司法委員会 第48号
- 発言数
- 101 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1947/10/13
会議録
○松永委員長 會議を開きます。 裁判官及びその他の裁判所職員の分限に關する法律案を議題として討論にはいります。石川委員。
○石川委員 原案が適切だと存じまして、社會黨を代表して原案に贊成の意を表明いたします。
○松永委員長 吉田安君。
○吉田(安)委員 私は民主黨を代表いたしまして、社會黨御意見の通り、本案に贊成をいたします。
○松永委員長 北浦圭太郎君。
○北浦委員 私は自由黨を代表いたしまして、本案に全面的に贊成いたします。
○松永委員長 討論は終局いたしました。 採決いたします。原案に贊成の諸君の御起立を願います。 〔總員起立〕
○松永委員長 起立總員。よつて本案は原案の通り可決いたしました。 本案に關する委員長報告書は、委員長に作成方御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり)
○松永委員長 それではそのようにいたします。 —————————————
○松永委員長 次いで民法の一部を改正する法律案について審議を進めます。鍛冶良作君。
○鍛冶委員 それでは舊憲法の千一條の二ですが、改正民法の八百九十七條、「系譜、祭具及び墳墓の所有權は、前條の規定にかかわらず、愼習に從つて祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承繼する。但し、被相續人の指定に從つて祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が、これを承繼する。」となつておりますが、今日わが國において、財産を離れて系譜または祭具、または墳墓の相續ということがあり得るかどうかという問題であります。この系譜または祭具を繼ぐということは、舊來からわが國にあつたところの家を繼ぐということと同様の觀念なりと私は考えておるのであります。家を繼ぐということになれば、まず考うべきことは、家業を繼ぐということ、それから家業を繼ぐということのもう一つの大きな意味は、その家を繼いでいくと同時に、親のめんどうを見るという、この觀念が根本的に伴うものと心得られるのでありまするが、改正にあたつて、政府の方でどういうお考えをおもちになつておるか。この點を承りたいと思います。
○奧野政府委員 この系譜、祭具、墳墓の所有權につきましては、一般の相續財産とは別に取扱いまして、これらのものは、家を繼ぐというよりも、むしろ祖先の祭りをする。そういう從來のわが國の祖先崇拜、祖先の祭を絶やさないということは、家の規定を廢止いたしましても、そういう慣習は、必ずしもこれを否定すべきものではなくて、わが國古來からのむしろ美俗であるというふうに考えてよかろう。しこうして、これらのものを分割して、共同相續人が共有とか、分割をするということには適しないので、むしろ祖先の祭を主宰する者に、これらの所有權を專屬せしめて、そのものが祖先の祭を絶やさないでいくということが適當であろうということで、從來でもこれは家督相續人の特權財産になつておつたのでありますが、今度は家督相續人というものはなくなりますので、一人に——必ずしも一人でなくてもよいと思いますが、祖先の祭祀を主宰する者にそれを專屬せしめて、一般の遺産相續とは別に取扱うということにいたしたわけであります。
○鍛冶委員 普通の財産と特別に取扱うべき必要があると言われた。私ももちろんさように考えておるのでありますが、何ゆえに特別に取扱うべき必要があるか、その思想上の區別はどこから來るのでありましようか。いろいろお聞きしたいことがありますが、まずこまかくわけて、その點から伺いたいと思います。
○奧野政府委員 まずこれらのものは、別に共有にするとか、共同相續人で分割をするというべきではないのでありまして、しこうしてこれらのものは、大體祖先の祭をするために必要なものである。そこで祖先崇拜、祖先の祭をするという風習は、今後も否定するべきものではないということになつた結果、その祖先の祭を主宰する人に、そのものを承繼せしめる。他の人々に元來分割をするというべき性質のものではなくて、祖先の祭をするという風習を否定しない以上、それを主になつて行うものが、これらの祭のための財産を讓り受けるというのが當然ではないか。しこうして何人がそれを讓り受けるか、言いかえれば、祖先の祭祀を主宰すべきものは何人であるかということは、まず第一に被相續人の指定——これは別に形式を必要としない。自分の祖先の祭をお前がやつてもらいたいと指定したもの、その指定がなければ、慣習により、慣習が不明である場合には、家事審判所によつてきめるということによつて承繼せしめるということにいたしたわけであります。
○鍛冶委員 どうも私の聽かんとするところは違うのですが、普通の財産と特別に考えて、特にこれをまとめて相續させる。その思想の根本はどこから來ているかというのです。單なる祖先崇拜というだけでありましようか。われわれは祖先といいますが——もちろんわれわれは祖先を愛することでありますが、祖先よりももつと崇敬すべきものはたくさんあるはずです。わが日本においては殊にあるはずである。それにもかかわらず、祖先の祭をやることを一つにまとめてやらなければならぬというのは、一體どこから來るのか。このことを私は明白に承つておきたいのであります。
○奧野政府委員 祖先の崇拜、從つて祖先の祭をするというわが國の風習は、これは必ずしも家の觀念と不可分なものではないのじやないか。西洋においても、やはり先祖を崇拜するということはあろうと考えるのであります。家の規定をやめたからといつて、そういう風習を否定して、こういう祖先崇拜のためのいろいろな財産についても共有、分割相續にしなければならぬというものではないという思想からであります。
○鍛冶委員 どうもぴんとこないのですが、祖先崇拜ということであるならば、それは別に否定はいたしません。結構なことであります。祖先崇拜ならば、祖先を崇拜するにはいろいろ方法もありましよう。しかるに、ここに書いてある祭具であるとか、系譜であるとか、その他のものをまとめておかなければならぬことは、一體どこから出るか。私はこう言うのであります。單に偉い人を崇敬するというのなら、わが日本ではわれわれの近くなら明治天皇のごときは、最も崇敬すべき方である。そのほか英雄豪傑に至つてもたくさんあるが、それらをやつて惡い。それのまつりごとをして惡いとはだれも申しません。しかしながら、ここであなた方が認められる家系であるとか、系譜であるとか、その他のものをまとめてやらなければならぬということは、一つのまとまるべき思想があるからこそ出るのではないでしようか。その思想が一體どこから出ておるのでしようか。こう私は聽きたいのです。何もないのだ、何もなくてもただそういうものが日本にあるからやるのだ、こう言われるなら別ですが、とにかくそういうものがあつて、これをひとつ傳えていこうというのには、これは離るべからざる根本的な思想があるものだろうと思うのであります。單に祖先崇拜とか、われわれの知人を愛するとか、そんなものとは違う。それがどうしてもないというのなら別ですが、私はあるように思うから、あるかないかその點について、あなたの御意見をお聽きしたいのであります。
○奧野政府委員 この條文を設けました趣旨は、元來現行法の九百八十七條で「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有權ハ家督相續ノ特權ニ屬ス」という規定があつて、從つてやはり相續財産とは別にこれらのものを取扱つておるわけであります。遺留分に關するところでも、これを特に除いておる。すなわち今度家督相續人がないということになりますと、これらのものも當然共同相續人——相續財産に元來屬していないということでいきますと、これらのものはどういうことになるかというと、宙に迷うことになるわけであります。ところでこれらのものはやはり祖先の祭をするに缺くべからざる財産でありますので、しかも祖先の祭をするという慣習を否定しない以上は、その祖先の祭をやるべき者に、これを特別に歸屬せしめるのがよいのではないかというので、從來ともこれは遺産相續とは別個に取扱つておる關係上、これらの所有機の歸屬者をきめる必要がある。むしろ一般の遺産相續の相續財産の中におくのが適しないのではないか。むろんそれが祖先の祭ということと不可分のものである以上は、それを擔當すべきものに歸屬せしめるのが適當であるという趣旨であります。
○鍛冶委員 特別に取扱わなければならぬ、まとめておかなければならぬ、これは議論のないところでありましよう。しかして今までは家督相續として家を繼ぐ者が持つておつたのだ、ところが家督相續を廢しても、これをまとめておかれる方がよいと思うと言われる、そう言われる根據はどこから來るのか、單に祖先崇拜というだけなのか、われわれが今日の生活をしておる上において、わが日本人の拔くべからざる思想をもとにしてきておるものではないかと私は問うのですが、そういうものがないのだけれども、ただあるからまとめておこうというのか、それとも拔くべからざる根據があるのか、その點を私は聽いておるのです。
○奧野政府委員 離るべからざる根據があるかどうかということは、ちよつとお答えいたしかねますが、少くとも法律の建前といたしましては、今まで財産があつて、その財産について歸屬者がきまつてあつて、それはむしろ相續財産ではない取扱いをしておる。そういうものを、今後どうしていくかということを考えますと、やはりこれは祖先の祭ということと不可分のものである。そこでその祖先の祭という慣習を否定しない以上は、やはりそれにあたる人に、特別にこれを承繼せしめるというよりほかには方法がむしろないので、全然これらの規定をつくらないということになると、おそらく共同相續ということになつて、佛壇を分割しなければならぬようなことになるわけでありますが、それはむしろ不適當であるという趣旨で、それを深く認める思想的あるいは制度的なよつてくるゆえんというようなことについては、そういうものを待に意識してこれを殘すというのではなくて、これは祖先崇拜の祭をするということと不可分のものであつて、從來も普通の相續財産とは別に扱つておつた。そこでこれをたれに承繼せしむるかということを規定する必要が法律的にあるわけでありますから、その意味で、この條文を規定いたしたのであります。これを、その思想的背景についていろいろ解釋することは、各人の自由でありますが、われわれとしては、そういう思想的背景のもとに、これを特につくつたのだというのではなく、從來の條文にあつたものを、どういうふうに處理していくかというために規定した。特にそういう思想的背景と結びつけて規定いたしたわけではないのであります。
○鍛冶委員 これは政府委員と議員という立場で言われるから固くなるのですが、なるべくならばそうでなくて、柔かい、思うだけのことを聽かしていただきたい。それでは思想というようなむずかしいことはしばらくやめますが、さような慣習があつて、その慣習を認めるという觀念はありませんか。その點伺います。
○奧野政府委員 それは認めます。
○鍛冶委員 しからば、その慣習ということは、家というものを土臺にせなければならないと思いますが、いかがですか。
○奧野政府委員 それは必ずしもこの法律の家というものを土臺にしないでも、そういう慣置はあり得るわけであります。
○鍛冶委員 もちろんそれは法律上の家を言つておりません。前から言うように、事實上において、今まで法律上の家というものは實際の家と離れておつたから、これはいかがなものだと思うが、それはいかに法律が變ろうとも、わが日本人の生活に家という觀念はあります。また事實殘つております。その殘つておる、その脈々と傳つておる家の觀念を離れては、この慣習というものはないと思いますが、私は今までのような抽象的な、戸籍上において認める家を言つておるのではありません。ついでに聽きますが、そういう家のあることもお認めになるでしようか。今までの何遍も聽いたところでありますが……。
○奧野政府委員 現實の家庭生活ということは、もちろん否定するものではないので、ただ先ほど來言われたような意味の法律上の家をやめたわけでありますが、現實の親子、夫婦が共同して家庭生活を營むという意味での家は、これは現實にあるわけで、否定すべくもないところであります。
○鍛冶委員 大分明らかになつてきました。そこで引續いて承りたいことは、祖先の祭祀を主宰すると申しますか、祭祀をやる。これは家族がたくさんおれば、それは何もその祭具や系譜を受取つたものだけで、祭祀をやるべきものでなくて、みんなでやるべきだと思います。しかるに一人の者にこのものを繼がせてやるということで、その者が主宰になり、家族全體、子孫全體で祖先の祭をやるべきだと、私は解釋しておるのでありまするが、この者だけが祭祀をやるというおつもりでしようか。やはりその者と子孫全體、兄弟、子供、孫で祭祀をするという觀念は拔けぬと思いますが、いかがでございますか。
○奧野政府委員 もちろん祖先の崇拜、祖先の祭祀をするということは、相續人その他全部やるべきで、こういう主宰すべき者があるからというので、ほかの者が祖先の祭をおろそかにしていいということにはならないと思います。その意味で相續人その他全部が祖先の祭をやるということは、望ましいことであろうと思いますが、こと法律問題といたしまして、これらの所有權を何人にもたすかという場合に、佛壇を數人の子供が分割するとかいうことは、事實上できないので、やはりそれは一人の人に歸屬せしめておかなければ適當でないのじやないか。系譜を分割するわけにもいきませんから、こういうものは、やはり一人の人に歸屬せしめるのが適當である。そういう意味で、それをだれが保管するかということになりますと、それは慣習あるいは指定によつて、その者が主になつて祖先の祭をやるということが、從來の慣習からいけばあるわけで、そういう人に歸屬せしめておく。こういう財産は分割が第一できない性質のものであるということから、當然そういうふうになつてまいつたわけであります。
○鍛冶委員 そういたしますると、その祭具、系譜を受取つた者が、常に主宰して祭をやる。そうしていわゆる一家親族がそこに集つてやることにならざるを得ぬと思いますが、そういたしますると、ほかの者が實際において祭をやるということになると、祭をやるについての經費も要れば、これを保存するについての經費も要る。また場所も要るということになるので、それらのものがついてまわるわけでありますが、これを一まとめにして、そうして祭祀を主宰せしめるということになれば、何らかのそれをもつところの特典と言つては語弊であるかもしれぬが、いわれがなくては、とんだ迷惑になると思うのでありますが、どうも佛壇をもらつてみたつて、系譜をもらつてみたつて何にもならない。そういうものはおまけにこれをもらつたがゆえに、親族一同が寄つてきて、きようは法事でござる、きようは年忌でござると言つてやられたのでは、とんだ迷惑になると思うのでありますが、かようなことは慣習上認められるというならば、それについての特別の慣習が日本にあるのでありますが、これはあなた方の方でどうお考えになつたのか。その點をお聽きしておきたいと思います。
○奧野政府委員 こういう先祖の祭を主宰する者が、その主宰のために費用が要ることはお説の通りであります。でありますから、これらの者に特に相續人よりもよぶんに、何か財産の特典を與えるべきではないかという議論も、當然あつたわけでありますが、そうなると、あまりに從來の戸主制度に歸つたにおいがするわけであります。せつかく戸主制度をやめたにもかかわらず、こういうところに戸主に代るべきものを認めていくということは、どうしても適當でない。そこでその祖先の祭祀を主宰すべき者に、特別に財産の相續分をよけいにするという考えをとらなかつたわけであります。從いまして、結局そういう費用は、他の相續人と一緒に、共同で負擔をするように、今後はいたさなければならないことになるのではないか。そうでなければ、主宰者が非常な犠牲を拂うことになる。あるいはそういう犠牲を拂つてもよいという人でない限りは、もち寄りのようなことにならざるを得ないのではないかと考えております。
○鍛冶委員 すべて私は日本の慣習をもとにして承つておるのでありますが、今局長がお考えになるような慣習が日本にありましようが。それから戸主權に似通つたにおいがすると言われるが、それはどうも聽き捨てがたいことだと思う。今までの民法で認められておつた戸主權ということと、祭をやるということ、あるいは法要をやるということとは、何の關係もないと思います。家族に對して家を出るときに承諾を與えるとか、あるいは嫁にいくときに承諾を與えるとか、居所權をきめるということが戸主權であつた。今までの戸主權に祭祀をするという特殊なものがありましたか。戸主になつたら祭祀をやる。分家したものはみな金をもつてこなければならぬということが、今までの規定に書いてあつたら別ですが、何もありません。こういうことに戸主權に似通つたにおいがするということは、どうも聽き捨てにくいのでありますが、どこかに似通つたところがありますか。
○奧野政府委員 從來これらのものの財産は、家督相續人の特權に屬しておつた。家督相續人がすなわち戸主なのでありまして、戸主とこれらのものは、從來は不可分的にあつたのである。そういう意味で申し上げておるのであります。
○鍛冶委員 不可分になつておつたとおつしやつても、それはとんだ迷惑で、不可分になつておつたからわからぬが、よいところはとつて、惡いところを殘しては、何にもならないではないか。何もこれらを洗いさらつてしまわなければならぬということは、私は實際の社會上においても、または法律上においても、出てこないと思います。これはこれ以上は議論はいたしませんが、よくひとつその點はおわかりになつておることと思いますので、どうか御考慮を願いたいと思うのであります。それと同時に、ここにも書いてありますが、被相續人の指定に從い祖先の祭祀を主宰すべき者があるときはその者がやる。これはあり得ることでありましよう。またかくあるべきことだと思います。しかしこの被相續人がこれをきめるというときに、單にお前は祖先の祭をやつてくれ。おれの死んだあとの弔いをしてくれ。こう言うだけでありましようか。お前は祖先の祭事をやれ。さらに私の一代のめんどうもみてくれということが、伴わなければならぬと私は考えるのでありますが、この點はいかがでありますか。
○奧野政府委員 それは必ずしも伴わなくても、自分のあとの祭は、お前に頼むということと、自分の生前のめんどうもお前がみてくれということは、必ずしも不可分なものではないというふうに考えております。
○鍛冶委員 これは重大なことでありますが、今まで何遍も申しておりますが、親子の關係、家の關係は、財産關係だけではありません。こんな祖先の祭祀をする。いろいろなことをやつてくれと言うより、俗に言うおれの死水をだれがとつてくれるかということが根本なはずです。もしそれをお考えにならぬのならば、さような者はどうしてきまり、または實際にいくのであるか、またそういう者がないと言われるのであるか、われわれはなくちやならぬと思う。なくてはならぬというなら、どうしてきまるか、その點の根據を、法律的にどう認めておいでになりますか、それから承つておきたい。
○奧野政府委員 それは死水はだれがとるかということですか。これは實際の具體的な場合における、たとえば、これは戸主、あるいは家族という關係がなくなりますので、實際にそういう問題は、おそらくやはり同じに同居しておつた者であるとか、あるいは具體的ないろいろな實生活の問題としておのずから慣習的によつてきまつてくるだろうと思います。
○鍛冶委員 今あなたがおつしやつた同居しておるということ、それはわれわれよほど重大どころではない。眼目と心得ておるところであります。子供が幾人おりましても、永久に世帶を一緒にして生活はできません。それぞれ羽をはやして立つていくべきものであるが、ただ一人だけ將來おれの死水——死水ということは、ただ言葉の使い方で、死ぬときだけの水じやありません。老後において世話をする、扶養してくれるということで、世話をしてくれるという者を定めなかつたならば生活できるものではありません。安心していけるものではありません。これらの者は必ずある。今同居してと言われたが、同居して老後のめんどうを見る者がなくてはならぬものだと思いますが、そういう者はやはりお認めになりますのでしようが、いかがでしようか。
○奧野政府委員 法律の上からはとにかくとして、實際生活において、あるいは子供に世話になる場合もありましようし、自分の細君の世話になるということもありましようし、それは實際問題として、いやしくも身寄りのある限りにおいては、おそらく共同生活をやるでしよう。單獨に生活をしない、共同生活をしておつた際には、だれかがそういつたような世話と言いますか、お互いに世話し世話されたりする事實的な家庭生活ということは、今後もやはり從來と變りはないことと思います。
○鍛冶委員 してみれば、そういう者をまず親として指定する、または慣習上わが日本はこんなことを指定もせぬでも、大體においてきまつております。特別の事情があればかえてもよろしいか、ちやんときまつております。そういう者にどうしても頼らなければならぬことをお認めになりますと、先ほどから言つたことの結論は、そういう者がきまつてくる。またきめなければならぬ。そうすると、それによつて老後の世話をやいてもらう、それが當然私は祭祀をしてもらうということになると思います。家を離れて出ていく者に、ここに殘つておる者が、お前これだけもつて、祭器だけもつて外へ出ていけと言つたつて、理窟に合わぬから、當然これが一緒になつてくるものと私は思うのですが、理窟は何でも、實際はそういうことになるとお思いになりませんでしようか。
○奧野政府委員 どういう者を現實において指定するかという問題でありますが、おそらく一緒に生活をして、自分のめんどうを見てくれておつた——子供と一緒におるというような場合は、事實問題としてその者に自分の祭のことも頼むということは自然の理であると想います。
○鍛冶委員 そこで私は承りたい、大體それは當然それへいかなければならぬと思うが、そうしてみますと、兄弟何人おつても一人だけに親の老後のめんどうを見させる。なるほど扶養の義務のところでは、兄弟平等と書いてありますが、そんなことは理窟の上で、實際はやれるものではありません。補助をするくらいのこと、目をかけるというぐらいのもので、實際において同居しておる者以外にはやれるものじやありません。この大きな負擔を背負わされる。それから先ほど言つたように祭器その他のものを承繼して、祖先のまつりごとを自分の家でやれ、一家親族を集めてそこでやれという、このような大きな負擔を背負わされて、そうしてほかの兄弟と均分に相續させるということになつたら、將來うまくいきましようか。また理論的にそういうことが合うことでありましようか。この點をひとつ、あんまり角張らぬで、實際の御意見を伺いたいと思います。
○奧野政府委員 それは一番弟の者と親が生活をしておつても、長男は外へ出て、金の仕送りは長男から送つてくるとこうようなことも考えられるので、むしろ長男なら長男が送金というような方法で扶養をしておるというような場合もあろうと思うので、必ずしもそういう場合に、同居しておつた者が非常に犠牲を拂うことになるとは考えません。しかし實際問題として、そういう場合に自分の死後の祭を長男の方に頼むか、あるいは實際生活をしておつた一番下の者に頼むかは、それはその被相續人の現實の場合における考えで指定が行われることになろうと思いますが、しかしそういうふうなことで、かりに祖先の祭祀に缺くべからざるもの以外をすべて均等に相續せしめて、この祖先の祭を主宰する者が、ある意味で犠牲となるか、特權となるかわかりませんが、そういうふうな相續のやり方をやつて、將來うまくいくだろうかというただいまの御話でありますが、今までは大體家督相續でいつたのでありまして、遺産相続はきわめて少かつたのでありまするから、全部のものがどういうふうになるかは、將來の問題になろうかと思いますが、相續を全然やめてしまつて、被相續人の遺言で自由にするという考え方も一つありますが、大體西洋等の例を見ましても、そうでない國は均分相續でありまして、それでいてやはり社會が十分うまくいつておるのでありますから、將來わが國が共同相續になつた場合に、それがために非常に混亂し、あるいは秩序が保たれないということはなかろうと考えておりますが、何分家督相續ではなく、均分相續という關係上、將來のことは從來とはよほどそこは違つてくるかと思いますが、それがために國全體の秩序が亂れてくるとは思つておりません。
○鍛冶委員 もちろんわれわれも亂れてくるとも思いませんし、亂れさせてはたいへんだと思います。しかし亂れさせぬというには、今言うように、親のめんどうを見る者がきまつて、祖先の祭祀をやる者がきまつていなければならぬ。そうすると、その者に對して特別の負擔がある。今あなたは、ほかから兄貴が金を送ればいいだろう。そんな金をもらつたくらいで中風の親父のめんどうが見られますか。そんな財産づくや金づくでできることではない。親はだれもめんどうを見なければならぬのだ、この家に生れた以上は、親のめんどうを見なければならぬという根本思想がなければできません。それだけの大きな負擔をしておる者と、負擔をしない者と、財産を五分々々にわけろ、それが均分相續である、さような均分があつてたまるものですか。均分というのは、そういうことを拔きにして、財産をわけるということではありませんよ。これだけの義務を背負つておる者には、これだけのものをやらなければならぬ、この者にはこれだけでいい。平等というのはそういうものだと思う。それとも、どう負擔しようが、憲法二十何條に基いて同じようにやらなければならぬということをあなた方は言うのかどうか、この點を伺いたい。
○奧野政府委員 親のめんどうを見るということは、子供がみなで親のめんどうを見るべきものであつて、ある特定の、たとえば長男が義務として親のめんどうを見なければならぬというのではなくて、子供全體が互いに協力して親のめんどうを見るという行き方に行く。もつとも特にその中である者がよけいに犠牲を拂う場合は、その犠牲について他の兄弟で、さらに適當にお互に負擔し合う。しかしてまたその犠牲者に對して、他の者が何らかの方法でこれに報いるところがあることは、道徳あるいは肉身の情として望ましいことであろうと思いますが、共同相續になつた場合に、從來は一人に扶養の義務というか、戸主はとにかく最後の扶養義務があつたわけでありますが、そういう義務を戸主なるがゆえに負擔するというのは、むしろ適當でないのであつて、兄弟互いに全部の負擔によつて親のめんどうを見るということになるべきではないかと思つております。
○鍛冶委員 もしそういうことをどこまでも貫いていくとすれば、五分々々にめんどうを見ればいいのだ。そうすると、中風の親父を預かるのは一番ばかだろう、五分々々にやるといつて、親を五分々々にもちまわすのですか。扶養の義務のところで、もしそのことがきまらなかつたら、家事審判所できめたらいいと書いてある。中風の親父を五分々々なんだから俺一人で見るべきものではないといつて訴えたときに、家事審判所は、どう審判するのでありますか。この親父はだれだれが見ようと言うのでありますか。お前見よと言つても、俺だけが見るのは五分五分でないと言つて、拒絶したら、それを家事審判所はどういたしましようか。執達吏でも雇つて、その病人を擔いででも歩きましようか、そんなことはあるべきでない。またさようなことがあつては、わが日本は大騒動ですよ。やはりそこにはだれかがめんどうを見る。そしてそういうめんどうを見る以上は、めんどうを見るだけのものがあるということでなかつたら、眞の平等というものは保たれぬと思う。憲法の要求する平等ということは、そういうことであります。何もかも均分だといつて、佛壇を五人なら五人で切つてとるとか、家を五人なら五人で切つてとるとか、そんなものではないと思います。家なら家は親のめんどうを見、その家にはいつている者がその家を繼ぐ。祭祀を行う者が佛壇を默つてもらう。扶養のめんどうを見るというのならば、それに伴うだけのものをもたせなければならぬ。そうでなければ平等でないと私は思いますが、私の考えは間違つておりますか、いかがですか。
○奧野政府委員 それはたとえばその子供の中の一人が事實上めんどうを見、あるいは費用の點はほかの兄弟が見るというふうなことにしても、やはり平等とか、あるいは公平ということは保つていかれるのでありまして、毎日甲から乙、乙から丙に、中風の親父のからだを運ぶというようなことは、あり得ようはずがないので、そういう場合でも、十分公平を期しながら、共同で負擔をし、世話をする、めんどうを見るということも、もちろんあり得ることだと思つております。
○鍛冶委員 あまりくどくなりますが、お答えがお答えだから言わなければならぬことになるのですが、そんな病人の看護をするとか、寝ている親父に箸をとつて飯を食わせるというようなことは、金で償われることでしようか。それはもう人道と申しますか、わが日本の孝ということを離れてはできぬ仕事です。金をもらつたからやれると思われるかもしれないが、私は何遍も繰返したが、さようなことは金錢で見積られないものであると考えるのですが、それとも、どこまでも金錢で見積るというお考えなのか、それだけをお聽きいたします。
○奧野政府委員 それは愛情とか、あるいは親に對する敬い、あるいは夫婦間の愛情、そういつたようなことでもちろんでき得ることであろうと思いますし、またもちろん何も金錢のことを言わないでも、たとえば病院等において看護婦がほんとうにめんどうも見るということもあり得るので、あるいは他人の間でもそういうことはあり得るわけです。でありますから、法律としては、別にそういつたような道徳的な、あるいは情義的なことを規定することはできませんから、公平にできるだけ——もし家督相續というものがなくなつて、あとに財産があるというような場合に、その財産を一人だけにわけるというふうな、一人が獨占をするといつたような從來の考え方はやめて、そうしてできるだけやはり子供は公平にそれを相續することがむしろ望ましいという趣旨でできておるわけで、そういう愛情とか、あるいは從來の孝養というようなことは、法律制度とはまた別に、道徳として國民全體が考うべきことではないかというふうに考えておるわけであります。
○鍛冶委員 獨り占めするということはそれは惡いかもしれませんが、今言う特別の任務をもつた者に、特別のものを繼がせるということは、決して平等に反せぬと思います。獨り占めするということではないと思います。私はしかるべく公平にわけるということが、眞の平等であろうと思うのでありますが、それとも、そういうことは平等に反する、そこに差等をつけることは一切平等に反するというお考えでしようか。
○奧野政府委員 從來のように特定の、長子なるがゆえに全財産を全部承繼をするということは適當ではない。もつとも事實上犠牲を拂う者に對して、ほかの者がその犠牲に酬いるだけのいろいろなことをするということは、これは具體的な場合におけるあれでありまして、法律で畫一的に長男なら長男が親のめんどうをみなければならない。しこうしてそれがゆえに長男には特別の物をやるというようにするのは、私はむしろ適當でもないので、實際の面において長男がもしかりに面倒をみる場合には、他の兄弟がそれに酬いるような實際の面におけるしかるべき運營をむしろされていくべきもので、その點は法律でそれを何とか規定をするということは適當ではないというふうに考えております。
○鍛冶委員 差等があつてしかるべきものだと、法律できめていいかどうかは別にして、それをお認めになれば、私はたいてい合致するのであります。なおまた私の言うのは、何も長男には特別にやらなければならぬとも申しません。ただ親のめんどうをみ、または家系祭具を相續して、祭祀を掌るという者には特別の取扱いあつてしかるべきものだと、こう申しておるのでありまして、何も特にそれを戸主とせなければならぬの、長男でなければならぬのとは申しておりません。けれどもそういうことは認めなければならぬだろうと思うのであります。 そこでもう一つ聽きたいのは、そうなつてくると、當然に出てくるのは、親と一緒に永久に同居しておると言いますか、法律では同居でしよう。われわれは世帶を一にしておると言いますけれども、それをしておる者と、もうすでにその家から親のおかげで一人前になつて巣立をして分家し、もしくは相當の支度してをもらつて他家に嫁に行つておる者との間にも、相當の差があつてしかるべきものと思いまするが、この點はいかがでありまするか。
○奧野政府委員 それはもちろん差があつてしかるべきであつて、この點については九百三條にそれら相續分の豫定について公平を期するように、すでに贈與を受けた場合には、その相續分についてはそれを算入して、相續分をきめるということになつておるのであります。
○鍛冶委員 それはこの間も言つたのですが、法律にはそういうことが書いてありますが、實際にそういうことが行われるでしようか。お前は嫁に行つたときにはこれだけのものをもらつて行つた。それを今日計算してみればこれだけになる。利息をつければこれだけになる。そうするとおれの方はそんなになかつた。お前の方は財産はこれだけあるから、もつともらつていいということが起つたらこれはたいへんだ。これはこの前もあなたの言われた、事實上において暗默のうちに放棄するだろうということがあつたのですが、どうもそういうことで親が死んだから家へもどつてきて、それをもらいたいというようような觀念は私は出てこぬと思うのですが、そういう觀念でなく、ぴしやつといけることを考え、また法律もそれに近いことを考えなくては、圓滿なる生活はできぬと考えますが、いかがでしようか。
○奧野政府委員 それは實際の面において適當に行われていくだろうと思いますが、法律はまあぎりぎりの場合を豫想して一應きめておくべきもので、實際の面において法律通りに行われていくかどうか、むしろいかない場合も相當あろうかと思うのでありまして、現實現在におきましても、家族が死亡すれば遺産相續になるわけでありますが、もうすでに嫁に行つたような者もまた出てきて、また何分の一かの請求をするということは事實あまりないので、大體暗默の間にそういう相續の請求というふうなことが放棄されておる。しかし大體現在においては家族というものがそれほど財産がありませんから、それの何分の一かの請求をしたところが大したことはありませんが、今度すべて遺産相續になるということになつた場合においては、相當な額のものが相續されることになるのじやないかというふうに思われます。でありますから、從來よりもまたそういう點については問題になり得るのじやないかというふうに思つておるわけであります。
○鍛冶委員 それに因んで、この間婦人のそういうことを研究しておる人から、特に研究してもらいたいと言われたことは、わが日本では昔から嫁に出るときは、もう親の家には歸らぬのだ、お前はここの家の者ではないぞといつて、もう二度ともどらぬのだということで、ちやわんを壞して出しました。そういう慣習があつて、そして行つた以上は、嫁いだ先をわが家として、その嫁いだ先の家の繁榮に一生懸命にかかるべきものだ。またそうでなくちやならぬと思うのに、今民法改正にあたつて、改正案では嫁に行つた先でも生れた家の財産をもらえるといつて、また親の家の跡をねらうようなことになると、これはたいへんだと思う、かような改革はもつてのほかだと言つておりましたが、この點に關してどうお考えになりますか。
○奧野政府委員 それはしかし自分の子供である以上、他家に嫁に行つた者に對しても、やはり嫁に行つているからそういうものに全然遺産を分配すべきではないというまで規定する必要はない。やはり嫁に行つても自分の子供である以上は、子供として自分の財産を承け繼がせてやりたいというのが、親としての情愛だというふうに考えます。從いまして、婚姻した者には遺産がいかないというふうな規定は設けなかつたわけであります。まあ從來のように、家にあると家にないというふうな區別がつけばいいですが、そういう區別もなくなつて、しからば男であろうと女であろうと、結婚すれば親の財産を受けることはできないということになることは考えものであるので、やはり卑屬としてたとえ嫁に行つておつても、養子に行つておつても、そうでない者も、やはり同じ子供である以上は、同じように相續せしめるというのが適當ではないか、こういうふうに考えて區別をいたさなかつたのでありますが、しかし嫁に行つた者あるいは養子に行つた者に相續分を與えないということは、どうしても一概にそういうことになろうとは思われないのでこうしたのでありますが、もちろん養子については、よほど今後も考えていかなければならない、あるいは養子になれば養親との間においてのみむしろ親子關係を認めていくか、養子に行つても實親との關係について親子關係があるということになると、すべての關係において二重になるわけで、親權の關係においても、あるいは相續の關係においても二重になる。そこで養子についてはよほど今後研究をしなければならぬ問題があるのではないかというふうに思つておりますが、お嫁に行つた者、そういう者の相續分についてはどうするか、これは一應九百三條で、そのときに贈與を受けておれば、それを計算に入れて相續分をきめればいい。この程度でいいと思う。全然相續權が與えられないというのは、むしろ適當ではないという考えで、除外いたさなかつたわけであります。
○鍛冶委員 親の情愛はなお殘つておるからやつてもいいだろうということは私も認めます。昔から形見わけということがあります。けれどもどうも法律上もどつてとらなければならぬ權利があるということは考えものだと思います。それからまた、もとへもどつてきまするが、今あなたのちよつとおつしやつた家というものはなくなつたのだから、この家から出て行つて向うの家にはいつたということを言われるが、それはとんでもないことだ。法律上過去において認めておつた家はなくなつたろうけれども、現實の家はあります。私の妹が嫁に行つた。これは向うの家にはいつたと思うのです。このことは實際否認できませんが、どうもいつ聽いても、すべてがそういうものをなくしてしまわなければならぬという、そういう觀念はあるべきものでないという考えのように聞こえますが、それは現實にあります。從つておれの家から出ていつた以上はお前の家でないのだ。三千世界にもうお前の家はないという教えがあつて何が惡いのでしよう。それともそういうことは法律的にはいかぬのでしようか。根本はそこにあると思います。舊來の法律的の家というのはなくなつたが、現實に家というものは殘つておる。だからわれわれはそれが法律的に惡いという根據を聽かしていただきたい。
○奧野政府委員 そうすると、鍛冶委員だとどういうふうにやればいいということになりますか。
○鍛冶委員 私の言うのは、實際において先ほどから言う親と一緒におる、そして祖先のまつりごとをやるという者には、それだけやるべきものを認めてしかるべきものだ。それからもう子のうちから親に育てられて、一人前に分家して相當のことをしてもらつて、お嫁に出ている者は、財産をわけてもらうことはいかぬと思う。從つて同じ兄弟でもなお家に殘つておる者と、女の子なんかは相當のことをしてやらなければいかぬ。それとともに財産の關係のことも、もう少し考えられて、何でもかんでも均分にするということは、實際において不平等きわまるものだと思う。これ以上は意見になりますから質問をやめますが、私はさように考えております。それはそれだけにしておきましよう。 次に私承りたいのは、分割すべからざる財産、しては困る財産をどうなさるつもりであるか、この點をお伺いしたいと思います。
○奧野政府委員 大體財産の分割は九百六條にもありますように、物または權利の種類性質、及び相續人の職業その他一切の事情を考慮してやることになつております。また家事審判所においては、場合によれば、分割を禁止することもできるのでありますか、共同相續人の協議で、これは分割することは適當でないと思われる財産については、分割しないで、共有のままでもつておることもできましようし、場合によつては、相續人の中から適當な者のみに、その分割し得ざる財産を專屬せしめて、他の者に對しては金あるいはその他の財産、あるいはそういうものがなければ、借金の形において借金を負擔するというようなことで、これも一つの分割のやり方であろうと思うのであります。現實に分割することの不適當なものは、そういうたようないろいろな方法によつて、そこは適當に分割しないでやつていけるというように考えております。
○鍛冶委員 分割を禁ずることができるということになると、たいへんいいようでありますが、借金とか、債權として遺すというけれども、そういうことは、大きな財産であればもつていかれるかもしれないが、小さい百姓ぐらいでは、その借金を拂うということの見透しはつきません。そうなると、いやでもこの借金によつて財産が分割されるという現實に到達しなければならぬのでありますが、それでもやむを得ないでありましようか、また何とか方法が考えられないものでありましようか。
○奧野政府委員 公平に共同相續せしめるということにいたした關係から、お互いにそういうものは分割しないで親父の商賣、あるいは商業を共同でやろうということに相談がつけば、もちろんこれに越したことはありません。しかしどうしてもそういうような話合いがつかなければ、共同でやらなければ、たれか長男なら長男がやる、そうして長男に全部財産がいつて、次男以下には全然いかぬというのでは不公平でありますから、それを埋合わすべく何らかの利益を次男以下に與えるべきではなかろうか、共同でいかないときにはそういうことになる。そうなると結局ほかに財産でもあればとにかく、財産のない限りは、やはり借金の形で次男以下に長男が負擔するという形にならざるを得ない。もちろんそれは兄弟の間でありますから、別にそれは事實上借金などということで、そういう債權をもつというようなことは自分で放棄するということになつてしまえば、非常にいいのでありましようが、法律としては一應そこは公平に處理していかなければならない。ただ事實上は兄弟の情、そういうことで適當にそれはやはり處理できるのではないかというふうに思つております。
○鍛冶委員 これはこの間聽こうと思つておりましたが、今の放棄ということは、事實上放棄するという意思表示があればいいのですが、放棄せんでも請求してこなかつたら暗默のうちに放棄と認められるということは、お考えになつておりますか。
○奧野政府委員 默視の意味での放棄ということも考えられると思いますが、ただ請求してこないからといつて、ただちにそれが暗默の放棄と見られるかどうか、これは具體的な場合でなければ判斷に困ると思いますが、抽象的に言つて一概に請求しないから暗默に放棄したとみなすということは、斷言いたしかねると思います。
○鍛冶委員 そうすると、やはりある程度のことを認めておかぬと、殊に農家のごときものは、あとを繼いで百姓を續けていくということはできかねると思いますが、そこで農業資産の特別相續法なんということを考えてきたのでありましようと思いますが、あの農業資産の特別相續法に對しては、司法省としては贊成なのでありますか。また相談を受けてやつておいでになるのでありますか。
○奧野政府委員 これは相談を受けてやつておりまして、政府として贊成のわけであります。
○鍛冶委員 そうすると、今言う民法九百六條、及び七條では足らないから、ああいうものが必要だということになりますね。
○奧野政府委員 とりあえず農地改革を行うには、やはりこういうふうに分割ということでは、さなきだに小農——農地の細分化されていくのが、さらに細分化されるということでは非常に困るということで、その例外を設けるということにいたしたのでありますが、農業資産の相續の特別法でもおわかりになりますように、結局それは遺留分を害しない程度において遺言ができる。遺言でやり得る程度のことを法律化した。言いかえれば法律で法廷遺言をしたようなことになる。すなわち半分は遺留分として殘さなければなりません。從つて半分をまず農業資産の承繼人に與えて、殘りの半分は他の共同相續人と民法の規定で分割と言いますか、按分したものを、農業資産の承繼人に與えるというので、その半分とその殘りの何分の一かを合わせたものが、農業資産の相續人がもらえるということになつておるのが農業資産の特例でありまして、こういうことは一々農家が遺言をすれば、この民法でもできる程度のものである。ただ農家等におきましては、遺言をするというふうなことは、なかなか行われませんから、むしろ法律で代つて遺言したようなかつこうになつております。そこで他の商工業というふうなものは、農家よりもやはり法律的には進んでおりましようから、必要があれば遺言の制度を活用して、ああいつたような結果を必要と思えばでき得ることになつておりますので、たまたまこの農地改革があつて、その方の日本全體の農業の經營を保つていくための必要から特例を設けたのでありますが、他の商工業者については、現在のところ特例を設けておりませんが、これはあれと同じ結果を遺言でやればやり得るのでありますから、むしろ農家よりも進んだ商工業者については、遺言の方法で同じ結果が得られるというふうに考えまして、今囘特に農地以外の部分については手をつけておりません。しかしこれらの點につきましても、將來必要ということになつてまいりますれば、なお研究をしたいと考えております。
○鍛冶委員 遺言のことについても、なおお聽きしたいと思つておりましたのですが、實際において遺言ということはなかなか日本では行われません。殊にこの遺言は被相續人の方から進んでやればよろしいのですが、そうでないと相續する財産をもらおうと思う者から遺言せい遺言せいと言つて請求することはなかなか行われない。やつてもいいと言えばいいかもしれぬが、わが日本では大體そういうことは行われぬことになつておるので、ここはやはり考えなければならぬと思うのです。そこで今ちよつとおつしやつたが、農業資産にそういうものが必要だということになれば、商業資産においてもぜひなければならぬ。私は農業以上だと思うのです。俗に言うのれんというがごときものは、これは絶對に分與することのできないものである。それが分與をもつて原則とするというがごときことは、これは民法自體が間違つておると斷言せざるを得ぬのでありますが、遺言せよと言われてみたところが、なかなかせぬという實情にあるのであります。農業資産法をどうしてもつくらなければならぬというならば、商業資産法もどうしてもつくらなければならぬと思うのですが、これはいかがでありますか。
○奧野政府委員 おつしやるように商業については、のれんのようなものは分割できませんから、これはおそらく事實上分割するようなことはないと思います。これはあるいはそののれんを賣つて、金で分割するというふうなこともあり得るのでありますが、そうでなければ共同で親父ののれんを保つていく、あるいは一人の人が親父の職業を承け繼いでいくというふうになろうと思います。その場合においては、先ほど言いましたように、他の方法で、他の相續人に對しての埋め合せをつけていくという方法でやつていいのではないか、そこでしからば農地も要らぬではないかということになりますが、農地はこれは農地でありますから、細分しようと思えばいくらでも細分ができる。一筆々々にわけていけばわけ得る可能性のあるものでありますが、商業というようなものは、分割できない性質のものでありますから、これは分割しないで共同でやるとか、あるいはどうしても折れ合いがつかなければ、そののれんをほかへ營業讓渡するといつたような方法で解決がついてきますので、細分可能な農地だけについてとりあえずああいう特例を設けたのであります。しかし一般的にすべての問題に家産制度とかいつたようなものを考うべきかどうかというのは、重大な問題でありまして、今後もちろんそういう問題については十分研究いたしてみたいと考えておるわけであります。
○鍛冶委員 當然そういう結論が出なければならぬと思うのでありまして、そこで今おつしやつたのれんは分割することはできないが、これを他に讓渡してやるとかいうことを言われるが、こののれんというものは、いわゆるしにせでありまして、この家にくつついておることにおいて初めて價値がある、この家から離したら、それはもう價値のないものなのです。その家の價値あるものだけを人が買つていくものではありません。これは動かしてはいかぬものなのです。近ごろの會社とか營業所とかいうようなものを考えればできますが、ほんとうの意味ののれんの讓渡はできるものではありません。これは家と一緒に見積つてやるよりほかにない。それをばらばらにやるということは絶對にいかぬ。それからそれを金に見積つて、債權でもつておれ、これも先ほど農家について言つたように、そんな借金を背負わされたのでは、よつぽど大きな店ならばいいが、大したこともない店だつたら、この借金のために首のまわらぬことになつて、營業はできません。そうしてみれば、これはやはり一つにまとめておいて、しかるべきものをつくるほかないのではないかと思います。それでは商業資産法というものをつくつたらどうかというと、それならばもつと進んで漁業でも同じだ。また工業でも大きな工場だつたら分離することはできるが、いわゆる町工場のごときものでは分離したら二足三文になつてしまう。機械一臺で手織がおもなところでは、それがくつついておることにおいて値打があるのですから、こういうものは絶對にいかぬと私は思うのでありますが、これはどうお考えでしようか。絶對にいかぬとすれば、何か絶對にいかぬような考え方をせねばならぬと思います。
○奧野政府委員 絶對にいかぬというのは、どういう御趣旨ですか。共有にして共同してやることもできましようし、一人にやらして他の者にはその上る收益等から分配することもいいでしようし、また借金の形にしておいてもいい。借金の形にしておかれたのでは、結局その商賣がうまくいかないでつぶれてしまうじやないかということももちろん考えられますが、さりとて長男だけに全部與えて次男以下に全然利益を與えなければ、次男以下が全部倒れてしまうわけで、次男以下の犠牲によつて長男のみ利益を得るということは適當でない。そうなると、次男以下はそれに代るべき何らかの利益を與えるということになれば、やはり借金のようなことにならざるを得ないと思う。そうしなければ、從來の家督相續のように、一人だけに全財産を讓つて、實際において一人が全部財産を承け繼ぐという方法以外には考えられないので、ほかにいい考えがあれば、なおお知惠を拜借して、そういうふうに改めていきたいと思います。
○鍛冶委員 長男に長男にとおつしやる。私は長男にやれというのではありません。どうあつても長男にやつて、昔の通りの家督相續をやらねばならぬというのではない。それは長男であろうが次男であろうが、三男であろうが、それこそ法の上では平等でありますから、たれでもよろしい。但しそのうち最も適當なる者がこれを繼ぐ。適當なる者はたれであるかということは、事實上及び法律上でも考うべきだと思います。原則はあつてもどうかと思う。私は強いて長男でなければならぬと考えておりません。そこでいいことがあればとおつしやるから、ひとつ考えていただきたいのは、わが日本には舊來ちやんとやつていけるものがあります。しにせにおいては相續人がその店の家業を繼ぐ代りに、その仕事を繼がぬで、勉強でもして外に出るというのもたくさんありますが、もし親のもとにおいて兄弟仲よく家業をやつて、その家を繁榮させたとすれば、先ほどから言うように均分というわけ方ではありませんが、支店をもたせるとか、店をもつだけの資産をもたしてみなうまくやつております。また町工場、いわゆる職人の家へ行きますれば、これも家にある道具を半分わけてやり、機械を半分わけてやるということで、ちやんとそこに手職を覺えさせて、うまくいくようにやらせておる。このりつぱな慣習を打壞して、何でも現在あるものをわけなければいかぬという考え方に、私は無理があるのではなかろうかと思う。農業資産相續特例法案のようなものをつくることも、私は間違いであると思つておる。それなら商業資産法、工業資産法、漁業資産法もつくらなければならぬ。漁業だつたら船から網から釣道具もあります。わけろと言われれば一人ずつわけられないことはありませんが、わけたらめちやくちやになつてしまう。長男なりが家にはいつて、その資産が殖えたならば、次男が獨立できるようなものをもらつてちやんと獨立の商賣をやつていくということは、りつぱに行われておる。これは私は良習だと思うのですが、しかしそういうことはいかぬという人もありますから、あなた方の方でそれを否認されるならばいかぬということを私は聽かしていただきたい。またいかぬということでないならば、この慣習を活かしてもらいたい、こう思います。
○奧野政府委員 今言われたような事柄は、この法律のもとでもやはりでき得るのではないか。要するに親父さんが死んだあと、みな兄弟が寄つて、親父の家業を仲よくやつていつて、非常に大きくした上で、適當にわける、あるいは支店を設けるというような方法で利益の適當な分與をするというような方法は、この法律のもとにおいても、十分そういうことがやつていけると考えております。
○鍛冶委員 私はこの法律のもとではできぬと思います。私の言うのは、協同でやつて、そうしておのおの獨立のできるような方法でやる。これはそうでない、親からきたものを均分にわけてやろうという思想ですから、自分が働けるように、何でもみんな自分の方にもつていこうというように、自分のことしか考えません。今まで親の貯めたものを均分にわけて獨立の生計の保てるようにということを基礎にしておりますから、私の言うのと思想上の相違があると思う。しかしそういう考え方がいかぬのだという人はなきにしもあらずですから、あなた方もそういうお考えから出ておるかどうか、私はこういうことを聽こうと思うのです。
○奧野政府委員 これは何も分割しなければならぬものではないので、分割しないで兄弟が寄つて、場合によつては分割を禁止することもできる。みんな分割をしたいと言つても禁止ができるくらいなもので、みんなが分割したいと言わない限りは分割しないで、お互いが仲よくその家業をもつていこうと思えばもちろんできるわけで、それからあと大きく財産ができれば、それを適當に分與して店を出すということも、もちろんこの法制のもとにおいてもできる。もつとも仲が惡くて、どうしても分割してもらいたいという者があればそうなるが、また今言つたように、從來の慣習で相當仲よくいくものであれば、この法制のもとにおいても、そういうことが可能であるということを申し上げます。
○鍛冶委員 そうしてみれば、分割の場合に慣習に從つて、ともに生活のでき得るような方法を定めるということを原則でやつた方がいいのではないか。それともそういうことはいけませんか。
○奧野政府委員 そうすると、一應共有にして分割ができないということにして、特に必要があれば分割できるというふうにしたらどうかということになりますか。
○鍛冶委員 それ以上は意見になりますから、いずれまた後ほどにいたします。 今度は相續分についてでありますが、九百條の第一號は直系卑屬と配属者、第二號は配偶者及び直系尊屬の相續というのでありますが、この場合直系尊屬に相續權を與えなければならぬ根據はどこからきておりますか。
○奧野政府委員 これは現行法でもそういうことになつておるので、直系卑屬があれば——自分の子供あるいは孫があれば、その子供や孫にやるが、その場合全然相續を認めないということになると、これは國庫に歸屬することになるので、國庫に歸屬する前に、親があれば親、場合によつては兄弟があれば兄弟にやればいいので、直系卑屬だけに相續人をしてしまつて、國庫に歸屬せしめるよりは、近親者があれば近親者に相續せしめるという方が適當ではないか。そこで直系卑屬がない場合、自分に親、兄弟姉妹等があれば、親の方が近いわけでありますから、まず親に、親もなければ兄弟姉妹という順序が適當であろうということで、こういうふうにいたしたのであります。
○鍛冶委員 直系尊屬と配偶者の相續ということは實際の場合とういうのですか。
○奧野政府委員 自分に息子がない、お父さん、お母さんだけしかいないというときに、自分の財産がお父さん、お母さんの方に行く。その場合相續せしめなければ國庫に歸屬するというよりは、やはり近親がある以上は近親にできるだけ繼がす方がいいのではないか。
○鍛冶委員 女房がある場合、女房に繼がしたらいいのではないか。何も直系尊屬へやらずとも。
○奧野政府委員 女房があれば、もちろん女房は直系卑屬がある場合も直系卑屬と女房、直系尊屬と女房がある場合には直系尊屬と女房が承け繼ぐということになつて、女房は必ず何分かは共同相續人になる。今までの法律では、子供がある場合は女房は一文も相續できなかつたが、今度子供がない場合は、女房がとつて、お父さん、お母さんがあつても全然そちらの方に行かないで、全部配偶者がとつてしまうということも、やはり穏當ではないので、そういう場合に配偶者と直系尊屬が二分の一づつくらいの相續分で共同して相續するのがいいのではないか。そういう意味で、新しく女房は常に他の相續人と共同して相續する。女房が全部とつてしまつて、その場合にお父さん、お母さんがとらないというのは、實際問題としては、やはりその者の財産は親から讓り受けた財産も相當あるので、必ずしも夫婦の間で築き上げた財産だけというのではなくて、親から讓り受けた財産もありましようから、やはり親がおれば逆相續になりますが、親にも幾分か相續せしめるという方が穏當ではないか、こういうふうに考えておるのであります。
○鍛冶委員 この場合でも、親と生活を共にしておる場合と、全然生活を分つている場合と、何か實際上の區別をつけるべき必要はありませんか。理窟は別として、そういうお考えはありませんか。今まで同じ家におつて、せがれが死んだ。嫁が殘つている。そして親もいる。こういうときと、全然離れて別世帶をもつている。それでせがれが死んだから、せがれの殘つた財産を嫁にやれぬから、半分とつていくということと、たいへんな違いがあると思いますが、その邊はいかがですか。
○奧野政府委員 これは從來のように同じ家にあるとないということについて區別を設けないことにしたので、同居していない父母と、同居している父母との間において、區別を立てるということは、一つの考え方でありますが、同居しているがゆえに多くとつて、同居してない者が少くとるということは、ちよつと法律の面ではむずかしいので、また理窟からいつたら、同居というそういう偶然な事柄によつて差別待遇をするのはどうかということも、一つの議論になろうと思うので、この案ではそういう區別は全然いたさなかつたわけであります。
○鍛冶委員 議論はまたもとにもどりますが、私の言う意味は、同居しておるというのは、若いときは別ですよ。相當の年になつて年寄りが動けないような場合には、嫁が殘れば嫁の世話にならなければならぬ。そのときに親との間で財産を半分づつわけなければならぬ。せがれが死んだからせがれの財産を半分よこせということは、私は實際あり得ないことのように考えるのでありますが、それ以上は議論になりますから、これくらいにしておきたいと思います。次は兄弟姉妹でありまするが、兄弟姉妹においても、配偶者があれば配偶者は三分の二をとつて、兄弟姉妹に三分の一やるということになつております。兄弟姉妹にやらなければならぬでしようか。
○奧野政府委員 從來は第四番目のあれは、すべて戸主というものがあるから、債務は戸主が處分するということになつておりますが、戸主というものがなくなつた場合には、兄弟姉妹はあるけれども、尊族も卑族も配偶者もほかにないということになつた場合に、國庫に歸屬するわけであります。兄弟姉妹という血縁の者があるにもかかわらず、國庫に歸屬せしめるということは適當でない。兄弟姉妹があれば、やはり兄弟姉妹に相續權を與えておけばよいのではないか。從來は大體戸主というものがあつて、家というものがある以上は、最後は戸主が受けとめておつたのであります。そうなると、戸主に代るものとして兄弟姉妹をここにもつてきて、そういう近親者があれば、やはり國庫に歸屬する前に、ある近親者に承繼せしめるのが適當であるということで、兄弟姉妹をそこにもつてきたのであります。
○鍛冶委員 配偶者なら配偶者だけを相續人にしたらどうかというのです。
○奧野政府委員 やはり配偶者だけにしてしまうのも、その一つの考えだと思います。しかしこの場合は、配偶者の相續分を相當多くして、三分の二を配偶者にやつてしまうということにして、やはり兄弟姉妹にも、少いながらも相續分を與えた方がよいのではないか。肉親の關係等からみて、嫁が全部財産をとつてしまつて、兄弟姉妹は全然それに参加できないということよりも、むしろ取分は配偶者が多いけれども、なにがしかの相續分を兄弟姉妹に與えた方が、わが國の國民感情なり、實情に副うのではないかという意味で、兄弟姉妹のほかに配偶者がある場合も、配偶者と兄弟姉妹、こういう割合で相續せしめることにしたのであります。
○鍛冶委員 これはたいへんの違いで、今までも、世帶を別にしておつても、兄弟姉妹がきていろいろなことを言うので困るということを言つておつたのですが、これは私どもはたいへんな違い方が生じてくると思う。世帶を別にしておりながら、兄弟の家へ來てとやかく言う必要もない。いわんや兄貴が死んだのだから、おれにもくれというようなことはやつていいのですか。それで社會秩序が保てますか。實際の社會秩序から考えて、よほどお考えを願わなければならぬじやないかと思います。 それから配偶者がなくて、直系尊族と兄弟姉妹等が相續人になる場合に、直系尊族だけに渡せばいいように思うのですが……。
○奧野政府委員 それは直系尊族だけがとることになる。兄弟姉妹にはいかない。
○鍛冶委員 配偶者がなかつたら……。
○奧野政府委員 そうです。
○鍛冶委員 そうすると、配偶者もなし、直系尊族もないときには國家に歸屬さしていいのですから、せめて近い兄弟ということでたくさんじやないですか。配偶者とわけてやらなければならぬということは、實際生活からいつて、今後の社會の秩序を保つ上から言つても、どうもおもしろくないように考えますが、御考慮を煩わしたいと思います。 それから最後に遺言相續についてであります。今日は生前處分があれば、これに從うということがあるのですが、これも惡いとは思いません。生前處分をやる場合は、特別のものでない限りそうむちやなことはしないと思うが、どうもわが日本では生前處分ということは行われにくい。殊に民法の要求しておる遺言の形式というものは、どこから習つてきた形式であるかしらぬが、日本では實際に行つておらぬように考える。よく遺言を書いておいてくれと言われても、遺言を書かず死んで行く者が多いように思うのですが、これは何か日本に適する簡便というと語弊がありますが、實際に適して行われ得る遺言方式を考えてみられたことがなかつたかをお聽きしたい。
○奧野政府委員 ごもつともで、實は私ども従来の遺言の方式が、あまりむずかしすぎて行われがたいと思つております。遺言は非常に重要な問題で、あとから改竄というようなことが行われぬように、その形式をきちつとせねばならぬということになると、やはりあまり複雑で、なかなか行われがたい。法律家でもない限りはちよつと遺言も書けないということになるので、その兩方の——嚴格にしなければならぬということと、皆がやり得るようにしたいという二つの要求をどう調和せしむるかは、非常にむずかしい問題だと思います。從來は大體家督相続でいきましたから、あまり問題は起りませんでしたが、今度は共同相續になるということになりますから、遺言が非常に大きな働きをもつことになるじやないかと思いますので、とりあえず從來通りにいたしておりましたが、全體にわたつて再檢討を加えて、やりやすく、しかも確實な、改竄等ができないようなことを考えて、いま少しく簡易化することを考えなければならぬと思つております。
○鍛冶委員 そこである人から私相談を受けたのですが、家事審判所ができたのだから、家事審判所に出頭して、そうして審判官の前で調書をつくつてもらえばいいという方式をとつたらどうだ、こういうことでありましたが、これはできない相談でしようか。
○奧野政府委員 それも一つの考え方だと思います。今でも公證人の所に行つてやればよいわけなのでありますが、なかなかそういうことも行われないのであります。家事審判所が今度はいかめしくなく、家庭の事柄を何くれとなく相談相手とするという制度でありますから、そういうことを考えるのも、一つの考え方だと思うのでありますが、とにかく遺言全體にわたつて再檢討いたして研究いたしたいと思つております。
○鍛冶委員 これは公證人とおつしやるが、公證人は印鑑證明をもつてこいとか、面識があるとかないとか言つてなかなかだめなんです。 もう一つついでに伺いますが、離婚の場合に證人を立てれば屆出を受理することになつております。しかしこれはどうあつても家事審判所で審判してもらうことにしてもらいたいという聲が婦人の方から多い。また實際そうです。親と親と喧嘩して、いや戸籍を切つてよこせと言われて、いやいやながら印鑑を押してやるということは、實際にあり得ることでありますが、夫婦のほんとうに自由な意思によつて結婚を解消しなければならぬと思いますので、これらの點についてどういうものでしようか。
○奧野政府委員 それはごもつともな點で、現在の自由に離婚屆一枚で離婚ができるという制度は、むしろ危つかしいので、いやいやながらも離婚屆の判を押すというようなことも實際あるかもしれません。そこでほんとうに離婚屆が出た場合に、本心から兩方とも納得で離婚になつているのかどうかということを確めるべく家事審判所が一遍それを確めるというような制度をとつてみてはどうかという有力な意見がありますので、その點大臣の提案理由の説明の際にも、特に御留意願つたのでありまして、この點についても、もしその方がよいという考えであれば、そういうふうに修正されるのも一つのねらいかというふうに考えておるのであります。
○松永委員長 本案に對する質疑は一應これで終了いたしました。 本日はこれにて散會いたします。明日は午後一時より開會いたします。 午後四時八分散會