労働委員会 第21号
- 発言数
- 11 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1949/07/18
会議録
○倉石委員長 ただいまより会議を開きます。 お諮りいたします。理事の角田幸吉君が委員を辞任いたされましたので、理事が欠員になつております、この際、理事の補欠選挙を行わなければなりませんが、先例に從いまして、委員長より補欠理事の指名をいたすことにいたしまして御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○倉石委員長 御異議なきものと認めまして、篠田弘作君を理事に指名いたします。 午後一時まで休憩いたします。 午前十一時三十八分休憩 ————◇————— 午後一時二十二分開議
○倉石委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。 まず労働事情に関する件を議題といたします。今回の実地調査の結果に基き、去る七月一日の理事会で打合せました國電、東交、わかもと及び廣島日鋼の各爭議について調査を進めたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○倉石委員長 御異議がなければ、さよう決定いたします。 まず現在までの経過について政府側よりの報告を求めます。
○賀來説明員 簡單に申し上げます。最近最もクローズ・アップされておりますところの労働問題といたしましては、大きく二つにわけることができます。一つは民間の企業整備並びにこれに伴いまする問題ということになるのであります。 民間の企業整備の状況についてまず申し上げますと、現在までのところ、東芝を除きました大企業におきましては、人員整理の過程におきましては多少の曲折があつたにいたしましても、結果的にはほとんど例外なく問題が解決をしておるのであります。この間これに伴いまして、暴力的な行為が発生した事件がありまするが、これは別に申し上げたいと思います。人員整理が民間企業におきまして、おおむね解決いたしております原因として考えられますことは、まず第一に労働者が最近の各種の情勢を逐次自覚をして参りまして、なるべく高い退職金が拂えるときにその手当を入手して、他に轉職する機会も早い機会の方がいいという考え方が出て参つておることであります。第二は経営者側におきましては、希望退職者を募るというふうにして、一方的な整理を強行するという印象をできるだけ避けて行こうという傾向がありまして、いかに企業が整理を必要とするかというふうな事情の了解運動、及び組合側との了解運動に相当勢力をしておるということであります。 それから労働組合におきましては、自分が今度の整理に入らないということがわかりますと、それらの整理にならない人たちと、整理になる人たちの間のつながりというものが非常に弱くなつて來ておるということ、それから一般に労働者側といたしましても、販路の行き詰まりでありますとか、あるいは融資の制限等から來ますところの会社の経営事情等がだんだんよくわかつて参りまして、そして一部幹部、あるいは外部團体の強力な指導等によつて、自主的にこれえお批判する、かような傾向が出て來たこと等があげられると考えるのであります。ただ日本製鋼及びわかもとの整理に関しましては、これは伴いまして問題を起こしているのであります。日本製鋼の問題を申し上げますと、六月十一日に会社側は整理の対象者に対して、個々の通告を出しているのでありますが、十二日ななりまして、組合員その他外部團体約千八百名は会社幹部九名に対しまして、これを工場の事務室に軟禁状態にして、交渉を開始しております。越えて十三日にCICの將校立会いのもとに、労資双方の團体交渉が持たれましたが、これは午後の三時過ぎに一應打切りとなつております。六月十四日の六時に会社側は工場を閉鎖いたしました。七時四十分になりますと、労務者の行動隊は南門に押し返しましてこれを打ち破つて、他の第一隊は第一門を突破して、約四百五十名が中に入つているのであります。その筋からの退去命令が出ましたが、組合側はこの命令を見ましたけれども、應諾しようとしておりません。そこで警察官がその整備配置についているのであります。十五日の午後五時に取締り当局が再度退去を命じました。組合側がこれを拒否いたしたために、警察官は行動を開始いたしたというふうなことの事件になつているのであります。その後製鋼の事件は自発的退職者等が出まして、さらに地労委のあつせん等がありましたので、その結果七月十二日に至りまして、工場閉鎖を解きまして、そして第一組合、第二組合両者が就職——工場の中に入りまして業務についたというふうな解決がとられているのであります。今後この状態でこの問題は落ちつくものと考えているのであります。 わかもとの会社の事件でございますが、これは会社側が五月八日に企業整理に伴う人員整理を発表しております。それから團体交渉を重ねました結果、本社及び関西工場の組合は、四割五分整理ということを中心といたしまして、会社側の提案を了承したのでありますが、東京工場におきましては非常に強硬な態度をとりまして、会社側は六月十九日から一週間工場を閉鎖するということを宣言いたしました。これに関して会社重役は組合との懇談的な團体交渉を開始しようとしたのでありますが、これらの重役その他九名が軟禁状態になりまして、これに関連し警察官の出動となり、組合員との間にいざこざが起つたのであります。しかしこれは七月五日に両者の間に協定書が成立して円満に解決がついております。 政府職員の関係でございますが、この整理の行われます間に、地方公務員の問題として、東京交通労働組合のストライキの事件が起つております。この原因は直接には公安條例反対の運動でありました。五月三十日開かれました都会議に、都労連傘下の組合の有志が都議会に臨時大会を開き、石原都議会議長に決議文を手交した後に、友誼團体と合流して都会議場を取巻き、そのうち約三百名が午後八時ごろ都会議の傍聽席になだれ込みまして警官隊と対立し、二名が檢挙され、また橋本氏は不慮の死を遂げられたのであります。五月三十一日に都労連大会は午後一時四十分に終了いたしましたが、三十余に及ぶ労組及び関係團体は、大会終了後も引続きデモをやりまして、墜死事件の眞相究明、当局の責任追及のための集合を継続いたしたのであります。そして労働歌を高唱する等、デモ隊の志氣は非常に高潮したのであります。午後四時に至りましてもなかなか退散しませんので、丸ノ内署長はこれに退散を命じたのであります。これは強制的な退去の手段に出ましたので、午後四時五十分に一應鎮静を見たのでありますが、この間佐藤安政君ほか六十五名の檢束者を出しておるのであります。ところで東交労組の柳島支部、橋本氏の死亡はこの支部に非常なシヨックを與えまして、五月三十一日に柳島支部がストに入つたのであります。六月三日には目黒及び廣尾支部も無期限ストライキに入るというようなことになつたのであります。これに対して当局は業務命令を出しまして、また東京軍政部からも勧告があり、さらに六月四日には、当局はこれを政令二百一号違反という勧告を行つておるのであります。ストライキは六月五日の午前も行れまして、その間交通労組の本部は三支部と折衝いたしまして、ストの中止を勧告いたしております。しかしこれは遂に物別れとなりまして、六日もストが続行されております。六日になりまして、都当局は遂に責任者十名を業務命令違反、政令二百一号違反として懲戒免職をいたしております。これに対して三支部の態度は依然強硬でありまして、官應側において、三支部の態度は政令二百一号の違反であるから、早く正業に復帰するように警告をいたした結果、六月六日東交本部と三支部は三回に及び交渉を行いました結果、物別れとなり、さらに三支部の代表は目黒支部に集まりまして、二時から委員会を開きました結果、その朝ストライキ中止を決定いたしておりまして、六月七日早朝にこれは解決いたしております。 もう一つの問題は、この整理以前の問題になりますが、國電のストの問題であります。これは國鉄におきまして、当局は六月一日に新しい交番制を実施することになつたのであります。新しい交番制による業務命令を発しました結果、二十四電車区は六月一日は一應全部これによつて動いたのでありますけれども、六月七日になりまして、東神奈川、蒲田、千葉の三車掌区が強硬な態度をとりまして、この新交番制による乗車を拒否したのであります。これがため六月九日に当局は、東神奈川の十名、千葉車掌区の九名の解雇を発表いたしたのであります。これは公共企業体労働関係法に基いての処分ということになつておるのであります。東神奈川におきましては、これに対應するために午前十一時にストライキに入つております。その結果、引続き蒲田電車区、中野電車区、三鷹電車区がこれに同期いたしましてストに入り、翌十日には右の電車区のほか、京浜線、鶴見線、横浜線が運休状態に陥つたのであります。当局はこれに対しまして十日、東神奈川車掌区三名、蒲田車掌区十一名、中野車掌区十一名、同電車区十名、三鷹電車区十一名の馘首を行つております。この間、國鉄の中央委員会といたしましては、当局に馘首を取消すこと、今後犠牲者を出さないこと、旧交番制による、ことの三條件を提示いたしまして、これをいれるならばストを中止するという交渉を重ねておりましたが、当局のいれるところならず、六月十一日午前十時二十分に総司令部のエーミス氏の中止命令が出るに至りまして、十二日からこのストは解決した、こういうふうな経過をたどつておるのであります。 なお定員法に基きます整理に関係いたしまして——これは御承知のようにおおむね実施せられつつあるのでありますが、しかしこの件に関連をいたしまして、なお一部には不安状態があり、いろいろ問題を起しておる、かような状況であります。大局的に見ますならば、この整理はだんだん遂行せられるものと、かようにわれわれは見ている次第であります。 —————————————
○倉石委員長 次にただいま議題になつております四件の爭議の実地調査の結果について、各班の報告を求めます。三浦寅之助君
○三浦委員 私は第一班といたしまして、前田種男君、石野久男君、横大路専門員、窪田労働事務官等が随行しまして、ただいま当局から報告されましたストの問題について調査いたしたのであります。その結果を簡單に御報告申し上げます。 第一に國電ストの問題でありますが、これはただいま局長からるる申されたのでありまして、多くつけ加えることを省略いたしますが、ただこのストの原因につきましては、新しい交番制が行政整理の前ぶれになるということと、労働強化になるというような考えのものに、組合関係の人々は極力反対したようであります。しかしこれにつきまして鉄道当局においては、決して行政整理の前ぶれでもなければ、あるいはそのために特に労働強化とはならないというように述べておりまして、その間の意見の一致はまだいたしておらないのであります。その間にいろいろ調べたのでありまするが、まだいずれともこれに対するところの断定を下すまでの調査のできなかつた、また意見を聞くことのできなかつたことを遺憾に思う次第であります。 それからもう一つはこの東神奈川の駅でありますが、新交番制の承認については、組合の方々は何も知らないで白紙に捺印させられたので、決してわれわれは承認書を出しておらないということを主張しております。ところが駅の当局の方におきましては、それはりつぱな承認書——印刷してある承認書に署名捺印したのであつて、決して白紙であつたものではないというので、この点において鉄道当局と組合のほうは、非常に強く意見の対立があるようであります。それから東神奈川のストの問題におきまして特に申し上げたいのは人民電車の運轉であります。組合側は乗客代表の決議によつて運轉したということを言つておるのでありまするが、こういうことはもちろん業務命令に基かないものでありまして、当然私どもは違反の運轉をしたのみならず、この電車の運轉が非常に危険きわまるものでありまして、こういうようなことを争議の手段としてやることは、とうてい認められないと思うのであります。それで私は、人民電車の運轉の実情につきましては、もう少し調査の必要があるように考えられるのであります。実は人民電車の運轉の問題につきましては、当局から言うと、明らかに違法であるということを主張しておるのであります。その際に私は、しからば何がゆえに違法な電車を、東神奈川から赤羽まで運轉して行つて、さらにその電車が赤羽から櫻木町に帰つておるか、そういう運轉を何がゆえに中止せしめなかつたか、と当局に聞いたのでありますが、それはとめようとして、いろいろ運轉中止の方法をとつたのであるが、できなかつたというように言つて、おります。それから組合の代表の方に、人民電車の運轉というものは一体違法と認めるか、あるいは適法であると認めるか、ということを私は質問してみたのであります。それに対しましては、組合の意見としてそれは言うことができないと言つておられますがただ組合の幹部の方の個人の意見として言うならば、ああいう場合においては、人民電車を運転することも、われわれはやむを得なかつたものと認めるということが、この組合の幹部の方々の個人的な意見として吐かれておるよであります。こういうような点につきましても、今後私どもは十分に調査をしなければならぬと同時に、これに対する処置をしなければならないように考えるのであります。 次に東交のストの問題であります。この問題につきましても、ただいま局長さんから詳細に申されましたから、特別につけ加えることはございませんが、ただ橋本金二君の死んだ原因につきましては、いろいろ議論があり、あるいはまたあつたようです。しかし私どもの調査の結果によりますれば、これは墜落して死んだものでなくして、多人数の混雑の際に轉倒して踏まれたのが死亡の原因であるように考えられるのであります。 次にこの東交のストの問題におきまして、労働組合本部の決定に基かないで、支部が独自の立場においてストを行うということがはたして健全なる労働組合の発達から見てよろしいかどうかということは、われわれは十分に考える必要があると思うのであります。私どもはこの労働組合の健全なる発達から見まして、かくのごときことは大いに反省の要があるように考えられたのであります。 次にわかもとの爭議であります。これも局長さんから詳細に申されましたから多くを省略しますが、ただわかもとがああいうような爭議にはいらなければならなかつた原因につきましては、実は終戦後販路が非常に縮小されて、そうして非常に会社の経費が困つた。たとえて言うならば、終戦前までの二百万本の販賣が、現在においては二十万本に足らないと言つておるような次第でありまして販路が朝鮮あるいは中華民国方面において縮小され、とうてい会社の経営ができないというので、会社はほかの事業を計画いたしまして、資金をそういう方面に使つた。ところがそれが思うように行かなかつたことが、一層会社の経営をして悪化せしめて、そうして結局は人員の整理までしなければならなかつたのである。あるいはこのたびの爭議の原因にもなつたように考えられるのであります。そのために賃金の不拂いとかあるいは遅拂いとかいうようなこともできまして、組合の方々はこれを死活の問題として強力に主張するというようなことで、いろいろこれまで交渉されておつたようであります。ことに六月十八日の晩におきましては、重役が帰ろうとした場合において、これを帰さずして、翌日の朝まで交渉が継続した。その場合におきましては、会社の重役の方の言うところによりますと、人民裁判式のものであつたというようなことと、また同時にその際会社側は、警察に三回もいろいろ電話して、そしてその実情を訴えておるというようなことであるが、警察はあまり、来なかつたように言つております。十九日朝になつてから相当数——数は双方の主張がいろいろ違いますから省略いたしまして、相当数の警察官が来て、二十七名の検東者を出しておる。組合側はこの二十七名の検東は、非常に警察官の弾圧だというようなことを言つておりましたがもたそれを否定しておるような口吻もあつたようであります。大体以上の通りでありますが、この調査におきまして考えられますことは、この爭議の場合におきまして、組合以外の関係の指導が非常に強かつたことと、もう一つはこの東神奈川とわかもとの工場において、事態の切迫した場合にサイレンを鳴らした。そして外郭團体の友誼團体の方々がたくさん集まつたというような新しい戦術がとられておることであります。以上をもちまして簡単でありますが報告といたします。
○倉石委員長 塚原俊郎君。
○塚原委員 私は倉石委員長、福永健司君、青野武一君、九州でちよつと一緒になりましたが、田代君、麻生君、この方々とともに山口並びに北九州、それから廣島を視察して参りました。 ただいま議題になつております日鋼事件について私の調査したところを簡単に申し上げます。日鋼廣島製作所の労資間の紛爭というものは六月二日以来事態緊迫の度を加えまして、ことに十四日朝、使用者側が工場の閉鎖を決行するに及んで、その後も工場内は、多数部外者の無断入場も加えまして、まつたく険悪なる様相を呈しました。賠償施設の管理上きわめて憂慮すべき状態に立ち至つたのであります。十四の夜になりまして、廣島の軍政部長の命令に基き、廣島懸の楠瀬知事は保全要員以外の全員の退去を要求しましたが、履行されず、よつて警察当局では十五日午前途に警察力を発動するのやむなきに至りました。なお本工場のみならず、一般の賠償指定工場への入場については、占領軍の命令に基きすべて許可がいることは、これはいうまでもありません。この日鋼爭議の経過、特に問題になつておりますところの六月二日から十七日ころまでの状況を御説明したいと存じます。大体ここの組合は総同盟系の組合でありまして、きわめて穏健なる組合といわれておりました。昨年の十月に林春一という方が委員長となりましてからは、逐次左旋回の兆があつたように聞きいております。今年の五月ごろ初めて爭議行為らしいものを行つただけであります。これは全金属からの、労働法改正反対の指令により動いたものではありまするが、実質上組合を動かしたものは、賃金支拂いの遅延にあつたようであります。この日鋼廣島製作所は大体鉄道の車両の下請けをやつているのと、職業要のミシンを製造している会社でありますが、従業員は約二千ちよつとであります。この会社も九原則実施以来、車両関係の注文というものは杜絶しまして、ミシン製造にもつぱらたよつておつたような状態で、赤字の増加と、これの克服難によりまして、賃金支拂い遅延となり、極度の経営難に陥つたために、会社側としましては、こうなつた以上は、人員の整理以外に道なしと考えて、六月二日会社再建案の説明を行つたのであります。すなわち七百二十名ないし七百三十名の人員整理を決議いたしまして、組合に対し左記事項を協議することを通告いたしました。その一つは七百二十名ないし七百三十名、これは従業員の約三割五分に当りますが、これの人員整理。第二番目として解雇基準はあらためて協議する。第三に、従来の退職規定はかかる大量解雇を前提として定めたものではないから、支出可能の限度内で協議しようではないか、会社側が出した案としようしては大体平均三万円、最高三十二万円、最低五、六千円だそうであります。これに対しまして組合側は、翌六月三日に組合員大会を開きまして、四項目の決議文を手交いたしました。その四項目というのは、第一に賃金支拂い遅延の責任を究明する。第二に首切り絶対反対。第三に労働協約改悪反対。なお協約は五月二十四日をもつて満了、無協約の状態であります。第四番目に吉田内閣打倒。こういう四つの項目を出したのであります。これに対しまして会社側は、六月の四日にこの決議文に対して回答を送つております。すなわち第一については、極力努力中である。第二については、会社側でも慎重にこれを検討した結果であるから、組合側もよほど慎重にこれを検討することを望んでやまない。第三は改悪とは思つておらぬ。第四は回答の限りではない。こういうふうな回答を送つております。組合側は会社の経営に関しまして、一つの案を出しております。現在ミシン五百台をつくつておりますが、これを千台増産すれば、九百万円の増収があるではないかという案を提示したしましたが、会社側ではこれを審議した結果、受付けないことにいたしまして、組合側に返答いたしました。この拒否にあいました組合側では、ただちに首切り反対の署名運動を開始したのであります。六月五日には組合主催の町民大会、これは船越町というところにこの会社がありますので、町民大会を開催いたしました。六日に原案撤回の中に入れを行つております。八日になりまして組合側は再建案を提出するというような処置をとりまして、相当ねばつておるのでありまするが、その間におきまして、戦場離脱や、無断外出等の戦場秩序撹乱の態度も随所に見られたのであります。九日になりまして組合側提出の再建案を経営者側に協議いたしましたが、遂にこれは決裂になつてしまつたのであります。十日になりまして、経営者側は首切り撤回の申入れに対してはこれを拒否し、交渉打切りの声明を行いました。十日になりまして従業員六百六十二名に対して解雇の通告をいたした。これはないよう証明の書留をもつて送つております。効力発生は大体十五日であります。これを送りました同日午後組合側に対しては解雇者リストを手渡しました。この会社側の措置に対しまして、組合側は十一日以降職場大会、人民大会を相次いで開催いたしまして、逐次その態度というものは凶暴性をましております。あるいは騒動を立てたり、ガラスを破壊したり、暴力を振つたり、事務室を占拠したり、この間経営者側に卒倒者が出たり、病人が出たり、なかなかうるさい問題になつたようであります。この間いわゆる傳えられておるような人民裁判というようなものも、数回にわたつて行われたと聞いてあります。すなわち午後四時頃に人事課長の松岡と、大久保という秘書が——あの会社は門を入りまして芝生があつて、その前に池があり、その中に小島がありまするが、その小島に連れ出されて、その中で相当の脅迫と威嚇を受けながら、解雇名簿の返還を強要された。こういうことを交えて交渉が行われたのであります。これは午後四時から翌日の夜の十時ごろまでこの交渉が続きまして、これによつて松岡人事課長は卒倒して、入院してしまつております。この件は不法監禁、暴力行為というようなことによりまして、目下検察廰で調査中だそうであります。十二日の午後八時ごろになりまして組合側は職場大会を開き、秘書室にデモを行い、所長代理の板垣という人を誘い出し、またこれに次いで部長、課長級を誘い出しまして、大会形式の團体交渉を行い、またここですわり込みによつて交渉を行つたのであります。午後一時ごろから翌朝午前六時までに及んだのであります。勤労部長の諸方という人は卒倒しました。なおこの間守衛長も組合員との間に小ぜり合いをいたしまして、守衛の任務というものは、完全にここで喪失状態になつてしまつたのであります。十一日から、いわゆる友誼團体と称するものの指導者がどんどん侵入して参りまして指導に当り、守衛の任務というものは完全に喪失し、どんどん無断入場者というものがふえて来たのであります。この部課長級を誘い出したのも、脅迫、威嚇、だまし戦術によりましてこれを誘い出し、結局六名の幹部というものは卒倒したらというふうに私は聞いております。十二日の午後一時に、また午後の十時にCICがやつて参りまして、所長代理の方と組合長を招致いたして懇談をいたしております。この間、人民裁判の実情をいうものをつぶさにこの連中は調べたそうでありますが、私は見ませんでした。数次にわたつて行われましたいわゆる人民裁判というものは、十三日の朝六時ごろ終了しております。十三日の午前八時、團体交渉が行われましたが、会社側は組合提案の白紙還元要求というものを拒否しております。同じ日の十三日に軍政部のダガー大尉、CICのスミス中尉が製作所に参つております。そうしてもろもろの注意を行つておりました。十四日の午前四時半から六時までの間に、会社側では工場を閉鎖いたし、立ち入り禁止の立て札を立てた。午前十時に軍政部のダガ—大尉が製作場にやつて参りました。そうして退去命令が出ております。これに対しまして組員は、午前十時二十分ごろから入場者の大部分が退場を開始いたしましたが、後に再び入場いたしました。これは青年行動隊を先頭として強硬に入つておりまするが、逐次数が増加いたしまして、千五百名あるいはそれ以上の人数が強行突破して入つて来ております。廣島懸当局は廣島の軍政部からの命令を受けまして警察官を増強し、約二千名ほどでありますが、組合側に工場撤退を通告いたしましたが、組合側はこれに癒せず、警察隊はいわゆるピケ線を突破して、全員を門外に追い出したのであります。ここに小ぜりあいが随所に起りまして、組合側では警察官暴行事件であるとしてこれを大々的に宣傳する。いろいろの例がありますが、一例をあげれば日射病患者として倒れた組合員を戸板だか担架だかに乗せまして、これにむしろをかけ、周囲の者に対してはあたかも暴行死者という形をよそおいまして、町中歩いて宣傳を行つたというようなことがありまして、これを大々的に放送しておるようであります。組合側で病院の治療を受けた者は三十名であります。これが新聞記事として傳えられたのは、相当ひどく傳えられておるようでありますが、実際は大したけが人はなかつたようであります。もちろん警察官の方にもけが人は発生いたしております。十五日から十七日まで、警察隊と組合員は対抗を続けておりましたが、十七日の午後八時ごろ警官は引揚げております。この十二日ごろから、次々に組合の態度というものは凶暴化して参りました。この事件の例をあげれば大分ありますが、時間の関係でこれは省略いたします。この乱闘騒ぎの後、組合側では友誼團体に呼びかけまして、共同闘争を展開しております。産業防衛闘争委員会では警官動員の責任を遺究しております。友誼團体を交えた組合側のデモも随所に行われておりまして、依然不穏な空気がみなぎつております。廣島懸としましては、労資問をあつせんし、双方交渉の糸口を発見することに努めておりまして、懸当局としては、紛爭の円満解決と、工場のすみやかなる再開を目途といたしまして、労資双方の意見を十分に尊重しながら、事件解決に努力しております。その間労資双方の間において、直接に團体交渉の再開に関し、折衝する段階にも立ち至つておるようであります。地労委も両者の意見に基きまして、あつせんに努力しておりまして、基本的系爭諸問題の解決というものに、懸命の努力を続けておるのが現状であります。 なおこの間一言申し上げたいことは、第二組合というものが七月に二日に発生したことであります。組合の一部戦闘分子による、職場大会等の運営に不満を感じた者が続出して参りまして、ことに七月二日の大会におきまして、今度の爭議の基本線の再確認の問題について意見の対立をし、無記名投票による採決がいられなかつたため、これは挙手採決で行われたのでありますが、これを一つの分岐点といたしまして、七月三日遂にこの立ち上がつた連中は前の組合と決裂をいたしまして、日鋼廣島製作所労働組合というものを結成いたしました。最初はこの人数は百六十名ぐらいでありましたが、逐次増加いたしまして現在では九百三十名前後の数字になつております。この第二組合の結成の機運が達成せられるや、大会における彼らの発言をいうものも、きわめて困難であつたそうであります。彼らに対する青年行動隊の統制は熾烈をきわめております。大会における組合幹部の発言をいうものも、彼らを事ごとに圧迫しております。前の組合の発言のうちには、われわれは八、九月までがんばればよいのだ、乏しきに耐えてがんばつてやろうじやないか、この暴力革命が達成されるまで、われわれはいかなる困難にも打ちかつて闘わなければならないというような、過激なる演説が随所に行われたそうであります。こうした言辞が一部の猛烈なる反感を買いまして、経済闘争にのみ終結しようとする者の團結を、逐次強化させて行つたということは事実であろうと思います。簡単でありますが、これで終ります。
○倉石委員長 ただいま両君の御報告を承つておりますと、これらの事案の中には、きわめて重大なる事柄が内色せられておるように考えられますので、当委員会におきましては、これらのことに関連しておる関係当局者を本委員会に招致いたして、その意見ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○倉石委員長 御異議なければ委員長においてさようにとりはからいます。 本日はこの程度にとどめまして、明日は午前十時に開会いたします。これにて散会いたします。 午後二時六分散会