不当財産取引調査特別委員会 第9号
- 発言数
- 965 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1948/11/04
会議録
○武藤委員長 これより会議を開きます。昭和電工問題の調査に関し、十一月四日、五日六日喚問すべき証人につきましては、去る二十二日の理事会の協議によりまして、委員長及び復興金融金庫の融資調査に関する小委員長に一任せられておりましたが、十一月四日には森曉、市村寅之輔、鎌田久眞男の三君、五日には脇村義太郎、遠山元一、原猛六、恒吉武昭の四君、六日には笹山忠夫、野田岩次郎、末廣幸次郎、藤本忍、市村寅之輔、鎌田久眞男の六君に出頭を求めることにいたし、手続をいたしておきました。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○武藤委員長 では、さよう決します。 第二、来る十一月十日までに法務廳に対し終戰以來今日までにおける官公吏の汚職に関する状況報告を求めたいと存じます。 第三、同じく十一月十日までに持株会社整理委員会に対し、一、持株会社整理委員会発足以來の委員総会議事録、二、森曉に関し持株委員会で蒐集した資料全部、三、第五次指定の際に候補に上つた会社全部の調査資料、右提出を求めたいと存じます。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○武藤委員長 では一括してさよう決します。 第四、全農林職員労働組合提訴にかかる日本蚕糸統制会社調査に関する件を受理し、基礎調査をなすこと。 第五、日本電氣産業労働組合神奈川支部提訴にかかる昭和電工川崎工場に対する電力供給状況に関する件を受理し、これが調査をなす件、右一括して御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○武藤委員長 ではさよう決します。 本日御出頭の証人は森曉さん市村寅之輔さん鎌田久眞男さんの三名ですね。かねて当委員会において調査中の復金融資問題につきまして、昭和電工問題を明らかにするために、証人として証言を求めるために御出頭を願つた次第であります。 証言を求める前に各証人に一言申し上げます。 昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師、歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、且つ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。 では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます。御起立の上お手もとに差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。森さん代表してお読みください。 〔証人森曉君各証人を代表して宣誓〕 〔各証人宣誓書に署名捺印〕
○武藤委員長 諸君にお諮りいたしますが、この三君は同席をしてもよろしゆうございますか、別々にしますか。
○足立委員 この証人は大体同じ関係にある証人なので、同席していただいて、相互に記憶を呼びもとしてもらうことが必要なので、同席を許してもらいたいと思います。
○武藤委員長 さよう決するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○武藤委員長 ではさよう決します。 それでは便宜上市村さん鎌田さん、森さん、こういう順序でお話を伺います。 まず市村さんに伺いますが、一應あなたの略歴を伺つて、それから昭和電工株式会社に関係せられましたその経歴を続いて述べていただきたいと思います。
○市村証人 私は明治三十五年一月一日生れであります。姓名は市村寅之輔と申します。大正十三年に早稻田大学の政治経済学部を卒業いたしまして、昭和二年に日本生命に入社いたし、昭和十八年に同社をよしまして、それから日本冶金工業株式会社の重役としてはいりまして、昭和二十一年に、登記の日附ははつきり覚えておりませんが、たぶん十月の総会だと思いますが、昭和電工株式会社の常務に就任いたしました。
○武藤委員長 二十一年の何月ですか。
○市村証人 たぶん九月か十月の総会ではなかつたかと思つております。
○武藤委員長 ここにおられる森曉氏との関係はどういうことですか。
○市村証人 日本生命におります当時から、友人として附合つておりました。昭和十八年に懇請を受けまして日本冶金工業にはいつたのが初まりであります。
○武藤委員長 それから大体において行動を共にしておられるわけですか。
○市村証人 さようであります。
○武藤委員長 そうしますと、終戰前における昭和電工の事業その他につきましては御存じないわけですね。
○市村証人 知りません。
○武藤委員長 それでは終戦当時における昭和電工の復興計画並びにこれに伴う資金計画及び実際の資金調達の内容等について詳細に述べてください。
○市村証人 それは終戰の当時私はおりませんでございましたから……。
○武藤委員長 それでは人社されてからでよろしゆうございます。
○市村証人 私が昭和電工にはいりましたときには、ちようど昭和電工が第二次の硫安工場の復興計画と、その他四工場の石灰窒素に轉換する工事を始めておるときであつたのであります。当時昭和電工としましては、八千万國民の食糧の問題を解決する鍵であるところの肥料の増産に重点をおきまして進んだのでありまするが、金融面はなかなか簡單にはまいらなかつたのであります。そこで昭和電工といたしますれば、何とかしてこの問題を解決をしなければならないという立場にありましたので、関係官廳その他と種々折衝を重ねてまいつておりました。そして日本肥料からも一時のつなぎ資金を受けましたがその日本肥料からの建設の資金だけではなかなか思うように金も出来ませんし、捗りませんので、興業銀行ともいろいろ話を進めまして、何か新しい政府機関でもつくつて、そうしてこの仕事を、バツクしてもらわなければならないという考えをもつておりました。私どもとすれば何とかしてこの建設を一日も早く促進しなければならないという観点から、政府資金が出ないとすれば、國民の待望の肥料であるのであるから、是が非でもほかの方面からでも資金を集めてこれを完遂しようという意氣込みをもちまして、当時興業銀行の理事であつたと思いますが、栗栖君に話をしました。昭和電工は独自の立場で資金を集めでこの建設を遂行するつもりだから、何分の援助をお願いするということを申し出ました。栗栖さんも、それでは興業銀行もできるだけの應援をしようということになりました。その直後だと思います。関係方面にもかつてお願いしておきました復興金融金庫という金庫法案ができることにもなつて、G・H・Qの方から、復興金融金庫から金を借りてこの建設をやつてよろしい。そのタイトルは日本政府がもつて、昭和電工がこれを賃借りをしてやつていくべきである。また一年先になつたら、そのときに今後のことについては相談すべきであるというようなパミツシヨンをもらつて、金融の面はすらすら何の苦もなく進んでおつたのであります。
○武藤委員長 当時の社長森曉氏はどういうわけでやめることになりましたか。
○市村証人 一月四日の勅令に昭和電工は正項会社に指定されるということに一應なつておつたのでございます。しかしながらあれだけ大きな仕事をしておる会社の社長をやつておれば、そう簡單に退陣を、なかなか各方面でも定規通りにはやらないだろうという考えを私どもももつておりました。しかしその間私はたびたび持株会社整理委員会の笹山さんの所にも伺つていろいろ意見も伺つておりましたが、別にそう急に退陣しなければいけないというような強いお話も承つておりませんでした。そうしたところ三月の二十八日に総会を開くことにしたのでありますが、この総会は議題としては、新しく重役を補充して生産のために邁進しようという建前で、総会の日取りを二十八日にきめました。新聞記事を出しました直後、あるいは二、三日経つてからと思いますが、持株会社整理委員会から、これは私にではありませんが、係の方に至急に重役の人選、議題その他について連絡するようにという話がありましたので、それは多分総会の二週間くらい前だと思つておりますが、それを届けまして、それでよろしいというお話を持株会社整理委員会から受取つておつたのであります。
○武藤委員長 そこで伺いますが、持株整理委員会にあなたの方から行つたのはだれですか。
○市村証人 だれでしたか、はつきり私……
○武藤委員長 あなたは行かなかつたのですか。
○市村証人 私は行きませんでした。
○武藤委員長 向うに行つて会つたのはだれに会つたのですか。
○市村証人 それも私ははつきり聞いておりません。
○武藤委員長 それじや今度の重役をどういうふうにするという案を持つていつたのではなかつたのですか。
○市村証人 その案を係の者が向うに持つて行つたと記憶しております。
○武藤委員長 どういう案を持つていつたか、案の内容は。
○市村証人 案の内容は新しく重役に選任される人たちの名前と経歴であります。
○武藤委員長 それはだれだれ。
○市村証人 営業部長の鎌田久眞男君と総務部長の最有龜夫君と当時昭和炭酸の常務であつた白幡悟郎君と、…。
○武藤委員長 白幡君は何です。
○市村証人 白幡君は取締役です。以上申し上げました三人が取締役で、そのほかに監査役として当時の渉外部長で経理部次長をやつておりました肥後肇君と福田——名前は忘れましたが、その入を監査役にするための手続をとつたわけであります。
○武藤委員長 これをきめたわけですね。
○市村委員 そうです。
○武藤委員長 そればだれがきめたのですか。
○市村証人 それは重役会できめたのです。
○武藤委員長 係の者というのはだれですか。
○市村証人 庶務の者か、あるいはいつも向うに行つておつた財務部の人ですか、その点ははつきりいたしません。
○武藤委員長 相当重要なことなんだから、相当の地位の人が持つて行くのではないのですか。
○市村証人 いやそういう書類については、そう位置の高い人が持つて行くという習慣はありません。
○武藤委員長 そうすると持つて行けば文句なくそれでいい、形式的に出すだけだつたのですか。
○市村証人 もちろんそう思つておりましたし、それでよろしいという返事も向うからあつたということを係から聞いております。
○武藤委員長 そうすると新たに社長というものは置かないで、ただいま、お話になつた取締役の諸君でいわば会議制のような形で行こうという趣旨ですか。
○市村証人 そういう趣旨で運営して行くことが私どもの考えだつたのです。
○武藤委員長 あなたもはいつておるのですか。
○市村証人 そうです。はいつております。
○武藤委員長 今お話になつたのは新しくはいる人ですね。
○市村証人 そうです。
○武藤委員長 これは新しく殖やすのですか、だれか抜けた人の代りに入れるのですか。
○市村証人 それは米村専務と安西專務と横山常務と渡瀬常務、鈴木常務その方たちがよされるという前提のもとに補充を考えたわけです。
○武藤委員長 監査は。
○市村証人 監査役の方もほとんど全部退陣されることになつておりましたので新たに二人を追加したわけです。
○武藤委員長 それはつまり森さんと一緒に退任されるというわけだつたのですか。
○市村証人 監査役の人たちはすでに退陣をされた方が多かつたように記憶しております。
○武藤委員長 やはり追放の関係でやめるということでしたか。
○市村証人 大部分そうです。
○武藤委員長 持株会社整理委員会に持つていつてその了解を得たというのは、もちろん笹山氏がこれを見てよろしいということになつたわけでしようか。
○市村証人 それは笹山氏ばかりではなく、やはり関係筋と言いますか、G・H・Qにも話をされたのではないかと思います。というのは英文でも出したのであります。
○武藤委員長 すると持つていつたらその場でO・Kですか。
○市村証人 いや、それはその場ではなかつたと記憶いたします。
○武藤委員長 持つていつたのは株主総会の二週間ぐらい前ですね。すると十四、五日のごろですか。
○市村証人 多分そのころだと思います。あるいはもう少し早かつたかもしれません。
○武藤委員長 とにかくよろしいということになつてきたわけですね。
○市村証人 そうです。
○武藤委員長 その後それが変更になつたのですか。
○市村証人 変更になりました。
○武藤委員長 どういうふうに……。
○市村証人 それは三月の二十五日だつたと記憶しております。持株会社整理委員会の当時の管理部長、植村君から、私に至急会いたいからという電話がありましたので、私が参りましたらへ今度社員の中から重役になる候補者のうち、最首君と白幡君は森色が濃いからいこれは引込めてほしいという申出を受けたのであります。そこで私は重役の人事はそう簡単に引込めたり、出したりするわけにはかないのだ。それに今言うような森色というような目から見るならば、全從業員が森色というめがねにも映るのではないかと問いましたら、いやこれはG・H・Qと委員会の方との五分々々の意見であるという答えがあつたのです。そこでいろいろ押問答はありましたがどうしてもG・H・Qの意見が強いのだからぜひ引込めてほしいというので、私は重大な問題であるから自分でもよく考え、ほかの重役にも、関係方面にも諮らないとお答えはできないというようなことを話しまして、別れようとしたら、その次に明日の午後三時にまた重大な問題で君に話したいことがあるから、万障繰合わせて來てほしいという申出を、そのときに受けたのであります。そこで私は翌日……。
○武藤委員長 ちよつと待つてください。そこでこれは自分らの方の意見でもあるけれども、しかしG・H・Qもやはり同じような考えであつて、その意見が強いという趣旨ですか。それとも自分の方はよろしいのだけれども、G・H・Qの方のオーダーというか、命令のようなものであつて、どうにもしかたがないのだというような話があつたわけですか。
○市村証人 どうにもしかたがないという印象を、非常に強く受けたのであります。
○武藤委員長 どういう言葉ですか。
○市村証人 G・H・Qでいけないというのだからしかたがないではないか……。
○武藤委員長 そういうことを植村氏が言われたわけですね。自分の方はそれでもいいというのですか。
○市村証人 いやそういうことは言いませんでした。
○武藤委員長 G・H・Qでそういうのだから、自分の方もそうならざるを得ないのだというわけですか。
○市村証人 それはそうだと思つております。
○武藤委員長 一体G・H・Qというのは、どこでどういう係りで何という人がそれを言つたか、そのときあなたはお聽きになりませんでしたか。
○市村証人 聴きませんでした。
○武藤委員長 しかし当時関係筋として折衝しておつたのはどこなんですか。
○市村証人 渉外のことは私は扱つておりませんでしたから存じません。
○武藤委員長 そうすると、あなたは言われるままに、G・H・Qでそう言うからという話を聽いてこられただけですか。それ以上深入りをしないのですか。
○市村証人 それで翌日の朝十時に、笹山さんを訪問したのです。
○武藤委員長 三時に出て來てもらいたいというのだけれども、十時に行つたわけですね。
○市村証人 それは前の日の植村君の言葉をコンフアーするため、そうして昨日こういう話があつたが、あれは困るじやないかという話をしましたら、情勢が非常に変つてきたのだから二人の人には氣の毒だけれどもぜひ引込めてくれ、そういう申出を受けたのであります。そのときに笹山さんから今後の昭和電工運営に関して重大な問題で、復興金融金庫の二宮理事と興銀の副総裁の末廣さんから話があるから、植村君と会つて至急日本興業銀行へ行つてくれという申出を受けましたので、そこで植村君に会いましたところ、植村君が君の方の会社の社長に今度日野原節三という日本水素工業の社長がなることにきまつたので、この問題について末廣さんと二宮さんに会つてほしいのだと言う、一そういう突然な申出を受けたわけであります。なおあなたの行くことは直ぐ電話で連絡するから至急に行つてほしいというので、その足で私は興業銀行へ参りまして、末廣氏と二宮氏に会つたのです。
○武藤委員長 どこで会いましたか。
○市村証人 興業銀行の應接間だと思います。大分時間を待たされたから、私も忙がしい身体で、殊に総会も迫つておるのでそう時間をとるのはかなわないからあまり時間をとるならあらためて約束してぐれ、私は帰るからということを申し出ましたら、二人が揃つて出てまいりまして應接間に招じ入れて、末廣さんから、G・H・Qから大債権者であるわれわれのところに昭和電工の後任社長を推薦するようにという申出あつたので、いろいろと考慮した結果、日本水素工業の日野原君を社長に推薦することにしてG・H・Qの了解も得たし、持株会社整理委員会の了解も昨夕得たから、これを二十八日総会に議題として上げてほしいというそういう乱暴な申出を受けたわけです。そこで私はどう考えてもこの人事はあまり非民主的ではないか、第一日野原君がどんな有名な手腕家かどうかしらないが、もしそうであつたとしても、昭和電工の明後日の総会を前にそういうことを言われても処置のしようがない。殊に現在会社を運営しておる私ども重役に一言の挨拶もなく、債権者毒と言うけれども、ほかにも債権者はおるし、大株主もおるんだ。それを無視してこういうことをなさるということは金融資衣の産業に対する重圧と僕は考える。また裏面に何か伏在しておるということを僕が想像してもあなた方は何とも返答のしようがないだろうと言つたのであります。そうして殊に二宮君に対しては私はたびたび今後の昭和電工は会議制で運営していくからよろしく頼むということを再三申出てあつたはずだ。またふしぎなことには、この昭和電工の後任社長の問題が一週間も十日も前に労働組合方面に漏れておつたんぢやないか。これはその当時は自分とすれば浮雲のようなうわさに過ぎないと固く信じでおつたが、なおそのときに二宮君にそういううわさがあるがということを確かめたら否定したじやないかと言つて二宮君に話しましたけれども、二宮君はそれに対してほとんど返事をしてくれませんでした。そこでいろいろ末廣さんと話をしたのですが、ぜひ円満にお願いする。あなたに話すのが最初であつて、あなたに話をしてからあとで時間の許す限り方々の人にも話をして了解を求めるつむりであるからと、そういうことをくどくど言つておりまりました。そこで私はともかく引受けかねる。もしもこういう乱暴な人事が強行されるならば私は責任者として自分の進退について考慮、なければならない。またそうするのが当り前である。ほかの債権者や株主や從業員に対して合わす顏がないではないかということを言つたのであります。しかしそういうことに対しては一言も答えはなく、よろしく頼むというような話だけを繰返しておりました。また私は、もしもこうしたことが社内に傳わると、今一番大事な肥料の増産面にも会社に動揺が起つたならば悪影響を及ぼす。そうした責任はあげであなた方が背負うのが当然ではないか、そういうことまで言いましたが、少しもその意見を飜えす様子はなく、そのうちに大分時間が経過いたしまして、末廣さんは、実は午後一時に大藏大臣に会う約束があるので、はなはだ済まないが、もう一度午後三時に來てくれないかということでした。そこで私は午後三時に興業銀行に再び両氏を訪問したのでしだが、興業銀行では何も話をせずに、持株会社整理委員会に行つて話をしようと言つて私を連れて参りました。それで持株会社整理委員会で笹山さんと末廣さんと二宮君と私と——途中で植村君が加わりましたが、いろいろと話をしたの場であります。そのときに笹山さんは、森君は追放者の身でありながら持株会社整理委員会から強い申出があつてからよしたということは、昭和電工にとつては非常に大きなマイナスだつた。また労働組合方面が森社長の留任の懇請を関係方面に出したこともすべてマイナスだつた。それからあなたは民主的に今度の人事をやらなかつたと言うが、財閥というものは準戰犯である——。森は今でもそうですが、当時も財閥の指定はなかつたのです。財閥というものは準戰犯である。森が財閥であるという問題は昨年の十一月ごろ起つたが、それは鎭めておいたのである。また森は資産がないと言いながら、G・H・Qの連中を再三自宅に呼んで饗應したことがあるではないか。そういつたことはすべてマイナスだ。新しい社長を受入れなければ昭和電工の信用はゼロだ。新しい社長を受入れれば自分の方でも應援してやるし、G・H・Q方面の昭和電工の信用もよくなるということを繰返して述べましたが、私はそれに対して受入れるという返事はいたしませんでした。多分五時ごろだと 思いますが、そのころになりましたら、笹山さんのところに使いの人がはいつてまいりまして、G・H・Qから二人の人が見えたからというので、笹山さんはそのことを私に告げまして席を離れたのであります。同時に末廣さんは、自分も今日は興業銀行の從業者組合から会見を申込まれでおつて、その時間が大分すぎておるから、あと二宮君よろしく頼むと言つて席を離れました。しばらくいたしまして笹山さんが席にもどつて、そして復興金融金庫と興業銀行が昭和電工の後任社長を推薦するという形はよす。持株会社整理委員会すなわちスキヤツプのオーダーとして日野原を出す。だから二十八日の総会にこれをかけろと言つた。しかしこれはスキャップのオーダーであるならばやむを得ないが、明後日の総合を前にして今日こういう申出を受けても、私には総会をスムースに処理する自信がないから、これを強行するならばもう少し総会を延ばしてくれないか。もう一つは、もしもそれができたいならばスキヤツプのオーダーを文書にしてくれないか。そうすれば自分は総会でそれを読もう。そういうことを言つたのでありまするが、その二つとも受入れなかつたのであります。そうしてそのときに、なお現在会社に残つておる重役及び幹部の人を連れて明日來てくれ、よく事情を話すからと言われたのであります。そこで私は翌二十七日の朝、現在昭和電工に残つております重役の松本君と中村君と大原君、新しく重役になることになつておりました鎌田君とを連れて笹山さんのところに参りましたら、前日と同様な話があつたのであります。なおそのとき、今日の午後日野原君を紹介するからもう一度来てくれと言われて、午前と同じメンバーで持株会社整理委員会に参りました。そしてどうか総会をスムースにやるようにという笹山さんからのお話もあり、そのときに日野原君から私に、自分の話相手に一人無住所でいいから取締役を連れてはいりたいという申出かありましたので、私はあなたはどういう抱負経論をもつてこの昭知電工をやつていくつもりなのかお聞きしたいと言つたら一それには返辞がたく、笹山さんから今日野原君の言つた人もスキヤツプのオーダーとして総会にかけろという言葉を受けまして、持株会社整理委員会を辞去いたしまして、会社に帰つたのが五時半であつたか、あるいは五時であつたか、六時であつたか、はつきり時間は今記憶しておりませんが、私の友だちが二十八日のあすの総会がスムースにいかないようだとすると、森、鈴木というものは二十四時間以内に財閥に指定されそうだということを聞かせられたのであります。そこで私はもうやむを得ない。日野原を社長に入れる以外には方法がないと思つて、二十八日の総会で日野原君を社長に、藤本君を取締役に入れたのであります。
○武藤委員長 そうすると、日野原がはいることも、また一入の取締役を連れてはいることも、いずれもスキヤツプのオーダーであるというふうに言われて、またもしこれに感じなければ森、鈴木は財閥に指定される……二十四時間以内ですか……。
○市村証人 ええ、二十四時間以内には……。
○武藤委員長 二十四時間以内に財閥に指定されるというような話があつたために、あなたとすればまことに不本意であるけれども、やむを得ずこれに感じたということになるわけですか。
○市村証人 そうです。
○武藤委員長 もしそれではスキヤツプのオーダーではない。それから森、鈴木が財閥に指定されるようなこともないという話で、ただ金融資本の強い要求であるということだけであつたならば、あなた及びあなた方はこれに應じなかつたであろうというわけですか。
○市村証人 私は絶対に應じませんでした。
○武藤委員長 そうすると、あなたが應じた理由は今のスキヤツプのオーダということ、財閥に指定されるということ、これではいけないというわけで感じたわけですか。
○市村証人 そうです。
○武藤委員長 文書で書いてもらいたいという話をしたのに対して、その後文書にしたものは來ないのですか。
○市村証人 私は在任中見ませんでした。
○武藤委員長 G・H・Qの方の係りはだれであるかということもお聞きになりませんでしたか。
○市村証人 その後の模様をもう少し申し述べさせていただきますと、その点が出てくると思います。
○武藤委員長 それじや続けて話してください。
○市村証人 総会が済んだあと、重役会で——もちろん総会のときには持株会社整理委員会から当時の管理部次官の永井三郎君とほかの人が一人見えました。またそういう人たちがおる前で重役会で指定して、日野原君が社長になつたのでありますが、そのときに私は今後の運営についてどういうふうにやつていくかという質問をいたしましたら、萬事今まで通りにやつていくからということであつたのです。そうして当時喜多方から出てきておつた大原君、大町から出てきておつた松本君にもおのおの任地に帰るようにということであつて、両氏とも任地に帰らせれたのであります。その後しばらく何もなく、三十一日の午後三時ごろだと記憶しておりますが、日野原君がG・H・Qにあいさつに行くからというので、日野原君と中村君と、私と四人だつたと記憶しておりますが、G・H・Qのザイビユーラーという人のところに参りました。そうして新任のあいさつをいたしたのであります。そのときに私は日野原君に通訳を連れて行かなくてもよいかという話をしましたら、いや通訳は要らないのだと言いましたから、ぼくは話せない、君は話せるのかと言つたら、自分は独法出身だがら英語は話せない、向うにおるからよいよということだつたのです。そうして今申し上げましたザイビユラーのところに行きましたら、野田さんという持株会社整理委員会の委員がおりまして私どもを紹介し通訳の労をとつてくれたのです。それでその日は帰つたのであります。越えて四月の三日にまた日野原君はG・H・Qにもう一人あいさつに行かなければならぬ人があるからというので、そのときには松本君と中村君と日野原君の話相手の藤本君と、それから鎌田君と私とで参りました。そのときにも野田さんが通訳をして、へンダーソンという人に会いました。ヘンダーソンに新任のあいさつを終りました直後、野田さんから日野原さんだけ残つて、あとは廊下で待つておるようにと言われましたので、日野原君だけ残して私どもは廊下で待つておつたのです。しばらくしますと中村君と松本君が呼び入れられました。これも一、二分を経ずして出てきたように記憶しておりますが、私が何の話だと松本君に聞きましたら、松本君が、中村君が第一工務部長で、自分が第二工務部長だ。そういう話をしましたからG・H・Qは部長のいすまでオーダーするのか。そんなばかなことがあるものかとそこでは言つて、それから目野原君も出てきて会社に行きました。会社に帰りましたら日野原が実は今ヘンダーソンから今までの経営者及び森色の者は部長、課長はもちろんのこと、課員であつても一掃しろというオーダーを受けた。実にこれで心痛しておるのだ。またゆつくり話すと言つて帰つたのであります。それから七日の日だつだと記憶しておりますが、日野原君が私に二、三分会いたいからというので、日野原君の部屋に参りましたら、あなたの行く会社は大体話がきまつておる。だからひとつよろしくやつてくれというような一話を受けました。——ちよつと今のは七日であつたか、メモを見てよろしゆうございますか。
○武藤委員長 よろしゆうございます。
○市村証人 ただいまのは四月五日です。
○武藤委員長 そのヘンダーソン氏にお会いになつたときに、どういう話があつたのですか。ユーラー氏は、日本の今の財界において最も重要な仕事であるから、ひとつしつかりやつてくれ、そういう激励の話でありました。
○武藤委員長 新任のあいさつをあなた方がしたのに対して、ザイビユーラー氏もヘンダーソン氏も同じような激励の言葉を與えたわけですね。
○市村証人 そうです。ただザイビユーラ氏のときにはどういう方針で会社を運営したらいいかということを日野原君が野田さんに伺つてくれとか言つておりました。それは別に大したことじやないのです。
○武藤委員長 人事の問題について、たとえば今お話のあつた森並びに鈴木系の者は、一切やめてもらいたいというような言葉がありましたか。
○市村証人 全然聞きませんでした。
○武藤委員長 ではそういう空氣は感知できませんでしたか。
○市村証人 空氣といえば、すでに三十一日に野田委員に私は初めて会つたのですから、私は市村ですと言つて名刺を出しました、いや、あなたの名前は前から知つておるからというので、私の名刺を受取ろうとしないで、横を向いてしまつたので、変な男だという印象を受けましたのと、四月の三日に私だけをオールドデイレクターとしてへンダーソン氏に紹介したので、変な男だという、何かこれは考えておるのではないかしらという印象は受けました。
○武藤委員長 いや、私が伺つておるのは、野田氏からあなたが受けた印象ではありません。ヘンダーソンまたはザイビユーラー両氏から何か人事について後にオーダーとして言い渡されたような印象を受けなかつたか、そういうことです。
○市村証人 全然受けませんでした。
○武藤委員長 それではあなた方が、森、鈴木系の者は一切やめてもらうのだというオーダーだと言われたことは、まことに意外であつたわけでありますか。
○市村証人 もちろんそうです。二十五日に新任重役として出した最首君、栗原君、鎌田君などから——鎌田君は森君云々ということを言われずに、スクリーンに通つた人です。それが仕事も何もしないで今まで通りやつていくという言葉の舌一のかわかないうちに、森色として辞職を強要されたのでありまするから、非常に不可解に思つております。
○武藤委員長 それならば、あなたにしろ鎌田さんにしろ、すでにヘンダーーソン並びにザイビユーラー両氏によつて激励の言葉を受けておるくらいでありますから、直接へンダーソン及びザイビユーラー両君に会つて、こういう意外の話があるが、自分らとしては承服ができないけれども、一体それは事実であるかということをなぜお尋ねにならなかつたか。
○市村証人 しかし前に申し上げましたように、昭和電工の中の不穩な——あるいは前申し落したかもしれませんが、二十六日、二十七日の会見のときに不穩な空氣でもあつた場合には、G・H・Qでは占領政策違反だと断定する、またあげて森の作意だとG・H・Qでは断定するという言葉を聞かされておつたのであります。そういう言葉を聞かされ、そういう空氣の中にほうり込まれておりましたので、ああいう人たちに会つても何にもなるまいという感じをもつたので、一切そういうことはいたしませんでした。
○武藤委員長 そうすると、もうその前々來の話でおそれをなしておつて、それに從うほかないのだというふうに観念をしたわけですか。
○市村証人 いや、それは普通のいわゆる観念と違つて、ともかく何か変なものがあるのじやないかという感じは多分にもつておつたのですけれども、そういう人の名前を出して、ヘンダーソン、ザイビユラー両氏のところに行つて、それが争いの対象になつた場合には、あまりおもわしくない事態が起りはしないかと思つたので、私はあえて遠慮しておつたのです。
○武藤委員長 実際はへンダーソン並びにザイビユーラ一の両君からそういうオーダーが出たものか、それともそういうオーダーが出たのだと称してあなた方に辞職を強要したものか、あるいはまたオーダーを出さしめるような話をもつて行つて、オーダーを出させたものか、その辺のことはわかりませんか。
○市村証人 その辺のことは推測になりますからわからないのでございますが、しかしふしぎなことは、私が四月十一日の日に辞任のあいさつを笹山さんのところにしに行つたのです、そうしましたら笹山さんは、多分産業経済新聞でないかと思いますが手に持ちながら、應接室に現われて、実は新聞でけさあなたが辞任されたのを見て驚いた。まさかあなたがよすとは思わなかつた、そういう話をしておりました。しかし今になつて考えると、野田委員が持株整理委員会の委員であつて、三日の日にヘンダーソン氏から私どもをスクープするような記事があつたとするならば、これは直接昭和電工にあるべきものでなく、持株整理委員会を通じてあるべきものであつて、それを笹山委員長が知らなかつたということは実にふしぎだつたのですが、そのときはそこまで笹山氏をつつ込んでは追撃はいたしませんでした。
○武藤委員長 笹山氏は知つていても、あなたに対する関係からぐあいが悪いので、そういうふうな外交辞令を使つたのでしようか。それとも全然知らなかつたものでしようか。
○市村証人 私は笹山さんとも相当前からの知合いですし、非常に紳士だと思つてつき合つておりましたから、その当時は笹山さんは知らなかつたのではなかろうかという氣がいたしておりました。
○武藤委員長 今でもそう思つていますか。
○市村証人 多少違います。
○武藤委員長 どういうふうに違いますか。
○市村証人 しかしその後昭和電工の組合の連中が笹山さんに会つて話をした言葉が、私どもに会つて話した言葉と多少齟齬を來しているように私は受取れる節があつたのです。
○武藤委員長 どういう点ですか。
○市村証人 それは知らなかつたと言つて、しまいには知つておつたということを組合の人たちに言つておるのです。ヘンダーソン氏がスクープしろと言つたことは間違いないということを組合の人たちに言つているのです。私にはそのときは知らなかつたと言つて……。
○武藤委員長 あなたのほかにそのときオーダーと称して解職された者はだれだれですか。
○市村証人 そのときは鎌田君、最首君、森岡君、植松君、亀割君、松本君、三宅君、秋本君、島谷君、渡辺君、井上君、山崎君、岸野君、田村君、藤田君、鈴木君、金子君、栗原君、長島君、小川君、齊藤君、しかしこのときに私が日野原から見せられたこういう人たちによしてもらうのだという表の中にはいつておつた人で、よしてない人もおります。
○武藤委員長 これはあとで住所氏名を文書で出してください。
○市村証人 承知しました。それからそのほかに渉外の係員で河野百合子という通訳がおつたのですが、これもこの人たちよりか前に、やはりG・H・Qの名において退職をさせられておつたという事実も附け加えておきます。
○武藤委員長 この人たちは人数が多いようですけれども、どういう地位におつた人たちですか。
○市村証人 大体課長以上の人です。中に課員の人ももちろんおりますが、大部分が課長です。
○武藤委員長 そこで伺いますが、今お述べになつた諸君は、いわゆる森並びに鈴木系と言われる人ですか。
○市村証人 森、鈴木の顏も見たことのないような課長、課員もあつたということを私は聞いております。
○武藤委員長 大体において、この会社は森、鈴木両氏でやつておられたようですから、いずれも今までのものは、森、鈴木系ということになるのではないですか。
○市村証人 ですから私が最初申しましたように、そういう目で見れば全部なります。
○武藤委員長 特にそれだけを選んだのはどういうわけですか。
○市村証人 どういうわけだか、それは向うに聽いてみないとわかりません。
○武藤委員長 それではまた少し前にもどりまして、三月二十八日の株主総会のときの様子を少しく述べてください。
○市村証人 株主総会を開催する前に、株主の間でこの眞相を糾明しなければいかぬという非常に強い空氣があつたように、株式の係の者から聞いておりました。しかしもうG・H・Qのオーダーということを聞かせられておつたために、そういう株主にも納得してもらつて総会は無事に済んだわけです。
○武藤委員長 まあみんな震へ上つておつたわけだね。
○市村証人 まあ極端に言えば……。
○武藤委員長 何か持株整理委員会から監視に來ておつたということはありませんか。
○市村証人 それは前にも申し上げたと思いますが、当時の永井管理部次長ともう人が來ておりました。なおこれは私の記憶は確かではないですが、当時総会を用意しておつたときに、G・H・Qからも来るかもしれないというので、用意しておつたけれども、電話で連絡があつたのかどうしたのか、G・H・Qからは來なかつたというようなことを聞いております。
○武藤委員長 G・H・Qから来るかもしれないというのは、だれがだれにそう言つたのですか。
○市村証人 G・H・Qから来るかもしれないということに対しては、笹山さんも二十七日にG・H・Qから來るのかという話が出たときに、行くこともあるかもしれないかということは言つておりました。
○武藤委員長 來るというのはへンーダソン氏、ザイビユーラー氏ですか。
○市村証人 そう人ですか、どういう人ですか——。
○武藤委員長 とにかく來るかもしれないという話が前もつてあつたわけですね。
○市村証人 そういうことを聞いております。
○武藤委員長 何かあなたが常務をしておられるころに、経理をしておられるころに、経理の不正があるというようなことで、G・H・Qから経理の監査を受けたことがありますか。
○市村証人 それは二月のいつごろだつたか、はつきり記憶しておりませんが、G・H・Qから連絡があつて川崎工場に來たいという申出があつたので、森社長が通訳を連れて川崎工場に行つて待ち受けておつたことがありますが、そのときにザイビユーラー氏が建設関係とか、いろいろな帳簿、傳票等を檢査をしたということを森社長から当時聞きましたが、しかしその中には何ら不正な事実は、針の先で突いたほどもなかつたということを断言いたします。
○武藤委員長 そのザイビユーラー氏が來て、経理監査をしたところで、ちよつと来て見たくらいで、会社の帳簿の監査などは簡単にできるものでないと思うのだが、何か専門家を連れて来てやつたのですか。相当長い時間をかけたわけですか。
○市村証人 いや、長い時間でない。非常に短い時間であつたと思うのですが、その点はつきり私は直接立会いませんでしたから知りませんが、ただザイビユーラー氏は帳簿の整理が非常に遅いということを指摘して、怒つておつたそうです。そのことについては森社長からも、会社の帳簿の整理が非常に遅いじやないかと言われましたが、それは当然のことであつて、八月幾日かに新旧勘定を分離された。そうしてまだその後も不動産の評價も何%がいいとか惡いとが、いろいろ細則が変つても行つたし、また特別管理人であるところの興業銀行、安田銀行でも、新旧勘定の分離ということは、債権者にとりては非常に重大な問題でしようから、なかなか簡單にきめてもらえなかつた。そのために遅れておつたのは、これは当然で、昭和電工ばかりでなく、どこの会社も二月のあの当時、新旧勘定が分離して、整然と元帳に記張されておつた会社は、私は全國の特経会社の中ではなかつたと思います。そのことにつきまして商工省から、これも二月のうちだつたと思いますが呼出しを受けました。そうして私が参りますと、十数社の方が見えておりました。そうしてあなたの会社はこういうふうな点が指摘されて、これが特経会社違反だとか何だとか、いろいろ注意されておりました。そのときに昭和電工には何ら帳簿上の間違いとか、不正な事実も何もないけれども、G・H・Qの風当りが非常に強いので困つているのだ。しかし私はさつき申し上げましたような理窟を言いました。それはよくわかつているけれども、どうも風当りが強くてしかたがないから、川崎工場の経理課長をしかるべき地位に変えておいてくれないか。そうすることによつてこれはゲーム・セツトにしてもらおう。そういう話があつたのです。その直後だと思います。私が興業銀行に参りましたら、栗栖君が、君のところへザイビユーラー氏が行つて檢査したというのに、自分の方で君のところへ顏を出しておかないと困るからというので、佐分利という理事を連れて、栗栖君と二人でぼくの車で昭知電工へ來て、お茶を飲んで帰つたことがあるのです。そのときに、檢査したけれども何もなかつたということになつておるから、お前の方も檢査したかと言われたら、檢査したが何もない。向うでも何もないと言うのだから、おれの方でも何もなかつたのだと言つておけばいいと言つておりましたが、そういうことで車で会社へ來たことも嵐りました。そんなようなことで経理上なら私は不正な事実がなかつたことを断言いたします。
○武藤委員長 そのときか、またはその後になつてか、ザイビユーラー氏またヘンダーソン氏から経理の上の方のものは、森、鈴木の色彩がないものを入れたらどうかというお話はありませんでしたか。
○市村証人 会社としてはそういうような話は聽いておりません。どういう材料でザイビユーラーはそういうことを言うのか知りませんけれども、森、鈴木という色彩をG・H・Qのザイビユーラーと氏が言つておるはずはないと思います。
○武藤委員長 これは意見になるかもしれませんが、日野原社長になつてから非常に経費が膨脹したようでありますけれども、どういう理由だか御意見があつたら承りましよう。
○市村証人 わかりません。私どもはあれだけの重大な仕事をやつておるのなら、大手を振つてどこからでも金は使えると思つておりますから、私どもの心理ではちよつと判断に苦しむ。現われた事実でありますから、何とも言えません。
○武藤委員長 それからもう一つ。森社長時代における昭電の復興計画と、日野社長時代になつてからのそれとは、大分変つたようですが……。
○市村証人 それは若干日野原君になつてから縮小はしたかと思いますが、増大された向きはありませんです。
○武藤委員長 森社長がやめるときの復金、興銀またはその他の市中銀行からの借入金はいくらあつたのですか。
○市村証人 それははつきり数字は覚えておりませんが……。
○武藤委員長 大体のととろを……。
○市村証人 G・H・Qからパンデイシヨンをもらつたのは七億九千九百二十万円だつたと思つております。
○武藤委員長 藤井孝という人ですか。日野原氏が連れてきた平重役というのは……。
○市村証人 いや藤本忍です。
○武藤委員長 藤本忍ですね。その後になつてから日本水素の取締役をしておつた藤井孝が総務部長に、鳥巣正之というのが日本水素の財務部長をしておつて、二十年十一月ごろまで興銀の審査部長だつたという話ですが、この人がはいつたわけですか。
○市村証人 私がよしてからはいりたわけです。
○武藤委員長 このはいられる事情は、どういうことではいつたか知りませんか。
○市村証人 存じません。
○武藤委員長 ほかにお尋ねのことがありますか。——足立梅市君。
○足立委員 たくさんお尋ねしたいのですが、占領政策違反と断定するというのは、いつどこでだれが言われましたか。
○市村証人 それは二十六日と七日両度にわたつて言つた言葉ですから、ここにおります証人も、鎌田君も多分聽いたことと思います。笹山君が言つた言葉です。
○足立委員 笹山君ですか。二宮善基君はそういうことは言いませんでしたか。
○市村証人 言いません。
○足立委員 その次にG・H・Qのスキヤツプ・オーダーという言葉ですが、これは笹山氏が言つたことに間違いありませんか。
○市村証人 日野原社長はG・H・Qから推薦を受けたということで……。
○足立委員 二宮氏もスキヤツプ・オーダという言葉を使いませんでしたか。笹山氏がスキヤツプオーダーという言葉を使つたのではないですか。
○市村証人 そうです。
○足立委員 野田氏はどうですか。
○市村証人 野田氏は私が先ほども委員長のお尋ねにお答えしましたように、通訳として三月三十一日、四月三日に会つただけで、そういふ言葉は全然野田氏からは聽いておりません。
○足立委員 これはあなたの書いたものでございますか。
○市村証人 これは当時私がメモをしておきました手記に間違いありません。
○足立委員 内容を全部お認めになりますね。
○市村証人 認めます。
○武藤委員長 足立君、それは何ですか。
○足立委員 これはあとで出すことにします。——そうするとこれは市村さんの手記ですね。
○市村証人 そうです。メモです。
○足立委員 二十二年三月二十五日から四月の三日に至る交渉の経過をあなたがメモなさつたものである……。
○市村証人 そうです。
○足立委員 從業員が不安を起すかもしれないとあなたは申しましたか。
○市村証人 言いました。
○足立委員 そういう不安が起つた場合にはG・H・Qが押えるということ、それはだれが言いましたか。
○市村証人 それは笹山君が言いました。
○足立委員 笹山君が……。それからもう一つは、あなた方一番最初の計画は、森氏が追放の要綱に該当しておる。それで会議制でやつていくという案を立てられましたね。その折に必ず森氏が追放になるものだというお考えでございましたか、それともまた森氏の今までの経過及び昭和電工を運営する上において、何らかの形において森氏の追放が解除されるべきものである。こういうお考えであつたか。
○市村証人 私はその考えでおりました。
○足立委員 森氏が追放を解除されるという……。
○市村証人 そうです。あるいは期間はつけられるかもしれないが、やつていけるものであると信じておりました。
○足立委員 それでこれは昭和電工の根本問題になるのでありますがあなたが会社へはいられまして、川崎工場はむちやくちやにこわされておつた。これに対して復興計画のあらましを説明願いたい。
○市村証人 復興計画については私あまり詳く知りませんので、ほかの証人にお尋ねいただいお方が、ピントはずれがなくていいのではないかと思つております。
○足立委員 しかしあなたの方は主として金をこしらえる人……。
○市村証人 そうです。
○足立委員 その折にどれだけの金があつたならば目的が達成せられるということを聞いておりましたか。
○市村証人 私はいろいろの計画を見まして、いくら高くても十五億もあれば、完全に今の計画は達成できたと信じております。
○足立委員 十五億あれば硫安を何トン出せるかという計画だつたですか。
○市村証人 それは川崎工場に二十五万トン……。
○足立委員 その金は川崎工場の硫安だけ、石灰窒素の方もはいつておりますか。
○市村証人 石灰窒素の方にもはいつております。電工工場にもはいつております。
○足立委員 そうすると硫安が二十五万トン、十五億あれば……。
○市村証人 そうです。
○足立委員 それから石灰窒素の方はどうなつておりますか。
○市村証人 十七、八万トンではないかと思うのでありますが……。
○足立委員 それだけの金をこしらえたらできる……。
○市村証人 鹿瀬、秩父、富山、旭川、塩尻……。
○足立委員 それだけの計画ができる……。
○市村証人 そうです。
○足立委員 それでは、あなたが昭和電工にあくまでも留まるという決意をなさつたのは、どういう意味でなさつたのですか。
○市村証人 私が留まるということですか。
○足立委員 これは前通りに運用をやつていくのだ、他の者がここにはいることを許さぬという考えをもたれていましたね。それはどういう点からそういう決意をなさつたのですか。
○市村証人 別に排他的でも何でもないのです。ただよそからもつてきて、歴史のわからない人たちが会社を運営したらどんなふうになるかということは、これは経済人の常識でありまして、それは私が末廣氏に会つたときにも言いましたように、興業銀行あたりまで方々に派出をさせておりますが、その会社がはたしてうまくいつておるかどうかということを檢討していただいたらこれはわかることでありまして、よそから知らない人がはいつてきて、会社の運営というものはなかなかうまくいくものではないのです。それで私はどこまでも自分たちだけであそこをやつていくべきだという考えをもつておつたから、会議制でやつていくという建前を特に立てたわけであります。
○足立委員 ひとつ言うてみますと、やはり在來やつておつた者が熱心にやつていかなければ復興ができない。こういうわけですか。
○市村証人 そうです。
○足立委員 最後にお尋ねいたしますのは、目野原氏が強圧的に昭和電工の社長になつたという根本原因はどこにあるとお考えでございますか。一例をあげてみますと、それははたしてスキヤツプあるいはE・S・Sの指示によつたものであるか、あるいはまた日野原氏の野望あるいはまた日本の経済的な根本的な原因からいたしまして、興業銀行あるいは持株委員会あるいは復金、興業銀行を初め日本の新しい金融関係に登場してきた人が、一連の結託をもつてこの会社を乘つ取るという野望をもつておつたのであるか。それをあなたはどういうふうに観測なさつておりますか。
○市村証人 今度のような事件を起した今日になつてみれば、今おつしやられたようなことが、私どもも妥当な観測ではないかという氣がいたしております。
○足立委員 それはどういうことですか。
○市村証人 新しい財閥をつくつて、そうして財界は申すに及ばず、政界までも支配しようという野望に燃えたつた詐欺漢のやつたことではないかと私は思つております。
○足立委員 それからあなたは日興証券という会社を御存じですか。
○市村証人 知つております。
○足立委員 それについてやはり栗栖さんとの関係があつたようでございますが、そのいきさつを知つておつたら、ひとつお述べくださいませんか。
○市村証人 私その問題は自分の専門外ですから……。
○足立委員 知つておる事実だけ言つてくだされば……。
○市村証人 詳しくは知りませんが、日興証券の遠山君をよさせて、だれか社長をもつてこようとした話は聞いております。
○足立委員 日興証券の遠山氏をよさせてだれかもつてくる、そういうことをだれがやつたのですか。
○市村証人 それはだれがやつたか、やつた張本人から聽いたわけでもありませんから、わかりません。
○足立委員 これで終ります。
○徳田委員 あなたの在任中には、使用電氣の割当はどういうふうになつておりましたか。
○市村証人 それはよく知りません。
○徳田委員 あなたは技術家ではないから御存じない。それではこれは技術家はどなたにお聽きすればわかるか。この復興計画並びに電氣の使用などについての……。
○市村証人 当時電氣部長をやつておりました現在川崎工場長の岡田君にお尋ねいただいたらわかると思います。
○徳田委員 それからこの日野原氏のもと勤めておりました社長であつた日本水素とあなたの方の昭和電工との間に関係があつたのですか。
○市村証人 関係はありません。それは向うの肥料会社で硫安を一トンもつくつたこともないというのですから。指導は受けにきたことはあるかもしれませんが、関係というほどの関係はありません。
○徳田委員 あなたの方の子会社として指導したということはありませんね。
○市村証人 そういうことは全然ありません。
○徳田委員 彼は肥料会社に対する、化学工業に対する長い経驗はありませんね。
○市村証人 私はないと思います。
○徳田委員 しかしこれは向う側の話によると、化学工業に特別の経驗があり、殊に肥料関係の工業に才能があるというのが日野原氏を推薦した理由になつておりますが、そういうことはありませんか。
○市村証人 ともかく私どもが昭和電工をよすまでの間はあすこの会社では硫安を一トンも生産いたしません。この事実だけでおわかりだろうと思います。
○徳田委員 これは何をやつておつたのですか。
○市村証人 メタノールであります。
○徳田委員 戰時中のですねもう一つ、あなたのやつておられたときに七億九千いくらという最初の許可でありますが、この許可は全部復金から借りておりますか。
○市村証人 そうです。
○徳田委員 この金のシンジケートを云々しておるという話でありましたが……。
○市村証人 シンジケートの金はその中から当然返されていくものだと考えておりました。
○徳田委員 シンジケートからどのくらいですか。
○市村証人 そういう計画はあつたけれども、シンジケートはつくつておりませんでした。かつて昭和電工をやつたときのシンジケートはありましたけれども、新しいスタートに対する資金のごときもののシンジケートはなかつた。
○徳田委員 復金から借入れる以前はどこから借りておりましたか。
○市村証人 日本肥料から借りておりました。
○徳田委員 いくら借りておりましたか。
○市村証人 日本肥料からつなぎ資金であつて、復金、興銀、安田銀行です。復金から出るという前提のもとに……。
○徳田委員 それはいくらくらい…。
○市村証人 はつきり記憶しておりません。
○徳田委員 それから日本肥料にはあなたの方は何か関係がありますか。これは重政君が社長だつたのですね。これに関係がありますか。
○市村証人 関係はありません。
○徳田委員 これは後でお尋ねします。日本肥料の関係ですけれども、海軍の燃料廠、これを肥料会社が引受けて、これを肥料の製造に轉換するというようなことに対しては昭和電工は何ら関係しておりませんか。
○市村証人 関係しておることはないと思います。全然ありません。
○石田(一)委員 ちよつとお尋ねいたします。今十五億くらいあれば現在くらいの復興ならば確実にできるとおつしやるのは、現在の貨幣價値の十五億円で現段階の復興は十分できるとお考えになるか、それとも二十年当時、計画を立てられたときの十五億ならばできるとお考えになるのですか。
○市村証人 私どもやつておりました当時はもう私どもの目から見れば七、八分できておつたのですから、もちろんその当時の貨幣價値を今の貨幣價値で逆算しておるわけじやないのです。
○石田(一)委員 そうするとあなたのしているときには七、八分できていたので、あとの分をやるためには、要するに十五億のあと二分あればいいわけですか。
○市村証人 そうです。そのときでも私どもは相当價格の変動というのは下でなく上の方に見て、そうして計算した金額が大体そんな金額です。
○石田(一)委員 もう一つ方面を変えてお尋ねしますが、まず最初に昭和電工というものを肥料の生産の面にもつていこうとなさつて、資金の面でいろいろ運動して、たとえば先ほどお話がありました興銀の理事の栗栖氏にお会いになつて、栗栖氏は何分援助する、そういうお話があつた。その後人事面以外で金融の面か何かで、栗栖氏にお会いになりましたか。
○市村証人 会つたことはありません、その後……。
○石田(一)委員 そのとき一度お願いにいらしつただけで、あとは……。
○市村証人 金融の面というか、いろいろ栗栖さんにも興銀のつなぎ資金ではたまには顔を出して、ただ雑談的には会いました。根本的な面を話しただけであつて、あとは会つておりません。
○石田(一)委員 それから人事面で持株整理委員会の人々とか、または興銀あたりの総裁とか副総裁というものにお会いになつたのだが、その他その当時の政界の有力なる人物というものがこの中に介在してお会いになつたことはありませんか。
○市村証人 私は全然そういう意味もありませんし、会つたこともありません。
○石田(一)委員 お会いになつた方にそういう方ははいつておりませんか。
○市村証人 はいつておりません。
○田中(健)委員 市村証人が昭和電工にはいられましたのは昭和二十一年の十月ですか。
○市村証人 重役として仕事をとつたのはたしか九月か十月か、当時のことは今はつきりしておりませんが……。
○田中(健)委員 その前には全然昭電にはいなかつたのですか。
○市村証人 昭電には六月か七月くらいから顔を出しております。
○田中(健)委員 先ほどのあなたの御証言によりますと、復興計画の全般的計画内容は知らないというお話でありましたが、これは川崎の工場に関する限りにおいては、今追放になつて、いないと思う渡瀬完三という川崎工場長の本社の常務取締役をやつておつた方と、それから現在の常務をやつておる中村健次郎という万が大体全般的に御計画を立てたものを皆さんの方で取上げて復興計画をおやりになつたのではないのですか。
○市村証人 それはちよつと森さんの方からお聴取りを願います。
○田中(健)委員 それでは森さんからあとでお伺いいたしたいと思います。それから皆さんの方で、昭和二十一年中にそういう計画を立てられて仕事をなさるについて、当時國会方面において川崎の昭和電工の計画というものが非常に関心を呼びましたので、昭和二十一年の十月ごろ、川崎の工場を議会の農村関係の議員團が御視察になつたことを御承知ですか。
○市村証人 そういうことは聽いておりました。
○田中(健)委員 あなたはそのときおいでにならなかつたのですか。
○市村証人 私は川崎工場には参りませんでした。
○田中(健)委員 それから当初、計画当時、京浜地方の電力事情が非常に逼迫していたので、元來あの工場は京浜地方の余剰電力を活用するとでも申しますか、利用するとでも申しますか、そういうことで余剰電力を利用して硫安を製造するという建前であつた。しかるに余剰電力が当時あまりなかつた、こういうふうに記憶いたしておりますが、市村さんが会社の重役になられた当時は電力事情はどういう状態だつたですか。
○市村証人 私はそういうことはあまり深くタツチしたことがありませんから、ほかの証人からお聽取り願いたいと思います。
○田中(健)委員 それではほかの証人からお伺いすることにいたします。それから昭和二十一年九月二十三日の大藏省の理財局長からの、昭和電工株式会社取締役社長森曉殿、この通牒によりますと、産業設備営團が昭和電工の復旧工事をやる。こういうことの條件としてG・H・Qが承諾を與えるという文書が、その文書の写しを添えてあなたの方に通知が参つていると思いますが、それを御存知ですか。
○市村証人 それは知つております。
○田中(健)委員 そのG・H・Qの出た指令、高級士官のジョービークーリ大佐から通知があつたと思いますが、それは知つておりますか。
○市村証人 知つております。
○田中(健)委員 その後において、翌年の六月か七月に産業設備営團でやらせることにしておつたそれを日野原氏が社長になつて、昭和電工が直接に復旧工事をやる。こういうことで変更になつていることを御承知ですか。
○市村証人 それは知りません。
○田中(健)委員 それは六月でございます。それから先ほど武藤委員長からのお尋ねの点ではつきりしない点は、森社長時代の復興計画及び運営の方針が、森社長時代と日野原社長時代になつてから変つていないかという点です。その点は私も正確にお伺いいたしたいのですが、つまりあなたが昭和電工の常務に就任されたときの計画は、通常世間で七億八千万円と言つておりますが、その計画によつて大体その七、八割まではできる段階にあつたと思う。こういう市村氏の御証言ですが、実際は七億八千万円が十四億になり、十六億になり、十九億になつて、そうして復興するということになつた。これは本年九月三十日現在において年次九億くらいになつているのじやないか。そうすると七億八千万円というものが、年次九億、その後において新計画がはいつているかもしれませんが、いずれにしても計画が非常に厖大なつていることを証人はどうお考えになりますか。
○市村証人 私は、私どものときの計画より若干減つているように聽いておりますから、計画は厖大とは思つておませんけれども、資金は厖大だと思つております。
○田中(健)委員 それで七億八千万円で復興するということが、会社の皆さんがまだおつたときの計画で、それは日野原氏が社長になつでからの人々のいろんな話を聽いてみると、森氏、市村氏がおつたときの計画そのものが資金面からいつて、つまり七億八千万円でそれだけの設備ができなかつたのだ、それをやつておるのだ、われわれかやつておるのがほんとうの金かさなんだということを耳にいたしますので、そういたしますと森氏、市村氏、のあるいは鎌田さんのおつたときの計画そのものが杜撰な計画であつて、もつと金のかかることを金のかからないように計画書をつくつたのだ。こういうことになると、日野原氏は七億八千万円を急激に二十九億にして、またさらに現在膨脹しておるということが合理化されることになります。それでこの際市村氏が常務をやつておつたいわゆる森時代の計画は杜撰であつたかどうかということを糾明することが非常に必要ではないかと思いますので、あえてあなたに対してお伺いいたします。
○市村証人 先ほどの委員の方からも御質問がありましたように、私ども相当値上りをみて大体十五億もあつたら復旧工事はできるというこまかい計算を立ててやつておつたのであります。しかしなおかつこれだけの大きな金を使うのには相当しつかり使わなければならない。そこで大部分が納得するような方法でやらなければならぬという考えをもちまして、迷惑を願つて日銀がイニシアチーブをとつて、大藏省、商工省、当時はまだ興銀ですからその興銀、それから業者、昭和電工、こういうものが会議を開きまして、物價がこれだけ上つたからこういうふうにやつてもらわなければ困る。またこれだけやるのは高いからこれだけにしようとかいうような会議を開いて運営していくことにして、その大体のめやすが十五億であつたのですから、決して杜撰であるとかいうような言葉をもつて評されることは実に心外に堪えないのです。
○田中(健)委員 もう一点お伺いしたい。これもはつきりしておいた方がよいのではないかと思いますが、当時戰爭中から存続しておつて、現在まだ解散にならないでおるかもしれませんが、肥料審議会というものがあつたことを市村さんは御承知であつたかどうかという点と、それから肥料審議会のメンバーの諸君が昭和電工の川崎工場で厖大な設備資金を注ぎこんで復旧するということに対しては反対的な空気があつたということを耳にしておりますが、そういうことがあつたかどうか。
○市村証人 私はあまりそういうことにタッチしておりませんでしたから、詳しく存じておりません。
○鍛冶委員 先ほどのわからなかつた点を一つ二つ聴きたいと思います。復興金融金庫ができたことによつて、そこから資金を借りて設備するという話でしたが、それはどういう形で借りてどういうことをやるのか、もう一遍伺いたい。
○市村証人 復興金融金庫から金を借りまして、私どもが設備をして、それを今度は産業復興公團がタイトルを、所有権をもつて、それを昭和電工が借りて運営していくという建前であります。
○鍛冶委員 そうすると産業設備営團が借りるので、あなた方の方は借主でないということになりますね。
○市村証人 それは産業設備公園が化学工業のああいう工場をつくるとかいうことは、どつちみち戰爭中の会社がみなやつていたのです。表向は産業設備営團がやるようなかつこうになつておりますが、内容は会社がやつて、最終のタイトルだけを産業設備営團がもつておつたのです
○鍛冶委員 いや設備営團がつくつて、設備営團から賃借するというわけでしよう。それがわからぬから聽くのです。それだつたら賃借するものが金を借りるのではないですから。
○市村証人 いやこつちが借りて、でき上つてから向うに移すのです。建設の代行という意味です。ともかく私どもが金を借りてつくつて、できあがつたものを公團に渡すわけです。そして借りるわけです。
○鍛冶委員 そうすると公團が賣るのですか。
○市村証人 賣るのではありません。そのままです。全部計算をして……。
○鍛冶委員 そうすると、そのときは金の借主が向うに変れば、所有権も移つていくが……。
○市村証人 そうです。所有権が向うに移るのです。從つて借主も向うに変るわけです。
○鍛冶委員 そうすると向うが借主になるわけですか。
○市村証人 そうです。そういうことになつた場合はですね。
○鍛冶委員 ところが事実はそうでなかつたのですね。
○市村証人 私どもがおるときには、建設が全部終つておりませんから、向うに渡つつておりません。
○鍛冶委員 その後はどうなりましたか。
○市村証人 その後は今委員の方から御質問があつて、私知らなかつたのですが、新しい日野原君の経営になつてから、産業復興公團にもつていかなくもよいようになつたのです。
○鍛冶委員 そうすると昭和電工が借りたそのままで、所有権も自分でもつておるようになつたのですね
○市村証人 そうです。
○鍛冶委員 あなた方の時代はそうでなかつた……。
○市村証人 そうです。
○鍛冶委員 次に、三月二十八日の総会で重役をかえて会議制にすることにしたと言われたですね。それは森社長がやめることが前提ですか、あるいは残つておつて……。
○市村証人 三月二十八日の総会のときは、森社長は出ておりませんし、まだ猶予期間があるにもかかわらず、会社からははいられないような状態におかれておつた時代なんです。
○鍛冶委員 それはB級に指定されたからですか。
○市村証人 ええ。A項へ指定されたからです。
○鍛冶委員 指定はまだ……。
○市村証人 四月の官報が二十幾日ですか、五月幾日になつて初めて効力を発するわけですけれども、こういう範囲のものをわくに入れるということは発布になつたから……。
○鍛冶委員 そこで、あなた方の計画のとき、すでに会議制でやることの計画であつたのですか
○市村証人 そうです。
○鍛冶委員 そのときは森社長がやめて、あとの重役で会議制でやるのだつたか、それとも森社長がおられて……。
○市村証人 いや、その場合にはそういうはあり得ないのです。
○鍛冶委員 森社長がやめて、ほかの人を加えて会議制でやるという計画だつたのですね。
○市村証人 そうです。
○鍛冶委員 そのやめるのはA項に指
○市村証人 どういうふうにするかとうことを聽かれれば、こういうふうするということを返答しておつたのす。
○鍛冶委員 それでやめることになつのですか。
○市村証人 二十八日によしておつたけです——よすことになつて、現実よしておつたわけです。
○鍛冶委員 それから先ほど、もし言ことを聞かなかつたら二十四時間以内に財閥に指定される。なお聞かなければ占領政策に反するものとされる。そういうことを聞いたと言われたが、それはだれがどこから聞いてきて、あなた方が聞いたか、その点をはつきり……。
○市村証人 占領政策違反だということは笹山君から聽いたということははつきり申し上げました。
○鍛冶委員 だれが聽いたのですか。
○市村証人 私です。
○鍛冶委員 それから、二十四時間以内に財閥に指定するということは。
○市村証人 そのときは、あちらこちらでそういううわさが飛んでおつたです。
○鍛冶委員 單にうわさですか。
○市村証人 そうして私の友人が私にそういうことを知らしてくれたわけです。
○鍛冶委員 その友人というのはだれですか。
○市村証人 それは、記憶が間違つておらなければ、成田君と石川君の二人だと思います。
○鍛冶委員 それはあなたの社の方ですか。
○市村証人 社の人ではありません。よその人です
○鍛冶委員 何をしておられる方ですか。
○市村証人 それは今若狭興業の社長をしています。
○鍛冶委員 その人は、それをどこか聞いてきたものなのですか。
○市村証人 それは知りません。
○鍛冶委員 もつと私の聞きたいのは確実性のあることなのです。
○市村証人 私の知つている範囲のことで申し上げますが、成田君上石川君から聞いたのです。
○鍛冶委員 石川という人は何をしておる人ですか。
○市村証人 会社の重役をしておる人です。
○鍛冶委員 もう一遍名前を……。
○市村証人 成田儀六、石川悌次郎。
○武藤委員長 ほかにございませんか。それでは一應済みました。そこでお待ち下さい。 —————————————
○武藤委員長 今度は鎌田久眞男さんからお話を伺います。あなたが昭電に人社するまでの簡單な経歴を話してください。
○鎌田証人 私は明治三十四年月に生れまして、大正十四年に明治大学を出また。引続き一年志願兵として一箇年、十五年の三月除隊とまして、たしか十五年の暮だと思いまとたが櫻組工業株式会社という会社にはいりました。昭和五年七月に当時の昭和肥料株式会社に入社、引続き退任までそこに勤務しておりました。
○武藤委員長 昭和肥料というものが、他の会社と併て昭和電工になつたのですか。
○鎌田証人 そうです。
○武藤委員長 それはどういういきさつですか
○鎌田証人 昭和十四年と記憶しておりますが、昭和肥料株式会社と日本電気工業株式会社という会社が合併いたしまして、ただいまの昭和電工株式会社になつた次第であります。
○武藤委員長 合併後におきましても、引き続いてその会社にお勤めになつておつたということでございますね。
○鎌田証人 そうでございます。
○武藤委員長 それではあなたは昭和電工の事業についてはよく知つておられると思いますから、昭和二十年から二十一年、つまり終戰当時及びその後における昭和電工の事業のスケールといいますか、そういうものをやや詳細に説明してください。
○鎌田証人 これは事務屋の常識でありますから、正確な数字その他につきましては多少違つた点もあると思いますので、あらかじめお許しを願つておきます。電工の仕事から申し上げます。昭和電工は川崎工場におきましては硫安をつくつております。各工場のおもなものを申し上げますと横浜の工場におきましてはアルミニウムの原料となりますアルミナを製造しております。このアルミナを長野縣の大町と福島縣の喜多方へ持つてまいりまして電解してアルミニウムをつくつでおります。ぞれから福島縣の廣田工場におきましては塩素酸カリ、つまりマツチの原料でございますが、これを主としてつくつておりまして、塩の電解、苛性ソーダ、塩酸、さらし粉そのほかの工業薬品あるいは石灰ソーダ等の工業藥一品をつくつております。富山縣の富山工場におきましては戦前は北支の礬土頁岩を持つてきましてこれからアルミナを抽出し、そのアルミナをやはり大町、喜多方へ送りましてアルミニウムをつくつております。長野縣の塩尻工場におきましては戰前は切削材を主としてつくつておりまして工具その他の切削材として役立つておりました。埼玉縣の秩父工場におきましてはフエロクロームを主としてつくつております。同じような工場を北海道の旭川に持ちまして、これはわずか二三十トンつくつただけで終戰になつたような次第であります。そのほか長野縣の松本工場におきましては純粋の電解鉄をつくつておりまとた。また小海工場におきましては電氣銑鉄を主としてつくつております。埼玉縣の川口工場におきましては各工場で使います鋳物を主として吹いておりまして、別に市販の方はそうたくさんはやつておりません。千葉縣の興津、舘山工場におきましては海藻から塩化カリを抽出いたしまして、それと同時に沃度を抽出いたしましてこの塩化カリと沃度とはともに千葉縣の興津にあります工場に送りまして塩化カリは硝酸カリの原料といたしますし、沃度は精製沃度といたしまして医薬品関係に供給しておりました。北海道の豊里鉱業所は、名前のごとく石炭を年約三十四、五万トン掘つておりまして、それは主として戰爭中輪西の日鉄のコークス原料として大部分を供給しておりました。そのようなわけで各工場それぞれやつておりました。戰爭で被害を受けましたのは、川崎工場がおもでありまして、一部興津の方も多少の被害はありましたが、大都分の被害は川崎の硫安をつくつておつた工場であります。これは六月でしたか七月でしたかの爆撃で硫安をつくる心臓部の合成装置だけを除きまして、あとはほとんどめちやくちやに爆碎されてしまつたのであります。終戰になりまして、十月の初めと記憶しておりますが、当時の森社長から、とにかく早く復興しなくちやいかんじやないかということがありまして、本社も川崎工場も一丸となつて復旧の計画を立て、十一月の終りにはあらましのアウト・ラインだけがきまつて、大体硫安を三十万トン計画で行こう。それに從いましてデイテールをそれぞれ工場の専門家が設計いたしまして、結局第一次融資に現われました七億九千九百万円の内容となつたようなわけであります。それに引続きましてフエロア口イの工場の電氣炉はほとんどカーバイトに大した手を入れないで使えるものでありますから、フエロアロイの工場を全部石灰窒素に切りかえる。富山の礬土頁岩を溶かしておつた工場も同様石灰窒素に切りかえる。戰時中ほとんど修繕もできないくらいいたんでおりました鹿瀬の石灰窒素の工場も修繕して使う。それによりまして大体石灰窒素約十九万トンと記憶しておりますが、その間若干数字の食い違いがあるかもしれません。硫安が約三十万トンという計画のもとに先ほどの約八億円の内容ができた。ちよつと話が飛びますが、われわれが退陣する前にそれが約十五億になつておつた。と言いますことはその間に設計いたしましたものでも、だんだんつくつているうちに工賃その他の値上りが非常に大きくなつた。それでやむを得ずさつき市村さんの申されたように各官職の方々の立会薬毒われわれとが懇談いたしまして、適当な價格として値上分が算出されたので、約十五億の数字と相なつたような次第であります。大体終戰後から金を借りる当時まではそういうような方法でやつておりました。またちよつと申し上げておきます。川崎の余剰電力ということがさつき出てまいりましたが、御承知の通り終戰後は一体電氣をどうして使つたらいいか、各家庭でも電熱をうんと使つてくれというふうに、商工省を初め省電氣会社は全部電力消費について非常に考慮ざれた結果大きな宣傳をされたことは、皆さんも十分御承知のことと存じ上げております。ですから川崎の工場で八万キロや十万キロワットの余剰電力を使うということは、当然すぎるほど当然の当時の常識であつたように考えております
○武藤委員長 そうしますと、先ほどお述べになりました全國各地にある工場設備並びに事業は昭和電工の直営のものですか、それともいわゆる子会社ですか。
○鎌田証人 全部直営です。
○武藤委員長 子会社というものはないのですか。
○鎌田証人 子会社はございました。
○武藤委員長 どういう関係でどういう会社がありましたか。
○鎌田証人 ただいま私の参つております昭和合成化学工業株式会社というのは、昭和電工の鹿瀬工場の隣にあります会社で、カーバイトを原料に有機合成品を製造しておる会社であります。これは昭和電工が約三分の一資本参加して、また原料のカーバイトは全部この会社で使つてもらつております。あと昭和炭酸株式会社というドラィアィスをつくつておる会社がございます。赤沢炭鉱株式会社と申しまして亜炭を掘つている会社もございました。日本コークス株式会社と申しまして、横浜でピツチコークスをつくつておる会社もございました。昭和黒鉛株式会社と申しまして、富山縣で電極の原料の黒鉛を掘つている会社もございました。あとまだ小さいのがあると思いましたがはつきりいたしません。(「まだある」と呼ぶ者あり)
○武藤委員長 それではこれをごらんになつて、日野原さん以前のものに赤丸をつけてください。 次にあなたは大分長い間昭和肥料以來、昭和電工にお勤めのようでありますけれども、どういう地位を歴任されましたか。
○鎌田証人 私は営業畑が比較的長くありまして、課長といたしましては鹿瀬工場の事務課長、本社の営業の原料課長、営業次長、それから営業部長をやりました。
○武藤委員長 おやめになるときは。
○鎌田証人 営業部長でありましたが、まあ、三日天下のような話でありますから最後の二十八日から四月三日まではちよつとはつきりしないような立場になつておりました。それまでは営業部長をやつておりました
○武藤委員長 森曉氏とはどういう関係でありますか。
○鎌田証人 昭和肥料の創始者が森曉氏の、お父さんでありまして、そこへ私がはいつたのでありますから、二代にわたる社長に仕えたわけであります。
○武藤委員長 まあ、孔飼いというようなわけですか。
○鎌田証人 はあ。
○武藤委員長 先ほど市村君にも尋ねたのでありますけれども、終戰直後における昭電の復興計画並びに資金の調達等大体を述べてください。
○鎌田証人 復興計画はただいま各工場の條項を述べまして、最後に申し上げましたような、硫安と石炭窒素、これの三十万トン及び約十九万トン、これを三十万トン計画と言いますが計画は確かに三十万トンですが、電無事情から申し上げて、実際には電氣の渇水を見込んでただいま二十五万トンと称せられておりますが、われわれのときには三十万トン計画と言つておつたものであります。これと終戰後、軍の放出いたしました飛行機の廃器体によりまして、あの中からアルミナを抽出して——どうしてもアルミニウムはやらなければいかぬということで横浜で非常な無理をしまして、アルミナをつくり、喜多方工場へ持つていつて、電解しておりましたので、諸般の情勢がよくなつて、かりに礬頁なり、ボーキサイトなりがはいることになつたら、まず電工が第にアルミニウムの復興をしようということで、われわれ当時は手ぐすねひいて待つておつたような状態でありましたが、当時はまだボーキサイトは入荷の見込みもありませんで、具体的にいくらという数字をもつて復興計画を立てることはできなかつたような次第であります。ほかの鉛箔とか硝酸カリとかいうようなものは、それぞれ國内の資源を非常に方々を漁り、轉用いたしまして、各工場も——もちろん当時の事情でありますから、フルに操業するというわけにまいりませんが、なるべくたてさんの製品を出したいという考えで、一方金のかかる復興計画と、一方資材の轉用のできる補修程度の計画と相まつて、昭和電工というものを生かしていくつもりでわれわれは努力しておりました。
○武藤委員長 資金の方の計画は。
○鎌田証人 それに伴いまして資金計画があるのでありますが、営業の方はとにかく現在つくつておる物を最も安くつくつてもらつて、最も合法的に高く賣りまして、ランニングを稼がなければいかぬ立場にありますから、建設の資金の計画には何らタツチをしておりませんでした。資金計画は主として工務でプランができて、経理でそれを資金化するということが当時の状態でありました。
○武藤委員長 森社長が退社をされるいきさつについては、大体先ほど市村さんがお述べになつたような事情でありますか。
○鎌田証人 まつたくその通りであります。私笹山さんに会いましたのは、市村さんと一緒に伺つた二十七日が初めてでありますので、二十六日の六時ころと思いますが、市村さんが帰つて來られて、男泣きに重役室で泣かれたことをはつきり覚えております。そのほかはほとんど市村さんと行動をともにし、またやられ方がともにせざるを得ないようなやられ方であつたのですから、一身同体になつてやつてまいりました。
○武藤委員長 そうしますると、市村さんが先ほど述べたようなことで、あなたの記憶と違つておるところ、あるいはなおつけ加えたいこがありましたら述べてください。
○鎌田証人 別に新しいことはありませんが、当時の状態といたしましてスキャツプのオーダーとはつきり言われることは、おそらくだれもそうであろうと存じますが、いわゆる昔の軍閥が袞龍の袖に隠れるということとまつたく同じ、むしろそれ以上にわれわれは感じましたので、万事それに從つたようなわけであります。
○武藤委員長 まあスキャツプのオーダーということになれば、不可抗力みたいなものだと考えたわけですか。
○鎌田証人 はい。
○武藤委員長 ほかに何かお尋ねになることがありますか。
○徳田委員 日本肥料関係はわからんですか。
○鎌田証人 あらましわかりますが、日本肥料という会社は、硫安、石灰窒素を過燐酸の業者で株を按分して持つておつた会社なんで、特に昭和電工に関係が深いとか何とかいうことはなく、業者が出し合つて、あれはむしろ日本肥料業法とか何とかいう法律のもとに建てられたのです。
○徳田委員 一種の統制会社ですね。
○鎌田証人 統制会社です。買取販賣の会社であります。
○徳田委員 そういう意味では関係があるわけですね。
○鎌田証人 そうです。日本肥料を通じなければ一切の化学肥料は扱えないわけであります。
○徳田委員 この日本肥料が終戰後肥料工業に対して非常に大きな力を揮つておつたのではないですか。すべてこの日本肥料の許可みたいなものを受けなければ、肥料会社は活動することができないようになつていたのではないですか。
○鎌田証人 つまり買取販賣会社でありますから、われわれは日本肥料に対して全部肥料を送る、日本肥料から代金を頂戴する。日本肥料はそれを一般農民の方に差上げで、農民の方から日本肥料が今度とる、こういう組織になつておりますから、あそこで金が根つ首にされれば金詰りというものは月に見えてくるわけであります。
○徳田委員 そういう点から各肥料会社は、日本肥料に根つ首を抑えられていたような関係があつたのですか。
○鎌田証人 そういうことも言えます。
○徳田委員 しかし問題は、ここであなた方の会社を復興するにあたつて、この日本肥料がどういう役割を演じたかという点が非常に重大だ、この点をひとつお聽きしたい。
○鎌田証人 私の知つております範囲だけを、あるいは一部かもわかりませんが申しますと、昭和電工が三十万トン計画を総司令部の方から許可を得たというときに、——これは先にちよつと申し上げておきますけれども、ただいまは日本肥料はその機能をまつたく失いまして、一生産会社になつております。
○徳田委員 そうです。それはわかつております。統制会社ですから……。
○鎌田証人 日本肥料も閉鎖機関になるについては生産部面に進まなければならぬ。それで四日市の海軍の燃料廠、それから徳山のこれも海軍の燃料廠、そういう方面を拂下げを受けまして、あそこの油をつくるのに使う水鶏整流器なんかもボーキサイト、アンモニアの方に轉用するということを計画されたようでありまして、現に四日市は公称五万トンの硫安工場にただいまなつております。これは電工のわくが三十万トンあつたから、その中から食つてやるという意味かどうか存じませんが、当時硫安組合というものがまだ存在しておりまして、原料資材その他の面でいろいろな数字を出して、商工省と折衝しておりました関係上、一應この復興計画も各社のものが硫安組合に集まる。電工のはまつ先にいつておる。現電工の大中氏が当時の組合の常務理事であつて、ここで数字を集めて、電工は多いから四日市の方へやれということが非常にろこつにそこへ現われてまいりまして、今残つております常務の中村健次郎氏のごときは非常に憤慨しまして、けしからぬ、自分たちでやりたければ別にわくをとつてやればいいではないかというので、相当激論したこともあつたような次第であります。その辺まで聞いておりました。
○徳田委員 この日本肥料を主宰しておられたのが重政氏ですね。
○鎌田証人 そうです。
○徳田委員 そうすると、あなた方がこの三十万トンを計画したときに、重政氏との間にこの計画については何か関係があつたのですか。
○鎌田証人 昭和電工としては何も重政氏とは関係はありません。
○徳田委員 このあなた方の計画は、日本肥料がこれを承認したわけですが。
○鎌田証人 それは日本肥料に関係なく、総司令部の方と話合つた上で、川崎の復興計画は立てたように聞いております。
○徳田委員 直接に……。
○鎌田証人 はい。
○徳田委員 そのために日本肥料の重政氏は相当むくれたのではないですか。
○鎌田証人 それは御想像にお任せします。
○徳田委員 そこの間に何か葛藤が行われて相当なトラブルがあつたのではないですか。
○鎌田証人 別にこちらからやつたトラブルらしいものは何もないのですが、ただなかなか金を拂つてくれなかつたり、一時資金の融通をするという硫安組合全体の建前のときにも、なかなか貸してくれなかつたりしたというような事実はあつたように聞いております。
○徳田委員 そうすると、あなたの方ではこの海軍工廠——さつき二つあげられましたが、そのほかにもだいぶんあつたようですが、この海軍工廠の肥料工場への轉換問題については直接の関係はありませんか。
○鎌田証人 ありません。
○徳田委員 戰爭前の電氣の方のことは、あなたにはおわかりにならないですね。
○鎌田証人 それは全使用量は非常に多岐にわたりますし、先ほど申し上げました今の川崎の工場長に岡田泰三という者がおりますこれに聽いていただくと、当時の電力事情ははつきりわかります。
○足立委員 約八億円に近いところの復興計画の資金ですね、それはどの工場に一番多くつぎ込みましたか。
○鎌田証人 川崎工場です。
○足立委員 それはどのくらいつぎ込みましたか。
○鎌田証人 六〇%くらいだつたと思つておりますが……。
○足立委員 川崎工場へ六〇%ですね。大体で結構ですから……。
○鎌田証人 大体そのくらいに記憶しております。あと五工場ございます。
○足立委員 それは石灰窒素ですか。
○鎌田証人 はい。
○足立委員 そうすると石炭窒素の五工場が四〇%。
○鎌田証人 大体そのくらいではないかと思つております。
○足立委員 そうすると、最初の計画は石灰窒素が約十九万トンと硫安が二十五万トンできる、こういうことになりますね。
○鎌田証人 はい。
○足立委員 それから日野原氏が社長になられて、あなた方がやめられるときに、川崎の硫安工場が二十五万トン生産すると仮定して、復興工事は何%くらい進んでおりましたか。
○鎌田証人 発注はほとんど八〇%くらい発注しておつたと思います。
○足立委員 現場の工事は……。
○鎌田証人 六〇%くらいだつたと思います。あるいはもう少しいつておつたかもしれません。
○足立委員 二十五万トン硫安を出す工事を完成させるのに、発注と現場の方との関係を考えまして、総合してそれが何パーセント工事が進んでおりましたか。
○鎌田証人 二十五万トンと申しましても、これは十五トンと十五万トンにわけて考えるべきものでありまして、十五万トンの電解工場というものは、それまでにほとんど完成しでおつたわけです。
○足立委員 十五万トンの方はほとんど完成しでおつたのですか。
○鎌田証人 これは復旧工事であります。あとの十五万トンの分がおそらく三、四十パーセントは工事が進んでおつたものと考えられます。なぜわけるかと申しますと、工場が川のこちら側と向う側と二つにはつきりわかれております。そのために今のようなことを申し上げたわけであります。
○足立委員 そうすると二十五万トン、総体といたしましては、これは六〇%以上七〇%限度は、工事ができておつた、こういうふうに解釈してよろしゆうございますか。
○鎌田証人 よろしゆうございます。
○足立委員 石灰窒素の方はどうですか。
○鎌田証人 石灰窒素もほとんどそのくらいはいつておりました。と申しますことは昨年いつぱいに全部仕上げる。二十三年の豊水期、と申しますのは三月の半ばからでありますが、これの電氣は全部キヤツチするつもりでやつた計画であります。ですから二十二年の三、四月ごろには相当もうできておらなければ、暮れに完成ということはちよつとおぼつかないのであります。
○足立委員 するとそれも七〇%以上は完成しておつたというように解釈してよろしゆうございますか。
○鎌田証人 よろしゆうございます。
○足立委員 そうするとあと十五万トンが必要だというのは硫安に対してはあとに約三〇%、石灰窒素に対しては同じく三〇%、これだけのものを完成するのにインフレの高進と見合わせて、七、八万の資金が要るということを言われたのですか。
○鎌田証人 ただいまの完成というのは、現場へ物を運んで据えつけたということが主でありまして、まだ日立なり三菱電気なりへ発注してあつて、その工場でつくりつつあるものは、三箇月にあげず、どんどん値上りしてまいりましたので、そういう計算が出てまいつたのであります。
○足立委員 この資金計画のうちでは、アルミニウムの方へ使う金は、その計画にはいつていなかつたわけですね。
○鎌田証人 ボーキサイトがまだはいりませんから、当時は資金的にはまだ計画にはいつておりませんでした。それに戰災を受けておりました。川崎だけです。
○足立委員 あなたの方のたくさんある工場で、川崎だけが戰災を受けたのでしたか。
○鎌田証人 そうです。
○足立委員 戰災の程度はどんなものでしたか。
○鎌田証人 当時の記録があるようでございますが、爆弾と焼夷彈で約六百発ぐらい——私召集されておつて不在だつたものですから、はつきりしませんけれども、何でも六百発の爆彈と無数の焼夷彈が落ちたということであります。
○足立委員 そうすると他の工場は戰災を受けなかつたのですか。
○鎌田証人 受けません。
○足立委員 石灰窒素に要る費用は戰災復旧ではなしに、轉換をするための費用でございますね。
○鎌田証人 そうです。それから比較的金のかかりそうだつたのは、鹿瀬の復旧工事であつたのでありますが、これはもう臓時中石灰窒素の資材としては、ほとんどもらえませんで、非常にいたんでおつたので、これは轉換でなく、やはり復旧工事として轉換も必要としたのであります。
○足立委員 これはもともと石灰窒素をつくつておつて、それの復旧工事ですね。
○鎌田証人 そうです。
○足立委員 あなたが笹山さんに会われたのは、何回でございますか。
○鎌田証人 私は二十七日の午前と午後の二回です。
○足立委員 その折にスキャツプのオーダーであるということは、笹山さんが午前言われたのですか、午後言われたのですか。
○鎌田証人 両方言いました。というのは午前中は日野原氏がおりませんで、われわれ五人で行つて会つたときであります。約二時間半にわたつて、るる先ほど市村さんの反撥されたようなことを、向うで説明したのであります。
○足立委員 それからこのことをお聞きになりませんでしたか。もしも持株委員会の申出をきかない場合においては、二十四時間のうちに森家を財閥に指定するということでありますが、あなたはそういうことを聞きましたか。
○鎌田証人 それは私ははつきり記憶がありませんが二十八日の総会を無事に終了さしてくれ。これは手続上の問題であるが、森と鈴木の持株を指定すれば、この持つておる電工の株が、全部持株委員会へ來るのだ。そうすれば株主の権利を行使することによつても、われわれの意図するところはできる。しかしこれは少し時間がかかるので、二十八日までには間に合わない。しかしいずれ結果は五十歩百歩だから、おとなしく日野原を受入れてくれろ、こういうことであります。これは私は聞きました。(「いまのところをもう一度言つてください」と呼ぶ者あり)森と鈴木の持つている株を、合法的に持株会社として指定すれば、いや應なく持株委員会の方へその株は全部來る。それによつて持株会勉が今までもつている復金とか、方々の株と合わせて、何十万株になるか、何百万株になるかしりませんがそれによつて株主権を行使してもこの人事はできるのだ、けれども五十歩百歩で、片方は少し日がかかるし、結果は同じだから、日野原をのんでくれ、こういう意味です。
○足立委員 その次には三日にヘンダーソンに市村さんその他と一緒にお会いになりましたね。
○鎌田証人 会いました。
○足立委員 その折には首切りか名簿、それはだれか持つてきたのですか。
○鎌田証人 その折には名簿は持つてきませんでした。首切りは三日はわれわれは予期しておりませんから、全然われわれは存じません。
○足立委員 そうするとあなたは二十人目に重役になることに株主総会で決議されたのですか。
○鎌田証人 決議されました。
○足立委員 やめられたのは三日の日に言い渡されたのじやないですか。
○鎌田証人 二日にさつきの市村さんと同様な話がありまして、辞表を迫られたのは七日であります。
○足立委員 七日に辞表を迫られたのですか。だれから頼まれたのですか。
○鎌田証人 日野原じかにです。
○足立委員 やめないとどういうことになると言つて辞表を迫られましたか。
○鎌田証人 それはやはり森のインフルエンズにつながる者はいかぬから、あなた方初め全部やめなければいかぬ。こういう話でありました。やめなければなるまいということは、その前にすでにいろいろなことによつて表示されておるように、われわれは考えておりました。
○足立委員 やめなかつたならば先ほど申しましたように、これは占領目的違反であるとか言つて……。
○鎌田証人 そういうことにわれわれ解釈しておりました。
○足立委員 またG・H・Qの意向であるとか言つて、あなたに辞表を迫られた。こういうわけですね。
○鎌田証人 そうです。
○田中(健)委員 鎌田さんは鈴木さんのころから会社におられたのですか。
○鎌田証人 森矗昶氏がやめられて、鈴木忠治氏がその次の社長になりました。鈴木忠治氏がやめられて森曉氏がその次の社長になつておる。
○田中(健)委員 それは昭和何年ごろですか。
○鎌田証人 昭和十五年に鈴木忠治さんが社長になられて、二十年の五月に鈴木さんがやめて、森さんが社長になられております。
○田中(健)委員 その当時あなたの方の会社の技術屋で社員の津田という者はおつたですか。
○鎌田証人 おりました。
○田中(健)委員 それが昭和電工の社員であるけれども、後に商工省の役人になつて商工省にはいつたわけですね。たしか商工省の何かの係長か何かやつておつたと思うのですが、世間では昭和電工がそのころより自分の社員を商工省に入れて何かの便宜を受ける工作をしておつたと言うのですが、そういう点はどういう事情ですか。
○鎌田証人 むしろ電工といたしましては、非常に迷惑をしたような次第であります。と申しますのは、津田君は当時川崎の工場におきまして、硝酸の研究をしておつたのです。昭和十四年ごろだと思いますが、いろいろのものが統制になり、硝酸は御承知の通りアンモニヤと非常に関係の深いものでありますから、その技術屋が商工省に一人もおらない。何のかの言いますと、やはり川崎は近いものですから、硫安あるいはアンモニヤに関しては、農林省も商工省もすぐ工場へ見にくる。これはお役所でも何でもすぐ行つて現物を見られるものですから一そういう意味で電工の工場へはみな來ておりました。商工省からもそういうわけで始終來ておりまして、津田君が硝酸をやつておるということを知つて、強引にむしろ商工省へ招聘したような事実であります。
○田中(健)委員 そういたしますると、昭和電工の社員ではあつたのだけれども、商工省に行つてから利用したのは森さん時代にはなかつた……。
○鎌田証人 われわれはむしろいろんな資材をもらうとか何とかの関係から言いますと、かえつて津田君でない人の方が資材なんかもらいやすかつたのです。と言いますのは、当時津田君も電工から出たという関係で、各会社へ割当てる資材を、むしろはんぱがあればよそへくつつけるようなぐあいにして、かえつて電工には辛くあたるようなこともままあつたようなわけで、向うも立場上そうなつたのでしようし、われわれも立場上くれというようなわけにはまいりませんので、殊に硫安工業をやつております連中はみな錚々たる連中が行つて議論するのでありますから、みなの話合いの上で資材、原料は全部わけ合つでいたような状態でした。ですからむしろよそからひいきされるような場合が往々にしであつたようなわけです。
○田中(健)委員 それはそれでよろしゆうございます。それから日野原氏がよほど前から昭和電工の乗つ取りを策謀しておつたのじやないかと思われる節があるので、この二点だけ……。あるいはそれは森さんに聽いた方が早いかもしれませんが、もしあなたのお耳にそういうことがはいつておるとすればお伺いしたい。それは日野原氏が人を介してが、あるいは直接だかわかりませんが、昭和二十一年八月ごろから鈴木さんの株を買取る交渉をしておつた。そのときに日野原さんはもちろん鈴木さんを知らないでしようから、おそらく人を介して鈴木さんの株を買取つて、それから次に昭和電工に乗り込もうという計画を立てた。もう一つは、持株会社整理委員会の植村氏のところへ、昭和二十一年の八月ごろから頻繁に出入りしておつたといううわさを耳にいたしておるのでありますが、この点のことは、私が聽いたようなことをあなたは聽いておりませんか。どうなんですか。
○鎌田証人 初めの鈴木さんの株云々と言いますことは、私もずつとあとになつてからあの当時常務をやつておられました鈴木治雄さんという方から、こういう話があつたんだそうだよということは、一度毎伺つたことがあります。
○田中(健)委員 その内容は……。
○鎌田証人 株を買いたいといつてきたのだけれども、断わつた。
○田中(健)委員 それから植村さんのことですが……。
○鎌田証人 植村さんの方の話は全然私耳にしたことはございません。
○田中(健)委員 もう一点あなたの重役は三月二十人目から四月三日まででしよう。
○鎌田証人 登記面から言いますと、幾日になりますか、はつきりしませんが、自分では二十八日になつて七日にやめた……。
○田中(健)委員 その前は重役ではないわけですね。
○鎌田証人 重役ではありません。
○田中(健)委員 そうすると労働組合の組合員ではなかつたと思いますか……。
○鎌田証人 組合員でもありませんでした。
○田中(健)委員 組合のことをいくらかわかつておるのではないかと思いますが、労働組合が三月の二十六日以前に、執行委員会なりあるいは大会を開いて、今度の会社の幹部あるいは社長というようなものは、こういうふうにしようではないかという相談をしたということを耳にしておりませんか。
○鎌田証人 社長云々の話は聽いてはおりませんが、先ほど市村さんからお話しいたしました最首君、白幡君並びに私の新しく重役になる件については、労働組合も了承したということは聞いておりました。
○田中(健)委員 それからこれも社長さんにお伺いした方がよいかもしれませんが、皆さんは現場を担当しておる方であると思いますので、現場の方が一應お伺いしておく必要があると思いますが、会社が復興金融金庫なり、あるいは興銀その他から金を借りる場合には、申請書には用途に関する内容がこまかく記載されて、そして貸す場合には貸付の條件、借りる場合には申請書には條件を附記しなければならぬ。そういう條件以外に用途——変えられないものか、変えるという場合には許可を得なければならなかつたものかどうかということをお伺いいたします。法律上はどうなつておるか知らないが、実際はどうなつておりますか。
○鎌田証人 私どもは実際にそう考えてやつておりました。また金融の方は市村さんが全部おやりになつておりますが、恐らくそう考えておられたと思います。私どもは営業の方から見ますと、完全にランニングと建設とは別に考えておりました。
○田中(健)委員 それから終戦後昭和二十二年の三月二十六日以前に、大藏省の監査を受けたことはあるのですか。
○鎌田証人 それは資金としての帳簿関係ですか。
○田中(健)委員 ええ、帳簿関係です。
○鎌田証人 これは私はつきりした記憶はございません。むしろ市村さんの方が……。
○田中(健)委員 わかりました。
○武藤委員長 ほかにございませんか。——では一應済みました。ちよつとそこでお待ちください。 —————————————
○武藤委員長 森さん、お待たせいたしました。あなたの経歴を簡單に述べてください。
○森証人 森曉であります。明治四十年六月十九日生、昭和九年京都大学卒業、その前に昭和七年の四月から日本沃度という会社の廣田の工場に勤めておりました。この会社がだんだん名前が変りまして、あとの昭和電工になるのですが、日本沃度の次に名前が変つたのは、日本電氣工業と言います。私は日本電氣工業に昭和十二年まで、廣田の工場から本店の営業部、それから横浜のアルミニウム電極工場勤務を経まして、昭和十三年に日本化工株式会社の社長になりまして、日本電氣工業をやめたわけであります。この日本化工が後に名前が変りまして、現在の日本冶金工業株式会社になつております。昭和二十年の五月に昭和電工の社長に就任しまして、翌年の二月か三月に前の日本冶金工業社長をやめました。そうして昭和二十二年の三月まで昭和電工の社長をやつおりました。現在は無職であります。
○武藤委員長 追放問題が起りましたのはどういう関係ですか。
○森証人 昭和二十一年の秋ごろ追放があるということを新聞記事で知りました。昭和二十二年の一月四日に正式にそういうことがあるということを新聞で知りました。
○武藤委員長 あなたのお父さんは何という方ですか。
○森証人 森矗昶。
○武藤委員長 あなたの一家の財産というものはどのくらいありましたか。あなた及びあなた一家、森財閥の……。
○森証人 森財閥は、今ものが上つたかどうか知りませんが、昨年の二月ごろの調査のときに、三十万か、五十万、それにかかる者は一人もいない、名は財閥ですが、実際は十万円の金もほどんど持つたことがありません。私はばかにでかい家にはいつておりますが、おやじから受継いだ借金がばかに多過ぎまして、結論ずると借金の方が遥かに多いのじやないかと思います。
○武藤委員長 持株委員会側の観測では約六億円くらいあるというような説があるけれども……。
○森証人 どこを勘定してそう言うのか知りませんが、私の家を六億円と勘定すればですが、他には何もありません。土地があるわけでもなければ、株券があるわけでもない。もつとも若狭興業という会社の株券をほとんど大半持つておりました。当時千万円でしたか、この会社が実は借金をして、おやじが日本電氣工業、現在の昭和電工でアルミニウムをつくりまして、これがなかなかうまくいきませんで、しかし当時会社を経営するのにどうしても配当をしなければならぬ。配当を一割しておりました。この一割の配当をするために会社から出したのではたこ配になつてしまうので、銀行と相談の上個人で借りまして、それを配当しておつた。ところが税務署からいうと、配当をもらわないのに一割もらつたことになつて、それに税金がかかる。また配当するために借りた借金が全部個人の名前になつております。普通でしたら借金の裏には必ず財産がなければならぬのですが、私の借金はつまり裏付のない借金を背負いまして、おやじが死んでもそのままそれを踏襲しております。しかし会社がよくなればこれは普通だつたらある程度会社で責任をもつてくれるはずですが、私のおやじの後を継ぎました鈴木忠治氏は非常にそういう点固い人で、当時昭和電工も相当景気はよくなつておつたのですが、その借入金はそのままに実は引継いでおります。從つてちよつと背負いきれない借金を実はしておつたわけであります。
○武藤委員長 ここは税務署ではないのですから、借金だけでなく……。
○森証人 財産は從つて若狭興業の株券だけでありまして、若狭興業は先ほど申しましたような関係で、若狭興業と個人と両方で持ち合つたので、この会社は解散したら株券はゼロになります。今は株券といえば一株も持つておらぬことになります。
○武藤委員長 昭和電工の設立の経過、それから事業の内容等については先ほど鎌田さんが述べられた通りでありますか。
○森証人 そうであります。
○武藤委員長 資本系統と申しますか、大株主はどういう……。
○森証人 大株主は味の素の鈴木家、それから若狭興業であります。その他保險会社、安田……。
○武藤委員長 戰争で大分やられまして、終戰後における昭電の復興計画、轉換計画というようなもの、及び資金計画というものは、先ほど両証人が述べられましたけれども、なおあなたからも簡單に述べてもらいたい。
○森証人 昭和電工の川崎工場は十数万坪の敷地の中に爆彈が大型、中型合せまして約六百ばかり落ちました。そのほかに焼夷彈がほとんど無数と申しますか、そうして工場の大半は土台からひつくり返つてしまつたのでございます。しかしながら幸いなことに人命にはあまり大きな影響はなかつたのであります。工場の従業員が二人死にました。そのほかにはけが人は一人もなかつた。これが非常な不幸中の幸いで、終戰と同時に何としてもこれは日本の食いものを解決しなければならぬ、それにはこの工場としては大いに早く復興しようということであつたのですが、先ほど電気の問題が出ましたが、私は戰争後電氣は余る。少くともアルミニウムをやめただけでもつて相当以上の電氣が余るはずだ。アルミ一トンつくるのに約三万キロの電氣が要ります。ところが軽工業や燈用だけではこの電氣は使い切れるものではない。アルミニウム一トンつくる電氣は約京都の町の全体の燈用ぐらい要ります。してみますと十数万トンつくつておつたアルミをやめた。そのほか電解用の電氣、それからフエロアロイ、製鋼、そういうものの電氣を全部やめてしまつたのでこれは非常に余る。だから川崎工場の復旧、そのくらいの電量はどうしても早急に使わなければ困るのではなかろうか。そういう結論から、最初の川崎工場のできたときは全剰電力であつたのですが、途中でもつて電氣の消費が多くなつて、あすこはコークス法にかえたのですが、しかしこれは元へもどして全部電解でさしつかえない、こういうことで、実はあすこえ元々通りの三十万トン設備を復旧することにきめたのであります。そうしてこれは経験の年の秋からただちにかかりまして、その年の大晦日には製品が出だしたほどでありまして、非常に急いだのであります。従つて先ほど八億云々の資金計画があつたのですが、これは割合に正直なところ杜撰なものでありました。およそこの八億というものは川崎工場の復旧とその他の復旧がわずかばかりはいうております。そのほかに秩父、富山、鹿瀬、旭川、こういう工場の轉換等があるのですが、この方の計画は轉換復旧でありましてさほど急がなくともいい。だからあとあと八億で足りなくて十五億近くの修正が出たのでありますが、この修正はむしろ川崎のが殖えたというよりは、その他の工場の轉換が遅れたために加わつてきた分が多いのであります。だから八億が一ぺんに十億になつたというのでなくて、新しく轉換する分がここにはいつておるということをお考え願いたいと思います。そういうわけでありまして、ではこの金はどうしてつくるかという、ことでありますが、私の考えではこの川崎工場が約当時の金で五億円、この五億円はどういう五億円かと申しますと、あの工場ができたときは、もつとも昭和六、七年のころでありますが、非常にものの安い時分で、ほとんど日本の機械工場と言いますか、各工場は遊んでおる、お茶をひいておるときだから、昭和肥料が機械を注文すると言えばほとんどあと勘で、しかもとんとんにいけばいい、こういう関係で非常に安い建設でした。その金が約五千万円、五千万円の建設があれを全部根こそぎやられて、これを復旧するとなると五億円かかるという勘定なのです。そういうふう元々は五千万円のものを今つくつて五億円かかる。五億もかけて一体そのあとあとやつていけるかどうかということが私の一番悩みの種であつた。しかし仕事はどうしても当時の食糧事情からやらなければならぬ。そのくせ、これだけ金を使つてしまつたらどうあとの始末をつけるかということが私も心配だし、会社も心配する。それから当時これをやらしてくれようと思つたG・H・Qの人たちも心配する。しからばどういうふうにするかというので、産業復興公團、これに任したらどうか。当時の事情が、ちようど肥料國営とか國管とかいう問題がやかましい時代でしたから、政府のものにして会社が一時借りて経営する、会社が委託経営したらどらか、こういう考えで実は進んだのであります。その考えが議会でも外でも御賛成を得まして、ああいう形で行つたのでありますが、そうすれば、もしあと会社がやつていけるようだつたら買戻しもできるし、どうしても情勢上まずいというのなら國家のものにしておいたらどうかということでございました。しかしそのときの五億円、この算定時期はいつかといいますと、終戰の年の八月、九月、十月ごろのものです。だからあの八億円の許可がおりたときは、もう物價はだいぶ上つておりました。だから許可がおりたとき、この許可をくれるけれども、少し値段が違うから、明らかに公定價格は変つているし、大体あの最初の八億の算定は公定價格の算定です。公定價格と申しましても、前の年の八、九、十月ごろの公定價格でやつたもので、あとの追加分はその次の公定價格ではいつている。その他やみなどをある程度見込みまして、これは全部政府の御承認のもとに、これくらいやみで買えるということを入れたものが十五億になつたのです。大体そういうことで計画をしたわけであります。
○武藤委員長 川崎第一計画及び苛性分が一億六千四百万円、川崎第二計画及び轉換四工場分が六億三千五百二十万円、そういうわけですか。
○森証人 そうです。
○武藤委員長 初めの分は社債で、あとの分はどうなのですか。
○森証人 あとの分は今申しましたようなことでいつております。つまりそれを復金で借りられることになりております。
○武藤委員長 これは司令部の方からは……。
○森証人 許可を得ております。
○武藤委員長 どういう條件で許可したのですか。
○森証人 條件と申しましても別に大したことはありません。
○武藤委員長 こういうことを言つてきましたが、昭和二十一年九月七日司令部から (イ) 産業設備営團の参加はよろしくない (口) 完成工場の所有は進行中の日本政府代理機関、産業復興公團に属すること及びその金融は復興金融金庫によること。 (ハ) 当社は三年を超えざる期間、右代理機関より賃借または委任契約によつて工場を経営すること。 こういう條件がついてきましたか。
○森証人 その通りであります。最初借りた借金の尻をどうするかということで、産業設備公園という意見を出しました。それは戰争中からあるので戰判になる。こういうので産業復興公團というように名前は違うが、実際は同じです。
○武藤委員長 それで復興並びに轉換計画ができるという見込みでありましたか。
○森証人 そうです。
○武藤委員長 それから返済の計画ですね。興銀からの借入金返済が不可能のために復金が設立されたというようなことがありますか。
○森証人 興銀の返済……いやそういうこともあつたかもしれません。
○武藤委員長 あなたは直接は知らない。
○森証人 知らぬわけじやないのですが……。
○武藤委員長 右復興計画及び融資について連合軍及び政府の要路者その他から助言、援助というようなことがありましたか。
○森証人 ありました。
○武藤委員長 だれからどういうことが。
○森証人 だれからというのではなく、当時関係者ほとんど全部が激励してくれたのです。
○武藤委員長 たとえば第八軍のバラード氏から何か話がありましたか。
○森証人 それは一番最初にあつたのです。
○武藤委員長 どういう話ですか。
○森証人 実はいくさが終つてから、連合軍が進駐してきても私はどこへも顏を出さなかつたのです。ところが大分方々から森はちつとも頭を下げてこない、こう言われておつたのですが、しかし私は頭を下げる理由はないので、どこへも行かなかつたのです。ところがたしか二十年の十月十六、七日だつたと思う。私が連合軍の方へ行かないということが大分問題になり、なぜ森は顔を出さないのかということをバラード大佐が言つていたということを二、三名の人が同時に聞かしてくれました。行つて話を聞いてきたらどうかというから、あまり同じ口が揃うのでそれでは行つてこようというので、十月の十七日か十八日かはつきり記憶がありませんが、その日に行きました。それからよく来た、実はお前の意見を聽きたかつたのだ。一体どうして日本の経済復興をやるか、それについての意見を聽かせてくれと言いましたので、私はまず食い物だ、食い物を解決するためには肥料をつくらなければならぬ。肥料をつくるには硫安工業を興す硫安工業はあらゆる工業に関係があるので、これをひとつやるということであと方々が動くのではないか。だがそれはあなた方が別に骨を折らなくてもよろしいのだ。あなた方が占領後日本経済の復興の眞先に硫安工業の復興を紙に書いていただきたい。殊に教材なんかは焦土戰術をやらんとしたので材料が方々にたくさんあるのだから、これはほとんど何も骨を折らずにやれるではないか。それはよい、ぜひそれをやろうじやないか。その時に、実は自分は戰争中及ばずながらずいぶん一生懸命やつたつもりだ。だから行かなかつたのは実は首を洗つて待つていたのだということを言つた。お前の経歴はよく知つておるがそれを承知の上で頼むのだというので、それでは始めましようと言つて始めた。それがばかに早くできまして、終戰の年の十一月三十一日には、爆弾六百発受けて根こそぎやられた工場から硫安の白いものができ始めた。だからかなり早かつた。それで非常にみんな驚きまして、連合軍でも一生懸命肩を入れてもらうし、先ほどの子会社の中にあつた昭和炭酸という会社、これはもちろん私は子会社を全部分離するつもりでいたのですが、進駐軍が進駐した翌年の夏に備えて、ぜひともドライアイスがほしい、ドライアイスをアメリカからもつてくるわけにいかぬからお前ぜひやつてくれというので、実は私は昭和炭酸の工場は閉めるつもりでいたのですが、ぜひ頼むというので実は勤労奉仕の意味でやりました。それが二月でつくるというのがちようど二月でぴつたりできあがつた。それでなおさらに昭和電工の復興というものはおそらく全力をあげてみんながやつてくれたと思います。
○武藤委員長 大分評判がよかつたわけですね。
○森証人 よかつたわけです。
○武藤委員長 日本の方では石橋湛山、和田博雄などいうのが肩を入れたというのではありませんか。
○森証人 和田さんは大臣になる前に、監嶽から出てきて農林省の役人に就任してすぐ工場に夾て大いに奨励をされました。
○武藤委員長 石橋さんからは何も話はありませんか。
○森証人 ありません。
○武藤委員長 そこでいよいよ問題のあなたが社長をやめたことになるのですが、先ほど大分詳しく市村君からお話がありましたけれども、ああいうようないきさつは事実でありますか。
○森証人 私はその話は知らないのであります。実は三月の二十日ごろだと思うのですが、笹山さんに呼ばれて、お前はすぐやめた方がよい。やめなかつたら重大な事態になる。こういうのでその重大な事態というのがどういう事態か私はわからなかつたのですが、いろいろあとで考えてみて、重大な事態というのは財閥の家族指定というのであろうと思います。しかし私はそのときに、かりに財閥の指定になりたつて私は影響はない。それはもともと通りなので、財産のある者ならばこわいかもしれないけれども、われわれには関係がないから別に大したことはないと、こう思つていたのです。ところがそのときにこれはG・H・Qと同じ意見だということであつたので、その足ですぐ実はザイビユーラー氏のところに行つた。ザイビユーラー氏に笹山がああ言いますけれども、あなたは同じことを考えているかと言つたら、いやこつちから別に指図したわけではないけれども、持株整理委員会の言うことはおれの方の言うことと同じことだと言うので、そうかと言つて実はそれきり会社に出ないのであります。ですからその日までは、そういう事態が起ると思わなかつたし、思つた瞬間に実はやめちやつたので詳しいことはよくわからぬ。
○武藤委員長 連合軍の方の評判はたいへんよかつたのに、突如そういうことになつたについては、あなたはどう考えますか。
○森証人 思い当りません。
○武藤委員長 二月の半ばにザイビユーラー氏が来て工場を見たり、帳簿を見たりしましたか。
○森証人 しました。
○武藤委員長 そのときにそういう話がありましたか。
○森証人 日は忘れましたが、二月の半ばごろと思います。ザイビユーラー氏が工場に行くというので、私も実は案内するつもりで行つたのであります。ところが着くとすぐ帳面を見せろ、博票を出せこう言うので全部出したのです。そうしたらどうもこちらの言うこととうまくそりが合わない。何かあらを見つけているように私は思いました。しかし私は、とうとう何も出なかつたのでありますが、その中でもつておかしいと思つたのは、計算機を貰つた。この計算機は一体建設に関係ないじやないかと言う。ところが私の方としますと、とにかく爆弾六百発焼夷彈何千発というので書類なんて根こそぎ焼かれてとまつた。この計算機も建設の一つだというので、やつとわかりたのですが、つまりそういう調子でもつて問答したのですが、結局何も出てこずに、最後にこういうことを言うのです。きよういくら金を借りたか、きよういくら金を使つたかということをきようすぐこの場で言えと言う。ところが言えない。これは川崎工場だし、昭和電工には十いくつの工場があるじやないか。それをこの場では言えつこない。またかりに本社であつても、きよういくら使つたかということはわからない。工場でいくら使つたか、どこでいくら使つたかわからぬから、一定の期日をきらなければわからないということを言つたのですが、どうしても話がわからない。仕方がないのですぐそれじや本社に行こうというので本社に行つたのですが、当時私どもの本社は味の素ビルを接収されたあとでありまして、本社が五、六箇所にわかれておりました。その五、六箇所も電話がないし、私どもの経理をやるところは両國の安田銀行の支店の焼跡を借りておりました。ガラスも何もなく、鉄筋コンクリートの焼跡そのままのところにある。そこでもつてすぐ帳面を見せろと申しますが、責任者であります市村君に連絡をとろうと思つても電話もないのでどうにもできない。ありのままを見せたのですが、やはり川崎の工場と同じようにわからない。要するにアメリカではきよう四時に締めたなならば、きようの四時現在直ちに貸借対照表がすぐできなければならぬ。こう言うのです。しかし私はアメリカでもそういうことができるかというとできないと思う。どんなに便利なアメリカでもそういうことはできないと思うのですが、ザイピユーラー氏は、私に言わせるとしろうとだからそう言つたのだと思う。そうして結局お前たちが悪いという結論が出たのですが、私としてはどうしてもその結論に承服することができない。そうしたらあしたこいというので、あした行つたら、お前のところの鈴木とお前を財閥に指定するかもしれない。これにひとつ書き入れろというので書類を渡されたのです。それが結局この事件のきつかけじやないかと思います。
○武藤委員長 先ほど市村君や鎌田君からのお話を聞きますと、ザイビユーラー氏というのは表面には出ないで、ザイビユーラー氏がどうであるとか、あるいはヘンダーソン氏がどうであるとかいうことで、それを楯にしていろいろとあなたの方へ話があつたような話でありましたけれども一今あなたのお話を伺うと、直接ザイビユーラー氏が現われていろいろと腑に落ちないとあなたにとつては思われるようなことを言つたようでありますけれども、それはザイビユーラー氏がまつたくのしろうとであるために納得のできないようなことを言われたものか、それともザイビユーラー氏は何人かから何らかのことを頼まれてやつてきて、昭和電工に関する業態の欠点を指摘するため来たものか、そういう点についてはおわかりになりませんか。
○森証人 私はしろうとだからそういうことを言つたと思う。しかしその前に来ていきなり帳面を見せろといつた態度が今でも腑に落ちない。
○武藤委員長 昭和電工の経理なり業態に不正があるかもしれないから、行つて十分に調べた方がいいというようなことをザイビユーラー氏に告げた者が日本人の中にあると思われますか。
○森証人 今になればあるだろうと思いますが、しかしそのときには調べに来たのじやないと思う。調べに來るなら一人で来るわけはないし、あれじや調査にならぬと思う。
○武藤委員長 通訳を一人連れて来たわけですか。
○森証人 ええ、それでそれだけ。間にほとんど何時間でもない……。
○武藤委員長 いわゆる森、鈴木系といわれる諸君が、先ほど市村さんや鎌田さんが言われたようにやめるまでの経過についてはあなたが直接関係してない部分が多いようですけれども、市村氏なり鎌田氏なりからお聞きになつておりますか。
○森証人 大分あとになつて聞きました。
○武藤委員長 いつころ。
○森証人 七日過ぎです。
○武藤委員長 四月の七日過ぎ……。
○森証人 それまではだれにも会わないのです。私が会社に出なくなつてから一人も会つてない。つまり今までずつと行つていたのが瞬間に消えてしまつたのです。
○武藤委員長 全然お会いにならぬというのは合点がいかないですが、お会いにならぬですか。
○森証人 それは人が聞いたら合点がいかぬでしようが、事実そうだつたのです。
○武藤委員長 結局あなたがおやめになつたのは、ほんとうのところはどういうことでやめたのですか。
○森証人 私は知りませんけれども、あとでいろいろ、新聞社の方なんかに聞きますと、私が進駐軍を新橋へ連れて行つてごちそうしたとか、あるいは女を抱かしたとか、あるいは金使いが荒かつたとかいう話があつたそうですが、少くとも私は進駐軍の自分の仕事に関係のある人たちを新橋へ連れて行つたことは一ぺんもない。まして女なんか抱かしたことはもちろんないし、また金使いが荒かつたと言うけれども、私はどういうふうに使つたか知りませんが、私自身とにかくあれだけの人さまの金を使うのであり、戰争後のことでもあり、相当以上に身は愼しんでおつたのであります。おそらく余分な金は一銭も使わなかつたろうし、これは会社のためになるということでも、あとあとのためになるからという理由では使つていません。だからうわさの理由は私には全然思い当らぬのです。
○武藤委員長 それならどうしてやめたのですか。
○森証人 それはオーダーだというのでやめたのです。
○武藤委員長 オーダーだと言われたので先ほど市村さんが言われたと同じ心理状態でやめたわけですか。
○森証人 もちろんそうですけれども、一つには私は実は早くやめようと思つていたのです。やめようと思つていたけれどもその前に当時五億の金を借りて、その始末、つまりバトンをだれに渡すがということに実は非常に悩んだのであります。これはG・H・Qも相当悩んだと思うのです。再三話がありました。従つて軽々に自分の勝手なまねをしてやめられては困るということを聞きました。だから労働組合からいろいろ助命運動も出ていましたし、またG・H・Qの内部の人からもとにかく何とか手を打つたらどうかということも聞いたのですが、私としては一ぺんわくに入つた以上、相当以上にでかい仕事であるし、それが脛に傷をもつてできるものじやない。だから何とかしてあと継ぎをつくろうと思つていたわけです。従つて自分がやめるつもりでいたので、あとあとの重役は従業員とよほどそりの合つたものでなければ困るというので、実は一月四日に追放のわくがきまつたときに、すぐあとで経営協議会を開いて、組合員その他会社の幹部の人たちとそりの合つた人を会社の中から重役にして、その中から社長を選ぼうということで自分の腹だけきめていたのです。
○武藤委員長 そうしますと、やめたいと思つていられたわけで、G・H・Qのオーダーだということを言われなくても、あなたはやめたいと思つていたのですか。
○森証人 実際はそうですけれども、そういうことは口に出しては言えなかつた。
○武藤委員長 ただ安心のできる後任者、あとの経営方法等の見通しがつかなかつたから、G・H・Qのオーダーだということを言われなければやめたいであつただろうというわけですか。
○森証人 そうです。
○武藤委員長 ではおやめになつた当時のもつぱらの理由は、G・H・Qのオーダーだと言われたことでやめる決心をし、やめたわけですか。
○森証人 そうです。
○武藤委員長 ほかの重役諸君がやめた理由も、やはりG・H・Qのオーダーだと言われたためにやあたことがもつぱらの理由でありますか。
○森証人 追放になつた重役はそうであります。やめるのだつたら、ちやんと机も整理してやめたろうし、従業員全体にあいさつしなくても、少くとも重役室で使つている子供たちにはあいさつしてやめるが、私のところの重役にはだれもそれがなかつたのであります。だれも机を放りぱなしで前の日に帰つたままでやめた。
○武藤委員長 日野原氏があなたを追い出して会融を乗取つたということが言われておりますけれども、感情を抜きまして、ずつとその経過を顧みて乗取られたということを考えますか。
○森証人 考えます。私は考えたくないのですが、形はそうなりました。というのはもしそうでなかつたら、私が追放解除になつたら一番最初にあいさつに來なければならぬ人だと思います。もし会社のためを思うなら一番先に来てむしろ協力してくれというのが当り前だと思う。
○武藤委員長 しかし最初お話の通りザイビユーラー氏があなたのところに來てお話をした様子を伺うと、必ずしもザイビユーラー氏、へンダーソン氏などを口実にしてあなた方をやめさせたうといだけではなくして、G・H・Qの方でも相当積極的にあなたにやめてもらうということを考えておつたのではないかと思うのですが、そういう点はどうですか。
○森証人 私は追放令に該当するし、それはあたり前だと思つております。ただ時間的におかしいことはおかしい。
○武藤委員長 何かお尋ねはありますか。
○足立委員 第一に資金の問題をちよつとお尋ねしたい。七億九千九百二十万円の融資はいつ受けられたのでございますか。
○森証人 その書類をつくつたのが二十年の八、九、十、それで許可になつたのが翌年の八月ごろ……。
○足立委員 その当時にはまだ復興金融金庫はできておりませんね。
○森証人 できておりません。
○足立委員 そうすると、その七億九千万円という金は、どこへ交渉になつたのですか。
○森証人 それはどこそこへ交渉したということでなくて、特別な相手があつたわけじやないのです。
○足立委員 そうすると、これは興業銀行に何か復興融資というのがありましたね。それへ御交渉になつたのではないですか。
○森証人 そういう話ではなくて、G・H・Qと商工省、大藏省という話でありました特定の相手があつたわけではない
○足立委員 それで復興金融金庫はいつできたのですか。
○森証人 できたのは翌年の秋でした。
○足立委員 そうすると、それまでは復興金融金庫で借りるという目鼻もつかず、とにかく官職方面へこの金の斡旋を頼むという方の運動であつたわけですね。
○森証人 そうです。
○足立委員 そうすると、あなたの方ではこの復興計画を遂行して、返済の方法というものは見通しがつかなかつたわけですね。会社の正常なる運用においては……。
○森証人 そうです。たしかさつき申し上げたような状態でした。つまり結局尻をどうして合わせるか、最後に終戰後のこの混乱状態を脱したときに、体普通の株式会社としてバランスがとれるかどうかということは、まだ解決はできていなかつた。
○足立委員 そうすると、返済の見通しのない金を融資するのは、日本の現在の金融機関ではできませんね。
○森証人 今ですか。
○足立委員 今じやなない、その当時において。
○森証人 その当時においてはできなかつたでしよう。
○足立委員 そうすると、そこにおいて特別なる返済ということを度外一においたところの、一つの日本の産業復興計画の機関が生れなければならぬということは必然だと思いますが、そういう方向に向つていつたのですか。
○森証人 そうです。
○足立委員 そうすると、私たちが一般に聞いておるところによると、産業復興公團ができたのは、昭和電工にかくのごとき融資をするのが直接の動機であつたということ聞いておりますが、そうですか。
○森証人 そうです。
○足立委員 そうすると、あなたの方では産業金融金庫から金を借りる返済の條件はつけておりましたか。
○森証人 昭和電工だけのだめであるかどうかは知りませんが、しかし終戰後にやらなければならぬ仕事が、あの状態ではなかなかだれしも計画できなかつたと思います。だから昭和電工みたいなところにまとまつたものを金融するためにできたと思つています。
○足立委員 一口に言うてみますと、日本のキー産業を復興しなければならぬ。これについては戰争で破壊されておるがゆえに、そうして普通の会社の運営としては投下した資本を回収する見込みができない。しかるにもかかわらず、日本のキー産業は復興しなければならない。その当面の問題として肥料が最も重要である。そうしてこれに昭和電工が浮き上つてきた。そうしてこれが一つの動機となつて復興金融金庫が生れてきたということを開きませんか。
○森証人 聞きました。
○足立委員 しからばあなたはその復興金融金庫で金をお借りになる折に、投下した資本に対するところの回收方法というものははいつておりますか。
○森証人 それは先ほど申しましたように、産業復興公国に肩替りする……。
○足立委員 肩替りする、そうしてやることになつた、そこで利息はどうなります。
○森証人 利息もその中にはいる。
○足立委員 そうすると肥料をあなた、のところでこしらえますね。その肥料の原簿計算の中には産業復興金庫の投下した資本の消却もあるいは利息も肥料の原價計算の中にはいらないわけですね。
○森証人 それは私は昭和電工の経営者ですから、利息はつけて、産業復興公園に肩替りする……。
○足立委員 そうするとあと産業復興公團が昭和電工から工場を借りるというときに、この工場を一体いくらに評價するのか、その工場から出て、きた製品を原價計算する場合に、どういう勘定になるかは……。
○森証人 それはあとあとの話だと思います。
○足立委員 あなたの在任中に製品は出ましたね。
○森証人 出ました。
○足立委員 そうすると、製品が出まして、その当時肥料の價格は各メーカーにおきまして、肥料の原價計算をいたしまして、肥料の價格はまちまちであつて、これを日肥が買取つてプール計算をして、一つの價格をこしらえて、農民に賣るということになつたのですが、あなたの方の肥料の原價計算の中に、復興金融金庫から借りた金の利子及び原價計算ははいつておりませんね。
○森証人 はいつてないかもしれません。
○足立委員 そうですが。そうすると使つた金で、あなたが社長をやめられるまで、あるいは日野原氏に代るまでの各工場の完成の度合い、というものは、鎌田さんが今申されたのどほぼ一致しておりますね。
○森証人 電解が、あれは全部で二十系列で、公称三十万トン、それがその後三系列減らされまして、十七系列、その十七系列の中の九系列が大体でき上つて、あと第二工場の方の二系統か三系統というのは、つまりあれはあとバスをおくだけです。だから大体七〇%くらいじやないですか。
○足立委員 川崎工場が大体七〇%。
○森証人 はい。
○足立委員 他の工場は石灰窒素七〇%。
○森証人 そうでございます。
○足立委員 そうすると鎌田さんの御意見と一致しておりますね。
○森証人 そうです。
○足立委員 結構でございます。その次に若狭興業、これはあなたの方の会社ですね。
○森証人 そうです
○足立委員 この会社の資本金はどのくらいです。
○森証人 一千万円です。
○足立委員 この会社の基本的の性格はどんなものです。
○森証人 これはただいまは持株会位として指定されたのですが……。
○足立委員 その当時は。
○森証人 その当時は生産会社であります。
○足立委員 何をつくつた。
○森証人 鉄鉱石です。戰争中は……
○足立委員 それにあなたの一族の持つておる株を賣渡して若狭興業が持つておつた。例をあげて言つてみれば、三井合名のような形でなかつたですか。
○森証人 なぜそういうことになつたかというと、先ほど申し上げましたが、借金が多いでしよう。だから会社と個人と山分けしたわけですね、借金を。だからぼくの財産は全部株式会社に出してしまわなければ勘定が合わないのです。だから全部その中にはいつたのです。
○足立委員 そうすると、この会社は公称資本は一千万円である。しかしながらその当時の、終戰直後ですね。あなたがパージに指定される前ですね。その折に実質的の價格はどのくらいでありました。
○森証人 零でしよう。
○足立委員 借金が多くて。
○森証人 ええ。
○足立委員 そうするとあなたはさつき自分の負債については明らかな数字を言われなかつたのですが、負債はどのくらいだつたですか。
○森証人 負債は若狭興業というのは山を持つておりますが、しかしこれは今やめてしまつております。ですからこれをいくらに勘定するかわかりませんけれども……。
○足立委員 追放になる当時……
○森証人 前から、それから有價証券を持つておるのですけれども、これが價値いかんでもつて、いつでも借金がかりに千万円、二千万円、あるいは三千万円になる場合もあるし、あるいはトントンになつた場合もあるのですが、今までの何からいくと、赤字の方がずつと多かつた。
○足立委員 そうすると若狭興業は赤字になる。従つて若狭興業の株をあなたはお持ちになつておるのだから、その株式はゼロということになりますね。
○森証人 そうです。
○足立委員 従つてあなたの資産がゼロということになりますね。しかしながらここに個人の負債があるでしよう。
○森証人 個人の負債は、ちよつとおかしいのですが、個人とあれとは借金が半々です。
○足立委員 その半々という際はどのくらいですか。
○森証人 それはおそらく数百万円でしよう。
○足立委員 もつとはつきり言つてください。
○森証人 いや、そんなものです。それは聞けばわかるでしようけれども、私は実際覚えておりません。
○足立委員 数百万円の個人の負債があつたのですか。
○森証人 はい。今は少いですよ。当時は多かつた。
○足立委員 それであなたの若狭興業の株があなたの資産の大部分であつたということは私どもは了承いたします。が、そのほかに自分の不動産であるとか、書画骨董なども相当あるでしようが、そういうものを見積りていくらになりますか。
○森証人 私のところには書画骨董はあまりありません。親父がそういう趣味がなかつたし、それに余裕もありませんから、私の資産はおそらく家だけでしよう。
○足立委員 当時の價格でその家の價格はどれくらいですか。
○森証人 それはどのくらいになりますかね。財産秘は今申し上げました通り私は借金の方が余計なんで納められる資格がない。
○足立委員 家屋は数百万円ですが。
○森証人 今は大分高いことを言つております。
○足立委員 いや、私の聴きたいのは当時のことです。今はどうでもよい。
○森証人 当時は内閣で買いに來たことがあるのですが、そのときに二百万でという話をしました。
○足立委員 そうすると負債が数百万円、あなたの資産が大体二百万円乃至三百万円の程度である、こういうわけですね。
○森証人 はい。今はしかし大分價値をもつております。それから大藏省、査定は若狭興業はゼロだそうであります。
○足立委員 そうすると、あなたが追放になるということが明らかになつたのは一月の四日ですか。
○森証人 はい。
○足立委員 そうすると追放になることが明らかになつてから、それまで仕事に携わつておつてもいいという期間がありますね。その期間はいつ切れることになつていましたか。
○森証人 その期間は、三月末に申請を出して、それから言つてくるのですから、つまりそれを言つてくるまでじやないですか。
○足立委員 二十二年の三月三十一日以降ですね。相当な期間があるということは言われるですね。
○森証人 はい。
○足立委員 そうすると、あなたがおやめになつた折には追放のわくにははいつておつた。しかしながらまだ実際の仕事に携わつてもいい時期であるということは明らかでありますね。
○森証人 そうです。
○足立委員 もう一つ伺いたいのですが、あなたは現在は追放が解除されましたね。
○森証人 はい。
○足立委員 その当時においても追放が解除されるかもしれぬという一つの望みをもつていましたか。
○森証人 私はわくにはいつてパージになつた以上は、解除されるとは思つていませんでした。
○足立委員 しかし労働組合の方で解除になるようにという運動が展開されたことはありませんか。
○森証人 それはあります。それは私かパージになる前です。二十八日の前です。
○足立委員 二十八日というのは株主総会をやつて、やめられるという話が正式になつたときの話でしよう。
○森証人 やめてしまつたから……。
○足立委員 むろんそうです。そのやめられる前に、そういう運動が展開されておつた。そのことは要するに現任社長にこの会社をやつてもらいたいという従業員の熱望があつたというように了解していいですか。
○森証人 はい。
○足立委員 それからあなたは重大な事態が起るかもしれぬということは、これはだれに言われたのですか。
○森証人 笹山委員長に……。
○足立委員 それはいつですか。
○森証人 三月の二十日じやないかと思つております。
○足立委員 それでこの重大事態というのは、当時においては何のことかさつぱりわからない、こういうことですか。
○森証人 わからないけれどもさつきの財閥指定だということは、向うでもはつきりわかるように……。
○足立委員 それはあなただけですか。
○森証人 それは私だけと思つたのです。だからぼくだけなら何でもないと思つておりました。
○足立委員 鈴木さんという方はこの中にはいつていなかつたんですか。
○森証人 はいつていませんでした。
○足立委員 その後、やめなかつたならば二十四時間のうちにあなたと鈴木さんとを財閥に指定するということを言われたのですか。
○森証人 言われたのではないのですか、それはうわさでした。うわさだけれども、それはほんとうみたいなうわさでした。
○足立委員 だれから聞いたという事実は明らかになりませんか。
○森証人 それは先の先まで辿つていけばわかるでしようけれども、なかなかやつかいなことでした。
○足立委員 そうすると、一般の場合だれがそういううわさを立てるという自分の直感があるでしよう。
○森証人 それは想像はできます。
○足立委員 その想像を言つてください。
○森証人 とにかく言つた人はヘンダーソン氏かザイビユラー氏かどつちかだと思います。
○足立委員 しかしそれは笹山氏ではなかつたことは事実ですか。
○森証人 笹山氏じやありません。
○足立委員 それで会社へは、いつ出られるようになつたのですか。
○森証人 それを聞いて、笹山氏から重大事態になるというので、私は笹山氏だけでは信用ならぬ。どうかと思つたので、すぐG・H・Qに行つてザイビユーラー氏に会つたのです。会つたら笹山氏の言うことは、おれが指図したわけではないけれども、G・H・Qの言うことと同じだというわけです。そこでそのときに、同じことだと言うので、実はその瞬間から会社に行かなくなつたのです。
○足立委員 それで辞表を出したわけではなかつたですね。
○森証人 辞表はほんとうは前から出ておりました。ただ日附を入れればよかつたわけです。
○足立委員 それでわかりました。そうすると、あなたに対して、もしも社長をやめなかつたならば占領違反だというようなことはなかつたわけですか。
○森証人 私直接にはなかつた。
○足立委員 あなた直接にはなかつたですね。
○森証人 はい。つまりもうそういうところへ、さつき重大事態でもつて引いて、おれの役目は済んだ、私に言わせますと、ほんとうのことを言うと、脛に傷をもつてやつていることは困難だというので、いつひつこもうかという引け時を待つていだのです。しかし聞いたからすぐそつくり一切おさらばしたのです。
○足立委員 あなたがおやめになつてから、労働組合で争議が起りましたね。この事実を御承知ですか。
○森証人 それはあとで聞きました。日野原氏が社長になつて、昭和電工に今後何事か起つたら、これは森、鈴木の責任だということを聞いたものですから、ぼくはそれに対して意見はあつたのですけれども、まあそれでひつこんだのです。ところがその後事件が起つて、ぼくが労働組合を策動したということを持株で言つているらしいということをうわさで聞いた。だから笹山君のところへ行つて、じようだん言つちやいらない。けしからぬ。あとの経営者が自分の不徳のために起つた事態を、こつちにまで責任を負わせるということはないじやないか、といつてどなりに行きました。これは余談になるかもしれませんが、そのときに追放になつたときの條件で私は文句を言つたのです。その爭議については全然私は知らなかつたのです。それを何とか言つているらしかつたのです。
○足立委員 それでこの争議がどういうかつこうになつて、結末がついたということを御存じですか。
○森証人 それはうやむやだつたです。
○足立委員 それで私どもの知つている限りにおきましては、この争議は会社のあなた初め市村さん、そのほかの課長級二十数名、こういう者の首を切つたということははなはだけしからぬ。元通りに復職させいということが、この争議の主たる目的だつたらしいのです。しかしながら結末を見ますると、まだこれが発令がしてなかつたから、経営協議会に首切りをかけずに切つたということが、経営協議会の協約違反だということであつた。ところが最後になつて、これはまだ発令をしてないのだから、あらためて経営協議会にかけようという形式をとつて、元通りの人を、全部首切つて収めたということになつておりまして、労働組合は惨敗して、労働組合が承認してやつたという結果になつておるのでありますが、これに対して日野原氏が労働組合に対して手をまわしたのだというようなうわさを聞いておりますが、あなたはどういうふうにお考えですか。
○森証人 まさか労働組合を買収したわけではないでしようが、しかし幹部とい、うのは皆職員ですからね。職員は経営者に対しては非常に弱いのではないかと思うのです。
○足立委員 弱くてうやむやになつた。
○森証人 のじやないかと思います。
○足立委員 最後にお尋ねするのですが、これは委員長からもお尋ねがあつたのですが、あなたが社長をおやめになり、森及び鈴木のいわゆるインフルエンス、影響のあるものを全部首を切つてしまつた。そうして日野原氏がやつてきたということ、これをあなたは乗取りということに是認されたのですか。乗取りに来たということは、先ほど私が市村さんにお尋ねして市村さんがお答えになりましたように、日本の新しき金融関係を掌握し、しかもこれは政界と結託して日本の産業界の独占形体をここに維持していくというような形をもつておるのだというように、この陰謀をお考えになりますか、お考えになりませんか。
○森証人 私もそう最近になつて考えたのです。というのは先ほど子会社の例があつたのですが、この子会社は名前だけの会社がたくさんある。しかし名前だけの会社はもちろん消してしまうし、実際に関係のあるところも切つていこうと思つたのです。自分で戰争後復旧した会社があるのですが、それなんかも自分で戰後つくつたけれども、あとあと切るということを宣言しておつた。ところが日野原氏のやつていることを見ますと、元の会社、つまり死んだ会社を活かしています。昭栄興業なんという会社は死んでいたのですが、これが活きていますし、関係のないところまで関係ができておる。相当大きなものができておる。それから昭和電工から上その会社へ派出する場合に、組合から意見があつたと思うのですが、そういうことはまずいじやないかと言つても、いや持株整理委員会で通るのだということを放言していたということを聞いてみても、新しい大きなものができかかつておつたのじやないかと思います。
○足立委員 新しい大きなものとは……。
○森証人 新しい一つの事業形態というか何かがそこに……。
○足立委員 三井、三菱が倒れて、興銀なりあるいは持株なり、復金なり、いわゆる興銀を中心にした政界、財界の新しい一つの独占形体ができる、こういうことですか。
○森証人 私はそういうふうに考えたのです。
○足立委員 もう一つお尋ねしますが、あなたの社長退任及び首切りについて、持株委員会が重圧を加えたということは否定できない。ところが持株委員会はこういう方面に容喙をし重圧を加えるといろ権限があると解釈された人はないと思いますが……。
○森証人 私はないと思います。
○足立委員 そり当時もないと思つて、おりましたか。
○森証人 当時もないと思つておりました。私はほんとうのことを言うと、自分は追放になるけれども、一発やろうと思つた。
○足立委員 追放になるけれども一発やるというのは、追放に対して解除をやるというのですか。
○森証人 いやそうでなく、理屈をはつきりしようと思つたのです。ところが私は裸です。親類縁者があるわけでないし、自分だつて裸だからかまわないけれども、片方に道連れがあるので、私はどうしてもそれができなかつた。
○足立委員 そうしますと持株においてはそういう権限がないということをあなたは考えておつて、これはまつたく越権行為である。現在もあなたは事業人として、持株整理委員会がどういう働きをしておると思いますか。現在あなたは昭和電工の乗取りから、これを契機として、あれが現在どういうような影響を財界に及ぼしているかということに対する、あなたの御見解はいかがですか。
○森証人 はつきり申し上げますと、私は非常に財界を毒したと思つております。
○足立委員 どういう点で毒したのですか。
○森証人 つまり私の事件があつたあと、ときどき財界人などと会つてみますと、みんな非常に恐怖心に駆られておりました。これではまじめな経営はできないだろう。つまり経営者として安心して仕事ができないだろう。それから少くとも持株整理委員会がぼくよりかはつきりいいと認めて推薦してやつておる人だちが、相当脱線しておるということを考えれば、また私がやめるまでは少くとも金融業者というものは非常にまじめなものだと思つておつた。まさか金融業者が金を貸して、頭をはねるということは、私の時代まではなかつたと思う。しかしその後あれを契機として、どこでも銀行が金を貸す場合には頭をはねる、つまり賄賂をどる。これはあの事件が事の起りではなかろうか。そうすれば持株整理委員会というものは、日本にずいぶん悪い歴史をつくつたのじやないかと私は思います。これはしかし進駐軍と一心同体だというならば話は別ですけれども……。
○足立委員 それであなたの言われる恐怖を覚える事業会社という意味は、強圧的に会社を経営してきたスタツフが切りかえられてしまうというわけで恐怖を覚えるとおつしやるのですか。
○森証人 そうです。私はこう思つたのです。つまり連合軍のデイレクテイブとかポツダム宣言とかいうものが基準で、その範囲で日本人は自由に動けるものだという解釈をしておりました。だから期限がくるまでは勝手にやれるものだ。日本人の権利というものは、ある一定のわく以内ならば十分やれるものだということを思つたのです。ところがかりに森系だと言つて簡單に首を切らせたり、デイレクテイブを切らせたりするということは、私は当然越権じやないかと思つております。こういうことがかりにあるとすれば、経営者だつて安心して経営できないし、従業員だつてそれはうかうかしておられないと思います。
○足立委員 あなたは昭和電工の従来からの経営について、自分は眞剣にやつてきた。一つの欠陷もないと考えでおりましだが。それとも多分に自分が問われて批判されなければならないと思つておりましたか。
○森証人 私はあるいは世間は批判するかもしれませんが、私の良心に対して一分一厘悪いところはないと思つております。
○足立委員 しからば客観的に見て、昭和電工の今までの経営なり何なりをあなたがやつてきたということに、あなたはやはり間違つていない、正しいことをやつておつたと思つておられますか。
○森証人 思つております。
○足立委員 ちよつと市村さんにお伺いしますが、二十四時間以内に社長をやめなかつたならば、財閥に指定する——さつき鍛冶さんの方でだれにこのことを聴いたと言われましたが、あなたは森さんか、石川さんなり成田さんにそういう話をされて、それを聴いたというわけじやないのですか。
○市村証人 そうでないのです。森さんから聴いてきたのは、そういううわさを信じて、どうせ市村という男はがんこなやつだから、G・H・Qが何と言おうと、きつと日野原は受けつけないだろう。森氏は私先ほども言いましたように、あまり金を持つていないのだからかまわない。私は鈴木さんという人はあまり知らない。私が強硬に言つて日野原氏をつつぱつて、総会で宣言しなかつたら、森はいいとしても鈴木に迷惑をかけることは、私はよく知らないことだし、どういうことになるかしれないから、これはいかぬと思つて観念したわけです。
○鍛冶委員 先ほどの話のうちで、川崎工場へ調べに来たのは何月何日ですか。
○森証人 それはまだ日がわからないのです。二月なかばころです。
○鍛冶委員 これよりずつと前です。三月二十日以前ですね。それで先ほどのお話では、調べた後、次の日來いというのでおいでになられたら、財閥指定と言われたが、私よくわからなかつたのですが……。
○森証人 それは財閥指定ではなくて、財閥を指定するためにいろいろの調査をする刀だから一つの形式を渡すから、これに書き入れてこいということであつた。
○鍛冶委員 そうするとやはりそういうことがあつたのなら、あとから財閥指定ということがなおさらぴんとあなたに響いてきたのではありませんか。
○森証人 そういうこともあるかもしれません。
○鍛冶委員 それからその次は、先ほど帳簿を調べると言つたが、ほんとうに調べに来たと思わなかつたと言われたが、ほんとうに調べに來なければ何が目的だつたと思われるのですか。
○森証人 それはわからないのです。調べるのならちやんと端から調べるし、殊にあれだけの大工場を一人でもつて一時間やそこらで調べられるものではないから……。
○鍛冶委員 いやがらせであるとか、何か欠点があるらしく思わせる。そういうところに落ちつくわけですか。
○森証人 それはまあ普通できたのではなさそうでした。
○鍛冶委員 ついでに伺いたい。先ほど委員長も言われたのですが、日野原氏の乗つ取りであるということが今になつてわかると言われるのですが、結果だけのことを聴きましたが、今日でもよろしい。どういう計画をもつて、どういうことでやつてきたとあなたが考え、あなたが経験してこられたところで、その事実をひとつ聽きたいと思います。
○森証人 私はまだ日野原氏に会つたことがないのです。だからどういう計画をもつているか聴いたこともなければ、何もわかりませんけれども、ただ私が知つておる事柄は新聞、雑誌で知る事柄だけです。
○鍛冶委員 それらの点で大体こういうことで乗つ取つていつたのだと思われる点があるでしよう。その点を聽いておきたいのです。
○森証人 それは今まで申し上げたことたけだと思います。
○鍛冶委員 たとえば帳簿を調べにきたのもどうであるとか、笹山氏が言うたのはどうであるとか、それらのことがなければ乗つ取るということはないのですから……。それらについてこういう計画があつたのだということを今日思つておられるのですから、実際あなたの感じなり、経験してこられたことをお伺いしたい。そういう事実をお聽きしたいのです。
○森証人 事実と申しますのは、乗つ取つたという事実ですか。
○鍛冶委員 乗つ取つたという計画、大体こういう計画だつたと思われる点を聽きたい。
○森証人 それは全然わかりません。
○鍛冶委員 あなたのお感じですが、乗つ取られたという……。
○森証人 それはつまりまだ時間が來ないのに早急にやめなければならなかつた。まだ私は当然やつている権利はめつたわけです。それでその後一遍スクリーンを通した重役を、スクリーンを通す前に社員からあがつた重役でない。——一遍通した重役をまたやめなければならぬ。それから職員を大量に首切るという事実から……。
○鍛冶委員 もつと具体的に言えば、一体日野原というのはどうしてこういつところに現われてきたのですか。
○森証人 それは私にわからない。
○鍛冶委員 その後聞いたり想像したり、なるほどそうであつたのかと特に思い当ることはありませんか。
○森証人 それはわかりませんけれども、今みんなあげられている人たちの頭にはあつたのじやないかと思います。
○徳田委員 ちよつと明確にするために聽いておきますけれども、追放になる理由は財閥というあれですか。
○森証人 いや、そうではない、戰争中昭和電工の社長をした。幾日かは忘れましたけれども、私は大体五月に社長になるということになつた。そして鈴木さんは老人でして五月の空襲で逃げ出したのです。これはいくさに負ける、だれか後継きしなければならぬ。私は若いものだから、お前來てひとつやれ、こういうので、昭和電工は五月か六月に定時総会がほんとうはあるのですが、定時総会を待ち切れないうちに私は五月に社長になつた。つまり十日か十五日待ち切れないほど情勢が逼迫したのです。だから私は前の会社をやめるわけにもいかないしするので、引継ぎ期間なんかありまして、私戰争中といえどもそんなに仕事にタッチしなかつたというので免除になるかもしれぬ、免除してくれということを言いました。ただその間二月か三月の間のいわゆる昭和電工の社長という……。
○徳田委員 昭和電工の社長というものは、昭和電二が戰争に協力したという、戰争協力者として追放になつた。そうするとそれは政界並びに財界両方ですか。
○森証人 公職全部です。
○徳田委員 これが解除になつたのはいつですか。
○森証人 今年の五月二十五日。
○徳田委員 その理由は……。
○森証人 理由は私よくわかりませんけれども、これがたしかカトリツクの人たちがやつてくれたのだと思うのです。
○徳田委員 そうするとカトリツクによつて、人情でというわけですか。
○森証人 いや、それはよくわかりませんけれども、私は戰争中あの連中が困つていたので、それをいくらか助けた、その恩義というものだと私は思うのです。
○徳田委員 そうすると追放された理由は薄弱ですね。
○森証人 薄弱かどうか知りませんけれども……
○徳田委員 だから薄弱でなければ、それくらいのカトリツクが願つたからと言つてもそうにならないでしよう。要するに薄弱でたいした大きなことはなかつたということになるのですね。
○森証人 それで追放になるときも異論あつたのです。
○徳田委員 わかりました。そこで追放になるとぎのことをちよつと聽いておきます。三月十八日に笹山委員長があなたを呼びまして、そのときに責任を負い、やめた方がよい、さもないと重大事態が起るかもしらぬ、こう言うた。責任を負いといろのは経理その他の……。
○森証人 それはそう言いません。経理の問題は出ませんでした。
○徳田委員 そうすると何にも言わずに重大事件が起るかもしれないから……。
○森証人 追放になるからやめた方がよい。
○徳田委員 それから財閥に指定するようになるかもしれなやから、社長を辞任した方がよいということが、重大事件が起るかもしれないということに含んでおるわけですか。
○森証人 そうです。
○徳田委員 財閥に指定になるということを特に言うたわけではないのですか。
○森証人 それは言わなかつたけれども、同じことでした。
○徳田委員 そうすると、そういうことを言われた際に、これは持株整理委員会の意見であるか、スキヤツプの意見であるかどいうことを反問したことはありませんか。
○森証人 しました。
○徳田委員 向うはどう答えたのですか。
○森証人 つまり持株整理委員会とスキヤツプとは、言葉は忘れましたけれども、表裏一体であるということを言いました。
○徳田委員 そうするとその当時ザイビユーラー氏を訪ねてそのことを確かめましたか。それは向うはどう言いましたか。
○森証人 命令はとないけれども、持株整理委員会の言うことはおれの方の言うことと同じことだ……。
○徳田委員 そうすると二日おいて二十日ごろに川崎守之助氏があなたを訪ねたのですか。
○森証人 ええ。
○徳田委員 川崎氏はあなたに何か言いませんでしたか。
○森証人 会つたのかどうか忘れましたが……。
○徳田委員 サイビユーラー氏に会つて何かあなたに警告のようなことを……
○森証人 お前まだ会社に行つておるじやないか、すぐやめないとたいへんだ……。
○徳田委員 ザイビユーラー氏がそういうことを言われた、警告を発したわけですね——そうしますと三日越えて二十三日にあなたの宅に辞職した重役を呼んで謝礼の宴をしたというようなことがありましたか。
○森証人 宴ではなくて、私日附はちよつとわからないのですが、川崎氏の話の翌日か翌々日だつたか、朝呼んだのです。來てくれといつて呼びまして、絶対にお互いに出ないようにしよう、最後にしようと話をしたのです。
○徳田委員 そうするとお互いに謹慎しようということを言つたわけですか。
○森証人 そうです。
○徳田委員 そうするとそのことに関して翌日川崎氏が、ザイビユーラー氏は、森が自分の宅へ社の幹部を呼んで集めておるというようなことを言つて非常に怒られたという警告をしたことがありますか。
○森証人 記憶がはつきりしないのですが、私は非常に何遍も、川崎ばかりでなく、いろいろな人からそういう話を聽いたのです。私はそれをザイビユーラー氏の方から聽いてきまして家にひつこんでおつたのですが、やめた人たちを翌日か翌々日の朝呼んだ、そういうことで、もうみんな出るのをやめようと言つたのですが、その前に川崎氏に聽いたのか、あとかわからないが、謹愼していないということ、会社に出ておるということ、二度か一遍かわからない……。
○徳田委員 そういう覚えはありますね。
○森証人 あります。
○徳田委員 そうすると三月二十七日に市村君に会つたことがありますか。
○森証人 ありません。笹山に会つた瞬間から全然昭和電工のたれとも会わなかつた。
○徳田委員 それはないのですね。総会の前日に会つたということは……これはさつきから皆さんにお聽きしておるのですが、この日本肥料の関係が非常に私は重大なことだと思う。日本肥料というものは先ほど申しましたように統制会社である。これ自身に財産を持たすべき性質のものでなく、自身が事業をすべき性質のものではない。これは生産するとすれば元の出資者、いろいろの人に返さなければならぬ。これが五万トンという生産を目論んでそして海軍工廠を轉換するというようなことは非常だ解しがたいのですが、これはどういうわけですか。
○森証人 その当時日本肥料会社というのは統制会社です。これは配給だけの仕事であります。それが工場をもち、金融を支配したら日本肥料会社が日本の肥料の生産から金融配給全部に行つてしまう。これは非常に悪いことです。
○徳田委員 非常に独占的なことですね。それがこういうことをするということはあり得ないことだと思いますが、そこに肥料界における何か魂胆があるのじやありませんか。ここが非常に重大だと思うのですが、昭和電工の問題を解明する一つの大きな出発点だと思うのですがどうですか。
○森証人 それはわかりませんが、私は当時日本肥料会社が金融をやる。その出した金融もわずかな金融で大した金融じやない。それ吃かりにも農林省が——つまりあれは農林中金から出る金です。それを日本肥料が扱うというのは私は間違いだということを非常に痛感したのです。
○徳田委員 農林中金を通じて金を一本につかんで、他方では販賣機関をつかんでおるわけですね。それがもう一つまたここにこれをつくろうというのがきわめて私は不思議に思います。
○森証人 殊に平時でもそういうことは私はやるべきことじやないと思うし、許されないことだと思う。殊にあれは終戦直後ですから、私は非常に不合理かと思つてそれに反対してきたのですが……。
○徳田委員 日本肥料というのは大体官僚が握つているわけだが、官僚と中金とが結合しでここにやはり大きな野望があるのではないか。そうして海軍工廠を乗つとるあれがある。これは四日市で非常に重大な問題を起しておりますね。あそこで特殊物件を大分かつばらつて相当重大な事件として起つているのですが、この間の消息についてあなたに全然御存じありませんか。
○森証人 それは私わかりません。
○徳田委員 この金を海軍工廠を利用してここへ金を逃がしておいて、そうして生産するときにこれに引きかわろうというあれじやないですか。
○森証人 それはわかりませんけれども、その当時四日市と徳山ですが、あれも計画になつたようだし、かなり大きな計画でした。
○徳田委員 徳山は大して盗まれないですんでおりますが、四日市の方は相当これは盗まれた。私は四日市に行つたことがありますからよく知つておりますが、相当やられておる。この関係が成立つかというと、あなたの方の復興計画があつたときに肥料審議会で非常に反対があつたのじやないですか。
○森証人 それは私聞きません。つまり私のところが世間で石橋に金をやつておるのだろうとか言うのですが、私はそういう運動費は一銭も使いません。なぜやつたかというと終戦の直後にやつたのです。まだ苫米地さんなんか、あなたは金に困るだろうから一緒に金のことはやろうじやないかと言つたのですが、まだ苫米地さんなどのところでは計画が立たぬと言う。どこでも計画は立たぬというのに一番先にすつと行つたのです。
○徳田委員 審議会でも問題にならなかつたのですか。
○森証人 そういう話は全然聞かなかつた。
○徳田委員 もつともあなたのお父さん以来非常に足が早いので有名ですからそれはわれわれよく知つております。非常に俊敏であつたことに対しては同感ですが、そうすると審議会では何ら問題なかつたのですね。
○森証人 何も聞きません。
○徳田委員 ところがこの審議会で問題になつていたから、あとで五万トンの問題が出てきたのじやないですか。
○森証人 五万トンというのは……。
○徳田委員 三十万トンの計画を二十五万トンにして……。
○森証人 それは、三十万トンというのは公称です。フルにやつて三十万トンで、三十五万トンというのに渇水期などのを全部引いたものです。あと減されたのは電解、散系、これはおつしやる通りですが一世間の振合いからいつて、そうなつたのかもしれません。
○徳田委員 だから昭和電工ばかり抜けるから、それに対して逆襲したということがあるのじやないですか。それが日本肥料を通じて行われているのじやないですか。
○森証人 そうです。それはそういうことはあります。あと計画の途中において世間が知つたときには、八億の融資が発表になつたのを、ばかに昭和電工はでかくやるじやないか。ほんとうは金を使つても、川崎の復旧などはもともと五千万円、あとは轉換だけですが、金額からいつてばかにでかい。それだから世間であれよれよと言いだした。だから削つてやれということを言われだしたのです。
○徳田委員 このとき五万トン削れと言つた官僚はたれですか。これを担当したのはたれですか。
○森証人 散系が減つたというのは私どものあとです。私どものときは悪口を聽いたのですが、現実にたれからもそういう交渉はなかつた。
○徳田委員 この官僚が日本肥料と結託してやつたはずだが、そのときに五万トンを日本肥料にやるということを決定したのは、官僚はたれですか。
○森証人 私どものときはまだきまつてなかつたと思います。
○徳田委員 その後にでも聽いておりませんか。
○鎌田証人 きまつていました。ちよつと補足的に申し上げますが、公称三十万トンだから、実際には渇水期を見ると二十五万トン出る。それでは公称を二十五万トンにして、五万トンは今の電工の大仲齋太郎、あれが硫安組合の常務理事で、日本肥料や電工や、方方例の調子で斡旋してまわつた。それで五万トン減しても実質的には昭和電工は二十五万トンじやないか。それではその分は四日市をあれにしてつつ込もうということで、硫安組合で案ができて、全部オーケーになつたということを聽いております。
○徳田委員 この大仲君というのは……。
○鎌田証人 電工を減す方にかかつた男です。
○徳田委員 日本肥料の常務理事ですか。
○鎌田証人 当時の硫安組合です。
○徳田委員 そうすると、これとタイアツプした官僚はたれですか。
○鎌田証人 当時直接の担当官は、さつき田中さんから御質問があつた津田君が数字についてはいろいろあたつておりました。
○徳田委員 そこで問題が、非常におもしろく、というか、大体筋がわかると思う。これらが非常に陰謀をたくらんでいる筋はわかる。
○鎌田証人 ただ津田君にそれだけ迫力があるかどうかということは疑問でありまして、ただ一つの硫安組合というものでまとまつて斡旋の労をとつて、これは公平な数字ではないかというので出した案です。
○徳田委員 これにはやはり重政がいるのでしよう。
○鎌田証人 おります。
○徳田委員 だから重大だというのです。大臣、局長はたれですか。
○森証人 きめたときは……。
○徳田委員 商工省は石井ですね。
○鎌田証人 これはその当時の日を繰つでみればわかるわけです。
○徳田委員 もう一つ。あなた方がやめられる前に日本肥料を通じて、たとえば日野原だの二宮だの、それから末弘だの、こういう連中での一つの計画があるようなことは聞いていませんか。
○森証人 聞きませんでした。何か終りのころになつて……。
○徳田委員 正確にはわからないわけですね。
○森証人 わかりません。
○徳田委員 それじやその辺に止めておきます。日本水素というのは日野原君がやめて後にどういうことになつていますか。
○森証人 知りません。
○徳田委員 何も展開していませんか。何もわからないですか。
○森証人 はあ。
○徳田委員 それでは、持株会社整理委員会は財閥の株を持つてこれを支配するときに、財閥を整理する、いわゆる財閥的色彩のあるものを整理し、これをのけるということはできるけれども、そこへ何か、突つ込んでいくということはできないだろうと思います。が、どうですか。
○森証人 私もそう思います。突つ込んでいくこともできなければ、新しく財閥をつくることもできないではないかと思います。
○徳田委員 つまり掃除人夫なんだから、掃除して、そのあとでまた株主かだれか推薦して——これが適当であるかどうか審査する権利はあるかもしれぬけれども……。
○森証人 拒否権はあるけれども、推薦権はないだろうと思います。
○徳田委員 そうすれば、あなた方があのとき突つ張ればできただろうと思うのですが、持株整理委員会を通じての陰謀があると認めなければならないと思いますが、どうですか。
○森証人 そうでしようね。
○徳田委員 そこでもう一つお聴きしたいのですけれども、鈴本さんの方は財閥に指定されたんですか。
○森誰人 されません。
○徳田委員 その後何ら戦争責任を追及されてるようなことはないですか。
○森証人 何もありません。
○徳田委員 それなら明らかに鈴木さんの方が株主としては大きいんでしよう。
○森証人 はあ。
○徳田委員 いわゆる財閥と言えば、鈴木さんの方がむしろ財閥で、あなたの方は財閥の仕事師じやないですか、口は悪いかもしれませんが。
○森証人 その通りです。世間ではそう認めるんです。
○徳田委員 事実はどうです。
○森証人 事実は、そう言えるかもしれません。私の方の仕事にある程度鈴木家は関係をもつております。向うの仕事はごつちは関係ないのです。
○徳田委員 鈴木の後押しでやつてるわけでしよう。
○森証人 そういうわけでもないです。
○徳田委員 安田とはどう、いう関係ですか。
○森証人 安田とは、親父が仕事をするときに安田から金を出してる……。
○徳田委員 だから、財閥と言えばむしろ安田の方じやないですか。
○森証人 それはその通りです。
○徳田委員 いや、あなたの方を含めての財閥で、あなたの方は安田財閥の仕事場じやないですか。
○森証人 いや、そうじやないですね。安田は株はわずかしか持つておりません。
○徳田委員 しかし、株はそうだけれども、金は出していますね。金融閥というものは大体そういうものですね。淺野だつて安田が動かしておつたじやないですか。
○森証人 安田は、事業はあまりないので、ほんとうは昭和電工なんかともつと緊密な連絡をとりておけばよかつたんだと思いますが、私はそこまで……。
○徳田委員 あれは釘屋だからとめることばかり考えていたという話がありますね。
○森証人 途中で止つたので……。
○徳田委員 それなら大体事情がわかりました。
○鍛冶委員 ちよつと一つ。先ほど金融側業者が金融をしてコンミツシヨンというか賄賂を取るというお話がありました。そこでお聴きしなければならぬのは、栗栖後援会というものを御承知でありましようか。
○森証人 聞きました。
○鍛冶委員 どういうふうに聞いておりますか。
○森証人 よく知りませんけれども、栗栖さんを後援するという会であつて、興銀の関係先そのほかから後援会を……。
○鍛冶委員 すると、あなたの方は興銀から金を借りておつたから、その後援会に入れられたんじやないですか。
○森証人 私のときにはなかつたです。
○鍛冶委員 その後ですか。
○森証人 その後です。
○田中(健)委員 補足する意味でお伺いしますが、小委員会としてこちらで集めた資料によりますと、森さんあなたの興業銀行に対する申込書には返済期限及び方法として、工事完了の際産業復興営團に肩替りをする、これが條件なんですね。そこで大体当時の金融の事情から考えてみまして、これは返済計画のない借入金なんだ、そうしてこれは当時の事情としては当然であり、やむを得なかつたと思う。ところがその後日野原氏が社長になつてからは、日本肥料及び肥料公園の支拂う肥料代金返済の期限及び返済方法としては、営業収益で返すんだ、こういうことになつておるのですが、こう変つたことについてはいろいろ事情があると思いますが、あなたはそれに対してどうお考えになりますか。
○森証人 私はそういうことではあの金は返し得ないと思います。
○田中(健)委員 私もそう思うのでして……。
○森証人 つまり私どもの悩むのは、返し得ない借金をしなければならぬ、これはどうしてもお國で責任を持つてもらわなければならぬ。自分がもし不始末したら、あとでもつて引取つてくれ手がない。それでどうして川崎の工場を公明にやろうかということでとんだ苦労をしたんです。
○田中(健)委員 國営委託ということになりますね。
○森証人 そうです。そのときの私どもの心配は、國が引取つてくれるかどうか。もし高くついたら問題が起る。それでもつて公定価格というものをどうしても——物を買うときに、まだ資金計画のときに、各役所の人たちの了解を得ておかないと困るというのでやつたのです。
○田中(健)委員 そこでまた伺いますが、日野原氏はただいま申し上げましたように、肥料の代金あるいは肥料の値上りを見込んで、その金で返すのだ、こういうことであなたの場合は、産業復興公園に肩がわりする。そこで産業復興公園に肩がわりするまでの間、そこには相当な政治的なずれがあつたこういうふうに私は記憶いたしております。それから衆議院があなたの要求によつて川崎の工場を視察いたしました際に、われわれは工事はだれがやつてもいいけれども、最後には結局政府または政府の代行機関が引取らなければならなくなるだろうという印象を受けてわれわれは帰つた。そこで当時の内閣は自由党内閣、農林大臣は和田氏でありますが、結局國営ということを建前にして整備資金が出されるという意味であるならばこれは一應の了承はできる。そこで國営をやるつもりであるかどうかということについては、暫時の農林大臣てあつた和田農林大臣は、イデオロギーとしては國営に賛成であるけれども、まだその段階ではない。しかし実際の融資はこういうような融資形態をとらざるを得なかつたというのが当時の事情であろうと私は思つております。今の國務大臣の森幸太郎氏が本会議なんかで肥料の増産決議案の場合にその点に触れられた。しかしわれわれは野党におつて、本会議でも肥料が國営でなければ増産できないという立場をとつている。だから産業復興公團に渡すということは、当時の國会の議論の焦点であつて、つまり当時の内閣が森さんの会社に対する融資はその見通しによつてこのようにかわつたのですが、当時あなたも代議士でありましたのでそれらの点についてどういうふうにお考えになるか。森幸太郎氏が非常に熱心に昭電に対する融資問題あるいは復興金融金庫、あるいは肥料増産などにきわめて熱心であつた。それにまた石橋氏なんかも相当支持したように思うのですが、その点が自由党内閣が一應世間からかれこれ言われる点ではないかと思うのです。これにからんで、当時の自由党内閣にもいろいろの問題があるのだという者があるのですが、一体森財閥というものは、何か職夢中でも、たとえば大蔵大臣であつた賀屋氏などに森財閥が相当に支持を得ておつたというようなことがあつたものですか。それと今の國会において昭電の融資に関する問題が、相当やかましいということについて、あなだのその当時考えておつたことを総括してお述べになつていただきたいと思う。
○森証人 実は私は代議士のとき初めは無所属でして、その後自由党にはいつたのですが、私は党と会社とはまつたく関係を断つておりました。あれだけの仕事をするので、世間ではいわゆる森財閥というので自由党には相当金が出るだろうと思うし、また党員でもそういうことを思つた人があるかもしれませんが、ほんとうのことを申しますと、私は自由党とは一銭の縁もありません。それから石橋大藏大臣、森幸太郎、あるいはその他の人とも実は一銭の行き來もないのでございます。あの仕事を計画する場合に党の人には全然私は相談もしたことはない。また一言も顧みませんでした。ただ議会の皆さんにどうしても御了解を願いたいと思つたので、いつか川崎に案内したあれきりでございます。議会の代議士と仕事との関係はそれきりであります。
○田中(健)委員 しかし当時自由党内閣で、與党の自由党の森幸太郎氏が党議をもつて肥料増産決議案を、しかも緊急に上程しなければならぬ——もちろんわれわれも上程しなければならぬと思つたから、各派の共同提案にしてやつたのですが、しかし肥料増産決議案というのが、昭和電工、当時のあなたの会社と離れて、森幸太郎氏が党議をもつて各派共同提案でやろうじやないかということで、結局それは肥料國営にいくらかの関連性があるのですが……。
○森証人 それは関係ないけれども、ざつくばらんに打ち明けた話が、自由党が私に入党を進めてきた。それで私がはいつたので、自由党とすればああいうことをやつでくれたのではないかと思う。森さんという人は話をしたことはないのですけれども……。
○田中(健)委員 森幸太郎氏はあの通り農政通でありますから、あるいは自由党における農村問題のひとつの先駆者としておやりになつたかどうかもしりません。
○森証人 正直に言つて、私はあの人に一遍も説明したこともないし、この話をしたこともないのですけれども、あの人は使う方の側、配給の側、私たちはつくる方の側なので、使う方の側から言えば肥料を一トンでも余計安く、私たちとしてはむしろ高く買つてもらわなければならぬ。農林省がちようど二つの流れがあるのですがうそれで森さんの力は党としてはやつていただいたでしようけれども、昭和電工の関係は何もない。
○田中(健)委員 強いる意味で言うのではないけれども、当時の自由党関係の代議士の一部の者の中には、四月選挙で自由党の内閣ができれば軍の物資も拂下げになるだろうとかなんとかいうにせ手紙を出した者もあるが、結局昭和電工は栗栖、日野原、二宮の線に奪われてしまうし、選挙の方は片山内閣に負けてしまつた形になつて、まるでとびに油あげをさらわれてしまつたと世間では言う人もある。だから自由党内閣時代にも相当なことがあつたのだということを言う人もあるから、その点は社長であるあなたから直接こういう席上において発表していただく方がいいのではないかと思います。
○森証人 どうかその点御遠慮なく皆さんに御質問願いたいと思います。
○田中(健)委員 大体自由党内閣時代には森さんの方には臭いことは一つもない。こういうわけですか。
○森証人 全然ありません。私は自由党にはそういう関係はまつたくないのです。ほんとうのことを申しますと、世間でも当時そう思つておりますし、大分そういうことを聞きました。それで自由党が本部をつくりましたあのときに、各代議士は一万円出せという、とであつたが、とうとう私はその金も出してない。クラブで將棋盤を買つたとき私はその金も出してない。それだけのことでも将来一銭も関係がないということは言い得ないと思つて、私はやらなかつた。
○石田(一)委員 ちよつとお伺いしますが、さきの七億九千いくらがあとから十五億ということになりましたが、この十五億の範囲内で先ほどから川崎の工場あたりに六〇%くらい受入れられて、工事の面で七〇%完成したというが、この範囲内ですか。
○森証人 範囲内です。
○石田(一)委員 そうするとあとは、たとえば川崎の残りの三〇%の工事をするためには、その当時の計算で十五億の六〇%分のその三〇%があればできるという計算ができるわけですね。
○森証人 そうです。全部含めてです。
○石田(一)委員 そうすると、それは復金の関係でなくて、興銀か何かの関係であつて、日野原社長になつてからの二十八億いくらは別個のものですね。
○森証人 それはわかりませんけれども、私たちがやつておれば十五億で大体終つたと信じます。かりに出てもそんなに出ないと思います。つまり先の八億というのは終戦直後の値段で、値上りの分が入つてない。それを全部集計したものが十五億です。
○石田(一)委員 それからいち番最初にあなたがちつとも進駐軍関係の人を訪聞していないといううわさがあつたので、第八軍のバラード大佐にお会いになつた。そのときにあなたはざつくばらんに今までの自分の経歴をおつしやつた。そうするとそれを承知で依頼されて、世間が驚くくらいな早さで復興し、また終戦の年の暮にはすでに白い物が市中に賣り出されるというところまで進んでおつた。またドライ・アイスをつくることの話があつて、これも二箇月の期間で終えた。にもかかわらず、ヘンダーソン氏とか、ザイビユーラー氏に会つたときには、それがいつの間にか全然反対の、要するに簡単に言えば冷遇されてきたということは、はたして進駐軍の方の意向でされたのか。それとも日野原氏のある一つの系統の、たとえば持株会社整理委員会、あるいは二宮氏あたりの策動によつて向うの意思がかわつたのか。今こういうような考え方をしてみますときに、あなたはどちらの方が先に動いたとお考えになりますか。
○森証人 私はG・H・Qが先だとは思いません。
○石田(一)委員 日本人の方から先に働きかけたのですか。
○森証人 もし働きかけたことがあるとすれば日本人だろうと思います。
○石田(一)委員 私も実はそう考えたいのです。日野原氏をG・H・Q関係で知つているわけでなし、あなたのことを調べたといつてもそれほど日野原氏と比べてどうということはないと思う。そうするとあなたの今おつしやつた日本人関係から働きかけてヘンダーソンやザイビユーラー氏あたりはそういうふうな意見に変つていつたのではないか、こういうふうにあなたもお感じになつたというぐあいだいいのですね。
○森証人 私もそう思います。
○河井委員長代理 これで証人調べは済みました。
○足立委員 明後日笹山氏を調べる折に鎌田氏と市村氏とは来ていただくことになつておりますが、やはり森さんにも明後日証人として出席を願いたいと思いますので、お諮り願います。
○河井委員長代理 ただいまの足立さんの動議の通り、明後日森さんにもう一遍来てもらうことに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○河井委員長代理 それでは御苦労ですが明後日もう一遍おいでを願いたいと思います。 本日はこれにて散会いたします。 午後八時二十五分散会