司法委員会 第14号
- 発言数
- 57 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1947/08/06
会議録
○松永委員長 会議を開きます。 刑法の一部を改正する法律案に對する質疑を繼續いたします。佐瀬昌三君
○佐瀬委員 先般の概括的質問の際に申し上げたことでありますが、不敬罪の廃止と九十條以下の外交に関する罪とは本改正案の中でも特に重大な案件のように考えられるのであります。しかし一方においては刑法改正案の審議を促進する必要もあるように考えられますので、この重大な二点についてはしばらく留保して、他の改正点について逐条的に論議していくのが、この際最も妥当であると考える次第であります。従つてこのについてあらかじめ委員長の御了解を得たいと存ずるのであります。しかして留保された問題の扱い方については、事きわめて重大でありますがゆえに、さらに政府委員との懇談会を開催していただくなり、その点に対する善處を併せて希望する次第であります。
○松永委員長 ただいまの佐瀬昌三君の希望につきまして了承いたしました。続いて質疑をお願いいたします。
○佐瀬委員 では八十一條及び八十二條について若干お尋ね申し上げたいと思います。この二箇條は新憲法のもとで、日本が戦争權を放棄したことに基いた新しい立法として提案されたように考えるのであります。しからばその具體的な根據とその方式がかくなければならないという点について、政府の御所見をあらかじめ承つておきたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 改正案におきまして刑法第三章の外患に関する罪の大部分を削除いたしまして、八十一場と八十二條を修正して存置するころにいたしたのでありますが、この理由は申し上げるまでもなく、新憲法においてわが國が今後武力を放棄していかなる事態にあつても戦争に訴えるようなことのない、ほんとうの平和的な國家として存立したいという趣旨が新憲法に明示されておりますので、その戦争放棄、武力放棄の精神に副うように刑法の規定を改正しようとするのであります。
○佐瀬委員 その点は私も了承するものであります。憲法は國家としての戦争權を放棄したのでありますが、この新憲法の精神を貫徹するためには、同時に國民もこの憲法の規範を尊重せねばならぬと考えます。従つていやしくも日本國民である限り平和的文化國家の一員として、同時に第三國間の武力行使に対しても中正な立場を保持するという絶対に必要であることを考えます。従來の刑法において中立義務に違反したことを罰する條文はあつたのでありますが、さらに近代的な刑法上の制度として、特に現下の國際情勢に対応する制度として、以上申し上げました意味から、先般北浦委員からもその点に觸れられたような第三國間の武力行使に当つては、日本國民がいずれにも加擔しないという行為規範を要求し、これに反したものに対しては適当な制裁を加えるという規定が、この際新たに考えられていいと思うのでありますが、いかがなものでありましようか。
○佐藤(藤)政府委員 新憲法において戦争の放棄を明示いたしましたこの精神を徹底いたしますると、ただいまの御意見のように、外國の戦争に対していずれかに加擔するというようなことも、厳にこれを禁止しなければならぬという御意見のあるのはごもつともに存ずるのでありますが、今囘の刑法改正はまずさしあたり憲法に抵触する部分を改正しようという、最小限度に止めたのでありますので、御意見のような事例を刑法に規定すべきかどうかということは、刑法の全面的な改正の際に、さらに考慮いたしたいと存じております。
○佐瀬委員 その点ぜひ御一考を煩わしたいと思います。 八十一條、八十二條に関連してもう一点政府の意見を承つておきたいのでありますが、本二箇條によつて新たに罰せんとする対象は、武力行使という行為に限定されておるようであります。今後の戦争形態がどういう形をとるか、豫測に苦しむものでありますが、武力抗争以外に、經済的あるいは思想的な抗争をも予想されるのではないかと思うのであります。そういう意味において、私はいわゆる間諜的行為を廣く考えて、そういうものをも同時にここに罰則の対象として、規定したらどうかと思うのであります。この点政府委員においてどうお考えになつていられるでありましようか。
○佐藤(藤)政府委員 従來間諜行為というのは、敵國の武力行使を前提といたしまして、その敵國のために軍事上の利益を與える行為をなしたものを間諜として、これを處罰する規定を設けてあるのでありまして、これはおそらく各國の刑法において、すべて規定しておるところでありますが、今後わが國が他國と武力の抗争をするということは考えられません。従つて敵國のために間諜行為をするということも、事實あり得ないことでありまするので、八十五條の間諜行為に対する規定を、全部削除いたしたのであります。しかしながら、仰せのように武力行使以外に経済上あるいは思想上に、外國のわが國に対する攻勢に利便を與えるということは、あるいは想像されるのでありまするが、さようなことがありますれば、それによつてわが國の経済機構が亂される。あるいは社会の安寧秩序が亂されるということになりますので、そういうような大がかりな安寧秩序を亂すような行為に対しましては、前囘申し上げましたように、刑法の全面的な改正の際に、その点は十分考慮して、対策を講じたいと考えておるのあります。ただ安寧秩序に関する罪を全部削除いたしましたのは、これも前囘申し上げましたように、この規定自體が、戦争中に設けられた特別な規定であつて、戦時色濃厚である。ひとまずこれを削除して、そうして社会の安寧秩序を保持するための規定は、刑法の全面的改正の際に考究いたしたいと考えておるのであります。
○佐瀬委員 ただいまの御答辯によつて、私はとりあえず重点的な改正点に止め、ただいま私が申し上げましたような点においては、刑法一般改正において顧慮されるという御趣旨でありますから、これをもつて私も諒といたします。従つて八十三條ないし八十六條の削除も当然のこととして、理解したいと存じます。 百五條の「罰セス」という現刑法を、「其刑ヲ免除スルコトヲ得」と改正されんとする点について、いささか意見を述べ、かつ政府の御所見を承つておきたいと思います。まず言葉の問題でありますが、「罰セス」ということと「刑ヲ免除スルという言葉とでは、その内容が違うように私どもは理論上考えてまいつたのでありますが、この点について簡単に政府のお考えも承つておきたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 刑法の規定におきまして、従來これを罰せず、あるいはこれを免除するというふうに、用例が異なつておりまするけれども、いずれもその趣旨は犯罪が成立しないという意味ではないのであつて、犯罪は成立するがその刑を免除するというふうに解しておる学説もありまするので、この百五條の規定において「之ヲ罰セス」といつておるのも、犯罪そのものが成立しない、あるいはそれを合法なものとするという意味ではないのであつて、犯罪は一応観念的には成立するけれども、その刑は親族間の人情の前に刑を免除するという趣旨に解釋するのが相當ではないかというふうに考えておるのであります。
○佐瀬委員 刑法第七章は「犯罪ノ不成立及ビ刑ノ減免」という表題のもとに、以下数個の條文にその各場合を詳細に規定してあります。これを通覧して理論的に観察してみますると、「罰セス」という中には罪とならず、つまり犯罪として成立しないという場合を含むと同時に、犯罪にはなるけれども、ただ刑を科しないという場合と、二通りあるように観察されることであります。政府委員の御意見では全部罪にはなるけれども、刑を科しないという場合は「罰セス」という場合であり、従つて刑を科しない、免除をする場合と内容においては同じであるというような御意見でありますけれども、これはこの七章の内容から見ると、やはりさように區別して考えるのがどうも理論的に正しいように観察するのであります。そこで私はこの百五條の「罰セス」というのが積みになるけれども、ただ刑を科しないという意味の「罰セス」というのになるのか、あるいは罪にはなるけれども、ただ刑を科しないという意味の「罰セス」というのは、やはり刑法三十五條の正當行為を罰せずといつた場合と同じように、これは親族が犯人逃亡者の利益のために犯人蔵匿や證拠隠滅をした場合には罪にならない趣旨だ、こう解釈してまいつたのであります。その理由はいささか理論的に走つた説明で、この際申し上げるのは恐縮でありますけれども、いわゆる期待可能性の責任理論から言つて親族が犯人をかくまつたり證拠を隠滅したりするのは人情上やむを得ない行為であり、社会的にそれをするなということの期待は不可能である。従つてさような行為に対して刑事責任を課するということは妥當でない。責任性が阻却されるのだ、従つてこれは罪にならないのだ、こういう論拠に基いて、初めて百五條の意義があり、またその機能が發揮されてきたように見ておるのであります。従つてこれを今囘の改正案のごとくに、「刑ヲ免除スルコトヲ得」ということになりますると、これは犯罪になることを前提的に肯寧してかかることになるのでありまして、これは今申し上げました犯罪の本質に反する見解をとるという点において誤りではないかと思うのであります。なるほど現在の捜査能力が非常に低調になつた。そのためにこの種の犯罪をそのまま認めておいたのでは、捜査上いろいろ点において弊害が多い。従つてかような改正をする必要があるのだという政府の提案理由は一応ごもつともでありますけれども、それはいわば刑事政策的理由に基いたものであつて、私どもは刑事責任の本質をもかえてさような政策的なことをなすということは不合理であり、かつ効果的ではないと考えるのであります。さような刑事政策的な理由は、他にこれを發揮し得るように、改正なり新たな制度を設けるなりして、百五條をただちにかようにかえるという必要性はないではないかと思うのであります。以上の点について政府の御意見を伺いたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 先ほど「之ヲ罰セス」というのは犯罪の不成立を意味するか、あるいは犯罪は成立するけれども罰しないという意味であるかというお尋ねであつたのでありますが、百五條については先ほど申し上げましたように、犯罪は成立するけれども、これを罰しないという意味に解釈いたしておるのでありますが、さらにお尋ねのように、第七章の「犯罰の不成立」の章において「之ヲ罰セス」という規定は、これは全部犯罪そのものが成立しないことを意味しておるものと解釈いたしておるのであります。先ほどの私の答辯がいかにも刑法全面について「之ヲ罰セス」というのは、犯罪は成立するけれどもこれを罰しないという趣旨のように誤解されるおそれもありまするので、さらにくわしく釈明する次第であります。 しかしこの百五條において「之ヲ罰セス」とあるのを改めまして、「免除スルコトヲ得」というふうに修正いたしたいと考えましたその理由は、百五條自體がただいま申し上げましたように、犯罪の不成立を意味しておるものではないと解釈いたしておるのであります。そうして実際の事件を考えますると、親族といつてもその間に犯人との間に親疎の関係が違うのでありまして、大してその親族に対して平素は人情が厚いとも思われないような親族もあり得るのであります。そういうような親族が、たまたま犯人の逃走をかくまつたり、あるいはその證拠を隠滅した場合に、一様にこれを罰しないとすることは行き過ぎである。犯罪は成立するかこれを罰しないか罰するかということは、裁判所の自由裁量に任せて具體的な事件についてこれは親族間の人情の上から、とうてい犯人蔵匿とか證拠隠滅の罪に陥ることを防止することは期待しがたいというような場合には、裁判所がこれを罰しないことがあり得るし、また事件によつてはこれを免除しないで罰することが相當であると考えた場合には免除しないこともできるという工合に、具體的な事件について適切妥當な裁判をなし得るように、その間に弾力性をもたせて規定を改正する方が相當であろうという考えから「之ヲ罰セス」というのを「免除スルコトヲ得」というふうに改めたのであります。なおこれを改正するにつきましては、新憲法竝びにこれに伴う刑事訴訟手続きの改正によりまして、犯人の捜査、犯罪があればこれを捜査してそれを處罰する、それによつて社会の秩序を維持する上において、捜査の面において非常に困難を來すのでありまして、國民の協力なくしては、犯人の捜査、その處罰について、完璧を期することはできないのであります。一般の國民に対してそういうふうに犯罪の捜査裁判の行使等について協力を認めておきながら形の上で犯人の親族であるからといつて、一様にその證拠隠滅、犯人蔵匿は犯罪が不成立であるというふうにきめてしまうのは、いかにも不合理な結果を予想されますので、具體的な事件について罰しないか、罰するか、あるいは重い刑を科するか、一に裁判所の自由裁量の任せた方が相當であろうという考えから、修正案を提出した次第であります。
○佐瀬委員 いわゆる身分的刑罰阻却原因を無制限に認めることも誤りであることは言うまでもないのであります。しかし刑法の責任論から言いますならば、ただいまも申し上げましたように、身分的関連のある者が、犯人の蔵匿とか證拠隠滅というたことをするのは、人情上やむを得ないというような個人論理の必ずしも排撃すべき理由がないために、刑事責任の対象としてもこれを解放するという点にこの種規定の根本精神があるのであります。もし政府の恐れられるようなことがあるならば、わたしはこの條文を原則として立てておいて、ただその無制限になることを緩和する意味において、たとえばその親族は三親等に限るとか、あるいは罰せずということを原則にするけれども、情状によつて罰することを得とかいつたような修正のしかたの方が、従來の刑法の基盤をもとにしながら、なお新たに立法の目的を達成し得るのではないかと考えるのであります。この点についての御意見はいかがでございますか。
○佐藤(藤)政府委員 刑法第百五條の設けられました根本精神においては、御意見の通りでありまして、その点は何ら私の方も違つた見解をもつておるわけではないのであります。一般的に見て、親族間において犯人を蔵匿し、あるいは犯人のために證拠を隠滅してやるということは、人情の普通である。そういう人情のもとに、親族間においてこの種の犯罪を犯さないことを期待しがたいというところから、百五條を設けられたのでありまするけれども、しかしながらそれだからといつて、概念論に囚われて、親族であるから必ずこれを罰しないというふうに一様に断寧してしまうことは、この規定自體が行き過ぎであると考えるのであります。それゆえに、具體的な事件について、そういう人情の常として、犯罪を犯さないことが期しがたいような事情にある場合には、裁判所はその刑を免除する。そうでない場合には免除しないで相當な刑を科することもできるという、そういう程度にこの規定を修正して緩和する方が相當であらうというふうに考えておるのであります。
○北浦委員 この條文に牽連して……。私はこの條文を削除すべからずという理由は、親族関係でやむを得ないというそういう生温かい考えをもつて主張するのじやないのです。これは古い論語か孟子かであつたと思いますが、「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直きことその中に在り」正しいのだ。親が子のために匿す、子は親のために匿す、これが正しいのだ、やむを得ないのじやないか、それがほんとうの道なんだ。これがわれわれ多年の道徳であり倫理である。そこで今日はいわゆる英米デモクラシーに従わなければならぬという風潮ではありますけれども、何も必ずしも日本がただちに英米デモクラシーにする必要がないという證拠は姦通を今度削る。なぜ削るか、これは古來からの道徳の基礎の固いのに信頼する。こういう説明でわれわれは諒として今日まできたのであります。そこで政府委員の御説明中の、親族にもその間親疎の関係がある。それはありまするけれども、特にここに免除すと書いてあるのはあんまり大した罪でもないのだ。この百五條で支配するところの犯罪というものは、そう大した罪じやない。殊にあなた方御提出なさつた二百四十四條、二百五十七條、これは一つも改正されていない。家族だけというものを削る。これはあたりまえで、戸主がなくなつたのだから家族がない。この二百四十四條にしろ二百五十七条にしろ、これは日本古來の道徳を無視しては、かような條文は残すべからざるものである。尊重しておるからして、ただ単に家族だけを削つた。同じ改正法において、一方は日本古來の淳風俗を維持する。そうして他の方面ではこれをかえる。これはどうも理論一貫の本旨に違う。そこで佐瀬君の御主張ももつともであるが、私はもつと強き意味において免除することが正しいのだ。但し政府委員のおつしやるような、平常何もしていないが、しかし地は水より濃いのだ。人情論もさることながら、その方が正しいのだというより強い意味においてこれは削除すべからずと考えますが、同じことを聴いてもしかたがない。この二百四十四条及び二百五十七条は残すのだ、これは大改正を加えるのだという理論上の御意見を伺いたい。
○佐藤(藤)政府委員 お尋ねの二百四十四条及び二百五十七条の改正は、民法上家を廃止した関係から、ただ家族という観念を削除いたしたにすぎないのでありまして、直系血族、配偶者及び同家の親族間において、窃盗、詐欺、横領あるいは贓物に関する罪等が犯された場合には、犯罪は成立するのであるけれども、刑は免除するという規定になつておるのであります。それと平仄を合わせまして、第百五條においても、親族間において證拠隠滅、あるいは犯人蔵匿の犯罪を犯した場合には、やはり犯罪は成立するが、場合によつてはこれを免除するという規定に改めようとするのであります、この百五條は、私どもの考えるところでは、犯罪は成立するが、人情の常である、その人情の前に法律が一歩退いて、そう言う場合はやむを得ないことであるから、許してやろうという気持が百五條として規定ちれたものと理解しておるのでありまして、お尋ねのように、親族同士が證拠隠滅あるいは犯人蔵匿というような行為をいたした場合には、これは法律上正しいのだ、すなわち適法行為だということを刑法で宣言しておるものとは理解しておらないのであります。この点がどうも私どもの理解するところとお尋ねの違う点と思いますが、百五條と二百四十四条との関係は、ただいま申し上げましたように、同じような考えのもとに理解し、またこれを改正しようとしておるのであります。
○北浦委員 罰せずという言葉が犯罪成立、不成立かということは、もう議論が盡きておるのであります。佐瀬君と佐藤君との間に論議が交されたことは十分聴いておるが、そういう問題でなく、私のただいま問わんとするところは、この二百四十四上なり、三百五十七條は改正されていないのでないかと思う。なるほど家族と書いてあるが、これは改正ではない。家族は民法上なくなるのだ。そのままではないか。それはなぜか。いわゆる日本の古來の淳風良俗を尊重してこれをいらわないのだ。しかるに同じ趣旨の百五條をなぜかえるか。これは權衡をとるためだという趣旨の御説明がただいまありましたが。權衡をとるためならば、もとのままがよりいいのだ。どろぼうでも免除する。それよりもつと軽い私が聴くのはそこである。なるほど私も佐瀬君と同じ意見で、罰せずには犯罪不成立だ、そういう考えをもつております。それはもう議論が尽きているのですからやめましよう。しかし同じ趣旨での規定、あとの二百四十四條なり二百五十七條なりの規定は、ひとつもいらわないで、なぜ犯人蔵匿、證拠隠滅だけをいらつたか。この点をお伺いする。
○佐藤(藤)政府委員 お尋ねの二百四十四條、二百五十七條の親族間の犯罪について刑を免除するという精神と、百五條のこれを罰せずと規定しておる精神とは、私どもはまつたく同じ精神において規定されたものと、理解しておるのであります。従つて百五條の規定を改正して、二百四十條及び二百五十七條はそのままにしておくというのでありまして、お尋ねのように、これを全然違う趣旨のものにおいて規定したのならば、手を触れるのは不合理でありますけれども、同じ精神のもとにおいて規定されたものと理解しておりますので、百五條を二百四十四條のような規定の趣旨に改めようというのでありまして、ただそれでは百五條の方を改正するにしても、これを罰せず、これを免除すと二百四十四條と同じように規定すればよろしいではないかというお尋ねがあるだらうと思いますが、これはこれをすべて免除ということになれば、先ほど申し上げましたように、その間の事情によつて、必ずしも免除する必要のない事件もあり得るのであります、それからまた、國民一般に犯罪の捜査、裁判の行使に協力していただかなければならぬ。今後の治安の維持確保を期待するためには、どうしても具體的な事件について、場合によつては罰せられることがある。その反面においてすべて國民は捜査及び裁判に協力しなければならぬという趣旨を現したという気持もありますので、一様にこれを免除すというふうにしないで、具體的な事件について裁判所は免除することもあるし、場合によつては、免除しないこともあるというふうに、弾力性のある規定に改正しようとするのであります。
○北浦委員 どうも私の意見があなたに徹底しないが、私もこの百五條と二百四十四條竝びに二百五十七條は、同一の精神でつくられておるということを、初めから言つておるのです。同じ精神からでき上つておる立法である。しかるに、百五條だけいらつて——はなはだ失禮であるかもわかりませんが思いつきとは申しませんが、これは要らぬ。そして同じ精神ででき上がつておる二百四十四條、二百五十七條をそのままにおいておくということは理論一貫の精神に反するではないか、これを私はお伺いする。それからちよつと刑罰の均衡をとるためというお言葉がありましたが、これはどろぼうであるとか、あるいはその他二百五十七條、こういう犯罪と證據隠滅とか犯人をちよつとかくまうとかいう罪責の大小軽重を比較いたしまして、ちやんときめる。これが刑罰の盛り方である。それを一方で「免除ス」と書いてあるからこちらの方を「免除スルコトヲ得」とするという解釋辯は、犯罪の大小軽重ということを無視したお考えであつて感心できない。要するにあなたのおつしやるその点は、私と同じことである。この三箇條は同一精神からできておる刑法典であつて、その点は意見が一致する。そうしてその根本精神は何かといえば、日本古來の道徳である。一言で申すならば、親が子のために匿し、子が親のために匿す。これは正しいのである。子が親のために親のものをとる。また親が子に無断で使う。一身なんだ、血の繋がりなんだ、手も足も一緒なんだ、どこが悪いか、こういう理論からできているのであるから、他の二箇條はそのままにしておいて一方だけ要らぬ、これを今改正しようというのはよろしくない。私はかように申す。その点の御答弁が一向ない。
○佐藤(藤)政府委員 仰せのように二百四十四條と百五條との立法精神が同一であるということを御了解願いましたので、その点はさらに触れませんが、二百四十四條を修正しないで百五條だけ修正するのはどうかというお尋ねでありまするが、三百四十四條の規定の仕方にならつて、むしろ百五條を修正しようというのであります。同じ精神で規定してあるものであるから、その規定のしかたも同じようにしようというにすぎないのであります。そうすると、二百四十四條で「其刑ヲ免除シ」と言つているのを、百五條で「免除スルコトヲ得」とこういう幅をつけたのはどういうわけかというお尋ねのようでありますが、それは、ただいま申し上げましたように、新憲法竝びに新しい刑事訴訟手續の運用によりまして、今後犯人の捜査については、極力強制力を用いることができないという制限があり、またいろいろな制限がありまするので、犯罪の捜査については非常に困難を來し、國民の心からの協力がなければ、犯罪の捜査、公正なる裁判というものは、まつたく期することができないのであります。それでありますから、この百五條の規定に「免除スルコトヲ得」という幅をもたせることによつて、犯人の蔵匿、證據の隠滅は一般にいけないことである。そういう犯罪は犯してはならぬ。言いかえれば犯罪の捜査、裁判の行使については國民もみな協力しなければならぬという心持から、たとえ親族間において犯人の蔵匿、證據隠滅を犯してもそれは犯罪になるのだが、人情の常として、そう言う犯罪を犯した場合には、裁判所が情状によつて免除することができるが、非常にたちが悪い場合には免除しないで罰することもできる。こういうように幅をもたせようというところから、一様に「免除ス」としないで「免除スルコトヲ得」というふうに改めようとするのでありまして、二百四十四條に手をつけないからこそ百五條を改めよう、こういう趣旨なのであります。
○佐瀬委員 私は百五條と二百四十四條とではその思想的根據、法理的構成を異にするものであるという観点に立つているのであります。両者同一であるとするならば、ただいま政府委員の御説明もまたごもつともであろうと考えるのであります。しかして私はさきにも百五條は倫理の上に支えられた制度であると申し上げました。北浦委員は論語に基いて、いわば東洋の法理に基いてその論據とされているようでありますが、歸するところは同一であります。要するに刑法理論の上にいう身分的刑罰阻却原因であり、また期待可能性の責任論から言つて、百五條場合には罪にならないのだ、こういう結論になるのであります。であるから、これを「刑ヲ免除スルコトヲ得」というように改正することは、従來罪にならざるものを罪とするという、重大な飛躍的な改正であるというふうに考えられ、それだけに私どもはただちに政府の改正案に対する贊成の表しがたいものがあるのであります。そこで政府委員の御懸念されるような事由があるならば、これを三親等に限つたらどうかという一つの案を構想していた次第でありますが、しかし以上についてはすでに私どもの考えと政府委員の考えとがそれぞれ明確にされ、結局は意見の相違ということになつているのでありますから、この点は私これ以上に御説明を求める必要もないかと考えるのであります。
○酒井(俊)委員 関連して……。百五條の「罰セス「を「免除スルコトヲ得」というふうにかえる原則的な建前には、私贊成したのであります。それは結局本件犯罪の性質から見まして、犯人を蔵匿し證據を隠滅すれば、たとえ親がやつても子がやつても、一応國家の捜査權、裁判權、こうした公權を犯すものでありまして、犯罪を本質的に構成するもので合つた考え方は、道理に合つた考え方だと思います。しかしながら、それかといつて、親子兄弟血のつながり濃い親族間の人情をそのまま放棄することは、人間の世界に適用される法律としては不適當であります。そういう意味から罰則を改めて、「免除スルコトヲ得」という形にすることは、原則上當然だと思いますが、ただ親子兄弟ぐらいの関係、今もちよつと質問者から申されましたが、三親等ぐらいの関係は免除するといたしまして、その他の者は免除することができるというような、二段構えにしたらどうかと考えるのであります。これが真に人情の機微をうがち、人情に適したものではないかと思うのであります。 なお二百四十四條との犯罪の本質と申しますが、精神上の比較問題が論ぜられましたが、精神上の比較問題が論ぜられましたが、どうも政府委員の説明も私にはぴつたりこないのでありまして、二百四十四條を罰する場合と、百五條の処罰の場合とは、お互いに人情をくみとるという点においては同じでありますが、犯罪の本質はすつかり違つた立場にある規定だと思います。百五條の犯罪の場合は、個人で処分することのできない法益、いわゆる國家的の法益、公權を守る規定であります。一方二百四十四條の窃盗に関する親族相盗、この法益は個人の所有權、個人の權利を保護する法益を目的としております。そうしてみますと、犯罪の本質的な違いがここにある。この違いを比較してみますと、こういう罰則規定の本質から申しまして、個人の法益を守より、國家法益、公權を保護する方がより重大だと思います。そういう意味からいたしまして、親族相盗の場合よりも、かかる公權を乱る者は、たとえ親族間といえども、よほど処罰は程度高くいかなければならぬことは、當然の歸結だと思います。こういう意味からして、この公權を守百五條を、「罰セス」と規定することは反対であります。「免除スルコトヲ得」これで結構であります。むしろこれでなければならぬ。但し親子兄弟の特別な血のつながり、人情の点から言いまして、親子兄弟三親等関係くらいは免除す、その他の親族に対しては免除することができるという二段構えにしたらどうかと思います。この点について政府委員の御答弁を願いたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 ただいまの御意見は、まことにごもつともに存ずるのであります。百五條の「罰セス」というのを、「免除スルコトヲ得」というふうに、免除するか、あるいは免除しないかということを裁判所に一任いたしましても、御意見にありましたように、三親等内の親族のような、非常に血のつながりの濃い者に対しては、おそらく十中八、九まで免除する裁判になるだろうと思いますし、また非常に平素親密でない間柄である。あるいは匿うことが犯人のためにそう利益にはならないというようないろいろな事情を考慮して、裁判所は場合によつては免除しないで、刑罰を科するような結果になるだろうと思いますが、その間の事情はすべて裁判所の自由裁量に任せて、その具体的な事例について適切な裁量をしてもらう方が、妥當であろうという考えをいたしておりますので、立法上親族の上にさらに二親等、あるいは三親等というような区別をして、二段構えをするよりも、すべて裁判所の自由裁量に任して、「免除スルコトヲ得」と規定する方が、具体的事例の裁判において妥當であろうと考えておるのであります。
○松永委員長 北浦君
○北浦委員 私発言最中に隣からやられたのであります、終りを全ういたしておきますが、この三種の犯罪が被害法益を異にする。従つて刑罰を異にする。さようなことは大学の一年生でもよく知つていることで、多くは私は申しませんが、要するに私の申しまする精神は、何回も言う通りに倫理的から出発して、同じようにこういう條文が出來ている。それで免除するということと、裁判官の自由心證に任せることとは非常に違う。ただいま政府委員のお言葉を聴いていると、そういう場合には、多分こうなるだろうというお話がありますが、しかしその中で区別を設けておりますと、自由心證の範囲が狭くなつてくる。免除すと書いてあれば免除しなければならぬ。これから犯罪捜査というものは國民の協力がなければだめでありまして、國民の中に特殊関係のあるものであるから、この点は一つ考え直さなければならぬと思います。但しどなたかおつしやつたように、これを二百四十四條あるいは二百五十七條のように区別されて規定されることは、私は一歩も二歩も譲つて大贊成であります。政府委員のように、一旦出した原案であるからというような精神は極力去つてもらいたい。大改革と言いながら、私から言えば大悪改正であります。その点を御考慮になつて善處されたい。私はこれで終わります。
○松永委員長 午後一時半間で休憩いたします。 午後零時九分休憩 ————◇————— 午後2時十一分開議
○松永委員長 休憩前に引續き會議を開きます。佐瀬昌三君
○佐瀬委員 第七章の二の「安寧秩序に対する罪」の廃止の点は、先般政府委員の御説明により、近き将來において戦時色をなくした部門について、刑法の一般改正なりにおいて適當に善處されるというお話だつたので、私はこの点の廃止については、別に意義をもつものではありません。 次の百三十一條の皇居侵入罪の廃止でありますが、これも従來の刑法において、住居侵入罪の一般の場合に相竝べて規定したこと自身について、多少疑義をもつておつたのであります。不敬罪に準ずるような考え方をもつていくならば、これは皇室に対する罪の章下に規定すべき性質のものであると考えておつたのでありますが、これをさように考えず、やはり住居の安全保護という、公益のみを主として規定するものであるならば、百三十條が當然この場合にも適用されるのであるから、廃止するのも當然であろうと思うのであります。しかもこれを皇室に対する犯罪の中に組入れるほどの理由は、今日不敬罪そのものの廃止されんとするときには、何ら意義がないという点からも、この百三十一條を削除することは至當であると考える次第であります。 次の百七十四條について、また百七十五條についての改正案について、いささか政府の御意見を承りたいと存ずるのであります。これは猥褻罪に関する規定であります。私が特に問題にしたいのは、現在憲法においては、新たに基本的人權として、宗教あるいは信仰というものは、これは内容がきわめて雑多であります。似て非なるいわゆる類似宗教というものもございましよう。しかしとにかく新憲法二十條は一切合財、信教の自由を個人に対して保障するということを原則としております。ところが例としてははなはだ適切でないかもしれませんけれども、東洋には陽物崇拝とかいつたような特殊な宗教、あるいは宗教に似たようなものがございます。ああいうのは従來その極端な場合は、すべてこの刑法の猥褻罪に関する規定の適用の対象となつておつたように考えるのでありますが、今後新憲法において保障された信教の自由が、刑罰法規の適用対象となつて制限されるというふとになると、これは保障違反にあらずやというような疑いが、出てくるのではないかと考えるのであります。しかも新憲法の基本的人權の保障に関する規定は、われわれの観察をもつてするならば、非常に曖昧模糊とした規定になつておるのであります。中には罪刑法寧主義を掲げた三十一條のごとく、法律によればこれを規定し得る。個人の自由も生命も制限し得るというようなことになつて、きわめて法律の範囲内であるということが明白にされておるのであります。ところが数多くの基本的人權については、法律によつてこれを制限できるのかどうかという点が、曖昧にされておるのであります。もしこの基本的人權に対する見方が、フランスの革命憲法に宣言されたような、天賦人權構想に由來するものであるならば、これは法律をもつてしても制限ができないという解釋辯にならざるを得ないのであります。従つて信教の自由を実は法律をもつて制限し得るかどうかということも、この場合問題になるのであります。しかも刑法は百七十四條いかにおいて、さようなものを含むような場合に適用されるということになると、そこに憲法との関係いかんという問題が起ると思うのであります。今度は特に百七十四條及び百七十五條において刑罰を重く引上げるというのが、政府の刑法改正の目標とされておるのがありますが、これを審議する以前において、私はただいま申し上げましたような意味において、憲法と信教の自由と法律との関係ということに対して政府の御見解を承つておきたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 新憲法におきましては、仰せのようにまさに信教の自由を認めておるのでありまして、これは基本的人權のうちでも主要なる人權の一つであると存ずるのであります。この信教の自由のみならず、すべて基本的人權を新憲法においてこれを尊重しなければならぬということを規定しておりますのは、すべて公共の安全を保持し、また公共の福祉に反せざる限りにおいて、基本的人權を尊重しなければならぬということを明記しておるのでありますが、いかに基本的人權でありましても、その個々具体的の權利行使に當つて公共の安全保持に害があり、あるいは公共の福祉に反するというような場合には、立法の手段をもつてある程度の制限はやむ得ないものと存じておるのでありすま。
○佐瀬委員 新憲法第二條は國民に保障する自由權利は、常に濫用してはならぬ公共の福祉のために利用する責任を負うのだという一つの基準を表示されております。ただいまの政府委員の御説明は、結局これを根據とされて、公共の福祉のためには憲法に規定された國民の基本的人權、自由も立法的に制限することができるんだという御趣旨にあるように相成るのでありましようか。
○佐藤(藤)政府委員 その通りでございます。
○佐瀬委員 私も法理的な見解としては、一応さようでなければならぬと考えておるのでありますが、ただ問題は、公共の福祉ということが、きわめて概念的に把握しがたいものがあるのであります。戦時中は公益優先主義という美名のもとに、相當國家の國民に対する統制權が濫用された時代がございます。私は立法する上において、公共の福祉という新しい基準を過ちないように法の指導理念として堅持していくことでなければならぬと思うのであります。さような意味において、宗教の自由ということを立法的に制限する場合においても、いわゆる獨善的な考え方をもつて既成の概念をもつて、ほしいままな自由の制限をするようなことがあつたんでは、これはやはり憲法の精神に反するという考え方をもつものであります。従つて立法をする場合の心構えとして、私どもはやはり基本的人權を認めている憲法を正しく生かすように、事を處理してまいらねばならぬと考えております。 そこでこの百七十四條の改正点でありますが、従來の刑罰をかなり重く引き上げるという最も大きな理由は何も存するかということについて、政府委員のご提案に理由を承つておきたいと思うのであります。
○佐藤(藤)政府委員 敗戰後これまでの風潮を見ますると、いろいろ思想の混乱その他の經済生活の窮迫というようなことも一つの理由であると思いまするが、最近公然猥褻の行為をなす事例がかなり多いのであります。戰争以前においては、公然猥褻の行為をするというようなことは、あまりその例がなかつたのでありまするが、敗戰後の風潮として、さような忌まわしい行為が頻々として行われるのであります。また思想の表白の自由ということに名を借りて、猥褻の文書圖畫その他のものを発売頒布するという行爲も頻々として行われているのであります。かような道義頻発の傾向は、どうしてもこの際是正して善良なる風俗を維持したい。そういう気持から百七十四條、百七十五條を改正して刑を高めた次第であります。
○佐瀬委員 ただいま御趣旨は諒とするものでありますが、しからば百八十三條の姦通罪を廃止されんとするする政府の御意向と、猥褻罪の刑を強化していくという趣旨とは、相矛盾する感がありますが、この点はいかがでありましようか。
○佐藤(藤)政府委員 百八十三條の姦通罪の規定を廃止するという理由につきましては、この規定があるがために姦通という道義的に罪悪とみなさるべき行為が防止できるという確信がもてないのであります。そうして従來姦通罪の事犯について、御承知のように告訴がなければこれを検挙し處断することができないのでありますが、一旦告訴があつて公訴を提起し處断しようとすると、その間に大部分は告訴取下げということによつて事件が終結する。ただそれだけならば非常に単純のようでありますが、一旦夫婦喧嘩をした者があとで収まつて告訴を取下げたのであろうかというふうに外観では思いますが、裏面において告訴するまで、またその告訴の取下げに至る事情をよく観察しますと、その間に恐喝、脅迫その他の犯罪が取巻いておるのでありまして、告訴權が正當に行使されたと思われる例がごく少いのであります。ほとんど姦通罪の告訴については、何らか犯罪その他不正なる紛議がまつわつておるというのが実例なのでありまして、そういう点から考えますと、特にかような規定を設けても、あまり効果がないのではないか、かえつて弊害も考えられるのであります。また飜つて姦通罪そのものを考えてみますと、姦通はなるほど夫婦の貞操の義務、あるいは夫婦の愛情を裏切つた不道徳な行為ではありますが、これを刑罰をもつて取り締るということは、その性質上適しないのではなかろうか、かのイギリスその他非常に文化の進んでいる國においては、姦通罪を刑法上の問題としない。これは宗教上の問題、家庭上の紛議の問題として、道徳的にこれを解決しておるのであります。ただ法律上は民法において離婚の原因、あるいは損害賠償の原因として取り扱つているにすぎないのであります。その点も参照いたしまして、この際夫婦平等の原則に徹して、百八十三條の姦通罪の規定を廃止して、そうしてこの姦通の問題はお互いの家庭の中の道義の問題として解決する方が理想的ではなかろうかという結論に到達したために、百八十三條を削除する案を提出いたしたのであります。しかしながらこの姦通罪の規定を廃止することにつきましては、世間で非常に反對があるということを承知いたしているのであります。それは、今まで姦通罪が刑法上の問題とされていない場合ならばよろしいが、とにかく妻の姦通を刑法上犯罪として取扱つているのに、いまこれを一挙にして夫婦平等の原則を貫いて廃止するということになれば、これまで姦通を許された行為、公認された行為のように思われる。従つて姦通の事犯が多くなるのではなかろうかという御心配なのであります。この憂えはもつともなのであります。しかしながら、その点は先ほど申し上げましたように、従來の姦通罪についての告訴の取扱い方から推論いたしますと、この規定をなくしても、将來姦通が殖えるというようなことはなかろうと思うのであります。また國民一般に、姦通を刑法上の問題としないから、それは法律上許された行為であるというふうにはおそらく考える者はなかろうという考えのもとに、削除の結論に到達したのでありまするが、しかしこの点については有力な反對論がありまして、妻の姦通を罰するとともに夫の姦通も罰すべきであるという両罰の議論が相當有力に唱えられておりますので、この現状に鑑みまして、國民の輿論の代表である議員各位におかれましては、この点は十分に慎重に御研究の上、贊否の結論を拝聴いたしたいと存ずるのであります。しかしてこの百八十三條の規定を設けた趣旨は、ただいま佐瀬委員の申されましたように、やはり善良なる風俗を保持する、道義を保持するという意味から百八十三條の姦通罪の規定が設けられたことは、それはまさにその通りでありますが、百八十三條を廃止しても、ただいま申し上げましたように、決して善良なる風俗を損し、また道義頻発に拍車をかけるものではない、かように信じておりますので、百七十四條、百七十五條の刑罰を高めて善良なる風俗を保持しようという考えと、決して矛盾することはなかろうというふうに考えているのであります。
○佐瀬委員 百八十三條の姦通罪の廃止いかんという問題につきましては、他の委員の間にも相當の疑義があり、またそれぞれの主張をもつておられると思うのであります。いずれこの点もあるいは後日慎重に論議する機會を與えられるということが、今日においては必要のようにも考えられております。従つて私はここでは簡単にそれらの論議の基調となる資料について政府の方で何か提出していただけるものがあつたならば、より詳細なものを今後も出していただきたいということをお願いしたいのであります。とりあえずここで私の希望したいことは、いわゆる刑事統計に現われた姦通罪というものは、これは非常に少数であります。政府委員の御説明の通り親告罪とされている限り、有罪判決になつて現われるのは非常に少数であります。しかしそのゆえをもつて日本に姦通罪という犯罪がないというのではなくて、むしろ刑事統計に現われないところの犯罪というものは、相當数あるのでなかろうかと思うのであります。それらに對するいわば生態的な、生きた実数をとらえるということは、あるいは困難であるかも存じませんけれども、でき得べくんば、概数でも結構でありますが、その辺の資料も合わせて提出していただければ、はなはだ好都合ではないかと思うのであります。
○佐藤(藤)政府委員 姦通罪の規定の廃止に御参考になるような資料を集めようと思いまして、苦心いたしておるのでありますが、すでにお手もとに御配布申し上げました姦通罪に関する各國の立法例、夫婦双方とも同等にこれを取扱つて罰する法律、それから夫も妻と区別して處罰する法律、あるいは妻のみを處罰する法律、両方とも全然刑法の對象をしない、處罰しておらない立法例等を掲げておきましたが、そのほかに、わが國において昭和八年から昭和十七年まで、過去十年間におけるところの姦通事件の調査表を差上げておきましたが、この例を見ますると、仰せのように、裁判上事件となつた数は、きわめて少いのでありまするが、実際の姦通事件というものは、これ以上多数あることは考えられるのでありますけれども、統計の上において、その数を詳らかにすることのできないのは、まことに残念であります。なお民事の方において、姦通を原因とする離婚訴訟について集計ができますれば、その点を集めたいと思いまして探しましたけれども、民事の方でさような統計もできておりませんので、今お示しすることができないような次第であります。ほかに何か御参考になるような資料の御要求でもありますれば、またできるだけの努力はいたしたいと思います。
○佐瀬委員 重婚罪の犯罪件数のなりについては、何か関連した観察を必要とするものがあるように考えるのでありますが、できるならばこれとの比較的な意味における集計を希望したいのであります。
○佐藤(藤)政府委員 重婚罪の規定は刑法第百八十四條に示されておるのでありますが、この規定の適用を受けた実例はほとんど見當らないのでありまして、從つて統計にも現われておりませんが、ただ伝え聞くところによりますれば、戸籍吏が誤つて二重に婚姻届を受理したというために、刑法第百八十四條の規定の適用を受けた、つまり重婚罪の適用を受けた例が、たつた一つの過去においてあつたということを伝え聞いておりますけれども、これはいつどこに起きた事件か、そういう点の記録が今残つておりませんので、その点を御報告いたす程度には至つておりません。
○佐瀬委員 姦通罪については、なお他の委員からも詳細に政府の説明を求めたい節があるように聞いております。私も若干意見もあり、またなおお伺いしたい点もありますが、これは後日に留保することにいたします。 次に二百十一條の問題でありますが、せつかくこの修正を加えられるとするならば、現行刑法が規定しておる業務上過失致傷罪の刑罰の種類について、禁錮というだけに止めずに懲役を加えられたらどうかと思うのでありますが、この点に對する御修正の御意向は、現在のところ政府においてありましようか。
○佐藤(藤)政府委員 御承知のように、現行刑法におきましては、故意犯と過失犯とは、その取扱いをまつたく異にしておりますので、過失犯に對しては重い場合でも禁錮刑、普通は罰金刑をもつて處断する例になつておりますので、現行刑法の一部改正としては、現行刑法の建前をながめましてそれによつたのでありまして、二百十一條だけを今にわかに禁錮刑を懲役刑に改めるということは考えておらないのであります。
○佐瀬委員 刑法中他の罰條の中には、いわゆる結果的加重犯として過失に基いた場合も懲役に處する規定は多々あるのであります。從つて二百十一條は過失だから懲役を至當とせず、禁錮だけに限るという論拠は、いささか薄弱かと考えるのでありますが、殊に私ども業務上過失という中には刑法でいわゆる未必的犯意というものを含むものも、証拠の関係や何かでその実体の捕捉に苦しむがために、ただ業務上過失として處罰するということに終る場合が多いと考えるのであります。その罪質の実体については、どうも犯意と過失との截然たる区別はない場合が多いのであります。從つて二百十一條の禁錮刑は懲役刑にかえる、あるいは懲役刑をもここに選択刑として入れるということが業務上過失犯の本質から見てむしろ妥當ではないかと考えるのでありますが、この点はいかがでしようか。
○佐藤(藤)政府委員 刑法以外の他の刑罰法規におきまして、殊に最近においては過失犯についても、懲役刑をもつて取締まつておる刑罰法規があることは、その通りでございまするが、しかしながら刑法といたしましては、御承知の用に過失犯と故意犯とをその性質上厳然たる区別をしておるのでありまして、この刑法の体系を改めない以上は、今日一部改正をもつてその建前を崩すということは、非常に大きな問題でありますので、過失犯全体について故意犯と同じような懲役刑までを科すべきものかどうかということは、刑法の全面的改正の際にさらに考慮すべき問題であろうと存じまするので、今回はその点には触れなかつたのであります。
○佐瀬委員 ここに提案された改正刑法のいわゆる重大なる過失という意味でありますが、これは業務上、過失以外に、実際上重大なる過失として、新立法の適用對象になる場合がどのぐらいあり得るか、私はこれに對するお見込みを、これまでの検察裁判の実際上からお伺いしてみたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 改正案におきまして二百十一條に、業務上の過失ほかに重大なる過失による場合を重く處罰する規定を設けようとするのでありますが、実際問題において重大なる過失犯として、将來改正の二百十一條の適用を受けるものは、そうたくさんないと思いますが、どのくらいの数があるであらうという見込みは、今のところ全然予測することができないのであります。そうたくさん実例はないにしましても、新憲法において基本的人權の最も大なるものとして、人の生命、身体を保護するということを、從來にも増して尊重しなければなりませんので、その精神に則つて二百十一條において、人の生命身体は從來以上にお互いに尊重しなければならぬ。重大なる過失によつて人の生命身体に對して損傷を及ぼした場合よりも重く罰せられるという精神に副いたい。こういう気持から改正を企てたのでありまして、この改正案通過の上は、新法の適用を受ける事例がどのくらい多くなるかというようなことは、全然推定をなすことができないのであります。
○佐瀬委員 過失は從來抽象的過失とか、あるいは具体的過失とか、あるいは重過失とか軽過失とか、いろいろ過失に對する概念分化があるようでありますが、ここにいわゆる重大なる過失というのはどういう概念で把握されるものであるか、從來主観説や客観説、いろいろよつて來る説もあるので、実際の適用上過ちをなからしめるがためには、よほど厳密に重大なる過失という意義を確定しておく必要があると思うのでございます。政府のこれに對する御見解を一應承つておきたいと思います。
○佐藤(藤)政府委員 過失の観念の定め方につきましては、刑法理論において学説のわかれておるところでありまして、この点は私から説明するまでもなく、委員のすでに造詣の深いところでありますから、省略したいと存じまするが、この二百十一條に限らず、すべて現行刑法の過失の観念については、大体從來の裁判例における解釋適用の態度を見ますると、具体的事件について客観的に見て、注意義務を怠つたかどうかという点を標準にして過失ありや否やを定めておるように思われるのであります。そうしてその注意を怠つた度合が非常にひどい、注意懈怠の軽いものを軽過失、こういうように区別するのが相當でないかというような考えをもつて解釋いたしておるのであります。
○佐瀬委員 業務上過失の概念がきわめて学説判例の上から見ても不明確なものがあるように、私どもは見ております。從つて新憲法のいわゆる生命尊重の意味から、その適用の外に立つものを重大なる過失として、この新たな規定で處罰していく趣旨にはもとより意義をさしはさむ者ではないのであります。ただ今も申し上げましたように、単統なる過失致死、死傷罪に比べて重大なる過失による場合は、きわめて刑罰は重くなるがゆえに、そこに裁判の実際における適用をただしていくということが、今後必要であらうと思うのであります。それに對して私は各角度から善處することを必要と認めるものであります。
○中村(俊)委員 百八十三條の姦通罪の削除に関しましては、新しい憲法が布かれる以前より、すでに刑法学者の間におきましては、日本の在來の姦通罪の規定が公平を缺くというような見解から、あるいはこれを両罰にすべしという議論もありますし、またこれは全然廃止すべきだという議論がここにおいてすでになされてきておつたのでありますが、今般の新憲法の施行によりまして、こういう百八十三條削除の案が提出されたのでございます、両罰にすべきであるか、全然罰しないか、どちらが進歩的な見解であるかというような議論から申しますと、一般のといいますが、多數の学者の言つております通りに、法治国の現在における進歩的な見解だとされておるようでございます。ところが今わが国の現状は、かつて平和時代におけるいわゆる社会的道義がかなり十分に守られてきておつたときと比べますと、ほとんど問題にならないほど道義地におちておるのでございます。そういうような、特に極端な道義地を拂つておるような現状において、いわゆる治安が確保され道義が比較的完全に保たれておる法治国においてのみ百八十三條の撤廃が進歩的だと言われるに比べますと、今にわかに日本の現状において百八十三條を削除するというころは、まことに恐るべき結果を招來するのではなかろうかという一部の見解があるのであるのでございますが、これに對する御意見を承りたいと思うのであります。
○佐藤(藤)政府委員 夫婦間においてはその性質純潔を維持しなければならぬ、いわゆる貞操の義務があるということは、これは古今東西變りのない原理であると思うのであります。これを到達するがために、刑法において刑罰をもつてこれを維持高揚しなければならないものがどうかという、理屈の上におきましては、先ほど申し上げましたように、これは理論としては、夫婦間の道義、あるいは家庭の内の紛議解決の問題として任すべきものではないかという理想論ももつているのであるますが、この理想を実現するために一挙にして百八十三條——もつともこの百八十三條というものは、妻の姦通のみを處罰する片手落ちの不當な規定ではありますが、この規定を一挙にして削除いたしますと、それによつて現在の道義頻発の風潮に對して歯車をかけるものではないかという御心配は、まことにごもつともに存ずるのでありまして、私どももその点に非常に心配しているのであります。それがために、この規定の取扱いにつきましては、非常に慎重な態度をとつているのであります。過去においては、永い間刑法改正の假案を論議する際に学者、実務家間において、姦通罪の規定を削除すべきか、あるいは修正して保持すべきか、あるいは両罰の規定に改むべきか、いろいろな論議があつて、なかなか議論が一致しなかつたのでありまして、結局フランス刑法のように、夫婦ともに姦通を罰するが、妻の姦通については無條件に罰する、ただ夫の姦通についてはある條件のもとに罰するという差別待遇をいたして刑法假案ができ上つたのであります。しかしこれについてはやはり相當異論があつて、全会一致というわけにはいかなかつたのであります。ところが新憲法において夫婦平等の原則を貫かなければなりませんので、あらためて百八十三條の姦通の規定をいかにこれを取扱うべきかということに関して、昨年夏以來、司法法制審議会においてこの点が論議されました。その際にも贊否両論、これは中間説はまつたくありません。削除すべきか、夫婦同等に罰すべきかという二つにわかれまして議論をたたかわし、結局少數の差をもつて、削除すべしという意見におちつきましたので事務當局といたしましては、この司法法制審議会の答申を尊重して、この改正案を立案いたしたのであります。しかしながら、改正案の世間に発表せられますや、各方面から痛烈なる反對もあります。また反對の理由も非常に有力に存じますので、この際は唯一の立法機関であられる国会におきまして、削除すべきかという点について、慎重に御議論の上、いずれになりとも決定せられるようにお願いいたしたいと存ずるのであります。ただ私一個の考えといたしましては、これを削除することによつて、現在の道義頽廢の拍車をかけるものであるという御議論に對しては承伏しがたいのであります。
○中村(俊)委員 次に「第二百三十二条中「本章」を「第二百三十條」に改め、同條に次の一項を加える。」というその次に、「告訴ヲ為スコトヲ得可キ者カ天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣ナルトキハ内閣総理大臣、外国ノ君主又ハ大統領ナルトキハ其國ノ代表者代リテ之ヲ行フ」となつておりますが、先般安東外務委員長がこの席上において政府に質問されましたその言葉の中に、国際慣例といたしましては、こういう場合が生じたるときは単に被害国から加害国に對する外交上の通告によつて、ただちに起訴權と申しますが、とにかく犯罪検挙の手続きをとらなければならぬのが国際慣例だというようなお話があつたのでありますが、この案をお出しになるにつきましては、そういう点を十分に考慮になつてのことでありますか。それともわが國の刑法においては、独自の見解でもつてやはりその國の代表者が正式の告訴の手続きをとらなければこれを起訴することができないというやうにお定めになつたのでございましようか。
○佐藤(藤)政府委員 その点につきましては、現行刑法の九十條に「帝国ニ滞在スル外国ノ君主又ハ大統領ニ對シ侮蔑ヲ加ヘタル者ハ三年以下ノ懲役ニ處ス但外国政府ノ請求ヲ待テソノ罪ヲ論ス」その次の第九十一條第二項に「帝国ニ派遣セラレタル外国ノ使節ニ對し侮蔑ヲ加ヘタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス但被害者ノ請求ヲ待テ其罪ヲ論ス」こういうふうに規定せられておりまして、外国の君主、大統領に對する名誉毀損罪が行われた場合には、外国政府の請求を待つて訴追する。外交使節に對して名誉毀損罪が行われた場合にはその使節自身の請求と待つて追訴をするという制度になつておるのであります。この点を改めてまして、外国の君主、大統領の場合にはわが國の天皇皇族に對する名誉毀損の場合と同じように、政府からあるいは政府の代表者から告訴を受けて、その告訴に從つて訴追の手続きを進めよう、こういう制度に一貫致したのであります。お説のように外国の立法例を見ますと、外国政府の代表者の告訴というふうには規定しないで、外国政府の請求、単に政府の請求があればこれを起訴することができるような立法例があるのは承知いたしておりますが、その点は外国政府の請求があるのと外国政府の代表が告訴するのとでは手続は大して違わないので、政府の請求といいましてもその外国政府の代表が請求しなければなりませんので、そうすると、請求はやはりその犯人の罪を断じてもらいたいという意思表示なのでありまして、告訴も同様なので、こういう犯罪が行われたから犯人を處罰してもらいたいという趣旨の請求あるいは告訴となつて現れるのであります。告訴と言いますと、いかにも告訴手続について非常にむずかしい手続があるのではないかという御心配もごもつともでありますけれども、この点は現在の刑事訴訟法におきましても、大してむずかしい手続にはなつておらないのです。犯人を處罰してもらいたいという意思を口頭で述べる、あるいは書面で述べればそれでよろしいのでありまして、口頭で述べた場合には受付の方でそれを書いて、それに署名捺印してもらえば書面の告訴状にかえることもできるのであります。この点を一様に全部刑事訴訟法にいわゆる告訴の改めましても、外国政府に對して特別にむずかしい手続を要求することにはなりませんので、何ら国際慣例に反することはないものと信じております。
○中村(俊)委員 最後にもう一点お尋ねいたしたいと思います。今般の刑法の改正案は、主として新憲法の施行に基いて當然變更されなければならぬ諸点が大部分であり、また政府委員からもそういう点を主として提案したのだという御説明も承つておるのでございますけれども、必ずしも新憲法の施行に直接関係のない点で御変更になろうとされておる点もあるのでございます。それにつきまして、私お尋ねいたしたいのは、從來刑の權衡に突いて議論になつております点でございます。昭和一五年刑法改正假案、かくのごとき厖大なる法律案の提出は、おそらく最近の議會においてなされないであろうと思つたのでありますが、私が今お尋ねいたいしたいと思う点は、どう考えてみましても、刑の權衡上不當な点がありまするので、これについてこの際御改正になる意思があるかないかということをお尋ねいたいしたいと思うのでございます。それは刑法百十三條、これは放火罪に関しうる規定でございますが、「第百八條又ハ第百九條第一項ノ罪ヲ犯ス目的ヲ以テ其豫備ヲ為シタ者ハ二年以下の懲役ニ處ス」放火の豫備罪でございます。「但情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得」という但書が附いております。また刑法二百一条、これは殺人の豫備に関する規定でございますが、「前二條ノ罪ヲ犯ス目的ヲ以テ其豫備ヲ為シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス」放火も殺人もいずれもその豫備につきましては、二年以下の懲役に處すという規定になつておりまして、しかも「但情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得」と、百十三條及び二百一條にはいずれもその豫備罪の規定に今申し述べたような但書が附いております。ところが刑法二百三十七條は「強盗ノ目的ヲ以テ其豫備ヲ為シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス」というだけであります。同じく豫備であつて、しかもその最長刑は二年。「二年以下ノ懲役ニ處ス」とあるのみならず、二百三十七條に限つて「但情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得」という規定がないのであります。これはわれわれも從來實際の問題にぶつかり、またその罪犯の性質から申しましても、むしろ強盗よりも殺人、放火は御承知の通りこれは公益に関する大きな影響のある罪犯でありますから、どうしても二百三十七條の同じく豫備罪につきましては、百十三條または二百一條と同じように「但情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得」という規定がなければ、刑の權衡上非常に私は不公平だと考えておるのでありまして、これは私一個人の見解ではございません。多くの刑法学者のよつても、この点は論ぜられておるのであります。さらに刑法第四十三條には「犯罪ノ實行ニ著手シ之ヲ遂ケサル者ハ其刑ヲ減刑スルコトヲ得」ということになつております。この中止犯の規定は、すべての犯罪に適用するのでありまするからして、強盗の目的をもつて其の豫備をなしたつまり中止をなしたものよりもなお軽かるべき行為につきましては、弾力性のない規定として縛られるが、それよりも重い罪であるべきその中止犯に對して、なおその刑を軽減することを得というような規定が適用されるということなりますと、どう考えてみましても、二百三十七條には、その但書には、百十三條または二百一條の但書と同様な但書があつてしかるべきでありますが、この改正にあたりまして、三百三十七條に今申し述べましたような但書を加えられるという改正案をお出しになる御意思はないかどうかを伺いたいのであります。
○佐藤(藤)政府委員 ご指摘のように、非常に重い犯罪である放火罪及び殺人罪の豫備については、情状によつて刑を免除することを得という但書があるのに、強盗罪については豫備をなしたものは二年以下の懲役に處すというだけで、情状によつて刑を免除することを得という規定がないのは、いかにも不均衡であるという仰せでありますが、なるほどもつともに存ずるのであります。ただ刑法の立案者といたしましては、おそらく放火罪、殺人罪は本來非常に重い犯罪ではあるけれども、具體的な事件について、その動機が非常に酌量すべき事案が多い。人の生命を奪うというような殺人罪、あるいは人の居住の安全を脅かしまた公益に害ある放火罪でも、その大罪を犯すに至つた動機についてはいろいろ情状酌量すべき点があるので、かような重い罪の豫備罪については實行にまだ着手しない豫備で終つた程度であるから、免除することができるという非常に弾力性のある規定にいたしたものと考えるのであります。ところが強盗罪につきましては、犯罪そのものは放火殺人よりも軽い場合がありましようけれども、その豫備行為をなし、そして豫備に終つたという場合、その犯行の動機を考えますと、殺人放火の犯罪の動機とはおのずから異なるものがあるのではなかろうか。もしその強盗豫備行為について酌量すべき事例が多いとするならば、なるほど但書をもつて情状によつて免除することを得というふうに規定すべきありまするけれども、酌量すべき事例が少いとするならば、その少い事例については、刑事総則の適用によつて、酌量減刑をすれば足りるのでありまして、條文の上において、大部分免除するという趣旨の規定を明らかにする必要はない、かような考え方から、おそらく強盗罪の豫備についてのみ但書の規定をなさなかつたのではなかろうかというふうに考えられるのであります。從つてただいま刑法改正案を提出するにあたりましても、この強盗罪の豫備については一般的に考えて情状酌量の事例が多いとも考えられません。殊に最近は凶悪なる強盗罪が非常に頻発いたしますので、かような状態のもとにおいて、現行刑法を改正してまでも、強盗罪の豫備について免除することを得という改正をすることはいかがかと存ずるのであります。要するに、具體的事件について、たとえ強盗罪の豫備行為であつても、情状酌量すべき点がありますならば、裁判所は酌量減刑の規定を適用して、適當な軽い刑罰をもつて遮断するのではないかと存ずるのであります。
○中村(俊)委員 ただいまの点については、あるいは私のこれから申し述べようとする点とは、結局において意見の相違になるかもしれませんが、ただいまのお説によりますと、殺人放火は元來重かるべき罪ではあるけれども、またその中にはまことに同情にたえない事案も多かろう、こういうようなことで、特に但書がついておるのであろうという御辯解でありますが、平和の時には強盗という事犯はまことに少なかつたのであります。ところが終戰後の今日に至りまして、この強盗竝びに殺人も同じでありますが、同じでありますが、これは實に枚挙にいとまのない凶悪なる強盗犯がたくさん起こつたのであります。われわれも實際の問題におきまして、數限りなくそういう事件にぶちあたつたのでありますが、その結果私は次のようなことは、今政府委員がおつしやつたと同じような理由で、反對の結論が出てきておると思います。それは今申し述べましたことく、平時における強盗というものはほとんど數が少く、しかもその強盗の内容というものはほとんど同じ類型に属する種類のようなものでございまして、最近頻発しておりますがごとく、この世相によつて影響する強盗の中にはもちろん凶悪なものもございますが、しかしこの數限りのない強盗事犯の中には、平時であれば、われわれがとうてい考えられないような気の毒な共犯者がたくさんあるのであります。現に私が經験いたしました事件にいたしましても、例の強盗の見張りをするということ、これは共犯でありまして、厳格な法律の規定から申しますと、何ら幇助でもなければ、あるいは重犯でもないのであります。しかもそれが脅喝を受け、あるいは重犯でもないのであります。しかもそれが脅喝を受け、あるいはその他の事情によつてやむなく見張りをして、途中から恐ろしくなつて止めるというような事犯が決して少くないのであります。從つて、昔の平和の時ならば、あるいは強盗というものは、おそらく典型的な凶悪なる強盗犯であるから、こういう但書は要らないだろうという意見も立つかもしれませんが、世相険悪なる今日において幾多の青少年が現在のこの混亂した社會においてやむなく犯す凶悪なる強盗罪の中に、同情すべき事案が多いのでありまして、むしろ先ほど政府委員が言われたる殺人、放火のうちでも、數は多かろうが、その中あるいは同情すべき事案が多々あるという言葉は、そのまま、現在の世相下において行われる強盗犯罪のうちに、幾多同情を表すべき事件は枚挙にいとまがないのであります。しかも今般の改正案のうちには、先ほど議論がありました百五條のうち、「之ヲ罰セス」という文句を「其刑ヲ免除スルコトヲ得」というように幅廣くされたということは、つまり現在の世相において強盗などが頻發して逃げる。そうすると薄い親戚などでもこれをかばうということになつても、すべてこれを罰せずというようなことでは治安が保てないから「其刑ヲ免除スルコトヲ得」というように弾力性をもたして、實際の面において裁判官の裁量に任せるという今の時勢に適合するような言葉を用いて改正をなさろうとする意思ならば、同じく今私が申し述べましたように、二百三十七條に但し情状によつてその刑を免除することを得るとつけられるのが、むしろ今までの刑の權衡を失せることを是正するとともに、今のこの時勢に適合する改革ではないかと、私は考えるのでございます。あるいはその点においては議論の相違だというころになるかもしれませんが、最後に御参考に私の見解を申し述べまして、私の質問を終ります。
○松永委員長 本日はこの程度にいたしまして、次會は明七日午前十時より開會しいたします。 本日はこれにて散會いたします。 午後三時三十四分散會