法務委員会 第33号
- 発言数
- 22 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1949/07/13
会議録
○花村委員長 これより会議を開きます。 まず平事件につき、本委員会より委員を派遣しまして調査をいたしましたその結果を、猪俣浩三君より御報告を願い、次に上村進君並びに高木松吉君より補足的に御報告をお願いいたしたいと思います。
○猪俣委員 平の騒擾事件につきましては、新聞その他において大略アウト・ラインは御承知のことかと思うのでありますが、私ども衆議院法務委員会によつて派遣されました者が各党から四名参りまして、現地におきまして四日間にわたりまして調査をいたしたのであります。調査いたしました相手は、平の自治体警察の本田という署長でありますが、なおたまたま福島の高檢の檢事が参つておりまして、その檢事及び地元の檢事、檢事局側の意向も聽取いたしました。それからなお地元の公安委員、市会議員、新聞記者等につきまして、原因または輿論の反響等を調査いたしました。なお平市から一里ばかり隔つておりまする内郷町の自治体警察の署長及び古口という情報主任を調べました。なおそのほか監獄に留置せられておる者及び共産党関係の方々、これもまた調べたのでありますが、これは私一足先に帰りましたので、高木委員あるいは上村委員の方から御説明願いたいと思うのであります。かような事件の責任者であります警察側、檢事局側及び押し寄せて参りました集團の指導的立場にある人たち、乱鬪事件に関係して留置されたような人たち及び地元の有力者、なお朝日、毎日、読賣、福島日報、その他十数名の地元の新聞記者たちの座談会等によつて、ほぼその眞相を把握したと思うのであります。 そこで事のありようは、この六月三十日の午後二時過ぎより七、八十名からなお多いときは四百名、あるいは五百名と称せられる群集が平の自治体警察に突入いたしまして、これを占拠し、その時刻からおよそその日の午後の十一時半ごろまでの間占拠されまして、平市は、無警察状態を呈したというのであります。そうして巡査及びこの押し寄せた群集の中にも数名の負傷者を生じまして巡査の一名は四週間の傷を負わされ、なおまた警察署自体は投石及びいすでもつて留置場の扉をなぐるというようなことで、窓ガラス及び扉、いずれも破損の箇所が見受けられたのであります。なお留置場に檢束せられておりました一人が、留置場からかぎをたたきこわして他へ救い出され、その看守をしておりました堀井という巡査が、その携帶しましたピストルを奪われ、あべこべに留置場の中へぶち込まれたという状態があつたのであります。そこでこういうことのあらましは、新聞でも御承知だと思いまするが、われわれが重視いたしましたることは、原因が那辺にあつたのであるかということと、その及ぶ影響、市民の人心に與えた影響がどの程度であつたかということ、及び警察同士の連絡、あるいは警察と檢察局の連絡、さようなものが一体完備しておつたかどうかということ、及びもしここに警備状態について不備があるならばいかなる点であろうかということ、かようなことに重点をおきまして取調べたのであります。 そこで第一の原因の問題でありまするが、これはおよそ三つの原因があると私は思う、これはまだ当委員会の最後のまとまつた報告ではありませんから、ある部分私の個人意見になるかも存じませんが、第一の直接原因は、いわゆる掲示板問題であります。これは本年の、四月十三日の日に、この平市の共産党の常任委員でありますところの長江久雄という人の名義で、縣道ばたに掲示板を立てることの許可願が出たのであります。窓口でそれを取扱つております山口という巡査は、それを何とはなしに受けとつて、そうして上司の回覽に供し、それぞれ部署の人たちが捺印をいたしまして、最後に署長がめくら判を押してこれを許可した。そこで許可いたしますというと、幅が七、八尺もありますか、縦幅が五尺ぐらいもありますか、そういう掲示板が駅のすぐ近くの縣道ばたに立てられたのであります。そうしてそこには共産党石城地区委員会というものの名前で、要するに壁新聞が張り出され、赤旗その他の共産党糸の新聞が張り出されるとともに、その内郷町という町にありました矢郷という炭鉱の労働爭議の批判が掲げられ、あるいは平市におきまするところの小学校兒童に対する給食費の不正使用というような問題が掲示せられるように至りまして、相当の人氣を呼びまして、道路ばたでこれを読むものがふえて來たというようなことから、一旦許可をいたしましたその掲示板に対しまして、警察では本年の六月二十五日になりまして、あれは交通妨害になるから撤去してもらいたいという申込みを共産党の地区委員会、あるいは申請人である長江久雄に対して要請をしたのであります。ところが、共産党の地区委員会におきましては、一旦許可したものを撤去するということはできない。交通妨害などと称しても、どの地点に立てるかということは前もつてお前たちも知つているはずである。それを幾月もたたぬうちにすぐ交通妨害であるといつて、一旦許可したものを取消すということは、共産党の宣傳活動を彈圧するところの意図でやつておるものであるから、断固として承服できないということで應じないのであります。そこで警察ではあらためて文書をもちまして、その取消しの旨を申請人の長江久雄に通達いたしましたけれども、これもいつかはしれず、その文書が警察署の窓口に投げ込まれて返上されてしまつた。こういうわけで、その間に交渉が進まなかつたのでありますが、警察では二十七日になりまして、どうでも撤去せよということを、この共産党地区の委員長でありまする鈴木光夫あるいは朝鮮人連盟の幹部であり、かつ共産党の幹部である金明福という朝鮮人にどうしても撤去してくれ、そこで場合によつては、他に場所さえかえればよろしい、縣道の敷地でなければ、個人の私有地に君らが立てることは仕方がないことであるから、場所を少し移轉してくれたらどうだ。ちようどそこから何でも四軒か五、六軒離れたところに住吉屋支店という商店があるのでありますが、その商店の前に少し空地があります。やはり縣道に沿うたところで同じ側であります。そこを住吉屋から借りることができ、そこへそれを移轉させるならば、警察はさしつかえないと思うから、まず縣道のを撤去してもらいたいという談判をやつたのであります。ところが借りられるかどうかわからないというようなことで、それに対する返事もない。警察は遂にとにかく三十日の午後四時までに必ず撤去せよ。必ずそこへ移轉してしまえという交渉をしておりまするけれども、まだ向うが貸せると言わないから撤去できないという抗弁で、延びておりました。実はこれはあとからわれわれが調べてわかつたのでありますが、この住吉屋支店もこの掲示板の敷地を提供することはいやであつて、拒否するつもりでいたのを、警察の次席が個人的に暮夜ひそかにたずねて、困るからどうか貸してやつてくれんかということで、そこでこれを貸せるという氣になつて、共産党に貸せるという返事をしたというのであります。さようなことで、結局その土地が借りられることになつたのでありますけれども、共産党の幹部諸公は、一旦許可したものを一方的に取消すということは不法であるから、まず取消しの取消しをやれ、それをやらなくてはわれわれがどこへ立てようがわれわれのかつてである。そんな警察からかれこれ言われる道理はない。一旦許可したものを取消す以上は、まず取消しの取消しをやつてから後にしてくれというようなことで、三十日の朝もやはりこれらの代表者と交渉いたしましたけれども、話がまとまらぬ。それで警察では非常に強硬に、ぜひ撤去せい、もし撤去しなければ、警察で代理執行をやつて撤去してしまうという態度で臨んだのであります。さような談判をしておりましたそのうちに、三十日の午後になりますと、四十名、五十名、七十名という群衆が警察の前に現われて参りまして、三時、三時半ころには百五十名あるいは二百名という群衆になつて、最後には先ほど言つたように四、五百名の人が集まつたということであります。そこで非常に雨の降つておつたためもありましようが、これが警察署の中へ入れろ、入れないということで、小ぜり合いをやつて、先ほどのような、警察官にも、あるいは襲撃した人たちにも負傷者を出すようなことに相なつたのでありますが、とにかくどつと署内へこの四、五百名の人が入つてしまつて、署長室ばかりに七、八十名の人間が押込んだのであります。そして署長に対して、われわれの同志にしてけがをした者に対しては損害を賠償せよというようなことで、談判をしてなかなか帰ろうとしないのであります。それから公安委員も参りまして面会をしたところが、署長を首切つてしまえというような談判を公安委員にやつて、これもなかなからちがあかぬということで、八時、九時、十時とずつと占拠せられたままでおつたのであります。そこで十一時半ころになりますと、この押寄せた人たちが自発的に一度退去することになりまして、占拠を解いて、ここに警察が初めてまた元の状態を回復したということになつているのであります。これはこの掲示板問題が直接の原因をなしてこの暴動が起つたことは申すまでもない。ところが掲示板の問題だけで、しかもちやんとかえ地があつたにかかわらずかような天下を聳動せしめるような大きな暴動化したということは、われわれとしては理解に苦しむところでありまして、いろいろの新聞記者あるいは地元のいろいろな人たちの意見を聞いてわれわれが直覚いたしますことは、どうもこのほかに何かの動機があるということであります。その第一は、先ほど申しました一里ばかり距たつたところに内郷町の矢郷炭鉱労働組合があります。これが四、五百名の從業員でありましたのを、百七十何名か首切りせられまして、しかも四月、五月の給料を支拂わぬという状態で、労働爭議が非常にはげしく險惡の状態になつておりましたのみならず、矢郷炭鉱労働組合の組合長、副組合長、執行委員の大半というものは共産党員でありました。そこでこの爭議も苛烈をきわめまして、長い間鬪つて來たのでありますが、この山主はこれらの首を切つた人に対して鉱山に立入りを禁止するような仮処分をした。そのときに内郷町の警察署あるいは平の警察署が應援に行きまして、この執行が妨げられないように警備したことがあるのであります。内郷町の警察署は二回、この裁判の執行に立合つたと申しておりまするが、これはやはり資本家の犬となつて労働組合を圧迫するという感じをこの矢郷労働組合にいたく與えたと思われるのであります。なおこの矢郷労働組合の労働爭議は時勢のしからしむるところ、ことにこの矢郷という炭鉱主がまつたく経営の才能もなく、時代的感覚も少い男で、赤字続きで何ともしようがないという状態であつた。その経済的の理由からでもありましようが、労働組合の主張がなかなか通らんで、概括的に見ますると、どうも労働組合が敗北したような形に、第三者からも見受けられる状態であつたのでありまして、ここに労働組合の指導者が焦慮したということも想像されるのであります。かような焦慮の観念から、ここに新しい一つの氣分轉換というような意味におきまして、掲示板問題を契機にいたしまして、平警察署に押し寄せたのであります。それはこの矢郷炭鉱労働組合を主力といたしまして、その他の炭鉱組合における、主として共産党に正式に入党するような人たちがほとんど大部分であつたのであります。それに朝鮮人連盟の人たちも大いにあずかつて力があつたのでありますが、この矢郷炭鉱の労働組合がほとんどこの襲撃の中心をなしたというような事情も、かようなことからじやないかと思われるのであります。 なおまた第三の原因として考えられますることは、これはわれわれの憶測になるかも存じませんが、福島縣下におきましては、福島、若松、郡山、平及び内郷、こぞつてこういう警察署襲撃事件あるいは縣廳襲撃事件が起つておるのであります。それも大半が三十日の午後から始まつているということから、これには一連の連絡があつて、計画的に、三十日の午後を期してやつたのではなかろうかという疑いが濃厚にあるのであります。そのことにつきましては、われわれの調査がことごとくそれを剔抉するまでに至らぬのでありますけれども、大体の予感としてはさようなことが考えられまするし、また一、二の事情からもそれを推測できる——推測できると申しますることは、三十日の午後二時ごろ、内郷町の自治体警察でありますところの内郷警察署に対しまして、百五十名の群集が警察署を包囲いたしまして、そうして署長室に二十数名なだれ込みまして、署長に対し、平の警察署から應援を求めて來ても、絶体にこれには應援に行くな、それを確約せよ、しかも口ではだめだからこの紙に一札書け、こう言うて強要したのであります。これに書かぬならば警官の武装を解除せよ、ピストルから棍棒からみな集めてしまえ、ぐずぐず言うと留置場にぶち込んでしまうと言つて、署長を脅かしたというのであります。そうしておりますうちに、小口という情報主任が二階から降りて参りますと、これを表にかつぎ出しまして、雨の中にこれを包囲して蹴飛ばす、なぐる、罵詈讒謗の限りを盡して、そうして殺してしまえという声もそばからかかつた。小口の話によりますと、自分は殺されると思つて、どうせ殺されるとするならば、自分も兵隊あがりではあるし、二、三名道連れにして死んでやろうと思つて身構えをしておつたけれども、同僚が來て、とにかくここで死んでは犬死になるから、あやまれ、惡かつた、あやまつたと言えばいいじやないかと言うて、しきりに勧めますために、あるいはここで乱鬪をやつて、累を他の同僚に及ぼしてもいかぬと思つて、自分が惡かつた、あやまつたと一言言つたところが、囲みを解かれたということであります。そうして三時近くにトラツクに乘りまして、平の方に押し寄せて行つたのであります。同樣のことが前の日か、前々の日かに湯本の警察署にも行われたというのでありますから、平を襲撃することに対しましては、やはり内郷町あるいは湯本の警察を押えておいて、そうして平に行つたんじやないかと疑われる節があるのであります。 かような状況でありますから、われわれの感想といたしまして、これは相当連絡をとつてやつたんじやないかという氣もいたすのでありますが、私どもの調査の範囲におきましては、はたしてさような連絡があつてやつたものであるかどうかということは、的確にわかつておりませんが、これは私どもの話合つたときの感想でありまして、しつかりした証拠材料はないのであります。ただ平の警察署及び内郷町の警察署につきましては、かように平に参ります前に、百五十の群集が應援をとめるような行動をやつたという事実だけは、これは明らかになつておるのであります。かようなことが実相でありまして、なおこの輿論がどういう状態になつておるかを調査いたしましたところが、これは共産党と警察とのけんかだということで実相を見きわめる人は、それほど驚かぬインテリ層もあつたようであります。なに、われわれ一般の人民に対するものではなくて、これは共産党と警察のけんかなんで、われわれにまで及んで來ることはなかろうという見方もあつたようであります。ところが中には、大体共産党は八月革命ということを言つているから、これはどうもその先触れじやないか、そうして警察署に乱入する前に、警察署の入口に赤旗二本を交叉して、そうして人民警察ができたと言つた者がある。さようなことからすると、これは一体共産党が革命をやるときまずこんなふうに警察を占拠する、そのサンプルを今やつたんじやないかということで、八月革命説というものに対して、一般大衆は相当おびえているというような点も見受けられて來たのであります。 輿論はさような状態で、これが市民に與えましたシヨツクというものは、相当甚大なものがあつたということは言い得ると思うのであります。なおこの騒動の主力をなしました矢郷炭鉱労働組合の人たちは、非常に惨怛たる生活でありまして、この経営主が四月も五月も給料を拂わぬということで、労働者としては非常な困窮をしていることは見のがし得ないのであります。なおまたこれに合流いたしました朝鮮人連盟というものも、ほとんど正業のないものでありまして、しよつちゆう警察にごやつかいをかけているような人間が多いというわけであります。あるいは濁り酒をつくるとか、あるいはやみをやるとかいうことで、しよつちゆう警察にあげられておる。そういうようなことで警察に対して、どうして警察は自分たちの生存を脅かすのだというような恨みを持つておる感じもある。結局においてこういうように生活的に非常に困窮しておるというところに、いわゆる指導者になつておりました石城地区の共産党の諸君が、相当過激なる指導をなさつたのじやないかというふうにも考えられるのであります。そうしてかように警察を占拠するというところまで立ち至つたということは、この石城地区の共産党の指導者のために、私ははなはだ遺憾だと思うのでありますが、私どもの感じでは、共産党の指導者諸君が相当こういう労働組合、あるいは朝鮮人連盟を指導したというふうな感じを受けたのであります。 そこでなお最後に申し上げたいことは、世論に與えましたところの不安の念が動機となりまして、いわゆる自警團組織という機運が釀成されるということは、將來の日本のあり方といたしましては、看過すべからざる現象ではないかと思うのであります。私どもが調査に参りました六日の日には、同じ地方事務所の二階におきまして——私どもは階下の所長室を調査室にあてて調査したのでありますが、その階上におきまして、平市を防衞いたしますところの一市九町村の町村長、公安委員、消防團長、さような人たちが集合いたしまして、一旦緩急あつた際には、ここにお互いに連絡して助け合う。半鐘を二つ鳴らしたならば、消防團員その他は武装して集合する。そうして食糧はどうする、経費はどうするということまでも相談をしたというのであります。 なおまた内郷町の警察署長の話によりますと、内郷町——これは内郷町のみならず、福島縣下全体だと思われるのであるが、昨年來より三回にわたつて暴力團の退治をやつた。この暴力團を彈圧するまでは、共産党の諸君は、暴力團に被害を受けることがたびたびあつたがために、かえつて警察に保護を求める人が多かつたのであるが、この暴力團を彈圧して——あの辺は非常に鉱山地区で暴力團が多いでありますが、これがほとんど鳴りをしずめたというのであります。そうすると、あと今度共産党がどうもいばり出して來たと署長は言つておるのであります。そこでこの警察を占拠した事件が内郷町に傳わりますと、いわゆる倶梨伽羅紋紋の親分はだの連中が毎日々々署長のところに來て、共産党を退治することは自分たちにまかせろ、お前たちがわれわれを目のかたきにして彈圧したからこの始末になつたのではないか。今度われわれがやつてやるから、われわれにまかせろと言つて困るという言葉を署長が吐いたのであります。かような情勢から見まするならば、一体暴力行動というものが頻々として行われますると、これに対処するために今度はいわゆるフアシヨ的な組織が擡頭いたしまして、また日本に戰前のようなフアシヨ的な機運が濃厚となつて、ボスに率いられたさような團体が日本の民主化を妨げるような状態が起つて來るのではないか。この運用につきましては、実に重大なる要素があると思いまして、本國会におきまして十二分なる御檢討を願いたいと愚考する次第なのであります。 はなはだ雜駁でありますが、大体以上のような直接原因、間接原因及びこれが世論に與えた影響及びその反響として現われたいわゆる自警團組織の問題を申し上げたのでありますが、なおここで警察及び檢察の状況を一言申し上げますならば、まことに私どもも驚いたことでありまして、警察電話というものは全部聽取されるのだそうであります。昨年の春以來警察の專用電話というものはなくなつて、逓信省一本に統合された。それ以來というものは、どうも警察電話は全部何者かに聞きとられてしまつて、機動性を欠くことがはなはだしい。そこできわめて重要なことは、飛脚で傳達して歩いておるというのでありまして、まつたくこれは徳川時代に逆行してしまつたような警察の体制であります。要するにトラツクの用意にいたしましても、何にいたしましても、実に科学的あるいは機械的と申しますか、そういう装備が薄弱であつて、警察力というものは実に弱い。ただいま平の警察署におきましては、定員五十名だそうでありますが、警察学校に行つておるとか、あるいは婦警だとかいうので、三十五、六名しかこの暴動に対抗する人間がいないというのでありますから、そこに五百名も押しかけられては何ともしようがない。ピストルが二挺しかないのであります。かような実勢である。また内郷町の警察署におきましても、三十日に押しかけられたときは二十六、七名しかおらなかつたというのであります。そこに百五、六十名が押し寄せたというのでありまして、これもはなはだ貧弱である。そして武器もなし、人間は少い。また電話は今言つたような状態で、押し寄せて來た人たちがどうして入手するか、どうも刻々に警察の情勢がわかるらしいのでありまして、今どちらからどれだけの應援隊が來る。どの警察署から何名くらい來るというようなことが、一々レポによつて報告されるらしいのでありまして、これは警察の機動性のために大いに研究しなければならぬことではないかと考えられるのであります。 なおまた警察法に対しても相当問題があると思うのでありまして、たとえば警察管区の問題にいたしましても、平はいわゆる東北の管区でありまして、救援を求めるのは福島その他の都市でありますが、福島から参りますと八時間もかかるというのであります。ところが関東管区になつております水戸から應援を求めるならば三時間で來るものが、管区が違うために、この水戸の警察を出動させるには、まず平の警察から縣の隊長にお願いして、縣の隊長から管区の本部長にお願いし、管区の本部長から関東管区の本部長に連絡し、関東管区の本部長から今度は茨城縣の警察隊長に連絡し、茨城縣の警察隊長から茨城の警察署に出動を命ずるというような手続が必要であるそうでありまして、なかなかもつてどろぼうを見てなわをなうような始末に相なり、機動性を欠くことはなはだしいということを警察署側及び檢察廳の人たちが話されておつたのでありますから、かような問題につきましては、國会としても大いに研究しなければならぬと思いますし、なお檢事と警察との関係におきましても、今度の新しい刑事訴訟法におきましては、昔のように檢事に指揮権がなくなつておりまして、捜査はすべて警察署がその責任においてやることになつておりますために、檢事というものは警察が拾い上げて來たものをふるいにかけて何名起訴するかということをやるだけの、ごく消極的な仕事しかないというような形でありまして、しかもその自治体警察と國家警察というものはみな責任者が違うのでありまして、連絡協議会をつくつてやつておるそうでありますが、事件捜査の中心本部が形成されないような状態じやないかと思うのでありまして、この辺にも檢察廳と警察との指揮命令系統というものを研究しなければならぬのじやないかとわれわれは考えて参つた次第であります。以上で終ります。
○花村委員長 上村進君の補足的御報告をお願いいたします。上村進君。
○上村委員 私も今度の調査團の一人として四日に参つて、八日の日まで、最後までおつたわけです。大体概略は猪俣委員が申された通りでありますが、なお多少落ちておる。そうして私は一方の警察とけんか相手の共産党の石城地区委員の人たちとお話したのでありまして、多少主観が違いますが、その主観の違うこともまたここで述べておく必要があると思う。お前共産党だからそう言うのだろうとお聞きになる方があるかもしれませんが、しばらく御清聽を願いたいと思います。 大体猪俣氏が言われたように、直接の原因はまことにささいな、つまらないことで、共産党の壁新聞の掲示場を今より七十日ばかり前から許してあつたわけです。そこは平の停車場から出ますと廣場の前に大通りがありますが、その大通りをちよつと右へ行つた二、三十間の所の、縣道のどぶのはたに許可されてあるわけであります。そうしてそれは今までは何のこともなく、ずつと共産党のアカハタ、もしくは壁新聞、その他ポスター、そういうものを掲げて共産党の宣傳、情報をそこへ掲示しておつたのでございます。それをとれ、とらない、急に交通妨害だからとれということが六月の二十五日から始まつたわけです。こつちは決してとらないというわけじやない、とる、とるにしても行先を探したりいろいろするから、しばらくかすに余裕をもつてしてもらいたい、こういう交渉をしておつた。それが許された。いろいろしてずつと來て、結局その間に警察の方で硬化して、どうしても三十日一ぱいにとつてしまえということが問題になつたわけであります。だからこんなつまらないことでこんな問題になつたら、何か底にあるだろうというわけでいろいろ臆測をされておりますが、私の調査したものによれば、決して底もなければふたもありやしない。ただ今まで許されたものが急にとれ、しかも断固として三十日以内にとれというから、そこに多少軋轢がはげしくなつたということにすぎないのであります。それが共産党の側の根本的な態度でございます。人数が少し多くなつたということから評判になつたわけであります。そこで共産党としてもできるだけ大勢の大衆をあれして、最後には團体交渉をやろうという考えは持つておつたらしい。しかしそれは計画をしておつても、それを実行しようとしておつたわけじやないのであつて、終始代表をあげて、地区の委員長あるいは常任委員、ことに共産党に属しているものに朝鮮人連盟がありますが朝鮮人連盟は別に初めから團体としてこれに應援していたわけじやないのです。共産党員が朝鮮人連盟の幹部におるわけです。金明福という人です。この人もそういうわけですし、ちようど朝鮮人連盟の前は警察の宿舍ですが、そんなわけで朝鮮人の人は、警察にはときによつては非常にけんかをしますけれども、ふだんは仲よくしているという形です。特に平の朝鮮人連盟はそういう形で党員でもあるしするから、その連盟の幹部をやはり警察署に呼んだ。そしてこれをとることに盡力してくれんかという態度に出たわけであります。そういうわけで朝鮮人連盟もやはり結局においては参加したわけです。ことの起りはなるほど新聞を見ると非常に大きく書いてあるのです。まるで計画的に警察を襲撃して、無警察状態に追い込んだ。一見すると騒擾罪の形を備えておりますが、私の見るところでは決してそうではないというふうに考えるのであります。先ほど猪俣氏が言われたように、その隣村に内郷というところがあります。そこには炭鉱が二つ、三つあるわけです。共産党が指導している炭鉱は矢郷炭鉱と壽炭鉱ですが、これはわれわれが考えた以上に給與問題が非常に劣惡で、今年の二月からはほとんど給料が欠配している。そうして大部分の人はもうたけのこ生活をしておるのですが、労働者ですからたけのこの皮もないわけです。しかたがないから草をとつて、いわゆるあかざを食べるとか、あるいはすかんぽをとつて來て食べるというようなことをしてまでも生活をしておる。それだからこのおかみさんたちは調味料を買つて配給してくれというような要求、それから米を賃金がないのだから掛賣りをしてくれというような要求をやつておつた。ところがそういう要求が町議会が通つたのです。しかるにその町会議長の菅本という人が、そういうことを町会で通過するのはおかしい、そんなことには疑いがあるということでひつ繰返してしまつた。そうして依然としてこの労働者の要求をはいれないわけです。いれない方向へ指導者は持つて行つたわけです。その町会におかみさんたちは非常に憤激したわけです。そうしている間にとにかく首切りが來まして、百三十七人という大量首切りをしまして、その首切りの仮処分というものが來たのです。その仮処分が結局執達吏が來ない先に、警察が非常にたくさん來て、労働者をどんどん彈圧したという事実であります。もつとも内郷の警察署の人もいましたが、それに対して平署から應援に行つた。その平署の人たちが應援に行つたことを労働者が非常に怒つたわけです。われわれの町の署がやるならいいけれども、見れば平の警察の諸君も來ておる、何も平から連れて來てまでわれわれ労働者が食えないというのを彈圧するというのはおかしい、けしからぬというので、内郷の警察署に対する憤激と同時に平市署に対する憤激というものが労働者の間に急激に高まつて來たわけです。そんなことでおるうちに、今度はさらにどうしても食えないから掛賣りを認めろ、調味料を買つてもらいたいということを要求して、それでまた一旦ひつ繰返した町議会をまた開いて、そのときにおかみさん方は一生懸命だから、どうしてもそういう議事を通してもらうというので、数十人のおかみさんたちが押しかけた。それに対して署として彈圧を加えられたのが、さつきのひつぱり出された古口巡査部長、これはもう特高的に労働組合を彈圧し、特にこの議会に対しては、彼が先頭に立つて取締りをやつて彈圧をしている。そういうことも非常に恨んでおつたということがわかつたわけであります。そうしてその間に、一方には平の町ではそういう掲示板問題が起きた。そうしてもう一言つけ加えなければならないのは、何ゆえに内郷の労働者の諸君が平の掲示板問題でそんなに口角あわを飛ばして憤慨したかということであります。これは新聞などはみな労働者の味方をしないのです。大体労働者を彈圧する傾向の記事ばかり書いてある。そうして彼らの味方をしてくれるようなものは、アカハタとか労働新聞とか壁新聞だけである。その掲示板がとられるということは、自分らの運動に対し、また自分らが一生懸命に首切りに鬪つているのに、非常に不利益である。だからこれはとられたらたいへんだという氣運が沸き起つたというのであります。そうして結局三十日の朝ごろ、むろん内郷の労働組合にもそれがみな傳わつて、どうしても内郷から應援に行かなければならぬというような考えを持つておつた。それでその人たちが内郷の警察署に抗議すると同時に、その足で午後三時ごろ平へ來たということであります。むろん警察へ行くということは考えて來たのだが、初めから警察の官舍をたたきこわすとか、あるいは乱入して、警察署長を監禁して強硬談判するとか、そういう考えでなかつたということは明らかであります。 その点補足しますと、内郷の人たちが三時半ごろ平署へ行つたわけです。それは自動車に乘つて行つた。そうしてあそこの平署は私も見ましたが、新築したばかりで、横にはバラスを敷いた道路がある。それでその日は來るとすぐ雨が降つておつたらしいのです。それでとにかく署へ入ろうと思うのは、むろん交渉のためもあるが、雨も降るかたがたそこへ入ろうとした。そうすると警察署の言い方は、労働者の言い方とはいつでも全然反対のことを言うのですが、自動車からどやどやとおりてそこの玄関に入ろうとすると、いきなり金田という警部補が出まして、手で立ちふさいで、入つてはいかぬ、代表を選べと言つてさえぎつたそうですが、こつちの側からすれば、われわれは交渉に來たのだと言つていると、だんだん向うが強くなつて、一旦労働者はそれではというので引下つた。引下つたところが、向うの武装警官が約四人ないし七人どやどやと來て、手に手にこん棒を振つて労働者の先頭をなぐり始めた。そこで一人の警官はピストルを擬したという。それでなくても憤慨をしている労働者の一團ですから、そこでうしろにいる人たちが、前にいる人がなぐられるので、それを防衞するめに、道普請でたくさん敷いてあつたバラスをつかんで投げた。それで前の方のドアのガラスがみなこわれた。こまかい石ですから、上の方で写眞を写す者があつたから、上にも投げた。相当高いところの窓ガラスもこわれた。そうして結局それはわずか十五分くらいで靜まつた。それでみな入つて行つたのであります。署長室へは八十名が入つたけれども、大きな警察署ですからみな入つた。こつちから言うと、三百人はなかろう、二百五、六十人しかない。一ぱい入つたつてそんなに入らない。しまいにはたくさん入つたのですが、入つてから多少の罵言讒謗、惡口は言つたけれども、決して暴行脅迫したわけではない。そして夜の十一時ごろまで交渉をして、その間に署長をなぐるとか、おどかすというようなことはなかつた。大体において本流は靜かに交渉しておつた。それでいろいろな損害賠償の請求や何かは、先ほど猪俣君から報告した通りですが、八時ちよつと過ぎごろになると、下の留置場が騒ぎ出した。非常に新しい留置場ですが、入口を入るとすぐ留置場がある。その留置場の外から入るところのドアーがちよつとこわれております。これはどうして騒いだかと調べてみると、留置された人が救いを乞うた。助けてくれ助けてくれ……そこでその附近にいた人たちが、何だ、留置されているじやないか、われわれが交渉しているのに、われわれを檢束するのは不都合じやないかと騒ぎ出してやつたわけです。そこでそれはどうして檢束したかということを、代表者の方で聞いたところが、それはさつきガラスをこわしたときに檢束したのがある、しかし交渉しているのだから出してくれ、出そうというので、署長も命令をして出そうとしておつた。それがこつちの留置場の方に徹底しないうちに、こつちの方で盛んに騒いで、ドアーをたたきこわして数人の人が中に入つて行つた。しかし留置場からその檢束者をつかみ出したかどうかは非常に疑問です。これは見る人によつて違いますが、中の戸の錠が少しもいたんでいない。大したがんじような戸でないのにいたんでいない。だから結局これは署長の命か何かで、出すのは任意で出したのじやないかという見通しがあるわけです。これは議論でありますから、こまかいことは省略いたしますが、そういうことになる。そこであのピストルを持つていた巡査と非常にけんかをしたものだから、そのピストルをたたき落して、それがあいておつたから、その巡査をかわりにその中に入れた。これは確かである。ですから奪い出して入れたのではなくて、出すときにはあけて出した。これはこつちで出したのではない。向うの権限者が出した。そして騒いでいるうちに、巡査がピストルでなにするものだから、これをたたき落して、その巡査をたたき込んだ。これは押込んだらしい。これもそういう乱暴をするためにその人たちは入つていつたのではない。本流はどこまでも交渉しているのに、派生的にそういうことが起きた。しかしそれも靜まつた。それが八時半ごろだというのです。そして十一時ごろまで交渉して、十一時ごろになつて、柴田という市会議員が仲裁して、これはいつまで交渉しておつても水かけ論だから、明日にしようじやないか、その仲裁をいれて、両方で何のことなく別れたという事実であります。 これを騒擾罪と見ることは、私は多年弁護士をやつておりますが、騒擾罪にはならないと思います。そんな目的じやない。ただ結果から騒いだというだけを見れば、それは騒擾罪になるかもしれないが、騒擾罪というものはおのずからその要件が必要なので、そうではないというふうに考えて來たのでございます。結局こういうことは惡いが、ここに至らしめた政治的の立場から見るならば、これは警察にもやはり責任があると思う。警察でその立看板を何ゆえにそんなに一日、二日を待つことができないで、それをとるというふうにしたか、それはむしろ共産党に対して挑発したかのようにも私ども思われる。一旦自分が許したものを、けんか腰になつてとるということは、自治警察としては大いに愼まなければならないのじやないか、こういうふうに私は考えております。むろんそういうことをしたことは、労働組合大衆の側が惡いし、そういうことをすればいけないということはきまりきつておるが、そういうことをやらせた、しかし治安を保持すべき権限のある警察署長が、そういうがんこのことをやつたということは、法律上の責任ではありませんが、その責任はむしろ警察署にある。そういうふうに見るのでありまして、この事件を通じて、警察署の民衆に対する態度というものが、もう少し理解あるところの指導と取締りをやるべきではないかということを痛感したのでございます。それで市会議員やその他いろいろな方面の人から聞きまして、その與える影響はどうかというと、口口にみな戰々きようきようとしておつたとか何とか言つておりました。ここでむりに入つたというのですが、そこに入るときに、内郷の諸君が先頭になつて入つたのですが、大衆が続いて入り、共産党の代表者も入り、朝鮮人連盟その他も入つた、これは事実ですが、どうしてもやつてはいかぬというように拒んだのではない。向うから言うと拒んだというし、拒まないにしても拒む力がないのでやむを得なかつた、こう言つておるのですが、入つたのも理由なく入つたわけじやないのです。そういう重要な交渉をするために入つたのであつて、そこを占拠するために入つたのではない。それからなるほど旗を掲げたらしいのですが、あそこには四角の柱があつて、ほんのわずか、一間か九尺もありますか、そういうふうになつておるから、旗の置きどころもないし、雨も降つてそとに置けないから、ほとんどじようだん的にぶつちがえてなわでゆわえた。これを警察署占領の初めからの案で、それが一つの証拠だというけれども、それはほとんどじようだん的なものであるように、私は写眞だけですが見た。ちようどその門は非常に高い四角の柱のコンクリートであり、四角の柱が大きい。それにちようどちがえるというと、ゆわえつけて二本置かれるというような状態の門柱がちようどあつたわけです。それにやつたわけです。市会議員とか、あるいはわれわれの接触した場面は、そういういわばわれわれから見ると向うの支配階級で、老人の諸君ばかりである。その人たちに聞けば、共産党の何はまつたく騒擾のように言つて、戰々きようきようとしたということを言つておりますが、実際私はほかの人たちにも非公式に聞いたけれども、そう大した何も——警察をあれしたからといつて人民が不安を感じたというのは、ある一部の人であつて、平市の人全部が戰々きようきようとしたという程度ではないのであります。それから警察署の人たちの言うことは、それはまつたくあべこべのことを言つております。あべこべのことを言つておりますが、私の反対側の主張、多少主観を入れたかもしれませんが、そういう主張は決してまんざらうそではない。結局原因はこつちがむろん惡いが、その騒擾を起すようなことがあつたということは、警察署にも大分責任がある。それから内郷署の警察へ抗議に行つたのも、労働組合に対する彈圧、これが非常に原因をなしておる、そういうわけでございます。檢事局としては騒擾罪で調べるとか何とか言つておるようであります、しかし騒擾罪といつても、上の頭の人は大体逃げておる。ですから刑務所に行つて調べましたが、刑務所に行つておる諸君は石を投げた人は一人もいない。つかまつたのは二十何人おりますが、石を投げたのは一人もいない。ですから石を投げたのは非常に惡い。これが乱暴したわけであります。この人があがらぬものですから、一網打盡に騒擾罪としてひつかけようとしているが、これは檢察廳がはたして騒擾罪ときめてやつておるのかどうか、まだわからない。そういう方針で調べると言つておりました。要するに猪俣氏の大体の報告の通りでありますが、結局今度の原因は、こちらの側もそこに押し寄せた、大勢行つた、そうして被害があるということは、これは認めますが、それが全部騒擾罪であり、そうしてそういうことはやらなくてもよかつたのであるが、やつたというふうには見えない。原因を調べてみると、警察が相当責任をとらねばならぬ点がある、こういうふうに見るわけであります。これはあとでまた書面の報告が出ると思いますが、私どもの方は掲示板撤去命令に対する報告書という、これを提出しておきますが、これが大体こつちの掲示板を撤去するいきさつの事実であります。これになんらかのかわりはないはずであります。これを後に提出いたします。口頭の補充としては、私はそのくらいにしておきます。
○花村委員長 高木松吉君の補充的御報告をお願いいたします。高木松吉君。
○高木(松)委員 ただいま猪俣君、上村君から大体の報告があつたのであります。そこで、私ども調査委員としての使命は、事実を調べて当委員会に報告するというのが主であつて、事実から來る諸他の結論を断定的に報告申し上げるということは、かえつて差控えることがよろしいのじやないかという考え方も持つておるのであります。しかし事実と結論とは因果の関係でありますから、ものの見ようによつて結論まで申し上げ、結論から事実を明らかにするということも必要であろうと思う。そこで先ほど御報告になつた猪俣委員の御報告は、大体において私どもが見たり聞いたり実地調査した結果を報告しておることを私は認めます。しかしここに上村委員の報告に対しては、私どもが現地で調査し、そうして現地で調べた結果と、上村委員の報告との間に、相当主観の強く動いておるものがあつて、私としては上村君が先ほどからまんざらうそでもないというくらいな氣持で御報告しておるのでありまするから、これに反駁を加えて、私の事実報告をしようとするのでありませんが、特に私は当委員会の委員として調査を命ぜられて、一党一派に偏することなく実際の事実を把握して、忠実に委員会に報告することが使命なりと、そういう考えから、少しく猪俣委員の報告に補充的な点を申し述べてみたいと思うのであります。 猪俣委員が大体報告されたので、この猪俣委員の報告は、われわれの調べた証言及び事実によつてはつきりとする点がどこにあるかということでありまするが、最後の日、猪俣委員が立会わずに、われわれが地方事務所の二階で共産党員を証人尋問いたし、それに引続いて刑務所で四名の留置されている方々を調べたのであります。この間において、私はただいま上村委員の言うような事実をはつきりと認定することはかえつてむりであつて、猪俣委員のお話になつた報告内容の方が正確であると考えられるのであります。まずその計画的襲撃であつたかどうかという点に対して、具体的の証言を一つ、二つ拾つてみますると、刑務所におられた金明福、武藤弘、草野直子、深沢信というこの四人を調べまして、はつきりしたのは武藤弘であります。これが三十日の午後三時を期して平の自治警察に押しかける。それを同志諸君に連絡せよと草野直子から言われたということをはつきり言つております。要するに三時に同志を集めて平市警に押し進めて行くんだという事実は、武藤弘証言によつて明らかになつたのであります。それから深沢信——これは湯本におられる共産党の人であります。この共産党の人も、まず指令と申し上げたらいいでしようと思うが、共産党員及び民主團体の代表者に、平市警に三十日の午後三時に押しかけるようにしろということを言われたので、私は連絡をとりました。こういうふうに言つておるのでありますから、どうしても猪俣委員の言われたように、計画的に押し寄せて來たことは、これら二証人の証言によつても明らかである。漫然と集まつたごときことを言われる上村委員の報告には、賛意を表しかねる次第であります。大体あとは猪俣委員の報告されたことが、いわゆる事実調査の結果として考えられることであると思いまするから、これ以上のことは私から申し上げずに、猪俣委員がおられなかつたときの、猪俣委員の観察を正当なりとわれわれが思う証拠について、説明をいたした次第であります。
○上村委員 いやその行くということについて、その連絡をとつたということを私は否定しているのではないのです。ただ襲撃の目的で行つたか行かないかということについての愼重な調査、それからいろいろなことで調べた。ですから襲撃者がああいうような乱暴をする、留置場の人をたたき出すとか、とにかくああいつた乱暴をするために集めたものではないのだ。あそこへ大勢民主團体が行つて、警察署の署長に合法的に交渉する。そういう意味で連絡をとつたことは否定しません。ただあの石を投げてガラスをこわした、留置場の人を出すとか乱暴したということは、初めからの計画ではない。あれは派生的にできたものであつて、本流の大衆は依然として標識問題のいきさつについて交渉しておつたにすぎないものであるということを私は述べたのです。ですから、その点で報告が計画的になつてもいけないわけであります。大体そういうつもりで私は連絡とつたことや、あそこへ大勢行つたことについて否定はしません。ただ暴行、脅迫、これらの乱暴を初めから予想して行つたのではないということを申し上げます。
○高木(松)委員 ただいま上村君からお話がありましたが、それは結局水かけ論です。というのは、一体私の調べたのも上村君の調べたのも、目的が何であるかということを調べたのではなくして、ただ行つたか行かないか、連絡があつたかないかというところまでしかわれわれは調べていない。あともしあなたが調べられたとするならば、われわれとともに調べたのではなくして、あなた個人として調べたことであつて、私ども共同で調べたところでは、目的があつたかなかつたかということについては調べていない。それはあとのことで、常識的に考えて報告できればよし、なるべくならばそれは報告しない方がいいのじやないか、こう思いますから、私は申し上げたのであります。
○花村委員長 何か御質問はありませんか。
○古島委員 調査委員の方々の御報告で大体明瞭になりましたが、猪俣さんのお話によると、何か掲示板が第一の直接の原因らしく聞えます。もし掲示板が第一の原因であるというならば、客観的にこれを見て、はたして掲示板が交通の妨害になるような情勢にあつたかどうか。もしまた掲示板そのものは交通の妨害にならぬのだが、それを読むために人が集まる。一般に一列なり二列ぐらいの程度で集まつても、なお交通の妨害になる筋合いの模樣であつたかどうか。及び猪俣さんのお話の署長が肓判をついて許可をしたというようなことであります。われわれがただ聞いておりますと、掲示板を許可されたのは、ペテンで許可されなければならぬような情勢になつた。こう聞えますが、ほんとうにこれはわからない間に來て判をついてもらつたというようなことは、許可するだけの意思があつて許可したものか、または警察署長がペテンにかかつて肓判をついたというような事実があるのか、そこを明瞭に言つていただきたいと思います。
○猪俣委員 直接の動機が掲示板にあつたことは疑うべからざることであります。あと私の申し上げましたことは、いわゆる集團者がそれを表明しておらぬ。しかし掲示板問題に端を発したことは、これは疑うべからざることであります。しかしてその掲示板問題のために、かかる大規模な行動を起すに至つた原因は他にある。何か基礎原因があつて、それが近い原因のために火をつけられて爆発するということは、いわゆる社会現象としてあり得ることであるから、点火された点火口は掲示板であつたということを申し上げたのであります。 それからその掲示板を許可することにつきましては、これは私は明瞭に警察の失態だと思うのであります。なぜならば、惡意がないにしましても、はなはだ調査が不行届きで、警察署長が肓判を押したことは事実であります。これは警察署長の自白であります。何らの調査をせずして肓判を押したことは事実でありまして、これはその意味において警察の失態である。そこで実情は、この長江久雄というのは——平市にはそう多数共産党員はいないのでありますが、その執行委員なのでありまして、相当共産党の上の方の指導者層に属する人であるから、少し警察が注意をいたしますならば、この長江久雄なるものがいかなる人物であるかわかるはずである。この長江久雄の名前においてかような許可願が出ておる。それは四月十三日であります。一、目的といたしまして、宣傳活動と書いてある。二、方法といたしまして、壁新聞等を張るということが書いてある。三、期間といたしまして、一九四九年四月幾日から一九四九年七月二十日まで、こういうふうな期間の表示をしているのであります。これを受付けましたのが山口という青年巡査であります。年二十三歳になる巡査で、これが非常にうすぼんやりで、私はこれが共産党員だと思つたくらいです。なぜならば宣傳活動、しかも壁新聞で一九四九年何月などという言葉を平の人たちは使いません。昭和何年と言います。これらを総合考覈するならば、はてこれはおかしなことだなと思わなければならぬのでありますが、山口巡査にわれわれがいろいろの角度からテストをしてみましたが、彼の身元は共産党員でないのです。うすぼんやりしておつて、活動写眞か何かの廣告であるくらいに考えていたということでありまするから、のんきなもので、受付けてしまつた。受付けた中でも、署長が特に注意をして不許可にするのもあるようでありまして、怪しいと思うものは、おかしいと思うが署長さんどうするかと言うのが本筋だそうでありますが、受付けてしまうと、あとはたいていずつと肓判を押すような慣例だつたらしい。ところが署長に言わせれば、山口がどうも責任が重いことになる。ほんとうの責任は自分であるけれども、山口がどうもうすぼんやりであつたと署長は言うのだが、山口はそういうような文句を見てもぴんと頭へ來ない。それでここで肓判を押したことも事実である。また共産党員なりとして許可したということになると、多少また問題も起ると思うのでありますが、とにかく映画のポスターか何か張られたくらいに思つて許可したというのがほんとうじやないかと思うのであります。あるいはその辺のことはわからぬので、あとの責任を考覈いたしまして、共産党員だと思つておつたが、今になつて否認しておるかもしれない。そこのところは人の心情のことですからわかりかねますけれども、そう大して深く考えないで許したのではないか。なおまたそれを許可した以後もいろいろの壁新聞やアカハタなどが張られておるのもそのままにして來たのであるが、警察官の言い方によると、矢郷炭鉱の問題だとか、小学校の給食費の不正使用とかいうことが記事に出るに從つて非常に見る人が多くなつたというのでありますが、どうもそれがために交通妨害になるほど人間がたかつたという客観的証拠が、われわれの調べにおいては現われて來ないのであります。その数日前に軍政部、今民政部と言いますが、何とかいう少將が巡視したそうであります。その後の問題でありまするから、あとは皆樣方の直覚でお考えいただくよりほかにしようがないのであります。とにかく交通妨害になるということについて、警察として多少そこにむりがあつたと私は思うのであります。一月も二月も平穏無事であつたのを、急に交通妨害になると言い出したことに警察でも非常に弁明に苦しむところがあり、共産党側から、それでは夜店は交通妨害になるのか、乘合自動車のお客さんがずつと並んでいるが、それも交通妨害になるのじやないか、それを許しておきながら掲示板だけなぜ許さないかとたたかれて、しどろもどろになつたことも事実であります。
○古島委員 今の点ですが、許可したのでありますから、許可をいつ取消したかについて……。
○猪俣委員 許可は六月の二十五日、巡査が共産党の地区の事務所へ口頭をもつて、あれは取消すから撤去してくれと言つたが、共産党ではこれをはねつけてしまつた。そこで公式に取消書を同日の中に文書に認めて、柳田という警部補がこれを持参いたしまして、正式の出願名義人である長江久雄の家まで持つて行つた。長江が留守でありまして女房に渡した。ところがいつの間にか窓口にそれが返上になつておつたというのです。これは六月二十五日のできごとであります。
○角田委員 調査委員のどなたかに一点だけお尋ねを申し上げたい。先ほど警察に四百名ばかりの者が押しかけたということですが、これは警察の廳内に入つたのでありましようか、または警察廳外にあつたのでありましようか、また代表者がたれと会つてどれくらいの問答しておるうちに、それが結局不法の行動に出たのでありますか。その辺の詳細なることをお尋ね申し上げたい。
○猪俣委員 代表者は朝から交渉いたしておりまして、午後になりましてから群集が集まつて來た。これはほんとうは二回で、二十七日に一回七、八十名くらいの者が押し寄せて來たが、それはそのまま帰つた。それが三十日はやはり初め午後二時ごろ七、八十名集まつて、そこで代表を入れて交渉するというようなことで五名の代表、それから書記三名、それだけ入れて署長室で交渉することがまとまつて入つて行つたのです。ところがそのうちに雨が非常に降つて來たために、外で待つてはたいへんだということもありましようし、話がどうのこうのということで十名、二十名入つて來た。ほかの者も入つて來て一緒に署長室に七、八十名入つてしまつた。そのほかの群集も雨がひどいためもありますし、四百名、五百名全部が中へ入つてしまつた。その時間は署長たちも上せておりまして、人によつて違つておつてはつきりわかりませんが、二時から五時、六時までの間にこの何百名かが中に入つてしまつたということになつております。ですから初め大勢が入ることは幹部の意思でなかつたかもしれませんが、代表者をあげて交渉をやつておつたうちにみな入つて來たというのが実情のようです。
○花村委員長 ほかに御質疑はありませんか。
○猪俣委員 先ほど五名の代表者をあげ、三名の書記を使つてそれが署長室へ入つて談判をやつたのは、これは二十七日の日であります。この三十日の日は午後一時過ぎに金明福と鈴木光夫という代表者が來て談判をやつておりまするうちに、二百名あまりの者がどつと入口に押し寄せて來て、そこで入れる入れないでもつて衝突が起り、そこで警察官及び群衆の中からけが人ができ、そういう群衆が負傷をしたような事情を見ましたところが、押し寄せた人間は興奮いたしまして、どつと中へ押し込んだというのが眞相でありまして、代表者を出して談判をやつたのは二十七日の日なのです。その日も代表者がやつて來て談判をやつておつたけれども、それに無関係に百五十名ないし二百名の群衆がどつと入口に迫つて入ろうとして、そこで衝突が起つて投石が始まつたというの眞相であります。この二十七日と三十日とをちよつとごつちやにしました
○角田委員 そういたしますと、先ほど猪俣委員から雨が降つたために入つたのであろうという御意見的なものがありましたが、これは雨が降つても何も警察に入らなくても、よそのどこかに入れるし、そのへんはどうなんですか。一体雨が降つたために入つたのですか、それとも最初から大体そういう意向でどつと入ろうというような計画性があつたものですか。これは御感想でいいのですから、そのことをお尋ねしたいと思います。
○猪俣委員 そのへんはわかりませんが、非常に雨が降つておつたことは写眞を見てもわかるのです。そうしてそれは分散して、こつちに雨宿りし、そつちに雨宿りすると、集團的に威力を発揮しないことは御承知の通り。ところがその警察の前に集團していると、中には傘を持つている者もあり、持つていない者もある。そこであらかじめ中へ入つてしまおうというかたい決心を持つていなくても、人が入れば自分も入らなければならぬというふうに押し込む氣勢を、雨のために相当強められた。あるいは天氣晴朗にして風穏やかならば、あれほど勢い猛烈に中へ入らなかつたかもしれぬというふうに私は感じておる。しかし雨のために入つたので、雨が降らなければ全然中へ入らなかつたであろうという状態でもないわけであるが、押し込むことについての勢いを助けたことが、雨にも多少責任があると考えていいでしよう。
○高木(松)委員 先ほど猪俣さんの言われたことですが、角田委員からの質問の場面を、われわれ調査したそのままを申し上げる方がはつきりすると思いますから、この点をつけ加えて説明しておきたいと思うのであります。いわゆる警察の署長及び警察側の説明によりますと、今言つたようにトラックや何かでどつと來て、一旦入ろうとしたところへ、金田という警部補か部長ですが、これが出て來て、まあまあそう大勢入られては困るから、代表者を出せと、こういうふうに言つたら、その金田を引張り出して、その金田をぽんぽんなぐつたので、あとで乱鬪騒ぎになつた。そしてどつと入つて來てしまつたのだ。しかもその乱鬪騒ぎを上から写眞をとつたり、のぞいてみたりするものだから、そこへ向つて石を投げたり、ついそれからその辺をこわすような事情になつて、中へ乱入したのだ。こういうことは警察側の言うことが当るか当らぬかわからないが、警察方面の人の証言はいわゆるそういう証言であつたのであります。それから共産党の地区の方々が出て來て、その中でも津川さんと言いましたが、大体代表してしやべられたんで、これは現実の目撃者ではないが、地区で声明書といいましようか、報告書をつくつてわれわれに出した。その説明に参りました。この人たちの言うことはそれと反対で、われわれは代表者を出す。こう言つたのにかかわらず、向うからけしからぬということで群集を押し返した。それだから、そこで乱鬪騒ぎが起きたという二つの相反する供述があつたのであります。そこで私どもは中立という言葉は当りませんが、全然これらのことに直接の関係を持たない新聞記者諸君からこれを聞くと、まさしく警察側の言つたことがほんとうだという証言を得たのでありますから、いわゆる警察と襲撃者側との両方の言い分を聞いて、まつたく中立的立場にある人たちの話を聞いたときに、私ども事実認定をするのには、警察側の言つたことがほんとうでなかろうか。そう考えた次第であります。
○花村委員長 ちよつと速記をやめてください。 〔速記中止〕
○花村委員長 それでは速記を始めてください。 ただいま平事件に関する派遣委員の報告はこれをもつて終りました。本日はこの程度をもつて散会いたします。 午後三時五十二分散会