等の権限にて構成するものと私どもは考えているものであります。また從來これが運営について何らの不備も認め得なかつたのであります。強いて言えば、公益委員の中立性を確保するために、むしろ政党色のない人を選定する基準を定めた方がよいのではないかと考えるものであります。 第二十七條の規定は賛成であります。この規定は不當労働行爲に対する労働委員會の役割が詳細に規定されていますが、これらの規定が正確かつ迅速に行われることは、私ども労働者の立場から絶対賛成するものであります。 第五章、罰則の項目については、現行法に比すれば罰則規定は若干重く規定されているが、これは當然の規定と存ずるものであります。 第六章、附則については、二項の但書を削除し、第五條の修正に関連して届出するというふうに改めるべきだと考えるものであります。 附則に、現行労働協約中、本法第十五條に抵触する條項を含むものとあるときは、その部分のみ失効し、残余の部分は有効期間中その効力が持続される旨を挿入すべきであると存ずるのであります。 その理由は、現在有効中の協約は、その期間終了まで保証さるべきが至当だというふうに考えておるものであります。 次に、労働関係調整法の一部改正案については、第三十七條に新らしく加えられる二項目のうち、初めの一項目は削除すべきであります。すなわち「前項の期間が満了した時から六十日を経過した後」云々の規定は、明らかに罷業権の抹殺であります。 労働組合法改正案及び労働関係調整法の一部改正案に対して、わが総同盟が檢討いたしました意見を簡略に申述べましまが、私どもはこの際一言申上げたいことは、これらが保守的な政治勢力である吉田内閣のもとに提案されたがゆえに反対するというような、けちな考えは蒙末も持つていないのであります。今次改正案にも、賛成なし得る條文については率直に賛意を表しているものであります。しかしながら賛成なし得る箇所を若干認めながらも、これに強く反対する理由は、労働法規に関する、私どもの見解であります。私どもは敗戰後の祖國の再建は何をきいても経済を再建し、民生を安定し、その基礎の上に民主主義日本を樹立しなければならないと考えておるものであります。日本の民主化の前進のために労働組合の演ずる役割は高く評價しなくてはならないのであります。かつまた経済再建のためには、りつぱな強い労働組合の協力を得なければできるものではないのでありまする。それゆえに、憲法第二十八條には、「勤労者の團結する権利及び團体交渉その他の團体行動をする権利は、これを保障する。」と明らかに記載されているのであります。この精神から発したのが労働法規であります。すなわち労働法規は労働憲章と言われ、労働者を保護し、労働組合の発展を助成するいわゆる保護法であります。私どもは以上の意味で労働組合法は労働者の保護法と考えるものであります。しかるに今次の改正案は、さきに申し述べましたごとく、一貫して流れる精神は取締法であります。時代錯誤もはなはだしいといわなければなりません。 以上の理由をもつてわが総同盟は吉田内閣より提案されました今次改正案については、反対の意思を表明するものであります。産業復興や経済再建が至上命令の段階にあるわが國の現状にかんがみ、今日ほど労働階級の協力を求めなければならぬときはないのであります。全國の労働階級は反対しているのであります。また資本家の多数もこの提出案に反対しているように聞いております。無用の摩擦と反撥を生む今次改正案は、政府も面目にとらわれずに、すみやかに撤回されんことをお願いするものであります。また議員諸君におかれましても、この法案の対象となる労働階級の意向を十分に理解されまして、原案を返上されんことをお願いいたすものであります。労資の代表を加えた民主的法制審議機関をおつくりになつて、あらためて十分なる討議の結果、成案を求められまして、次期國会で審議されんことをあえて希望するものであります。私の公述は、ただいま申し上げました内容で十分御了承願いまして、皆さんの審議の参考に供した次第であります。私の公述はこれで終りたいと存ずるものであります。
○倉石委員長 何か委員の方からただいまの公述に対して御質疑がありましたらどうぞ。それではどうもありがとうございました。 次に吾妻光俊君。
○吾妻公述人 東京商科大学の教授吾妻光俊であります。 今次の労働組合法及び労働関係調整法の改正案につきまして、まず全体の法案の態度についての私の考えを述べさしていただき、続いてごく簡單に個個の規定についての私の意見を申し述べたいと思います。 今次の改正案については、大体三つの眼目があるように考えております。その第一は、組合運動にさらに強い自主性を與えるということ、「第二は、組合運動の内部を民主化するということ、この二つの点は大体労働組合法の改正案の指導方針といわれておる点であります。第三の点は、組合運動を、いわば公共の福祉、公共的な立場からこれにある程度の制約を加えるという点でありまして、これは労働関係調整法の改正の眼目をなしたと考えて、おります。そこで私個人として、もとより一般的に組合運動が民主化さるべきであり、また自主性をゆたかに持たなければならないということ、さらに公共の福祉と組合運動との間の調整という問題を考えなければならないということについては、いささかの異論もないのであります。ただ問題ははたして今次の改正案の中に、この三つの精神が生かされておるかどうかという点に集中するわけであります。まず組合運動の自主性を高めるという点については、今次の改正案の中心点は第二條、いわゆる利益代表者の範囲を非常にこまかく規定したということ、また組合経費に対する補助、これをまず原則として禁止するという態度、しかもこれらの要求を満たさない組合は、第五條によつて組合としての恩典をある程度剥奪するという態度、これが組合の自主性を伸ばすということの第一の眼目になつておるわけであります。 第二は、言うまでもなく第七條の規定によりまして、今までよりもさらに徹底的に組合運動に対する、使用者の妨害干渉を排除する、いわゆる不当労働行爲という名のもとに、かなり廣い範囲にわたつて組合運動に対する使用者の妨害を排除するという建前になつておるわけであります。ところで私は今次のこの改正案の態度に対しまして、次のような疑問を持つものであります。といいますのは、私の今まで、持つておる考え方では、組合の自主性を伸ばすということは、要するに、組合運動の途上にある妨害を取除く、いうまでもなく使用者の妨害干渉を排除する不当労働行爲を押える、この方向を徹底することで十分であろうというふうに考えておる。この妨害の排除が十分に行われれば、組合の自主性の確保ということはおのずからもたらされるものである。從つて第二條の規定が、しかも非常に事こまかい、組合の経費補助であるとか、組合への会社側の利益金代表者の加入を禁止するといつた規定を設けており、しかもこの規定の一つにでも該当しない場合が出て來ると、組合としての恩典を剥奪するという態度は、私として賛成できない点であります。ことに利益代表者について、非常にこまかい形式的な基準を設けたということは、実は実際にこれを運用せられるたとえば労働委員会が、この形式的基準にしばられて、はたしてその組合が実質的に御用化されているかどうかということの判断を、場合によつては誤まらされるという危險があるのではないか、そうなれば、せつかく組合運動の助長といい、自主性の確保という、精神が、かえつて組合の負担において行われる、このことはいうまでもなく組合運動の現状が、とうていこの第二條の條件というものを十分に満たすだけのところまで來ておらない、もちろん私の考え方としては、組合運動をそういう方向へ指導することはきわめて望ましいと考えておりますが、そのことと、かかる形式的基準を設け、そのことに一つでも触れては組合の自主性なきものと認める、從つて組合としての恩典を剥奪するということについては、組合運動のために非常に危險な結果をもたらす規定ではなかろうかというふうに考える。ことに第二條の中にはたとえば機密の事項に接するといつたような規定がありまして、これはむしろ労資間のバランスの問題をここでは考えておつて、一体組合の自主性ということと、はたして問題が一つであろうかどうか、労資のバランスを考えるという問題は、私はあくまで労働協約にこれをゆだねるべきものであつて、法律によつて一定のやかましい基準を設け、この基準に該当しない労働組合というものに対して、その救済を拒む、法律上與えられる救済を拒むという態度で臨むべきものではない、こう考えておるわけであります。要するに結論は、使用者の不当労働行爲を徹底的に追究するということに中心が置かれるべきであつて、たまたま使用者側からある程度の財政的補助、あるいは使用者側のいわゆる利益代表者、しかも今度の第二條に書かれましたような機密の事項に接する者とか、守衛であるとかいうものがたまたま入つているということで、その労働組合に保護を拒むという態度は、この法案の第一の難点ではなかろうかと考えておるわけであります。 第二に、組合の民主化の問題でありまして、これは第五條にその精神が盛られているわけです。この点についても、私は組合の民主化を促進すること、いわゆるボス的な勢力によつて組合が指導されることを排除するという思想そのものは全面的に賛成であります。ただ今次の改正案は、この点についてきわめて中途半端な立場をとつておつて、第五條に並べられた規定をただ組合規約の中に書きさえすれば、第五條の條件は満たされるであろうか思います。たとえば実際に第五條に並べられたいろいろな條件の違反というような行動が行われたとしても、それは必ずしも組合からその恩典を剥奪するという結果にはなり得ない。そうすると、たかだか形式的にその規定を書かせる——書かせるということは、要するに内部的な自治によつてその規定の守られることを保障して行くという考え方になるであろうと思います。こういつた形式的な態度というものは、法規が労働組合運動の自治制の中身に食い込んで行くという間違つた態度を最初にとつたために、こういうきわめて中途半端な態度に終らざるを得なかつた。しかも実際問題としては、そこにいろいろな困難な問題がまつわつて現われて來ると思います。あまりこまかい問題には、ここでは触れたくありませんが、要するに組合自治の根幹である組合規約にまで手を入れるということは、組合の民主化をはかるという名のもとに、組合から民生化の根本精神である自治を奪つてしまうという結果になるのではなかろうか。なるほど現在の組合運動はいろいろな点でまだまだ十分の完成の域に到達していないということは、だれしも認めるところだと思います。そのことはやはり組合運動の中から自主的に排除されるということで、その自治的な矯正にまつべきではなかろうかという考え方を持つております。 第三に、組合運動を公共の立場、いわゆる憲法にある公共の福祉という立場から制限するという観念が、労調法の改正の重点になつているかと思います。今度労調法第二十六條に附加された三項、調停案の解釈について、ないしは履行についての紛議、これを労働委員会の見解が出されるまで爭議をストップするという考え方、さらに三十七條につけ加えました二項、すなわち爭議権のいわば存続期間を六十日に限つたという第一の項目、さらに調停において当者の交渉にゆだねられた部分がある場合に、その調停案がのまれた場合には、その交渉にゆだねられた部分について爭議行爲をなすには、さらにもう一回調停委員会の門をくぐつて來なければならないとい第二の項目、これらはいずれも從來の経驗にかんがみて、おそらくいつまでもずるずるべつたりに爭議行爲が続かないようにということ、あるいは爭議行爲の調停案の解釈、運営、履行等をめぐつて起る爭議行爲というものをできるだけ防止したいという考え方で、結局はそれは爭議行爲が社会全体に及ぼす惡影響というものを、できるだけ最小限に食いとめたいという考え方の基礎に立つていると思われます。しかしこの二十六條に附加されました三項、及び三十七條に附加されました規定については、いずれも私の態度としては反対なのでありまして、たとえば二十六條について申しますと、二十六條は結局調停委員会の見解を求めるというのでありますが、その見解は決して労資双方を拘束する権威を持ち得ないに違いない。労資はあくまでその見解に対して爭うべき自由を持つておるわけです。ただべんべんと労働委員会の見解を待つておつて、その間ただ爭議行爲をストップさせるという意味しかこの二十六條の規定にはない。結局は、拘束せられない労働委会の見解の示されるまで、爭議行爲をストップさせることが、はたして妥当であるかどうかということについては、非常な疑問を持つものであります。要するにそれは争議権の保障ということの精神に反するのではなかろうか。なるほど調停によつてできるだけ爭議行爲を予防し、あるいはそれを解決することは望ましいことではありますけれども、そのことと爭議権を押えてまで、この二十六條のような規定を付加しなければならないという理由を、私は発見することができないのであります。三十七條に付加されました後半についても同様であります。たとえば交渉が留保されたということは、何も労働組合がそれによつて爭議権を捨てるという意味はない。交渉の中には平和的な交渉もあれば、爭議による交渉もあり得るわけであります。從つてこれらの思想の背後には、調停にかけられた場合には、当然できるだけ爭議権はストップさせるという考え方があるのではないかというふうに思う。しかしこういう考え方は、私は賛成できないのでありまして、実は私は現行の三十七條自体についても非常な疑問を持つておる。というのはことに公益業についてでありますけれども、公益業の爭議を形式的に、つまり調停にかけてから三十日以内にストップさせるという態度を私はとらないのでありまして、むしろ公益事業の爭議行爲の制限をもし認めるとすれば、それは公益事業の爭議行爲が社会的に及ぼす非常に大きな影響を持つておる、ことにある爭議行爲において、それが非常に大きな社会的影響を及ぼすという事態が惹起せられた場合に、たとえばアメリカのタフトハートレー法が、そういう全國的な非常事態とでも言うべきほどの國民全体の公共の福祉に影響を與えるような事態の発生したときに、それをストップさせるというような方式が望ましいので公益事業であるから当然爭議行爲がある一定期間制限されなければならないという思想は、私は正しくない考え方ではないかと思う。むしろそれは憲法に保障せられた爭議権の保障を不当に侵害する行き方でなかろうかと考えておるわけです。同じことは三十七條の付加せられました前半についても言い得ることで、要するにある爭議が起り、それによつて爭議行爲が発生することは、爭議状態があれば当然爭議行爲は予想せられるのでありますから、爭議状態が解決されないうちに、たとえば二箇月経てば爭議行爲を打切れといつてもこれはむりなことであります。むしろそういうことによつて惹起さるべき非常事態を憂慮するというのであれば、その非常事態に対して打つべき手を法律として考える。こういう方法で進むべきであつて、きわめて形式的に爭議権の制度を行うという現行三十七條及びその精神をいわば拡大したと考えられる二十六條の付加された規定、三十七條の付加された規定、いずれも私としては反対であります。こまかい点についても、実は今度の改正案はいろいろな私たちに疑問を持たせる技術的な欠陥があるのではなかろうかと考えておりますけれども、これは時間の関係上省略させていただきまして、大体私としては今日の改正案が本來ねらつておることは、少くとも言われておるところの組合運動の民主性、自主性及びいわば公共性といいますか、そういう点に加えられた改正の根本的態度そのものに、以上のような疑問を持つということを、ここに強調しておきたいと思います。
○倉石委員長 何か委員の方からただいまの公述に対して御質疑はございませんか。
○前田(種)委員 ちよつと吾妻さんにお尋ねしますが、今いろいろ承つておりますと、非常に参考になる御意見もございましたが、結論的に端的にお尋ねしたいと思いますが、そうした見解から申しますと、今政府が提案しておりますところの二つの改正案と現行法と比較檢討して、現行法に対してもいろいろ不備欠陷はあろうと思いますが、今日の情勢のもとにおいては改正案を出して改正するよりも、むしろ現行法の方がいいんじやないかという結論も、いろいろの方面から意見があるわけですが、吾妻さん自身は現行法がむしろ改正案よりましだ、結論から申し上げますならば、もつと十分の檢討をして、もつと十分内容を盛り上げて、りつぱな案にするというならばいいが、今提案されておるような内容の改正案であるならば、むしろ現行法がましではないかというような見解もつきますが、そういう点に対する吾妻さんの見解を結論的にお聞きしておきたいと思います。
○吾妻公述人 その点実は申し上げるべきだつたのでありますが、時間の関係で省略いたしましたのですが、私としては現行法にもいろいろ欠陥はありますけれども、今度の改正、これは手続上のいろいろな不満ということもありますし、また今申しましたような改正の重点に対して相当疑問を持つておるわけです。その意味から申しますれば、現行法を全然いじらないでいいということになるかどうか、これは問題でありますが、大体改正案に対しては反対の立場に立つておるわけであります。しかも労働法規というようなものをそう動かすということに私は元來あまり賛成でないのであります。一定の軌道の上に乗つて走つて來ているものをあちこちと方向を変換させますと、組合運動を萎縮させてしまうのではないかということを一番おそれるのであります。そういう意味から言つて、今度の改正に対しては大体反対の態度をとつておるわけです。
○篠田委員 ただいまの吾妻公述人の公述の中に、一番最初に組合の自主性の確立ということは、資本家もしくは経営者側からの圧迫もしくは干渉を排除すれば足りるのであつて、もし組合法の改正をするとするならば、そうしてその組合の自主性というものを確立するならば、その点だけを規定すれば、それで組合の自主性は確立されるというような確信を述べられたように思うのであります。これは速記を見なければわかりませんけども、そういうふうに聞いたのでありますが、私の見解をもつてすれば、組合の自主性ということは、もちろん外部からの圧力とか干渉、そういうものを排除しなければならないと同時に、内部における自主性の確立というものがあると思うのであります。外部から組合の自主性を妨害するものといいますか、そういうものがあるとするならば、もちろん現在の段階においては資本家や経営者の干渉圧迫というものもあるでありましよう、あるいは政党——政党と申しましても特殊の政党の指導もあるでありましよう。あるいは政府の命令その他干渉というようなものもあるでありましよう。そういう場合に外部からの干渉にも、われわれの考えるところではただいま列挙したようなものがあると思うのでありますが、そういう場合に経営者並びに資本家からの圧迫、あるいは干渉を排除するだけで、はたして組合の自主性が確立せられるものであるかどうか、またそういう外部の経営者あるいは資本家の圧迫が取除かれさえすれば内部における組合の自主性は自然発生的に行われるものであるかどうかという点は、ただいまの吾妻公述人の公述はあまりに抽象的であると考えるのでありまして、その点もう少し具体的に御説明願いたいと存ずる次第であります。
○吾妻公述人 私としては法律として干渉する問題としては、要するに資本家側からの干渉を排除すれば、それで十分である。もちろん組合の実際の活動とか、あるいは組合の経驗といつたようなもので、組合運動が今まで示して來たように、いろいろな弱味はあつたのであります。そういう点が排除されるようにマツチすべきじやないか。一番組合として当面の問題は、やはり使用者側の干渉を取除くというような、少なくとも法律として干渉すべきやり方を取除く、それ以外の問題は少くとも組合法で考える必要はなかろう、こういう意味であります。
○小川委員 労調法の改正案第二十六條についてでありますが、公述人の御意見はこの二十六條に反対の御意見であつたように承つております。しかし私の見解をもつてしますれば、この第二十六條はこの労調法の目的であり精神であるところの第一條に符合するものという解釈を私は持つておるのです。なぜなれば労調法の精神なり目的は労働争議を予防し、または解決し、そうして産業の平和を維持し、経済の興隆に寄與することになつておるのであります。そうした解釈、そうした見地から行きますと、私は二十六條は妥当であるように思うのであります。しかしながらあなたの御見解はこれに反対のようでありますが、あなたの御見解を強く主張するといたしますれば、労働関係調整法の第一條を改正するか、もしくはその精神に合わないということになつて來るのであります。あなたの御意見は一條に矛盾しはしないかと思うのです。もちろんあなたは労働者の爭議権を押えておるという御解釈ですが、これは一應解釈はとられるのですが、しかしこれはあくまでも爭議を禁止しておるものではないのでありまして、要するに見解とかあるいは解釈がきまつてのち、すなわち前項の期間が経過したのちには爭議行爲に移ることができるのですから、あなたの御解釈のように、これは禁止しておるものではないのであつて、私は不当な圧迫ではないと思うのですが、この点について、もう一度御見解を表明していただきたいと思います。
○吾妻公述人 つまりこれは公務員ということになりますと、その仕事の性質上、そういうことはいけないという考え方が出て、ことに公益事業の爭議行爲については何もその地位といいますか、身分といいますか、そういうものから爭議をどうしても制限しなければならぬということは必要ない。むしろそれの與える社会的影響力、これが重大なのである。そういうことになるので、何も形式的にいつでも三十日やつて來いということはおかしいので、やはり公共全体に非常な惡影響を及ぼすというような事態が発生した場合に、強制調停といいますか、——これは私の考えなのですが、ここで調停をやつて、その期間爭議がストップされるというような方法が別に考えらるべきであらう。つまり最初からむりに爭議権をとめておきますと、かえつていろいろな弊害が起つて、今三十七條あたりについて問題が出ておるわけであります。そういうことよりは自主的に問題を考えた方がいいのではないか。爭議権も何も公共の福祉との関係で野放しにするという意味ではないのであります。
○石野委員 公述人の結論としましては、この改正案に反対というように承つたのでありますが、いろいろと公述されました内容をお聞きいたしまして、労働法は保護法でなければならぬ。そうしてまた今度の改正の趣旨が、組合の民主化あるいは自主性というものを強くこの改正案の中に盛らなければならぬというような趣旨であつたにもかかわらず、全般を通じて公述人の意見としての見解は、この法案はむしろそうした自主性あるいは民主性に対する取締り的な見解が強く出しておるものだというような意味で反対されておるようにお聞きしてよろしいのでございますか。
○吾妻公述人 何と言いますか、端的に言いますとこの法律は組合運動に対する親心みたようなものが一應感じとして出ておると思うのでありますが、その親心がかえつて組合の自主性と民主性をそこないはしないだろうか、こういう氣持があります。非常にこれは常識的な言葉ですが……。
○大橋委員 ただいまの御発言の中で特に重大だと存じました点は、労調法の改正について、かくのごとき改正は憲法の爭議権の規定の趣旨に違反しはしないかというお言葉があつたかと存ずるのでございます。ただいま公述人のお話を承つておりますと、必要に應じてはすでに発生した爭議をもストップするというような方法も考えてよろしい。こう仰せられておりながら、この冷却の期間の規定であるとか、あるいはまた六十日の期間の繰返し、かくのごときことが憲法に違反する。この二つのお考えは、爭議の中止命令を出すという重大なことの方がかえつて憲法に違反して、かような單純なことの方が違反しないというのが当然のりくつのように思われるのですが、この点もう一つ明確にお答え願いたいと思います。
○吾妻公述人 つまり私が申しますのは、爭議期間を三十日とか六十日とかいう形式的の基準で、社会公共の福祉ということの連関とは無関係に制限するということはおかしいのではないか。むしろ自主的に、たとえば罷業が起きて、それが社会公共に非常に大きな影響があるというときに初めてその爭議行爲をストツプさせるという方が合理的ではないかと思うのです。
○大橋委員 そういたしますと、公述人の御見解によりますと、この労調法の改正案はきわめて形式的な基準によつて制限しておる。そして政府側の労働関係調整法案の説明によりますと、かくのごとき場合においては多く公共の福祉に重大な関係かあるものとして制限をいたしておるのでございまするから、この点は政府側の見解とただいまの公述人の見解とは、その前提となつている見解自体が相違している、それが原因となつているように思うのでございます。おそらく公述人といたされましても、あなたはそう思われないかもしれませんが、かりに公益事業の爭議が一般に公共の福祉に重大なる関係がある、また公共の福祉におもしろくない影響を及ぼすものであるという前提を容認せられるといたしましたならば、先ほどの憲法に違反する疑いがあるというような御発言は、あるいはなかつたのではないかと推察をするのでございますが、この最後の点につきましてイエスかノーだけおつしやつていただくと仕合せであります。
○吾妻公述人 繰返すことになりますが、六十日ということを言つておりますね。しかし六十日たつたら、別に爭議行爲を続いてやる場合でなくて、ぽつぽつやる場合もある。六十日たつと全然できなくなるという、そういう形式的な標準で爭議権を制限するのはいけないというのが私の意見であります。
○大橋委員 結局そうすると、公述人のお話ではその理由がよくおわかりにならないというわけですか。
○吾妻公述人 あなたの言われることがわからぬという意味です。
○大橋委員 この法案の立法理由がよくわかつておられないという意味ではありませんか。
○吾妻公述人 大体以上でおわかり願えたことと思います。
○倉石委員長 末弘嚴太郎君。
○末弘公述人 私は実は当面の問題になつている法律を三年間運用することの当面の責任者でありまして、それからまた今度の改正のいきさつも、おそらく政府の直接御関係になつた人を除くと実は一番よく知つておるのであります。そこできわめて実際的なことだけを申し上げようと思います。二つにわけまして、一つは、もしも國会がこの法律案をもう一度政府にもどして十分練り直した方がよいというお考え、あるいは勇気を持たれるならば、そうなすつた方がよくはないかということであります。と申しますのは、私ども三年間あの法律を運用して参りまして、確かにいけないと思う幾多の点も知つておりますが、同時に法律の改正というものは、やはり法律を施行しましてからあと、その結果がどうであるかということを事実について十分に調査しなければいけない。その調査と申しますのも、ただ役所が一方的にいろいろな事実を集める、司令部おも含めてのお役所が一方的に資料を集めるというようなことでできた事実というものは、かなり一方的な間違いがございます。それでこれがイギリスの場合でありましたならば、おそらく必ず國会がロイヤル・コミツシヨンというようなものを任命しまして、それには議員の方もなれる、あるいはほかの者も入れますが、これには法律上、証人を呼び出して尋問する権限を持つこと、あたかも國会のいろいろな委員会がやつておるような権限をもつて、関係者を呼んで公開の席上で調査をする。そうしますと初めて爭われておる事実が、どこが眞実であるかということがわかるのであります。ところがこの三年間、司令部はずいぶん御熱心に日本の労働組合運動の動き、あるいは労働委員会の動きというものを観察され、心配されておるのでありまして、その点は私よくわかるのでありますが、それにもかかわらず、やはり御観察が一方的でありまして、そのためにそこから出て來る考え方が必ずしも適切でないと思うことが実は多いのであります。それでたくさん例がございますが、一つは労働委員会のことであります。中労委及び全國の地労委を通じて、あの委員会の動きというものに対しては世間でもいろいろ御批評もございますが、司令部でも非常に関心を持つて、いろいろ御指導されておるのであります。それで御承知のように、一つは仕事が遅いという批評を受けております。これはあまり世間に聞えておりませんが、仕事が遅い、もつとてきぱきやれというようなことを言われております。それからもう一つは不公平だということをときどき言われます。それで不公平だということについての最も大きい理由として、どうも労働側の委員が強過ぎるというか、むりを言うて結局委員会がその方に傾く、こういうのであります。これでおそらくそのためでありましよう、昨年あたりから地方軍政部の御指導によつて、地方の労働委員会の委員の委属について、いわゆる職権委属問題なるものを起しまして、そのためにある委員会のごときは長いことできない。できてもまるで麻痺状態に陥つたような事件がかなり方方にあるわけであります。それではこれはどうしてそういうことになるかと申しますると、確かに委員の中に不適任な人は私どもの知つておる限りでもあります。しかしそれは政党あるいは労働組合の関係からいうと、いずれのものに属しておるのにも不適当なものは不適当であります。非常に熱心だが、はげしくて困るし、それから委員会に来ればおとなしいが、なまけていて、もつとやつたらよいと思うような人もおりますが、実を言うと問題は中立委員に人を得ることが困難であります。中立委員さえしつかりしておれば、私の考えでは労働側の委員が強いほどよい。強いほどよいというのは、労働者の立場をあくまで委員会で主張する。そうでないと、いざまとめるということになると、うしろを向いて労働組合をなだめることができないのであります。それで労働側の委員を何んでもかんでもおとなしい者にしてしまつたら、労働委員会はうまく行くかというと、あにはからんや実際うしろを向いたときに力がありませんからだめなんであります。それで昨年から今年にかけての各地労委の人選を見ておりまして、その点に非常な欠陥があると思います。たとえば東京のような、あれだけ大きな組合で、いろいろなものがそろつているところに、今度の東京都の労働側の委員のような人選をいたしまして、たとえば産別はいかぬ、産別の中でも共産党はいかぬというようなことで選んで参ります。その結果産別の中からいわゆる民同という、しかもそれも産別の東京の中心からいえば、むしろ地方にはずれているという方面、あるいはその他中立組合といつて終戰後ようやく初めて動き出した、しかも小さい組合あたりでどうやらやつたというような人が並んでいるようでありまする。こういう人は、なるほど委員会でおとなしく、しかるべくやるかもしれない。だけれどもこれでは組合はそういう人の言うことではおさまらない組合がたくさんあることは事実であります。これは仕方がない。そういう事実があります以上は、やはり労働委員会の中に、東京の全体の労働組合の傾向を如実に反映したような労働委員をつくつて置かないと、これはおきまりがつかないのであります。この点での私の結論は、要するに使用者側、労働者側の委員はあくまでもそれぞれの立場を十分主張するような強い、しつかりした人が出てほしいが、大事なことは中立委員にその人を得る、三年間の私の経驗で、地労委にしてあるいは労働側にはなはだしく押され過ぎて不公平になつたというようは非難があつたり、いろいろ非難があります。その原因のほとんどすべては中立委員にその人を得ていないということであります。その原因はどこにあるかと申しますと全部の都道府縣に、こういう大問題を責任を持つてやられるだけの五人の中立委員の優秀なものを得ることは、実はできない相談であります。それでどうしても中立委員にもつといい人を得ようと思うならば、一つは中立委員の待遇をよくしなければ問題にならない。もう一つはアメリカのワグナー法あたりでやつているように、現在ある職についている人間を、委員会に専念させようと思うならば、法律でその人は三年間なら三年間という任期でやらせて、終つたら元の職にもどれるということを法律できちんときめれば、優秀なものが出て來て熱心にやると思います。私は司令部から、お前は中労委だの、都労委だの般員労働委員会だの、そんなにお前が一人で三つかのことをいろいろやつているから仕事が進行しないのだということ言われますけれども、私のように幸いにどうやら三つをほとんど專念的に務めることができるようなひまな人間はいないのであります。私は偶然遊んでおつたからでたのでありまして、中立委員を得ることに何か特別なごくふうを願わないといけない。 話をもどしまして、実は先ほど一度國会として、イギリスのロイヤル・コミツシヨンのようなもので至急にお調べになつたらいいということを申しましたが、これはよく誤解がありますのは、先ほどもどなたかの御発言に、労務法制審議会のようなものをつくつて、民主的に、みんなが納得するようなことを言われましたが、私のロイヤル・コミツシヨンと申しますのは、事実を調べるのであります。すなわち意見を闘わすのは國会へおまかせすればよい。意見は國会で十分におやりになればいいので、意見でなくして意見のもとになる事実がはつきりしない。そうして非常に誤つた事実の上にいろいろのことを考えたり議論することがそもそも間違いである。事実を十分に檢討しさえすれば、おのずから結論は出て來るのではないか、たとえば先ほど吾妻さんから話され、御質問になつた労調法の三十七條、あれをどうにかしたらということは、これは事実を調べるとおのずからわかると私は思つております。もうあの三十七條には私も閉口いたしております。それで今度の法案でもちつともその閉口はとれないのであります。どうか事実をひとつ十分にお調べを願つて、そうしてその上で対策を立てるという段取りに進めるようにしていただきたということであります。 それからもう一つ申し上げますことは、今のようなことではいかぬと司令部ではおつしやる、ぜひこの際改正しろということをどうしてもおつしやるのであります。といたしますと、いろいろな方がいろいろここでおつしやつたようなこまかいことを申しましても、なかなか司令部ではお聞き入れにならないかと思つております。今度は特別にずいぶんよく勉強されて、非常に強い意見を持つておられる。それで私も実はあの法案に言いたいことはたくさんありますけれども、ごく実際的にと初め申し上げました立場で、これだけはどうか何とか直していただきたい、それからこれだけは國会で直したらいいじやないかと言えば、あちらさんでも聞いてくれると思う点だけを申し上げます。というのは、日本の交渉される政府の官吏の方の力がある意味から言つたら足りないといいますか、十分先方を納得させていないと思う点があるのであります。それで偶然のことで変なことになる。それで小さい点だけ、これなら必ず直るし、それから直していただかなければ困るという問題だけ申し上げます。 簡單なことから申しますと、労働委員会の委員を地方は全部五人ずつ、つまり十五人ということです。それで現在では施行令で臨時委員を置いてふやすことができることになつておりますので、これを活用して東京都では七人、つまり二人臨時委員を入れた形で、常時臨時委員で二十一人であります。これを今度は全部五人ということで、そうして臨時委員を置く規定も何もありませんのですが、そうしますと東京都の労働委員会はもうほとんど動かないだろうと思います。たとえば今度のあの組合法案の附則にありますように、この法律を施行してからたしか三十日でありますが、その間にすでに法人になつておる労働組合はみんな資格審査を一度労働委員会にしてもらわなければいけないというのですが、そういうことはとても実はできないのであります。まず第一に、現行法でも資格審査ということを、東京都では特別の場合しかしないのであります。なぜかと申しますと、東京には三千五百の労働組合がございます。それでこれの資格審査なんということは実際上できません。何か実際必要があるとやるのであります。それでこの法律を施行してから三十日くらいの間に今法人になつているのはどのぐらいありますか、そうたくさんはないかもしれませんが、それだけでもとてもできないと思います。それで、東京都の労働委員会というものは、絶えず四十件ぐらい事件を持つております。つまり解決するあとからあとから事件が入つて來るわけであります。これにはよほど優秀な中立委員が相当数あつて、手わけをしてやれるだけの仕組をしなければだめであります。それから事務局にしても、よほど優秀な者を置かなければいけない。よほど特別に考えなければいけない。この事情は程度の差はありますが、大阪及び福岡についてはあると思います。それでぜひ定員を必要があれば何らかのことでふやせるという規定を置いていただきたい。司令部ではそれに対してはこうおつしやるのです。それは調停の必要があつたらば、委員でない者を調停委員に頼んだからいいじやないか、それからあつせん員を頼んであつせんしたらいいじやないか、こう言われるのでありますが、私ども三年間の経驗では、労働委員になつている人に頼むのがせいぜいで局外の人を頼んでも適任者がいないのみならずやつてくれません。いやな仕事なんです。あのくらい両方からにくまれるいやな仕事はないのでした、あんないやな仕事を臨時に頼まれて、しかも報酬が実に出せないような仕組になつております。報酬を十分に上げないで、あんないやな仕事を臨時に頼んで片づけると思うような点は、非常な認識不足なんであります。それでその点はぜひ実際問題としてお考えを願いたい。ですからこの法案をどうしても通して行くんだという態度をおとりになるならば、これはぜひやつていただきたい。これは國会でおつしやれば通ります。私はそう思つております。実は東京が五人になりましたのは、いろいろないきさつがありまして、そのいきさつの当面のことを存じております。これはなると私は思つております。 それからその次に大きい問題は、不当労働行爲の七條と二十七條でありますが、これについては二つだけ申し上げておきます。七條の第三号を一号、二号と同じ扱いにすることは間違いじやないだろうか、つまり一号、二号ならば、労働組合の側から、あるいは被害者たる労働者から提訴して来るというような問題で、從つて二十七條流の片づけ方で片づけるのも一つの考えだと思う。ところが第三号は、よくお読みくださるとわかりますように、こういうことを使用者がしたからと申しましても、被害者というものはないのであります。つまりあるとすれば、第二組合があるような場合、たとえば在來第一組合がある、ところが使用者がこの第三号のような、金を出したりなどして、第二組合をつくるというようなことをやります。そうすると第一組合からこういうことを訴えて來るということが想像されるのであります。それでその場合に、すべて二十七條のようなことでやるかと申しますと、二十七條のような形のことをやる、二十七條は一号、二号の場合だけを予想して大体できています、あれを実は三号の場合に当てはめてやりますと、あの手続ではうまく行かないだろうと思います。それで私は現行法のあの十一條及び労調法の四十條が刑罰をもつてことに臨んでおるのを、今度は民事的な方法で行こうというのは、この点は私は賛成であります。しかしこの第三号だけはむしろこういう組合の者を買收して、御用組合化させるような行為、これはむしろ罰したらよいじやないか。一号、二号はそうでなく、二十七條にあるような方法で、第三号は罰したらよいのだという考えを持つておりますが、これはよく御研究願いますと、一号、二号、三号はどうも言葉が大分違うように思う。これは三号はこういうことなんです。現行法の二條の第二号であります。あの主たる経費を云々ということ、あれを一方では今度の二條の第二号に加える形になつていて、その裏の、今度はそういうことをする、使用者を押えなければいけないというのが、第七條の第三号になつて出て來ておる。これを押えるのならば罰がいるのじやないかというふうに考えております。 それから二十七條の第五項に関係するのですが、実際上困ると思うことだけ申し上げます。つまりこの裁判所と労働委員会の関係というものが、現行法で非常にうまく行つていない。そしてそのうまく行つていないことが今度の法律でも取除かれない。と申しますのは、現行法で労働委員会に労働側から十一條違反だと言つて訴えて参ります。そうすると労働委員会ではもつぱら違反であるから檢事局へ送るべきものかどうかということの立場で調べて行く。ところがその間解雇された労働者は、首を切られつぱなしでは飯が食えませんから、このごろは必ず裁判所の方へ解雇無効確認の訴えを起して、そして仮処分の申請をして、その間給料をもらうことを考えるわけです。そうすると裁判所が、一方この労働委員会にかかつているものですから、労働委員会の様子を見る。労働委員会と無関係にあまりすぱすぱやるとあとで困るだろうと思うものだから、労働委員会のやつておることを暗に見ている。しかし何とかしなければそのために遅れます。しかしまたいろいろなことを出される、ところがその出されることが今度は労働委員会で事を扱つているのにいろいろ惡い影響を與えます。それで何とかして労働委員会一本でずつとやつて行く。むろん労働委員会は裁判所ではありませんから、憲法上、法律上の強制力を持たせることはいけませんから、しまいは裁判所のせわになるということになるのでありましようが、そこまでの間、何とか裁判所と労働委員会が二つにわかれるというような形にならないことをしなければならない。それではどうしたら今度のこの案で行けるかと申しますと、地方労働委員会が調べまして、ほぼこれは不当労働行爲であるということの確信を得、そしてかつこの際一應この解雇された者をあとへもどしておいてやらないと、飯が食えないでかわいそうだと思うことが顕著であるような何らかの事実があつたならば、地方労働委員会がもうすぐ裁判所と連絡して、地方労働委員会が裁判所に仮処分の申請をする。これは今の民事訴訟法から言うと、全然筋違いで変なことであります。民事訴訟法では訴訟の当者が仮処分を申請するのであります。それを労働委員会が裁判所に仮処分の申請をして、裁判所が調べて、なるほどと思つたら仮処分をやる。これによつて裁判所と労働委員会が二つ二本建てで、変なことをやるということになることを防ぐ。それから今の制度では組合員にとつても使用者にとつても、非常に気の毒です。仮処分の申請をする場合には、本訴訟を起さなければいかぬのですから、本訴訟を起すために弁護士を頼み、金がいる。その上仮処分の申請をする。また金がいる。またそれを解くために使用者の方でもまた金を注ぐというようなことをやる。これを一本にしてすらつとなくするには、労働委員会が裁判所に仮処分の申請をする。この法案では、後にいよいよ問題がうるさくなつて、労働委員会で決定ができてから三十日たつて裁判所に事件が行つてから、裁判所が仮処分的なことをやれるようなことは二十七條の終りの方にございます。そうでなく、初め地労委の方で仮処分を申請する。これは実は司令部でこの意見がなかなか御採用にならなかつたもとはどこにあるか、人様のことですからわかりませんが、どうも日本の法務廳のお役人が十分司令部を納得させる努力をしておらないと思うのです。と申しますのは、今の民事訴訟法の建前というものが一本でありますから、労働委員会が仮処分を申請するという変てこな、今までの法体系をみだるようなことは、役人が嫌いです。ですから労働委員会が仮処分の申請をするなんという変なこと、これはアメリカ人はやつておることなんです。アメリカの法律ではそんなふうになつておる。そういうことをやることを嫌いなんです。それでここの二十七條は二日間にわたつて法務廳のお役人と司令部の労働課の方が熱心にいろいろやつてこしらえられた部分なんですが、あとから拜見して、依然として今の仮処分ということと、労働委員会の動きが二本建てになつておるという欠陥が残つておる。これは事の進行を妨げるのみならず、労働委員会の信用にも関します。それから裁判所の信用にも関します。つまり両方の違う意見が出るということは、何となく信頼感を失わせることになる。これは労働委員会はいち早く裁判所に連絡をする。裁判所も納得するようだつたら仮処分を出すということにしたら、ぴたりと片づくのであります。 時間がございませんので、あと一つだけ申し上げます。それは第一條の第二項であります。これはこの間の労働省の議案、あのときの公聽会その他で非常に議論のありました点でありますが、この点は司令部でも、何とかいい案があればそれに從うかと言われたくない熱心に、いい案がないだろうかということを言つておられた点であります。つまりこれは、使用者から申しましても労働組合から申しましても、一條二項が現行法のままでいけないことは公聽会でもみな申しております。そこでとうとう今度の第二項の終りに、暴力行爲だけはよろしくないという規定だけがずつと残つた。実はまだいろいろな議論があつたのですが、これだけ残つた。それで私ども爭議に際して、労働組合が暴力行爲を振うことは非常によくないと思います。だからこれは押える必要があると思いますが、これなども、全國について暴力行爲があつたという場合を公正に調べて行くと、私どもの中労委には、しばしばこういうことについて組合側からいろいろなことを申して來る書類がたくさん入るのであります。そしてときにはわざわざ人を出して、職務外のようなことでありますが、調べておることがございます。それによりますと、確かに暴力行爲はあつたが、さてそれでは組合がただ勝手に暴力行爲をやつたかというと、暴力行爲をやつたことについては雇い主側が相当挑発をしておるということがございます。それから雇い主側が暴力團を雇つて来て、両方お互いにやつておるというような事件も出ておるのであります。つまりごく卑近な例を申しますと、けんかをしておるような状態になるのです。あるいはもつと公正な言葉で言えば戰爭です。両方の戰闘、つまり國際法の戰闘行爲がどこまで適法であるかということと同じようなものです。そして國際法に例のレプライザルというのがあるのと同様に、片方ばかりひどいことをやると、片方もひどいことをする。それでどういたしましても、この第二項の今度つくりましたこの規定だけでは、雇い主側に実は挑発的な、あるいはむしろ責任があると思うような事情がある場合に、一方的に暴力行爲が行われるのは不都合だ。つまり暴力行爲を発生させる原因をなくすることなしに暴力行爲を罰してもだめである。暴力行爲は自分だけが一方的にやるのもありますが、ある原因によつて出る場合がある。そのときにはその原因を押えなければならぬのですから、今度の第二項に掲げました部分をもう少し練り直す必要があるのだということが考えられます。ことに最近非常にこの点で心配になりますのは、今の刑法の二百三十四條、いわゆる業務妨害罪というところに二つの規定がございます。第二番目の規定は「威力ヲ用ヒ人ノ業務ヲ妨害シタル者」云々というのであります。それで爭議行爲というものは、必ず業務妨害になる。結果において業務妨害にならないような爭議行爲をやつても目的を達しませんから、業務妨害には事実上必ずなる。そうすると問題は、威力だけであります。威力という言葉は刑法上にほかに使われておるかというと、私が知つている限りでは、暴力行爲等取締り以外にはないと思います。これは暴行脅迫よりも廣い意味であります。つまり暴行、脅迫でもなく、もつと廣い意味の威力であります。そうして労働組合のすることは、程度の差こそあれ、威力的ならざるものはありません。一人來るよりも、十人來れば威力を感じます。それも脅迫、暴行はしないが威力を感ずる。主観的に雇い主側から見れば、すべて威力に感ずる。そこで裁判所の考え方いかんによつては、威力という言葉は廣く見られ、業務妨害罪というもので爭議行爲というものが刑罰的に押えられることが多いことになりますと、これはかつての大正、昭和の初めと同じようなことになります。ことにいけませんことは、裁判所で罰せられるのが問題ではなくて、そういうことで罰せられるということがありますと、警察が爭議行爲に出て來ることであります。つまり嫌疑があるといつて出て來て、押えて行けば、それで爭議の押えになる。たとえば選挙干渉というのは、罰しなくても投票日の二、三日前に事務所に手入れをすれば、選挙干渉になる。それで済んだ翌る日にはのがしてやる。つまり第一條第二項をああいうあいまいの形に置き、ことに刑法の業務妨害罪のような規定をそのままにして置いてやつて参りますと、おそらく警察が爭議に干渉する端が——もとから開かれる道はあつたのですが、過去三年はあまりありませんでしたが、このごろの様子ですと、やるおそれが非常にあると思います。これは私ども、実際に見ておりまして、非常にいけないことが起るんじやないかというふうに思つております。 こまかいことで申したいことはたくさんございますが、今申しました労働委員会の人数の問題及び不当労働行爲の取扱い方の問題、及び最後に申しました一條第二項、これはもしもこの法案をこのままお通しになるのでありますれば、ぜひ何とか具体的にこの点について、よい御案をお考え出し願いたい。そうすれば司令部も納得していただけると思う点であります。これはもうあまり根本の主義主張の問題ではございませんで、ほんとうに実際的の問題でありますから、どうぞひとつ親切に考えていただきたいと思います。以上で終ります。
○倉石委員長 どうもありがとうございました。委員の方でただいまの公述に対して御質疑はありませんか。
○佐藤(親)委員 私は末弘先生が中労委の会長としてなされておりますことに対して、過去三年間、私も栃木縣の地労委の委員長として御指導を受けましたので、いささか先生と同じ感をいたすものがあるのであります。そこで先生の過去の御経驗で、かような感想はなかつたかということをお聞きしたいと思います。公選知事になりましてから、知事はいずれか一方の政党に属しておりますので、ちつぽけな会社の使用者側の代表者が知事の選挙に骨を折つたり、知事と同じような政党にくみしておるがために、ややもすれば、市会議員とか何とかいう一つの肩書きがあるために鼻柱が強く、その鼻柱の強いものを委員に任命しておけば、労働者側の委員とかみ合せるのに都合がいい。まるでシヤモのけんかをさせるのによいあんばいだというので、さような指定をした。それで過去三年間にわたつての先生の御経驗として、どうも使用側の委員の中には労組法の條文あるいは労調法の條文をそつくり知らないで、その場になつてすぐ騒ぎ出すような例が全國の地労委の中にはありませんでしたかということをお伺いしたいと思います。
○末弘公述人 そういう例はよく私も耳にいたしますが、私実際に関係しましたところでは、東京都はさすがおひざ元で大きいですから、そういうような実例はなかつたようです。ことに政党の関係からそういう実例があるということは、東京都においては感じておりません。但しやはり非常に公選ということのもとに、いろいろの下の部局の長、その他にやはり政党の力というものが及んでおりますために、私が見ておりまして、おもしろくないと思うことを感ずることはときどきあります。
○佐藤(親)委員 それにつけ加えて、法務廳における先ほどの御意見がありましたが、これは提訴になつて参りましても、使用者側の代表、言いかえますと、政府が提訴されて参りましても、労働委員が何回も呼出しをしても出て來ない。それでまことに労働者側の委員も、使用者側の委員も激昂してしまつた。それで結局労働組合法の趣旨もわからないのでは、まつたく労働者の提訴するのは妥当ではないかというので、委員長は告発したのであります。ところが檢察廳は、その使用者が東京におるので、東京まで檢察官みずから出張して聽取書を書いて來たのですが、結局ものにしませんで、自然の間に地労委の権威は侮辱された例があるという、私の方の栃木縣の労働委員から中労委に報告になりましたような事案もあつたと思うのであります。それは要するに、檢察廳の檢察官があまりにも労働法に対する関心が薄いというお感じがありませんでしたか、伺うのであります。
○末弘公述人 その点は部分的に存じておりますし、聞いております。しかし私ども中労委及び都労委の経驗では、呼び出して來ないのは、労働委員会にも一半の責任のある場合があると思つております。と申しますのは、東京都で三年間あれだけたくさんの事件を扱いまして、なかなか参らないで困りましたのは、台湾省民である中國人の新聞社の十一條違反の事件ただ一つであります。あとはやはりおいでを——究極において二十九條で罰せられるのですけれども、罰するなどというのは間違いなので、こちらからやはり礼を盡し、そうして理を説いておいでを願えば、必ず参ります。私はこれは罰の問題じやないと思う。地労委でよく問題になりますと、どこでも申し上げるのですが、理を説きますれば、現に今の東京都では、一人はアメリカ人の十一條違反、それから一人は朝鮮人の十一條違反、いずれも司令部と十分連絡をとつて扱いました。そしてやはりいずれも出て來て、労働委員会の権威を傷つけないでやつていただけたので、これは何かの間違いがあるのじやないかと思います。
○倉石委員長 末弘先生は帰りを非常に急いでおられますから、簡明に願います。
○土橋委員 ただいま末弘先生の公述でわかつたのでありますが、暴力行爲を労働組合側がやるのに対し、挑発的な行爲が多々あつたという経驗を持つておるという御公述でありますが、そういう顯著な例を聞かしてもらいたいと存じます。 第二番目は、暴力行爲の行使ということは、現行の刑法の規定には私は一箇條もないと思うのでありますが、こういう規定を設けることは——先生の先ほどの御公述によりますと、威力を伴わない團体交渉というものは非常に困つたものであるという点を一應お述べになつたようでありまするが、暴力行爲についてここに法案が出て治りますが、そういうふうに一体考えておられるのか。先生の見解で、暴力行爲というものが実はわかつたようでわからないのでありますが、この点を聞きたいと思います。
○末弘公述人 今のお尋ねの第一の点は、やはり私はこういう事実があつたと申してはいけないので、これはぜひ先ほど言つたように委員会をつくつてやはり両方の関係者を呼び出して、現実がどうだということをお調べになつて確むべき事柄だというふうに思いますので、申さないことにいたします。 それから第二の点は、今度の法律の暴力行爲というのは、英語でアクト・ヴアイオレンスと書いて出て來ておるのでありますが、それが今の刑法のどこに当るのかはよくわかりません。ですから非常にあれは範囲が廣い。つまり刑法の暴行というのと、暴力行爲というのは違うのです。私に言わせると、暴力行爲でなくとも、たとえば労働組合がある重役の家庭までも脅かすようなこと、それも暴力は使わないが、やたらに近所に張紙を張つて、子供がはずかしくて学校に行けない。ああいうようなたいへん卑怯なことをやることは、労働組合として不都合千万だと思つておる。あれは押えるべきだと思います。日本の労働組合は何をするかを実際にもつと端的に調べますと、一條二項があるにかかわらず、押えていいと思うことがたくさんあります。ことに家庭を脅かしたり、あるいは重役の名誉を不当に侵すようなことを爭議行爲として行うのは、卑怯千万である。爭議行爲は一種の戰爭ですから、俗語で申しますと、卑怯ということは一番いけないのです。暴力行爲というのは、案外やむを得ないと思う場合が実は私に言わせるとあるのであります。
○福永委員 今の点なのですが、末弘さんのお話はちよつと伺つても非常に明快なもので、胸のすくような点が多いのですが、今の点いささか末弘さんお話としては、奥歯に物がはさまつたような氣がして、先生の今のお話はどうも問題を提供されたままのような感じがする。いかにすればいいのかという、もう少し先生のお考えになつておることを、さしつかえないのですから、率直に承つておいた方がいいと思います。
○末弘公述人 それは法律上のこまかいりくつになりますから、もしもお許しがあれば、紙に書いて意見を出してもいいと思います。
○石田(一)委員 ちよつとお尋ねしますが、先生のまず最初におつしやいましたこの改正案を政府に返還して、新たに十分練り直すという勇氣があるならば、その方をおやりになつた方がいい。この前提のもとにあとの公述がなされたのでありますが、あとの方の、要するにもし本案を通すとすれば、第一條の第二項の暴力行爲の問題とか、あるいはまたその他二、三点をおあげになつた、それらのものをぜひ修正をしてもらいたいという御意見ですが、先生のほんとうのお考えは、一番最初の本案を全然修正も何もしないで葬つてしまつて、政府に返還して、練り直すというお考えの方が主である、こういうふうに解釈していいのでありますか。
○末弘公述人 その通りであります。ただ無條件で返還なさらないで、やはりほんとうに事実を調べるならば、そういう委員会を設けることを決議して、そうしてその仕組みまでこしらえてやる。ただ、けるという形でなく、つまり建設的な返還をされたらいいのじやないかと思います。
○倉石委員長 それでは午後一時三十分まで休憩いたします。 午後零時四十九分休憩 ————◇————— 午後二時開議
○倉石委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。前田一君。
○前田公述人 私は日本経営者團体連盟の専務理事をいたしております前田一でございます。 私どもの考えております基本的な考え方は、労働組合の正常なる発達は必ずしも法の力のみをもつてよくなし得るものではないということを考えております。労資おのおのよく立場を覚し、その啓蒙、教育、こういう方面から労資の関係の正常なる発展を望んでおるものであります。もし労働組合がほんとうの経済團体として眞にその使命を自覚し、健全な労働組合として活動をされるならば、必ずしも労働組合法の改正という問題に神経をとがらす必要はないと思います。しかしながら今日の実情を見ますると、労働組合員の中にはもちろんほんとうに健全な思想をもつて國家社会の発展を期するというこのわく内において、みずからの階級的立場をもよく自覚し、相互の調整を勘案いたしながら組合運動を推進して行こうというこの種の組合ももちろん多数あります。しかしながらこれに反しまして、ただ階級的な立場だけを固守し、あるいは特殊の目的をもつて、いたずらに社会の混亂を目途とするような、こういう態度に出るところの組合も少くないのであります。過去三年間にわたりまする法施行以來の私どもの経驗に徴しますれば、あとに述べましたような、組合のいわゆる爭議戰術なるものにいかばかり私ども経営者が悩まされ、苦杯をなめさせられ、しかしてその結果が日本経済再建に、いかばかり阻害を來して参つたかということは、幾多の事例に徴して申し得る事実でございます。こういう労働運動のあり方に対しましては、どうしても法の力をもつてその行き方を制限し、またはこれを抑制するという方途に出る以外に道はないのであります。現段階におきまして、労働組合法を改正すべきであるというこの事実は必至であることを確信しております。組合法改正の問題につきましては、昨年の暮からいよいよこれが具体的な問題になりまして以來、いろいろ、試案というようなものについて漏れ承つた筋もございますが、公に開かれました公聽会にかけられました第一次の試案、その以後公聽会の意見を参酌して、さらにこれを練り直して本國会に提案をされました今回の改正案、こういう最初からの組合法改正問題を沿革的に考えてみますると、その間におきましては非常な内容においての変貌がある事実を認めるわけでございます。私どもはかねて経営者團体といたしまして、組合法の改正にはかくあるべきであるというような改正意見を常に持つておつたのでありまするが、この考え方と発表せられました試案との間には幾多の隔たりがございまして、これに対して主張すべき点はこれを主張する努力を続けて参つたのでございまするが、漸次組合法試案なるものが変貌いたしまして、今日私どもの目に触れる國会提案の議案なるものは、私どもといたしましてはどうしてもまだ満足することができないのでございます。この案に対しましては非常なる不満を感じておる次第でございまするが、それでは不満であるから、この法案をやめてしまうべきであるかというような問題になりまするならば、それに対してはノーと答えざるを得ないのであります。先ほど末弘先生からは、イギリスのロイヤル・コミツシヨンのようなものをつくつて、そういうものに付議したらどうかというような提案もありましたが、遺憾ながらまだ先生はこういう過去三年間の事実というものについてほんとうに痛切にお感じになつておられるかどうか。その委員会が事実を調査するというお話もありましたが、調査するまもでなく、すでに今日までに幾多の事実が累積いたしておるのでございまして、こういう点から考えまして、あらためて今日委員会をつくつて事実の調査をするというがごとき迂遠なることは許されない段階に到達いたしておるのでございます。そこで、私どもといたしましては、この法案そのものは必ずしも満足すべき程度のものでないことは明らかであるが、この程度のものであつてもこれはなきにまさる、今日の段階において改正をするということで進むとして、まず第一段としてこの程度の改正でもしないよりはよほどましであるということを結論的に考えておるものであります。労働組合法を改正する場合、いろいろの角度から事実を調査し、立法技術を精査して、完全な改正案をつくるということにつきましては、必ずしも何人も反対するものはないでありましよう。しかしながら今日の段階はそういう悠長なことを許されない非常に差迫つた段階に到達いたしております。何とか組合法の改正によつて、この時局の労資関係の混乱を正常なるものに取返さなくてはならないという段階に到達しておる。この事実を私どもは忘れては相ならぬと思うのであります。なお組合費というものは、一度改正すればもう改正されないか、そういうものではもちろんない。これはその段階ごとに應じて、その段階に最も適当するであろうと思われる程度の改正を、その都度その都度やつて行けばよろしいのである。何十何遍組合法の改正がありましても、毫も意に介することはないのであります。客観情勢が変化いたしましたならば、その情勢に適應する組合法をまた改正していただけばけつこうである。しかし今日の段階こそ少くもこの程度の改正は必至であるということは、くれぐれもひとつ議員諸公においてもお忘れになつていただかないようにということを特に申し上げておきたいのでございます。 改正案につきまして私が第一に感じますことは、改正案の第一條目的の中から、経済の交流に資するという言葉を削除しておる、この点であります。どういうわけでこの字句が削除せられたかということはつまびらかにせられていないようでありますが、私察しまするに、おそらく労働組合法というものは憲法二十八條の権利の保障を具体化する法律である。そこで二十八條所定の権利を保障するだけのものを、組合法目的の中に挿入すれば必要にして十分であつて、直接関係もなさそうな経済の交流という字句を挿入することは適当でないと思う、こういう解釈の結果ではなかろうかと想像いたしまするが、一体憲法の條文というものは、どの條文が重く、どの條文が軽いということはもちろんあり得ないと思うのであります。 〔委員長退席、三浦(寅)委員長代 理着席〕 私どもが憲法に対しまする態度は、常に憲法全体を通じて流れるところのこの憲法の精神をよくくんで当るということであろうと信じます。二十八條だけが非常に強く取上げられて、他の條項がネグレクトされてよろしいという筋合いのものでないことは申すまでもございません。ところで憲法にはこれらの與えられました諸権利をどう利用すべきかということについて、非常に丁寧な明示をしておるのでありまして、御承知の通り、十二條、十三條には、これらの権利が濫用されてならないこと、並びに公共の福祉のために利用せらるべきことをつぶさに規定しております。從つて二十八條に所定せられました権利もまた公共福祉のために利用せらるべきことは理の当然でございます。一体公共の福祉とは何か、申すまでもなくこれは精神的物質的両面から來るところの福祉でございましよう。しかしながらおよそ公共と福祉と福利民福というものは経済の興隆と無関係で得られ得るかどうか。経済の興隆なくしては公共の福祉、福利民福というものはあり得ないと思うのであります。こういう意味におきまして、この二十八條の規定、権利を保障する、労働組合法が公共の福祉の前提となるところの経済の興隆という点について、その字句を使われるということは何ら憲法を一貫する精神に矛盾するものではない。むしろこれを書いておくことこそ、憲法全体を一貫するところの、憲法の精神に合致するものであるということを考えるべきであろうと思うのであります。さらに労働組合というものは、これは法文にも示されておる通りに、政治團体でもなく、共済團体でもございません。純然たる経済活動の中において生成発展すべきところの性格を持つておる團体でございまして、経済の活動とまつたく遊離して、労働組合法というもののみが、法律的にきわめて完備せられておつたといたしましても、それは決して労働組合自身の利益とはならないのであります。組合法はその目的に労働者の地位の向上をはかると言つておりますが、地位とは決して紙の上に書いた地位の向上であつてはならない。ただ紙の上で権利を與えられ、権利を保障せられたと申しましても、これを裏づけるところの國家経済の興隆がなくして、どうしてこの地位の工場が得られましようか、この点を考えまするならば、経済の興隆と労働港の地位の向上とはまつたく不可分のものであり、うらはらのものでございまして、こういう見地からいたしましても組合法が目的の中に経済の與隆を同時にあわせてうたうということは、もつとも理の当然であると考えるのであります。まして昨年十二月十九日にマ元帥から寄せられましたいわゆる経済九原則に関する書簡、これは申すまでもなく日本國民が日本経済再建自立のためにおしなべて耐乏の生活に甘んずべきことを説いておるのでございますが、労働者は労働者であると同時に日本國民であります。日本経済の自立、日本経済の再建のために、これに異議をとなえるはずは断じてあり得ないと思うのであります。この経済九原則を実現いたしますために、経済の興隆をいちずの目的として日本國民が、総力を結集する以外に方法はないのであります。しかもこのことたるやマ書簡のお指図をまつまでもなく敗戰後の日本の現段階におきましては、この九原則に示されておるような内容のことは、日本國民に課されたところの、当然の一つの課題でありまして、マ書簡をまつまでもなく、われわれ日本國民がおしなべてこれを実行いたさなければならぬ事柄であるのでございます。これはあえて資本家といわず、労働者といわず、日本國民としてなすべき一つの義務である。この義務の遂行をしようとする途上におきまして、現在すでに現行法の中にうたわれておりますところの経済の興隆という字句をわざわざ拔き取つて抹消してしまうということは、いかにも労働者諸君に対して、経済興隆とはおよそ無関係であつてもかまわない、労働運動のためには経済の興隆等は全然考えなくてもよろしいぞというようなことを言わないばかりの惡い印象を與える結果になるのであります。労働運動の発達と一國経済の興隆とがかくも深く密接なる関係にあるという観点に立ちまして、現に規定してある事項をわざわざ取つて、惡い印象を與える必要はどこにあるか、私はこの点まつたく理解に苦しむものであります。おそらくこれは法律を知つて経済を知らず、法律だけで國家が立つて行くと考えておるような一つの偏見から來ておる結果ではなかろうかと思うのであります。ことにこの法文の体裁から考えましても、この労働組合法の姉妹法でありまする労働関係調整法におきましては、その目的の中に明らかに経済の興隆という字句を残しておるのであります。職業安定法におきましても、経済の興隆という字句がはつきり残されておる。こういうときに何を苦しんで労働組合法だけから、経済の興隆という字面を削除せなければならないのか、まことに了解に苦しむ次第であります。この点はぜひ経済の興隆という字句をもとにもどしていただかなければならぬと思うのであります。最初に公述せられました山花さんも、第一條の目的のところは現行法通りでわれわれは行きたいという抹消という意味かもしれませんが、現行法通りということを意地惡く解釈しますれば、前段の字句はそのままというふうにも解釈せられまして、経済興隆という字句を存置する点において賛成を得ておるのではないかとも考えられます。これは労資双方の合致した意見であるというふうに御理解いただいてもけつこうである、かように考え出す。 次に同改正案で第二の欠陥と思われます点は、爭議の正当性の限界について明確な規定を欠いておる、この点であります。爭議の正当性の問題につきましては、これは三つの面にわけて考える方がはつきりすると思いますが、第一は爭議そのものが正当性の限界を越えておると思われる。すなわち裏から申しますれば、不当なる争議、第二には一つの爭議のうちに行われますところの爭議行爲が正当の限界を越えておる、いわゆる不当なる爭議行爲、この二つの点にわけて考えるべきだと思うのであります。不当なる爭議と申しますのは、たとえば同情罷業というがごときもの、労資の間の紛爭に直接関係のない他の産業の労働者がこれに同情罷業をする。これは階級的な立場から申しますれば、そういうりくつも立つかもしれませんが、いわれもない爭議であると私どもは考えます。いわんやこの考え方を漸次拡充して参りますれば、結局同情ストの全面的な場合は、これはゼネストという結果に陷らざるを得ないのであります。こういうことを正当な爭議として放任しておくということは、これらはいかにものんびり過ぎておる規定方法であると思うのであります。一九二七年のイギリスの労働組合法には、同一の産業内における同情罷業だけはよろしい、他の産業のものが同情罷業をすることは違法である、こういう規定をいたしております。もつともこの同一産業の場合でも、日本の石炭の場合におけるがごとき、全体を規制するところの中央交渉が労働條件について行われる場合に限つての問題であります。少くもこういう何らかの制限が同情罷業というような面につては設けられなければならない。それ以外のものは放任されてはよろしくないのでありまして、不当な爭議あるいは違法なる爭議としてこれは抑制せられなければならぬと思うのであります。爭議行爲につきましても、これは労働者の不当労働行爲と関連をいたしまするが、先ほど末弘さんも述べられました通りに、まつたく関係のない重役の家族を威力をもつて脅かすとかいうようなことは、たとい爭議戰術といえどもなすべきことではない、あるいは最近はいくらか例が少くなりましたが、組合法施行直後には方々で行われました人民裁判に類するがごとき爭議行爲、こういうものは爭議行爲としても許さるべきではないし、または生産管理、あるいはハンスト、あるいはすわり込みというような、公序良俗を害する、あるいは業務乘取りを策するに似たるがごとき行爲は、爭議行爲といえども、これは違法なるもの、不当なるものとして抑制されているのでなければ、労資関係の正常なる運営を期待することはできないと思うのであります。こういう点につきまして、いま少し明確なる規定がほしいのであります。今回は違法性阻却の條項に対しまして、但書を付せられて、暴力による行爲を阻却より除外いたしておりまするが、これだけでは不足である。暴力による行爲は阻却せられないことは、言うまでもない。少くも平和的にして、かつ秩序ある爭議行為でなければ、違法性阻却の対象とはならぬ、かように規定せられなければならぬと思うのであります。 次にいま一つ申し上げてみたいと思いますることは、この法律の建前と申しますか、基本理念と申しましようか、この考え方が私は氣に食わない。これは言うまでもなく労働者というものは弱いものである。資本家というものは強い。そこで資本家の質的な強さに、対して量的な力をもつて対抗せしむるのでなければ、対等自由なる契約はできない、こういうような考え方から出発をいたしておるようであります。これは現在の労働組合の力というものに対して、非常なる錯覚を起しておられる結果であります。なるほど労働者個々の力は弱いかもしれません。しかしながらこの力が組織せられました労働組合の威力というものは、今日におきましては非常に強いものであります。この労働組合の威力の前に経営者が過去三年間いかばかり苦しんで來たかということは、先ほど申し上げた通りであります。それこそ今日の組合はそれで発達をし、またその十分なる力を備えておるのでありまして、特にこの労働組合を一方的に保護助長をする必要性については、立法当時の状態とは雲泥の相違があることを考えていただかなければならぬと思うのです。今日の段階におきましては、どこまでも労資対等の原則によりまして、この労働組合法がただ單なる労働保護法規でなくて、労資の間の関係を調整するところの労資の関係法という形で現われなければならないと思うのであります。政府当局の提案御説明の中にも、この法律は労資関係を規整するためにという言葉があつたと記憶いたしておりまするが、労資関係を規整するということを言われておりながら、内容を見ますると、何ら労資関係を規整することにはそうひどく触れられない。まつたく羊頭狗肉を掲げる感じをもつておるのであります。たとえば使用者の不当行爲についての規定はありながら、労働者の不当行爲に関する規定を欠いておる。あるいは團体交渉を置いて、一方的な委任の規定を持つておる。あるいは團体交渉をただ一方的に課しておるというような箇所につきまして、労資の対等の原則を破つておるところの片手落ちの規定が多々あるのであります。こういうことは、結局この法の建前が労働者を弱い者として保護するという観点からのみ考えた結果でありまして、労働組合がほんとうに労資の関係を規整し、そうして一國経済の興隆に資するための存在であるという多くの考え方を忘れておる結果であると思うのであります。もつとも今後この法律はこの改正だけで終るものとは考えておりません。政府の基本方針にも示されております通り、これは漸進的に改正すると申されておるのであります。第二次、第三次の改正はもちろんあることと存じまするが、今回の改正はともかくとして、この程度の法案でもなきにまさるのでありますから、急いでこれが國会を通過いたしますように、議員諸公の御協力と御盡力をお願いしたいのでありますが、次の改正のときは、必ずこの労資関係の調整、つまり労資関係法、あるいはイギリスで申しまする職業組合法というような観点から、この法律を見直していただくことをお願いしなければならぬと考えておる次第であります。 なお法案の詳しい内容の諸点につきましては、後刻経営者側から出られます公述人の方から申し述べることと存じますので、私は大体総論的な立場から以上の感想を述べまして、皆様方の御理解を仰ぎたい、かように考えておる次第でございます。私の公述はこれをもつて終らせていただきます。
○春日委員 ただいまの公述を聞いておりますと、末弘さんが言われたように、事実を調べておるひまがないほどどうも忙しいと言われる、非常に差迫つた段階であるということを特に強調されておりますけれども、非常に差迫つた段階ということをもう少しはつきりひとつ御説明願いたいと思います。
○前田公述人 今日の労働爭議の実情を拝見いたしておりますと、純然たる経済爭議としての労働爭議ももちろんありまするが、中には非常に過激な、一体これが爭議なのか、あるいはほかの目的のためにやられておる爭議に名をかつた行動なのであるか、区別のつかないものが多々あるのであります。そういう事件から発生します事実はいくらもあるのでありまして、そういう事実をながめますと、どうしても一つの法の力によつてこれを抑制するという方策が講じられなければ、今の労働組合法のままでありますと、労働者はややともすると、労働爭議であれば何をやつてもよく、労働爭議であればどんなことをやつてもいいという誤つた考えを持たされるのであります。そういうことがありませんように、そういうものを抑制するような改正案は刻下の急務である。そういう差迫つた段階に來ておると私は感じておるわけでございます。
○春日委員 まだそれだけでは非常にはつきりしません。最近の爭議の実例ということを言われましたが、あなたも御承知と思いますけれども、去年あたりまでは、賃金の値上げという形のストライキが非常に多かつたのでありますけれども、最近ではそういうものが非常に少くなつた。むしろ賃金の遅拂い、欠配、こういうものに反対する爭議が非常に多くなつて來ておる。それから工場閉鎖に反対する、首切りに反対する、こういうような爭議が非常に多くなつて來た。そうするとあなたの言われる緊急事態というのは、こういう賃金の遅拂いをやり、工場を閉鎖し、首を切るという資本家の不当行爲を、労働者に抵抗されては困るからというふうに理解してよろしいかどうか、これが一つ。 もう一つはついでだからお聞きしますけれども、経済の興隆ということをあなたは盛んに強調されておる。その点では私どもとしてもおそらく経済の興隆に反対する人はない。大賛成でありますけれども、現実に現在全國を通じて賃金の拂えない工場、遅拂いをやつておる工場が一万に達しておる。労働者に賃金を拂わないことは、労働者を兵糧改めにして殺すことである。これほど残酷な爭議戰術はない。特に炭鉱方面におきましては八割だけの賃金をずつと拂つて來ております。最近においては二割だけはもう賃金引下げだから、天引くという乱暴なことを言う炭鉱も出て來ておる。そういう場合に、飯を食わせずにおいて、しかもゆつくり秩序ある行動でもつて、中労委に提訴して、半年もがんばつてやれと言われたら、労働者は死んでしまう。こういうことになると、資本家の持つておる賃金を、拂う拂わぬということは、労働者に、とつては死活の問題である。労資対等という立場で行けば、当然この最大なる権力に対抗するものがなくちやならぬ。しかも私どもの言いたいことは、経済の興隆を最も望むならば、資本家が人を使つて費用の抑えないということは、少くとも経営者として最も無能な者だ、経済の興隆を願うならば、そういう際にこそ労働者の経営参加を、もつと強力にして、実質的な生産管理にまでさせて、経営を発展させるべきじやないかと思う。この点御意見を聞きたい。
○前田公述人 第一番目の爭議の要求事項が最近において変化をしておる。これはもちろんそうである事実は私も同感であります。しかしながら爭議の要求の事項は、もちろん社会経済の客観情勢の変化によつてかわることは当然なことでありまして、本年に入りまして、九原則の実施は、これも嚴密な実行の過程におきましては、どうしても人員の整理、工場の閉鎖が避くべからざるところの一つの現象となつて現われることは申すまでもないことと思うのであります。またこの経済九原則実施過程において、人員整理が不可避であるということは、先般の労資協議会の席上においても、労資双方の代表者がこれを認めた点でありまして、この事実に対しましては、何人も異論はないと思うのであります。ただいかなる事由にせよ、そういう労資関係の間において紛議が生じました場合に、現在の労働組合の中に、この紛議を利用してわざわざ國家社会を混乱に陷れようとするような動きが見えますので、こういうものを正常なる労働組合運動にかえし、ほんとうに健全なる労働組合運動の行き方にもどすというためには、どうして今日組合法のある程度の改正が必至であるということを私は申し上げたいのであります。 それから賃金が不拂いになつておる事実はこれを認めます。炭鉱が八割拂つておるという事実も認めます。しかしながらこの支拂いが遅延し、あるいは未拂いを立てなければならぬ事情に立つた原因はどこに占めるか。これは必ずしも経営者の無能であるというためではないのでありまして、これは今日の敗戰國日本のあるべき一つの姿が三年後の今日において現われて來た、こういうことになります。決して経営者の無能の結果ではないことをはつきり申し上げます。
○前田(種)委員 私は三つの点でお聞きしますが、第一は、公述人は労働組合法の改正案というものは何回も改正したらよろしいという意見が信念であろうと私は受取つたのです。なるほど今日の法規は、憲法初めすべてのものが改正できるように手続されるようになつております。しかし憲法にしても、あるいは基本的な法といわれますところの民法、商法、あるいは刑法、あるいは刑事訴訟法というようなものが、毎年、あるいは議会のたびに論議をされるということは、社会秩序の安定から言つても、あるいは國家の再建維持から言つても非常に危險なものであると私は考えます。そうした基本的な法案の改正はよくよくでない限りにおいては、根本的に触れないことがその國の安定をゆび指すものであると考えます。労働組合法は言うまでもなく労働者にとつての基本的な憲章であるわけです。私はこうした法律が、その都度幾たびも改正されるというような経済状態、あるいはそうした労働運動のあり方をはなはだ遺憾と思う立場から申しますと、こうしたものはめつたにいじらないという原則が必要だろうと思います。問題はそうした法律の不備欠陥よりも、運営をいかにうまくやつて行くかということが、政府当事者、労資双方の立場でなければならぬと考えます。法に不備欠陥がありましようとも、それぞれの立場に立つ者が、その時代の進行とともにうまくタイアツプして行きますならば、必ずしも法をいじらなくても、運営の妙を得るという観点に立ちまして、幾たびも改正されるという根本的な考え方に対して、私は反対の立場を持つわけでありますが、もう一應その点に対する公述人の意見を聞いておきたいと考えます。
○前田公述人 ただいまの御発言に対しまして、私は質問というよりも議員さんの御意見であつたと拜聽いたします。組合法をたびたび改正してもよろしい。また段階の変化に應じて改正するのが至当である。こういう考え方は私の考え方であります。それではいけないということはあなたのお考え方のようでありますが、これはまつたく見解の相違と申しますか、そういうことだと承知いたしてよろしいだろうと思います。第二点をひとつお伺いします。
○前田(種)委員 今の点につきましても、問題はこの程度の改正案であつても、いじらないよりもいじつた方がましだという出発点から出て來るのでございます。私は基本的に、根本的にいじるべき場合には、十分論議を盡くしていじるという、その態度もあるべきことだと考えます。しかしいじらぬよりましだという程度の改正案を投げ出しまして、そうして國内的に大きな輿論を引起してやるというようなやり方は、國家全体の立場から見て、とるべき態度ではないという見解を持つておりますから、その点に対する公述人の意見を聞きたいわけであります。しかしその点についての答弁はよろしい。 第二の点につきましては、過去三年間の労働運動のあり方の行き過ぎた傾向が、今日労働組合法を改正しなければならぬ必至の情勢だということを力説されておるのでございます。私は労働組合それ自体の行き過ぎの点も端的に認めております。しかし私はむしろ資本家團体の代表者と見られる前田さんにお聞きしたい点は、過去三年間のだらしなかつた資本家階級の陣営が日本の労働組合運動を今日のような状態にまで陷れた一つの原因であるということは、資本家みずからが自覚しておられるかどうかという点をお聞きしたいと思います。
○前田公述人 お答え申しますが、資本家陣営が過去三年間においてだらしがなかつたということは、これはまことにいい御忠言として拜承いたします。そうしてその事実に対しまして、ある程度私も肯定いたします。なるほど終戰後の虚脱状態、あらゆる経済界のいわゆるいばらの道を歩かせられて参りました経営者といたしましては、その方面に対する非常な苦労が多い。その上に労働運動の非常な攻勢に出くわしたというわけで、たじたじとなつて、やつつけられたということは確かにございます。そこで私どもはそういうだらしのないことではいけない。経営者ももつと強くなれというわけで、昨年の四月十二日に日本経営者團体連盟を創設いたしまして、そのときのスローガンには「経営者よ正しく強かれ」ということを申しました。そういう方針で今進んでおるところでございまして、ただいまの御忠言ありがたく拜承いたします。
○前田(種)委員 もう一つ、この労働法規は保護、立法に堕しているという意見を言われたのでございます。私は労働組合法は保護立法でいいと思います。それは憲法二十八條を中心にして、具体的に裏書きしたものが労働立法だと考えます。全体のことにつきましては、憲法全体からそれぞれの條項に基いて法律ができております。資本家團体に必要なものは、あるいは商法、あるいは法人法、その他のいろいろな法規によつて保護されておるわけです。私はそうした関係から、おのおのの必要な部分には必要な法律が施行されて、そうして今日の社会秩序が確保されてくる意味から言つても、この労働立法は憲法二十八條を中心にするところの保護立法の中核をなすものであるというその観点から、私はこの法律を見ておるわけです。その点で私が公述人にお聞きしたい点は、そういう見方があやまちであるか、あるいは公述人が言われたように、もつと保護立法を出して、対等の立場に立つたところのものでなくてはならぬという点について、もう一度お尋ねしておきたいと考えます。
○前田公述人 お答えいたしますが、労働組合法が労働者だけの保護立法であつてはならぬということ、これから憲法二十八條の権利の保障を具体化する法律であつてはならぬので、憲法の十二條、十三條に規定する権利の利用についての考え方を盛り、しかも二十九條に書いてあります、財産権の保障という、労働権に対する財産権の対等な立場、こういうことをすべてあわせ考えて参りますと、労働組合法はどうしても対等の立場を原則とするところの労資の関係法でなければならぬということは、これは私の持論でございます。そこでただいまおつしやいましたことはあなたの御持論として、これは今私とここで議論をいたされてもしよりがないと考えますが、私はさように考えますので御了承を願います。
○三浦委員長代理 ありがとうございました。 この際おはかりいたします。衆議院規則第八十五條により、公述人猪狩正男君の代理人武田昇君に意見を述べさせたいと思いますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○三浦委員長代理 御異議なければ武田昇君に意見の公述を許すことにいたします。
○武田公述人 私は日本炭鉱労働組合連合会の常任執行委員をしております武田昇と申します。このたびの労働法規の改正案につきまして、私どもの組織並びに金属鉱山の組織を代表いたしましてただいまより意見を述べさせていただきます。 結論から申し上げますれば、二つの理由からして私は現在の改正案を政府が撤回せられるか、または議会がこれを返上せられることを希望いたします。その理由の一つは今度の改正案が提案せられるに至りましたその改正の企図についてであります。もちろん法律が施行された以後においてその施行の経驗、あるいは施行の状態よりして法律をよりよくするために改正せられるということはもちろん必要でありますし、当然していいことであります。 〔三浦委員長代理退席、委員長着席〕 しかしこのたびの改正の経過をわれわれが承りますと、すべてそのことはベールの陰に隠れ、あるいはとびらの陰に隠れておりまして、ただ單に労働組合を一つの形式に当てはめる。あるいは一つの意図のもとにこれを統制しようとするために改正を企図されておる。率直に言つてわれわれはこのように感ずるわけであります。この点がわれわれ労働者が今度の改正に対して最も疑問を持つ点であり、最も不安を感ずる点であります。 次に第二点は改正の手続についてであります。先ほどの前田公述人の御意見にいわゆる労働組合法が保護法であるかどうかということの御意見がございました。個人の御意見でありますので私は反駁はいたしませんが、現在労働組合法、あるいは労働関係調整法あるいは労働基準法という一連の労働立法が、経済的弱者である労働者を保護するための保護法であるということは、常識ある人のひとしく認識されておる点だと思います。今度の改正につきましても保護法である労働法をよりよくするため、短所を補うための改正でなければなりません。そのためにはこの改正案、特に提案せられる草案の作成につきましても、労働者の代表も参加せしめ、また事実現在までこの労働組合法、労働関係調整法の運用に当りました労働委員会の代表等も参加せしめまして、十分なる期間をもつて討議せられ、その結論をもつて議会に上程されるのが労働法の趣旨を活かすゆえんであると思います。このことがこのたびにおいては全然なされておりません。先ほどの公聽会におきましては、われわれの各組織から各地の公聽会においてこの意見を出しました。そのときのお答えには、この考え方についての政府側の方の反駁はなされておりません。考え方については認められておるような節でありましたが、再度第二次案が出ましたにつきましては、このことは再び蹂躙せられまして、政府の一方的意思によつて改正案がなされておるのであります。この点私どもは最も不満に感ずる点でございます。その二つの点からしてこのたびの改正案は一應政府は撤回されるか、あるいは議員の皆様方の御審議によりまして返上せられたいと、特にこの点私ども希望いたします。 次にこのたびの改正案の内容についてでございます。改正案の第一條、特にその第二項に、暴力の行使云々とございますが、暴力の行使とは、いわゆる有形の危害に当るであろうとは想像いたしますが、これらの点につきましてはそれぞれ刑法その他の法律がございます。並びにその暴力の行使を誘発するに至りました動機につきましては、十分裁判所等において審理せられることが必要でございます。そのことがなされないで、ただいたずらに暴力の行使は労働法の保護を剥奪する、こういうように印象づけまするこのたびの第二項についての改正は、私ども率直に申上げて削除を願います。 次に第二條についてでございますが、現行法の第二條をこのたびの第二條に直すということの必要が那辺にあつたかということを、私は非常に了解に苦しむのであります。率直に申し上げまして、專從者の給與を組合が自主的にまかなうことを短時日にこれを規正したい、こういう意図で今度の改正がなされておるように私どもは考えます。この点は労働組合が結成されましてから現在まで、労働組合自体こそいばらの道を通つて発展して参つたのでございますが、労働組合にとつて最も障害になりますのは財政の基礎でございます。炭鉱を例にとりますと、小は十五人の組合もございます。一番大きいの三万の組合がございます。この十五人の組合までが專從者給與は現在の生活費を下まわる賃金の中から自分でこれを負担するということは、事実上その組合は仕事をやらないか、あるいは解散しろということにひとしいと私は存じます。この考え方について私ども反対するのではありませんが、財政的に組合が発展し得るまで若干の保留期間を私は必要とする。かように考えます。 それから第五條の問題でありますが、組合の規約を法律で規定いたしまして、その規定に欠けておる組合には法の利益を與えない。この考え方に対しましても私どもは絶対に反対であります。組合の規約はその組合の規模、その組合の実体に基きまして、その組合が正常の運営をし得るように、自主的につくられなければなりません。日本の民主化を助長するため、労働組合の自主的な発達を望む、このことが労働法の、特に現行の労働法案が制定せられましたときの趣旨のように記憶しておりますが、組合内部の規約を法律に規正するということは、一面書類の上ではいかにも組合の規約が完備したように見えますが、内実を考えますと、ただ單に形式的に組合をつくつたにすぎず、組合は形式化せられて運営が非常にきゆうくつになる。たとえば三万の組合員においても單位組合でありますと、今度の法律においては代議員の制度を認められておりませんが、炭鉱におきまする、たとえば三池炭鉱労働組合のごとき、三万の組合員を擁し、二十四時間の作業に從業しておりまするが、この組合員全部を一箇所に集めて、組合規約の改正を審議するということは、事実上不可能でございます。この不可能なことをも今度の法律ではやるように書いてございます。 それから先ほど例を引きましたが、五十人以下あるいは百人以下というような小さな組合において、資格を持つ会計監査人の会計監査の証明を受ける、これも言いかえますれば、組合が一万円なり一万五千円なりの金をつくつて、計理士のところにその金を持つて行つて証明書をただ單にもらう、こういうことにすぎないように私は存じます。今度の画一的に規定した組合の規約の要記載事項が、組合に実際に当てはめた場合には組合を形式化するだけである。こういう点から特に第五條の手続に参與する資格とする点については、切に反対いたします。 私は第五條について、いかに不合理であるかという点について、もう一つ例を申しますが、第五條の第五号には、役員の選出は組合員の直接無記名投票によれと書いてございます。この役員の定義につきましては、これは組合規約で自主的にきめることだと存じます。現在の各組合の組合規約を見ますと、組合員からして各種の委員、幹事、あるいは会計監査という者まで全部役員にしてございますが、この者を全部組合員の直接無記名投票によつて選ぶことになりますると、特に個人の適材、適所を必要といたしまする專門部長のごときは、かえつてその趣旨に沿わなくなる、このように存じます。これも一つの例でございます。このように第五條の規約を画一的にきめる点については非常に多くの矛盾が含んでございます。 次にこの労働委員会の章についてでありますが、現在石炭につきましては、石炭特別労働委員会がございまして、それぞれの地域、業種の特殊性に感じて紛爭を未然に防ぐために努力しておられます。この特別労働委員会が今度の改正案においては抹消せられております。この抹消せられた理由については、私、先日GHQの労働課に参りました節、いわゆるプアなる財政と申されておりました。予算がないからこれを抹消するんだということを申されておりましたが、現在石炭特別労働委員会関係に使用しておる予算は、現在の國家予算全体から見ればごく小さな部分であると存じます。この小さな予算が捻出せられないために、現在有機的に効果を上げておる特別労働委員会を抹殺することは、私どもはなはだ合点の行かないところでございます。この点もぜひ御挿入をいただきたい。 それから労働委員会の今度の規定におきますると、第二十一條で非公開が原則となつているようでございますが、裁判所すら公開でございます、この点については理由を申し上げるまでもなく、公開を原則とすべきであろうと思います。 それから公益委員という字句の問題でございますが、これは非常に私は考え方に誤解があるのだろうと存じますので、今まで通り、理由はくどくどしく申し上げませんが、第三者委員とすべきが至当である。かつまた同一政党に属するものは、地方労働委員会においては二名以上はいけない、中央労働委員会においては三名以上はいけないということになつておるのでございます。同一政党の第三者委員、いわゆる今度の改正法案による公益委員が過半数を占めることになりますると、なるほど弊害も出て來るであろうと存じまするが、過半数を占めない限りにおいては私はごうもさしつかえないであろうと存じます。 次に今度の第七條の問題であるとか、あるいは組合の証明書の問題であるとかについて、今度の改正案の第二十四條におきましては、公益委員のみがその審議をするようになつたのでございます。これこそは労働委員会の三者構成の性格を少しく私は曲げておると存じます。それで問題を円満に解決し、かつ迅速に解決するためにも労資の委員を参與させるべきであると存じます。特に第三者委員、公益委員の人選に非常な困難なる現在、この労資の委員の参與は不可欠であると存じます。 次は労調法の関係でございますが、公益事業の追加指定の問題について、今度の改正案によれば、國会の議決を経て公益事業の追加を総理大臣が指定することになつたのでございます。私も國会の議決を経なければならぬという点については賛成でございます。しかしながら現在のようにまだ固つていない政情において、公益事業の追加ということがいわゆる政治鬪爭に供せられる、こういうようになりますると、ただ單に労働組合運動彈圧のために公益事業を追加するというようなおそれも私は出て來ないとは断言できないと思うのであります。これを防ぐためにも一應現行法通り労働委員会の決議によつてそれをさらに國会が審議して公益事業を追加する、そのようにすべきであると存じます。 それからいわゆる今度の改正案においてきめられました三十七條の二項の、六十日間の爭議のできる期間の問題であります。このきめ方は私は非常に誤まりがある。これは一面から言いますれば、三十日間調停期間を経過したならば、六十日間以内に爭議を早くおやりなさいというように私は受けとれます。こういうふうに爭議期間を限定するということは考え方が非常におかしい。むしろ自分の利益だけをもつて、あるいは自分の経営の採算だけをもつて、問題の解決を非常にしぶり、一面労働者の自滅を待つというような遷延策をとる経営者の態度こそが、私は問題の解決を遅らせておる原因であると存じます。この点からして六十日間の爭議期間の限定、これについては強く反対いたします。 以上、今度の改正案の内容についての意見を要約して簡單に申し上げましたが、結論といたしましては、冒頭申し上げましたように、今度の改正の企図は非常に私は誤まつておる。危險である。そのために國会はその権威を守るためにも、私はこの改正案について返上を特にお考えおきをお願いしたい。このように繰返してお願いいたしまして、私の公述を終ります。
○倉石委員長 委員の方でただいまの口述に対し御質疑はありませんか。——それでは鹿内信隆君。
○鹿内公述人 私は日本経営者團体連盟の專務理事の鹿内であります。ただいまから公述に入らせていただきますが、その前にひとつ御礼を申し上げます。それは私この公聽会に呼ばれたことは再度ございますが、この前の公共企業体の関係の労働法規の改正の場合には、経営者側の人間が三名で、あと十何名の方が労働者側の方でありました。このたびは使用者側三者、労働者側三名、中立の方が三名という御人選をいただいて、非常にこの委員会としては対等の原則を認めていただいたことを感謝したいと思います。せつかくこういうふうに認めていただいたことに甘えまして、もう一つ御注文を申し上げたいのですが、実はこの公聽会で私どもが申し上げたことで、必ずしも採用にならないケースの方が多いのであります。これから申し上げますことは、ぜひひとつ労働法規の改正についても、お取上げをいただきたいということを重ねて甘えて申し上げたいと思います。 さて本論に入りますが、基本的な態度につきましては、先ほど前田さんからわれわれの考え方を申し上げておりますので、くわしくは触れませんが、ただ一つこのたびの労働法規の改正案の基本方針に、各方面の意見と、経済九原則の円滑な実施のための諸情勢を考慮して、これが改正を漸進的にやる、こういうことが言われております。経済九原則が出されたときに、あのマツカーサー元帥の書簡の中に明記されておりますことは、経済的な自立のない國民には、眞の自由は許されないのだ、こういうことがはつきり言われております。これは日本國民全体に対しての、元帥のお言葉だろうと私は解釈します。從つてこの自由の権利というものが、ひとり労働組合だけにあり得るはずがないと私は考えておるものであります。從つて経済九原則が自立経済の前提のためにやりにくい、こういう考え方になつて参りましたときに、この日本の國力というものが経済的には七割喪失をした、こういう状態において、労働法規だけが日本の経済実態から遊離して、それがパラダイスのようにあり得るものではない、こういうふうに私たちは考えざるを得ないのであります。從つてやはり日本の経済というものの実態から、労働組合運動の許され得る限界というものも、当然その辺に線が出て來なければならぬものである、そういうふうに私は考えておるものであります。そういう考え方から、この労働法則を見て参りまして、非常に遺憾な点はあるのでありますが、先に述べられておるような労働組合の民主制、自主性、責任性というものを推進する、そういう限界内では、今回の改正案はその目的を達しておると考えますので、その点からこの改正法規が一日も早く議会を通過されることを私は要望いたします。 細部のことに入りますが、第二章関係の労働組合と、第三章の労働協約関係につきましては、非常に問題のあるところでありますが、これは後ほど私の方から出ております別所さんから説明がありますので、私は第四章の労働委員会とそれから第五章の罰則と労調法関係についての意見を述べさしていただきたいと思います。 第四章の労働委員会の事項につきましては、この労働委員会の中立性を確保することについて一言申し上げたいと思います。十九條の項目がたくさんございますが、その中にこういう字句をひとつお加え願いたい。それは委員その他の関係職員は、その職務を遂行することについて、公正な態度を維持しなくてはならない、こういうことでございます。それは、私はこの間まで中労委の委員を一年何箇月やりましたが、この労働委員会というものの規定が労働組合法の中に規定されている、そういうことから問題をどつちにきめようかということになつて参りますと、労働組合法というものは、労働者の保護法である。だから労働者の都合のいい方にきめることが、労働委員会の任務に忠実なるゆえんである、こういうふうな解釈が支配することがままあるのであります。私は労働委員会というものは労資双方、第三者委員を加えて、社会の正しい世論の支持の上に、公正な仕事をして行くことが労働委員会に忠実なるゆえんと考えておるのでありますが、そういうふうに労働委員ばかりでなく、労働委員会の事務局に働く人々、そういう職員の方も中立性を確保して、公正な職務の遂行がなければならないということをこの法文の中でもはつきりひとつ明示していただくことが、労働委員会というものをほんとうに権威あらしめる。そうして使用者側が労働委員会の窓口に問題を持つて行きますと、労働委員会というものは、何かやはり労働組合的な考え方が多い。從つてそこに持つて行くことが非常に憶病になつておる、こういうふうな事例がままあるのでありまするから、そういう意味で中立性を確保するということの明文もひとつはつきりしていただきたいと考えるのであります。 その次はこれは非常にこまかい問題になりますが、十九條の七項に「使用者委員は、使用者團体の推薦に基いて、」ということがあるのでありますが、これはこの席で申し上げるのは非常に問題がこまかいと思うのでありますが、実は使用者團体ということで一括して考えて参りますと、たとえば米や、みそ、しようゆの割当のためにつくられておるような使用者團体もあります。あるいはげたの生産の打合せをするためにつくられているような、使用者團体もある。ところがこの法文には、使用者團体の推薦ということになつているので、使用者側の推薦をやる場合に、一律一体に、労働問題については何等の関心もない、まつたく生産とか資金とか、そういう問題について集つておる使用者團体からもそういうものが出される。ところがもらつた方は何か名誉職の委員でも出すように考えて、労働委員を推薦して、どうしても自分の方を一枚加えるというようなことがあつて、そのために先ほど議員のどなたかからお話もあつたように、きわめて不熱心な経営者側の意見もなきにしもあらずなのであります。そこで経営者團体としては、今日本の労働問題というものは、ほんとうに正しいあり方のために出直しておる最中でございまして、各府縣には労働問題をおもに取扱う経営者協議会、あるいは商工会談所の中の労働部というようなものが、全國各地に完成をしておりまするので、これは主として労働問題を取扱う使用者團体というような肩書きを私は頭につけていただきたいとお願いするものであります。 それから次には公益委員の問題であります。公益委員の問題につきましては、このたびの改正法案によりますると、非常に公益代表の委員の方の職員が非常に過重になつております。われわれの理想としては公益代表委員か労働問題に対する審判的な役割をするということについては賛成なんでありますが、ただ今までの経過から申しまして、ことに地労委におきましては、公益代表というものをほんとうに信頼でき、そうして眞の中立性を確保して行けるような公益委員を選ぶということは、非常に至難な事情がございます。そこで先ほど末弘さんもおつしやつておりましたが、公益委員の人選につきましては、今までのような地域的なものにとらわれないで、廣く人材を求めていただけるような法規にしていただきたいことと、それからやはり專念してやつて行けるような経済的な條件というものをはつきりひとつお考えをいただくことが必要かと考えております。 次にこの十九條の二十項であります。二十項では、先ほどどなたかが申しておりましたが、労働委員の人数についてでありますが、これは事実上東京の都労委等においては、先ほどもお話がちよつと出ておりましたが、これは全國一多忙で、むしろ中労委よりも非常に問題が多いのであります。そこで現在おきめになつておるような五名ではいかにも事実上動かない、そういうことが考慮されまするので、これは七名にするとか、あるいはまた前の法規のようにこれを生かして、ひとつ臨時委員を置くということのできるような御考慮をいただきたいことでございます。 第五番目には、労働委員会の強制権限について申し上げたいと思います。二十二條には、この労働委員または労働委員会におりまする職員が臨檢檢査をすることができるようになつております。ところがこの臨檢檢査がなし得るという今までの権限というものが惡用された事例が多々あるのであります。要するに労働委員でありながら、関係の労働組合の爭議で労働者側として経営者側との團体交渉に立ち、あるいはまた一部の職員がことさらに問題外のことまでも出かけて行つて帳簿檢査をする、そういうようなことがままありましたので、私はこの臨檢檢査という場合に、どうしても身分証明書と一緒に臨檢檢査をやる必要の理由を書いた証明書を携行する、こういうことがありませんと、いたずらにその当面の労働問題以外の問題をむりに引起すようなことに利用されることがありますので、そういうふうな改正意見を持つておるのであります。 第六番目には、この労働委員会の準司法的な機能に関する労資委員の参與のことについてでございます。それは第二十四條に規定されております。それでこの改正原案では、原則として公益委員のみでやる。そうして單にその審議の過程において諮問並びに調査の意見を述べることができることも妨げない、こういう形になつておりますので、私は理想としては公益委員のみによる、こういう職能が確立されることを希望いたしますが、しかしこれにはあくまでも今までの実績というものを檢討していただかなければならぬ。それには、ことに地労委においては、先ほど申し上げたように、眞の意味の中立性を確保していただくような人材が、必ずしも得られないというような現状にかんがみて、これは労資双方ともどもに、必ずこの審査の過程においては参與する。しかし決定のボートについては、公益委員のみにまかせる。こういうふうに原則としては参加できることをひとつ確立していただきたいのであります。それから第七は、二十七條の七項に行きまして、この最後の項に「この通知は、労働者もすることができる。」こういうことになつております。この労働者は労働委員会に提訴をして、そして労働委員会が地方裁判所に通知すれば足りるのでありまして、労働者が直接にこの司法権というものを代行するというようなことは、どうしても私たちには理解ができないのであります。それでこの頃は削除されてよろしいのではないかと思います。 それから第五章の罰則の項に入りまして、罰則の三十二條に、一日につきて十万円の割合で罰則を計算して行く、私法律のことはよくわかりませんが、こういうきめ方をしておる法律というものは、あまりないのではないか。やはりこれはその件一つに限つて十万円以下というふうに、この規定をしていただきたいと考えておるものであります。 それから労調法関係の問題でありますが、現行法規の三十六條には、安全保持のための爭議不参加のことがきめられております。私はこの「安全保持」の次に「及び保健衞生のための施設」ということも入れていただきたい。それからまた「これを妨げる行爲」ということの次に「または業務の正常な運営に欠くことができない施設に使用上重大な障害を與える行爲」というのを一つ追加していただきたい。 もう一つ、第一としてはただいま申し上げた「衞生管理者及び安全管理者及びそれらの補助者は爭議行爲をなすことができない。」こういうことをつけ加えていただきたい。それは人命保護のために、單に安全保持というようなことでなくて、やはり保健衛生等に関する施設も重要なものとして取上げていただかなければならないと考えるからであります。 その次に、たとい重要な施設に対して、爭議が終り、労資の問題が解決してから、ただちに操業にかかり得るというような状況で、すなわち爭議期間中だけは、これは両方がけんかをしておるわけでありますから、それについては労働者は雇用契約に基く労働を提供しない。そのことのためにノーワーク・ノーペイの原則で、自分たちは賃金を受けない。経営者は雇用契約に基き労働者が雇用されないための経済的な制約を受ける。しかしそれは爭議をやつている間だけがけんかの状態でありまして、爭議が終つた限りは、おのずから両者が相ともどもに生産に邁進しなくてはならぬことは当然な事柄であります。ところが爭議が終つても、さて仕事をしようという段階になつて來た場合に、たとえば化学工場等においては、その設備復旧のためには半年間を要する、あるいはそのためには何億という金を注ぎ込まなくてはならぬ、こういうような事態が考えられるのであります。私はこの点につきましては、ことに今労資がともどもに経済復興に邁進しなくてはならぬ段階では、この重要な施設が非常に長い間使えないというような重大な影響のあることを、労資ともどもに排除するのが本則だろうと思います。從つてこの点は、さようにひとつ御追加を考えていただきたい。 その次は、第三十六條の、ただいま申し上げた第二項の次に第三項をひとつ考えていただきたい。それは先ほども申されておりましたが、三十六條の問題について、たとえば中労委なり都労委なり提訴をされた場合においては、爭議があつせんまたは調停機関に付属している間は、爭議をさらに進めてはならない、こういう第三項をお考えいただきたいのであります。それは事例を申し上げますと、非常に長くなりますが、われわれが労働委員を言いつかつております間に扱いました件数から考えましても、爭議が解決するまでに、早いもので約七十日間かかつております。それから長いものでは二百二十日かかつております。こういうような事例から考えましても、片方で調停を申請して、何とかひとつ解決をしてくれということを言つておきながら、爭議の方はどんどんやられて行く、こういうようなことは、労働委員会そのものに申請をしていることは、一体本氣で申請しているかどうかということが疑われるのであります。そこで私は少くともあつせん調停の間においては、その水の入つた状況で、ひとつ調停案なら調停案が出るまではその爭議を進めないようなことを明記していただきたいと思うのであります。 その次は、先ほど末弘さんが暴力行爲の問題についての非常にデリケートな問題を投げかけたまま帰つております。私は労働調法に、してはならないという爭議行爲がやはり明記さるべきだと思います。それをちよつと申し上げてみますが、ただいま申し上げた水の入つたまま爭議を進めないというのが第三項で、第四項として、一、二つ以上の企業に各労働組合または各連合体が同一の目的をもつて、かつ同時に罷業を行うことによつて、國民経済を麻痺せしむるおそれある爭議行爲、二罷業を行う者の属する企業または産業における爭議目的以外の目的をもつて、政府を強制するために計画された行爲、三、他の産業または企業における爭議行為を援助するために特に計画された爭議行爲、四、使用者の意思に反して、その所有物を管理、運営、処分することによつて目的を達成せんとする爭議行爲、五、公共の福祉または公序良俗に反すると認められる爭議行爲、こういうものをこの爭議の禁止規定の中に当然に入れらるべきものと考えるのであります。私はこのたびのこの改正原案の中で、一体公共の福祉とどんな点が調整せられているのかということを非常に疑念を持つておるものであります。先ほど來労組法改正の問題が、いろいろ各方面の意見を徴して、こういうふうな形で取上げたらいいではないかというような御意見が、非常に出ておつたようでありますが、一体われわれは労働法規というものを取上げなければならなかつた時機は、あの二・一ゼネスト直後だつたろうと思います。英國の労働法が改正されたのも、御承知のような三角同盟の爭議があつて、國民が非常にそれによつて被害を受けたために、國会があれを取上げた。日本の國会はなぜ一体あの時機に日本の労働法規というものを取上げなかつたのか、私はその点については大いに不審に思つておる者の一人であります。 それに関連いたしまして、第三十七條に移りますが、第三十七條では、六十日間の爭議期間というものは、これは本会議において川崎委員が、暖めたり冷やしたりする期間だということを申されておりましたが、むしろ私は、三十七條関係においては、インジヤンクシヨンの規定がどうしても考えられなくてはいけないと思うのであります。たとえば今アメリカの労働法規の扱い方を見ておりましても、このインジヤンクシヨンの問題をはさんで、政府が國民に訴え、あるいはまた議会で、このインジヤンクシヨンの問題で政府案が否決になつた、私はアメリカのような経済的な基盤が確立されている國においても、この問題が問題になつている、ことに日本のような今非常に経済的な混亂期にあるこのときにおいていて、一体このインジヤンクシヨンの規定というものを議会で考えずに、國民自体が考えずにおつていいものであるか、あの二・一ゼネストのときには、マツカーサー元帥のあの命令でようやく終つたのでありますが、あのときは政府自体、國民自体、議会自体が、あのわれわれがほんとうに破滅するかもわからないようなゼネストに対して、何らの手も打つことはできなかつたではないか。このたび公共の福祉との関係においてこの労働法規というものを改正するならば、私はどうしてもこの点が重点になつて來なければいかぬということを痛感しているものであります。 最後に罰則関係でありますが、やはり労調法関係においても、違反した行爲に対する罰則は、労資対等の原則から、労働組合法にきめられている、一年以下の懲役または十万円以下の罰金に処すというようなことは、やはりそろえておいていただいた方がいいのではないかと考えております。 それからさつきの試案においては、一般産業につきましては、十五日という予告期間があつて爭議がなし得るような規定が、今回はそれがはずされております。しかし十五日間というような予告期間は長過ぎるという意見に対しては、私も賛成いたします。しかしながら今この状況のもとにおいて、一般産業が抜打ち爭議ができるという状況に放置していいかということについては、大いに意見があるのであります。それは要するに九原則のもとにおいて、日本経済は今建直しをやろうというその場合に、労働者と経営者が、当面の紛爭につきましては、何とか生産はつなぎながらこの労資の問題を妥結するという最後までの努力をやり得る期間に対してできるだけ丁重な規定がいるというふうに私は考えて、その十五日間があまり長過ぎるとすれば、少くとも拔打ち爭議についての何らかの規定を私は希望いたすものであります。 大体労働委員会あるいは罰則、労調法関係の意見につきましては、ただいま公述いたしましたようなことで、私の責めをふさぎたいと思ひます。
○倉石委員長 委員の方でただいまの公述に御質疑はありませんか。
○土橋委員 ただいま鹿内公述人の公述によりますと、公共の福祉というような大名目のためには、労働者の正当な権利でありまする罷業権も制限せられなければならない、むしろ禁止されなければならぬ、こういう御意見のように承つたのでありますが、あなたのお考えによりますと、公共の福祉の方が労働者の基本的な人権よりも、ただいまのような段階においては優先されなければならないという御意見でございましようか。
○鹿内公述人 私は労働者の基本的な人権を非常に大切なものであるということを考えております。しかし日本の國民全部が文化的にして幸福な生活になり得る段階までは、労働者だけがひとりこういう事実から遊離して解放されていいものだとは考えておりません。從つて公益の福祉というものが、たとえば日本がこういうような非常に貧弱な経済事情のもとにおいて、もし公益事業の爭議というものが強行されれば、さらに全國民的な危機が到來するという場合においては、労働者の基本的な人権も一時その意味においてがまんをしていただかなければならないと考えております。
○土橋委員 ただいまの御発言によりますと、基本的人権よりは公共の福祉、特に一般的な関係を考慮してぜひともそういうものを禁止してほしい、こういう御意見のようですが、公共の福祉よりは基本的人権が尊重せられることが、民主主義の基本的な建前でなかろうかと考えているわけであります。またあなたのただいまのお説によりますと、このような状態では不都合な事態が起ると言うが、中心的な問題はむしろ企業者なり、資本家らの諸君の政策なりあるいはそれに関連する政府の政策のよろしきを得ないために、労働階級が現在のような状態に置かれているわけなのであります。これについてあなたのお説によりますと労働階級の正当な爭議権、または罷業権その他正当な團体交渉権、こういうようなことについても制限を及ぼさなければならない、少くともわれわれ國会議員として了解できない点があるのですが、それでもなおそういう御意見を御主張されているのか、もう一回お尋ねいたします。
○鹿内公述人 問題の取組み方によれば論爭になると思います。ただ國会議員全体が私の意見に反対であるようなただいまの土橋さんの発言には私は反対いたします。私は公共の福祉というものはやはり日本の國の経済の機構があり得る上において初めて許されるのであつて、そしてまた経営者が責任がない、あるいはやり方のまずいというようなことについて、今の段階においては非難の数々も私は認めたいと思います。しかしながら、檢討を加えて行けば、戰いに負けた日本の経済事情というものは歴史的には必ずしも悲観したものではない、私たちはこの段階から國民的な協力によつてぜひ立ち上りたいと考えているのであります。御答弁にはならないかもしれませんが、私の考え方を申し上げました。
○春日委員 先ほど言われたあつせん調停中は爭議をせしめてはまずいという御意見のようですけれども、私ども最近の爭議の実情を見ますと、大体首切りとか、賃金引下げとか、工場閉鎖ということが主になつております。首を切られて調停委員会にかけられる、たとえば日平産業の場合なんかは、最近のそういう例ではございませんけれども、去年の七月からかけてまだきまつていない。こういう状態で、あなたのお考えでは首を切られた者は首をきられつぱなしで調停委員会にかける、工場閉鎖されたら工場閉鎖されたままで調停委員会にかけるという御趣旨が、現状を回復させておいて調停の決定に從つて動かすか、こういう趣旨をはつきりさしていただきたいと思います。
○鹿内公述人 現状回復の問題につきましては、機械的に現状に回復するのだというような前堤を立てることは労働委員会が決定することでありますから、私はそういう基本的なことの答弁をここではできない。 それからもう一つ首切りの問題につきましても、雇用量の決定につきましては、生産計画に基いて当然に労働組合自身がこういう状態にならなければならないというようなことを、非常に苦しい状態でありますが、経営者の言うことを認めて行く事例も非常に多々あるのであります。私は要するに今の建直しというものはそういうところに來ているのだらうと思います。失業者をどうするか、こうするかということは一企業の中で解決されずに、それこそ國会の皆さまによつて失業者問題というものを十分に解決できるような方向でぜひお考え願いたいと思います。
○倉石委員長 寺井達雄君。
○寺井公述人 御指名にあずかりました寺井であります。産別会議を代表し、主として全労組対策協議会、これの大体全國組織、地方組織あるいは分会等七十幾つの労組によつて組織されておる機関の意見に基くところの公述をいたします。 まず第一に法律を制定するということは國家の最高行爲でありまして、しかも今回の労働法規のごときはわれわれ労働者階級にとつてはまさに死活的重要性を持つものといわなければならないのであります。從いましてかかる法律の立法はすべからく愼重を期する必要がある。その意味でこれを論ずるにあたつて、まずその立法の諸手続及び経過等に関する問題を申し上げたいと思うのであります。 第一に、本日の國会における公聽会の開催についてでありますが、これは先ほど鹿内さんからきわめてけつこうなやり方であるというふうに申されました。私は反対に私どもの立場から見て少し意見があるのであります。それはこのような厖大な内容を持つところの公述をわずか一日でやろうとしている、しかも発言時間が規定によればわずかに三十分であるということでは、十分に論議を盡ないのであります。さらに公述人の範囲の問題でありますが、これは現在それぞれの立場において三人ずつの人々が指名されておりますが、これはさらに異なつた立場を持つたところの廣汎なグループがあるわけであります。從いましてこの範囲ももつと廣めて時間ももつと十分に取つてもう一度この公聽会をやつていただきたいということをお願いしたいのであります。從いましてこの点の再考慮を皆さんに要請すると同時に、私の公述時間については寛大なる御考慮をお願いしたいと思うのであります。 第二に、この法律の改正の必要の有無という点であります。この点についてはすべからく愼重かつ民主的にやられなければならない。われわれの立場はどうかと申しますと、率直に申しまして、改正の必要なしと申し上げるのであります。なぜならば現行法すらきわめて不十分かつ歪曲されて施行されているのであります。しかもこの改正にあたりまして、労働運動の行き過ぎということが重要な一つの論拠になつております。しかしながら先ほど春日委員からの発言もありましたように、労働爭議を激発し、挑発しているものが何であるかということを考えるならば、このような行き過ぎ論、一方的な理論は当らないもはなはだしい。むしろ現在の賃金遅欠配、あるいは一方的な協約破棄、こういう問題がまず解決されて後にこの問題にとりかかるべきであると信ずる次第であります。 次に第三点といたしまして、改正の要ありとかりにするならば、その方法を決定するための前提となるべき條件並びに手続は何であるかという問題であります。これは第一に、先ほど午前中に末弘博士が言つておられたように、まず科学的な事実調査の必要があると思うのであります。これはロイヤル・コミッションの例を引くまでもなく、当然要請されなければならないことである。しかるに六日でありましたか、労働委員会に対して労働省当局より、「労働運動に附随して発生した刑法犯等事件の概要」という資料が配付されておる。この内容を見ましたところが、われわれは愕然としたのであります。その中では組合会計に関する不正事件、また労働運動に関する暴力行爲、非民主的組合支配の一例というような、きわめてずさんな内容を持つ報告がなされておる。しかもこの資料の基いたところの根拠は何かと申しますと、きわめて一方的であると考えられるような報道に基いて、これが編纂されております。われわれをして言わしめるならば、これとまつたく相反する、しかももつと詳細な資料の提出がわれわれには可能なのであります。從いましてこのような一方的な資料のもとにこの改正論の論拠を打立てるということは、実に妥当を欠き、しかも非常に反動的であるというふうにわれわれは考えざるを得ないのであります。 第二点といたしましては、労働委員会に対してこの問題を事前に諮問したかどうかという点であります。少くとも労働委員会は現行法において労働問題に関する專管の独立機関である。從つて労働問題に関しては、ここにまず、第一義的の発言権がなければならない。しかも資料、統計そういうものはここが一番正確に持つておるにもかかわらず、政府みずからが労働委員会をわれわれに獎励しておきながら、それを全然默殺しておるということは、一体何事であるか、私はここに非常な疑義を感ずるのであります。 第三点といたしましては、これは現行法の立法において持たれたような労務法制審議会の設置、これは絶対に必要なことであります。そうしてこの中に労働代表を参加させるということでなければわれわれは絶対に納得できないのであります。 第四点といたしましては、公聽会でありますが、これは十分なる時間的余裕のもとにおいて、全國各地連ごと、各地区ごとに持たれて、労働者の一人一人にこれが浸透して十分なる納得を得る必要がある。これをやらずに一方的な立法手続をもつて、これを押し通そうとするならば、労組法が労働運動を規定するということだけでは、労働者はこのような労組法に絶対に納得はしないだろうということをはつきり言えると思うのであります。 第五点といたしましては、今回の労働省の第一試案並びに政府提出の最終案の作成、発表及び國会上程の経緯に関するわれわれの疑義であります。これはまず前記の方向決定のための前提となるべき條件というものに全部反しておりまして、きわめて非立憲的な手続ではないかとわれわれは感ずるわけであります。 次にその準備過程あるいは立案作成の過程がきわめて官僚的な秘密主義によつて一貫されておる。われわれはこの試案の公開を要求したにかかわらず、絶対に彼らは発表しなかつた。ここのとはきわめて彼らの独善性、非民主性を物語つておるのであります。 次に労働省主催の公聽会でありますが、これがやはり日時及び公述人の指定方法あるいは開催場所の決定ということについて、まつたく一方的になされておる。しかもきわめて不十分である。この点が一つ、次に労働省試案は二月十四日に発表されております。そうして全國的な公聽会がその月の同じ二十日に持たれておる、この間わずかに六日であります。この六日間をもつてわれわれ労働組合がこの法案の精神並びに條項の批判を徹底的に下部に流して、大衆の総意を集めてわれわれの態度を決定するということ、これは組合運営の基本的な原則であるにもかかわらず、六日ではたしてこのような措置がとれるかどうか、労働省当局はしきりに組合の健全化あるいは民主化ということを言つておる。にもかかわらずこのような健全あるいは民主的な運営を妨げるがごとき出し方をしておる。こういう点がずさんであります。 次に、公聽会の第二次試案に対する結論の盛り込まれ方にわれわれは疑義を感ずる。その取扱いについてわれわれはその審議過程に労働者代表をやはり参加させろということを要求したのであります。しかしながらこれを一方的に拒否して、全然彼らの一方的な取扱いにおいて、この第二次試案なるものがでつち上げられておる。その点がはなはだ不満であります。しかも今回の第二次試案に対する労働省主催の公聽会、これを当然開催し、全國の労働者に徹底させるのが本旨であるにもかかわらず、これが省略されておるのはいかなる理由にはるものであるかという点。 次に、これまで現行労組法、労調法が実質的に内容を変更されておるという点であります。その一つはまずあの公務員法であります。次に公共企業体労働関係法であります。それから次に労働組合法施行令第三十七條の一方的な改惡という問題であります。次に、昨年十二月から本年の三月にかけて全部で四回出されておりますところの次官通牒の問題であります。この次官通牒は労働次官の言明によりますと、今回の改正が國会を通過するとの前提のもとに、あらかじめ組合を指導する必要からこの通牒を出したと言つておる。そしてしかもその内容に当つては私からここで申し上げるまでもなく、きわめて現行法を不当に拡大しておるという点が言えると思うのであります。最終の次官通牒におきましては、專從者の問題に関して九十日という期限を附して來ておる。これは明らかに一種の立法的な措置を、立法府たる國会の権威を無視して、この不当拡大をあえてして、しかも次官通牒は一片の行政解釈であつて、法的強制力というものはないという彼らの確言にもかかわらず、全國各地において行政官廳による組合の内部干渉が起つておるのであります。山口縣におきましては、十二の組合が專從者の問題で資格否認を受けておる。このような國会無視の法律違反、ひいては憲法違反の事実に対して國会の議員諸公はよろしく政府を監視し、これに嚴重なる警告を発していただきたい。こういうことをお願いするわけであります。 次に、この第二次試案の内容に入るにあたりまして、先ほどから各公述人の言われておりますところの憲法との関連であります。これは日本の憲法二十八條の規定というものがいかなるものであるか。たとえばアメリカ憲法と比較いたしましたときに、アメリカでは労働者の労働権というものが單なる市民的な市民法上の自由権の中に含まれておる。しかしながら日本における労働権は、はつきり二十八條において、市民法的な自由権のほかに労働権というものをはつきり打出しておるのであります。これは申すまでもなく、從來の日本の労働関係が國際的に定説となつておるほどの奴隷的な低賃金、植民地的な労働條件、これによつて労働者の生活を圧迫し、ひいてはそれが國際的にはソーシヤル・ダンピングということになり、軍國主義の地盤をつちかつた。こういうことから特に終戰後ポツダム宣言の精神にのつとり、かつまたそれに基いて憲法が制定されて、その精神によつてこれが規定されて來ておる。從つて憲法二十八條のいわゆる労働権の内容というものは、このような社会的、経済的基盤から打出されて來ておるものである以上は、これの保障というものが当然彼の刑事上の免責問題あるいは民事上の免責の問題、こういうことを含むことは明らかであります。しかるに一経営者のごときは労働者の行き過ぎを云々いたしまして、かかる刑事免責は除外せよということを公聽会において、発言されておる。このような経営者がいる以上は日本の民主化は絶対にあり得ない、同時に労資関係の円満な調整は絶対にあり得ないということを、私は確信を持つて申し上げたいのであります。 また公共の福祉と基本的人権の、問題でありますが、これは御承知のように、現在の憲法において、あるいは二十世紀における世界の憲法において、憲法制定の最高理念であります。從つてこれを制限するという場合はよほどのことがなければならない。わが國の憲法においても、先ほど前田氏から言われたように、濫用してはならない、公共の福祉のために利用しなければならないということが言われておる。これはもちろんわれわれも認めておる。しかしながらそれは司法上の立法技術との調整によつてなさるべきでありまして、この労働法の中においてそのような必要は絶対にないのであります。それは法務廳の意見書が指摘しておりますように、経済復興法の問題でありまして、労働法の問題ではあり得ないということをひとつ申し上げておきたいと思うのであります。 次に内容に入りまして、第一に爭議権の制限であります。これは今回の試案において非常に強化されておりまして、大体六つあります。その一つは第一條の第一項及び第二項であります。私は実はこの第一項を通読して、最初は何のことだか全然わからない。外國文の翻訳のようなのらりくらりとした表現を用いて、非常にわかりにくくあいまいである。大体の印象を申しますと、どうやら労働者の團結権、團体交渉権、罷業権のうちで團体交渉権のみが全面に押し出されて來ておる。そして他の二つの権利は影にしりぞいて、きわめて影が薄いような印象を受けるのであります。しかもその團体交渉権の条件が主として労働条件に関するところの團体交渉というかつこうになつておるのであります。こういうことは非常に危險な意図を含んでおると思うのであります。すなわちこれは、前田氏が力説しておられたように、取締法的な性格に立つ労資関係法的なねらいであるというふうにわれわれは解しておる。そうしてこの第一條、いわゆるこれは労働法の上の目的條項でありますが、これは当然そのようなあいまい模糊たる表現を用いることなく、これは憲法二十八條における労働者の基本権の保証を具体化する條項であるのでありますから、簡單にこのことを規定すればけつこうであります。從つて現行法の経済の復興に寄與するという字句を除いて、現行法通りということを、われわれは主張したいのであります。 次に労調法四十條であります。これはあの規定の中から爭議行爲という字句を削つておる。これは先ほどから申しておりますように、当然憲法の規定から抜き出されるところの労働者の権利における違法制の阻却として当然のことでありまして、これを除くということは非常に陰謀的な匂いが強い。 次に労調法の第八條であります。これはいわゆる公益事業の追加指定の問題、これを國会の承認を経て総理大臣が指定できるという規定になつております。現行法における中労委の決議によつてというものが御破算にされておる点で、われわれは労働委員会の本質ということからいたしまして、爭議権の制限という問題は、公共の秩序という問題に関連するのでありますが、一方の面においては、これは明らかに爭議権の問題であります。そうしてこれは当然中労委の決議というものが必要条件でなければならない、こう思うのであります。 次に労調法二十六條の二、三、四項、次に労調法の三十七條の第二項、いわゆる冷却期間、それから三十七條の第三項、いわゆる調停案受諾後における交渉続行の過程の爭議の問題、この問題は最初の二十六條については十九日間の冷却期間を新たに設けて來ておる。それからこのいわゆる三十日の冷却期間を経て、六十日の爭議権発動期間を置く。それから次にこれが済めばまた三十日の冷却期間を持たなければならない、こういう規定はこれまでわれわれの経済から見て、実際には爭議の制限ということには決してなつておらない。むしろいたずらに爭議を激発するという結果にすらなつて來ておる。これは末弘博士も言うように、冷却期間というものは全然不要である。もし置くならば、大衆諸君の日常生活に関係のあるところの事業の爭議行爲については、最小限の予告期間を置くというだけでけつこうであります。この点については、われわれ労働者側といえども常に、こういう事情でわれわれはストライキをやるんだ、やらなければならないようになつたのだということを、市民、農民諸君に訴えて、その支持のもとに爭議に入つておるということから考えて、この最小限の予告期間すらも実際は不要であるということを申したいのであります。 次に三十七條第三項におきまして、先ほど鹿内さんがインジヤンクシヨンの問題を強調しておられた。これはアメリカにおいてインジヤンクシヨンがある。今や大統領の権限において、これをやろうとしておるということはあるのでありますが、先ほど私が申し上げましたように、憲法の構造そのものが違う、労働権の内容が日本とアメリカでは違う、その社会的経済的基盤の違いがある。こういうことから言いまして、アメリカにおいて、インジヤンクシヨンがあるからといつて、日本においてこれがなければならないということは、これは牽強附会であるとわれわれは考えざるを得ないのであります。 次に團結権の制限であります。これは第一に届出制の廃止の問題であります。形の上では非常にわれわれの眼をごまかすに都合がよろしい。しかしながら実質的にはこれが認可制である。なぜならば具体的に現実に問題が起つて、これを労働委員会に持ち込んで、初めて労働法以上の権利がそこに審査され確認されるということは、これは実質的の認可制を物語る以外の何物でもない。この点は試案の第二條、第五條、第四章の労働委員会の規定にそれぞれ関連のある点であります。 次に、いわゆる第二條の関係の、利益代表の範囲の問題、それから使用者による経済的援助の問題であります。第一点におきましては、われわれが不審にたえない点が一つある。それは先月二十三日に江口労働次官を囲んでわれわれは説明会を要求した。そうしてその席上労働省事務官は、次のように答えている。資本家側の立場に立つところの労働者に組合結成の、いわゆる團結権を認めておらないのではないのであるから、これは憲法違反にはならないと言つておるのであります。すなわち課長組合というものが実際にはあつていいのだということをそこで言つておる。それをしかも憲法違反の言い訳にしておる、これはきわめてふしぎなことであります。なぜならば第二條と申しますのは、これは労働省自身の態度の中に、すなわち昭和二十一年でありましたか、出ておるものによつてもこの点がはつきりうたわれている。第二條の目的は組合の自主性に反する問題である。從つてこれは機械的に解釈し運用してはならないということを言つておる。また労働委員会の全國連絡協議会においても、第二條の精神ははつきり確認されておる。また立案者の一人である末弘博士においてもこの点をはつきりしておる。すなわち主務官廳においてあるいは労働関係の機関の決定において、あるいは立案者の一人においてこの点は確認されて、解釈され運用され、事実処理が行われておるにもかかわらず、第二條の、最近の次官通牒とも関連して、非常に歪曲してこれが取扱われておるということを申さざるを得ないのであります。 次にこれと同じ問題でありますが、專從者の給與の問題であります。御承知のように、日本の労働組合が終戰後の困難から立ち上つて、しかもきわめて低い労働條件と賃金の中にその活動を展開して來たその過程において、この專從者有給制というものをかちとつた。これはいわばわれわれの既得権であります。これが第二條の精神に照して御用組合で、これを会社負担において有給制をとつているということが御用組合であるとするならば、現在の日本における最大最強の組合であるところの國鉄、全逓、電産等のごとき組合はすべてこれは御用組合でなければならない。またその他の組合も同様であります。御用組合でない組合はなくなつてしまうという矛盾した事態が現われる。從いまして、この点は第二條の精神がこのように取扱われ、解釈されるについては、これまでの労働者、政府当局の態度において、それを容認して來た現段階において、やむなしとして來たことの根拠がなければなりません。すなわち社会的経済的基盤としての低賃金、封建的労働条件が克服されたかどうかというところに眼目がなければならない。これは何ら明示されていないのであります。そうして一方的にこれを機械的に解釈して、御用組合という断定をくだした、こういうことは非常に遺憾な点である。法律解釈の上において、一貫性がなく、権威が失われるとするならば、われわれ労働組合はこの主務官廳のやることを一々疑惑を持たなければならず、全面的な不信の念が廣がりつつあるのであります。 次に、いわゆる第五條における総合規約の必要記載事項の問題であります。この中で第三項におけるいわゆる平等権の問題であります。これは賀來労政局長の談話等に見ても、組合の青年部を二重権力として排除しようという意図だとわれわれは聞いておる。しかるに一方労働省は何をやつておるか。これは過日の労働委員会において春日委員よりも追究されたところでありますが、労働省はいわゆる民主化同盟という組織、これは電産にも、國鉄にも、あるいはその他日通、至るところに組織を組合の内部に持つている明瞭な分派組織である。この分派組織を組合と認めておるという事実がある。それは何かと申しますと、私の記憶にして誤まりなければ、大体二百連に及ぶ紙の割当を行つておる。これは用紙割当廳の権限であるというかもしれないが、しかしそれにしてもこれは主務官廳たる労働省の認定が必要でなければならない。にもかかわらず、このような割当を行つておるということは、この平等権の規定というものを政府みずからが裏切つておるということになつて來るのであります。 最後に、労働組合の資格要件、あるいは規約の必要記載事項の問題について、結論的に申し上げるならば、このような煩瑣な規定というものは世界にも実にまれであります。これはあくまで組合内部の問題でありまして、組合が組合活動運営の面において自主的に規律し、規定して行くべき問題である。政府は自主性、民主性の確立というようなことを言つておりますが、これでは全然その趣旨に反するものといわなければならない。上から與えられ、押しつけられたところの自主性というものは、このようなものは何にもならないのであります。 次に不当労働行爲の問題であります。これは第七條、第二十七條、二十八條、三十二條、第四章の労働委員会、これに全面的に関連する問題でありますが、ここにひとつ指摘しなければならないことは、ここでもまた專從者を使用者の不当労働行爲として、組合のいわゆるこの既得権に両面攻撃をかけて來ておるという問題であります。もし專從者の有給制が組合を御用化するとすれば、何ゆえに日経連のあの改正案において專從者の打切りを彼らは強調する必要があるか。もしこれが御用化のための手段であるならば、彼ら自身がこれを撤回せよと要求することは、それ自体きわめて自己矛盾であるといわなければならない。また次にいま一つの点は、現行法においては不当労働行爲そのものが違法性を持つということを規定されておるにもかかわらず、前回の労働省試案においても今回のこの試案においても、これがいわゆる裁判所の認可確認があつて、そのあとで使用者がこれに從わない場合、初めてこの罰則、あるいは処分命令が発動されるということになつておるのでありますが、これは非常な後退であります。われわれはこういうことは絶対に承服できない。不当労働行爲であるならば、そのものはやはり処罰せられなければならないのであります。先ほど刑法におきまして……。
○倉石委員長 寺井君、最初申し上げましたように、公述人は一應三十分お願いすることになつておりまして、もう時間が過ぎておりますし、あとなお二人残つておられますから、まだ長ければこの辺で打切つていただきたいと思います。
○寺井公述人 承知いたしました。あと結論に入るばかりでありますから、しばらくお許し願いたいと思います。 次に、それでは簡單に申し上げますが、労働協約の問題であります。これは現行法に両当時者の同意を必要として、これの改廃が問題になるという規定が、一方の意思によつてこれが廃棄されるということになります。また現行法における自働延長の規定がここで御破算になつておるということは、非常にわれわれの労働組合側の権限に対する圧迫でなければならない。現在のいわゆる財産権と労働権の中等ということはわかるのであります。これは憲法においても明らかなように、労働者の生存権の理念を、労資対等の立場において、これを実現するというのが憲法の趣旨であるならば、このようなことはやはりこの目的、精神に違反するということを言う必要がある。 次に労働委員会の問題でありますが、これは四の点が言えると思う。それは施行令第三十七條の一方的改惡に見られたごとく、いわゆる職権委嘱に基くところの労働委員会の御用化であります。これはあくまでやはり労働者の推薦に基いて、これがきめられなければならない。にもかかわらず、このような一方的な改惡をやつて来るということは、われわれは反対である。このことははつきり法律に制定されている労働者の推薦に基く委員が送り込まれる必要があるのであります。これは民主的な労働委員会でなければならない。 次に、労働委員会は政府の下請機関であるべきかということでございます。これは労働委員の罷免権を労働大臣が持つ。しかも労働委員に非行のあつた場合にはというきわめて漠然とした規定を盛つて、積極的に労働者側委員を排除しようとしている企図が十分に見られる。もし労働委員に対して不適当なものがあれば、これは労資双方からリコールによつて召還するのが当然である。 次に、いわゆる二審制の問題であります。中労委と地労委の関係に上下関係を打出して、下の地労委に職権を委嘱して、政府がこれを操り、これを握ることによつて、全國の労働委員会を自己の支配下に置くという企図がありありとここに現われている。こういう点はわれわれは絶対に反対である。また準司法的な機能を中立委員にゆだねるということは、労働委員会における三者構成という原則、これはあくまで判定的機能であろうと、何であろうと、守られる必要があるのであります。 内容については以上でありまして、最後に結論的に申し上げますならば、これは爭議権の抑圧であり、しかも実質的な認可制の採用であり、これらの既得権としての過程の御破算、労働委員会の御用化、この四点に大きく言つて帰着すると思う。このような御用化された労働委員会、あるいは認可制によるところの組合の御用化の企図、こういうものに対して戰鬪的な正しい組合ならば、当然この適用を排除するに至るであろうということをわれわれは考えざるを得ないのであります。すなわちアウトサイダー・ユニオンというものがどんどんできて、ここで労働関係が規制されるどころが、一層の混乱を招くに違いないのであります。從いましてこれは人によつては労働省試案よりも改善されておるということが言われておりますが、これはまつたく逆であります。すなわち重要ならざる條項については部分的に緩和しておる。すなわち破算の宣告による組合の解散という問題などは除かれて、一應進歩的な條項を部分的に盛つておる。しかしながらわれわれはこの規定が惡用されるならば、組合彈圧になるということで反対をしておるのでありまして、原則的な反対である。過去の経驗においては、この問題は実質的にわれわれの問題にならなかつたとだれでも言われる。重要ならざる部分を緩和して、しかも爭議権に対しましては、徹底的な抑圧をして來ておる。これをたとえて申しますならば、手足をひもで縛られていたものを、今度は鉄の首輪で、それが電氣熔接されておるというようなかつこうが、今度の第二次試案のいつわらざるところであると申さなければならない。こういうことになりますならば、政府が言うところの自主性とか、民主性とか、責任性とか、公共福祉との調和ということが、すべて空虚な空語にほかならないのであります。のみならず、これが憲法に違反し、十六原則、ポツダム宣言に違反するということは、実に明瞭であります。惡法は法にあらずということをいわれておりますが、このような惡法というものは、労働組合側としては絶対反対である。これは一部修正というような議論も出ておるが、こういうことではわれわれは絶対に納得できないのでありまして、ここで白紙撤回を、われわれ協議的に要求したいのであります。 最後に、國会における審議におきまして、以上のような意向が、全國的に組合員数二百万人以上に上るところの七十以上の組合によつて拒否されておるという点から考えまして、また中立委員の反対の意見もあることでありますので、國会におかれては十分愼重審議していただきたい。現在会期再延長ということがいわれておりますが、これもけつこうであります。徹底的にこの問題は審議していただきたいと思うのであります。 以上で私の意見は大体終つたのでありますが、最後にここへ持つて参りましたものは、非常に不体裁でありますが、労働法規改惡反対の署名簿であります。これは罫紙に一人ずつ名前を書きまして……。
○倉石委員長 寺井君、時間が過ぎましたからもう打切つていただきます。
○寺井公述人 ではこれで……。
○倉石委員長 どうも御苦労様でした。ただいまの寺井君の公述に対し、委員の方で御質疑はございませんか——ないようであります。別所安次郎君。
○別所公述人 私は私鉄経営者協会の常務理事別所安次郎でございます。今度の労調法の改正案につきまして、先ほどから前田、鹿内両公述人から陳述のありました以外の第二章、第三章について、大体意見を申し述べたいと思います。 各條項に入ります前に、大体今度の法規の改正につきましては、労資双方まつたく別の立場から反対の意見があるのであります。労働法規というものは、いろいろ調査をし、時間をかけて案を練つても、それだけの効果が上るかどうかということは、実は私は疑問を持つておるのでありまして、むしろ過去のいろいろな経驗にかんがみて、漸進的に改正して行くということが妥当ではないかと思うのであります。從つてここで労働法規を改正するということは、むしろ妥当な措置であると思つております。そういう意味におきましては、一應本案に基いて、なるべく公正な線に沿うて新しい修正がなされ、労働法規が進歩したものとしてつくられるということを希望するものであります。それからもう一つは、労働組合運動のあり方でありますが、たとえば労働組合運動に関連いたしましては、公共の福祉とか、あるいは労働権の問題ということが、常に問題になるのでありますが、しかし労働組合は常にそのときの経済情勢に從つて、あるいは社会情勢に應じて、それぞれのあり方はあるのでありまして、絶対的に労働組合としての一つの立場はあり得ないと思うのであります。從つて公共企業あるいは公共の福祉、労働権の問題は、そのときどきの状況において判断さるべきでありまして、また公共の福祉を増進し、あるいはそれを妨げないように権利を進行すべく、あるいは行使すべきことは多言を要しないと思うのであります。そういう点につきましては、労働組合運動の何か絶対的な神聖的な権限と、労働者の権利というふうな二つの先入観念があるように先ほどからも伺つているのでありますが、そういう点こそむしろ労働法規の上で是正すべきではないかと思うのであります。 それからもう一つは、労働組合運動は双方のフエア・プレイでなくちやいかぬと思うのであります。そういう意味においても、この法規の改正を考えてみたいと思います。 それから午前中からも言われましたように、この労働法規の今回の改正は自主性あるいは責任制というふうな立場から言われておりますので、当然労働組合あるいは協約についてもそういう面から考えてみたいと思います。実は労働法規の法案をもらつただけでありまして、その解釈が違つておれば取消してもいいのでありますが、第五條の第三号に「連合團体である労働組合以外の労働組合の組合員は、その労働組合のすべての問題に参與する権利及び均等の取扱を受ける権利を有する」とありまして、労働組合が自主的な運営をするためには、組合員がすべての問題に参與することは当然でありますが、そのときに言論の自由が確保され、各人が自由な発言の機会を持つことはぜひ必要じやないかと思うのです。そうでなければこの條項を生かすことはできないのではないかと思います。そういう立場においてその権利行使について十分な機会を與えられるということは、この前の労働省の試案にありましたが、少くともその程度のことはここに書き入れたいと思うのであります。 それから第八号でありますが、同盟罷業は組合員の直接無記名投票による。ここに同盟罷業という爭議行爲の一つの形体を取上げて來て、特に限定してありますが、この点につきましは、同盟罷業とその他の爭議行爲とは、労働法第七條なんかにおいても区別されておりますし、また学説上も一般に区別をしているようであります。從つてここで同盟罷業と言えば、いわゆるストライキに限られるのではないかと考えるのでありますが、ここに第八号を設けた趣旨は、おそらく労働組合の爭議行爲として同盟罷業をやる場合に、組合員の自由な意思によつて、この社会的責任の自覚において同盟罷業に対する態度をきめる。これがおそらく本條項の設定された趣旨であると思うのであります。そういう意味から言いますれば、サボタージユをやるとか、ハンストをやるとか、あるいは生産管理をやるとか、その他の爭議行爲につきましても、その社会的責任、あるいは自由な意思の徹底は、同盟罷業と何らその差を設けなければならぬ理由はないと思うのであります。そういう意味において、ここは同盟罷業その他の爭議行爲と修正したいと思うのであります。 それから第七條でありますが、第一号に「若しくは労働組合の正当な行爲をしたことの故をもつて、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱をする」とあります。ここに労働組合の正当な行爲ということについては、第一條の第二号で、いわゆる労働組合運動、あるいは爭議行爲の正当性の限界が問題になりましたが、ここでも同様な意味において、できれば正当な爭議行爲は何かというその内容をひとつ明確ならしめて、労賛双方に正確な認識を持たせる必要があるのじやないかと思うのであります。どういう案があるかと言われますと、実は私も名案がないのでありますが、この点については十分御檢討くださいまして、適当な字句で内容をもう少し具体的に、明瞭にしていただきたいと思うのであります。 次に第七条の第二号でありますが、「使用者が雇用する労働者の代表者と團体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと。」この点につきましては團体交渉を拒否することができないという受諾義務と言いますか、それが使用者だけに與えられているに点ついては、当然これは労資双方にそういう制約があつてしかるべきであつて、そういう制約をしたからといつて、團体交渉権の制限になると考えることはないと思うのであります。それから正当な理由がなくて拒否はできない。そこで先の組合運動の正当制の問題と同じように、ここでも正当な理由がなくて拒むことができないというその正当な理由、これについてひとつその内容を具体的に明確にしていただきたいと思います。これも実はさきの正当な行爲と同じように、具体的には十分によい表現がないのでありますが、しかし少くともさきの労働省試案程度には明記したらどうかと思うのであります。 それから第七條の第三号に使用者の不当労働行爲を相当詳細に書いて來たのでありますから、第四号に使用者がその人事権の行使として当然行い得る点について一号を設けていただきたいと思うのであります。この理由は、第七條は実は現行法の十一條に該当するのでありますが、十一條において、そういう点が明確でないために、たとえば処分するとか、あるいは馘首をする、そうするとすべて十一條違反として濫訴される、こういうのが実情であります。使用者の不当労働行爲と、それから使用者の当然なし得る措置との区別が明確でないために、組合活動であればどういう行爲も正当だというふうな先入観念と一緒になりまして、十一條の濫訴が起つて來るのだと思うのであります。そういう意味から、人事権の発動としてなし得る——これは当然のことでありますが、実はその当然のことをきめることによつて、現在の組合の中にある誤解を一掃したいという立場から、そういう主張をするわけであります。 それから、第三章の労働協約でありますが、これにつきましては、実は現行法においては平和条項があるのでありますが、それが今度は省かれているように思うのであります。これには、たとえばそれが大した実効がなかつたというふうな説明が、以前の公聽会においてもあつたのでありますが、それはむしろ現行法にそれを規定する時期が早過ぎたのではないかと思うのであります。むしろ現在こそこれを残しておいてこれを利用する、労使双方が平和的な交渉によつてなるべく労資間の紛爭を処理して行く、なるべく爭議に訴えないで問題を解決して行くという努力をすべきではないかと思うのであります。そういう面においては、むしろ今これを削るのは間違つているのでありまして、逆に、これこそ残して置くべきものだと思います。そういう意味において、ひとつ現行法を復活させていただきたいと思います。 まことに簡單でありますが、これをもつて公述を終ります。
○倉石委員長 ただいまの公述に対して御質疑がありますか。
○土橋委員 ただいまの公述中に、労働者及び労働組合は、その地位が絶対的なものじやないというような御説があつたように考えておりますが、その意味はどういう意味か、もう少し御説明していただきたいと思います。
○別所公述人 これは私とあなたと意見の相違があるかもしれませんが、私は、労働組合運動というものは——必ずしも労働組合運動だけじやないのでありまして、あらゆる社会運動はもちろんそうですが、労働組合運動においても、現在の経済情勢、現在の社会情勢において許される段階というものがあると思うのです。それで、憲法がこうきめている、あるいは極東十六原則がこうきめていると言つても、その憲法なり十六原則というものは、そのときその場の情勢に應じて適用されているものだと思うのであります。そういう意味において、必ずしも絶対的にというふうな神聖な意味はない、こういう意味で申上げたのであります。
○土橋委員 私はあなたとここで論爭しようという考えはありませんが、ただあなたの御意見として、労働組合及び労働組合運動は絶対的なものじやないという御意見が、現在の憲法や、今あなたの指摘されたような極東十六原則というような、日本の労働組合運動に対する基本的な考え方、そういう方針に反しているように考えましたので、それでもなおかつあなたは絶対的じやないということを仰せになりましたので、私は非常に不思議に思います。もしそういう御意見ならば、労働組合運動は抹殺されてしまうようなことになる。資本主義経済のもとではどこまでも資本家があればそれに使われている労働階級がありますので、個人的な問題、あるいは自分の生活を擁護するためには、どうしてもいわゆる利害相反する場合があると私は思うのです。そういうものに対して強く主張するなら、さらにその問題は政治的な点にまで発展するわけであります。そういう團体をつくつて自分の権利を擁護することは、その國の経済状態、政治状態がどうありませうとも、常にこれは絶対的なものであると私は信じております。そういう点から、ただいまの公述中に、憲法や極東十六原則の基本的な方針を否定するような考え方が出ておりますので、こういう点は、いくら資本家側の方であつても、不都合な考え方じやないかと思いますので、もう一度その点御説明願います。
○別所公述人 実は私も、資本主義がある限り労働組合があるという考え方は、あなたの説に同感であります。また先にどなたかのお話があかましたように、私も資本主義の発達するには、労働組合というものは強くなくちやいかぬと思つております。しかし労働組合が絶対的な権利とかあるいは絶対的な不可侵権を持つているという考え方は間違つているのではないか、こう思います。
○土橋委員 もう一回お聞きしたいのですがただいまの御説明によると、企業権なり財産権というものの絶対性は主張するが労働者の労働権に関する問題は、そんなものは時と情勢によつてはいかようにもなるというようなお考えのように聞こえるのですが……。
○別所公述人 財産権とか所有権とかいうものは、そのときどきの情勢でその制限がだんだんできて來ているわけです。ですから財産権だつて制限されるときはある、労働権だつて制限されるときはある、私はこう思うのであります。
○石野委員 お尋ねいたしますが、前田公述人に始まりまして、ただいままで、ちようど資本家側の三部局とでも申します方々の一應の御説明は終つたわけであります。御三人の方を通じまして感じられることは、この改正法案に対する考え方というものは、私たちずつと振返つてみますと、どうもやはり労働者は行き過ぎている、だからぐつと締めなければならないんだという考え方が一貫しているように思うのであります。憲法の二十八條によつて、この法案が保護法として設定されたことに御異存はないと思います。その考え方と、ただいまこの改正法案に直面しましての皆さんの仰せられた考え方との間に、特に憲法第二十八條の趣旨が今のような改正案とか、あるいは現行法というものにおいては不満足だというようなお考えがあるのでしようか。お伺いしたいのであります。
○別所公述人 これは人によつていろいろ意見もありましようが、私は労働法の改正を引起した原因は、率直に申し上げますと、労働者側に責任があると実は思つておるのであります。それは過去の労働運動の結果がこういう改正に持つて來ざるを得ないというような、公衆の輿論を起したと私は考えておるのであります。
○石野委員 その見解については討論にわたりますから申しませんが、労働組合を現在のものよりもより一層自主的に、民主的に発達させなければならないという考え方においては、かわりはないように聞いております。そこでみなさんのおつしやつているように、労働組合の内部にわたつて、こまかく規定しておるような行き方、そういう行き方で労働組合がほんとうに自主的に民主的に発達して行く、発展して行くという考え方を現在でも皆様お持ちになつておるのでありましようか。
○別所公述人 私はむしろこの前の労働組合法規は、あまりに組合をおとなに取扱い過ぎたために、かえつてこういう改正をしなくてはならぬようになつたんじやないか、と思うのであります。ですから組合から見れば、あるいは取締り法規だ、あるいは自主性に干渉する人だ、こういう意見も出るかと思いますが、私は現在の組合としてはまだまだこういう規定を置いておく必要こそあると考えるのであります。
○倉石委員長 どうも御苦労さんでした。次は野村平爾くん。
○野村公述人 私は野村平爾であります。ただいまから法案の内容につきましてただちに私の意見を申し上げてみたいと思います。 第一條の関係でありますが、このたびの改正案では、第一條は非常に詳細に規定せられまして、從來の法案の、大体現在定められております憲法第二十八條の規定に照應するような言葉とは、大分違つて参つておるように感ぜられるのであります。私の記憶に間違いなければ、一体法案の第一條に、その法律の目的を表示するようなことが始まつたのは、日本の場合では、昭和十二、三年ごろ、たとえば國家総動員法とか、その後の國民優生法とか、あるいは國民健康保險法とか、そういつた法律が定められたころからのように記憶しているのでありますが、その当時從來の法律の考え方と非常に違う法律を制定しよう、從つてその運用なり適用なりの場面において十分に法律の目的を知らしめて運用に誤りなからしめようというようなことが、そういう宣言的な規定を置くことになつた。そういうふうに考えられるのであります。ところで現在の場合は、労働組合法を生み出す基本的なもう一つ上の根本的な法というような立場から言つたならば、憲法第二十八條の規定があるわけであります。そこで宣言的な規定を置くとするならば、こういう憲法第二十八條の規定と照應するような形において置かれるのが至当ではないか。ただ單に宣言的な形で置かるべきものでない、こういうふうに考えるのであります。 そこで今度の法案の第一條の内容を見ますと、大体使用者との交渉において、労働者が対等の立場に立つことを促進し、その地位の向上をはかるということか一つ。第二点では、團結をすることを擁護するという点が一つ。第三点としましては、團体交渉をすることを助成し、その手続を定めるという点があげられておるわけであります。ところで第一條の労働省の地位同上ということにつきましては、團体交渉の場合だけについて地位向上という言葉を使つておるわけであります。第二点としての團結の擁護ということは、それでよろしいのでありますが、第三番目の團体交渉をすることの助成という点におきましても、團体交渉だけが取上げられておる。こういう点から行きますと、この三つの点を並べて憲法第二十八條の規定と照應して見ますと、どれも意味が狭いような感じを與えられるのであります。そうだとするならば、やはりこういう宣言的な規定は、むしろ全般的に憲法二十八條の趣旨をここにうたい直して、あるいはもう少しそれを具体化するならば具体化するという形であるのが至当ではないかというふうに考えるのであります。これも單に飾りだというならば、それでよろしいのでありますが、第二項との関係では、この第一項の目的を達するためになした労働組合委員、あるいは労働組合の行動を刑事的、民事的に評價する場合の標準に取上げられておるわけでありますから、從つてそういう意味から言うならば、これはやはり憲法の規定に照應させる方が適当ではないかということ。それからこまかい規定からはずれている問題について、解釈上の疑義を生ずるようなことがあつてもおもしろくないじやないか、そこでできるならば旧來の規定のような規定の方式をとつて、團体権の保障それから團体行動権の保護助成というようなことによつて労働省の地位の向上をはかるものだという点をはつきりと出せば、それで全体の法の運用の精神が、ここにはつきり出て來るんじやないか。そういうような考え方で、このこまかな規定の仕方はかえつて役に立たない、つまり、たとえば團結をすること、團体交渉することの手続だとかいうようなことは、法案そのものを開いて、次の條文を見て行けば当然わかることでありまして、わざわざ宣言的な意味のものを書き加える必要はないんじやないか、こういうような意味から第一條については改めてほしい。むしろ次善的ではあるが從來の規定くらいでけつこうじやないかと考えるのであります。 次に第二点は、第一條の関係の第二項に関してであります。從來私はこの点について、——これは末弘博士の意見もそうであつたのでありますが、こういう考えを持つております。つまり労働者のやるところの労働組合の目的を達するための行爲は、原則的には正しいことだということを宣言する。このことは必要だ。しかしながらその目的を達するのじやないような行爲をする場合が実は問題になる。たとえば必要もないようなことをやる。めつたにこういうことは起らないでありましようが、かりにそんなことをするならば、そのときは問題になる。あるいは個々の行爲によつて、たまたま爭議時において日ごろのうつぷんを晴らす行爲に出た。こういうことになると、これは確かに問題になるのであります。しかしながら今度の法案で規定されたように、暴力の行使はいかなる意味においても適法だと解釈すべきではないというような書き方をいたしますと、一つの行爲それ自体が、全般的な爭議干渉などの中から抽象されて、それだけについて評價をするというようなことが起りがちになるのではないか。どうも過去の裁判所の判決などを見ておりますと、取上げ方がそのような場合がかなりあるような氣がしておるのであります。もちろんその点につきましては十分に全体の環境を考慮した判決もありますけれども、そこで暴力の行使ということが適法でないということは、言わずして明らかなことでありますけれども、そういう暴力を行使せしむるに至るような事情が生ずる場合もある。つまり労働爭議のような場合は、日ごろやらないようなことが起る。やらないようなことが起る理由はどこにあるかといいますと、たまたま双方からの対抗行爲というものが高じて最後のそういう事態が生じて來るというようなことが多いのでありますから、從つてこういうことをただ切離して、暴力の行使だけを規定するというのでは適当でない。むしろ規定するくらいであるならば、これに対して相手方が一つの機会を與え、そういう行爲に出さしめるような、つまり誘発するような行爲があつた、挑発するような行爲があつたというようなときには、この限りでないというような限定をつけないと、この規定の解釈について、また適当でないというような運用の方法が起つて來るのではないかということが感ぜられるのであります。 第三の点につきまして、これは第二條の関係でありますが、組合のこの規定の第一項と第二項との関係の問題であります。第一項では、労働組合というのは労働者が主体となつて自主的に結成したものであるということがうたわれておる。本來の労働組合を認定する基礎というものは、この実踐という点に置かれなければならないはずである。ところが具体的にその労働組合が眞に労働組合であるかどうかということを判断する場合の基準としては、こう規定形式から行きますと、大体第二項によるところの規定、つまり労働者のどういう人が組合の中に参加しておるとか、あるいは費用の補助はどんな形で受けておるとか、こういうことだけが判定基準になつて來て、逆に自主性ということはそれから推定されるという形をとつて來ると思う。ところが事のほんとうの意味からいうならば、むしろ自主性の方が先に出なければならない。そうしてその自主性を補う場合の一つの標準として第二項が適用されなければならない、これが正しい見方ではないかと思います。從つて第二項のような規定形式をとるような場合においても、そういうたとえば経費の補助を受けた、そのために自主性を失つたものは組合でないというような、つまり自主性というものをやはり判定基準の中に入れて評價するということの方が本筋ではないかというふうに考えるであります。從つてむろん無限定的な第二項が活用されるような規定方式というものは適当でない。從つて現行の組合法の場合におきましては、その点が労働委員会において、たとえば経費補助の問題などにつきましても、主たる経費の補助を受けるものというようなややあいまいな表現でありますが、そのあいまいさのゆえにかえつて彈力性を持つた判定ができておつたというのが、過去の実情ではないかと思うのであります。次にこの規定では、第二項の場合、経費というものについて恩恵的に與えられるところの、つまり御用化するための補助というような形のものと、それから爭議や團体交渉の結果取得した利益というようなものとの間にはつきりした分界がついていないという点、この点は立法技術上あとでもつて判断をするのに非常に困りはしないか。またその判断の仕方いかんによつては労働組合圧迫というようなことが起らないでもない、こういうようなことが考えられるのでありまして、やはりその点から考えましても、第二項の規定はもう少し考慮の余地がある。むしろ從來の第二條但書の第二項というような規定方式の方が、まさつておるように考えられるのであります。また從來からの実例から考えましても、大体組合の御用化について、問題を起しておるのは、労働組合法の現行法の第二條の但書の第一号の方がもつぱら起しておるのでありまして、第二号の場合に、経費をもらつたからといつてそのため御用組合であるというような判定を受けた実例は、労働委員会の方に見当らないように私には思えるのであります。そうしてみると、大体自主性ということの判断の基準からするならば、今の規定をあえて変更する積極的な理由がないように思うのであります。ことに逐次労働組合においてもみずから自主性を確立しし來るというような形がだんだんに現われているように実例について見受けられますので、この点も改正する必要がないように考える理由の一つであります。 次は第四番目の点でありますが、これは組合の資格の問題で、今度の改正案におきましても、第五條におきまして、大体労働委員会が資格判定をやる形になるのでありますが、一体労働組合の資格というものはどういう形で見るのが原則であるかといいますと、私の考えによりますと、この場合は團結権保障という観点から廣く御用組合でないものには法律の保護を與えるというのが建前でなければならないわけであります。從つて組合が眞に組合たるに値するかどうかということを判定する場合においても、次のことだけが基準として上げられればよい。つまりその組合が組合として一つの團結体と見られるかどうかという点が規約の中に表示されるということが一つ、それからその組合の行動が自主的なものであるかどうかということを判定し得る基準があるということだけで足りるのでありまして、そのほかのことは組合自身にまかせる方が、ほんとうの意味からいつて組合の自主性を育てることになるのではないか。戰後における組合の実情を見ておりますと、だんだん規約が改正されて、詳しくなつて來るような現象があるのでありますが、これは組合自身が問題にぶつつかり、問題の解決のために直して行くというようなことでそういう発展を示すのであります。一体そういう規約類というものは、ただ嚴重に規定すればよいのであるというのではなく、規定されたことがほんとうに組合員に守られるということが大事なのであります。だから組合員がその必要を感じつつ規定して行くというところに、ほんとうの意味にそれを実行して行くところの自主性というものが培養される、こういうふうに考えるのであります。從つて今度の規定のようにあまりに詳し過ぎるというようなことは、組合自主性の培養という観点から言つても、これは適当でないのではないか。また今度の規定方式は最小限の必要事項を規定するというのではなく、むしろ最大限にまで近いものを法律ですべてきめてしまう、これに欠けるときには法の保護を與えない、あるいは停止するような感じを抱かせるのであります。もしこれに適用しないところの、これに該当しないところの労働組合でも、やはり憲法の規定があるから團結権も團体交渉権も保障されるのだというならば、何のためにこういうようなやかましい規定を置くのか、その意味がわからなくなるように感ずるのであります。かりに実際の問題に徴して見ましても、組合が設立されたときに御用組合的な色彩を持つている組合でありましても、その組合がやはり労働者の團体であるときには、まるでその性質を変じて御用組合的でなくなるような場合もたくさんある。たとえば組合分裂のときにおいては爭議時に分裂するというようなことでそのときには御用組合的な性格をも持つた。しかしながら團結を組んでいるうちに、いつの間にかそれが労働者的なものになつて來るというような性格変化の問題もあるわけであります。そういうように組合の判断は画一的に法規に適合しておるかどうかということだけでやるべき問題ではなく、むしろ自主性そのものがどのように現われておるかということでもつて判断するということの方が非常に適切ではないか。その意味から言つても、法律であまりこまかい規定をつくつて、その規定に合わないから法の保護を與えない、あるいは労働関係の調整に参加させないというようなことになりますと、これでは参加できないような組合がたくさんできる、そういうことになつて、もし参加できないために実際上権利の行使ができないということになると、これはやはり憲法の規定の精神に反することになるおそれがあるのではないか、こういうふうに考えるのであります。そういう意味から行きまして第四点に申し上げます組合の資格、組合観定との関係のことにつきましては、やはりもつと簡便化し從來のごときものをもつて足りるのではないか、こういうふうに考えるのであります。内容についてのこまかい点については省きます。 次に第五の問題といたしましては、不当労働行爲について一つだけ意見を申し上げておきたいと思います。不当労働行爲は、御承知のように、從來はただちに労働委員会が処罰請求をしていたのでありますが、今回は処罰請求をやらないということにしたのであります。その理由がどこにあるかは、私の推察ではかえつて処罰をするより実際には現状に回復させる方が手取り早いのではないか、処罰規定を置いたためにかえつて処罰請求に躊躇をしておつて、現状回復を命ずることが遅くなるというようなことになつては、労働者の救済に適当でないのではないか、こういうような考え方から出たものではないかと想像するのでありますが、このいうことは、不当労働行爲であるかどうかということが裁判所によつて終局的に決定するまでは、やつた行爲が不当ではないということに実はなるわけなのであります。從つて労働関係について、たとえば解雇なり不利益な取扱いというようなことにつきまして、これを判断するのはだれであるかといいますと、判断者は解雇する人、不利益なる取扱いをする人が判断するわけで、結局使用者側の一方的な判断によつて一應解雇されたり、不利益な取扱いを受けたりする。そしてそのことについての取消しなり原状の回復なりということが確定して來るまでの間は、ともかくも労働者は職を離れなければならないというような事態が起ることになるわけであります。そういうことになつては不当労働行爲が保護をするという建前からいつてどうも適当ではない、こういうふうに考えられるのであります。その場合に、しかしながら使用者側についての不当労働行爲だけは定められて、労働者に対する不当労働行爲が定められていないのだから、その程度でもけつこうではないかという意見があるかもしれないと思うのでありますが、一体労資の対等という立場は、全法律制度の中から判断するのが私は正しいと思う。つまり從來の法律から言うならば、刑法にしても、民法にしても、大体においてこれは使用者側の立場に有利にできておる法律であつて、たとえば爭議行爲についての個々の行爲が違法であるというように判断される場合について考えて見ても、使用者側についてはほとんどそういうことは起らない。しかしながら労働者側についてみれば、從來の法律によると、すべて違法だと考えられるような行動が、爭議時などには起つて來るわけであります。そこでこういうような規定に対應して使用者側の方に処罰をし、あるいは労働者側を積極的に保護するというのは、わずかにこの不当労働行爲の規定だけが現在存するわけであります。そこで個々の場面、つまり労働組合法の中におけるこの点だけについてのバランスというような形から、この点は評價すべきものでないように私は考えるのであります。ことに今回はこれはあとの労調法と関係があるのでありますが、労調法第四十條に規定してありました爭議行爲をなしたということを理由にする処分、解雇、その他不利益な取扱いということも、今度改正案の第七條の規定の中で同じく取扱われるのでありまして、労働者が組合のためにやる正当なる行爲については、処分をしてはならないというこの規定だけでもつて救済をされることになつて來るわけであります。そうしますと、ともかくも一應爭議時のような興奮した際、そうして適正判断をなし得ないような状態のもとに、一應使用者側の方でもつて解雇することができるということになりますと、結果から見て進行しておるところの労働関係の調整そのものを害するというような結果も出て來るのじやないか。そこで少くもこういうような規定形式をとるならば、爭議時の処分あるいは解雇その他不利益なる取扱いというものにつきましては、これはやはり別途規定する方が正しい、こういうふうに考えるのであります。 次は第六の点としまして、労働委員会のことに関して一つだけ申し上げます。労働委員会の作用というものの大眼目は、私は次の三つの点にあると考えております。それは労働委員に選ばれた者が、この法律の規定の趣旨に從つて十分にその職責を盡すということが一つの点。それから第二の点は、職責を盡させるためには労資双方が信頼するような者が選ばれなくてはならないという点が第二点。ところでこういう観点から労働委員会の規定を見まして非常に不満足に考える点は、第十九條の七項に規定されました労働委員の任命の点でありますが、これはやはり選挙制によらせるということが正しいのではないかと思います。つまりこの労働委員のうち公益委員と今度呼ばれるところのものをしばらく除きまして、労働者委員、それから使用者委員というものは明らかにこれは利益代表であります。つまり自分の背後にある團体を代表し、その利益を代表する者については、その利益を代表される者が選ぶというのは、これは民主主義の原則として疑う余地のない点ではないかと思うのであります、そこでやはりこの点はぜひ選挙制に直してもらいたいということ、ことに今度の法律改正の趣旨の中には至るところ選挙によつて、その組合内部のことについてまでも、選挙、ことに秘密投票による平等な選挙制というものをもつて民主的なあり方として考えている。この考え方を貫くならば、やはり労働委員のうち利益代表については明らかにこの選挙によらせる、そうして行政官廳の任命ということは形成にとどめさせるというふうにすることが、ほんとうのこの規定の趣旨に合致するのではないかと思う。ことに今までの中央労働時報などの実例を見ておりますと、大体大きな團体から推薦されて出て來たと思われるような人は非常に熱心に討議をし、それから出席をしております。ところが背景関係が弱いと思われるような人は、割合に労働委員会等を休んでおる。これはつまり出る人も大勢の人に選ばれるということになればこれに対する責任を感じて来るということになると思います。それから自分は出ても出なくてもいいのだが、自分だけが選ばれたのだ、從つて都合の惡いときには随時休むというような考えが出たのでは、労働委員会の職責を全うすることができなくなるのではないか、そこでこのほかのこまかい点は除きまして、労働委員会の規定中にはこの選挙制を定める、この選挙制を定めれば労働委員会の信頼というものが高まる、從つて労働委員会の運営によるところの労働関係の調整ということが期せずして、法の目的とするような結果を導き出すのではないか、こういうふうに思うのであります。 それから次は労調法関係でありますが、今度は労調法関係で改正になりました点はかなりあるのでありますが、その中で冷却期間が満了のときから、六十日経過した後においては再調停を行うというような規定が、今度は挿入されて來ておるのでありますが、一体こういうような必要があるのかどうか。私は具体例をあまり知らないのでありますが、どうも六十日以上も経過してまた引続いて爭議が起つて行くというような形はないのではないか、しかも万一これが初めからしまいまで継続して、六十日を越えてまで問題の解決がつかないということであれば、これはむしろ爭議によつて解決するよりほか解決の方法がないのではないか、從つてまた再調停をやるということの意味がなくなつて來る。むしろ再調停をやるというような必要が起るのは、かつて私の記憶では、今年の春でしたか、去年の春でしたか、あの電産の爭議の場合に問題になつたのでありますが、つまり調停案の條項中の不履行というようなことが問題となつて爭議が起る、ああいうような場合が一つと考えられるのでありますが、そういう場合がもし問題になるのだとすると、一應調停案の承諾をして、それからそれを履行しないという事態を繰返しておると、しまいには労働者の方が業をにやしてしまつて、結局めんどうくさいからというので違法の爭議に突入する、この規定に反するような爭議に突入する。もしそうなつたとするならば、これは法律の規定の仕方一つで、かえつて法の規定に反する犯罪者をつくり出すというような結果が生れて來るのではなかろうかと思うのであります。そういう場合以外に、六十日経過後の再調停ということはどうも必要性が考えられない。事実労働委員会というのは随時あつせんをすることもできるわけでありますし、ことに公益事業であるならば、調停をやつて行くということは、別に回数を制限されておるわけではありませんから、爭議権を持たしたもののもとにおいて、解決をするために盡力するというような規定は、從來通り許されていると考えますので、この点は不必要ではないかというふうに思うのであります。 それからこれは先ほども触れた点でありますが、第四十條関係の「爭議行爲をなしたこと」というのと但書の労働委員会の同意を得た場合についての除外例を今度は削除したということであります。この規定は私の考えは二つの理由があつて置かれておつたと思うのであります。一つの理由は爭議権の保障ということであります。現在の組合法第十一條の規定によつてやらないで、この爭議権の保障だけ特に第四十條に持つて行つた一つの理由は、爭議中の解雇についての正当性の判断が妥当を欠くようなおそれがあるであろうということが一つ考えられる。それから爭議が済んだ後においてもすぐに爭議をやつたということを理由に解雇するということになると、再び爭議を誘発して來るようなおそれがありはしないか。そこで爭議権を守るために、爭議行爲をやつたという理由だけでは解雇してはならないという規定を、四十條に置いたと思うのであります。それからもう一つの理由は、この労働関係調整法にいうところの調整が進行している間になした発言に基いて解雇してはならない。あるいは不利益な取扱いをしてはならないということと、あわせて労働関係の調整に入つているような場合において、爭議をやつたということで処分をするというようなことをやりますと、せつかく円滑に進みかけた調整のぶちこわしになる。そこで労働委員会の同意を得てやつた方がやはりよいのだ、こういう観点も含まれておつたのではないかと思うのであります。もちろんこの点につきましては学説の相違がありますけれども、そういう二つの理由があつたように思うのであります。第一の理由から言いましても、第二の理由から言いましても、爭議行爲というような、興奮しておる間に行われることを理由としての解雇ということは、まま正当性の判断を欠くおそれがあるから、從つて労働委員会の同意を得させるということが、その点からいつても至当であるし、労働委員会の任務を遂行する上からも至当である。こういう考え方があるのではないかと思います。從つて私の考えとしては從來の規定の方が、やや解釈上疑義はありますけれども、現在のような改正よりまさつておるように考えるのであります。 大体以上の諸点を総合いたしまして、私のあげたような点では、大部分におきまして從來の規定がまさつておるように考えられ、今度の規定についてはこれはかえつて考えた方がよいのではないかという点があるのでありまして、できるならばもう少し愼重な問題の審議を煩わした上で、改正の手続に入られることが、私の結論としての要望であります。
○倉石委員長 委員の方でただいまの公述人に御質疑はございませんか。
○大橋委員 ただいまの野村さんの言われました第二の問題、第一條の第二項の但書、暴力を加えた場合、これは暴力行爲を裁判所が抽象的に引出して來て、環境あるいはその当時の事情を考慮せずに処断するおそれがあると言われましたが、この点について質問させていただきたいと思います。なおその際に野村さんがおつしやいましたのは、誘発されたような場合にはこの限りでないというような規定を挿入することが適当であると申されたのであります。その点について特にお聞きしたいのでありますが、一定の行爲が犯罪とされました場合に、これが誘発されたというようなことは、ひとり爭議行爲の場合にとどまるものでなく、一般の刑法の各本條の罪についてそういうことがあり得ると思うのであります。そういう場合においては、刑法においてはこれは情状の問題として取扱われておるのでありますが、特に爭議行爲において、今御説の通り、これを情状の問題とせず、違法性の阻却の問題として考えておられます理由についてなお伺いたいと思います。
○野村公述人 ただいまの点でありますが、もちろん情状酌量の問題になる場合もありますし、正当防衛であると考えられるような場合も廣い場合にはあり得ると思うのであります。私はそういうことをこまかくわけて今は論じなかつたわけでありますが、もし規定形式として全部的にこれをとるならば、私は自分の意見として前に労働省の方に提出しました分には、こういうふうに書いておつたのであります。それは本法の目的を達するためになした労働費の行爲はこれを罰せず、これが第一原則であります。第二原則は、但し必要の限度を越えてなした行爲についてはこの限りでないということ。第三原則としましては、但しその行爲が今のように誘発されたような場合、この場合については処罰をしないかもしくは軽減をする、こういうような規定形式をとつたら今の正当な行爲という抽象的な規定よりもややまさつておるのではなかろうか、しかしその場合においても、必要であるかないかという判断をやはり警察官や何かにまかせなければならない場合がありますのも、非常にそういう点でもつて、労働側に言わせれば干渉であるというような事態を引起す危險性を、この規定だけでは避け得ないものだと考えるのであります。ただ全般的に言いまして、やや現在の規定よりまさつておるのではなかろうかというような感じで、そういう提案をしておるわけであります。それを詳しく申し上げなかつたのでありますが、そこで今度のように、暴力行使ということがいかなる意味においても適法なものだと解釈してはならないという、言葉それ自身から考えれば、これは私は正しいと思います。ところがこういうことが運用の面に入つて來た場合に、暴力行使というものが瞬時判断されて、あとで裁判法廷においてそれが暴力でなかつた、暴力行使には該当しなかつた、あるいは処罰すべきではないということになつても、ともかく一應爭議中から指導者が勾引されるということが起りますと、それだけでも実際において爭議関係の勝敗がきまつて來るということが出て來る。そこでこういう規定形式としてはやはり愼重に構えて行動するような意味の規定形式をとつておく方が正しいのではないかという考え方で、これを規定するくらいなら但書もつけなければなるまい、こういうふうに申したのであります。
○大橋委員 そういたしますと、ただいまの暴力の行使が犯罪にならない、処罰されないという場合には二つのものがあつて、一つは情状酌量される場合、一つは違法性阻却によつて犯罪不成立の場合、そしてあとの場合は刑法の正当防衛の場合がそれに当る、こういうお話でございますが、それならば刑法の正当防衛の規定及び情状酌量の規定がすでにあるのでありますから、法律的にはさような規定は必要でない。ただ一般にいろいろな意味において誤解を生じやすいから、その誤解を避けるという意味においてさような規定が入る方が妥当であると承つてよろしうございますか。
○野村公述人 ただいまのことにつきましてこういうことが一つ考えられてよいと思います。つまり正当防衛規定などをわざわざそこに規定しなくとも、それは刑法の規定の中で取扱われるからよいではないか、こういうお考えも含まれておつたように思うのであります。そういう意味からいうなら暴力行使が刑法各本條に該当するような場合、これが違法と判断されるのはわざわざこの規定をまたなくても明らかなのであります。これを規定するくらいなら正当防衛のことも情状酌量のこともあわせ規定しておかないと、何かこれが特別な規定のような感じを與えてまずい。また法の運用の場合、司法官憲あるいは行政官憲、こういうものによつて利用されるでありましようし、それからまたこの法律によつて行動する人もそれに準拠して行動するということになると思うのであります。それであげるくらいなら、要点をあげておいた方がよくはないか、こういう意見であります。
○倉石委員長 どうも御苦労様でございました。(拍手) 本日の公聽会はこの程度をもつて散会いたします。 午後五時三十分散会