在外同胞引揚問題に関する特別委員会第1小委員会 第1号
- 発言数
- 33 件
- 登壇者
- 7 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1947/09/19
会議録
○委員長(山田節男君) それでは只今から、海外在外同胞引揚問題に關する特別委員會の第一小委員會を開會いたします。 本第一小委員會に付託されました請願それから陳情でございまするが、請願は合せて六件、それから陳情の方は三十一件、請願陳情合計三十七件ございます。尚この請願竝に陳情を分類いたしますと、大體厚生、引揚促進、それから第三には住宅、これに分類せられるような次第でありますので、今回決められました第一小委員の十四名、委員長を除きました十三名、この委員の方々を三つの部門に分けて、一つ御分擔を願つて審査審議して頂きたいと存ずる次第であります。それにつきましては、この厚生、それから引揚促進、それから住宅、このおのおのの部門に主査と申しますか、擔任の指導者と申しますか、これをお願いしたいと思うのでありますが、固よりこの十三名の委員の方々からこれを一つお選びしたいのであります。その方法につきましていかがいたしましようか。
○淺岡信夫君 只今委員長のお話でございまして、厚生、促進、住宅、この三つを十三名の中から御選擇になる、こうしたことにつきまして委員長に御一任いたし、委員長の御指名をお願いいたしたいと思うのですが、一つ皆さんにお諮り頂きたいと思います。
○委員長(山田節男君) 只今の淺岡委員の御提案に對して御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(山田節男君) 御異議ないようでございますから、それでは潜越でございまするが、委員長から御指名申上げます。先程申上げました三つの分類の主査といたしまして、厚生關係の方には中平委員をお願いしたいと思います。それから引揚促進の部門につきましては淺岡委員にお願いしたいと思います。それから住宅に関する部門につきましては星野委員にお願い申上げたいと存じます。 主査はこれで決定いたしたわけでございまするが、尚殘る委員の皆様にこの三つの部門におのおの所屬して頂いて、請願竝びに陳情の審査につきましての御協力を仰ぎたいと存ずるのでありますが、これはいかがいたしたものでございましようか。各主査において御人選願うか否かについて一つ御意見を伺いたいと思います。
○中平常太郎君 只今主査が決まりましたのでありますが、主査の部門に附屬して共々に御協力を願うという各委員の人選につきましては、これ又委員長に適當に御選任を願いまして、然るべく配屬して頂きたいと思います。
○委員長(山田節男君) 只今の中平委員の御提案に對して御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(山田節男君) 御異議ないものと認めまして、それでは潜越でございまするが委員長から御指名申上げます。先ず厚生部門でございますが、その方では最初中平委員の外に小林英三君、宇都宮登君、楠見義男君、合計四方をお願いいたします。
○淺岡信夫君 ちよつと一つ申上げたいことがあるのでございます。それは今主査をお決めになりまして、それから殘る十三名の各委員の方々を分類頂くのでございますが、私これは希望なのでございますが、引揚促進の問題につきましてはなかなかこれはいずれも大變なことでございますけれども、特に一つ委員長のお計らいで一名ぐらい殖やして頂くような御配慮を頂きたいと思うのでございます。一つお含み置きを頂きたいと思います。
○委員長(山田節男君) かしこまいりました。今の厚生部門は只今申上げましたように、中平委員、これは主査でありまして、小林英三君、宇都宮登君、楠見義男君。 それから只今淺岡委員からの御希望もございましたので、その點を考慮いたしまして、引揚促進の部門には淺岡主査の外に、木内キヤウ君、井上なつゑ君、千田正君、藤井新一君、合計五名の方にお願いたしたいと思います。 最後に住宅の部門につきましては、星野主査の外に田村文吉君、高橋啓君、中西功君、合計四方にお願い申上げることにいたします。 この點につきまして御異議ございませんでしようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(山田節男君) それでは御異議ないものと認めまして、さように決定いたした上で、今後小委員會に付託されました請願並びに陳情の審査を進めて行きたいと存じます。 尚その前に、この小委員會に政府委員の方がお出で下さいました。引揚援護院の長官であられる齊藤さん、それから終戦連絡中央事務局管理部長の磯野さん、それから第一復員局總務部長の荒尾さんがお見えになつておりますので、先月開かれました特別委員會、時日も経つておりますので、その後におきまする在外同胞引揚に關しまする近況について、御報告を頂きたいと存じますが、いかがでございましようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(山田節男君) それではこれから最初に引揚援護院の長官齊藤さんに一般的御報告をお願したいと存じます。
○政府委員(齋藤惣一君) 引揚援護院の官制は御承知のごとく應急援護でございまして、最初十四ヶ所ばかり、浦賀、舞鶴、鹿児島、宇品、佐世保、大竹、名古屋、函館等にございましたのに、只今ではそれぞれの地の役目を果しまして閉鎖いたした所がございます。殘つております所は舞鶴、凾館、佐世保、宇品、それから新らしく作りました横濱でございます。 これらの所で受入れておりまする樣子を極く簡單に九月一日までについて申上げますと、舞鶴はナホトカ即ちシベリヤから參ります者を受入れることになつておりまして、八月中に二萬六十五人を受入れております。それから函館はこれは主として樺太でございます。三隻でしたか四隻でしたか、特に石炭の關係でナホトカの方から函館に入つたものがありますが、大體函館で受入れますのは樺太でございます。それから佐世保でございますが、これは八月中に一萬三百五十九名受入れております。佐世保は主として中國或いは滿洲の方の胡蘆島、それから南方から歸ります者で本邦の船によりまする者の受入れをいたしておりまして、八月中に一萬九千二百一名を受入れております。宇品はこれは南方から參ります者を受けておるのでありますが、主として英國船によりまする者が最近參ることになつております。これは八月中には三千六十五名入つております。それから横濱はこれは中濱と申します所にありまして、横濱の檢疫所と兩方兼ねていたしております。これは實は浦賀を廢めました後に、ぼつりぽつりと或いは米國とか方々から參ります者を受入れるのであります。最近いたしましたことはドイツ人約八百名くらいの者を送り出したのであります。この八月中に入つて來ましたのは僅かに十四名ぐらいでありまして、合計いたしますと八月中に參りました數は……。
○星野芳樹君 函館はいくらですか。
○政府委員(齋藤惣一君) 函館は一萬三百五十九名、その中にこれは陸海軍がございますが、これは復員廰の方からお話があると思いますが、大體一般の居留民が一萬人でございます。大體こういうように受け入れておりますのでございます。 尚これを南方、北方と分けますと、南の方は大體ビルマは片付き、その他も今年中には片付くという見通しをつけております。ただ皆様の御心配になつておりまする、私共の非常に憂慮いたしておりますることは、北方でありまして、樺太から三萬、ナホトカから二萬來るはずなのでありまするのに、八月は一萬を少し超えたというだけでありまして、約二萬からの數字が減つておりますことは、誠にこの氣候の良い時にと思いますのに非常に殘念に思うことであります。 これが大體受け入れの様子でございますが、これらの歸つて參りました人人の健康状態を先ず申しますと、歸つて參ります所によつて違いますのでありますが、北方から歸りました者は、やはりどうも榮養状態が良くないようであります。南方の方は心配なこともありましたけれども、氣候の關係が良いためでありますか、まだそれ程の心配はございませんが、これも又やはり榮養の關係においては十分だとは申されません。それからこれらの人々に對しまして、今結核に關する調査と、花柳病に關する檢査をいたしておりまして、これも著々進んでおりまして、まだその成果についての御報告を申すことはできませんが、心配いたしておりました花柳病の方などは餘り大きい數字ではございません。全體の数字ができましたら御報告申上げたいと思います。 それからこれらの人々の歸つて參りますときに、北の方から歸りまする人人は特殊の教育を施されて歸る者もあるように聞いておりましたが、これも又いろいろ調査をいたしおります。これは私自身もその懇談會などに出て見ましたが、いろいろの形で現れて參つております。 それからそれらの人々が歸りましてから後の問題は、仕事を見付けること、或いは家の問題、又生業資金によりまして仕事をいたしまする問題等がございます。それから定著援護につきましては、實は餘り手を伸べることは私共の仕事ではないのでありますけれども、應急援護にどうしても關係あるものと心得ていたしておりまする事柄がございます。それは上陸地におきまして、成るべく最近は給與いたしまするもの、例えば手布でありますとか、上衣でありますとか、袴でありますとか、婦人服でありますとか、或いは子供服でありますとかいうものをそれぞれ給與いたしますのに、それらの人人が地方に歸られて更に得られるというまでに、以前よりも少し給與を良くするということを今いたしております。そしてあとの生業賢金、その他のことにつきましては、これは以前と變つたことはございません。ただ上陸地におきましてなるべく一つ物を餘計に上げようじやないかということを常に實行いたしております。そして郷里へ歸られるまでにそれを持つて歸られるようにするという手配をいたしておるわけであります。先般は本院の方からも舞鶴等にお出でを頂きまして、その關係者は、非常に激勵を受けまして、皆さんのお出でになりました節のいろいろの御注意なり又激勵を頂きましたことに對して、関係の者が非常に感謝をいたしております。私から改めてお禮を申上げたいと思います。 その他のこともございますが、他の方の御報告もあろうかと思いますし、ダブりますこともあるかと思いますから、尚御質問がございましたらお答えすることにいたしたいと思います。最近のことを概略を申上げたのであります。
○中平常太郎君 舞鶴では二萬何ぼですか。
○政府委員(齋藤惣一君) 舞鶴は二萬六十五名であります。
○中平常太郎君 それから佐世保……。
○政府委員(齋藤惣一君) 佐世保は一萬九千二百一名、それから水害のことで案外のことが起りましたのは、汽車の通じませんために東京に、正確な數字は分りませんが、六七百名の方が停頓されておる、つまりお歸りになれないわけであります。今朝實は九時にお見舞に行くことにしておつたのでありますが、この委員會がありましたので參りませんでしたが、午後にでも行つて參りたいと思つております。それから各援護局には、東京その他途中でお困りになるよりも、そういう水害地の方には、汽車の通じますまで數日お泊めして置く方がよかろうという手配をしております。中には折角お歸りになつても家がなくなつたどいうような、誠に氣の毒なお方がおありだろうと思います。
○星野芳樹君 あの函館の數がそれぞれ米ソ協定によつて五萬となつて、その大體の内定の内譯がシベリヤから二萬、樺太から三萬ということであつたのでありますが。先月函館が非常に少かつたというその原因は何か推定されましようか。
○政府委員(齋藤惣一君) 想像以外にございません。その想像話でお許しを頂きますと、今實は調べさしていますが、ちよつとこれは速記を止めて頂きたいと思います。
○委員長(山田節男君) 速記を止めて。 〔速記中止〕
○委員長(山田節男君) 速記を始めて。
○淺岡信夫君 齋藤長官から詳細なる御説明を拜しまして非常に私は喜んでおる者であります。ただ私二三點氣がついたことを申上げて今後の御善處に遺憾なきを期して頂きたいと思いますことは、齋藤長官が申されました引揚げて來た人たちが水害地で歸れずに、品川或いは上野地區に約六百近くおられるということでございまするが、この人たちは先般私共舞鶴に參りまして、實際引揚げて來たその直後の状況を見まして、今ここで想像いたしますと、より以上打たれるものでございますが、祖國に著いてほつとした、さて家へ歸つて行こうとすると水害で歸れん、東京の上野或いは品川地區に留つておるということはこれはいても立つてもたまらん氣持だろうと思うのであります。こうした人たちに對しまして、實は昨日も參議院におきましての本會議で、内務大臣或いは厚生大臣、農林大臣ら逐次いろいろなお話、報告を承つたのでございますけれども、この引揚げて來た六百名の人、これから更に舞鶴なり或いはその他の地區に船が著いて、引揚げて來た人たちでやはりこうした同じ憂目を見る人たちが相當あるのじやないかということを考えるのであります。そういう點につきまして、こうした人たちの更生的な援護ということは又別個に考えるといたしまして、とにかく、でき得ますことでありますならば、救急援護というようなことにつきまして更に一段と遺憾なきを期して頂きたい、こう思うのでございます。ということは、ただ單にこの人たちをより以上見るという問題でなくして、この人たちが、そこに入つて行つて定住して行く上において、非常にいい示唆ともなるのじやないかということを考えておるのであります。その點につきまして特に御留意頂きたいと思うのであります。 それからもう一つは、過日私共が舞鶴に參りまして、當時援護院の舞鶴の林次長以下皆さんから非常な行届いた説明なり、或いは更にあすこの施設につきまして要望された點があるのでございますが、歸りましたときに、特別委員會で一應報告はいたして置きました。ところが、例えば石炭問題については商工省に行く、或いはあすこの食糧問題に對する件につきまして農林省に行くというようなことにつきまして、私共はまだ突き進んでその問題に對して要望しておらないのでございます。そういう點もこの次の特別委員會には、農林省竝びに商工省方面からも政府委員の方に出て頂きまして、はつきりと要望をいたしたいと存ずるのでございますが、そういう點も一つお含み頂きまして、尚厚生省といたしましても各省の連絡を密にいたして頂きまして、遺憾なきを期して頂きたい、こう思うのでございます。
○政府委員(齋藤惣一君) 承知いたしました。
○星野芳樹君 齋藤長官の所管範圍を少し超えるかと思いますが、更生援護について、先程住宅、就職、成業資金という問題を簡單に語られましたが、根本的の考え方につきましてちよつと私意見があるのであります。今までの引揚者というのは外地で経營していた人が多かつたわけです。家族持ちで経營していた。それで歸つて來ると、住宅問題が非常に深刻で、成業資金が是非必要だ、又成業資金を貰うと、これを以て自主的に立直つて行くという能力もあつたのであります。ところが、これからの引揚者というのは徴兵で取られた復員者というのが多いのであります。これは勿論住宅とか成業資金が要らないというわけでありませんが、今までのと比較いたしますと、例えば石川縣で調査させたところが、引揚者というのは要援護者が三九%あるのです。ところが復員者は要援護者は二%しかない。そういう點で一應は落付き易いのであります。併しながら今度は成業資金を貰つて自分で經營して行く、獨立の經營をして行くという能力、經驗がないわけであります。その代りこの人たちは非常に苦勞をして來て、秩序に服して勤勞精神が横溢している。こういう特性を持つている。これに對してこれを更生さして行くには、區々たる成業資金を分配するといことより、國家的な大きな産業というようなものに吸収して行く。そうしてこれをしたら、彼等は種々苦勞はして來ているし、同時に物資のないシベリヤその他で生産事業をしていろいろの経験を積んで來ているのですから、國家再建の推進力になると思うのであります。この點が根本的對策じやないかと思う。この線に副つて施策されるように政府部内の輿論を喚起して頂きたいのです。そのために定著地などで、從來の學歴、職業、向うで修得した技能、それに希望というようなものを調査統計してこれを基として、こういう大きな施策を立てるように向けられて頂きたいのであります。
○政府委員(齋藤惣一君) 心得ました。私の直接できることかどうか存じませんが、よく又相談して見ます。
○委員長(山田節男君) それでは次に、終戰連絡事務局の磯野管理部長から、その後におきまする一般的な御報告をお願いしたいと存じます。
○政府委員(磯野勇三君) 引揚の問題につきましては、すでに皆様方十分にいろいろの方面からあらゆる機會に資料をお取りになつていらつしやることと存じまするが、概括的に極めて簡單に全體の状況を申上げさせて頂きたいと思います。 一言申上げますならば、引揚は順調に進んで來ている、或る一地域を除いては極めて順調に進みまして、當初豫定せられておりましたよりも遥かに速やかに凡そ完了いたしておりますし、僅かに殘りました南方もこの十月の中旬頃には完了するということになりまして、その點は司令部當局及び關係の諸國の努力に大いに感謝しなければなならないと思うのであります。 殘る地域はソ聯地域及びその占領地域などでありまして、これから先の問題は專らその地域からの引揚げということになると思います。そういうふうに各地域の引揚が完了いたしまして、もう何處にも殘つておらないかといいますと、必ずしもそうではありませんで、例えば南方の諾地域におきましても二、三百名の戰犯関係者その他が殘つておられます。支那大陸におきましては華中、嘩北に二千名乃至三千々名という収容者がおりまするし、滿洲、これはすでに百十萬ほどの引揚げを完了いたしまして、大部分は勿論濟んだ地域になつておりまするが、まだ中央軍の治下に三萬乃至三萬五千、この六月頃に推定せられた人が殘つておるわけであります。それから滿洲のうち中共地區にも、中共軍に留用せられた形になつておるものがあります。これは男のみならず女の人も非常に多いようでありまするが、これが大凡三萬から三萬五千、これは勿論的確な數は分りませんが、これくらいの人數が残つておるという實情のようであります。 然らばソ聯領域においてはどういう状況かと申上げますと、樺太の方に大體二十萬弱、これは少し外輪に見ての推定でございますが、二十萬弱殘つており、シベリヤに七十萬弱、これも極めて漠然とした數字でございますが、人數が残つておる筈であります。 そこで只今申上げようとして忘れましたが、中央軍の治下におります満洲の留用者は、去る七月から八月に掛けまして一萬八千數百名が歸還いたしております。これは長く希望せられておつたところでございますが、やつと實現いたしまして、この八月迄に一萬八千歸り、更に九月の中に一萬九百名程歸る豫定で配船の手配を進めてございます。合計三萬の留用者が歸るということになつて參りまするので、大體において中央軍治下の日本人の留用者も、少數を殘しては引揚げを完了するという状況になつております。 まあこれが最近の引揚げについての極めて特異な例でございまして、その外中支その他の留用者も、これは大量ではありませんが、ときどき或いは百二十名とか三百名とかいうような數で随時便がございますので、ときどき歸つて來ておる状況でございます。 問題はソ聯地區でございますが、その他の、樺太につきましても殘留者がどれ程あるかということは、はつきりいたしませんことは、それはソ聯に占領せられた後で樺太から他所へ持つて行かれたということもありまするし、その他いろいろの事情ではつきりした數字がないのでございます。その引揚げは一體どういうことになつておるかと申しますると、外の地域が大凡終りました昨年の暮、我々の方ではソ聯領域からの引揚けが一日も早く開始されることを非常に切望したのでありまするけれども、昨年の暮に至るまでは遂にその實現を見ることなく、やつと十一月二十九日という目附で司令部とソ聯側との間に假りの協定ができまして、それによつて北鮮の二ヶ所、咸興及び元山、それから大連、ナホトカとか眞岡から各五千ずつ、合計二萬五千を歸すという協定ができまして、それによつて歸つて參りましたのが、第一囘のソ聯領域からの引揚げでございまして、それを追つて十二月十九日に司令部とソ聯側との間に改めて本協定ができました。つまり毎月五萬の割合で日本人の軍人及び一般在留民を歸すという協定ができて、それが今日に及んでおるわけでございます。何分にも外の地域が大凡引揚げを完了しました時期に、やつと引揚げを開始した、而もその地域におる日本人が非常に多いという關係で、歸りが遅かつたがために、それが先ず第一の原因で、遅くまで掛らざるを得ないという實情でありまするが、人數がまた極めて少ないのでございまして、この五萬という数字は我我といたしましては勿論非常に物足りないのでございまするけれども、この協定ができました當時は兎に角、今までどうにもならなかつたソ聯領域からやつと五萬の割合で歸つて來るということで、その當時は先ずほつとしたのでありますけれども、我々は司令部に對しましても勿論ごの數字は問題にならなく小さいのであるから、できるだけ氣候の良くなると同時に、これを増大して貰いたいということを常に申しておりましたし、司令部の係官の方におきましても勿論それと同じ氣持で、この協定ができ上りました當時すら、この協定は極めて滿足とすることはできないということを申しておつたくらいでございます。 そこで然らば、毎月五萬ずつの引揚げの豫定がどういうふうに實際に行われておるかと申しますと、これは何處の港から何人ということは協定にはございませんで、ソ聯領域を引括めまして、そのすべての地域から日本に對して月に五萬の割合で歸すということが協定の本文にあるのでございまして、その方法も詳しく書いてございます。 その方法を御參考までに申上げて見ますと、先ず配船の手順が非常に外の地域と比べまして、變つておるのでございます。大體ソ聯が月五萬の割合で歸すということにいたしましてから、一定の地域に引揚げるべき日本人を集結せしめる數がソ聯側の負う義務でありまして、その一定の集結ができますと、その都度ソ聯側から司令部の最高司令官に對して、何處其處の港に何月何日何人の日本人が向かつたから、何處に何日までに船をよこせという配船の要請が來るのでございます。これが十二月十九日の協定の附屬書第一節の二項に書いてございます。その要請を受取りますと、司令部の方からその都度出發いたしまする船の名前と、何處の港を何日に出る、その船はどういう形であつて、大體指定された場所に何日頃到著する、船長の名前は誰であるというような細かいことまでソ聯側に通報いたしまして、その第定に従つて行動するということになつております。これがその附属書の第一節の三項に明白に書いてございます。そうしてそういうふうにして出掛ける船は、ソ聯側から司令部に對して通告があつた日から二週間以内に指定の場所に到著することが必要である、そうでなければ引揚者を乗せてやらんということになつております。これが協定本文の第三節の三項に書いてございます。そうしてその指定せられた通りの時期にこちらから船を持つて参りますると、そこに豫て通知せられました通りの人數が集めてありまして、その時に引揚げさせられる日本人の名簿がロシア語で作つてある、それを船長に渡す手續というようなものまでが附屬書の第三節の四項に書いてあります。凡そ只今申上げましたように、細かいところまでも指定されまして、ソ聯側から通知がなければこちらから船をやることができないということになつておるのであります。 そこで而もこの月五萬の割合で歸すということ、その月五萬人歸すということは、協定の本文の第二節の第二項に明白に書いてございますが、この文句の中にも、若し豫見せられざる状況が發生した場合には、この港にしても變更することがあるかも知れないし、その人數にしても變更されることがあるかも知れたいし、中止することもあるかも知れないというような留保が書いてあります。これは協定本文の第二節四項にありまするが、そういう文句までも入つておるのであります。然らぱ實際にこういうことが起きたことがあるかと申上げますると、大體この協定ができましてからは、ソ聯領域全體といたしましては、本年の六月までは極めて滿足な状況で進んで来ておりました。ということは全體といたしましては五萬を超える數字が引揚げておるのでありますけれども、八月當初は北鮮大連からの引揚げが非常に澤山ありまして、大連地域は殆ど完了いたしましたが、殘るところは樺太とシベリアのみということになるのでありまして、それがこの四月でございますが、四月以來は五萬の數字が、樺太から三萬とシベリアから二萬というふうに、これは協定にはございませんが實際上決められまして、配船の手配もその通りになつておつたのでございまするが、従來樺太から三萬、或いは三萬百名とか三萬二百名とかいつたようにちよつと三萬を上廻るような數字で歸つておりましたのが、八月に至つて樺太から函館への引揚げが、先程お話しがありましたように、一萬三百なにがしというふうに減少いたしました。又九月の當初はもつと數が少いというふうに報ぜられておつたのでありますけれども、結局本月は大體一萬五千歸つて來るという豫定になつております。これは配船の關係方面から申しますと、今まで大體三萬歸る豫定で船を廻しておりましたところが、八月以來ちよつと待つてくれ、引揚者の集結状況が悪いから、改めてこちらから言うまでは従來通りに船をよこして貰つては困るということで、今まで月に十囘行つておりました船が、四囘になり三囘になるということで、船が出ることかできなくなつてしまつたのであります。 そこで、何故にこういうふうに樺太からの引揚げ人數が減つたのかということに非常に我々は憂慮を持つておるのでありますが、ちよつと速記を……。
○委員長(山田節男君) 速記を止めて下さい。 午前十一時三十四分速記中止 —————・————— 午後零時二十分速記開始
○委員長(山田節男君) 速記を始めて……。大分時間が進んでおりますが、次回から實はこの請願を初めといたしまして、いろいろ審議を始めたいと存じます。幸い第一復員局の荒尾總務部長がお見えになつておりますので、概略を一つ御報告願ふことにいたしたいと思います。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○政府委員(荒尾興功君) 時間が大分遲れておりますので極く簡單に申上げます。 先ず第一にお手許に復員の概況という印刷物を配つてありますが、これは九月初めにおきまする舊陸軍並びに舊海軍に属しました兵員の未歸還者の數を書いてございます。未歸還者の區分は、生存概ね確實な残留者、生死等の状況が未だ不明の者二種類が書いてございます。その他にソ聯地域の残留者を合計いたしまして舊陸軍が八十八萬二千、舊海軍が六萬百三十九という數字でございます。今までの復員者の總數は二百八十四萬でございます。 一ヶ月前に詳しく申上げましたので、最近參りました状況だけを附加えますと、先程お話のありましたように、南方の復員につきましては非常に見通しが付きましたので、現地から極めて感激の手紙が參つております。この手紙を通じまして厚く各方面の御盡力に對してお禮を申上げます。 ただこの手紙に書いてありまする内容を讀んで見ますると、やはり二つ三つばかり不安を持つております。第一は、今までいろいろ行違い等がございまして、歸れると思つたものが歸れなかつた、或いは先に歸れると思つて強制勞働に服したところが、後廻しになつたというふうな問題、或いは現地で作業隊の編成せられた時期が遲れたというような部隊は、自分たちだけ後に殘されるのではないかという一抹の不安を懷いて、そういうことのないようにというお手紙が參つております。 第二は、數年來酷熱の地で勤務をしておりましたので、歸る時期が冬になると、とても身體が持たないから、成るべく冬季に入らない前に確實に歸して貰いたいという熱望であります。 その次は、自分たちは歸るとしたならば、あと戰爭裁判等の關係で、殘留せしめられる者に對して非常な心配をしておるようであります。又それらのお留守宅からは、多くの者が歸りました後、これらの者を何とか見て貰いたいという希望を言うて來ておるのであります。
○委員長(山田節男君) ちよつと速記を止めて下さい。 〔速記中止〕
○委員長(山田節男君) 速記を始めて……。今の荒尾政府委員の御説明について何か御質問はございませんか……。それではもう時間も進みましたので、本日の小委員會はこれで終りたいと存じます。次會からは最初に申上げました請願、陳情の種類によりまして、請願につきましては紹介者、それから陳情の部類につきましては、今朝お選び願つた各主査の方々を擔任者としまして、件を追うて審議いたしたいと存じます。尚次會の日取、時間につきましては他の本會議或いは常任委員會等と睨み合はせまして決定の上で、後日公報を以て御報告申上げたいと存じます。本日の小委員會はこれで終りたいと思います。どうも有難うございました。 午後零時二十八分散會 出席者は左の通り。 委員長 山田 節男君 委員 中平常太郎君 藤井 新一君 淺岡 信夫君 木内キヤウ君 井上なつゑ君 楠見 義男君 星野 芳樹君 政府委員 復員事務官 (第一復員局總 務部長) 荒尾 興功君 同 (終戰連絡中央 事務局管理部 長) 磯野 勇三君 引揚援護院長官 齋藤 惣一君