法務委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 76 件
- 登壇者
- 24 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1949/05/09
会議録
○花村委員長 これより法務委員会公聽会を開会いたします。 この際公述人諸君にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ当委員会公聽会に御出席くださいまして、委員長として厚く御礼を申し上げます。御承知の通りただいま本委員会において審議中の司法試驗法案は重要な法案であります。公述人各位におかれては、おのおのその立場より腹藏なき御意見の開陳をお願いいたしたいと思います。公述の時間は学識経驗者としての公述人は二十分、一般公述人は十分程度とし、公述の後に委員諸君より質疑があることと思いますが、これに対しても忌憚なきお答えをお願いいたしたいと思います。念のため申し上げますが、意見を聞く問題は、司法試驗管理委員会の所管を法務廳、もしくは最高裁判所のいずれにすべきか、及び司法試驗を資格試驗もしくは採用試驗のいずれにすべきかについてであります。 なお申し添えておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、公述人が発言しようとするときは、委員長の許可を得ることになつております。 次に公述人の発言はその意見を聞こうとする事件の範囲を越えてはならないのであります。また委員は公述人に対して質疑することはできますが、公述人は委員に質疑することはできませんから、以上御含みおきを願いたいと存じます。 次に公述人諸君にお願いいたしておきますが、発言劈頭に職業または所属團体並びに御氏名を述べていただきたいと存じます。 それではこれより委員会において定めました順序によりまして、我妻榮君より御意見の御発表をお願い申し上げます。
○我妻公述人 東京大学教授の我妻榮でございます。二点のうち、最初に第一点の所轄の問題でありますが、これは現在の憲法で、どちらの所轄にならなければならぬという規定はないように思います。憲法七十七條に弁護士のこと、それから最高裁判所のルール・メーキング・パワー等について書いてありますが、その條文によつて最高裁判所でなければならないというりくつにはならないだろうと思います。從つて問題は、どちらに所轄をすることが司法という立場から適当であるかという点から考えなければならぬ問題であろうと思います。 私の結論を最初に申し上げますと、原案とは違つて、最高裁判所に所轄する方がいいのではないかと考えます。この理由をおよそ申し述べますと、原案にありますように、この試驗は司法試驗管理委員会というものが責任を持つてこれをやるのでありまして、しかもその管理委員会は原案の十三條にありますように、法務廳と最高裁判所と弁護士会とのいわゆる三位一体でこれをやつて行くのでありまして、もちろん政府のコントロールは受けない独自のものであろうと思いまして、その点は非常にけつこうだと思います。從つてこの所轄がどこであるかということは、この委員会のおせわをすることだけでありまして、どちらでなければならぬということは、必ずしも重要なことにはならないようにも思われますけれども、しかし今日のわが國の情勢から言いましても、今までの國民一般の意識から申しましても、どこが所轄しているかということが相当大きなインフルエンスを與えるように考えるのが普通だと思います。申すまでもなく司法に関與する判事、弁護士、檢察官というものは、行政からはつきり独立したものだという実体を持たなければならぬ。單に実体を持つだけではなく、國民全体にまつたく行政から独立したものだという印象を與えることが最も大事な点だろうと思います。独立したという意識をはつきり與えるためには、やはりこの所轄を法務廳ではなく、最高裁判所にしておく方がいいのではないかと思うのであります。りくつを言いますといろいろりくつの言いようがあるだろうと思いますけれども、私の申します理由を重ねて申しますと、司法に関與する判事も弁護士も檢察官も、まつたく現在の政府、あるいはその当時の政府の方針から独立しているということをはつきり示させる。ことに判事、弁護士はその実態においても、独立していることは國民全体は意識しておりますけれども、檢察官については、往々にして政府のインフルエンスを受けているのではないかという観念を國民に持たせるのでありますから、そういうような場合には、むしろその任用あるいは資格を定める最初の出発点から政府は関與しない、最高裁判所のせわでやつているのだということにいたしますことが、國民のそうした意識をぬぐいさつて、名実ともに檢察事務は時の政府からは独立したのだという観念を與えることが大事なのではないか。そういう意味から最初申し上げましたように、その所轄は最高裁判所にする方が妥当だろうというふうに考えるのであります。以上第一点に対する私の意見であります。 第二点は、この試驗を資格試驗にするか、採用試驗にするかということでありますが、この問題は、実は私は現在の事情をあまりよく存じませんので、自信ある意見を申し述べることは遺憾ながらできません。ただ一通り考えますのに、事柄の本質としては資格試驗としておく方がいいのだ、そうして資格のある者のうちからその年の司法修習生に任命する。これは裁判所法の中にあるのでありますが、その方がいいと考えられますけれども、しかし実際の面から申しますと、試驗に通つたが、司法修習生に採用してくれないということになりますと、判事にも弁護士にも、檢事にもなれないことになつてしまうのではないか、そうすると非常に困ることになりはしないか、実際上司法修習生をどれだけとるのだということは、その時の予算やその他と関係することでありましようけれども、試驗には通つたが司法修習生にとつてくれないというようなものを残さない方が実際的ではないか。その意味では採用試驗とでも申しますか、あるいは司法修習生になるための試驗である、それに通れば修習生になれるというようにしなければ実際上困るのではないかというふうに考えますけれども、最初に申しましたように、この点は私あまり自信がありませんので、むしろ弁護士会におられる方々の実際的の意見を十分御参照になるのが妥当と思います。以上であります。
○花村委員長 念のために申し上げますが、我妻榮君は東京大学法学部教授でございます。 次に朝川伸夫君。
○朝川公述人 私は中央大学の法学部教授朝川伸夫であります。まず第一の問題の、この司法試驗管理委員会の所轄を法務廳にすべきか、あるいは最高裁判所の所轄にすべきかという問題について私の意見を申し上げます。その前に一應根本的態度を明らかにしておきたいと思いますが、この所轄の問題につきまして、法律上の問題も一應檢討してみたのでありますが、いずれの役所にその所轄をせしめるべきかということについての必然的な理由は、どうも発見しがたいのであります。從つて問題に対しまする意見は、勢いいずれの役所に所轄せしめるのがより妥当であり、より適切であるかという点に帰着するのではあるまいかと考えます。そこでまず結論を最初に申し上げますと、私はやはり最高裁判所に所轄せしめるのが妥当、適切であると考えるのであります。 その理由を二つ三つ申し上げたいと思いますが、その第一の理由は、司法試驗を最も権威あらしめるのに適当であると考えるのであります。御承知のように新憲法下におきましては、最高裁判所が司法制度の頂点をなしているわけであります。しこうしてこの司法制度の中枢をなし、これが適正なる運営をなす者は判事、檢事、弁護士のいわゆる專門職業法律家であることも言をまたないところであります。この点から考えて参りますると、將來專門の法律家となるべき者の実務修習を統一的に行いまして、いわゆる法曹一元化の理想を達成するために、司法修習生の制度がすでに設けられているのであります。司法修習生の制度は裁判所法にはつきり規定がございますが、その修習にほんとうに権威あらしめんがためには、司法事務の一部分でありますところの檢察関係の事務を担当いたしております法務廳に担当させますよりも、司法制度の中心をなしております最高裁判所に担当せしめる方がより適切であると考えられるわけであります。その意味において最高裁判所に司法研修所を設けられまして、修習生の実務修習を行つていることと考えるのであります。これと同樣の趣旨によりまして、司法試驗管理委員会の所轄を最高裁判所に置くことが、司法試驗をしてより権威あらしめ、かつ一般の信頼を博するゆえんであると考えるわけであります。 第二の理由といたしましては、最高裁判所は御承知のように不偏不党でありまして、政爭のらち外にある役所でありますから、その意味からいつても、最高裁判所の所轄の方が適当であると考えられるわけであります。御承知のように法務廳は一つの行政官廳でありまして、その長たる法務総裁は國務大臣でありますから、内閣とその運命をともにするのであります。これに反しまして最高裁判所は、行政府に対しまして独立の地位を占めております。不偏不党の立場にありまして、政治の爭いのらち外にある最も嚴正中立の地位にあつて憲法を守り、かつ國民の権利を擁護する最高の機関である。從つて國民一般の信頼の程度は法務廳よりも最高裁判所の方がより高いという事実はいなみがたいのではないか、かように考えられるのであります。そう理由で、最高裁判所が試驗管理委員会を所轄いたしまして監督する方が、法務廳をして所轄せしめるよりもより妥当であり、ひいては試驗をより権威あらしめる結果を招來するのではあるまいか、これが第二の理由であります。 それから第三の理由といたしましては、修習並びに修習終了試驗、これは現在最高裁判所でやつておるわけでありますから、その試驗と司法試驗とを一本たらしめる方がむしろ適切ではあるまいか、こういうふうに考えられるのであります。ただいま申し上げましたように、現在司法修習生の採用を行いまして、かつその実務の修習をやりますのは最高裁判所であります。その司法修習生になりまして修習を終るところの試驗をいたしますが、いわゆる通常二回試驗といつておるようでありますが、このいわゆる二回試驗も最高裁判所がこれを担当しておるわけであります。しかるに從來は、この司法修習生となるべき者を選択する高等試驗、司法科試驗の所轄だけを法務廳が担当しておつたということは、從來の沿革に原因を持つように考えられるのでありまして、高等試驗令が存在しておりました当時は、司法科試驗を担当しておりましたいわゆる第三部の事務を司法省が所轄しておつたのであります。司法省が解体になりまして、法務廳ができたわけでありますから、その司法省のやつておつた仕事をそのまま法務廳が引継いだというだけのことでありまして、司法試驗を法務廳に所轄せしめねばならないような深い根拠があるようにはどうも考えられないのであります。從つて現在におきまして、司法修習生の採用、それから司法研修所におきまするところの実務の修習並びにその修習生の終了試驗、これを最高裁判所が担当しておりますならば、やはりその前提となるべきところの司法試驗も最高裁判所がこれを取扱うという方が、首尾一貫しておるというふうに考えられるのであります。 以上申しましたのが大体最高裁判所をして所轄せしめるのが妥当であるという私の考えでありますが、この意見に対しましてはこういう反対論が予想されるのであります。つまり最高裁判所は法務廳と違つて、國会に対して直接責任を負うことがない、從つて適当でない。こういうふうな御意見があるやに聞いておるのでありますが、しかしこの点につきましては、あまり多く意に介する必要がないように私は考えます。と申しますのは、民主主義の原理に基きます政治思想に從いますならば、特定の國家機関が一定の行為をいたしました場合に、それを國民または國家の代表機関たる國会の批判を受けしめる機会を與えられなければならないわけであります。この意味におきまして、政府はその施策についてもちろん責を國会に対して負うのであります。しかし最高裁判所は立法、司法、行政の三権分立の建前上、國会の批判を直接には受けておらないわけでありますが、しかし最高裁判所の事務一切を運行する裁判官に対しましては、いわゆる國民審査の制度が設けられて、むしろ直接に國民の批判の対象となつているわけであります。從つて最高裁判所は司法修習生の採用、その修習、終了試驗とともに、その前提となるべきところの司法試驗を担当する、所轄するということは、民主主義の原理から言つてもあえて異論はないのではないか、かように考えられるわけであります。以上が私の第一の問題に対しまする結論とその大体の理由であります。 次に第二の問題に移りたいと思いますが、この司法試驗を資格試驗となすべきか、それとも採用試驗となすべきかという課題でありますが、結論をまず申し上げますと、採用試驗にした方がいいというふうに考えられるのであります。その理由をごく簡單に申し上げたいと思いますが、從來高等試驗、司法科試驗と申しましたあの高文の制度でありますが、あの司法科試驗に合格いたしますると、司法官試補になりましたし、あるいは直接弁護士になり得た時代もありました。あるいは弁護士試補、あるいは当時は陸海軍がありましたので、陸海軍の法務將校に任用される。こういうような各種の專門法律家となるべき資格が與えられていたのであります。これは從來そうであつたのであります。ところが御承知のように裁判所法が制定されまして、今後は判事、檢事、弁護士、こういう專門法律家となるためには、すべて司法修習生の過程を経なければならないこととなつたのであります。從つて現在司法科試驗に合格いたしましても、ただ司法修習生となり得る資格ができるだけでありまして、いきなり判事にも檢事にも、いわんや弁護士にもなれない。他にいかなる資格を與えられておらぬのであります。でありますからせつかく試驗に合格いたしましても、司法修習生に採用せられなければ何にもならぬということになるのではないかと考えられるのであります。そうだといたしますれば、司法試驗を資格試驗として、さらに修習生採用試驗を別に行うという特段な理由があれば格別でありますが、司法試驗をただちに採用試驗にしても、現在の実情には即するのではあるまいかと、かように考えられるのであります。ことに最高裁判所におきまするところの司法修習生の採用は、特別な支障のない限り、全部採用しているというふうに仄聞しているのであります。すなわち現状におきましては、司法科試驗は実質的におきましては採用試驗となつておる。從つて新しい試驗制度をこの際創設するにあたりましては、一元化いたしまして、司法科試驗を採用試驗とした方が現実にマツチするのではあるまいかと、かように考えられるわけであります。もとよりこの点についてはいろいろ御批判もあると思います。御意見の食い違いがあると思います。ことに弁護士というものがその中に入つておりますので、弁護士は元來非常に自由な職業でありまして、官吏になるのではないのであります。この点はちよつと先ほども我妻先生がお触れになつたのでありますが、多少問題が残ると思いますので、今後新しい弁護士法がどういうふうにでき上るか私は存じておりませんが、新しい弁護士法ができましたら、弁護士に関する限りは、また別個の制度を採用した方がいいという御意見も出るかと思いますが、ただ現在與えられております法の制度のもとにおきましては、現在の資格試驗というものは実質的には採用試驗になつている。その意味からむしろ採用試驗にした方がいいのではないかと考えられるのであります。この司法試驗を採用試驗にするという意見は、第一の問題の所轄の問題を最高裁判所とすべしという理由の一つにもなろうかと考えられるのであります。と申しますのは、採用試驗だけを法務廳が中心として行いまして、その結果採用された者の修習を最高裁判所が担当するということは、どうも現状においては首尾が一貫していないじやないか。採用だけを特に法務廳で所轄せしめなければならないという根拠はどうもないように考えられるのであります。 以上第一の問題に対しましては最高裁判所の所轄が妥当であるし、第二の問題につきましては、現在の制度上から行きますと、実質的な採用試驗ということになつていると思いますので、採用試驗としてこの制度をおつくりになつた方がいい。かような結論に到達したわけであります。これをもつて私の公述を終ります。
○花村委員長 次に永田菊四郎君にお願いします。
○永田公述人 私は日本大学の法学部教授の永田菊四郎であります。まず第一の管轄の問題でございますが、これも私いろいろ考えてみました。また外國の制度なども考えてみましたけれども、私もこれは法務廳の管轄にする方がよろしいと思うのであります。ただいま二人の教授の方のお話にありましたように、根本的に、あるいは法理的にどこにくつつけねばならぬという理由はないのでありまして、要するにどちらにした方が妥当であるかという問題であろうと思うのでありますが、私は法務廳の管轄にする方が妥当であると考えるのであります。その理由を大体二つ申し上げたいと思いますが、その一つは、この試驗に受かつた者の働く分野が必ずしも最高裁判所の中の仕事ばかりでないということであります。我妻さんは司法ということに大分触れられたのでありますけれども、檢事や弁護士も司法とは非常に関係しますけれども、司法官ではないのでありまして、憲法の七十八條以下の規定を見ましても、裁判官は司法というところに書いてありますし、最高裁判所の管轄に属し、最高裁判所の指揮、命令といいますか、そういう方面に從わなければならぬのでありましようけれども、檢事は別個のものであります。性質は行政官でありましよう。また弁護士も必ずしも裁判所の中だけで働くのではありません。他の方面においても、たとえば檢察事務についても、警察の方面についても、働く分野があるのでありますから、そういう方面から言いますと、必ずしもこれを最高裁判所の管轄にする。そういうふうに狹く考えるというようなことでない方がよかろうと思うのであります。 次には試驗というものの性質でありますが、これはやはり一つの行政行為であろうと思うのであります。行政行為だから、必ずしも法務廳に管轄せしめなければならぬということはないでしようけれども、行政事務であつて、最高裁判所の管轄に属するものもありますけれども、大体から言いますと、行政行為はやはり行政官廳に管轄せしむる方が私はより妥当であろうと思うのであります。そういうような大体二つの意味から、私は第二の問題は法務廳に管轄せしめる方がよかろうと存ずるのであります。 第二の問題、つまり試驗を資格試驗とするか採用試驗とするかということは、私は資格試驗とするのがよろしい。資格試驗とすることの方がやはりこれも妥当であると存ずるのであります。その理由は大体二つありまして、まず第一番目に、それの方が人材を廣く確保することができる。ことに法律学徒に対して希望を與え、明朗性を與えることができる。採用するだけの入を合格させて、要するに門を狹くするよりは、そのとき採用しない者でも資格試驗として合格させておく。この法案にありますように、法律專門家として必要な学識及びその應用能力を判断する。その能力があるということを判定しておくということの方がよかろうと私は思うのであります。次の理由といたしましては、先ほど申しましたように、働く分野は必ずしも司法という方面ではない。たとえば弁護士とか檢事とかという方面もありますし、のみならず、もつと廣く、会社でも銀行でもこういう能力のある人を採用することになりましよう。そういう方面から言いましても、資格試驗としておく方がよかろうと思うのであります。將來弁護士法が制定されまして、弁護士をどういうふうにして仕立てて行くか。それは私よく見ていませんけれども、元來弁護士になる人材を裁判所に頼んで修業せしめるということよりも、私は從來のように弁護士会がこれを仕立てて行くというふうにした方がよかろうと思うのであります。要するに、廣く人材を確保する。そうして法律学徒の氣持を引立てるというような意味から言つても、またそういう二つの理由から見ましても、どうしても、これは資格試驗の方がよろしいと思うのであります。のみならず、それによつてまた日本の文化を高揚する。間接的、第二次的に言いますと、それによつて日本の文化を高揚するということにもなろうと存ずるのであります。こういうような意味合いにおきまして、私は資格試驗の方がよかろうと存ずるのであります。わかにもこまかいことはありますが、大体このくらいのことを申し上げまして、私の責任をふさぎたいと存じます。
○花村委員長 次に西島芳二君にお願いいたします。西島芳二君。
○西島公述人 朝日新聞の論説委員の西島でございます。私は別にこういう問題につきまして、学識経驗者でも何でもないのでありますが、突然出るように言われて出て参つたのでありまして、この委員会の審議の状況もつまびらかにしないし、ひつきようどういうことが問題になつておるかということも、実は詳しく知らなかつたのであります。先ほどから聞いておりますると、司法科試驗を法務廳の所管にすべきものであるか、あるいは最高裁判所の所管にすべきものであるかという問題と、それから試驗それ自体を資格試驗にすべきか、あるいは採用試驗にすべきかという問題と二つあるように伺つておるのであります。われわれから見ますと、実は所管の問題なんかどうでもいいようにも考えられるのでありまして、かつて終戰後に旧大審院と司法省との間に相当激烈な所管の爭いがありまして、そのときには大審院の主張が通り、予算や人事その他について司法省の所管から大審院の方に移つたものがずいぶんあります。それを引継いで最高裁判所の方の権限が非常に増大しておる。これは新しい制度のもとで当然の結果でありましよう。しかしながらこの司法科試驗が、それだからといつて、今まで法務廳の所管になつておつたものを、最高裁判所の所管にどうしても移さなければならぬという理由がどうも私には薄弱であるような氣がするのであります。試驗の性質から言いまして、今までは司法科試驗というものは資格試驗であり、そして司法省なり法務廳なりの所管であつた。それが今度資格試驗でなしに、ただちに採用試驗にしてしまつて、そして最高裁判所に持つて來ようというりくつならば、これは一應通るのであります。何となれば最高裁判所の所管のもとに司法修習生といいますか、そういうものを採用することになつておるのでありまして、資格試驗をやつてまた採用試驗をやるというのと、それから最高裁判所がすぐに採用試驗一本で修習生をとつてしまうというのとは、建前がかなり違うように感ぜられるのであります。從つて私の考えでは、採用試驗にしてしまうということなれば、最高裁判所の方に持つて行つた方がよろしい。しかしながら一定の法律知識を持つということを國家が認定する試驗である、学力檢定試驗であるということになりまして、その資格をとつた者からあらためて司法修習生を採用するという建前をとりまするならば、これはむしろ法務廳の方に置いておつた方がいいのじやないかというように考えるのであります。先ほどどなたかがおつしやいましたように、最高裁判所の所管になると、國家に対する責任問題というような問題について弱点があるということでありましたが、私もその点を一應考えるのであります。なるほど司法試驗のやり方そのものに対しては、文句は出ないかもしれぬけれども、過去においてはかなり文句が出ておる。その文句を訴えるはけ口をただ最高裁判所の方に所管さしてしまつて、部内の仕事にしてしまえば、これを國民の言い分として國会に出すという機会が減殺されるのではないであろうか、まあむずかしいりくつを言いますると、國家の行政行為であるから法務廳でなければならぬというような議論も出るかとも思いまするが、何か國民の一つの資格試驗、國家の行う試驗というものに対しては、やはり國民の発言権を留保しておかなければならぬ。その意味では國会に対して責任を持つている法務廳の方に置いておいて、絶えず國会から法務廳に対してこれをつつつくこともできる、また法務廳から改正案も出すことができるというようなぐあいにしておいた方がいいじやないかと、こう思うのであります。 なお採用試驗にするか、資格試驗にするかという問題で、まあ採用試驗にした方が、失業の心配もないし、現在は何でも全部修習生になつておるそうでありまするが、私のことを申し上げると非常に恐縮でありますが、私もかつて司法試驗は通つたのであります。しかしながらどうも司法部に奉職する氣持がなくて、今まで新聞記者として送つて來たのでありますが、その間に自分の修めた法律知識というものをやはり絶えず活用するということができたのであります。また自分もある程度の自信を絶えず持ち得たのであります。そういう意味からいつて、司法試驗に通つた者が必ずしも全部司法部に奉職する必要ありやいなやという点も考えられるのでありまして、一般法律知識を普及する、法律知識を持つ者をつくるという意味からいつても、資格試驗にしておいた方がいいのではないか、またすぐ採用試驗にしますと、いろいろ融通性に欠けるものがあるのじやないか、試驗に通つた者は全部採用しなくちやならぬという義務を負わなくちやならぬ。そのときになつてもこれはお断りだというためには、正当な理由がなければならぬということも起るのではないか。そういうような考えではなはだしろうと考えでありますが、私は資格試驗にして、そうして法務廳の方に置いておいた方がよろしい、こういう意見であります。
○花村委員長 この程度において委員諸君の質疑に入りたいと存じます。質疑をなされる委員の方々は、公述人の氏名を呼んで質疑をなされんことを希望いたします。
○鍛冶委員 私は朝川さんにちよつと伺いたいことがあるのです。さきほど法曹一元の理論からというお言葉がありましたが、そこで私は聞きたいのは、法曹一元というのはどういうふうにお考えになつておるか、その点を承りたい。
○朝川公述人 別に深く考えたことでもないのでありますが、結局在野の弁護士と在朝の判事あるいは檢事という方につきまして、私の一つの希望でありますけれども、判事なりあるいは檢事なりという人は、弁護士たる修業をなさつた者が必要ではあるまいか。外國にも例があることでありますが、弁護士から判事となりあるいは檢事となる、そういう弁護士的な実際社会にタツチした方が裁判あるいは檢察の事務をおとりになる。また入れかわりまして、判事あるいは檢事となつた方が在野の弁護士にもどられる、そういうふうな交流関係が行われる。これによつて現在までのある意味においては非常に片寄つた立場が解消されるのではないか。それこそほんとうの意味の司法が運用されるのではあるまいか。簡單でありますが、そういう趣旨で法曹一元を考えております。
○鍛冶委員 私もさように考えておりました。そこで続いて承いたいのですが、そうしてみると、法曹一元ということは司法官になるもとは弁護士をやつてからでないといかぬ、そこでこの司法修習ということはまず弁護士を養成するということが原則であり、当然そこに行くと思う。そうなれば先ほどあなたの最高裁判所でやる方がいいという議論と相一致しないと思うのですが、この点はどうですか。
○朝川公述人 まことにお説の通りであります。そこで私が先ほど申しましたことは多少言葉が足らなかつたかもしれませんが、現在の法律制度の実情から申しますと、司法研修所というものができて、これが最高裁判所の所轄になつておる。弁護士の養成についてこの司法研修所の制度がはたしていいかどうかということは、私も大いに疑問を持つておるのであります。ことに弁護士となる人が國家の費用において修習期間まかなわれて行くということで、大分考えなければならぬだろうと思います。判事あるいは檢事という將來官吏におなりになる方は、國家の経費をもつて修習期間まかなつて行つてもよろしいのでありますが、弁護士についてはかなりそういう点について問題があると思う。ただ現在の実情においては、司法研修所の制度ができておりまして、そこを通らなければ弁護士にも判事にもなれないということでありまして、現在のその秩序制度のもとにおいて申し上げたわけであります。根本的には別に考え直さなければならないのではないかと思います。
○上村委員 これは今述べられた範囲で質問するのですか、多少それでもいいのですか。
○花村委員長 ただいま公述人として述べられた方に御質疑があるならば、この際にお願いいたしたい。
○上村委員 それではまず我妻さんにお願いしたいのですが、女子の司法官、女子の修習生、すなわち日本の裁判官もしくは檢察官、弁護士に女子を入れたい。女子を違れるのが正当であるという考え方はおそらくたれもが持つておると思いますが、はたして今御公述くだすつたところの制度で、このまま男子と交えて、男子同権だというので、同一の試驗をやつて女子がとれるかどうか。一口に言えば、日本の裁判官、檢察官に女子を採用するにはいかなる方法にしたならばよいかという御意見をお聞かせ願いたいと思います。 それからもう一つつけ加えておきますが、その科目ですが、われわれが今持つおるところの法案は法律の試驗が必須科目になつております。選択科目の経済学あるいは行政というようなものがありますが、社会生活をしておるわれわれ、そして國民を裁くところの裁判官の資格試驗がはたして必須として法律だけでよいのであるか、簡單に言えば、この必須科目の中に少くとも経済学あるいは社会学、そういうものを交える必要ありやなしや、こういう点をお聞かせ願いたいと思います。
○我妻公述人 お聞きになりました度題は非常に重要な問題で、私も根本的に考えねばならぬと思つておるのでありますが、本日呼び出されましたのは、ここに書いてあることについて意見を聞くという問題だけを一應お答えいたしましたのですが、今の問題についても、もし委員長がお許しになり、あるいはお命じになればお話いたしますけれども、これは非常に大きな問題になりまして、その問題になりますと、この法案全体の根本的な意見はどうかと聞かれて、全部を総合的にお答えしないと意見が徹底しないだろうと思います。それで委員長にそう申し上げてはたいへん出しやばつたようでありますが、あとこの問題で公述なさる方がお待ちになつておるようでありますから、この際私の答弁は遠慮して、議事を進行なさるようにお願いしたいと思います。
○上村委員 その点は委員長の方で限定されたからむりはないと思います。先生ですから即座の御返答が願えると思つたのですけれども、それでは打切ります。
○花村委員長 公述事項以外は、時間もありませんから他日に譲つていただきたいと思います。
○石川委員 我妻先生にお伺い申し上げたいのですが、先ほどお教えくださいました事柄に、原則として資格試驗の方がよいではないかと思うが、現行制度のもとにおいては、採用試驗で行かざるを得ないのじやないかというようなお話も承つたのであります。これは資格試驗とした方がよろしいのか、採用試驗とした方が司法試驗としてよろしいか、ひとつお伺いいたしたいと思います。
○我妻公述人 その問題については永田君、西島君が言われましたように、もし事が運ぶなら理想的だろうと思うのですが、ただ言われましたところを伺つておりますと、率直に申しますれば、非常に理想的であつて、現在資格試驗にいたしますと、はたしてお二人がお考えになるように、ここで法律の能力があるということを國家が認定したというだけで満足して、あるいは実業界に、あるいは報道界に活動するという人が相当あるものだろうか。私が想像するところでは、会社に働いていても、やはり弁護士になれるということがなければ、会社においても十分働けないのではないか。ところが弁護士になろうとすると、あらためら修習生にならなくちやならないが、おそらく修習生の場合には、今のように自信を持つて働く人なら成績は非常にいいけれども、いつでも採用されるはずだつたのだけれども、みずから進んで採用を望まかつたという人なら別だと思いますけれども、しかし実際の問題とすると、成世があまりよくないものだから、司法修習生にとつてくれなかつたという人が相当数出て來るのではないか。それをどうするかという問題なんです。それを解決するためには、第一回のときに成績が惡かつたから、試驗はうかつだが、司法修習生にとられなかつたというときには、翌年すべてを受け直すということも認めねばならぬと思うのです。採用試驗が近づいて來ると、お二人が言われましたように、みんながただ國家の認めてくれる資格があるというだけを望んで、これを受けて優秀な人はみんな通る。しかしその中の一部分の者が修習生になるという状態であれば理想的である。そういう意味で私は本來は資格試驗であつてしかるべきものかもしれない。こう申し上げております。
○石川委員 制度の上におきまして、司法試驗に合格いたした者が会社なり、新聞社なりに勤めておりまして、そうしてさらに勤めた上において簡易裁判所の判事にかりになるというします。その勤めました年限が、一定の年限を経ました上で、さらに弁護士にも裁判官にもなれる。こういう道があつたといたしますならば、資格試驗で受けますことが無用ではないかと存じますが、いかがでございましようか。
○我妻公述人 ちよつとお話の趣旨の最後の方がわかりませんでしたが、私が採用試驗と申しますのは、司法修習生に採用するという意味でありますから、司法修習生にして、またあとで必ずしも判事、檢事、檢察官あるいは弁護士にならねばならぬとは限らんだろうと考えております。採用試驗と若すますのは修習生になる試驗、それからあとは本人の自由でどこへ行つてもかまわない、そういうふうに考えております。
○梨木委員 永田さんに伺いたいのですが、先ほど資格試驗を可とするという理由の中で、資格試驗にした方が人材を廣く集めることができるような御意見に聞いたのでありますが、この資格試驗にしても、さらに現在の制度のもとにおいては、司法修習生に採用するという制度があるわけであります。從いましてこれに採用されない限りは、裁判官や檢察官や弁護士になり得ないわけでありますから、資格試驗をしたらどうして人材が司法官に多く集まるかという点の理由が、ちよつと私には納得いたないのでありますが、その点を伺いたい。もう一つは、試驗は行政行為だから法務廳の方がよかろう。こういう形式的な御議論でありますが、しかしそういうことではなくて、もつと実質的に見て、現在の法務廳というような行政官廳に試驗を管理させる方が、より試驗の権威と公正を保つ意味において、最高裁判所にならせるよりもよろしいかどうか。こういう観点からごらんになつた場合に、あなたはどうお考えになるのか伺いたいのです。
○永田公述人 ただいまの御質問に対してお答えいたします。私が廣く人材を確保することができると申しましたのは、司法部という意味ではないのであります。試驗を受けた者は、先ほど申したように司法修習生に採用されない者もあり得るわけでありますから、司法畑以外にも働くことができると思うのであります。でありますから、試驗を受ける人が多いわけであります。採用試驗だけにするよりも、資格試驗とした方が受驗者が多くなるわけであります。学生がよけいにその方に向つて行く。從つて大いにその方に向つて勉強するというふうな意味であります。もつともその受驗者が多ければその中から採用するのでありますから、司法部内に人材が集まるということになりましよう。より多くの人が受驗して、その中から採用するということでありますから、その採用された者も優秀な者になりましようけれども、それよりも資格試驗にした方が受驗生が多くなり、司法部に働こうという者以外の者も受驗するのでありますから、多く受驗すれば從つて多くの人材が日本全体として確保される、こういう意味であります。それから第二の御質問でございますが、これはあなたのおつしやる通り、私が行政行為だからと言つたのは大した意味はないのでありまして、それよりもあなたのおつしやるように、実質的に見て、多く人材を確保するためには、私をして言わしめれば裁判所が試驗を管理するよりも、法務廳が管理する方が視野が大きい。視野が大きいからその他が妥当だ、こういうふうな意味があるわけであります。
○花村委員長 次に眞野毅君にお願いをいたします。
○眞野公述人 法務委員会において、司法試驗の問題についてわれわれに意見を述べる機会を與えてくださつたことについて、感謝の意を表します。それから法務委員会がこういう問題について熱心に姜実を探求しようとする御熱意に対しても、非常に敬意を表したいと思うのであります。私の考えを申しますると、この問題はいまごろここで論ぜられるということは、むしろ非常に時代鎖誤的な感覚がいたすのであります。と申しまするのは、新憲法がしかれる前にあたりまして、いろいろ裁判所、司法省の方面において、新法施行に対する準備をいたし、いろいろ委員会を設け、この席においでになる我妻公述人、委員であられる鍛冶良作君、また私もこの委員の一人でありましたが、司法省初まつて以來の一大委員会というものが設けられた。それは名称は司法法制審議会という名前でありましたが、その委員の数が八十三名、幹事が七十一人という大がかりな舞台の委員会でありました。ちようどこの委員会において取上げられました問題は、司法研修所、すなわち裁判官の卵、弁護士の卵、檢察官の卵を養成する機関をどこに置くかということが、一つの大きな問題として、非常な議論の中心となつたのであります。その際には裁判所側の大多数の意向は、司法省を廃止しろという意味が圧倒的に強かつたのであります。それは從來司法省と裁判所というものがやや対立的の関係にあつて、司法省のために裁判所が毒せられていた数々の事件を中心とし、そうして司法省は新憲法下においては廃止すべしとの議論がなかなか盛んであつたのであります。そして在野法曹たる弁護士会の方面におきましても、この司法省廃止論の方が、むしろ一時は大勢を制したかに見えた時代があつたのであります。むろん弁護士会においては、全部司法省廃止論ばかりではありませんでしたが、とにかく司法省廃止論者が圧倒的な情勢を呈した一時期があつたのであります。私はその当時弁護士会長をいたしておりましたが、私の考えはややこれと違いまして、新しい憲法のもとにおける新しい司法の姿をいかなる形に持つて行くかということは、私もずいぶん外國の書物、その他自分の経驗、日本の書物、あらゆるものを調べまして、結論を得ることをずいぶん探究いたしましたが、その結果私の得ました結論というものは、こういうことに帰着したのであります。司法省は廃止すべからず、司法省は司法省という名前ではいかぬが——そのとき私が適当な名称として選んだのが法務省というのであります。司法省ではなく法務省という名称のお役所になつて存続をする。そうして司法権の独立によつて裁判所は司法省から離れるが、その他の法律に関する事務一切はこの法務省が管轄することによつて、法務省は從來よりも一層強化された力強いものになるべきであるということを一方においては主張し、そうして一方におきましては、弁護士会も從來司法省の監督のもとに運営された來たのでありまするが、弁護士会もよろしく自治を得て、独立をして弁護士としてのほんとうの職責を盡すようにならなければならぬ。この強力になつた弁護士会、この強力になつた法務省、この二つのものが基盤となり、この二つのものがいわゆる富士の裾野のごとく大きな基盤を確立して、その上に最高裁判所というものを打立てる。これが日本の新しい司法の姿としては最も望ましい姿であるということを、私はここにもちようど持つて参りましたが、昭和二十二年一月一日発行の法曹新聞というのに私は意見を発表しておきましたが、それがちようど法務廳ができまするより約一箇年前のことであります。そういう構想を描いて、今日までもその信念のもとに私は行動をいたしておるのであります。ちようど法務省ではなく、法務廳という名前になりまて、廳と省とは少々違つたわけでありますが、大体その点は私の意見がいれられたということを非常に愉快に思います。その一方、大事なこの法務廳と弁護士会と最高裁判所が基盤になつて、りつぱな司法の姿を打立てなければならぬということは、大体において希望は達したのでありまするが、この問題のごときがまだいくらか残つておるということについては、非常に遺憾に思つておる次第であります。 そこで先ほど申しました司法省制審議会というものは、そういう百五十人以上の大がかりの委員会でありましたが、その委員会におきまする総会を数回重ね、小委員会を重ね、そうして結局この問題は、私の記憶によりますれば、九月十一日に最高裁判所において司法研修所を経営するということに多数決によつて決定せられたのであります。それによりますと、裁判所法におきましても、司法研修所は最高裁判所に属するということになりまして、いわゆる弁護士、檢察官、裁判官、この法曹の三位一体をなすべきものは、全部司法研修所において養成をすることが、裁判所法にはつきりきめられたのであります。そのきめたのは九月十一日のこの大がかりな委員会において、民主的に多数決をもつてきめられたことが実行されたのであります。そういうわけでありまして、この問題のごときは、実は実質的には昭和二十一年九月十一日に決定した問題だと腹の中では思つておりましたが、わずかにここにその司法研修所の修習生となる卵をどう選ぶかということに関する試驗が最も問題になり、法務廳がやるか、あるいはまた最高裁判所でやるかということが問題になつておるのであります。一体こういうふうに研修所を最高裁判所でやるということになつた以上は、その卵をどう選んで、どの卵を孵化するかということは、やはり最高裁判所でやるというのが、これは理論上から言つても当然なことであろうと思うのであります。いわゆる生産事業の方面から申しますると、一貫作業をやることが生産事業を営む上において最もいいということは、これは皆さん御承知の通りでありまして、くどくどここでいうまでもなく、科学的に立証をされているのであります。ちようどこの司法研修所をやるというこの一貫作業が第一歩で、この試驗をどうするか、どこで管轄してやつて行くかということがその第一歩である。つまり將來の日本の新しい司法をになつて行く人物を養成するという一種の文化的生産事業に当る一貫作業のりくつから申しましても、当然最高裁判所でやるのがいいということは、ほとんど論をまたぬのではないかと思うのであります。それからまたいろいろ理論的にも実際的にも考えてみまして、さて法務廳でやるということにかりになるとしたらばどうか。法務廳では結局法務総裁というものが一番上に立つて、あとは幕僚がおられるわけですが、法務総裁という人は、過去になられた方はまだ二人しかありませんが、そういう人人を考えても、あるいは司法の事務に多少は通曉した人もありましようし、あるいはまた司法の事柄にはずぶのしろうとであるという法務総裁が出て來ることもある。そういうかりにずぶの法務総裁、あるいはまた司法の事務にはあまり通曉しない法務総裁が出て來た場合には、こういう試驗はだれがやるか、それは理論の上では法務廳がやると視野が廣いと言いますで、どうして視野が廣いのか。法務総裁ならば多少政治的には視野が廣いが、ずぶのしろうとがやられますと、結局実際は下僚まかせということになる。下僚が非常に視野が廣いとは私ども考えることはできません。それでありますから、やはり下僚まかせにやらるるということになれば、むしろ視野が非常に狹い見地からこの試驗が行われるということになるのではないか。これがずぶの法務総裁でなくとも、多少司法のことに通曉する人であつても、なおその危險があるのではないかと思うのであります。なぜかなれば、法務総裁というものは非常に政治的に各方面において忙しい、その忙しい人がこういうことに没頭はできない。これに十分の智能を傾けるということは不可能でないかと私は思います。これに反しまして、最高裁判所の方におきましては、われわれのように、やせても枯れてもとにかく十五人の、司法ということだけをやはり專門にやつて、司法のことには、日本におきましては比較的よく通曉しておる十五人の役者がそろつております。その上にその下僚たる事務局にも相当の人材がそろつておる。いずれもみな司法ということについてはよく骨のずいまで知つておるようなスタツフがそろつておるのであります。そうしてこの最高裁判所の裁判官とこの事務局とが相一体となつて、よく融合して司法に関する事柄をやつて行くわけであります。むろん司法研修所の方面においても、相当司法修習生を養成する上についての、いろいろりつぱな意見を持つておる人がそろつておるのでありますから、そういう方面から申しますと、これはどうしても実際上は最高裁判所であるのがいいという結論です。決して手前みそではありません。私は在野法曹の時代からそういうことを主張して、ここにちやんとその当時発行されたものがありますから、私が今裁判官であるがゆえにこういうことを申し上げるのでは決してないということを、深く御了承願いたい。それは実際論でありますが、先ほどから公述人の御意見を聞きますると、多少強い意見、あるいは弱い意味において、養成は行政であるからこそ法務廳がやるのである、裁判所は司法のことだけやればいい、こういうお話でありますが、ここで言う裁判官の卵、檢察官の卵、弁護士の卵を養成するというこの司法研修所を運営することは、これは純然たる行政ではないのであります。純然たる行政ではなく、やはり裁判の一貫作業の一部をなすものでありまして、行政という名前を使うならば、これは司法行政に属するのであります。ここで皆様の前にこういうことを申し上げることはいかがかと思いまするが、私の常々考えておるところでありまして、ときたま間違つた意見を抱く人があるのでありますから、申し上げたいと思いまするが、三権分立ということであります。司法と行政と立法とをばらばらに三つにわけるという意味ではないのでありまして、司法なら司法、立法なら立法、行政と、こうわけるけれども、やはり立法のうちにも、國会なら國会のうちにも、國会をなおこまかくして——國会のほんとうの仕事は立法でありますけれども、立法をやる上において、やはり行政もやらなければならない。また司法もやるのです。それはどういうことかと言いますと、たとえば國会でいろいろ人を使う。人間を雇う。この人間を雇うか、雇わぬか、これは適当かどうかということは、やはり國会で判断するのです。これはつまり内閣でそういうことをきめるわけでなくて、そうして採用した人物を監督することもやはり國会でやるのです。それはすなわち立法権の範囲内における一つの行政的の行為だ。立法の範囲内でやる。それから國会でも裁判をやつておりましよう。たとえば議員の資格が爭いになる。すべて裁判というものは爭いをさばく。そういうことから言えば、議員の資格が爭いになつたときでも、裁判所でやるかといえば、議員の資格に関する爭訟は、國会各議院においてやるということになつております。これはすなわち國会という立法権を行うところでも、先ほど申し上げましたような、行政もやれば司法もやる。その意味において、これは立法権を行使する上において立法権に附着しておる。行政、司法というものは、立法権を完全に運営するために必要になつて來るのです。だから立法権の範囲でも、それに附着して行政もあり、附着した司法というものもある。それから内閣、政府の方面におきましても、やはり立法がある。いろいろ政令なんか出したりいたしますから、むろん立法もします。行政だから行政だけやるのではない。立法もある範囲においてやります。それから裁判もやります。ただ憲法では、裁判所は最終審として裁判をやれるということを言つておるだけで、行政機関においてもやはり行政権の範囲においてある程度の裁判はやつておるのであります。それから裁判所の方面においても、司法ばかりではなくて、やはり行政もやります。それが先ほど申しました司法行政に当る。それから司法の範囲で立法をいたします。これはやはり規則制定権というものが司法権を行使する上においては必要なわけであります。そのために司法行政もやれば、司法立法もやります。これは司法権を完全に運営するがために当然必要になつて來る範囲のことはやる。そういうことから申しますると、先ほど漠然と行政であるから裁判所に属しないというような御意見の陳述がありましたが、それは詳しく事柄を見ないがために、漠然とした考えからそういうことが起きて來たのではないか。つぶさに考えると、私は理論の上からもそういうことに相なるものと思うのであります。 それからいろいろ申し上げたいことはたくさんありまするが、資格試驗かどうかという問題がありますので、これは簡單に触れておきます。たとえば法案にありまするのは、司法專門家、法律專門家としての学識があるか、能力があるか試驗をやるという。こんな試驗は、決して法律專門家なんという大仰な名前に該当するものではない。これは二年の司法修習生を終えて、それから弁護士となり檢事となり裁判官となつて十年の年期を入れなければ、法律專門家なんて大きなりつぱな名前がつけられるとは、私は今までの経驗によりますればどうしても考えることはできない。少くとも実務について十年を経た人ならば、それは法律專門家といす名称を與えることは適当であるかもしらぬが、まで修習生にもならぬ卵の選定のときに、卵の選定にパスしたから一躍して法律專門家というようなものになるようなことは絶対にないと思う。それから先ほど朝日新聞の西島さんがおつしやつたように、自分は司法的の職業にはつかなかつてが試驗は受けた、こういうような非常な篤志家もあるのであります。しかしそういう篤志家のために試驗をやるのではなくして、これはやはり日本國家の一つの研修所に入れる人として、とつていいか惡いかということが中心になる試驗であります。私も学生のころに高等文官試驗というものを受けました。自分は役人になる考えは初めからなかつたのでありましたが、そういう制度があるから、とにかく試驗を受けて、幸いにパスいたしましたが、しにかくそういう毛色のかわつた物好きな人間は世の中にいろいろおります。私もその一人でありますが、しかしそういうことのためにこの試驗を資格試驗にしなければならないということは、私は賛成できないと思う。社会的に見ましても、この法律というものをあぶなく利用するということは非常な危險でありまして、正宗の名刀ではあるけれども、これを惡用するにおいては、社会のこうむる危險は非常に多い。資格試驗に通りながら採用をしないという人がうんとふえるということは、危險な社会情勢を私は來すと思うのでありますが、やはり試驗にパスしたら大体採用する。しかしその人が病氣ですぐ修習生になれぬという場合には、前の試驗はだめになつてしまうというような不人情な取扱いをしないで、一年間待つてやつて、病氣が治つてからまたいらつしやいという取扱いをしていいのであります。資格試驗と採用試驗をわかつて、法律上の資格に通りながら採用されないという人間がふえて來たら、世の中は非常に危險な状態をかもす。私はそういうことは社会学的に見て非常に芳ばしくないことと思うのであります。 大体時間が來たそうでありますから、かいつまんで申しますと、結局この問題は從來旧憲法の時代には、司法省では司法省の所管として司法官試補制度、これは檢事と裁判官を養成する。それから弁護士試補制度、この弁護士試補制度はやはり司法省の所管に属して、弁護士会で大分司法の修習をやりました。それは弁護士会と司法省と両方でやつていたのであります。この制度二つをひつくるめて、新憲法のもとに最高裁判所で司法修習生をやるということになつたのであります。ちようど旧憲法の時代には、日本の貧弱なばらが司法省の畑に植えられていたけれども、新憲法のもとにおいては、もう少し優秀な苗のばらを最高裁判所の畑に植えろということになつて、今植わつてこうやつております。ところがこの問題はちようど法務廳の案によりますと、ばらに竹の枝をからげて結びつけて、ばらばかりじやなくて、一般の法律專門家を養つて、根つこだけおれの方へよこせ、木はそつちへやつてもいいが、一番元の根つこの方はおれの方によこさなければならぬというようなことを言われているのではないか。たとえ話で申しますればそういうことにあたるのであります。つまり木に竹を継いで、根つこだけをおれの方へ持つて來い。こういう御意見ではないかと思うのでありまして、理論上も実際上も私は賛同できない。そうしてこれは私一個の最高裁判所の判事という立場から申すのではなく、私は在野法曹時代から持つていた法務廳と弁護士会というものがそれぞれ強力になつて、しかもそれがすそ野を形成して、最高裁判所をその上に打立てるということが日本の新しい司法制度の姿として最もりつぱなものだという考えをただいま申し述べた次第であります。
○花村委員長 次に宮本増藏君にお願いいたしたいと思いますが、この際ちよつとお諮りいたします。公述人の天野武一君が所用のため出席できませんので、その代理人として宮本増藏君が來られております。つきましては衆議院規則第八十條により、代理人をして意見を述べていただくことにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○花村委員長 御異議なしと認め、さようにはからいます。では宮本増藏君にお願いいたします。
○宮本公述人 最高檢察廳檢事の宮本であります。ただいま眞野先輩から裁判所法案の審議中に非常に御苦心をなされたというお話を承りました。その裁判所法六十六條を見ますと、最高裁判所は高等試驗の司法科試驗に合格した者から司法研究生を定むるというふうに書いてあります。そうしてその試驗に関する事項は政令をもつて定めるというように書いてあるのでありますが、愼重審議の結果きめられました裁判所法の規定として、六十六條の規定自体が司法裁判所の所管じやないということを明らかに示しておるものではないか。その事項はいわゆる立法事項というふうにきめられておるのであります。私は第一の問題につきまして、本法案の所管事項は法務廳に属するというふうに考えているものでありますが、その理由といたしましては、試驗をする、國民の死活に関する資格を決定するという事項は、元來司法権に属するものではない。司法権以外の、私の解するところによれば、一般の行政事務に属するというふうに考えるのでありますが、先ほどもお話がありましたように、裁判所といえども、元來の固有の裁判所事務にのみ終始するものではありません。しかしながら司法部においてとりますところの行政事務は、元來狭く解釈せねばならぬと考えるのであります。司法権の行政に必要な最小限度に止めるべきことが当然であろうと思います。元來裁判所法に書いてある事項、これに限定すべきもので、これを廣く解釈しましたらば、先ほども御議論がありましたように、國会に対して何らの法律上の責任を持たない裁判所の責任問題であるということが云々されるのではないかと思うのであります。さような意味から、元來司法権に属し、あるいは司法権に当然随伴するところの行政事務以外の事務は、いわゆる行政事務としまして、これは裁判所の所管すべき事項ではない。また所管せしめてはならぬというふうに私はかたく考えるのであります。その理由を申しますと、裁判所は元來の仕事が、國民に最も重大な、國民の基本的人権に関するような最終の決定をされるところの非常に重要な仕事であります。私國民の一人としまして、裁判官がそういう崇高な裁判事務に没頭してもらいたいことを希望する者であります。しかるに今日の実情から見ましても、私は実は檢事として最高裁判所の法廷に始終立会つているのでありますが、実情を見ますと、非常にお忙しい。現に最高裁判所は三つの小法廷と全部の判事をもつて構成します大法廷がありますが、この開廷回数を申しますと、各小法廷におきまして毎週一回の開廷でおります。大法廷も毎週一回、裁判所が元來の裁判事務をなさる時間というものは一週四回であります。これは非常にお忙しい。先輩の眞野さんなどには、私は日常のお忙しさを観察して非常に御同情を申し上げるのでありますが、なぜそのように忙しい状態であるか。私の考えるところによりますと、裁判事務も忙しいのでありますが、その以外に現在の最高裁判所がかなり大きな部分において行政事務をとつておられる。人事権、会計に関する問題、それらの一切の問題が最高裁判所の会議によつて執行されておるのが実情であります。もちろん行政は裁判所の事務局という厖大な組織もありますけれども、最終決定はやはり最高裁判所においてなされておるのであります。今申しまして一週四回の開廷以外は、その一部分は少くとも行政事務に携わつておられる。さような関係から現在判事さん方が非常にお忙しい。その結果は裁判所の訴訟の進行に明瞭に現われております。私の承知するところによりましても、世間を騒がした重大な事件の判決が、約一箇月間まだ判決されておらないでいる状態であります。また私の直接担当しましたある労働問題につきましても、弁論が済みましても約半年以上、今なお判決がされないという事態になつておりますので、私はそういうお忙しい裁判所に、今日以上の行政事務をやらせるというのはいかがなものであろうか。この点は十分御参酌願いたい。そうしてまた法律的に申しましても、私はこういう試驗の事務は、元來の司法権に当然付随すべき行政事務の範囲ではない、範囲外である。その事務を法務廳にやらせるか、どこにやらせるかは別でありますけれども、少くとも行政官廳をして國会に責任をとらせるということが必要ではないかと思うのであります。 第二の資格試驗にすべきか、採用試驗にすべきかという問題でありますが、冒頭に申しましたように、昭和二十二年新憲法実施の直前につくられました裁判所法六十六條によりますと、明らかにこれは資格試驗であるというふうに規定しておるのであります。先ほど眞野公述人から、司法研修所内のことは裁判所の所管である。裁判所が責任を持つてその試驗までやるべきものだという御主張がありました。私はこれは司法研修生たるべき者の資格をきめる試驗そのものと、司法研修所内の仕事とは、司法研修所においていかなる人を資格者から採用するかという問題とは全然別でと考える。あたかも別のことを同一のようにおつしやつたように私は理解するのでありますが、これは私の誤解かもしれません。さような意味から司法研修生の試驗につきましては、私は資格試驗にすべきが当然であると思う。先ほどの御議論もありましたが、私御議論に大体賛成であります。採用試驗としますならば、現在の資格試驗の試驗資格よりも、さらに高度のものでなければならぬ。いわゆる司法修習生としまして、少くとも司法裁判所に所属する職員と申しますか、そこにおる者としての一つの制限があるはずであります。原案によりますと、この試驗資格というものは非常に寛大でありまして、ある程度の法律の素養がある者は一切その年令、強弱、その他の関係なしに試驗を受けられる。むしろそういうふうにした方が多数の人材に法律素養を持たしめるというためにも必要ではないか。今日の法律学校の学生の全部が裁判官あるいは弁護士たるべきものではなかろうと思います。やはり民主政治の今日において、いわゆり法の政治の今日において、國民すべてに法律の素養があるということが必要であります。しかして國民が認めてりつぱに法律知識があるという認定を、この試驗をもつてするということは私は相当に意議があるのではないかと思う。冐頭に申しましたように、元來裁判所の事務に属すべからざるものをむりに裁判所の管轄にする必要は毛頭ありません。またそうするためには、この試驗を採用試驗としますならば、この資格をさらに現在以上嚴重にせねばならぬ。さような関係から試驗を受けることのできないものが出て來る。さようなことは人材を吸收するという意味から申しましても私は賛成できないのであります。 大体以上の点から本試驗の管轄廳を法務廳にするということは、單なる妥当論ではなしに、法律論として合理的な根拠があるもので、ただ裁判所にやらした方がよろしいのじやないかという議論では私は納得できません。合理的な根拠をもつて裁判所にやらすべきものでない、行政廳である法務廳にやらした方がよろしい。そしてまた試驗は資格試驗たらしむべし。このようにすることが國民全体の法律知識を普及せしめる意味からも私は必要だと感ずる次第であります。
○花村委員長 午前中はこの程度にして、午後一時半まで休憩いたします。 午後零時二十五分休憩 ━━━━◇━━━━━ 午後一時四十五分開議
○花村委員長 休憩前に引続き公聽会を再開いたします。 岡琢郎君より意見の開陳をお願いいたします。
○岡公述人 私は法務廳研修所長の岡でございます。名前は司法研修所とよく似寄つておるのでございまするが、私の方の仕事は檢察官、檢察事務官、それから司法事務局の事務官、すなわち法規、供託等に関係のある事務官の再教育を担当いたしておる役所の者であります。本日議題となりました点は司法試驗を資格試驗とするか、採用試驗とするか、それからこの司法試驗の所管をいずれの官廳に置くべきかという問題であると拜見いたしたのでございまするが、まずいかなる種類の試驗とするかということについて私の意見を申し述べたいと思います。結論的に申しますると、この司法試驗は資格試驗とせられるべきものであると考えるのでございます。先ほど來各公述人の方々からいろいろ御意見の発表がありましたけれども、私どもの考えるところによりますれば、やはりこの試驗は資格試驗として、この試驗に一たび合格した以上はその権利を長く本人に保持させておく必要がある、こういう考えを持つておるのであります。これはいうまでもなく、司法職員に多数のりつぱな人を收容したいということが一つ、もう一つはできるだけ法律的にすぐれた知識を持つておるりつぱな人が、國民の中にふえて行くということをわれわれは大いに希望しておる次第であります。万一この試驗を採用試驗といたしますれば、その試驗に合格いたしましても、その年度において家事の都合により、あるいは身体の都合により、あるいは本人の意思によりまして、司法修習生となることを希望しない場合、あるいは司法修習生となることができない場合には、次の年度においてさらにこの試驗を受けなければならぬというような煩雜な手数がいるのであります。私は從來とも高等文官試驗などにおいて、多数われわれの友人がその資格をとり、自分の力をためし、非常に自信を得たという事実を知つておるのであります。現に私は大正七年に大学を出た者でありまするが、その当時民間におきましては非常に事業界が多忙でありまして、多大の秀才を要するという時代であつた。そして有力な会社においては、高等文官試驗に合格したような優秀な人ということを一つの採用條件にしておつたということを、現に私は親しく知つておるのであります。そういう点から申しまして、やはりそれは資格試驗として、りつぱな人たちにこういう資格をどんどん與えて行く。しかもそういう人が司法修習生になることを希望しないならば、單に民間の一員として、優れた法律知識とりつぱな見識とりつぱな正義観とをもつて社会のために活動してくださるであろうということを、私は期待しておるのであります。そういう意味からしてやはりこの試驗は資格試驗とするのがいいと考えるのであります。 次に所管をいずれにするかという問題でありますが、この点につきましては、先ほど來多分に法律上あるいはその他の点について、確定した根拠はないけれども、実際の運営上便宜の問題からして、この試驗の所管を最高裁判所に定むべきであるという御意見があつたようであります。われわれの仕事は法律の範囲内において活動するという任務を持つております。從つてこの問題の解決も、まず第一に法律的に國法上どういうふうにこれを解釈すべきか、このことを基本にして決定すべきであつて、その後に便宜これをいかに処理するかという問題が考えらるべきであると私は考えるのであります。 まず第一に、裁判官以外に檢察官、弁護士というような司法職員になろうとするものを含む試驗、ことにこの資格試驗は裁判事務でないことはもちろんであります。裁判事務の遂行に対して直接かつ不可分の関係にある事務でない、單なる一つの行政に関する事務であると私は考えるのであります。それで本來行政事務につきましては何らの権限もない、單に憲法上民事の裁判及び刑事の裁判に專念すべき重大なる任務を與えられているところの裁判所の事務に属せしむべきものでないと考えるのであります。從つて行政官廳であつて、本來この種の事務を担当すべき責任があり、かつ國会に対しても責任を持つておるところの法務総裁が当然これを所管すべき事務であると私は考えるのであります。この点について少しく敷衍いたしまするならば、まず日本國憲法は三権分立を原則といたしておりまして、司法、立法、行政の各機関はおのおの独自の任務に專念することを必要とすることを建前といたしております。日本國憲法は御存じの通り、議院内閣制を採用しておるのであります。この議院内閣制によりますれば、行政府であるところの内閣は、立法府であるところの國会の支配と統制とを受けるというのが建前であります。從つてこの内閣は、國の行政監督機関であるところの國会に対して責任を負う建前になつておるのであります。しかるに裁判所はこれらのものに対しては全然無答責である、こういう立場に置かれておるのであります。もちろん詳細に見まするならば、やはり狹義の司法のほかに、裁判所においてはいわゆる司法行政権を持つており、かつまた学者のいわゆる副立法権——ルール・メーキング・パワーを持つておるのであります。これはその裁判事務を遂行するために最も必要であると認められる範囲内において許容せられているところの権限であると私は考えるのであります。從つてこれらの事項は、いわゆる三権分立の精神から申しますならば、例外的に許容せられるところの権限であると考えるのであります。 そして次に私は裁判の性質について私見を申し上げるのでありますが、裁判は國政上きわめて重大であります。私は元來檢事出身でありまして、多年の檢事生活においても、常に裁判の遂行ということについてわれわれのできる範囲の努力をして参つたつもりであります。少しでもこの司法の威信を汚さないように、りつぱな裁判ができるように、論告においてもわれわれは全力をあげてわれわれの意見を開陳して裁判官の御参考に供して参つた。こういう建前を私はとつて來たのでありまするが、とにかくこの裁判は國政上きわめて重大なものであると考えるのであります。現日本國憲法は裁判所の地位の向上ということを大いに要請しておるのであります。万一裁判所に余力がありましたならば、ぜひとも裁判権の運用に対して改善くふうをする方面に力を入れていただきたいと思うのであります。しかしながら裁判権の行使に関して直接でなく、かつ不可分の関係に立たないところのかような考試というようなものについては、法務廳において十分にこれを担当し得る自信があると考えておるのであります。こういう意味におきまして裁判所は、ぜひともこの國政上最も重大な性質をはつきりと把握せられて、裁判権の運用をいかにするかということについて、多大の努力をして行かなければならぬと思うのであります。こういう意味において、例外的な権限をあえて自分の手元に取入れる必要はないと私は考えるのであります。要するに法律学校、ロー・スクールを経営するとか、あるいは裁判官、檢察官、弁護士、その他の法律專門家を養成する。あるいはその考試を行うというようなことは、憲法にいうところの司法権の範囲外にあり、かつまたこれに直接不可分の関係にあるものでないと私は考えるのであります。万一この試驗が裁判官の任用ということでありまするならば、これは司法と直接かつ不可分の関係にある。さような性質のものであるならば、これはぜひ裁判所でやつていただかなければならぬと私は考えておるのであります。私の考えておりますところを簡單に申し上げさせていだきました。
○花村委員長 次に前澤忠成君にお願いをいたします。
○前澤公述人 私は今問題となつております司法試驗に一番関係の深い司法研修所を預かつておる者でございます。この問題についての司法研修所の考えを申し上げます前に、大体現在この司法試驗というものと研修所とはどういう関係があるか、それから司法研修所ではどういうことを行つておるか、それからまたこの司法試驗というものが司法修習生以外にどこか法律に現われておるかどうかというようなこと、そういう事実について御説明申し上げ、それからなおもう一つ、私が御説明申し上げる前に私の考えを申し上げたいと思います点は、司法修習生の制度あるいはこの試驗の制度——すべて法律なり制度なりについていろいろな理想案というものは絶えずあると思います。そのほんとうの理想はどうしたらいいかということは、絶えずわれわれとしては研究もし、考えなければなりませんけれども、それと同時に現在の法律がどうなつておるか、現在の法律は現在の法律で私は理想を持つておると思うのであります。現在の法律が國民に選ばれた國会によつて定められたる以上は、その法律の考えておる理想を一番できるだけりつぱに実現できるようにすべてのことをそれに向けて行く、それに全力を盡すということが大事なのではないか。それと同時にまた現在の法律で定まつておる制度について、將來これをどういうふうに直したらいいかということも考えて行かなければならないのはもちろんでありますが、その將來どうしたらいいかということを考えることと、現在の法律がねらつておる理想を実現するにはどうしたらいいかといいことと混同してはいけないじやないかと考えるものであります。現在の状態について少し御説明申し上げますと、司法研修所は司法修習生を現在全國で約七百名お預かりしておりますが、一昨年は百三十名を司法修習生として採用いたしました。この人たちは期間が本月の中ごろで満了いたしますので、現在試驗をいたしております。近いうちにそれぞれ判事なり檢事なり、あるいは弁護士となられるはずであります。昨年は二百五十名を採用いたしました。この人たちは司法研修所における修習を終えまして、現在は全國の各裁判所、檢察廳、弁護士会にお預けして実務の修習をしていただいております。本年は約三百名を採用いたしました。この一昨年、昨年、本年と、司法修習生として採用いたしました人たちの司法試驗のことについて御説明申し上げますと、一昨年は終戰直後でありまして、非常に試驗のパスされた方も少かつた。從つて少数しか採用できません。昨年は二百五十名を採用したのでありますが、実は試驗の成績で六十点を合格点といたしますと、嚴重にこれを守りますと数が足りなかつたのであります。これは最高裁判所の方と、法務廳の方から担当の者が出席いたしまして、高等試驗委員の方にお集まりを願つて、大体このぐらい数が必要であるから、それだけの数を何とかとりたいということで、実は多少合格点の程度を下げたのであります。それから昨年の試驗におきましては、これまた昭和二十四年には約三百名くらいを採用する予定であつた。ところが試驗委員会の方では、点数を調べてみますとその数には満たないのであります。これもまた裁判所の方と法務廳の方と、両方からお願いをしまして、委員会の方で、平たい言葉で申せば点を甘くして、そして三百十八名でございましたか、合格ということにしていただいて、その諸君が本年司法修習生を志望して來られたわけであります。現在法律におきましては、まず裁判所法におきまして、裁判官は司法修習生としての修習を終えた者ということが載つております。それから檢察廳法にも、檢察官は司法修習生の修習を終えた者、これが一番正道であります。それから弁護士の方でありますが、弁護士の方は御承知のように、弁護士法が新憲法後も改正になつておりません。それで弁護士試補というものが法律の形の上では生きております。しかし実際は一昨年も昨年も弁護士試補として弁護士会において修習をされた方はきわめて少数であります。本年は御承知のように、もうすでに弁護士法の改正案がこの法務委員会の方にかかつていらつしやるようでありまして、これによりますと、弁護士は司法修習生としての修習を終えた者ということになつて、弁護士試補というものは全然なくなつてしまつております。この弁護士法の改正案が法律として確定いたしますと、ここに初めて新憲法によつて定められた新しい制度というものが、裁判所関係におきましても、檢察廳関係におきましても、また弁護士の関係におきましても、全部整うわけであります。全部が司法修習生としての修習を経なければ裁判官にもなれない、檢察官にもなれない、弁護士にもなれない、こういうことになつております。私先日司法修習生を裁判所、檢察廳、弁護士会にたくさんお預けして、実務の修習をさしておりますので、関西方面に出張いたしましたが、そのときに実に多くの方から、一体司法試驗というのはどうなるんだということを聞かれたのであります。この質問を発せられた諸君は、全部があるいは判事を志望しておられる、あるいは將來檢察官になりたいという方、あるいは將來弁護士として活躍したいという方ばかりでありまして、法務廳のこの法案によりますと、法律專門家としての資格を判定する試驗のように書いておりますが、この試驗を受けようとしておられる方は、この試驗によつて自分が法律專門家という資格を與えられようとは夢にも思つておらない。そういうことを考えておられる方は百人中一人もおありにならないので、つまりみんなが自分は判事になりたい、檢事になりたい、弁護士になりたい、であるからこの試驗を受ける、こういう方が全部であると私は考えるのであります。もつとも裁判所法のうちには、簡易裁判所の判事が司法科の試驗に合格しておらない場合に、もし司法科の試驗を受ければ、これが判事となる年数については、その試驗に合格したときから計算するというような規定はございます。つまり高等試驗を通つておらないのに、簡易裁判所判事になつた人が後に司法科の試驗を受ける、こういうことは法律でも考えております。しかし新憲法になりました後に、この法律の規定によつて、簡易裁判所の判事でありながら司法科の試驗を受けた人は、調査いたしましたが一人もございません。それからまた檢察廳法の関係では、司法科の試驗合格者から副檢事が採用できるということが書いてございます。これは実は調査をいたしておりませんけれども、多少あるかと思いますが、副檢事はわざわざむずかしい司法科の試驗を勉強して、これをパスしないでも、ほかに副檢事に任命される道がたくさんございます。これはたまたま司法科の試驗というものがある関係上、副檢事をその合格者からもとれるというふうにしたわけであります。結局問題になつております司法科の試驗というものは、判事、檢事、弁護士になろうとする人たちが受ける試驗であります。中には先ほども眞野裁判官あるいは朝日新聞社の西島さんのお話にありましたように、裁判官あるいは檢察官、弁護士になるつもりがなくても試驗を受けるというような、きわめて少数の方はあおりだと思います。もつとも西島さんの話では、あの時代には司法科の試驗を通りさえすれば、あとは修習生の修習をしないでもすぐ弁護士になれた時代でありますから、そういう点もお考えになつてお受けになつたのではないかと私は想像いたすのであります。でありますからほとんど全部の人は、やはり裁判官、檢察官、弁護士になりたいというところから試驗を受けるわけであります。これらの人は法律によりまして、全部司法修習生として二年間の修習をしなければならないということになつております。一体このような裁判官の育て方、檢察官、弁護士の育成の仕方がいいかどうか、これは私は大いに問題があると思うのであります。また問題があればこそ、この制度をとるときには、非常ないろいろな議論がわかれまして、最後に議論の末こういうようなきまつて、法律として確定されたわけでありますが、將來どういうふうに裁判官なり檢察官なり弁護士を養成したらいいかということは、これは大きな問題としてわれわれが絶えず研究をし、また考えて行かなければならない問題だと思いますが、現在は檢討の上、國会において現在の裁判所法、檢察廳法、それから近く改正されます弁護士法によりまして、現在のような養成の方法が法律で定まつておるわけでありまして、われわれといたしましては、この法律でもつてねらつておるところの理想をどういうふうにしたら一番よく実現できるかということについて、全力を注がなければならないと考えておるものであります。率直に申し上げますと、司法研修所では、採用試驗にするか、あるいは資格試驗にするかということにつきまして実はどちらでもそうこれでなければならないということはございません。ただこの試驗を受けられる諸君のことを考えますと、それからまた新憲法施行後今日までの実際を見ますと、実質は採用試驗とした方がよろしいのではないか、採用試驗とか資格試驗と申しましても、これは私はかなり観念論的なものではないかと考えます。採用試驗の中にも資格試驗の本質は含んでおる。例をあげて申し上げますれば、たとえば三百人を採用するときに、三百人の人がほとんど問題にならないような点数であつた、そういうことは実際にはないことでありますが、問題にならないように学力が落ちておるという場合に、それでも三百人をとるかという問題があります。でありますから採用試驗も本質的にはやはり一定の資格と申しますか、一定の力というものを絶えば頭に置いて行つておるのではないか、それからまた資格試驗と申しましても、ただ空虚な資格だけを持つておるというのではなしに、その資格を持つておれば、具体的にどういう職につけるとか、どういう人になり得るという具体的な道がちやんと備わつておつて、初めて資格試驗となるのであります。現在はこの問題になつております司法試驗をパスいたしますと、まず修習生になれます。それから先ほど申し上げましたように、檢察廳法では副檢事をその合格者の中からとることができる、それから裁判所法の面におきましては、簡易裁判所の判事が、この試驗を通つたならば、先ほど申し上げましたような年数の計算があるというようなことになつております。ただ法律專門家としての資格を與えられるということは、一体これはどういうことになるか、先ほども申し上げましたように、この試驗を受けられるような方が、自分はひとつ法律專門家としての資格を得ようとしてこの試驗をお受けになる方は、一人もおいでにならないだろうと思います。みんな法律実務家になりたいために試驗を受けられる。私はこの法務廳の案の法律專門家としてということは、考えようによつてはある弊害が伴うのではないか、法律專門家というような資格を認めますと、法律によつて定められた資格を持つておる弁護士のほかに、何か訴訟事件を扱うようなものがこの試驗によつて生れて來るおそれがあるのではないか。裁判、檢察、弁護という法律実務は、裁判官、檢察官、弁護士にして初めてこれを行うことができるのでありまして、法律專門家というような資格を得ましても、これは実際はただ名義だけでありまして、何にもならないのではないか。採用試驗といたしますと、先ほども朝日新聞の西島さんのおつしやつたように、採用されてしまつて、むりに司法修習生にならなければならないのではないかというようなお話がございましたが、これは試驗をパスなすつても、あるいは家事の都合で、あるいはまたからだの都合で、修習生になられない方もある程度おありになります。現に本年度でも、試驗に合格された方でも、司法修習生を希望されなかつた方が二十名近くございます。この方々はほかの方面にその後向う決心をされたとか、あるいは自分の家庭の事情でもつて司法修習生にはならなかつたというような方がおありなわけであります。決して採用試驗をしたからといつて、必ずその人たたは修習生にならなければならないというようなわけではございません。それからまた採用試驗にした場合に、学力はあつてもからだが惡くてすぐに修習生になれないというような場合には、これをからだを直して來られた場合、いつでもまた採用してあげるというようなことも当然考えなければならないことだと考えます。問題は私は、この試驗を受けられた方は、志望された以上は全部が司法修習生として採用してあげるということが、一番大事なことではないか、これが資格試驗となりまして、及第点をとつた者にみんな資格を與え、その中から修習生は自由にまた採用するというような制度になりますと、少い場合にも先ほど申し上げたような問題がありますし、また今度は実際採用する数よりも非常に多くの方が合格された場合に、司法修習生にはなれないということになる、そういうことが何年か続きますと、これは相当な問題が起るのではないか。この意味におきまして、私は資格試驗でなければならないとか、あるいは採用試驗でなければならないとか申しませんけれども、実質は採用試驗に近いものにした方が國民にとつて一番適当なのではないかと考えるのであります。 それから次に問題になつております、この試驗の事務を最高裁判所で管掌するか、あるいは法務廳で管掌するかという問題でございます。これにつきましても、私先ほど申し上げましたように、將來の理想として、一体司法行政事務を最高裁判所がやることがいいかどうか、これは大いにまた檢討する價値のある問題であると思います。しかしながら現在の法律によりまして、司法行政事務も最高裁判所にある程度認められた、またその結果として司法修習生の修習ということも最高裁判所にまかせられたということになつております以上は、やはり修習生を採用する試驗は、当然最高裁判所がやるべきであると考えます。修習生を二年間修習することは司法研修所で行つておりますが、なおこの二年間の修習が終りますと、試驗をいたします。この試驗は、法律によりまして最高裁判所の長官を委員長とする考試委員会において試驗を行うということになつております。現在、一昨年採用いたしました百二十数名の方を試驗いたしておりますが、この修習生を育てることと、育てることが終つた場合に判事、檢事、弁護士として一人立ちができるかどうかということを見る試驗も、これも最高裁判所でお預かりしております以上は、修習生を採用する試驗は、当然これは最高裁判所でやつていただきたいと、研修所では希望いたすものでございます。 本日公述人として意見を述べるようにお求めがありましたのは、特にただいまの事務の所管をどこにするかという点と、資格試驗にするか、採用試驗にするかという点でございましたが、まだほかに研修所としては申し上げたいこともあるのでございますが、特にこの二点だけについて研修所としての意見を申し上げました。
○花村委員長 ただいまの公述人に対しまして、委員各位より御質問がありますならば、お願いいたします。
○古島委員 初めの岡さんにちよつと伺います。岡さんは、採用試驗とすれば、本年その人が應じないときには、翌年は再び試驗をせねばならぬという御説明でありますが、採用試驗に合格したならば、これを二年間なり三年間有効だということにしておけば、また再びそういう試驗をしないでいいと思います。そういうことにして採用試驗にしたならば、いかがなものでしようか。いわゆる資格試驗でなく——採用試驗の欠点である翌年度は無効であるということにするから、そういうお説が出ると思うのであります。これを、そういうお説の出る前提である、翌年度は無効だということを、翌年度も有効にすれば、この欠点は除かれて、採用試驗でさしつかえないのではあるまいかと考えるのでありますが、この点はいかがでありましようか。 それから前澤さんにちよつと承りたいのでありますが、前澤さんは採用試驗を主張なさるようであります。しかも採用試驗も純然たる採用試驗でなくて、採用試驗に近いものというのでありまして、きわめてあいまいであります。こういうあいまいなことでなく、むしろ採用試驗なら採用試驗として、ことにまた司法研修所の所長であられますから、その点には深い蘊蓄があると考えるのでありますが、一應司法修習生は全部が弁護士一本になる、その弁護士の中から檢察官なり、あるいは判事なりを採用するという制度にするのが一番いいのではないかと存じますが、この点のお考えをちよつと承りたいと思います。
○岡公述人 ただいまの委員の御質問に対してお答え申し上げます。お説の通りにいたしますならば、結局はやはり名前だけが採用試驗ということになるのでありまして、実質はやはり資格試驗と少しもかわりないことになるのじやないかと思うのでございます。その意味において私は、やはり單に資格試驗としておいていただきたいと考えております。
○前澤公述人 ただいま御質問がございました、私が申した資格試驗に近いということは、適当でなかつたかと存じますが、実は採用試驗の一番はつきりしたものは学校の入学試驗であると存じます。これが学術試驗、体格試驗に——これもいろいろやり方があると存じますが、不合格の場合には翌年また受け直すということになつております。司法修習生の場合には、そういうはつきりした学校と同じような採用試驗が適当であるかどうか。私はむしろ適当でないのではないかと思う。ただいま御質問がございましたように、学術の点は十分にパスした、しかしからだの都合で本年すぐに修習生となつて修習することは待つてもらいたい、あるいは研修所としても養生をさせたいという場合には、これはその後一定の年限の間は、からださへなおればいつでもとつてあげたいという氣持を持つておりますので、その意味で資格試驗に近いものというような、きわめてあいまいな言葉を使つた次第でございます。 それから將來弁護士だけを育てて、その中から檢察官、裁判官をとつたらどうかという点についてのお話がございました。この点も非常な大きな問題であると存じます。將來イギリスのように、裁判官は檢察官、弁護士の中から採用するというような方法がいいか、あるいはまたその修習の方法もイギリスのように、官廳でもつてこれを行わないで、弁護士会——インズ・オブ・コートでこれを責任をもつて育てることがいいかどうかということは、非常に大きな問題であると存じます。これはただ司法研修所だけの考えできまることではなし、またこれについても、われわれとしては研究はいたしておりますけれども、ここで將來どういう制度が理想的であるかということは、簡單には申し上げられない、非常に大事な問題であると存じます。ただ現在の法律で理想としておるところは、判事も檢事も弁護士も、一つの修習生として同じような勉強をしてもらう。そうしてそれぞれ自分の向いた方に向つていただくということが現在の法律のねらいであるというところから、いかにしたならば一番理想的にこの制度の効果をあげることができるかということに、われわれは若心をいたしておる次第でございます。
○花村委員長 ほかに御質問はございませんか。
○高木(松)委員 私は宮本さんと岡さんに、ちよつとお尋ねしたい点があるのであります。 司法試驗を、宮本さんも岡さんも、法務廳で管理すべきものであるというお説のように拜聽いたしました。そこでこの理念は、かかつて司法研修所の問題にも、理論的に相当檢当せらるべきものがあると思うのであります。そこで司法研修所が、研在最高裁判所の管理の中にあるのでありまするが、お二方のお考えとして、これがよろしいとお思いになつておるか。そうでなく、他に管掌がえすべきものであるというお考えか。これらの基本観念が結局法務廳説になつたり、最高裁判所説になつたり、弁護士会説になつたり、影響を及ばすものであると思いまするから、その点をひとつお尋ねしたいと思う。
○宮本公述人 お答えいたします。私は現在のような、司法研修所を裁判所が管理するということは、理想的じやないと思います。私の先の公述でも申しましたように、大体こういう仕事は裁判所に適さないものだと考えます。いわゆる裁判所以外の機関でやつた方がいいという考えを持つております。現在の制度については、理想案とは考えておりません。本日は、そういう司法研修所を置くという前提のもとに私は議論したのであります。理想としては別な機関に、裁判所以外の機関にやらせた方が、この研修所も適当であろうというふうに考えております。
○岡公述人 ただいまの御質問に対してお答え申します。私個人の考えといたしましても、現在の司法研修所、すなわち最高裁判所の管轄下にある司法研修所の制度というものはいけない、こういう結論を持つております。理由は、あそこで裁判官だけを教育なさるということならば、これは妥当でございますが、この修習生の中には、弁護士になる人も、檢察官になる人も、裁判官になる人もあるのであります。こういうことになりますると、むしろ裁判所にも関係なく——関係なくと言つても少し語弊がございますが、裁判所でもなく、檢察廳でもなく、特定の弁護士会でもなく、何かそんなものでできたアソシエーシヨンのようなものでひとつやつて行く。これが理想ではないかと、こう私考えておるのであります。それでその司法修習生の研修を終えまして裁判官、檢察官、弁護士になるといたしまして、その後においていろいろ再教育をする、こういうことになりますと、裁判官は裁判所に、檢察官は檢察廳で、弁護士は弁護士会で、こういうふうにわけて行つていいのではないか、それが最も望ましいものではないか、こういう考えを持つております。これでお答といたします。
○高木(松)委員 いま一つお尋ねしたいのだが、要するに今お二方のお考えになつておることは、司法研修所それ自体も、理論的に考えて最高裁判所に管掌せしむべきものじやないというお考えを持つておられるが、そのお考えを前提として今の法務廳説が出たのか、現在の制度そのものを前提として法務廳説が出たのか、その根拠をひとつ明らかにしていただきたいと思います。
○宮本公述人 お答えいたします。私は先ほど申しましたように、理想としては現在の制度は適当じやないというふうに考えておりまするが、本日の公述人としての考え方は、現在の制度につきまして、この前提になる試驗制度の運用官廳いかんという問題について意見を述べたのであります。結局現在の制度から意見を述べました。
○岡公述人 私の先ほど申し上げました意見は、現在の制度を基準といたしまして、その事務の性質から、國法上行政官廳に負荷せらるべきものであるという建前から意見を申し上げました次第であります。基本はやはり現在の制度を元にしております。例外的な事項は、むやみにこれを拡大すべきものではない。万一さようにどんどん行政事務が裁判所に入つて参りますると、いつかの司法省のようなものがまたそこにできて來るのではないか、こういうことを私は考えております。
○花村委員長 ほかに御質疑はありませんか。——なければ、次に水野東太郎君の意見を承ります。
○水野公述人 私は日本弁護士会連合会会長を兼ねておりまする東京弁護士会長の水野東太郎であります。 本日の問題につきましてそれぞれの立場から、いずれに所管問題を持つて行くか、これに從つて資格試驗にするか採用試驗にするかの問題は、相当むずかしい議論が多分にうかがわれるのでありまして、かようなことがうかがわれるということは、はたしてこれの所管を法務廳に持つて行くのが至当であるか、最高裁判所に持つて行くのが至当であるかということの、いずれにもむずかしさがあるということから出ておるということをまず一つ申し上げたいのであります。さてさらに、この問題をただここに現われたこの問題だけとして考えずに、もつと深く掘り下げて、この問題というものは根本にさかのぼつてどうあるべきか、こういうことで考えてみなければ、この問題を解決するということへの結論へ持つて行くのに、あまりに飛躍するのではないか、かように考えておるのであります。 そこで新憲法下、日本の民主化というものが強く歩みを続けております。これに從つて司法の民主化というものもまた、ともに強い歩みを続けなければならないのであります。しこうしてこの司法の民主化への道は、いろいろの道があるでありましよう。その道のうちに、大きな一つの課題として考えなければならないことは、この司法民主化のために、われわれが長く叫んでおりましたところの法曹一元という問題がどうしても取上げられなければならない、かように信ずるのであります。法曹一元の問題は何か。これはここで事あらためて申しますまでもなく、法曹というものはすべて弁護士から出るべきだということなのであります。これはなぜそうしなければならないかは、特に申し上げなくともおわかりくださることと思いますが、われわれ弁護士はあるいは原告代理人の立場となり、あるいは被告代理人の立場となり、また刑事問題の面におきましては、告訴代理人としての立場を持ち得るのであります。さらに弁護人の立場において被告の立場を擁護して参るのであります。弁護士は、直接民衆とともに、多くの大衆とともに裁判という面に関與する立場にあるものなのであります。かような立場において社会のあらゆる面にわれわれが接触し、いいことも惡い面をもわれわれはきわめて率直に吸收しておるところの立場に置かれておるのであります。こういうような立場にあつて物を見、しこうしてこれを法律の面によつて権利義務を正しく擁護する。基本的な人権を正しく擁護して行くということになります場合に、その立場の者がどのような事実上の正しさをもつて接し、かつこれを運用し得るか、かようなことはくどくどしく申さなくてもわかると思うのであります。学校を出て試驗を受けて、一つの官僚的な立場、あるいは裁判官の立場にただちに飛び込んでしまうところの一つの法律分野における立場と、今申し上げましたわれわれの立場からさらにその面へ入るべきだという考え方とのよしあしという問題は、あまり多くを申さなくてもおわかりがいただけると思うのであります。新憲法下、司法民主化に進むということについては、ほんとうに眞劍に考えなければならない問題でありまして、もちろんこの点についての檢討を盡されて來ておるのでありますが、さりながら不幸にしてかつての弁護士、弁護士会なるものの力というものは、きわめて低く扱われて來たのであります。かような理想をいかに叫んでも、とうていこれを実現するという機運にはならなかつたのであります。さて新憲法下、それが理想であるといたしましても、これをただちにとつてもつてさようなところに持つて行くということには、現実の問題として、いかにわれわれが声を大にして叫んでも、実現させるにはむりがあるのであります。かようなところから、ここに一つの過程といたしまして、現実いろいろな問題が取扱われつつあるのでありますけれども、新憲法下の司法の民主化の道としては、何としてでもこれを達成せずして、何をもつて司法民主化を達成し得るかということを、この際特にお考えをいただきたいのであります。 さて司法の民主化、法曹一元化ということの一つの考え方が盛られたのがこの司法修習生制度であります。今までの司法科と弁護士の両方のそれぞれの司法修習という制度をやめまして、司法は一本建で行くべきだ。かようなところから、司法一元化への一つの理想の現われとして、ここに一つの理想としての法律が現われたのが司法修習生の制度だと私は信じております。 そこでこの司法修習生の制度なるものは、今申し上げました法曹一元化と司法一元化への大きな一つの進歩であると信じますとともに、この司法修習生を一体どこで取扱うか、かような問題は、私がただいま申し上げましたところの法曹一元論の問題にとつてもつてただちに考えなければならぬ問題だと信ずるのであります。先ほど申し上げましたように、現実はこれを許さないのでありますけれども、幸いにいたしましてきわめて理解ある努力を得まして、近く新しい弁護士法が日の目を見ることに相なろうと思われます。かように相なりますれば、弁護士の機構は、かつてとは非常に違つた性格と地位とを得ます。さらに日本弁護士会連合会は、弁護士会とともにまつたく自治独立の地位を獲得いたしますとともに、非常に強力な力を持ちまして、司法分野におけるところの最も大きな立場を確保することになるのであります。從いまして日本弁護士会連合会なるものは、司法修習の機関たらしむるに決してさしつかえのあるような、さようなものではなくなるのであります。さような機会が近く招來いたすことを考えますときに、この司法修習生の制度というものは、日本弁護士会連合会の発達とともにおのずからどこへ持つて行くべきか。かようなことへの將來づけをこの際十分檢討してかかるべきだと思います。かような意味におきまして、あえて私はその点について前置として一言触れた次第であります。これはわれわれの理想であり、この理想は容易の簡單には通らないかもしれませんが、現実の問題としては着着その道えの歩みを続けていることを信じて疑いません。願わくはこの問題について、さらに続いて十分なる御檢討をいただかんことを切望いたします。 さて現実の問題に返りまして、しからば現在の法制下において、はたしてこの司法試驗をどこの所管に持つて行くのが妥当か妥当でないか、このことについて一言お断り申し上げておいた方がよいと思われますことは、過日のこの法務委員会において、政府委員からの説明として、弁護士側は——弁護士会連合会という言葉を使われましたか、あるいは弁護士側という言葉を使われましたかはしりませんが、ことに前東京弁護士会長長野君の名を用いられて、長野君はこの司法試驗の所管については、法務廳が所管するのが至当であるというような意見を述べられたように私は承つたのでありますが、そのことについてはその前にすでに私としては、長野君にこの問題をどういう経過であり、どう考えておるかを聞いた場合に、その意見とは反対の意見を聞いておりましたので、さらにあらためてかような話があつたかと言つて確めましたところが、いやそれはそうではない、自分の意見は、今法務廳側が説明されたのとは違うのだ。かようなことがありましたので、一言ここにつけ加えておきます。 さてそこでこの問題につきましては、私ども日本弁護士会連合会では委員を設けまして、この問題をいかにすべきかということについて檢討をいたしたのであります。その檢討の結果といたしましては、司法科試驗の所管は最高裁判所がしかるべきものである。こういう結論に到達いたしたのであります。最高裁判所の所管にすべき理由については、これは司法に関する問題であるという考え方がまず一つあるのであります。それからさらに司法修習生を現実には最高裁判所が養成しておることから、当然そこの一貫的な立場、このは実情としては先ほど來公述人のそれぞれの方から申されておりますので、特に重ねて申し上げません。さようなことのゆえをもちまして、司法科試驗は最高裁判所の所管に属すべきものである、かように結論づけられたのであります。反対側の理由として、司法科試驗は法務総裁が試驗委員長であつたという歴史過程を述べておられるのでありますが、この点はあまり強い理由にはならないと考えられます。ということは、かつての高等試驗が行政、司法、外交の三科にわかつて行われておつたのでありますが、高等試驗廃止当時のいわゆる司法科の試驗というものは、最高裁判所の事務総長がこれを行つておつたのでありますがゆえに、この点は強い理由と相ならぬと思います。さらにいわゆる司法行政と一般行政との意見の差もありますが、この試驗は一般的の行政というところにまで考えを持たなくとも考え得られる。いわゆる司法行政部門として考えられるものだと思われるのであります。ことにこの事務のために非常な——あるいは非常ではないかもしれませんが、裁判事務へのさしつかえがあるのではないか。かような見解も行われておりますが、これはいわゆる司法試驗運営委員会なるものがありまして実際の事務を取扱うがゆえに、さようなことの心配は割に少いのじやないか、かように考えられねのであります。次にこの試驗を資格試驗とするか、採用試驗とするか、この問題はやはり司法修習生を現実に取扱つておることから考えまして、やはり資格試驗ということでなく、採用試驗に持つて行くべきではないか、かように考えるのであります。ただこの点についてお断りしておかなければならないことは、特にこのことについての日本弁護士会連合会の委員の一致した意見ではありませんが、ただ前段に申し上げました一つの結論から採用試驗がしかるべきものだ、こういう結論に私は到達しておる次第であります。理論的に申しますれば、私はどちらにもりくつがあると思います。しかし実際の問題として、あるいは事実上の人員の必要さ、もちろんこれには弁護士というものが一つ含まれておりますが、また予算の面とかいろいろな面から考えましての便宜の問題から申しまするならば、これはやはり採用試驗ということの方が資格試驗よりよいではないかという実情にあるのだ。かような考えから採用試驗しかるべきものと、かように考える次第であります。
○花村委員長 次に伊勢勝藏君にお願いいたします。
○伊勢公述人 私た第一東京弁護士会会長伊勢勝藏であります。先ほど來各方面の御意見を伺いまして、また弁護士会側を代表いたしました意見も出ておりまして、この問題についての御意見は双方とも出盡している感じがいたすのであります。私は簡單に申し上げるために、まず結論から申し上げたいと思います。 第一の問題は司法試驗を司法試驗管理委員会か最高裁判所、法務廳そのいずれにおいて主管すべきかという問題であります。それは第一東京弁護士会の意見また私個人の意見といたしまして、最高裁判所に所属せしむべきものである、こう考えるのであります。いろいろ理論もあるようでありますが、理想から申しますならば、やはり法曹一元ということが弁護士一本にして、弁護士の修業を経た者から裁判官、檢察官を任命するということが最も望ましいのであります。しかしこれはただいま水野連合会長が申したごとく、現実にはむずかしい問題であります。今ただちにそういう制度をとつて、それでは今ただちに弁護士会は適当な数の判事、檢事を供給し得るかといえば、それはできないことであります。やはりその道程として、司法研修制度の今日の有様をしばらく続ける必要があるということを前提にいたしまして、最高裁判所の所管にすべきものだということを申し上げるのであります。この司法試驗は一体何を目的とするかということを、まず第一に考えなければならぬと思います。理想論として一般の試驗制度をどうするか、國民からいかにして人材を拾い出すかということになりますれば、これは視野を廣くし、さらに構想を廣しくして考えなければなりませんが、今提案されておりまする問題は、司法試驗法案として提案されて、その試驗についての所管が論ぜられておるのであります。この目的をよく見ることによつておのずから結論は出ると思うのであります。司法試驗法案の第一條には「司法試驗は、法律專門家として必要な学識及びその應用能力を有するかどうかを判定することを目的とする國家試驗とする。」こういうのであります。先ほど眞野裁判官から、法律專門家としての言葉は少し行き過ぎておるという言葉のようにお話がありましたか、私も同感なんであります。司法試驗は將來法律專門家となるべき学識詞力があるかどうかということを調べる程度のものだと思うのであります。すなわち司法試驗は司法研修所に入所せしむべき人の試驗をするところであります。そうしてその目的とするところは何であるか、裁判官檢察官及び弁護士たらんとするものの試驗をするのであります。その意味において法律專門家という言葉が使われたと思うのであります。そういたしますれば、これは一面においては司法研修所に入学せしむべき者の試驗をするということになると思います。これは先ほど出た問題にもつながることでありますが、いろいろの論が出るようでありますが、結局本案において発述を求められておりますのは、ただいまの点に限るのであります。すなわち主管問題については、いかなる目的の試驗をするかということによつてきます。ただいまも申したごとく、試驗の目的は司法研修所に入るべきものを試驗するというのであります。そうすると司法研修所なるものが現在において最高裁判所において所管されておる、これがもし弊害がある、これがいけないということならば別でありますが、少くとも從前の司本判檢事、弁護士の修習制度においては、最もとは申せませんが、比較的完全に近い制度としてわずかに数年來行われ來つたのでありまして、いまだその弊害を認めたことはないのであります。私はその意味において当然裁判所に属せしむる、すなわち研修所の主管者である裁判所に所管せしむべきものであると考えるのであります。これにつきまして試驗そのものは行政行為であるという御論が出ておりますが、しかしながらこれの反対論も相当盡きておりますが、行政と申しますけれども、目的が何であるかということによつてきまるのであります。司法の目的のために行い得る行政行為は、これは当然司法の主管者において行い得ることであります。独立して試驗のみが行政行為だということは、私は意味はなさないと思う。かりにこの試驗によらないで判檢事を採用するといたしましても、やはりその採用の手段について、何らかの行為をやつたならばこれも行政行為だというふうに相なつたならば、司法の運営というものは何らできないことになる。すなわち司法の運営のためにする行為である以上は、それが行政的行為であつても当然司法権に属せしめるべきものである。いわゆる行政権というものではないのであります。この意味においてこの反対論は当らぬと考えるのであります。 以上をもつて主管問題はおきまして、次は試驗を採用試驗にするか、資格試驗にするかということ、これは一面におきましては主管問題にもつながるかのごとき感もあるのであります。そういう意見を述べておる人も私どもの同僚にもありますが、私個人の考えとしては、主管が法務廳に移るか、最高裁判所に移るかということと、資格試驗にするか採用試驗にするかということについて必然的なつながりはないものと考えます。いずれに属しても、資格試驗にするか採用試驗にするかという問題は別個に考えらるべき問題だと思うのであります。しかしながら目的が法律專門家たらんとするものをとろうというのでありますから、判檢事、弁護士たらんとする以外の人のために試驗をする必要はないと考えます。先ほど來資格試驗にすれば人材が集まる。採用試驗になれば人材が集まらないといつたようなふうの感じを與える御論がありましたが、私もどうもその意味を了解することができないのであります。資格試驗にすればどうして人材が集まらないのであるか、司法官となろう、弁護士となろうというものが志を立てて試驗を受けるのに、採用試驗であつたらりつぱな人がそこへ行かないということは何としてもあり得ない。採用試驗でやはりりつぱな人はりつぱに採用されるのであります。ただそこに付属的に出ております問題は、試驗は受けるが法律專門家にはなりたくないのだ、そういう人が一つの自分の資格を持つておりたい、いわば何と申しますのでしようか、一つの身の飾りにしておきたいというふうな目的の受驗者をも收容し得るために、資格試驗をという御論のようでありますが、これは私はいらざることだと考えるのであります。さような人に、ある人間がどれくらいの学識を持つておるか、どれくらいの識見を持つておるかということの試驗をするために、それが國家のために必要だというならば、また別個に人材試驗をつくればよろしいのである。司法官の試驗を受むる必要はない。司法官の試驗は司法官を志す人のみでよろしいのでありまして、そうなつて來ますと、結局は採用人員、そのときの情勢ということに支配される問題であります。やはり研修所を主管して参ります最高裁判所において人員の久要の数を知り、あるいは予算の関係によつて相用人員を調節して行くということは、これは当然のことであります。また実際的なことであります。理論的のことは別といたしまして、事実上、運用上採用試驗がよろしいというのであります。しかしこれに対して、試驗は受けたが病氣のために修習生に入れぬものをどうするかということ、これはもうきわめて小さな付属問題で、これはあるいは御院におかれて適当なるそれについての救済規定をお設けになつてもしかるべきかと考えるのであります。資格試驗にしておいて、試驗は受けた、五年も十年も経つてから、おれは資格があるのだからといつて修習生になりたいといつたときに、これを一体その場合に採用できるかということも考えなければならぬ。やはりその志を立ててその道に進んで來た。そのときにそのままにその道を進ませるということが人材登用の道だろうと考える。いろいろの付随した御論も出ておりますが、一々弁駁はいたしませんが、私は衷心より承服いたしがたいと考えております。はなはだ簡單でありますが、以上をもつて私の公述といたします。
○花村委員長 次に江澤義雄君にお願いいたします。江澤義雄君。
○江澤公述人 私は第二東京弁護士会副会長江澤義雄でございます。本日の議題になつておりまする二つの問題につきましては甲乙両説がございます。そうしてその両説とも相当の理由があると考えられます。その理由の詳細につきましては、各公述人から説細に述べられておりまして、大体意見は盡きておるように考えますので、私はきわめて簡單に私の意見を申し上げたいと存じます。 問題の第一の点、すなわちこの司法試驗を最高裁判所の所管にするか、法務廳の所管にするか、この問題につきましては、私は日本弁護士会連合会の決議と同様に、これは最高裁判所の所管にすべきであると存じます。その理由は、簡單に申し上げまするならば、要するにこの試驗は廣い意味における司法に携わる人を採用する試驗である、こういう意味から最高裁判所の所管にすべきであるということであります。今一つの理由は、現在は裁判所法の規定によりまして、司法研習所が最高裁判所の所管になつております。この試驗はその研修所に入る人を採用する試驗でありますから、その点が第二の理由でございます。 それから一言付加して申し上げたいことは、先ほど宮本檢察官から申されましたが、この試驗を最高裁判所の所管にした場合には、最高裁判所の負担過重になりはしないか、こういうことが言われております。この点につきましては、私もかつてそういう心配があつたのでございますが、いろいろ調査してみましたところ、私の知る範囲におきましてはその心配はないと存ぜられます。それは最高裁判所にもりつぱな事務局がございまして、事務的なことはすべてこの事務局で処理することができるのであります。從つてこの司法試驗を最後裁判所の所管に移したために、裁判官の負担が非常に過重になるというおそれはないと考えるものでございます。 次に第二の点について申し上げたいと思います。第二のこの試驗を資格試驗にするか採用試驗にするか、その問題につきまして申し上げたいと思いますが、この試驗を最高裁判所の所管にするということから当然に採用試驗という結論は出ないと思います。私の一個人の私見といたしましては、あるいはこれは本質的には資格試驗と解するのが正当ではないかと考えられるのでありますが、実際問題として考えますときに、これはやはり現行制度のもとにおいては採用試驗とすべきだと考えております。はなはだ簡單でございますが、これをもつて私の意見といたします。
○花村委員長 ただいままでの公述人に対し、委員諸君より御質疑がございましようか。
○古島委員 三弁護士会の会長の方々からのお話は、すべてこの試驗は採用試驗に、そうして所管は最高裁判所にするということに一致しておつたようであります。そこで採用試驗にするということについては、私は自分の考えとしてはまことに賛成でありますから、御質疑申し上げませんが、この試驗を最高裁判所をしてやらせるということについては、一言承りたいことがあるのであります。先ほど伊勢さんのお話では、司法修習生を修習させるのは裁判所である。最高裁判所の所管で修習するから、やはりこの試驗も最高裁判所でやらせた方がよかろうという御意見のようであります。これは結果から見てのお話でありまして、司法修習を最高裁判所をしてやらせるか、法務廳をしてやらせるかということでは、かつて内閣の法制審議会でも非常な議論があつたはずであります。このときにはわずか一票の差異をもつて最高裁判所でやるということになつたのであります。その一票の差異というのも、あとで承りますと、まつたく誤解であつたということで、陳謝をしたくらいなものでありました。こういう筋から今日司法修習生は最高裁判所でやるということになつたのでありますが、現在の法務廳法ができまして以來というものは、法務廳は少くとも内閣の最高の法律顧問であり、一方最高裁判所は、裁判の最高の場所にすぎぬ。内閣の法律の最高の顧問だある法務廳がこれを取扱うということの方が正当であつて、裁判所がただちにやるということは、どもう不自由が多いように、思うのであります。たとえて申せば、内閣に対する閣議に出席する。このときは法務廳は法務廳の総裁が閣議に出席して、自由に意見が述べられるのであり、最高裁判所の長官は閣議に出席してその意見を述べることができないのであります。しからばまたこの議会に臨んで何か説明をするときに、ほんとうの責任者は、最高裁判所からどういうものが來るかというと、一説明員にひとしいようなものが参つてやつております。しかも今度は法務廳の側で言えば、法務総裁が出て参つて、全責任を持つてやつておる。このことから考えましても、少くともこういう試驗というようなことは、内閣の最高法律顧問であるところの法務廳が取扱うのが一番便利である。予算を編成するにあたりましても、また閣議において意見を述べるにあたりましても、最高裁判所よりは法務廳がやるということの方が便利であり、実際上に適当するものだと思うが、その予算関係、閣議の問題等も御考慮の上にこの意見が出たのでありますか。三弁護士諸君のどなたからでもよいから、御意見を伺いたい。
○水野公述人 ただいまの古島さんの御意見、それから経過、これらのことは大体私ども承知いたしておることであります。それから実際運営の面で、法務廳にあることの便宜、かようなことの点もわれわれとしては一廳考えてみたのであります。でありますがゆえに、徹底的にただちにこの問題を最高裁判所に持つて行くのが全面的にいいのだ、かようなことから結論を得たのではないのであります。最高裁判所の方で司法修習生を扱つておりまする関係から、いろいろの便宜の問題を考えてみても、ただいま言われたような法務廳で扱うとしての便宜、最高裁判所で扱うことによつて今申されるようないろいろの不都合、かようなことをいろいろ比較研究いたしました結果、現在の階段では、所管は最高裁判所で行くことが比較的いいのではないか、その方が妥当ではないか、こういう結論に達した次第であります。もう頭からそれがいいのだと、こういう意味ではないのであります。そういうことで得た結論でありますから、どうぞさよう御了承を願います。
○花村委員長 ほかに御質疑はありませんか。なければ次に一般公聽人の意見を承りたいと思います。念のため申し上げます。時間は十分でありまするから、御了承願いたいて思います。一般公聽人として副島次郎君にお願いいたしたいと思います。副島次郎君。
○副島公述人 私は弁護士副島次郎であります。今朝來、諸大家の意見を拜聽いたしまして、私どもほとんど申し上げるべき点はないようでありまするが、今朝この部屋に入る以前に私が持つておりました意見を基礎として、あと多少前諸大家の意見に賛否を加えてみたいと思います。 結論から申しまして、第一の問題に対しましては、最高裁判所において所管すべきものであると、かように断定いたしたのであります。第二は、試驗は採用試驗にすべきか資格試驗にすべきかということに対しましては、もちろん資格試驗にすべきだと、かような断定をいたしておるものであります。 まず冒頭に一言いたしておきたいことは、この試驗の所管なり試驗につきましては、これはきわめて貴重なものであると私は考えるものであります。俗語で申しましたならば、國家の再建にある一部の筋金を入れるものではなかろうか、かように考えるものであります。それで第一の問題に対して述べたいと思いますことは、すべてある一つの目的というものがなければならないと思うのであります。米國に渡るといたしましても、上海に行き、ボンベイ、シドニーを経て行きますが、上海でおりる人もありましよう。ボンベイでおりる人もありましよう。またシドニーでおりる人もありますが、それは途中での事故で、あるいはまたもとにもどつて米國に行く人もあるかもしれませんが、目的は米國であるのであります。かような意味からいたしまして、目的というものがまず第一に必要となつて参るのであります。私は、この試驗は專門家を養成すべきものである。これを前提にいたしまして、さようでありまする以上は、たとえこれが行政事務でありといたしましても、最高裁判所において所管すべきが至当であると考えるのであります。最高裁判所は何と申しましても、やはり今日におきましては最も洗練された裁判官の集合であるのであります。人は場所によつてつくられるものであります。孟母の三遷はすでにこれを明瞭にいたしております。そこで將來裁判官、檢察官、弁護士になる人におきましても同樣でありますが、この專門家をつくるには、法律を專門の道場といたしておりまする最高裁判所に置くことが、目的にも合致いたしまするし、きわめて必要なことであると私は思うのであります。これはもちろん司法修習とも関連いたすのでありまして、やはり修習の際におきましても、最後の法律的ないわゆる彈丸でありますが、その判例はまず最高裁判所のほかにはないのであります。そこで修習生に対しても時時判例の要旨なり、そういつたものを示して、常に法律はいかように扱わるべきものであるかというようなことを平生から養つて置くことが、きわめて大事なことではなかろうか思うのであります。かつて葉たばこ一厘事件があつたのでありますが、あれは当時の大審院で決定されたのであります。いわゆる当時は概念法学、いわゆる理論法学横行の時代であつたのであります。ところが今の最高裁判所にあたりまする大審院におきまして、それをひるがえしたのであります。まこと妥当な、今日の民主化に合致する判決であつたと私は見ておるのであります。かような意味からいたしまして、とにかく目的が司法官をつくるのだということにありまするがゆえに、どこまでも最高裁判所に置くべきであると思うのであります。今朝來他の諸大家の意見といたしまして、あるいはそれは將來そういう大きい目的がなくてもいいということでありますが、中には栴檀は二葉より芳ばしという人もありましよう。それに似がよつた人をつくるということからいたしましても、どうしても最高裁判所にこれを附置して、晨夕この裁判官の人たちと会うて話も聞き、あるいは公なり私なりにおいて聞いておくということは、司法官あるいは檢察官、同時に弁護士も同樣でありますが、そういつたものをしつたかりとつかみ得ると思うのであります。かく申しますと何だか型にはまつた裁判官、檢察官、司法官をつくるようにも聞えますけれども、修習の際に、私の意見としてあらゆる階級の人々から修習の生徒に対して、夜ではいけませんが、適当な機会に一時間でも話をしてやるということが必要であります。この点は、私の先の意見と矛盾するようでありますけれども、それを補充して——最近裁判官でやみの値段を知らないで、あめが二円するので非常に驚いたという話がありますので、これらはあらゆる階級の人たちから修習生に話をして聞かして、あるいは座談会でもよろしいのであります。型にはまらないように、民主化に合致するように、しこうして專門家をつくるためにどこまでも最高裁判所に附置してこれをりつぱに育て上げるべきであると私は思うのであります。決して目的は修習生を入れるためではないのであります。修習生を入れるということそれ自体、すでに最後の目的である裁判官たらしめるための修習生である。これを前提といたしまして、最高裁判所がきわめて妥当であると私は思うのであります。 次の資格試驗の問題でありますが、採用試驗と資格試驗、私は資格試驗がきわめてよい方法だと思う。採用試驗ということになりますれば、司法試驗では、あるいは現在においてはそういうことはないかもしれません。しかしながら学校におきましては採用試驗というものをとつておりますが、それにはむりな点があるのであります。中には合格点に足らないでも入つておる。合格点に足るといたしましても、惡い者が入つておるということが間々あるのであります。司法試驗についてさような心配はないと思いますけれども、極端な例をとつて申し上げましたならば、今年採用する人がかりに十名あつたといたしまして、そうしてその中の五名だけ資格試驗をして採用する。残りが五名になりますが、來年今度はどうするか。來年になるとまた採用をするという問題がすぐもう起つて來るでありましようが、今年の五名を、來年はずつと上の方の成績の人を採用することができると私は思う。一年たつたらもう頭がだめだ、頭が古い。こういうことは私絶対にないと思います。その意味から行きまして、やはり優秀な人をとる。いわゆるけさほどの御意見の人材を廣く求める。こういうことから行きますれば、どうしてもこれは資格試驗にしなければならないと思うのであります。以上で大体畫きたと思います。たいへん失礼いたしました。
○花村委員長 次に山口攝郎君にお願いいたします。
○山口公述人 私は日本大学の高等試驗研究室主事山口攝郎であります。私は日本大学において、昔の高等文官試驗を受驗する人たちに対して、特別な受驗を指導しておるものでありますから、受驗生の立場より見まして、きようのこの二つの問題について考えを述べてみたいと思います。 まず第一点の所轄問題であります。この問題は、一般の生驗生にとつてはさしたる影響はないのであります。法務廳にしても最高裁判所にしても、どちらでも受驗生にとつてはかまわないのであります。しかしそれでは結論が出ませんので、法務廳を妥当とする意見をとります。 次にその法務廳をとるということの理由を申し述べてみたいと思います。司法試驗というのは、旧來の高等文官試驗のかわりになるような一つの國家試驗でありまして、それは國家の行う一つの行政的な行為じやなかろうかと思うのであります。その試驗と司法研修所で学ぶこと、それに入ること、その二つは区分して考えていいのじやないかと思います。裁判所というのは、本來的にいつて司法権を行使する機関でありまして、みだりに自分の権限を拡張すべきものではないと思います。もし最高裁判所でどうしてもやるのでありましたならば、憲法七十七條の規定してあるところの規則制定権でこの試驗の内容をきめまして、わざわざこういう司法試驗法というようなこまかい点までの法律をきめる必要はないのじやないかと思います。そういたしますと所轄は法務廳となつてしまうのでありますけれども、この場合特に問題となりますのは、その試驗をどうして行うか。その管理であります。もちろん法務廳の原案によりますと、試驗管理委員会はできておりますが、この管理委員会は独立の機関といたしまして、行政的な管理は法務廳から監督を受けるけれども、その権限を行使するための運営方面の管理は一切不覊独立をいたしまして、公正な立場から國家試驗を行つたらどうかと私は第一の問題に対して考えております。 次に第二点は、試驗をどういうふうな試驗にするか。これは受驗生にとつてまことに問題となるところでありまして、結論を先に言いますと、私は資格試驗をとつてみたいと思います。すなわち試驗に合格しました者は、司法修習生として二年間の修習を受けることになります。そしてその後弁護士、檢事、判事、それぞれの道に向つて進んで行くのでありますけれども、これを採用試驗としますと、合格者はただちに研修所に入らなければならないことになります。その場合考えられますことは、まずその合格者の経済的な状態とか、あるいは社会的地位、そういうものから考えまして、修習が困難になつて行く者が出て來るのではないかと思うのであります。たとえば司法試驗は、学校教育法に定める一般教養科目の学習を修了した者は受けられることになつております。そうしますと、事実上大学の二年でもつて司法試驗に合格する者が出て來ます。そういたしますと、あとの二年の学校と司法修習生と、どつちをするか。あるいは現在相当給與のいい会社なんかに行つている会社員で、何年もかかつてやつと試驗が受かつた。ところが司法修習生になると、わずかな手当しかもらえない。そうすると現在試驗に受かつていながら、司法修習ができないという者が多分出て來るのじやないかと思いますし、また去年私の研究室から合格した者も困つているような状態であります。それでありますから、この試驗を資格試驗としましたならば、合格者は自分の状態をよく考えて、都合を見て修習所に入ることができる、あるいはそれに向かないと自分が思つて者は、司法部以外に飛び出して行つても、この試驗に受かつたのだという確固たる信念を持つて社会の各分野で活躍することができるのじやないかと思います。ただ司法修習生を望みたいときは、その年度の司法修習生に申し込んで、その場合採用されて、司法修習生が二年終つたときに弁護士、檢事、判事等自分の希望する方面に採用してもらいたい。そういうことを考慮にいれていただきたいと思います。以上まことに浅薄な意見でございますけれども、これをもつて公述とします。
○花村委員長 次に山本巖君にお願いします。
○山本公述人 私は元厚生事務官、現在病氣のためにサナトリウム生活をやつております山本巖であります。すでにそれぞれの権威の方々から、第一番の問題並びに第二番目の問題につきましても、いろいろの御意見がございました。私といたしましては、受驗者の立場から第一の司法試驗管理委員会の所轄を最高裁判所に置くか、あるいは法務廳に置くかというようなことは、さしたる問題ではありません。それは新憲法の規定並びに裁判所法とか、あるいは檢察廳法とかいうような法理的な解釈の問題からきめられるべき問題でありまして、われわれ將來弁護士なら弁護士を志望する者の立場といたしましては、この司法試驗法案が持つところの個人的あるいは社会的な影響というものを考えまして、特に將來受驗せんとする者の立場からそれを申し上げたいと思います。 まず第一の問題といたしまして、司法試驗管理委員会を法務廳に置くか、最高裁判所に置くかということにつきましては、私の結論といたしましては、最高裁判所に置くのを妥当だと信ずるものであります。しからばその理由は何かと申しますならば、五つの根拠をあげられると思うのであります。すでにいろいろ討議されましたから、簡單に申します。第一の根拠といたしましては、新憲法が規定するところの、特に強調するところの司法権の独立と、その独立を裏づけするところの司法行政権との関係、これがまず第一の問題となります。第二は、それでは司法行政権の範囲はどこまでに限らるべきか、この問題であります。第三番目は弁護士に関する問題であります。弁護士に関しては最高裁判所に深く関係があるか、法務廳に関係があるか、いずれかという問題を考えることによつて、この所轄をいずれにきめるかということが考えられて來ます。第四番の論拠といたしましては、先ほど來弁護士会側から非常に強調されました法曹一元化の問題であります。特に法曹一元化の問題に関連しまして、裁判所法できまつております司法研修所の規定との関連において考えられます。これが第四番目の根拠であります。第五番目といたしましては、先ほど我妻先生の強調されました精神的な意義、すなわち司法権というものは最高裁判所を中心とする裁判所に帰属する。しかもその司法権の優位性というものは保障された。こういうような司法の民主化の意味から、精神的な意味から申しまして、最高裁判所に置くか、法務廳に置くかということが考えられます。これら大体五つの点で、これを補足したいと思います。 まず司法権の独立と司法行政権の関係でありますが、從來の旧憲法におきまする大審院では、いわゆる司法行政権というものは非常に限られておつた。すなわち規則制定権であるとか、裁判官の人事であるとか、あるいはその監督というようなものが、すべて司法省の所轄に属しておりました。しかしこうしたことは、單に司法権の独立というものを憲法の規定によつて宣言いたしましても、決して完全なる独立を保障されない。こういうような意味から、新憲法の七十七條には、明らかに司法行政権というものは最高裁判所に属するということを規定しておるのであります。 從つて第二番目の問題に移るのでありますが、しからばそうした司法行政権というものをどこの範囲に限るか。先ほどの公述人の御意見といたしまして、試驗というものは一つの行政行為であるというような御意見でありましたが、それに対して眞野先生から強く反対の意見がございましたように、それは單なる行政事務ではなくして、司法行政事務であろうと思います。そうした意味から行きましても、最高裁判所に属することは何ら法的にもさしつかえない。むしろそれが妥当である、こういうように思うのであります。それから司法の民主化ということは、司法がいたずらに政党司法とか、あるいは階級司法というようなことになる弊害を避けることが大切であります。そのためには法務廳、法務総裁の地位というようなものから考えまして、法務廳にこの司法試驗管理委員会というものを置くことは、何らかの意味において、こうした民主化というものが階級司法なり、あるいは政党司法の弊害に陷るる一つの原因をつくるのではないか。こういうように思います。なお司法試驗法というものは、新憲法のもとにおきまして裁判所法あるいは檢察廳法、あるいは弁護士法、こういうような法規の基礎になりますいわゆる人事管理の問題に属しまする法規でありますから、これは当然司法行政権の範囲の入ると思います。 三の弁護士に関する問題は、やはり第七十七條に弁護士に関することは最高裁判所の規則できめることが書いてございます。こういう点から行きましても、やはりこの司法試驗の中には弁護士が多く含まれるのでありますから、これもやはり入ると思います。 法曹一元化につきましては、法曹一元化ということは裁判官、檢察官、あるいは弁護士というものは人事の交流を許すことが第一点であると同時に、それらのものが同一の試驗制度にまとめられるということが要件であります。それでわれわれは法曹一元化という想像の第前から行きますならば、どうしてもこれは現在の司法研修所の規定から考えましても、最高裁判所に属すべきだと思います。 なお第五番目の精神的の意義は、すでに他の公述人の方々が申されましたから省略いたします。 次の第二問に移りますと、司法試驗は資格試驗に限るべきでありまして、採用試驗には反対の意見を有するものであります。その意見といたしまして、一第にはやはり正しき意味の法曹一元化という根拠であります。第二の根拠といたしましては、國家公務員法の規定する試驗制度との関係であります。第三番目といたしましては、憲法の二十二條がきめております何人も、公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有する、この個人的に則面からの問題であります。第四番目は、職業選択の自由の社会的側面から述べたいと思います。 まず第一の点で、先ほど申しましたように、司法試驗度は、司法機関の人事の問題に関する。しかして司法制度の民主化というものは制度ではなくして結局人である。そうした人の実力、経歴を決定するものは、どこまでも資格試驗に限定さるべきでありまして、採用試驗というものはかえつて弊害があると思うのであります。なぜならば、採用試驗といいますると、裁判官、檢察官、こういうような立場ですと別でありまするが、弁護士というものは自由職業人としての地位を有するものであります。そういう点から考えまして、法曹一元化ということは單にこれらの在野法曹、在朝法曹を一ぺんに一つにするのではなくして、それぞれの特殊性を重んじながらそれを統一化して行く、こういうようなことが正しい意味の法曹一元化であると思いますから、私はこれは資格試驗であつて、本質から考えて採用試驗にはなり得ないかと思います。 第二には、國家公務員法は採用試驗制度を採用しております。実は私率直に申し上げるのでありますが、私は現在病氣のために、本年度國家公務員試驗の法律関係を受驗いたしましてが、第一次の学科試驗にも合格したのでありますが、最後のいわゆる身体檢査におきまして、実は私はなはだぶしつけでありますが、胸部疾患でありまして、六本の助骨を切つております。そのためにレントゲン写眞の結果はねられた。こういうようなことがありますと、將來司法試驗法が採用試驗制でありますと、結局科学では通つておりながら身体で落ちる。そのために毎年毎年そういうことをしなくちやいかぬ。こういうようなことは第三の問題に関係します個人の職業の選択の自由を非常に狹められる。個人にとつてひとつの希望を與えない。こういうことで、私個人の問題としても非常に大きな問題でありますと同時に、第四番目におきますところの社会的な問題といたしましても、法律学を專攻する知識人の中には、たまたま——私ももとは海軍の主計科の士官といたしまして、いろいろむりしました。そうしたあるひとつの戰爭犠牲としてこうした病氣になり、しかもこうしたものが採用試驗制度のために志を遂げられない。こういうことはやはり自由を尊重する民主主義の精神とは反すると思うのであります。ですから裁判官、檢察官を志す者は、いわゆる國家機関として現在の公務員法の建前の採用試驗制度というものが、決して間違いであろうと思いませんけれども、その司法の職の中の、いわゆる人民の権利を守り、自由を尊重するところの弁護士の業を志すものがある。そういう者には、たとえ片腕がない、あるいは片足がない、あるいは助骨が六本切つておる、こういうようなことであつても十分その使命を達する。またはそうして希望を持つものがあるならば、そうした道を、ひとつの採用試驗制度というものをきめたがゆえにふさぐということは、非常に個人的、社会的な影響が少くない、そう思う次第であります。
○花村委員長 次に上西耀子君にお願いいたします。上西耀子君。
○上西公述人 私明治大学法学部一年の上西耀子でございます。 この公廳会において特に求められている問題としましては、第一に司法試驗の所轄官廳の問題でありまして、その所及官廳を法務廳とするか、あるいは最高裁判所とするかの論でありますが、私はこれはもつぱら行政上の便宜に帰着するものであつて、法案の規定のとほり、法務総裁の所及としても、また最高裁判所の所轄と定められても一向大差がないと思うのであります。しかしながら、すでに制定せられた法律と本法案との関連において一應の妥当点を発見せんとするならば、法案第一條第二項の規当と、裁判所法第六十六條との調和をいかにするかの問題に帰着するであろうと思うのであります。私はそれを論ずるに先だちまして、まず司法試驗制度を資格試驗とするか、また採用試驗とするかの問題を解決する方が便宜であると思うのであります。日本弁護士会連合会の法案に対する意見書によれば、司法試驗は裁判所法第六十六條一項の趣旨から見ても、原則として司法修習生となるべきものを選考する試驗であるとしております。すなわち採用試驗であると考えているのであります。しかしながら私は、裁判所法第六六條第二項の規定よりすれば、むしろこれと反対に、それは資格試驗であるとの論拠となると信ずるのであります。何となれば同條には、司法修習生は、司法試驗に合格した者の中より、最高裁判所がこれを命ずるとあるのみで、当該試驗に合格した者イコール司法修習生とはいえないのでありまして、合格者の中から司法修習生を命ずるにすぎないのであります。合格者の中よりということは、たとい試驗に合格した者であつても、その一部は修習生となり得ないものを予定しているのであつて、かえつて裁判所法第六十六條の規当は、司法科試驗が資格試驗することを明示していると言わなければならぬと思うのであります。弁護士会側が言つているように、同條を根拠としては、原則として絵考試驗であるというような結論を導き出すことができないのでありまして、これを根拠として司法修習生選考試驗なりと断定することは、論理上ドクマであると言わなければなりません。 また最高裁判所事務総局の修正意見書(一)によれば、司法試驗法案第一條の法律專門家の意義が不明であることを難じ、その專門家の受入れ体でができていないことを論拠として、司法修習生選考試驗に徹すべきものであるとの結論を下しているのであります。なるほど私も法律專門家なる字句はきわめてあいまいな用語であるとすることは同感であり、現在の制度において、裁判官、檢官察、弁護士以外の法律專門家が司法試驗を受けることは実益に乏しいと思われるのでありますが、しかしながらこれをもつて資格試驗たるべきことを否定して、選考試驗に徹せねばならぬとする論拠とはならないと思うのであります。從來の高等試驗令第一條は、その條文中資格試驗であることを明定しているのでありますが、法案第一條は何ゆえか資格試驗という字句を用いていないために、かような疑問なり論爭が起るのであると私は考えますので、同條において法律專門家なる字句を、裁判官、檢察官、弁護士と明確に規当し、あわせて資格試驗とするか、採用試驗とするかを明示すべきであると考えるのであります。 また私は別な角度から考えて、司法試驗の受驗者は合格によりただちに採用を希望するとは限らず、諸種の事情によつて、將來において採用を希望する者をも含んでいるのであります。社会通念上、採用試驗するものはその時その場限りものであつて、合格者が採用者の許容し得る時期、または期間において採用に應じなければ、失格することとなるのが普通であります。かりに司法試驗が、合格者に対し、一定期間その採用申出の保留期間を認めるものとすれば、もはや採用試驗というよりは、むしろ資格試驗と考えるのが至当であると思うのであります。從つて私はこれを採用試驗とせず、一律に資格試驗とすることが社会の実情に適し、かつまた受驗者に対して親切なゆえんであると思う者であります。 さらにまた地の観点よりいたしまして、もしこれを採用試驗とするときは、各試驗年度において採用人員に一定限度があるにかかわらず、その受驗者数は不定無制限であつて、年度ごとの採用人員のいかんにより、合格者の能力に差異と変動を生じ、合格者と不合格者との間にも載然たる能力の判定の標準、または限界を設けることが困難となり、法案第一條のいよゆる能力を判金することができなくなり、ひいては受驗者に不安を與え、國家試驗としての絶対性と権威とを維持することができなくなるのであります。從つて私はこれを資格試驗として、その合格者の中から、その希望により、随時の年度において最高裁判所が一定の條件のもとに適当なる者を採用する制度とすることが、あらゆる観点からするも至当ではないかと考えるのであります。 次に司法試驗の所轄の問題でありますが、すでに説明いたしました通り、司法試驗は資格試驗とすることを前提として、現在の行政機構のもとにおきまして、政府の法務統轄機関たる法務総務の所轄とすることが妥当であると考えるのであります。弁護士会及び最高裁判所側の意見書は、裁判所法第六十六條の司法科試驗を司法修習生の選考試驗となりとする解釈を前提として、さらに同法第十四條において、司法修習生が最高裁判所の一機関たる司法研修所が修習を受くべきものであることからして、試驗は最高裁判所において行うべきものであるとの結論を下しておりますが、私は修習機関と試驗の所轄とは必ずしもむりに一貫的に考える必要はなく、それぞれ別個の機関が取扱つても何ら不都合を生じないものと思うのであります。これをもつて意見の発表を終ります。
○花村委員長 次に菊地博君にお願いいたします。
○菊地公述人 私は中央大学の研究室におります一員といたしまして、中央大学の学生の意見を持つて参つた者であります。もちろん私の主観も入りますが、大体集まつた学生の意見を述べたいと思うのであります。問題の第一点になつております、所管をいかにすべきかという問題につきましては、わが中央大学の学生は、その大部分が最高裁判所の所管とすることに賛成いたしておるのであります。その理由は、先刻來多数の先輩方の御説明がありましたので、あえて重複する必要はないと考えますので、ただ簡單に申し上げますが、最高裁判所は絶対の信頼性を持ち得るということであります。わが國におきまして、新憲法下三権分立が嚴格に行われておりまする限り、司法に関することは、その出発点から一切が最高裁判所の統制下に置かれることをわれわれは希望いたすものであります。法務廳は法務総裁をその長といたしまして、檢察権を行使することをその大きな任務といたしております。そうして弁護士会側はいわゆる刑事事件においては、被告側に立つて被告の防衞に当つておるのであります。基本的に一便の維持に当つております。しかしてその両者の意見を総合いたしまして、より高次的に判断をくだすというのが最高裁判所の任務であるとするならば、こういつた試驗についても、最高裁判所がより信頼をかち得るということは当然だと思います。 次に法務総裁は政党色がきわめて濃厚であります。現行の國家制度そのものについていろいろ批判があるのでありますが、法務総裁はやはり政党人である限り、國家の最高主権を管理する最高責任者とすることは、妥当を欠くものと私は信じます。 次にさつき西島朝日新聞の論説委員の方が、從來司法省がやつて法務廳に引継いだから、あえてこれをとりかえる必要はないではないかと申されたのでありますが、過去の司法省がいかに官僚的な存在であつたかを考えますと、その延長であるものが官僚的となり、しかして政党色を帶びるということは当然でありまして、この試驗の監督者として法務廳を推すことは、從來の慣行からのみ言うことは決して妥当ではありません。新しき日本においてこそ、より正しき道への革新は絶対に切望されるものと信じます。 次に裁判所は公平な裁判をするのが任務であります。試驗もまた絶対冷嚴にして公平でなければならぬことを、私は痛感いたします。そうすればやはりその職掌柄、その冷たさ、あるいは公平さは法務廳よりも裁判外側において保障されることは、だれも疑わないところと信じます。いろいろ法律上の問題については、さつきから論議がありましたので申し上げませんが、裁判所は檢察官側に対しても弁護士側に対しても、規則制定権を持つているということは、現行法上認められておるところでありまして、その限度においてやはり裁判所がその二者の上に立つということは当然考えられることであります。 次に第二点につきましては、学生の意見は資格試驗とすることを願つております。判檢事を國家が採用することは理論の通ることであり、それはうなずけることでありますが、しかし野にあつて、リベラルな立場において職を奉ぜんとする弁護士を國家が採用するということは、論理上むずかしいと考えられます。現在司法修習生のコースがありますが、それは法曹一元化の要請から來るのでありまして、このことをもつてただちに採用試驗とする理論は成立たないと思います。弁護士が官僚側によつて養成されることは、きわめて不似合いだと思うのであります。権威ある國家の最高試驗が、採用試驗という名目でありますれば、自由採量の余地があるのではないかという感を一般に抱かせるのであります。公平な最高の國家の試驗である以上、自由採量の余地はなるべく、それはしりぞけねばならない。そして弁護士という重要な役はなるたけ多数の人に開放すべきものだと信じます。その点において実質上大したかわりはないとか思いますが、採用試驗から來る語感からは、やはり一種のチエツク、あるいは自由採量の余地が入るように考えられます。それから病弱その他の理由はさつきあげられた通りで、あえて繰返す必要がないと思います。いろいろまだ意見もありましたが、講師の方が多数述べられましたので、あえて申すことはないと思います。 それからあと二点だけちよつと遠ざかるのでありますが、時間を拜借して学生の声を委員の方々に聞いていただきたいと思います。それは経済的、時間的に非常に苦しい現状下において、問題は試驗科目が七科目であつたらいいという意見で、第六條の六はなるべく削減していただきたいというのが私の学校の学生の意見であります。それから試驗時期もなるべくならば一定していただきたい。こういう二点はやや中心からはずれるのでありますが、問題のところは多数の先生方からも御説明がありましたので、何も加えることがないと思いますから申し上げません。
○花村委員長 次に池田直一君にお願いします。
○池田公述人 私は明治大学法学研究室の研究生をいたしております池田直一であります。先ほどまで私は時間の制限を知らなかつたものでありますから、多少多くの意見を用意して参つたのでございますが、時間が限定せられましたことと、先ほど來多くの公述人の公述せられました御意見と重複いたす点がございますので、なるべく簡單に申し述べてみたいと思うのであります。 まず司法試驗はこれを資格試驗とすべきであり、また司法試驗管理委員会の所轄は、これを法務廳とすべきであると考えております。以下そのおもな理由について申し述べてみたいと思います。 第一に、司法試驗を資格試驗とすべき理由についてでございますが、特定の学職技能を必要といたしまする職種につきまして、資格試驗を要請するに至りましたことは、終戰後の一つの傾向でございまして、公認会計士とか、医師、歯科医師、薬剤師等の國家試驗はみなこれに属するのであります。從來の高等試驗、司法試驗もまた一つの資格試驗でありましたことは、すでに御承知の通りでありますが、これが昨年度をもつて廃止になりましたのは、一に國家公務員法の改正に伴う高等試驗令の廃止によるものでありまして、從來の司法試驗制度そのものに根本的な欠陥があつたためであるとは考えられないのであります。裁判官、檢察官、弁護士等の法律專門家となるためには、法律に関する学識及びその應用能力を有しますことが必要欠くべからざる條件でありますから、これらの学力を檢定する試驗制度の必要なことはもちろんであります。しこうしてこれに合格いたしました者に対しては、將來法律專門家となり得る一定の資格を付與さるべきことは、他の諸種の國家試驗制度とその権衡の上からも、まことに当然であると考えるのであります。今かりに司法試驗が採用試驗であるといたしましたならば、そのときの情勢に應じまして、あるときは採用人員が多いことがありましよう。またあるときは予算その他の関係から採用人員が少くなることもありましよう。こういうわけで、受驗生は採用人員につきまして少からず不安を覚えるのであります。しこうしてまた司法試驗が採用試驗であるといたしますならば、採用試驗はすなわち競爭試驗でありますから、この合格者は競爭者の中の相対的な優秀者をとることになりますから、毎年試驗ごとに合格水準は変動を免れないのであります。かくいたしますならば、毎年の合格者の素質に差違を生ずるという不都合が生ずるのであります。また採用試驗であるといたしますならば、裁判官、檢察官等の公務員は別といたしまして、弁護士という民間の一職種につきまして、採用人員のために弁護士になる道が限定せられるのであります。かような理由によりまして、私は司法試驗はこれを資格試驗とすべきであるという結論に達したのであります。 第二に、司法試驗管理委員会の所轄を法務廳とする理由についてでございます。從來のいわゆる諮問的または審議的な機能を有します、みずから行政的な権限を有する各種の行政委員会、たとえば公正取引委員会とか、証券取引委員会とかいうあの行政委員会でありますが、これら各種の行政委員会が多数設けられるに至りましたことは、終戰後の行政機構改革に見られる著しい特徴でございますが、從來の高等試驗委員、あるいはその他の檢定委員会等も、一種の行政委員会であると見られるのでございます。しかしながらこれらは、最近における各種の行政委員会よりも一層その性質において独立性、公正性等の要求が強いものでありまして、司法試驗法案における司法試驗管理委員会もまた強い独立性、公正性が要求せられなければならないのでございます。 かくして司法試驗管理委員会は、その性質上、何よりもまずその所掌事務が公正中立に行われ、その権限が同じく公正中立に行使されなければならないのでありますが、この場合何ものに対して公正中立でなければならないかといえば、それは結局においては内閣及び國会に対してであり、これらに対して独立して権限を行使しなければならないのであります。そしてこのことはとりもなおさず議院内閣制に伴う政党政治のもとにおきまして、これらの権限が政治勢力に影響せられることなく行使せられなければならないということであります。司法試驗管理委員会の所轄を最高裁判所とすべきであるという意見の出る一つの理由は、こういうところにあるのではないかと思うのであります。 今法案に現われました司法試驗管理委員会と対國会、対内閣の関係について一言いたしたいと思うのであります。まず國会との関係についてでありますが、司法試驗管理委員会の設置がこの法律によること、及びそれに要する費用が予算としていずれも國会の議決するところであるという点等はしばらく別といたしまして、司法試驗管理委員及び司法試驗考査委員の任命につきましては、何ら國会の承認を必要としていないのでありまして、かかる意味におきましては何ら國会との関係は認められないのであります。 次に内閣との関係についてでありますが、司法試驗管理委員会の行う事務がいかに独立を要する特殊のものであるにいたしましても、それはしよせん行政以外のものではないのでありまして、内閣はその行政を統轄し、かつそれに関して國会に対して責任を負うものでなければならないのであります。ゆえにその委員会の独立性、公正性と、他方内閣の統轄という二つの相反するがごとき要求に應ずるがために、司法試驗管理委員会は、政府の法務統轄機関である法務総裁の所轄に属することといたしておるのであります。しかしてここにいわゆる所轄といいますのは、管理または監督とは異なるのでありまして、所轄という意味は、管理、監督という意味よりもその関係の薄い意味であると思うのであります。そしてこのいわゆる所轄の関係から、司法試驗管理委員会の委員長は委員の互選に基き、また委員のうち弁護士たる委員は弁護士会の推薦に基き、さらに司法試驗考査委員は司法試驗管理委員会の推薦に基き、それぞれ法務総裁が任命することとしているのであります。かくのごとく、法務総裁は單に形式的にこれらを任命するにすぎないのでありまして、実質的にはそれぞれ互選、推薦によつて人事が決せられるのでありますから、司法試驗管理委員会が人事の面から法務総裁の影響を受けるということは考えられないのであります。 さらに司法試驗管理委員会は、その職務を行うために必要な事項について司法試驗管理委員会規則を制定することができると規定しているのでありまして、ここにも委員会の独立性と公正性とを砲つための配慮がうかがわれるのであります。 さらに、一、二の点につき所感を述べることを許されたいのでありますが、この法案によれば、司法試驗管理委員会は三人の委員をもつて組織することとなつておりますが、そのうちの二名、すなわち法務総裁官房長、最高裁判所事務総長は、その在職中は当然に委員であり、またその職を辞すればこれまた当然に委員を辞することになるのであります。しかし他の一人の弁護士ため委員につきましては、任期は二年とし、再任を妨げないこととなつてはおりますが、身分保障に関する規定並びに罷免に関する規定を欠いているのでありまして、これは公認会計士法等には委員の身分保障並びに罷免に関する規定がございますが、一定の事由に該当する場合を除いては、在任中その意に反して罷免されることがないこと、及び一定の事由に該当する場合には、法務総裁はその委員を罷免しなければならないことを規定することが望ましいと思うのであります。また、法案によりますれば、司法試驗管理委員会の庶務は法務統裁官房においてつかさどることとなつておりますが、法務総裁官房長官が委員の一人となつていることにもかんがみまして、委員会の事務の独立と公正を保つためには、委員会の庶務をつかさどらしめるために、司法試驗管理委員会に別に事務局を附置すべきであると考えるのであります。 なお申し遅れましたが、司法試驗が法律に関する学力檢定の資格試驗であるといたしますならば、先ほども申し述べましたように、それはしよせん行政以外のものではないのでありますから、司法試驗に関する事項を管理する機関といたしましては、政府の法務統轄機関である法務総裁の所轄とすることが適当なのであります。しかしてまた司法試驗管理委員会が一種の行政委員会である点からいたしましても、これも最高裁判所、言いかえれば司法部の所轄のもとに置くことは、司法部がその守るべき限界を越えるものと私は考えるものでありまして、これは三権分立の精神にも反するのではないかと考えるのであります。 以上申し述べました理由によりまして、私は司法試驗管理委員会の所轄はこれを法務廳にすべきであると考えるのであります。 以上申し述べたところによりまして、私は司法試驗はこれを資格試驗とすべきであり、司法試驗管理委員会の所轄はこれを法務廳とすべきであるという結論に到達した次第でございます。
○花村委員長 一般公述人に対して御質疑がございますか。
○鍛冶委員 山本君にちよつと承りたいのですが、さつき法曹一元の論拠から御論議でしたが、法曹一元ということをどういうふうに解釈しておられるのでありますか。どうも私らの解釈と違うような氣持がするのですが、かいつまんで説明していただきたい。
○山本公述人 完全なる法曹一元化ということは、イギリスなどの制度にも現われておりますように、すべて檢察官あるいは裁判官が弁護士の業を経驗し、そこから裁判官なり、あるいは檢察官になる。こういうようなことでありましようけれども、現在の日本の状態におきまして、そうしたことは飛躍である。そういうような点を考慮いたしまして、現在では完全なる法曹一元化はできない現状にかんがみまして、いわゆる裁判所法に、裁判官の任命の資格といたしまして、檢察官からもなれる、あるいは弁護士からもなれる、あるいは大学教授を何年間した者は裁判官になれる。こういうものを從來よりも非常に廣く、いわゆるこういう観点から在朝の法曹と在野の法曹の人事の交流の道を開きたい、こういうことが第一点であります。それから第二は、いわゆる司法研修所というようなものが裁判所法によつて制定されまして、すべて今まで弁護士、裁判官、檢察官というものがばらばらの立場で、弁護士は裁判官の事務を知らない、あるいは檢察官の事務を知らない、また裁判官は弁護士の事務なり、そうした実際面を知らない。こういうことで、お互いにお互いを知らないで、互いに法廷において対立した。こういうことではいけない。こういう点から司法研修所という制度ができたのであります。そういう点がやはり法曹一元化という一つの廣り意味において考えられるのじやないか。こういうふうに思う次第であります。
○鍛冶委員 現在の制度がこうだからということを私は聞いておるのじやない。法曹一元ということは、どういうことかということを聞いておるのです。そこで一元というのは、源を一つにするということでしよう。だからやはり弁護士をした者がなるということじやないのですか。
○山本公述人 そうではありません。
○鍛冶委員 それでなくても、一元になるのですか。
○山本公述人 そうです。そういうような廣い意味で解釈しておるわけです。
○鍛冶委員 それではそれ以上は申しません。
○花村委員長 最後に全公述人に対して御質疑はございませんか。——御質疑がなければ、これにも公述人各位の御意見の陳述は終了いたしました。本法案について、それぞれ職業的な立場から、あるいは女性の立場から、おのおの貴重なる御意見を活発かつ御熱心にお述べいただきましたことは、本委員会といたしまして今後の法案審議の上に多大の参考となるものと思います。御多用中のところ、長時間にわたつて御苦労さまでした。厚くお礼を申し上げます。 本日の公聽会はこれにて散会いたします。明日は午前十時半から文部委員会との連合審査会があります。 午後四時二十三分散会